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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100512
http://www.asyura2.com/acpn/k/ko/koa/koaQ7Jey/100512.html
[リバイバル3] 真空管アンプ - したらば掲示板 中川隆
2. 中川隆[-16215] koaQ7Jey 2021年9月24日 08:14:42 : 1H0S8K0ZRI : ODR2ai5DRXRaUGM=[9]
真空管アンプ3
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1412812634/


1: 黄金のアンコール :2014/10/09(木) 08:57:14 HOST:ntszok199193.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
前スレが全部埋まってしまいました。市販の現行真空管アンプ、懐かしい
昔の名機、真空管アンプキット、改造や修理、真空管やトランスなどの部
品の話題など、真空管や真空管アンプのことなら何でもこのスレで。

2: RW-2 :2014/10/09(木) 12:55:13 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
昔、拾い溜めた42がいっぱいありますので、いつかはppアンプを作って、ペン音で
オーディオが務まるのかを検証したいと思いながら早20年。球はあるけど気力無し。
結果があまり期待できないから気力も湧かず。トランスもゴロゴロ転がってるだけ (略)

3: SAT-IN :2014/10/09(木) 14:54:44 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>トランスもゴロゴロ転がってるだけ

そりゃモッタイナイお化けがでまっせ!(省)

4: SAT-IN :2014/10/09(木) 15:57:02 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>>1
黄金のアンコール様、新スレ立てていただき有り難うございます。

5: RW-2 :2014/10/09(木) 16:29:58 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
トランスやチョークを15個くらいタンス(チェスト)に入れて保管しておりました。
ある日、引き出しを引っ張ったら出てこない。強く引いたら前板だけ外れて取れた!
なんと引き出しの底が抜けておりました・・・。
底板の厚さは2mmくらいしかないもんだから、時間とともにタワんで前後板、側板の
ホゾから外れて落ちたもよう。地球の引力とは凄いねェ (略)

6: 薬漬け :2014/10/09(木) 17:08:32 HOST:s648162.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
この歳になると悩むのが「どの位の球を残しておいたら安心か」ということ…。
X7やAU7、ECC88とかは汎用性があるからいいでしょうが、それ以外の球は悩ましいところです。

先の入院中も英国の球屋にたぶらかされ?!L63と互換球を纏めて買ったのですが、アンプに
同時に使用する本数は3台に4本。しかし数えたら既にあったOsramやITTとかが20本近く(汗)。
全部使うのか?ハテ。

7: SAT-IN :2014/10/09(木) 17:40:50 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>どの位の球を残しておいたら安心か

その意識が続いているうちは、まだまだ大丈夫なんぢゃないですか?
これが、何かの切っ掛けで下手樽吐崩壊しますとヤバくなります。

小生の場合、タンスの肥やし状態のMT管だけでも6本づつ6セットで他にバラが相当数アリマス。
GT管やST管(電圧増幅・出力・整流)を含めると・・・・ワカリマス。

8: RW-2 :2014/10/09(木) 18:05:49 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
大層なパワー球は皆売ってしまいました。300Bや211や845やKT-88等も。持ってますと虫が
疼いてまた大鑑巨砲アンプを造ってしまいますから。国産の貴重球、6G-A4、6G-B8、6C-A10、
6R-A8も完売。テレフンケンのEL34と6G-A4には後ろ髪を引かれましたが。

残したのはF6、V6、L6の類いとVT62。この辺が拙者にとっての分相応。それでも未だに
電圧増幅管と整流管あわせれば200本くらいありますでしょか。LEDがノーベル賞の時代に (略)

9: 黄金のアンコール :2014/10/09(木) 18:07:23 HOST:ntszok199193.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
私の場合、手持ちの真空管は箪笥には入りきりません。持っている真空管は、エクセルで一覧表
にしておかないと判らない状態で、持っていたのを知らずに同じものを沢山買ってしまったという
失敗もありました。

しかしそれでもついこの前、50本まとめてヤフオクに出ていた英国Cossor 185BTという真空管を買
ってしまいました。この真空管を使って出力約50Wのマッキントッシュ型CSPPアンプを作ろうかと妄
想しています。半世紀以上前の大型英国NOS球なのに、50本まとめての値段はまともな真空管屋さん
で売っているGEC KT88の1本より安かったです。

10: 前期 :2014/10/09(木) 18:33:15 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
球の種類による音の違い、というのも無論あるでしょうが真空管アンプのバヤイ
OPTが音を支配しているように思いますがどうでせう?

11: すってんてん :2014/10/09(木) 18:59:22 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp

スッ スルドイ!

甘茶で天晴れ♪(*^_^*

其の通り・・・・・多分どすえ

12: SAT-IN :2014/10/09(木) 19:59:10 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
う〜ん、値段の差が音の差に比例するかしないか、それが問題でつね。
その音の差というのは実際に比べてみるしかないので、小生に判断は無理。買うとしたら財布の許す範囲内で定評を信じるしかないです。
「財布の音:チャリ〜〜ンpp」

13: RW-2 :2014/10/10(金) 01:34:01 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
以前、知人のオーディオ店に時々アンプを持ち込んでダマシウチしてたことがあります。
試聴スピーカーはダンピング配慮でインダクターの入らないローサー。箱はユートピア。

6BM8ppアンプと6GW8ppアンプを音楽を流して「音の差を克明に判定」できた方は10人中1人。
これはOPTが同メーカー同タイプ。回路も似たタイプ。兄弟球なので判らなくても仕方なし。

6V6ppアンプと6BQ5ppアンプで10人中3人。前者オートバランス型、後者リークムラード型。
これもOPTが同メーカー同タイプ。球と回路が違ってもこの程度。

We300Bsアンプと6BQ5-3結ppアンプの誂え価格差は85:15。球も回路もOPTも違ってさえ10人
中5人程しか判らず。ちなみにマニアほど差を指摘できず、球名を知らされてから詭弁能弁 (略)

14: くろねき :2014/10/10(金) 02:51:56 HOST:wb92proxy16.ezweb.ne.jp
↑マニア相手の実験とは違いますが、アンプの違いどころか
生演奏とすり替えても判らなかった、なんていう実験もありましたからね。

億の値段のする楽器はどっちなのか音だけで
当てるクイズも、時々テレビで見かけます。


結局は自己満足がほとんど、ということでしょうか。
そう言ってしまうといろいろ終わってしまいまつが・・・

       カチャッ¬(■_■ )<貴様の命もな!

 ┗(;>△<; )┓≡3<ヒェ〜ッ、カンニンカンニン!

15: SAT-IN :2014/10/10(金) 10:53:19 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
若い頃はダマシウチに近い考え方が常に有りました。
あの先生方(身近な先輩や業者も含め)はブラインドで本当に区別が出来るのか?みたいな疑問です。
それでも判る人には判るので、見破られて返り討ちにあい斬り捨てられる可能性も有るでしょう。
拙者はどちらかってーと、タマされる側の人のほうが付き合い易いから好きです。(省)

16: SAT-IN :2014/10/10(金) 10:57:00 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
↑訂正
タマされる→ダマされる (でつ)

17: 前期 :2014/10/10(金) 12:49:31 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>>13
>マニアほど差を指摘できず・・・・・

耳が痛い!
よく聞く話ですがピアノを習っている素人の御嬢さんのほうがオーマニより耳が良かったりするそうです。
マニア諸氏は耳を鍛えるためにピアノを練習すべし????

18: SAT-IN :2014/10/10(金) 14:10:40 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
…利き酒なら自信有るんですけどね〜(省)

19: 前期 :2014/10/10(金) 15:13:42 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
聴き耳、じゃなかった地獄耳なら自信あり松?

20: SAT-IN :2014/10/10(金) 17:24:55 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>>12はトランスの話なんですが、近年はファインメット(ナノ結晶軟磁性体)が割りと良い評価されてますね。
ファインメットといっても1万円台から有りますので、まずは安いのから
使ってみようかと思います。

21: くろねき :2014/10/10(金) 18:07:06 HOST:wb92proxy16.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

>ファインメット

日立金属の商標ですね。

 www.hitachi-metals.co.jp/product/finemet/index.htm

しかし、またしても大日立・・・。

22: RW-2 :2014/10/10(金) 18:11:44 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>生演奏とすり替えても判らなかった

でしょう。ですからオーディオ機械のブラインドテストたるものはいけませんね。意味が
ないというか、趣味のオーディオとは伝説ありき、デザインありき、造りありきなんです。
今これが鳴っております! にて判断するほうが社会的、経済復興にも宜し。そうすりゃ、
300万円のアンプは3万円のアンプに負けませんし、WE300Bが6BQ5に負けるはずはありません (略)

23: 前期 :2014/10/10(金) 18:31:32 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>ブラインドテスト・・・・・・・

特にイケナイのが瞬時切り替え方式。何度か経験しましたが「ホラ、わからないだろ
だから差なんかないのさ」と言いたいお方の策略でつね。
じっくり時間をかけて自分の好きなソースで好きなように比較すると結構な差を感じるものです。

24: すってんてん :2014/10/10(金) 18:37:11 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp
でつね

ワカリ松。

25: 高齢者候補 :2014/10/11(土) 07:45:30 HOST:east49-p87.eaccess.hi-ho.ne.jp
>>20>>21
おはようございます
ファインメットですが、廉価なシングル6WとPP-12Wを使い2台製作しました
及び他者製作のPP-24Wを視聴した結果、共通していることがあります。

中域から高域にかけては素直というか、癖のない自然な伸びのある音色
低域も同様ながら、やや腰のない粘りに欠ける少し物足りなさがありました。
又聞きですが、第二次高調波が少ないと上記になるとのことです。

アンプの特性にも依るでしょうし、高出力トランスでは違った結果になる
可能性もあるでしょう。

26: SAT-IN :2014/10/11(土) 09:44:08 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
高齢者候補さん、インプレッションどうもです。
>やや腰のなり粘りに欠ける少し物足りなさ

この辺がトランスを使う球オーディオの難しい(悩ましい)ところですね。
主としてジャズを聞く場合は綺麗だけでもシックリ来ない部分が出てくるだろうと思います。
やはりコアの違う二種類は試さないと折り合いが着かないかも?です。

27: ディラン :2014/10/11(土) 10:46:39 HOST:nptky307.jp-t.ne.jp
>ブラインドテスト
人工イクラや人工キャビアの事を想いましたです(笑)さすがに蟹蒲鉾は天然物と判別が付きます。

28: ディラン :2014/10/11(土) 10:53:54 HOST:nptky207.jp-t.ne.jp
↑ノンアルコールビ−ルの味わいは普通のビ−ルに非常に似ていますが酔わない。こんな事も頭を過ぎりましたです(笑)

29: SAT-IN :2014/10/11(土) 11:11:18 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>ノンアルコールビール

あれにアルコール混ぜたらビールにはならんけど発砲酒ぐらいにはなりますよね。
(オーディエンス:わざわざメンドクサイことスンナ!)

30: ディラン :2014/10/11(土) 11:13:35 HOST:nptky404.jp-t.ne.jp
三連続気が引けますが、アンプの音に依る味わいの違いよりも圧倒的にスピーカーに依る味わい、違いが大きいですね。先ずスピーカー在りきだなぁ〜。

31: 前期 :2014/10/11(土) 16:54:14 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>スピーカーに依る味わい、違い・・・・・・

同じスピーカでもアンプによってガラッと音が変わることがありますね。
特に昨今流行の複雑怪奇なクロスを背負っている大型スピーカ・システム
はアンプの負荷としては荷が重いらしくいろいろあります。
ついでに言うと過渡特性は立下りより「立ち上がり」のほうが音を支配するように聞こえます。
つまりパルシブな信号をしっかりSPに送り込めるアンプがいい音しますが
そういうアンプは大抵カネがかかっていますね。

32: ディラン :2014/10/11(土) 17:17:30 HOST:FL1-119-238-197-44.kyt.mesh.ad.jp
アルテックなんかはアンプに依ってそうそう音が変わる事は無いしシンプルで楽なんですが
なかなか鳴ってくれないSPも有る様です。そういうSPはそもそも使用しません。
能率の低い奴はもっての外です。
反応が良いのが何よりだと鑑みます。SP以外でもね(笑)。

33: 高齢者候補 :2014/10/12(日) 08:14:22 HOST:east49-p87.eaccess.hi-ho.ne.jp
システムとか環境構成・アルテックでもSPの相違があるので何とも
言い難いのではありますが、当方のコンプレッションSPは中高域に
限定ながら、低歪みな・リップルの少ないだろう電源強化したアン
プの方が良く感じます。

音場感とかスケール等は全然違うのですが、38cmコンプレッション
同軸の102db-1mとフルレンジ10cm86db-1mを2mほどで聞いた
場合、アンプのパワーは同様というか、10cmの方が喰ってる感は
なかったのでした。

推測ですがVコイル径に相応の差があり、高能率のアルテックと言えども
W数ではなく、定義は困難ですが駆動力があるアンプでないと満足に
鳴らせないのではないかと思います。

再生の定義は数多あると思うので、個人の意見としてでした。

34: ディラン :2014/10/12(日) 08:55:45 HOST:nptky403.jp-t.ne.jp
アルテックはアンプを選ぶと思っています。どんなアンプでも鳴るのはアルテックSPの特性と言うかその高能率に有ると想う。アンプを選ぶのは高能率故にアンプの良い処も悪い処もそのままに音に影響してしまうから。昔はでかい箱で38センチのバスドライバ−の上にこれも大きなラッパを乗せてるスピーカーは大きな駆動力が必要不可欠と思っていました。低域が出ない、高域が足りない等と。今は逸れらが杞憂であったと判る様に為りましたです。質感の好みで三極管のシングル、多極管のプッシュプル、業務様のトランジスター、デジタルアンプ等お好みですね。だからこそアンプを選ばず、アンプを選ぶのではと思うのです(笑)

35: SAT-IN :2014/10/12(日) 12:26:47 HOST:s1155066.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
能率の良い大型のスピーカーを3Wクラスでバリバリ鳴らす世界に、憧れますね。

36: SAT-IN :2014/10/12(日) 13:41:30 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
↑現実的に3Wったら2A3のような3極管シングルになり、6BQ5シングルでも5Wは出ますから、まぁミニワットのイメージ的な感覚です。

37: RW-2 :2014/10/12(日) 15:09:59 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
12帖洋間。試聴距離4mの場合で能率100dBのシムテム。一般的試聴でメーター読み0.1W。大音響で1〜2W。
爆音にしないと3W越えません。付録のデジタルアンプで爆音が可能。2〜3Wの球シングルアンプでOKでした。
オーケストラの最大音圧は100dBを少し超えますが、1m距離で1Wですから洋間4m距離であれば-3dB程度と
なりますから計算上でも2Wくらいあれば十分楽しめます。

能率88dBのSX-3UとHS-400の場合。一般的試聴であれば3Wあれば十分です。大音響となると10W越えます。
さらに音量を上げますと30Wまで振れます。さらに高耐入力のHS-400で爆音を出すと60W以上に飛込みます。
あくまでメーター読みですので瞬間的には100W入ってる可能性があります。

なお、SX-3UもHS-400もネットワークのコンデンサーはすべて高精度/高性能のフィルムコンに交換して
あります。古いSPをデフォのままで試験しますとユニットが破壊される可能性がありますので注意です。

こうして見ますと、高能率のSPは出力2〜3Wの3極管シングルアンプで十分賄うことができ、また高能率の
SPはダンピングが良く低域は出にくいので、真空管アンプの低域特性のほうがマッチするのでしょうね。
やはり85〜88dBのアンプは大きな音で聴こうとしたら50〜100Wアンプが必要なんですね。

38: RW-2 :2014/10/12(日) 15:13:02 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
↑85〜88dBのアンプ→85〜88dBのSP に訂正!

39: 前期 :2014/10/12(日) 17:05:53 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
流石は尊師、じゃなかった工作員さん!

そうなんですけどね、音のパンチはアンプのワット数と関係ありません。
だからと言って一部のマニアが酔いしれる電流出力アンプの音がイイとも思いませんけどね。

40: SAT-IN :2014/10/12(日) 20:02:39 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
ペン○ンョンすも○の木が扱っていたテク○ロンというトランス。
ピアレスのノウハウを買って日本で巻いていたのがツ○電機と言う所です。
当時はそう思わなかったけど、今は値段がハッキリしないので、ちょっと高そうな感じです。
タンゴやタムラ以外に探すと色々有って迷いますね。
これが5千円や1万円のモノでないだけに試してみるのも限度が有ります。

41: SAT-IN :2014/10/12(日) 20:15:30 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
WEの91Bに使われた171Aのレプリカが各所から出ています。
販売者曰く(要約すると)オリジナルと比べて遜色無いってのは本当なんですかね?
WEのコアで巻いたから同じというほど簡単な物ではないと思いますが、どうでしょう。(中華製も有り)
こういうのこそ春日も含めてブラインドテストして欲しい、いや、したい。

42: RW-2 :2014/10/12(日) 22:46:16 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>工作員さん!

部屋における相対的な音量を述べただけで、音の表現力は別モノですね。

>WE171Aのレプリカ・・・オリジナルと比べて遜色無いってのは・・・

拙者はまったく興味がないんですよね〜。171Aを使ってませんし、#91アンプも
さして興味を引く音ではありませんでした。拙者は山水のSWシリーズ以降〜→
タンゴで育ってますからね。LUXもそうとう使いましたがタンゴは音ヌケが宜し。

43: SAT-IN :2014/10/12(日) 23:06:23 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
ど、ど、どなたか171Aのレプリカ使った方いらっしいませんかあ〜〜?(省)

44: RW-2 :2014/10/12(日) 23:43:51 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
うろ覚えですが、ウエスタン○ウンドインクさんとかエ○タスさんとかウエスタン○ボさん
なんかは30年前からレプリカやケース入れを造ってたんじゃないでしょか。

昔WEに電線降ろしてたメーカーまで探し出してきて再生産させてますからね。日本のマニアは
WE伝説に弱いので何でも商売になるんでしょね。但しタフピッチ銅線ですとは謳ってない(略)

45: SAT-IN :2014/10/13(月) 01:13:04 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
ま〜なんにしても高ぇ〜わ、しかし。
しょーがない300B売ってトランス買うか。(笑)

46: SAT-IN :2014/10/13(月) 01:21:17 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
(^^)d
かくしてモノラル主義者へと変貌したのである。

47: 高齢者候補 :2014/10/13(月) 08:47:44 HOST:east49-p87.eaccess.hi-ho.ne.jp
映画館で使用していたアンプに憧れていた頃、IPCのトランスをネットにて
購入、6L6PPとのことでした(たぶん、と言うのは20Wだそうながら50W級の大きさ)。

2次が12Ωと24Ωにのでアルテック系SPと想像、ただモノラルアンプだったのかケース
の型が違い、結論からすると旧が6.6kΩ、新は5kΩらしくステレオで組んだら左右の
出力に差が出ました、独立したVrて゜対応しています、聴いても特に明確な差は感じない
から良しとしています、売却主み良く判らず2個で5.5万でした、SN○○○とあり、たぶん
トライアドあたりだと思ってます。

で、特性ですが低域は200Hz辺りからダラ下がり、高域は7kHzから次第に落ちて方形波
は10kHzでは鋸形になります。
流石に中域前後は明瞭で過不足なく、音の佇まいは疲れず聴けますが特性重視の方には
この手のトランスはお勧め出来ません。

以前、某Webで171Aの周波数特性を拝見したところ、私のIPCと似たり拠ったりでした
、感級央黒で絶賛してますが、絶対特性は掲載してませんなと。
それに限らず、一度映画館使用のアンプの周波数特性・歪み率・残留ノイズ表を見たい
ものです。

48: でしべる :2014/10/13(月) 09:13:33 HOST:wb85proxy04.ezweb.ne.jp
本日は、年に一度の真空管の音を拝聴する日です。真空管オーディオフェア

49: RW-2 :2014/10/13(月) 09:39:30 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
拙者もトライアドのOPTでアンプを造りました。店の親爺がウイリアムソン対応と
言ってましたが、NFがまともに掛からず右往左往。結局軽度のNFで済ませての
カマボコ型特性に。ヌケは良く豪快な音となりました。ガラ巻きなんじゃないかと。
その後、評判の良いマグネクエストを使いましたが似たり拠ったりでした。

>映画館使用のアンプの周波数特性

渡辺直樹さんの『ウエスタンエレクトリック研究』でおおかた予想がつきます。
昔の映画館用のSPはセリフ滑舌重視で低域を伸ばしていませんから、アンプも
さしてワイドレンジにする必要がなかったのかもしれません。171Aも小さいです。

50: SAT-IN :2014/10/13(月) 09:43:04 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
以前技術誌で見たところWE時代の映画音響はサウンドトラックの特性上だいたい7k辺りまでしか伸びていませんでした。
再生アンプだけ広帯域にしても無い物は出ませんからトランスはフィルターの役目もしたのでしょうね。
ただ171Aのレプリカは普通に使える特性みたいです。

51: SAT-IN :2014/10/13(月) 09:55:25 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
ちなみに171Aのリビルド・レプリカ・類似品を出しているのが5件ほどです。(他にも有るかも)
W.Sインク
W.Sラボ
P○C
TRI○L.E.P
中華製

52: RW-2 :2014/10/13(月) 10:20:17 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
P○Cの社長さんは良い方です。25年くらい前に大変お世話になりました〜。

53: 前期 :2014/10/13(月) 13:09:25 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>セリフ滑舌重視で低域・・・・・・

これが効くんですよね。生真面目に広帯域を狙うと・・・・  電子工学より心理学の分野かもしれません。

54: SAT-IN :2014/10/13(月) 16:29:19 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
真空管時代のTV音声がどれ程のものだったか資料も有りませんが、映像のほうに惹かれて特に不満を感じませんでした。
今だってオーディオ的なレベルからみたら、良くてミニコンか上級ラジカセ程度ですけど、脳の補完力が働くんでしょうね。

もっとも、居間でボンボンドッカンシャンシャンは疲れますけど。

55: RW-2 :2014/10/14(火) 13:30:14 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
電源が強力ですからね。チョークまで入ってましたよ。配線を出して
良いユニットと良い箱を使ったらイイ音してたかもしれませんね〜。

56: SAT-IN :2014/10/14(火) 14:06:14 HOST:s1122140.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
70年頃「Stereo」に廃品テレビから取り出した部品を空き缶に纏めてステレオにする記事があったんですけどね〜
もう一度あれを見たい。(省)

57: くろねき :2014/10/14(火) 17:48:31 HOST:wb92proxy09.ezweb.ne.jp
↑それ私も見たい。

今のテレビ音声は一応デジタルですからね。
アナログ放送の頃は、ひどいときはなぜかバズが乗ったり
したものですが、今はそういうこともなくなりました。

収録自体はそれなりに気合いが入っていることもあるようで、
某局では音楽番組専門の「音組」なんてチームがあるぐらい。

ワンセグだとレートが低くてダメですが、地デジやBSならそこそこ聴けるかと。
テレビ側のスピーカーを切ってスピーカーラックで聴くのが正解(略)

58: 高齢者候補 :2014/10/15(水) 08:45:31 HOST:east49-p87.eaccess.hi-ho.ne.jp
SAT-INさんの
>>タンゴやタムラ以外に探すと色々有って迷いますね。
これが5千円や1万円のものでないだけに試してみるのも限度が有ります。

その通りなんですが、最低投資に依る打開策としては有志主催のオフ会参加
しか考えられません。
周囲にその手の会合が無い地域もある様で、機会に恵まれない方には恐縮な
限りではありますが、近県とかに視野を拡げればチャンスはあるでしょう。

東京住まいですが、神奈川や埼玉あたりの主催でも可能な限り参加して
見聞を向上しています。
トランスで言えばオフ会の比較視聴でタムラのパーマロイがツボでした
ただ、生産中止なので今後はオークションとかしか選択肢はありません。

59: SAT-IN :2014/10/15(水) 12:26:11 HOST:s1132126.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>>58
高齢者候補さん
案外そういう意識が今まで有りませんでした、言われて見ればそうですね。
最近はMJ誌も立読みすらしてないので何処で何をしているのかサッパリです。
これからは少し視野を拡げてみようと思います。

60: SAT-IN :2014/10/15(水) 12:40:39 HOST:s1132126.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
ネット環境の無かった時代はオーディオに限らず、何でも好奇心に駆られて大概の所へ足を運びました。
最近動かないのは歳のせいも多少有りますが、やはりネット情報に安易に頼り過ぎの傾向が有りました。(反省)
歩かぬ犬は棒にも当たらないようです。

61: 前期 :2014/10/15(水) 15:10:36 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>歩かぬ犬は棒にも当たらない・・・・・

だから怪我もしないで済む????

62: SAT-IN :2014/10/15(水) 15:44:10 HOST:s1132126.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp

そ、それを云っちゃあお仕舞いよう??〜
では「果報は寝て待て」「棚からぼた餅」に変更しますか・・・・

(省)

63: 前期 :2014/10/15(水) 15:55:47 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
いえいえ、シモン・マグスを気取りませう。
ただの石ころを磨いて宝石に変身させるのです!!!

64: SAT-IN :2014/10/15(水) 18:52:12 HOST:s1132126.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
でも、まさかの焼肉のタレに似た名前のパンデミックに関しては言えてますよね。
出きることならシェルターに籠りたい。
そこで「トッカータとフーガ」ニ短調 ?

65: RW-2 :2014/10/16(木) 06:21:19 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
高校生の頃は「トッカータとフーガ」ニ短調を聴いた後に、ELPの「展覧会の絵」を
聴くのが定番でした。何故なのか。判りませんがその時はそれが好きだったとしか (略)

66: SAT-IN :2014/10/16(木) 21:45:53 HOST:s1132126.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
あっしのバヤイ「トッカータとフーガ」ニ短調と来たら何故か「ツゴイネルワイゼン」でした。

67: くろねき :2014/10/16(木) 22:23:46 HOST:wb92proxy09.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

昔は「カセットに入れた順」っていうケースがありましたね。

90分テープの表裏に別々のLPを録音してその順番とか。
その順番じゃないとどうも気持ち悪いのが後々まで続くという。
私なんかCD-Rでまで続けてるという(略)

68: RW-2 :2014/10/16(木) 23:43:49 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>90分テープの表裏に

バイトして買った最初の車。あとはあの娘とドライブしたい。いろんな作戦や偶然を
装って、やっと、ようやく、あろうことか、ウソかマコトかデートの約束を取り付けた。

車の中で何を話そうか。ステレオやゼロ戦の話しをしたってしょうがなし。野球には
興味があるとは思えないし。こっちはテニスなんかやったことがない。フロイトや
ポーの話しなんかしたら一発で終了だろな。何気に知性やセンスを知らしめる手だては
ないものか。あ、そうだ。やっとこ装備したソニーのカーコンポがあったじゃないか。

あとはカセットに入れる曲でムードを後押ししてもらうのだ。とりあえず、若い娘ウケ
するレコードを集めよう。百恵ちゃん、聖子ちゃん。ユーミンにハイファイ・セットだ。
それから竹内まりやに渡辺真知子でどうだ。中島みゆきと大貫妙子はやめとこう。

あとは選曲ですべてが決まるのだ。と思えてきた。ここからは綿密な時間計算と心情の
変化を予測しての選曲が大事なのだ。あの娘を乗せたときのウェルカム曲、10分ばかりの
国道道中に3曲、トンネルに入ったときにはこの曲がかかる。ぬけて5分の間はこの曲。
フェリー埠頭に向かい、そこからうねる海岸道路はドライブのクライマックスなのだ〜。
そして芝生の高原を突き進めば目的のレストランがある。計算では58分。なんとか
120分テープの片面に収まった。裏面はどうしよう。レストランまで上手く辿りついて
食事さえしてしまえば、目的は半分達成。あとはカーステレオの曲なんてもはや何でも
良いだろう。オールマン・ブラザーズバンドでも入れておくか〜。へへ。大成功の予感。

当日、あの娘はポニーテール。なんと可愛らしい。行くぜ〜、カセットスタート!天気も
最高、音も最高。ウェルカム曲が終わった。ちらっと横顔を見たら微笑んでくれた。
ヨッシャ〜滑り出し好調!と思っていたら、前にのろのろのバスが走っていた。ヤバい。
綿密な時間構成によって曲と風景とがシンクロするようになっておるのだ〜。このくそ
バスめ。なので追い越してやった。なんとか時間を取り戻せた。と思ってたら、渋滞だ。
ぐわっ。工事でトンネルが片側通行だと・・・。脂汗がツツーと流れ気が遠くなり・・・(以下略)

69: くろねき :2014/10/17(金) 00:23:38 HOST:wb92proxy10.ezweb.ne.jp
>脂汗がツツーと流れ気が遠くなり

気が付くと頭にティアラ載せた瀧○美織嬢がいて
自動車保険の更新日が近いのを知らせてきたか、
それとも鼻と耳の取れるコアラのような何かが
数匹現れて道をふさぎフラッシュモブを始めたか(略)

70: SAT-IN :2014/10/17(金) 00:29:46 HOST:s1132126.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
↑そりゃ鉄板やね!

71: 高齢者候補 :2014/10/22(水) 09:32:09 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
以前にファインメット・トランスは低域に粘りが乏しいと報告しましたが
格安のコーネル・ディプリーをシングルアンプに、同様なブラック・ビュ
ティーをPPに交換、共に多少容量オーバーの実測0.48μです。

当然ながらカットオフが5Hzあたりに下がった結果、あるいは旧式なコン
デンサなので高長波歪みの発生率からと推測ですが、中低域及び全域の
再生音が厚みを主体に個人的感想ながら改善されました。

ただ、これらのコンデンサが絶対的に良いと言うことではなく、アンプの
音質差が減少する傾向が垣間みられました。
キングダムに視聴感想が掲載されてますが、参考程度にした方が宜しい様
で、良い悪いは別として躍動感があるのは耳に心地よい良質な歪みがあると
認識が必要でしょう。

個人的に最初に装着するのに推奨したいのは廉価品なら指月のTME、高価
ならトーンの銅箔で共にフィルムコン、聴感上の高長波歪が少ないからで
暫く視聴して、もしも不満が出たら交換されるのが宜しいと思います。

72: 前期 :2014/10/22(水) 10:25:12 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
真空管アンプと言えば猫(CAT)の鳴き声はとても素晴らしいと思いますが
諸兄のご感想は?

73: SAT-IN :2014/10/22(水) 15:56:46 HOST:s878209.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
コーネルもスプラグも往年のオイルコンはリークさえ無ければメリハリと深味が有って、BBなどはフィルムコンとはまた違う抜けの良さも感じられます。
一方フィルムコンの爽やかさも捨てがたいので時々交換してみるのも一興ですね。

74: RW-2 :2014/10/23(木) 10:18:11 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
黒猫はPKMですからポリエステル-クラフト。黒馬(BB)もマイラー-ペーパーです。
巷ではこれらはオイルコンなどと呼ばれておりますが、正確にはメタライズドオイル
含浸フィルムペーパーコンでしょう。ですからフィルムコンでも良いわけですが、
最近のフィルムコンと区別するためにオイルペーパーコンと言うのが宜しいでしょね。
分解まではしてませんが、作りは双方ほぼ同様だと思われます。

75: SAT-IN :2014/10/23(木) 11:43:29 HOST:s1436040.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>オイルペーパーコン

一旦そう書いてみて、グドくなるので止めたんです。(省)

76: RW-2 :2014/10/23(木) 12:00:57 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
確かにクドいです (略)

77: くろねき :2014/10/23(木) 20:19:05 HOST:wb92proxy13.ezweb.ne.jp
↑「油紙コン」とすればクドくないような。
メタライズドまで入れるなら油銀紙コンとか。
ダメかな?

78: SAT-IN :2014/10/23(木) 20:25:01 HOST:s1436040.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
↑舌がもつれて胃がもたれそうですわ。(笑)

79: SAT-IN :2014/10/23(木) 20:48:51 HOST:s1436040.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
一般的にコンデンサーと言ってますけど、キャパシターでもあるんですよね。
和訳すると蓄電器ですから油銀紙蓄電器となりますでしょーか。

80: RW-2 :2014/10/24(金) 01:38:25 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
コンデンサーのコンデンスはコンデンスミルクのコンデンスと同義でしょうか。
ラテン語の濃縮とか凝縮の意。蓄電となんとなくイメージは合いますね。

ただ、工業シーンでコンデンサーと言ったら変換機の意味で使われてたりします。
ですから静電素子の場合はキャパシターと言ってるんですね。
銀容器封入湿式鉭蓄電器・・・。よけいクドいがな (略)

81: SAT-IN :2014/10/24(金) 02:26:49 HOST:s1436040.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
別名:銀容器入り濃縮タルタルソース?

こりゃ旨そうだ!(省)

82: RW-2 :2014/10/25(土) 01:48:28 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
銀ケース・ハーメチック湿式タンタルコンデンサー。100μF/25V。@15000円。バブル期に
数十本買いました! カソードパスコンに使っております。こんな贅沢は拙者くらいでしょ。
ルビコンから特注(M先生発注)のフィルムコンも発売されましたけど電気屋廻っても買えず。

83: 高齢者候補 :2014/10/25(土) 08:27:14 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
そういえば、AオーディオにてSOLEN製の300μF600Vを販売していました
価格は忘却、直径約7cm長さ約20cmありました。

既存のケースには収まりませんね~。

84: RW-2 :2014/10/25(土) 09:20:43 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
高耐圧のフィルムコンはボッシュ製あたりが最初紹介されたんですよね。
あれは工業用(車用か?)だったんでしょうか。

85: SAT -IN :2014/10/25(土) 12:56:38 HOST:z34-03.opera-mini.net[s1436044.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp]
ボッシュやソーレンと聞いたらイグニッション系が先ず頭に浮かびます。
たしか、セミトラからフルトラへ以降する前後でしたかね。

86: RW-2 :2014/10/25(土) 15:26:34 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
もともと音の良くなるコンデンサーとかオーディオ用のコンデンサーなんかは無し。
汎用工業用のモノを使っていたところに、軍用や医療用や電算用に開発された高性能
品を持ってきて流行りだす。TRW(ASC)の3ナンバーも元来オーディオ用途にあらず。

そんなモノが売れるとなると、商売しようと思ってオーディオ用なるモノをでっち
あげるメーカーが出てくる。曰くメタライズはダメ、当社は箔巻。なので超高音質!
ところがシロモノをみるとデカい。箔巻なので厚くなるし、ぎっちりとテンションを
掛けて巻けないのでブッ太くなる。これだけ大きいと飛び付きも心配だからシールド
巻いてアースに落とす必要も出てくる。

どれだけイイのかと思えば、スカスカの軽薄ブヨブヨでまるで締まらない音だった。
マニアは高価=高音質と思っているのであっちこちにゴロンゴロンぶら下げて満面 (略)

87: SAT-IN :2014/10/25(土) 20:55:11 HOST:82.145.216.71[s1436044.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp]
音の良くなるコンデンサーは無くても、音の悪くなるコンデンサーは有るようです。
何でもいいと思って使ったら味もそっ毛もない、ささくれた音になりました。
もっとも、音響以外の目的で使用したなら問題無かったのでしょう。
無駄な物に手を出さなくて済むよう一応の目安として、使用者のインプレッションは無価値ではありません。

88: 前期 :2014/10/26(日) 08:23:09 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>>78
オイルコン、処女オリーブ油を使うとすがすがしい音になり、てんぷら油を
使うとくどい音になりますから大根おろし(スーパーツイータ)を添えない
と聞けたもんじゃありません????

89: すってんてん(借金漬け) :2014/10/26(日) 08:45:09 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp

わかります。

90: 高齢者候補 :2014/10/26(日) 09:42:12 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
銀箔コンデンサを自家製品として使用のアンプがウリのガレージメーカー?
もありますが・・・・

電解コンデンサ
大容量が比較的に廉価、絶縁特性が今一で次第に劣化を伴う、一概に言えないが
3-400μF程度搭載しないとノイズが収まらない(静かになるには)
フイルムコンデンサ
大容量・高電圧は高価で太く設置場所確保が必要、絶縁特性は良好で劣化は自体
はないに等しい、150-200μFあたりで充分、音にスピードがある様に感じる
オイルコンデンサ
大容量を搭載しようとすると非常に大量に必要、及び高価すぎとなりかねない
、電解との音質差がある様で無い様な(PCB入りはアンプに使ったことがないので
不明、NWならあり)、絶縁特性や劣化は計測後はあまり心配する必要はなさそう、
高電圧の通信管アンプ以外に使用するのは疑問(ビンテージ物は知りません)

異論はあると思いますが。

91: RW-2 :2014/10/26(日) 13:58:29 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>使用者のインプレッションは無価値ではありません

アンプのカップリングやフィルターコンへのパラ使用でのインプレはなかなかお目に
かかれません。腐っても鯛のオリジナル尊重主義も多いし、なにより金が経かります。

ギタープレーヤーさん方はけっこう取り替え引き換えやってるのですが、バイアスを
掛けてませんからオーディオでの評価とは違うものになる。それにトーン用としての
評価ですから洩れ電流(絶縁値)などはお構いなし。バンブルビーなんかも枯れた音とか
評価が高いのですが、オーディオアンプにはもはや使えない。

大雑把な目安として、カップリングコンは耐圧が高く体積の割に重いモノが良いです。
オシロ使って絶縁値を測って使うべきですが、絶縁計でピクリとも動かないのが宜し。
フィルターコンはシングルアンプは音への影響大ですから、初っ端からオイルコンとか
良いモノを使いたいですね。ppアンプは汎用で十分で、デカップリングに良いモノを
使えば良いのではと思っております。パスコンは時定数無視で大容量が宜しいかと (略)

92: SAT-IN :2014/10/26(日) 15:00:47 HOST:s1436044.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
Vitamin-QだOrange-dropだASCだ言われてもナンノコッチャ?だったのをコレコレこういうもんだと知ったのは先達のお陰ですからね。(省)
目安にはなるでしょう。

93: SAT-IN :2014/10/26(日) 18:24:53 HOST:s1436044.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
正直、ギタープレイヤーさんのインプレは頭の固いオー○ニのインプレより変な柵(しがらみ)が無いだけストレートに評価出来てます。
DC重畳してもしなくても自己評価と概ね合うことから、それほどかけ離れてはいないと思います。
バンブルにしても、BBその他メタライズドオイルペーパー系にしても耐圧、リークは自己責任の世界でしょうね。

94: 高齢者候補 :2014/10/28(火) 08:07:01 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
>>パスコンは時定数無視で大容量が宜しいかと

例えば0.047μF(カットオフ15HZぐらい)が指定なアンプに0.47μF(4-6Hzあたり)に
交換すると低域の佇まいというか、雰囲気・落ち着き感が良い方向に。
高域も伸びとかが向上する場合があります、絶対とかは言い切れませんが・・・

95: RW-2 :2014/10/28(火) 11:41:46 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
カソードパスコン。昔はSPの低域性能やゴロ、ランブル対策なのか25〜33μFなんてのが
普通でありました。今じゃケミコンも小型になったのでド〜ンと470〜1000μF入れたり。
フリッカーノイズが収まるのかサワついた音がなくなり非常に宜しい。真似してオカシク
なっても責任は取りません (略)

96: 前期 :2014/10/28(火) 16:25:14 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
なんだか固定バイアスのほうがイイとかいう議論に発展したりして?

97: RW-2 :2014/10/28(火) 16:29:02 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
あ、すんませんすんません。初段のお話でした〜。

98: SAT-IN :2014/10/28(火) 16:45:49 HOST:s1436044.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>固定バイアス

音質に影響するコンデンサーが介在しないのとPPの場合DCバランスが取り易い点で有利だと思います。
球の出力も最大限生かせますね。
その利点を考慮しても心理的なメンテナンスフリーに近いのは自己バイアスでしょう。
ダイナコはキットながら固定バイアスでしたが、今は割りと上級者向きのバイアス方式ではないかという印象です。

99: 前期 :2014/10/28(火) 19:35:30 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
固定バイアス、というか定電圧の利点は球を計算どおりに動作させるところにあるような気がします。
スクリーングリッドなんかも定電圧駆動したアマチュアの試作アンプを聞かせてもらったことがありましたが締まったいい音でしたね。
カウンターポイントだったかな?プリでも固定バイアスのアンプがありました。

100: くろねき :2014/10/28(火) 20:43:34 HOST:wb92proxy05.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

球アンプではありませんが、ソニーのMOS-FETアンプでも
固定バイアスのがありましたね。
MOS-FETは温度ドリフトが少ないので固定でいけるんだとか。

101: RW-2 :2014/10/29(水) 00:10:49 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
日本の製作者は固定バイアスを好みますよね。まずテクニカルなほうがソソる。
物資の無いところの昔からの日本人堅気で、最小の資源で最大の効果を求める。
虚弱にムチ打って大出力を取出したがる。で、調整計測が好きだ (略)

アメリカさんは球が安いし大量にあるので、大飯喰わせて働かし、ボソボソ
いったらすぐ全球交換。カソードバイアスで良いのですね。

102: SAT-IN :2014/10/29(水) 00:40:08 HOST:s1436044.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
カウンターポイントSA-3.1はグリッドリークバイアスでしたね。
グリッド抵抗に4MΩを入れて−1Vを与えているとのことです。
その後は違う方式に変更していますが、設計者はグリッドバイアスにコダワリが有るようです。

103: 前期 :2014/10/29(水) 09:43:32 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>>101
>調整計測が
 
大好きです。驚異的な低歪率。ドヤ、ワテの作品は困難高性能や! 聞かせてもらうと酷い音だったりして!?

104: RW-2 :2014/10/29(水) 11:15:07 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
ラジオ作りしてた音楽好きの方がアンプを作るようになった場合と、学校で電気
電子を徹底勉強したあとにオーディオなるものに目覚めてアンプを作りだす場合
では音が違いますね。球の使い方も回路構成も定数の取り方も測定の仕方も評価
の方法もいろいろ出まくり、ホント真空管アンプは奥が深くなったと思います。

105: 前期 :2014/10/29(水) 18:50:08 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>学校で電気電子を徹底勉強

すると「静」特性重視になります。スピーカという「動」素子を負荷したとき
の挙動は関係ない。なぜならそんな特性を測定できる方法が確立されていないからです。
電気屋さんはスピーカの挙動も等価回路で説明できると強弁するひとたちでしょう。

106: すってんてん(借金漬け) :2014/10/29(水) 20:05:37 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp
>学校で電気電子を徹底勉強

わかり松

オイラも工業高校の電気科を何とか卒業しますたでつ。
徹底して勉強(授業中も含む)しませんでしたでつ。

ワカリ松。♪(*^_^*

107: 高齢者候補 :2014/10/29(水) 20:06:38 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
先日、とあるオフ会にて購入の45、一本は新品に近く他はゲッターはそこそこ残って
2-3千時間は使えそうな中古を春先に組み上げた46シングルから改造しました。

ソケットを交換しただけで定数は継続、元主は「46とは全然違う」とのことでしたが
より自然な再生音というか、誇張されたところがなく、伸びやかな聞きやすく出力に
瞑目すれば300Bより良い感じです。

ついでに購入した7本のブラックビューテイ、帰宅してバック内を探しても見当たらず
電車内で本を出した時に落したみたいです(泣)

108: SAT-IN :2014/10/29(水) 20:30:55 HOST:s1438013.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
ブラックビューティは一本3000円くらいでしょう。
それが7本?! そりゃ(泣)きますよ。
だって、ダークホースになっちゃったんですから。

109: 黄金のアンコール :2014/10/29(水) 23:06:57 HOST:ntszok199193.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
50PPアンプが一応完成しました。カップリングコンデンサが話題ですが、この50PP
アンプは、初段とドライバー段は直結で、ドライバー段と出力段はトランス結合な
ので、カップリングコンデンサが使われていません、残念。

110: RW-2 :2014/10/30(木) 00:15:51 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
拙者は七面鳥アンプも作りましたが、イントラでパワードライブ(1:0.5)したシングル
で最終結論としました。電圧下げて出力トランス交換すれば50シングルになるのです。
にしても50PPとは豪華ですね〜。いつかはRCAの50をずらりと並べて拝みたいものです。

111: SAT-IN :2014/10/30(木) 00:49:30 HOST:s1438013.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>>107
>電車内で

真面目な話、電車内の忘れ物落とし物は車掌が車内点検して拾いますから
ダメ元で車両区の係に電話で問合せたほうが良いですよ。
自分は終電で腕時計を落として鉄道会社の忘れ物係に問合せたら、幸いちゃんと保管されていました。

112: すってんてん(借金漬け) :2014/10/30(木) 01:27:22 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp
オイラは王将の生餃子4人前(お持ち帰り)を網棚に忘れますたでつ。

電話を入れると、終着駅「阿漕鉄三田」まで往復運賃(1,120円)は自腹で取りに言ってくれとの
チメタイお返事。

流石、日本一高いかも知れない運賃の阿漕電鉄(○有電車)
社員教育にも抜かりは無い。

責任者「出て来い!」(;一_一)

113: 高齢者候補 :2014/10/30(木) 09:02:06 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
>>SAT-IN様
そんなに高価なブラックビューティなんぞ買えません、購入したのは在庫限りの
特売一本600円なり、絶縁低下品を懸念してリード線出し部に欠けがないか選択
しての7本なので残念でした。

もしかすると販売店で紛失したかもなので、電話するのもカッコ悪く、明日再度
寄り道して無けりゃ追加購入するつもりで聞いてみます。
車両区も無論電話するつもりです。

114: 高齢者候補 :2014/10/30(木) 09:50:43 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
>>黄金のアンコールさんアンプ完成&音出しおめでとうございます。

東一のオイルフィルムを使用ですか、あれは癖がないし750Vの高圧対応
なので最適でしよう。
電源トランスのマイナスにスタンバイSWがありますが、ヒーター温度が
上がるまで切るのが良いのか、同様回路に30-60kΩの抵抗を入れプレート
に100V以下を流してやるのが良いのか先達の御意見をお願いします。

個人的には後者の抵抗を入れ1-2分後にSWをONにしていますが、理想は
どちらなのか今一つ思想が纏まらないのです。

115: 黄金のアンコール :2014/10/30(木) 11:39:27 HOST:ntszok199193.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
私も、どちらが良いのかはわかりません。+B電源のスタンバイスイッチの代わりに、
タイマーリレーを使う事も考えましたが、スタンバイに要する時間が使用する83に
よっても大幅に異なる事がわかって、単純にスイッチにしました。

長期間使っていなかった古い83は、電源スイッチをONにしてフィラメントが温まっ
てくると次第に管壁が曇ってきます。そして、曇りが晴れるまでに数分間かかりま
す。こういった場合には、曇りが晴れた後で+BスイッチをONすべきでしょう。

もちろん、頻繁に使用している83なら1-2分後に一気に+Bを流しても問題ないと考え
ています。

116: SAT-IN :2014/10/30(木) 15:56:41 HOST:s1438013.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
今まで単純に常温下の水銀が電極間に付着してショートするので気化するまでプレートに
電圧を掛けないという認識でした。(実際に不注意で一本飛ばしました)
もっとも、気化するまで水銀整流管としての意味が無い訳ですから、その為のタイムラグであることは勿論です。
もし気化しなくてもショートしないのだとしたら、すぐに電圧を掛けても水銀蒸気が目的を果たさないだけで整流管としては問題無い筈ですけどね。
一応83の造りは絶縁を意識してか、ステムを高くした少し変わった構造にはなっています。
取り合えず、詳しい事情が解らないでもセオリーを守って管内が透き通るまで大人しく待つようにしております。

117: RW-2 :2014/10/30(木) 19:42:10 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>整流管83

試験機のTV-7でプレート電圧用に83が使われとります。いきなり電源ON。その後は試験のためにON-OFFの
繰り返し。ぜんぜん問題ありません。83は横置きなので垂れ落ちて溜まってるので良いのでしょかね。

118: 高齢者候補 :2014/10/31(金) 20:46:40 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
黄金のアンコールさん、御回答ありがとうございます。

先日の紛失の件ですが上野に国宝展を鑑賞後に販売店に立ち寄って聞いたところ
受け取り忘れていたとのことで感謝と共に追加部品を購入、ボケが始まったかと
自分に釈然としない思いを抱きつつ帰宅した次第です。

色々アドバイス頂きました。

119: 黄金のアンコール :2014/11/01(土) 10:08:38 HOST:ntszok199193.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
希少なブラックビューティが、ちゃんと手元に戻って良かったですね。

120: SAT-IN :2014/11/01(土) 20:07:48 HOST:s634100.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
同じく、他人事ながらホッとしました。

121: ディラン :2014/11/03(月) 23:36:53 HOST:FL1-119-238-197-44.kyt.mesh.ad.jp
安価な300Bを買いました。話題の○製です。
WEと差し換えて最初はまずノイズは無しOK,ハリ、艶70%(出荷時はエージング無し)。
18時間経って徐々にハリ、艶が増す。高域は自然に伸び出す。
低域は最初から締まっている。量は文句ないがまろみは劣る。
中島みゆきの声はWEの明るさがやや後退し切なさが出て良い。

こんな事して、遊んでます。

122: 高齢者候補 :2014/11/04(火) 06:58:06 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
300Bの中高域における明るい音や艶は高調波歪が独特だからだと
思われ、回路に相違があってもオリジナル球のアンプ傾向は大同小異
であると個人的な幾多の視聴結果です。

他の製造メーカーではオリジナルに近づけるか、規格のみで独自のトーン
を醸し出すのもあり、購入する際には高価である故、視聴してから決めた
いものですが・・・・
後者で聞いたことがあるのは鷹月とJJで、どちらもWE球とは音の傾向は違い
、艶とか期待しても押さえ気味です、良く出来た音癖の少ない出力が確保可能
な直熱三極管でしょう。

個人的には鷹月はJJの3.5倍もするんで購入回避、JJを主にしています、ナグラの
アンプにも使ってますし(ヒーターが1.4Aなので注意、出力は1.2-3倍UP)
価格と音との兼ね合いの鬩ぎ合いを楽しんでます。

123: ディラン :2014/11/04(火) 08:08:11 HOST:FL1-119-238-197-44.kyt.mesh.ad.jp
高齢者候補さん、お早う御座います。
300BはWEでなければとか古球程良い何て言われますがアンプ、トランスも出音には
多いに関係していると思われますしSPも含めたシステム全体の音なんでしょうね。
小生のアンプには4本必要なので色々試したいのですが経済的に不可です。
触手が動いたのが安価な○国製だったのですが数か月在庫切れだったのが先日から入荷したので購入しました。
怖いもの見たさデスネ。
価格と音の兼ね合いと言う事では大満足ですし、何より何時間でもガンガン鳴らせるし朝電源を入れてそのまま仕事に行けて
午後から直ぐに聴けるのも良い点です。
別にWEを信奉している訳では無いのです。

124: 高齢者候補 :2014/11/04(火) 08:43:21 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
ディランさん同意です。

ただ生きている内に一度は出力管にWE球を使ったアンプを製作したく、300B
は無理でも比較的に廉価な球もあり、来年をメドに考えていのす。

125: ディラン :2014/11/04(火) 10:24:50 HOST:nptky203.jp-t.ne.jp
WEを信奉している訳では無いとは言うものの其の良さは疑うべくも無いとも思っています。300Bに限らず腐ってもWEは鯛。高齢者候補さんはアンプを作られる、羨ましい限りです。RW−2さん始め皆さんのお話は解ら無いけれど楽しませて貰ってます。じゃあ〜作って見れば良いじゃんと言う声が聞こえそうですが今更と自重しています。

126: すってんてん(借金漬け) :2014/11/04(火) 11:05:11 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp
>>121
>中島みゆきの声

でつね
ワカリマス。

オイラもトライ●ードの(ナカクニ製)の300Bのアンポンタンに、復刻のウエスタン300Bを入れました。
中域の艶、中低域のふくらみ加減、高域のきらめきナカクニ製とは次元が違いますたです。
試聴はもちろん中島みゆきの臨月。

2時間ほど聴いたのち、ボンビー症の性で元の球に交換しますた。

その後、アンポンタンを阿漕サウンドに底値で買い取ってもらいますたダス。

木箱入りの300B(木箱入り)マッチドペアは某オクに出品。
購入時の倍額(即決価格)で売却。♪(*^_^*(;一_一)(;一_一)

ご購入者は勿論、ナカクニの成金様ですた。

恐るべしナカクニ&赤い珊瑚とオイラのタクラミ

(〃^∇^)o彡☆がははははっ

127: 前期 :2014/11/04(火) 11:16:24 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>ナカクニ&赤い珊瑚

そういえば珊瑚なんて名前のスピーカもありましたね。

128: ディラン :2014/11/04(火) 11:26:26 HOST:nptky105.jp-t.ne.jp
>>126
私の復刻300Bも4本なので売れば幾らになるのかと思うと、ボンビ−根性が?哀しい性です。然しながら高齢者候補さんのナグラが気になりますよね〜。物欲止みがたし。

129: SAT-IN :2014/11/04(火) 14:06:32 HOST:s638050.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>赤い珊瑚

ニセモノを大量に沈めておいたらどうでせうかね?

