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黄金の百合作戦(レッ・ボルテール:山下の黄金の「伝説」)
今年の1月に入って、「言論の自由を目指すレッ・ボルテール」スペイン語版(電子版)には、第2次大戦前後の日本についての記事が3つ続けて掲載されました。これは昨年フランス語版レッゾー・ヴォルテールに載せられた記事のスペイン語訳なのですが、近年の日本の軍国主義復活の動きに反応しているようです。また左翼的ヨーロッパの目から見た「近代日本観」(の一部ですが)を知る上でも興味深いと思います。
まず笹川良一、次に児玉誉士夫の特集があり、1月27日にはマッカーサーと並んだ昭和天皇の写真を掲げた『黄金の百合作戦(原文:Operación Lis de Oro)』という題の記事が登場しました。本当ならば先の2つの記事も翻訳してご紹介したいところなのですが、それぞれかなりの長文でなかなか翻訳の時間がとれず、まずこの記事からご紹介し時間があればおって先の2つの和訳にも手をつけよう、と思っています。
以下の訳文では、特に第2次大戦前の状況の説明で英米、中国(清)、ロシアなどとの関係を無視している、などの一方的な見方も目立ち、事実関係について疑問に思う点も無いわけではありませんが、まずここでは原文に忠実に翻訳してみます。一つの推理としては非情に面白い面を持っていると思います。また日本の皇室に対する仮借の無い糾弾ぶりもこの文章の特徴です。
【参照】
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/rinen/totten/ow_text.php?A=1&B=517
M資金について(ビル・トッテン)
http://www.ryukyushimpo.co.jp/kinkou/kin24/k030928.html
M資金(金口木舌)
【関連本の紹介】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0767904974/249-4187780-1256311
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1859845428/249-4187780-1256311
なお(1)(2)などは注釈番号で、注釈も原文の通りに翻訳します。目をお通しください。
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http://www.redvoltaire.net/article3661.html
日本の犯罪者たちの宝
『黄金の百合作戦』
DENIS BONEAU*
[大日本帝国軍が東南アジア【この文章の中では東アジアから東南アジアまでの範囲をすべて「東南アジア」と呼んでいる。:訳者】を侵略・略奪した1930年代以降、天皇裕仁は「黄金の百合作戦」を立ち上げた。その目的は戦争の略奪品を確保し隠匿することである。第2次大戦の終了時に、マッカーサー(米国)将軍の任務はその宝を手に入れて共産主義との戦いに資金提供するさまざまな基金を設立させることであった。「山下の黄金」は長いあいだ単なる伝説と思われていたが、これは、どのようにして日本の自由民主党が、その幹部たちの極端な腐敗にも関わらず、半世紀ものあいだ日本の「民主主義」を独占的に支配することができたのか、を我々に理解させることができる。これは、日本の戦犯たち、そのマフィアとの共犯関係、その政治権力、そして共産主義との戦いという文脈の中での彼らの悪事に対する米国の支援、というテーマについての三部シリーズの最終編である。これらの「民主主義」の擁護者たちの歴史である。]
パリ(フランス) 2005年1月27日
1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。
『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。
1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。
実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。
