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回答先: 『買ってはいけない』著者・渡辺雄二氏のエイズ関連書籍より 投稿者 うぐっ 日時 1999 年 9 月 22 日 20:46:41:
『エイズは恐くない?』時事通信社1992
第2章「現代文明がエイズを生み出した」より
P37〜56
媒介役となったハイチ人
エイズウイルスは、性行為によって、人から人へと移っていった。その感染に
は、売春婦が大きな役割を果たしたようである。
アフリカ中央部の国では、エイズ患者は売春婦に多い。NCIとベルギーのサ
ンピエール病院の共同調査によると、ルワンダでは、検査した売春婦八十四人
のうち何と六十七人(七九・八%)がエイズに感染していた。さらに、同性愛
傾向のない一般人五十一人のうち八人(一五・七%)が感染していた。これら
は、エイズが異性間セックスによって広がっていったことを裏づけている。
アフリカ中央部とアメリカの媒介役はハイチ人とみられている。カリブ海諸島
は、アフリカからの移住者が多く、アフリカと密接な関係を持っている。一九
六〇年から七〇年にかけて、多数のハイチ人がザイールに居住していた。これ
らの人たちが故国に引き揚げたときに、エイズを持ち帰った疑いが非常に濃
い。
このほか、ハイチ人媒介説を裏づけるものは数多くある。まず初期の患者数が
アメリカ、フランスに次いで多いことである。さらに、アメリカで当初に発見
されたエイズ患者が、ハイチからの移民や、彼らと同性愛の関係を持った者に
多く発生している。また、ハイチはフランスの元植民地であり、現在もフラン
スとの交流は盛んだ。
ハイチは非常に貧しい国で、結婚も思うように出来ない男性が多いという。そ
れらは、しかたがないのでホモセクシャルに走る。あるいは男娼となる。また
女性は売春婦になる者が多い。そういったホモや売春婦が不特定多数の者と性
交渉を持つ。そこにエイズが入ってくれば、当然急速に広まってしまう。
こういった男たちが、貧困を逃れるため、アメリカヘ移住して男娼となり、エ
イズを感染させる。あるいは、アメリカ人がハイチで男娼との性行為によりエ
イズに感染し、それを本国に持ち帰る。こういった形で、アメリカのホモの間
にエイズが入り込んだと考えられている。
ホモの女役に多い患者
どんな形にしろ、一度ホモセクシャルにエイズが感染すると、それは次々と広
がっていく。これはホモの特殊性と、その数の多さによる。現在、アメリカで
ホモ行為を継続している者は一千万人近いと推定されている。
ホモはアメリカでは広く認められているようにみえるが、決してそのようなこ
とはない。キリスト教の国では、子どもをつくるためでないセックスは否定さ
れる傾向にあり、アメリカもこれは変わらない。先ごろ、アメリカ連邦最高裁
判所がホモは犯罪との判断を示したことでも分がる。ホモを禁止している州は
二十以上に及ぶ。テレビに、公然と腕を組んで歩いている男たちが映し出され
るが、あれはニューヨークやサンフランシスコなどごく一部の地域のことにす
ぎない。むしろ、ホモに対する嫌悪、あるいは罪悪の意識は、日本などより
ずっと強い。したがって、アメリカでもホモは隠れた存在なのである。
ところが、一九七〇年代がら、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨー
クなど大都市で起こった「ゲイ解放運動」は、ホモやレズを社会の前面へ押し
出した。彼らは市民権を獲得するやいなや、自分たちが自由にセックス出来る
状況をつくりあげた。そして毎日特定の場所に集まり、乱交を繰り返した。そ
こにエイズが入ってきたのである。
CDCの調べで、エイズが発病したホモは、一般的なホモに比べて、乱交傾向
が強いことが分かっている。この乱交傾向が、エイズを急激に広め、一九八一
年のエイズ患者発見へとつながったようである。
ホモの性行為で最も多いのは、アナルセックスである。この場合、男役と女役
に別れるが、CDCの調査ではエイズ患者は女役に多い。女役の直腸は、ペニ
スの挿入によって傷つき、出血することが少なくない。ここに精液とともにエ
イズウイルスが入ってくれば、たちまち傷口から侵入してしまう。逆に、女役
が感染者の場合も、直腸から出血した血液が男役のペニスの粘膜に付着するこ
とで感染する。このように、アナルセックスは異性間セックスに比べ、エイズ
感染を起こしやすく、このことがホモにエイズ患者が多い原因となっている。
実物乱用者にエイズが広まった
エイズ患者でホモセクシャルの次に多いのが、薬物乱用者である。アメリカの
エイズ患者のうち約二三%がこれに当たる。
