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(回答先: もうしょうがないねえ 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 5 月 01 日 12:59:00)
一昨日、アラシ待ちに投稿しておいたが、ここにアップされていないようだ。あっしら氏(おっと間違えた。管理人さん)に、アップするように、すみちゃんから頼んでおいて下さい。
まあ、大した内容ではなく、@笠井氏が「テロルの現象学」で文学作品からいっぱい引用しているのは、当時は彼が、純文学評論家を目指していたためAしかし、当時の(か際氏の)お師匠の柄谷氏は浅田彰氏をひいきにしため、諦めて本格推理作家兼同評論家になったB「テロルの現象学」はもともと「暗殺の現象学」というタイトルで雑誌に連載したものに加筆して出版されたC笠井氏の共労党時代の友人で若死にした戸田徹という人が「エゾテリック革命」「霊的革命」、カタリ派やシモーヌ・ヴェイユなどに関心を表明し、笠井氏はこの影響を受けている。戸田氏の遺稿集は「彼方へ」というタイトルで1985年ころ出版されたが、入手困難(小生は持っています)D連合赤軍、ポルポト、ラーゲリはともに、「レーニン主義の失敗」として共通性があり、この問題意識は、全共闘活動家には自然なものと受け止められた。そもそも、レーニン主義を掲げて、悲劇に終わらなかったのは、キューバだけ。しかし、集合意識で、レーニン主義のアポリアが解けた、と思う人は当時も今もあまりいないE小田実氏らが、笠井氏を無視したのは、「国独資人民戦争」「第三世界プロ独」などと、過激なことをいっていたのに、急に、ソルジェニーツィンだのアンドレ・グリュックスマンだのを援用して「マルクス葬送」と言い出したため、日本によくある「転向」とみなされたため--などと書いておいた。第三世界プロ独というのは、先進国内のブルジョワとプロレタリアの対立はもはや意味がなく、「第三世界」こそが世界プロレタリアで、彼らが先進国を打ち破って世界を組替えることが、新たな「プロレタリア独裁だ」という主張で、ベトナム革命の勝利(サイゴン陥落、1975年)と、とうじ、サミール・アミンらが唱えた「周辺革命理論」をミックスして、笠井氏や戸田氏が唱え出した理論だが、「連合赤軍事件」であっという間に吹っ飛んでしまい、ほとんど話題にもならなかったものだ。その一部は「赤色戦線1号に掲載されている。
まあ、上記は「トリビア」みたいな話。少しまじめに「ヘーゲル批判」の続きを。ただ、前回の「脱構築」のくだりが「ピンとこない」となると、すみちゃんは文学理論は苦手のようだね。これだと、現代フランス思想の大半が「関心の外」になってしまうのは残ねではあるが、「理解できない」というのであれば、仕方がないね。
今回はクルト・ゲーデルという人の理論を。柄谷行人氏が一時、「ゲーデル」問題をしきりに取り上げていたので、名前くらいは聞いたこともあるだろう。(なんだか大学の授業みたいな口調になってきたね。)
ゲーデルという天才は、ある数学的定理には、かならず、その定理を否定する部分が含まれてしまうこと、つまり、この世の中をひとつの定理で完全に説明かることは、原理的に不可能であることを証明した。これを「ゲーデルの不確定性原理」という。ハイゼンベルグの「不確定性原理」とはぜんぜん違う。
これによって「世界の一筆書き的論述」では、その論述の中に「背理」が存在することが、論理学的に証明されてしまい、ヘーゲルのように、弁証法的ダイナミズムで世界の誕生と発展を述べることは、単なる文学作品に過ぎないことが自明となった。前回の投稿も、別にあっしら理論批判ではなく、ここで述べたような意味だ。すみちやんもちょっと読みが浅い。
これによって物理学も含め、世界のすべてを説明する理論(大統一理論など)は、原理的に存在しないことがはっきりしたが、これは、「全能なる神」も存在しないことにつながる。まあ、「欠陥のある神」なら存在できるわけだが。また、未来を予知することもできないことがはっきりした。
どうしてそうなのかは、ゲーデルほどの頭の持ち主ではない小生には完全にはわからないが、世界の存立構造そのものに、こういう背理がふくまれているのだ、とでも理解するしかない。
これにより、ヘーゲル主義でも、「物質の自己運動」でも「マルクス・レーニン主義」でも「あっしら世界権力論」でも、世界の無限さを汲み尽くせないことになる。まあ、あっしら世界権力論はそこまでは言っているわけでもなかろうが。
しかし、「完全無欠の真理」が原理的に成り立たない、とすると、相対主義、ニヒリズム、凡庸主義が台頭する着もする。今の、各種の「原理主義」の台頭は、こういう「真理の空白」への強いフラストレーション゜という気もする。ゲーデル理論は、仏教のような、絶対真理を擁立しようとしない一部の宗教を除いた大半の宗教にも「死」をもたらす、と思われるからだ。このへんについては、宗教に詳しい方の反論・意見を待ちたい。