130: SAT-IN :2014/11/04(火) 14:21:37 HOST:s638050.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
ちょっと調べましたらPS番が割りに安く出ていました。(といって諭吉1.5人分?)
これを、WEを挿す前にテスト用として使うと万全でしょうね。

131: RW-2 :2014/11/04(火) 14:55:37 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>購入時の倍額(即決価格)で売却

げげっ。売ってしまったんですか〜。・・・実は拙者も倍額で (略)

132: 高齢者候補 :2014/11/04(火) 23:08:22 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
私ゃナグラなんぞ持ってまへん、あのPPがJJの300Bを使ってるって話です。
自作の300Bsを先日視聴したら何んか薄い音で「こんな音だったっけ?」と
拍子抜けちまいました。

しばらく購入した45を元46アンプを若干改造して聴いてたので、落差というか
(45が決して濃い音だと言う訳でもありません)
聴かないアンプが2台、聴き廻しているアンプが10台あり、一台増やすと一台潰し
てましたが限界です、聴かない2台を潰したいのですが、トランスをオクに出すのも
面倒臭く、踏ん切りが付きません。

133: 黄金のアンコール :2014/11/05(水) 09:46:56 HOST:ntszok199193.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
完成した50PPアンプのまとめコンテンツを作りました。ご笑覧ください。

ttp://www.geocities.jp/asd2251sxl2001sax2251/50PP.htm

134: RW-2 :2014/11/05(水) 11:12:05 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
おっ、イイですね〜。カップリングコンが入らないのが良いし、無帰還なのがまた素敵。
イントラも増幅せず利得を落して使いますと低インピーダンスで励振しますから強力に
ドライブできますね。拙者のイントラ無帰還は6SN7→6V6(T)としてますが、力のある
双3極管を初段とドライバーに分けての使用法はスマートですね〜。

50はシングルでも豪快に鳴りますがPPなら尚更でしょうね。猫も杓子も300B時代での
50アンプはシブいです。メタルクラッド使わずにホーローなのもまた宜し。

135: ディラン :2014/11/06(木) 17:33:50 HOST:FL1-119-238-197-44.kyt.mesh.ad.jp
○国製の300Bに差し換えて日に15、6時間位鳴らし続けたので50時間位行ったか。
WEとは違う、当たり前。しかし乍ら、妙に愛着心が湧いてきましたでつ。
シャォジェ、クウニャン可愛い健気でつ。
バタ臭さが無いのに妙な色気が有ります。
ブロンドに何時換えるのかは判りません。

136: SAT-IN :2014/11/06(木) 18:43:54 HOST:s647086.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>○国製300B

日本の電子工業はハショリ過ぎましたね。
岡谷の技術がもう少し踏ん張っていれば、それなりの価値を持ち得たのにと些か残念です。
ただし。有れば有ったで国産を軽んじる傾向も否定出来ません。

137: 高齢者候補 :2014/11/07(金) 08:13:15 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
>>岡谷の技術がもう少し踏ん張っていれば、それなりの価値を持ち得たのにと
些か残念です。

当時、サンセイEで扱ってたST管ではないGT管みたいな特注300B、セトロン300B
STC4300B、岡谷の300Bはいずれも一本1.8万から1.9万円でした。
40年前の価格です、現在の物価からすれば6万くらいかなと思われます。

今ほどNetとか情報が豊富ではない時代、いきなり高価な管を確か下請けOEM系の
メーカーが製作して「無線と実験」「ラジオム技術」ぐらいしかコマーシャルを
展開出来なかった、結局完売はしたらしいのですが継続はむずかしかったかなと
思われます。
真空度は当時のWE球より上だと記事を読んだ記憶があり、幾つかの製作記事も
ありましたが、時代の先取りしすぎたかなと、WE(BELL?)の788年や88年の再生産
でトドメを刺されたかなと。

>>ただし。有れば有ったで国産を軽んじる傾向も否定出来ません。
同意です。
だけど困ったことに部品として使って比較すると、評判の割にたいしたことのない
のもあれば、聴感上国産品より数段上のもあり後者の印象は強く、これが一人歩き
してしまい、テストコストの負担は大きく手っ取り早い「○○製は素晴らしいらしい
使おう」になるのでしょう。

138: SAT-IN :2014/11/07(金) 09:21:29 HOST:s647086.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
高齢者候補さん、おはようございます。

>テストコストの負担は大きく手っ取り早い「○○製は素晴らしいらしい
使おう」になるのでしょう。

その辺言い得て妙ですね。
ワタシなどは安くない球を買って使ってみるにも限界がありますから、 そこはやはり人柱?の意見を尊重せざるを得ない訳です。
考えてみればアンプの回路もパーツも耳も感性も違いますから、あまり過度な期待は禁物でしょうね。

ラ技の製作記事で岡谷(ロダン)を推していたのは、確かビ○ターの大田○穂さんでした。

139: ディラン :2014/11/07(金) 10:59:03 HOST:nptky305.jp-t.ne.jp
アンプとの相性も有るのか小生のアンプには○国製の300Bが抜群に遇います。WEよりワイドレンヂで音色、雰囲気の醸し出し方もとても好ましいですよ。私の買った球が当りだったのかは判りませんが少しづつうねりやまろみも出て来る様に為りましたのでまだまだ良く為りそうです。有名な300Bを数種類試すには百万から二百万必要。アルテックの他に神は無しのチ−プな人柱より。

140: すってんてん(借金漬け) :2014/11/07(金) 11:43:15 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp
A5の場合は鳴りっぷりが良すぎるので・・・わかります。

オイラはアメリカンタンノイオートグラフ・プロフェッショナル(RED)で試聴しますたでゲス。
明らかに粘り&中低域の肉感(締まりと膨らみのバランス&艶etc)はWEに軍杯でおました。
元々オイラはワイドレンジより「らしさ」が優先するゆえかも?でつ

個人的感想に付きご賢察のほど・・・合掌♪

141: 高齢者候補 :2014/11/07(金) 12:31:37 HOST:east42-p77.eaccess.hi-ho.ne.jp
スレ主さんのデータ等拝見致しました申し分ない出来で、過去にトランスの違いは
ありますが、Tドライブのシングル・PPを聴いた経験を持っています。
50に限っては練られたトランスドライブ回路に於いて、再生音は全て良かった為
いずれかの機会に聴けるのを楽しみとしています。

SAT-INさん
太田さんまで記憶していないので助かりました。
ディランさん
アルティックは時代の変遷によるバージョンが多彩ですから相性も相応にある筈
従って理解出来る話です、おそらく高調波歪成分の相違が齎した結果では?
すってんてんさん
タンノイは独特の高域がメリットですから、こちらも判るコメントです。

本日は休息日で、仕事のストレスから無性にアンプを弄りたく、かと言って増殖は
不可と決めており一台分解破棄しています、トランス類を外したら買い物に・・・

142: ディラン :2014/11/07(金) 12:46:58 HOST:FL1-119-238-197-44.kyt.mesh.ad.jp
>明らかに粘り&中低域の肉感(締まりと膨らみのバランス&艶etc)はWEに軍杯でおました。
同感、確かに別物では有ります。
139→個人的感想です。ALTECファン、オーディオ好きを代表する意見では御座いません。
そこんとこ、宜しく御笑見下さいませ。

143: ディラン :2014/11/07(金) 17:53:45 HOST:FL1-119-238-197-44.kyt.mesh.ad.jp

比べて観ました。
ビルエヴァンスのポートレートで、ピアノの音がWEは硬質&混ぜ物無し。芯がハッキリしています。
○国製硬質に若干煌めきの混ぜ物有り、金がお好きなのでしょうね。芯が若干甘い。
低域も然りですが此れは良い様に作用します。
どちらも良く出来てますね〜。流石です。
別物ですが、双方楽しめます。
球狂いに為る方の気持ち解かります。

144: すってんてん(借金漬け) :2014/11/07(金) 21:16:22 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp
>○国製硬質に若干煌めきの混ぜ物有り、金がお好きなのでしょうね。芯が若干甘い。

でしょう
ピンクの珊瑚に金成の赤い混ぜ物有り、成金が多いのでせう。欲が深い。

台風なんのその、珊瑚狂いに為る下品人のチモチわかります。

145: SAT-IN :2014/11/08(土) 20:38:49 HOST:s831069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
300Bは良い真空管ですけど直熱で5VともなるとAC点火はキツイですね。
かといって2.5Vじゃ2A300C?になって何がなんだか。(省)

146: でしべる :2014/11/23(日) 13:26:34 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
マイクロフォニックノイズとやらは、音質に影響があるのでしょうか?

パイオニアPAX−20F用に、真空管アンプが欲しいなと思う今日この頃。
6BQ5、6L6GCが初心者向きな感じですが
複合管のPCL86(14GW8)もシンプルでオシャレなアンプですね^^

147: でしべる :2014/11/23(日) 13:41:47 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
偶然発見、佐久間氏のお店
「真空管アンプのオーディオレストラン コンコルド」
で検索

148: くろねき :2014/11/23(日) 13:49:09 HOST:wb92proxy16.ezweb.ne.jp
↑館山かぁ。
潮風とかはアンプ的に大丈夫なんだろか(←余計)

149: SAT-IN :2014/11/23(日) 13:56:33 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
↑ウン十数年前に行きましたがな。
潮風はそれほど沿岸部じゃないので影響ないでしょね。

名物ハンバーグの存在を知らなかったのが悔やまれます。

150: RW-2 :2014/11/23(日) 14:10:42 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>館山

こっちの磯釣りはチヌなんて高級魚は少なくてアブラメとかタナゴですね〜。
もっともイワシやサバやカレイ、ヒラメなら岸壁から糸垂らせば釣れますけど。

151: SAT-IN :2014/11/23(日) 18:07:34 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>マイクロフォニックノイズ

動作中に管壁を指で弾くとコンコンキンキン鳴るやつでしょう。
逆に言うと、弾かないと鳴かない程度なら気にすることないと思いますけどね。

という、なんら対策してない小生の戯言です。(ゴメリンコ)

152: でしべる :2014/11/23(日) 21:39:00 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
問題なさそうですかね^^ありがとうございました。
サンタさんに真空管アンプを、お願いするつもりです。

153: RW-2 :2014/11/24(月) 09:58:57 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
真空管アンプはフィラメントの揺らぎというかグリッドの振動であの優雅で美しい
音、ハーモニクスになってるんでしょうけどね。

>6BQ5、6L6GCが初心者向きな感じですが複合管のPCL86

真空管アンプはよほど気合いが入ったシロモノじゃないと今の29800円程度の
石アンプに軽く負けると思いますよ。音もパワーも機能も使い勝手もね。

154: でしべる :2014/11/24(月) 11:08:35 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
気合とは、やはりお値段?でしょうか^^;;
真空管ならではの個性ある音が味わいたいのですが
真空管アンプならではの音とは・・・。

155: 前期 :2014/11/24(月) 11:12:38 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>>153

禿同。

156: RW-2 :2014/11/24(月) 11:43:27 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
球アンプでそれなりの特性と音をもったアンプとなるとトランス3個で最低6万円は
経かるでしょう。球やシャーシー、高性能パーツを含めると軽く10〜15万円突破。


ヤ○ハの新作A-S301が3万円前後で売られています。70W+70W/6Ωのパワーで192kHz/
24bitのDACまで搭載。4〜5万円の球アンプじゃ太刀打ちできんでしょ。

8インチのフルレンジを6BQ5のシングルで鳴らすなんてのは洒落ていると思いますし、
想像以上に良い音がするのは確かですが、でしべる様が所有している高級アンプの
上をいくものではないでしょね。球には格があるようで、シングルアンプでも50や
WE-300Bとなるとまるで風情が変わります。拙者も211を4本ぶっ建てましたが (略)

157: SAT-IN :2014/11/24(月) 12:31:35 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>>154
球による音抜けの差(或はパーツの)なんかはスピーカーで聴くよりヘッドフォンを繋いで聴くほうがはっきりします。
コンデンサー型なら尚良しです。

スピーカーとの適合とは又別の話であることは言うまでもありません。

158: SAT-IN :2014/11/24(月) 12:43:30 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
球には球の音(佇まい)が有り、その言葉で言い表せない感覚は実際に試してみるより仕方ありませんね。
例え3Wでも球の3Wはラジカセの3Wと違うというのが実感でした。

159: でしべる :2014/11/24(月) 13:07:40 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
真空管に関しましては、赤子同然でして^^;
PCL86の廉価アンプでもPAX−20Fを鳴らす程度なら
真空管の音色を楽しむには大丈夫そうですかね。
奥が深い真空管アンプは、まず入門機で見習いし
6BQ5、6L6GC、6CA7、KT−66、KT−88
2A3、300Bを目指します。知ってる型番挙げてみました^^

160: 黄金のアンコール :2014/11/24(月) 13:26:15 HOST:ntszok199193.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
PAX-20Fを鳴らすなら、ソリッド・ステートでもデジアンでもなく真空管でしょう。

私の大学1年の娘が、夏休みの帰省中にPCL86の三結シングルアンプを作りました。
出力はわずか1W+1Wです。これにフォステクスP-800Kという8cm口径のフルレンジス
ピーカを組み合わせ、デジタルプレーヤーやパソコンにつないで使っていますが、
これが結構音質が良く、バカに出来ないのです。

大学祭に出品したらしく、WEB上で写真を見られます。

ttp://densanken.at-ninja.jp/festival/2014/ef/ef.htm

161: 薬漬け :2014/11/24(月) 13:31:50 HOST:zaqdb73570e.zaq.ne.jp
球は、形式やブランドによる音のニュアンスの差を楽しめるのがいいですね。
トランジスタやICだとそうは簡単にはいかないでしょうし。(素人目線で、ですが。)

球ゴミ屋敷から中継でお送りしました(略)

162: SAT-IN :2014/11/24(月) 13:40:48 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>>160
黄金のアンコール様
ご掲示のURLですが、私の端末からは404 NOT FOUNDでした。

163: SAT-IN :2014/11/24(月) 13:44:20 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
htm→htmlで試すと見れました。

164: SAT-IN :2014/11/24(月) 13:48:14 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
女の子は父親に似るケースが多いと申しますが、真空管アンプまで作ってしまうとは!
なんか和みましたよ。^^

165: 前期 :2014/11/24(月) 18:29:27 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>>161 薬漬けさん、こんばんは。
>音のニュアンスの差を・・・・

誇張するようなところはあるかもしれません。
少なくとも OPT を介してスピーカとインピーダンス・マッチングが取れるの
は大きな強みだと思います。問題は低域ですね。ティンパニの音なんか(略)。

166: くろねき :2014/11/24(月) 19:51:40 HOST:111.86.147.175
皆さんこんばんは。

>入門機

 「何にしても“初心者用”なんて存在しない。
 最初からできるだけ良いものを買って
 “本物”を知っておけば、後は安物でも我慢できる」

昨晩「ヨルタ○リ」にて、タモさん似()の
ジャズ喫茶店主がこんな話をしてました。
まぁそうは言っても、でつが・・・。

167: 薬漬け :2014/11/24(月) 20:31:34 HOST:zaqdb73570e.zaq.ne.jp
>>165 前期さん、こんばんは。

確かにちょっと球の個性を介してニュアンスを誇張するきらいは無きにしも非ずですね。

低域は、やはりパワーアンプの電源部の充実度によるといったところでしょうか。
それと、意外とプリの個性が出ますね。(ティンパニの迫力は、SA-5000の時が一番印象が
強烈でした。)

168: SAT-IN :2014/11/24(月) 21:14:05 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
テレビもラジオも真空管が当たり前だった時代から入るとオーディオは、その一部分の感アリ。

やっぱ昭和はイイね!?
ttp://www.geocities.jp/kuwakahi/

169: でしべる :2014/11/25(火) 00:29:12 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
ラジオもテレビも真空管を経験しましたが、ステレオは真空管の経験無いんですよ〜^^;

真空管アンプで聴くスピーカーは,フルレンジや同軸2Wayというイメージです。
真空管アンプで、ウッドコーンを聴くのも乙な感じですね^^

170: SAT-IN :2014/11/25(火) 00:31:46 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
オーディオは、というよりラジオ・テレビがオーディオなんだからオーディオ用アンプまたは音声増幅回路は、と言うべきだったかな?

171: SAT-IN :2014/11/25(火) 00:36:37 HOST:s1299069.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
おっと!アレですよぅ、何でも入門とか初心者のうちが一番楽しいと思うのです。

172: 前期 :2014/11/25(火) 09:17:55 HOST:h115-165-107-096.catv02.itscom.jp
>入門とか初心者のうちが一番楽しい・・・・・

そうですね、必死で勉強しますからね。やがて知恵がつくとギョーカイのキタナイ
部分も見えてきたりします。

173: すってんてん(借金漬け) :2014/11/25(火) 10:34:46 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp
>>166
>「何にしても“初心者用”なんて存在しない。
 最初からできるだけ良いものを買って
 “本物”を知っておけば、後は安物でも我慢できる」

でつね。
わかります。
そして天上界へボンビーを道連れに突入・・・多分!?

>まぁそうは言っても、でつが・・・。

これも
わかります。

不憫でイタイケ・・・

174: すってんてん(借金漬け) :2014/11/25(火) 10:40:39 HOST:zaq7ac40c2c.zaq.ne.jp
>>172

>やがて知恵がつくとギョーカイのキタナイ
部分も見えてきたりします。

わかったころに
かおるちゃん
遅くなってゴメンね♪

回転禁止(近視&金糸)の現実に・・・

ボンビー♪スッテンテン♪・・・合掌!

175: RW-2 :2014/11/25(火) 10:52:12 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>初心者のうちが一番楽しい

拙者が中学生の時に作ったアンプは6BM8ppでした。黒田氏の設計だったと思います。
小遣い貯めてサンスイのSW型購入。NFも掛けたのにハムが出た (略) 

次に#7型イコライザーを作った。片チャンネルしか音が出なかった (略)

昔の技術誌は回路図の他に実態配線図も載ってましたので、ドリルと金ノコと
ハンダごてさえ使えれば工作できました。テスターは学校の技術室から拝借。

176: SAT-IN :2014/11/25(火) 12:15:04 HOST:s670166.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>ギョーカイのキタナイ部分

シロウトも安心出来ませんぜ。

類は友を呼ぶ?まさか!

177: SAT-IN :2014/11/26(水) 13:40:02 HOST:s874148.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
TV観てたらミヤタエレバムと言う会社名が出てきました。
なんでも「はやぶさ」用のランプを作っているとの話です。
真空管を製造していたエレバムでしょうね。
社史が出ないので確認出来ませんが、品種からみて、たぶんそうだと思います。

178: SAT-IN :2014/11/26(水) 13:50:41 HOST:s874148.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
や、株式会社エレバムというのも別に存在しました。
これは東北エレバムで福島県に工場が在ります。

旧宮田電機ですからミヤタエレバムと無関係ではないと思います。たぶん。

179: SAT-IN :2014/11/26(水) 18:36:18 HOST:s872197.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
往年の先生方の話で、DONが兄弟喧嘩して赤DON青DONになった話は面白かった。

180: くろねき :2014/11/26(水) 19:59:00 HOST:wb92proxy09.ezweb.ne.jp
↑そこからさらに分裂したのが黄桜DON、なんちって。

赤DON青DON、最近はパ○ンコにもなっているようで(違)。
これでググるとそっちしか出てこないので、
ググる際は「DON 真空管」といたしませう。

181: SAT-IN :2014/11/26(水) 20:59:57 HOST:s872197.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
これがホントの「日本のDON」なんちって。

182: SAT-IN :2014/11/27(木) 11:43:33 HOST:s872197.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
町工場でやれたことを今やろうとしたら大変なのは、不思議と言えば不思議です。
ただ、当時の要求と今の要求では違うかも知れません。
300Bなんてのは現役当時の岡谷でも苦労した話は聞きます。

今は壁ドンなんちゅうのが流行りだそうで。

183: モリ :2014/11/28(金) 06:33:40 HOST:1.114.13.65
プリ真空管→パワー石の自分は入りづらいスレ
MusicValveのプリアンプとLuxmanのパワーアンプです
スピーカーはBeymaのPA用のユニットで作ったスピーカーですし
クラシックとか聴きませんし・・・。
ドラムのビーター材質の違いがわかるシステムでないと聴く気になれません


>>153
MusicValveの2A3のプリメインでLowtherとか高能率のスピーカーで聴いてみると良いかなあて思ったりします

MusicValveはトランスは自社巻なんですよ
オーストラリアのメーカーです
それかイタリアのMasterSoundのアンプもいいですね
この二メーカーとも何でも鳴らせて、ジャンルに拘る必要性もないので

184: でしべる :2014/11/30(日) 22:09:12 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
真空管アンプの音を味わうには
真空管プリと石パワー
石プリと真空管パワー
どちらの方がよりベターなのでしょうか?

185: SAT-IN :2014/11/30(日) 22:23:49 HOST:s673178.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
石パワーから真空管プリの音が出るかといったら、出るんですねこれが。
球プリの音を吟味するなら寧ろ石が良いんじゃないかと思います。
球パワーはプリが石でも球でも、球の鳴りようだと思います。

結局のところ、当たり前ながら実際に繋いでみての判断でしょう。

186: なごり雪 :2014/11/30(日) 23:58:33 HOST:f108-pc37.cty-net.ne.jp
拙者の常用SPは公称4Ωのブツが多くて、初期SXには球パワーより石が合うだろうとの
勝手な見切りでやっとります。

187: なごり雪 :2014/12/02(火) 23:22:39 HOST:202.32.68.103
そういえば初代のこのスレで、SX−3はARと同類のエアサス密閉で、低能率、
石のアンプでならされることを念頭に開発された経緯のものでしょという見方で
侃侃諤々したことがありましたね。

188: RW-2 :2014/12/03(水) 13:14:30 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
SX-3はオーディオ協会長の池田 圭先生の監修でしたが、球アンプ駆動の話しは
聞いたことがなく、当時の先生方の推奨アンプは7素子のSEAを備えたJA-S9が多かった
ですね〜。3万円しないSPに9万円のアンプという組合せは当時は驚きでしたが、能率
の問題もあったんでしょうが、SX-3の潜在能力に合った品位でチョイスされてました。

189: SAT-IN :2014/12/03(水) 19:17:54 HOST:s874038.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
SX-3の現役当時売り場に居ましたが、雰囲気的に真空管のエアポケットみたいな時期でした。
ステサンや技術誌を読み自作するような方々から見た世界は又別なんでしょうけどね。
というか、寧ろ球の流通からみて自作の花盛りだったかも知れません。
でも、あの手の密閉タイプを真空管アンプで鳴らす気風は薄かったように思います。

190: RW-2 :2014/12/03(水) 19:59:29 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>あの手の密閉タイプを真空管アンプで鳴らす気風は薄かった

6CA7のULppで30W。ペン音接続ppで50〜60W。TA-3200Fで鳴らした方が賢明でしたでしょ。

191: SAT-IN :2014/12/03(水) 20:41:54 HOST:s874038.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
今になってみれば、2A3の3W程度でも一応鳴るんですけどね。(部屋が狭ければ?…)
何のことはない、後から中古で買って手持ちの球アンプに繋いだというだけの話、計算なんか有りません。 (省)

192: でしべる :2014/12/11(木) 22:12:14 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
サンバレー SV-9(t) Ver.2
良さそうな雰囲気です。by初心者^^;

193: SAT-IN :2014/12/11(木) 22:21:30 HOST:s1148098.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
産婆霊って三谷と言う人がやってるのかと思ったら違ってた。
豊○自動織機の100%子会社なんですね。(*_*;

194: でしべる :2014/12/14(日) 16:10:14 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
真空管アンプ初入手しました〜
ラッキーな事にジャンク品2O%引きセール中
サンバレー SV-9(t)値札コメント「音出ました」
家で電源オン!ポン(゚Д゚;)・・・終わった(T_T)
電源コードを抜き、中を見ようとひっくり返すと、バチバチ火花が。
恐る恐る開けて配線の様子をみると電源部に不審な部分が
ハンダ付けしてあるコードが宙ぶらりん
前所有者が、コンデンサーを150μF増設してありました。
回路図を入手して調べたところB電源への配線が外れていました。
しっかりとテスターでコンデンサーを放電し配線準備
このアンプは小型なので、アンプキット入門用かと思いきや
配線スペースがタイトなのでハンダごてが使い辛く熟練者向きですね^^;
さて、配線が終わりスイッチオン!異常音や匂いが無いので異常なし?
スピーカービクターJS−8を繋ぎ緊張の音出し、エレキギターと相性が良さそうなので
最初の音源はベンチャーズにしました〜テケテケテケ〜♪音が出ました。
自分で作ったわけではないのですが、ハンダごてで配線修理したので愛着が湧きますね?

195: SAT-IN :2014/12/14(日) 18:23:28 HOST:pl029.mas1901.n-otemachi.nttpc.ne.jp
↑しかし感電しなくてヨカッタですね。(^^)

196: でしべる :2014/12/14(日) 19:02:54 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
ホントに奇跡でっす^^;;;真空神主様に、二礼二拍手一礼。
次は、真空管プリです〜

197: でしべる :2014/12/14(日) 20:01:11 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
純粋な真空管プリアンプではないのですが
エレキットのTU−875で即席のセパレートアンプを予定中です。

SV-9(t)の3管接続にも挑戦したいです^^;
大袈裟ですが正直な心境でございまする・・・感電怖い。

羽生結弦君には感電しました^^グランプリファイナル優勝おめでと〜

198: 高齢者候補 :2014/12/16(火) 07:26:12 HOST:east24-p104.eaccess.hi-ho.ne.jp
でしべるさんの様に、放電してから修理に当たれば
問題ありません。
テスターで電圧を計らないと感電する恐れがあり、40年前
教則本もない時代、プリを製作していた際にラジオペンチ
をショート、300V30mAでしたが危ういところでした。

ブリーダー抵抗なんぞ知識もない頃でした。

199: でしべる :2015/01/22(木) 22:44:59 HOST:115-179-150-216.east.fdn.vectant.ne.jp
コルグとノリタケ、新しい真空管「Nutube」共同開発

200: くろねき :2015/01/22(木) 23:13:58 HOST:wb92proxy02.ezweb.ne.jp
↑なるほど、ネオン管表示デバイスの応用か。
確かにそれっぽい形ですね。

消費電力は従来比2%以下、容積は
従来比30%以下、寿命30,000時間。
さしずめ、21世紀のニュービスタ?

201: RW-2 :2015/01/26(月) 15:59:22 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>ブリーダー抵抗なんぞ知識もない頃

プレート段からSG、反転段、前段とデカップリングしながら電圧を落として
いくわけですが、前段でなぜ抵抗接地するのか判らず、ミスプリかな?
なんて思ったくちです。それがブリーダーでした。見よう見まねのガキですから(略)

202: 与太郎 :2015/05/04(月) 06:34:42 HOST:27-141-37-165.rev.home.ne.jp
これぞ ジャズ用真空菅アンプ ありましたら教えて下さい。
(ある店でLE8Tを鳴らすアンプに遭遇したが、設計製作者が亡くなり
今や詳細不明とつれない返事)。出力5W程度で可。

203: 私の息子はEL34 :2015/05/04(月) 07:11:05 HOST:FLA1Abd225.fko.mesh.ad.jp
HEY GUYS

組み合わせるスピカの銘柄が不明です。
出力のみで判断するならシングル動作でせぅ。
あくまでアンポはオデヲの脇役で御座居ます。
ジャズ用真空管アンポなんぞこの世に存在致しませぬ。

COMING SOON。

204: SAT-IN :2015/05/04(月) 12:10:21 HOST:pl020.mas1901.n-otemachi.nttpc.ne.jp
>>202
受け売りでよければ…
3極管なら50
ビーム管なら6V6(6AQ5)
この辺は割りと聞く話です。
(回路構成はもちろんトランスや他パーツで変わることは言うまでもないでしょう)

仮に2A3が良い300Bが良い等の話は誰かが言うから知れる訳です。
SPにしても星の数とは言わないが、膨大に有る組み合わせを、ひとつひとつ自分で真面目に試せるほど人生長くないでしょう。

205: 与太郎 :2015/05/04(月) 14:10:35 HOST:27-141-37-165.rev.home.ne.jp
LE8TはJBLの古典的SP。
元気でキラキラした音、シンバルの鳴りがリアル、リーモーガンのTp演奏では
彼の唾が飛んでくるようなサウンド

206: 前期 :2015/05/04(月) 14:14:39 HOST:h115-165-108-224.catv02.itscom.jp
真空管アンプというのであれば是非一度CATの音を聴いてから発言してくださいまし。

207: RW-2 :2015/05/04(月) 14:53:06 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>ジャズ用真空菅アンプ

ジャズならやっぱし米国産の球で聴きたいですね〜。WE300BやRCA50なら最高
でしょうけど、他なら211/845系、VT62/801系、6L6系。一番ポピュラーなのは
6L6GCppあたりでしょうか。6550もありますがKT88に比べると格段にカッコ悪い (略)

208: SAT-IN :2015/05/04(月) 17:41:03 HOST:s588220.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
>RCA50

RCA50は万世橋の地下で聞かせてもらいました。
噂に違わず力強い感じの音でしたね。

>6550もありますがKT88に比べると格段に…

そう言わないでくださいまし、手持ちのGE?は虎の子でやすから(省)
なんでも、中身が特性含めソックリなKT88も有るそうです。

209: RW-2 :2015/05/04(月) 20:10:53 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
昔、アメリカ様の軍用211やVT62、それから6550も大量に持ってましたが皆売ってしまいました。
これらはGE製。RCAや他の商社スタンプがあってもおそらくGE工場製でしょう。シルバニアはどうか?。
リニアアンプ用の572Bや811Aもすべて売却。このへんはセトロン製でした。良い時期に売りました(略)

210: SAT-IN :2015/05/05(火) 02:37:11 HOST:s1143238.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp
しかし、80年〜90年代は玉石混淆というか、良くも悪くも出所の怪しい球が結構ありました。
やっと目が利くようになったら高くてもう手が出せません。
匂いを嗅げただけでも、ある意味黄金期だったかも?

211: 与太郎 :2015/05/05(火) 06:30:53 HOST:27-141-37-165.rev.home.ne.jp
4D32シングルアンプ  踊りだしたくなるような陽気でハッピーな音らしい?
 皆様 情報ありがとうございました。

212: SAT-IN :2015/05/05(火) 13:43:45 HOST:pl024.mas1901.n-otemachi.nttpc.ne.jp
発電所みたいなアンプを千葉で聞かせて貰ったことがあって、またSPがSPでしたから骨太な音でした。
ジャズの真髄と言ったら語弊が有るので骨太と言うにとどめます。

213: RW-2 :2015/07/19(日) 11:15:42 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
マランツ#7K。'80年頃に20万円で発売された国産部品多用のキット版。誰が組んだか
わからないジャンク同然のシロモノでさえ今は20〜30万円で取引されているようです。

米マランツのオリジナル前期モノ完動品は50〜60万円。完全レストア美品なら100万円。
値が高騰する前の昔にオリジナル前期モノ買っといて良かった。

214: RW-2 :2015/07/29(水) 13:40:34 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
テレフンケンの◇。今じゃ@1万円以上で取引。◇6本で6〜10万円。
#7が50万円だから驚くほどでもないのか?(略)

215: RW-2 :2016/01/15(金) 17:47:38 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
1992年より変わっていない我が家のメイン機械マランツ#7+801Aイントラシングル。
冬も絶好調。メインカートリッジは相変わらずのシュアーとエラック。寒々とした日々に
輪をかけるようなザクザクした感触の中での一瞬のライトニング。たまりません。

#7のイコライザーは数年前にウイマでレストア。ポリプロだけではなくポリカーボを混
ぜるところがミソです。フラットアンプの結合コンはASC。交換したセレンも問題無し。
やっぱりパワーアンプは送信用トリタン直3のトランスドライブシングルに限るねぇ〜。
イントラの前のドライバーは6V6使ってます。難しいこと言わねば6F6や6K6でも
6G-A4でも宜しい。気分次第。あ。6G-A4は酒代のために全部売ったんだった (略)

216: 前期 :2016/01/15(金) 18:09:54 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
>>215

工作員さん、意外と王道なんですね。
球アンプと言えば「猫」の音はお好きですか?

217: くろねき :2016/01/15(金) 19:04:10 HOST:wb92proxy04.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

>>215
ポリプロが一瞬ホ○プロに見えた(笑)。
小さいのはコジルリ、大きいのはアッコとか伊○院て名前だったりして(略)

>>216
うちでは猫の音といえば「チリチリチリ」(首を掻いたときなどの鈴の音)でつが…(略)

218: 前期 :2016/01/15(金) 20:27:29 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
>猫の音といえば・・・・・

猫は猫でも金髪のCATだにゃん、ミヤーオ?

219: くろねき :2016/01/15(金) 20:38:35 HOST:wb92proxy03.ezweb.ne.jp
↑なるほど、うちのシマシマとは違うと。

220: RW-2 :2016/01/15(金) 20:52:14 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
黒猫とか黒麗人とか昔良く使っておりましたね〜。メタライズのペーパーは良い
のですけど外皮モールドがね。日本の湿気でヒビ入ったりパカッです。今じゃ
カップリングには使っておりません。絶縁値は蜂模様よりはマシですけどね〜。

221: SAT-IN :2016/01/15(金) 21:55:05 HOST:dcm1-60-238-182-198.tky.mesh.ad.jp
自分は事故責任、じゃなくて自己責任で老いる魂派です。
一時期片っ端からフィルムに変えて様子見しましたけど、確かに綺麗なスッキリした(前任に比べて)音がします。
しかし、こればっかりは好みの問題と老いるに落ち着きました。
結局これの半分は強迫観念かと思われ、実際のところは良くわかりません。
フィルムでも蜜柑飴は老いるっぽい音がしたような気がします。
なんでも、スプラグが湿気に弱いB.Bなんかに困って開発したという話を読みました。

222: RW-2 :2016/01/15(金) 22:38:10 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
スプラグの流れとしては蜂模様→黒麗人→売女民求→蜜柑飴でしょう。
絶縁をタフにしていったわけですね。朝鮮戦争あたりで使い物になら
なくなって日本製に取って替わられたので泡喰って開発したんでしょね。
蜜柑飴は良いですね。基板での座りが悪いのであまり使われませんが。
ASCの3ナンバーが出て早20余年。スプラグも類似品作ってます。OEMかな?

拙者は聴いた音なんかで選んでおりません。そんな自信もありゃしません。
絶縁値が高く=洩れ電流が小さいモノが宜し。信号欠落が少ないでしょう。
マニア様は伝説やオカルトで選びます。ガリオームにして5-56ピュツ (略)

223: SAT-IN :2016/01/15(金) 22:53:13 HOST:dcm1-60-238-182-198.tky.mesh.ad.jp
>拙者は聴いた音なんかで選んでおりません。そんな自信もありゃしません

自信はありませんが、変えて暫く聞いていると戻したくなるのです。(省)
結果的に良かったからって人に薦める気はありゃしませんがね。

224: SAT-IN :2016/01/16(土) 01:28:03 HOST:dcm1-60-238-182-198.tky.mesh.ad.jp
まぁしかし、先人というか人様のインプレッションを参考に出来たからこそ曲がりなりにもオーディオをやってこられた訳でして
私としては、アレがいいコレが良かった等の感想は忌憚無く述べていただいたほうが宜しいのですけどね。

225: RW-2 :2016/01/16(土) 06:50:01 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
球アンプ派が好きなオイルコンとは正確にはオイルペーパーコンで誘電体はほとんど
紙(クラフトペーパーとか)なようです。オイルの種類は置いておいて見かけで3種に
分かれます。年代と使用目的で違うんですね。

まず、ワックスモールドの物。次に樹脂モールドの物。で、金属ケースガラス端封入。
最後は軍用/医療用ですから高価です。年代順になりますがとうぜん後者になるほど
性能高し。ただしマニア輩には性能ではなく音で決まるようですからややこしい (略)

226: 前期 :2016/01/16(土) 10:45:40 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
言うまでもなくみなさまお気づきだとは思いますが、念のため・・・・

猫とはConvergent Audio Technology のことです。
K枝先生はEL-34でも使い注意深く作れば案外簡単にああいう音は実現可能と
言っておられますが、どうですか。
あの柔らかく深々とした音はいかにも球アンプという趣でオーソドックスな
回路、浅いNFB、厳選した部品、と奇を狙わない堅実な設計に秘密がありそうです。
ナウイ商事の度重なる懇願に負けたらしく昨年日本向けの小型版が出ましたね。

227: SAT-IN :2016/01/16(土) 13:00:56 HOST:dcm1-60-238-182-198.tky.mesh.ad.jp
近年にWEST CAPの設備?製法で作られたアリゾナキャパシティというのが出ています。
業者の弁では#7に入れたら縞縞やB.Bより良いのだとか。
アンプ作ったら入れてみようと思います。
信じる者は救われる?かも知れない。

228: RW-2 :2016/01/16(土) 16:32:37 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
最近話題の楽団ゲスの○み乙女。テレビで見ましたがRoccaforteのヘッドを使って
おりました。2チャンネル仕様で当然のように球アンプ。ECC83→EL34ppは常套です。

最近のギターアンプも時代進行の影響で信号路はほとんどフィルムコンがずらり。
以前はスプラグやコーネルが多かったんですが、最近はic製やTiブランドが多い。
icはイリノイキャパシターでTiはテキサスインスツルメンツですが製造は中国かな。

229: RW-2 :2016/01/16(土) 16:48:05 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>信じる者は救われる

そのようなマニア様が多いので昔の名前でもオカルトでも商売になるんですね〜。
拙者も売り出そうかな。スクアラン含浸ワックス封鎖ガラスハーメチック型とか (略)

230: SAT-IN :2016/01/16(土) 17:01:16 HOST:dcm1-60-238-182-198.tky.mesh.ad.jp
アリゾナと書きましたけど、自分がもし#7のオーナーなら聞く耳持たず縞縞に拘ってるでしょうね。たぶん(省)
いくら縞縞より良いものが有りますよと言ったところで、せいぜい黒美でしょう。
いっそ7k買ってASCに入れ換えるほうが気持ちとしては落ち着きます。
(元々はグッドオールのフィルム系を想定していた話も有ります)
そんな部分も含めてオーディオかな?と思っております。
なんせリアルタイムで使ってないだけに、心情的には「失われた音を求めて」ですから。

シドニー・スミス「コンデンサー?リークに強ければテキトーで宜しいんです」
とか言いそうですね。

球のプリも持ってますが、チューナーだのデコーダーだの大概は石の増幅系を通ります。
そこのカプリングが主に電解コンデンサーですから、何をかいわんやかも。
最近まで3.3μまでなら積層フィルムに替えてましたのに、ニッセイが変な具合でそれも難しくなりました。
BGも今は昔の物語・・・・

231: SAT-IN :2016/01/16(土) 17:04:26 HOST:dcm1-60-238-182-198.tky.mesh.ad.jp
>スクワラン含浸

救われんでしょう。(省)

232: RW-2 :2016/01/16(土) 17:15:41 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
#7もほんとはグッドオール使いたかったんですが、コストの関係で安モノの熊蜂使ったん
ですね。パワーアンプには耐熱の関係でグッドオール使ってます。

グッドオール社が巨大企業TRWに買収されてTRWブランドとなり、そのTRWからコンデンサー
部門を米国指月が買い取ってASC(アメリカン・シヅキ・コーポレーション)ブランドに。
そんな意味ではグッドオール→ASCなんです。今でも昔からと同じ原料区分No.使ってます。

233: くろねき :2016/01/16(土) 17:27:36 HOST:wb92proxy01.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

>>226
> ナウイ商事

ギザギザ線に一本横線入れただけのあのマーク、
黒バックなのもあってか、個人的に印象がホラー系。
あそこが輸入した初期のイ○フィニティも、
∞マークのあたりが何だかホラー系(略)

234: 前期 :2016/01/16(土) 18:45:10 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
>>233 くろねきさん、今晩は。

ありゃとてもデザインなんて言える代物じゃないですね。
ホラーにヒツレイかも?

235: くろねき :2016/01/16(土) 18:56:31 HOST:wb92proxy03.ezweb.ne.jp
>>234 ☆前期さん☆
こんばんは。

ウマいこと考えたな、とは思うんでつけどね。
ネット都市伝説の棚新に似た怖さが。

236: RW-2 :2016/01/16(土) 19:33:35 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>救われんでしょう

山田君、座布団1枚!!!

