(回答先: Re:うう、まだ七三一部隊の亡霊が・・そこにはエイズ死の怨念が黙っていない 投稿者 寅蔵 日時 2002 年 3 月 24 日 15:07:15)
日本の医学界はガッチリと固められているのあるが、その基となったのがやはり戦後の反省なき医学者指導者達にあるのではないだろうか。彼らはその後の後継者(医療医学関係者)にどういう指導を施してきたのだろうか。
隠れていたものが見えだしてきた。それがエイズ事件がきっかけになったようだ。それまで世の中に731部隊などという名前はあまり知られていなかった。被害者には大変申し訳ないがそのきっかけになったのが血液製剤によるエイズ禍なのである。
次に転載
http://www.ifnet.or.jp/~yoshiki/aids/unit731.html
日本の医学界と七三一部隊
日本の医学界は七三一部隊について何ら反省してきませんでした。当時満州の七三一部隊で「研究」の主要な役割をしていた多くの技術者が、その後各地の医学部の教授となり、その後もそれぞれの学会でボス的行動をとってきたことを医学界は黙認してきました。例えば、石川大刀雄は金沢大教授、岡本耕造、田部井和、吉村寿人は兵庫医大教授、林一郎、斉藤幸一郎は長崎医大教授に就任しています。また南京につくられた「栄」一六四四部隊の技術者たちは、東大伝研(後の国立予防衛生研究所)に住み着いたごとくです。
五二年一〇月、日本学術会議第一三回総会が開かれました。この総会に平野義太郎、福島要一らが、「細菌兵器禁止に関するジュネーブ条約の批准を国会に申し入れる件」を議案として掲出しました。当然の提案でした。ところが、これに反対したのは医学関係の第七部に属する戸田正三、木村廉でした。戸田、木村は京都大学医学部の教授で石井を指導した教官であり、侵略戦争当時は七三一部隊の技術者を送り込んだ張本人だったことはよく知られています。その反対理由として「現在日本では戦争を放棄しているのであるから、戦時に問題になる条約を批准するのは筋違い。」「四〇年前に解決している問題であって、実用にならないものに苦労するはずがない。」などと述べています。七三一部隊の犯罪を反省するどころか、それがアメリカ軍によって免罪されたことを正当化した発言でもあります。