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http://www.rense.com/general37/hej.htm
イラク侵略戦争で政権がいかに崩壊していったのか、次第に舞台裏について情報が出始めている。同一方向の内容のものが2つ。一つはレバノンの報道メディア(アラビア語)、そしてイギリスのもの。後発イギリスのものは18日付け。レバノンのものは長文でかつ詳細になっており、ここでとりあえず扱うのは後者の英国のExpressというメディアのものである。前者については別の機会にまとめたい。ここでの記事はこれ。
http://www.rense.com/general37/hej.htm
要するに2つの記事の共通構造は、フセイン政権の崩壊は、軍部最高幹部と米英当局の裏取り引きが直接の引き金だったということだ。つまり、フセイン政権は軍最高幹部の米英側への寝返り、裏切り、離反によって米英に対する軍事活動は事実上放棄され、フセイン政権は息の根が止められたということだ。
英国側報道を見てみる。
戦争開始前から、米英諜報当局合同チーム(CIA+M16)=Joint Special Operation Task Forceがイラクの軍部である共和国防衛隊の上層部,諜報機関、秘密警察幹部などに秘密裏にかつ執拗に接触を試みていた。情報をカネで買う、あるいは人物それ自体の買収工作が目的であり、工作員のスーツケースには金塊、米ドル、スイスフラン、ユーロ紙幣のぎっしり詰められていたという。協力すれば、命を助けカネもやる、協力しなければ殺す。これが決め言葉だったという。この買収戦略は、アフガン戦争でテスト済みで、効果を確信していたもようだ。アフガンで部族長はみなこれでなびいたのだそうだ。
イラク戦争開始数日前、カタールの米英中央司令部は、米英工作員がイラク軍上層部との接触に成功していたことをすでに誇っていたという。
共和国防衛隊とイラク・セキュリティー・サービスのトップの攻略が決定的だったようだ。その人物の名はGeneralMaherSufyon、サフィオン将軍で、サダムの側近でバクダッド周辺の6区画の一つを責任を負っていたらしい。米英側は彼の切り崩しに成功したという(ルモンド、アルジャジーラの報道)。
戦争第2周目に工作チームは取り引きカードを切ったという。このイラク軍指揮官に、米英に降伏せよ、そして政権の命令をサボタージュせよ(つまり従うな)、そうすれば、命を助け、カネをやる(レバノン紙の報道だと、米国市民権ないし永住権=グリーンカードも含まれる)。フセイン政権のラマダン副大統領・アジズ外相は 戦闘続行命令を出していたが、軍部最高幹部の裏切りには気づかなかった。気づいたのは米英軍がカルバラを通過したときだった、という。
政権指導者の位置と大量破壊兵器の位置を軍幹部から聞きだし、前者に対し空襲標的とし殺害。イラクのサフィオン将軍は全軍に戦闘停止命令を出した。そして、彼は、米英軍のアパッチヘリによってどこか秘密の場所に運び去られた、という(レバノン紙では占拠後のフセイン国際空港あるいは、その近郊からアパッチ・ヘリによってとある)。
4月17日、カタールの連合軍本部の報道官(准将)は記者会見で、自分はサフィオン将軍との取り引きについては知らないと断った上で、こう言っている。
”We deal with leaders that are out there-either local leaders, tribal leaders or in some cases military leaders."
「われわれは 指導者とは取り引きをすることにしている。土地の指導者なのか、部族の指導者か、場合によっては軍部の指導者か、を問わない。」
でこの報道官はあわせて、われわれと取り引きしてくれる者たちは、戦後、仕事を失わないだろう、と示唆したという。つまり、寝返った者たちには新体制の下で、従来の立場を保証する戦略の模様だ。
寝返った軍上層部は、政権関係者の動向について情報を提供し、その結果、サダムとその息子クサイの居所がつかめ、米英は戦争第一日目から彼らを標的に空襲。彼らは死亡か重傷を負った。生きているなら、生まれ故郷ティクリットの北部におい込まれただろうという。次男ウダイはその際生き延びた模様で、それは、最初の2週間、ウダイがひきいることになっているフセイン親衛隊が猛反撃に出たことで察することができるという。
政権リーダー探しのために使う現地に残す軍上層部のリストが作成されているが、サフィオン将軍の名前、そしてなんと例の情報相サハフの名前もここからはずされているという。つまり、パレスチナホテルが攻撃されジャーナリストが殺傷される直前強気の発言をした彼はそのときすでに買収工作が完了していた可能性が高い。イラクの国連全権大使が米英工作チームの工作を受けていないとは考えられない。つまり国連ビル前で、Game is over.ゲームは終わりだといったとき、既に米国側から市民権ないし永住権、巨額な米ドルをプレゼントされ、文字どおり取り引きがまとまり気持ちはさばさばしすがすがしかったのかもしれない。彼が今後、イラクに戻らず、米国市民になっていたら、この取り引きがあったことが高度に推察される。
「協力すれば命を助け、おいしい思いをさせてやる。拒否すれば殺す。」 この脅しすかしにイラク軍上層部は幻惑され、取り引きに応じた。フセイン政権は、アフガン戦争で実証済みのこのような内部の切り崩し攻略により離反が起き、崩壊したものであるようだ。
レバノン報道では、アメリカから乗り込んだいわゆる「人間の盾」にCIAは超小型通信装置を持たせた工作員を忍ばせ、この工作員が共和国防衛隊幹部とカタールの米英中央司令部との交渉を取り持たせたという。この小型通信機に向かって、共和国防衛隊の幹部をアラビア語で、サダムや息子の居場所を話させ、米英本部はただちに英語に翻訳し、その居所を空爆したという。カタールの記者会見で、報道官准将はこのアラビア語の録音テープを記者会見で聞かせているという。
最初にレバノン報道に接したが、今回イギリスからも同様の報道が出てきたことで、どうも、こうした情報は、つじつまがあい、一定の信憑性があるように判断される。
ポイントは、フセイン政権は戦闘を続行する意図があったが、軍当局幹部が命令を背き、米英に寝返ったという図だ。軍司令官がサボタージュをしたというなら、いかにフセイン政権といえど、1秒すらもつこともなく、内部から崩壊したわけなのであろう。
ちなみに、91年湾岸戦争終結後、クリントン大統領は、捕虜にしたイラク軍の上級幹部とその家族3000人に秘密裏に米国グリーンカード(永住権)を与え、米国内に住まわせている。米国議会は、後日この事実を知り安全保障上問題であるとしたが、これは覆せなかった経緯がある。
第三世界の住人の間で夢のように渇望されているものの一つは何か。米国グリーンカードなのである。これをあげると言われると、どんなことも従う可能性がある。米国侵略軍の兵隊の中に、米国籍をもたず、かつ違法滞留をしている連中がおり、彼らは米国永住権ないし、市民権(永住権を得て5年しないと申請できず、酔っ払い運転で逮捕されていたりすると、申請が拒否される)をもらえることを条件に兵隊志願した。
グリーンカードで自軍を起こし、グリーンカード買収で敵国を落城させた。特に第三世界の人間にとって米国移住はその魅力に抗し難い夢であるといううがった視点からみていくと、ある種のあっけなさ、正体見たり枯れ尾花といった感がいなめない。
いずれにせよ、米英の買収・威迫・脅迫戦略が甚大なる効き目があったことはどうも間違いないようだ。
フセイン政権と米英軍は開戦前から一定の戦況展開まで基本的にはガチンコ(本気相撲)だった可能性を十分感じさせる情報資料といえるかもしれない。
レバノン報道については、次回解説したい。