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(回答先: 北朝から、南朝になったのか「“自称”南朝」になったのかはわかりませんが(笑) 投稿者 あっしら 日時 2004 年 2 月 06 日 18:30:03)
あっしらさん、お久し振りです。レスありがとうございます。
10月頃だったかな、失礼なレスを書いてしまったので、遠慮していたのですが、いつかレスをつけて欲しいなとおもっていたんですよ。
個人的には、私は経済はど素人なので、円とドルのスレッドあたりで、世界的に銀本位制から金本位制へと世界のトレンドが移っていく中での日本の一連の動きといったような観点からコメントしていたければうれしいナと思っていましたが、あの頃はなんだかいろいろとお忙しかったみたいで、、、。
実は、あのスレを建てる前に、以前あっしらさんが書かれた金本位制の文章を読み返したかった(皆さんにも紹介したかった)のですけど、今も見つけられずにいます。
ところで、明治天皇すり替え事件の件ですが、ご紹介いただいた文章は以前読んだ記憶があります。(阿修羅ではなく、2チャンネルだったと思います。)
それらのネットや書物の議論内容に関して私が不満だったのは、議論のされ方が、「どこそこにこんな文書があった。こんな話がある。はたしてこれらの話は本当なのか。」といった次元で語られていたことでした。
しかし、こんな陰謀話についてそうそう明確な文書等が残っているわけもなく、そのようなアプローチでは、単なる与太話・トンデモ話に終わってしまうのではないか、と思っていました。
この話は、もっと明るいところへ引きずり出して議論する必要がある。そして議論のポイントは、SilentTearsさんが言われるように「今から思えばどちらでもいいじゃないか」と思われる当時の水戸学の南朝正統論の中身を現代人なりに理解し、そしてそれが当時どの程度日本に普及し、どのような形で幕末の志士達に理解されていたのか、といった明治の成り立ちといった観点から考える必要があるのではないか〜と。
もちろん、さらには個人的には、「それらのことどもが当時どうイギリス人から見えていたのか」ということを、日本人がイギリス人の身になって想像してみることが、これからの日本人の頭を冷やす重要性なポイントになる、ということをも付け加えたい、と思っていました。
<南朝系に変わったというより、「自称南朝系」の人物が天皇になったといったほうがいいと思います。>
同意です。(私もどこかでその文意を入れたつもりだったけど、今見あたりません)
<京都の公家勢力が分裂していたことと公家の他力による自己保身が、そのような結末になった要因ではないかと思っています。>
確かにあのやり口は公家的な匂いが濃いですね。このあたりのリーダーシップは岩倉が取った可能性が高い。
戦後の話に話題を変えたいと思います。
戦後天皇制が廃止されなかった理由として種々言われていますが、私は以下のような光景を妄想しています。(一部あっしら語を使っています)
戦後占領してきたアメリカ人がこの天皇制というカラクリ舞台の裏側を覗いたときに、「結構良く出来ているじゃない。明治からこれを育ててきたイギリスはやっぱり世界の支配者の先輩としてさすがの腕前だったんだ。宿主の脳味噌に上手に入り込むというお手本のような出来栄えだ。戦後もこれを壊さずとも、ちょっとした手直しをするだけで、十分使えるヨ。そのほうが、戦後支配の方法論としては、効率的だヨ。」〜と思わずその出来栄えに感歎したことが、きっかけではなかったのか〜と。
宿主というビーイクルへ乗る主役の乗り手(寄生者)が代わっただけで、基本的な構図としては、ほとんど変わるところがない。
制度の絵図面としての大日本帝国憲法も、原本はおそらく英語(あえてドイツ語ではなかったといいたい)でドラフトが作成され、それを伊藤がしかめつらしい文語の日本語に翻訳させた、というのが大柄な真実でしょう。現在の日本国憲法と成り立ちの骨格がそっくりです。ただ大日本帝国憲法は、文語体で書いてあるので、元が英語で買いてあったということが現代人には分からないだけなのだと思います。
雑談めいて話題があれこれ飛んでいますのでここらあたりで失礼します。