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回答先: The 1st and 2nd Impact 投稿者 SP' 日時 2000 年 4 月 25 日 17:16:11:
『ノストラダムスの極秘大予言』(アーサー・クロケット著、南山宏訳、大陸書房)より。
カトリック教会は常に、奇跡と見られる出来事に対して、決定を引きのばす態度を示してきた。今回もまたその例にもれず、どっちつかずの態度がとられた。ポルトガル政府の反キリスト教派に逆らう気があれば、盲信的に奇跡を認めるほうが話は簡単だっただろう。だが、やはり今度も奇跡とは認めなかった。カトリック関係の某新聞は、こんな大見出しを掲げた−−「真の奇跡か、空想の産物か?」と。また、一連の事件を“コバ・ダ・イリアの茶番劇”と呼ぶ自由主義者もいた。
そしてついに、首都リスボンの教会の指揮で、調査が実施される運びとなった。教会は聖職者のマヌエル・ヌネス・フォルミガオ博士に、ファティマで起きている事件の調査を依頼した。
予備的な調査を行なったフォルミガオ神父は、ファティマの一件がフランスのラサレットで起きた事件とあまりに似通っていることに驚いた。ラサレットでは二人の羊飼いの子供が、聖母の姿の幻影を見たと伝えられていたのだ。聖母のメッセージも同じで、フランスの人々が神に逆らったおこないを正さなければ、大きな災厄が降りかかるというものだった。
フォルミガオ神父は、ルシアにフランスの事件について尋ねた。ルシアは母親から聞いたことはあるが、ずっと忘れていたと答えた。そこで神父は、聖母がルシアに話した秘密を打ち明けさせようとした。ルシアは拒んだ。そして、その秘密が知れわたったら大勢の人が悲しむことになるからと話し、自分とジャシンタは秘密を知っているが、フランシスコは知らないとつけ加えた。フランシスコは幻影しか見ていないとも。さらに、聖母は十月十三日に現われて、大いなる奇跡を顕わすとも語った。
調査官の神父は頭を抱えた。ルシアの言葉のどこまでが真実で、どこからが作り話なのかをはかりかねたからだ。神父は、当の十月十三日がくるまで、判断を差し控えることにした。
次々と現われた“聖人”たち
当日の早朝、ファティマへ向かう道路は押し合いへし合いする群衆で埋まっていた。農民も工場労働者も、金持ちも貧乏人も等しく、聖母が約束した奇跡を一目見たいという期待に満ち溢れ、慢性病の苦しみから救われるかもしれないと望みを託していた。
尼僧ルシアは、この日の事件を次のように記している。
「私たちは途中の混雑で遅れることを予想して、かなり早い時間に家を出ました。道路は大群衆でごったがえしています。あいにく外は土砂降りの雨でした。今日何が起きるのか不安でたまらず、私の命が危ないのではないかと恐れていた母親は、一緒に行きたがりました。
途中では一層多くの人たちが、先月起きたのと同じことを繰り返しました。ぬかるみの道も、どこまでもすがりついて跪く群衆を怯ませはしませんでした。
事実、多くの人々は正午にコバ・ダ・イリアに着くために、まる一晩もかけてやってきていました。その中には、体が不自由だったり病気の子供を連れている人もいましたから、それは難儀なことだったと思います。足が悪くて松葉杖をついて歩く人も大勢いました」
後日、ある記者がこんな記事を書いた。
「男も女も、ほとんど全員が裸足になり、女たちは履き物を袋に入れて頭の上に乗せ、男たちは大ぶりの樽板で身を支えて、注意深く傘を握っていた。誰も彼もが長旅と他の旅人たちのせいで疲れはて、周囲の出来事に興味を失い、夢見心地で呆然となって、悲しげな節をつけてロザリオの祈りを唱えていた」
当日には、およそ七万人の巡礼がコバ・ダ・イリアを訪れたといわれる。彼らは一人残らず、しのつく雨に肌まで濡れそぼっていた。雨は正午にかけて霧雨に変わったが、今更どうなるものでもなかった。既に全身濡れねずみだったからだ。
