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(回答先: 共同的資本主義論についての諸問題 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 8 月 06 日 21:50:06)
すみちゃん,こんにちは.
レスありがとうございます.
> 共同的資本主義論についての諸問題
>
> 馬場英治さん。 こんにちわ。
よろしくお願いします.
> 素人的な疑問が多いかもしれません。 もう有用な質問がございましたら、ご教示下さいませ。
はい.
> ○ 政府支出と取引課税との相関について
> 経済に注入される政府支出(自由貨幣)の総額はどの程度を想定されておられるでしょうか?
> 例えば20%ぐらいでしょうか?
オーダーとしてはそんなものではないかと思います.およそGDPの1割から5割という範囲でしょうか.
昔,官・民の配分比を4公6民とか5公5民とか言いましたが,ほとんど今でも変わっていないのでは
ないかと思っています.歳入100兆円というのは,1兆円企業100社分ということではありません.実際
法人税(所得税,地方税を含み)は多分実効50%くらいはあると思いますので,5公5民と呼ぶのが正
しいと思います.つまり,我々は江戸時代の百姓と同率の課税負担を背負っています.
> GDP500兆円に対して政府支出が100兆円とします。
> 課税が0と仮定すると、貨幣の減価を全国民が予想するので、貨幣の回転速度が早くなり、直ちに制御不能のインフレーションになります。
あっしらさんは,自由貨幣経済の下で租税ゼロが可能であると言われています.もちろんコントロー
ルが不用という意見ではありませんが.私はこの説は「原理的」には正しいのではないか?と思って
います.(実際的にもそうであるかどうかというのは検討を要しますが.)投入した貨幣量と等量の減
価が起きると考えるのはやや短絡していると思います.つまり,貨幣供給量の増加⇒インフレーショ
ンとは必ずしも言えない(理論的に正しくない)と思っています.確かに,バブル崩壊などの現象を見
る限りその説は普遍的に該当するようにも見えますが,私はインフレーションは自然現象というより
は,むしろ多くの場合人為的に引き起こされているのではないかという疑いを持っています.共同的
資本主義経済における自由貨幣の供給量に関しては,少なくとも2つのことが言えます.
@自由貨幣の供給量と回収量は長期的には均衡(一致)するのが望ましい.
A自由貨幣の総量=市場に出回る流動性の総額は国富を上回らないこと.
政府貨幣は本来無担保の無期限債券ですが,国民の固定資産総額の限度内とするというのが妥
当ではないかと思います.つまり,暗黙にそれらの資産を担保としているものと推定します.この中
には私的に所有されている物件を含みますから,政府がそれを担保とするのは越権であるとする
こともできますが,私の共同的資本主義論では国民と政府の間の基本契約にそれが含まれると
理解しています.これがこのシステムを共同的と呼ぶもう一つの理由です.
> そこで課税が必要となります。 消費者物価が安定するような課税率は存在するでしょうか? どうも良く分からないです。
@の供給・回収の一致点が自律的な均衡点になるかどうかは分りませんが,一応の理論的な目
安にはなると思います.
> GDPをほぼ財とサービスの支払い合計と考えると、他に取引が存在しない場合には、税率は20%近辺必要でしょうか 。
> 税率が高いですね。
取引税率1%というのは,私の政治公約ではありませんが,税率20%というのはそれに比較すれ
ばずい分高く見えますね.しかし,歳入が税で歳出がGDPの20%ならどのような徴税方式を採用
したとしても,対GDP課税率は20%になります.このモデルで取引税率1%が実現されるためには,
取引総額がDGPの20倍はなくてはならないということになります.やや過大にも見えますが,それ
ほど実態からかけ離れた数字ではないと思います.取引税はすべてのトランザクションに対し
<多重に>かかります.つまり,原材料として課税され,半製品として課税され,製品として再度
課税されます.さらに消費税の課税対象となっていない土地の売買,金融商品の売買,外国貿易,
外国為替取引など高額取引がすべて課税対象となります.
> 他にどのような「通貨移転」が存在するでしょうか。
> 株式の新規発行、売買、社債の新規発行、売買、手形の新規発行、割引、外国為替取引?
ほぼ尽くしていると思います.
> 「取引税」は金融取引のコストを大きく上昇させるものなので、金融取引は衰退しますね。
そうなると思います.これは避けられません.
