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(回答先: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:通貨の供給過程 〈その4〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 13 日 20:16:52)
■ 貸し出しと通貨から見た「近代国民経済」の成立条件
「近代経済システム」を基礎とした国民経済の通貨は、中央銀行から商業銀行に貸し出されることが出発点で、商業銀行から一般の経済主体に貸し出されることで“真”の産声を上げる。
この時点では、中央銀行を含めた経済主体の誰も“自由な”通貨を持っていないことにない。銀行は債権(債務証書)を持ち、その他の経済主体は返済義務を負った通貨を持っているという構図だからである。
しかし、現実の国民経済では、焼却しようが博打で使おうが預金をしようが自由な通貨が存在している。
そうであっても、生まれたての近代経済モデルでは、あらゆる経済主体が返済義務を負った通貨を資本に変えて事業を営む限りにおいて、どの経済主体も、利益を得ることはおろか利息を支払うことさえできないのである。
それを具体的なモデルで見ていくことにする。
モデルは、そこで生存している人々が近代的生産技術を保有していることを前提とする。
経済主体の資本は、銀行による貸し付けで担われます。(経済主体が資本の蓄積をしていても、経済論理的には同じである)
このモデルは、戦争で荒廃した敗戦後の日本をさらに悪化させた状況が出発点だと考えれば近いものがある。(敗戦後の日本は海外領土を失い工場設備なども多く破壊されたが、近代的技術を駆使できる人は多く生き残った)
また、説明を簡略化するために経済主体の数を3つにしているが、多くの経済主体が完全競争で経済活動を行っていても、経済取引の説明に長い記述が必要になるだけで、論理的結論は同じである。
● 全貸し出しが不良債権化
銀行が100億円を発行し、1年後に10%の利息付きで返済されることを条件に3つの経済主体に貸し出した。
原材料を生産し生産設備(生産手段)も生産する経済主体(A)に30億円、必需財を生産する経済主体(B)に60億円、必需財を販売する経済主体(C)に10億円という貸し出し状況で、各経済主体はそれを資本形態(生産手段や労働力)に転化した。
各経済主体は、それぞれの事業にふさわしい土地を既に保有している。
生産設備は、1年で全て償却され、1年後に新しいものを購入するものとする。
流れとしては、(A)が生産した生産財を(B)が購入し、(B)が生産した必需財を(C)が仕入れ、(A)・(B)・(C)のオーナーや従業員が(C)から必需財を買うという流れである。
(A)の資本は労働力(30億円)のみで構成され、(B)の資本は生産設備(25億円)・原材料(5億円)・労働力(30億円)から構成され、(C)の資本は労働力(10億円)のみで、販売する必需財は販売後に支払いするかたちで仕入れる。店舗は自宅ということで0円。
(A)が利益を上げようと思えば、(B)に対して年間30億円以上の売上がなければならないが、(B)は、資本構成的に30億円ちょうどしか購入しない。
(B)が利益を上げようと思えば、(C)に対して年間60億円以上の売上がなければならない。(C)が利益を上げようと思えば、人々に対して、年間で10億円+財の仕入額以上の売上を達成しなければならない。
必需財の販売者である(C)は、(A)30億円・(B)30億円・(C)自身の10億円からなる労働力費を合計した70億円が売上の最大値である。
みんなが給与として得た通貨を必需財に全額使ってくれるという最良の条件であれば、(C)が利益を上げるためには、(B)からの仕入額が60億円未満でなければならない。仕入額が60億円であれば、10億円が手元に残るから収支とんとんである。
しかし、(B)に対する支払いが60億円であれば、(B)も収支とんとんになり、60億円未満であれば損失を被る。
このように、ある経済主体が利益を上げようとすれば、必ずや他の経済主体が損失を被ることになり、別の経済主体は元本さえ返済できないことになる。
どの経済主体にも損得が不公平にならないかたちは、それぞれの経済主体が借りた金額に相当する金額を最後に手にしていることしかない。
そして、銀行に元本を返済して、「利息は払えません」というしかない。
これは、経済主体の数がもっと多くなり、同業種の経済主体間が競争していている条件でも同じである。
また、(A)や(B)がいくら生産量を増やしても状況を変えることができない。
通貨の量が100億円と頭打ちである限り、その金額が、販売できる金額(量ではない)の最大値である。上記の例でも、退蔵され使われなかったという通貨はまったくない。
さらに、貸し出し金額を500億円に増やしても同じである。財の価格がそれぞれ5倍になるだけである。(通貨は本質的に価格表示機能だけである)
