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(回答先: 韓中日、歴史めぐり「サイバー三国志」展開 [朝鮮日報] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 1 月 14 日 19:54:48)
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu62.htm
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中国や韓国ではなぜ歴史の改竄が出来るのか。
簡化文字やハングルで歴史や文化の断絶が起った
2004年1月14日 水曜日
◆アジア漢字圏の文字改革
http://www.honco.net/japanese/03/page3-j.html
中国の文字改革は「音」から
中国の文字改革は、清朝末期、19世紀の末から始まった。
漢字には、「形・音・義」という3つの要素がある。「形」は、文字の形、すなわち字形のこと。「音」は、文字の音、字音をいう。そして「義」は、文字の意味、字義である。通常、文字改革というと、字形の簡略化だけを考えがちだが、中国の文字改革は字形・字音・字義の3つの要素をすべて含んでいる。とくに日本の場合と大きく異なるのは、字音の重視である。それは、中国語がきわめて音を重視する言語であることによる。字形は、どちらかというと、従属的な要素にすぎない。
当時、欧米列強や日本の国力増強の刺激を受けて、中国では「富国強兵」をはかるため、教育の普及が叫ばれた。その基礎となる識字教育と文字改革の第一歩は、字音の統一と発音記号の工夫だった。日本では漢字の一部を省略してカタカナをつくりだしたが、中国には発音を表す記号が存在しなかったからである。漢字の字音も漢字でしか表せないので、まず何百字かを覚えないかぎり、永遠に文字を読むことができない。外国人宣教師たちは、自分の母国語の文字を使って表音を試みていたが、中国全体に普及したわけではなかった。
改革はまず1891年に学者の宋恕(そうじょ)が口火を切り、また翌92年にはローマ字をもとにした「切音新字」という発音記号体系が提案された。以後、多くのアイデアが提案されたが、もっとも広く行われたのは王照の「官話(合声)字母」(1900年完成)だった。やがて1913年に「読音統一会」が召集され、18年には漢字の発音符号である「注音字母(のち注音符号)」が公布され、現在も台湾では広く使われている。その後、58年には「漢語ピンイン(ピン音=注)方案」が公布され、中国式のローマ字であるピンインが使われるようになり、77年には国連においても中国の地名を書き表す場合の標準となった。それまで「Peking」と書かれていた「北京」は、「Beijing」と書かれるようになった。
中国の字形簡略化の冒険
字形の簡略化も、清朝末年にはその必要が叫ばれ始めた。だがその歩みは遅く、1930年代の簡体字使用の試みも定着することはなかった。49年に中華人民共和国が成立すると、51年に中央政府教育部から「第一批簡体字表」(555字)が提出され、54年末には多方面の意見をとりいれて「漢字簡化方案(草案)」がまとめられ、56年1月の「人民日報」紙上で正式に公布された。
この方案は、「すでによく使われている230字の簡化字」をはじめ、「修正をへて採用された285字の簡化字」「類推して使用可能な54の簡化偏旁」の3つの表からなっていた。簡化字の字形には民間で広く使われている行、草書体が採用され、さらに同音による書き換え(代替)も行われた。
1964年2月、国務院は「言、食、郷、金」の独立して使われる4字の場合を除き、「漢字簡化方案」中の文字が偏旁となる場合、それを簡略化してよいという指示をだし、さらに5月には、中国文字改革委員会が2238字からなる「簡化字総表」を公表。学校や社会では、この字形が使われることとなった。「簡化字総表」は、偏旁として使用しない簡化字352字、偏旁として使用可能な簡化字132字と14の簡化偏旁、偏旁を類推簡化した簡化字1754字、からなっている。
