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砂嵐も重なって、補給が途絶えた時期でしょうかね Re: 米軍兵士たちの〜
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/879.html
投稿者 ファントムランチ 日時 2003 年 10 月 26 日 23:26:03:oswAM6lqBSCW6

(回答先: Re: 米軍兵士たちの惨状告白 [Scoop/Rense.com]:紹介に感謝! 投稿者 荷電粒子 日時 2003 年 10 月 26 日 12:45:47)

荷電粒子さん、こんばんわ。コメントありがとうございます。

★US Soldiers to America: ''Bring us home now; we're dying for oil and corporate greed!''の記事はCoalition For Free Thought In Media という団体が行なった米軍兵士への独自のインタビューです。いわゆる大手メディアが取材したものではないので、その信憑性は内容を見て判断するしかありません。もちろん大手メディアの報道のほうが、よっぽど信憑性が疑わしい昨今、それらも含めてすべての記事は、他の情報との比較・照合によって読む者がその信憑性を判断すべきですね。

この記事に関しては、退役軍人給付のカットという、兵士にとって個人的に重大な関心事をまず訴えている辺りはリアルですし、精神的後遺症のケアを盛んに唱えている点は、間接的にイラクでの情況の酷さや、彼の記憶に残る殺戮シーンの惨たらしさ示しているように思います。衝撃的な場面の描写はあまり長くはありませんが、警告を無視して、子供たちの存在を知っていながら車隊の残骸にクラスター爆弾を投下した事実関係については、固有名詞を除いて明確に証言されていると言えるでしょう。

★また、荷電粒子さんが注目されたように、私も以下の部分は意外と重要だと思いました。

>CFTM-- 「私は国外のメディアを通じて、食糧が底を尽いた日々にイラク市民たちが手を差し伸べて多くの部隊全体に食物を与えていたのを見ましたが、実際それほど絶望的になりましたか?」

>USA -- 「ええ、侵攻の後に市民たちからの援助を受けたことに関しては冗談でも何でもありません。我々の間ではそれについて、我が軍がどれほど彼らに返済すべき借金があるかというかなり傑作な嘲笑があります。それらの人々から食糧を得ていなければ、我々は恐らく飢えていたことでしょう。そのおかげで我々は機能するユニットとして引き続き行動できる態勢を確立しました。それまで数日のあいだ清潔な水を使い果たしていたので、何人かの部下たちが脱水症でほとんど死にかけていたのを、かろうじて免れたというほどです。」

占領統治下のイラクでも、米軍の食糧や水の確保はスムーズではないようですが、イラク戦争の開始からいわゆる「バグダッド陥落」までの間に、確かに米軍の補給が間に合わず、思わぬ反撃もあって、戦況が停滞した時期がありましたね。「フセイン大統領エージェント説」も興味深い陰謀論ですが、ここでは置いといて(笑)、両軍が本気で戦略をたて、作戦を実行したとすると、

3月20日に侵攻が開始され、クウェートから北上を開始した米軍は、その後の3〜4日間は「快進撃」を続けました。そのとき世間は、戦闘が米軍側の圧倒的勝利でそのまま終ってしまうだろうと見ていましたが、阿修羅サイトなどでは、これはイラク側の戦略かもしれないという見方が早くから指摘されていました。

つまり侵略軍を自国内の懐深く引き付けておいて、兵站が伸びきったときに、側面からの散発的な奇襲によって補給路を断つ。そして孤立した敵の先行部隊が食糧や水、そして燃料不足に陥ったところを主力で叩き、大打撃を与えるというものです。戦力的に劣る防衛側のいわば定石ともいえる作戦ですね。そのためにイラク軍は主要道路や橋をあらかじめ破壊しなかったと言われます。

実際、米国はそれにすっぽりハマリ、しかも数日間の激しい砂嵐も重なって、補給が途絶えた時期がありました。そしてその後も大規模戦闘が終結するまで、補給線はゲリラ攻撃に常に脅かされていました。中部の都市ナシリヤやナジャフなどは、何度も陥落が伝えられたほど、つまり実際はなかなか占領できていませんでした。米軍はそういう意味ではかなり苦戦していたと思われます。

なぜ首都バグダッドの市街戦を放棄する形でフセイン政権が消滅したのがという謎について、腹心を含め部下の戦意喪失と不服従によるものだという説があり、私も大方その線だと思っていますが、その戦意喪失の原因として、推測ですが、その少し前にバグダットの南で対峙するイラク精鋭部隊に対し、米軍がクラスター爆弾をはじめ、戦車・戦闘ヘリ・戦闘機・ミサイルなどのあらゆる非道な兵器を集中投入し、数千人の兵をほぼ全滅させるような殺戮を行なったのではないかと疑っています。

