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(回答先: 有事が来るぞ(4) 徴用先は海外だ 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 5 月 20 日 09:51:49)
【世相百断 第55話】
有事が来るぞ(5) 有事体制下の光景
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sesou55.html
有事法制が発動されると、土地家屋や保有している商品・機材・機器類など、広範な市民の財産が収容・管理という形で戦時転用されるだけでなく、医療・建築関係をはじめとする広範な業種の従事者が国内外の前線や危険地帯に徴用されていくことを、前2回の連載でみてきた。
そもそも日本国憲法は、60年前のファシズム体制とアジア侵略戦争が国内外に2千万以上の戦死者を生み、アジアの人々の生活を破壊したのみならず、国家総動員体制をはじめとする戦争遂行政策によって国民の基本的人権を破壊し、権力者の侵略戦争への暴走を許してしまったことへの深い反省から生み出されたものだった。現行憲法が戦勝国の押し付けか否かといった皮相な議論の前に、条文をよく読めばこうした侵略戦争への深い反省と、国家は国民にとってどうあるべきかの理念が憲法の隅々まで染み込んでいることが理解できるはずである。
ところが先の国会で衆議院議員の9割の圧倒的賛成を得て成立した有事法制は、これまでみてきたとおり、国民の基本的人権を蹂躙する内容であり、再々繰り返すが、判断基準が極めて曖昧な「武力攻撃が予測される」時点で有事法制が発動される仕組になっている。つまり政府の恣意的な権力行使に対して国民の基本的人権を擁護する現行憲法を真っ向から蹂躙する法律だといえる。
国民の代表たる国会議員の圧倒的多数の賛成のみならず、有事法制成立前後には、ほとんどのマスメディアまでがその危険性に気づかず、有事に対する法体系は必要だなどとの姿勢で国民をミスリードした。こうした政治と世論のありさまに、この国の民主主義の深い根腐れを見ないわけにはいかない。
いろいろの問題はあったにしても、戦後日本は武力によらない平和志向の社会造りをまがりなりにも進めてきた。こうした戦後の平和志向の社会造りが、今、決定的に逆転されようとしている。この危険な流れをこれ以上悪化させないためには、有事体制が実現したら間違いなく被害者になる市民の一人ひとりが目を覚まし、有事体制がどういう社会を出現させるか、精いっぱいの想像力を働かせてイメージを作り、その実現を阻止する以外にない。
このイメージ作りの手掛かりになることを願って、繰り返しになる部分があるかもしれないが有事体制下にはどういう光景が現出するか、もうすこし見ていってみよう。
まず、有事法制の下では、いったん政府が「有事」と認定すれば、憲法の人権規定は停止する。この「有事」の認定には、現実に我が国が攻撃される事態が現出しなくとも、その「おそれ」があると判断された場合も含まれることはこれまでに見てきたとおりだ。また我が国の周辺で武力紛争が現出しなくとも、「周辺事態法」にいう「有事」が中東をはじめとする日本のはるか遠い地域で発生しても、有事体制に移行する。
いったん戦争状態になれば、軍事への備えこそが「国益」となり、「国益」の実現こそが「公共の福祉」であるとされるだろう。公共の福祉の実現のために、国民は協力しなければならない。実際、前回触れたように武力攻撃等事態法第8条では、「国民は……指定行政機関、地方公共団体又は指定公共機関が対処措置を実施する際は、必要な協力をするよう努めるものとする」と、国民の協力義務を定めている。この「国民の協力義務」を背景に、政府は「民間防衛組織」の編成や「防衛訓練」の必要性までを想定し、国会の質疑で堂々と答弁している。
政府が強調するように、有事体制下の国民の自由とは、こうした「公共の福祉の範囲内での自由」なのである。そして政府がいう「公共の福祉」とは軍事体制下での政策遂行、すなわち戦争政策の遂行にほかならないわけだから、憲法が保障しているはずの、国家間の問題の解決を国家暴力(=戦争)に訴えることの過ちを正そうとする行為も、また、自らの信念において反戦の立場を貫こうとする思想や運動も、「公共の福祉」に反する行為として否定されることになる。
