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(回答先: Re: 一般論ならわかるがこのスレッドでは話をややこしくするもの 投稿者 高弘 日時 2004 年 5 月 18 日 00:23:55)
高弘さん、レスありがとうございます。
私自身は人が何にこだわるのかそれぞれの自由でありそのような多様性があるほうが面白いとも思っているので、長壁さんが戦争問題にこだわることはまったく気にしていません。
「長壁問題」でこだわっているのは、オープンサイトで書き込みを続けるのなら疑義に対して説明したりきちんと議論する責務があるという一点だけです。
高弘さんも誤解しているようですし、他の方にも誤解があるように思えることですが、長壁さんは、「反戦平和主義者」ではなく「政治闘争主義者」なのです。
長壁さんは、不正な戦争と正義の戦争を峻別し、正義の戦争を行う側が勝利することを願っている人です。(私自身も似たようなというかより過激な考え方をしています(笑))
長壁さんの考えは、「帝国主義戦争を内戦そして革命へ」という戦前の共産主義運動に近いものです。(長壁さんは、「不正な戦争に反対する運動を通じて政治変革を」という穏和的なものでしょうが...)
長壁さんは、無辜の子供や女性に対する虐殺が続いている状況に魂からの非難を叫び一方で、状況の見極めや戦術の妥当性を吟味しないまま、そのような虐殺がさらに拡大すると断言できる戦いへの決起を煽る人なのです。
長壁さん的な政治勢力に対する批判を、レオ・シュトラウス(ネオコンの始祖と言われている政治哲学者)の著である『自然権と歴史』(塚崎智・吉崎嘉彦訳/昭和堂発行)から引用します。
『「責任倫理」に従えば、人間の責任は行為の予見しうる結果にまで及ぶが、「心情倫理」に従えば、人間の責任は彼の行為の内的正しさにのみ限られる。ウェーバーは、サンジカリズムを例にして、心情倫理を以下のように説明している。すなわち、サンジカリストは、彼の革命的行動の結果や正否には感心がなく、関心の対象はひとえに彼自身の誠実さ、つまりある種の道徳的態度を自分自身のうちに保持するとともに他の人々のうちにも目覚めさせることであって、それ以外のことではない。一定の状況下で、彼の革命的行動が革命的労働者の存在そのものにとって、予測しうる限りの未来にわたって破壊的な結果を及ぼすことが決定的に立証されたとしても、それは確信的サンジカリストに対する有効な反論とはなりえないだろう。』(P.79)
引用した文章のサンジリカリズムを長壁的政治価値観、サイジカリストを長壁さんに置き換えてもらえれば、相当的確な「長壁批判」になると思っています。
ソビエトロシアにしろ、共産党中国にしろ、北朝鮮にしろ、悪意をもってあのような支配を行なったわけではありません。自由の抑制や強制収容所も、善意から生まれた政策なのです。
悪意をもって支配されているのは、米国であり日本であり、その他の「近代国家」であり、米英仏などに差配された支配者が統治している国家なのです。
長壁さんがあるゆる政治的殺し合いを否定する絶対的(純粋)な「反戦平和主義者」であれば、これまで行ってきたような呼びかけや非難はしていません。
(絶対反戦平和主義者であっても、政治課題を打ち出せば、別の呼びかけや非難をすることはあります)
※ ネオコンの始祖とされるレオ・シュトラウスについては、機会があれば別途取り上げたいと思っています。