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(回答先: 首を切る(または首に切りつける)ということと首を切り落とすということ 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 6 月 04 日 02:39:59)
竹中さん。
ずっと仕事で外に出ていて、レスが遅くなりました。
(将棋名人戦の羽生と森内の近年まれに見る終盤の激闘に見入ってしまったというのもありますが・・・)
事件を聞いたときに最初に思ったのは容疑者の心の闇の深さです。
闇の深さは二重の裂け目を見ることができます。
一つは、彼女自身に起因する心の闇です。
彼女の生い立ちのある時点で生じた裂け目、家族との関係で生じた裂け目、そして人間が本来的(生物的)に備えている裂け目。
本来は潜在化して、可能性として存在する裂け目が突如開いて、彼女の心全体を飲み込んでしまったのか。
もう一つは、共同体に起因する心の闇です。
僕は倫理性は共同体(組織化、共同幻想)に起因するものととらえています。
倫理性は共同体を体系化する重要な要因の一つと考えていますが、それは同時に禁止の体系、禁忌の体系、欲望の制限の体系を生み出し、それらを侵犯し、蹂躙し、破壊する衝動(バタイユ風にいえばエロティシズムの衝動)を呼び覚まします。
フロイト的に言えば、共同体の倫理性を獲得する過程で抑圧された、人間という存在が本質的に持つ闇ということになります。
容疑者の年齢を考えれば、こうした共同体に起因する心の闇の可能性はかなり低くなりますが、かえって純粋なかたちで発現してしまった可能性もまったくないとは言い切れないような気がします。
いずれにせよ、彼女の行動の核心部には、僕らの想像力をはるかに超えた何かが存在しているように思えてなりません。
――応えになっているかどうかわかりませんが、いずれ機会があれば、もう少し明確なアプローチをしてみたいと考えています。