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ボブ・ウッドワード/Bob Woodward
全米No.1ノンフィクション・ベストセラーの著者が放つ
ブッシュのイラク“攻撃計画”
「ブッシュは確かに大量破壊兵器があると信じ込んでいたと思います」
(月刊PLAYBOY 2004年9月号)
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/bobwoodward.htm
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ボブ・ウッドワードの名を知らないジャーナリストはいない。
彼は、他者に頼らない独自の徹底的な取材を信条とし、
まるでパズルを繋ぎあわせるかのように事実を浮かび上がらせる。その手法は調査報道と呼ばれるものだ。
今回、イラク戦争の過程を克明に著した『攻撃計画』jについて、著者自らが語った。
この4月にアメリカで出版されたボブ・ウッドワードの『攻撃計画』(原著名"PLAN OF ATTACK")は、すでに85万部が売れる勢いで、ブッシュ政権を扱った本の中でもっとも話題に上る本になっている。日本では7月16日に邦訳(日本経済新聞社刊)が出たばかりだが、この本の特徴は取材した人数の多さと、ブッシュ大統領をはじめとした、政権の中枢に直接取材していることだろう。ご存知のように、ボブ・ウッドワードは、ウォーターゲート事件の裏舞台を暴露し、当時の大統領ニクソンを辞任に追い込んだジャーナリストである。ディープスロート(内部告発者)が多くいるに違いないが、ウッドワードに取材されることを誇りに思う政府高官もいるという。取材される側が重要な人物だと認められることになるからであろう。自らはなかなか取材に応じないウッドワードが、ワシントンのジョージタウンにある自宅で取材に応じてくれた。
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■フセインが脅威であるという結論に達した9・11
PLAYBOY(以下PB) この本(『攻撃計画』)のために、大統領や国防長官など、75人以上もの人にインタビューしたそうですね。ほとんどはディープスロートですか?
ボブ・ウッドワード(以下W) いろいろな種類の人がいましたね。キーパーソンに当たる人は、ホワイトハウスが取材を許可したのですが、直接の引用を避けた人もいます。
PB ジャーナリストとして個人的にかなり前から知っている人もいたのですか?
W 何人かはね。
PB 誰が取材に応じたのか、犯人探しも始まっているらしいですが。
W それはないと思います。大統領はオンレコで私に3時間半話して、戦争への道のりについて、主な節目と決定点の全てを確認しました。ウォーターゲート事件のときは、犯人探しがありましたがね。
PB 大統領のインタビューの許可を取るのは難しかったですか?
W はい。まず、ありとあらゆる人に取材して情報収集し、それだけで1年かかりました。そして昨年の11月、私が調べたことや、ブッシュの決定プロセスにおいて重要と思われる瞬間を列挙したメモを大統領に送りました。そのときにホワイトハウスは、大統領がインタビューに応じる応じないにかかわらず、私が執筆することに変わりはないことに気づいて、大統領本人に喋らせた方がいいと判断したのでしょう。
PB リサーチの間、多くのリーク(漏洩)はありましたか?
W 話というのは常にあるもので、私はそれをリークとは呼びたくありません。“意図的情報”と呼びたい。他の人がスクープをしたとき、それはリークですがね。
PB リークと呼ぶとすれば、メディアへのリークは情報操作の一部とみなしますか。
W それはワシントンの一部ですね。政治プロセスの一部。日本でもメディアにリークされる話はしょっちゅうあるでしょう。それは、真実を知ってもらう一つの方法だと思う。そこから何か意味を見いだすための。
PB 『爆弾証言』を書いたリチャード・クラークは、ブッシュとイラク戦争について、「ブッシュはサダム・フセインに個人的な憎悪を抱いていたから、何が何でもブッシュ政権が始まったときにフセインを除去する決断をすでにしていた」と言っています。そして、9・11の同時多発テロ事件が起きて、それが戦争計画を推進するのに十分なはずみをブッシュに与えたのではないでしょうか。
