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(回答先: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:近代的預金と「信用創造」(「バブル形成」の考察を含む)〈その6〉 前半部 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 13 日 20:37:23)
【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:近代的預金と「信用創造」(「バブル形成」の考察を含む)〈その6〉 前半部』の続きです。
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● バブル形成と「信用創造」
「信用創造」の側面から、「バブル形成期」と「高度成長期」の違いを簡単に見てみる。
[貸出残高/通貨発行残高及び実質GDP伸び率の推移]
貸出残高/
通貨発行残高 実質GDP
=====================================
60年: 6.6倍 13.3%
61年: 6.6倍 11.9%
62年: 6.6倍 8.6%
63年: 7.1倍 8.8%
64年: 7.3倍 11.2%
65年: 7.5倍 5.7%
66年: 7.6倍 10.2%
67年: 7.4倍 11.1%
68年: 7.2倍 11.9%
69年: 7.0倍 12.0%
70年: 7.1倍 10.3%
------------------------------------
80年: 7.1倍 2.8%
81年: 7.5倍 2.8%
82年: 7.5倍 3.1%
83年: 8.3倍 2.3%
84年: 8.6倍 3.8%
85年: 9.3倍 4.4%
86年:11.2倍 3.0%
87年:11.6倍 4.5%
88年:11.5倍 6.5%
89年:11.0倍 5.3%
90年:11.1倍 5.3%
ちなみに、00年の貸出残高/通貨発行残高は7.3倍である。
通貨発行量の絶対額も小さく経済主体の資金需要も旺盛だった「高度成長期」よりも、経済主体も余剰資金を持つようになった「成熟期」に入った83年以降のほうが、通貨発行残高に対する貸出残高の倍数は大きく、「バブル形成期」の86年以降になると、さらに大きくなり11倍を超えている。
期間の通貨発行残高・貸出残高・GDP成長率・物価上昇は、
通貨 貸出 実質 名目 卸売 消費者
=========================================================================
60〜70年 4.5倍 4.8倍 2.6倍 4.6倍 1.1倍 1.7倍
80〜90年 2.1倍 3.2倍 1.5倍 1.8倍 0.9倍 1.2倍
となる。
この表を見ると、60年代は通貨発行残高・貸出残高・名目GDPが4.5倍から4.8倍の間でほぼ揃っているのに対し、80年代は、それらが2.1倍・3.2倍・1.8倍とばらけ、なかでも特徴的なのは、通貨発行残高の倍数よりも、名目GDPの倍数のほうが小さいことである。
マネーサプライと経済活動の関係を計る指標として“マーシャルのK”があるが、その考え方をM2+CD/名目GDPで計算すると、66年は0.77で、86年は1.01である。
(通貨は通貨に収斂されるという考えを持っているので、マネタリーベースをM2+CDでは捉えないが、“マーシャルのK”という経済指標については、「信用創造力」と「金融財取引比率」で規定されるものだと考えている。別の表現を使うと、貯蓄比率が高く金融資産の取引に使われている通貨の比率が高いと、“マーシャルのK”が高くなるはずである)
“マーシャルのK”ならぬ“あっしらのK”(冗談)として(貸出残高倍数/通貨発行残高倍数)*(貸出残高倍数/名目GDP倍数)の値を算出すると、「信用創造力」と「金融財取引比率」という状況がよく見えると考えている。
式中の(貸出残高倍数/名目GDP倍数)の値は、小さいほど労働成果財の経済活動に通貨が使われ、大きいほど非労働成果財(金融財)取引に通貨が使われていることを示唆する。
式中の(貸出残高倍数/通貨発行残高倍数)の値は、大きいほど「信用創造力」=貯蓄比率が高く、小さいほどそれが低いことを示唆する。
算出した“あっしらのK”は、60年代が1.113、 80年代は2.709である。
“あっしらのK”は、言い換えれば、“バブルのK”とも呼ぶべきものである。
通貨発行額に較べて預金残高が多くしかもそれが多く貸し出され、貸し出された通貨が金融資産取引に使われれば使われるほど、バブルはより大きく形成されていく。
