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(回答先: Re: ヘーゲル主義の超克について 投稿者 タランティーノ2世 日時 2004 年 4 月 30 日 16:54:36)
こんにちは。
「旅先(パリ)にブックPCを持参してきたこともあり、
オペラ座近くの「ネッカ」から走稿します。
パリはロンドンに比べ、ネッカはずっと少ないようで、
やはりフランス人の「デジタル嫌い」がうかがえます。
絵画、音楽と仏が世界に誇る文化はいずれも「アナログ」だもんね。
しかも、バリのネッカの3分の1は日本人経営。」
これはすごい。 パリからわざわざありがとうございます。
と言うか、あっしらさんあてのつもりなんだよね?
あなた、ひょっとして、あっしらさんと仲いいんじゃないの?
「シモーヌ・ヴェイユは、サルトルも感心した「生真面目勉強好き少女」でしたが、
エゾテリックな体質は十二分にあったようです。
ただし、「カミが存在しないと考えながら祈ること」という有名なセリフには、
むしろニヒリズムがかんじられます。」
うん。まあここでは小説中の「シモーヌ」ですが。
デミウルゴス思想を突き詰めるとこうなるということかなあ。
しかし、これはカタリ派の「反面」にすぎないのではないかなあ。
「「観念の自己運動」による、「他者喪失」(つまり、相対化の契機不在)という欠陥を克服するための努力としては、
ひとつはポストモダン派、特にデリダらによる「ずらし手法」があります。」
うーん。 読んでいません。
「前東大総長の蓮実重彦氏の文体もそうです。」
「表層批評宣言」はさっぱり分かりません。
文学「制度」を解体するということなら、
柄谷行人の「日本近代文学の起源」は内容があると思う。
「表層批評宣言」はさっぱり分からない。
「もうひとつは、グノーシス主義にも通ずる「生成」という概念の重視です。
グノーシスはデミウルゴスから、あふれ出したものが「この世界」と考えます。
つまり、観念と実体の「二元論」の否定です。
結論より「過程(プロセス)」重視の考え方ですが、
こういう考え方でヘーゲル主義が超えられるのかどうか、も良く分りません。」
うーん。 さっぱり分かりません。