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共同的資本主義論についての諸問題
馬場英治さん。 こんにちわ。
素人的な疑問が多いかもしれません。 もう有用な質問がございましたら、ご教示下さいませ。
○ 政府支出と取引課税との相関について
経済に注入される政府支出(自由貨幣)の総額はどの程度を想定されておられるでしょうか?
例えば20%ぐらいでしょうか?
GDP500兆円に対して政府支出が100兆円とします。
課税が0と仮定すると、貨幣の減価を全国民が予想するので、貨幣の回転速度が早くなり、直ちに制御不能のインフレーションになります。
そこで課税が必要となります。 消費者物価が安定するような課税率は存在するでしょうか? どうも良く分からないです。
GDPをほぼ財とサービスの支払い合計と考えると、他に取引が存在しない場合には、税率は20%近辺必要でしょうか。
税率が高いですね。
他にどのような「通貨移転」が存在するでしょうか。
株式の新規発行、売買、社債の新規発行、売買、手形の新規発行、割引、外国為替取引?
「取引税」は金融取引のコストを大きく上昇させるものなので、金融取引は衰退しますね。
インターバンク市場等の今日見られる金融市場はたぶんコストの点から、(法で市中銀行を廃絶するまでもなく)消滅していますね。
そうすると、そんなに低い税率になるでしょうか。
○ 無利子金融の原理と方法について
本当はこれが一番難しいところだと思います。
馬場さんのモデルでは、配当も取らないんですから、「無利子」以前に「無対価」になっています。 これは「無利子」と区別されるべきです。
私の理解では、イスラム金融も無利子であっても、無対価ではないはずです。
物価が安定し、かつ担保をとっている(担保価値が変わらないという前提では貸し倒れの可能性がゼロ)なら、確かに(無対価)は正当化されるかもしれません。
それでも現実問題において、私人間で無対価で貸せるかと言うと、難しいですね。
未来は分からないからです。 現実世界ではリスクはゼロではありえません。 無対価は、「未来の確定」を意味しています。
無対価で貸せるのはアッラーだけです。
従って本質的に「無対価」で貸せるのは、未来を確定させるための現実手段と意思を持つ「政府」(ないし共同マネタリシステム)のみであろうと考えられます。
この点を考えますと、家計(需要サイド)に対しては一定限度の下で「無対価」金融を行うことは正当かなという気がします。 家計には配当という概念がないでしょうから。
しかし、株式会社については、「無利子」金融で良いのではないかという気も致します。 貸し出し額を株式(エクイティ)に振り替えるわけですね。
○ 無対価金融の運用について
担保価値の範囲内である必要があります。
これと共に、一種の資金配給制度となるわけですから、資金の配給限度をどう考えるかは問題だと思います。
馬場さんが例示されていたように、100年ローンで持ち家の取得を認めるというパターンですと、担保価値はオーケーですから、超低額でほとんど誰でもローンを受けられます。
人間の欲望は限りがありません。 100年先のことは分かりません。 ローンは確実に降りる。 毎月の支払いは定額。 こういう条件が揃うと、すさまじい資金需要が起きると思います。 人より先に持ち家。 それが人間性ですね。
これによる国民経済への資金注入は直ちにすさまじい金額となります。
この支出に企業が群がります。 株式は暴騰します。
前代未聞のバブルを呼ぶような気がしてなりません。
つまり、近代経済における「金利による制御」とは異なり、「配給資金額の制御」が必要と考えられます。 いかがでしょう。 ここに制御機構をビルトインする必要があると思うのですが。
取引税によって制御できますか。
○ 株式市場について
株式担保による「無対価」金融を認めますと、やはりバブルは発生します。
金融が無対価ですから、かえってバブルが巨大化する可能性を考えてしまいます。
○ 資金需要のある企業(供給サイド)に対する無利子金融は、資産−負債膨張を呼び、バブルを発生させそうな気がします。
供給サイドには資金調達コストを負荷することによって、社会に必要とされる企業を選別するプロセスが必要なように思います。
この点から考えると、出資−配当という形態をとる方がベターなような気がします。
○ 「定常状態」を前提とし、物価が変わらない世界を前提としつつ、かつ江戸時代とは異なり、新規技術と需要とう掘り起こすためには、別途工夫が必要だと思われます。
これは改めて。
○ 政府支出について
限りある政府支出の運用ルールを考えませんと、とんでもないことになります。 現在の日本社会を前提に考えますと、あっという間に経済崩壊して終わりになりそうな恐怖を覚えます。
政府支出をどのように制御するか。 これは政治の問題ですが、ここを厳しく考えないといけませんね。
これも改めてということで。