> インターバンク市場等の今日見られる金融市場はたぶんコストの点から、(法で市中銀行を廃絶するまでもなく)消滅していますね。
取引税は金融取引に対してはかなり強い阻害要因として利くと思います.現行では銀行はATMの
ような自動化によって(償却が既に終わっていると仮定して)コスト的にはほとんどゼロに近いにも
関わらず,為替手数料としてかなりの金額を利用者から徴収しています.(たとえば,1万円送金し
て400円とか)この為替(送金)手数料から比較すれば少額取引の場合,ほとんど取引税はタダみ
たいなものです.いずれ市中銀行が姿を消すのは目に見えていますが,実態的には既存銀行が
姿を変えて存続するのではないでしょうか?
> そうすると、そんなに低い税率になるでしょうか。
私は取引税率はやはり1%(を超えない)くらいが適当ではないかと考えています.補助税として外
形課税というのもあり,前に述べた劣化する貨幣方式もありますから,総額として政府歳入をカバ
ーすることは可能だと思います(劣化する貨幣を主税とする考え方も有り得る).もし,どうしても無
理だと言うのなら,「財政規模を縮小する」ということすら考えてもよいと思います.ただし,投下した
貨幣量と同額をつねに回収しなければならないということではないということを申し添えておきます.
無利子金融のところで耐用年数に基づく減価償却の考え方を説明していますが,政府財政(自由
貨幣の発行)についても同様のことが言えます.つまり,国民の資産形成に向けて支出されている
場合には,その耐用年数に従って減価償却することができます.国民資産全体を「国富」と呼んで
いますが,この中には土地,水面,大気を除くすべての天然資源,公有固定資産(インフラストラク
チャ),生産設備(産業資本),個人資産(株式,証券を含む),耐久消費財が含まれます.国富の
中に知的所有権を含めて考えることはできます.しかし,公知の事実(教科書で教えるような万民
共有の知識)は土地などに似た減価しない性質を持つと考えられます.
なぜ土地,水面,大気が固定資産に入らないかというと,基本的にこれらは減価しないと考えられ
るからです.ただし,たとえば荒地と耕作地では同じ土地と言っても価値が違うと言えます.従って,
耕作地では減価償却分が固有の資産価値として計上されるのが妥当だと思います.固定資産の
減価償却分と(公有財産の)維持経費には明確な区分はありません.荒地を造成して公園を造っ
たとき,毎年芝を刈る費用が発生しますが,それを経費と見るか資産の減価償却と見るかは視点
の違いです.家屋にペンキを塗ってやれば耐用年数を延ばすことができる代わり,経費が発生し
ます.厳密にはこれらを積算したもの(の最大値?)がその資産の最小所有費用になります.
もし,ある資源を完全にリサイクルすることが技術的に可能になったとすれば,その資源は土地
などと同様減価(磨耗)しない資産となり,国民固定資産のカテゴリから外れて,無限国民資産
(と仮に呼んでおきます)の範疇に入り,そのリサイクルコストが社会的費用として計上され(償却
され)ることになります.
> ○ 無利子金融の原理と方法について
> 本当はこれが一番難しいところだと思います。
そう思います.私は資産貸付と購買貸付という2例を挙げました.このアプローチはイスラム銀行
の実務ともそれほど離れていないと思いますが,いずれにせよ,リスクを伴うものには原則として
貸付しないというポリシーです.もちろん,場合によっては失敗も起こり得ますが,その損失は公
が負担します.(自由貨幣発行主体には貨幣的損失という概念が本来的にありません.)
> 馬場さんのモデルでは、配当も取らないんですから、「無利子」以前に「無対価」になっています。 これは「無利子」と区別されるべきです。
> 私の理解では、イスラム金融も無利子であっても、無対価ではないはずです。
私はややルーズに記述していますが,その通りだと思います.共同的資本主義では無利子金融
を公共サービスの一環として行なっていますから原則無対価です.(もちろん少額の印紙税を取
るのは妥当です.)ただし,特に説明してませんが,中央銀行の業務の一部を民営化することは
可能だと思っています.この場合には,かなりイスラム銀行のイメージに近づきます.
> 物価が安定し、かつ担保をとっている(担保価値が変わらないという前提では貸し倒れの可能性がゼロ)なら、確かに(無対価)は正当化されるかもしれません。
この経済では<物価の安定>はほとんど<経典>のように絶対的な重要度を持っているのでは
ないかと思います.共同的資本主義では物価の安定が必要であり,かつそれが可能です.
