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(回答先: 竹中さまに質問させて下さい 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 5 月 18 日 23:20:06)
みなさま、
あえてぷち熟女の更なる無知を晒しつつ、
検索結果からあちこちのページをざっと眺めてみた収穫を投稿してみます。
論議とはあまり関係ありませんが、いずれにしろ、
『地獄への道は善意で敷き詰められている』という格言とそのバージョンが
いかに世に広く知られたものであるか、ということ、
及び、それがコム・未来の山田氏の創作でもあっしら様の創作でもない、ということの証にはなります。
*
あたくしが以前行なった検索のキーワードは『地獄への道 善意』でした。
http://www.google.com/search?q=%92n%8D%96%82%D6%82%CC%93%B9%81%40%91P%88%D3&ie=Shift_JIS&hl=ja&lr=
127件しか出ず、そのうちのいくつかはコム・未来内へのリンクであったと記憶しております。
今晩行なってみると、どういうわけか検索結果は増え、520件出ました。
『地獄 道 善意』とキーワードを細切れにすると6490とか6500件という結果が
出ますが、
当然それぞれのキーワードが別々の文章に含まれたページもヒットするので正確度は落ちます。
で、今晩目についたページから、出典にまつわる色々な説、その他を部分引用してみます。
結論から先に申し上げますと、あの格言(諺?)は、とてつもなく古いものであるようです。
正確な起源を示せる方はいないと思いました。
*
http://member.nifty.ne.jp/katote/hiraituito.html
『平井さんの「地獄への道は……」評注
加藤哲郎(一橋大学社会学研究科教授) 』
『一九九四年に拙著『モスクワで粛清された日本人』(青木書店)をお送りしたさい、長文のファクスをいただいた。社会主義にあこがれて旧ソ連に入り、日本人であるというだけで「スパイ」と疑われ、粛清されていった人々への鎮魂歌である拙著の「エピローグ」を、『資本論』第一巻「価値増殖過程」の一節から引いて、「地獄への道は、無数の善意で敷き詰められていた」と題した』
マルクスがあれに言及したことには、下の別のサイトでも記述されています。
レーニンの言葉であったとする記述はネット上に多いのですが、
残念ながらいつどこで、あるいはどの著作で彼が言ったことかについて
言及されたページは見当たりませんでした。
*
http://www.takaoka.ac.jp/zatsugaku/011/niwa_3.htm
『「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉については、「東京裁判で戦犯の特別弁護人になった東大教授の高柳賢三さんが使ったのを憶えてるんだがね。満州事変から大東亜戦争まで全部昭和軍閥の一連の共同謀議だという起訴状に対して、当局者の1人1人は誠実に解決を目指していながら、時局に翻弄されてズルズル破滅への道を歩んだのだ、と弁解した時の弁論でこの文句を引用した……」(倉田卓次『裁判官の書斎』(1985、勁草書房)7頁)』
『ところで、高柳賢三氏は、サミュエル・ジョンソン(1709〜1784)の箴言として引用しているのだが、はたしてジョンソンはそう言っているのでしょうか。ジョンソンの弟子であるボスウェルが著した『ジョンソン伝』第2巻によれば、ジョンソンはこの弟子に対して、よく用いられる諺を引用する形で「『地獄は』善意で舗装されている」と言ってはいますが(1775)、「『地獄への道は』善意で舗装されている」とは言っていません。では、「地獄への道は善意で舗装されている」と言ったのは、いったい誰なのでしょうか。前出の倉田卓次氏が調べたところによると、ドナルド・アダムズ編『重要引用句集成』(1960)では初出・カール・マルクス著『資本論』(1867)と記されているとのことです。』
『『資本論』では、10ポンドの撚糸の価値15シリングが、10ポンドの綿花の購入に要した費用10シリングに、消費された紡錘の価値2シリングと労働者への賃金3シリングを加えたもの(つまり前貸ししたもの)にすぎない、という資本家の言い分を揶揄して、「俗流経済学に通じている資本家はおそらく言うであろう。自分は自分の貨幣を、これでより多くの貨幣を作り出すつもりで、前貸ししたのだ、と。しかし、地獄への道は、種々の良き意図で舗装されているのであって、彼は同様に、(たとえば株式や先物への投資など)生産することなしに儲ける意図をももちえたのである。……しかし……生産物の価値は、投入された商品価値の総額に等しいだけである……。……彼はこのような長い繰り言で、われわれを愚弄したのである」(向坂逸郎訳(1969、岩波文庫)31頁以下。( )内は筆者)と述べたうえで、このような説明は意図的に労働力の交換価値のみを強調し、その使用価値を覆い隠すものだと批判する。』
マルクスと同じ表現ではなかったが、マルクスの100年前に
ジョンソンがそういうことを言っていたということですね。
*
これは、もうキャッシュしか残っていない毎日インタラクティブのコラムのページです。
『ノーベル経済学賞のハイエク教授が書いているように「地獄への道は、善意で舗装されている」のである。』
このように、色々な著名人が出典も示さず引用する、ということが繰り返されてきた結果、
もう最初に誰が言ったのだかわからなくなったのでしょう。
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http://www.malicia.org/mafplan2004.html
『The road to hell is paved with good intentions.
