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流氷を追って(1) 未知への航海【ホーツク回廊を行く:Yomiuri Online 知床特派員】
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投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 1 月 30 日 13:13:13:SoCnfA7pPD5s2
 

■ 世紀の発見プロジェクト

 冷戦という政治的な状況から、詳しい実態が謎のまま残されてきたオホーツク海と流氷。ソ連崩壊後の1997年から、北大低温科学研究所(札幌市)は米露と3か国共同で、5年間にわたる国際プロジェクトに取り組んだ。世界有数の激流「東カラフト海流」、“流氷製造工場”、アムール川がもたらす膨大な栄養素など、次々に世紀の発見を成し遂げた研究者の冒険と奮闘のドラマを追った。

(石原 健治)

 南極の大氷原。灯油も凍る氷点下42度。頭がくらくらした。
 75年から翌年にかけての厳冬期。第17次南極地域観測越冬隊に参加した北大低温科学研究所の若土正曉助手(現教授)(59)は、流氷の生成と海洋の変化の仕組みを探るため南極にいた。
 ドリルで氷に深さ2メートルもの穴を開け、観測機器を海中深くに投入。海が変化していく様子を観測したが、厳しい寒さのため、観測用そりの暖房用灯油も凍りついた。しかし、いったん始めた観測をやめるわけにはいかない。
 「眠ったら凍死する」。30代で体力にあふれていた若土助手は、大声で北大寮歌を歌い、そりの中で足踏みしながら、日が暮れるまで調査を続けた。世界初の越冬による流氷下の海の現地観測だった。


[厳冬期、知床に押し寄せる流氷が見えるオホーツク海(北見工業大提供)]

                 ◇

 若土助手は、流氷変動の仕組みの研究で次々と成果を上げ、助教授、教授へと昇進した。
 だが、もやもやとした思いは消えなかった。若土教授が本当にやりたかったのは、南極ではなく、オホーツク海での流氷調査だったのだ。

 科学技術は進歩したが、長い冷戦が、オホーツク海を日露の間に謎のまま押し込めていた。北大低温科学研究所は、69年から紋別市にある流氷観測施設のレーダーで、オホーツク海沿岸の流氷の様子を観測し続けていた。しかし、肝心のオホーツク海全体の調査が出来ないことから、流氷の発生場所や流氷をもたらす海流の存在など全くわからない状態で「流氷調査は、もっぱら西側の研究者と北極や南極を調べるしかなかった」(若土教授)のだ。
 流氷はどこで生まれるのか、どんな海流に乗ってくるのか――。目の前にありながら、謎のままのオホーツク海に、焦燥感は募るばかりだった。その広大な海がようやく姿を見せ始めてきたのは、ソ連崩壊で日露共同研究が可能になってからだった。

                 ◇

 若土教授らの企画したオホーツク海と流氷の謎を解くプロジェクト「オホーツク海氷の実態と気候システムにおける役割の解明」が、国家プロジェクトとして認可されたのは97年。期限は5年間、予算は破格の7億円。「夢にみた時がついにきた」のだ。
 5年に及ぶ死闘のようなプロジェクトは、オホーツク海と流氷の大動脈を発見する。

[2004年1月28日]

流氷を追って(1) 未知への航海

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