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この二組は好対照を見せていますね。
最初の三人のご家族は活発な救出活動を展開された。若干の政治的言動を伴ったこれらの
活動は、一部のマスコミ、ネット上で激しいバッシングに晒されたわけです。それに便乗
する形で、政府関係者の間からも「自己責任」なる小泉の大好きな「自助努力」によく似
た熟語による、嫌がらせ当てこすりが続いた。首相自ら「このまま残りたい」と言う被害
者に対して、「どういうつもりなのか」と見当違いの批判するに至った。マスコミの被害者
バッシングの情報ソース元が政府関係者であったらしい報道があるが、さもありなんであ
る。自作自演は偽政者の専売特許だ。
さて、この最初の三人のご家族・被害者への批判が一部マスコミに留まらず、国民の間から
も出ている理由に、やはりどうしても考えておきたいのが、国民性の問題であろう。
最初の三人のご家族関係者のあの饒舌さ、感情をそのまま表出する感情露出型、に言いよう
のない違和感を感じたのではないだろうか。そして、被害者達(先の三人)の寡黙さも苛立
ちの要因になっていると見た。
後の二人のご家族は今までのいわゆる事件関係者のそれ(謙虚、控えめ)典型的『世間をお
騒がせして申し訳ない』タイプですね。保守的日本人からしたら先の三人の家族は「なんだ
あの家族は、自分のことばかり言って」となるんでしょう。バッシングの根底にはそういう
感情的、異質なモノに対する拒否反応があったはずである。そして、現在の日本政治全体の
右傾化現象と社会の保守化の深化と相まって、世界でも見ないような被害者バッシングとな
ったのである。
しかし、後の二人はご家族の「常識的」対応に比して、堂々とマスコミ、政府関係者の批判
に反論、主張している。報道陣から警察の事情聴取に応じるのか、の質問に、「出来れば辞
退したい」と答えていたが。ある意味立派でさえある。このコメントに対して、前者へのよ
うな異常なバッシングは起きていない。被害者から直接心情を聞けたことはよかった。
被害者の発言を国民は待っている。主張の内容の是非はともかくとして、それも大事な「自
己責任」ではないかと思う。