地獄への道は善意で作られている(舗装されている)
という言葉があります。(研究社英和中辞典に載ってます)
paveというのは舗装・敷石(欧州によくあるやつ)のことです。
大意は悲劇は初め善意から始まるんだよという意味です。
(例・日本のためにと始めた戦争が最後は原爆投下という悲劇を招く、など)
欧米では結構知られた格言だと思います。
日本では倉田さんという裁判官が初めて紹介した言葉です。』
辞書に載っているほど有名な言葉なわけでした。
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http://blog.neoteny.com/chika/archives/006630.html
コピーしようとしましたが、何故か文字化けするのでやめておきました。
コメントとしては面白かったです。
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http://okaben.or.jp/www/map2003/data/sasaki_hito.htm
『“地獄への道は善意で敷き詰められている”これはフランスの詩人アラゴンの言葉です。』
岡山の弁護士さんのページです。
出典を引かずに言っても誰にでも通用する諺であったということですかね。
常識だったのだと思っておいて良いのでしょうか。
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http://pavlusha.exblog.jp/69919/
『地獄への道は善意で敷き詰められている」というドイツのことわざがあ
る。中世から使われていた表現だが、マルクスが『資本論』で引用するこ
とでさらに有名になったとのことらしい。』
中世から使われていた、と・・・。
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http://www.naka-net.city.nagoya.jp/aleph_nakaku.html
「地獄への道は善意の敷石で踏み固められる。」「悪意の殺人は限度があるが、善意の殺人は限度がない。」だから破壊的カルトは恐ろしいんです。
名古屋市中区が作ったアレフの転入不受理訴訟に関するページでした。
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http://www.newseko.gr.jp/katsudo/comitee/comit19.htm
『○参考人(渡部昇一君) 平等主義というのは大変美しい言葉でございまして、ダンテだったと思いますが、地獄への道は善意をもって舗装されているというのがあったと思いますが、平等主義というのは私は地獄へ至る道だと思っております。』
ダンテというと、ルネッサンス期のフィレンツェですね。
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これもダンテ:
http://rongo.jp/kaisetsu/rongo104.html
『ダンテの言葉、「地獄への道はいつも善意で舗装されている」じゃないけれど、知って犯す罪よりも、知らずに犯す罪の方が断然多い生き物ですからね、人間は。』
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もう一つダンテ:
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/Nisshirespectnozentei20020603.htm
『その意味では、主観的意図(=善意)の問題性をえぐりだしたダンテの洞察(「地獄への道は善意で敷き詰められている」)は、折に触れて戒めの素材となる。』
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『弱い立場や苦境に立たれた方に優しい目を向けることは大事ですが、福祉を際限なくやり過ぎると社会全体としては成り立たなくなります。マキャベリではありませんが、「地獄への道は、善意で鋪装されている ・・・』
マキャベリはダンテと同時代の人でしたからね。
ダンテはメディチ家から市外の山中に追放されるが、マキャベリは重用されて活動を続けました。
マキャベリが『天国への道を見出す最善の方法は、地獄への道を熟知することである』
とか何とか書いた、ということはあたくしも知っておりました。
*
しかし・・・:
http://tameike.net/diary/oct01.htm
『○地獄への道は善意で敷き詰められている。ジュリアス・シーザー。』
え、シーザーだったんですか?
しかし、シーザーは『日の下に新しいものなし』と言ったくらいですから、
この格言だって、ローマに招いたギリシャの哲人辺りから聞いていたのかも知れません。
*
といったようなことでございます。
とにかく古いんだ、ということでご容赦願います。
ではまた、ごきげんよう。