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(回答先: Re: サカキバラ事件とも通じる、一種の情緒障害と思うけれど----とは? 投稿者 南青山 日時 2004 年 6 月 03 日 23:51:13)
南青山さん、突然ぶしつけなレスをさせていただきました。
無礼をお許しください。
ところで、南青山さんは
「サカキバラ事件における・・・(中略)・・・「郊外の問題、被害者の問題、事件の残忍性・非社会性(宮台流にいうと脱社会性)の問題、それに関連する心の闇(精神医学・精神分析・生物社会学的な)の問題、共同体(共同幻想)の闇の問題も含まれていると思います」
という立場からサカキバラ事件にアプローチされていらっしゃることはわかりました。
そこで今引用させていただいた上記内容についていかがお考えなのかお聞かせ願えないでしょうか。
文献的なものでなくて、感想程度でいいのです。
実は私も今ネット検索している程度です。
ただ私がこのところ気になってしかたがなかったのは、私のアプローチとしては今回の佐世保の事件でわかったことは、「首を切る」という行為は首切り専用の刃物で首を切り落とすこととカッターナイフで首に切りつけることとは「殺人」を犯す上で意味合いが違う、ということです。
前者では一人の人間の首を刎ねることによってそれを見る者に対して恐怖心を与える効課をもち、政治的プロパガンダを有していると思えること、後者では相手になんらかの傷を与えることのみを目的として相手に対して恨みを晴らすという単なる傷害行為(結果として殺人になった)という違いがあるように思えます。
神戸少年事件は15歳であれほどの政治的プロパガンダをなしうるや否や。反応は、猟奇性に驚いて口をつぐんだのか、事件の謀略性に権力の意図を感じて口をつぐんだのか。猟奇性については饒舌な反応が見られたが、それが冤罪であり謀略であると見てとるや、国家権力との対峙が必要になる。冤罪なり陰謀説をぶちあげれば国から狙われることは、そういっているのは過激派だから、という論理で国賊扱いでしたね。
一方佐世保の事件ではカッターナイフで相手の首に傷をつける(結果として、思わぬ相手の「絶命」に及んでしまった)、この違いが明瞭にあること。
ニック・バーグ゙氏のビデオをきっかけに、過去においても今までも私は「首切りシーン」は三本のビデオを通じて鮮明に見たのは初めてです。チェチェンの野原での生首の首切りビデオはショックでした。もう一つは首に首切りナイフを当てられ、喉からズブリとやられ、その瞬間首を切られる者が悲鳴を上げている。チェチェン首切りビデオはエンセンさんのを含めて二つある。そしてニック・バーグ氏の遺体の首切りビデオ。これは首を切り落とすときにバーグ氏の生体反応が見られないことからしてバーグ氏を殺してから首を切り落としたのだろうけれど。米軍の制服も丸見えです。この三つのビデオからわかることは、太古から人の首を切り落とすという行為は野蛮かも知れないが、これによって首を切り落とされ人に二度とこの世に戻ってくるなという意味合いと、逆らえばこうなるよ、というメッセージを含んでいると思います。政治性が非常に強いと思います。
チェチェンも含めて三名のビデオを見て、三名とも首をそぎ落とされた遺体(背中)の上に首がカメラを向くようにすえられる(バーグ氏は心持下を向いています)。
そこで私は結論を得ました。
あのように手際よく生首もバーグ氏の死んだあとの首も切り落とせるというのは、かなりその切り方に練達した者であろうということ。そうでなければあのようにスラスラとあるいはさっさと、短時間で切り落とせるということは難しい。
少年Aが糸鋸(のち金鋸と言い換え)で切り落としたされる話がでっちあげであることがよく証明されていると思います。
そして切り離した首を遺体の上に置くという行為は警告を示している。しかもカメラに向かって映りやすく首を据えているわけで、そこには何らかの意味がある(チェチェンビデオもバーグ氏のビデオも)。
つまり首を切り落とすという行為は、絶対主義(イギリスヘンリー8世)やフランス革命(ギロチン)でも行われていたが、また、日本においても明治に入って高橋お伝言が最後となるまで、現代においても未だに延々と続けられているのである。
そこで神戸少年事件での酒鬼薔薇聖斗とされる少年Aがそれほどの政治性を有していたのだろうか、考えてみたい。友が丘中学の校門に何度も「映り」がいいように置き換えられた形跡があることから見て、しかも被害者の口を切り裂いてその口にメモを挟む、という行為は、これはもう、あの首切りシーンと変わりないものであるのではないでしょうか。特定の角度をつけて、とおりがかる人たちにこれ見よがしに「首」を見せる。
単なる引きこもりで不登校だった少年が、1997年という当時において、これほどみごとなチェチェン、ニックバーグ氏などの映像のとおりに首の切り落とし方を知っていただろうか。鋭い、首はね専用のナイフでしかあれほど簡単に、容易に、手際よく切り落とすことは不可能だ。
将門の首塚伝説と同じく、いつまでもこの事件は残っていくでしょう。
それは、首を切られた被害者の恨みも、今後残ってゆくだろうし、また、なぜ「酒鬼薔薇聖斗」として濡れ衣を着せられた少年Aによって行われたかのかどうか、それは単なる猟奇殺人だったのかかどうか。「首」とはそれほどに重みを持ってこれから語ってゆくことでしょう。
1997年という日本の時点においては首切りシーンはビデオに納められていないが、切り落とした跡の被害者の少年の首を校門に晒すという行為は、これはもはや政治的意図がこめられているとしか私には捉えられません。
そして、昨年7月から数えると一年近くにもなりますが、昨年長崎市において発生した12歳少年によるとされる男児殺害事件、これも、遺体をあのように衆目に晒すという事件の性格から見て、しかも長崎県警のすぐ近くで行われたという蛮行であることからして、到底12歳少年が、単なる不鮮明なビデオによる映像から犯人だ、などと決め付けることはできません。
本来ならば、アーケードのビデオが不鮮明だからこそ徹底して吟味さるべきところ、状況証拠(電気量販店に居た時間が違う、目撃者のあいまい証言、過去の言動など)8階の屋上から突き落とされたとされる被害者の男児が、不思議なほど傷が少ない。頭部打撲はあるも(これは突き落とす前に殴り殺すことは可能な傷だと思う)、その他の傷も目立ったものがなかったのが、当初の発表でした)。あとからとってつけたようなあとだしじゃんけんで次々と証拠が作られて行った。言っちゃあなんですが、この事件をまとものに追及したのは、わが阿修羅「事件板」のみでしょう