投稿者 霊止 日時 2000 年 10 月 30 日 18:37:15:
回答先: おかしいですか? 投稿者 サイエントロジスト 日時 2000 年 10 月 30 日 02:09:15:
先のコメントは、
わからないものはわからないのが普通だと思うし、分からないことを他人も自分も本来裁けないと思うので、飛躍した論理につかまらないように、己に正直に考えるべき、という趣旨で書いたコメントです。
私だって、オウムの言ったり書いてきたものに、意味や価値を見いだせる部分はある。他の色々な言説に対してそうであるように。
しかし、オウムに入信してもいないし、それらの意味や価値が、あのような事件に通じるという考えは、全くの飛躍のようにしか思えない。読んだり直接間接に関わったくらいで、「人を殺してあげよう」とか「国家を吹っ飛ばしてあげよう」とかの衝動が起こってくること自体どうしても信じられない。大体、そこに横たわる深い別の意味があったとして、あの教義に触れたくらいで理解されたり、動かされたりするものなのか。それでは、どんな文章の中にもあなたの衝動に火をつけるサブリミナルなメッセージが潜んでいるかも知れないというような妄想が正論になってしまう。
彼らの多くは、「実際のところ、この事件があったのかなかったのか、分からない。修行を通して理解できるようになれるのだったら、早くその境地に達して理解したい」という考えを中心に、今もオウムに残っているとしか思えないからだ。それは優柔不断は生んでも、事件を起こすような衝動は生み出し得ないと思うよ。井上氏の話も、感情的同化が激しいから一見もっともらしい作り話にしか見えないけどな。
まあ、わからないことを分かったことように見栄を張るのは、もっともあらゆる人間が陥りやすい「煩悩」なのかも知れないと思うし、オウムの中にもそれはあると思うけどね。