いつものようにルシアが先頭に立っていた。ルシアは例のごとく樫の木の前に立つと、傘の波を見渡した。雨足は再び激しくなっていた。ルシアは群衆に向かって叫んだ。「傘を閉じて下さい!」。人々はルシアの言葉に従い、降りしきる雨に濡れて立ちつくした。
そして正午になった。だが、何も起こらない。群衆はざわつき始めた。立会人としてその場にきていた一人の神父は、子供たちをその場から連れ出すことにした。風邪をひくかもしれなかったし、もっと酷い病気にもなりかねなかったからだ。
そのとき、だしぬけにルシアが叫んだ。「あの方がいらっしゃいます! みんな跪いて下さい!」
少女ルシアは何かを見つめ、言葉を聞いているように見えたが、他の誰にも姿も見えず、声も聞こえなかった。ルシアは幻に問いかけた。「私に何をお望みですか?」
聖母は答えた。「この場所に私を祭る礼拝堂を建てなさい。私は“ロザリオの聖母”です。毎日欠かさずロザリオの祈りを唱えるように。戦争はまもなく終わり、兵士たちは家に戻ってきます」
ルシアは呼びかけた。「お願いがたくさんあります。病気の人を治してほしいこと、罪を犯した人を改心させること、他にもいろいろあります」
「一部は叶えてあげます」と聖母は答えた。「でも、全部はむりです。叶えてあげられない人たちは、生活を正し、罪の許しを乞う必要があるからです」
ルシアの話では、そのあと聖母は悲しげな表情を浮かべて、こう告げたという。
「すでに充分背いてきたのですから、私たちの主の意思にこれ以上背いてはいけません」
そのとき、だしぬけに雨がやんだ。そして雲が分かれたかと思うと、明るい青空から太陽が顔を覗かせた。ルシアはこう語っている。
「聖母は両手を広げて、手のひらに太陽の光を反射させました。それから空に昇っていきましたが、聖母自身の放つ光が、太陽そのものに反射されて見えました。だから私は、皆さんに太陽を見て下さいと叫んだのです。まわりに大群衆がいることなど忘れていましたから、太陽そのものを見てもらうつもりはなかったのです。叫んだのは体の内部からわきあがる衝動に衝き動かされてのことでした。
聖母がはるか遠くに離れて空の彼方に消えてしまうと、幼子イエスを抱いた聖ヨセフと純白のローブに青いマント姿の聖母が、太陽の傍らに現われました。聖ヨセフとイエスが両手で十字架のかたちを描いたので、世界を祝福しているように思えました。やがてその幻影が消えると、今度は主と聖母の姿が見えました。“悲しみの聖母”のようでした。主もやはり聖ヨセフと同じしぐさで、世界に祝福を与えました。その姿が消えると、再び聖母が姿を現わしましたが、今度は“カルメルの聖母”のようでした」
七色の光を放ち回転する太陽
この光景はルシアだけが見たもので、群衆は誰一人見ていない。だが、その間彼らは、別の光景に度胆をぬかれていた。爆竹輪のように周囲に光の矢を放ちながら、太陽が回転するのを多数の者が目撃したのだ。太陽が放つ燃える光の指が、ぐんぐんのびて、空いっぱいに広がった。
また、大地までがその色合いを変えた。まず赤っぽく染まり、続いてオレンジ色、黄色、緑、青、紺色、紫と目まぐるしく変わった。この現
象は三度までも繰り返された。それから、あっというまに太陽が地上めがけて突っこんできた。地上に近づくにつれ、太陽は小刻みに震え、凄まじい勢いで揺れ動いた。群衆は悲鳴をあげた。この世の終わりだと思った者もいた。何千もの人々が、恐怖におののいて跪いた。また、ひれ伏して神の慈悲を乞う者たちもいた。中には、恐怖のあまり口もきけずに膝をつき、そのままの姿勢で近づいてくる太陽をじっと見つめたまま、声にならない祈りの文句を口にする者もいた。
この不気味なスペクタクルはおよそ十分ほど続いた。それからようやく、太陽は身の毛のよだつ地上への接近を停止して、再び上昇を始め、天空の元の位置に戻ったのである。〈オ・セクロ〉紙の編集長デ・アルメイダ(アベリーノ)氏は、当日の状況を次のように記している。
