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(回答先: “彼ら”との対話機会が訪れることを願っています(笑) 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 26 日 00:06:47)
あっしらさん、こんばんは。
あっしらさん:「概念的な言葉を柔らかくする能力に欠けていることと、まっくすさんに対してまだ身構えているところがあるのがその一因でもあるのなかと思っています。」
対話を重ねるうちに、自然と普段着の話ができるようになっていけばいいと考えています。私に関して言えば、身構える必要なんてありません。私はざっくばらんに話しているつもりだし、これからもそうつもりです。
あっしらさん:「ものすごく好意的に言えば、「構造改革」を叫んでいる小泉首相も、改革派を気取り抵抗勢力とせめぎ合いをしているように見せることで、“彼ら”に手を突っ込まれる防波堤の役目を果たしています。実行力(官僚を動かす力)がない竹中氏を“要職”に就ける芸もたいしたものです。
普通に考えれば自民党主力政権を維持するための“お芝居”ということになりますが、理念主義の民主党よりはまだ救いがあると思っています。」
小泉さんに関しては、いまだにバカなのか利口なのかわかりません。確かなのは彼が時代に要請された、もっというなら、現在のねじれの時代のみで活躍可能な「壊し屋さん」であることです。
彼が途中で投げ出したものも含めて、後かたづけと再構築は後世に託されています。まあ、そのためには、いったいどこまでひどく壊されたのか、壊されていないのか、ひとつひとつ検証していかねばならず、それだけで大変骨の折れる作業ですが・・・
「日米愛人関係の正常化」も「鎖国体制の見直し」も、大きな意味ではこの文脈に入ってくるだろうと思います。
あっしらさん:「『日米の「愛人関係」の正常化』は無用な軋轢と過剰な奉仕を避けるための“生きる術”だと思っていますが、『江戸時代の鎖国(限定的開国)体制の見直し』は、『開かれた地域共同体』につながる重要なものだと思っています。300を超える地域国家(そのなかに万の『開かれた地域共同体』)が250年以上も戦火を交えることなく共存し、ゆっくりながらも着実に生活条件を上げていった江戸期は世界に類をみない“歴史”だったと思っています。もちろん、かつてのどこかではありませんが江戸期を“地上の楽園”だと言う気もなければ、それを再現することもできなければ再現を追求する必要もありません。」
今後のメイントピックはここらに「選択と集中」していきませんか?
たとえば、私は通貨的に「開かれた鎖国体制」を構築する方法を考えています。詳述は避けますが、原理的にいえば、既存の通貨を外交・貿易手段として用いることで外に開き、国内に国内のみで通用する別の通貨体系を作って内に閉じる。これによってフローとストック間の、またローカルとグローバル間の不均衡を是正する、というイメージです。
重要なのは、円と新しい通貨を相互に独立して存在させず、一種の為替を通じてリンクさせる点です。庶民の視点からいえば、"彼ら"の魔手が及びにくい安心な通貨が新たな選択肢として加わることになります。このような通貨構想についてはどのようにお考えですか?
あっしらさん:「ケルト共同体が古代に壊された西欧(ライン川西域と英・愛など)と近代の入り口までゲルマン共同体が残った地域は国民性に違いがあると思っています。
さらに、カソリック−プロテスタントが浸透した地域とギリシア正教及びイスラムが浸透した地域も国民性に違いがあると思っています。
ロシアのミール共同体などは“農奴制”という烙印が押され専制支配で奴隷的に生きるしかなかった悲惨の極みのように言われていますが、そこに息づいていた共同体性は捨てたものではないはずです。」
この辺は私の不勉強で、意味のある応答ができなくて申し訳ありません。ただ、あっしらさんが「共同体性」という言葉に籠めている内実は相当重いものだと感じます。「開かれた地域共同体」の場合もそうですが、本質的には"彼ら"の「対立と分断」「双頭戦略」へのアンチテーゼとしてなる世界像なのだと思います。たとえば、ミール共同体の「共同体性」とはどんな意味で「捨てたものではない」か、ご説明願えるでしょうか?
