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『恋愛と贅沢と資本主義』(講談社学術文庫(1440)・ヴェルナー.ゾンバルト著・金森誠也訳・1150円):
小説家村上龍氏がものにしそうなタイトルで、ちょっと洒落た気になる経済史の書籍である。
著者は、『Re: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:「近代経済システム」とグローバリズム 《国民経済と経済主体の対立》 〈その14〉』( http://www.asyura.com/2002/dispute2/msg/152.html )で、『ユダヤ人と経済生活』(邦訳書:金森誠也監修・訳/安藤勉訳:荒地出版社:6,800円)を紹介したドイツの経済・社会学者ベルナー・ゾンバルトである。
ゾンバルトは、同じドイツのマックス・ヴェーバーと同時代でかつ同分野の学者である。
ヴェーバーのやや後を走っていた人だから、ヴェーバーの業績を強く意識していたことは間違いないだろう。
私はゾンバルトをヴェーバーよりも数段高く評価するのだが、日本の大学でゾンバルトが研究されているのかどうかもわからないほど埋もれてしまっている。
『ユダヤ人と経済生活』という今になっては“危険”なタイトルの書をものにした学者が、戦後世界であまり顧みられなくなるのはむべなるかなとは思っている。
それと同時に、抽象的な論理体系を好むアカデミズムにおいては、理念型なる分析及び説明手法をうち立てそれにおいてゾンバルトよりも優るヴェーバーが評価されるにも理解できる。
ゾンバルトの『恋愛と贅沢と資本主義』は、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と好対照の資本主義経済形成要因論である。
「資本主義は禁欲と勤勉を旨とするプロテスタントの行動倫理によって形成された」と捉えるヴェーバー学説は日本でもよく知られている。
それにオチャラケではなく真っ向から異を唱えるかたちになっているのが、『恋愛と贅沢と資本主義』である。
“風が吹けば桶屋が儲かる”ではないが、「配偶者外との性愛のはびこりが資本主義形成につながった」という論である。
『恋愛と贅沢と資本主義』と『ユダヤ人と経済生活』を結合すると、ゾンバルトの資本主義形成要因論は、「資本主義は贅沢とユダヤ的制度によって形成された」と総括することができる。
“風が吹けば桶屋が儲かる”を簡単に説明すると、性愛がはびこれば、愛人のために住まいを買い与えるケースが増える、愛人はそこに主を魅き入れるために衣装や室内装飾に贅を凝らし趣味のよさを競う、そのファッション(流行)が世の女性を魅了するようになり、世の中の金持ちみんなが贅沢にお金に支出するようになる、こうして、女性が好む贅沢に応えるかたちで資本制的工業が形成され発展したという見方である。
(アビニョンのカソリック教皇庁が宮廷享楽生活の始まりであり、ルイ王朝でそれが最高度に“洗練”され、それを各国の王家が模倣したという。また、そのような享楽生活の原資は徴税と間接的なものを含めてアメリカからの“上がり”である)
そして、王侯貴族が“恋愛と贅沢”の主人公であったものが、資本主義の発展とともに市民(ブルジョワ)も王侯貴族の趣味趣向の世界に仲間入りするようになり、市民と王侯貴族の立場が逆転するなかで“近代的な恋愛と贅沢”の様式が形作られたとする。
(貴族に憧れを抱いていた市民が、経済的力を持つようになるなかで貴族の地位を買った(カネを欲した王家が売ったのだが)ことも指摘されている。英国貴族の多くが新興成金であり、リーズ公爵は貧しい商家の手代だった人物、ノーサンバランド公爵は薬局の番頭、あのダイアナさんの家であるスペンサー伯爵も市民がカネで買った貴族であることが示されている)
このようなゾンバルト的資本論を知って、プロテスタンティズムから解放されてホッとしたというかそうだそうだと思った人も多いのではないかと推察する。
既に成熟期に入りバブル時代の狂宴も経験した日本人は、活発な恋愛活動が生み出す需要の大きさを知っている。必需品や利便品がほぼ充足している物余りのなかにいるから、贅沢品こそが経済を活発化させるという論は“禁欲”よりもすっと腑に落ちるはずだ。
ゾンバルトとヴェーバーのどちらの説が妥当かと問われればゾンバルトと答えることになる。
ヴェーバーのために補足説明をすると、ヴェーバーは供給側に重点を置き、ゾンバルトは需要側と制度に重点を置いたと言える。
耳にタコの読者もいるかも知れない「供給→需要」論理は資本主義確立後に働くものであり、資本主義形成期では「需要→供給」論理が有効性を持っている。
買ってくれる人がいなければ、手の込んだ物を作ってもしかたがないし、輸出が増加しない限り余剰貨幣の保有者である王侯貴族からせしめなければ利潤も得られないからである。
ゾンバルトとヴェーバーの二人に敬意を示すかたちで、「資本主義は、貴族の贅沢に禁欲で勤勉な人たちが労働で応えるなかで形成が始まり、金融・商業に長けた国際金融家・商人が制度をつくり上げつつ発展させていった」とまとめてみたい。
『恋愛と贅沢と資本主義』は、贅沢の消費地である大都市の成り立ちについても面白い考察をしている。
それは、大都市居住者で金持ちの大半が「国債利息」を主たる収入源にしているというものである。
このまま進めば、ポスト産業資本制の大都市も、先祖返りのように「国債利息」を得る金持ちが贅沢を謳歌する地になると思われる。
今では大っぴらに語られることのない内容も含んでおり、広瀬隆氏の「赤い楯」よりも面白く読めるかもしれない書である。
「赤い楯」や『ユダヤ人と経済生活』と違って分量も価格もほどほどだから、興味を抱かれた方は是非ともご一読を...