熊蜂や黒麗人をこれ以上劣化させたくなかったら、歯科技工士さんからパラフィン貰って
鍋に掛けて滲み込ませるのが宜し。湿度湿気対策になります。救われます (略)

237: RW-2 :2016/01/16(土) 19:42:49 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>BGも今は昔の物語

BGのFKは良かったですね〜。全部使い果してストック無し。BGは松下、ビクターには
使われてませんでしたが、ヤマハに使われてたのを確認した時はやはりなと思いました。

238: RW-2 :2016/01/17(日) 09:50:46 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
ニッセイのAPSシリーズも会社が破綻してBG同様ヤバッと思いましたが、日精電機と
なって製品は継続してますのでホッとしました。APSとディップマイカがなきゃEQや
プリも作る気になれんしね。

239: SAT-IN :2016/01/17(日) 12:34:51 HOST:203.78.239.49.rev.vmobile.jp
APS継続していましたか。
一時市場から消えそうでしたね。
古い4ch機器の場合、位相シフターに電解使ってますから容量変化で位相がズレてきています。
その点フィルムは経年変化が少ないので置き換えても安心出来ます。

240: RW-2 :2016/01/18(月) 17:06:05 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
コンデンサーの話が続きますが・・・。エレキギターを弾く方々は耳が良い?
オーディオマニアでエレキギターを弾いたり持ってる御方は少ないようです。

ギタープレーヤーはコンデンサーに拘りを持つ方が多いです。たった1個の
コンデンサーの音を聴き分けてチョイス。1個のみだから聴き分けれるのか、
1個なのに聴き分けるとは能力が凄いのか。どちらにせよ実践して選びます
からオカルトやブランド頼みのオーディオマニアより耳が良いのかも? (略)

ギターのコンデンサーはトーン回路に使われます。トーンと聞くと大概の
オーディオファンはツイーターに入れるコンデンサーの低音カットを思い
浮かべるでしょう。信号出力にシリーズに入れますとそのようにハイパス=
ローカットに働きますが、ギターではシリーズではなくポット(ボリューム)
を介してグランドに対して入れてあります。

ポットを全開しますとスルー状態になってコンデンサーの役割は出ませんが、
絞るにつれて高域がアース/グランドに落ちてモゴモゴした音になります。

相対的な評価ですが、オイルコンはファットで艶っぽい音。フィルムコンは
クリアーでやや線が細い。セラミックはジャギジャギして勢いがある音。
球アンプのカップリングコン選びと大方同じ評価ですから、積分回路でコン
デンサー入れる場合にも少しばかり気を使わなければと思いましたね〜。

241: SAT-IN :2016/01/18(月) 18:39:29 HOST:96.77.239.49.rev.vmobile.jp
彼等はオーディオ的しがらみを離れて直感的に判断するのでつね。
つまり下戸のほうが大酒飲みよら味の判断に迷いが無いのでせうか?

ちなみに耳が良い悪いは謙虚な?オーディオ不安、もといオーディオファンには放送禁止用語扱いで宜しいかと…
聞き分ける?=お前はそんなに耳が良いのか?!
みたいな反応に遠慮するのは、此処に限ってはご遠慮いただくほうが宜しいかと重い松。
でないと安らぎの掲示板になりやせん。

いささか酔っておりますので乱文ご容赦のほど宜しくおながいしまつ。

242: SAT-IN :2016/01/19(火) 02:09:38 HOST:dcm1-125-196-69-228.tky.mesh.ad.jp
自己レス
>>241
>放送禁止用語扱いで宜しいかと

たまたま「頑張れ」を放送禁止用語にしようという動きが有るとか…の記事を見て意識が混じってしまいました。
その他の文につきましても、さすがにこれは言い過ぎでしたわ。
一端書いた以上、訂正すればいいってもんじゃありませんので以後自粛致します。

243: RW-2 :2016/01/19(火) 04:38:30 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
問題ありませんでしょ。もっともなご発言です。自粛の必要ありませんね〜。
懐疑的なレスや上段構えからのレスや天邪鬼なレスは拙者の趣味wですので
横目で見ながらまたホザいてると笑ってくださいまし (略)

244: くろねき :2016/01/19(火) 19:34:07 HOST:wb92proxy05.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

>>240
> トーンと聞くと大概の
> オーディオファンはツイーターに入れるコンデンサーの低音カットを思い
> 浮かべるでしょう

↑いや、フツーにアンプのトンコン思い浮かべやしたけど…

>>242
> たまたま「頑張れ」を放送禁止用語にしようという動きが有るとか…の記事を見て

↑4K放送録画禁止の動きもあるそうですよ。

ちなみに頑張れという言葉自体、オリンピック実況の
「前畑ガンバレ」からメジャーな単語として定着したそうですが、
そうなると日本の放送史の一部を全力で否定ってことにもなりまつね(略)

245: RW-2 :2016/01/19(火) 22:38:03 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>トーンと聞くとツイーターに入れるコンデンサーの・・・
>いや、フツーにアンプのトンコン思い浮かべやしたけど

拙者の考えるオーディオファンの物差しが間違ってたようです。すんませんねェ (略)

246: 通行人 :2016/01/24(日) 13:06:46 HOST:nttcgi039119.tcgi.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
初めまして、
これまで真空管アンプを十数台作ってきましたが、最近6BX7PPを作成、
OPTは手持ちのSANYO・E-Crafts15W5Kという駄物、
12AX7によるPK分割、NFBありですが、これが意外と良い音、
波形もまずまずで、回路のシンプルさが良かったのかも、
参考までに・・・

247: SAT-IN :2016/01/24(日) 15:03:52 HOST:dcm1-125-198-231-93.tky.mesh.ad.jp
6BX7良いです(でしょう)ね。
自分の場合あの手のミニアンプ(シングル)が球にそそられた原点でした。
2A3もよく分からない時期でしたから6BQ5以上はピンと来ませんでしたね。
三栄無線がまだバリバリで広告出していた時代の話です。

248: RW-2 :2016/01/24(日) 15:25:03 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>6BX7

テレビの垂直偏向球ですから入手しやすいのも宜し。1バルブに3極管が2ユニット
封入されてますから1球でppでもパラシングルでも出来ちゃいますからコンパクト
に仕上がりますね。通行人様のアンプもDFが大きく良い音がしてると思います。
12AY7を使うことも出来ますし、差動型にしてみたりいろいろ遊べるのも良いです。

この球の片ユニットを取出してオーディオ用に特化したのが東芝の6G-A4でした。
素直な音の良い球ですのでオーディオ界の御大の方々にも愛されてましたね。
拙者も6G-A4をそうとう数持っておりましたが今は皆無。理由は・・・ほら、そう(略)

ちなみに球名で6G-A4のように中間に-(ハイフン)が入る球があります。50C-A10、6G-B8、
6A-R8等々。これらはハイフンを入れることで日本開発の球と判るようにとの配慮らしい
です。KT-88なる表記も見ますが英国球なのでKT88が正解。球にはKT88と印刷されてます。

249: RW-2 :2016/01/24(日) 15:33:25 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
↑ 6A-R8じゃなくて6R-A8ね。すんません。

250: 前期 :2016/01/24(日) 15:41:27 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
↑ 全然気づきませんでした。なんの疑問もなく日電の銘球だと読み取っていました(汗)。

251: RW-2 :2016/01/24(日) 16:06:50 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>日電の銘球

NECプリントだとダサいけどLUXMANのプリントモノだと格調が10倍上がる (略)

252: 前期 :2016/01/24(日) 16:27:06 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
そうだ、この際、お気に入りの出力菅特集なんてのはどうでせう?

253: SAT-IN :2016/01/25(月) 13:14:00 HOST:dcm1-133-204-112-139.tky.mesh.ad.jp
お気に入りかと云われたら?が入るのですが、2A3でしょうかね。
最初がそれだったのとRCAでもそんなに高くなってないでしょう?
初期の茶伊那球と比べて明らかに伸びが違いました。
WE205Fと300Bはいまだに寝かしたまんまです。
さすがに、205Fのほうは出力トランスの入手に向けて動き出す気配が感じられる今日この頃。

254: 前期 :2016/01/25(月) 16:45:28 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
>>253 SAT-INさん、こんにちは。

流石に渋いですね(笑)。

255: SAT-IN :2016/01/25(月) 17:36:33 HOST:dcm1-133-204-112-139.tky.mesh.ad.jp
前期さん毎度どうも。
実話実はRCA2A3を8本ほど隠匿しとるのですよ。
それもあるんでありんす。
その中のペアのうち一本はアキバで買ったやつなんですが、マイカからフィラメントが抜けてまして…
管を手でパシッと叩いてなんとか定位置に納めております。(泣)

いっとき球が無くなるとか言われて焦った結果でございます。
それにしても、あの頃は酒飲みながら球はしっかり買っていた自分を誉めてやりたい。
もちろん無駄に死蔵せず、そのうち?適価で放出するのは吝かではありません。

256: SAT-IN :2016/01/25(月) 17:45:43 HOST:dcm1-133-204-112-139.tky.mesh.ad.jp
205Fのほうは彼のS先生をもってして「星の数ほど有る球の中で最高」とまで言わしめた名球、らしい。
でもってさっそく球屋に走った次第です。
今になって買えと言われても丸球ほどでは無いにしろ、300B同様手を出しにくいブツです。

257: 前期 :2016/01/26(火) 09:28:50 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
真空管というのも作り手の力量にあった球というのがありそうです。
300B は有名な球ですが小生は使ったことありません。多分うまく行かない
でしょう。球から馬鹿にされそうな予感がします。

258: RW-2 :2016/01/26(火) 11:04:28 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
300Bも2A3もKT88も211も使いましたがすべて一掃されました〜。仰々しいのが
イヤになったんですね。マツダ(東芝)のシングルプレート2A3だけは隠匿家宝。

今の好みからいえば 6CA7/EL34 6V6 6BQ5/EL84 。マニアを超越したマニア球(略)
何処にでも有る。保守が楽。音も巷で言われるほど悪くない。昔は球格でもって
貧弱なトランスを宛がわれていたので不憫。挙げてみると皆業務球、ギター球だ。

DF欲しいなら3結で使えば良いし。6CA7なんかテキトーに作ってULにでもすれば
結構な音がする。30W程度出るし。6V6はメタルもイイし、6BQ5は3結ppがお薦め。
現在は801Asがメインでサブが6BQ5(T)pp。6CA7ppは出張用。次は42ppを作りたい。

259: SAT-IN :2016/01/26(火) 12:20:30 HOST:224.78.239.49.rev.vmobile.jp
>球から馬鹿にされそうな予感

球自体は馬鹿にしませんが、やりようによっては関わった人間から馬鹿にされるかも知れませんね。
とりあえず、WE300Bなんてのは手に入れた段階で半分終わったようなものと考えれば気が楽です。
生かすも〇すも黙ってやればお咎めなし。
もし、6V6やEL34がpairで10万だったらどうなってたかな?と思っとります。
2A3しかり。

260: 前期 :2016/01/26(火) 14:10:28 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
面白いもので球とアンプ製作者とは相性があるような気がします。
6V6 はK枝先生が絶賛していたので大きなトランスを奢って試作しましたが
どうってこともない音ですた。お前の回路設計がワリイと言われればそれまで
だすが。

261: RW-2 :2016/01/26(火) 16:51:15 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
6V6も国産の几帳面なトランスを使いますと繊細美音です。トライアドあたりの古い
ガラ巻きを使いますと豪放な音がします。球の差以上にトランスの差がでますね〜。
PK分割か差動かオートバランスかの差よりもトランスの違いが大。なので回路の差を
聴き分けたい場合はトランスと整流平滑回路が同じじゃないと比べようなしですね。

262: SAT-IN :2016/01/26(火) 17:02:51 HOST:224.78.239.49.rev.vmobile.jp
6V6はジャズファンに好まれてるみたいですね。
使ったことが無いのに味が大体わかるところがマイ・オカルトオーディオでおます。

263: SAT-IN :2016/01/26(火) 17:07:27 HOST:224.78.239.49.rev.vmobile.jp
訂正
味が大体わかる×
味がわかった気になる〇

264: RW-2 :2016/01/26(火) 17:23:51 HOST:59.156.229.159
ジャズファンで能率の高いSPをご使用の方は6V6ppの12〜14W出力で十分でしょね。
線が細くも律義な音がしますし。能率が90dB前後なら6L6pp。やっぱ6L6GCでしょ。

265: 前期 :2016/01/26(火) 18:10:18 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
確かに球アンプの音は6割かたOPTで決まり松ね。
回路も全段ppで定電流駆動のような凝った方式でない限りそれほど音は変わ
らないと言うのが現実でしょう。
そういう中で好きなのはEL34。どんな回路方式にも素直に応じてくれる従順な
性格だと自分では勝手に思ってい松。

266: SAT-IN :2016/01/26(火) 18:42:49 HOST:224.78.239.49.rev.vmobile.jp
VictorのA-X5DとEL34ppのステレオ70を切り替えたり間を置いたりして聴き比べても殆んど変わらない。
最終的には押し出しの良さでステレオ70に軍配をあげました。
コンデンサーヘッドホンだと逆になっていたかも知れません。
Mk-Vもですがダイナコの出力トランスは定評の有ったアクロサウンド製となっています。

音の良い2A3シングルでもさすがにEL34ppとでは力感で差が出ますね。

267: すってんてん(借金漬け) :2016/01/27(水) 00:34:10 HOST:zaqd3873606.zaq.ne.jp
>そういう中で好きなのはEL34。どんな回路方式にも素直に応じてくれる従順な
性格だと自分では勝手に思ってい松。

でつね
わかり松。
流石!

オイラが愛用のパワーアンポンタン4セットは全て、EL34でガス。

アンポンタンを決めるのがオーディオの壺

おぼっちゃまみたいに頻繁に変えるのは(買えるのは)、アンポンタンかも・・・
人それぞれでつが・・・・・・・・・・合掌!

268: RW-2 :2016/01/27(水) 01:10:07 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>ステレオ70

ダイナコのアンプが人気がないのは、基本PK分割のアルテック回路だからなんでしょか。
分割というだけあって、差動型に比べれば出力が分割されて半分になりますから、音に
力強さがありませんし、単純なアルテック型も面白みがなし。日本人は先進的な回路が
好きなんでしょね。全段直結とかダブルプッシュとか完全バランス型とか。

拙者はPK分割が好きなんですけどね。ダイナコは米国アンプですからジュークボックスに
多用された7199なんか使ってますが、日本じゃMKV同様たいがい6AN8でした。5極3極複合
菅なんてざらにありますから、天邪鬼の拙者は6BL8や金足のE80CFを多用しとりました〜。
ピン並びが違うので差替えできませんので要注意ではあります。

E80CFもシーメンス製とフィリップス製があって、昔はNHKはじめ放送局関係から出土して
束で売られておりました。ヘッドアンプやマイク用に使ってたんでしょか。安かったので
30本ばかり買って重宝しております。

269: SAT-IN :2016/01/27(水) 01:44:44 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp
ステレオ70はトランスだけ残して別シャーシに作り直すのが良いとか。
若いときは技量が無く(無駄に改造)年を取ったら気力が無くで、そのままになっています。
捨てられないのは前述の押し出しの良さで、かの80をバリバリ駆動した力感に有ります。
ジェリー・マリガンmeetsベン・ウェブスターなんか聴いた日には堪りませんでした。
フィリップスECGブランドの6CA7太管は東側テレフンケンに比べて幾分かタイトな音がします。

270: 前期 :2016/01/27(水) 11:35:50 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
>>269 SAT-INさん、おはようございます。

イイものをお持ちのご様子、是非活用して作品を仕上げ、発表してくださいな。
ハフラーとは違う思想で回路設計されると一味違った音になるでしょう。
期待しとり松。

271: SAT-IN :2016/01/27(水) 11:45:35 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp
ぐぬぬ…
お、おはようございます。
励ましていただいて恐縮です。が、寒くて手がかじかんでおりますので暫くお待ち下さるようおながいしまつ。(省)

272: 前期 :2016/01/27(水) 14:05:36 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
↑ では夏まで待たせていただきます!

273: SAT-IN :2016/01/27(水) 15:39:19 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp

ぐわあっ!な、夏は夏バテの予定でつ…

274: SAT-IN :2016/01/27(水) 16:48:13 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp
ま、それの9.9/10は冗談としても.205Fは形にしてやるつもりです。
性格的に考えて何か発破をかけられないとヤリませんからね〜
その節は球に見合ったトランスですかぁ?などどキッツい突っ込みはナシに願いますよ?

275: 前期 :2016/01/27(水) 18:07:11 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
↑ 夏前に完成、しめしめ、と思っていたらアンプの発熱で熱中症に?

276: SAT-IN :2016/01/27(水) 18:20:06 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp
そのようです、たぶん。

277: RW-2 :2016/01/28(木) 12:51:17 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
3極管シングルも5〜6Wあれば事足りるといっても2A3じゃイマ一歩パワー不足。安く
上げるには6CA7/EL34の3結あたりが宜しい。のですが、各社作りも特性もマチマチ。

バイブルの「オーディオ用真空管マニュアル」の規格を見てアンプを作るわけです。
Ebを375VにしてIbo70mA。Rk370Ω。負荷抵抗3kは丁度ぴったりが無いと2.5Kとか3.5K
を使う。ま、球アンプってのはその辺アバウトでも、音が出ないわけじゃありません
からね。これをメリットと取るか、厳密さで却下するのかは球に向き合う本人の姿勢。

で、マニュアルを基に拵えても、球によって挙動が違う。6CA7/EL34はフィリップス/
ムラードあたりが基礎となってるんでしょか、独球やユーゴ球使うと?なんてことも。
太球だとペントードではなくてビーム管構造だったりで音も違う。むしろ6L6系の感じ。

278: SAT-IN :2016/01/28(木) 13:28:09 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp
前期さんから発破かけられてから、ネット情報で回路の考察してみました。
(技術書は二階に有るのですが億劫で…)
いやはや難しいのなんの!
出力管だけ決まっていてもドライバーの球は何にするか・トランスは・回路構成はと長いブランクもあって又一から勉強し直さなきゃいけません。

実をとるか、見た目をとるかも絡んでますから一筋縄にはいきませんね。
(アメ球の権化をヨロ球でドライブするのに抵抗あり)
目鼻がつくまでは静かにしておきます。(オーディエンス:知らんがな)

※アドバイスのほうは宜しくお願いします。

279: RW-2 :2016/01/28(木) 14:09:07 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
横レスですが・・・m(..)m
6J5あたりを2段で使いドライバートランス噛ませてドライブすれば宜しいかと。
トランス面倒なら小パワー球使ってのパワードライブ的に。
後発のVT25やVT62と違って交流点火で事足りるのも作り易いでしょね。

280: SAT-IN :2016/01/28(木) 14:45:27 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp
いえいえ横でも縦でも、後ろから前から♪でもどうぞ。
205F(205D)ですからなんか中途半端なんですよね。
最初は渡辺直樹氏の作例通りUZ75(2A6)一本で振らすのがシンプルで良いかな?と考えておりました。
5755(420A)も興味あり。
X7・ECC83なら良さの知れた無ラード・◇奮件含めて売るほど有るんですが…
75は二種類持ってます、ロス・ガトスとか後はなんだったか?使ってみないと判らない銘柄です。
310Aも有りますが、これは300B用として使う予定です。

6J5は頭に無かったですね、調べてみます。m(__)m

281: SAT-IN :2016/01/28(木) 14:58:32 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp
6J5は6SN7GTの片側プレートだけ利用する?な球ですね。
わざわざ単プレートにして作るより簡単らしいとか?
いわばUY76ですね。
76も手持ち有ります。

何故75・76が有るかというと、浅野アンプが75→76→300Bだったからです。(省)

282: SAT-IN :2016/01/28(木) 19:01:00 HOST:dcm1-221-170-62-225.tky.mesh.ad.jp
渡辺氏の作例は75ではなく、そのGT版6SQ7でしたね。
75一本でドライブしたのは2A3か6B4Gだったと思います。

283: RW-2 :2016/01/28(木) 21:39:34 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
球アンプのデザイン、ロケーションというか、面白いですよね。パワー管の開発時代に統一した
前段球を使うのがもっともでもありますし、大きなパワー球と対比して近代小球を使うのも宜し。
古い球はラジオ球の76や6J5が似合いますし、一方では2A3や300BをMT管1本でドライブするのも
また面白い。6HDH3Aもゴロゴロ転がってますし6SQ7でも構いません。ロケーション的な見た目や
ソケット次第。双3極ならN7やL7あたりはメーカーも10社以上あるのでコレクションアイテム(略)

2A3を12AX7で振ったり、300Bをプア複合管の6BM8で振るのもお洒落。他流試合はできませんが。

284: RW-2 :2016/01/28(木) 22:17:04 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
↑6HDH3A・・・ ・・・なんじゃ〜。6ZDH3Aね。m(__)m

285: SAT-IN :2016/01/29(金) 12:05:04 HOST:40.76.239.49.rev.vmobile.jp
前略
仏つくって魂入れずとは申しますが、バブルでバルブは買っておいたものの時代が変わって後が続かん話です。
WEを弁当箱に載せ〇千円トランスで鳴らしてみるのも一興でせうか。
鰯の頭も信心から。

286: アラン・ドロン :2016/01/29(金) 18:07:18 HOST:softbank219168067040.bbtec.net

加銅鉄平の”ベテランのための高忠実度オーディオ再生技術”を
読みましたが、この方は、OTLの真空管が一番良いと書いて
おりました。このへんは、技術者でも意見が分かれると思い
ますが。
私にはさっぱり判りませんです。

287: 前期 :2016/01/29(金) 19:23:53 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
>>278 SAT-INさん

お呼びですか? 何、全然呼んでない? こりゃまたとんだヒツレイをば。

288: SAT-IN :2016/01/29(金) 19:43:57 HOST:40.76.239.49.rev.vmobile.jp
( ;°∇^)]

289: 前期 :2016/01/29(金) 22:52:05 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
>>283

拙い経験では球、トランス、回路などの組み合わせには最適値があるようにみえ松。
非力な出力菅に巨大トランスなんか組み合わせてもロクなことはありません。

290: RW-2 :2016/02/10(水) 18:08:21 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
知人が球アンプに興味を持った様子で、とりあえずパワーアンプを購入したいと
回路図持参。このアンプどう思う?良い回路?と訊くので、うん、普通の回路。

普通って?どんな回路や?言うので、う〜、CR結合増幅+PK分割+プッシュプル。
ぜんぜん判らんがな。あ〜、グリッドにグリッドR使って信号ぶちこんで、プレー
トからCで出力。その出力を2段目のグリッドに入れて2分した出力をプレートとカ
ソードから取出すのでPK分割。その出力を2球の出力管で電流増幅。ダメか〜? (略)

291: SAT-IN :2016/02/10(水) 19:27:56 HOST:221.78.239.49.rev.vmobile.jp
久し振りに本屋でオーディオ誌を眺めておりますと、昔の記憶が甦ってまいりました。
球も回路も全く判らず、広告のアンプを神秘的に感じてそれなりに楽しかったなぁーと。
下手に悪知恵?が憑きますとマランツやマッキンはともかく、業者製の高い球アンプが空々しく見えてしまいます。

292: bjorn :2016/02/11(木) 18:39:31 HOST:p43ae7f.miygnt01.ap.so-net.ne.jp
>>290
> 普通って?どんな回路や?

クルマで言えばカローラのような… とか?

293: RW-2 :2016/02/11(木) 19:32:43 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
うん。カローラ、ヴィッツ、パッソあたりかな〜 (略)

294: 前期 :2016/02/18(木) 14:14:10 HOST:h220-215-129-102.catv02.itscom.jp
>>290

普通の回路、少し気取った言い方をすればオーソドックス。
それは長年の風雪に耐えたまともな回路ということでしょう。
アマチュアの自作品ならいざしらずメーカー品は普通がヨロピーと
思い松。
話題つくりを狙った奇抜な回路は安定性や保守の面で問題がある
かもしれません。

295: くろねき :2016/02/24(水) 19:23:02 HOST:wb92proxy03.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

少し前に話題になった中華球アンプ、Wien AV-2030
らしきものが某通販会社の新聞広告に出てました。

スピーカーとセットで税抜き2.1諭吉でつが、
少し前にイチニッパで売ってたとの情報アリ。
通販だから、お高めのお値段設定?

296: RW-2 :2016/02/27(土) 15:47:55 HOST:159.229.156.59.ap.yournet.ne.jp
>安定性や保守の面で問題がある

昔某社の球アンプは買う方はだいたい社長さんとかお医者さんとか。見栄で買う場合も
多し。そういう御仁が定期的にアンプひっくり返して半固定を廻してバイアス調整する
わけもなし。2〜3年でオシャカにしてこんなもんかとまた別のアンプを購入。マイナス
電源とかバイアス調整とかが判っている輩は自作しますからメーカー品は買わない。

なぜそんなにオシャカになるかというと、抜いて眺めたり拭いたりして、抜いたソケッ
トと違うソケットに挿すのです。これで折角メーカーが取って出荷したバランスもパア。

メーカーはゼロ戦的な作り方をするんですね。目一杯の精一杯。ぎりぎり高圧かけての
固定バイアス。出力なんぼ。ちょっくらスペック落しても長持ちさせたほうが大衆には
有難がられるのにね。球だけならまだしもトランスまで断線。高性能と脆さは諸刃の剣。

297: SAT-IN :2016/03/11(金) 14:34:19 HOST:55.69.239.49.rev.vmobile.jp
海外市場のアバウトさはレスポンス含めて堪りませんね。
Pairといってもメーカー違いプレート形状違いは当たり前で、プリントや刻印の違いなんてのは常識の範疇です。
悪いことに日本の業者も海外から仕入れて売るものだから、それを踏襲して憚らない。
しかも載せてる画像が違いを確認出来るに足りないお粗末なシロモノときます。(肝心な所が見えないだろが!)

それはともかく、たまたま思い立って覗いた時に綺麗に揃った程々の出物が出ていて、それを外すと後は一向に出てこないから不思議です。
(オーディオ製品に限った例では有りません)

298: SAT-IN :2016/03/11(金) 20:39:34 HOST:47.69.239.49.rev.vmobile.jp
↑と思って妥協策に手をつけたその後に出てきた。(苦笑)

299: SAT-IN :2016/03/22(火) 14:17:37 HOST:36.77.239.49.rev.vmobile.jp
流行りと言う訳ではないでしょうけど現行球はタイトベースが多いですね。
ベースにしてもソケットにしても白いのはビジュア的に醒めた感じがしてどうも馴染めません。
目的から言ったらタイトのほうが優れているのは承知の上でですが。

300: SAT-IN :2016/03/22(火) 14:31:00 HOST:36.77.239.49.rev.vmobile.jp
オクタルベースはタイトソケットだと注意して抜き差ししないとガイドがガリガリと削れます。
いちびらず挿したら挿しっぱなしなら別に問題ありません。

301: SAT-IN :2016/04/29(金) 17:50:20 HOST:dcm1-122-134-55-178.tky.mesh.ad.jp
古典球のペアを逃してから目に入ったのが元箱付きのNIB(一本)という物。
これをゲットしたばっかりに、見合う相棒を探すのに艱難辛苦?でした。(現在進行形)

302: SAT-IN :2016/05/05(木) 19:22:42 HOST:dcm1-133-204-127-232.tky.mesh.ad.jp
今クラーフ結合と言ったら出力管をチョーク(アノード・プレートチョーク)ドライブして出力トランスに行くDCを切る方式なんですね。
こうすると原理的には出力トランスがインピーダンス変換に徹します。
シングル用トランスの弱点をカバーする使い方とか。

303: 前期 :2016/05/06(金) 09:20:30 HOST:h220-215-166-076.catv02.itscom.jp
>>302 SAT-IN さん、おはようございます。

そこまでするのならいっそPPにしたほうが出力や歪の点で有利でしょうから
この方式のアンプはあまりみかけないですね。
とはいえ、世の中には根強いシングルのファンがいることも事実ですが。

304: SAT-IN :2016/05/06(金) 14:20:16 HOST:dcm1-133-204-127-232.tky.mesh.ad.jp
前期さん、こんにちは。
シングルかプシュプルかに関しては球事情も絡んで複雑です。
今の時代、当方などがWEのオリジナル球でPPステレオに出来るかというと、難しいですね。
245や250等の古典球も同様で、ペアで揃えるだけでも大変です。
では、メーカー問わなければ揃う6BQ5ならどうかと言うと、これは素朴なシングルミニワットで楽しみたい気もします。
かと思えば6CA7/ EL34だとシングルよりPPに気分が行きます。
詰まるところ私個人としては、あまり実用性を重視していないのかも知れませんね。
そのへんがシングルファンとキッパリ言い切れない部分です。

305: 前期 :2016/05/06(金) 19:19:59 HOST:h101-111-014-173.catv02.itscom.jp
>>6BQ5

いつか入力トランスかませて完全プッシュプルの小粋なアンプを作りたい、
とずっと妄想をいだき続けています!

306: SAT-IN :2016/05/07(土) 01:18:13 HOST:dcm1-133-204-127-232.tky.mesh.ad.jp
>入力トランスかませて完全プッシュプルの小粋なアンプ

良いですね!特性に縛られ過ぎず心の赴くままに仕上げてサラリと鳴らす。

307: SAT-IN :2016/05/07(土) 17:23:12 HOST:128.230.214.202.rev.vmobile.jp
トランス入力と言いますと、昇圧を兼ねる場合600Ω受けが想像されますので600Ω出しのプリが必要になりますね。
私にとってシングルではありますが、S間式205Fドライブ300Bシングルがこのタイプでして、あのイメージが強いです。
なにせ、205Fをストックしている発端は先生の「星の数ほど有る名球の中でも名球(原文から当方が要約)」が効いてます。

308: 前期 :2016/05/07(土) 21:51:26 HOST:h115-165-100-205.catv02.itscom.jp
>>306 SAT-INさん、今晩は。
>特性に縛られ過ぎず心の赴くままに仕上げて・・・・・

そうなんです! 歪率なんて測定しない! それでいて魅力的な音の小型アンプなんて理想でつね。
正直、測定なんてどうでもイイという、堕落一図の昨今です(汗)。

309: SAT-IN :2016/05/07(土) 22:25:22 HOST:19.72.239.49.rev.vmobile.jp
>>308前期さん
前期さんは確か三種の神器と歪率計はお持ちでしたよね。
歪率測定出来る人が言うと格好イイです。
当方は?知らぬが仏で乗り切りまつ。

310: すってんてん(借金漬け) :2016/05/08(日) 01:02:26 HOST:zaqdadcbfc4.zaq.ne.jp
昨日、はいかい中に中古の300Bシングル・アンポンタンGET!(お取り置き)
別板にウプ完了。

取りあえず、M4aと差し替えて遊びまする。
鳴らすSPはオイラカッペトーン5Cでつ。

311: くろねき :2016/05/08(日) 01:15:56 HOST:wb92proxy03.ezweb.ne.jp
> 取りあえず、M4aと差し替えて遊びまする。
> 鳴らすSPはオイラカッペトーン5Cでつ。

↑それぢゃ、今まではM4aが5Cに?そりゃまたコリャコリャ。

 (  ̄ー ̄)<ちっちゃいコンポのスピーカーを
 デカいアンプに繋いで使ってるのは誰だっけー?

 それを言わないでよ〜>(~_~;)

312: 前期 :2016/05/08(日) 08:25:10 HOST:h115-165-100-205.catv02.itscom.jp
>>309 SAT-INさん、おはようございます。
歪率は静特性であって動特性ではないですから歪率特性がイイからといって
どうなの? という世界はあるでしょうね。
こういう点はアマチュアの限界で結局自己満足を目指すことになり松が、
ワテの耳こそ黄金測定器や!ということになると科学じゃなくてオカルト
の世界になるかと?

313: 前期 :2016/05/08(日) 08:36:55 HOST:h115-165-100-205.catv02.itscom.jp
>>310 すってんてんさん、おはようございます。

画像拝見しますた。製作は京都在住でご同業のお方と邪推します。
流石に手慣れたつくりですね。長期安定政権(?)でしょう(笑)。

314: アラン・ドロン :2016/05/08(日) 09:14:19 HOST:softbank219168067040.bbtec.net

オーディオマニアの要件
次のひとつでも所有している人はマニアとします。

1.オープンリールデッキ、DAT,DCCを持っている。

2.単品のノイズ・リダクションユニットを持っている。
(dbx,アドレスとか)

3.真空管アンプ(プリメインでもセパレートでも)を、持っている。

4. 38センチ口径以上(これも含む)の、ウーハー
(ワイドレンジフルレンジ)を、使っている。

その他、今は思いつかず---です。

315: SAT-IN :2016/05/08(日) 10:06:48 HOST:19.72.239.49.rev.vmobile.jp
5. MC昇圧トランス

316: すってんてん(借金漬け) :2016/05/08(日) 10:55:18 HOST:zaqdadcbfc4.zaq.ne.jp
6.ボンビーは罪

317: SAT-IN :2016/05/08(日) 15:56:19 HOST:dcm1-119-244-83-239.tky.mesh.ad.jp
>>312
前科さん
仰る通りごもっともです。
それがオーディオの正道かも知れません。
ただ、一見オカルト風で、そのときはも職人に依っては成る程成る程と思うこともしばしば有って、蛇の道はヘビを侮れません。
伊達に銭取ってないわと思うことも有りますた。(但し公言するのはヤバイ?)
何事も匙加減が大事でつね。

318: SAT-IN :2016/05/08(日) 15:58:59 HOST:dcm1-119-244-83-239.tky.mesh.ad.jp
↑誤タッチにて怪しい文になりました。
「その時は意味判らず馬鹿にしていても、後になって」を挿入してくだされ。

319: 前期 :2016/05/08(日) 16:44:16 HOST:h115-165-100-205.catv02.itscom.jp
>>317-318

了解です。ご心配なく。場数を踏んだ人はそれなりにマトモでつからね。
ところで最近、工作員さんは静かですね? 彼の得意そうなトピだと思うのでつが・・・・

320: 前期 :2016/05/08(日) 16:46:01 HOST:h115-165-100-205.catv02.itscom.jp
追伸
前期⇒前科! イイでつね。当たりです。改名しようかな?

321: SAT-IN :2016/05/08(日) 18:29:09 HOST:dcm1-133-204-13-113.tky.mesh.ad.jp
あっ!今気がつきました!!
>>320
前期様、不覚にも誠に失礼な誤変換をしてしまい、大変申し訳御座いませんでした、謹んでお詫びを申し上げます。

322: SAT-IN :2016/05/08(日) 18:40:42 HOST:dcm1-133-204-13-113.tky.mesh.ad.jp
『Rさまは被災地でボランティアされていたそうですが、一旦帰られた後にまた行かれたのかも知れませんね・・・』

323: 前期 :2016/05/09(月) 10:23:31 HOST:h115-165-100-205.catv02.itscom.jp
SAT-INさん

ワハハ! 当方はそれなりに楽しんでしまいました。
Rさんは被災地で工作活動でつか。イイですね。彼ならいろいろイイ考えを実践できるでしょう。
何しろ実務的で柔軟な頭脳の持ち主でつからね。

324: SAT-IN :2016/05/09(月) 17:19:15 HOST:dcm1-122-131-107-41.tky.mesh.ad.jp
>>323前期さん←(今度は確認済み)
恐縮です。

常連でなくとも掲示板利用者の安否を気にかけるのは同じ利用者としては当然なことですね。
これは気が合う合わないとは又別の話。
HNは単なる便宜上の記号ではなく、付けられた時から人格とキャラクターを持つのです。

325: すってんてん(借金漬け) :2016/05/10(火) 16:48:09 HOST:zaqdadcbfc4.zaq.ne.jp
下流ボンビー老いちゃん垂涎の300Bシングル・アンポンタン本日設置。

試聴CDはちあきなおみの終戦歌謡!

ボンビー・サブシステムのヘタレサウンドにメロメロ&ヨイヨイ♪(*^_^*
ワーイッ♪ヘ(^ω^ヘ)(ノ^ω^)ノワーイッ♪

別板にウプしときますた。

全てポン置きでつ。
ケーブル類はホームセンターの切り売り!どす。

ついでに財布もチューニング

(〃^∇^)o彡☆あははははっ

326: 前期 :2016/05/10(火) 17:11:12 HOST:h220-215-166-155.catv02.itscom.jp
>>325

画像拝見しますた。イイでつね。低めの電圧・電流で控えめなオペレーションの良心的アンプと邪推しまつ。
ばかばかしく高価でクセのある高級ケーブルより「切り売り」のほうがまともな音がしたりして!
チューニングできる財布をお持ちとはウラマヤシイ。
当方なんか逆さに振っても鼻血も出ない最下流老人だす(涙)。

327: SAT-IN :2016/05/10(火) 17:41:19 HOST:dcm1-133-203-179-175.tky.mesh.ad.jp
当方は六文銭だけは確保しとりまつ。
さて上流に向かうのか下流に流されるか?
もう少しオイタさせて貰ってから渡りたいものでつ。

328: すってんてん(借金漬け) :2016/05/11(水) 00:12:08 HOST:zaqdadcbfc4.zaq.ne.jp
>>325

しつこく「今夜は1日昭和歌謡(終戦歌謡&GS.フォーク)」♪ですた。

ナカクニの300Bの特徴!?でGS&フォークはからっきし(音に角、神経衰弱気味)
ある程度、満足に鳴ったのは、天童よしみ&スサーナ

欲オクにアコギ価格で売却した西部の復刻300B置いときゃ良かった鴨。

・・・・・・・・・・・・・・・合掌!

329: RW-2 :2016/05/17(火) 11:06:27 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
帰還しました。受けた恩は返すのが義です。さて舎弟召集して本業再起動〜。

330: 前期 :2016/05/17(火) 13:21:53 HOST:h220-215-164-079.catv02.itscom.jp
↑ 無事にご帰還、おめでとうございます。

331: RW-2 :2016/05/17(火) 20:28:02 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
↑ありがと〜。10日振りの温泉。帰宅して酒。格別です。もう寝ます。

332: SAT-IN :2016/05/18(水) 00:10:32 HOST:174.178.138.210.rev.vmobile.jp
無事お帰りになられたようですね。

16日は茨城を震源とする震度5弱の地震がありました。
ネット上では17日が危ないと囁かれておりましたが何もなくて良かったです。
関西も油断出来ないので多少の備えはしておきました。

333: SAT-IN :2016/05/21(土) 18:53:27 HOST:145.177.138.210.rev.vmobile.jp
ebayや海外業者で球探しするよりオクで待つほうが良かったかも?
半分は苦笑いです。
何せebayで眺めていたようなのが日本で出品されていますから。
問題はどこまで上がるかです。

334: 前期 :2016/05/27(金) 11:26:26 HOST:h116-0-244-038.catv02.itscom.jp
Dynaco ST70 がカナダの代理店の手で復活するそうです。
出力菅もオリジナル同様のEL34で初段真空管は現在入手可能なものに変更され
ているとか。
入力回路にフィルターを挿入してあえて狭帯域アンプにする設計は個人的には
大賛成ですがプリの出力インピーダンスは2kΩ以下が指定だそうです。
広帯域指向の清教徒からは評価されないかもしえませんが現実的な設計思想だ
と評価できます。
すべて北米で製造、つまりナカクニ製ではないのも素敵です。
www.hafler.com

335: SAT-IN :2016/05/27(金) 12:43:58 HOST:dcm1-133-204-45-130.tky.mesh.ad.jp
90年代でしたか、ST70は一度復刻して記事になりましたね。
というかebayに出店しているショップで基板からトランスから何から大体揃うようですよ。
私はそこからPAS-3X用の電源トランスを買いました。
トランス類は今でも同じ規格で製造されているようです。

336: すってんてん(借金漬け) :2016/05/27(金) 14:01:10 HOST:zaqdadcbfc4.zaq.ne.jp
>広帯域指向の清教徒

ナニワのお坊ちゃま達でつね
わかり松。

337: RW-2 :2016/05/27(金) 14:48:45 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>初段真空管は現在入手可能なものに変更

初段と反転段の複合管は類似の球が多種あるので心配ないでしょね。
7199や6AN8が無くともちょいと足配線変えれば6U8Aや6BL8やE80CFが使えますから。

338: SAT-IN :2016/05/27(金) 18:12:44 HOST:dcm1-133-204-45-130.tky.mesh.ad.jp
基板だけの物、抵抗とコンデンサーを実装済みの物、両方売られています。
オリジナルはカーボン抵抗にGEN-INSTARか、BLACK-CATでしたから今の抵抗とフィルムコンだと基本的にスッキリ爽やかな系になるでしょうね。
今はオイルペーパーコンもアリゾナとかいう高価なWEST-CAP上位互換品?も出ていますから換えてみるのも一興でしょう。

339: 前期 :2016/05/28(土) 12:01:53 HOST:h116-0-244-038.catv02.itscom.jp
>>338 SAT-INさん、おはようございます。

まだ売り出されていない(発売予定は7月だとか)し、当然日本に入ってきて
いませんからどんな音かわかりません。
仮にオリジナルより改善されていたとしても「以前のほうが良かった」という
蚕趣味のお方が必ず出現するでしょうし、それが趣味の世界でしょうね。

340: SAT-IN :2016/05/28(土) 13:36:28 HOST:dcm1-60-239-163-161.tky.mesh.ad.jp
>>339
前期さん、こんにちわ
>どんな音かわかりません

基本回路とトランスが同等なら出力管EL34/6CA7しだいでしょうね。
上下に入るカップリングコンデンサーでも変わりますが、このへんは安全策優先でしょうか。
帰還用コンデンサーをオリジナルからテキトーなディップマイカに変えて煙りを出し、DCバランス調整可にして暴走させた小生に語る資格が怪しいのは言うまでも有りません。

341: RW-2 :2016/05/28(土) 14:56:34 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
ダイナコは昔、マニア様からプアマンズマッキントッシュと蔑まれておりましたので、
あまり評価は高くありませんでしたが、Stereo-35とStereo-70は潔いほどの合理さで、
たいへん良いアンプだと思いますよ〜。カソードバイアスも1組で賄っておりましたが、
ペア球なんかもスーパーで売ってたようですからまことに良い時代だったんでしょね。

342: SAT-IN :2016/05/28(土) 15:24:23 HOST:dcm1-60-239-163-161.tky.mesh.ad.jp
今から30年以上前に中古で買いましたよ。
球はダイナコ・シーメンス ・フィリップスとバラバラに挿してありました。(笑)
今ならたぶん買ってないでしょうね。(Pairなら珍品かも)
買ってすぐ整流用コンデンサーが抜けて盛大なハムに驚きました。
太管に替えたらタイトな現代風な音になり、テレフンケン(東側)だと割合重厚な音がしました。
7199はフィリップスECGブランドの新品が普通に買えました。

343: RW-2 :2016/05/28(土) 15:33:52 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
太管はペントードではなくビーム管らしいので音の風情が変わるんでしょうね。

344: SAT-IN :2016/05/28(土) 15:50:09 HOST:dcm1-60-239-163-161.tky.mesh.ad.jp
太管もテレフンケンも新品でしたから真空度やエージングの関係というより構造の違いから来るのでしょうね。
ちなみにテレフンケンは造りからみてRFT(RFD?)ではないかと思われます。
太管のほうはフィリップスECGの箱とプリントですがGEのと同じようです。

345: SAT-IN :2016/05/28(土) 16:01:20 HOST:dcm1-60-239-163-161.tky.mesh.ad.jp
試しにip以外の定格を無視してGEの6550と差し替えてみると重心が低くなったような音でした。
数分鳴らしましたが壊れることは無かったです。
この辺の違いは今のところわざわざ調べ直す気力が無いので試さないほうが良いでしょう。
当時出ていたGEの6550と同時期のリチャードソンKT88は管の形状以外同じ物らしいです。

346: 前期 :2016/05/28(土) 16:20:45 HOST:h116-0-244-038.catv02.itscom.jp
>>341
>プアマンズマッキントッシュと蔑まれておりました・・・・・

アンプに限らず値段が安いとハナから見下す人もい松からね。
狡賢いメーカーの中にはあえて高額な値段をつけて高級品を装ったりするワルもいるようでつ。

347: 前期 :2016/05/30(月) 22:31:10 HOST:h116-0-244-038.catv02.itscom.jp
>>340
>ディップマイカに変えて煙りを出し・・・・・・

いろいろ試されたのでつね。
当方が極秘(?)に入手した情報による変更点は
1.整流管を石に変更
2.複合管はやめてEF86の初段増幅とドライバは12AU7に
3.オープンループ・ゲインを低く抑えて安定性を重視する設計思想はオリジナルを踏襲
4.バイアス調整にはLEDを利用
といったところのようで無闇な高性能より実用的なアンプじゃないかと思います。
マニア氏が喜びそうな設計とは違うやうな・・・・

348: SAT-IN :2016/05/30(月) 23:23:10 HOST:dcm1-119-244-159-228.tky.mesh.ad.jp
前期さん
ディップマイカは500V耐圧だったんですが燃えました。
オリジナルから変えて良いものと悪いものが有りますね。
セレン整流のバイアスはシリコンダイオードに変えたほうが良いです。
カップリングコンデンサーは今なら安全策でフイルムコンですね。
とにかく耐用年数が過ぎてますからオリジナルのままでは使えないでしょう。

349: 前期 :2016/05/31(火) 08:51:30 HOST:h116-0-244-038.catv02.itscom.jp
>>348 SAT-INさん、おはようございます。
>カップリングコンデンサー・・・・・

これもマニア諸氏には拘りがあるでしょう。
黒門がイイ、蜜柑飴がイイ、いや栄養剤だと五月蠅いことになります。
確かにCによる音の違いはありますが周辺回路の影響も受けますからこれと
いった決定打はないような気がします。でも違いがあるというのは楽しい
でつね。

350: RW-2 :2016/05/31(火) 10:52:14 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>500V耐圧だったんですが燃えました

出力トランス2次からの帰還用でしたら数10p〜3000p程度、耐圧50Vもあれば
十分なんですが、燃えるとは何かの悪行のせいだったんでしょか〜。

カップリングコンも@50円のマイラー(ポリエステル)から@数千円の箔巻き
高級品までありますが、聴いてどれだけの差?と考えると手頃価格のメタラ
イズドポリプロピレンあたりで十分です。絶縁度が第一ですが、あとは大きさ、
デザイン、色、基板への座りの良さで選んでおります。国産品でも良いの
ですが、黄色や灰色はイマイチ良い音がしそうにないという勝手解釈なんです。

351: SAT-IN :2016/05/31(火) 15:08:51 HOST:dcm1-218-42-98-181.tky.mesh.ad.jp
フイルムならオレンジが良いんですが、チューブラーじゃないので似合わないですね。
とりあえず公言は定評のあるASCとかのフイルムということにしておいて実は〇〇〇〇〇なんてことに・・・・
ただし、黒美は音味が好きでも余程の良品でもないとリークの心配が有るでしょう。
あれは電圧の低いところで味付けに使うのが宜しいかと。

あんまりスッキリ爽やかな球アンプてのもどうかなとは思いますけどね。

352: SAT-IN :2016/05/31(火) 15:28:03 HOST:dcm1-218-42-98-181.tky.mesh.ad.jp
>>350
Rさん
あの帰還回路は一次側からですから約420V掛かっています。
マニュアルにある数値ですから実測するともう少し高くなっていたかも知れません。

余談ですが、ダイナコのオリジナルでUと称する7199の代わりに6GH8を前段にしたタイプが出ていました。

353: 前期 :2016/05/31(火) 19:07:34 HOST:h116-0-244-038.catv02.itscom.jp
>約420V掛かっています

そこに500V耐圧じゃゆとりはなさそうですね。

354: SAT-IN :2016/05/31(火) 19:22:49 HOST:192.78.239.49.rev.vmobile.jp
>ゆとり

そうですね。
お値段以下ですた。

355: RW-2 :2016/06/01(水) 13:53:32 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>一次側からです

ちゅうことは出力管のプレートからなんでしょか。
出力トランスを負帰還回路から外してるとすればWEアンプ風ですね〜。

356: SAT-IN :2016/06/04(土) 03:31:31 HOST:10.253.149.210.rev.vmobile.jp
回路図を見直すと二次側8Ωから抵抗を介して一緒になっていました。
一次側は下の球のUL接続用タップからです。

357: RW-2 :2016/06/04(土) 11:14:21 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>二次側8Ωから抵抗を介して

8Ωから負帰還ということは16Ω端子が無いのでしょね。
高能率スピーカーを使ってますとULを3結に改造したくなっちゃいます。
発振防止の強力な位相補正を掛けてドンと負帰還。一長一短ではあります。

