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(回答先: 「キリスト教」至上主義に反対します 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 7 月 02 日 21:12:05)
受精の瞬間からその人の生命活動は始まります。
それを作為的に「中絶」するのは、悪であり、されないのがいいに決まっています。
(胎児は法的には人でなくとも、妊娠過程を経ずして誰も生まれ出ないのです)
母体だって「中絶」で痛みつけられます。
自己満足ではなく、生命や人の意味を考えれば「中絶」はひどく心痛むことですから、妊娠継続が母体の生命や健康に重大な影響があると判断できない限りすべきではないという考えは健全だと思っています。
日本でも、ほとんど意識されていないのが実状ですが、堕胎罪は今でも生きています。
問題は、「セックスの解放」を煽り、子どもを生むつもりも覚悟もないままのセックスが横行していることであり、妊娠する可能性もある強姦という忌むべき暴挙が後を断たないことであり、子育てが過酷な生活条件を強いるような社会構造であることであり、自分(たち)のよりましな生活を維持するために「中絶」しても悪くないに近い価値観が“常識”化していることです。
(戦後のある時期の日本では、雑誌などの影響を受けて「中絶」するのが進歩的な考えだと思い込み、必要もないのに「中絶」した女性もいます)
どのような条件ならば悪である「中絶」も容認するかという問題です。
(ヤミの中絶がはびこり危険だからという合法化という理屈がまかり通るなら、泥棒がはびこっているから各家庭を安全にするために日銀は金庫を開放しろという理屈もそれなりに意味があります)
同性愛は、まったく問題ないと思っています(笑)