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第二次世界大戦中にファシズム政権のイタリアからラジオ放送を通じて米英国民に反戦を訴え、戦後米国政府に拘束され13年間も精神病院に収容された二十世紀を代表する詩人エズラ・パウンドに関する野上秀雄氏の論考です。
エズラ・パウンドは、中国思想や日本文化に強く惹かれており、日米開戦直前から「ジャパンタイムズ」にも数度寄稿しています。
「歴史の中のエズラ・パウンド」は長文なので全文はサイトでお読みいただくこととし、第二次世界大戦に対する見方の断片のみ引用させていただきます。
「歴史の中のエズラ・パウンド」第13章 第二次世界大戦より:
「彼は、「この戦争はヒトラーとムッソリーニの気まぐれによって起こったのではない」「高利貸しと農民、高利貸し政治と日々の労働によって生きている人間の間の戦争である」と述べ、「国際的高利貸し」は国家に負債を負わせることによって自分たちの利益を得るため、そして自分たちの経済的独占への脅威と経済的正義への動きを断ち切るために戦争を起こしていると主張した。また、「高利貸し」は新聞と出版を操作して人々の経済的無知を維持しようとし、そうした策謀は大学でも行われ、教科書は「高利貸し」の支配を維持するために書かれていると述べた。そして、ムッソリーニは、ニューヨークの「高利貸し」とモスクワにいるその手先の関係に気づいたが、その瞬間に「国際的高利貸し」政治により排斥されたというような見方も示した。」
「三月には、パウンドは北園克衛から、『ジャパン・タイムズ』の通信員になることが受け入れられたという連絡を受けた。彼は、すでにイタリアの新聞『イル・メリディアーノ・ディ・ローマ』に政治経済的な問題に関しての論評を度々寄稿し、ファシズムとダグラスの社会信用論の関係を考察したりしていた。そうした寄稿の一つで、彼は、秩序正しく行動する習慣や慣習は文化的遺産であるとし、通貨システムは市民システムの共同作業の象徴であるという考えを述べた。そして、ファシズムの象徴はファッス、すなわち束であり、個を超越するこの束に対してはだれもが権利を持ち、どの市民もが形成に参加する社会的資産や国家の経済的繁栄からは、だれもが施し物、慈善ではない分配にあずかる権利を持つ、という考え方を述べた。」
「彼は、『ジャパンタイムズ』『ジャパンタイムズ・ウィークリー』『イル・メリディアーノ・ディ・ローマ』に頻繁に記事を書くようになっていた。ストックが日本のパウンド研究者、児玉実英の協力によって得た資料をもとに書いているところによると、七月に『ジャパンタイムズ』に載った寄稿で、パウンドは、ヒトラーの戦争目的が基本的には正当であり、チャーチルはロスチャイルドの店番に過ぎないとしているという。」
「さらに、八月に『ジャパンタイムズ』に掲載された寄稿では、彼は「現在のヨーロッパでは、民主主義国家はユダヤ人によって支配される国家であると定義される」と書いた。ストックは、こうした論調から、パウンドのナチズムへの接近がうかがえるとしている。」
「パウンドは、イタリアとアメリカが戦争するのと同様、日本とアメリカが戦争をするのもばかげたことであると考え、日米関係が緊張する中で、アメリカが譲歩しなければ戦争は回避できないという見方をしていた。そうした考え方は、日本やイタリアの立場を擁護するものであったが、それよりも彼は自分の母国が戦争に参加しないこと、また戦争が世界規模のものに拡大しないことを願っていたのであろう。」
「一九四一年一二月七日、彼は、ローマ放送で孔子や通貨制度の改革、ユダヤ人問題などについて語り、ルーズベルトはユダヤ人の手中に握られていると述べたり、アメリカを救うにはファシズムはすぐには役立たず、通貨改革によるのが最もよいなどとする考え方などを述べた。日本軍が真珠湾を攻撃したのは、その日であった。放送が終わったあと、彼はアメリカの通信社の知り合いの記者に会いに行き、アメリカの参戦を知らされた。」
「この放送で、パウンドは、多彩なテーマについて語った。一月二九日に、彼は、アメリカと日本の戦争が「三〇年戦争」になるのではないかと語り、二月三日の放送でも「三〇年戦争」という言葉を使った。彼は、そうした「三〇年戦争」に巻き込まれたのは、アメリカの精神が堕落したためだという認識を示し、一八六三年(奴隷解放布告、リンカーンのゲティスバーグ演説、国立銀行法制定の年)以来、「過去八〇年にわたって、アメリカは経済的、政治的梅毒に侵されてきた」(7)と南北戦争後のアメリカの発展の意義を否定した。」
「彼は、「ラジオを通じて話すこと自体は、それがどこで行われようとも、反逆罪にはなり得ないと考える。それは、話された内容、動機によると考える」と主張した。そして、ローマ放送を通じて話すに当たって、自分の良心やアメリカ国民としての義務に反することが要求されてはならないという条件が守られているとし、「この戦争に関して、私は戦争を次々と連続的に起こすシステムに対する抗議以外は述べていない」と書いた。さらに彼は「人間の義務は知識と共に増す。アメリカとイタリアの戦争は奇怪であり、起こってはならなかった。そして平和は平和でなく、次の戦争への前奏でしかない。だれかがこれらのことをとりあげなければならない。自分の知識が部分的であり、自分が判断の誤りを犯す可能性を認めながら」と書いた。」
「歴史の中のエズラ・パウンド」:http://www1.seaple.icc.ne.jp/nogami/epihc.htm
サイト:http://www1.seaple.icc.ne.jp/nogami/FMTP.htm
「歴史の中のエズラ・パウンド」
プロローグ 敗北の日
第1部 世紀末
第1章 フロンティアとギルデッド・エイジ
第2章 ロンドンのアヴァンギャルドたち
第3章 ジャポニスム
第2部 モダンエイジ
第4章 アメリカの20世紀
第5章 ロンドンのモダニズム前夜
第6章 イマジズム
第7章 ヴォーティシズム
第8章 大戦
第9章 社会信用論
第10章 パリのアメリカ人
第11章 ラパロの詩人
第12章 嵐の30年代
第13章 第二次世界大戦
第3部 戦後
第14章 ゴリラの檻と精神病棟
第15章 統合を求めて
エピローグ 二〇世紀のモノローグ