投稿者 付箋 日時 2001 年 5 月 05 日 14:33:57:
回答先: 各「声明」 投稿者 付箋 日時 2001 年 5 月 02 日 20:09:27:
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『愛読紙から透けて見えた、記者クラブ制度が蝕むジャーナリズム精神』
文/魚住 昭 フリージャーナリスト
個人的な話で恐縮だが、私は四十年来の朝日新聞ファンである。物心ついた時から朝日を読んできた。新聞といえば朝日。それ以外はものの数にも入らないと思っていた。共同通 信記者として同じ業界で働くようになってからもその考えは変わらなかった。朝日の事件記事はどこよりも正確だったし、隠された事実を丹念に掘り起こす調査報道も素晴らしかった。
ところが最近、その朝日が変わった。かつての鋭い批判精神が影を潜め、大勢順応の安直な記事が目立つようになった。世の矛盾や不条理に対する記者たちの怒りが感じられなくなった。なぜだろう?以前はこんな新聞ではなかったはずだが。 そう思っていたら、朝日の「個人情報保護法案提出へ」という記事(三月二十七日付夕刊)に出くわした。前回書いたように、この法案は政府が雑誌メデイアやフリーライターの首根っこを押さえるため企んだものだ。もし国会で成立したら報道の自由は大幅に制限され、ジャーナリズムは窒息してしまう。それぐらいのことは朝日ならきちんと把握しているはずだと思いながら記事を読み進んだ。
《政府は二十七日午前の閣議で「個人情報の保護に関する法律案」の国会提出を決めた。商取引などで個人情報を利用する側に配慮しながら、プライバシー侵害を防ぐのが目的。適正な方法による取得などを求めた『基本原則』(※1)は個人情報を扱うすべての人や機関に適用される。報道や政治活動も一定の制約を受ける。またデータベース業者らには本人の求めに応じて保有する個人情報を開示する義務が課される……》
驚いた。呆れた。そして腹が立った。まるで官僚の作文のような記述がこの後もづき、雑誌メディアやフリーライターが受ける規制(※2)については本文で一言も触れていないのである。新聞が「義務規定」の適用を免れたからそれでいい、雑誌やフリーライターなんか知ったことではないと言うのだろうか。何という脳天気さ。政府が雑誌の抑え込みに成功したら、次は新聞を狙ってくるに決まっているではないか。 この記事に表れているのは、恐ろしいほどの想像力・感受性の欠如である。同じ夕刊の別 の面に載った解説も同じだった。 《今回の法案は個人情報保護という大原則にとっては、あくまでも一つのステップであり、報道のあり方も含めて全体を見渡した視点に立って議論を深める必要がある》
この解説の締めくくりの言葉を読んで意味の分かる人がいるだろうか。どうやら筆者は「個人データ流出を防ぐための法案がメディア規制に利用されるのは問題だ」と感じているらしいのだが、それすら明確に打ち出していない。「原点に戻った議論が求められている」「今後の議論にゆだねられている」といった曖昧な文句の羅列である。
冗談じゃない!新聞記者であれ、フリーライターであれ、報道に携わる者にとって最も大事な表現の自由が奪われようとしているのに、なぜ大声で「こんな法案を通 してはいけない」と叫ばないんだ。結局のところ、朝日はこの問題を他人事としか受け止めていないんじゃないか。 本記、解説に続いて社会面の識者談話(※3)も読んでみた。ここへきてようやく《フリーのノンフィクションライターはどうなるのか。憲法二一条は表現の自由を個人に認めたのであり、報道機関だけに認めたのではない》という識者の意見を見つけた。ちょっぴり救われた気分になったけれど、それにしても何というお手軽な紙面 づくりだろう。こういう意見があります、その一方でこんな見方もあります、と紹介するだけなら新聞はいらない。
個人情報保護法案に関するこの日の紙面 は、朝日のジャーナリズム精神の空洞化をまざまざと見せつけてくれた。同じような現象は他の新聞社でも起きている。その原因はいろいろ考えられるが、ここでは記者クラブの問題を指摘しておきたい。
ご存知のように新聞は情報の大半を官庁に依拠している。記者の仕事とは膨大な官庁情報を入手して、右から左へ記事化することだといっても言い過ぎではない。そうした仕事の場としてあるのが記者クラブだ。新聞社にとって、タダで大量 の情報をもらえる記者クラブほどありがたいものはない。
