(回答先: Re: 文化(財)の保存とは 投稿者 ! 日時 2002 年 2 月 16 日 18:06:33)
「我々だけのものではない」「先人が守ってきた」「守って欲しいと思う」ことは漠然としていて
第三者的なおごりに思えます。
「守り続けていきます。」ということは、どういう活動のことを言っておられるのかわかりませんが、
「守る」ことはその直接行動にしか、有効な意味が発生しません。
緒方貞子氏が、「貧困と死の狭間にあるアフガニスタンに世界の人々が目を向けるのなら、バーミア
ンがどのような形であろうが構わない」といった主旨のことを言ってらっしゃったような気がします。
私はこの考えを指示します。文化財というのは、過去から未来の連続性の中で様々なものが淘汰され、
たまたま残って来たものに過ぎません。もし積極的にこれを守ろうとするならば、バーミアンについ
て言うならば、その地域へ行くことからしか、はじめられない、と思います。
その地域にある過去から未来へと連続している「貧困と死の狭間」と「歴史的土木構造物」とを天秤
にかけてみたら良いと思います。死んでいく人、飢餓にあえぐ子供を横目に「それでも歴史学的美学
を守りたい」という人ならそれはそれでも良いかも知れません。
タリバンの行動原理はともあれ、「バーミアンの破壊によって、無視し続けてきたアフガニスタン
に、国際社会が目を向けた」という事実が、子孫へ伝えるべき事象であり、そうした事態の把握から
「目を向けたバーミアン」の遺跡としての現在から未来へつながる意味と文化的価値を定義づけられ
るのではないでしょうか。
金持ちの骨董趣味的価値感で文化財の管理を貧乏人に押しつけるのなら、そんなものいらない。バー
ミアンの破壊が人類全体の不幸などという漠然としたコンセンサスは誰が言い出したのでしょうか?
一部の文明的な?国際社会のコンセンサスしか得られていないように思えますし、人類全ての了解を
得ることも不可能だと思います。
もし、「守ることが自明だった」としても、美学や観光的なビジョンにとどまらない文化財のあり方
を経済的なこと地域社会のことを含めて検証すべきでしょう。
もし、アフガニスタンなどへの直接行動が難しいというなら、私たちはもっと自分の身近な地域また
はこれに関わる問題に目を向けるべきです。
まだ、どちらかというと、屋久島や東南アジアや南米、中南米の森林資源の保全の方が、身近な文化
と環境の急務の課題です。
なにしろ自分たちの気候風土に現状微細ながら影響のある問題ですし、拡大する恐れが大きい。
それに自然との共生は千年以上の歴史の中で水田や雑木林や杜として日本人が扱ってきた事柄あり、
文化です。
こうした身近な文化に目を向けないで、ニュースになりやすい事柄に思いを寄せることは
所詮「その土地に関わらなければならない」一部の人の都合か、「その土地に関わる事のない」一部
の人の都合で守る守らないといっているにすぎないと思います。
感覚やヒューマニズムで守るということはとても容易いことです。しかし、そんなヒューマニズムは
他者の苦しみや悲しみの上に成り立っているかも知れません。また、「守りたい人」が自らの目を向
けるべき問題点を隠蔽して、幻想的な慈善によって自分が救われたいだけかもしれません。
もっと、直接行動できる文化や自然の保全に目を向けていただきたい。というのが私の希望するとこ
ろであることはいうまでもありません。
現実の保全という行為は、難しいものです。なぜなら、自分の守りたいものを守るために、何か周辺
の他のものを破壊してしまう可能性があり、これとの中庸でしか成立しないからです。
確かに、自分たちの身近な問題に取り組むために、事例としてバーミアンについての情報や意見をや
りとりすることは意味のあることかも知れません。
本当に守りたいのなら、守りたいものを漠然と把握するのではなく、注意深く見つめ、目の前に突き
つけられた問題に主体性をもって繊細に対応していくことをお薦めします。
もちろん、これは常に私も心がけなければならないことと、自分に言い聞かせながら、現実の身近な
行動をしています。