文化大革命直後の1977年には「第二次漢字簡化方案(草案)」が発表されたが、あまりに極端な簡略化を含んでいたため86年に正式に廃止され、代わって同年10月に「簡化字総表」の新版が発表された。新版には2235字が収められ、いくつかの漢字に対して一部調整がほどこされた。
中華人民共和国の成立後、中国は漢字の廃止に向かって走ってきた。それがようやく一段落し、漢字の有効性や積極的な見直しが始まったのは近年のことである。1986年12月に北京で開かれた「漢字問題学術討論会」には、全国から四十数名の学者、教育関係者などが集まり、言語学、文字学だけでなく、情報論、システム論、認知心理学、実験心理学、神経心理学など幅広い角度からの討論が行われた。
漢字をすてた朝鮮半島とベトナム
朝鮮半島では古くから漢字が使われてきたが、1443年、朝鮮王朝の第4代・世宗によって「ハングル」が制定された。46年には「訓民正音」という名で公布され、公文書は漢文で書かれたが、民間ではハングルが広く流行した。
4世紀余をへて、1894年には公文書の漢文が廃止され、漢字とハングルをまぜた国漢文混用体が使われることになり、雑誌や教科書もこれにならった。さらに、純ハングル体による言文一致の運動も起こったが、1910年の「韓国併合」によって弾圧をうけた。
第2次世界大戦後、大韓民国では1948年10月に「ハングル専用法」が公布され、公文書もハングルで書くことになった。また翌49年6月には、朝鮮民主主義人民共和国で純ハングルの横書き体が採用された。70年代前半には、韓国の朴大統領によって学校教育における漢字教育の廃止が推進されたが、政府は72年に「漢文教育用基礎漢字1800字」を制定し、中学で900字、高校で900字を教えることにした。その字形は、「正字」とされる伝統的なものだった。
すでに若い世代では、自分の姓名すら漢字で書けない状況に対して、識者の間で批判が高まっていたが、1999年2月、韓国の文化観光相は政府公文書と道路標示に漢字を併用する方針を明らかにした。金大中大統領も、「漢字を無視すれば、古典と伝統文化を理解するのが難しい」と述べ、漢字教育の重要性を認めたといわれる。
ベトナムでは、12世紀頃から「チュノム(字喃)」とよばれる独自の漢字が使われ始めた。しかし、中国伝来の漢字漢文が正統のものとされ、チュノムは俗字と見なされてきた。17世紀にやってきたイエズス会の宣教師たちは、ローマ字によってベトナム語を書き表そうと努力し、18世紀にはほぼ現在の表記法が完成したといわれる。1910年代には、「クオック・グー」普及運動が盛んになり、ローマ字化が大いにすすんだ。ベトナムでも、姓名を漢字で書くことがほとんどできない状況だが、韓国と同じく伝統や文化の継承のため「漢喃研究院」が設立され、研究がすすめられている。(後略)
日本語ものがたりのホームページ 紀田順一郎
http://www.honco.net/japanese/index-j.html
◆中国語には文法がない?
http://homepage2.nifty.com/tagi/312.htm
中国語を学び始めて驚いたのは,中国語には文法がないということでした。同じクラスの友人の一人などは,
「何ていい加減な言葉なんだ。たーだ漢字を並べるだけなんだぜ。詩だの韻文なんかには便利かも知らんが,これじゃ厳密な論理構成なんて表現できやしない。俺たちにとっちゃ文法を覚えなくていいからラクだけどな。」
などと憤慨しているのか,喜んでいるのかわからないようなことを言っていたものです。
確かに中国語は,文法(グラマー)が未発達です。一応主語,動詞,目的語の語順に並べるということは決まっているものの,欧米語では当たり前の現在・過去・未来や現在完了・過去完了などの時制も曖昧ですし,主格・所有格・目的格などの格の区別もありません。動詞の語尾変化も,ましてや男性名詞や女性名詞などの区別もありません。ただひたすら漢字を並べるだけ。意味と形が多少違うとはいえ,漢字には子供の頃から親しんでいる日本人としては,まことにしゃべりやすい言語です。
(私のコメント)
