投稿者 サイエントロジスト 日時 2000 年 10 月 30 日 02:09:15:
回答先: Re: 木村さんのところからの転載です 投稿者 霊止 日時 2000 年 10 月 29 日 13:47:57:
「オウムの98%が「むしろ普通よりも良い人」だと本気で思っているならば、
「組織の責任をとるべき」だという考え方はどこかおかしいよ。」
たぶん、よく理解できていないのでしょう。個人の責任と、組織の責任とを
混同しているようですね。
簡単に整理すると、
1)オウム真理教の教義という記号列があった。
2)その記号列に意味や価値を見出す個人がいた。
3)そのような個人が集まって宗教法人を作った。
(もともとの意見では、2)と3)の順序が逆ですが、。。。)
その宗教法人が、毒ガスを使用した大量殺人事件を起こし、
さらにその犯罪の隠蔽を組織を上げて図ろうとした。
1)「記号列に責任を問う」などというのは、無意味でしょう。
2)宗教法人の組織としての責任は、当然でしょうし、法的責任の追及は、
すでに行われています。これも、いまさら、蒸し返すまでもないでしょう。
しかし、そのような組織を作っていた個人の(法的な責任は問えないとしても)
倫理的、道義的な責任はないのですか?とお尋ねしているのです。
「ない」「責任を問うのはおかしい」というのであれば、それは、宗教家としての
彼らを愚弄するものではないでしょうか。
しかしながら、多くの人の目には、彼らは、責任を取らずに、事件以前と、
変わらない行動を取っているように見えるので、不審に思われているのです。
これは、思われて当然ですし、人によっては、声を大にして「責任追及」
を訴えても、不思議ではないでしょう。
このことを、「「オウム」という「記号」だけが一人歩きして蔓延している世間の状況の方が、
よっぽど薄気味悪い。」というのは、ちょっと「記号」の使い方を間違えているのでは、
ないですか?