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(回答先: 言い訳をさせてもらいます 投稿者 あっしら 日時 2003 年 10 月 14 日 23:40:09)
あっしら様
> リンクフリーさん、レスありがとうございます。
> 転載の文章だと理解してレスを書いたのですが、リンクフリーさんご自身の文章だったのでしょうか?
残念ながら私の作品ではありません(苦笑
全文転載文章です。
ところで、"創造的な抵抗か、構造的な罠か を考える"と題して転載させて頂いた、若い2人の研究者の作品についての貴殿のお考えをひとつお聞きしたいと思います。
> さらに厄介なことに、「知性」が支配的な言説となった裏に誰か特定の人物の意志が働いているわけでもなさそうです。暗黒界の支 配者がいて、すべてはその陰謀であると解釈するのは簡単なことです。しかし、もっとも支配者に近いと思われるアメリカの企業ロビイストたちですら、その言説空間が用意したその席にたまたま座っているにすぎないでしょう。実体でありながら実体でないというアンチノミーがこの「知性」の正体です。
> とはいえ、この「知性」の解体こそが、疎外からの回復の条件になるだろうと思います(うおおおおおおお、アルチュセール派のマルキストみたい!)。むろんそれは、ニュー・アカ的な解体ではなく、「知性」が発生し、支配的な言説となった歴史的な諸条件を明らかにすることで、それが普遍的なものではなくある特殊なものである、ということを示すことになるでしょう。ヨーロッパではすでにその動きが戦略的に始まっています。日本でもいずれ、それが必要になるのではないかと思っています。
彼等がいうところの「知性」とはつまりはコスト&ベネフィットを追求してゆく知識ということになると思いますが、この知性を追求してゆく主体といいますか、支配者に近い存在はいったいこの世界に存在するのでしょうか。あえていえば、金持ちクラブやエスタブリシュメントの面々、あっしらさんのいうところの『守銭奴と倒錯者』達ということになるのでしょうが、こういった人々が世界を動かしているという主張についてはなにか陰謀論的な胡散臭さが残ってしまい、素直に受け入れられない気持ちもあります。かといってそういう話は全て作り話であり、陰謀論である、と片付けてしまうのも何か彼等の思う壺という気がしないわけでもない。ただの流行だけで、国家が、国内の産業資本と結んでいた手を切り、国際的な金融資本と手を結んで国家としての存続を図ろうとしたり、近代産業資本と国家の結合の中で培ってきた国民のためのさまざまな施策を、効率化、自由化の名のものとに切り捨たりするのだろうか?という疑問です。最近のあっしらさんのお考えということで、この辺の"存在"について、どのように考えられていますか。差支えが無ければぜひ、ご教授願えればと思います。