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回答先: 『エイズは恐くない?』より「人類への〃第二の警告〃」 投稿者 うぐっ 日時 1999 年 9 月 22 日 20:50:37:
渡辺雄二『エイズは恐くない?』時事通信社1992
3章「エイズは人類への〃第2の警告〃だ」
P73〜78
輸入血液製剤によるエイズ輸入
血液製剤が感染源に!当初、日本でホモセクシャルと並んでエイズ患者が多
かったは、血友病患者である。これは、治療に使っている輸入血液製剤にエイ
ズウイルスが混入していたために、エイズに感染し、発病したものである。
血友病のエイズ患者が最初に確認されたのは、先に記したように、一九八五年
五月のことだった。
最初にみつがった三人のうち二人は、帝京大学医学部の安部英教授のもとで治
療を受けていた。もう一人は福島医科大学に通院していた。
帝京大学に通院していた一人は、四十八歳の衣料品店経営者であった。三歳の
ときから出血しやすい傾向が現れ始め、二十三歳のときに血友病Bと診断され
た。
血友病Bは、血液中にある凝固因子のうち、第九因子が欠ける、あるいは少な
い場合を指す。ちょっとした出血でもなかなか止まりにくく、そのまま出血が
続げば、生命を失うことになる。
長い間、血友病は男性特有の不治の病として、恐れられてきた。しかし、戦後
になって、血液を凝固させるための血液製剤がアメリカやフランスで製造され
るようになり、それを投与することで出血傾向を抑えることが出来るように
なった。
やがて、日本でも薬剤メーカーが血液製剤を製造するようになった。これら
は、主に売血で得られた血液からつくられていた。
ところが、輸血による肝炎が流行し始めたことから、売血制度はとりやめら
れ、献血制度が採用されることになった。このとき、献血は日本赤十字社の血
液センターが一括して行うことになったため、薬剤メーカーが手に人れられる
血液は少なくなり、血液製剤をつくることが出来なくなってしまった。日赤
は、献血で得られた血液のほとんどを、手術などの輸血用に回したからだ。
このため、血友病の治療には輸入血液製剤を使うしかなくなった。しかし、輸
入血液製剤はアメリカから十分な量が供給され、また効果も非常に優れていた
ので、医師たちはこれを積極的に使った。
四十八歳の衣料品店経営者も、一九七一年から輸入血液製剤の投与を受けてい
た。これによって彼は、出血傾向がおさまり、通常の人と全く同じような生活
が出来るようになって、商売の方も非常に順調にいっていた。
ところが、何も知らない間に、彼の身に不幸がしのびよっていた。輸入血液製
剤の中にエイズウイルスが混入していて、それが次第に彼の身体をむしばんで
いったのである。
彼が身体に異常を感じ始めたのは、一九八一年の夏ころからである。発熱が頻
繁に起こるようになり、ときどき下痢もするようになった。また身体がだる
く、寝汗をかくようになった。リンパ節も腫れた。明らかに、エイズの初期症
状である。
しかし当時は、アメリカでもエイズ患者が発見されたばかりのときであり、安
部教授はすぐさま彼がエイズだと確信が持てなかったようだ。ただ、外国から
入ってきた情報から、ひょっとしたらという気持ちはあったという。
日本のエイズ患者に多いカンジダ症
その患者は入院して治療を受けたが、症状は一向に改善されなかった。さら
に、一九八二年一月ごろから、関節や筋肉が痛むようになり、体重が減少し始
めた。
五月になると、リンパ節がさらに腫れ、皮膚の発疹が大きくなり、肝臓や脾臓
の腫れもひどくなった。それまで五十キロほどだった体重は減り、四十キロぐ
らいになっていた。
一九八三年五月ごろから、白血球とリンパ球が減少し、体重は三十キロぐらい
になって、トイレに行く力もなくなってしまい、激しい腹痛、下痢、下血を繰