同様のシステムが、岸信介の手とヤクザ組織の元で、満州を作り上げた。この属州によって日本は中国北部の商業港との海上交通をコントロールすることができた。傀儡政府は大陸浪人【原文では”tairiki ronin”となっているが明らかに音訳のミスと思われる:訳者】、役人たち、戦闘団の長、麻薬密売人たちの支配の下に置かれた。やる気満々のヤクザたちは略奪のための実質的な私兵組織を作り上げた。天皇の名の下に、あるいはアヘンとその加工物の販売網をコントロールするために、緑団【原文”Banda Verde”で「緑色の集団」と訳せるのだが中国人によるマフィア的組織と思われる。実際の名称をご存知の方はお教え願いたい。:訳者】の中国人の首領たちと手を組んだ。
いずれここから笹川良一(1)と児玉誉士夫(2)が、戦後に自由民主党の絶対権力を作る財源に供した莫大な財産をひねり出すことになる。効率の良い手段を使って犯罪を行うこれらの集団のトップには岸信介とその一党がおり、また東条英機(秘密警察の長であり将来の戦時政府の首相)、星野直樹(アヘン独占販売の長)、松岡洋介(満鉄の総裁)そして鮎川義介(日産の統括者)【本文では”Aikawa Gisuke”となっているが音訳のミスと思われる:訳者】なども加わり、天皇の承認の元で略奪作戦の計画を立てた。
彼らは満州重工業会社を創設したが、それは工業の発展を促し軍隊とヤクザが地元民から様々な手段(身代金の要求、ゆすり、銀行強盗など)でむしり取った戦利品を集約した。大日本帝国の皇族たちの指揮の下に行われたこれらの略奪が「黄金の百合作戦」である。
その侵略熱は西側指導者をいらつかせた。彼らは日本が彼らの植民地と利権に干渉してくるのを恐れた。1936年に朝鮮半島での完全な略奪の中で、日本の戦略は二つの選択肢の間でためらった。その一つは、ソビエト連邦との国境防衛地帯を作るために、あくまでも天然資源の豊かなシベリアの支配権を手に入れようとするものである。
この『反共』戦略は一部の西側の大国を満足させるというメリットを持っていただろう。この目的のために駐ロンドン大使である吉田は、クリヴェデン(Cliveden)グループの協力を得て、英国との同盟関係を固めようとした。米国では、ハーヴァード・フーヴァーやナチの飛行士チャールズ・リンドバーグ、マッカーサー将軍の取り巻きたちなどの大勢の超保守派が、この帝国の良き理解者であった。
裕仁の弟である秩父宮は1936年に可能性のある英国と日本の同盟を準備するためにロンドンへ向かった。反共戦線という見通しはひょっとすると英国外交を口説き落としたのかもしれない。しかしアジアでの日本の軍備拡張はヨーロッパの大国の植民地を脅かしていた。すぐに秩父宮はあらゆる交渉の手段を失った。
中国では軍隊が全面的に統制不能に陥っていた。1937年に大勢の役人たちが中国での盧溝橋事件で戦闘を起こした。この事件は非公式の天皇の援助を受けた日本軍によるこの国への侵略に直結したものであった。秩父宮はすでに無効となった日英の同盟の考えを断念し、アドルフ・ヒトラー総統(3)と会談するためにニュルンベルグへ向かった。
米国大統領フランクリン・D・ローズヴェルトが日本の侵略『熱』に終止符を打ちたいと願う宣言をする間、軍事侵攻は一人の皇族の命令による前例の無い虐殺を犯そうとしていた。実際に『穏健派』首相近衛文麿【原文ではel príncipe Konoeつまり近衛殿下となっており皇族であることを表現している:訳者】は朝香宮を南京での軍の司令官に据えた。【朝香宮は上海派遣軍司令官として南京に侵攻した。:訳者】
この最後の者【朝香宮を指す:訳者】はその軍をこの都市で捕虜を作らないようにさせた。数日の間に兵士たちはその命令を文字通り実行した。何万人もの中国人が、多くの西欧人の見ている前で非情な状況の中で殺害された。兵士たちは人間を銃剣の訓練のためにマネキン人形のように利用し、役人たちを首切りの実践のために使った。
婦人や少女たちは家族の目の前で集団暴行の犠牲者となった。その間に秩父宮と竹田宮は略奪の成果を帝国の手に渡らせる作業に没頭していた。専門家たちは銀行の書類の分析をし、一方で秘密警察は南京の金と富に関する情報を持っていると思われるあらゆる人間を拷問にかけた。(4)
軍が略奪の成果を不要に浪費しないことを確実にするために、裕仁は黄金の百合と呼ばれる一つの組織を作り出した。それは、ゆすり・たかりのエキスパート(会計士、財務の専門家など)、ヤクザの首領たち、帝国の皇族たちの下にある産業の重鎮たち、天皇の意に沿うわずかの人間たちの集まりであった。秩父宮がすべての仕掛けを統括していた。(5)
1941年にフィリップ・ペタン内閣は日本がインドシナ半島北部を占領することを認めた。近衛文麿は『交渉による平和』を望んだが裕仁の説得に失敗し、辞意を表明した。宣戦布告の決意をし、天皇は東条将軍を首相に指名した。彼は満州で組織的な略奪を行った岸の一党【原文ではclanつまり悪党集団:訳者】の手下であった。
