現在地 HOME > 掲示板 > 議論18 > 701.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 「産業主義近代」の終焉:“自然の恵み”ではなく“人々の恵み”が産業を発展させ生活も向上させてきた。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 10 日 00:22:36)
あっしらさん、おはようございます。
難しいところは質問してくださいといわれましたが、難しいことだらけで、質問できません。(あはは・・・)
ですので、ご意見を伺うという形で、よろしくお願いします。
今回のお話やミルのお話を読んで、感じたことを書きます。
結局、今のシステムで進んだところで、いずれはどこかで経済の数字(景気の上昇という意味です)の右肩上がりは行き詰まり、貿易黒字もなくなるということは理解しています。
その後の姿を、予見して書いておられるのだと思いますが、かつておっしゃったように、利潤のない世界が、必ずしも貧しい暮らしでも不幸な暮らしでもないと、あたしも思います。
ただし、我々の感覚が、今と変わらないとするならば、お金や儲けがないことに、不安や汲々とした感覚から抜け出せないのだろうと思います。
では、どうしたら、利潤がなくても生き生きとした暮らしができるようになるのでしょうか?
ひとつには、お金の問題があります。
すべからく、お金で換算することに慣れているので、つまるところ、生活そのものを損得で考えている我々に、問題があると考えます。
もうひとつは、それと同じことなのですが、貿易黒字が生み出せない状況になるならば、黒字という概念も所詮はお金に換算したものだと思われますので、国家間で、バーター取引にするというのはどうでしょう?(現在、そうしたものがあるのかどうか、あたしは知らずに書いています)
たとえば、A国では、機械が足りませんが、フルーツはたくさん取れます。
そこで、日本からは機械を輸出する代わりに、それに見合うフルーツをいただきます。(もちろん日本で需要があるというのが前提ですが)
お金も介在しますが、それよりも、双方得意なもの同士での取引をするところが、ミソだと思います。(環境問題も若干意識して書いています)
そんなことを考えた時、ひとつ引っかかるのが、例の支配層なのですよ。
あの人たちは、そういうことにもチャチャを入れてくるんですか?
そのあたりが、あたしはまだわかっておりません。
なにかの折に、またご教示いただければ幸いです。
PS
あたしの話は、中学生の話みたいで、なんだか阿修羅っぽくないなぁといささか恐縮しています・・・アハハ。(笑ってごまかします)
再PS
最近、きゃべつさんとか、ほうれんそうさんとか、レモンTさんとか、野菜(果物)のHNが多いのを見て、一人でウケています。