星川淳の「屋久島インナーネット・ワーク」
第16回 大仏は見ている
●アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない・・
映画『カンダハール』のモフセン・マフマルバフ監督が、タリバンによるバーミヤン磨崖仏の爆破について、
「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」(同名書・現代企画室)と述べ
ている。マフマルバフは9.11事件前の春、ヘラート近郊で2万人の難民が餓死を待つばかりの姿を目のあたり
にして上の言葉を記し、次のような説明を添えている。「アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここま
で無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」、と――。2001年
3月、仏像破壊の直後である。
マフマルバフ監督の言いたいことはわかる。そのとおりだろう。が、芸術家らしい昇華力で語られたこの衝撃的
かつ啓示的な言葉を聞いたとき、大仏破壊のニュースに接して私が考えた別なことを思い出した。おおかた眉をひ
そめられそうな見方なので、これまで妻以外に話したことはない。
釈迦牟尼仏陀(=ゴータマ・シッダルタ)は死に際し、自分の偶像をつくることを固く禁じたと言われる。少し
でも仏教を齧った人ならご存じのとおり、仏陀の教えに神はなく、いわゆる「宗教」とはちがう。心の迷いや曇り
を払って、晴ばれと平和な気持で生きることを説いた。人間ばかりか森羅万象すべてが宿すその曇りない本性を仏
性(ぶっしょう)と呼び、それを大切にしながら、日々の暮らしの基盤にすること以外、決まりのようなものもな
い。仏陀はそのとおりシンプルに生きた。臨終の言葉は、「汝自身のともしびとなれ」。あなたもどうぞ、という
わけだ。
だとすれば、そのほかの教理・経典だの仏画・仏像だのは、みな仏陀の教えに反する虚飾ということになる。お
寺も坊主も本質からはずれている。仏陀は、何かに頼ったりすがったり、特定の形にこだわったりすることを全否
定した(こだわらないという姿勢にこだわることも)。
つまり、ひとつの文化としての意味はもつにせよ、そもそもバーミヤンの大仏も仏陀自身の本意に沿うものでは
なかった。タリバンはイスラムの伝統から偶像を否定していたが、仏教本来の精神も同じだったはず。爆薬で崩れ
るようなものは仏性とも仏道とも関係がない――仏陀ならそう言っただろう。
ま、以上は私なりの正論であって、だからいまある仏像・仏画・寺院を壊し、仏門のみなさんに還俗せよなどと
無理難題を吹っかけるつもりはない。仏教美術・建築を含むもろもろの遺産も、人間の愛しい営みの跡だから守っ
ていけばいい。しかし、諸般の理由から壊れたり消えたりする場合、あまり大騒ぎするのは仏教らしくないので
は? しかたないじゃん、壊される理由があったのだ。べつに、あれで人が死んだわけでもないし
大仏復元の話が取り沙汰されるけど、いいと思うよ、そのまんまが。Let it be!
●ここで重要なのは正気を保つことだ
いっぽう、メディアからもアフガンが消えつつある。
こちらはそう簡単に消えては困る。問題が解決したならともかく、人びとの暮らしを立て直す本番はこれから
だ。壊すだけ壊して、あとはみんなでやってというアメリカ政府の基本姿勢は、あいかわらずの身勝手路線(ユニ
ラテラリズムと称するらしい)。さらなる戦場、つまり軍需産業の消費地&見本市を求めて、ブッシュ系列ギョー
カイは行く。いつか充分な事実が明るみに出たとき、9.11を含めてブッシュ政権の自作自演に限りなく近いこ
とがわかったとしても、驚くにはあたらない。これほど見え透いた動機とシナリオで動く政府を見破れない多数派
米国民の思考停止状態こそ謎めいている。
誇張ではなく、しきりに思い浮かぶのはヒットラーのナチス第三帝国。最初は馬鹿ばかしくてだれも相手にしな
かったのに、あれよあれよという間にドイツ全土を集団ヒステリーに巻き込んでしまった。人間社会は、おかしく
なるときは意外にあっさりコケるものなのか。
身近なところでは、1931年の満州事変から大陸進攻と太平洋戦争に向かう日本人も、同じような国民的思考
停止に陥った。「挙国一致」「大政翼賛」「八紘一宇」などの大言壮語に彩られた当時の高揚感は狂気と紙一重
で、いまのアメリカを覆う虚勢と無知と傲慢のない交ぜになった群集心理とよく似ているし、コイズミという薄っ
ぺらな偶像にすがる現下の日本社会だって性懲りもなく危うい。ブッシュ政権がエンロンゲートで早めに倒れてく
れないと、世界は相当な泥沼にはまりかねない。
ここで重要なのは正気を保つことだろう。それも生半可なやつではなく、命がけの正気。頑迷なまでの正気。日
本の言論人では、たとえば辺見庸が9.11後にいっそう抜き身のような光を放つ。『単独発言』(角川書店)
と、『法学セミナー』に連載をはじめた憲法私論は必見!