W それには同意しません。リチャード・クラークはイラク戦争計画会議の蚊帳の外にいました。9・11以前の計画会議は、飛行禁止地域の強化の問題だけを扱っていた。政権の中には、ポール・ウォルフォウィッツ(国防副長官)のように、フセインについて何か行動を起こしたいと思っていた人もいました。ディック・チェイニー(副大統領)も少しそう思っていましたが、ポールほどではないと思う。ブッシュのフセインに関する決断は、9・11のテロ事件からわいてきた。だから、リチャード・クラークの意見には反対です。彼の地位を考えれば、彼がイラクに関係していなかったことはわかるでしょう。彼はテロ対策の担当だった。
PB イラク攻撃が計画されていることを、個人的に知ったのはいつですか。
W それはいい質問です。何らかの戦争計画はずっとありましたが、はっきりしたものではなかった。この本のポイントは、戦争へのはずみがあったことです。決断は少しずつ具体化していきました。ステップ・バイ・ステップです。ですから、私は計画があるのは知っていたし、はずみがついたときも知っていました。フセインについてずっと何かしないといけないという漠然とした計画もありましたが、具体化したのは、9・11のテロ事件です。フセインは脅威であるという結論にブッシュはそのとき達したのです。何が何でも行動を起こさないといけないとそのとき思ったのです。
PB ディック・チェイニーは、どういうわけか相当“悪”に見えますが、彼は特にサダム・フセインに関しては本当に強硬派ですね。本の中でチェイニーがイラク攻撃に関して熱を上げていたことが書かれていますがそれについて教えてください。
W ディック・チェイニーを裁くことはしません。私は描写するだけです。本の中で、私はチェイニーのことを“強引に押し通す人”だと描写しました。イラク戦争計画では、彼は強硬派です。国務長官のコリン・パウエルは、チェイニーはアルカイダについて“熱を上げている”と、思っていましたが、本当はテロの脅威と最終的にはサダム・フセインです。
PB チェイニーは、ハリバートンのCEOでしたね。
W そうです。
PB ご存知のように、戦後の復興計画はすでに進行しています。ハリバートンとチェイニーとの間のもっとも物議を醸した関係は、いわゆる計算された利権の一つと言えます。トップの高官と関係のある企業が復興事業で莫大な利益を得るのはおかしいと誰もが感じています。チェイニーが熱を上げていたのは、その利権があったからだと思いますが。
W そうは思いませんね。証拠が見つかっていない。疑いがかけられても仕方ないという点ではあなたに同意しますし、単に「オー・ノー、契約には関係ない」とだけ言って済まさないで、もっときちんと説明すべきことだと思います。本当に関係がないのかどうか、もっと積極的に説明すべきだと思います。
PB あなたはこれについて証拠か関連性を見つけようとしたのですか。
W もちろんです。すべて調べました。それが戦争をした理由ではないと思う。
PB ブッシュの決断全体に対する、ディック・チェイニーの影響はどれくらいあると思いますか。
W そのことについては大統領に訊きました。するとブッシュは、チェイニーは何が何でもサダム・フセインについては行動を起こさなければならないと一貫して提唱してきた人だと言ったのです。チェイニーにとってフセインは常に最優先事項だった。
PB ブッシュの側近中の側近で選挙コンサルタントのカール・ローブについてはいかがでしょうか。彼は陰で暗躍する男に見えますが。
W そうですね。彼は大統領の政治上のもっとも重要なアドバイザーですが、イラク戦争に関する決定プロセスには関係していません。ローブは、ブッシュの再選運動について、ブッシュは強いリーダーであるというメッセージを国民に伝えるために動いています。本の中で私は、ローブがイラク戦争の3ヶ月前にブッシュに会って、いかにして選挙戦争を展開すべきかをアドバイスしに行った話を書いています。ブッシュこそが次期大統領にふさわしい理由は、強いリーダーであり、考えが壮大であり、そして特に国家安全保障に関して強いチームを持っているからだと。ローブはそのことを利用して、戦略をたてたと思います。もちろん戦後の混乱はマイナスになるようなことばかりですがね。
■みんな大量破壊兵器があると信じて疑わなかった
PB ラムズフェルド(国防長官)はブッシュ・シニアのことをどのように評していますか。弱虫ですか。
W ええ。ラムズフェルドは、ブッシュ・シニアは常に妥協ばかりして、決断力が弱い人だと感じていました。優柔不断です。だから、ラムズフェルドは息子が好きです。息子は非常に力強く、決断力があり、自分のとる立場において、容赦のないほど厳しい。