358: SAT-IN :2016/06/05(日) 20:28:10 HOST:153.77.239.49.rev.vmobile.jp
不言実行で完成してカタチになるまで黙っているつもりでしたが、発破も大事ですから宣言だけでも。
前期さんがご存知のように手持ちの205Fでアンプを組むと言った手前、現在部品集めとデザインの段階半ばであります。
これを能書きで終わらせない為にも掲示板のチカラを活用したいものです。

余談ながらALTEC-755E(あえて鳴らさず保管)も手元に有りますので完成して鳴らす楽しみも御座います。

359: 前期 :2016/06/06(月) 12:47:02 HOST:h220-215-167-015.catv02.itscom.jp
>一長一短

そうですね。つなぐラッパによっても結果は違ってくるでしょうね。
今やスタモニがアンプ内蔵になっているのも自然な成り行きでしょう。

360: RW-2 :2016/06/07(火) 14:29:00 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
やはり直熱3極管はイイですね。205Fなら2段増幅+イントラ送りも良さそう。
ただ今ではイントラが入手難。タムラのB-5006とかタンゴのNC-14があれば。

モノアンプ×2台で作るのかステレオ仕様かでロケーションが変わりますから、
球の選別に影響しますね。モノ仕様なら良いのですが、ステレオ仕様なら前2段
増幅だと仮に6J5使いますと4本。205Fが2本。整流管とで計7本。双3極を使って
球数は減らした方がスマートか。

初段とドライバー管のチョイスは楽しいところです。拙者は6SN7+6V6(3結)で
作りましたが、パワー管が小さい場合は前はMT管でパワー管の引き立たせも可。
6BM8の1本で賄うのも面白いのですが、球の格式を気にする方は使えませんで。
拙者なんか300Bも崇めておりませんから6GW8でも6BX7でも何でも使いまっせ。

361: SAT-IN :2016/06/07(火) 14:47:43 HOST:dcm1-133-203-225-218.tky.mesh.ad.jp
205Fを買った頃は丸球には丸で興味有りませんでした。
ところがその後何年かして無性に丸球が欲しくて堪らなくなりサードパーティー含めて入手を画策しましたが、すでに高くなりすぎており断念。
何故か今はそれほどでもなくなりましたね。

300Bにしても信仰は別にして、買った以上は生きてるうちに火をいれないと浮かばれません。
ただ、猫の目ほど変わる我がポリシーは、優先順位を無視してすでに変化しております。

362: SAT-IN :2016/06/07(火) 14:54:21 HOST:dcm1-133-203-225-218.tky.mesh.ad.jp
以前どこかで申し上げた音を出さないオーディオ(エアオーディオ?)とは諸々の構想・考察を楽しむことでもあります。

363: RW-2 :2016/06/07(火) 15:19:23 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
拙者なんかはエアオーディオを20年楽しんだ挙句100本は市場に放出しました〜。
酒代に窮して売っただけなんですが。灯を入れてくれるお方に嫁いだ方が幸せでしょう。

364: アラン・ドロン :2016/06/09(木) 17:24:56 HOST:softbank219168067040.bbtec.net

本屋に行くと、真空管アンプと、レコードプレイヤーの雑誌が
多いですね。

中高年世代が、支えているのでしょうね。

365: SAT-IN :2016/06/09(木) 17:53:08 HOST:56.190.130.210.rev.vmobile.jp
中高年の高年のほうは既に蔵書しているのではないかと思いますね。
近年の刊行物はかつての内容とかなり異なっているようです。
現役だった執筆者が他界して居なくなったために、影響を受けた新人が受け継いだカタチでしょうか。
それらはいたってドライで現代風の内容になっている感があります。
古典球・オリジナル球の枯渇(表面的には)と無関係ではないでしょうね。

366: SAT-IN :2016/06/09(木) 17:56:53 HOST:56.190.130.210.rev.vmobile.jp
単行本のことで月刊誌はその限りにあらずです。
ただ、そういった雑誌をワッチすることは有っても本気で興味を持つことはないです。(私はね)
なんせ基本的に懐古派ですから。

367: すってんてん(借金漬け) :2016/06/10(金) 00:17:45 HOST:zaqdadcbfc4.zaq.ne.jp
オイラはガラクタ派でつ。・・・・・・・・(;一_一)

368: SAT-IN :2016/06/10(金) 00:39:49 HOST:141.76.239.49.rev.vmobile.jp
>ガラクタ派

今だから懐古なんで、元々はガラクタ派ですよ。
なんせ知識が有ったら廃品テレビの回路取り出して、なんとかアンプに仕立てたかったぐらいですからね。
今でもそういうのは好きなんですよ。
方針としては、一台くらいはキチンと作って後はクッキーの空き缶に春日のトランスとかで6BQ5シングルでもやろうかと。

369: すってんてん(借金漬け) :2016/06/10(金) 01:43:09 HOST:zaqdadcbfc4.zaq.ne.jp
>クッキーの空き缶

クッキー・・・・・・・・・
お坊ちゃま&セレブの「おやつ」(常備品)

ヤッパシ

370: SAT-IN :2016/06/10(金) 01:56:38 HOST:141.76.239.49.rev.vmobile.jp
クッキー・・・・・・・・・

オカキだったかな?・・・・・・・・・

371: 前期 :2016/06/10(金) 09:07:55 HOST:h116-0-243-154.catv02.itscom.jp
>ガラクタ派

ニコイチ、サンコイチ、で怪しいものを作り上げるボンビーな小生もそれでつ。
どうだ、市販の高級品よりイイ音だろ!と悦に入る当方はオツムがおかしいのでつ。

372: RW-2 :2016/06/10(金) 15:28:07 HOST:225.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
拙者なんかはビンボー学生にて廃品テレビ球でも楽しんでおりましたで〜。
4MP-12やら6MP-17やら18やら。そのへんにゴロゴロ捨てられてましたから。
ラジオ/オーディオ用としての6AR5は高いし、6AQ5はさらに高かった。

1⇔7ピンくっつけておけば上記全部使える。4V管は3Ωの抵抗入れれば使える。
厳密に言えば1次の負荷抵抗とかプレート電圧とか気にはなりますが、どれ
挿しても音が出るところが球アンプのアバウトさ大らかさ。中々良い音でした。

6BQ5は300Bや2A3に比べたら貧球ですがテレビ音声用からみたら高級品でしたね。

373: SAT-IN :2016/06/10(金) 16:14:55 HOST:dcm1-118-111-81-46.tky.mesh.ad.jp
廃品TVがゴロゴロしてる時代に知識が無かったのが惜しい。
それでもバイト先の関係で廃品貰ってきて球抜いたり挿したりして具合を見るのですが、皮手袋してるとはいえよく感電しなかったものです。
あの頃抜いた球がまだどこかに有ったかも。

件の205Fはおいといて、別の球がまだアメリカの業者に保管中ですから、完成まで気の遠くなるような話です。

374: RW-2 :2016/06/13(月) 14:27:01 HOST:225.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
初段に多用されてる6SN7やラックスがドライバーに使った6CG7とかもテレビ球
でしたでしょ。拙者もテレビのダンパー管2本使って両波整流しとりました〜。
ちゅうか、元来オーディオ用途として開発された球の方が希少で、通信/送信用、
ラジオ/テレビ用、工業/医療用、軍用等に開発されたモノを拝借してるんですね。

国産の6G-A4や6R-A8、6BM8を進化させた6GW8なんかは純オーディオ用だったかも。
現在生産されてる球々はほぼギターアンプ(音楽シーン)用で一部オーディオ用か。

375: 黄金のアンコール :2016/07/01(金) 09:31:09 HOST:ntszok229081.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
Cossor 185BTという古い英国の水平偏向管を使って、マッキントッシュ型CSPP
アンプを作ってみました。
ttp://www.geocities.jp/asd2251sxl2001sax2251/185BT.htm

376: RW-2 :2016/07/01(金) 10:58:54 HOST:225.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
お見事! 造詣の深さ、配線振りの巧みさ、流石ですね〜。

377: SAT-IN :2016/07/01(金) 11:09:48 HOST:dcm1-133-204-117-127.tky.mesh.ad.jp
当方が現在準備中のアンプ構想とは異なり、熟練者の正道と言うべきアンプ設計・製作・測定ですね。
ショック?!ですが、かえって気が楽になったかも知れません。
当方のスキルとスタイルでは侃々諤々の場に相応しくないのは事実のようです。

378: 前期 :2016/07/01(金) 16:55:03 HOST:h220-215-164-220.catv02.itscom.jp
>>377

以下同文です。

379: 黄金のアンコール :2016/07/01(金) 21:06:09 HOST:ntszok229081.szok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp
素性の良い直熱三極管をトランスドライブで無帰還というアンプは、これで1つの
王道です。料理で言えば、素材の良さを活かしてシンプルな調理をする、高級牛肉
を少し焼いてちょっとだけソースを付けて食べるとか、近海マグロの刺身を綺麗に
切ってお皿に盛ったようなものだと思うのです。

対して、テレビ球を使ったビーム管をCSPPアンプに仕上げるのは、下魚の臭みを
とって上手く味付けをしたようなものです。だから、最初からカテゴリーが違うと
いうか、良さを引き出すためのプロセスが違うのです。

380: RW-2 :2016/07/08(金) 13:53:05 HOST:225.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>素性の良い直熱三極管をトランスドライブで無帰還

801Aのトランスドライブを拵えたのが1992年。その後何度かアンプを作りましたが、
それ以上のシロモノを作れませんでした。脳がまったく進化しなかったのか、退化
していったのか。生半可なエセ知識とエセ技術ですのでそのあたりが限界なんです。

381: でしべる :2016/07/26(火) 07:54:51 HOST:220-247-5-199.east.fdn.vectant.ne.jp
ノリタケとコルグが開発した超省電力の真空管「Nutube」
ヘッドフォンアンプ試作品を聴いてきました。
オペンプに比べて柔らかい音でした。
直熱管なのでマイクロフォニックがどうこうとか?

私のスマホには真空管モードというのがありまして
聴きやすい音になります。

382: RW-2 :2016/07/26(火) 14:22:09 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
>私のスマホには真空管モード

ちょん押し→マランツモード
長押し→マッキントッシュモード  
               
       ↑まさか

383: でしべる :2016/09/25(日) 17:05:38 HOST:210-170-11-218.east.fdn.vectant.ne.jp
ノリタケとコルグが開発した超省電力の真空管「Nutube」
秋葉原での販売も始まり、どんな製品が発売されるのか楽しみですね。
個人的には、プリアンプに期待してます。

384: SAT-IN :2016/09/25(日) 23:08:10 HOST:86.6.138.210.rev.vmobile.jp
なかなか良さげな素子ですね。
フォノEQにするには増幅度がU7程度でやや低いようですから工夫が入りそうです。

385: RW-2 :2016/09/27(火) 13:38:12 HOST:39.236.241.49.ap.yournet.ne.jp
デジタルパワー段の前段に良さそうですね。オペアンプのソケットがそのまま
使えて交換できるようなチップ型が良いかと。フォノEQ後のバッファーでも。
プリアンプ機能を持たせて球パワーアンプとのコンビも。

386: RW-2 :2016/12/07(水) 01:00:43 HOST: 94.233.156.59.ap.yournet.ne.jp
今日はさして寒くはなかったんですが強風吹き荒れました。そんな中、
煌々と点灯するトリタン球は頼もしいです。

初段に双3極の6SN7、ドライバー球に6V6GT/3結にして使用中。
何れも多数のメーカーが販売しておりましたからチョイスは無限的です。
6V6GTはここ数年東芝製を使っております。初期のマツダ物です。
後期の東芝製はゲッターを頭頂に飛ばしてるのでお線香が拝めない。

RCA製は作りもガッチリしてて頼もしいのですがカーボンスートがねェ。
双葉電子やTEN製もありまして聴き比べできますから長い夜も飽きません。

387: SAT-IN :2017/03/28(火) 21:09:03 HOST:dcm2-49-129-184-99.tky.mesh.ad.jp
海外から1930年代の古典球を買いました。
なんとこれが元箱説明書付きのNOS。
届いてみないとハッキリしませんが、マジもんなら出来た当時の時代背景を考えて一種驚きですね。
動態の蒸気機関車なんかもそうですが、保存さえ良ければ状態を保つ物体とナマモノな人間では
時間と言うものの流れが違うのですね。

388: SAT-IN :2017/03/28(火) 21:19:12 HOST:dcm2-49-129-184-99.tky.mesh.ad.jp
補足しておきますと…
違う球ですか、なぜか説明書付きの元箱だけも売っていました。
一応オリジナルみたいですが、誰かがこれに合う球を入れて転がす可能性は有りますね。
信じる者は救われる?でしょうか。

389: でしべる :2017/08/31(木) 18:33:58 HOST:210-170-11-218.east.fdn.vectant.ne.jp
次世代真空管「Nutube」を初搭載したOriolusヘッドフォンアンプ「NT-1」発売

390: SAT-IN :2017/08/31(木) 20:02:14 HOST:183.net211007085.libmo.jp
これをageられたら困ります。(笑)
ま、それは冗談ですが、球はアメリカに保管したままでして。
もう少し涼しくなってからですね。
去年も同じこと言っていたやうな?

391: トーシロー :2017/10/07(土) 08:43:09 HOST:OFSfb-22p2-25.ppp11.odn.ad.jp
ご無沙汰しました。
トーシローです、友人からCECのtube53と言う真空管アンプを頂いたのですが?
6l6GC以外たとえばkt66など使えますか?
取説などなく、ご教授頂ければ幸いです。

392: RW-2 :2017/10/07(土) 09:56:32 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
>6l6GC以外たとえばkt66

プレート電圧、スクリーン電圧の面では問題ありませんが、ヒーター電流は
KT-66が約1.5倍大飯喰いですから、トランスのヒーター容量に余裕があるか
どうかですね。PPで40W以上出る6L6GCを半分の20Wで抑えているところを見ま
すと、KT-66を使うのは止めといたほうが良いよな気がします。

393: トーシロー :2017/10/07(土) 10:38:46 HOST:OFSfb-22p2-25.ppp11.odn.ad.jp
>>392
早速の返信RW-2様ありがとうございます。やはり難しいですか?
手元にKT66あるので残念です。
6l6(6l6GC)グループとして推薦出来る
Tube教えて下さい。宜しくです。

394: RW-2 :2017/10/07(土) 11:48:05 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
音の違いなんて堕耳の拙者には判りませんが、信頼性にて東芝やRCAの6L6GCが良いんじゃないかと。

395: アラン・ドロン :2017/10/07(土) 15:00:08 HOST:softbank219168067040.bbtec.net

真空管アンプかと思うようなトランジスターのパワーアンプ=

クリスキットP-35V

396: RW-2 :2017/10/07(土) 15:01:09 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
ありゃ・・・。RCAの6L6GC。まさかこれだけ値が高騰してるなんて知りませんでした。
昔は安かったのでツインリバーブ(パラプッシュ)でガンガン使っておったんですが。

397: トーシロー :2017/10/07(土) 20:27:44 HOST:OFSfb-22p2-25.ppp11.odn.ad.jp
>>396
本当ですね、検索したらこんなにお高いとは 久しぶりに転がして遊ぶつもり
でした、でも悩んでいるうちが花と言うか?楽しいと言う事もわかってはいるのですが?

398: RW-2 :2017/10/07(土) 20:53:20 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
NECの6R-A8とか東芝の6G-A4とかね。昔はどこにでもあったのに今じゃ@2万円で
取り引き。拙者もその2種やら松下の6CA7、東芝の6G-B8等々100本ばかり売って
しまいました〜。終活というか持ってても使いきれないから。ちなみにハイフンが
入る球名は日本原産なんです。KT-66/KT-88等は英国名でまた特別名なんですけど。

399: でしべる :2017/10/07(土) 21:34:20 HOST:210-170-11-218.east.fdn.vectant.ne.jp
明日から、色々な真空管の音が聴ける真空管オーディオフェアですね^^
今年は、どんな音が聴けるか楽しみです〜。

400: トーシロー :2017/10/12(木) 14:14:24 HOST:OFSfb-22p2-25.ppp11.odn.ad.jp
真空管オーディオフェアーには間に合っいませんでしたが、久しぶりの秋葉原に目が
点に?外国の方々の言葉が多種多様!まるで外国?流された行き先はキヨードーさんプリ菅買いに東芝5814A やはり国産は良さげですな。

401: RW-2 :2017/10/13(金) 10:05:16 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
トリプルマイカですね〜。高信頼管は音が硬いというか引き締まって音場が
狭まるような気がします。硬く重く振動排除してるから? プラシーボかも W

402: SAT-IN :2017/10/13(金) 14:48:19 HOST:225.net211007085.libmo.jp
X7系で言うと国産球は特別な味を期待しても肩透かし食らうと言うか
信頼性で使う物でしょうね。
Nippon Erectricの12R-HH14なんてのは清楚な音がするのですが調べても詳しいデータが見付かりません。
ピン配置以外はWE420A/5755とソックリですからアダプターで差し替えて比較してみたいものです。
5755はともかくWE420Aは高額稀少品種となりました。

403: AD :2017/10/16(月) 00:00:44 HOST:210.227.19.69
>> 398 東芝の6G-B8等・・・ 

ドフにジャンクでいっぱいありました。マツダ製もありました。
流れ流れて・・・もしかして? マサカ? ・・・ ヤッパシ? (^_^)Y

404: RW-2 :2017/10/16(月) 09:02:36 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
>ドフにジャンクでいっぱいありました

売ったのは未開封箱入りでしたが、使い回され流れ流れたあとの顛末かも。
6G-B8の初期物は太いハカマで不格好ですが、後期物はスマートで格好良し。

405: トーシロー :2017/10/24(火) 16:58:11 HOST:OFSfb-22p2-25.ppp11.odn.ad.jp
RW-2様、そして皆様がお考えのように東芝5814Aくんは、まじめゆえに全て吸い上げ表現しょうとするので、少し遊び心を持った(NEC大学LUX組12ax7a)くんにドライブ
を、お願いしょうと思いますが?
皆さまどう思いますか?

406: RW-2 :2017/10/24(火) 20:10:53 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
5814Aの互換でしょか?。東芝12AU7Aで宜しいんじゃないでしょか。
入手できればRCAとかGEとかもイイかと。

5814Aは欧州名はECC82。12AX7はECC83で別モノ。増幅率が違いますから注意ですね。

407: SAT-IN :2017/10/24(火) 20:25:29 HOST:dcm2-49-129-184-85.tky.mesh.ad.jp
まだ懐がバブリーだった頃の話ですが。
MJで球の広告写真見てもナスの250や丸の205Dなんかはデザイン的に見て
全然興味有りませんでした。
なのに、年を取る毎にナスや丸の古典が欲しくて欲しくて。
自分の美意識だの何だのの在り方に疑問が湧きましたよ。
当方の場合だけかどうか、本質が見えてくると美意識のほうも変化するようです。

408: SAT-IN :2017/10/24(火) 20:38:32 HOST:dcm2-49-129-184-85.tky.mesh.ad.jp
U7(ECC82)は知りませんけどX7(ECC83)はJJのが良かったです。
同一条件下の安易な差し替えでしたが、テレフンケン◇とムラードBOXに比べても
さほど遜色有りませんでした。
音に適度な膨らみが有って良い感じです。
ロシアも大らかで良いんですが緻密さではJJに譲ります。(個人の感想でつ)

409: RW-2 :2017/10/24(火) 22:35:05 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
JJはテスラ(昔からテレフンケンやムラード等のコピーを作ってた)の製造ラインと技術で
作ってるので手慣れてるのはありますね。青いガラスのEL34とか目立つのも好きでした。
ただ、元来テスラで作ってなかった球も販売してますから、それらは東独逸系(RFTとか)
から仕入れてるのか、勝手にテスラブランドで売ってるのか。球屋に訊いても???。

410: RW-2 :2017/10/24(火) 22:49:35 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
'90年代にソブテックや金龍の球をライブハウスの機材用に結構買って使いました。
整流管とパワー管ですね。ソブテックはタフで結構使えました。5AR4はムラード
タイプ。6V6GTは黒球でした。金龍はヤワかったです。ガラスも貧弱。電圧も出ない。

5AR4や6L6GT/GCなんかは松下から日立からNECからぎょうさん持ってましたが、フル
パワーでドンガラさせるにゃ不憫でね。ロシア球や中国球を使ってみたかったしね。

411: トーシロー :2017/10/25(水) 10:12:49 HOST:OFSfb-22p2-25.ppp11.odn.ad.jp
RW-2様
失礼しました。かんちがいです。
私の頭のなかではu7と書いてるつもり……
困りましたね??
キテルのかないやだいやだ‼

412: トーシロー :2017/10/25(水) 10:28:00 HOST:OFSfb-22p2-25.ppp11.odn.ad.jp
気を取り直して、東芝よりはNECの方が…
少し 大人しいと言うか?
どんなもんでしょうか?
ご教授お願いします。

413: RW-2 :2017/10/25(水) 11:12:59 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
どちらでも良いかと。年代やロットでも違いますから。目視で内部ユニット
の出来が綺麗な方がイイかと。

銘柄よりも内部ユニットの特性の揃いが大事でしょう。
1本を左右に分けてる回路なら内部2ユニットの特性、左右それぞれ別球なら
2本のユニットそれぞれの特性を合わせるのが良いです。6〜10本買って測定
して選別すれば精神的にも宜しかろと思います。

414: トーシロー :2017/10/25(水) 17:47:20 HOST:OFSfb-22p2-25.ppp11.odn.ad.jp
RW-2様 ありがとうございました。
友人のお兄さんで、断捨離を始めており
LUX12AU7A頂ける予定 他にもまだまだ
引き出しに??なにやらありそう狙い撃ち!!

415: RW-2 :2017/10/31(火) 11:33:03 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
真空管は今でも大量に作られ販売されていますが、昔の真空管時代につくられた
オリジナル球は今では大事にしたいですね。当時のLUXやアメリカ産のアンプは
真空管は消耗品でバンバン交換するものってな考えでしたから規格一杯で酷使。

普通のオーナー宅では故障の連続。マニアなら測定や交換するでしょうけど普通
は買ったらそれっきりですからね。売ったほうも売りっぱなし。これは仕方無し。

平衡がズレたり長時間電源入れっぱなしで球温度が上がり、プレート電流がグリッド
まで廻りバイアスが浅くなりプレートが真っ赤になってお陀仏。トランスも焼ける。

マーシャルのギターアンプのように狙いでバイアスを浅めにしてる物もありますが、
オーディオアンプは吟味しないと。貴重球は無理させずいたわって使いたいですね。

416: SAT-IN :2017/10/31(火) 12:11:50 HOST:dcm2-119-241-50-214.tky.mesh.ad.jp
古い海外のアンプを日本で使う場合、ヒーター電圧が正しく出るか確認か必要ですね。
ピッタシ出てるのが最良ですが、変動が有るため高めより若干低めのほうが精神衛生上はいいです。

417: RW-2 :2017/10/31(火) 16:57:58 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
あちらのトランスのヒーター端子は1次120V入力で無負荷7V。稼働で6.3Vってな感じ
ですね。それを日本で使うと無負荷で5.8V。稼働で5.3Vくらいまで落ち込みます。

6.3V管に5.3Vですと初段にはハム/ノイズの点では良いのですが、ドライバーや
パワー管だと気合が入らない。やっぱり負荷状態でで6.0〜6.3Vは欲しいですね。

拙者は100:120の昇圧トランスを使いたくないので、電源整流部のフィルター抵抗や
デカップリング抵抗を交換して設計規格電圧に合わせてまっせ。

418: RW-2 :2017/11/04(土) 16:47:13 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
今日は一仕事しました。30年近く愛用しているくだんの球パワーアンプ。右チャンネルから
ガサゴソ音が。止まりません。健康稼働が取り柄だったのについに来たか。修理しましょう。

考えられるのは真空管、ソケット、出力トランス、コンデンサー類、抵抗器類。まぁすべてに
原因の可能性あります。ソケットは磨き直したので問題無しでしょう。重要部品から当たっ
ていきます。まず真空管。左右入れ替えてみます。異音が左チャンネルに回ったら原因は
真空管です。変わらず。ということは真空管には問題が無いことがこれで判りました。

次に出力トランス。やはり左右入れ替えてみます。入れ替えるといっても取り外す必要は
無くて、1次側の配線を相互に入れ替えれば良いのです。NF抵抗の入れ替えも忘れては
いけません。ここを間違えると発振してスピーカーが昇天します。トランスも問題無しです。

これで問題は真空管でもトランスでも無いので取り敢えず一安心。異音は右チャンネル
だけですからB電源やアース系でもありません。となると回路の右チャンネルの何かしか
がイカれたということになります。さてさてではどこでしょか。楽しい犯人見つけ開始です。

よくこれかなと見当をつけてコンデンサーや抵抗器を片っ端から順次交換していくお方を
見ますが非効率です。テスターがあれば簡単です。テスターをDCレンジにしてあっちこち
当たります。電圧を左右比べて大きく違いが出た箇所が犯人。あっという間に見つけま
した。右チャンネル下段のカップリングコンデンサー。まさか。おいおい。フィルムコンだし。

このフィルムコンは国産の著名メーカー品です。耐圧も630Vで十分。容量抜けはありません
でしたがリーク発生。やはり経年の仕業か。今後を考えてカップリングコン4個すべてを離脱。
ドイツ製の630Vモノに交換して修理完了。おお〜っ。ベールを一枚剥いだよう。艶やかな音。

419: RW-2 :2017/11/04(土) 21:39:56 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
4時間経過しましたがノイズ皆無で快調。他に病魔が広がる前に完治させて
良かった。ペアチューブを前提でカソードをまとめてましたが、今後のことを
考慮して各球ごとに別けようと思います。そうしておけば球の特性がズレて
きても安心ですから。2倍の抵抗値を4個とケミコンも各々にして完了です。

420: RW-2 :2017/11/07(火) 03:36:43 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
カソード抵抗とパスコンを球ごとに分配しました〜。安心感が違います。
交換したカップリングコン。外箔内箔の方向を間違えてたので修正す。

こうなったらトコトンやれってなもんです。まず整流Diをウルトラファースト
リカバリーに交換。大量にあるのでケチッちゃいけません。パラです。
ついでにフィルターコンにスプラグのアトムを投入しようとしましたが、
デカくてスペースに収まらず断念。ここはも少しニッケミに頑張ってもらい
ます。ニッケミのSMとかSMEって中庸ですが良いコンデンサーですね。
おまじないでオレンジドロップをパラっておきました。隠匿物の消費です。

カップリングコンをドイツ物にしたのでブートストラップコンも国産品から
ドイツ物に。分配したパワー段のカソードパスコンをミューズに。初段も
KZに交換。さて電源ONか。いや明日もう一度配線確認。トランキーロw

421: RW-2 :2017/11/08(水) 00:06:39 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
ダメダメな音になりました。カソードのパスコン計6個を新参モノに交換した
からです。音がヌケない。混濁ぎみ。それでも想像したよりはマトモでした。
想定内です。とくにKZは覚醒が遅い。それも数Vしか掛かってませんから
猶更。ま、日増しに良くなっていくのは経験済み。忍耐。トランキーロです。

422: RW-2 :2017/11/08(水) 00:35:09 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
さらに。整流部チョーク前後のフィルターケミコンだけではなくデカップリングの
ケミコンにまで小容量のフィルムコンを噛ましました。ハーメチックの軍用です。

ケミコンに高周波特性のよいコンデンサーを噛ましたところでインピーダンス的、
科学/物理的には大して役立ちません。低周波帯では恩恵が少ないからです。
しかしパラると音が変わるのは事実。堕耳でも判ります。なぜなんでしょかね。

ここに1〜5μFの大容量モノのパラをお薦めしているお方もおられるのですが、
拙者の好みは0.02〜0.1μF程度。ケチだからです。安いセラミックでも許します。

423: RW-2 :2017/11/08(水) 17:07:32 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
独立させたカソード抵抗。抵抗値を2倍にしたためかけっこう熱くなること判明。
パスコンが炙られるのも心配。なので2Wモノから5Wモノに交換。酸金使って
たんですがセメントに交換。トリミング被膜より巻き線モノが宜しかろと独断。

424: RW-2 :2017/11/08(水) 22:58:00 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
さて一段落。快調に鳴り渡っております。あとは時間が必要。気長に鳴らしこみます。
ttp://535.teacup.com/knisi/bbs/7189

パワー管も交換しました。また松下製です。前段は12AT7なんですが国産各社及び
RCA製はじめ舶来品も所有。ECC81や6201やさらに12AZ7もあります。今後の愉しみ。

425: でしべる :2018/04/28(土) 22:56:37 HOST:210-170-11-218.east.fdn.vectant.ne.jp
ラックスマン製の真空管ハーモナイザーとは
デジタル疲れに効くエフェクター?

426: RW-2 :2018/05/02(水) 18:05:19 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
使用しているパワー球が25年経ってもいっこうにヘタらない。ゲッターもたっぷり。
ながら聴きはデジタルアンプで事足ります。なので買い溜めストックから4本残して
8本を某所に払い下げ。嬉しい値段の錬金術。連休に家族大サービスでもしましょ。

427: くろねき :2018/05/24(木) 22:27:05 HOST:fpoym3-vezC1pro26.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

「オーディオの足跡」さんに東京サウンドの球アンプが↓。

 audio-heritage.jp/TOKYOSOUND/amp/index.html

ベストセラーのValve100とValve300。
どちらもビーム五極管・6L6GCを使ったものですが、
Valve300のほうは「P.A.T回路」を採用したプッシュプル。

P.A.T回路とはビーム管のスクリーン・グリッドに帰還をかける
一種のPFB回路で、素子の内部抵抗を下げ、直流安定度を高める
働きがあり、回路動作は三極管のそれに近くなるというもので、
五極管プッシュプルにありがちな音の改善を図ったものだとか。
Valve100と同様、謎の「Hojunコントロール回路」も搭載。

428: 黄金のアンコール :2018/06/14(木) 14:54:37 HOST:ntszok086064.szok.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
Eimac 327Aという、第二次大戦の時代にレーダー用送信管として使用された
真空管を使ったシングルアンプを制作し、音が出るようになりました。

ttps://blogs.yahoo.co.jp/asd2251sxl2001sax2251/35767684.html

技術的に大変だったというわけでは無いですが、様々な工夫が必要な球です。

ソケットやプレート端子、グリッド端子に市販で使えるものがなく、ソケットは
自作、プレート端子、グリッド端子は市販品を改造して用いました。

フィラメントが10.5V/10.7Aで100Wありますが、スイッチング電源を使い点火、
発熱が凄いので、管の下からクーリングファンで風を送って空冷して実用にな
るようにしています。

無帰還の状態で、直熱送信管らしい鮮明で力強く立ち上がりの早い音質で、
なかなか良いです。

429: RW-2 :2018/06/14(木) 17:19:09 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
凄いシロモロですね。8012A/8025Aの親玉みたいな。ドライバーは6CA7の3結カソード
チョーク式なんですね。素晴らしいです。それにやっぱトリタン送信管は最高ですね。
音のスピード感、解像度、浸透力。おまけに盛大に光ってくれるので見た目も愉しい。

430: SAT-IN :2018/06/15(金) 04:43:22 HOST:dcm2-119-240-141-97.tky.mesh.ad.jp
拝見しました。
送信管はプレートが赤熱しても支障が無いのが凄いですね。
武末さんの著書で知ってはいても、改めて見させてもらって始めて納得しました。
しかし、出力管を暴走させてしまってビビった小生向きではなさそうです。

431: SAT-IN :2018/06/15(金) 04:45:13 HOST:dcm2-119-240-141-97.tky.mesh.ad.jp
ていうか、黄金のアンコールさん御健在で安心しました。

432: 黄金のアンコール :2018/06/25(月) 14:20:59 HOST:ntszok086064.szok.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
ホームページにまとめのコンテンツを作りました。

Eimac327Aシングルアンプ
ttp://www.geocities.jp/asd2251sxl2001sax2251/Eimac327A.html

433: RW-2 :2018/06/26(火) 15:10:38 HOST:65.231.241.49.ap.yournet.ne.jp
耳には聞こえない高周波ノイズを盛大に発生するスイッチング電源を使ったあたりの
割切りの良さがセンスですね。拙者はVT62アンプに冷陰極ガス入り整流管使ってます。
イオン放電で整流するためか物凄いノイズを発生しますが、ラジオ帯域ですので不問
にしとります。念のために初段管は一番離れた場所のトランスの陰に隠し置いてます。
6SN7→6V6(3結)→タンゴNC-14→VT62のラインナップでプレート電圧は600Vです。

434: 黄金のアンコール :2018/06/28(木) 21:08:40 HOST:ntszok086064.szok.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
使ったスイッチング電源は中国製の1個1200円位だったやつです。ステレオで4個
使ったけれど、それでも5千円しなかったのです。それで左右の10V/10Aのフィラ
メント電源を得られるのですから、C/Pはとても良いです。

スイッチング電源による高周波ノイズの影響は有るでしょうね。でもそれは、
ノイズのごく少ない優良な電源を使って比較して初めて分かるのだと思います。

PC用の部品が安価で簡単に手に入るのなら使わない手は無いです。出力管が安
価だったのでアンプの製作コストもそれなりに安く抑えましたが、現状、エー
ジングが進み、かなり良い音質で満足度は高いです。

435: 黄金のアンコール :2018/07/16(月) 21:09:16 HOST:ntszok099184.szok.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
その後、様々な試行錯誤を加え、最大出力21.7Wと20Wを超える事が出来ました。
周波数特性も-1dB(1W)の帯域幅が13Hz〜33KHzとかなりワイドレンジになって音
質にも磨きがかかりました。三極管シングルで20Wというと845や211を1000V位で
使うのに匹敵しますが、530Vと比較的低電圧です。

436: 私の息子はEL34 :2018/12/19(水) 14:51:22 HOST:FL1-60-237-253-214.fko.mesh.ad.jp
HEY GUYS

Please Mr.駿佐久間氏が逝去されました。
彼のシンプル極まりないトランス結合アンポがもう少し安く入手し易い部品で有れば
漏れも所有出来た筈ですた。
御冥福を祈ります。

COMING SOON。

437: QS :2018/12/19(水) 19:06:25 HOST:dcm2-119-240-141-24.tky.mesh.ad.jp
トランスが高くなりましたし、所謂古典球自体が入手困難ですからね。
著書を見てとりあえず205Fを買いに走ったのが幸いしてます。

慎んで哀悼の意を表します。

438: とりあたま :2020/04/02(木) 15:54:16 HOST:KD182251113072.au-net.ne.jp
今号のステサンでは球のパワーアンプの試聴記が載ってるデ
やっぱアメちゃんと日本人では感性というか、音楽の聴き方が違うのかねえ
オレの好きなヤグザなハードバップを聴くには
真面目な日本人が作った真面目なアンプよりも、アタマのネジがどこか飛んでるヤンキーが作ったアンプってか?

439: QS :2020/10/23(金) 05:38:00 HOST:112.208.49.163.rev.vmobile.jp
真空管を眺めるだけで大した事はやってませんから、書き辛いですけど
ここも活用したほうがいいですね。
MJとラ技を購読していた時期からブランクが有りすぎて、忘れてる事が多いです。
バックナンバーを読み直さないと。

440: QS :2020/10/27(火) 18:59:52 HOST:252.206.49.163.rev.vmobile.jp
ファインメットトランスで2万前後の2.5k/3.5kと手頃なところが70mA流せて
定格?5Wとはこれ如何に?
せめて8Wにしといて下さいよ。
300Bに使うなら6〜7万出せと言わんがぱかりの仕様じゃしょうがない。
帯に短し襷に長し、どっちつかずの隔靴掻痒です。

441: QS :2020/11/02(月) 20:42:37 HOST:170.net211007085.libmo.jp
UYソケット探したら白磁のタイトしか見付からない。(ゾンビサイト除く)
UXにしろ昔ながらのモールドが減って来てますね。
プリの見えない部分ならまだしも、あの白いのが苦手です。
ダークスーツに白い靴下みたいな感じ。
タイトは硬さゆえに、オクタルだと抜き差しでガイドが削れたり割れたりする可能性が高いです。

442: QS :2020/11/28(土) 13:45:57 HOST:232.net211007085.libmo.jp
5755の衝撃、未だ冷めやらぬ。
2A3アンプの前段が6SJ7なんですが、プリ送り出しの5755の音になるから不思議。
以前書いたようにブリティッシュサウンド?がアメリカンサウンド?に。
出力管とスピーカーの個性て何だろな?みたいな感じの変化が有りました。
音質というより音の出方が違います。

ところが、考えてみると類似の12AX7からして結構厄介な球なんですね。
内部抵抗が高いせいで、通常だと出力インピーダンスも高くなります。
カソードフォロワーにしても受けを大して低くは出来ません。
5755も同様です。
プリ(フラットアンプ)も良いけど、いっそ5755で出力管を振ったほうが良いのかなと思います。
ぶっちゃけ、良い意味で使い所が難しい球ですね。

443: RW-2 :2021/01/31(日) 16:33:06 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
裏板のとおり年末からミミッチい球で遊んでます。トランスレス用5極管。
真空管電蓄の最後に華々しく活躍した球なんですが、今じゃ顧みられる
こともなくなった不憫な球でね。いっちょこの球で独立したパワーアンプ
でも作ってみようっかな。出力トランス2個あれば出来るし。エコの極み。

444: RW-2 :2021/02/07(日) 01:52:05 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
リサイクル店覘いたらジャンクの東芝のポータブルプレーヤーがあったので購入す。
50EH5が欲しかったから。500円ならこの2球だけで御の字。ウッシッシと。死語か。

ところがだ。分解してみたら使用球は東芝Hi-Fiプリントの50BM8が2本だった・・・。。。
なんとまぁ。腰が抜けた。残念というかラッキーというか。ビクターのエレクト
ローラが50EH5なのに、みすぼらしいこの電蓄に3極5極複合管かよ。さすが東芝。
セラミックカートリッジも生きてたので良い買い物でした。

445: KS :2021/02/08(月) 23:19:28 HOST:softbank126061071106.bbtec.net
兵庫県の田舎の方、福崎町に真空管アンプの専門店があるそうですが
誰か買ったことありますか。この界隈じゃ有名な店なんでしょうか?

真空管アンプ工房SMG
ttp://azaminoyume.seesaa.net/article/389268231.html

446: QS :2021/02/08(月) 23:35:23 HOST:dcm2-119-238-199-29.tky.mesh.ad.jp
>>445
兵庫県ですけど全然知りませんでした。
播但線の福崎駅からかなり離れてますね。
ちょっと歩いて行けるような距離じゃ有りません。
播但線は結構利用していたのでコロナが収まれば何とかして行ってみたいです。

447: すってんてん(借金漬け) :2021/02/15(月) 22:33:23 HOST:zaq7d04674a.rev.zaq.ne.jp

昔昔、サイクリング・コースで5〜6回、往復で通り抜けしますたでつ。
硝子に貼られた、マッキントッシュのステッカーがやたら輝いております。
近くの石材屋に、ゴジラやウルトラマンの石像も見もの・・・・・( ^ω^)でつ。

448: QS :2021/02/16(火) 18:23:51 HOST:dcm2-119-238-247-234.tky.mesh.ad.jp
しかし、あんな場所で商売になるのかな?
ネット時代とはいえ、現物見ない(聞かない)で成り立つとも思えませんね。

そうは言っても三栄無線の広告には胸踊らせましたけど。

449: RW-2 :2021/02/17(水) 02:55:23 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
>三栄無線の広告には胸踊らせました

MJ誌に毎月載ってたブラックゲートのテクニカルレポート。ブラックゲートは
商品名でジェルマックスという会社がコンデンサーの何かしらの特許を取って
ルビコンのラインで製造させてたのでルビコン/ブラックゲートの併記でした。

あのテクニカルレポートを毎回読んでますともはや宗教に近く、信仰は簡単。
アンプ製作者様たちが、ここにはブラックゲートの●●に限る。ここには△▽。
これ以外不可。なんて書くもんだから。価格は他社の数倍。めったに使えない。

ジェルマックスに自作で書いた回路図を送ったら、ここにはブラックゲートの
●■。ここには■◆と丁寧に記載返送してくれました。ブラックゲートのブロッ
クコンを使用してチョークコイルを外しなさいとのこと。チョークなら3000円。
ブロックコンは10000円。そりゃ困りますわな。

450: くろねき :2021/02/17(水) 19:05:20 HOST:fpoym3-vezC1pro15.ezweb.ne.jp
皆さんこんばんは。

>>444
亀レスでつが…

 小型レコードプレーヤの普及
 www.ne.jp/asahi/radiomuseum/japan/player.htm

> ポータブルプレーヤは小型のトランク型のものが多く、
> 6AV6-6AR5程度(後に50BM8単球)の簡単なアンプが搭載されていた

50BM8自体は割と使われてたみたいでつね。
生産量が増えて、かえって安上がりになったのかも?
ただHi-fi用の球なのは「ワンクラス上の」的なことだったんでせうか。
それとも後で誰かが換装したか…。

451: RW-2 :2021/02/18(木) 11:53:06 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
>6AV6-6AR5程度(後に50BM8単球)

昔のラジオで言えば6Z-DH3A+42みたいな。6AV6+6AR5と小型化。ポータブル機に。
さらに1球に詰め込んでの複合管が6BM8/50BM8。50BM8はトランスレス用で重用と。

50BM8の頃はもうTR化が始まってたのでHi-Fiとプリントしないと面子が立たない。
50BM8を使ってるのは高級なんです。クリスタル/セラミックカートリッジ受けでは
50EH5の1球で済むんです。50BM8は3極管が前段にある2段増幅用ですから1球なのに
回路が複雑化。そのおかげでゲインが余ってNFを掛けられる。特性が良くなります。

6BM8をオーディオ用に特化したような球が6GW8。日本じゃ人気が出ませんでしたね。
パワーアップ図るなら6BQ5や7189の方が余裕がありますからね。

452: QS :2021/02/18(木) 12:12:50 HOST:217.177.138.210.rev.vmobile.jp
セラミックカートリッジはハイインピーダンスなので受けも高抵抗になります。
抵抗値を間違えて買った東京光音の500kΩが役に立った経験あり。
実験程度でやめてしまいましたけど、良くも悪くも(意外と良いか?)それなりの音でした。
MJに記事を書いた渡辺直樹氏も「MMと比べるべきものでは…」と申されておりましたね。

453: RW-2 :2021/02/18(木) 16:05:27 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
>500kΩが役に立った

あの時代は何を繋がれてもいいように500kΩや1MΩで受けてましたもんね。
その後のパワーアンプは100kΩとなって50kΩとなって昨今は20kΩとかね。

>「MMと比べるべきものでは…」

Hi-Fi用途としちゃ格段の差がありますから。しかし当時の歌謡曲やビートルズ、
サイモンとガーファンクルなんか聴きますと中々気分です。ノスタルジーです。

454: QS :2021/02/18(木) 16:58:56 HOST:176.231.214.202.rev.vmobile.jp
音の良さとか感動なんてのは魚釣りみたいなもんで、大海でマグロ釣るか、溜め池でデカイ鮒か鯉を釣るかの違いと似てますね。

455: すってんてん(借金漬け) :2021/02/18(木) 21:53:15 HOST:zaq7d04674a.rev.zaq.ne.jp
南国土佐では、言うたちいかんちゃ おらんくんの池にゃ潮吹く魚が泳ぎよる♪
でつね( ^ω^)・・・

456: RW-2 :2021/02/25(木) 03:32:21 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp

裏板で始めた2球パワーアンプ。電蓄に使われとったミミッチイ球50EH5を使います。

7ピンのMTペントード。出力1W。2A3だ300BだKT-88だなんて御方は眼もくれないと
いうか知りもしない、昔あれだけ使われたのに今じゃ見向きもされない悲運球です。

プリアンプ使用前提ですから高感度を良いことに前段球無しの50EH5のみで作ります。
CDプレーヤーならダイレクトでもそこそこの音量は出るんじゃないかと思います。

規格をシルバニアのチャートで調べてみました。プレートおよび第2グリッドの最大
許容はそれぞれ135Vと117V。代表的オペレーションはプレート110Vに第2Gグリッドが
115V。ということは110Vを用意すればデカップリングで分けずにも供給できます。

トランスレス球ですからAC100Vをダイレクト整流。チョーク代わりに300Ω位の抵抗
をπ型フィルターに入れるとちょうど良さそうです。実際手持ちの270Ωを入れてみた
ところDC110Vぴったりでした。これでプレートには出力トランス損失込みで105V、第2
グリッドには110Vで一発でクリア。カソード抵抗は電流を気持ち絞って68Ωに決定。

457: RW-2 :2021/02/25(木) 04:14:12 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp

フィルターコンデンサーは基板用の松下製を使いました。220μF+220μFと大容量を
おごりました。オマジナイでフィリップスのフィルムコンをパラ。ケミコンの容量が
大きいので整流ダイオードの突入電流防止用に10Ωの抵抗をシリーズに入れました。
整流ダイオードは3パラ。ダイオードの並列使用は一般的にはダメ!ということなん
ですがパラった方が音が良い。スイッチングくさびが埋まるからか。熱結合は必須。

458: RW-2 :2021/02/26(金) 14:36:16 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp

一応パワーアンプですからプリアンプ使用が前提です。であればボリュームは必要
ありません。ですが、50EH5は感度が高い球なのでイコライザーアンプやCDPであれば
直結でもそこそこの音量が得られる可能性があります。てなわけでボリューム設置。

なお、使い勝手が良いように入力は2系統に。プリ+単独イコライザーorCDPも可能。

ボリュームは2連。φ30mm物を使いたかったんですけどフロントパネルに重量バラスト
を付けたのでスペース上φ16mm物しか使えません。2連なのでL/Rの誤差が気になり
ましたんですけど、測定したら誤差±2%に収まってました。安物なのに優秀ですね。

459: RW-2 :2021/02/26(金) 15:42:05 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
電源トランスレスアンプですのでアースが絶縁されておらず、コンセントの差し
込み向きで感電の恐れがあるんです。対処の仕方は裏板(画像板)にて。

配給電圧。当初プレートには出力トランス損失込みで105V、第2グリッドに110Vの
予定でしたんですけど、規格いっぱいいっぱいにて長時間稼働には酷でしょう。
そこでプレート98V、グリッド103Vとしました。調整はダイオードの突入防止抵抗
10Ω3W型を33Ω5W型に交換で。意外に熱を持ちますので1〜2W型じゃ昇天します。

460: RW-2 :2021/02/27(土) 12:38:35 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp

もう完成しちゃいました。供給電圧さえ決まればあとは調整箇所も無し。いきなりスピーカー
繋いで音出し。想像以上の熱だったので天板をパンチングメタルに。エージング後が楽しみ。

461: RW-2 :2021/02/27(土) 21:12:56 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp

デジタルアンプ&リニア電源以来のアンプ工作でした。配線材の被服剝きとハンダ付け満喫。

すべて手持ちででっちあげましたけど、新規購入しても球さえ調達できればシャーシー1500円、
外装パーツ1500円。出力トランス4000円。CRが1000円。全部ひっくるめて1万円程度。それで
工作が楽しめて、完成後はオーディオアンプとしても至福の時間。自分で作れば愛着が違います。

462: RW-2 :2021/03/02(火) 03:15:17 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
24時間連続運転しましたけど発熱問題完全クリア。足を高くしてアンプ底面のスペー
スをとり底板に気流孔を追加。天板をパンチングメタルに交換。素晴らしく対流放熱。

