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(回答先: 教えて、あっしらさん。ボルシェビキ革命資金・正金貨2億ドルがロシアを『近代化』し差配出来る価値って? 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2003 年 6 月 25 日 01:03:08)
ジャック・どんどんさん、こんばんわ。
仕事も少し忙しくなり、消費税問題にもはまっている(笑)ので、レスが遅くなりました。(ニュースにも疎くなっています)
まず、空耳でのレスを読まれていない方に誤解が生じないように、『正金貨2億ドル』の価値から再確認します。
1933年までの平価は1オンス=20.67ドルですから、現在の市場価格1オンス=360ドルで換算すると、17.4倍の34.8億ドル(約4,176億円)になります。
ちなみに、1913年の日本の輸出総額は3億1千万ドルで、輸入総額は3億6千万ドルです。(当時の日本の輸出総額の64%に相当すると考えると、2億ドルの“重み”が増してきます)
1914から1918年の平均米国連邦政府支出は33億6千万ドルですから、2億ドルはその17分の1くらいに相当します。
現在の連邦政府支出は105兆ドルくらいですから、その17分の1と考えると、およそ6兆ドル(約720兆円)の“重み”になります。
また、1914年から18年の米国の貿易収支黒字(年平均)は24億ドルですから、その12分の1に相当します。
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Q1:革命資金を融資する場合、正式な契約書を、交わすものなんでしょうか。
こんな、巨額の資金を同じユダヤのよしみということで、簡単に貸してしまっていいもんなんでしょうか。失敗したら、どう、落とし前をつけるつもりだったのでしょうか。レーニンのほかに連帯保証人も必要だったのでしょうか?
A1:空耳でレスをしようかと思っていたことですが、見かけはウオール街でも、実際はロンドンを本拠地にしている国際金融家が融通しているのなら(そう思っていますが)、次のような流れの金融取引でリスクを軽減することができます。
1)ロンドン勢力:イングランド銀行券(ポンド紙幣)で2億ドル相当分をウオール街のエージェントに渡す。
2)ウオール街勢力:そのポンド紙幣を米ドル紙幣に交換し、米ドル紙幣を兌換してドル金貨に変える。
3)ウオール街勢力:『正金貨2億ドル』をレーニンに渡す
4)レーニン勢力:『正金貨2億ドル』をイングランド銀行でポンド紙幣に交換してもらう
5)ロンドン勢力:金保有量が2億ドル分増えたので、8億ドル分のポンド紙幣を発行しそれを貸し出す。(他の国の中央銀行は40%の準備率だったが、イングランド銀行は25%だったようです)
金融的にはイングランド銀行を中心としていた国際金融家は、この取引を通じて、2億ドル分のポンド紙幣(裏付けの金は5千万ドル分)を負担しただけなのに、その4倍の8億ドル分(裏付けの金は2億ドル分)の貸し出しができるようになりました。
イングランド銀行の保有量は、少なくとも1億5千万ドル分増え、米国でドルに換えられたポンド紙幣がそのまま流通を続けるのなら、2億ドル分増えたことになります。
(当時のポンド紙幣は絶大な信用がありましたから、そのまま流通を続けても不思議ではありません)
イングランド銀行が“儲けた”からと言って、この取引の参加者で損をした人はいたでしょうか?
ウオール街勢力は損得なしです。
レーニン勢力も損得なしです。革命前のレーニン勢力には発券銀行がないので、金貨で使おうが、ドル紙幣で使おうが、ポンド紙幣で使おうが、2億ドル相当であることに変わりありません。
(損をしたと論理的に言えるのは米国民です。金が流出したことで紙幣の発行可能量が減少した)
このようなことができる勢力が絡んでいたとしたら、「失敗したら、どう、落とし前をつけるつもりだったのでしょうか」という心配は杞憂です。
ドル紙幣ではなく、『正金貨2億ドル』で渡したというのがミソです。
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Q2:この2億ドルが、ロシアを『近代化』し差配出来る価値があり
第二次世界大戦の独ソ戦だけで、2億ドルをはるかに超える価値があります。
ソビエト・ロシアの犠牲的軍事力なしで、ドイツの『近代化』は、無理だったでしょうからね。
ロシアを『近代化する』のは、なんとなくわかるんですけど、残りの部分が、私の知識では解読できません(トッドの『帝国以後』に少しあったような気もしますが)。もう少しわかりやすく、解説していただくとありがたいのですが。
A2:英国を拠点する勢力とロシアの関係をざっと振り返ってみます。
欧州大陸:英露協商や仏露協商が結ばれたのは、ロシアといい関係にあったからではなく、より直接的な脅威であったドイツに対する牽制としてロシアを使いたかったからです。
西アジア地域:中東からインド植民地では、南下を志向するロシアに対抗して、支配地の確保をはかりつつ拡大していくという対峙関係にあった。
東アジア地域:中国に大きな利権を持っていた英国にとって、満州から朝鮮半島にかけて権益拡大を志向するロシアは危険な国家だった。この危険を弱めるために、日本にロシアの危険性を吹き込み続け、日英同盟(1902年)を結ぶことで、日露戦争(1904年)に踏み切らせた。その後、日本が朝鮮半島を支配し満州で権益を拡大することを容認することで、東アジアにおけるロシアの南下政策を抑え込んだ。
ロシアは、日露戦争の敗北を契機に第一次革命が起き、国力も低迷するようになった。
このように、国際金融家にとって、“ハートランド”のほとんどを占めるロシアは、長大なラインで危険な敵でありながら、国力を急速に高めたゲルマン的近代国家ドイツを牽制できる味方(利用できる勢力)でもあったということです。
日露戦争と第一次革命の下準備と第1次世界大戦があったが故に成功したボルシェヴィキ革命により、ロシアの危険性は、軍事力や拡張主義ではなくイデオロギー(価値観)になりました。
(戦後も、軍事的脅威を喧伝し続け世界支配に利用しましたが、革命(価値観)の伝播を除けば、ソ連を脅威とは考えていなかったはずです。価値観の伝播も、戦時共産主義ソ連の民生レベルでは後進国には有効でも、先進国では“反面教師”として逆に資本主義バンザイという価値観の醸成に貢献しました)
以前も書き込みしましたが、第1次世界大戦と第2次世界大戦は、世界構造の改編という視点で考えれば、一体の「第一次世界大戦」だと考えています。
第1次世界大戦とボルシェヴィキ革命でロシアの脅威はなくなりましたが、ドイツと日本の脅威は依然として残りました。(残したとも言えます)
第2次世界大戦は、残った敵対国であるドイツと日本を国際金融家の隷属的国家にするための戦争です。
対ドイツは、フランスがすぐに降伏しダンケルクから脱出した後西部戦線を築かなかったように、ソ連の軍事力に依存して敗北に追い込み、最後の最後で米英軍が西からも攻めて勝利を分かち合うかたちにしました。
対日本は、中国による牽制と米国の軍事力に依存して敗北に追い込み、大量の犠牲が予測される最後の時点でソ連に参戦を求めるかたちで勝利を手にしました。
このように、ボルシェヴィキ革命後の共産主義近代国家ロシアが、国際金融家の世界構造再編の駒(軍事力)としていかに重宝なものであったかご理解いただけると思います。
戦後の日本と西ドイツの経済発展を考えれば、日本とドイツを隷属的な国家にできない世界が、国際金融家にとってどれほど危険なものか推測できるはずです。
これが、「ソビエト・ロシアの犠牲的軍事力なしで、ドイツの『近代化』は、無理だったでしょうからね。」の簡単な説明です。