(回答先: Re: 国立感染症研調査・・・・うう、まだ七三一部隊の亡霊が・・ 投稿者 寅蔵 日時 2002 年 3 月 24 日 14:45:26)
恨みは死んでも晴らさずにおくべきかーーという昔からの物語であるが、これは現代の恨みが絡んでいる所のようだ。
彼ら薬害エイズ事件の被害者たちの無念は、ここの黒い霧を払うまでけっして休まることはないだろう。
http://www.copula.net/mag/vol_2/visible/visible03.html
日本国においてエイズが発生した過程を見ると、731部隊から予研および製薬会社へとつながる、日本戦後史の黒い霧が晴れてくる。この黒い霧に一筋の光を当てるのは、一通の手紙である。「こんな体にした国と製薬会社がにくい、くやしい。もし、ぼくが裁判の途中で死んだら、両親で裁判を引き継いで欲しい」(HIV訴訟原告の手紙)。ここでは、裏の日本史とも言えるエイズの歴史を簡単に辿っておこう。
予研との関わりについて言えば、安部の厚生省エイズ研究斑の血液製剤問題小委員会に予研の安田純一血液製剤部長が参加している。 HIVウイルスに感染していると知りながら、アメリカ製の血液製剤に「国家検定之証」を貼りつづけたのが予研なのである。
日本の医学界の基礎を作ったーーと言えば聞こえはよいが、元は悪名高い七三一部隊から始まっていると知るとここから派生した医学の巨大なネットワークは根本から出直さないといけないようだ。
七三一部隊関係者は米軍に資料を渡す条件に犯罪を不問にして貰った。そればかりか何食わぬ顔で医学界に乗り込む事が出来たのだった。この感染研究所も当初は部隊出身者だっとという。
さらにこの研究所の敷地には人の骨が埋められていたという。
まさに現代の怪奇城にふさわしい怨念が黒い霧となって見えるようだ。
http://www.copula.net/mag/vol_2/visible/visible03.html
七三一部隊はグーグルにて
http://www.google.com/search?q=%8E%B5%8EO%88%EA%95%94%91%E0&hl=ja&start=10&sa=N