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(回答先: 戦後史の真相を解き明かした本、「天皇のロザリオ」 投稿者 愛久 日時 2004 年 12 月 30 日 17:16:57)
オプス・デイの日本進出は1958年
オプス・デイは第2次大戦後にスペインから出て、1945年にポルトガル支部を作り、翌46年にはローマに本拠地を移動、同年イングランド支部を作ります。日本には1958年に進出しています。もちろんそれ以前に入念な「下準備」があったはずですが、詳細はまだわかりません。
60年代までにヨーロッパと中南米各国を中心に、カトリック勢力の強い場所にその触手を(octopusをもじってOcto-Opusとも言われますが)伸ばしているのですが、カトリックとの敵対感が強いはずの英国に(これは当然ロスチャイルド、英国王室、諜報機関が関与するはず)本部のローマ移転と同年に入り込み、さらに「非キリスト教国」であるはずの日本に、ずいぶん早くからその手を伸ばしていることが分かります。
米国にも早々と1950年に進出していますが、当然のことながらこの米国進出は、Black Popeと呼ばれたスペルマン(イエズス会)とは、マフィア組織、CIAと共に、深く関わるでしょう。もちろんそれ以前に、ナチス残党を逃がした「バチカン・ラットライン」があるますが。なお元CIA長官ウイリアム・コルビー、元FBI長官ルイス・フリーはこの教団の会員または関係者である疑いが極めて強く、またマフィアとの関係が強いシカゴ大司教のポール・マーチンカスは明らかな会員です。その他、歴代の米国政府内部にはオプス・デイの人脈が(マルタ騎士団、イエズス会右派とかなり重なっているようですが、)作られています。
貴重な情報、ありがとうございます。これでどうしてオプス・デイがこれほど早く日本に入ってきたのか、の秘密を解く糸口ができたような気がします。現在日本に逃亡中のペルー元大統領フジモリはこの教団の関係者であり、彼をかくまう曽野綾子日本財団官庁もカトリックですので、日本の中枢部がすでに以前から彼らによって牛耳られていることが十分に予想されます。
オプス・デイのアジアでの最大の拠点がマニラと東京であることは、多くのスペイン語の資料でも言われており、マニラはともかくとしても、なぜ東京なのか、が私にとっても大きな疑問でした。またオプス・デイの操り人形ヨハネ・パウロ2世が積極的に推進する世界宗教者会議に、どうして神道関係者が精力的に関わっているのか、も以前から奇妙に感じていましたが、天皇家が「それ」なら、筋が通ります。