80年代に、大蔵省及びその管理下にあった日銀と銀行が“あっしらのK”を60年代と同じ水準に保っていれば、劇的な崩壊に結びつくバブルは形成されなかったはずである。
経済主体が事業活動を拡大したり継続するために必要な資金量を超える貸し出しが行われ、それが、通貨的利益拡大を目的とした株式や不動産などの金融資産取引に投じられたことで、破滅的な崩壊に結びつくバブルが形成されていったのである。
類似的な指標として、実質GDP倍数/貸出残高倍数が考えられる。
これは、貸し出しが「労働価値」上昇にどれほど貢献したかといった指標で、値が大きくなればなるほど、貸し出しが、「労働価値」の上昇に貢献した、すなわち、最新生産設備に更新されるために使われたことを意味する。
60年代は0.54で、80年代は0.47となり、60年代は80年代の1.15倍である。
この値が小さくなれば、通貨がバブル形成的に使われたということになる。
通貨がバブル形成的に使われたことは、60年代に較べると「労働価値」の上昇ペースが大きく低下しているのに、貸出残高増加に見合うほど物価が上昇していないことでもわかる。
先ほど「労働価値」上昇を推計するのに使った(貸出残高倍数/卸売物価倍数/就業人口倍数)に適用すると(就業数倍数は1.13倍)、80年代の「労働価値」上昇は2.9倍になる。崩壊したことでバブルがあったことがわかっているので、貸出残高のほとんどが労働成果財の生産活動に投じられたとは言えず、この2.9倍には信憑性がない。
その調整として“あっしらのK”を利用すると、“あっしらのK”は60年代が1.113、 80年代は2.709だから、60年代の「労働価値」倍数5.2は、5.2/1.113=4.67になり、80年代の「労働価値」倍数2.9は、2.9/2.709=1.07になる。
これは、80年代に家計実収入が実質財価格ベースで1.24倍になっていることから、整合性がない値と判断できる。
“あっしらのK”算定式中の(貸出残高倍数/名目GDP倍数)の値は、60年代が1.02で80年代が1.78である。
この値を使うと、80年代の暫定「労働価値」倍数2.9は、2.9/1.78=1.63と調整することができる。
この数値あたりが、80年代の国民経済的に見た「労働価値」の上昇値ではないかと推定される。
ちなみに、この調整方法を使うと、60年代の「労働価値」の上昇値は、5.2/1.02=5.1となる。
GDPデータを基礎とした「労働価値」上昇の算定式を、暫定的に、(貸出残高倍数/卸売物価倍数/就業人口倍数)/(貸出残高倍数/名目GDP倍数)とする。
● 「信用創造」と財の価格の関係
財の理論的価格については、通貨量(発行量*回転数)の増加ペースと「労働価値」の上昇ペースの関数で決まると説明してきた。
「労働価値」の倍数を前述の期間変動表に組み込むと、
通貨 貸出 卸売 消費者 労働価値 就業者
=========================================================================
60〜70年 4.5倍 4.8倍 1.1倍 1.7倍 5.1倍 1.1倍
80〜90年 2.1倍 3.2倍 0.9倍 1.2倍 1.6倍 1.1倍
となる。
通貨の回転数が同じだとすると、理論物価=通貨発行残高倍数/就業者倍数/労働価値倍数という算定式が成り立つ。
60年代の論理的な物価倍数は0.80で、80年代の論理的な物価倍数は1.19となる。
もう一つの見方は、通貨発行残高倍数に代えて貸出残高倍数を使うというものである。
理論物価=貸出残高倍数/就業者倍数/労働価値倍数で計算すると、
60年代の論理的な物価倍数は0.78で、80年代の論理的な物価倍数は1.82となる。
60年代の卸売物価変動並びに消費者物価変動と論理価格を較べると、論理価格であれば下落していなければならないのに、現実の価格は上昇している。
これは、輸出で得た利益を経済主体間(とりわけ中間財経済主体と最終財形材主体のあいだ)で再分配する手段として財の価格変動が使われてきたことを推測させる。
消費者物価との差がとりわけ大きく、家計実収入倍数が、通貨・貸出・労働価値のいずれの倍数とりわけ労働価値の倍数よりも小さいことから、勤労者の取り分を減らすことで、利益の調整が行われたことがわかる。
一方、80年代は、60年代とまったく逆の様相を見せいている。
80年代の卸売物価変動並びに消費者物価変動と論理価格を較べると、論理価格であれば1.82倍に上昇していなければならないのに、現実の価格はそれをずっと下回った上昇しかしていない。
通貨発行残高をベースにした80年代の論理的な物価倍数は1.19である。
こちらであれば、現実の物価変動とそれほど変わらない。
これは何を意味しているかというと、貸し出しが、労働成果財に使われずに、それ以外の金融資産に向けられたという現実である。
