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メル・ギブソンの映画をめぐるバチカンのドタバタ劇:イタリアのサイト“L’espresso”英語版より
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/913.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 2 月 26 日 21:16:33:SO0fHq1bYvRzo
 

メル・ギブソンの映画をめぐるバチカンのドタバタ劇

バチカン、アメリカのカトリック会、そしてADLを始めとするユダヤ人グループの中に大騒動をもたらしているメル・ギブソンの映画「情熱(The passion)」ですが、これくらい世間が騒いでくれたら大当たり間違いなしでしょう。泣く子も黙るADLも今度ばかりは茶番劇のピエロだったようです。ついでにユダヤ人グループの間にあるさまざまな亀裂を表面化させるかもしれません。

ここで、バチカン内部のドタバタ喜劇について書いた、イタリアのサイト“L’espresso”の英語版の記事を一つご紹介します。以下の私の拙訳をご覧ください。またこの投稿の終わりに原文のUrlを載せておきます。これは英文記事ですので各自でご確認ください。

なお、この文章の中に登場する人物で、バチカン広報室のディレクターであるホアキン・ナバロ・バイュス、メル・ギブソンのアシスタント・ディレクターのジャン・ミチェリーニ、そしてその父親のアルベルト・ミチェリーニの3名は明らかにオプス・デイの会員、またローマ教皇の個人秘書スタニスラフ・ヅィーヴィッツもオプス・デイの会員または非常に近い筋とうわさされる人物です。さらにアルベルト・ミチェリーニはベルルスコーニ与党の国会議員でありベルルスコーニの信任厚い人物で、バチカンとも極めて近い筋にあたるようです。

バチカンの内部には、極端な親ユダヤ派(代表格がドイツの枢機卿でキリスト教徒ユダヤ教の融合に狂奔するワルター・カスパー)や、同じ親ユダヤ派でもカスパー一派とは対立するオプス・デイなどの会派、中道的なイエズス会やフランシスコ会、ユダヤ派を快く思わない伝統主義派などが混在しており、恐らく裏でさまざまな暗闘が繰り広げられたことと思います。

カトリック界では、上へ下への大騒動の末に、結局は「この映画は神からの贈り物」ということになったようですが、このように製作自体から何ともウサン臭い連中が絡み、さらにギブソンの父親の「ホロコースト否定発言」からバチカンのADL門前払いまでと、なんともにぎやかな話題が続きます。ただ、この映画の製作に始めからオプス・デイがからんでいたとすれば、ギブソン家は本来ならオプス・デイとは仲の良いはずは無いカトリック伝統保守主義ですから、その関係にはもっと奇妙さが漂います。メル・ギブソン自身がオプス・デイの会員である、とのうわさもあるにはあるのですが、今のところ真相は「闇の中」です。

参考までに:
『ユダヤ人脚本家がメル・ギブソンを熱烈弁護していた』
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/868.html
『「ギブソンの映画は神の贈り物」だそうで・・・』
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/884.html
『メル・ギブソンはオプス・デイとのうわさも』
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/571.html
ユダヤ・クリスチャン連帯、ワルター・カスパーについての資料(英語)
http://www.sidic.org/italiano/inaugurazione/Kasper.htm

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【翻訳開始】

『バチカンの陰謀:「情熱(The passion)」、教皇、そして「再確認」の亡霊』

メル・ギブソンの映画のプレビューは教皇庁を混乱に陥れる。ヅィーヴィッツとナバロは語りそして撤回する。オプス・デイはその役を十分に果たす。そして二つの雷光が天から下る。

Sandro Magister [“L’espresso” no.6, February 6-12, 2004 ]

ローマ:ヨハネ・パウロ2世はやや健康を取り戻したようである。しかし聖庁はそうではない。教皇に最も近い者たちが深い混乱に陥っている。この最近の災難の主人公は、教皇の公的なイメージを最も支配する二人の男である。まず大司教スタニスラフ・ヅィーヴィッツ(写真を見よ)、彼は教皇の個人秘書であり聖庁を切り盛りする完璧な補佐官である。そして、バチカン広報室のディレクターでオプス・デイ所属の僧侶ホアキン・ナバロ・バイュスである。

