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以下『死海写本が告げる人類最期の戦い』(上坂晨著、学研)第13刷より。第1刷は1984年発行。
…私はヘブライ大学を訪ね、そこで運よく、前章で紹介したスーケニーク教授のもとで働いていたパレスチナ博物館の研究員ロシュワルト准教授を紹介された。
彼はユダヤ系アメリカ人で、故国を離れ、この地で骨を埋めるべく、博物館付属の研究室で写本の修復と体系化に没頭していた。初老にさしかかった質実そうなこのユダヤ人学者は、当初アカデミズムの人間でない私にいぶかしげなまなざしを投げかけていたが、徐々に口がほぐれ、ようやく雄弁さを加え、顔を紅潮させて熱心に語りはじめた。
准教授の話では、「ある筋」からの圧力は「露骨すぎるほどだった」と不満を隠さなかった。事実、職を辞した研究者も何人かいたという。
写本の発見当時、たまたまパレスチナ紛争たけなわということもあって、この謎の経典はあちこちに引き回され、一時は身の置き場もなかったほどだった。そこで、ヘブライ大学の有志と聖マルコ寺院のサミュエル大主教は、委員会をつくって散逸を防ごうとしたが、独立を達成したばかりのイスラエル政府の圧力によって、計画は頓挫してしまったという。
「とにかく、国は認めたがらなかったんですよ。まるで、考古学などわかるはずのない分野の学者まで乗り出してきて、あれこれと難癖をつけたんですから」
私は、当時をいまいましげに回想するロシュワルト准教授の眼鏡の奥の落ちくぼんだ目を覗き込んだ。
「いずれにしても、あれは学者に望まれる客観的態度などというものじゃなかった。あれはもう、法廷闘争のようなものでしたよ」
私は、その具体的な争点をさらに問い質した。
「ひどいものは、真っ赤な偽物だという説です。根拠も何もあったものではない。それがれっきとした学会誌に載るんですからね。ま、そのおかげで地味な学会誌が急に活況を呈したことは事実ですが」
「でも、そんな乱暴な意見がいつまでももつはずもないでしょう?」
「ええ、それでその次に登場したのが、8〜10世紀あたりのカライテ派の文書じゃないかというものです」
カライテ派といえば、パレスチナからバビロニア、ペルシア、エジプトにまで広がったユダヤ教の宗派で、経典の一字一句を厳密に解釈し、そこに神のすべてが書き表されているものと考えた、狂信的な一派である。
「でも、年代が違いすぎるはずですね」
私にも、この説の矛盾は明らかにわかった。
「ええ、地質学による年代測定や写本の記述そのものの考察、それに文字の研究を通して、これが少なくとも紀元前1世紀に遡ることは明らかだったのですが、多くの学者が譲りませんでした。不可解なことに、外国の学者までが偽物説に加担する始末です」
外国の学者が、この写本をつぶさに検討する機会はあったのだろうか−−。
「とんでもない。1949年のパレスチナ紛争中、サミュエル大主教が砲弾の被害から写本を守るために一時アメリカに運び込んだのですが、何度も展示したのに誰も関心を示そうとしなかったんです。それを、あのゼイトゥリン教授などは……」
ゼイトゥリン教授は、当時アメリカを代表する聖書学者だった。
「ソロモン・ゼイトゥリン、それにイギリスのG・R・ドライバー教授などが攻撃の急先鋒でした」
ロシュワルト准教授の当時の学界に対する反発は、相当なものだった。私は、准教授の回想に触れて、改めて『死海写本』に加えられた異常ともいえる圧力を感じざるをえなかった。だが、准教授の口からは、その圧力の背後にある「影」のようなものの正体についてはついに聞くことはできなかった。私は、最後にこの点を遠まわしに尋ねてみた。