PB ラムズフルドがシニアよりもジュニアの方をはるかに好んでいることは明らかですね。
W そう思います。実際ラムズフェルドは私に、自分は今のブッシュ大統領を、亡きロナルド・レーガンの素質を多く持っている人だと言ったのですよ。
PB 本の中では、同時多発テロ事件がら72日後の攻撃計画の命令から実際に戦争が始まるまでの描写をまるで映画さながらに描写していますね。そのプロセスを一言で表すと、どのようになりますか。
W それは、総司令官のテントの中にいるような感じ。ブッシュが決断し、情報収集し、議論する16ヶ月あまりの間のことです。一言で言えば、大統領が確信に至るまでの記録です。何とかしてサダム・フセインについて、何か行動を起こそうという確信。ブッシュの考えでは、フセインがいなくなる唯一の方法は軍事的に攻撃することだ、ということがどんどん明白になってきたのです。もちろん、ありとあらゆる種類の政治圧力の対象はあります。CIAの秘密工作、外交圧力、経済制裁など。しかし、ブッシュが武器背査察のデータを見たときに、イラクが武器を確保しているとは思わなかった。
PB 諜報活動の失敗という点でみれば、ジョージ・テネットCIA長官にはどれくらい責任があるのでしょうか。
W テネットとCIAは、今我々が持っている情報に基づいてみると、今まででもっとも深刻な過ちを犯しました。テネットは大統領に、イラクに大量破壊兵器があることは“確実”だと言ったのです。何万人もの人がイラク中を探しても見つからなかったのです。14ヶ月も15ヶ月も探して見つからなかったのです。しかも、それが戦争の理由でしたからね。アメリカ国民はみんなこのことでショックを受けています。どうやって事実を受け入れたらいいのかわからないと思います。不十分な理由で戦争に行ったのですから。
PB ジョージ・テネットはそのことで大統領に嘘をついたと思いますか。
W そうは思いませんね。テネットもCIAも信じていたと思います。状況証拠はたくさんあったのですから。フセインが実際に大量破壊兵器を持っていたことは確かですが、破壊したかもしれないし、どこかに埋めて隠したかもしれないし、他の国に送ったかもしれません。だから、彼らはそれがあると信じ込んでいたと思いますよ。これは私の直感ですから証明はできませんが、私が実際に大統領執務室に据わって、大統領の話を聞いたときには、ブッシュは確かに大量破壊兵器があると信じ込んでいたと思います。メディアがブッシュに「あなたは、この戦争は長くなる、難しくなると言いましたね。でも大量破壊兵器が見つからない今、これに言及しませんね」と言うと、最初は逃げていたブッシュもついに「そのとおりです。昨年の終わりの時点ではまだ見つかっていません」と認めました。それでも、いつかは見つかるのではないかと希望を持っていたようです。というのも、まったく見つからなければ、政治上の大きな問題になることが目に見えているからです。そして、実際に今刻々とそうなりつつあります。
PB ジョージ・テネットがブッシュに、大量破壊兵器があると言ったときに、ブッシュと彼の周囲にいたネオコンの人たちも確信したのでしょうか。
W そう思います。そのことでコリン・パウエル(国務長官)に国連まで行かせて、あの有名な演説をさせました。あれを見ると、パウエルも信じていたことがわかります。今パウエルは、間違った情報を流されたことで、憤慨しています。
PB コリン・パウエルは、実際は大量破壊兵器がないということを知りながら、まるであるようなふりをして国連で演説をやったという話もありますが。
W それは違います。パウエルは、あるものと信じていました。その状況証拠もあるし、筋が通っているのです。ほとんど納得せざるを得ないほどの論理です。世界中の諜報機関は、フセインは大量破壊兵器を持っていると信じていた。過去に持っていたし、実際に使ったし、検査官を追い出したこともあります。検査官への協力も十分ではありませんでした。だから、隠していると思われてもおかしくなかった。私も大量破壊兵器が見つかると思ったほどです。
PB パウエルはすでに信用をなくしているように見えますが。
W ある人たちにとっては、パウエルは信用をなくしましたね。この本の書評をした人は、パウエルは弱くて哀れを誘う人物のように見えると言っています。
■「何の疑いもない。攻撃は正しい行動だった」
PB 私は、先日『忠誠の代償』を書いたロン・サスカインドにインタビューしました。その本の中で、ポール・オニール(元財務長官)が、ブッシュが就任した直後のイラク攻撃について、『その方法を見つけよ』と言った話しが出ています。
