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(回答先: Re:日本人は成田空港を飛び立った時点で全て自己責任 投稿者 アラフラの蛸 日時 2004 年 4 月 21 日 00:59:13)
こんにちは
全体的にアラフラの蛸さんのご意見は、政府よりの発言のように思われますが、なぜ、そこまで必要以上に政府という組織や制度という人間よりも実態性の低いものに心を置かれるのか分かりません。私も部分的に当局側の仕事をした時に、これ以上一般国民(ないしは住民)の面倒はみきれないと言う場面に出くわすことがあります。しかしながら、行政が成立するために国民(ないしは住民)がいるのではなく、国民(ないしは住民)の生活や安全保障をするために行政があるわけですから行政が何らかのアクションをするのは義務です。それはあくまで制度であり、なにか事が起きる以前には国民の安全性と自由度を提供していく義務があり、事が起きれば国民の安全の確保や人権の保護を確保することが国の存在意義です。行政担当者個人の不平不満があったり、助けてもらった者が仁義として感謝するのは必要だと思いますが、公的に不平をもらしたり、煽ったりすることは許されません。たとえば、川へ子供が落ちて親が行政に管理責任を追求して賠償請求するように、イラクで危険な目に合ったのは日本政府の責任だと訴えられるならそこまでは制度的に責任が持てない。と言うのなら分かりますが、助けたやったんだから経費をよこせという理由や態度は、体制が個人を縛る閉塞感を生むと同時に国家そのものの存在の必要性の否定です。単純に国が国民の安全や権利を守るのは民主国家が成立するための約束ごとだと思います。
わたしは国家論に長けているわけでもありませんので、それ以上のことはわかりませんが、まずあなたが人の話の始まりとして制度や体制を是とする話からはじめられるところに、人としての尊厳を軽んずる姿勢を感じます。あなたの例え話でいえば、あなたが外地で事情通ならまず「おいおい」と思うようなことをする人間に「おいおい」という行動を改めるようレクチャーすべきだし、それができないならなんらか身近なコミュニティーからモラルを形成するように努力すべきです。突然国家の制度に頼ったり、体制を不必要に人格化して恭しくする態度は、対話や人間の関係を考慮しない生活の質を是とするものですし、体制翼賛的なムードを助長するものに思えます。多少の修正点をしてきしながらも、全体的に体制を自明に是としてしまう語り口は、太平洋戦争に突入する直前の大衆言論のような危うさを感じます。
わたしの、あなたの発言の全体の印象は「政府組織に肩を持つ」ということになりますが、このことについてはオリハルさんの言及されていることが、非常に当てはまると思われますのでご一読ください。
「Re: 自己責任論否定者の考えはいずこに」
http://www.asyura2.com/0403/war53/msg/437.html
わたしが若い時、南米など旅行しようとしたとき、今のようにガイドブックもそんなにそろっていない頃、何か政変のようなものが起こったら、日本大使館じゃない、アメリカ大使館へ逃げろと何人かの人にいわれました。つまり、アメリカなら取りあえず人命を確保したり権利を守ったりすることのためにその労を惜しまず当たり前だと思って行動するが、日本政府は自己保身のためにいつ自分達だけでトンズラするか分からないと信用がなかったわけです。結局のところ私の旅行は中南米どまりで、そんなことにお世話になることもなく事の真偽は分かりませんでしたが、時代はかわっていますし、今のアメリカには問題が多すぎてなんとも言えませんが、日本政府の保身的な態度は然程変わっているとは思えません。親からよく聞かされた満州からの引き上げ時の、民間人よりもさっさと日本に帰って来てしまった日本軍のはなしなど思い出します。体制や制度は必要と思いますが、それを前提に物事をすすめる態度には賛同できません。
突然にアラフラの蛸さんの否定ばかりで申し訳ありませんが、本当の実感と印象ですのでお許し下さい。