私は民間人の殺戮についての米軍兵士たちの証言ももちろん重要だと思いますが、同時に米国が正規軍同士の戦闘においてどのような作戦行動をとったのかについても、当時前線にいた兵士たちの証言によって、今後詳しいことが明らかになることを願っています。いくら相手が戦闘員だからといって、「戦況不利を悟って降伏する機会」を与える余地さえ残さず、そのエリア一帯を皆殺しにしてしまうということがもし行なわれたとすれば、それは犯罪だと思います。

なぜかといえば米国は「大量破壊兵器」を取り締まる「世界の警察」気取りで、この戦争を始めたのですから。その「目的」と「大義」に完全に矛盾します。つまり人道的のみならず戦略的に見て、自ら非難している「大量破壊兵器」に頼りすぎている。戦争前に「経済制裁」や「査察」によって相手を無力化しておいて、そのうえで自軍は衝撃と畏怖だなんだと自慢げに「大量破壊兵器」を使いまくるという、「将棋」に例えれば、まるで相手の飛車・角をとって自分の方に加えて勝負し、勝って喜ぶ初心者ようなもので、もし相手に対等に近い戦力であれば確実に負けていたでしょう。

もちろん私はこの戦争そのものに反対ですが、米軍はイラク軍に比べて「戦争のやり方」を知らず、作戦もお粗末で知恵がなく、敵軍と自軍双方の犠牲者を大幅に増大させたと思うのです。おまけにイラクの「大量破壊兵器」も見つかっていません。

ではイラクの人々はなぜ米軍が物資の不足で困窮した時に、食物や水を提供したのでしょうか?フセイン政権打倒のため米軍を支持したからでしょうか?中にはそのような人々もいたかも知れませんが、基本的には米軍に要求されれば恐ろしくて断れないか、純粋に「親切」からだろうと私は思います。つまり「人道援助」ですね。

フセイン政権は戦争開始前に、イラク国民に1〜2ヶ月分の食糧の備蓄を呼びかけ、経済制裁で物不足の中、そのための配給も行ないました。水道が止まった場合のパニックを防ぐため井戸の掘削まで行なったといわれています。イラクの民衆が米軍に与えた食糧などはそのような備蓄の一部分とも言えるでしょう。以下のリンク先にわりと詳しく書かれています。

緊張高まるバグダッド市民−−食糧備蓄・家族を避難、戦争準備急ぐ [2003.02.02毎日]
http://www.mainichi.co.jp/news/article/200302/02m/048.html

★私はイラクに行ったことはありませんが、パキスタンを旅したことがあります。そこで感じたのは彼らの精神文化に確かに存在する独特のモラルと親切さでした。どこへ行っても1人で旅をしている外国人である私に、多くの人々が「何か困っていないか」と声をかけてきました。必要ならば必要な手助けをしてくれ、それじゃぁと言って去って行く。

例えば駅はどこですかと聞と、駅が見えるところまで案内してくれる、すると別の人が行き先をきき、切符を買うのを手伝ってくれる、駅のホームでまた別の人と会話、列車に乗れば途中から乗り込んできた学生たちの一団に囲まれ、降りる駅まで質問攻めという具合で、まったく孤独を感じませんでした。会ったばかりなのに食事に誘ってくれた人も何人かいました。彼らは通常、外国人を客人と認識していて、少しでも自分たちの国や文化について良い印象をもってもらいたいと思っているようでした。

私は、これはパキスタンに限らず、イラク人を含めたイスラム全体に共通する一種の美徳なのではないかと感じるのです。テレビのニュースで見る抗議デモで気勢を上げているイスラムの若者たちから受ける印象とは違い、彼らはとても人懐っこく、またシャイな一面があり、そして親切です。だからイラク侵攻の際に食糧と水の不足で本当に困っていた米軍兵士たちに対し、敵軍ながらもとりあえず食糧を分け与えたということについては、あまり不思議に思えないのです。あくまで私の個人的な印象ですが。

とはいえイラクの民衆にとっても食糧が有り余っていたわけではなく、当然のことながら日を追うごとに不足し不安も広がりました。すると米国はパフォーマンスとして、報道カメラマンを配置した場所に空から食糧投下を行い、イラク市民に拾わせようとしました。その黄色い包み紙がクラスター爆弾の不発弾の外見に似ていることで、のちに子供たちなどの事故を呼びかねないとの批判もありました。米国はさらに戦争開始以前から大量の反政府宣伝ビラというゴミを空からばら撒き続けました。こうしたビラや食糧の投下は、米国の狙いに反して多くイラク人たちに屈辱感を抱かせたようです。当然ですね。

このUS Soldiers to America: 〜のインタビュー記事が出た10月半ば以降、イラクでの米軍に対する襲撃が今までになく激化しているというニュースや、兵士たちとその家族の、戦争に対する不満や拒絶に関するニュースが増えてきた気がします。やはり情況は安定化するどころか悪化しているように見えます。ブッシュ政権批判も公然と行なわれるようになりました。アメリカも少しは変り始めたのでしょうか。アメリカ人も一人ひとりは、とてもフレンドリーで親切なんですけどね。

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