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(回答先: Re:続・日米の「愛人関係」 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 24 日 22:50:06)
あっしらさん、今回のレスを読んで投稿してよかったと感じます。あっしらさんが、独特の硬い言葉遣いのなかで志向しているものが、我々庶民の側に立脚している点が確認できたからです。
これは一読者としてのお願いですが、今後、もう少し砕けた言い回しへの翻訳を工夫されると、より阿修羅読者(有意の庶民)の理解が進み、議論もはかどると思います。
あっしらさん:「日本を拠り所に生きていることもあり、私も、日本が歴史的に内在させてきた“力”の顕在化が今後の世界を変えうると思っています。ただ、その“力”が時々刻々と衰えているという思いも強く持っています。」
同じ思いでいます。国民精神の衰退は目を覆うばかりです。敗戦のツケ(「敗戦責任」の取り方のまずさ)は本当に大きいといわざるを得ません。明治維新のとき、江戸鎖国体制が「過去の否定=因習にとざれた封建社会→脱亜入欧バンザイ」となったのと似た回路で、ほんとに日本人は懲りない国民だなあ、と思います。
とはいえ、経済しか頼るものがないなら、その経済に「日本が歴史的に内在させてきた“力”」を託す方策を探るしかないでしょう。
現在、マネーの濫発が逆に国民経済レベルでのマネーの回転(フロー)を鈍化させ、デフレ現象を蔓延させています。有限の資源との交換を前提とした貨幣が無限に増殖していけば、原理的には貨幣価値が希薄化していくはずなのに、なぜ貨幣価値はあがってるの?
道理は簡単。大量に死に金が仕舞い込まれているからです。リゾートの離れ小島やアルプス、庶民のタンスや危ない人たちの地下金庫、お金は「それぞれの理由」によって退蔵され、居眠りしています。
もちろん湯水のごとく、こうしたお金が市場へ出回れば逆の意味で危険ですが、いずれにしても、”彼ら”としては、現ナマと死に金をうまく按分すること(=いかに金を使わないか)で現体制を維持してきました。現ナマは、死に金に比べれば量的に微々たるものですが、庶民は背に腹変えられず、少ないパイを奪い合うしかありません。
日本には1400兆円もの金融資産があって、国債残高をいますぐ帳消しにしても余りある巨大な資金が眠っています。”彼ら”は鵜の目鷹の目でこの果実を狙っています。ところが最近評判の悪い抵抗勢力や土地がらみの危ない面々が、本人たちの意図はどうか知らず、結果的に水際の防波堤の役目を果たしてきました。
でも、下駄屋の倅の詭弁にほだされて民営化してはいけない郵貯を民営化したり、証券化してはいけない不動産取引を証券化したりの誤った政策がこのまま進むと、それこそ日本は隷属化の道を邁進することになります。我々は抵抗勢力や地上げ屋さんを、「日本が歴史的に内在させてきた“力”」として再評価する目を養わないといけません。その上で、上も下も、表も裏も納得の行く1400兆円の使い方を構想していく必要があります。私は、そのひとつの手がかりが、日米の「愛人関係」の正常化(笑)と江戸時代の鎖国(限定的開国)体制の見直しにあると思っています。
あっしらさん:「(西欧や米国は、江戸期のような生活様式が近い歴史として存在せず、“彼ら”との接触密度も高いことから、アンチテーゼとして立ち上がるのは難しいとみています。ドイツや東欧には期待しているところもあります。逆説的に言い方にもなりますが、日本に近代市民意識がそれほど確立せず近代的理性に基づく説明体系もものにされていないことは、不幸中の幸いだったと思っています。「利口の壁」が低いという意味です) 」
ドイツや東欧というのは面白い視点です。確かに彼らの精神文化にはケルトやゲルマン、つまり非近代的で汎民族的な古層に通ずる背景があります。ただ、ドイツを見ていると、分断政策のあおりで東というお荷物を背負い込んだり、フランスと付き合いを良くせざるを得なかったり、ドイツ銀行がシティバンクに吸収されたりといった状態で、日本と同じく「ゲルマン魂」の発揮しにくい、非常に困難な状況に置かれていますね。この辺はどう見ますか?