いま、アメリカ政府が最も頭を痛めている問題の一つが、麻薬中毒者の急増で
ある。南米やメキシコからコカインが、あるいは香港や韓国などから覚醒剤が
次々に入ってきて、国民をむしばんでいる。薬物乱用者のエイズ患者は、
ニューヨークとニュージャージー州に多い。ホモの患者の多いサンフランシス
コやロサンゼルスでは、少数しか発見されていない。これは、ニューヨークの
薬物乱用者のグループがホモとの接触が多いのに対し、西海岸ではそれが少な
いためと考えられている。
薬物乱用者はグループをつくり、その中で注射器を回して使うことが多い。し
たがって、グループの一人がエイズ患者で、ウイルスが注射針に付いていた場
合、あるいはウイルスを含んだ血液が注射器に逆流した場合、次から次へと感
染してしまう。
また、アメリカのいくつかの都市には、「シューティング・ギャラリー」(注
射所)といって、薬物乱用者のための非合法の場所がある。そこに行けば、自
由に薬剤を買ったり、注射器を借りて、その場で注射することが出来る。そこ
で使用された注射器は、店員に返され、店員はそのまま薬剤を吸い込ませて、
次の客に売る。それ故、客の中の一人がエイズ患者であれば、次から次へと感
染を広めてしまう。このような事情から、静脈注射による薬物乱用者にエイズ
患者が多いのである。
さらに、医学的な原因も考えられる。というのは、薬剤の注入によって、彼ら
の免疫力が低下していると考えられるからである。
コカインにしろ、ヘロインにしろ、薬物は身体にとって異物であり、血管内に
入ってきた場合には、それを攻撃するように、T細胞やB細胞、その他の白血
球が働く。つまり、免疫機構の一部が導入されるわけで、それだけ免疫機構は
手薄になる。そこにエイズウイルスが侵入してくると、攻撃する力が十分でな
いため、簡単に侵攻を許してしまうことになる。
このように薬物乱刑者は、習慣や免疫力の面から、エイズが感染しやすいと考
えられるのである。
……
(中略)
異性問セックスでも感染
アメリカのエイズ患者のうち、約六%は異性との性交渉
が感染の原因だ。
これは、男性→女性、女性→男性のいずれをも含む数字である。男性→女性の
感染は、最初は男性がバイセクシャルだったために、起こったと考えられる。
もしバイセクシャルの感染者がふつうの女性とセックスすれば、エイズウイル
スが一般家庭の中に入り込む。そして夫に感染し、生まれてくる子どもにも感
染する。まさにその家庭は全面的に崩壊してしまう。
さらに、バイセクシャルが売春婦とセックスして、売春婦が感染して不特定多
数の男性と性交渉を持つともっとやっかいである。売春婦は薬物乱用者である
ことも多いので、そちらからも感染しやすい。アフリカでは、前に述べたよう
に、売春婦を介してエイズが広がっている。アメリカでも、ニューヨークの売
春婦に感染者が高率でみつかっている。
エイズを広めた「性革命」と「ゲイ解放運動」
同性愛は人間特有の行為
アメリカでエイズが広まった最大の理由は、ホモセクシャルが多かったからで
ある。ところで、なぜアメリカにはホモが多いのだろうか。
同性愛は人間特有の行為である。なるほど動物の中にも同性愛的な行動をとる
ものがある。例えば、ピグミーチンパンジー。これはチンパンジーよりも小型
のサルで、コミュニケーションのために、しばしば性的行動をとる。特に有名
なのは「ホカホカ」といわれるものだ。これはメス同士が、性器をこすり合わ
せるという行為である。
しかしこの行為に性的興奮はない。いわばお互いの緊張をこの行為によって緩
和し、「仲良くしよう」という意味のものである。
このほか、ヒヒもときどきオスが尻を突き出し、そこに別のオスが「マウン
ティング」するということがある。だがこれも性行為とは関係がない。尻をつ
き出すというのは、「あなたに服従します」という証なのである。結局、本当
の意味で同性愛行動をとるのは人間しかいない。
しかし、人間でも同性愛行動をとるのはごく限られた者たちだけである。な
ぜ、一部の者たちだけがそのような行為をするようになるのであろうか。
フロイトは、幼児はその性に関係なく、男性にも女性にも性的に反応すること
を身につけ得る、と主張した。ただ十どもは、社会から、男性は女性を、女性
は男性を好きになることを教えられるので、異性間恋愛を行うようになると考
えた。この考えは、医学的な観察から導かれたようである。フロイトは『三つ
の性欲論』の中でこう述べている。
「肛門帯は口唇帯に似て、その位置からいって性欲を身体の他の機能に依存さ
せる媒介をなすのに適している。肛門という身体部位の性感的な意義はそもそ
も非常に大きいと考えざるを得ない。肛門帯から発する性的興奮によって普通