W 就任直後、イラクに関するミーティングがありました。私はそのミーティングに関するメモや情報を調査しましたが、それは飛行禁止地域の強化の会議です。確かに、ある程度イラクに関して何かしようという動きはありましたが、本格的なイラク攻撃計画が始まったのは、9・11テロ事件の72日後です。本にも詳細に書きましたが、ブッシュがラムズフェルドに向かって「イラクに対してどういう戦争計画があるのだ?」と2001年の11月21日に聞いたのです。それが、本格的な攻撃計画の始まりです。そこから本格的に集中的な議論が始まったのです。政権の中には、9・11以前にイラクに関して何か行動を起こしたいと思っている人もいました。だからと言って大統領がそれほど早期に決断したということにはなりません。ですから、ポール・オニールの発言には賛成ではありません。
PB デビット・ケイ(イラク大量破壊兵器捜索チーム責任者)は、大量破壊兵器について、自分を含めてみんなが間違っていたと言っています。これで大義名分が揺らいだわけですが、アメリカ国民は、戦争に対する責任あるいは無責任の点でブッシュをどのように見ていると思われますか。
W みんな、これはブッシュの戦争だと思っているでしょう。彼が決断したのですから。私の本が一つ示すことができるとすれば、それはブッシュこそがどのステップでも決断者であったということです。ブッシュは、プレッシャーを受け、アドバイスを受け、情報も得ていました。たとえば、コリン・パウエルがブッシュのところに来たときでも、ブッシュは「これは世界中に途方もなく大きな影響を与えるだろう」と言っています。国に侵攻するということは、破壊するか所有するかのどちらかです。イラクの全国民の希望を所有することになるのです。
PB あなたがこの一つ前に出した『ブッシュの戦争』は体制寄りだと言う人もいますね。これは、今回の本の土台にもなっていおる。つまり、合わせて2部作としてみた方がいいと。
W 最初の本に関して、そう言う人が確かにいました。保守的な批評家らが、9・11のテロ事件に対して、他人がやれないことをブッシュがした、と。それをこの本が表している、と。『ブッシュの戦争』は、軍部とCIAがうまくいっていないことやブッシュが一貫してリーダーシップを発揮したことを示しています。いずれにせよ、どちらの本も新聞記者の本です。ありとあらゆる情報源を確認して書いています。これを読むと、ブッシュがタフな大統領であり、戦争は正しかったと言う人もいますし、逆に国民が騙されたと思う人もいるでしょう。戦争への道に赤信号が出ているときに、突き進んでしまったと見る人もいるでしょう。でもブッシュは、迷わずに突き進んだのです。とにかくやり遂げなければならないという雰囲気があったのです。公平に言うと、一方では決断してから戦争までに16ヶ月もかかっているのです。他の方法もあったかもしれませんが、それはプロセスだと思います。国連での交渉は6ヶ月も続きました。つまり、平和解決しようという努力がなかったわけではありmせんでした。
PB ということは、最初の本を読んだ人にも、この本を読むことを薦めますか。
W (大笑い)この本を読む読まないは、その人の勝手です。でもこの2冊を読むと実際に何が起こったか、よくわかります。それは、記憶が新しい間に、国防総省、国務省、CIA、ホワイトハウスなど何回も取材することができたからです。失われたかもしれない多くの歴史をとらえることができたのです。
PB この本(『攻撃計画』)は、ブッシュの信用性にある程度のダメージを与えていると思いますか。
W 本を読んだ多くの人はそう言いますね。攻撃したときはフセインがもっとも弱くなったときだったと言えるかもしれません。
PB この本が大統領選に与える影響についてはどう思いますか。
W それはわかりません。この本はジョージ・ブッシュという人が誰なのか、パズルのひとつのかけらです。、ブッシュが誰か知りたければ、彼の行った決断をよく見なさいということは言えます。それを本に書こうとしました。
PB ご存知のように、今のイラクは大混乱状態です。近い将来平和になるという兆候もありません。ブッシュ大統領と他の政府高官がイラクの現状をどう見ていると思いますか。みんなこんな状態になることを予想したのでしょうか。