たとえば前回見たように、有事体制になればまず真っ先に徴用されることになる医療従事者の場合は、実質的な軍管理病院や海外の戦闘地域で医療業務を強制されるだけではない。協力義務を課された大学病院などでは、医師をはじめとする医療従事者は戦争利用のための研究に従事させられることになるだろう。731部隊の悪夢がふたたび繰り返されないという保証はない。
また、改正自衛隊法は物資の保管命令の違反者に懲役刑を含む罰則を科すこととしているが、これも医療従事者に深刻なジレンマをもたらすだろう。
たとえば今ここに、貴重な医薬品や輸血用血液を必要としている重病人がいるとしよう。これらの医薬品や輸血用血液はたしかに手元にある。これを使わなければこの重病人の命を救うことはできない。しかしもしその医薬品や輸血用血液が自衛隊による保管命令の対象物資だったら、それを必要とする重篤の患者が目の前にいても、医師は見殺しにせざるをえない。この医療品や輸血用血液を命令に反して一般民間人に使用すれば、懲役刑に処されるからである。
また、こうした医薬品を一般患者のために使おうと、命令に反して秘匿すれば、これも懲役刑の対象になる。こうしたことに備えて、改正自衛隊法では保管命令遵守を調査するための立ち入り検査が実施できるし、この立ち入り検査を拒否したり妨害すれば、これにも罰則が適用される。
つまり状況が逼迫すればするほど、医療施設も医療従事者も、医薬品類も、軍事優先で使用され、国民の命を守るための医療は不可能になっていく。良心的な医療従事者がどんなに国民の命を優先した医療活動を行なおうとしても、有事体制はそれを許さない。憲法に規定された思想・信条の自由(19条)も奴隷的拘束および苦役の禁止(18条)も絵に描いた餅になる。
しかも、自らの良心に基づいて兵役を拒否する「良心的兵役拒否」に類するものも政府は認めない方針であるようだ。有事法制を審議した国会の中で、「良心に基づく命令違反であっても罰則を科す」と答弁している。国民全体に戦争遂行の協力義務を課し、罰則を科して力づくででも国民とその財産を戦争に利用しようとしている。
今回成立した一連の有事法制は、これまでの軍事法制が自衛隊のみを対象にしていたことから、一般市民にも対象の範囲をひろげた点で、国家総動員体制を目指すものだといえる。
国家総動員体制を実現するためには、国民をばらばらに協力させるだけでは徹底しない。そのため、指定行政機関、地方公共団体、指定公共機関をつうじて国民を戦争に巻き込む仕掛けを政府はつくりあげた。
たとえば自衛隊法第103条1項を再掲すると、
第 76条第1項の規定により自衛隊が出動を命ぜられ、当該自衛隊の行動に係る地域において自衛隊の任務遂行上必要があると認められる場合には、都道府県知事は、長官又は政令で定める者の要請に基き、病院、診療所その他政令で定める施設(以下本条中「施設」という。)を管理し、土地、家屋若しくは物資(以下本条中「土地等」という。)を使用し、物資の生産、集荷、販売、配給、保管若しくは輸送を業とする者に対してその取り扱う物資の保管を命じ、又はこれらの物資を収用することができる。ただし、事態に照らし緊急を要すると認めるときは、長官又は政令で定める者は、都道府県知事に通知した上で、自らこれらの権限を行うことができる。
となっていて、物資の収容は政府が直接行なうのではなく、地方自治体に行なわせる仕組みになっている。同様に、第103条2項では業務従事命令も都道府県知事が命令する仕組になっている。
つまり物資の収用や市民の徴用は地方自治体が政府の、ということは自衛隊のということに他ならないが、手足となって行なわなければならない。
さらに武力攻撃事態法では、事態発生時には総理大臣を長とする対策本部を設置し、対策本部長の指示権のもとに、「武力攻撃事態等への対処に関し、必要な措置を実施する責務」を地方自治体に課した。「必要な措置」とは警報の発令、非難の指示、被災者の救済、消防、被害の復旧等々のほか、自衛隊やアメリカ軍への支援措置などであるが、これらは別途法制の整備を行なうことになっていて、まだ具体化されていない。