だが、官庁情報は当事者の生の声(一次情報)ではなく、それに役人が手を加えた二次情報だ。記者たちは二次情報の処理に追いまくられ、当事者たちの怒りや悲しみに触れないから、記事を書いても書いてもナマの現実に到達できない。バーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界で生きているようなものだ。そこではすべての問題が他人事のように映り、知らぬ 間に役人の発想でものを考えるようになる。
朝日の記事はその典型例だと思う。私白身の体験を振り返っても、記者クラブはそこに棲息する記者たちの精神を確実に蝕んでいる。記者クラブ制度から脱却する方法を模索しない限り、この国のジャーナリズムは衰退していくばかりだ。
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※1 基本原則 要約すると、個人情報の取り扱いについて、
●利用目的を明確にすること
●適法かつ適正な手段で取得すること
●取得した情報が漏れないように安全性を確保する
●該当人が適切に関与しうるように配慮する などが、盛り込まれている。
また、法案の5章は、義務規定。 本人からの情報開示や訂正に応じなければならないなど、厳しい内容になっている。
※2 雑誌メディアやフリーライターが受ける規制 個人情報保護法案では、放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関は、義務規定から除外されている。 しかし出版社は「その他の報道機関」なのか明示はない。また作家やフリーライターなど個人については、 言及されてもいない。前項の基本原則や義務規定が出版社や作家やフリーライターには適用されうると言うことだ。仮に、政治化のスキャンダルの取材をこの法案にのっとってすすめると、醜聞箇所が削除された本人公認の"スキャンダル"記事を読者は読まされてしまう。そんなものよみたいか?
※3 識者談話 事件、事故などに対して、いろいろな立場の有識者の意見を掲載した記事。多様な見解を読者に提示することで、中立性、客観性を確保しているようには見える。
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この魚住氏は、元共同の記者やめて、讀賣の社長のナベツネのことを「渡邊恒雄 メディアと権力」(講談社)に書いた男で、何回かおうたけど、これぐらいのやつなら「ジャーナリスト」と名乗ってもまあ、おぞましくないな、と思える人物である。気の弱い共産党員の端くれだったナベツネがいかにしてマスコミ界の怪物になっていったか、これほどちゃんと書いた本はない。そしてこのナベツネが、先頃なくなられた黒 田氏を讀賣から追放したときに、日本のジャーナリズムの最良の部分のひとつが死んだといえるだろう。
その代わり、一時は廃止の声もあった「再販制度」のもとで大新聞はますます楽にゼニもうけでけるようになった功労者である。九州の新聞と東京の新聞こうてくらべてみい。なんであれが同じ値段で売れるんや?グリコでも九州で売ってるのが中身半分とかいうたら誰が買う?それを「公器」とかいうとる新聞がやっとるんや。
それが「記者クラブ」という国家の檻に住む「官報」になるのはわしにいわしたら当たり前やけどな。エサくれるやつのいうことを聞く、のはどんな稼業もやで。で、もはや「ジャーナリスト」などではない。官報広報官みたいなんが大半なんや。
だからこそ、国家は真の「絶滅しつつあるジャーナリスト」であるフリーのライターたちの息の根をとめようと「個人情報保護」に名を借りた攻撃をかけてくる。この問題は表裏一体やとわしはおもう。魚住氏とちょと見方がちがうのはそこや。この朝日の解説をかいておる政治部記者などという輩ははっきり敵側なのだ。問題の朝日の記事ちゅうのも載せとくから、あとは自分で読んで判断せいや。別 にわしや魚住氏と同意見でなくてもええよ。自分で考えて、意見があったらメールをよこしなさい。
読者からのメールもだいぶきとるな。また紹介する。今日はもうねるでえ。
2001年5月4日未明
宮崎 学
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