「別に、国家的大陰謀などという大袈裟なものがあったはずはないでしょう」
准教授の口元が急に歪んで、語気が荒くなった。
「『死海写本』はユダヤ民族の財産なのですからね。これが本物であって困る者などあろうはずがない。つまるところ、ユダヤ人はあなた方日本人よりもほんの少しだけ保守的ということなんでしょうな」(p76-79)
その退職した研究者の名は、ヤディンといった。ファースト・ネームも、住所もわからない。准教授は、その人物の名と電話番号だけを書いたメモを私に手渡したからである。意図的にそうしたのかどうかは、いまとなっては霧の中だ。
ホテルからメモの番号に電話を入れると、たどたどしい英語が返ってきた。その声から年齢が50歳前後であることが察せられた。私がロシュワルト准教授の名を告げると、ヤディン氏は私の求めに応じ、面談場所を迷っているふうなので、私は数日前に観光がてら歩いたエルサレム旧市街のビラ・ドロローサを急いで提案した。ヤディン氏の気が変わっては困ると、気が気ではなかったからだ。
ビラ・ドロローサとは、悲しみの道を意味し、キリストが刑場であるゴルゴダの丘まで十字架を背負って登った坂のことである。今となっては当時の面影もなく、キリストが踏みしめた石だたみは、地中5メートルのところに埋まっているという。その上はアラブ人街になっていて、バザールが立ち観光客でごったがえしていた。
現れたヤディン氏は、思ったとおりの年格好の小柄で青白い顔の人物だった。氏はゴルゴダの丘に向かってゆっくりと歩きながら、私の顔をときおり覗き込むように見つめた。
「日本人のあなたが、なぜ写本のことをそれほど知りたがっているんです?」
明らかに警戒心を抱いているようだった。私はなるべく率直に話すように心がけ、写本の学問上の意義ではなく、書かれている予言について興味があることを告げた。私はさぞ、うさんくさい目で見られると思った。ところがそうではなく、彼から返ってきた言葉はこういうものだった。
「あなた方東洋人には何の関係もないことでしょう」
私は、予言書に書かれていることが本当なら、人類全体にかかわる問題だと告げた。
ヤディン氏は、もう一度私を探るように見てから、急に態度をやわらげていった。
「あなたは、写本のこんな一節を覚えていますか?
光の子らと、闇に割り当てられた者とが、破滅の日に、神の力を示すため、
大いなる群の声と、神々と人々の喚声の中で戦い合う−−」
「『光の子と闇の子の戦い』ですね。それが、どう関係するんです?」
私は、ヤディン氏の意図がわからぬまま、写本の中でも最も黙示録的といわれる一巻を思い返した。
「私は、いわば光と闇の戦いにはじきとばされたんですよ−−」
そのとき、私はとっさに自分の耳を疑っていた。話があまりに唐突すぎたからだ。あっけにとられて立ち止まったそこが、ゴルゴダの丘にある聖墳墓教会であった。私は、このヤディンなる人物はある種の宗教的狂信者ではないかと疑った。あるいは、公職を離れ、自閉的な生活を送っているうちに、頭がおかしくなってしまったのだろうか。ところが、ヤディン氏は私の疑いをとっくに読んでいた。
「我々ユダヤ教徒は、異教徒から見れば誰も
が狂信家ですよ。いや、オカルティストというべきかもしれない」
氏は、そういって微笑むと、敬虔なキリスト教徒が口づけしている教会の中庭に面した石の柱に腰を下ろした。
「ユダヤ人は、奇跡を信じているし、超能力も信じている」
これが、ユダヤの選民意識というものなのだろうか。それにしても、真顔でこんなふうに語られると、ユダヤ人でない私などはどう反応したらいいのかわからない。
「我々は、アメリカから金を引き出しているし、西欧の文明を形成してきた現代科学は、我々ユダヤ人がつくった超科学だと思っていますよ」
