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(回答先: 総括されなければならないのは・・・・ 投稿者 長壁満子 日時 2003 年 11 月 10 日 11:16:15)
長壁さん、真剣にわが国の将来を憂える気持ちがにじみでた言葉であると思います。
でも長壁さんが熱っぽく訴えれば訴えるほど、なぜかしらけてしまうのです。
>ほかでも、書きましたが、総括しなければならないのは、共産党だけではありません。
これはいやしくも前衛党(すでにこの言葉は死滅したのでしょうか)を名乗る党が発するべき言葉ではありません。「自公民を支持したすべての有権者」は「めくらましにだまされたゆでがえる」だと侮蔑してみたところで、それならば彼らがいつの日か自公民を嫌って共産党に投票する場合はにはゆで蛙じゃないのか。その場合は共産党が正しいことが証明されたとでも言われるのか?共産党に投票することが正しいのだ、共産党が絶対的に正しいなどという驕った認識がすべてを狂わせているのではないか?
共産党の敗北は党自身の情勢分析と戦略・戦術の当然の帰結であって、私はこれは長壁さんの言葉ではないな、と感じました。それは選挙至上主義という戦略の目玉から見れば、国民自身のゆで蛙状態(共産党がそう規定したのでしょうか)と、マスコミや与党、共産党を除く野党に責任を求めるという、なんら主体的な総括になっていないのです。党自身が選挙に負けたときの、あらかじめ用意された言葉です。私は、党がここまで腐敗していることに驚きました。居直り以上の、傲慢さを見ました。
いわんや有権者の半数は投票していないが、彼らもゆで蛙といえるのか。共産党が本質的にはこのような認識しかもっていなければ、誰も投票する気は起きない。投票しないことも民主主義である。これは共産党への無言の抵抗である。「よりまし」な党がないのだ。
選挙だけに焦点をあてて現象だけをあげつらってもまったく無意味です。
なぜ有権者がゆでがえる状態になってしまっているのか?有権者が投票するときの判断基準が、候補者の「知名度」「人気度」「若々しさ」などで政策はまったく論じられない。選挙制度そのものの問題も論じられねばならないが、議会とはなにかが、共産党にはさっぱりわかっていない。
>その上で、共産党は、あまりにも、戦略が下手。
これはまったく的外れな総括です。戦略とは共産党の「綱領」にあたるものであり、選挙闘争は戦術の範疇に属する。共産党の綱領改定によって多くの労働者・市民が失望したことは措定されていない。戦略自体の誤りは別に考慮されねばならないが、当面の「戦術」について議会での得票のみが自己目的化する。戦術がすべて、緻密化が図られる。この段階において共産党員自身が、普段に展開し己を止揚すべき「共産主義者としての自覚」は放棄または選挙に従属され、選挙が物心崇拝されてしまう。やってどうせ負ける選挙に対しては党員も結局形式主義化してしまい、本気でやらない。
私が不思議に思うのは、昔からであるが、認識方法が薄っぺらであることもかわらにことだ。問題点を深く掘り下げるのではなく(そうすると自分たちの戦略が誤りであることがばれてしまう)、あくまでも現象(選挙の敗北)に対して「その根拠は有権者がゆで蛙だからだ」という程度の総括しかない。あとは戦術の緻密化のしかたが弱かった、という程度だ。それゆえに「(自分たちが正しいのに)有権者は間違っている」と的外れの認識に
立ち返り、おせっかいにもその間違いを正す、という戦術が生まれる。
こういう認識方法は「鏡的反映論」として揶揄されたのだけれど、この誤謬に気づかない。
「国民が右傾化した」ならば、無原則にそれに見合った戦略を出す「自衛隊は合憲」「天皇制容認」。なんら社会の本質的な分析なしにである。現象論的分析以上に深めることはない。「世論」を気にするだけでこれに依拠するのみ。すべては集票主義にもとづく誤謬であるが、このような戦略戦術が眠れる大衆の革命的本質を掘り起こすのではなく、さらに眠り込ませ、結果としては「利敵行為」しか生んでいない。こんなことにも気づかないのだから、いまだに「自分たちが正義だ」などと言われても国民はしらけるばかりである。
長壁さんは誠実なかただと思っておりますので気を悪くされず、真剣に考えてみてください。