どんな変形が企てられるか、またこの肛門帯には性器のようないちじるしい敏
感さがどんなにしばしば、生涯残りつづけるがという二つのことを精神分析を
通して知り、われわれは驚きを禁じ得ない。小児時代には腸障害がきわめて多
いものだが、これは肛門帯に強い興奮をあたえずにはおかない。」
……
(中略)
ところで『キンゼイ報告』は、アメリカ人に少なからず衝撃を与えたようであ
る。『キンゼイ報告』が発表されてからは、医師や学者の中で、ホモを理解し
ようという動きが高まった。同性愛はどちらかというと、精神の病とみられる
傾向になった。そのため医者は、ホモたちを治療してやめさせようとしたが、
治ったのは約四分の一だけで、残りは一向によくならなかった。次第に同性愛
は病気ではなく、人類学者が主張するように、人間の一形態なのではないか、
という考えかたに変わっていった。キンゼイ博士も、「同性愛は反自然的で異
常な性行為」というみかたに強く反発していた。
しかし一九六〇年代になっても、ホモは依然少数派であり、忌み嫌われる存在
だった。一九六五年の世論調査によると、ホモは国家にとって有害と答えた人
が男性で八二%、女性では五八%にのぼった。これより高い数字は無神論者か
共産主義者に対してぐらいである。ホモであることが分かると、世間から蔑視
されたり、会社にもいづらくなることが少なくなかった。ホモ自身、自分を欠
陥人間、あるいは異常、病気と考えている人が多く、自分自身と社会との狭間
でひとり苦しんでいた。
ただし、芸能人やファッション関係者、芸術家たちは例外で、彼らの中ではホ
モは認められ、特に秘密にするということもなかった。こんな土壌が、ロッ
ク・ハドソンをエイズに追い込んだともいえる。
「ゲイ解放運動」が乱交をもたらす
一九七〇年代に入ると、アメリカに「性革命」が起こった。意外に思われるか
もしれないが、二〇世紀中ころまでアメリカは性的抑圧の非常に強い国だっ
た。例えば、一九三八年にはニューヨークの検閲委員会が、妊娠、性病、避
妊、売春などを扱う映画の上映を一切禁止していたし、四六年にはエドモン
ド・ウィルソンの小説『ヘカテ郡の記録』の中で、女性の性器をあからさまに
表現する言葉があったために、ニューヨーク州でわいせつ罪に問われ有罪と
なった。キリスト教の国だけに、性に対しては厳格だったのである。
ところが一九六〇年代以降、それまでわいせつに当たるとされた小説や古典
が、連邦最高裁によって「わいせつに当たらない」との判断がなされるなど、
性的抑圧が徐々に弱くなっていった。そして、一九七〇年には「わいせつとポ
ルノに関する諮問委員会」が、「成人にはポルノをほぼ全面的に解放すべし」
との報告をまとめた。これはニクソン大統領の反対で具体化されなかったが、
ポルノを認める空気が社会全体に広がった。同年には、ニューヨーク州で妊娠
中絶が合法化され、次第にフリーセックスが日常化し、「性革命」が起こった
のである。
このときホモセクシャルたちは、「いまがゲイ解放のチャンス」と肌で感じ
取ったに違いない。そして性解放の一翼を担うかのように、ニューヨークやロ
サンゼルス、サンフランシスコといった大都市を中心に、「ゲイ解放運動」が
起こった。
モートン・ハントによると、この動きはすでに一九六〇年代から始まっていた
という。というのは同性愛者の悩みや苦しみの相談にのるグループが、いくつ
かの教会につくられていたからである。また「マタシン協会」などホモの団体
が結成され、ホモのトラブルを解決するために働いた。このような団体はその
後各地につくられ、次第にゲイの権利獲得のための運動を展開するようになっ
た。そしてついに七〇年代に入って、各地で「ゲイ解放運動」が起こったので
ある。
「ゲイ解放運動」に伴い、ホモの団体が急
激に増え、全米で百団体にもなった
といわれる。彼らは、自分たちが異性愛者と同様の権利を持っていることを主
張し、ホモを教師、大臣、裁判官、医師、政府職員などに就かせないのは不当
だと訴えた。
この訴えによって、ワシントンやサンフランシスコなど三十以上の都市で、何
らかの形で同性愛者の権利を守る法律が定められ、職業や住居の差別、レズト
ランの入店拒否などはなくなった。また一九七五年には、公務委員会が、同性
愛者は政府職員としないという長年続けてきた方針を変えた。
「ゲイ解放運動」は、ホモやレズに社会的権利を獲得させたばかりではなく、
彼らに対する一般人の意識をも変えた。それまでは異常者や精神障害者として
扱われていたホモが、映画『真夜中のカウボーイ』や『サンデー・ブライ
ディー・サンティ』などでは、心やさしい人、親切な人として描かれた。また