日本が西欧の文化を吸収して世界第二位の経済大国になったのに比べ、中国や朝鮮や台湾が立ち遅れてしまったのはなぜかというと、言語や文字に原因があったのではないかと思います。私は中国語や韓国語は全く勉強はした事がないので正確なことは言えませんが、民族的資質は日本人と変わりがないにもかかわらず、どうしてこのような差が出来てしまうのか、私なりの独断を言えば言語と文字に原因があるとしか思えない。
日本語は漢字を文字として受け入れて日本語の中に組み込むことに慣れてきた。だから、新しく英語やフランス語やドイツ語などが入ってきても、カタカナとして組み込むことによって一応は間に合わせることが出来る。欧米語と同じように左からの横書きも出来るからアルファベットをそのまま入れることも出来る。だからコンピューター用語もカタカナや英語をそのままに組み込んで対応が出来る。
ところが中国などでは日進月歩のコンピューター用語などはいちいち自国語で造語しなければならない。インターネットなど最近まで訳語が定まらず「電網」と訳しているが、人名なども当て字が定まるまで時間がかかるようだ。韓国などのハングルは表音文字だけだからどうやって学術用語を翻訳しているのだろうか。
不思議なのは中国人や韓国人のアメリカへの留学生の多さだ。日本でも明治時代からエリートは欧米に留学して学んできた。しかし韓国人留学生は数万人、中国人留学生は20万人もの大勢を欧米に送り込んでいる。本国では高等教育が出来ないために、最先端の技術を習得するためには直接留学せざるをえないのだ。日本では欧米に留学したエリートが日本に帰ってきて、日本語に訳して大学生などに教えてきた。
ところが中国や韓国などでは、他の発展途上国のように最先端の学術分野は英語を直接マスターしてしか技術を習得できないようだ。だからこそ数万から数十万人もの大量の留学生を送り込んで技術者を養成している。最近の中国の発展はアメリカ帰りの留学生が主体となっている。韓国などのハイテクエンジニアはみなアメリカ帰りのエリートで、英語がペラペラなのも当然だ。問題なのは自国でこのようなハイテクエンジニアを養成することが出来るかどうかだ。
中国語や韓国語は文法が未発達で欧米語を忠実に翻訳することは不可能なようだ。韓国語も受身型に当たるものがない。だから自然科学はなんとか翻訳できても、人文科学のような哲学や倫理学といった非常に抽象的な物事を自国語に完全に翻訳することが出来ない。更には中国や韓国は簡略化文字やハングルなどの文字に切り替えたために、現代の若者は昔の本を読むことが出来ない。
日本人は800年前の平家物語を読むことが出来るのに、中国人や韓国人の若者は戦前の自国語の書物が読むことが出来ないと言うことは恐ろしいことだ。歴史や文化からも断絶してしまっているのだ。もちろん多くの本が簡化文字やハングルに翻訳されているのだろうが、翻訳する時に事実を歪めてしまえば多くの人はそれを認識できない。だから日本人と中国人や韓国人とで共通の歴史認識を持つことは容易でないだろう。中国人も韓国人も旧漢字で書かれた書物を読むことが出来ない。
韓国も台湾も日本語で教育を受けた世代がいなくなり、欧米の文化を学ぶには直接英語で学ぶしか方法がなくなった。そのために中国や韓国ではアメリカ帰りのエリートと負け組みに別れてしまって、社会の階層化が出来てしまった。発展途上国は英語でしか高等教育が出来ない現象が中国や韓国でも起きている。
日本人はよく英語が出来ないことを指摘される。いまや、アメリカへ留学する大学生は日本の大学に入れない生徒の受け皿とまで言われてしまっている。もちろんこれは極端な例ですが、日本ではエリートでも英語力は落ちる一方で、英語を一生懸命学んでいるのは日本製品を海外へ売り込むための営業マンたちだ。
現在では日本の経済競争力が強すぎるために円高が止まらない。ところが欧米人にしろ他の外国人にしろ日本への商品の売込みが出来ないのは、日本語が難しいために日本への商品の売込みが出来ない。あまりにも文字が入り組んでで文法も複雑だ。日本語を完全にマスターできる欧米人は僅かしかいない。だから日本の高度な技術や文化がなかなか欧米に翻訳されず、技術や経済格差はつく一方だ。欧米ですら日本に追いつけないのに、中国や韓国が日本に追いつくのは、言語の問題や文字の断絶などで難しいと思う。