パールハーヴァーの『だまし討ち』(6)は、東南アジアにおける日本の好戦性を解き放つシグナルであった。日本はタイ、スマトラ、ビルマに侵攻し、グアムとホンコンをその手にした。さらにマッカーサー将軍をフィリピンの領地から追い出した。新たに付け加えられた領地は憲兵隊によって組織的に略奪された。秩父宮はシンガポールに黄金の百合の総合本部を置いた。専門家たちが目録をつくるためにそこにすべての分捕り品が集められた。
フィリピンでは欧米の銀行が黄金の百合のエキスパートたちの第一目標であったが、彼らはフィリピンの財宝を奪い取って、筆頭株主が裕仁その人である横浜正金銀行【原文は英語Yokohama Specie Bank:訳者】、台湾銀行、そして他の国有銀行の財産にしたのである。その黄金の一部は戦争の経費に充てられた。スイス、ポルトガル、アルゼンチン、そしてチリの銀行が洗浄に使われた。
憲兵隊と黄金の百合の実行者たちが奪った富はシンガポールの集中させられ、最終目的地である日本に輸送されるためにマニラに運ばれた。
[黄金の百合からブラックホールの資金へ]
ミッドウエイの戦いの後、東南アジアにおける軍事的な力関係は米国に有利に傾いた。日本は海上輸送の支配権を失った。裕仁と帝国の第一人者たちは帝国の敗北を予想し始めた。
それ以来、公式には富士山麓で結核療養中であることになっていた秩父宮に率いられてきた黄金の百合作戦は、マニラで足止めを食らっている戦争の分捕り品を救うことに必死になった。秩父宮はまず病院船を使って金を輸送し、その後その金を日本の山地に作られた地下壕に溜め込んだ。
1943年には、米国が効果的な海上封鎖体制を確立したため、そのような方法は取れなくなった。財宝はマニラの波止場で山のようになりだした。秩父宮はそこで地下壕建設のための特殊な技師の集団を作り、分捕り品を地下に隠す作業を始めた。マニラではかつてスペインの町であったイントラムロスの地下が使用され、巨大な収容能力を持つ場所を提供できた。
品物を慎重に移送できる一つの通路が波止場とイントラムロスの間を直接に結びつけた。秩父宮は歴史的な場所や教会、大学など、爆撃がほとんど無いあらゆる場所をつなぐように選んでいった。
マニラの北で竹田宮が洞窟を使って地下壕の網の建設を監督した。専門家たちが恐ろしいほど効果的な大量のワナの兵器を仕掛けた。爆発物、毒ガスのカプセル、水や砂を使ったワナ。南京虐殺の実行者の息子であるもう一人の皇族の朝香宮孚彦【原文ではTakahitoとなっているが「たかひこ」の誤り:訳者】親王と、シンガポールのヒーローであり差し迫った米軍の攻撃に立ち向かうためにフィリピンに派遣された山下将軍が、この地下での作戦に加わった。技師たちと奴隷たちは組織的に生きながら地下に埋められた。
マッカーサーがフィリピンを再征服し始めたとき、皇族たちは急いで未だ地下に入れることができなかった財宝を隠そうとした。黄金を積んだ船が船員を乗せたまま沈没させられた。日本の敗戦はマニラ市民の虐殺と占領を終わらせたが、その後に皇族たちは潜水艦で逃亡した。
1945年から米国の諜報機関が黄金の百合の存在に気付いた。諜報員であるジョン・バリンジャー(John Ballinger)は、漁民に変装して黄金をいっぱいに入れた箱が病院船に積み込まれるのを観察することができた。マッカーサーは彼のライバルである山下を逮捕し、彼の腹心をこの日本の将軍のお抱え運転手である小島老人に対する尋問官とした。
そのセベリノ・ガルシア・サンタ・ロマナは山下の行動に関する膨大な情報を手に入れ、隠匿場所の正確な数をつきとめることができた。『サンティ』【サンタ・ロマナの別称と思われる:訳者】はこうして『山下の財宝』の守り手となった。彼は、OSSの元局員であり最近までウイロウビィ(Willoughby)将軍(8)の特務機関G−2と協力していた謎の男エドワード・ランドセイル(Edward Landsale)(7)が作戦の指揮をとるまでは、ずっとマッカーサーの命令の下にとどまった。
トルーマン大統領にこの件が任されて以来、掘り出された分捕り品はブラック・ホールと呼ばれる対共産主義の戦いの資金として使用されることになった。あるロウズベルトの顧問に認知されたこの計画は、ドイツ、イタリア、日本によって盗まれた黄金を親米政権の財源として使い、次に、『危険なアカ』の脅威にさらされる多くの『民主国家』の深奥でこの資金により選挙を操作することから成り立っていた。
ロバート・アンダーソンの助けを受けてあるスペシャリストが資金を洗浄した。サンティが探し出した黄金は42カ国の170の口座に納められた。CIAの銀行口座ネットは、東南アジアから盗まれた富を隠し、金の値段を米国の経済的利益にとって都合の良いあるレベルで維持することを可能にした。(9)