り返した。そしてとうとうその年の七月に死亡した。この患者は、発病から死
亡まで、入退院を何回か繰り返している。
死体を解剖したところ、カンジダ菌が口腔内から検出され、のどから食道、胃
へと広がり、また肺や心臓からもみつがった。この男性は、前述のホモセク
シャルだった公務員の患者と同様、全身をカビに覆われ、各臓器や組織を傷つ
けられ、そして死亡したのである。
カンジダ症は、日本人のエイズ患者に多い日和見感染症である。これは、日本
にカンジダ菌が多いためと考えられる。アメリカのエイズ患者にカリニ肺炎が
多いのも、同様な理由である。
これらの病原体は、われわれの周辺にたくさん存在するが、通常は免疫力によ
り駆逐され、人間の身体の中で増殖することは出来ない。ところが、免疫力が
低下すると、それらは口や鼻から侵入し、どんどん増殖して、臓器を覆い、そ
して破壊するのである。
血友病のエイズ患者の二人目は、六十二歳のアーチストだった。この患者も安
部教授の治療を受けていた。幼児のときから出血傾向があって、十九歳で血友
病と診断され、五十五歳のとき血友病Aであることが判明した。血友病Aは、
血液凝固因子のうち、第八因子のないもの、あるいは少ないものを指す。
この患者が、エイズの症状を示し始めたのは、一九八三年十月ころからであ
る。前の患者と同じように、熱が出たり寝汗をかくようになり、激しい疲労
感、下痢、白血球とリンパ球の減少が認められた。
一九八四年四月からは、リンパ節腫脹、急激な体重減少がみられた。さらに、
日和見感染菌の一つであるアルベルキルス菌によって、全身が侵され、十一
月、呼吸困難を起こし死亡した。
三番日の福島県在住の患者は、二十七歳の団体職員。四−五歳のときに血友病
Aと診断され、一九七〇年ごろから、血液製剤の投与を受け始めた。
一九八四年三月ころから、熱や咳が出始め、それ以後、倦怠感、下痢、発熱な
どにたびたび襲われ、八五年三月、福島医科大学に入院した。
入院後、リンパ節腫脹、急激な体重減少、下痢などがみられ、カンジダ食道炎
を引き起こした。そして四月、急性呼吸不全のため死亡した。
これら三人の患者は、いずれもヘルパーT/サプレッサーT比の逆転と、
HIVの抗体陽性が認められたことはいうまでもない。
エイズ上陸は一九八O年
ところで、日本で最初に血友病患者にエイズが感染したのは一九八○年であ
る、という調査結果がある。アメリカのエイズ患者は、その後の調査で、すで
に一九七九年に発生していたことが判明しているので、その翌年には日本にも
エイズが上陸していたわけである。
これを突き止めたのは、神奈川県立こども医療センターの長尾大・小児科部長
である。長尾部長は、一九七八年から八五年にかけて、同医療センターで血液
製剤の治療を受けた十八歳未満の血友
病患者百三十人一約三分の二が神奈川県
内に在住の血液を、国立予防衛生研究所で検査してもらった。
その結果、一九七八年、七九年に採取した血清はすべて抗体陰性であったが、
八○年になると、十九人の血清のうち二人が陽性であることが明らかとなっ
た。
その後、陽性者は年を追って増えていき、結局、陽性者は全部で三十八人にの
ぼった。これは全体の二九・二%に当たる。
感染は、アメリカからの輸入血液製剤であることは間違いない。というのは、
感染した人はいずれも一九七五年から市販された第九因子製剤か、七九年から
市販された第八因子製剤の投与を受けていたからである。
長尾部長は、「三十八人の中からエイズ患者が出る可能性や、他に広がる心配
はないと思う。本人には検査結果を知らせていないが、元気に普通の生活をし
ている」と、非常に楽観的なコメントを発表した。しかし、エイズが発病しな
いという根拠は何もないし、また本人に知らせないということは、新たな感染
者をつくり出してしまう危険性があり、納得のいかないところである。