あっしらさん:「現在の発展段階でどういう政策をとれば、企業も高額所得者も低中所得者もいい目に会えるのか、そして国家財政も破綻しないで済むのかをリアルに示すことで、世界の潮流に棹を差すことができると思っています。
そして、その認識は、さらに進んで「開かれた地域共同体」を志向する萌芽になるとも思っています。逆に言えば、現状の潮流のままで「開かれた地域共同体」を志向する動きは多数派のものにはならないと思っています。 」
この辺はあっしらさんの面目躍如たる部分ですね。確かに過渡的な時期における経済政策というのは重要なブリッジになります。何事も一足飛びには進みません。前回の「宿題」とも密接にかかわる部分ですので、更なる展開を心待ちにしています。
あっしらさん:「(暴力による強制には有効性があるかもしれませんが、それは「欲望解放」を最大の儲けのネタとしている支配層には採り得るものではなく、タナトスのなかにエロスを見出すものの繁殖を促し自分たちを危機に陥れる可能性もあります)
与えられた条件を否定し生きる条件を新たにつくりだそうとすることが理想だとすれば、理想を失った人たちは、与えられた条件のなかに理想を捨てる言い訳を見つけ出し、それを支えにエロスを追求することになるはずです。
理想を捨てきれなかった人たちは、理想を抱え続けることにエロスを感じたり、理想を抱くことを理想化する方向に進み、現実のなかでエロスをまっとうすることを忌避する態度に陥ったりします。
エロスをまっとうしながら理想を現実化せんとする構えを持ち続けることの難しさはわかっているつもりですが、そのような生き方が“普通”にならなければ方向転換は無理だと思っています。
支配層が欲望を成就する姿に憧憬を抱いてもらうことこそが、“彼ら”の「庶民層を自分達の感性に引き寄せ、手段化された庶民層がそうは受け取らずに自由意志で目的的に生きているという“錯誤”で喜々として手段化される道を歩む仕掛け」を確かなものにする決め手です。 」
この辺の展開も人間性への深い洞察が滲み出ていて、異論がありません。とくに、「エロスをまっとうしながら理想を現実化せんとする構えを持ち続けることの難しさはわかっているつもりですが、そのような生き方が“普通”にならなければ方向転換は無理だと思っています」という謙虚な姿勢は、非常に信頼に値する言明です。
このような知性的態度が、現状を踏まえつつ前進していくためのブリッジ的な経済政策→開かれた共同体という辛抱強い展望につながっていくのだと思います。そうでないと、思考を他人の頭にあずけて、救われない人々への布教活動に出かけるような人になってしまいます。あるいは地獄の沙汰も金次第、「マネーの虎」のパネリストや参加者として世間に醜態をさらしたりします。
あっしらさん:「日本の支配層が、前述した態度ではなく、理非と損得を明確に説明しなおかつ協力関係を確固たるものにしようとする存在であれば、日本を正妻にしてもいいと思うかもしれません。しかし、現状の態度を見せる日本を正妻にしたいとは思わないでしょう。
「おいおい、こいつ大丈夫かよ」とか「目が覚めると何をするかわからない」と考えて、重宝な妾として扱い続けると思っています。 」
おそらく21世紀中には姻戚関係に入れないかもしれませんね。千ウン百年の古代が現存して生きている国の「わびさび」の精神が、経済構造までに深く浸透している事態など、先祖様はそれなりに古いが、近代という洗礼によって過去と決別した「つもりになっている」人種が作り上げた人工国家にたやすく理解されるわけがありません。それだけに今後の日米関係というのは世紀の見物だと思います。
あっしらさん:「深層に横たわる国民性がそう簡単に消え去るとは思っていませんが、「日本は戦略が欠如しているからダメだ、西洋的な(あるいは中国的な)戦略に学ばないと生き残れない」という理屈が、日本的エロスを圧殺したり歪める恐れはあると思っています。 」
あっしらさん、大丈夫ですよ。いまでも、近代にあまり洗脳されていない庶民は平気な顔でしのいでいます。それは私の周りを見てもそうです。問題は洗脳されすぎて、名誉白人になったつもりの、いわゆる文化人や指導層のほうです。それも世代交代によって、かなり自然なかたちで変わっていくのではないでしょうか?(少なくても私はそう希望します)
あっしらさん:「日本人の心性にぴったりくるのは「開かれた地域共同体」だと思っていますし、西洋や中国の人たちも、それを論理として納得し、そこで生きることを通じて日本人的心性を醸成していくことになると思っています。 」
ほぼ同意します。ただ中国はどうかなあ、という疑念は拭えませんが。
あっしらさん:「イスラム世界の「近代化」を終えるか、それに失敗したときが、米国の借金踏み倒しの契機になると予測しています。
9・11以降に顕在化している世界の動きは、米国支配層が米国(米国の支配層ではなく)の自爆も厭わない決意で取り組んでいるものだと思っています。 」
おそらく、このままイスラムが「挑発」に乗ってしまう可能性が高いですね。彼らには不幸なことに参照すべき「近代の体験」が欠落しています。
あっしらさん:「BISも「抜本的な通貨制度の改革」を考えています。それは間違いなく戦後世界を動かしてきたドル国際基軸通貨制の終焉です。
イスラム世界の「近代化」とポスト産業資本制世界の制度構築を同時並行的に進めていくのが現在の“彼ら”(その知的執事)の役目です。」
さすがに見取り図を描く側はしたたかですね。私はいつも思うのですが、あたう限りの想像力とディテールによって、”彼ら”の視点から描かれた映画やアニメが見たいですね。あっしらさんもどこかでおっしゃっていましたが、”彼ら”とは同じテーブルで話をできる日がそう遠くない将来に訪れるのではないでしょうか?なんせ、”彼ら”にとって最後の障壁は、何を隠そうこの国なのですから。