2日間に渡ってチューナーで音声流しっぱなし。最初はギクシャクした精彩の無い音で、
案の定 無帰還ペン音だからこんなもんかなってな感じでしたが、どんどん音が変化。
繊細で瑞々しく。440μFも奢った虎の子の松下のケミコンが覚醒したんでしょね〜。

あと音的素子はカソードコンだけ。温度対策もあって金属ケース入りタンタルを使用。
ミューズKZにしたらどうなるかな。一点豪華主義で銀ケース封入湿式タンタルってな手も。

463: RW-2 :2021/03/05(金) 05:44:13 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
ちなみに電源スイッチはスペースの関係で小型のトグル型。接点の焼き付き/
投入ノイズ防止のためにセラコン付加。ここはCRによるノイズキラーはご法度です。

464: RW-2 :2021/03/05(金) 05:46:37 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
ボリュームとセレクターを付けたのは正解でした。単段とはいえ50EH5は高感度の球
ですから案の定プリ無しでもそこそこの音量は出ました。出力が5mmV以上のカート
リッジならまずまずです。チューナーですと大音量は無理ですが、CDPなら十分です。

465: RW-2 :2021/03/11(木) 03:48:34 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp
ここ毎日使用中。好調です。フルパワーでハムもノイズもほとんど無し。能率96dBのスピーカー
の直近で耳をそばだてると微かにハム音が感じられますが1m離れるとまったく聞こえません。
ヒーターが50V。チョーク無し。無帰還なのに。オーディオで使い物になるのかとの心配は杞憂。

入力端子からセレクター。セレクターからボリューム。ボリュームから真空管グリッド。すべて
シールド線を使いました。それが功を奏したのか。チョーク代わりのドロップ抵抗は270Ωですから
リップル退治には大して役だってないでしょう。1KΩなら効くんでしょうけど発熱が凄くなるし、
プレート電圧が低くなりますので使えません。50EH5は元来ハム・ノイズが出ない球なんでしょね。

電源トランスが無いのでアイソレートもされずAC100Vに乗ってるノイズごと整流してますから、
ノイジーな音になるんではと危惧しましたが別段感じません。逆に電源トランスもチョークも無い
ので音に勢いがあって、良くある角の丸まった球アンプの音と違った鳴り方です。

466: RW-2 :2021/03/14(日) 14:11:02 HOST:164.5.52.36.ap.yournet.ne.jp

消費電力26W。こりゃエコ。と思いますが出力が2.5Wですから効率悪し。
十分な音量が出てますのでやっぱしエコということで良しと。

無信号でも26W。フルパワーでも26W。A級動作ですね。ヒーターが50Vで
0.15A。よって2球で消費15W。プレート+スクリーンは100Vかかって@約
50mA。よって2球で消費10W。Di突入防止抵抗とフィルター抵抗および
出力トランスの巻線で計1W程度。合計26W.。計算が合いますね。

467: RW-2 :2021/05/08(土) 08:16:11 HOST:52.6.52.36.ap.yournet.ne.jp
くだんの2球ステレオパワーアンプ。二か月経ちますが好調です。まぁ大昔の並3ラジ
オの低周波増幅段のみを取り出したようなものですから故障のしどころもありません。

当時の3球ラジオは6Z-P1, 12Fなどという日本で開発されたミミッチい球が一般的で
12Fの替りに傍熱型の80BK,などという球もありました。6Z-P1が42、80BKが直熱の
80となるとミミッチさがやや薄れます。ST管時代が終わると6AU6, 6AR5, 5M-K9と
いうこれまたミミッチいMT管が使われました。アメリカさんであれだけ使われたGT管の
ラジオをほとんど見なかったのは不思議です。6F6,6V6や5Y3は高価だったからかな。

くだんの50EH5は高感度の球なので前段を端折ってます。普通は前段にて増幅を稼
いで出力段に渡し、余った利得を利用してNFを掛けるわけです。この効果はてき面で、
ハムの減少、低歪、周波数特性のワイド化が齎されますが、前段が無いのでただの
ペン音・無帰還アンプなんです。そのかわりカップリングコンが一ケ所も入らない潔さ。

プリアンプ使用前提ですが、CDPならダイレクト接続でも十分な音量が出ます。イコラ
イザー直結やチューナー直結ですとややゲインが足りません。入力トランスを入れて
50EH5を励振すれば出力は上がります。今後の課題です。

手っ取り早いのは12AX7/ECC83を1球足して、半ユニットづつを割り当てる正攻法。
ゲインが余りますからトランス2次から12AX7へNFを掛けることが出来ます。しかし
この場合ヒータートランスが必要となります。であれば最初から50BM8を使った方が
良いわけで、前段足しは50EH5には向きません。やはり単段使用が宜しいようで。

468: RW-2 :2021/05/08(土) 13:32:20 HOST:52.6.52.36.ap.yournet.ne.jp
単段2球ステレオアンプに繋がっているのは3年前に買った中華製のCDP。
いや、CDPではなくCPRM/VRモード対応リージョンフリーのDVDP。2980円。
23cm四方の高さ4cmの軽薄短小機ながら、どういうわけか艶っぽい音が。

当然CDも聴けるのですがやはりDVD/CPRM再生できるのがミソ。映像は
見ませんがBS放送の音楽番組をHDDに録画してDVDに落としてCDのように
音楽だけ愉しんでます。

昨日も淳子ちゃんと百恵ちゃんのベストを放送しましたのでGET。各16曲と
15曲。DVDに落とす前にHDD上でチャプター分割。そしますとDVD化したあと
CDのようにダイレクト選曲ができます。

こんな安物DVDP。オーディオ用のCDPよりも声が繊細で色っぽく、演奏の
キレ、アタック感も際立つのが不思議。単段球アンプと相性が良いのかも。

469: RW-2 :2021/05/09(日) 08:42:25 HOST:52.6.52.36.ap.yournet.ne.jp
『ザ・スター 松田聖子  振り向けば…聖子』という1983年にフジテレビが5週連続で
放送した番組をBS再放送から録画。それをチャプター分割してDVD化しましたよ〜。

番組は聖子ちゃんがヒット曲ごとに色々カラフル綺麗な衣装をまとっての無観客ライヴ
のような作り。実力者だけあって口パクではなく実際の歌唱にバック演奏も素晴らしい。

何が良いのかといいますとシングル発表の音源ではなく、ライブ歌唱のために歌い方が
違う。歌声発声の強弱、スピード感とタメ、コブシ。映像要らずのパフォーマンスです。

単段無帰還5極管アンプなんておよそ今のHi-Fiからかけ離れた性能なんですけど、その
抑圧されてない、軽快な都会的シズル感がポップス系に似合うんですねェ。高能率フル
レンジのゲンコツ親分で聴きましたが声が艶っぽくリアルです。♪「love song」泣けます。

こちらも凄いよ〜。サウナ状態でのライヴ。ttps://www.youtube.com/watch?v=-5Ll1TykO80

470: QS :2021/06/02(水) 21:46:30 HOST:51.211.49.163.rev.vmobile.jp
他スレに書きました続きをこちらに…
WE300B新作がpairで164500円程します。(WE直販価格)
高槻電器のTA300Bが180000くらい。
良い意味で別物と考えて高槻のにしますか?
高槻は205Dをコピーすべきだと思っています。
1企業の損得だけではなく、国内で製造出来る基盤は残って欲しいです。
WEが復刻してくれるのがベストなのは確かですが。

471: QS :2021/06/03(木) 18:50:49 HOST:55.214.49.163.rev.vmobile.jp
WEは88の300Bを持ってますが、使わず(アンプ作らず)仕舞いのまま。
いっそ、それを売って新しいのを買い直す手も?と考えたり(笑)
所有欲て訳でもないけど、一旦手放したらたぶん二度と会えないシロモノです。
300Bの他に最近45と71Aのバルーンを元箱入りで入手しました。
これも良し悪しで、未使用新品?は勿体なくて使えない気分。
数年前入手した未使用新品の755Eしかり。
宝の持ち腐れとは、よく言ったものです。
ま、そういう人間が居るから、今工場から出てきたような遺物が残るんですよね。
しかし245にしても271Aにしても大戦を挟んで約90年、何処で寝てたのでしょうか?
なんだかんだ言ってもアメリカは広いです。

472: QS :2021/06/03(木) 18:51:36 HOST:55.214.49.163.rev.vmobile.jp
WEは88の300Bを持ってますが、使わず(アンプ作らず)仕舞いのまま。
いっそ、それを売って新しいのを買い直す手も?と考えたり(笑)
所有欲て訳でもないけど、一旦手放したらたぶん二度と会えないシロモノです。
300Bの他に最近45と71Aのバルーンを元箱入りで入手しました。
これも良し悪しで、未使用新品?は勿体なくて使えない気分。
数年前入手した未使用新品の755Eしかり。
宝の持ち腐れとは、よく言ったものです。
ま、そういう人間が居るから、今工場から出てきたような遺物が残るんですよね。
しかし245にしても271Aにしても大戦を挟んで約90年、何処で寝てたのでしょうか?
なんだかんだ言ってもアメリカは広いです。

473: RW-2 :2021/06/04(金) 03:51:41 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
画像板に載せた自作NWの写真にキースター(KESTER "44")の1ポンド巻きが写ってます。
旧型は別として入手がしやすい今様タイプはD.O.M記載を見ると製造年月日が判ります。

D.O.Mはデータ・オブ・マニュファクチュアで製造年月日。8/25/04なら2004年の8月25日
製造となります。最近のモノはMAY/12/14というような記載もありますし、09/2006もあり。
いずれにせよロットナンバーまで記載されてます。鉛を使ってますから管理は厳重です。

474: RW-2 :2021/08/27(金) 18:22:37 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
昔作った真空管アンプのケミコン交換なんかしとります。チューブラー型が
入手困難になってますからラジアル型(自立型)を使ったりしてますが、大変
小型になってますので逆に座りが悪し。400V/33μFで親指の先くらいしかない。

475: RW-2 :2021/09/07(火) 14:31:11 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
2月に裏板に投稿したくだんの単段パワーアンプ。半年が過ぎますます好調。
松下の電源平滑コンと松尾電機のカソードパスコンがエージングされて馴染
んだんでしょね。音がますますクリアになりで潤いも出てきました。素子が少
ないので個の特徴が出やすいのでしょう。

にしても多極管でチョーク無しの無帰還なのにハムもノイズもほとんど気に
ならないのは配線の妙では無くて、50EH5の特徴なんでしょう。なのでメーカー
にも多用されたと。パワーは1W+1W程度ですけど相当なる音量が出てます。

476: 前期 :2021/09/07(火) 17:35:05 HOST:h163-058-241-073.hikari.itscom.jp
>チョーク無しの無帰還なのにハムもノイズもほとんど

オルソン・アンプがそうらしいですね。
定数を吟味して配線を教科書どおりにやればうまく行くということですかね?

477: RW-2 :2021/09/08(水) 10:29:57 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
あの時代6F6あたりは掃いて捨てるほどあって、ペア取りクワッド取りも簡単だった
んでしょね。なので4本まとめてカソード抵抗1本で済ませられた。上手く打ち消し
あってハムが少なかったんでしょね。

その点シングルは腫れ物に触るように敏感。昔6V6で作った時に多極管だからハムは
出ないべとチョーク入れずに作ったら盛大なハムが出て解体。小さく作り過ぎたのも
ありますけどね。6BQ5で作ったときはチョーク無しでもハムは少なかったのにさ。

478: 前期 :2021/09/08(水) 12:55:05 HOST:h163-058-241-073.hikari.itscom.jp
>上手く打ち消しあってハムが少なかったんでしょね。

キモみたいですね。
一本が逝かれると残り3本も道連れになるからと言う理由で各球に独立した
カソード抵抗を入れるべしと仰る教祖さまもいらっしゃいますが・・・

479: RW-2 :2021/09/08(水) 20:34:21 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
今じゃ各球独立カソード抵抗で作るしかないんでしょね。RCAの特性揃い6F6のクワッドを
2組 計8本選別するにゃ最低20本くらい用意せにゃなりません。これは大変な負担でしょ。
独立カソードにて抵抗器3個とパスコン3個増えたところで球1本分以下の出費で済みます。

独立カソードにしときゃ極端な話し球メーカーがバラバラでもそう酷い音にはならんでしょ。

裏技ですけど、同じカップリングコンが2個しかない場合は別種のカップリングコン2個とで
使うのです。RチャンネルにAメーカー、LチャンネルにBメーカーはご法度。R・Lの上側に
Aメーカー、R・Lの下側にBメーカーを使うわけです。それぞれの特徴が合体して意外に宜し。
人間の耳なんてそんなもんです。

480: 前期 :2021/09/09(木) 10:17:01 HOST:h163-058-241-073.hikari.itscom.jp
>>479

仰るとおりですね。
アンプの教科書には必ずと言って良いほど登場する有名なアンプですが
あの回路なりの時代背景があるのでしょう。
もともと家庭用のアンプということで特段の高性能を狙ったものでもない
と想像しますし米国らしいPragmatismの産物と言えなくもありません。
むしろ我々自作派の間では裸疑で展開された論争のほうが話題になりますた。

481: RW-2 :2021/09/09(木) 12:12:55 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
あの当時は50とか2A3は高価でしょ。6F6なんかタダみたいなもんですから8球使っても
2A3のぺアより安い。で、出力は2倍の6〜7Wは出る。しかもペン音じゃなく3極管接続。
チョークも要らない。工作が手間ですけどアンプなんてものは自作の時代でしたから。

昔拾い集めた42が20本ばかりあるので何時かはオルソンと思ってはいるんですけどね。
ttps://535.teacup.com/knisi/bbs/8002

482: 私の息子はEL34 :2021/09/09(木) 23:25:17 HOST:124-159-106-45.ppp.bbiq.jp
HEY GUYS

漏れの上杉モノラルアンポは無帰還でLUXのチョーク4605を2ヶ使っています。
出力管EL34がペアチュ〜ブでない場合を想定した設計の上杉氏の個性が
出鳥ます。

COMING SOON。

483: RW-2 :2021/09/10(金) 11:16:15 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
上杉さんも新鋭の頃(エ口イカ電子から上杉研究所設立以前)はNFBがアンプを制すっ
てな大NFB進言者で、製作記事も20dB以上のNFをドカンドカンと掛けておりました。

あまり相手にされなかったためか、それともNFBの功罪が判ったためか以後は消沈。
上杉アンプはアース母線を一直線に引き、パッツンパッツンの配線。好き嫌いが
分かれます。見栄えは良いのですけどWE式の余剰配線の方がメンテはしやすいもんね

484: 前期 :2021/09/10(金) 12:46:25 HOST:h163-058-241-073.hikari.itscom.jp
WEの配線というのはなんとなくアナログ電話交換機風ですね。
ご指摘のとおりメンテに配慮しているところはやはり育ちなんでしょうね。

485: RW-2 :2021/09/11(土) 18:24:08 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
>WEの配線

NTTやNECの業務機械もそっくり。提携や指導の賜物。昔のヤマハのエレクトーンや
アナログシンセの内部配線も。配線材を束ねて紐でレーシングしておりましたよ〜。

廃棄されるエレクトーンがある時には連絡貰って、内蔵スピーカー(アルニコ30cm
フルレンジ)と内部配線材をごっそり奪取しとりました。配線材は色とりどりで太さも
各種大量に入っとります。シールド線多し。スピーカーは転売と。アコギな奴よ。

486: 前期 :2021/09/11(土) 21:25:31 HOST:h163-058-241-073.hikari.itscom.jp
>束ねて紐でレーシング

そして荷札(?)がついてましたね。
その束が回路図のどこに相当するか一目でわかる。
故障時の対応が簡単にできたでしょう。
プロ機はメンテのしやすさも大切ですものね。

487: RW-2 :2021/09/23(木) 12:52:51 HOST:83.231.105.175.ap.yournet.ne.jp
知人から211アンプの製造中と電話がきました。拙者も昔作って堪能しとりました。

GEのVT4C/211を使ってました。プレートには倍電圧電源で1000V。12BH7パラで励振。
今だったらトランスドライブで振るでしょう。子供に危ないので売っちゃいました。

211は凄い音でした。強靭でハイスピードな低域。中域のヌケと高域の強烈な浸透力。
高圧トリタン送信管でしか味わえない音です。その後VT62/801Aが29年居座ってます。


https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1412812634/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1193.html#c2

[近代史5] 最近話題の「共同富裕」が全然ダメな理由
09-24 最近話題の「共同富裕」がぜんぜんダメな理由
2021/09/24




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1130.html

[近代史5] 共産主義の歴史 中川隆
13. 中川隆[-16212] koaQ7Jey 2021年9月24日 08:54:08 : 1H0S8K0ZRI : ODR2ai5DRXRaUGM=[12]
09-24 最近話題の「共同富裕」がぜんぜんダメな理由
2021/09/24



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/590.html#c13
[近代史5] 小さな政府と大きな政府
小さな政府と大きな政府


09-24 最近話題の「共同富裕」が全然ダメな理由
2021/09/24




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1131.html

[近代史5] 北海道ツーリング
北海道ツーリング

only 5to6 - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCBb7CBnVRKhKM-BGtRNJLLA/videos
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1132.html

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ギョーム・デュファイ『ミサ曲 アヴェ・レジーナ・チェロールム』
ギョーム・デュファイ『ミサ曲 アヴェ・レジーナ・チェロールム』


Dufay / Missa Ave regina caelorum



 1.イントロイトゥス:「主の霊が地のすべてに」(グレゴリオ聖歌)  3:13
 2.キリエ  7:52
 3.グローリア  7:11
 4.アレルヤ:「来たれ精霊よ」(グレゴリオ聖歌)  2:39
 5.クレド  9:40
 6.オッフェルトリウム:「神よ確かなものにし給え」(グレゴリオ聖歌)  1:24
 7.サンクトゥス=ベネディクトゥス  7:21
 8.アニュスデイ  5:25
 9.コムニオ:「突然天から」(グレゴリオ聖歌) 1:20


ドミニク・ヴェラール指揮
バーゼル・スコラ・カントルム



Guillaume Dufay (1400-1474) - Missa Ave Regina Caelorum [Dominique Vellard]



1 IntroiTus.Spiritus Domini : 3' 10
2. Kyrie eleison: 7'45"
3. Gloria in excelsis Deo : 7 '07"
4. Alleluia, VeniSancteSpiritus: 2'36
5. Credo in unum Deum : 9/37'
6. Offertorium. Confirma hoc Deus
7. Sanctus : 7 '16
8. Agnus Dei : 5' 20"
9. Communio. Factus est: 1' 14


CantArte Regensburg, Hubert Velten


▲△▽▼


フランドル・ルネサンス


いつからをルネサンスとするのか、何をルネサンスの音楽と定義するのかというのは厳密に定められていませんが、年代で言うとだいたい1450年頃〜1600年頃のことで、その発祥は現在の東フランスからベルギーにかけての地域「フランドル」であると言って差し支えないかと思います。


ルネサンスの音楽を語るのに外せないふたりがいます。それは、ルネサンス音楽の父と称されるギョーム・デュファイ(1397年頃〜1474)と、ルネサンス音楽を完成させたとされるジョスカン・デ・プレ(1440年頃〜1511)です。


まずはデュファイの楽曲をご紹介します。


『Missa Ave regina caelorum(めでたし天の女王)』
北フランスで生まれたデュファイは、少年合唱団で音楽教育を受け才能を開花させました。ミサ曲、モテトゥス(ミサ曲以外のポリフォニーの宗教曲)、シャンソンを中心に生涯で約200曲を作曲。それまでの音楽とは違い、非常に自由で滑らかな旋律、柔らかいハーモニーを生み出しました。


こちらの『アヴェ・レジーナ・チェロールム』は、晩年の最高傑作と言われている4声ミサ曲です。
https://cosmusica.net/?p=2624

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/675.html

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ギョーム・デュファイ『ミサ曲 アヴェ・レジーナ・チェロールム』 中川隆
1. 中川隆[-16211] koaQ7Jey 2021年9月24日 19:43:15 : wQAt9qEPZ2 : YURVTzRHeWVZZzI=[1]
ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay 1400年頃 - 1474)

中世からルネサンスへの転換を図った音楽史上における非常に偉大な作曲家。曲はシンプルで聞きやすく分かりやすく、初めて聴いてすぐに気に入ったほどである。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29

ギヨーム・デュファイ(またはデュフェ、Guillaume du Fay、1397年8月5日 - 1474年11月27日)はルネサンス期のブルゴーニュ楽派の音楽家である。音楽の形式および精神の点で、中世西洋音楽からルネサンス音楽への転換を行なった音楽史上の巨匠である。

最近の説では、ブリュッセル近郊のベーアセル(Beersel)で1397年8月5日に生まれたと考えられている。1409年から1412年まで、少年合唱隊で教育を受け、才能を認められる。1414年、カンブレー近郊のSt.Géry(サンジェリー)教会で働きはじめる。1414年から18年までコンスタンツ公会議に同行し、1418年にカンブレに戻り副助祭となる。同年、イタリアのリミニ宮廷に移り本格的な作曲を始める。1424年に、カンブレに戻り、ラン大聖堂で副助祭であったと考えられている。1426年、イタリアのボローニャに移動し、1428年には司祭となる。その後、1433年までローマで教皇庁の歌手となる。1433年、サヴォワに移動し、ブルゴーニュ公やジル・バンショワと会う。1435年に再び教皇庁の歌手になるが、1436年サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ大聖堂)の献堂式のために「ばらの花が先頃」という曲を作っている。1437年に再びサヴォワに移動し、ブルゴーニュ公に仕え、その後、サヴォアとカンブレの間を行き来する。

1459年、カンブレに戻り、オケゲム、ビュノワと親交を持つほか、ジョスカン・デ・プレらとも接触したと考えられる。1474年11月27日没。

作品と作風
百年戦争の休戦期にイングランドのジョン・ダンスタブルが伝えた3度や6度の協和音程、フランスのイソリズムを含むポリフォニー音楽、青年期に接触した旋律優位のイタリア音楽(トレチェント音楽)を統合し、イタリアで活躍したフランドル人チコーニアなどの影響を受け、ルネサンス音楽を開拓した。

しばしば「ルネサンス音楽におけるバッハ」(皆川達夫)、15世紀最大の巨匠と評価される。

バッハがバロック音楽時代の最盛期から終期に活躍したのに対し、デュファイはルネサンス音楽の開始にあたって大きな貢献をした。したがって、デュファイの初期から晩年までの作風の変化を追ってゆくと、中世的要素が、その後の創作活動を通じてルネサンス音楽へと成熟してゆく過程を跡付けることが、ある程度まで可能である。ブルゴーニュ楽派の中心的人物であるが、その後期の作品には、ルネサンス音楽の次の時代でありヨーロッパ普遍の音楽様式を確立するフランドル楽派に通じる要素も見られる。


デュファイ作曲 Ave maris stellaのFauxbourdon。2声目にフォーブルドンの技法が用いられている。
宗教作品(76のモテット、9のミサ曲)と83の世俗作品(シャンソン、バラード、ロンドー)の約200曲の作品が知られている。

デュファイ以前のミサ曲が三声だったのに対して、その中期の作品から四声を主に用いるようになった。更に、各楽章を同じ冒頭モチーフで始まるようにした。デュファイ後のミサ曲の多くは、循環ミサ曲の形態をとるが、この形態を確立したのはデュファイであるといってよい。フォーブルドンFauxbourdonと呼ばれる和音の手法を用いた聖歌にも特徴がある。シャンソンには、親しみやすいメロディーを持つものが多い。レクイエムも作曲したが、その作品は失われたままになっている。デュファイの音楽には、その音楽的形式だけでなく、ルネサンス的な「人間」を感じさせる表現があるのが特徴である。

作品一覧
ミサ曲
ミサ「目を覚ましなさい」 (Missa Resvellies vous):3声のミサ曲。ミサ・シネ・ノミネとして知られる。Missa Sancti Jacobiとともに、1440年以前に作曲された中世的性格の強い初期の作品である。
聖ヤコブのミサ曲 (Missa Sancti Jacobi):3声と4声。
ミサ「Missa Sancti Anthonii Vienensis」(デュファイの遺言書にある。トレント写本中にあるミサ曲であると言われている。)
パドヴァの聖アントニウスのミサ曲 (Missa Sancti Anthonii de Padua):トレント写本中にあるミサ曲で、最近になってデュファイの作品と同定され、演奏や録音が行われるようになった美しいミサ曲である。
ミサ「ス・ラ・ファス・エ・パル」(Missa Se la face ay pale):(私の顔が青ざめているのは)デュファイ自身の作曲によるシャンソン「Se la face ay pale」を定旋律にした4声の循環ミサ曲の代表作。世俗曲を定旋律にした循環ミサ曲としては、最古のもの。1450年頃、サヴォワのシャーロッテとフランスのドーフィン・ルイとの結婚式のために作曲されたと考えられる。
ミサ「ロム・アルメ」(Missa L'homme arme):(武装した人)ルネサンス期に流行した俗謡「ロム・アルメ」を主題にした4声循環ミサ曲。
ミサ「エッチェ・アンチルラ・ドミニ」(Missa Ecce ancilla domini):(見よ主のはしためを)深い雰囲気を持つ4声ミサ曲で、録音も多い。
ミサ「アヴェ・レジーナ・チェロールム」(Missa Ave regina caelorum):(めでたし天の女王)デュファイ晩年の最高傑作のひとつといわれる4声ミサ曲。フランドル楽派に通じる要素が見られる。また、長調と短調の対立が見られ、近代音楽の様相さえみせる。
なお、デュファイのものと言われていたミサ・カプト (Missa Caput) は、疑作と考えられている。

モテット
おお、聖セバスティアヌスよ (O sancte Sebastiane)
ばらの花が先頃 (Nuper rosarum flores)
忠実な教会の都ローマ (Ecclesiae militantis)
喜べ、ビザンツ帝国の妃 (Vasilissa ergo gaude)
おお輝きわたる宝石 (O gemma, lux et speculum)
誉れある使徒に (Apostolo glorioso, Da electo)
人にとって最もよきもの (Supremum est mortalibus bonum)
めでたし、トスカナ人の花 (Salve flos Tusce gentis)
度量ある人々の称賛を (Magnanime gentis laudes)
神の教会の輝ける星 (Fulgens iubar eccelesie Dei)
キリストと共にあるヨハネ (Moribus et genere Christo coniuncte Johannes)
讃えられん、天にいます乙女よ (Ave Virgo quae de caelis)
花の中の花 (Flos florum)
この喜ばしき世界は (Hic iocundus sumit mundus)
知られたる海の星 (Inclita stella maris)
このフィレンツェの町は (Mirandas parit hec urbs florentina)
バルサムと上品なる蝋が (Balsamus et munda cera/Isti sunt agni novelli)
おお、祝福されしセバスティアヌスよ (O beate Sebastiane)
おお、イスパニアの後裔/おお、イスパニアの星 (O proles Yspanie/O sidus Yspanie)

世俗作品
さようならわが恋よ、さようならわが歓びよ (Adieu m'amour, adieu ma joye)
年を迎えたこの日 (Ce jour de l'an)
よい日、よい月、よい年、そして何かよいこと (Bon Jour, bon mois, bon an et bonne ectraine)
月は5月、いざ楽しもう、心も軽く (Ce moys de may soyons lies et joyeux)
さあ、友だちよ、目を覚まそうよ (He, compaignons, resvelons nous)
私の顔が青ざめているのは (Se la face ay pale)
コンスタンチノープル教会の聖母の嘆き (Lamentatio Sanctae Matris Ecclesiae Constantinopolitanae)
黄金のように美しく気高い聖母マリアよ (Dona gentile, bella come l'oro)
さらばラノワのよき酒 (Adieu ces bons vin de Lannoys)
美しい人よどんな過ちを犯したのか、この私が (Belle, que vous ay ie mesfait)
心を込めて、お仕えせねばなりませぬ (Bien doy servir de volente entiere)
早くやっておいで、恋の喜びよ (Bien veignes vous, amoureuse liesse)
私はもうかつての私ではない (Je ne suy plus tel que souloye)
あなたほどのお人を私はまだ見たこともない (Je ne vis onques la pareille)
デュファイの世俗作品は宗教曲に比べ、顧みられることが少ないがロンドン中世アンサンブルの世俗音楽全集によって一躍有名になった。このアルバムはデュファイの音楽の全体像を知る上でも、画期的な記念碑であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4


http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/675.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハネス・オケゲム『ミサ・プロラツィオーヌム』
ヨハネス・オケゲム『ミサ・プロラツィオーヌム』


Ockeghem, Missa prolationum



Missa prolationum
The Hilliard Ensemble, Paul Hillier (bass/director)



Johannes Ockeghem - Missa Prolationum & Marian motets - The Hilliard Ensemble



Hilliard Ensemble/Paul Hillier/David James/John Potter/Mark Padmore/Gordon Jones


▲△▽▼


☆カノンとは何ぞや?:♪ミサ・プロラツィオーヌム - ヨハネス・オケゲム


「カノン≒輪唱」だそうです...知らなかった(汗)。
ジャケットは、オケゲムの「死者のためのミサほか(2CD)」(2010年/録音:1984年、1988年)。演奏は、ポール・ヒリヤー指揮/ヒリヤード・アンサンブル。


まずはルネサンス期の作曲家ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, 1410年頃〜1497年)について簡単に。彼はフランドル楽派初期の指導的な作曲家だそうで、現存する作品は少なくこのアルバムにも収められている「死者のためのミサ曲(Missa pro Defunctis)」、「ミサ・ミ・ミ(Missa Mi-mi[Presque transi])」「ミサ・プロラツィオーヌム:種々の比率のミサ曲(Missa Prolationum)」などは代表作として上げられるとのこと。


オケゲムは始めて聴く作曲家だったのでただひたすら聴いてみたのですがその中で何気に印象に残った作品が「ミサ・プロラツィオーヌム」。なので、その作品を調べていたら「比例カノンを用いた驚異的な作品...」とあって、実はそこで「カノンとは何ぞや?」となったわけですね。


以下「カノン」についてウィキペディアより抜粋。
「カノン(canon) は、複数の声部が同じ旋律を異なる時点からそれぞれ開始して演奏する様式の曲を指す。ポリフォニーの一つの典型である。一般に輪唱と訳されるが、輪唱が全く同じ旋律を追唱するのに対し、カノンでは、異なる音で始まるものが含まれる。また、リズムが2倍になったり、上下または左右(時間の前後)が逆になったような特殊なものをも含む。」


「輪唱」と言えば私にはやはり「♬静かな湖畔の森の影から...」が懐かしいですが(笑)、この「ミサ・プロラツィオーヌム」は同じような旋律がわかってもなかなか「輪唱」を認識するのは難しい。やっぱり童謡の経験だけじゃ無理ですかね(汗)。とりあえず今回の音源には譜面が載っているようなので読める方は参考にしてみてください。


ちなみに「カノン」と言えば何といっても「パッヘルベルのカノン」が有名ですが、こちらは「3つの声部が全く同じ旋律を追唱し(ただし同時に終わるために最後がカットされる声部がある)それに伴奏が付けられたものである。」(ウィキペディアより)とあるように、何度か聴いて見ましたが何となく「輪唱」の雰囲気は伝わってきます。「ミサ・プロラツィオーヌム」よりは遙かにわかりやすいですね。


で、思ったのですが、この「カノン」という技法はその音楽に独特のハーモニーやある種のノリというかグルーブ感を生み出していて、その音楽を引き立てる効果があるんじゃないかなぁと。「パッヘルベルのカノン」が人気作となっているのも旋律の魅力だけではない何かがそこにあるのかもしれないですね。今回まったく初めて聴いたオケゲムの作品の中から「ミサ・プロラツィオーヌム」に魅力を感じたのももしかしたら「カノン」によるところが大きかったのかもしれません。


そんな「カノン」で作られている(らしい...汗)「ミサ・プロラツィオーヌム」、なかなか美しい作品なので一度トライしてみてくださいね!
https://musicmaniac.at.webry.info/201610/article_16.html

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/676.html

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハネス・オケゲム『ミサ・プロラツィオーヌム』 中川隆
1. 中川隆[-16210] koaQ7Jey 2021年9月24日 20:12:12 : wQAt9qEPZ2 : YURVTzRHeWVZZzI=[2]

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, 1410年頃 - 1497)

デュファイの次世代の超大物。デュファイの音楽を発展させたかのような新しさを響きから感じる。デュファイ同様に分かりやすくてすぐに気に入った。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29


ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, 1410年頃 - 1497年2月6日)は、フランドル楽派初期の指導的な作曲家である。しばしば、デュファイとジョスカン・デ・プレの間の世代で最も重要な作曲家と看做されている。この時代の作曲家には典型的なことではあるのだが、デュファイやジョスカンなどと比べても生涯については不明な点が多く、大半の作品の作曲の背景、年代なども数曲を除いて未確認である。

オケゲムの出生地は最近の研究によって現在のベルギーのエノー州サン=ギラン(Saint-Ghislain)であることが明らかにされた。以前の伝記においては、オケゲムはブルゴーニュ公国の出身で、フランドル東部(現ベルギー領)のオケヘムかその隣町テルモンドの出身と言われてきた。幼年期については伝わっておらず、生没の日付は不明なので、ふつうは詩人クレタンCrétin が作曲家の最期に寄せたコメント(「けしからぬことだ、彼ほどの才能の作曲家が100歳にならずして世を去らねばならぬとは」)から割り出されてきた。当時の多くの作曲家のようにオケゲムも教会楽長を振り出しに音楽活動に入っており、オケゲムの名前の最初の記録は、アントウェルペンのノートルダム寺院に残されている(1443年〜1444年採用)。1446年から1448年には、フランスのブルボン公シャルル1世にムーランで仕えた。1452年ごろにパリに移り、フランス宮廷楽長ならびにトゥールのサン・マルタン寺院の出納方に就任した。フランス宮廷での――シャルル7世とルイ11世への――仕官に加えて、ノートルダム寺院や聖ブノワ寺院にも職務を得た。1470年には、ギュイエンヌ公シャルル(ルイ11世の弟)からカスティーリャ王女イサベルへの求婚の意を託されて、イベリア半島を訪れた。ルイ11世が1483年に没してからは、オケゲムの所在は不明になるが、それでもブルッヘやトゥールを訪ねており、後者で遺言を残していることからすると、おそらくその地で没したのだろう。生前から「我等の良き父」と人々の尊敬と信頼を勝ち得ていたオケゲムの死は多くの人々を悲観させた。その証拠に当時の多くの著名な作曲家たちが、哀悼歌をオケゲムにささげている。

オケゲムはバンショワに師事したようだが、ブルゴーニュでの両者のつながりは、まさに取るに足りないものだった。アントワーヌ・ビュノワが1467年より前に、オケゲムを称えるモテットを作曲しているので、もしかするとこの両者に面識があったのかもしれない。

オケゲムの作曲様式は、旧世代のそれとはかなりかけ離れているものの、作曲技法の根本を旧世代に負っているかもしれず、そうだとすればオケゲムは、ブルゴーニュ楽派と、次世代のネーデルランド楽派、例えばヤーコプ・オブレヒトやジョスカンとを直接に橋渡しした存在であると見なせよう。

作品
現存する作品はごくわずかで、14のミサ曲、レクィエム、9つのモテット、バンショワ追悼のシャンソン・モテット、21のシャンソンだけである。オケゲムのミサ曲のうち13曲は、15世紀後期の筆写譜集「キージ写本Chigi codex」によって伝承されている。

《死者のためのミサ曲 Missa pro Defunctis》は、現存する最古のポリフォニックなレクィエムである。

ごくわずかの現存する作品に加えて、いくつか偽作もまじっている。例えば、技巧を凝らした謎の力作、36声部のための《デオ・グラティアス(主に感謝せよ) Deo gratias 》は、他人による作品の見込みが極めて高いが、真相はやぶの中である。シャンソンやモテットのうち、原典においては作者が記名されていないものの、作曲様式の観点からオケゲム作といわれてきたものが数曲ある。

ジョスカン・デ・プレに強い影響を与えたように、オケゲムは表情豊かな音楽と作曲技法の熟練によって、ヨーロッパ全土で有名だった。その辣腕ぶりは、比例カノンを用いた驚異的な《ミサ・プロラツィオーヌム(種々の比率のミサ曲)Missa Prolationum》においてとりわけ一目瞭然である。

また、《ミサ・クィユスヴィス・トニ(任意の旋法によるミサ曲)Missa cuiusvis toni》はありとあらゆる旋法で演奏することができる。だがこれらの傑作を生み出させた作曲技法は、声域についての洞察力や、他の追随を許さない表現力に富んだ音楽言語を物語っているのである。オケゲム自身が著名なバス歌手だったことから、オケゲムのバスの旋律線は確かに込み入っている。これこそが、オケゲムが他のフランドル楽派の作曲家と一線を画する点であろう。

ジョスカン・デプレはジャン・モリネの詩「森の精霊たちよ Nimphes des bois」によって、《オケゲム追悼の哀歌 La déploration de la mort de Johannes Ockeghem》を作曲した。


ミサ曲/断章
"Missa Au teavail suis" 《ミサ・オー・トラヴァイユ・シュイ(ミサ曲「私が悩んでいる事を」)》
"Missa Caput" 《ミサ・カプト》
"Missa cuiusvis toni 《ミサ・クユスヴィス・トニ(任意の旋法によるミサ曲)》
"Missa De plus en plus" 《ミサ・ド・プリュ・ザン・プリュ(ミサ曲「だんだんと」)》
"Missa Ecce ancilla Domini" 《ミサ・エッチェ・アンチルラ・ドミニ(ミサ曲「われは主のはしためなり」)》
"Missa Fors seulement" 《ミサ・フォール・スルマン(ミサ曲「今はもう、ただ死を心待ちに」)》
"Missa L'homme armé" 《ミサ・ロム・アルメ(ミサ曲「武装した人」)》
"Missa Ma Maistresse" 《ミサ・マ・メストレス》
"Missa Mi-mi"("Presque transi") 《ミサ・ミ・ミ》(プレスク・トランジ)
"Missa prolationum" 《ミサ・プロラツィオーヌム(種々の比率によるミサ曲)》
"Missa pro defunctis" 《ミサ・プロ・デフンクティス(死者のためのミサ曲)》
"Missa quinti toni" 《ミサ・クインティ・トニ(第5旋法によるミサ曲)》
"Missa sine nomine" I (a3) 《ミサ・シネ・ノミネ,第1番(3声)》
"Missa sine nomine" II (a5) 《ミサ・シネ・ノミネ,第2番(5声)》
"Credo sine nomine" ("De Village") 《クレド・シネ・ノミネ》(ド・ヴィレジ)

モテット
"Alma Redemptoris mater"
"Ave Maria"
"Intemerata Dei mater"
"Salve regina" I
"Salve regina" II(偽作?)
"Ut heremita solus"

世俗歌曲
ロンドー "Aultre Vénus estes sans faille"
ロンドー "Au travail suis"
ロンドー "D'un aultre amer"
ロンドー "Fors seulement I'acftente"
ヴィルレー OCKEGHEM Ma bouche rit.mid Ma bouche rit[ヘルプ/ファイル]
モテット "Mort tu as navré de ton dart"
バッラータ "O rosa bella"
ロンドー "Prenez sur moy vostre exemple amoureux"
ヴィルレー "Presque transi"
ロンドー "S'elle m'amera je ne sçay / Petite Camusette"
ヴィルレー "Tant fuz gentement resjouy"

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B1%E3%82%B2%E3%83%A0
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/676.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ『降誕祭前夜のミサ曲(真夜中のミサ曲』
マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ『降誕祭前夜のミサ曲(真夜中のミサ曲』


Marc-Antoine Charpentier: Messe de minuit pour Noël



Kyrie • 4:24 Gloria • 11:14 Credo • 23:43 Sanctus & Benedictus • 26:34 Agnus Dei


Kyrie
Kyrie eleison. [Lord, have mercy.]
Christe eleison. [Christ, have mercy.]
Kyrie eleison. [Lord, have mercy.]


Gloria
Gloria in excelsis Deo [Glory to God in the highest]
et in terra pax hominibus bonae voluntatis [and peace on earth to men of goodwill.]
Laudamus te, benedicimus te, [We praise you, we bless you,]
adoramus te, glorifi camus te. [we worship you, we glorify you.]
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam. [We give thanks for your great glory.]
Domine Deus, rex coelestis, [Lord God, heavenly King,]
Deus pater, Deus omnipotens. [almighty God and Father.]
Domine fi li unigenite, Jesu Christe, [Lord Jesus Christ, only Son of the Father.]
Domine Deus, agnus Dei, fi lius patris. [Lord God, Lamb of God, Son of the Father.]
Qui tollis peccata mundi, [You take away the sins of the world,]
miserere nobis. [have mercy on us.]
Qui tollis peccata mundi, [You take away the sins of the world,]
suscipe deprecationem nostram. [receive our prayer.]
Qui sedes ad dexteram patris [You are seated at the right hand of the Father,]
miserere nobis. [have mercy on us.]
Quoniam tu solus Sanctus [For you alone are the Holy One,]
tu solus Dominus [you alone are the Lord,]
tu solus Altissimus [you alone are the Most High,]
Jesu Christe. [Jesus Christ.]
Cum Sancto Spiritu [With the Holy Spirit,]
in gloria Dei patris. [in the glory of God the Father.]
Amen.

Credo
Credo in unum Deum, patrem omnipotentem [I believe in one God, the almighty Father,]
factorum coeli et terrae [maker of heaven and earth,]
visibilium omnium [of all that is, seen]
et invisibilium. [and unseen.]
Et in unum dominum, Jesum Christum fi lium [And I believe in one Lord, Jesus Christ,]
Dei unigenitum, [the only Son of God,]
et ex patre natum ante omnia saecuala. [eternally begotten of the Father.]
Deum de Deo, lumen de lumine, [God from God, light from light,]
Deum verum de Deo vero, [true God from true God,]
Genitum, non factum, consubstantialem patri [begotten, not made, of one being with the Father:]
per quem omnia facta sunt. [through him all things were made.]
Qui propter nos homines [For our sake]
et propter nostram salutem [and for our salvation]
descendit de coelis. [he came down from heaven.]
Et incarnatus est de Spiritu Sancto [By the power of the Holy Spirit he became incarnate]
ex Maria Virgine et homo factus est. [of the Virgin Mary and was made man.]
Crucifi xus etiam pro nobis [For our sake he was crucifi ed]
sub Pontio Pilato, passus et sepultus est. [under Pontius Pilate; he suffered and was buried.]
Et resurrexit tertia die [On the third day he rose again]
secundum scripturas. [in accordance with the Scriptures.]
Et ascendit in coelum [He ascended into heaven]
sedet ad dexteram patris [and is seated at the right hand of the Father.].
Et iterum venturus est cum Gloria [He will come again in glory]
judicare vivos et mortuos [to judge the living and the dead,]
cujus regni non erit fi nis. [and his kingdom will have no end.]
Et in Spiritum Sanctum [And I believe in the Holy Spirit,]
Dominum et vivifi cantem [the Lord, the giver of life;]
qui ex patre fi lioque procedit [who proceeds from the Father and the Son.]
qui cum patre et fi lio [With the Father and the Son]
simul adoratur et glorif catur. [he is worshipped and glorifi ed.]
Qui locutus est per prophetas. [He has spoken through the prophets.]


Et unam Sanctam Catholicam [And I believe in one holy, catholic]
et Apostolicam Ecclesiam. [and apostolic church.]
Confi teor unum baptisma [I acknowledge one baptism]
in remissionem peccatorum. [for the forgiveness of sins.]
Et expecto, resurrectionem mortuorum [I look for the resurrection of the dead,]
et vitam venturi saeculi. [and the life of the world to come.]
Amen.


Sanctus
Sanctus, Sanctus, Sanctus, [Holy, Holy, Holy]
Dominus Deus Sabaoth. [Lord God of Hosts.]
Pleni sunt coeli et terra gloria tua. [Heaven and earth are full of your glory.]
Hosanna in excelsis. [Hosanna in the highest.]


Benedictus
Benedictus qui venit in nomine Domine. [Blessed is He who comes in the name of the Lord.]
Hosanna in excelsis. [Hosanna in the highest.]


Agnus Dei
Agnus Dei qui tollis peccata mundi [Lamb of God, you take away the sins of the world;]
miserere nobis. [have mercy on us.]