彼はそういって、アインシュタイン、フロイトなどそうそうたる科学者の名を列挙してみせた。ヤディン氏によれば、世界的な科学者はほとんど全部ユダヤ人だという。
私とヤディン氏との会談は、こうして始まった。話題はユダヤ人の優越性から始まって次第に核心におよび、4時間を超える膨大なものになった。(p79-83)
彼によれば、いまや世界はその大半がすでにフリーメーソンによって牛耳られているという。そして、ソ連とともに世界の運命を左右する現代アメリカこそ、古代エジプトより連綿と続くフリーメーソンの巣窟になっているというのだ。
アメリカ大陸にユダヤ人がやってきたのは、はるか17世紀に遡るらしい。中世スペインでナチス・ドイツ並の迫害を受けたユダヤ人が、その迫害を逃れ、いまのウォール街のあるマンハッタン島、当時のニューアムステルダムに到着したのが最初である。
彼らは財産もなく、大切な持物さえ売って飢えをしのぐありさまだったが、数年もするともうかなりの財を成す者が現れた。そして、急速に力をつけていった彼らは、その基盤をより確かなものにするため、独立戦争に資金を援助し、南北戦争では北軍に肩入れしたのだった。
その間にも、彼らは政治組織化した秘密結社フリーメーソンを通じて、アングロ・サクソン系民族を中心としたアメリカ支配層に巧妙に食い込んでいった。フリーメーソンの表の理念である自由と博愛によって人種の垣根を乗り越え、支配力を強めていったのである。
フリーメーソンが恐怖の組織であるというのは、反ユダヤ組織の側から意図的に流された陰謀であり、本来はあらゆる宗教を統一し、人類の発展と世界平和のために心をひとつにした者たちの集まりであるという意見も多い。つまり、ライオンズ・クラブやボーイ・スカウトの類と同じようなものだというのである。
だが、ヤディン氏はその意見を半分だけ否定した。確かに、フリーメーソンが悪の結社であり、世界転覆を企んでいる、というのは反ユダヤ側から流された中傷かもしれない。しかし、フリーメーソンの実体はボーイ・スカウトやライオンズ・クラブのようなものとはほど遠い、と彼はいうのだ。(p116-117)
ヤディン氏はこう断言する−−『死海写本』はユダヤ民族にとってはきわめて重要な秘密であり、さらには「神の計画書」そのものであって、決して公開すべきものではなかったのだ、と。
私は、もうひとつよくわからなかった。そこのところをヤディン氏に問い質すと、彼は直接答えるのを避け、『死海写本』の中の一節を口ずさんだ。
これは世の終りにひとつに集まったイスラエルの全会衆のための定めである
これは、会衆の全軍のため、イスラエルの市民のための定めである
賢者のために、会衆の指導者を祝福するために、彼は……その能力を……
共同体の契約を新たにするだろう、彼の民の王国を永遠にするために
彼は、あなたの角を鉄にし、蹄を青銅としたもう
彼はその聖なる名をもってあなたを強くなし、あなたを獅子のようになすだろう(『会衆要覧』)
終末になると、イスラエルの全会衆が一同に集まる。私はこの一節を読んで身の凍る思いがした。散り散りばらばらになっていたユダヤの民が再びひとつになる時期とは、まさにこの現代をおいて他にはないではないか! ユダヤ民族は、2000年の果たせぬ悲願を、いまようやくこの地で達成しているのだ。
気にかかることがまだある。あのアメリカの国璽に刻まれた「多より一へ」の暗示めいた一句である。これは、『死海写本』の『会衆要覧』にうたわれた散らばった民族の大同団結を意味してはいないだろうか。
国璽の決定に、フリーメーソンの意志が働いていたことは、13の暗示からも明白な以上、これは他愛ない連想ということでは片づけられないだろう。『死海写本』はフリーメーソンの動きを予知していたのだろうか。それとも、フリーメーソンが『死海写本』の予言どおりに動いているのだろうか。
