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(回答先: 原作者「川内康範」こそおもしろい。亜細亜主義?奥様はアメリカ人という話も 投稿者 へなちょこ 日時 2004 年 6 月 07 日 09:58:24)
森路よ、生涯異端児であれ………作家 川内康範 http://www13.ocn.ne.jp/~tomeisha/moriji/sekaiseifu.html
異端の戦略----という才能が必妻な時代である。「異端」とは、一般に正統ではない学説や宗教と解されている。これを私流に評すれば、常識的ならざる学説や宗教ということになる。
今日、日本を横行している政治力学、経済力学はこの常識の枠内に在るにほかならない。つまり、日本的知的ジャンルは十年一日の如く、しかも保守的に守られ停滞しているがゆえに、未来への予見は出来っこない。したがって異端の提言が狂気視されるわけだが……。
森路英雄はその異端の戦略予告者である。評論家といってもよいし、作家といってもよいが、作家と呼ぷには、彼は虚構の外に在りすぎる。
その意味で、この作品、小説としてはまだ夫熟である。素材が虚構の皮膜を突き破るからだ。それはどこの作品の本質に秘められた国際戦略の素顔は怖ろしい。それにしても、小説にしては、下手な題名をつけたものである。これでは中味が割れてしまう。が、その中味が実は読者には未知の世界ゆえ、いやでも読んでしまうという、そこを狙っての二重構造の興味が隠されている。
虚実二刀だが、それとおぼしき実在の人物が、どう名前を変えようとも、虚を押し除けて面を出してくる。
森路の狙いは、その面の裏側に隠された、さらにもう一つのマキャベルリの摘出にある。その意味では、これは小説という形式を借りた、現代、いや近未来、たとえば一九九○年代に起り得るであろう日本、ならぴに東洋の危機に対する凶告の書である。
いってみれば、先に発表した「米ソ穀物戦略」と「米ソ地球支配」(サイマル出版・刊〉の姉妹篇的な性格の作品で、ここに提示された、警告の数々はすでに、八○パーセント日本を直撃している。問題はあと二○パーセントだが、こいつが時限爆弾的に、いつ直撃するか……にある。
政財界の人々は、ユダヤ、フリーメーソンの実体さえ知らない。かつて私は、「米ソ近親相姦説」を書いたことがあるが、森路英雄はそれをさらに本書によって具体的に提示して見せた。
森路は、この十年余り、筆舌につくせぬ災禍をくぐり抜けてきた。なぜ彼が受難の風雪にさらされたかは本書を見れば理解できる。同時に、その風雪は森路を磨いた。
強靱な意志。彼、森路英雄は、本書によって、まぎれもなく、「告発者」であることの証左を示した。
いまや、日本のジャーナリストのほとんどは、ホワイト・カラーと化した。営利を主目的とした大企業・新聞社に属するジャーナリストが辿るこれは習性である。ロッキード事件を見よ。すべてのジャーナリストは単眼批評の現象主義という病癖に取り憑かれて身動きができない。
アウト・ローは不在である。
世間は、「告発者」という存在を悪徳視するが、この毒は、その世間から生れた鬼ッ子である。いまや、真実を伝え得る助ッ人は「告発者」しかいない。
だが、見廻すとほとんどいなぐなった。昔はトップ屋と自らを嘲笑しながら巻を徘徊したが、いまやはとんど功成り名を遂げて、それらしき、さむらいは影をひそめた。
たとえば、風狂・竹中労の如きトップ屋は何処をさがしてもいない。もともと、竹中も森路も、十四、五年前ごろは、マルキスト的側面にアナーキー的な側面をもつアウト・ローであった。いま、竹市労は新右翼的であるとの評価を下されているが、なに、中を割れば、真実を真実として把握することにきわめて素直であるにすぎない。
森路も同じである。終生、最後の「告発者」として自らを位置づけることの中からこの凶告の書が生れた。下手くそな生きざまである。下手くそだから、あまり銭にもならない仕事をしている。が、私は銭に替算できない仕事ゆえに、森路英雄をきわめて高く評価する。
彼はまぎれもなく異端の徒である。
本書は、日本敗戦から今日までの戦後史の再検証であり、近未来への警鐘として心耳を籍すに値する。が、世間は虚妄に組みする。森路の真価が理解されるのはすこし先になるだろうが、その時、日本はどうなっているかしら…を考えると慄然とする。なぜなら、本書の凶告が現実となって襲ってくる可能性を私も見るからである。
一九八四年三月二十八日記
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