George Guest, Choir of St. Johns College, Cambridge, City Of London Sinfonia



M.A.Charpentier Messe de Minuit pour Noel



Jane Archibald, Estaban Cambre, Aradia Ensemble, Kevin Mallon, Michele de Boer, Anne L'Esperance, Marion Newman, Nancy Reynolds, Colin Ainsworth, James McLennan


▲△▽▼


マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier, 1643 - 1704)


すごく好き。発想力とセンスと音感の良さがすごい。現代になって重要性が再認識されたそうだ。自分は17世紀を代表する大作曲家の一人と思っている。


降誕祭前夜のミサ曲(真夜中のミサ曲)Messe de Minuit pour Noël (H. 9, c. 1690)
4点
とてもいい曲。どの曲も美しくて華があり辛気臭さが少ない。


テ・デウム ニ長調Te Deum (H. 146, c. 1690)
4点
なんという華やかさだろう。本当に明るく楽しくウキウキした気分になる。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29

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[近代史6] 最美の音楽は何か? _ マルク=アントワーヌ・シャルパンティエ『降誕祭前夜のミサ曲(真夜中のミサ曲』 中川隆
1. 中川隆[-16209] koaQ7Jey 2021年9月24日 20:37:59 : wQAt9qEPZ2 : YURVTzRHeWVZZzI=[3]
マルカントワーヌ・シャルパンティエまたはマルク=アントワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier, 1643年 - 1704年2月24日)はフランス盛期バロック音楽を代表する作曲家。多作で洗練された作曲家であり、ジャン=バティスト・リュリと同時代の人である。フランス宮廷とほとんど関連を持たず、現代になって重要性が再認識されたため、生涯や経歴に不明な点が多い。遺された作品では、特に宗教音楽を重要視されている。

パリまたはパリ郊外に生まれる。生い立ちについてはほとんど不明であり、生年月日でさえ謎である。「青年」時代にローマに留学したことは明らかだが、その期間は1662年から1667年の間であったと推測される。ローマでジャコモ・カリッシミに師事。古い伝説によると、画学生としてローマに留学したところ、老大家のカリッシミに楽才を見出されたというが、文献では画才があったという裏づけはない。同時代のイタリアの習慣を熟知しており、それをフランスに持ち帰ったというのは確かである。

おそらく、フランスに帰ってギーズ公爵夫人マリー(Marie de Guise, 1615年 - 1688年)に、楽長および歌手として、彼女の没する1688年まで仕えた。この間に、相当数の劇的な宗教曲(詩篇唱、讃歌、マニフィカト、ミサ曲、モテット)を作曲した。シャルパンティエはモテットを、「オラトリオ」と混同して呼んでいた。

1672年ごろに、ジャン=バティスト・リュリと不和になったモリエールと協力関係に入る。1680年代は、パリのイエズス会系のサン・ルイ教会に楽長として奉職。さらに、シャルトル公フィリップの音楽教師を勤める。1698年にはサント・シャペルより楽長に任命され、1704年に没するまでその地位にあった。

この時期の最も有名な作品が、《テ・デウム ニ長調》(H 146)と《聖母被昇天ミサ曲 Mass "Assumpta Est Maria" 》(H 11)である。

作品

宗教曲のほかに、舞台音楽や、分類しにくい小品がたくさんある。それらの小品は、当時のイタリアのカンタータに似て、一つか二つの声楽パートと器楽のために作曲されており、楽種の名称を除けばほとんど共通点がある。シャルパンティエ自身はそれらの小品を「エール・セリユ(air sérieux 厳粛なアリア)」とか「air à boire」と呼んだ。これらはフランス語での表現であり、イタリア語ではカンタータと総称される。

シャルパンティエ作品は、音楽学者ヒュー・ウィリー・ヒチコックによって目録が作成された。このため、ヒチコック番号と呼ばれるHつきの整理番号がしばしば使われている。

《テ・デウム ニ長調》の前奏曲は、欧州放送連合で使われていることで有名で、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートやユーロヴィジョン歌唱コンテストの開始テーマにも使われている。

歌劇・舞台音楽
アシスとガラテアの恋 (Les amours d'Acis et Galatée, 1678)(消失)
オルフェウスの冥府下り (La descente d'Orphée aux enfers, 1686-1687)
パリスの審判 (Le Jugement de Pâris, 1690)
ピロメーラー (Philomele, 1690)(消失)
メデア (Médée, 1693)

宗教悲劇
ダビデとヨナタン (David & Jonathas, 1684)
聖チェルソ殉教者 (Celse, 1687)(台本のみ現存)

田園劇
アクテオン (Actéon, 1684)
フラワークラウン (La couronne de fleurs, 1685)
リュエルの饗宴 (La fête de Ruel, 1685)
笑って歌うべし〜羊飼いたちのいさかい (Il faut rire et chanter: Dispute de Bergers, 1685)
一陽来腹 (Le retour de printemps)(消失)
寸劇・羊飼いたちの対話 (Petite pastorale eglogue de bergers)

イタリア語による小田園劇
愛は勝るものはなし (Amor vince ogni cosa)
私の性悪キューピッド (Cupido perfido dentr'al mio cor)

牧歌劇
花咲ける芸術 (Les arts florissants)

抒情悲劇
キルケー (Circé, 1675)
アンドロメダ (Andromède, 1682)

コメディ
エスカルバニャス伯爵妃 (La comtesse d'Escarbagnas, 1672)
いやいやながら医者にされ (Le médecin malgré lui, 1672)
迷惑 (La Fâcheux, 1672)
よそ者 (L'Inconnu, 1675)
ヴィーナスとアドニスの恋 (Les Amours de Vénus et Adonis, 1685)

コメディ=バレ(舞踊喜劇)
無理強いの結婚 (Le mariage forcé, 1672)
病は気から (Le malade imaginaire, 1672)
シチリアの男、あるいは恋する絵描き (Le sicilien, 1679)

バレエ音楽
ポリュークト (Polyeucte(1679)

ディヴェルティスマン
ヴェルサイユの愉しみ (Les plaisirs de Versailles, 1682)
王の健康を讃える牧歌 (Idylle sur le retour de la santé du Roi, 1687)

幕間劇
女たちの勝利 (Le triomphe des dames, 1676)
賢者の石 (La pierre philosophale, 1681)
エンデュミオン (Endymion, 1681)
アンジェリークとメドルとの対話 (Dialogues d'Angélique et de Médor, 1685)

ソナタ
8声のソナタ (Sonates à huit)

エール、セレナータなど
バイエルン選帝侯マクシミリアン・エマヌエルを讃える祝婚歌 (Epithalamio in lode dell'Altezza Serenissima Elettorale di Massimilioano Emanuel Ducadi Baviera, H.473, 1685)

世俗モテット
シャルパンティエの墓碑銘 (Epitaphium Carpentarij, H.474)

宗教曲
降誕祭前夜のミサ曲(真夜中のミサ曲)(Messe de minuit pour noël, H.9, 1690)
聖母被昇天ミサ曲 (Missa assumpta est Maria, H.11, 1698-1702)
処女マリアへの連禱 (Litanies de la vierge, H.83, 1683-168)
テ・デウム ニ長調 (Te Deum, H.146, 1690)
主は言われた (Dixit Dominus, H.204)
主の御降誕のカンティクム (In nativitatem Domini canticum, H.416)
(3つの)ノエル (Noëls, H.5311680)
器楽合奏のためのノエル (Noëls pour les instruments, H.534, 1690)
聖水曜日のルソン・ド・テネーブル(H.96〜98)
聖木曜日のルソン・ド・テネーブル(H.102〜104)
四旬節のための瞑想 (Méditations pour le Carême, H.380〜89)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A8
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[番外地9] 誰も読まないコメントを書いても意味無いのがわからない知恵遅れ君だな
誰も読まないコメントを書いても意味無いのがわからない知恵遅れ君だな
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[番外地9] 「三橋信者は日本語が読めない」という事実、だから簡単に騙されるんだね
「三橋信者は日本語が読めない」という事実、だから簡単に騙されるんだね
若者になればなるほど、大部分が長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。長文は避けられる。今は「日本人の3分の1は日本語が読めない」のだが、そのうち日本人の半分は日本語が読めない世界に突入するのではないか?

「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実
昔から文章を読まない人は本当に読まない。私の知り合いの90%は本を読む習慣がないし、長文を読むのを嫌がる。長文は読めるが読みたくないのかと思ったら、そうではなくて「長文が読めない」人も相当数混じっているようだ。

塾講師や大学講師の経験則として「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」という人もいる。

さすがにそれはないだろうと思っていたのだが、最近は作家の橘玲《たちばな・あきら》氏が『無理ゲー社会』の中で、「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実を紹介して、私も大いに驚いたのだった。

「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実は別に橘玲氏が推測で言っているのではなく、経済協力開発機構の国際成人力調査の調査を紹介しているものである。

日経ビジネスもこれを取り上げていて、『日本人の3分の1は日本語が読めない!?  量産されるAI未満人材』の中で、以下のように綴っている。(日経ビジネス:日本人の3分の1は日本語が読めない!? )

日本人の現役世代の27.7%は「日本語読解力の習熟度がレベル2以下」で、例えば「図書館で目録を指示通りに検索し、指定された書名の著者を検索できない可能性」が高い。

高齢者の認知度が下がって日本語が読めないとか、小学校の勉強嫌いの子供が日本語をうまく読めないというのではない。「現役世代」が文章を読めないのだ。


長文はもはや「化石」のような存在になってしまった
今の時代、文学系の書籍は数千部売れたら良いところで、1万部でそこそこヒット、10万部は大ヒット、100万部も売れたら大流行作家である。

しかし、冷静に考えてみて欲しいのだが、日本の人口は1億2000万人である。その中の100万部など全体から見たら「たかが知れている」数字である。テレビの視聴率で言えば1%でしかない。1%の視聴率なら打ち切りレベルである。

出版社は「文字」で稼いでいない。出版社は「マンガ=映像」で稼いでいる。文字を読む人は少ないというのはデータとして出ているので、もともと「文字」に注力するのは不利だった。

その傾向がインターネットとスマートフォンの時代になって拍車がかかっている。

スマートフォンはとても小さなディスプレイである。これが主流なので、小説を読むにしても、「文字びっしり」の小説は敬遠される。そのため、まるでLINEの会話をそのまま写したのではないかと思うようなライトな小説が好まれる。

ニュースサイトでも本文を読む人よりも、見出しだけで判断する人の方が多い。さらに、ネットには文字が満ち溢れているように見えるのだが、すでにインターネットのメインストリームも文字ではなく動画やマンガに移っている。

インターネットは「文字が中心だった世界」の頃はマニアのもので、画像・動画が主流になってからやっと大衆《マス》のものになったと言える。長文はもはや「化石」のような存在になってしまっている。

当然だが、このままでは「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」とか「日本人の3分の1は日本語が読めない」という世界は、もっと悪化していく。そのうち、日本人の半分は日本語が読めないという世界に突入するのではないか?

読解力がなければ仕事で苦労するだろう。理解力がなければ能力も向上しないだろう。仕事では不利な立場に置かれることになり、やがてそれは収入にも反映されていくのだろう。しかし、日本語が読めない人たちが減ることはない。

この時代に相変わらず長文を書く人は一種の伝統工芸の職人
本を読む人口は一定数いる。文章をじっくり読む人が好きな層は、どんなに動画時代に入っても消えることはない。

私自身は子供の頃から典型的な「文字人間」で、私はマンガを読むのが苦手だし、テレビも見ないし、映画も見るときは何か義務感のようなものを感じて「娯楽として楽しむ」という姿勢になれない。

やはり文字が読みたいのである。それも、きちんとした文章が読みたい。

しかし、私のように「本を読むのが好きだ」というのは、狭い世界の「変わった趣味」になっており、決して世の中のメインストリームではない。テレビやYouTubeのような動画は世間に広く受け入れられるが長文は避けられる。

若者になればなるほど、大部分は長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。

長文は明確に避けられる。そして、長文が避けられ続けることによって、「長文が読めない」人が普通になっていき、長文が読める人の方がむしろ珍しくなっていく。

長文が読めないのだから、当然のことながら長文を書くこともできない。長文で書かれた大事な資料は長文で理解できない人が半分以上になるので、動画に置き換えられて要点が説明される方向に変わっていく。

つまり、長文の読解力が必要な場面になっても、長文が読まれるようになるのではなく、動画で説明される時代になるということだ。

そう考えると、この時代に相変わらず長文を書く人は一種の伝統工芸の職人で、それを読むことができるのは特殊技能を持った人という扱いになっていくのではないかとも思っている。

今後、「超」高度情報化社会に入るのに長文がどんどん避けられるのだから、私から見ると何か割り切れないものもある。しかし、超高度情報化社会の主役は動画になるというのは避けられない動きであり、時代が文字に戻ることはないだろう。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/838.html

[近代史6] 20世紀の作曲家
20世紀の作曲家


ドイツ・オーストリア(1860年以降) - クラシック音楽 一口感想メモ
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フランス(1890年以降) - クラシック音楽 一口感想メモ
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ロシア(1890年以降) - クラシック音楽 一口感想メモ
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イギリス - クラシック音楽 一口感想メモ
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イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ
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スペイン - クラシック音楽 一口感想メモ
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北欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
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東欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
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その他ヨーロッパ - クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91

アメリカ - クラシック音楽 一口感想メモ
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日本 - クラシック音楽 一口感想メモ
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ヴィラ=ロボス - クラシック音楽 一口感想メモ
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プロコフィエフ - クラシック音楽 一口感想メモ
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ミヨー - クラシック音楽 一口感想メモ
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オネゲル - クラシック音楽 一口感想メモ
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プーランク - クラシック音楽 一口感想メモ
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ショスタコーヴィチ - クラシック音楽 一口感想メモ
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バーバー - クラシック音楽 一口感想メモ
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ブリテン - クラシック音楽 一口感想メモ
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ヒナステラ - クラシック音楽 一口感想メモ
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[近代史6] マイナーな作曲家が書いた名曲
マイナーな作曲家が書いた名曲


ドイツ・オーストリア(1859年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
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ドイツ・オーストリア(1860年以降) - クラシック音楽 一口感想メモ
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フランス(1889年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
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ロシア(1889年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
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イギリス - クラシック音楽 一口感想メモ
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イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ
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スペイン - クラシック音楽 一口感想メモ
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北欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
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東欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
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その他ヨーロッパ - クラシック音楽 一口感想メモ
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アメリカ - クラシック音楽 一口感想メモ
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日本 - クラシック音楽 一口感想メモ
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[リバイバル3] OPPO Sonica DAC _ 音楽がわからないアホ・オーディオマニアが絶賛する超お買い得品(?)だけど… 中川隆
87. 中川隆[-16208] koaQ7Jey 2021年9月28日 00:52:23 : hSPqqn4ejM : eHFTRHg4bk4wUi4=[2]
Chord、高性能DCアダプタを同梱したDAコンバーター「Qutest Plus.」
2021年3月26日
https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1314624.html


「Qutest Plus.」(写真左がDCアダプタ、右がQuest)
タイムロードは、英Chord Electronicsブランドの新製品として、高性能DCアダプタを同梱したDAコンバーター「Qutest Plus.」を31日より発売する。価格はオープンプライスで、店頭予想価格は250,800円前後。

Qutest Plus.は、既発の高性能DAコンバーター「Quest」に、リニア式安定化電源DCA-5Vを同梱したセット商品。

DCA-5Vは、オーディオデザイン社によりアナログ技術を駆使して開発されたもので、ノイズが小さく広い周波数帯域において極めて低いインピーダンスで、過度応答特性に優れるのが特徴。標準装備のAC電源から強化電源DCA-5Vに変更し電源供給することで、更なる音質向上が実現するという。Quest本体のデザインと併せ、DCアダプタのカラーも、マットブラックを採用している。


DCアダプタの入力は、AC100V。出力端子はDCジャック(φ5.5×2.5mm)。出力電圧は5V、定格電流は1A。突起部を除く外形寸法は、110×200×62mm(幅×奥行き×高さ)。重量は1.2kg。

DAコンバーターのQuestは、小型DAC「2Qute」の後継で、演算能力の強化とともに、ダイナミックレンジやS/Nなど「すべての面で性能向上を図った」というモデル。内蔵の高性能FPGAは49,152タップを実現。時間当たりの演算回数が増加することで、タイミング、S/N、ダイナミックレンジなどの性能を向上させている。

https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1314624.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/852.html#c87

[番外地9] 大橋隆二(23歳)は都内の大学3年生。昨年の大学祭で友人から大麻を勧められ軽い気持ちで手を出した
爽彩ちゃんのパニック障害は覚醒剤障害によるフラッシュバックだったのか?
校長先生はこの事件は家庭の問題が原因でイジメとは関係無いと何回も指摘していました。第三者委員会の委員も半数以上は精神科医や心理学者ですから、教育委員会もこの事件はイジメとは関係無いと判断しています。
そもそも警察は毎月爽彩ちゃんを呼んで病状を見ていたので、爽彩ちゃんの病気について熟知していたのですが、警察は検案書で 爽彩ちゃんは 統合失調症(=覚醒剤障害 )だと記載させています。
つまり、爽彩ちゃんは覚醒剤障害で妄想に苦しめられていたと判断されていたのです。
爽彩ちゃんが同級生の友達が一人もできなかったり、登校拒否したのも覚醒剤障害による被害妄想が原因でしょう。

しかし、学校や警察としては 亡くなった児童が覚醒剤障害だったとは言いにくいので、表現をぼかしているのです。

▲△▽▼

爽彩ちゃんが11,12歳の頃にパニック障害を発症したのは児童売春させられた時に覚醒剤を打たれて覚醒剤中毒になったのが原因か?

大橋隆二(23歳)は都内の大学3年生。昨年の大学祭で友人から大麻を勧められ軽い気持ちで手を出した。その後も数回、大麻を吸った後、覚せい剤にも手を出した。

何度目かの覚せい剤吸引後、警察官が自宅を尋ねてきた。母親の公子が対応、警察官は隆二の住んでいる地域で空き巣が多いため、各家庭を訪問し注意を促すとともに聞き込みをしていたのだが、隆二には覚せい剤使用がばれて調べにきたのではないかと思えた。

そのうち、警察ではなく、覚せい剤常習者を取り締まる影の組織があり、その組織の暗殺者が隆二を狙っていると思うようになった。
コトッ、外で音がすると暗殺者が来たと思い怯えた。
ニャー、「ふん、間抜けな暗殺者だ。そんな声でだまされるか!」

ヘリコプターの音がすると、監視されていると確信した。
空挺部隊の暗殺特殊部隊がやってくる。
不安にさいなまれ、覚せい剤を吸った。

●妄想と現実の区別がつかずに犯罪へ

「宅配便です」の声に隆二は居留守を使った。
母が帰宅して
「あら、隆二、出かけてたの?不在連絡票が入っていたわよ」
「うん、少しね」

この時、隆二は「なるほど、わざと出かけていたんだな」と思い母まで組織の手に落ちたと確信した。
この時以降、母親が作る食事を食べずに
お菓子やカップラーメン、パンなどを食べて過ごすようになった。
「どうしたの隆二、なぜ食事しないの?」
“毒をいれてあるんだろう。組織から指示されて、母親のくせに俺を殺そうとしているんだ”何も言わずに、母親を睨みつけた。
「なによ、そんなに怖い顔して、へんな子ね。きちんと食事しないと体が悪くなるわよ」
母はそう言った。

公子は近頃、隆二の様子が変なことには気がついていたが、どうして良いのかわからずそのままにしていた。でも、隆二の様子が日を追うごとに変になってくる。これは普通じゃないと思い夫の朗に相談したものの、「そんな時期なんだろう」ですまされていた。
「でも、普通じゃないよ」
“そうだ、明子に相談しよう。彼女なら保健所に勤めているし、精神障害に関わる仕事をしていると言ってたからなにかアドバイスしてくれるかも知れない”そう思ってすぐに明子に電話した。

●事件(暗殺者を返り討ちに)
数日後、明子(母親の友達で保健所で精神障害関連の仕事をしている)がやってきた。
「隆二君、ごぶさた」
部屋の外から明子が隆二に声をかけた。

隆二は、とうとう殺される日が来たと思った。
「そうはさせるか。殺される前に殺してやる。組織がどんなに大きくても、一人でも二人でも道連れにしてやる!」
バットを持って、母親とその友達がいる台所へと向かった。

大きな音と悲鳴を聞きつけた隣家からの通報で
警察官が駆けつけると
眉間から血を流した女性が片手を押さえている。
中年の男性が二人で青年を押さえつけているのだが、その青年は押さえつけられながら笑い転げており、ときたま訳の分からないことを口走っている。

隆二は警察官を認めると、お前も死ね!と言ってつばを吐きかけた。
くそ!!ここで捕まったら裁判もなく殺されるじゃないか!!
と思った瞬間、隆二は警察官に手錠をかけられていた。
「お前がやったのか!」
「そうだ、こいつらが殺しにきたから返り討ちにしてやった。お前も暗殺部隊のメンバーなんだろう。なぜひとおもいに俺を殺さないんだ!」
「えっっ・・・」

救急隊員が入ってきた。
眉間から血を流していたのは母親の公子だった。
明子は手でかばったらしく腕を骨折していたが他に外傷は見当たらなかった。
救急隊員が二人を連れてゆく。

翌日の新聞に
「バットで母とその友人を襲う!」
「23歳の青年にいったい何が?」
という見出しが躍った。

●警察から病院へ
警察で取り調べを受けている間も不安で仕方なかった。
殺される!殺される!殺される!
どうしよう・・・・!

警察官は逮捕時の様子から見ていて薬物使用を疑っていた
そのため令状を取り採尿のため
宮内病院に連れて行った。
隆二は抵抗して暴れたが3人の警察官に押さえつけられ
医師の手により強制採尿された。

取調室でも隆二は
「殺さないでくれ!」と叫んだかと思うと
「死んでやる」と言って壁にむかって走ろうとした。
幸いそばにいた警察官に押さえられ、
壁に頭を打ち付けて自殺しようとした隆二の企みは成功しなかった。

検察官から精神鑑定の依頼が大学病院の田中教授のもとにあった。
起訴予定の罪名は殺人未遂と覚せい剤取締法違反である。
精神鑑定をした田中教授は「覚せい剤の影響で現実的な判断をする能力が低下していた」との結果を伝えた。

2〜3日すると、隆二は落ち着いてきた。
覚せい剤が体から抜けたことで事件前のような恐怖感はなくなったものの、それが覚せい剤による幻覚や妄想によるものだったという確信は持てなかった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/839.html

[近代史5] 格差について - 内田樹の研究室
格差について - 内田樹の研究室
2021-09-25
http://blog.tatsuru.com/2021/09/25_1139.html

 階層格差が拡大している。所得格差の指標として用いられるジニ係数は格差が全くない状態を0、一人が全所得を独占している状態を1とするが、日本のジニ係数は1981年が0.35、2021年は0.56と上がり続けている。この趨勢はこの先も止まらないだろう。「一億総中流」と呼ばれた国の面影はもうない。
 日本における格差拡大の要因は何か。それは雇用形態の変化である。かつては終身雇用・年功序列という雇用の仕組みが日本のどの企業でも支配的だった。
 もうその時代を記憶している人の方が少数派になってしまっただろうが、あれはずいぶんと気楽なものだった。植木等の「ドント節」(作詞青島幸男)は「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」というインパクトのあるフレーズから始まる。もちろん誇張されてはいるが、それなりの実感の裏付けはあった。
 60年代はじめのサラリーマンの日常を活写した小津安二郎の映画では、サラリーマンたちは小料理屋の小上がりで昼間からビールの小瓶を飲んで、午後のお勤めに出かけていた。もちろん全員定時に帰る。私の父もそうだった。毎日、同じ電車で出勤し、同じ電車で帰って来た。雨が降ると、駅前には傘を持って父親を迎えに来た子どもたちが並んでいた。今の人には信じられないだろう。だが、人々がこの判で捺したようなルーティンを営んでいる時代に、日本経済は信じられないほどの急角度で成長していたのである。
 それはこの時代の日本人がたいへん効率よく仕事をしていたからだと思う。どうして効率が良かったかというと、「査定」や「評価」や「考課」に無駄な時間や手間をかけなかったからである。
 年功序列というのは要するに「勤務考課をしない」ということである。誰にどういう能力があるかは仕事をしていれば分かる。人を見て、その能力に相応しいタスクを与えればいい。別に査定したり、格付けをしたりする必要はない。難しいタスクを手際よくこなしてくれたら、上司は「ありがとう」と部下の肩を叩いて、「今度一杯奢るよ」くらいで済んだ。この時代の日本の会社は言うところの「ブルシット・ジョブ」がきわめて少なかったのである。
「ブルシット・ジョブ」は人類学者デビッド・グレーヴァーの定義によれば「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど完璧に無意味で、不必要で、有害でもある雇用の形態」のことである。英国での世論調査では「あなたの仕事は世の中に意味のある貢献をしていますか?」という質問に対して37%が「していない」と回答したそうである。たぶん今の日本で同じアンケートをしたら50%を超えるだろう。
 それなしでは社会が成り立たない仕事を「エッセンシャル・ワーク」と呼ぶ。公共交通機関やライフラインの管理運営、行政や警察や消防や、医療や学校教育、衣食住の必需品の生産・流通は「エッセンシャル・ワーク」である。それがきちんと機能していないと世の中が回らない。一方、いくなっても誰も困らない仕事をする「ブルシット・ジョブ・ワーカー」たちは「エッセンシャル・ワーカー」がちゃんと働いているかどうか管理したり、勤務考課したり、「合理化」したり、組織が上意下達的であることを確認することを主務とする人々である。そして、この人たちの方が「エッセンシャル・ワーカー」よりもはるかに高い給料をもらっている。
 不条理な話だが、ソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』によれば、人類が農業を始めてからずっとそうであるらしい。実際に労働して価値を生み出している人たちが社会の最下層に格付けされ、自分ではいかなる価値も創出しないで寄食している王侯貴族や軍人や聖職者たちの方が豊かな暮らしをする。
 今日本で格差が拡大しているというのは、言い換えると、「いかなる価値も創出せず、下層民の労働に寄生していばっている人たち」が増えているということである。だから、一部の人が天文学的な個人資産を蓄え、圧倒的多数が貧しくなり、集団全体は貧しくなる。
 格差というのは単に財が「偏移」しているということではない。格差は必ず、何の価値も生み出していない仕事に高額の給料が払われ、エッセンシャル・ワーカーが最低賃金に苦しむという様態をとる。必ずそうなる。
 もし、階層上位者たちが「明らかに世の中の役に立っている仕事」を誠実かつ勤勉に果たしているように見えていたら、私たちは決して「格差が拡大している」という印象を持たないであろう。世の中の役に立つたいせつな仕事をしてくれている人たちがどれほど高給を得て、豊かな暮らしをしていても、私たちはそれを「不当だ」とは思わない。「格差を補正しろ」とは言わない。
 だから、今日本で起きていることは単なるジニ係数的な「格差の拡大」ではない。ヴェブレンのいうところの「有閑階級」、グレーヴァーのいうところの「ブルシット・ジョブ・ワーカー」が全員で分かち合うべきリソースの相当部分を不当に占有し、濫費しているという印象を多くの国民が抱いているという事態なのである。「分配がアンフェアだ」という不条理感と、にもかかわらずそれを補正する手立てが見当たらないという無力感が、「格差が広がっている」という一見すると客観的な統計的事実の裏にある心理的事実である。この不合理を解消する手立てはあるのだろうか。
 格差があるときに、公権力が強権的に介入して、富裕者から召し上げた富をいったん国庫に納めてから再分配を行うのは難しい。歴史をひもとく限り、ほとんどの「強権的再分配」は失敗している。権力を手に入れた後に「公庫」と「自分の財布」の区別ができる人間は残念ながら例外的である。
 だから、いくら「有閑階級」が「ブルシット・ジョブ」で高禄を食んでいても、彼らの懐にダイレクトに手を突っ込んで、他の誰かの懐にねじ込むというやり方は止した方がいい。たいていの場合、それはさらなる社会的不平等をもたらすだけである。
 それよりは富裕者から召し上げたものは「公共財」として、パブリックドメインに供託するのがよいと思う。貨幣として退蔵するのではなく、「みんながすぐに使えるもの」にするのである。学校とか、病院とか、図書館とか、美術館とか、体育館とか、あるいは森や野原や湖沼や海岸というかたちあるものにして、「さあ、みなさんご自由にお使いください」と言って差し出すのである。私が「コモンの再生」ということを主張している時に考えているのはそういうイメージである。
 できるだけ「私有財」のエリアを抑制して、「公共財」のエリアを広げる。美しい森の中を歩いている時に、「私有地につき立ち入り禁止」という看板を見ると私は震えるほど腹が立つ。土地はもともと誰の所有物でもない。それを国や自治体が買い上げても、今度は「公有地につき立ち入り禁止」では何も変わらない。「公有地なので、みんなで使ってください」というのが正しい使い方だと思う。
 コモン(Common)というのは中世の英国にあった村落共同体の共有地のことである。村人たちはそこで牧畜をし、鳥獣を狩り、魚を釣り、果樹やキノコを採った。コモンが広く豊であればあるほど、村人たちの生活もまた豊かなものになった。コモンが消滅したのは、「こんな使い方をしていたのではカネにならない」と言って、私有地として買い上げて、牧羊したり、商品作物を栽培したりする「目端の利いたやつ」が出てきたせいである。それが「コモンの悲劇」の実相である。そうやって「囲い込み」が行われて、コモンは消滅し、農民たちは没落して都市プロレタリアートになり、産業革命のための労働力を提供し、資本主義が繁盛することになった。
 そうやってコモンが消滅したのなら、「コモンの再生」はそのプロセスを逆にたどることになる。それは私有財を「これをみんなで使ってください」といって公共財として差し出すことである。
「そんなのは絶対嫌だ」と言って、私有財産にしがみつく人間はもちろんいるだろう。いて当然である。その人たちから強権的に私財を奪うべきではない。それは前にやって失敗した。「いやだ」という人は放っておけばいい。「私財を提供してもいい」という人たちの頭数をひとりずつ増やしてゆくだけでいい。
 私の道場は現在は私物だが、いずれ寄贈して門人たちに「コモン」として利用してもらうつもりである。そういうささやかな個人の実践の積み重ねが迂遠なようだけれど、一番確実なやり方だと私は思っている。

http://blog.tatsuru.com/2021/09/25_1139.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1133.html

[近代史5] オホーツク文化人の起源 中川隆
2. 中川隆[-16207] koaQ7Jey 2021年9月28日 06:19:00 : 5DheQ2CcxI : eU9tSVA2MlpTVnM=[2]
雑記帳
2021年09月26日
オホーツク文化人のゲノム解析とアイヌ集団の形成過程
https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html


 オホーツク文化人のゲノム解析結果を報告した研究(Sato et al., 2021)が公表されました。古代ゲノム学は、過去の人口史の遺伝的特徴の片鱗を捉えることのできる強力な手法です。最近の古代ゲノム研究は多くのアジアの旧石器時代人と新石器時代人のゲノムを報告しており、ユーラシア東部におけるヒトの移住過程への新たな洞察を提供してきました(関連記事)。とくに、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体(関連記事)と、シベリア南部中央のマリタ(Mal'ta)遺跡(関連記事)の少年個体(MA-1)と、シベリア北東部のヤナRHS(Yana Rhinoceros Horn Site)で発見された31600年前頃の2個体(関連記事)の古代ゲノム研究は、ユーラシア東部の初期人口史を理解するうえで重要です。

 系統樹では、田園個体はパプア人およびユーラシア東部人口集団と一まとまりを形成しますが、MA-1とヤナRHSの2個体(ヤナUP)はユーラシア西部人口集団と遺伝的に密接です。詳細な経路はまだ議論の余地がありますが、これら古代人のゲノムは、ユーラシア東部への2回の過去の移住を示唆しています。一方は南方経路で、ユーラシア大陸南岸地域に沿って拡散し、もう一方の北方経路は、おそらくシベリアも含めてユーラシア中緯度の草原地帯を通って拡散しました。南方の移住の波は、アジア東部(本論文では、現在の中国と日本と朝鮮とモンゴルと台湾を含む地域として定義されます)および南東部の局所的人口集団に分化していったようです。北方の移住の波は南方の移住の波とおそらくはシベリアで混合し、チュクチ・カムチャッカ(チュクチ半島とカムチャッカ半島、図1a)の人口集団とアメリカ大陸先住民の起源となりました(関連記事)。さらに、新石器時代と青銅器時代以降の古代人ゲノムを分析したその後のいくつかの研究では、半島アジア大陸における新石器時代後の人口動態が明らかにされてきました(関連記事1および関連記事2)。

 日本列島に関しては、完新世人口集団である「縄文人」のゲノムが報告されており(関連記事1および関連記事2)、南方移住の波系統からの深い分岐が示唆されています。しかし、新石器時代以後の日本列島の人口集団の遺伝的歴史は、この期間の古代ゲノムデータの不足ため、依然として不明です。いくつかの以前の研究では、現代日本列島の人口集団はアジア東部大陸部人口集団および/もしくはアジア北東部(本論文ではロシア極東に相当します)人口集団からの遺伝子流動の影響を受けたものの、その詳細な起源と移住の仮定は不明なままと示唆されています(関連記事)。したがって、そうした過去の移住の遺伝的特徴の解明も、日本列島周辺の人口史の理解の向上に重要です。考古学的証拠で示唆されているように、新石器時代後に日本列島に起きたように見える過去の主要な移住事象の一つは、先史時代オホーツク人による日本列島北部での定住です。

 高度な海洋漁業と狩猟技術を有する先史時代狩猟採集文化であるオホーツク文化は、紀元後5世紀〜13世紀まで、オホーツク海の南部沿岸地域に分布していました(図1a)。オホーツク文化の最も重要な特徴である海洋資源への依存は、以前の動物考古学および同位体研究により明らかになりました。じっさい、オホーツク文化の遺跡の分布は明らかに沿岸地域に限られています(図1a)。この特徴は、日本列島における先住の縄文文化(紀元前14000〜紀元前300年頃)やその後の続縄文時代(紀元前3世紀〜紀元後7世紀)や擦文時代(紀元後8〜14世紀)とは大きく異なります(図1a)。

 アジア北東部におけるオホーツク文化とその近隣古代文化との間の関係の観点では、オホーツク文化の遺跡から発掘された土器や鉄器や青銅器の一部が、ロシアのプリモルスキー(Primorski)地域で発展した、紀元後6〜9世紀となるモヘ(Mohe、靺鞨)文化(図1a)遺跡で発見されたものと類似しています。さらに、オホーツク文化の遺跡から発掘されたセイウチの牙製の彫像や釣針は、オホーツク文化と紀元後5〜17世紀となる古代コリャーク(Koryak)文化(図1a)との間の相互作用を示唆しており、それはセイウチが現在では北極海とベーリング海にしか分布していないからです。しかし、考古学的遺物のこれら文化間の共通性がヒトの移住と移住なしの交易のどちらに由来するのかは、不明なままです。

 オホーツク文化人の起源は、考古学者と人類学者により長く議論されてきました。オホーツク文化人の骨格遺骸の形態学的研究は、アムール川流域周辺およびサハリン北部の現代人集団との類似性を示唆してきました。さらに、ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析の結果は、形態学的証拠を裏づけます。mtDNAハプログループ(mtHg)Y1とG1bとN9bはアムール川下流人口集団間において高頻度で共有されており、オホーツク文化の骨格遺骸でよく検出され、オホーツク文化人のアムール川下流地域起源を示唆します。しかし、オホーツク文化人の包括的なゲノム規模データが欠けているため、最終的な結論にはまだ達していません。したがって、この研究の主な動機は、ゲノム規模データ分析に基づいてオホーツク文化人の遺伝的起源を理解することです。

 考古学的証拠に基づくと、オホーツク文化は紀元後13世紀頃に消え、その原因は依然として不明です。これと関連して、オホーツク文化とその後のアイヌ文化との間の関係が調べられてきました。考古学者たちは、アイヌとフィン人とニブフ人とサーミ人などユーラシア北部の民族集団間で広く観察される宗教的慣行である熊崇拝もオホーツク文化人により共有されていた、と考えてきました。他方、そうした宗教的慣行の痕跡は、アイヌ文化期より前の縄文時代と続縄文時代の遺跡では発見されていません。アイヌ文化の熊崇拝はイオマンテで見られ、これは熊を犠牲にしてその精神をカムイ(アイヌ文化の神聖な存在)の世界に送る儀礼です。オホーツク文化では、ヒグマの安置された頭蓋骨がいくつかの住居遺跡で発見されており、熊崇拝と関連した宗教的慣行が示唆されます。

 これは、オホーツク文化がアイヌ文化の形成に寄与したことを示唆します。いくつかの頭蓋学およびmtDNA研究は、アイヌとアジア北東部人口集団との間の遺伝的類似性を示唆してきました。頭蓋測定に基づく統計分析では、アジア北東部人がオホーツク海沿岸に居住するアイヌにわずかな遺伝的影響を残した、と示唆されました。アイヌ現代人のmtDNAとY染色体DNAの分析は、ニブフ人とアイヌとの間の母系および父系遺伝子プールの類似性を示唆します。これらの知見は、アジア北東部から(北海道を中心とする)日本列島北部への遺伝子流動の可能性として解釈されてきました。さらに、古代のmtDNAと頭蓋非計測的変異の研究は、オホーツク文化人とアムール川下流人口集団との間の密接な関係と、アムール川下流人口集団からアイヌへのオホーツク文化人経由の遺伝子流動を示唆しており、これはオホーツク文化人がアイヌ文化の確立に寄与した、との考古学的仮説を裏づけます。

 しかし、これらの研究の形態学的もしくは遺伝学的指標は少なく、オホーツク文化人のアイヌへの遺伝的寄与について最終的な結論を提供できません。それは、こうした研究が統計的に人口集団の混合を評価できないからです。対照的に、統計的に人口集団の混合を評価できる現代人の最近のゲノム規模一塩基多型分析は、アムール川下流人口集団からアイヌへの遺伝子流動を検出していませんが、これはオホーツク文化人がアイヌに遺伝的に寄与したならば、予測されることです。したがって、さまざまな手法を用いた多くの研究がアイヌ集団の形成過程を解明する目的で行なわれてきましたが、オホーツク文化人がこの過程に遺伝的に寄与したのかどうかは不明なままです。

 オホーツク文化人の形成過程と、アイヌへの遺伝的および文化的寄与を調べるため、国際的な学際的調査団が、北海道の礼文島の浜中2遺跡の発掘に着手しました(図1a)。2013年に、重度の骨肥厚症の成人女性のよく保存された骨格遺骸(NAT002)が、オホーツク文化期の最終段階となる貝塚の上部表面で回収されました(図1b・c)。NAT002の較正放射性炭素年代は紀元後1060〜1155年(68.2%)と推定され、骨肥厚症は皮膚科学的観察なしの滑膜炎と痤瘡と膿疱症と骨肥厚症と骨炎(SAPHO)症候群と診断されました。

 本論文は、NAT002の全ゲノム配列結果を報告し、オホーツク文化人の起源に関する問題と、アイヌ集団への遺伝的寄与に関する問題を解決します。本論文はNAT002のゲノムをアジア東部および北東部の現代の人口集団および最近報告されたアジア北東部古代人と比較します。この古代人には、朝鮮半島に近いロシアの沿岸地域の悪魔の門遺跡の7700年前頃の個体群(関連記事)や、プリモルスキー地域の新石器時代後個体群(関連記事)や、礼文島の浜中2遺跡に近い(図1a)船泊遺跡(関連記事)の縄文時代の女性個体(F23)が含まれます。また本論文は、NAT002の一部の骨で観察されたSAPHO症候群的骨肥厚症の遺伝的背景の特定も試みます。

 NAT002のDNA保存状態は良好で、平均深度35.03倍のゲノム配列が得られました。これは埋葬と寒冷な環境と比較的新しい年代(紀元後11〜12世紀)に起因すると考えられますNAT002はX染色体とY染色体にマップしたリード数の比から女性と推定され、これは形態学的およびアメロゲニン遺伝子に基づく以前の性別判定と一致します。以下は本論文の図1です。
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●NAT002と隣接集団との間の遺伝的関係

 アジア北東部人口集団に対するNAT002の遺伝的類似性を評価するため、49079ヶ所の一塩基多型で外群f3統計が計算されました。f3(ムブティ人;NAT002、X)では、NAT002は近隣地域のニブフ人とアイヌとウリチ人とF23に密接に関連しており、それに続いて密接なのが、イテリメン人(Itelmen)やコリャーク人(Koryak)を含むカムチャッカ半島人口集団、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」人、オロチョン人(Oroqen)やダウール人(Daur)やホジェン人(Hezhen 、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)を含むアムール川上流人口集団です(図2)。以下は本論文の図2です。
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 49079ヶ所の一塩基多型に基づく主成分分析(図3)も、NAT002が遺伝的にニブフ人およびウリチ人と密接であることを示唆し、以前の形態学的およびmtDNA研究を裏づけます。以下は本論文の図3です。
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 ADMIXTURE が2〜10の系統構成要素(K=2〜10)で実行されました(図4)。最小交差検証(CV)誤差はK=5の時に観察されました。NAT002は4つの遺伝的構成要素で混合された個体として表されました(図4)。緑色の構成要素(24.6%)は、広くアジア北東部人口集団で共有されています。青色の構成要素(15.8%)は、アジア東部人で広く共有されています。濃紺色の構成要素(33.2%)はF23とアイヌにおいてほぼ100%で観察されます。黄色の構成要素(26.4%)はイテリメン人およびコリャーク人に高い割合で共有されています。NAT002の構成要素の割合は、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団と似ています。以下は本論文の図4です。
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 次に、NAT002とアジア北東部人との間の系統発生関係を推測するため、NAT002とF23とSGDP(サイモンズゲノム多様性計画)標本で観察される2556493ヶ所の多様体に基づくTreeMixが実行されました。NAT002とニブフ人とウリチ人は単系統性の一まとまりを形成し(図5a)、主成分分析およびADMIXTUREの結果と対応しています。2回の移住事象を想定した場合、遺伝子流動はF23からNAT002とニブフ人との間の共通祖先で観察されました(図5a)。

 F23とウリチ人との間、およびNAT002とイテリメン人との間でも大規模な残余が観察され、それらの間の遺伝子流動が示唆されます(図5b)。ウリチ人と「縄文人」/アイヌとの間の遺伝的類似性は以前に報告されていました(関連記事)。さらに、NAT002とアジア北東部の前期新石器時代人の悪魔の門個体群との間の遺伝的類似性が、外群f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、X)の計算により調べられました。検証人口集団間で、NAT002はニブフ人に次いで2番目位に高いf3値を示しました。この結果は古代人のゲノム間で共有された偏りの影響を受けた可能性がありますが、古代人のゲノム間の遺伝的類似性のそうした過大評価は、おもに配列の短さや死後の損傷の高頻度や比較された古代人2個体の不充分な深度に起因する可能性が高そうです。

 悪魔の門個体群のゲノムにおける参照の偏りの程度は、低い網羅率のため比較的強くなるでしょう。しかし、NAT002ゲノムにおける参照の偏りは、本論文の遺伝子型コール閾値として用いられた、選別の水準0および1の現代日本人のゲノムの30倍の網羅率よりもさほど強くありませんでした。したがって、悪魔の門個体群とNAT002との間の観察された類似性は、大幅に過大評価される可能性は低そうです。f3(ムブティ人;悪魔の門個体群、NAT002)の高い値は、オホーツク文化人の起源がアムール川流域周辺にある、との仮説を裏づけます。他方、F23は低いf3値を示しており、日本列島北部からアムール川流域への「縄文人」系統の移住はおもに新石器時代後に起きた、と示唆され、ウリチ人における以前の混合年代を裏づけます。以下は本論文の図5です。
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 系統樹の接続形態を考慮すると(図5a)、f3(ムブティ人;NAT002、X)により示されるアムール川流域人口集団とNAT002との間の類似性は、密接な系統発生関係として解釈できます。これらの示唆された混合事象を確認するため、49079ヶ所の一塩基多型に基づくD(ムブティ人、X;ニブフ人、NAT002)検定が実行され、F23とアイヌとイテリメン人は有意な正の値を示しました(図6a)。古代人のゲノム間の共有された偏りのため、D(ムブティ人、F23;ニブフ人、NAT002)で観察された兆候の過大評価の可能性も考慮されねばなりませんが、F23とNAT002の参照の偏りは現代日本人の網羅率30倍のゲノムと比較してさほど強くないので、過大評価の程度はそれほど深刻ではないでしょう。混合兆候はD(ムブティ人、F23;アムール川流域集団、NAT002)とD(ムブティ人、イテリメン人;アムール川流域集団、NAT002)でも観察されました。この場合のアムール川流域人口集団とは、ウリチ人とオロチョン人とホジェン人とダウール人とシボ人(Xibo)です(図2)。これらの知見から、NAT002は3祖先的系統(アムール川流域集団、チュクチ・カムチャッカ集団、「縄文人」)間の混合個体だった、と示唆されます。

 次にqpAdmモデルを用いて、NAT002と関連する過去の混合事象についてのこの仮説が検証されました。オロチョン人とイテリメン人とF23が、それぞれアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の供給源人口集団の代表として用いられました。完全ランク付けモデルに対する提案された混合の尤度比検定(LRT)のP値は有意ではなく(P=0.14)、NAT002のゲノムはアムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)の混合として説明できます。アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団と「縄文人」の推定された祖先系統は、それぞれ64.9±8.0%、21. 9±6.4%、13.2±4.3%です(図6c)。

 アムール川流域集団とチュクチ・カムチャッカ集団からの推定される祖先系統の割合の比較的大きな標準誤差は、これら供給源人口集団間の密接な関係に起因するかもしれません。じっさい、ADMIXTURE分析(図4)で観察された黄色と赤色の構成要素は、チュクチ・カムチャッカ人口集団(イテリメン人とコリャーク人とエスキモーとチュクチ人)間で支配的ですが、ニブフ人やウリチ人やオロチョン人やホジェン人やダウール人やシボ人などアムール川流域人口集団でも広く観察されます。構成要素のこの共有は、アムール川流域人口集団とチュクチ・カムチャッカ人口集団との間の混合か、両者の間で部分的に共有される遺伝的浮動の結果のようです。さらに、入れ子モデルへのLRTでは、あらゆる2方向混合モデルがNAT002ゲノムを適切に説明できない、と示唆されます。以下は本論文の図6です。
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●在来祖先系統と混合年代の推定

 アムール川流域集団と「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の系統間の混合事象の順番を決定するため、NAT002ゲノムの在来祖先系統が推測されました。本論文の在来祖先系統推定は大陸内規模(つまり、アジア東部と北東部全参照人口集団)で行なわれましたが、NAT002ゲノムの大半は0.9以上の事後確率を有する3つの祖先的ハプロタイプの一つに分類できました。在来祖先系統の割合から計算された世界規模の祖先系統の割合は、アムール川流域集団が83.6%、チュクチ・カムチャッカ集団が10.0%、「縄文人」が6.4%です。

 ADMIXTURE(図4)とqpAdm(図6c)の結果を考慮すると、「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ集団の祖先系統の堀合は過小評価されているようで、おそらくは参照人口集団における「縄文人」とチュクチ・カムチャッカ個体の標本規模の小ささに起因します。「縄文人」は1個体(F23)のみで、チュクチ人やエスキモーなどチュクチ人口集団の5個体とともに、チュクチ・カムチャッカ参照人口集団におけるカムチャッカ人口集団の代表としてイテリメン人1個体のみが含まれています。

 本論文は、3系統間の混合年代を推測するため、単純な波動移住モデルを想定しました。アムール川流域系統の移住年代はNAT002の22世代前と推定されました(図7)。1世代30年と仮定し、NAT002の放射性炭素年代(900年前頃)を考慮すると、アムール川流域関連祖先系統の移住は1600年前頃に起きました。これは、以前の考古学的証拠により示唆されるように、オホーツク文化の始まりと正確に対応していますが、本論文の混合年代は1個体のみの祖先系統の領域の長さに基づいています。

 チュクチ・カムチャッカ系統と「縄文人」系統間の混合はNAT002の35世代前(1950年前頃)と推定され、縄文時代の後の続縄文時代(紀元前3〜紀元後7世紀)と対応します。本論文が把握している限りでは、その期間のカムチャッカ半島から日本列島北部へのヒトの移住を示す考古学的証拠は提示されていませんが、以前の古代DNA研究は縄文時代標本と続縄文時代標本との間のmtHg特性の変化を報告しています。カムチャッカ半島人口集団においてひじょうに高頻度で観察されるmtHg-G1bは、続縄文時代の標本の15.0%で検出されますが、縄文時代標本では検出されません。さらに最近の研究では、千島列島南西部に位置する択捉島のタンコウォイェ1(Tankovoye 1)遺跡(図1a)の続縄文時代標本と、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島現代人集団との間の遺伝的類似性が報告されました。これらの知見は、続縄文時代における千島列島を経由してのカムチャッカ半島から日本列島北部への移住の波を裏づけます。

 本論文は、混合していないアイヌの10個体を参照「縄文人」に追加することにより、類似の混合年代測定を実行しました。この場合、NAT002における「縄文人」祖先系統の割合は増加し、アムール川流域祖先系統が64.4%、チュクチ・カムチャッカ祖先系統が9.8%、縄文人祖先系統が25.8%と推定されました。しかし、推定された混合年代は、アムール川流域関連祖先系統の移住についてはNAT002の17世代前(1410年前頃)、「縄文人」系統とカムチャッカ系統との間の混合についてはNAT002の37世代前(2010年前頃)と大きくは変わらず、本論文の混合年代は中程度の堅牢性を有する、と示唆されました。以下は本論文の図7です。
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●アイヌ集団に対するオホーツク文化人の遺伝的寄与