このことに関連して、ヤディン氏は私に奇妙な事実を明かしてくれた。『死海写本』は、すでに中世において一度発見されたふしがあるというのである。
実は死海地方では、他の写本を秘匿した洞窟がいくつも発見されている。それらの写本は、ユダヤ教エッセネ派の流れを汲むカライテ派が用いたものであることが判明している。このカライテ派の中でも、「洞窟派」と呼ばれる一派の残した写本は、『死海写本』とよく似た個所がいくつも発見されているという。
ヤディン氏は、この洞窟派の残した写本を検討した結果、彼らが『死海写本』を発見し、それを経典として用いていたことは間違いないとの確信を得たという。とすれば、中世には『死海写本』の写本が、ユダヤ密教の諸派の間に流布していたと考えなければなるまい。
つまり、フリーメーソンなどユダヤ社会の隠れたエリートたちは、『死海写本』の存在をはるか昔から知っていたことになる。ヤディン氏によれば、だからこそ彼らは新たに発見された『死海写本』の原本を葬り去ろうとしたというのだ。
それが、彼のいう「光と闇の戦い」ということになる。だが、光とは誰で、闇とは誰だろうか。フリーメーソンや、ユダヤ社会はおろか世界を牛耳るほどの力をもつユダヤのエリートたちは、光なのだろうか、それとも闇なのだろうか。
ヤディン氏は、それは光の側にちがいない、という。神エホバはユダヤの民を選ばれたのであり、フリーメーソンはその神聖な秘儀を守る者だからというのだ。その証拠が、彼の引用した前の一節であるという。
神はその王国を永遠のものにするため、賢者つまりユダヤの秘儀を守るフリーメーソンや、会衆の指導者であるユダヤの指導者たちに特別の力を与え、契約を新たにした。彼らは、いまや鉄の角と青銅の蹄をもち、獅子のように堂々とふるまうことができる。彼らの勢力は絶大で、アメリカの大統領はおろか世界中の指導者をフリーメーソンのもとにかしずかせている。ヤディン氏は、戦後の日本の総理のうち2人は、フリーメーソンの会員だともいうのである。
だが、彼らの目的は、はたしてどこにあるのだろうか。ハルマゲドンが、人類最期の戦いが避けられないものなら、できるだけ有利に戦いたい。すべてはそのための準備なのだろうか。
あるいは、もっと積極的に、『死海写本』の予言をタイム・テーブルとして執行しようとしているのだろうか。たとえ世
界が破局の淵に震えおののこうとも、彼らの神の国を実現したい、死海写本予言がユダヤ民族の究極の勝利をうたっているのなら、民族を存亡の危機に追いやろうとも、予言どおりに未来を描いてみたい−−と。(中略)
ところで、私はヤディン氏から、ある僧院で今も2000年前のクムラン宗団の僧たちとほとんど同じ暮しぶりを続けているひとりの修行僧がいることを教えられていた。
バプテスマのヨハネの流れを汲むというその僧院は、聖書の時代からの古い町エリコにあった。僧院はあのマサダの砦にも似た断崖絶壁を背にしていたが、驚いたことに、頂近くの洞窟の中で、ひとりの高齢の修行僧が全く世俗との交渉を断って、瞑想三昧の生活を送っているという。(中略)
訪れた僧院では、敬虔なミサが行われていた。私は、玄関口で私を迎えてくれた白衣の僧に、洞窟に住むガブリエル師に会えないものかと尋ねると、師は週に1度だけ祈りを捧げるため以外には、この僧院にも降りてくることはないという。
私が当惑していると、突然、背後で人の気配がし、そこに背の高い黒衣の僧が立っていた。それがガブリエル師であり、彼は、私が来るので下で待っていたといって笑った。こんな奇妙な体験は初めてである。いったいこの禁欲の修行僧はどうして私がやってくるのがわかったのだろうか。