とりわけ、ジャーナリズムに身を置く個人が正気を保てるかどうかは大きい。メディアはすでに、われわれの拡
張された脳神経系の中枢をなしている。狂気は、まず知覚感覚器官におけるデータ処理の変調が引き金になって起
こりやすい。アメリカのニュース番組に登場する一般市民の話を聞くと、彼らがいかに情報操作されているかに愕
然としてしまう。かつての大本営発表に近い一面的報道を信じ込むばかりで、世界に何が起きているかを知らなす
ぎる。アフガニスタンへの空爆で民間人に被害が出ていることすら、まともに知らされていない。ジャーナリズム
が公器として、つまり事実を伝える回路として機能しなくなった社会は、かならず暴走する。
事情は日本国内だって大差ないが、ペシャワール会への寄付金が6億円、伝え聞く9.11後のタカ派雑誌売り
上げ激減に対する非戦系書籍の大躍進などは、それでも平和憲法半世紀の効力を感じさせる。日本人も捨てたもん
じゃないぞ! 銃ではなく日本国憲法を武器に、世界に関与を広げようではないか。
久しぶりにご当地情報を少し。
屋久島では今年12月に迫ったダイオキシン規制強化を控え、2つの町が合同でつくるゴミ処理施設の建設計画
が大詰めを迎えている。不肖インナーネット作業員も環境審議会会長として建設検討委員会に加わったものの、連
載第9〜10回で嘆いた地域社会の思考停止状態はあいかわらずで、独り正論を吐いては邪魔者扱いされるストレ
スが続く。
まず、遅れに遅れた計画の中身も検討プロセスも公開されず、今後10〜15年にわたる屋久島のゴミ処理をど
うするかについて、一般島民が選択や決定にかかわる道が開かれていない。どうせもう12月までに完成できるは
ずがないのに、国の補助金が12分の1増えるからといって、平成14年度内着工の形だけ装うため、ふつうなら
数年かける検討期間を1〜2か月に短縮して滑り込み申請しようと、非常識な討議日程を強要する。ダイオキシン
のこともガス化溶融などという新技術のこともほとんど知らないメンバーが、数回の委員会でリサイクル・再資源
化と必要最小限の焼却・溶融から埋め立て処分まで、施設の全容を決定しろというのだ。
私は結論を持っていない。いや、ここ数年、どんな施設内容にしたらいいか真剣に考えてきたから自分なりの腹
案はあるけれど、それを押しつけようとは思わない。大切なのは、世界自然遺産登録地であり、多分にイメージ先
行とはいえ環境先進地と目されている屋久島で、循環型社会の要(かなめ)ともいえるゴミ処理問題をどうする
か、なるべく多くの住民や心ある専門家が議論を尽くして、最善の道を選択することだろう。
せっかくの機会なのに、行政独断の計画を密室で進めたり、検討とは名ばかりの拙速な手続きであつらえの結論
を出したりしてはもったいないし、本当の意味で島の公益に反する。国とメーカー主導の凡庸な施設をつくったら
世界中の屋久島ファンにそっぽを向かれる反面、国連ゼロエミッション計画のモデル地区にふさわしい脱焼却・脱
埋め立てを実現できたら、見学者の観光収入だけで元がとれるかもしれない。
そこでみなさん、屋久島広域連合事務局に電話(09974-3-5437)かファクス(3-5493)で「一般廃棄物処理
施設建設検討委員会は公開し、屋久島にふさわしい計画を急がずにじっくり練り上げてほしい」と要望していただ
けないだろうか。内心「こんなんでいいのかな?」と迷っている委員・議員・町長・職員たちを勇気づけてほしい
のだ。「屋久島にしかできないことをやって見せてよ!」と――。
http://www.hotwired.co.jp/ecowire/hoshikawa/020213/