躓きの石となったのはキリストの情熱を描いたメル・ギブソンの最新の映画である。これはこの騒ぎが持ち上がる以前に世界的に物議をかもしてきた映画である。ヅィーヴィッツとナバロは教皇カロル・ボイティーワを論争の只中に放り込もうと考えた。そしてその引き際の計画を練ったとき、彼らは災難を巻き起こした。彼らは、まさにこの二人が世界に発表していたはずの教皇が語ったこの映画に対するコメントが、実は語られていなかった、と、二人して否定したのだ。順を追って説明しよう。

2003年の12月5日金曜日の午後、ヨハネパウロ2世はヅィーヴィッツと一緒に食堂で「情熱」の第一部のDVDを大画面で見た。次の日には第二部を見た。そしてその次の月曜日、12月8日の無原罪の御やどりの祭日に、ヅィーヴィッツのところに、教皇に試写会を提供した4人の人間がやって来た。それはその映画のプロデューサーである米国人スティーヴ・マッケヴィーティとその妻、メル・ギブソンのアシスタント・ディレクターであるジャン・ミチェリーニとその父親、Tg1【注1】の大立者でフォルツァ・イタリア【注2】の国会議員のアルベルトである。

【注1】 Tg1:イタリアのテレビ・チャンネル。ベルルスコーニが支配する。
【注2】 フォルツァ・イタリア:イタリアのベルルスコーニ与党。

このミチェリーニ親子はオプス・デイの会員の一般信徒である。ジャンは彼の双子の妹と一緒に1979年に生まれたのだが、最初のポーランド訪問から戻ったボイティーワ自らが教皇になってはじめての洗礼を彼に授けた。それ以来、親子は教皇庁と親しく多くの恩恵をこうむっている。製作の間、ジャン・ミチェリーニは十字架のシーンの撮影で「雷光に打たれた」が、彼は教皇がその映画の試写を見た12月5日に再び「打たれ」た。この二つの時点で彼は無事ではいられなくなった。

その会話はイタリアで起こった。ミチェリーニ親子は、ヅィーヴィッツが教皇から承った話を、マッケヴィーティとその妻のために訳した。キーになる言葉は次の点である。「それはあった通りだ」。つまり、その映画は「実際に(キリストに)起こった通りを描いている」という意味である。それはこの「情熱」が福音書に忠実であることへの教皇の全面的な保証を十分に意味しているのだ。

12月8日月曜日、ナバロもまたメル・ギブソンの映画を見た。数日が過ぎそして16日になって、米国で「ヴァラエティー」紙が「教皇はその映画の試写会を見ていた」というスクープを流した。17日には二つの重要な新聞が大きく報道した。「ウオールストリート・ジャーナル」には、米国の最も有名なコラムニストの一人で、カトリック保守派でありロナルド・レーガンの大部分の重要演説の原稿を書いたペギー・ノーマンが、教皇ボイティーワの言葉「それはあった通りだ」という言葉を公表した。彼女はマッケヴィーティから最初に聞きヅィーヴィッツに確かめ、ナバロからのeメイルでさらに確認した事を示した。そして同時に、リベラルな週刊誌「ナショナル・カトリック・リポーター」では、ローマ特派員のジョン・L・アレンJr.が教皇の同様の言葉を「匿名のバチカンの高官」からの情報であるとして報じた。その匿名者は「この映画のおかげで改心する人が増えるだろう」という予測までした。

その次の日、「ロイター」と「アソシエイテッド・プレス」がバチカンの更なる確認を取った。そしてそれはメル・ギブソンの映画にとっての「聖化」であった。12月の半ばまでにはローマ教皇庁の半数がその映画を見て熱狂してしまった。【注3】教皇が試写を見る以前でさえも二人の影響力の大きな人物が極めて好意的な評価を下していた。その二人とは、まず枢機卿ダリオ・カステリリョン・オヨス(彼は「私の説教の総てをこの映画の1シーンに取り替えてもよい」と言った)と、ジョセフ・ラッツィンガー枢機卿の右腕で「信仰の教義委員会」次官のドミニカ人ジェセフ・オーガスティン・ジ・ノイアである。彼は12月8日に国際的な組織「Zenit」との長いインタヴューに応じた。