あっしらさん:「ドイツについては、日本とともにアンチ・テーゼの一つになり得る底力をいまだ持っていると思っています。ドイツ人特有の現われとして理性的に捉え直す過程になるんでしょうが、19世紀から20世紀初期にかけて蓄積した考察の見直しがそれを支えることになるはずです。
ドイツが立ち上がるかどうかは、ナチス(第三帝国)時代をどう総括し直すかにかかっているように思われます。ヒトラーがかけた呪をいかにして振り払うかが課題です。それをやり抜けば、後は早いはずです。」
ドイツは気になる国です。「欧州の日本」という気がいつもしています。「ヒトラーがかけた呪をいかにして振り払うか」は、日本の場合でいう「敗戦責任」あるいは戦争の具としての「皇国史観」の呪いを解くのと似た意味があると思います。
あっしらさん:「日本の心性で“彼ら”の精神的基盤を全面的に受け入れ、日本の智恵で“彼ら”の智恵を超えるものを紡ぎ出せば状況が変わるはずです。(“彼ら”の心性を拒絶することからはそこに到達できないと思っています)」
ここはグッと来るステートメントでした。どこかの「茹で蛙」の人に聞かせたいせりふです(笑)。
「“彼ら”の心性を拒絶すること」は私にもできません。むしろ「“彼ら”の心性」が不可解(頭で理解しても気持ちが向かわないという意味です)であればあるほど、「多様性の社会」などいう空言でメシを食っている日本人の「心性」が頽廃してきているのを感じます。向こうは非常に頑強で、こちらは何だか柔らかい。ベースには、(何だか和辻みたいでイヤですが)砂漠・荒れ地と森の違いがあるんでしょうかね?
ユダヤは土地を持たないことから(唯一神に究極する)抽象能力を深化させた。彼らに風土はやさしいものではありません。アングロサクソンの土地は枯れている。余所から奪わないと豊かさにありつけません。そこでは、すべてをプロセスとしてゲーム(獲物)化する知恵が発達した。
片や日本は、基本的に風土が人にやさしい。もちろん放っておけば森がせり出してきて、とても里山なんぞ存在し得ない。そこで「手入れ」する発想、技術が高度に発達した。
どうも人間は自然を含めた「身体」を再考しないと、この先行き詰まるような感じです。
あっしらさん:「“彼ら”は果たして、ここまでに作り上げた世界の重みに耐える智恵を持っているのでしょうか?これにすごい関心を抱いています。それを確認したいという思いが“彼ら”との対話を求めさせます。」
その節は私も是非参加させてください(笑)。いまのところ「ここまでに作り上げた世界の重みに耐える智恵」は見えません。逆に、あちらが「世界の重み」に耐えかねて、最も安易な「破壊と創造」のビジネスに活路を見出しているようです。
あっしらさん:「冗談で過激なことを言わせてもらえば、人口に占めるエリート気取りの5%ほどが自分で穴を掘ってそれに入ってくれれば、庶民が否応なく物事を考え判断しなければならなくなり、瞬く間に日本は変わるはずです。」
同意します。「否応なく」という部分が重要ですね。まだ「落ち方」が足りないと思います。行き着くところまで行かないと腰を上げない国民性には辛抱して付いていくしかないでしょう。
あっしらさん:「イスラムが「挑発」に乗ってしまう可能性が高いことには同意します。
そして、イスラムはイスラムなりの心性と智恵を持っているので、勝てないとしても負けない戦いをすると予測しています。(まさか、心あるムスリムを皆殺しにするわけにはいかないでしょう)
残念ながら泥沼の殺し合いになるこの戦いも、日本(人)が心性を大きく回復させることになるだろうと思っています。」
この見解にも異論はありません。私は一時期アラブ人と一緒に英語を学んだことがあるのですが、あの宗教的なこわばり(よくいえば、真面目さ)には辟易しましたが、それ以外はフランクで付き合いやすい人たちでした。日本人に対しても概ね好意的です。
あっしらさん:「米国という国家社会を模範(悪)とする習性が日本のエリート層には強くありますが、“彼ら”がポスト産業資本制の世界としてイメージしているのはEUだと思っています。」
EUはアメリカの次なる「実験場」であり、アメリカがダメになったときの「待避所」でもあるでしょう。大きな意味ではみんなお仲間なので、どっちに転んでも、このままだとやるせない感じです。
あっしらさん:「“彼ら”の洞察力や活動力そして信念は並々ならぬレベルにあると思っています。エリート層は、そこから発信される被支配者向け“説明体系”を必死に吸収しようとしています。そうである限り、“彼ら”を出し抜くことも超えることもできないどころか、まともに対応することもできません。「日米の「愛人関係」の正常化」を達成すれば、“彼ら”も話のテーブルにつくかもしれませんね。」
私も基本的には、日本の指導層やエリートの「復活」を信じています。藤原律令時代に淵源する伝統が、たかが60年で崩れ去ることはありません。何度も繰り返すように、行き着くところまで行けば(そんなに遠い先の話ではありません)、強大な勢いで蘇生が始まるのではないでしょうか?
同じテーブルに着くには、まずもって何か強力な交渉の武器を持たねばなりません。やはり(という接辞が膨大な可能なる選択肢を飛び越えますが)、国富を担保とした「共同体」的通貨(地域通貨とは似て非なるもの)しかないのではないでしょうか?
日本は隅々に米軍基地が置かれ、国際法を純粋に解釈すれば、いまだにアメリカ(連合国)の占領下にあります。自主憲法を言い出す前に、まずやるべきことは貨幣改革だと思います。