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(回答先: キメラ実験 - 「半獣半人」は誕生するか (x51.org) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 09 日 00:24:43)
非人間概念序説
1、
近所に昨年12月、巨大な集合マーケットが出来ました。そこは数年前に閉鎖された工場跡地でありました。
広大な空き地でした。おらはそこに塀を乗り越え、拾ってきた木製の食堂机と椅子を持ちこみ
何時間でもボーとしておりました。風がとても心地よかったのであります。
「ひとりがいい」と昔つくった歌を口ずさむのであります。
集合マーケーットの2Fには大きな書店が出来ました。
このあいだ行ってきました。いろんな本がありました。まず、さがすのは世界陰謀関係の本です。
それからあちこちカテゴリーごとに本を手に取りながら鑑賞するのでした。
おもしろい本がありました。値段は2500円です。買えないので、立ち読みしました。
亜人種イラストを描くための解説書でした。
亜人種とはおそらくいまアニメ絵ということでトレンドなのかも、そう思いました。
亜人種のここが魅力!
http://hizashitei.net/ak/fantasy/pcrace3.html
亜人種解説書をめくりました。
まず概念です。
マトリックス概念が説明され
そこから:並列:というコンセプトを選択します。
並列こそ亜人種つくりの概念でした。
人間の腕と手は植物となる、または猫の手となる、
そのように人間身体と植物や動物を並列させ、合体させる方法であります。
合体は日本のアニメーションにおいて70年代から伝統があります。
「ガッチャマン」やロボットの合体、そして車の合体。
おらは1977年頃、アニメーション会社で働いていたのですが
とにかく合体したときの彩色はたいへんでした。
彩色はセルの裏に塗っていきます。細かい作業であり、撮影に出す前の
色チェックはたいへんでした。
合体のコンセプトは「合体による超人的なエネルギーの集合による世界への拡張」です。
合体によってこそ敵を倒すことができるわけです。
しかしこの超越への変貌も日本の少年ドラマには伝統があります。
おらが小学校の頃は貧乏でテレビがないものですから、近所のテレビがある大きな家に
みんなでテレビ番組鑑賞に行っておりました。日曜の夜など、そこに近所の大人たちも
加わりますので、まるで小映画館のようでありました。
「少年ジュット」という少年ドラマがありました。オートバイに乗って、悪党をやっつける
正義の味方であります。突然「ウーヤーター」と意味不明の言葉を叫ぶと
敵は倒されてしまうのであります。
「白馬の童子」「笛吹き童子」という忍者の少年ドラマもありました。
両手の指である結界をつくります、呪術であります。すると敵は倒されてしまいます。
忍者ものでは「隠密剣士」もありました。
いずれも突然、超越としてのエネルギーで逆転させるのであります。
小学校の頃読んだマンガでは「少年マガジン」であります。「少年サンデー」「少年キング」
「冒険王」などもありました。
ゼロ戦・隼・戦艦大和が活躍する戦争物語には夢中になりました。
忍者物語・野球物語にも夢中になりました。少年たちはゼロ戦とか戦艦のプラモデルをつくって
おりました。60年代前半の時代、東京オリンピックの頃です。
その頃、手塚治虫は21世紀のSF物語を描いておりました。
石森章太郎は超能力のSF物語を描いておりました。
白土三平は忍者物語でありました。
さいとう・たかおはスパイ物語でありました。
少年マンガにも少年テレビドラマにも超越的な魔球を放り投げることにより、敵味方の彼我関係を
逆転するという明確な意思表示が提示されておりました。
その情念が少年たちを夢中にさせるわけです。
作家たちは第2次世界大戦を少年時に体験した人々でありました。
その情念の深部にはやはり、USアメリカ軍によって占領されたいる現実が渦巻いていたと思います。
奇蹟の超人的なエネルギー波動によって立場を逆転させる最後の情念には、有史はじまって以来の
外国軍による敗戦占領における深部からの意識だったのであります。
敗戦後のマンガ家は一貫としてそれを表現して行ったのであります。
その少年マンガを読んで育った少年たちはやがて70年安保闘争の怒涛に突入していきます。
反米・反安保・沖縄・ベトナム反戦闘争は全国各地で壮大なエネルギーを現出させました。
マンガ少年少女たちは、小学校の頃に見たテレビドラマやマンガにおける奇蹟の逆転波動を
70年安保闘争の幕を切って落とす、何十万の隊列のなかに幻視したのであります。
大学の叛乱も高校の叛乱もマンガ少年少女たちによる行為でありました。