【注3】超親ユダヤ派のワルター・カスパーはこの時点ではまだ見ていなかったようだ。

ジ・ノイアはこの映画への誹謗者による論争点を覆す。「情熱」は反ユダヤ的なものではない。そんなことは、ごく一部のADLのユダヤ人やアメリカの神父連盟の何人かの頑迷な聖書学者が言うだけだ。それは例えばマリアを演じるマイア・モルゲンスターン自身がユダヤ人であり強制収容所の生存者の娘であることもあるが、その理由の多くは、その映画が、どのシーンも、見る者の心をつかんで動かし、そしてどの人もみなイエスの死に責任がある罪人であると感じさせる力を持っていることだ。次に、「情熱」は、その会話がアラム語かラテン語であるため、分かりにくい。ミケランジェロやカラバッジオの作品のように、そのイメージが雄弁に物語るのだ。それは何の翻訳も必要としない。第3に、「情熱」は感情的ではない。それは健全なカトリックの教義なのだ。「それを見る信者は新たな気持ちでミサに行く」のだ。要するに、「情熱」は映画による福音書の非常に忠実な演出なのだ。だから「それはあった通りだ」である、と。

だから、教皇庁の高位聖職者や神父(その代表はデンバーのフランシスコ会のチャールズ・チャプットだが)、またオプス・デイや「キリストの軍」(Zenitが含まれるが)のような戦闘集団、マイケル・ノヴァックや「クライシス」の編集者ディール・ハドソンのような新保守主義的な権威者、「王であり司祭であるキリスト」協会のような新伝統主義圧力団体、そして全ラテンアメリカをカバーする「アシプレンサ」協会などの大陸カトリックネットワークのような、その映画の全世界の支持者の大合唱の真中に、教皇を据えることが必要だったのだろうか。

いや、この中にヨハネ・パウロ2世を連れてくる必要など全く無かったのだ。このことは、少なくとも他のバチカンの高官たち、特にバチカン秘書部が考えていたことであった。クリスマスイブの12月24日、米国司教会の広報組織である「カトリックニュース・サービス」のシンディー・ウッデンは、「教皇に近い筋」の二人の匿名の高位聖職者の話として、教皇はその映画について何の判断も下していない、ということを報じた。

ところが、1月9日「ナショナル・カトリック・リポーター」のジョン・アレンが再び、問題の語句を教皇が発言したと断言するバチカンの情報源の話を、新たな詳細を添えて載せた。さらに18日には、「ニューヨークタイムズ」紙面でフランク・リッチが、ヅィーヴィッツとマッケヴィーティの会合での「イタリア人の通訳」から英語で聞いた話として、この教皇付き秘書官自らが映画に対する教皇のコメントに「信じがたい」という形容詞をつけていたことを報道した。

誰の話が信用できるのか。バチカンのヅィーヴィッツは追い詰められて最後には自分自身の発言を否定した。1月19日、彼は「カトリックニュース・サービス」に「教皇聖下はその映画に対しては何の評価も下さなかった」そして教皇に言及した事柄は総て「事実ではない」と語った。

もう無茶苦茶だ。ジャン・ミチェリーニは彼の見解を再度強調した。マッケヴィーティはナバロからのe−メール披露してまわった。その中でナバロは彼に、決して心配することは無い、そして、教皇はその決定的な言葉を「何度も何度も繰り返し」言った、と続けていた。「ダラス・モーニングニュース」のロッド・ドゥレハーがナバロからの更なる確認を求めたところ、彼は「ノー」と答えたのだ。彼のマッケヴィーティらへのメッセージは決して彼自身のものではなく偽物であった、ということだ。しかし、それらは総て同じバチカンのメール・アドレスから、それらを「偽物」と否定したものと全く同じメール・アドレスから来ている。そして1月22日、そのバチカン広報室のディレクター(ナバロ)は公式の見解を発表した。「教皇聖下は芸術作品について公的な判断は下さない事を常としている」と。しかし「私的な判断」はどうなのか? はっきりしていることが一つある。公的に大嘘が登場した、ということだ。

L’espresso  www.cheisa [no.6, February 6-12, 2004]
http://213.92.16.98/ESW_articolo/0,2393,42049,00.html

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