 アイヌ集団の形成過程は長く議論されてきました。しかし、アイヌと縄文時代個体群との間の遺伝的類似性は以前の研究で確認されてきましたが(関連記事)、新石器時代後の人口動態に関する決定的な結論には至っていません。F23と比較して主成分分析では、アイヌ個体群はわずかにアジア北東部人に影響を受けていると示唆されますが(図3)、ADMIXTURE分析の結果では、アイヌ個体群はほぼ単一の祖先系統で表される、と示唆されます。
 したがって、縄文時代後のアジア北部人口集団からの遺伝的影響を確かめるため、D(ムブティ人、X;F23、アイヌ)検定が実行されました。その結果、アジア北部人口集団は有意に正の値を示しました。とくに、イテリメン人やコリャーク人などカムチャッカ半島人口集団と、ホジェン人やオロチョン人やシボ人やダウール人などアムール川流域人口集団は強い兆候を示しました。以前の研究では、アイヌとカムチャッカ半島人口集団との間の遺伝的類似性が報告されました。

 アイヌ集団の形成過程をモデル化するため、qpGraphを用いて混合図が作成されました。まず、NAT002やF23やSGDP標本群を含む混合図が作成されました。アムール川流域系統と「縄文人」系統とカムチャッカ半島系統の間の混合事象の順序は、混合年代の結果にしたがって決定されました。図における最低のf4統計のZ得点は-2.1でした。次に、足場図(scaffold graph)にアイヌを追加することにより、アイヌ集団の形成過程が検証されました。アイヌは「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の間の混合人口集団と仮定したモデルが、検証されたモデルの中で最適でした(図8a)。

 しかし、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定しない別のモデルも許容されました(図8b)。最低のf4統計を考慮すると、オホーツク文化人からアイヌへの遺伝子流動を仮定する最初のモデル(図8a)が最も可能性の高いシナリオですが、混合図の枠組みでは2番目のモデル(図8b)を明示的に却下できませんでした。この二つのモデル間の顕著な違いの一つは、「本土」日本人からアイヌへの混合割合で、最初のモデルでは29%、二番目のモデルでは44%でした。以前の研究はmtHg頻度に基づいて、近世アイヌ集団における「縄文人」とオホーツク文化人と「本土」日本人の混合割合が推定されました(関連記事)。その研究では、アイヌへの「本土」日本人の遺伝的寄与は28.1%と推定され、本論文の最初のモデルと近くなっているので、最終的な結論には至りませんが、本論文の最初のモデルが最も可能性の高そうなシナリオとして支持されるようです。以下は本論文の図8です。
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●HLA型とNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性

以前の研究では、HLA(ヒト白血球型抗原)B遺伝子、とくにHLA-B*27アレル(対立遺伝子)が、SAPHO症候群と強く関連している、と報告されました。したがって、以前の研究によりSAPHO症候群として推測されたNAT002の骨肥厚症への遺伝的感受性を調べるため、HLA-VBSeqとHLA EXPLORE を用いてNAT002のHLA型が決定されました。HLA-VBSeqでの型別における上位2つの平均深度はHLA-B*40:02:01(平均深度22.93倍)とHLA-B*40:06:01:01(平均深度12.57倍)で、NAT00がB*40:02:01とB*40:06:01:01の異型接合体だったことを示唆します。しかし、B*40:06:01アレル特有の配列はTARGTとHLA EXPLOREでは検出されませんでした。おそらく、HLA-VBSeqで識別されたB*40:06:01:01はHLA-C遺伝子座に由来するリードのミスマッピングで、それは、HLA-Bエクソン3におけるB*40:06:01特有の置換部位を含む100塩基対配列が、IMGT/HLAデータベースのリリース3.43.0におけるHLA-C配列とひじょうに高い同一性を示すからです。

他の古典的なHLA遺伝子も、HLA-VBSeqとTARGTとHLA EXPLOREで分類されました。HLA-VBSeqの結果から、NAT002はA*02:01:01(平均深度30.74倍)とC*15:02:01(平均深度33.33倍)とDQB1*05:03:01(平均深度35.07倍)の同型接合体で、DRB1*14:05:01(平均深度7.36倍)とDRB1*14:54:01(平均深度12.93倍)の異型接合体と示唆されました。しかしHLA-DRB1については、DRB1*14:05:01アレルはTARGTとHLA EXPLORE分析では検出されませんでした。これも、HLA-VBSeqのミスマッピングの結果と推測されます。

HLA 領域でNAT002の同型接合体と異型接合体を確認するため、NAT002配列データの別のアレル頻度が調べられました。HLA領域を含む約1000万塩基対におよぶ領域で、中間的な別のアレル頻度の明らかな欠如が観察され、ROH(runs of homozygosity)が示唆されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています。

6番染色体上でROHが観察される領域と他の領域との間の類似した配列深度を考えると、アレルの脱落である可能性は低そうです。HLA-DRA・DRB1・DRB5・DRB6を含むHLA-DR領域(参照ゲノムhs37d5では、HLA-DRB3・DRB4が含まれません)における比較的多い部位は、HLA-VBSeq分析でも示唆されているように、この領域におけるNAT002の異型接合体を示唆している可能性が高そうです。しかし、これらの部位の配列深度は他の部位よりも顕著に高く、この領域への配列のミスマッピングを示唆します。したがって最終的に、NAT002はA*02:01:01とB*40:02:01とC*15:02:01とDQB1*05:03:01の同型接合体と結論づけられますが、HLA遺伝子座で1個体が同型接合体であることは一般的に稀です。

本論文が把握している限りでは、SAPHO症候群とHLA-B*40アレルとの間の関連は充分には解明されていませんが、以前の研究では、SAPHO症候群の日本人患者6人のうち3人でHLA-B61(B*40:02やB*40:03やB*40:06などいくつかのHLA-B*40アレルを含む血清型)が検出されました。さらに、HLA-B*40アレルは、強直性脊椎炎や反応性関節炎や未分化脊椎関節症の危険性アレルの一つと報告されてきました。これらの疾患はSAPHO症候群と類似しており、骨肥厚症を伴う疾患でもあります。したがって、HLA型はNAT002における骨肥厚症への遺伝的感受性を部分的に説明できるかもしれません。ニブフ人ではHLA-B*40アレルが高頻度(1998年の研究では25.5%、現在のアレル頻度データベースでは31.2%)です。

NAT002とF23との間では、共有されるHLAアレルは観察されませんでした。F23では、A*24:02:01とB*15:01:01とC*03:03:01が同型接合体です。したがって、HLA遺伝子の観点では、同じ礼文島で発掘されたNAT002とF23との間の遺伝的関係を議論できません。しかし、NAT002とF23は両方、HLA 領域では同型接合体とみなされました。これは、おそらくNAT002とF23が小さな人口規模しか維持できなかったひじょうに小さな島で暮らしていた、という事実に起因するかもしれません。


●アジア東部/北東部人において高頻度で観察される形質の推定表現型

アジア東部/北東部人口集団と他の人口集団との間で顕著に異なる頻度を示す形質と関連するいくつかの一塩基多型について、NAT002の遺伝子型に基づいてNAT002の表現型が推測されました。NAT002は、耳垢の表現型を決定するABCC11遺伝子の一塩基多型(rs17822931)でAアレルの同型接合体を有しており、乾燥した耳垢だったと示唆されます。以前の研究では、オホーツク文化標本では乾燥した耳垢が高頻度(83.9%)と報告されました。

NAT002はADH1B遺伝子の一塩基多型(rs1229984)とALDH2遺伝子の一塩基多型(rs671)でGアレルの同型接合体を有しており、それぞれアルコールとアセトアルデヒドの代謝率と関連していて、アルコール耐性が示唆されます。アルコール不耐性のアレルは、アジア東部新石器時代農耕民に遺伝的影響を受けた人口集団において、シベリア人を含む他の人口集団よりも高頻度を示します。NAT002の推定されるアルコール耐性は、アジア東部農耕民よりもシベリアの狩猟採集民において高頻度で観察される表現型と関連しているようで、アジア北部人口集団とのNAT002の遺伝的類似性に対応しています。


●まとめ

 北海道の礼文島の浜中2遺跡の先史時代オホーツク文化個体である、NAT002の高網羅率ゲノムが得られました。本論文の集団遺伝学的分析の結果から、NAT002と、ニブフ人やウリチ人などアムール川下流人口集団との間の密接な関係が示唆され、以前の形態学的およびmtDNA研究の結果を裏づけます。系統樹におけるNAT002への外部分枝の長さ(図5)は、現代のニブフ人およびウリチ人と同等で、死後損傷もしくは不充分な深度に起因する本論文の配列データの間違った遺伝子型呼び出しの小さな影響を示唆します。

 NAT002のゲノムは、日本列島北部周辺の3系統(アムール川集団、「縄文人」、カムチャッカ半島集団)間の過去の混合事象を裏づけます。これらの混合事象で最古となるのは、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間だったようです。混合年代測定に基づくと、「縄文人」系統とカムチャツカ系統との間の混合は続縄文時代となる2000年前頃に起きた、と仮定されます。本論文が把握している限りでは、続縄文時代におけるカムチャッカ半島から日本列島北部への移住を示唆する考古学的証拠は報告されていませんが、本論文の結果は以前の遺伝学的研究と一致します。さらに、歯冠測定に基づく以前の形態学的研究も、続縄文時代におけるアジア大陸部から日本列島北部への移住を示唆していますが、移住の起源はカムチャッカ半島ではなくアムール川流域と推定されました。この混合事象を明らかにするには、続縄文時代標本のさらなるゲノム研究が必要です。

 アムール川関連祖先系統の移動は、以前の考古学的証拠により示唆されたように、オホーツク文化の始まりに相当する1600年前頃に起きた可能性があります。本論文のゲノム研究は、アムール川流域からの移住の波が北海道におけるオホーツク文化開始の契機だった、との仮説を裏づけます。他方、アイヌ集団の形成過程へのオホーツク文化人の遺伝的寄与に関しては、最終的な結論には達しませんでした。

 本論文の限界の一つは、オホーツク文化期の1個体(NAT002)のみに由来するゲノムデータに依存し、NAT002が先史時代のオホーツク文化人を代表できると仮定していることで、NAT002が他地域からの移住個体である可能性を完全には排除できません。炭素と窒素の同位体比からは、NAT002が同じ遺跡で発掘された先史時代オホーツク文化個体群の変異内に収まり、NAT002が礼文島のオホーツク文化の一般的な食習慣だった、と示唆されます。しかし、この事実はNAT002がこの地域で生まれたことを証明できません。以前の研究では、女性のコラーゲン代謝回転率が、思春期には0.060±0.040で、成長停止後は0.041±0.010だった、と報告されています。したがって、NAT002が移民だとしとても、移住後に充分な時間が経過した場合には、炭素と窒素の同位体比で移住前の食習慣が反映されないでしょう。

 ストロンチウム同位体分析はNAT002の出生地を明らかにできるかもしれませんが、日本列島北部周辺のストロンチウム同位体の地理的分布図は利用できません。NAT002が先史時代オホーツク文化人を代表できるのかどうか調べる別の方法は、オホーツク文化個体の多くの標本を分析することです。したがって、複数のオホーツク文化標本を用いてのさらなるゲノム研究が、環オホーツク海地域周辺の人口史を明らかにするには必要です。さらに、本論文は特定の偏りのない混合年代測定において単一波動の移住モデルを想定しました。将来、オホーツク文化期のさまざまな時間区分の時点の複数個体のゲノムが、その詳細な移住様式(たとえば、単一、複数、継続)を明らかにできるかもしれません。環オホーツク海地域周辺の人口史についての提案に加えて、本論文は1000塩基対より長いDNA分子が特定の理想的な条件下でほぼ千年残存することも示唆しており、古代DNA研究への追加の洞察を提供できるかもしれません。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、オホーツク文化遺跡の1個体(NAT002)の高品質なゲノムデータを報告しており、たいへん意義深いと思います。本論文が指摘するように、NAT002がオホーツク文化集団を表しているとは断定できないものの、その可能性は高そうです。オホーツク文化集団は、続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合により形成された、と推測されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合は、考古学的裏づけはまだないようですが、mtDNA研究ではその可能性が示唆され、今後の古代ゲノム研究の進展が期待されます。続縄文時代集団とカムチャッカ半島集団との混合集団と、アムール川流域集団との混合は、オホーツク文化が始まった1600年前頃に起きたと推定されており、オホーツク文化が遺伝的に異なる集団間の混合により形成されたことを示唆します。もちろん本論文が指摘するように、こうした混合事象が1回だけではなく、複数回起きたり継続的だったりする可能性も考えられます。

 オホーツク文化集団とアイヌ集団との遺伝的関係については、本論文では決定的な結論には至りませんでしたが、アイヌ集団の形成において、オホーツク文化集団が一定以上の遺伝的影響を残した可能性は高そうです。本論文で提示された最も可能性が高い混合モデルに従うと、遺伝的にほぼ「縄文人」の構成の擦文文化集団(69%)とオホーツク文化集団(31%)が混合し、この混合集団(71%)と「本土」日本人集団(29%)が混合したことにより、現代アイヌ集団が形成されました。江戸時代のアイヌ集団94標本のmtDNA分析によると、「本土」日本人型は28.1%を占めます(関連記事)。これは、江戸時代においてアイヌ集団と「本土」日本人集団との混合がすでにかなり進んでいたことを示唆します。

 擦文文化集団が遺伝的にほぼ「縄文人」で、本論文のモデルが妥当だとすると、江戸時代アイヌ集団のゲノム構成は、単純計算で50%弱が擦文文化集団に由来することになります。以前の研究では、現代アイヌ集団のゲノムにおける「縄文人」構成要素の割合は66%と推定されていますが(関連記事)、その10〜15%はオホーツク文化集団と「本土」日本人集団に由来するかもしれません。その意味でも、遺伝的にアイヌ集団を「縄文人」の単純な子孫と考えることはできず、「縄文人」以外の遺伝的影響はかなり大きかった、と考えるべきでしょう。

 また、本論文でも改めて指摘されているように、アイヌ集団の重要な文化要素と考えられる熊崇拝の痕跡が、縄文時代と続縄文時代で見られないことも、オホーツク文化がアイヌ集団の形成に及ぼした重要な影響を示唆します。アジア北東部集団間の遺伝と文化の相関関係を検証した最近の研究でも、音楽でアイヌとコリャーク人とが比較的近いと示されており、アイヌ集団にアジア北東部集団が文化的影響を与えてきた、と示唆されます(関連記事)。アイヌは非縄文文化から多くの影響を受けて成立したのでしょう。

 しかし、まだ擦文文化集団の古代ゲノム研究が進んでいないとはいえ、本論文の結果からは、擦文文化集団がアイヌ集団の最も重要な祖先となった可能性が高いと考えられ、文化的にも、オホーツク文化およびその後継のトビニタイ文化の消長からも、オホーツク文化集団に対する擦文文化集団の優位が示唆されます(関連記事)。その意味で、アイヌを遺伝的にも文化的にも単純に「縄文人」の子孫とは言えないとしても、アイヌは鎌倉時代に北海道に侵略してきた外来集団といった、現代日本社会の一部?で根強く支持されているかもしれない言説(関連記事)は的外れだと思います。

 「縄文人」は、今ではアイヌなど一部の集団にしか遺伝的影響を残していないため、本論文の系統樹(図5a)で示されているように、アジア東部現代人集団との比較では特異な集団に位置づけられます。しかし、「縄文人」はユーラシア東部の人類集団間の複雑な相互作用により形成されたと考えられ、当時は「縄文人」のようにアジア東部現代人集団とは遺伝的に大きく異なる複数の集団が存在した、と考えられます(関連記事)。最近、「縄文人」に関する研究が大きく進展しており(関連記事)、今後は「縄文人」の時空間的にさらに広範囲の古代ゲノムデータが蓄積されていき、アイヌ集団との関係など日本列島も含めてユーラシア東部の人口史の解明が進むことを期待しています。


参考文献:
Sato T. et al.(2021): Whole-Genome Sequencing of a 900-Year-Old Human Skeleton Supports Two Past Migration Events from the Russian Far East to Northern Japan. Genome Biology and Evolution, 13, 9, evab192.
https://doi.org/10.1093/gbe/evab192

https://sicambre.at.webry.info/202109/article_28.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/287.html#c2

[近代史5] 「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ” 中川隆
331. 中川隆[-16206] koaQ7Jey 2021年9月28日 07:52:43 : 5DheQ2CcxI : eU9tSVA2MlpTVnM=[3]
「本当に何があったのか知りたい」女子中学生いじめ問題 母親が語った娘と変化と苦しみ
2021/09/27




(爽彩ちゃんの母親)急に泣いたり叫んでしまったり、震えたり、過呼吸が起きたり、吐いちゃったりとか。それが本当に1日の間に10回以上とか、ひどいときには20回以上、起きることが続いていた。。


亡くなる前の様子について、母親がこう話す。。

北海道・旭川市で廣瀬爽彩さん(当時14)が遺体で見つかり、いじめの有無が調査されている問題で、爽彩さんの母親が直面していた娘の変化と苦しみを語りました。(2021年9月27日放送)

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/591.html#c331
[近代史5] 旭川では町ぐるみで女子中学生に強制売春をさせている? 中川隆
253. 中川隆[-16205] koaQ7Jey 2021年9月28日 07:53:58 : 5DheQ2CcxI : eU9tSVA2MlpTVnM=[4]
「本当に何があったのか知りたい」女子中学生いじめ問題 母親が語った娘と変化と苦しみ
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(爽彩ちゃんの母親)急に泣いたり叫んでしまったり、震えたり、過呼吸が起きたり、吐いちゃったりとか。それが本当に1日の間に10回以上とか、ひどいときには20回以上、起きることが続いていた。。


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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/598.html#c253
[番外地9] 日本赤軍派が岸伸介や自民党から活動費を貰っていたのは有名な話だよ
ロクでなしの左翼に大金を流して操るのは、闇組織や外国勢力の常套手段である。
もちろん、機動隊とぶつかっていた左翼学生は、酒を飲みながらインターナショナルを唄うくらいで、裏金については何も知らなかった。彼らは汚く伸ばした長髪とゲバ棒を片手に、「反戦平和」の闘士を気取ったり、「社会正義」の雄叫びを上げるだけ。東工大出身の菅x人や信州大出身の猪瀬x樹に訊いてみればいい。ちなみに、猪瀬は「白ヘル」で、同志社大の佐藤x(さとう・まさる)は「黒ヘル」だった。佐藤を「保守派言論人」と勘違いした新潮社や『諸君!』の元編集員は反省しろ。まぁ、KGBの工作員からすれば、「馬鹿と左翼は使いよう」という訳だ。

日本赤軍派が岸伸介や自民党から活動費を貰っていたのは有名な話だよ
赤軍派のテロの首謀者はハマスやイスラエル政府だからね。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/840.html

[番外地9] 日本赤軍派が岸伸介や自民党から活動費を貰っていたのは有名な話だよ 中川隆
1. 中川隆[-16204] koaQ7Jey 2021年9月28日 10:13:12 : 5DheQ2CcxI : eU9tSVA2MlpTVnM=[5]
ロクでなしの左翼に大金を流して操るのは、闇組織や外国勢力の常套手段である。
もちろん、機動隊とぶつかっていた左翼学生は、酒を飲みながらインターナショナルを唄うくらいで、裏金については何も知らなかった。彼らは汚く伸ばした長髪とゲバ棒を片手に、「反戦平和」の闘士を気取ったり、「社会正義」の雄叫びを上げるだけ。東工大出身の菅x人や信州大出身の猪瀬x樹に訊いてみればいい。ちなみに、猪瀬は「白ヘル」で、同志社大の佐藤x(さとう・まさる)は「黒ヘル」だった。佐藤を「保守派言論人」と勘違いした新潮社や『諸君!』の元編集員は反省しろ。まぁ、KGBの工作員からすれば、「馬鹿と左翼は使いよう」という訳だ。

日本赤軍派が岸伸介や自民党から活動費を貰っていたのは有名な話だよ
赤軍派の殺人テロの首謀者はイスラエル政府だからね。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/840.html#c1

[近代史5] 「自分以外皆風景」の危険性
2021年9月28日
【室伏謙一】「自分以外皆風景」の危険性―自民党総裁選との関係で考える

 自民党総裁選、ついに明日29日投開票となりました。是が非でも河野太郎候補を推したいかのように大手メディアは連日河野推し報道、河野推し人気投票結果発表を行っていました。なんとも悍ましい光景です。

 目先の利益のため、なんとなくのイメージを基準にして、今回誤った選択をすれば、取り返しがつかないことになります。是非、今何が必要かを考えて投票をしていただきたいと思います。

 先週金曜日に公開された自民党総裁選に関する拙稿も是非ご参照ください。

https://diamond.jp/articles/-/282875 

 さて、今何が必要かを考える、と言えば、今の自分が置かれた状況、今自分がいる状況・環境を考えるということが重要ですが、どうもそれが苦手な日本人が増えているようです。

 電車の中でも駅でも、街路でも商店の中でも、どこでもいいですが、スマホをいじったり、音楽を聴いたりしながら歩いていて、ぶつかりそうになる、実際にぶつかった、そんな経験をされた方は多いのではないでしょうか?

 こうした現象は「歩きスマホ禁止〜」のように、いわゆるマナーの問題として片付けられ、注意喚起が行われることがほとんどですが、私からすると、単なる状況分析能力、自分がどういうところにいて、何が起こりえて、何をすべきであって、何をすべきではないか、そうしたことを考える能力が著しく欠如した人、これは老若男女を問わずですが、そうした人が激増したことによるものではないかと思えてなりません。

 だって、利用者の多い駅であれば、人にぶつかるかもしれない、ぶつかって持っているものを落とすかもしれない、そう考えるのが当たり前のはずで、したがって注意して歩こう、スマホのように落として困るものはしばらくポケットなりバッグの中にしまっておこう、そう判断するのも当たり前のはず。

 ところがそれができず、ぶつかったりすれば驚いたり、怪訝な顔をしたりする。注意していない奴、前をちゃんと見ていない奴が悪い、かつてであればそうだったのですが、今はそうではないようです、少なくともそうした連中の頭の中では。

 彼ら彼女らは、どこにいようと自分の世界の中に入っていて、それで完結している、関係性はSNS等を通じた擬似的なもので済ませる、人との深い関わりは避ける、そんな傾向を持っているように思います。『表現者クライテリオン』の中で社会学者の宮台真司先生が、そういう連中を「自分以外皆風景」と評しておられましたが、まさにそういうこと。

 では、なぜ私がこうした現象を今回取り上げたのかと言えば、これは共同体を喪失して、社会性すら失った、バラバラにされた、アトム化された個人と言えるからです。そうした個人は、強いものや強そうなものを求める傾向があり、それが全体主義やファシズムにつながったともされていますし、メディア等による扇動に乗りやすいともされています。

 強い言葉や、わかりやすい言葉、それを発する人、そうしたものに惹き寄せられ、場合によっては熱狂的に支持する。まさに大阪維新や小池知事を支持した人々です。

 そして、自民党員であるとないとにかかわらず、河野太郎氏を総理に相応しいと考える多くの人々の姿もまさに、こうしたバラバラにされた個人、「自分以外皆風景」の人たちではないかと、私は思うのです。

 河野太郎氏が自民党総裁に選出されれば、こうした意味でも、その先にあるのは暗黒の世界ではないかと思えてなりません。

https://38news.jp/economy/19540
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1134.html

[近代史6] 現在はバブルなのか・・・コモデディテイー価格
2021/9/26
現在はバブルなのか・・・コモデディテイー価格  
https://green.ap.teacup.com/pekepon/2765.html#comment 


中国の恒大の巨額債務問題で下落したとされる株価ですが・・・むしろ市場が怯えているのはFRBの緩和縮小。11月にも米国債の買い入れを縮小するかもしれないとパウウェル議長の発言の方が重要。

恒大に関して言えば、中国政府の匙加減一つです。何だか日本のバブル崩壊時の日銀の総量規制に似た状況。不動産バブルがパンパンに膨らんだ所で、政府が市場の過熱感を牽制する為にブレーキを掛けた。当然、過剰投資のデベロッパーの経営が一気に悪化します。

中国政府は地方政府の恒大の破綻に備える様に指示した様ですが、これがリーマンブラザーズの様なブラックスワンになるかとは思えない。中国政府は日本のバブル崩壊をかなり研究しているので、強権を発動する事も辞さないハズです。例えば、経営が悪化したデベロッパーを国有化して、資本注入する事も考えられます。これはドル建て投資の海外勢にはむしろご褒美。

ところで恒大にGPIFが96億円投資している様ですが、この他にも金利ハントの為に危険な投資を沢山している事でしょう。「長期投資」「分散投資」をしているから大丈夫って・・・子供でもそんなマジナイは信じません。


FRBがテーパリングを示唆した事で、コロナバブルもそろそろ終盤ですが・・・市場は既にコロナマネーでジャブジャブです。


下は9月14日に書きかけたてアップしていなかった記事。バブル崩壊の予測はFRB次第なので、予測しても仕方ないと思い、途中で放り出してしまいました。

■ 株価は市場最高値を更新しているが ■

強気のアナリストが予測していた、ダウ平均4万ドル、日経平均4万円があながち妄想では無い状況になっています。

原因はコロナ禍で各国中央銀行がマネタリーベースを際限なく拡大している為で、コロナ禍が続けば続く程、変異株が出現すればする程、マーケットが過熱するという状況になっている。企業業績は低迷しているのに、株価が上がるという現象はリーマンショック以降見慣れたものとなっていますが、市場は既にイケイケドンドンの状態。

■ コモディティー価格も見てみよう ■

中央銀行の供給過剰による過剰流動性は、株式市場、債券市場、コモデティ―市場を循環するのが常です。各市場を資金が循環する中で、価格が変動して、誰かが得をする仕組み。

そこで、コノディティ市場の価格推移を長期チャートで眺めて見ましょう。

原油価格
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金価格
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小麦価格
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大豆価格
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銅価格
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コモディティー価格は、リーマンショック前と後に高値を記録しています。リーマンショック前はFRBや日銀のマネーと世界的なバブルによって価格が高騰していますが、リーマンショック後は、各国中銀の超緩和政策による過剰流動性によって原油価格などは最高値を付けていまいた。

現在の状況もそれに近く、コロナ対策の超超緩和政策が巨大が過剰流動性を生み出し、コロナで需要が減っているにも関わらず、価格が高騰してる。

コモデティー価格は受給環境や、戦争などの影響も受けるので、単純に緩和マネーの量に左右される訳では有りませんが、本来は受給バランスで決まる価格が、通貨供給量のバロメーターとなっている事が昨今の市場の傾向。

金価格はちょって特殊で、様々な思惑によって価格が過剰に上下する傾向がある。


■ バブルの最期は加速度的に相場が上昇する ■

各市場とおバブルの最後に価格が加速度的に上昇する事がリーマンショック時のグラフを見ると分かる。これが「市場の過熱感」とも言われるものですが、この様な時期に市場参加者は何故なリスクに鈍感になる。「まだ上がるのでは無いか」という変な集団暗示に取りつかれる。

コモディティ市場はコロナ禍で需要が落ち込んでいるので、価格に下落圧力が掛かっていますが、大豆や銅など、上昇が鈍かった市場にも急激な価格上昇の傾向が予測されているので、そろそろ価格が噴き上がる時期を迎えているのかも知れません。


■ 全てはコロナ次第 ■

コロナバブルが何時まで続くのか・・・

全てはコロナ次第、中央銀行次第です。

コロナに収束の傾向が見られれば、市場は中央銀行の緩和縮小を予測してバブルの終焉を意識せざるを得ません。

ではコロナは何時終わるのか・・・一時期ネットに流出していた変異株の名称表では、2023年2月のΩ(オメガ)株までが予定されていたので、この頃まではコロナ騒動が続く可能性は有る。


2021/9/27 5:46
投稿者:人力
メルカッツ さん

陰謀論界隈では米中関係の見方で二分されますよね。

A)アメリカは日本同様、中国もバブル崩壊で潰す。
B) アメリカは隠れ自滅政策で中国を次の覇権国家にす

一環的にはAが指示されますが、田中宇氏を筆頭にBの
支持者も増えています。特に「グレートリセット」を米
覇権主義の終了と捉えている人が増えているかと。

私は米中対立自体が虚構で、仮に中国で恒大が切っ掛け
となる大バブル崩壊が起きてたら、その影響は金融市場
全体にお呼び、一番ダメージを受けるのはアメリカだと
妄想しています。

中国は「徳政令」が可能な体制ですから、世界で一番早
くバブルの遺産を解消出来ます。一方、トランプやコロ
ナで国民が分断されたアメリカは、暴動が激化してきっ
と内戦に近い状況に陥る。これも「行き過ぎた資本主義
や民主主義の末路」としてマルクスが予言しています
が、その後は反動で人々は「政府による管理」を求める
様になるのかも知れません。


中国政府が仮想通貨を禁止しますが、確かにお書きにな
られている様にトリガーは中国政府が引くのかも知れま
せん。

2021/9/27 5:38
投稿者:人力
ゆうこ さん

「日本の株はまだまだ伸びる」・・・かつてのバブル末
期にもそう言われました。「弾けるまでは伸びる」とい
うのが現実ですが、上手く立ち回れば儲かる・・・皆そ
う考えている。それを裏で操る連中が居る。日本のバブ
ル崩壊前の相場は、アメリカの日本売りファンドが仕掛
けたものでした。

バブル崩壊の引き金はいつでも中央銀行が握っています
が(特にFRB)、〇〇ショックはその結果の生贄の名前
が冠せられる事が多い。ITだったり、リーマンだった
り。

金融市場にとってバブル崩壊は「徳政令」と同義です。
借りた金は返さない、さらには政府や中央銀行が大盤振
る舞いでご祝儀をくれる。

2021/9/27 5:32
投稿者:人力
鍛冶屋。 さん

バブルの定義は専門家にでも聞いて下さい。私は日本の
バブルや、リーマンショック前の状態を普通にバブルだ
として話をしています。それらは中央銀行の行き過ぎた
緩和政策の結果だというのは一般的な見解だと思いま
す。

自民党の総裁選、私は今回は全く興味が持てない・・・
というより裏が読めない。

ちょっと面白いのは安倍氏辞任の原因がジャパンハンド
ラーの牙城のCSIS(戦略国際問題研究所)が、安倍氏辞
任の直前に「安倍政権は中国に近過ぎる」という記事を
機関紙に載せた事です。安倍政権は表向きは嫌中、嫌
韓、嫌北朝鮮のポーズを取ってバカな日本会議支持の地
方の保守層やネトウヨの支持を確保していましたが、裏
は中国や半島とベッタリだった。安倍氏は辞任後、統一
教会との関係を隠す事もしません。一方、安倍政権を幹
事長として裏で支えた二階氏も中国寄りの議員です。ジ
ャパンハンドラー達はこれを警戒したので、安倍氏は辞
任、政治生命が脅かされた二階氏が菅氏を総裁にして延
命した。


河野洋平氏は菅氏と仲が良く、父親は親中韓の故河野太
郎氏。彼自身も隠れ親中派だと私は睨んでいますが、一
方で米国留学でアメリカの怖さも知っている。内閣に入
ってからはリベラル路線を封印してかなりネコを被って
います。ワクチン担当大臣は「踏み絵」なのだと私は妄
想しています。彼自身、ネットに親しんでいるのでワク
チンの怖さは承知していますが、世界の経営者の方針に
は逆らえません。鼻の先に首相の椅子をぶら下げられた
のか・・・或いは、ワクチン担当相を断れば政治生命を
絶つと脅されたのか・・・。

何れにしても、日本の首相はアメリカの頸木から逃れら
れない。安倍氏も総裁就任後にアメリカから邪険にされ
てTPPなどでかなりアメリカに譲歩し、さらにモリカケ
で脅されて完全にアメリカに屈した。

尤も、自民党議員の自出を辿ると・・純粋な日本人じゃ
ないじゃん!!ってなる訳で、結局は明治維新のロスチ
ャイルドの戦略まで遡る訳で、マイノリティーに統治さ
せろというのは与野党を問わず未だに生きていると私は
妄想しています。優秀な日本人は官僚を目指しました
が、最近はそこも危うい。

https://green.ap.teacup.com/pekepon/2765.html#comment
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/680.html

[近代史5] 中国共産党による格付け社会

中国共産党による格付け社会……日本に導入したがっている竹中平蔵
2021年09月13日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1616.html


 中国社会が2500年前に孔子が体系化した「儒教」を引きずっている社会であることは何度も書いている。
 儒教の本質は、「序列とメンツ」と言ってもよい。人間関係の価値観の根底に、人を序列化し、序列ランキングを基準に競争し、自分の位置を守り、上位に向かうことで喜びを感じるランキング価値観の社会である。

 中国において何よりも大切な価値は、自分の序列である。見知らぬ人と出会うと、最初に、互いの序列を確かめ合うのが人間関係の作法だ。
 その基準は、どれだけ大きな権力を持っているか? どれだけ金を持っているか? どれくらい信用があるか? どれくらい喧嘩に強いか、などだ。
 もしも、相手が自分より上だと思えば、その瞬間から、対等の関係ではなくなり、相手を尊敬し、服従するのが中国式人間関係である。

 だから、中国社会は、滅多矢鱈に、自分の序列を確かめるための試合が好きなのだが、負けたとき、それを認められないと、暴力的な報復に走ることも多い。中国では、序列をめぐる殺人が日常茶飯である。納得できないで、自分のメンツ、プライドを潰すやつは命に代えても許さないという価値観だ。

 序列の最上位にあるのが、中国共産党の権力者で、次が大金持ちたちで、これは「人を食わせることができる能力」と言い換えてもいい。中国で、もっとも尊敬されるのが、「人の胃袋を満たすことのできる人間」というわけだ。
 序列上位は、下位の人間を、召使いか奴隷のように扱おうとする。魯迅の「阿Q正伝」やパールバックの「大地」を読めば、中国人にすり込まれた序列感が分かりやすい。

 そうすると何が起きるかというと、序列ランキングに媚びる人々がたくさん出てきて、上位に対して賄賂を送って便宜を図ってもらおうとしたり、下位の人間をあからさまに侮蔑して、人を人とも思わないような風潮が生まれてくる。これを「社会の腐敗」と呼んでも間違いないだろう。

 こんな社会では、「みんな同じ仲間だから助け合う」という友愛の価値観は成立しない。序列に媚びるために賄賂を贈ったり、他人を見下したり、気に入らない者は殺害したりと、およそ日本人の人間関係の常識からはかけ離れた寒風吹きすさぶ社会になってしまう。
 他人と協調して、手を携えて生きてゆくという思想ではなく、他人を利用することしか考えなくなる。これが儒教的価値観のもたらす帰結である。

 中国共産党は、最近(この数年程度)、中国国民を格付けし、中国共産党支配に役立つ人の序列を上げて、社会秩序を壊そうとする人の序列を下げて、究極のランキング社会を作る施政方針を実現しはじめている。
 以下のユーチューブコンテンツが、格付けで何が起きているのか、分かりやすく解説している。
 https://www.youtube.com/watch?v=-e8C3bk0krE&ab_channel=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%8C%E7%A7%B0%E8%B3%9B%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC

 これは、右寄り思想のコンテンツではあるが、「上海の日本人が、次々に帰国している。その理由は、中国の格付け社会化に耐えられないから」としている。
 中国では、人をランキング化し、上位の人間は楽に暮らせるが、下位の人間は、生きてゆくことも苦しくさせられ、究極の不平等社会が成立している、というわけだ。
 以下は三年前の記事だが、現在は、このシステムが、はるかに進化している。

 中国14億人を格付けする監視システムの真実 反政府活動どころかグレることもできない 東洋経済 2018/05/10
 https://toyokeizai.net/articles/-/219940

 中国で調査報道記者として活動する劉虎が、自分の名前がブラックリストに載っていたことを知ったのは、2017年に広州行の航空券を買おうとした時のことだった。
 航空会社数社に搭乗予約を拒まれて、中国政府が航空機への搭乗を禁止する「信頼できない」人間のリストを保有しており、自分がそれに掲載されていたことに気づいた。

 劉は、2016年に公務員の腐敗を訴えるソーシャルメディアに関する一連の記事を発信し、中国政府と衝突した。政府から罰金の支払いと謝罪を強要された劉はそれに従った。
 これで一件落着、と彼は思った。だがそうはいかなかった。彼は「不誠実な人物」に格付けされ、航空機に乗れないだけではなく、他にも多くの制限を受けている。

 「生活がとても不便だ」と、彼は言う。「不動産の購入も許されない。娘を良い学校に入れることも、高速列車で旅することもできない」

 国家権力による監視とランク付け

 劉はいつのまにか、中国の「社会信用システム」に組み込まれていた。中国政府は2014年に初めてこのシステムを提案、市民の行動を監視し、ランク付けし、スコアが高いものに恩恵を、低いものに罰を与えると発表した。
 この制度の下で、エリートはより恵まれた社会的特権を獲得し、ランクの底辺層は実質的に二流市民となる。この制度は2020年までに、中国の人口14億人すべてに適用されることになっている。

 そして今、中国は劉のように「悪事」を犯した数百万人に対し、鉄道と航空機の利用を最長1年間禁止しようとしている。5月1日から施行されるこの規則は、「信用できる人はどこへでも行くことができ、信用できない人は一歩を踏み出すことすらできないようにする」という習近平国家主席のビジョンを踏まえたものだ。
 
これは近未来社会を風刺的に描いたイギリスのドラマシリーズ「ブラックミラー」のシーズン3第1話『ランク社会』のプロットにそっくりだ。ドラマはSNSを通じた他人の評価が実生活に影響を与えるという架空の社会が舞台だが、中国において暗黙の脅威となるのは、群衆ではなく、国家権力だ。

 中国政府はこのシステムの目的は、より信頼のおける、調和のとれた社会を推進することだと主張する。だが、この制度は市場や政治行動をコントロールするための新しいツールにすぎないという批判の声もある。

 人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの上級研究員マヤ・ワンは、「社会信用システムは、善行を奨励し、悪行を処罰するために習政権が実施する、完全支配のシステムだ。それも進化する」と本誌に語った。「制度が成熟すると共に、逆らう者への処罰はひどくなるだろう」。

 社会信用システム構想発表時の文書によれば、政府は2020年までに最終的なシステムの導入をめざしている。

 国家的なシステムはまだ設計段階にあり、実現の途上にあるが、地方自治体は、市民に対する様々な方法を試すために、独自のパイロット版を立ち上げている。中国最大の都市上海では、親の世話を怠る、駐車違反をする、結婚の登録の際に経歴を偽る、列車の切符を転売するといった行為は、個人の「信用スコア」の低下につながりかねない。

 民間企業も類似システムを開発

 中国南東部の蘇州は、市民を0から200までのポイントで評価するシステムを採用。参加者は全員100の持ち点から始める。警察によれば、2016年に最も模範的だった市民は、献血を1リットル、500時間以上のボランティアを行って、最高の134ポイントを獲得したという。ポイント数に応じて、公共交通機関の割引や病院で優先的に診察してもらえるなどの特典が与えられる。

 蘇州当局は、次の段階として、運賃のごまかしやレストランの予約の無断キャンセル、ゲームの不正行為といった軽犯罪に対してもこのシステムを拡大し、市民を処罰する可能性があると警告した。

  中国の電子商取引企業も顧客の人物像を把握するために、顔認証などの高度な技術を使って、似たような試験プログラムを実施している。政府は、社会信用システムの開発にむけて民間企業8社にライセンス供与している。

 中国最大手IT企業・アリババ系列の芝麻信用(セサミ・クレジット)は、ユーザーの契約上の義務を達成する能力や信用履歴、個人の性格、行動や嗜好、対人関係という5つの指標に基づいて、350から950の信用スコアを割り当てている。

 長々とゲームをする人は怠け者
個人の買い物の習慣や友人関係、自分の時間を過ごす方法などもスコアに影響を与える。「たとえば、10時間ビデオゲームをプレイする人は、怠け者とみなされる」と、セサミ・クレジットのテクノロジーディレクターであるリ・インユンは言う。「おむつを頻繁に購入する人は親とみなされる。親は概して責任感がある可能性が高い」

 同社はそうした数値を計算するための複雑なアルゴリズムを明らかにすることを拒否しているが、既にこのシステムに登録された参加者は数百万にのぼる。セサミ・クレジットはウェブサイトで、公的機関とのデータ共有はしていないと主張している。

 中国政府がこの試験的構想から全国統一のシステムを作り出し、計画どおりに実施するなら、中国共産党はすべての国民の行動を監視し、方向付けることができるようになる。言い換えれば、習は完全な「社会・政治的統制」の力を握るだろうと、中国研究機関メルカトル・チャイナ・スタディーズのサマンサ・ホフマンは本誌に語った。

 「このシステムの第一の目的は、党の力を維持することだ」
*****************************************************************
 引用以上

 実は、この恐ろしいシステム、まるでオーウェルの1984を、そのままコピーしたような社会こそ、竹中平蔵・ビルゲイツ・アルゴアら、ダボス会議組(我々はイルミナティと呼んでいる)が提唱している「グレートリセット・スーパーシティ」構想、そのままの社会である。
 中国共産党は、二階俊博のバックにいる竹中平蔵を非常に高く評価し、彼らの理想社会ビジョンは瓜二つである。

 竹中平蔵氏と中国・習近平政権、提唱する「経済政策」がこんなに似てきている
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76094

 竹中平蔵は、中国で行われている序列化ランキング社会を、そのままスーパーシティとして日本に導入したいのだ。
 そのため、北京雄安新区に建設されたスーパーシティ、超監視社会と同じものを日本に建設する目的で、淡路島をタダ同然に買い占めた。
 リニア中央新幹線計画も、名古屋までで終わるのではなく、最終目的地は淡路島である。原発を大量に新設し、その電気で、新幹線も車も、都市機能すべてを動かす。人々を24時間監視してランキング付けし、協力者を特権階級に仕立て上げる。

 まさに、彼らの合い言葉、「グレートリセット」とは、こうした「超支配社会」の始まりを意味するのだ。


2018/10/18 中国を変えた"信用格付けシステム"の怖さ だれもが「品行方正」に激変した
 https://president.jp/articles/-/26480?page=1

中国で浸透する「信用スコア」の活用、その笑えない実態
 https://wired.jp/2018/06/26/china-social-credit/

 竹中平蔵ら、自民党の背後霊は、こんな恐ろしい統制社会が大好きなのだ。こんな社会なら、憲政史上最大の売国奴といわれる竹中平蔵も、金や権力を持っているというだけで敬われ、我が世の春を謳歌する仕組みなのだ。ウソをつく口先から生まれてきたといわれる安倍晋三も同じだ。

 だが、中国人はしたたかだ。中国社会というのは、徹底した二重社会であり、タテマエとホンネの乖離した分裂社会である。
 表向き、中国共産党によるランキング社会が成立したとしても、背後には、そのアンチテーゼ社会が成立する。
 人々は、タテマエで共産党に従っていても、本当の自分は裏側にある「幇」という同盟組織に依存していることが多い。

 中国は儒教の序列主義の束縛から逃れる、裏社会を持っている。裏側の本当の中国社会では、共産党政権による息苦しい統制支配から逃れ、自由を謳歌できる強力な実力を持った仕組みがある。
 中国はウソで固めた社会だ。例えば、戦前、日本軍に立ちはだかった国民党軍の総統は蒋介石だったが、彼の正体は、青幇という麻薬密売ヤクザ組織の頭目でもあった。
 江沢民も青幇の頭目だったといわれる。中国共産党の多くの幹部が、息苦しい共産党組織の陰で、自分が所属する「幇」のなかで自由な空気を吸っている。

 民衆レベルでも同じで、みんなタテマエとホンネの乖離した二重社会に所属して息を抜いている。だが、日本社会にはそれはない。
 中国と同じ管理システムが竹中平蔵によって日本に導入されたなら、ほとんどの人々が窒息して、精神の安定を失って暴走を始めるにちがいない。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1616.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1135.html

[近代史6] エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897 - 1957)
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897 - 1957)

映画音楽の分野で大貢献した人。ヴァイオリン協奏曲が素晴らしい。

ヴァイオリン協奏曲
4.0点
自作の映画音楽の主題を引用して書いた曲。ドリーミーな雰囲気に浸れて楽しい。主題が美しく映画音楽が好きな人ならこの曲も好きになるに違いない。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト[1](Erich Wolfgang Korngold, 1897年5月29日 - 1957年11月29日)はオーストリアとアメリカ合衆国で活躍した作曲家。ユダヤ系。

神童として
彼は音楽評論家ユリウスの次男として、モラヴィア地方のブリュン(現在はチェコのブルノ)に生まれた。幼い頃から作曲の才能を示し、モーツァルトと同じ名前と相まって「モーツァルトの再来」と呼ばれる程の神童ぶりであった。9歳の時に作曲したカンタータを聴いたマーラーは、「天才だ!」と叫び、11歳の時に作曲したバレエ音楽『雪だるま』(Der Schneemann)はウィーン宮廷歌劇場で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の御前演奏として初演され、万雷の拍手をもって迎えられた。

その後も快進撃は続き、12歳で書いた『ピアノソナタ第1番 ニ短調』はリヒャルト・シュトラウスに戦慄と恐怖を与え、名ピアニスト、アルトゥール・シュナーベルは13歳の作品『ピアノソナタ第2番 ホ長調』(作品3)をヨーロッパ中に紹介し、ベルリン・フィルの大指揮者ニキシュは14歳のコルンゴルトに『劇的序曲』(作品4)を委嘱する。幼少時の『シンフォニエッタ』(作品5)を完成させた15歳の頃には、コルンゴルトは既にプロ作曲家として第一線で活躍していたのである。

ただし、バレエ音楽『雪だるま』のオーケストレーションはツェムリンスキーが補筆しており、『ピアノソナタ第1番 ニ短調』はマーラーの助言[2]を受けて改訂するなど、成人前は完全に独力で作曲していたわけではない。

頂点から亡命へ
16〜18歳で書いたオペラ『ポリクラテスの指環』(Der Ring des Polykrates、作品7)、『ヴィオランタ』(Violanta、作品8)はプッチーニの絶賛を受け、この成功によってオペラ作曲家としての地位を確立し、1920年、オペラ『死の都』(Die tote Stadt、作品12)の大成功によって、23歳にしてオペラ作曲家としての世界的評価を確立する。1927年、満を持して作曲したオペラ『ヘリアーネの奇跡』(Das Wunder der Heliane、作品20)を初演した当時、コルンゴルトの名声は頂点に達し、ウィーン市から芸術勲章を、オーストリア大統領からはウィーン音楽大学名誉教授の称号を贈られ、さらに1932年、大新聞『新ウィーン日報』のアンケートで、シェーンベルクと並んで存命する最高の作曲家に選ばれた。その後、管弦楽曲、協奏曲[3]、室内楽曲、歌曲、編曲と旺盛な音楽活動が続き、結局この時期が事実上、作曲家コルンゴルトの絶頂期であった。

1926年、ザルツブルク音楽祭で新進の音楽プロデューサーマックス・ラインハルトと知り合い、彼の要請でヨハン・シュトラウスのオペレッタ『こうもり』をミュージカルに編曲。ニューヨークでのブロードウェー公演の成功が縁となり、1934年、ラインハルトの招請でハリウッドに赴き、シェイクスピア原作の映画『真夏の夜の夢』の映画音楽として、メンデルスゾーンの同名の劇音楽の編曲を行い、関係者の称賛を浴びる。

映画音楽と云う新しいジャンルに足を踏み入れたコルンゴルトであったが、この頃から彼の名声に陰りが出始める。その後、ウィーンとハリウッドを往復する日々を送りながら、『ヘリアーネの奇跡』以来久しぶりのオペラ『カトリーン』(Die Kathrin、作品28)を書き上げ、初演を間近に控えていた1938年、ナチス・ドイツのオーストリア併合により、『カトリーン』初演は流れ、ユダヤ系だったコルンゴルトはアメリカに亡命し、仕方なく映画音楽を書きながら亡命生活を送るよりなかった。亡命の際には多くの自筆譜をオーストリアに残してしまったが、友人の協力のおかげでそのほとんどを持ち出すことができ、持ち出せなかった曲も、記憶を元に復元した。