財産は日本に戻ってくる
米国当局によって押収された分捕り品は当初3つの異なった財源を潤した。四谷資金は、マッカーサーの秘密の右腕であるG-2の長官チャールズ・ウイロウビィの活動を支えた。彼はフランコ将軍とファシスト警察の手法の賛美者である。第2の資金は、日本におけるニュルンベルグ裁判に匹敵する東京裁判の判事ジョセフ・ケーナンの名前が付けられたのだが、非常に明確な機能を持っていた。共産主義に対するマッカーサーの戦いの同盟者へと変身した帝国のメンバーを免責するために証人たちを買収することだった。
東京裁判は、スケープゴートを絞首刑に処することで終わった、全くのペテンである。南京の虐殺の首謀者である朝香宮は、松井将軍が加わってもいない犯罪のために絞首刑台に送られた一方で、起訴すらされなかったのだ。
マッカーサーの偉大なライバルである山下も、マニラ市民の虐殺の罪を問われて同様の運命をたどった。東条将軍は戦争の第一責任者の罪を負わされて天皇裕仁の代わりに責任を取らされた。最も戦略的な資金は、疑いも無くM資金である。それは日本で共産主義者や社会主義者が権力を握ることを妨げる戦いのために運用された。戦後、つかの間の社会主義政権は、M資金投下のおかげで米国好みの吉田茂によって、失墜させられたようである。この資金は敗戦日本の公式な歴史に出資するためにも利用された。
児玉誉士夫が「私は敗北した」という文章を出版したのはこれである。この本は、CIAを通してM資金をつぎ込まれたものであるが、笹川良一や岸信介などの将来の日本の大物、つまりマッカーサーによって称揚された国粋主義者たちを免責するのに役立った。
1951年に講和条約が締結された。その第14条で、日本はその犠牲者に対して補償するための必要な手段を整える必要のないことが規定された。ブラックホールへと転換された黄金の百合は秘密のままにしておかねばならなかった。
1952年以来、CIAと日本の特務機関に率いられた一つの組織がM資金を担当した。この資金は、満州での略奪の責任者であり東条の戦争内閣の閣僚であった岸信介の首相選出を許した。アイゼンハワー政府はこの極端な反共主義者である戦犯を好んだ。
M資金は、田中角栄、竹下登、中曽根康弘、宮沢喜一などの多くの首相に財源を提供した。田中は、ニクソンがM資金の引出権を彼に約束したのだが、これを選挙資金と汚い工作のために頻繁に運用した。
黄金の百合の一部は日本でこのように投資され、自由民主党の母胎から誰が将来の首相になるのかを決める者たちによって浪費させられた。
マルコス一味、黄金の百合の新たな守護者
フィリピンではサンティとマッカーサーの諜報員たちのコントロールから多くの秘匿物が逃れていった。マルコスはワシントンの保護を受けた騒乱者であったが、『山下の黄金』のおかげで1965年の選挙に勝った。60年代からフェルディナンドとイメルダのマルコス夫妻は、伝説的な黄金の百合の守護者であるサンティと接触をとった。サンティが極めて多数の計算書を持っていることに気付き、そのいくつかはおそらくCIAに忘れられていると感じ、その支配をもくろんだ。1974年にサンティが死んだとき、マルコスは極秘のうちに黄金の百合の新たな守護者になり米国や日本の要員たちと協力するようになった。
隠匿場所をつきとめるためにこの独裁者は、竹田宮に使えていたフィリピン人の農民であるベン・バルモレスを利用した。マルコスはこうして大量の金を集めることができたが、捜索作業は困難を極めた。最も簡単な方法は、秘匿物の場所を知っている日本人と手を結ぶことだった。マルコスは戦犯でムッソリーニの賛美者である笹川良一を呼んだ。彼は日本の敗戦の後に制限された日本の新たな支配層のサークルの一部をなしていた。笹川は理想的な協力者であった。
ルバング島に埋蔵された金を慎重に運び出し、おそらくフィリピン・日本相互援助協会【原文はAsociación de Ayuda Mutua Filipino-japonesaで正確な日本語での名所は不明:訳者】を通してその富の洗浄が行われた。当初は、マスコスと笹川の反共活動を援助していたワシントンは、見てみない振りをしていた。(10)
しかしマルコスは自らの翼で飛ぼうとして二人の仲間を集めた。一人はその天賦の才能で軍艦那智の残骸の場所を突き止めた透視能力者であり、もう一人は冶金学の専門家であった。その後ロバート・カーチス(Rbert Curtis)が『金を聖なるものにする』、つまりその略奪品を人々の注意を引くことなく世界の市場で使えるようにする手法を得るために雇われた。