ガブリエル師は深いまなざしで凝視すると、私をうながして裏山に向かった。梯子を伝って絶壁の中腹にある洞窟に入るまで、氏はひと言も口をきかなかった。洞窟の入口から見た下界は、目もくらむばかりだった。
師によれば、水と食糧はロープで運ぶのだという。洞窟の内部はほの暗く、目がなじむまでしばらく時間がかかった。中は予想以上に広かった。部屋の中央には祭壇があり、蝋燭の炎が燃えていた。その向うにはいくつか小部屋が見えていた。師の話では、かつては何人もの修行僧がここで暮らしていたが、今では自分だけだという。
私が改めて感じたガブリエル師の印象は、信じられないほどの若々しさをもっているということだった。85歳になると聞いていたが、せいぜい40歳くらいにしか見えない。どんな秘密が隠されているのだろうか。
‖日本に興味を示す老修行僧ガブリエル師‖
この若々しい老人は、日本人を見るのは初めてだといった。師は、面談の当初、並々ならぬ関心を日本に向けた。仏教系密教についてあれこれと尋ねた。僧侶たちはどんな暮しぶりかとも聞いてくる。私がインタビューを受けているような錯覚に陥るほどだった。
師は、日本についてある謎めいたことを語った。日本で何かが始まっているというのだ。私は、その意味がつかみかねた。そのことを質すと、師はただ笑って、いまにわかるとだけいった。
師は、私に会うわけは、私は宗教家ではないが重大な媒体の役目を果たしているからだという。私は、『死海写本』を探っていることを指しているのかもしれないと考えた。そこで、そちらに話を向けるために、先日クムランの僧院跡を訪ねたときのことに話題を向けた。私がこの遺跡で不思議な霊感を受け、奇妙な幻視をしたことを告げると、ガブリエル師はあそこは地磁気の最も強いところだと語った。
地磁気が強いと、生体内に潜むある種の霊能力が活性化され、思わぬ体験をすることができるというのだ。このオアシスの町エリコの洞窟に潜んでいるのも、ここがきわめて地磁気が強いからだという。
「地磁気は、この世界のあらゆる成立ちを解く鍵ですよ」
師は、そういって私をじっと見つめた。さらに、
「時間や空間の謎さえ、地磁気によって解き明かすことができる」
と断言する。彼によれば、死海西岸に匹敵する地磁気の強い地点は、チベットくらいしかないのではないか、というのだ。(中略)地磁気の知識はユダヤ密教の奥義のひとつだが、ユダヤ人にはまだまだ隠れた超科学があるという。そのひとつが、『死海写本』の表面に塗られていた未知の防腐剤で、これは今の科学ではその成分がわからないはずだということだ。
彼によれば、世界的なユダヤの科学者は、意識的、無意識的にこの伝統の密教科学を受け継いでいるという。アインシュタインの相対性理論も、フロイトの性理論もユダヤ民族の「カバラ科学」の一断片にすぎない、という。
だが、彼はそんなものは人間にとってさして重要なことではないと語った。
「神への敬意と人間への愛、これこそがすべてです」
彼はそういって、十字を切った。私は重要なことを忘れていた。彼はギリシア正教の僧侶だったのである。たとえ、中世においてキリスト教を強要されたユダヤ人であるとはいえ、彼は今や自らの意志で選んだれっきとしたキリスト教徒なのだ。
私は、彼の中に自らの血であるユダヤ民族に対する批判の影を見たような気がした。私はそのことを率直に尋ねてみた。
「あなたは、シオニズム運動については、どう思われますか?」
彼はこんな答え方をした。