ただし、こういう措置の大半は、対策本部の指揮の下に地方自治体が行なうことになるだろう。政府の「総合調整」に基づく「所要の対処措置」を地方自治体が実施しない場合、それを実施するよう対策本部長(すなわち総理大臣)は指示をすることができるし、それでも実施されない場合は総理大臣自らが実施または代理実施させることができる。
昨今、地方の時代だの地方分権の時代だのといわれているが、いったん有事となれば地方の自主性や地方分権は雲散霧消し、地方自治体は「対処措置」の実施と責任だけを押しつけられることになるだろう。
こうして、国民すべてを巻き込む国家総動員体制のための法制はできた。あとはこれを運用するための制令を政府が作れば、自衛隊法も武力攻撃事態法も現実に威力を発揮し、国民を戦争に協力させる仕掛けは完成する。政令は、国会審議を経ずに政府がいつでもつくることができる。
それにしても、現実に日本の国土が武力侵攻される状況などどこにもなく、また政府自身もその可能性はないといいながら、いったいどんな戦争のためにこんなにあたふたと戦時法制が制定されていくのだろうか。
それは稿を改めて明らかにしていくつもりだが、ともあれ有事体制が敷かれるとどんな光景が発生するか、もうすこしみていってみよう。
敵の上陸が予想される海岸地帯は、要塞地帯と化すだろう。周辺すべてのビルや家屋などの建築物は取り壊され、塹壕線が延々と延び、各所に砲撃陣地が構築される。民間人は立ち入り禁止になる。
日本の空はどうなるか。
たとえばアメリカが北朝鮮の核開発疑惑を口実とした武力行使に踏み切り、湾岸戦争並みの軍事行動を起こしたとしよう。周辺事態法に基づき、有事体制が発動され、日本はアメリカ軍の兵站支援を行わねばならなくなる。
湾岸戦争時には、「空輸された人員は30万人以上、物資は50万トンを超えるとされ、航空機は6000機を超え、サウジの空港は、最大10分おきに空輸機が到着したと言われる。後方支援を担当したドイツでは、民間チャーター主体に航空機を435機、船舶109隻を動員し、3ヶ月かかりで物資を輸送したとされる。」
自衛隊の輸送能力には限界があり、これだけの人員・物資の輸送を自衛隊だけで遂行することなど不可能である。多数の民間機が軍事徴用されるだろう。
飛行機を飛ばすためには空港も必要だ。94年にアメリカが北朝鮮の核開発疑惑を口実とした武力行使を準備した際には、成田、関西国際、福岡、新千歳、宮崎、長崎、那覇の7つの空港の提供を要求してきたという。これをもとに想像すれば、日本の民間空港、航空機はほぼ総動員されるだろう。
軍事利用されていない民間航空機も自由に空を飛べなくなるだろう。狭い空港や空域は軍事優先で使用され、民間機の使用可能な空港や空域は大幅に制限される。場合によっては民間旅客便の離発着全面禁止ということにもなりかねない。おまけにたださえ過密な日本の空は一挙に軍用機と民間機のニアミスなどの危険が増大する。航空機衝突などの大事故につながりかねない。
さらに、いったん有事となれば、日本の民間空港や航空機はテロの危険にさらされる。ミサイルの攻撃もありうる。
こんな事態になれば、民間空輸に携わっている労働者も毎日が危険極まりなくなる。ビジネスであれ観光であれ、一般民間人の空の旅など、自由にできなくなる。
空輸できる貨物類は、自衛隊機・米軍機・民間航空機で空輸されるが、その他の貨物類の国外への輸送は、船舶によらざるをえない。飛行機同様、自衛隊と米軍の艦船で輸送できないものは民間海運業者の船舶で輸送することになる。民間船舶の徴用が行なわれ、船腹そのものが逼迫してくる。
港湾にも空港と同じ光景が現出する。生活物資や産業物資の流通起点である港湾は、軍需物資の輸送拠点として自衛隊が優先使用することになる。港湾法で地方自治体に管理権が認められている港湾や航路は、米軍や自衛隊の艦船の利用が優先され、軍用艦船で埋め尽くされ、民間船舶の航行、出入港は厳しく制限される。民需物資を輸送する民間船舶の入港は後回しにされ、民間輸送力が著しく低下する結果、物資の流通が阻害されるだろう。
また、兵站基地としての軍事上の重要拠点となった港湾は、敵の攻撃対象となる。日本国内の港だからと安心していられない。非戦闘員である国内の港湾労働者が攻撃対象とされる危険性が極めて高くなる。