彼らの施設に資金投入するために、カーチスは反共政策専門の極右団体ジョン・バーチ協会(John Birch Society)の手を借りた。この団体のメンバーの中にはローレンス・バンカー(Lawrence Bunker)大佐もいた。この男はマッカーサーの元部下であり、黄金の百合の存在に通じていた。
レーガン大統領が黄金の庇護者に戻ろうと計画したとき、彼はマルコスにその隠匿物の一部を分けるように要請した。しかしこの独裁者の貪欲ぶりが彼にとっての不幸だった。ポール・ウォルフォウィッツ(Paul Wolfowitz)(国務副長官の当時)の命令によってフェルディナンドとイメルダのマルコス夫妻は米国の秘密諜報部員に連れ去られ、ハワイの流刑地に送られた。(11)マルコスの隠匿物はすでに米国に輸送されていたのだ。
いまだに多くの人々が、黄金の百合の略奪品、50年間以上に及ぶ日本の東南アジアでの組織的略奪の結果を手に入れたいと願望し続けている。スターリングとペギィ・シーグレイブ(Sterling , Peggy Seagrave)によると、2001年3月以来ブッシュ政権(ポール・ウォルフォウィッツが国防長官である)はマルコスの隠匿物の一部を手に入れ新たな発掘を監督するためにフィリピンに部隊を派遣した。『山下の黄金』への支配権を維持することは、黄金の百合の存在が完全に暴露されることをその利益を受ける者たちが認めるにしては、いまだにあまりにも重要すぎる事柄である。
ブラックホール資金の資料へのアクセスは、CIAの厳重な管理下に置かれていることがわかる。帝国軍の犠牲者たちとその子孫は、全く正当なやりかたで、勇気を出してその補償を要求しているのだが、今日に至ってもまだ、嘲笑の対象である。公式的には『山下の黄金』は伝説なのである。
著者:Denis Boneau フランスのジャーナリスト。フランス語版レッゾー・ヴォルテールのメンバー。
【注釈】
(1)レッ・ボルテール2005年1月21日:『笹川、尊敬を受ける戦犯』(スペイン語)
http://www.redvoltaire.net/article3295.html
(2)児玉誉士夫は中国で麻薬輸送のコントロールにあたる命を受けた。このために、緑団との同盟を確立し、少しずつアヘン販売の第一人者に変わっていった。上海で児玉機関を創設したが、それは麻薬を金に変え黄金の百合の物品を運ぶための実に凄いマシンであった。2005年1月22日:『児玉誉士夫、CIAのヤクザ』(スペイン語)
http://www.redvoltaire.net/article3510.html
(3)The Yamato Dynasty: The Secret History of Japan's Imperial Family:Sterling Seagrave, Peggy Seagrave著
(4)南京では何百万トンもの金が手に入っている。憲兵隊たちは組織的に家具や鏡と同様に金と宝石を支配し、一方で黄金の百合のエキスパートたちは銀行の経営者たちを捜している。
(5)【フランス語であり、訳せない】
(6)最近公開された文書資料は、米国がこの攻撃を予想しており1年前から準備していたことを示している。2004年3月17日レッゾー・ヴォルテール『Remember Pearl Harbor!』(フランス語)
http://www.reseauvoltaire.net/article12909.html
(7)エドワード・ランドセイル将軍は心理戦争の手段で米国軍の生き字引のように見なされていた。
(8)ウイロウビィ将軍のG−2は、ヨーロッパにおけるジェイムス・ジーザス・アングレトン(James Jesus Angleton)のX−2のアジア版にあたる。どちらの諜報組織も、共産主義に対する戦いのステイ・ビハインド網を構成する、敵のスパイの勧誘と再利用のために使われた。2001年7月20日『ステイ・ビハインド:不安定化と干渉のための米国の網』(スペイン語)
http://www.redvoltaire.net/article5.html
(9)ブレトン・ウッズ協定は、第2次世界大戦終了時に結ばれたのだが、それがドルと金の交換性に基づいての世界経済の再編を基軸にしたものであることを思い起こす必要がある。
(10)2005年1月20日『世界勝共連合、犯罪の国際主義』(スペイン語)
http://www.redvoltaire.net/article3397.html
(11)ガストン・シガー(Gaston Sigur)、ポール・ウォルフォウィッツ、そしてリチャード・アーミテイジはこの作戦を指揮し、マルコス夫妻がフィリピン軍の前に引き出されることになった。
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