彼・彼女たちは革命を幻視し、敗戦占領国から、植民地意識から脱し、おのれの主体と独立した自我を
希求して行ったのであります。
マンガ少年少女たちはマンガを捨て、そのかわりに思想書を読むようになったのであります。
それが落とし穴でありました。
青年になっても大人になってもマンガだけ読んでいればよかったのでありますが
マンガ少年少女たちは故郷を離れ、西欧近代啓蒙思想に憑依されてしまいました。
当時、マルクスを語れない人間は「世の中に遅れている人間」として蔑視されてしまったのであります。
こうしてイルミナティ・マルクス・ウィルスは彼・彼女の身体に浸透していったのです。
不幸のはじまりでした。自滅への道です。党派闘争・内ゲバ、政治主義と権力意識が
マンガ少年少女たちを変質させてしまったのです。
日本が独立する最後の希望であった70年安保闘争の幻視は
いくつかの急進主義グループを産み出し、頓挫してしまいました。
時代は68年から72年でありました。
1973年になりますと、すっかり都市の空気は変わっていました。
植民地都市の光景が新宿に広がっておりました。
屈折した感情はグロテクスへと向かうしかありません。
何十万の隊列という70年安保闘争の幻視に向かわず、孤立を求めて、ひとりマンガを描いていた
少年少女たちは微熱をかかえながら、貧乏に耐え歩いておりました。
彼・彼女たちが向かったのはアニメーションでありました。
「不正義によって占領された現状を転覆する正義の味方は必ずやってくる」
「奇蹟の呼び声は敵味方彼我の関係を逆転させる、それが場所の転移であり想像力だ」
70年アニメーション世代は敗戦後マンガ作家たちの情念を継承したのでありました。
彼・彼女たちが産み出したメカ・マシンの合体こそ
70年安保闘争の十万の隊列であったのであります。
経験とはデモ隊に参加したことが経験ではなく、思いという精神の自己対話こそが経験です。
70年安保闘争を経験したのは、マンガを捨て西欧マルクス革命者に転向した人々ではなく
マンガを守り、ぼんやりと四畳半あるいは喫茶店にひとりぽつんといた人々だったのです。
やがて21世紀になりました。
彼・彼女たちの師である手塚治虫のSF到来でありました。
21世紀の幻視はまたしても破水されてしまいました。世界権力による911でした。
椅子に座りながら20世紀の黄昏をながめていた老人。
20世紀の晩夏の風を頬に受けていた老人。
「おれはひとりの修羅なのだ・・・」これが21世紀の幕開きでありました。
彼・彼女たちは亜人種を産み出しました。これが非人間概念序説であります。
マトリックス概念における並列配置。既成の権力意味を転倒するコラージュ。
草木一本一本に神が宿る草木主義による身体憑依。
亜人種こそ敗戦後マンガの深部に流れていた占領軍と植民地意識の屈折・複合意識を打開するため
の問題解決能力として登場したのでしょうか。
妖怪人間フリーメーソン・ベン。
奇蹟の呼び声、超人的な正義の味方は「まれびと」として21世紀日本にやってきた亜人種。
敗戦後20世紀マンガ作家から21世紀アニメーション作家たちの深部に流れていた情念の河とは
問題解決能力をもった身体でありました。
「鉄腕アトム」「超能力」「忍者」「ゴルゴ」
「宇宙戦艦ヤマト」「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」
占領軍と売国奴による植民地統治形態におきましては、たとえば
「日米安保と憲法第9条」のように「絶対矛盾における並列」が、日常の自我を支配コントロールする
制御装置となっております。
この社会では論理を建設していくという思考が困難となっていきます。思考する行為が苦しくなってしまいます。
リアリズムを相対化するしか想像力の出口はないと
作家は日常を異化し日常をイメージにおいて転覆する戦術が必要となります。
70年安保闘争に向かう全国各地での工場・大学・高校の叛乱怒涛の68年〜72年。
手塚治虫「火の鳥」白土三平「カムイ伝」それからの「ギリシア神話シリーズ」
手塚治虫は歴史の下降と上昇に向かい、白土三平は歴史の下降と向かいました。
歴史とはまた非人間的でもあるとする情念であります。
ここでも非人間概念序説が敗戦後マンガ史において1970年に登場しております。
ダイナミックな時代を経験する者
それがマンガ・アニメーション少年少女たちでありました。
老人となったおらはアパートでゴキブリと同期化しまして
昆虫情報体へと退化いたしました。亜人種へと人類退化したのであります。
おのれは何者か? と、ふとなにげなく思うときがあります。
それで非人間概念序説を自己言及してしまったのであります。
これから即席ラーメンと納豆で晩御飯を食べようと思います。冬将軍に負けず生存していこうと思います。
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