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(回答先: 権力犯罪と立ち向かう姿勢こそ必要 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 7 月 27 日 01:23:29)
またまた「リモートサーバー」に拒否されました。あとを続けます。
宮崎勤、少年A、長崎の12歳少年は、決して宮崎学が犯人扱いして言っているような、護送船団社会の中の「弱者がさらなる弱者を虐げる」ようなたぐいの確信犯ではありません。
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http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/188.html
相次ぐ少年犯罪 すべては「護送船団社会」に起因する キツネ目事件調書(アサヒ芸能7/24日号)
宮崎勤氏についてはこれまで私は悪魔氏の認識をそのまま受け入れてはいませんでしたが、今回読み直してみるとやはり警察が何かを知っている、それもかなり詳しく、と確信しました。女児がいたずらされかかっている現場を父親が押さえて逮捕されたものと思っておりましたが、そのことと女児誘拐殺人とは直接結びつかないことがわかりました。明らかに警察内部で何かがある。
神戸少年事件では、当初有力な目撃情報が寄せられ、それを中心に捜索が行われていたのに、いつのまにか全く目撃者もいない、証拠もまい、ただA少年の供述だけを根拠に少年Aにしたてあげました。しかしボロは出るもので、須磨署は記者会見で凶器を特定できていなかったことが明らかになりました。
長崎の駿くん殺害事件でも県警の記者会見はしどろもどろでした。記者の質問に口ごもってしまう失態を演じた。つまり県警課長クラスでもストーリーが十分描き切れていなかった。
神戸と長崎ではマスコミはその残虐性・凶悪度のみを「共通」しているといっていますが、私は神戸・長崎ともに、警察の対応がおかしいことが「共通点」だと思います。
このことは何を意味するか。それは警察内部における事件に対する認識が意志一致されていない。つまり、記者会見の段階まで捜査段階と結論(記者会見)とでは大幅に認識が対立していることがうかがえます。このことはそのまま警察内部の対立があることをほのめかしていると考えます。
神戸では黒いビニール袋をもった男が現場の捜査官を中心に探索されていた。だが途中から急転直下少年Aが犯人とされ逮捕されたが、記者会見で凶器の特定がナイフから糸のこ、さらに金のこと変わっていった。
長崎でもビデオと12歳少年の供述だけが決め手となったが、県警本部の課長がこの発表時点でも十分筋書きを頭に入れていなかった。
このことから私は警察内部では署長を中心とするキャリア組と現場捜査官を中心としたノンキャリアとの対立があると考えます。キャリア組は当然中央につながっており中央からの指令には絶対服従である。
国家公務員と地方公務員の入り混ざる組織について権限の関係は詳しくはないのですが、実体を考えてみますと県警本部、各署は実体的には県警本部長と署長までは中央から任命される、県警本部課長もおそらく中央と直結であろう。彼らを中心に捜査の指揮がとられるはずである。これらがキャリア組であり、現場のベテラン捜査官(デカ)はノンキャリアでキャリア組の指揮下に入る。
このキャリア組においても派閥の流れで影響を受け色分けされることは、派閥の流れで理解できよう。ただし私の派閥に対する認識は皆無に近いのでこれからやるべき課題ですので、この程度にとどめます。野田敬生さんなら詳しいはずです。
ただしキャリア組の実体はまだ特定できないけれど、県警発表であれほどの失態(口もごもごで説明にならない)は考えられない事態である。このことが、県警内部における認識が一致していなかったのだ。
つまり、初動捜査の段階から現場の捜査には一定のキャリア組からの指揮があったのではないか。7月1日午後7時20分から翌日の遺体発見時間までの時間的経過を見てみると、一番捜査方法がおかしいのは初動捜査である。
このことには誰も気づかない。それよりも、おかしいのは4月の変質者の出没事件以来、6月29日の事件までに警備体制がどうもとられていない。捜査官8名を常時投入していたにしちゃ、3ヶ月のあいだに、被害者から得たはずの犯人目撃情報がはっきりしない。
おにいちゃん、おじちゃん、という証言があるのだからモンタージュ写真があっていいはず。あるいは似顔絵(今時…・・アーケードでの捜索では12歳少年は似顔絵だったそうだ)なりで犯人は近辺に潜んでいることは確実で特定できたはず。
おかしいのは、家電量販店やここから1.5キロの離れた複合商業施設では4月からの3ヶ月以内には防犯の呼びかけがあってカメラの録画まで指導されていて当然。
こういう事件前の事態も異常であることを念頭に置くべきである。
そして7月1日午後7時20分以後駿くんが失踪してからの初動捜査は、これまで3ヶ月の「捜査の失敗」に鑑み、行方不明であること、性犯罪の可能性が大きいことは第一義的に考え得ることである。それなら駿くんが危ないことも当然想定できており、駿くんの足取りを綿密に調べることが必要だ。なのに、新聞の記事では間延びしている。
まず駿くんが失踪した現場から行く先が皆目不明なのだから、こういうときに最大の探知能力を発揮するのは警察犬だ。駿くんのにおいがわかるのなら犯人の足跡もにおいも駿くんの足跡にくっついていることは十分想定できる。警察は一体どこをどう探していたのか?
