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(回答先: Re: 「利潤のない世界」とはゼロサムではなかった世界がゼロサムになる世界:お金は“電話線”のようなもの。 投稿者 ピカリン 日時 2004 年 7 月 11 日 15:03:51)
ピカリンさん、どうもです。
>もうひとつ、生産的な労働に属さない人たちがどう生きるか?という問題も、どなた
>かの所で書かれておられましたが、絵を書いたり、音楽をしたりという人たち(障害
>者や老人なども含めて)は、一般的な労働のできる人たちの布施的なもので、まか
>なっていくのがいいのかなと思いました。(年金と同じか?とも思います)
将来の共同体(国家社会)が、プロの芸術家や学者を認めるかどうかはわかりませんが、現在レベルの生活を実現するために必要な活動に従事するのは週に3日でいいのですから、残りの4日は自分がしたいことを一人でや仲間とやることができます。(ことさら、他の人からお布施を受けなくても芸術活動や思考活動ができる条件はあるということです)
“障害者”や老人など身心的条件で活動に支障がある人たちも、その人たちも活動に加わってくれたほうが利があるという判断やそういう人たちも面白く楽しく心地よく生きていけるようにしたほうがいいという判断で、今よりも活動しやすい条件になると予測しています。
また、どうしても活動できない人たちの生存(生活)は、現在と同じように、活動できる人たちが少しずつ“お布施”を出して支えるかたちになるはずです。
>そして、そういう必要とされるもの、良いといわれるものを作りたいという人がでて
>きたら、「お金」をだして作ってもらう、という社会になったらいいなぁと思っています。
>(あたしの考えの基礎には、今の世の中があるものですから、お金はまだ、無くなっ
>ているわけではありません)
お金を「労働の交換手段」と考えれば、そうなるだろうと思っています。
そしてそのような「労働の交換」が行われている経済社会のお金は、現在のお金と意味が変わっているはずです。
たとえば、“障害者”がもっと活動しやすいものをつくるために、ある人たちが労働し、その成果によって“障害者”が労働するようになれば、それも「労働の交換」です。
それがイーブンの交換ではないときは、片方の労働が少々の贈与(お布施)ということになります。
>最後に、質問ですが、今回のあっしらさんのレスで、支配層はお金にしがみついてい
>ると書いておられましたが、上記の世の中になろうとするのを阻止する方法として、
>どんなことが考えられるのですか?
>かつてきゃべつさんが、「支配層を無視して活動する」という趣旨のことを、あたし
>のレスとして書いてくださいましたが、やはり小さな共同体から他の共同体へとつな
>がって行く場合、もしくは、もっと広い共同体になろうとするときには、どんな妨害
>手段が考えられるのでしょうか?
“彼ら”は、自分たちの経済的政治的地位を守るため、情報操作(価値観や理論での対抗)から経済(国際交易の制限や通貨の不安定化など)そして政治(軍事的動きを含めて)までの持てる力をフル動員して阻止するはずです。
諸外国とりわけ先進諸国で同様の価値観がそれなりのウエイトを持つようにならない限り、日本単独で「開かれた地域共同体」に移行できないと思っています。
社会構造的にも「開かれた地域共同体」は右から左でできるものではなく、前段階の過程が必要です。その期間として、国民経済主義による国家社会運営を考えています。
個々人が、近代的枠組からこそっと抜け出して活動する分には妨害はないと思っていますので、ピカリンさんのようか方々の動きはずっと先までの移行を支えるものになると思っています。