W 予想しなかったと思います。ここまでひどくなるとは誰も思わなかったでしょうね。私が大統領に行ったインタビューの最後に訊きました。「歴史はイラク戦争をどのように判断すると思いますか」ってね。そうするとブッシュは「歴史?みんな死んでいるから、わからんよ」と答えたのです。それも一理あります。今から5年すると、もっと平和になり、もっと安定し、もっとテロが少なくなっているかもしれません。長い目でみると、みんなそう期待するでしょう。短い目でみれば、どれくらい選挙に影響を与えるか見ものです。そのことについて大統領に訊いたら、「私は大統領を2期務めたい。4年間を2回やりたい。でもイラク戦争のために1期しかできなければ、それはしかたがない」とブッシュは言いました。イラク戦争についての疑いはないのか、と訊いたら「何の疑いもない。攻撃は正しい行動だった」とブッシュは言いました。
PB ブッシュは再選しますか。
W わかりません。誰もわかりません。選択は4つ。大差で勝つか、小差で勝つか、小差で負けるか、大差で負けるかです。
■アホではアメリカの大統領にはなれない
PB 最近ブッシュの演説を聞いていると、ますます宗教の色が濃くなっているように聞こえますが、言わば宗教と政治の合流といようなブッシュの傾向についてどう思われますか。
W ブッシュは神について話しているとは思いません。私は、大統領にイラク戦争について父親からどういうアドバイスを受けたか訊きました。父親の意見を聞いた方が信頼されると思ったからです。そうすると、アドバイスを仰がなかったと言いました。いろいろ訊いていると、ついにブッシュは「強さをもらうあめに、神に訴えた」と言いました。でもそれは標準的なクリスチャンの信条です。何ら変わったことではありません。ブッシュは神からガイダンスをもらっているとは思いませんが、強さを求めて神に訴えているのです。だから、ブッシュが一線を越えたとは思いませんが、政教分離の境界線をこえたと思っている人もいますね。
PB 『アホでマヌケなアメリカ白人』を書いたマイケル・ムーアは、今度公開された『華氏911』(日本では8月公開)でブッシュ大統領を思い切り攻撃しています。ある意味でブッシュはアホだと映画で描写していると思いますが、マイケル・ムーアの考え方をどう思いますか。
W ブッシュ大統領はアホではないと思います。アホではアメリカの大統領にはなれません(笑)。ブッシュは、クリントンのように大統領にふさわしい表現の的確さはありません。ちょっと言いかけてやめて、別の方向に言う癖があります。途切れ途切れに聞こえます。ブッシュに反対する理由はたくさんある。多くの人はそう思っているでしょう。ブッシュは優等生だったか?違います。ブッシュはたくさん本を読むか?読みません。ブッシュは直感があるか?ありますね。彼に反対する人たちは、その点が嫌いなのかもしれませんが、ブッシュには直感がある。だからアメリカの大統領に実際になれたのです。そう簡単には大統領にはなれません。途中で滑り落ちたり、押し出されたりするものです。でも彼にはそれが起こりませんでした。だから、ブッシュを知らない人や、情熱的に見ない人は、ブッシュのことをアホだと思いますが、それは間違っています。
PB ブッシュに直接インタビューしたアメリカのジャーナリスト、例えば、ニューヨーク・タイムズのコラムニストであるニコラス・クリストフは私の友人ですが、彼は「ブッシュは単純な男で、哲学的な思考が出来ないし、しない男だ」と私に言っておりました。
W 確かにそうですね。複雑で深い男かと言われるとそうではありません。確かに哲学的な思考もできません。でも、私はブッシュにこの2冊の本を書くために、700〜800の質問をしました。私はブッシュがいつもどう答えるのかわかっていましたし、何が言いたいのかもわかっていました。ブッシュの知性をけなすのは、多くの人にとってブッシュのやっていること、態度、考え方、政治のやり方が気に食わないと言う一つの方法だと思います。今回の選挙運動をよくみてください。ジョン・ケリーはブッシュをアホだとは思っていませんよ。
PB あなたが日米関係をどれくらいフォローしているかわかりませんが、小泉首相は相変わらずアメリカ追従路線を変えずに、イラクに自衛隊を送りました。まるで自分の考えがないように見えますが。
W ブッシュは小泉の支持が必要だったと思います。自衛隊を送って欲しかったのです。その望みはかないました。本の中で、コンドリーザ・ライス(大統領補佐官)が次のように言っているのを書きました。「大統領が日本の首相に合っているときに、『これはとても重要な会談です。我々は日本を占領したことがあるから、こういう会談ができた。そしていつかはアメリカの大統領とイラクも同じような友好会談を持つことができるでしょう』とね」。いずれわかるでしょう。これがブッシュのやり方です。
PB 貴重な時間をさいていただき、どうもありがとうございました。