何をしていたのか。だらだらと時間稼ぎをして犯人を逃す行為をしていたのではないか。現場の警官は指揮に従っていたのだから初動捜査の指揮自体を問い直さねばならない。マスコミはいっさいこんな発想はしない貧困さに怒りを感じる。警察を疑わないのだ。
そしてもう一つ、駿くんの失踪現場から1.5キロ離れた複合商業施設では確か6月29日から7月2日までの録画をとった防犯カメラが作動していた。それは警察に任意提出されているという。なのにこのことは以後言及されない。私の推測ではこのカメラに12歳の少年が午後7時20分から午後10時までのあいだに写っていたので、警察には都合の悪いものであり言及しないのではないかと思う。
おそらく、いつまでも家電量販店のまわりのみ念入りに多数の捜査員を動員して捜査に専念している演出をしたに違いない。
翌日7月2日になって警察犬が導入されたようだが、あとの祭り。なぜか警察犬は駿くんの衣服のにおいを靴跡から鍵だし、路面電車の停留所を差した。それほど、細かく衣服のにおいから駿くんの体臭が靴跡に移るのか、それを巧みにかぎ分けることができるのだろうか。靴跡のにおいはそこでおわりのようだ。だが、殺害現場付近の、量販店から4キロ離れたアーケードや駐車場での警察犬導入の話はない。アーケードをあれだけ悠然と堂々と二人連れで歩いているのだ。込み合っている家電量販店で多数の人の足跡があるはずで、それをかぎ分けた有能な警察犬なのだからアーケードでもかぎ分けることはできる。二人の足跡を、「ゲームセンターに立ち寄ったりした」という供述を裏付けるように、警察犬は7月2日の段階ならあちこちの店をかぎ分けられたはずだ。そして駐車場でも各階をひとつひとつ歩いていったという足跡のにおいが残っていたはずだ。
途中で駿くんが靴を履き替えたなら別だろうけど、それでもここには落とし穴がある。
それはもう一匹警察犬を導入すれば、犯人の靴跡をずーっと追跡することができるということ。一匹は駿くん、そして一匹は犯人の靴跡を、アーケードから、道路を横断して駐車場へ、そして屋上へと。
雨降りだったから、駐車場のにおいはかぎ分けられないだと?
そんなの屁理屈だろ。家電量販店では雨降りのあとの日でも失踪現場(二階ゲームソフトコーナー)から外へ出て「大橋電停」を差したそうじゃないか。外は前日の7月1日当該時刻は雨降りだったのに。
このような捜査のプロセスが明らかにされねば疑惑はいっそう深まるだけ。
それゆえ、「複合商業施設の6月29日から7月2日までの録画」の存在も言及されない以上「アーケードのビデオ」など何の証拠にもならないと私は確信するに至りました。
7月1日午後7時20分以降の12歳少年の駐車場での殺害までの足取りに関する供述は単なる供述であり100パーセント信用できない。疑問が出るたびに警察がその都度リークする形で供述の不審部分を取り繕っており、その場しのぎの嘘で虚構と少年の虚像を描いている。少年を外界から遮断している以上警察は何でも言える。
まずもって午後8時以降は閉店する店が増え人通りが減ったとはいえ、「いたずら目的」で駿くんを堂々とつれ歩くことの不自然さ。中学生と幼児なら目立つはず、というのだからこれもこの時間帯で再現すればわかること。「いたずら」は恥ずかしい行為であるから、痴漢行為は迷惑条例違反という軽犯罪もあるにもかかわらず、現行犯であげられると恥ずかしさのあまり自殺する者が多い、これは痴漢を現行犯で捕まえた私の実体験である。
性犯罪の場合、顔を見られたら、「あの人だ」特定される日が来るのだから、それをおそれていたずらの先には殺害も予見できるだろう。そういう心理の者が、堂々とこれ見よがしに防犯カメラが並ぶアーケードを歩き回るか?「防犯カメラにナーバスになっていた」少年がアーケードだけではナーバスではない?
人通りの減ったアーケードでゲームセンターだけは人が多かったのか?