「あなた方東洋の宗教にはカルマ(業)の教えがあるでしょう。因果応報ですよ。ユダヤ人の歴史は、迫害の歴史です。バビロニアの時代からついこのあいだのナチス・ドイツに至るまで、ユダヤ民族は他の民族にひどい目にあわされてきた。だからといって、アラブ人が長いあいだ暮らしていた土地を取りあげて、ここは我々の先祖の土地だから出ていけ、というのは間違いです。因果はめぐる。今度は必ずアラブ人から復讐を受けるでしょう」
ユダヤ人の口からこんなことを聞こうとは、思ってもみなかった。
「ユダヤ人は被害妄想です。そして、同じ被害妄想の民族にロシア人がいる。私は彼らを恐れています」
ガブリエル師の目が一瞬くもった。私は彼が何かを予感していることを察した。だが、彼はそれ以上は何もいわなかった。
「私は日本人に期待しています。日本人はユダヤのカルマの対極にいます。あなた方が新しい流れをつくっていかなくてはならない」
私は、イスラエルと日本の遠く離れた2つの国の未来を思った。
ガブリエル師と話を続けていくうちに、私はこの老僧の人柄にいつしか強くひかれていくものを感じた。彼は世界を見ている。世界の未来に憂いを感じているのだ。
‖クムラン宗団の人々が逃げのびた塩のトンネル‖
私は、『死海写本』にその未来は描かれているか、と尋ねた。彼は黙ってうなずいた。
「あれは、ユダヤの予言者の全精力を結集したものです。あれには、すべてが書かれている。だからこそ、明らかにしてはまずい、と彼らは考えたわけです」
「彼らとは−−?」
「長老たちと、フリーメーソンです」
やはり! 期せずしてガブリエル師の口からもヤディン氏同様に、フリーメーソンの話が出てきてしまった。
「彼らは、もはや人類最期の決戦は不可避と考えているでしょう。たぶん、もう誰にも止めることはできない。日本人にもそれはできないでしょう。だが、それでも……」
彼が私に期待を寄せている意味がようやくわかった。『死海写本』の予言内容を公にして、危機が近いことを人々に
知らせ、この人類の破局を食いとどまらせるのだ。しかし……。一瞬のあいだ、静寂が洞窟内を支配した。
「ひとつ、あなたに興味深いものをお見せしましょう」
ガブリエル師は、沈黙を破るようにそういって立ち上がると、部屋の奥に私をうながした。部屋の片隅に小さな洞窟が口をあけていた。私は、ガブリエル師の後について身をかがめてその中を進んだ。
しばらく進むと、視界が一挙に広がった。そこに展開された光景は、今でも目に焼きついて離れない。ドームのような空間が広がっていた。その壁面がどこから差し込むのかわからない光によって、ダイヤモンドのようにキラキラと輝いているのである。
「これは、全部塩です」
ガブリエル師の声が洞窟内でこだました。
「この辺は、海面下400メートルのところにあるのはご存じですね。高地から流れてきた湧き水が塩を運んでいるのです。この辺は岩塩の宝庫なのです」
ガブリエル師は、洞窟の片隅に寄っていくと、塩のこびりついた壁を手で叩いた。
「この奥は、ずっと塩でできています。塩のトンネルになっているんですよ。塩は鍾乳洞と違ってずっと溶けやすいし、固まりやすい。2000年前には、ここにトンネルができていたといういい伝えがあります」
私は、ガブリエル師がいったい何をいいたがっているのか、見当がつかなかった。
「私の住んでいるこの洞窟は、かつてクムラン宗団の修行所だったのですよ。これで、おわかりでしょう」
私は、ハッと息をのんだ。クムランの僧侶たちは、ローマ軍が到着する前にこの塩の道から、どこかに逃れていったのだ。
「クムランの人々はどこかに落ちのびて、その伝統を守り続けていますよ。彼らは、この世の終りの戦いには、必ず現れて何かをするはずです」
私は、ガブリエル師の期待が夢物語で終わらないように、と願うばかりだった。そしてクムランの聖者たちが、戦争を準備する側にではなく、戦争を食いとどめる側に立つことをひたすら願うのだった。(p122-134)