投稿者 倉田佳典 日時 2001 年 8 月 13 日 18:30:52:
※このニュース、共同通信で再三差し替えがありました。
一応、重複しますが、各配信が微妙に異なりますので、入手できたものをすべて転載させていただきます。
08/13 08:31 「皇后寄付」の全容判明 赤十字に1千万スイスフラ 外信10
【ジュネーブ13日共同=藤井靖】日本が一九四五年八月の終戦
直前、スイスの赤十字国際委員会(ICRC)に対し、昭和天皇の
香淳皇后名で一千万スイスフランの巨額寄付を提示、極東委員会が
禁止決定を出したものの、赤十字がこれを覆して戦後の四九年、秘
密裏に送金が実行された経過が十日、スイス政府やICRCの公文
書で分かった。
寄付は横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)がスイス国立銀行に保
有し「日本の秘密口座」と呼ばれた「特別勘定」から拠出された。
日本が皇后名の寄付を申し出た事実は英公文書で確認されているが
、その動機は不明。公文書は米英両国にスイス、ICRCを巻き込
んだ送金実行までの四年間にわたる「攻防」の詳細を明らかにして
いる。
一千万スイスフランは現在のレートで約七億円。当時と現在の購
買力を単純比較すると約三十三億円に上る。
約五十通の公文書を総合すると、東郷茂徳外相(当時)が四五年
八月七日、ICRCの駐日代表に一千万スイスフランの寄付決定を
伝達。駐日代表は九日、受諾すると答えたが、通信事情が悪くジュ
ネーブのICRC本部に伝えたのは終戦直後の八月十七日になった
。
スイス政府は前日の十六日、米英などとの合意に基づきスイス国
内の日本資産を凍結していた。特別勘定におさめられていたのは「
本来は米英捕虜の待遇改善を目的に送金したカネ」だとして、寄付
の形で動かすことを阻もうとする米英と、寄付の正当性を主張する
スイス政府、ICRCが対立した。
紛争は四六年六月、極東委員会と連合国軍総司令部(GHQ)に
付された。極東委員会は同年十月「ICRCの主張に根拠はない」
として送金禁止を決定。しかしICRCは米国の弁護士を雇い、巻
き返しに成功。米国務省は四九年三月、スイス政府の裁量を認めて
送金に同意。英国も四九年五月「所有権の主張」を撤回した。
送金は四九年五月末。スイスが横浜正金の資金凍結を解除して実
行された。ICRCは英国への配慮から一連のプロセスを「極秘」
扱いとし、日本にも細かい経過を知らせなかった。
(了) 010813 0831
[2001-08-13-08:31]
08/13 08:54 挿入 「皇后寄付」本記 外信10
共X3T129外信10S「「皇后寄付」の全容判明」(3)完
(1)の見出し編注部分の「独自ダネ」の後に「、社会部注意」を
挿入。(3)完(2)の3行目「現在の」の後に「スイス・フラン
の」を挿入。
(了) 010813 0854
[2001-08-13-08:54]