カメラは記録しているのに、それにしても目撃者皆無という怪。
それでいて駐車場では管理人の目を盗んでまっっまと屋上までゆき、周囲の明かりが足下を照らし、目の前には駐車場よりも高くそびえるマンションの窓、窓、窓。ここからあかりがとどき、ホテルのネオンサインがとどき、たとえ雨降りであっても、暗闇の中に駐車場の屋上のシルエットは明るく描き出される。人影が動けば、そこに人がいて何をしているか、たとえば車から降りて区rひとは識別できるだろう。着ている服の色なら、赤、白、黄色、黒系統など、眼前のマンションの住人なら識別できる。男か女か、背が低いか高いか、大人か子供か、その程度は、アーケードのカメラ以上に識別できるはずだ。
そんなところで駿くんの服を脱がし裸にした光景は、誰が見ても異常だ。生きたまま突き落とす姿も丸見えだ。雨が降っていてもスポットライトがあたって行動のすべてが浮き彫りではないか!
こんな時間帯、まだまだ宵の口。まわりも人通りが完全に途絶えたわけではなし。駐車場の脇には迂路通りの飲み屋がある。新聞が周囲の状況を伝えている。こんなときに生身の人間を突き落とせば悲鳴と落下したときの衝撃は聞こえないはずがない。少年がどうやって顔を見られずに駐車場の屋上から平静を装っておりてこれよう。靴や衣服は屋上から投げ捨てた?それとも遺体のそばにおいた?どっちなんだ。不審な音を聞きつけた人たちが外へ飛び出している中、「死体を見て怖くなった」だと?野次馬に混じってしかそんなこと可能じゃない。
しかし目撃者も不審音を聞いた人もいないと警察の捜査ではなっている。驚きだ。車を急発進させる音も警察情報にされていない。
警察はひたすら「カメラ」と「「少年の供述」。
そこで12歳少年がはじめから事件に無関係だとするならば、死亡推定時刻の深夜、7月2日午前零時「ごろ」が一番有力な駿くんの投下可能時間であると私は推理しました。
駐車場が夜の10時に営業を終え、まわりのマンションのあかりが消え、通りに人が居なくなった、まして雨降りで人通りがただでも少ない日の深夜、飲み屋もひけた頃合いなら、条件が最適である。ところが午後7時前に父親に電話をした少年は、成績はトップクラスだ。家庭訪問で先生に励まされたことだろう。ゲームもそこそこに家へ戻ったに違いない。父親は深夜の帰宅だから、母親から励まされたことだろう。この時間には12歳の少年はすでに予習復習を終えて深い眠りについている。
そんなときに暗闇を利用して怪しい人影が駐車場に現れたに違いない。すでに意識を失っている駿くんの衣服を脱がせて、少年と同じ靴を履いた男が駿くんをかついで屋上にあがったのだろう。そうでなければ駿くんの足跡も各階をまわってついているはずだ。駿くんの靴跡についての警察の言及はない。あるのは屋上のてすりについた外向きのはだしの駿くんの足跡二つ。
駐車場の内部を知っているものが、合い鍵を使ってはいったに違いない。見張りもいたろう。それでも捜査本部がすでにしかれているのに県警本部の近くの駐車場で高さ20メートルの屋上から生身の人間を投げ落とした。誰にも目撃されない時間である。「7月1日午後8時ごろから7月2日午前零時ごろ」の死亡推定時刻にぎおりぎり間に合う時間だ。
事件の背景について考慮してみる。
時あたかも日教組の広島県教組本部に縦断が撃ち込まれたのだ事件のつい4日前の6月27日。そして長崎の複合商業施設で6月29日に変質者によるいたずら事件発生。さらにたどると、6月12日にJR総連に警察の捜査がはいいり、6月26日に朝日新聞がJR総連は過激派革マル派の巣窟だ、とキャンペーンを張っていた。鉄道労組と教育労組に破壊攻撃が露骨に加えられていた。そんなときに発生したのがこの駿くん殺害事件だ。
広島――長崎をでつなぐ糸、それは被爆地で反戦運動が盛んなこと、そしてJR総連(憲法9条連)と日教組(平和教育)という単組では巨大組織による有事法反対運動。それが、長崎の事件とどう関係があるのか。その鍵は、長崎では4月の変質者事件が市民に徹底通知されていなかった、従って性犯罪の防犯キャンペーン、録画機能をもつ防犯カメラの設置(こちらは不明だが)など指導はなされていなかった。肝心の被害にあった子供の証言が、モンタージュ写真などで手配されていなかった。似顔絵すら回されていない(?)。3ヶ月前から何ら対策がなされていない。不満が出ていた。8名の警官投入の割にお粗末な話だ。新聞によれば「少なくともこんな情報は伝わっていなかった。そして6月29日にも性犯罪が発生している。その直後の7月1日だということが非常に際だった事件である。
さらに、少年補導に時を合わせて、マスコミを利用した鴻池防災大臣による少年の両親の「打ち首」発言(事件を利用した国民への恫喝)、そして森嘉郎前首相による日教組中傷発言(銃撃を利用した恫喝)。
日教組に一泡吹かせてやれ、手段を選ぶな」という中央――キャリア組のラインの意図に従って権力内部の暴力装置(闇の部隊)が動いた、と見る。