もちろん、資本構成を変えても無駄である。すべてが労働力に還元できるからである。
商店が無人店舗であれば、不要なものだから、10億円の借り手がいなくなるだけである。(10億円が発行されたまま銀行の金庫に眠ることになる。これは、発行されていないことと実質的に同じである)
それでも無理して借りても、そのまま使わずにとっておくか、買い手のない不要な必需財を仕入れるかになる。銀行に、必需財で返済するわけにはいかない。
● 貿易収支黒字で不良債権問題が解消
このような隘路を解決する方法の一つは、外部国民経済への財の輸出による通貨量の増大である。
(B)が生産した必需財が外国に輸出でき(価格条件や相手国の政策で)、輸出しても国内の需要を量的に賄えるのなら、状況はがらりと変わる。
そのような条件があったので、(B)は、生産した財のうち20億円分を輸出した。(外国人が通貨を持ってやってきて買っても同じ)
(B)は、20億円を外国から得ているので、国内からは40億円を超える売上があればいいことになる。
最終的な財の販売者である(C)は、以前と同じく、(A)30億円・(B)30億円・(C)自身の10億円を合計した労働力費70億円が売上の最大値である。
(C)が利益を上げるためには、(B)からの仕入額が60億円未満でなければならない。それで、(C)は、交渉して(B)に55億円支払うことになった。(B)は輸出で20億円を手に入れているから、55億円払ってもらえば御の字である。((B)の資本投下額は60億円)
このような経済活動の結果、1年後の通貨の量は、国内100億円+輸出分20億円で120億円になった。
その保有内訳は、(A)が30億円、(B)が75億円、(C)は15億円である。
利益を上げたのは(B)と(C)である。(B)は、利息と元本で66億円支払い、手元に9億円残った。(C)は、利息と元本で11億円支払い、手元に4億円残った。
(A)は収支とんとんで苦境に陥ったが、銀行は、(A)に生産財の販売価格を上げるよう助言し、利息分3億円を追加で貸し付けてくれた。
(銀行がそういう助言や追加融資をしたのは、(B)や(C)の財務状況がわかっているだけでなく、受け取り利息で余剰通貨を保有しているからである)
現在の通貨保有状況は、銀行が107億円、(A)がナシ、(B)が9億円、(C)は4億円である。但し、(A)は3億円の債務を抱え、銀行は3億円の債権を抱えている。
(数字上の合計が、120億円ではなく、123億円になっていることに注意!存在しない通貨を貸し出しているのである。もちろん、支払えなかった利息を貸したという名目である。これが「信用創造」の一例である)
銀行は、昨年、総額100億円の貸し出しを行った。しかし、現在は、107億円を保有している。7億円を手元に残したままでは、そこから果実は何も生まれない。
銀行は、(A)に33億円+3億円(利息分)、(B)に60億円、(C)に10億円を貸し付けることにした。新規貸し出しの総額は103億円である。
(A)は、銀行の助言を受けて、3億円の研究開発チームを外国から雇った。
(B)は、(A)の頑強な値上げ要求に応え、前年と同じ機械設備や原材料に40億円支払った。(それらが手に入らなければ、儲けられると思っている必需財の生産ができない)
国内需要が3億円増えたので、(B)が生産した財のうち17億円しか輸出に回せなかった。国内需要は、33億円+30億円+10億円の73億円である。
(C)は、(B)に3億円増やした58億円を支払うことになった。
通貨の量は、国内120億円+国外17億円の137億円になった。
その内訳は、銀行が4億円、(A)が40億円、(B)が74億円(残金9億円を含む)、(C)は19億円(残金4億円を含む)になった。
それぞれが、利息付きで債務の返済を行った。
(A)が39.6億円、(B)が66億円、(C)が11億円である。
通貨の保有内訳は、銀行が120.6億円、(A)が0.4億円、(B)が8億円、(C)は8億円である。
(B)は、製造装置の値上げで資本を7億円も増やしたため、残金を9億円から8億円へと1億円減らしてしまっているが、ともかく、どの経済主体も、銀行に利息を支払ってなお保有通貨があるという好ましい状態になった。
これを続けていけば、(B)は毎年1億円の損失が出るので、(A)に、価格を下げるか、もっと効率のいい製造装置を作るように申し入れた。
(A)は3億円を使ってこの1年では何も生み出さなかった開発研究チームを雇っていた。そして、1年の間にその成果が現れていた。同じ労働力で、これまでよりも、原材料の生産が20%アップし、新しい製造装置で必需財を生産すると20%アップするようになった。
● 「労働価値」の上昇がもたらす効果
(B)は、40億円+30億円という資本で120億円分に相当する量の必需財を生産できるようになった。国内需要は、73億円で変わらないから、47億円を輸出に回せる。
銀行は、(A)に33億円、(B)に70億円、(C)に10億円と総額で113億円を貸し出した。
1年後の通貨の量は、国内137億円+国外47億円の184億円になった。