「宇宙のあらゆる法則を破るこの事件は、突然、太陽が震え、動きだすことで始まった。太陽は、農民の典型的な表現を借りるなら“踊っている”ように見え、現場の無数の人間は驚き、畏怖の念に打たれて見守るばかりだった。今日ファティマで起きた出来事に、信心深い人たちは心から神を讃える大合唱を湧きあがらせた−−事実私も、感銘を受けるに値する現象だと認めるのにやぶさかではない−−し、教会の権威を無視する自由思想家も、宗教問題に全く興味のない人々も等しく感銘を受けたことだろうが、この出来事を“太陽の死の舞踏”と呼ぶのがふさわしいかどうかの結論を出すのは差し控えよう。この現象を信じない者にとっては、二度とない珍しい出来事にすぎないだろうし、じかに目撃しなかった者にとっては、全く信じ難い現象だろう。一大群衆が一斉に雲の切れ間から覗いた青空をふり仰ぎ、隣に立つ者が『奇跡だ、奇跡だ』と叫ぶのを聞く。そんな現象だったのだ」
ここで、アベリーノ・デ・アルメイダ氏は、懐疑論者で反宗教主義者だとつけ加えておくのも一興だろう。また、氏はフリーメイソンの会員なので、奇跡の類は一切信じていなかった。しかし、この日に限って、氏の信条もさすがに揺らいだのである。(p188-196)
コンピュータ専門家で、全世界、何千ものUFO目撃事件を調査分類している著名な天文学者ジャック・ヴァレ博士は、『見えない大学』という著書を出した。その中で博士は、ファティマの謎に関する自身の見解を述べている。
ファティマのメッセージについてさらに幅広い考察を加えられるように、該当箇所を引用しよう。
「信頼できる知人が、法王の側近から興味深い報告を受けとっている。一九六〇年、法王ヨハネ二十三世が“ファティマ第三の予言”を開封したとき、その場に枢機卿たちを案内した側近の様子を記したものである。予言は奥の間の扉を堅く閉ざして、厳粛な雰囲気の中で封を切られたが、その側近は、たまたま法王の執務室から退去する枢機卿たちの姿を目にする機会があった。彼らは一様に恐怖におののいた表情を浮かべていたという。彼はデスクから立ち上がって、親しい枢機卿に声をかけようとしたが、枢機卿は側近の男をそっと脇に押しやると、さながら幽霊でも見たような蒼白な顔をしてそのまま歩き去ったという」
「高位の聖職者をそれほどまでに怯えさせた予言とは、一体どんな内容だったのか? 恐らく彼らは、現実とあらゆる常識を超越し、同時に理性と信仰心の概念をも超越する類の予言との直面を迫られたのだろう。だが、彼らは、あくまでも真相から我々を遠ざけようとする態度をとっているように見受けられる。一体、何の目的でそうするのか?」
「いうまでもないが、理性的に考えるならば、特殊な現象は科学者と技術的な訓練を受けた観察者から得られるデータのみに基づいて調査するのが望ましい。事実、UFOの現象の多くは、詳しい物理的データを伴って報告されている。したがって技術的な基盤がしっかりしている。とはいえ研究上は、UFO目撃者の精神的な動揺が宗教的な性質をおびる点も無視するわけにはいかないし、実際、UFO目撃例の多数に、純然たる“奇跡”として報道される(ファティマなどの)現象と驚くほどの類似点が見られるのだ。ここで、前にも述べた私の考えをもう一度繰り返したい。『我々が直面しているのは、物理現象を超越し、目に見える現象に手を加えることに、感覚を受け取る様々に変化した意識の状態を自由に作り出せるテクノロジーである。このテクノロジーは、我々の宇宙観を覆すことが目的なのかもしれない』」のだと。
「したがって我々は月の石を分析したり、新種の昆虫を分類したりするように、細心の注意を払って“奇跡”を形態的に分類するべきだろう。証言を冷静に分析して動機と誤謬とを探り出し、その下に潜む事実だけを取り出すべきなのだ。そこで初めて“奇跡”の持つ真の意味を語る準備が整うだろう」
ヴァレ博士の考え方は、ファティマの秘密にUFO−−地球外の知的存在が関わっている可能性を示唆している。(p231-234)