まさに需給理論である。論理的財価格に対する現実の財価格の下方乖離は、労働成果財に通貨が向けられる割合が減少したことの反映である。
経済主体が財に転化された「労働価値」以下の価格で、財を売ることは基本的にない。
このことから、貸出残高倍数ベースの論理的財価格に対する現実の財価格の下方乖離状況は、その国民経済のバブル度を示すものと言える。
80年代後半は、貸し出しで増加した通貨量が土地や株式といった金融資産に大量に振り向けられることで、物価の上昇が抑えられると同時にバブルが形成されていったたのである。
● 「バブル形成」を避ける方法
これまでの考察から、80年代の「バブル形成」を避けるためには、中央銀行が通貨発行量を抑制するというよりも、商業銀行が貸出残高増加を抑制しなければならなかったことがわかる。
そして、日本の統治構造実態に照らせば、究極的には、中央銀行と商業銀行の両方を管理していた当時の大蔵省がそのような政策を実施しなければならなかったということになる。
「バブル崩壊」の後遺症のなかで「デフレ不況」に苦しんでいる日本経済は、バブル崩壊の要因(金融資産の価格下落)を考えるのではなく、「バブル形成」がどのような経済論理を通じて行われたかを追求しなければならない。
その考察過程を通じてのみ、「デフレ不況」から脱却するための政策が生まれてくるのである。
経済論理的に言えば、日本経済は、80年代後半から「デフレ不況」だったのである。
この「デフレ不況」を覆い隠していたのが、「バブル形成」なのである。
なぜなら、理論物価=貸出残高倍数/就業者倍数/労働価値倍数で計算された、80年代の論理的な物価倍数は1.82でありながら、卸売物価の倍数は0.9倍で、消費者物価の倍数は1.2倍でしかない。
増加した貸し出し量が、労働成果財の生産活動や購入に回っていれば、現実の物価もそれに近いものになっていたはずである。
通貨(貸し出し)量の増加ペースが「労働価値」の上昇ペースを上回っているのならば、通貨(貸し出し)量の増加ペースと「労働価値」の増加ペースを基に算出される理論値まで物価を上昇させなければ、長期的には正常な経済活動を維持できないのである。
このような経済論理を認識をしないまま政府及び日銀がどんな知恵を絞ろうとも、そこから生まれた政策では、「デフレ不況」から脱却することはできない。
蛇足的になるが、80年代以降の高校及び大学(含む短大)のそれぞれの進学率は、
高校 大学
男性 女性
========================================
58年 53.7 19.0 13.3
70年 82.1 25.0 23.5
80年 94.2 30.3 33.5
90年 95.1 23.8 37.3
00年 97.0 42.6 47.6
と推移した。
「バブル崩壊」と「デフレ不況」の別の側面での特徴は、大学進学率を大きく高めたことである。
80年から90年にかけて男性の大学進学率は下降したが、90年から上昇に転じ、「デフレ不況」が深刻化した98年からは37.2%、40.2%とさらに上昇した。
この数値は、教育熱の高まりという面もあるかも知れないが、高卒者の就職難という悲劇的状況がもたらしたモラトリアム層の増加が強く反映していると思われる。
入学してから学問に面白味を感じる人もいるだろうが、モラトリアムということで進学すれば、従来以上に大学の質が低下するだろう。
高齢化社会=年金問題であれこれ言われているが、若い人たちが働けない経済状況をつくり出しておきながら、そのしわ寄せを高齢者や就業者に持ち込むのは、統治者として失格である。
(いろいろなデータや算定式を使ってきたが、小数第一位でカットした倍数を使って雑ぱくなものにしたのは、GDP統計そのものが、金融収益や持ち家の借家みなしなどの要素が入っていて、述べてきたような目的の算定式にすっきり使えるものとは思っていないからである。それでも、それなりの意味と傾向を示していることは間違いない)
● 「信用創造」の経済的本質
近代的国民経済の成長原動力である銀行の「信用創造」は、使われてしまうことを認めていない通貨を貸し出しという経済行為を通じて他人に使わせてしまうことだとまとめることができる。
中央銀行が発行(貸し出し)を通じて増加させる部分も「信用創造」ではあるが、たんに通貨が持つ価格表示機能を弱めるだけになるだけなので、国民経済の成長原動力とはならない。(中南米諸国やロシアで起きたハイパーインフレを考えてもらえばわかる事象)
個々の通貨の経済的特性を識別することはできないが、中央銀行が発行する通貨と家計を含む経済主体が保有する通貨とでは大きな違いがある。
とりわけわかりやすいのは家計が保有する通貨である。ほとんどの人が対価なしで通貨を他人に渡すことはない。