その内訳は、銀行が7.6億円、(A)が40.4億円、(B)が113億円(残金8億円を含む)、(C)は23億円(残金8億円を含む)である。
それぞれが、利息付きで債務の返済を行った。
(A)が36.3億円、(B)が77億円、(C)が11億円である。
通貨の保有内訳は、銀行が131.9億円、(A)が4.1億円、(B)が36億円、(C)は12億円である。
● 近代的成長過程のまとめ
このあとどうなるかを考えると、たっぷり儲けている(B)と(B)にとって不可欠の生産財を供給している(A)のあいだで価格交渉が行われ、輸出で儲ける利益の再配分が行われることになるだろうと予測される。
むろん、商業経済主体も、利益の再配分を求めるだろう。
「貿易収支黒字で不良債権問題が解消」と「「労働価値」の上昇がもたらすもの」で説明した利益拡大の流れは、まさに、高度成長期の日本の姿である。
根源的には、外部国民経済からの通貨の流入というこの説明以外に、近代国民経済が、テイクオフし成長を遂げていく方法はないのである。
人口増加は経済規模の量的な拡大をもたらすが、利益には結びつかない。
内需が労働力の増加に従って増えるだけである。個々の経済主体の見掛け的な利益は増えるかも知れないが、それによって別の経済主体がしわ寄せを受けことになるので、マクロ的な利益は増えない。
但し、人口の増加が「労働価値」の上昇をサポートすることはある。50万個を生産する体制と70万個を生産する体制は異なるからである。
(移民問題の一つの視点)
外部国民経済からの通貨の流入は、輸出だけではなく、観光収入など外国人が持ち込むものでも、金融収益でも、直接投資でもいい。他に手がなかったら、国際的借り入れでもいい。
輸出・旅行客持ち込み・金融収益・直接投資は返済しなくてもよいものだが、国際的借り入れは国際通貨表示しなければならず、返済も、国際通貨により利息付きで行われなければならないものである。
国際的借り入れは、「全貸し出しが不良債権化」と同じ宿命を帯びているものだから、それを原資に輸出や旅行客持ち込みによる外国からの通貨流入が継続できる構造を造らなければ、国民経済が行き詰まることになる。
直接投資も、ある国民経済に入り込んだら、そのなかの経済主体と同じである。
発展途上国への直接投資の多くが初めから輸出を志向したものなので、国民経済の成長に貢献するが、その代わり、それまで同じ財を生産していた国民経済(経済主体の母国が多い)に打撃を与える。
外資が、進出先の需要を当て込んでいるのなら、それまでそれを営んでいた経済主体に打撃を与える。
経済学を学んだ方ならおわかりのように、これは、「近代経済システム」を基礎とする国民経済は、直接投資を除けば、経常収支の黒字によって成長を続けることを意味するものである。
● 近代化に至るもう一つ別の方法
旅行客持ち込み・金融収益・直接投資もなく、国際的借り入れもできない国民経済はどうすれば近代化を遂げられるのかという問題を考えてみたい。
身近でそのような国民経済に近いのは、ある時期までの北朝鮮であり、かつての中国である。
要は、そのような条件のなかで近代的財の輸出ができる経済構造をどうやって築くのかという問いである。
その方法は二つであり、前近代的な収奪と非近代的な財の輸出である。
(収奪という言葉には、理念的な善悪の価値判断を含めていない)
前近代的な収奪による方法とは、「近代経済システム」の論理から外れた、無償労働や労働成果財の無償提供に依存して“資本の原始的蓄積”を行うことである。
具体的には、前近代のように、食糧を供出させて近代化を担う人たちの労働力費を減少させたり、土木建設工事(中国では鉄の生産まで)に対価を伴わないまま従事してもらう。
そして、近代的資本が生産した財を、自営農民など「近代経済システム」から外れている人たちに、「労働価値」的に高値で買ってもらう。
国家が、労働成果財や通貨を近代化の資源に向けてできるだけ集約するという政策である。
(そのような政策を実施する理由付けは、“集団の利益”や“社会主義建設”でもいいし、“懲罰”を背景にしたものでいいが、度を超えると、国民経済全体が疲弊したり、反乱を招くことになる)
このような政策による近代化は、近代的資源をある程度の量で自給できることが条件になる。
もう一つの非近代的な財の輸出による方法とは、歴史的に特産物となっているものを国家管理で輸出して、通貨の流入を実現することである。
このような政策による近代化は、通貨を外に出せる余裕のある国民経済が既に存在していることが条件になる。
この二つを混合し国際的借り入れも伴った近代化政策は、明治維新後の日本が採ったものでもある。
どういう方法を採るにしろ、近代化への動機は、近代化された国民経済との遭遇から始まる。
その遭遇が、政治的恐怖を生み出したからなのか、物質的感嘆をもたらしたせいなのか、それらがない交ぜになった意識を生み出したからなのかは別として...。
装置にしろ、機械にしろ、兵器にしろ、財にしろ、見たものや手にしたものでなければ、それを真似て造ることもできない。