同性愛を題材とした出版物や演劇が、自由に発表されるようになった。
カトリック教会も態度を軟化させ、一九七六年にイエズス会の司祭ジョン・マ
クニールが、「愛があるのなら同性愛も異性愛と同じように道徳的であるしと
いう考えを、その著書『教会と同性愛』の中で明らかにした。
政治の場でもホモやレズは権利を獲得するようになり、一九七四年、ボストン
のエレーヌ・ノーブルは、自分がレズであることを公言していたにもかかわら
ず、マサチューセッツ州の州議会議員に当選した。また一九七五年には国防省
が、同性愛者のオーナィステーブラーに国家機密へ関与することを認めた。
この「ゲイ解放運動」は、それまで社会の隅に押しやられていたホモやレズ
を、逆に社会の一大勢力へと変身させた。例えば、サンフランシスコでは、一
九七〇年代半ばに、彼らの代表としてハーべイ・ミルクを市の理事に送り込む
ほどの力を持った。また七〇年代後半に同性愛者の数は七万人に達し、七九年
にはミルク理事と彼らに同情的だったショージ・マスコーン市長の死を悼ん
で、市の有力者たちと.肩を並べて街を行進した。
乱行がエイズを広めた
ところで、彼らが力を持ち、社会の表舞台に出るのに伴い、その裏で彼らの性
行為は日に日に乱れたものとなっていった。ニューヨーク、ロサンゼルス、サ
ンフランシスコなどの大都市、また地方都市にも、ゲイバーやゲイ専門のヘル
スクラブが次々と出来ていった。
ゲイバーは相手を捜す絶好の場所となった。そこで全く見知らぬホモセクシャ
ル同士が知り合い、気が合えばセックスが可能な場所、トイレとか路地裏と
か、あるいはどちらかのアパートヘ行き、すぐさま性行為をする。
性行為が終わると二人はすぐ別れ、また別の相手を捜す。つまり、一人の人間
が不特定多数とセックスするということが習慣化していったのである。ヘルス
クラブはこれをさらに助長した。ヘルスクラブには、サウナ、プール、運動
室、それに個室や大部屋がある。ホモはサウナやプールなどで相手を捜し、個
室に行って性行為をする。また大部屋には、ホモが何人か集まり、激しい乱交
が行われる。
これらのセックスは非常に無味乾燥で非人間的である。彼らはほとんど会話を
交わすこともなく、すぐさま性行為を始める。大部屋では、女役が何人も裸の
お尻をあげて待っている。男役はそれらにペニスを次々に挿入して回る。一通
りセックスが終わると、また別の相手、あるいはグループに入り、同じことを
繰り返す。まさにブレーキが効かないといった感じなのである。モートン・ハ
ントはヘルスクラブの様子を前著の中で次のように述べている。
「お客は運動をしたり、サウナに入ったりするが、たいていは相手を探すのに
忙しい。サウナ風呂やホールでは何人もの男性が裸で座っており、互いを観察
している。中にはフェラチオをしているものがあり、他の人々はそれを見守っ
ている。狭い貸し部屋の並んでいるところがあり、その廊下を行き来する人々
がいるが、彼らは部屋の中から誘いがかかるのを待っているのだ。誘いといっ
ても、〃急ぐのかい〃といった短い言葉がせいぜいで、首でうなずいたり、
ちょっと笑ってみせるだけでよい。そういう合図さえない場合もある。部屋の
ドアがあけられているときは、だれでも入ってきた人間と相手をするというこ
となのだ。部屋に入った訪問者は、たいがい一言も口をきかないで部屋の中の
男性とセックスを行い、終わるとそのまま出ていってしまう。このようなクラ
ブでは、一晩に何人もの見知らぬ相手と性行為を行うことはあたりまえで、部
屋のドアを開けて待っている受け身のタイプの場合、相手の数が十人以上にな
ることもある。」
このほが公衆便所なども、セックスの場となる。彼らは目で合図を交わし、
OKサインが出ると、トイレの中で性行為をする。甥役は行為が終わると出て
いってしまうが、女役はそこに残り、別の相手を待つ。
このようにホモの性行為がエスカレートするのは、それがただ快楽を求めるた
めだけのものだからであろう。妊娠という煩わしいことを気にしないですむた
め、ホモたちは性行為に没頭し、それは次第に過激になっていく。また女役が
マゾヒズムの傾向が強いことも一因と考えられる。
このように「ゲイ解放運動」以後、ホモのセックスは不特定多数を相手にする
ことが一般的となり、さらにエスカレートするばかりであった。ここに一人で
もエイズ感染者がいれば、どんな事態が起こるかは想像に難くない。女役が感
染者であっても男役が感染者であっても、感染はまさにネズミ算式に広がって
いく。また始末が悪いことに、エイズの潜伏期間は二〜二十年と長く、その間
は全く症状が現れないから、自分でも知らないうちに感染をどんどん広めてし
まったのである。