家計が保有する通貨は、労働力(活動力)を対価として得たものと考えることができる。
これは、その通貨に「労働価値」の洗礼が既に行われていることを意味する。
同じことは労働成果財の生産活動を行っている経済主体についても言えることであるが、そこには、中央銀行が水増しした通貨も紛れ込んでいる。経済主体の場合は、活動結果とした得た利益のみが「労働価値」の洗礼を受けた通貨と考えるべきである。
(この意味で、銀行が得る利息は経済主体の利益の一部だから、利息部分は「労働価値」の洗礼を受けていることになる。そして、利息として受け取った通貨は次の貸し出しの元本にもなる)
家計のほうがすっきりするので、家計の貯蓄(預貯金や保険)で「信用創造」の本質を考えてみることにする。
活動力を対価として得た通貨をすべて使わずに一部でも貯蓄するということをマクロ的に考えれば、活動成果である財をすべては消費しないということになり、国民経済に余剰財が生まれることを意味する。
まともな政府であれば税収に規定されて財政支出を行うので、家計や経済主体が使っていると考えることができる。(それなのに日本政府には600兆円もの政府債務がある)
国民経済にとっての余剰財は、輸出競争力があり外部国民経済に需要があれば、輸出で通貨に転換することができる。
貯蓄に対応する財が余剰(過剰在庫)になったという話は聞かないので、貯蓄に相当する労働成果財は輸出に回っていると推定できる。
これまでの説明を整理すれば、貯蓄者は将来の労働成果財購入のために通貨を貯蓄し、銀行などは預かった通貨を貸し出しや投資に使い、そのような経路で得た通貨を経済主体は生産活動で使ってしまい論理的に生じた余剰の財を輸出しているということになる。(金融資産に投じられている部分は別だが、ここでは考慮外)
これは、貯蓄した通貨が勝手に貸し出しに回されてしまうということは、その通貨が使われてしまうことであるとともに、労働成果財が輸出というかたちで消費されてしまうことである。
これは、貯蓄者が期待している将来の労働成果財=労働=生産が先に使われてしまっていることを意味する。(通貨を貯蓄する目的は将来の労働成果財購入に備えるためである)
「信用創造」は、究極的には、将来の労働=生産の先取り行為なのである。
「信用創造」が物質的生産力(「労働価値」)を上昇させる原動力であるから、「信用創造」で成長を遂げた近代国民経済は、歴史をがむしゃらに先取りするかたちで発展してきたと言える。
簡単に言えば、100年かけて進む道を10年やそこらで走り抜けてきたのである。
「近代経済システム」は、まさに、ドッグイヤーなのである。
このような歴史先取り経済活動が破綻しないで済んだのは、近代的貿易に支えられていたからである。(近代的貿易がなければ、余剰財は、安値で販売されるか、朽ちることになり、次から生産は行われなくなる)
逆に言えば、近代的貿易の支えがなくなれば、歴史先取り経済活動は継続できなくなり破綻を迎えるということである。
その見通しは、まさに、今後の世界経済がどうなっていくかというという別のテーマの書き込みに関わるものである。
ここでは問題提起にとどめて、別の機会に詳細を展開したい。
● 終わりに
「バブル崩壊」まで、まずほとんどと言っていい人が預金が戻ってこないという事態を想像したこともなかっただろう。(だからこそ、ペイオフは、かたちだけの法律とみなされ、誰もそれを意識することがなかった)
使われてしまった通貨(預金)が“運良く”戻ってくるのは、借り入れをした経済主体がその通貨を使って利息分以上の利益を上げ続けているからであり、政府部門が税収を増大したり借り入れを拡大しているからである。
逆に言えば、経済主体が継続的に利益を上げらない状況が続いたり、政府部門が税収を増大できなくなったら、使われてしまった通貨(預金)は、妥当な価値(価格表示機能)をもったものとしては戻ってこない可能性がある。
しかし、これまでも説明してきたように、管理通貨制の通貨は、価値的な裏付けを持たずに財の価格表示機能しか持っていない。そして、それ故に、管理通貨制の通貨は、通貨発行量と「信用創造」によって、財の価格表示機能を弱めたり強めたりすることができる。
通貨(預金)が“運良く”戻ってくる場合でも、本当に運が良いときと、実は運が悪いときとがある。
運が良いときとは、インフレ状況で預金し、デフレ状況で払い戻しを受ける場合である。(最近満期になった郵便貯金が好例)
運が良いときとは、デフレ状況で預金し、インフレ状況で払い戻しを受ける場合である。
通貨の価値はそれ自体にあるのではなく、労働成果財がどれだけ買えるかということを確認して初めてわかるものである。
次回は、この問題を考察する流れとして、非労働成果(金融)財の価格がどのように規定されるのかを考えてみたい。