> それでも現実問題において、私人間で無対価で貸せるかと言うと、難しいですね。
> 未来は分からないからです。 現実世界ではリスクはゼロではありえません。 無対価は、「未来の確定」を意味しています。
> 無対価で貸せるのはアッラーだけです。
> 従って本質的に「無対価」で貸せるのは、未来を確定させるための現実手段と意思を持つ「政府」(ないし共同マネタリシステム)のみであろうと考えられます。
上記の通り,無対価というのは原則であり,無利子金融を営業的に行なう場合に妥当な対価を取
ることまで禁止しているわけではありません.(私はこれまで,この共同社会において,××を禁
止するという言い方をしていないことにご注意頂きたいと思います.銀行は最終的に廃絶されます
が,それは「禁止令」によってそうなるのではなく,無利子金融その他のシステムがそのような方
向に自律的に進むであろうということを言っているだけです.)
ご指摘の通り,本質的に無対価で貸し出しが可能なのは(自由貨幣)政府しかありません.同様に
<不可能な債務>として,無期限固定利率の債務というのがあります.これは永久に固定額の配
当を続けるという債券で,これが可能なものは私の知る限り「太陽」のような自然物以外ありません.
> この点を考えますと、家計(需要サイド)に対しては一定限度の下で「無対価」金融を行うことは正当かなという気がします。 家計には配当という概念がないでしょうから。
> しかし、株式会社については、「無利子」金融で良いのではないかという気も致します。 貸し出し額を株式(エクイティ)に振り替えるわけですね。
もう少し考えてみたいと思いますが,今のところ私は政府(中央銀行)が民間に投資するのは,抑
制した方がよいと考えています.もちろん政策誘導というのはあるだろうし,国策というのもあるか
もしれませんが,できるだけ政治圧をかけないというのが望ましいのではないかと思っています.
> ○ 無対価金融の運用について
> 担保価値の範囲内である必要があります。
> これと共に、一種の資金配給制度となるわけですから、資金の配給限度をどう考えるかは問題だと思います。
これは結構難しいと思いますね.政策的に大枠とか対象範囲とかを決めて募集するみたいなこと
になるかもしれませんね.これと個人の自由選択権をどう調整するかと言う問題があります.
> 馬場さんが例示されていたように、100年ローンで持ち家の取得を認めるというパターンですと、担保価値はオーケーですから、超低額でほとんど誰でもローンを受けられます。
> 人間の欲望は限りがありません。 100年先のことは分かりません。 ローンは確実に降りる。 毎月の支払いは定額。こういう条件が揃うと、すさまじい資金需要が起きると思います。 人より先に持ち家。 それが人間性ですね。
> これによる国民経済への資金注入は直ちにすさまじい金額となります。
> この支出に企業が群がります。 株式は暴騰します。
> 前代未聞のバブルを呼ぶような気がしてなりません。
人間は愚かですから,どんなバカをするかは分りません.粗悪な住宅が過剰に供給されそれを
使いもしないで解体するような羽目になってしまうのでしょうか?バカは天才であると言う格言が
あります.つまりフールセーフ(バカでも安全に使える)システムを作ることは不可能である,なぜ
ならバカは何をするか分らないから,と言うのですが,我々のシステムでも百パーセントの安全
を保証することはできません.
現在の日本においてすら,戸数的にはすでに全人口が屋根の下に住むことができる程度の住宅
が供給されているのですから,これからすべての人が新築家屋に移りたいと願うというのは馬鹿
げてますね.もし,すべての国民が住宅と車とテレビと電子レンジがあればよいと考えるとしたら,
平均給与をそれらに分配した程度の割合で住宅価格なり車の価格が決まってくるかもしれませ
ん.(今と同じですね.)私のスタンスはそれはそれでしょうがないだろうというものです.ただし,
これはバブル崩壊時のようなバブルを引き起こすことはないと思います.バブルを引き起こすた
めにはあっしら氏の言う「余剰資金」が必要だと思います.
> つまり、近代経済における「金利による制御」とは異なり、「配給資金額の制御」が必要と考えられます。 いかがでしょう。 ここに制御機構をビルトインする必要があると思うのですが。
> 取引税によって制御できますか。
なんらかの制御機構が必要であることは同意します.経済活動の根底には人間の欲望つまり
衝動がありますから,人間が理性的に行動することを期待してシステムを設計することはできま
せん.取引税によって制動をかけることはできたとしても,方向をコントロールすることはできな
いと思います.たとえば,この問題は「都市計画」の問題ではないかと思うのですが,いかがでし
ょうか?もし,我々が「望むような都市を形成することができる」のなら,都市計画が個々の市民
の直接の利害に関わる問題として真剣な討議の対象となってくるのではないかとも思います.