日本の民間船舶が戦時徴用されれば、どの船舶が軍事用でどの船舶が民需用か、交戦国やゲリラは識別できなくなる。民間船舶が相手国から攻撃を受け、撃沈されることは、太平洋戦争のときにも頻発し、大きな被害が出たが、同じ危険が現実のものとなるだろう。
日本の船舶を利用したビジネスも激減する。外国船舶も日本への寄港を避けるようになり、工業製品の輸出、エネルギー・資源・食糧などの輸入が大幅な制限を受けるだろう。国民のライフラインを確保することがはなはだしく困難になる。
同様に陸上でも、道路は戦車や装甲車、軍用トラックが優先通行するから、多数の個所で通行制限がなされるだろう。船舶同様こちらもトラックなどが軍事徴用されれば、輸送業者は車両不足に陥り、輸送力の低下が発生する。
こうして陸海空で物資流通の阻害の程度がひどくなれば、流通段階にストックのない生活物資の欠乏が起こる。毎日1万3千トン輸入されているという食糧の搬入も滞るようになれば、自給率が40%しかない国民の食糧事情は一気に悪化し、その他の日常生活にも重大な支障が発生する。
こうした中で自衛隊の食糧をはじめとする生活物資の収用・管理が進めば、流通阻害とあいまってたちまち生活物資の価格は高騰するだろう。混乱はトイレットペーパー・パニックのときの比ではない。生活必需品の企業や金持による買い占めや闇商売の横行が現実のものとなるだろう。戦中戦後の飢餓状態の記憶がある年代は想像できると思うが、社会的弱者はたちまち日々の食事にも事欠くような事態になるかもしれない。
これを防止し、一定の社会秩序を保とうとすれば、ついには配給制を導入し、配給切符がないと物が買えない社会になるかもしれない。
ああ、60年前の悪夢再び。
一方、自衛隊法が改正され、外交機密を除いた防衛秘密を漏らしたものには5年以下の懲役刑が科せられることになった。自衛隊法の罰則対象はこれまで自衛隊員だけだったが、法改正により、民間人まで罰則対象になったことは、戦後社会の大きな曲がり角といえる。平和志向の社会から軍事志向の社会への決定的な転換点だ。
防衛秘密とはいったい何か。自衛隊の運用、防衛に関し収集した電波情報や画像情報、武器・弾薬・航空機その他の防衛の用に供する物(船舶を含む。)の種類又は数量等々、自衛隊法に定めるものの中から防衛庁長官が定められることになっているが、たとえば、積荷の中身や船舶動向なども防衛秘密の対象となるだろう。
処罰の対象は故意犯だけではない。「過失による秘密漏洩」も1年以下の懲役刑に処せられる。港湾労働者が居酒屋などで仲間同士で港の様子を話しただけでも、過失犯として処罰される可能性がある。戦中、丘の上から軍事施設をなんとなく眺めていただけで特高に尋問されたような日常がまた現出するかもしれない。
こんな事態が進めば、戦前戦中のような密告社会がまた立ち現れるかもしれない。軍事優先で電波が逼迫し、携帯電話も自由にかけられなくなるが、もしかけられたにしても、いったん自衛隊や警察に怪しいと睨まれれば、通話の傍受など日常茶飯となるだろう。
また、職場や町内会を利用した民間防衛訓練なども強制されるだろう。60年前の戦争では箒でアメリカ軍の焼夷弾攻撃を消火するという、現実錯誤の防火訓練にみんなが否応なく参加させられ、いざ空襲となったときには逃げ出すと非国民と罵られ、結果的に多くの人が焼死したが、ミサイル時代の今日でも政府は同じような民間防衛訓練を想定しているようだ。現実的な効果はなくても、国民を一致団結させて戦争協力に向かわせるためには、この種の訓練は効果があるし、戦争政策反対者の踏絵にもなる。したがってこういう訓練に参加したくないと思っても、社会の爪弾きと生命の危険を覚悟しないことには行動に移すことは難しくなる。
いったん有事体制が発動されれば、程度の差はあれ、こういう事態が現出するのは間違いない。
自衛隊が威張りかえり、自由にものも言えず、やりたいこともできず、行きたいところにも行かれず、食べ物にも不自由する社会。おまけに危険がいっぱい。日本が他国に軍事侵略される可能性などない中で、備えれば国民の憂いが濃くなるばかりのこんな社会が来るのをあなたは手を拱いて見ていますか? それともこんな社会はNOと、選挙のときの投票での意思表示をはじめ、自分にできることを今いる場所で始めますか?
(2003年11月1日)