現在地 HOME > 掲示板 > 戦争49 > 944.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 講演内容(1) 「イラク戦争反対」の電報/論議もせず対米追従 投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 22 日 18:28:24)
最終更新日:2004/03/22
米、仏の駆け引き
厳密に言えば、アフリカに駐在しているある大使から「本当によく言ってくれた。これで胸がスカッとした。自分はとてもそうは言えないけれども、私は全面的に賛成しています」という電話がかかってきました。ただ残念ながらこの大使は外務省の大使ではなくて、民間から一時的に大使になっておられる人でした。それからもうひとつは、エジプトに勤務している若い書記官が、個人的なE-mailで私のところに励ましのメールをくれました。「私は天木大使の電報を読んで泣けてきました。翌朝もう一度読んでまた泣けました。これは血判状です。天木大使という先輩を誇りに思います」というものでした。見知らぬ若い職員から受け取った声は私を勇気付けてくれました。これだけでも電報を打った甲斐があったと思いました。
戦争が始まったのは3月20日でした。私は結果的には一週間前の3月14日に『どうしてもあの戦争をアメリカにさせてはいけない』と電報を打ったわけです。当時米国はいつでも戦争を行うという態度でした。おそらくアメリカが最終的に戦争に踏み切った一番の理由は、フランスが拒否権を使うということを言い出したからだと思います。
さすがのアメリカも全く国連を無視して戦争する勇気はなかったわけで、何とか国連におけるコンセンサスを得ようとしていました。そして様々な理由をつけて何らかの国連決議を成立させようと必死でした。そんな中で仏が戦争を認めるごとき決議案には拒否権を行使すると言ったわけです。そこで米国はもはやこれまでと考えたのです。フランスのこのような挑発的な態度が米国を怒らせたと非難する声も当時聞かれました。しかし私はその批判はあたらない、米国はいずれにせよイラクを攻撃するつもりであったからです。
大使も報道で情報収集
そのような緊迫した状況の中でわが国がどのような議論をしてわが国の政策を決めようとしているのか、出先の我々には全く伝わってきませんでした。私はこの点こそ最近の外務省の根本的な問題点だと思います。出先には百何十人の大使がいるのですが、東京は彼らの意見を聞こうともせずまた彼らに本省の議論を教えようともしません。東京から言わせれば本省の幹部と官邸、自民党首脳が決めればよい、いちいち出先の大使に伝える意味も必要性もないと思っているのでしょう。しかしこれほど歴史的な政策決定を行うのですから省をあげて議論をして決めるべきであったと思うのです。私達が知り得るのは、新聞やその他の報道でしかなかったわけです。
しきりにあの時に北朝鮮の脅威と絡めて「日本を守ってくれる国は唯一アメリカである。したがってアメリカを怒らすことはできない。対米協調しか選択の余地がない」という言い方が伝わってきました。私はそれを聞いて、耳を疑いました。電報にはそのことを書いたのですが「まさかそれが本省の意見とは思わないけれども、少なくともそういうことが外務省高官の弁ということで新聞に伝わってくるのはおかしいのではないか」ということを言ったわけです。
私は意見具申の電報はこれ一本にとどめておこうと思っていました。どういう結果を生むかわからなかったけれど一度打てば十分だと思っていました。しかしながら、戦争が始まった直後に小泉首相は「アメリカは正しい」と胸を張って支持する姿がCNNで繰り返し流されました。そして小泉首相は「日本は援助をしてイラクを助けるんだ。イラクの戦後復興に日本は貢献します」としきりに言うわけです。「何を言っているんだ。今、目の前でイラク人が殺されているんだぞ!」と叫びたくなりました。米国を支持すると繰り返し言ってアラブ人の心の傷口に塩を塗り込んでいるのです。
親日的なアラブ人
レバノン人も他のアラブ人と同様非常に親日的で、日本がああいう形でアメリカを支持しても、日本はけしからんということにはなりません。しかし私にとってショックだったのは、小泉首相のブッシュの発言を支持するというのを聞いて「残念だ。ここまで日本はアメリカについて行くのか」と、ほとんどの友人が会うと真っ先に私に言うのです。うちの家内も女性だけの集まりから帰ってきて「普通は政治の話はしないけれども皆から何故日本は米国の味方をするのだと言われ残念だ」と言っていました。地道に築き上げてきた信頼関係があっという間に崩れてしまったことを実感しました。
レバノンという国は、日本にとってはとるに足らない国です。それでもそういう国と一つひとつ地道に友好・信頼関係を築いていくのが外交だと思います。私がレバノンにおいていろいろな仕事をする時の唯一の力といいますかサポートは、レバノンの人達の親日感情だと思うのです。そのレバノン人の信頼を失う事は非常に辛かった。今まで自分を支えてくれた人達を悲しませてしまった。
外交というのは日本のためだったら日本が少々無理なことを言っても何とかしてやろうということを、その国の政府や国民に起こさせる努力を地道に積み上げていくことである、しかし今度の戦争を支持したことにより一瞬にして彼らの感情を傷つけてしまった、そう伝えたわけです。
私は最終的に電報を打とうとした時ためらいました。電報を起案したらある程度自分の思いも晴れたのでこれを東京に打電するのは止めようかとも思いました。あと数年で外務省の任期をまっとうするのであるから黙ってやり過ごして何もなかったことにするというオプションもあったのですが、どうしても自分の意見を公式に残しておきたいという強い思いがありました。そして打電したのです。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/ryukyu_forum/lecture02.html