住宅問題を私の視点で区分すると,@先住権,A都市計画,B開拓のようなイメージになりま
す.土地が公有であるとして,まずもって先住権は尊重されなくてはならないと思います.次に
都市計画が来ます.住民が共同して都市を設計し,建設するという段階です.これには再開発
を含みます.@とAが合体した未開発地への(共同した)進出が開拓です.産業についても同
様のことが言えるかもしれません.いずれにしてもこれは国民国家の事業としては粒度が小さ
過ぎます.私はこれまで共同的資本主義を実施する主体を都市(国家)と呼んできました.そ
れと地域を結ぶシステムを考える必要が出てきたのかもしれません.
> ○ 株式市場について
> 株式担保による「無対価」金融を認めますと、やはりバブルは発生します。
> 金融が無対価ですから、かえってバブルが巨大化する可能性を考えてしまいます。
私は少なくともバブルにはならないと思っていますが,もう少し詳しくご説明頂けませんか?
> ○ 資金需要のある企業(供給サイド)に対する無利子金融は、資産−負債膨張を呼び、バブルを発生させそうな気がします。
無利子金融はコストゼロのもっとも安価な資金調達法ですが,弁済を免除されているわけでは
ないので,自ずから(自律的に)上限が定まると思います.土地や株が騰貴するもっとも普通の
メカニズムは「転がし」ですが(必ずしも共謀しているものに限定しない),生産設備などの転が
しというのはあまり起きないような気がするのですが...もちろん,転がし行為などに配分され
る資金は制度的にもありません.
> 供給サイドには資金調達コストを負荷することによって、社会に必要とされる企業を選別するプロセスが必要なように思います。
> この点から考えると、出資−配当という形態をとる方がベターなような気がします。
原則同意します.私はそれに並行して,社債発行と設備投資その他への無利子金融を認めてい
ます.企業への無利子金融には資産貸付と購買貸付があります.これ以外にも色々工夫の余地
はあると思いますが,私のイメージは門戸を閉ざすのではなくより拡張する方向です.つまり,リ
スクがない限り資金調達で(経営者が)苦労する必要はないというスタンスです.リスクにつまず
いたとすれば返済が滞ることでほどなく判明し,その企業は退場することになります.
この意味では企業への貸付の弁済期限を個人向けよりずっと短期化するという政策は有り得ると
思います(設備投資に対する貸付では5年前後,購買貸付では1年以下など).決算を粉飾すると
いうことはよく行なわれますが,融資機関が中央銀行しかない本システムでは難しいと思います.
経営者が経営の失敗を糊塗するために人件費にしわ寄せするということも有り得ますが(実際銀
行員の大量解雇はこのパターンです),労働市場が十分開放的であれば,従業員は自らその会
社を捨てて他の道を選ぶこともできます.
> ○ 「定常状態」を前提とし、物価が変わらない世界を前提としつつ、かつ江戸時代とは異なり、新規技術と需要とう掘り起こすためには、別途工夫が必要だと思われます。
> これは改めて。
インフレーションを伴わない経済成長は旺盛な設備投資によって推進されます.また,新技術の開
発には個人発明家・研究者を始めとする自由余暇を享受する自由人の大きなクラスタが必要です.
エジソンや豊田佐吉は発明家であると同時に事業家でもあったのですが,共同的資本主義では,
一人の大天才がすべてのことをやらなくてもよいのではないでしょうか?
> ○ 政府支出について
> 限りある政府支出の運用ルールを考えませんと、とんでもないことになります。 現在の日本社会を前提に考えますと、あっという間に経済崩壊して終わりになりそうな恐怖を覚えます。
自由貨幣による政府支出も原則として議会の同意を得る必要があると考えられますから,基本的
には旧来の財政支出とかけ離れたものにはならないはずです.しかし,「政府貨幣」という用語を
「軍札」ですべて置き換えてテキストを読んで頂けば,まさにその危険が予断を許さないものであ
ることに気付かれると思います.
> 政府支出をどのように制御するか。 これは政治の問題ですが、ここを厳しく考えないといけませんね。
> これも改めてということで。
共同的資本主義を直接世界大に拡大し,それに政治的テロリズム(権力犯罪)とメディアコントロー
ルを結合すれば,ほぼ彼らの考える「新世界秩序」の図式が出来上がります.国内的にはその縮
小版をイメージすることができますが,国際金融資本が次第に国内金融資本を蚕食して直接支配
に乗り出し,多国籍企業が国際金融資本との連携を強めるという流れになるのでしょう.(共同的
資本主義では金融資本家というのはいないはずじゃ?と言われるかもしれませんが,中央銀行は
残ってますので...それを乗っ取られたら終りです.実際米国連邦準備銀行の株主リストを見る
とそれが杞憂でないことが分ります.)
英治