映画音楽との出合い
生活のためにオペラを諦め、映画音楽を書くことになったが、それでも美しい旋律、優れた管弦楽法は、緩みきった映画音楽業界に革命をもたらした。経営者側は彼のために高額な契約を結んだが、年間2作の作曲でよく、しかも旧来の作品の引用は自由と云う破格の待遇を与えていた。

1935年に、初期の傑作『海賊ブラッド』(Captain Blood)を書き大絶賛された翌年、1936年に『風雲児アドヴァース』(Anthony Adverse)でアカデミー作曲賞を受賞。40以上のライトモチーフを使い、オペラ並みの作品に仕上げている。ただ、あまりにも出来が良すぎて、賞はワーナーの音楽部門全体に贈られ、オスカーは音楽部長が受け取ってしまった。1938年には『ロビンフッドの冒険』で2度目のアカデミー賞に輝く(今度はコルンゴルト自身がオスカーを獲得)。コルンゴルトは最初、この作品のスコアを書くのを断ったのだが、ワーナー音楽部長の説得とナチス・ドイツによるオーストリア併合により仕方なく引き受け、オスカー獲得につながった。

映画音楽家としてのコルンゴルト
コルンゴルトは映画音楽作曲をオペラ創作の延長上に見なしており、ロベルト・フックスやマーラー、リヒャルト・シュトラウスから直接学んだ後期ロマン派的作風を、そのまま映画音楽に持ち込んだ。また、気に入った映画音楽は自作の芸術音楽に転用できる権利も保有していた(実際、ヴァイオリン協奏曲や弦楽四重奏曲第3番などが作曲された)。大管弦楽団を使ったシンフォニック・スコアは、後のハリウッド映画音楽の基礎となり、映画音楽の先輩にあたるアルフレッド・ニューマンや、後世のジョン・ウィリアムズにも多大なる影響を与えた。

大戦後〜忘却の晩年
ヒトラーが倒れるまで純粋な音楽作品の創作を封印していたコルンゴルトにとって、第2次世界大戦の終結は転機となった。

1946年、『愛憎の曲』(Deception)を最後に、純音楽作曲家に戻るべく、新作を携えウィーンを訪れるも、当時の映画音楽に対する評価の低さや、後期ロマン派的作風は前衛音楽全盛の音楽業界から受け容れられず、「映画に魂を売った下等な作曲家」というレッテルを張られて事実上ウィーンの楽壇から抹殺され、失意の内にハリウッドに戻り、不遇の中、同地で1957年、脳出血で死去した。2曲目の交響曲を作曲中だった。遺体はハリウッドのハリウッド・フォーエバー墓地に埋葬されている。

戦後の主要作品として『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調』(作品35、ハイフェッツが世界初演し、その後も愛奏した)や『弦楽合奏のための交響的セレナード』(作品39)、『交響曲 嬰ヘ調』(作品40、フランクリン・ルーズベルトの思い出に捧げられた)、『主題と変奏』(事実上最後の作品)などが挙げられる。


再評価
没後の再評価は1970年代、彼自身の映画音楽から始まった。二男のジョージ・コーンゴールドがプロデュースした、チャールズ・ゲルハルト指揮、ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団演奏による映画音楽集のレコードが良好な売れ行きを示した頃から、コルンゴルトの音楽の再評価が始まる。前記したように、ジョン・ウィリアムズなどの、シンフォニックタイプの作曲家に与えた影響は大きい。

また、ラインスドルフ指揮によるオペラ『死の都』、ケンペ指揮による『交響曲 嬰ヘ調』のレコード等で、彼のクラシック音楽の再評価も始まるなど、『コルンゴルト・ルネッサンス』の端緒がここに始まった。

現在、欧米においてはコルンゴルトに対する偏見は少なくなり、20世紀のクラシック音楽の作曲家の一人として、その作品は多くのCDがリリースされ、一流演奏家もコンサートで取り上げている。

主要な作品

交響曲
交響曲 嬰ヘ調 作品40

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35(自作の複数の映画音楽に基づく。ヤッシャ・ハイフェッツにより世界初演された)
チェロ協奏曲 ハ長調 作品37(自作の映画音楽の拡大改作)
左手のためのピアノ協奏曲 嬰ハ調 作品17(パウル・ヴィットゲンシュタインのために作曲)

管弦楽曲
ベイビーセレナード 作品24(オペラ「カトリーン」と共通の、ジャズ・ベースの楽想をもつ)

室内楽曲
ピアノ三重奏曲 ニ長調 作品1(ブルーノ・ワルターが初演時にピアノを弾いた)
ヴァイオリンソナタ ニ長調 作品6(フィナーレに自作歌曲が転用されている)
弦楽六重奏曲 ニ長調 作品10(ロゼー四重奏団により初演)
ピアノ五重奏曲 ホ長調 作品15
2つのヴァイオリン、チェロ、左手ピアノのための組曲 作品23(パウル・ヴィトゲンシュタインのために作曲)

劇音楽『空騒ぎ』作品11(本来はオーケストラのための作品だが、ヴァイオリンとピアノのために編まれた組曲も有り、更に原典版と改訂版が存在する。
弦楽四重奏曲第1番 イ長調 作品16
弦楽四重奏曲第2番 変ホ長調 作品26
弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 作品34

オペラ
ポリクラテスの指輪 作品7
ヴィオランタ 作品8
死の都 作品12
ヘリアーネの奇蹟(英語版) 作品20
カトリーン 作品28

ピアノ曲
ピアノソナタ第1番 ニ短調
ピアノソナタ第2番 ホ長調 作品2
主題と変奏
この他、多数のピアノ曲、声楽曲がある。


映画音楽
風雲児アドヴァース(英語版) (1936) マーヴィン・ルロイ監督、フレデリック・マーチ、オリヴィア・デ・ハヴィランド主演
ロビンフッドの冒険 (1938) エロール・フリン、オリヴィア・デ・ハヴィランド主演
シー・ホーク (1940) エロール・フリン主演
嵐の青春(英語版) (1942) サム・ウッド監督(後のアメリカ大統領であるロナルド・レーガンが出演した最良の作品として知られる。メイン・タイトルが『スター・ウォーズ』と酷似している事でも有名[4])
永遠の処女(英語版) (1943) シャルル・ボワイエ、ジョーン・フォンテイン主演
楽聖ワグナー(英語版) (1955)ウィリアム・ディターレ監督、イヴォンヌ・デ・カーロ主演。コルンゴルトもハンス・リヒター役でカメオ出演している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%88


http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/681.html

[近代史6] カール・オルフ(Carl Orff, 1895 - 1982)

カール・オルフ(Carl Orff, 1895 - 1982)

カルミナ・ブラーナ
3.5点
やはり有名な1曲目のインパクトが絶大なものがある。しかし、その後もシンプルさと野蛮さが合わさった魅力的な音楽が続く。小難しく考えずに素直に楽しめる。リズムの複雑さを伴った野蛮さは20世紀のクラシックのテーマの一つのだが、これほど爽やかで気持ちよく愉しめる曲は少ないだろう。楽曲は多彩で、長くて多くの曲を聴いていても飽きない。初心者でも愉しめて専門知識が不要。でも時代のエッセンスは盛り込んでいる。その点では、大衆性を持ちうる貴重な20世紀のクラシック音楽の財産の一つといえる。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29

カール・オルフ(Carl Orff, 1895年7月10日 - 1982年3月29日)は、ドイツの作曲家。ミュンヘンに生まれ、同地で没した。作曲家としてジャンルを特定させない特異性を持っていた。独自のジャンルを作り出しているからである。自分の音楽劇を、しばしば『世界劇』(„Welttheater“又は „Theatrum Mundi“) と呼んでいた[1]。

人物・来歴
軍人の家系で誕生したが、家族は早くから秀でた彼の音楽の才能を伸ばす事に協力した。その後、公立学校を中退。ミュンヘン音楽学校で学ぶ。初期の作曲(歌や管弦楽)と音楽劇の試みは(特にリヒャルト・シュトラウスによる)身近な環境に影響された。ドビュッシーの音楽とメーテルリンクの著作に惹かれていた。その間シェーンベルクの研究も続けていた。

1915年から1919年までは戦役のために短い中断があったが、ミュンヘン室内楽団(1917年)とマンハイムやダルムシュタット(1918-19)の劇場で指揮や合唱等の指導をした。1920年ハインリッヒ・カミンスキー(Heinrich Kaminski, 1886年 - 1946年)に師事。カミンスキーは9歳年長で1930年代にベルリン音楽大学のマスター・クラスの教授をした作曲家で、ドイツ・バロック音楽復興に大きな寄与をした人物である。

1920年代に舞踏教師のドロテー・ギュンター (Dorothee Günther) に出会い、彼女と共に、1923年ミュンヘンに体育・音楽・舞踏を教えるギュンター・シューレ(Günther Schule 学校)を設立した。1925年、このギュンター・シューレに参加して1936年まで音楽を教えていた。クルト・ザックス からの提案に従いモンテヴェルディの劇作品を発見。オルフによるモンテヴェルディのオルフォイスの編曲(初演は1925年マンハイム)は好評を博し、ドイツ語でのモンテヴェルディの舞台を復活させた点で決定的なものとなった。オルフはモンテヴェルディの作品を通して、彼独自の音楽言語と彼の音楽劇を特徴づけることになった。

オルフの作品の基礎はこの時代に遡ることができる。身振り手まねの音楽 (Gesticulative music) を当初から目指していた。オルフにとって「フーガやソナタといった純音楽を書くことは不可能である。そういった形式の可能性は、すべて18,9世紀に使い果たされてしまった。劇場音楽こそ未だ開拓されざる世界であり、そこに可能性を見いだすことができる」という。

当時、最も興味をもって研究したのは、スイスの教育者・作曲家エミール・ジャック=ダルクローズ (1865-1950) の提唱したリトミックの理論であった。ダルクローズは音楽教育の実践を提唱して20世紀のバレエに少なからぬ影響を与えた(例 ニジンスキー、クルト・ヨース等)。一方、ヒンデミットの提唱した実用音楽 (Gebrachsmusik) の理論に影響を大きく受けており、音楽教育者としてリトミックと実用音楽のシステムによる教育用の作品を書き始める。

1930年頃の作品が「教育音楽(Schulwerk)」であり、1950年から1954年にかけて、彼の門下のグニルト・ケートマン (Gunild Keetman) の協力の下で全面的に改定されムジカ・ポエティカ に纏められている。初歩レベルの子供達がミュージシャンとして、容易に、楽しく演奏ができるため、世界中の教育現場で利用されている。

カルミナ・ブラーナの成功
1937年6月8日、フランクフルト・アム・マインの市立劇場で初演された「カルミナ・ブラーナ」は大成功を修めドイツ各都市で上演された。

しかし、第2次世界大戦の勃発によってドイツと他国との文化の交流が断絶したため、カール・オルフの名は同世代のイベール (1890-1962)、プロコフィエフ (1891-1953)、オネゲル (1892-1955)、ミヨー (1892-1974)、ヒンデミット (1895-1963)(ドイツ人だが1938年亡命))等よりも国外で知られるようになるのは遅かった。国際的に名が知られるようになったのは1954年で、59歳頃でレコード化された後である。カルミナ・ブラーナの成功によって自信を得たオルフは、出版社ショットに寄せた手紙の中で、「今までの作品すべて破棄して欲しい。と言うのは私にとってカルミナ・ブラーナが本当の出発点になるからである」と記している。

作品
オルフの作品について言えるのは、和声・旋律・リズムのすべてが、単純さ、明快さ、力強さにあふれている事である。打楽器に対する執着は原始的なバーバリズムを強く感じさせるものである。

オルフは自己の創作態度について次のような発言を行っている。「私が舞台作品を書くに当たって、いつも古い素材、お伽噺だとか伝説などばかり採り上げるのは何故かという質問をよく受ける。私は、それらを古いものとは見なしていない。むしろ有効な素材だと思っているのである。そこには時間的な要素はもはや消失し、活力的なものだけが残されている。私はその活力を舞台上で伝えたいのである。」


舞台作品
オペラ『犠牲』Gisei - Das Opfer op. 20 歌舞伎『寺子屋』を素材とした最初のオペラ。(1913年)
以降は一種の「チクルス」で作曲しているのが特徴的である。

勝利 三部作 „Trionfi“
カンタータ『カルミナ・ブラーナ』(1937年)
カンタータ『カトゥーリ・カルミナ』(1943年)
カンタータ『アフロディテの勝利(英語版)』(Trionfi dell' Afrodite)(1952年)
メルヒェン芝居 三部作 „Märchenstücke“
オペラ『月』。グリム童話による。台本・作詞:オルフ(1937年 - 1938年)
オペラ『賢い女』(Die Kluge)。グリム童話による。台本・作詞:オルフ(1940年 - 1941年)
オペラ『夏の夜の夢』Ein Sommernachtstraum (1917, 1939, 1952, endgültige Fassung 1962 UA: 1964)
バイエルンの世界劇 四部作 „Bairisches Welttheater“
1947年 『ベルナウアーの女』 (Die Bernauerin)。アグネス・ベルナウアーを題材とした作品。
1953年 オペラ・バレエ『アストゥトゥーリ(ドイツ語版)』 あるバイエルンのコメディ (Astutuli, eine bairische Komödie)。ミゲル・デ・セルバンテスの魔法劇による。
1956年 復活祭カンタータ『キリスト復活のコメディア』 (Comedia de Christi Resurrectine)
1960年 クリスマス音楽劇『キリスト降誕劇』(Ludus de nato infante mirificus, Ein Weihnachtsspiel)
世界劇 四部作„Theatrum Mundi“
1949年『アンティゴーネ』 (Antigone)。ソフォクレスの悲劇による。
1959年『暴君エディプス王』 (Oedipus der Tyrann)。ソフォクレスの悲劇による。
1968年『プロメテウス(ドイツ語版)』
1973年 オペラ『時の終わりの劇』。世界の終末についてのオルフ独自の世界観・哲学的考察とも言うべき作品、初演は1973年8月20日、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ケルン放送交響楽団等により、ザルツブルク祝祭大劇場にて。 (新版 1977出版)


その他の作品

5つの歌曲 同年に出版。(1911年)
バリトン独唱、3つの男声合唱と管弦楽のための「ツァラトゥストラ」 op.14(1911-1912年、未完)

弦楽四重奏『断章』 (Quartettsatz)。Leopolder Quartetにより初演。(1914年)

管弦楽のための作品「踊る牧神」(Tanzende Faune) op.21(1914年)
『オリンピック輪舞』 (Olympische Reigen)。ベルリンオリンピックのために作曲。(1936年)

教育音楽『ムジカ・ポエティカ』 (子供のための音楽、グニルト・ケートマン(英語版)との共作; 1930–35, 新版1950–54)

カンタータ
フランツ・ヴェルフェルによる三つのカンタータ (1929/30, 新版1968)
ベルトルト・ブレヒトによる二つのカンタータ (1930/31, 新版1973/1968)

編曲
ラメンティ クラウディオ・モンテヴェルディによる
オルフェウス (1924; Neufassung 1939)
アリアドネの嘆き (1925, Neufassung 1940)
Tanz der Spröden (1925, Neufassung 1940)
1940年 『エントラータ』 (Entrata für Orchester)。ウィリアム・バードの„The Bells“による五群のオーケストラとオルガンの作品(1928, Neufassung 1941)

台本
1948年 音楽劇『キリスト降誕物語』 (Die Weihnachtsgeschichte) 台本を担当 音楽はグニルト・ケートマン

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%95
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/682.html

[近代史6] カール・オルフ カルミナブラーナ
Carl Orff /  カルミナブラーナ



Simon Rattle
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/683.html

[近代史6] コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲
コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲


Korngold: Violin Concerto, Heifetz & Wallenstein (1953)



Erich Wolfgang Korngold (1897-1957)
Violin Concerto in D major, Op. 35


(00:05) 1. Moderato nobile
(07:57) 2. Romanze: Andante
(15:10) 3. Finale: Allegro assai vivace


Jascha Heifetz (1901-1987), Violin
Alfred Wallenstein (1898-1983), Conductor
Los Angeles Philharmonic


Rec. 1 January 1953, at Republic Pictures Studios, in Hollywood


エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35


ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ
指揮:アルフレッド・ウォーレンスタイン
ロサンジェルス・フィルハーモニック


録音:1953年1月1日 リパブリック・ピクチャーズ・スタジオ (ハリウッド)

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/684.html

[近代史4] れいわ新選組 大西つねき 中川隆
20. 中川隆[-16202] koaQ7Jey 2021年9月29日 01:19:18 : 5DheQ2CcxI : eU9tSVA2MlpTVnM=[10]
大西つねきがやろうとしていること(第49回衆議院選挙に向けて)
2021/09/27




第49回衆議院選挙に向けて、大西つねきがやろうとしていることを改めてまとめてお話しします。今の日本の現状から財政金融の考え方、現在のお金の発行のしくみとその変え方、本物の国家経営のあり方など、骨太の国家ビジョンを示す3時間。いくつかのパートに分けていますので、お忙しい方は何回かに分けてご覧ください。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/793.html#c20
[近代史4] 輸入小麦は食べてはいけない 中川隆
9. 中川隆[-16201] koaQ7Jey 2021年9月29日 07:02:59 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[3]
【ゆっくり解説】パンを毎日食べ続けた結果…
2021/09/28



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/318.html#c9
[リバイバル3] パンやラーメンを食べるとハゲになる 中川隆
39. 中川隆[-16200] koaQ7Jey 2021年9月29日 07:03:32 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[4]
【ゆっくり解説】パンを毎日食べ続けた結果…
2021/09/28



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html#c39
[近代史3] 長生きしたけりゃパンは食べるな 中川隆
44. 中川隆[-16199] koaQ7Jey 2021年9月29日 07:04:24 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[5]
【ゆっくり解説】パンを毎日食べ続けた結果…
2021/09/28



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/327.html#c44
[番外地9] 食パンのグリホサート残留調査
食パンのグリホサート残留調査
最近人気の食パン。その原材料の多くは輸入小麦です。第1報で小麦粉からグリホサートが検出されることがわかりました。ではその小麦を使って作られ、売られる市販の食パンの実態はどうなのか、調べてみました。
2019年4月12日 公開

収穫された有機栽培小麦

 2019年3月10日に公開した「小麦製品のグリホサート残留調査1st」で、全粒粉、薄力粉、強力粉などの小麦粉からグリホサートが検出されることを報告してきました。

 私たちの身の回りには、小麦粉を利用した製品が数多くあります。小麦粉で検出が認められるのであれば、製品でも検出される場合があると考えられます。そこで、その実態を探るために、市販の食パン製品を購入し、製品中にグリホサートの残留が認められるかを調査しました。その結果、国産小麦を使用している製品および有機栽培小麦を使用している製品以外のほぼ全てでグリホサートが検出されました。

 なお、小麦でグリホサートがなぜ検出されるのかなどの背景や詳細な情報については、前回の「小麦製品のグリホサート残留調査1st」を参考にしてください。

分析方法などについて
商品全景

検査試料は、2019年3月から4月にかけて、市販の製品を購入しました。
試料は、食パン13製品で、国産小麦を使用していることが記載されているものが3製品、JAS有機栽培小麦を使用しているものが1製品、特に産地の記載がないものが9製品となっています。また、全粒粉を使用している製品が4製品(いずれも産地の記載はなし)でした。
今後の調査の参考試料として、菓子パン2製品も検査を行いました。この商品に、小麦粉産地についての記載はありませんでした。
グリホサートの残留検査は、高速液体クロマトグラフ質量分析計を利用した弊センター開発のグリホサート試験法で実施しました。

結果
 表1に示すように、食パン9製品、菓子パン2製品からグリホサートを検出しました。また1製品からAMPAを検出しました。

グリホサートは、検査を実施した15製品中、11製品から検出されました(定量下限値以上が10製品、定量下限以下、検出限界以上が1製品)。グリホサート代謝物AMPAは、1製品で痕跡の結果となりました。
全粒粉を使用している4製品で、グリホサートの数値が高い傾向が見られます。これは、前回の小麦粉製品の調査でも示されているように、プレハーベスト処理の影響を大きく受ける外皮側に近い部分を含む全粒粉を使用すると、完成製品中の残留値が高くなることを示していると考えられます。
国産小麦を使用している製品すべてで、グリホサートは検出されませんでした。これは、国内では、グリホサートによるプレハーベスト処理が行われていないためと考えられます。グリホサートの摂取が気になる場合は、現状なら、国産小麦を選択することで対応ができると言えるでしょう。
12番は、JAS有機認証を取得した小麦粉で製造された食パンです。小麦粉の産地については記載がありませんでしたので、国内産小麦か、JAS有機を取得した輸入小麦を使用したかについては、確認ができていません。
大手メーカーの製品からの検出が目立つように見えますが、大手メーカーがグリホサートの残留する小麦をあえて選んで生産していると言うことではなく、輸入小麦で製品を作るかぎり、大手でも個人経営店でも傾向は変わらないと考えられます。


「グリホサート」って何がよくない?

グリホサートは危険な農薬です。世界保健機関の専門家機関・国際がん研究機関が発がん物質であると認めました。2018年8月米国でラウンドアップを長年散布していた人が悪性リンパ腫になったとしてモンサント社を訴え、モンサント社に多額の賠償金を払うよう判決が出ました。グリホサートの危険性がいよいよ明らかになり、私たちの食べものを実際に検査しようという声が会員から出てきました。

IARC(国際がん研究機関)が発がん性物質と認定
「グリホサートは神経毒性のある化学構造をしている」黒田洋一郎(元東京都神経科学総合研究所研究者)と指摘

ごく微量のグリホサートが、脂肪肝疾患を引き起こすという。英国ロンドン大学キングスカレッジ(マイケル・アントニオ)での動物実験。
アメリカやヨーロッパではグリホサートを排除する動きも出てきている。
アメリカの市民団体「マムズ・アクロス・アメリカ」の調査では、母乳や子供の尿からグリホサートが検出されたと報告。
フランスでは「健康リスクに関する検討を行っていない」として即刻禁止

米国やカナダでは、グリホサートの使用量が増えたことから、農家の健康が脅かされると同時に、食品への残留量が増え、健康被害が消費者にも広がっています。発がん性があり、加えて妊娠や出産への影響、子どもなどへの神経障害等も報告されています。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/841.html

[近代史5] 被差別同和部落問題・在日朝鮮人問題 中川隆
3. 中川隆[-16198] koaQ7Jey 2021年9月29日 08:12:22 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[8]
関東大震災後の朝鮮人虐殺は実際には無かった?

89年前、朝鮮人虐殺あった/関東大震災/牲者追悼式平和への決意
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/707.html

朝鮮人虐殺:親の目の前に子供たちを並べて首を切った「本庄事件」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/552.html

警察署に保護された朝鮮人を「普通の日本人」たちが引きずり出して叩き殺した「藤岡事件」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/553.html

関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html

▲△▽▼

内田樹 嫌韓の構造
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html

在日韓国人が急速に減少 9割が日本人と結婚し子供は日本人になる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/787.html

『朝鮮進駐軍』の嘘 _ こんなのに騙されるアホが居るんだ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/535.html

「朝鮮は植民地ではなかった」は悪質な嘘
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/614.html

朝鮮は元々中国の属国 _ 韓国はアメリカではなく中国を選ぶ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/623.html

韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/639.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/602.html#c3

[近代史5] グレートリセットで地球温暖化を防ぐ _ 世界人口を 3億人に減らすだけでなく、気候操作にも手を出すビル・ゲーツ 中川隆
9. 中川隆[-16197] koaQ7Jey 2021年9月29日 08:16:34 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[10]
2021.09.29
人類の存続を危うくするとも言われているCOVIDワクチンが病気に無力との新報告
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109290000/

 イスラエルから「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の効果がないとする新たな情報が流れてきた。​COVID-19に感染したとされた279名のうち250名はフル接種(2度接種)した人で、非接種者は29名にすぎなかった​というのだ。COVID-19に対して問題の「ワクチン」は効果がなく、その「ワクチン」を接種すると入手できる「パスポート」も病気に関しては意味がない。

 少し前、政治トークショウのホストを務める​キム・イベルセンがイスラエルから入手したデータを番組の中で紹介​していた。それによると、イスラエルの病院は体調を崩した「ワクチン」の接種者であふれ、死者も増えているという。単にPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査で陽性になっただけでなく、深刻な副作用が出ているということだ。「COVID-19ワクチン」はCOVID-19を予防していない。

 2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言したところから始まった「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」。その病気を引き起こすとされている「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」の「リアルタイムRT-PCR診断パネル」が開発されている当時、単離されたウイルスをCDC(疾病予防管理センター)は使えなかった、つまりウイルスは単離されていなかった。病気を引き起こすウイルスが存在していることが確認されないまま「パネル」が作成され、パンデミック騒動は始まったのだ。怪し気な話だ。

 怪し気な話の主人公はCOVID-19と呼ばれる悪霊で、人びとを脅すために「感染者数」や「死亡者数」を水増し、あるいは捏ち上げてきた。2020年4月、CDCやWHOは、COVID-19が原因で死んだとして医学的に矛盾がなければ、COVID-19を死因だとしてかまわないと通達している。

 しかし、WHOは今年1月20日になって、PCR検査は診断の補助手段にすぎず、その結果が症状と合致しない場合は再検査するようにとしている。早い段階から「陽性者」の80%から90%程度は無症状だとされていたが、「感染者」の診断は症状が基本だとWHOは修正したのだ。もっとも、再検査は困難だろうが。

 WHOにしろ、CDCにしろ、効果がなくリスクの高い「ワクチン」というタグのついた物質を全人類に接種したがっている。言うまでもなく「ワクチン」の接種件数が増えればワクチンを製造している会社が儲かるが、それだけで各国政府や有力メディアが接種キャンペーンを繰り広げているわけではないだろう。

 すでに「ロックダウン」や「自粛」で社会は収容所化しているが、「ワクチン」接種とセットで推進されているのが「ワクチン・パスポート」。これがなければレストラン、パブ、劇場などへ入ることを禁止するだけでなく、教育を受ける権利や仕事を奪おうとする動きが出てきている。この「パスポート」は人びとを管理する道具だ。

 COVID-19騒動を利用して「資本主義の大々的なリセット」を主張しているWEF(世界経済フォーラム)の​クラウス・シュワブ​は2016年1月、スイスのテレビ番組に出演してデジタル・パスポートの先の話をしている。

 彼によると、まずマイクロチップを服に取り付けるところから始め、つぎに皮膚や脳へ埋め込むのだという。最終的には脳とコンピュータ・システムとの間で交信できるようにし、人間とコンピュータを融合するというのだ。一人ひとりの感情を監視するだけでなく、思想や記憶の管理も考えているという推測もある。映画『マトリックス』や有線だったが、「ワクチン・パスポート」は無線になるわけだ。

 COVID-19騒動で中心的や役割を果たしてきたビル・ゲーツは人口削減論者としても知られている。​2010年2月にTEDで行った講演​では新ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10〜15%減らせると語っている。

 彼以上に過激な発言をしているのはCNNのテッド・ターナー。彼は1996年に「理想的」な人口を今より95%削減した2億2500万人から3億人だと主張していた。2008年にはテンプル大学で世界の人口を20億人、現在の約3割まで減らすと語っている。

 アメリカやイギリスには19世紀から人口を削減するべきだと考える人びとがいた。彼らはトーマス・マルサスが唱えた人口論の影響を受けていたのだが、自然淘汰説のチャールズ・ダーウィンやダーウィンの従兄弟で優生学の創始者であるフランシス・ゴールトンの信奉者も少なくなかった。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109290000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/566.html#c9

[近代史6] これから起きるのは共産革命か?、資本主義のグレートリセットか? 中川隆
4. 中川隆[-16196] koaQ7Jey 2021年9月29日 08:17:10 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[11]
2021.09.29
人類の存続を危うくするとも言われているCOVIDワクチンが病気に無力との新報告
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109290000/

 イスラエルから「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」の効果がないとする新たな情報が流れてきた。​COVID-19に感染したとされた279名のうち250名はフル接種(2度接種)した人で、非接種者は29名にすぎなかった​というのだ。COVID-19に対して問題の「ワクチン」は効果がなく、その「ワクチン」を接種すると入手できる「パスポート」も病気に関しては意味がない。

 少し前、政治トークショウのホストを務める​キム・イベルセンがイスラエルから入手したデータを番組の中で紹介​していた。それによると、イスラエルの病院は体調を崩した「ワクチン」の接種者であふれ、死者も増えているという。単にPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査で陽性になっただけでなく、深刻な副作用が出ているということだ。「COVID-19ワクチン」はCOVID-19を予防していない。

 2020年3月11日にWHO(世界保健機関)がパンデミックを宣言したところから始まった「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」。その病気を引き起こすとされている「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」の「リアルタイムRT-PCR診断パネル」が開発されている当時、単離されたウイルスをCDC(疾病予防管理センター)は使えなかった、つまりウイルスは単離されていなかった。病気を引き起こすウイルスが存在していることが確認されないまま「パネル」が作成され、パンデミック騒動は始まったのだ。怪し気な話だ。

 怪し気な話の主人公はCOVID-19と呼ばれる悪霊で、人びとを脅すために「感染者数」や「死亡者数」を水増し、あるいは捏ち上げてきた。2020年4月、CDCやWHOは、COVID-19が原因で死んだとして医学的に矛盾がなければ、COVID-19を死因だとしてかまわないと通達している。

 しかし、WHOは今年1月20日になって、PCR検査は診断の補助手段にすぎず、その結果が症状と合致しない場合は再検査するようにとしている。早い段階から「陽性者」の80%から90%程度は無症状だとされていたが、「感染者」の診断は症状が基本だとWHOは修正したのだ。もっとも、再検査は困難だろうが。

 WHOにしろ、CDCにしろ、効果がなくリスクの高い「ワクチン」というタグのついた物質を全人類に接種したがっている。言うまでもなく「ワクチン」の接種件数が増えればワクチンを製造している会社が儲かるが、それだけで各国政府や有力メディアが接種キャンペーンを繰り広げているわけではないだろう。

 すでに「ロックダウン」や「自粛」で社会は収容所化しているが、「ワクチン」接種とセットで推進されているのが「ワクチン・パスポート」。これがなければレストラン、パブ、劇場などへ入ることを禁止するだけでなく、教育を受ける権利や仕事を奪おうとする動きが出てきている。この「パスポート」は人びとを管理する道具だ。

 COVID-19騒動を利用して「資本主義の大々的なリセット」を主張しているWEF(世界経済フォーラム)の​クラウス・シュワブ​は2016年1月、スイスのテレビ番組に出演してデジタル・パスポートの先の話をしている。

 彼によると、まずマイクロチップを服に取り付けるところから始め、つぎに皮膚や脳へ埋め込むのだという。最終的には脳とコンピュータ・システムとの間で交信できるようにし、人間とコンピュータを融合するというのだ。一人ひとりの感情を監視するだけでなく、思想や記憶の管理も考えているという推測もある。映画『マトリックス』や有線だったが、「ワクチン・パスポート」は無線になるわけだ。

 COVID-19騒動で中心的や役割を果たしてきたビル・ゲーツは人口削減論者としても知られている。​2010年2月にTEDで行った講演​では新ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10〜15%減らせると語っている。

 彼以上に過激な発言をしているのはCNNのテッド・ターナー。彼は1996年に「理想的」な人口を今より95%削減した2億2500万人から3億人だと主張していた。2008年にはテンプル大学で世界の人口を20億人、現在の約3割まで減らすと語っている。

 アメリカやイギリスには19世紀から人口を削減するべきだと考える人びとがいた。彼らはトーマス・マルサスが唱えた人口論の影響を受けていたのだが、自然淘汰説のチャールズ・ダーウィンやダーウィンの従兄弟で優生学の創始者であるフランシス・ゴールトンの信奉者も少なくなかった。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109290000/
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/160.html#c4

[近代史5] 旭川にだけは住んではいけない 中川隆
189. 中川隆[-16195] koaQ7Jey 2021年9月29日 09:12:41 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[13]
頻発する旭川の自殺事件 - 旭川市雑談掲示板|ローカルクチコミ爆サイ.com北海道版

#702 2021/09/29 08:21最新レス
 自殺以外も含みますが

1996年 女子中学生集団暴行事件
1997年 男子中学3年生いじめ自殺(8/3)
1998年 女体盛り(1996被害者/加害者と同学年)(2/14)
1999年 旭川医大生レイプ事件
2008年 旭川商業高校 乾燥大麻所持
2009年 明成高校集団リンチ事件
2010年 旭川西高飛び降り自殺(5/20?)
2012年 男子中学生行方不明事件
2013年 光陽中学飛び降り
2013年 旭川大学情報ビジネス専門学校 授業中飛び降り
2014年 緑ヶ丘中学1年男子学校で転落死
2014年 旭川実業高校で感電死事故
2016年 旭川商業高校 修学旅行先で自殺
(2018年 女子中学生連続自殺+女教師絞殺事件※)
2019年 ウッペツ川自殺強要事件
2020年 女子高生フィール飛び降り自殺
2021年 女子中学生凍死事件

※ソース不足
1996事件翌年に男子自殺者(口止めか?)
1996事件2年後に女体盛り(主犯/被害者と同学年かひとつ下)

2005年 台湾人女性が旭川で行方不明
2009年 中村幸子さん旭川で行方不明
8月24日 11時20分頃 (ホテルの部屋には充電中の携帯電話と時刻表・下着類の入ったバッグが残されていた。)

https://bakusai.com/thr_res/acode=1/ctgid=104/bid=1064/tid=9429138/tp=1/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/593.html#c189

[近代史5] 旭川では町ぐるみで女子中学生に強制売春をさせている? 中川隆
254. 中川隆[-16194] koaQ7Jey 2021年9月29日 09:13:09 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[14]
頻発する旭川の自殺事件 - 旭川市雑談掲示板|ローカルクチコミ爆サイ.com北海道版

#702 2021/09/29 08:21最新レス
 自殺以外も含みますが

1996年 女子中学生集団暴行事件
1997年 男子中学3年生いじめ自殺(8/3)
1998年 女体盛り(1996被害者/加害者と同学年)(2/14)
1999年 旭川医大生レイプ事件
2008年 旭川商業高校 乾燥大麻所持
2009年 明成高校集団リンチ事件
2010年 旭川西高飛び降り自殺(5/20?)
2012年 男子中学生行方不明事件
2013年 光陽中学飛び降り
2013年 旭川大学情報ビジネス専門学校 授業中飛び降り
2014年 緑ヶ丘中学1年男子学校で転落死
2014年 旭川実業高校で感電死事故
2016年 旭川商業高校 修学旅行先で自殺
(2018年 女子中学生連続自殺+女教師絞殺事件※)
2019年 ウッペツ川自殺強要事件
2020年 女子高生フィール飛び降り自殺
2021年 女子中学生凍死事件

※ソース不足
1996事件翌年に男子自殺者(口止めか?)
1996事件2年後に女体盛り(主犯/被害者と同学年かひとつ下)

2005年 台湾人女性が旭川で行方不明
2009年 中村幸子さん旭川で行方不明
8月24日 11時20分頃 (ホテルの部屋には充電中の携帯電話と時刻表・下着類の入ったバッグが残されていた。)

https://bakusai.com/thr_res/acode=1/ctgid=104/bid=1064/tid=9429138/tp=1/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/598.html#c254

[近代史5] 結局どういう革命? イギリス産業革命
結局どういう革命?【ゆっくり解説】イギリス産業革命
2021/09/25



今回は経済関連の歴史解説としてイギリスの産業革命について解説します。なぜイギリスで世界最初の産業革命が起きたのか、実際にどんな革命が起きたのかを解説します。


0:00 オープニング
1:22 産業革命が起きた背景
4:56 エネルギー革命
8:47 交通網の進化
10:47 製鉄の進化
12:35 農業革命
16:26 産業革命の影
19:06 エンディング

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1136.html

[近代史5] 本当にヤバい!世界の最悪のスラム街10選
【ゆっくり解説】本当にヤバい!世界の最悪のスラム街10選
2021/09/28




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1137.html

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
94. 中川隆[-16193] koaQ7Jey 2021年9月29日 11:01:50 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[17]
秋篠宮家の問題は眞子さまの結婚だけではなかった。問題だらけの秋篠宮家、次は一体・・・【皇室の気になるニュース】
2021/09/11



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c94
[番外地9] 僕は今上天皇の息子ではありません
世間の噂
皇室がDNA公開を厳禁し、死後は火葬にする事にした理由

秋篠宮文仁  
みなさんこんにちは 

もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)
その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください

「万世一系」  秋篠宮様の種は誰ですか?  美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw

[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI

美智子の不倫  33333    美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8

美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk

美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s

美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ

80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k

「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w


ミテ子さんのカッコウ(鳥)疑惑はかなり前から一部で噂になっていましたが、もっと凄いのがありまして盗宮出産後も皇太子を騙して男性と密会していた。(たぶん婚活パーティーの仲間)それが昭和帝の怒りをかい死ぬようなリンチを受けた。

表面上は流産だが実は…喜久子妃の言葉が苛めの一つとして伝わっていますが、皇太子以外ミテ子にされた仕打ちは知っていた。

ミテ子はヒステリーで発狂して手の施しようがなく別荘に篭って落ち着くのを待った。

真相は…若くして二度と子を産めなくされたこと。

______

美智子様の実子は1人だけ??? 2013年3月4日月曜日

ベルギー大使館のパーティーに行った時に、
イスラエルから来ていたモサドのエージェントの日本人の奥さんが

「美智子様のお子様はお一人だけなのよ」

と自慢げに話していた。

その時に常陸宮夫妻も来ていたが

「彼、精神薄弱なの」

とも言っていた。よく観察してみたが、やはり彼女が言うように精神薄弱のようだ。


ふうーん、そういえば美智子様に似ているのは確かに秋篠宮の1人だけ。

なんたって、世界の秘密を握るモサドのエージェントだから、情報は本物の確立は高い。

ちょっと「美智子様の子供は一人だけ」とネットをサーフィンしてみたが、逆に出てきたのは、

「秋篠宮の父親が違う」

という驚きの情報だった。と言う事は、秋篠宮だけが美智子様の子供で、しかも、父親は天皇陛下ではないと言う話になる。

▲△▽▼

因みに、江戸時代以前の天皇家でも皇后が不倫しまくりだったので万世一系なんか大嘘だよ:

石原比伊呂『北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』

本書は、後光厳院流が天皇だった時代、とくに後小松と称光の時代における天皇・上皇絡みの密通騒動の多さを指摘しています。

これが、後小松と称光の時代に特異的な可能性もありますが、本書でも言及されているように、後光厳院の父である光厳院からして密通を告白しており、江戸時代初期の猪熊事件からも、朝廷において「風紀の乱れ」は程度の差こそあれ長く続いていた可能性が高いように思います。

この観点からも、天皇の正統性をY染色体に求める言説にはまったく同意できません。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/842.html

[近代史6] パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895 - 1963)
パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895 - 1963)

20世紀ドイツを代表する作曲家ではあるが、現代美術をそのまま音にしたような即物主義のとてもキモい音楽である。感覚的に理解しがたいというか、私の許容範囲を超えている。しかし弦楽四重奏は素晴らしさが分かる。

管弦楽曲

おどけたシンフォニエッタ (Lustige sinfonietta )op.4 (1916年) 室内管弦楽のための作品

交響曲「画家マティス」 (Symphonie "Mathis der Maler" ) (1934年)

交響的舞曲(Symphonische Tänze ) (1937年)

交響曲変ホ調 (Symphonie in Es ) (1940年)

ウェーバーの主題による交響的変容(Symphonische Metamorphosen über Themen von C.M. von Weber ) (1943年)

交響曲「世界の調和」 (Die Harmonie der Welt ) (1950年 - 1951年)

ピッツバーグ交響曲 (Pittsburgh Symphony ) (1958年)

協奏曲

チェロ協奏曲 op.3 (1915年 - 1916)

室内音楽第2番 op.36-1 (ピアノ協奏曲) (1924年)

室内音楽第3番 op.36-2 (チェロ協奏曲) (1925年)

室内音楽第4番 op.36-3 (ヴァイオリン協奏曲) (1925年)

室内音楽第5番 op.36-4 (ヴィオラ協奏曲) (1927年)

室内音楽第6番 op.46-1 (ヴィオラ・ダモーレ協奏曲) (1927年)

室内音楽第7番 op.46-2 (オルガン協奏曲) (1927年)

ヴィオラと大室内管弦楽のための協奏音楽 op.48 (1930年)

ヴァイオリン協奏曲 (1939年)

チェロ協奏曲 (1940年)

ピアノ協奏曲 (1945年)

クラリネット協奏曲 (1947年 - 1949年)

ホルン協奏曲 (1949年)


室内楽曲

室内音楽 第1番 op24-1 (12の独奏楽器のための)

ピアノ五重奏曲 op.7

クラリネット五重奏曲変ロ調・変ホ調 op.30 (1923年)


弦楽四重奏曲第1番ハ長調 op.2 (1915年)

弦楽四重奏曲第2番ヘ短調 op.10 (1918年)

弦楽四重奏曲第3番 op.16 (1920年)

弦楽四重奏曲第4番 op.22 (1921年)

弦楽四重奏曲第5番 op.32 (1923年)

弦楽四重奏曲第6番変ホ調 (1943年)

弦楽四重奏曲第7番変ホ調 (1945年)


弦楽三重奏曲第1番 op.34 (1924年)

弦楽三重奏曲第2番 (1933年)

ピアノ曲

ピアノソナタ第1番 イ調「マイン川」(1936年)

ピアノソナタ第2番 (1936年)

ピアノソナタ第3番 変ロ調(1936年)

ピアノソナタ op.17(1917年)

ルードゥス・トナリス(対位法・調性およびピアノ奏法の練習)(1942年)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith、1895年11月16日 - 1963年12月28日)は、ドイツ・ハーナウ出身の作曲家、指揮者、ヴィオラ奏者。その他にもヴァイオリン、クラリネット、ピアノなど様々な楽器を弾きこなす多才な演奏家であった。

第一次世界大戦後、ロマン派からの脱却を目指し、新即物主義を推進。20世紀ドイツを代表する作曲家として同時代の音楽家に強い影響を与えた。また生涯に600曲以上を作曲。交響曲やオペラばかりではなく、オーケストラを構成するほぼすべての楽器のためのソナタを作曲した。


経歴

1895年11月16日ドイツのハーナウに生まれた。父親はシレジアのナウムブルク・アム・クヴァイス(現ポーランド領ノヴォグロジェツ(英語版))出身の職人で、芸術家になろうとしたが成功しなかった。自らの夢を託そうとして、父は子供たち(パウル、弟のルドルフ、妹のトーニー)に厳格な音楽教育を施した。1908年にフランクフルトのホッホ音楽院に入学し、ヴァイオリンをアドルフ・レーブナー(英語版)に学ぶ一方で、作曲と対位法をアルノルト・メンデルスゾーンとベルンハルト・ゼクレス(英語版)に学んだ。父は子供たちで弦楽三重奏団をくませて演奏させた(パウルはヴァイオリン)[1]。

1913年から劇場の管弦楽団のヴァイオリン奏者として音楽家としてのキャリアを開始した[2]。生計のためにコーヒーハウス、ダンスホール、映画館などで働くこともあった[3]。20歳の時にフランクフルト・ムゼウム管弦楽団(フランクフルト歌劇場管弦楽団)のコンサートマスターを務めている。1915年からは師のアドルフ・レーブナーの弦楽四重奏団のヴィオラ奏者をつとめた。第一次世界大戦で父親は戦死した。ヒンデミット本人も1918年に従軍している。この時代に書かれた曲は大部分がヒンデミットの生前には出版されなかった[2]。

戦後、ヴィオラのソロ奏者としての活動を行うとともに、多くの作曲を行った。1920年に結成したアマール弦楽四重奏団では、8年間にわたり活動し、1921年に開かれた第1回ドナウエッシンゲン室内音楽祭において『弦楽四重奏曲第3番』作品16の初演を行っている。1924年にフランフルト歌劇場の主席指揮者であったルートヴィヒ・ロッテンベルクの娘のゲルトルート(ヨハンナ・ゲルトルーデ)と結婚した[4]。

1927年にベルリンに引っ越し、ベルリン音楽大学の作曲科の教授をつとめている。当時ヴァイオリンのヨーゼフ・ヴォルフスタール(没後はシモン・ゴールドベルク)、チェロのエマヌエル・フォイアーマンと結成した三重奏団は有名で、自身が演奏するための弦楽三重奏曲も作曲している。作曲家としてはオペラ、映画音楽、あるいは電子楽器トラウトニウムのための音楽など幅広い活動を行い、自ら演奏するためのヴィオラやヴィオラ・ダモーレのための曲も書いた。ヒンデミットは国際的に有名になり、ダリウス・ミヨー、イーゴリ・ストラヴィンスキー、フランツ・シュレーカーらと知り合った[5]。

ナチス・ドイツ時代のはじめにおいてはヒンデミットの評価は揺れていた。ヒンデミットの音楽はロマン派の作曲家からすると進歩的すぎるが、アヴァンギャルドな立場を取る作曲家たちにとっては穏健で順応的すぎると批判されていた。アヴァンギャルドを批判していたナチスにとっては、ヒンデミットは受け入れられないものではなかった。[要出典]しかし、ヒンデミットは当時帝国音楽院の顧問であったのにもかかわらず、上記のようにユダヤ人のヴァイオリン奏者、チェロ奏者と弦楽三重奏を組んでレコーディングをするなどし、ナチスから反感を買っていた。1934年にフルトヴェングラー指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって交響曲『画家マティス』が初演され、大成功した。しかし、同年10月にナチスの機関紙が「堕落の旗手」としてヒンデミットを非難しはじめた(ヒンデミット事件)。12月にヒンデミットはゲッベルスによって「無調の騒音作家」とされた。1936年には公式にヒンデミット作品の演奏が禁止され、1938年の退廃音楽展でも批判された。作品の発表の場を失ったヒンデミットはベルリンから離れることが多くなり、1935年にはトルコ政府からの依頼で、音楽教育の編成に携わり、アンカラ音楽院の開校に尽力した。1937年から1939年まで毎年渡米している[6]。

1938年夏にスイスに亡命し、ヴァレー州ブリューに住んだ[6]。さらに1940年にはアメリカに亡命し、イェール大学の教授としてニューヘイブンに住んだ[7]。アメリカ時代の教え子にはルーカス・フォス、ノーマン・デロ=ジョイオらがいる[8] 。アメリカ時代に作曲された曲には『ウェーバーの主題による交響的変容』、『ルードゥス・トナリス』など、人気の高い曲が多い。

第二次世界大戦終結後の1946年1月にアメリカの市民権を得たが、1951年からスイスのチューリヒ大学の教授の任についた。1953年にはイェール大学を辞してスイスに引っ越し、モントルー近郊のブロネに住んだ[9]。ウィーン音楽院の教壇にも立ち、1956年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の初の日本への演奏旅行に指揮者として来日している。

1963年11月に自宅で高熱を発し、診療のためにフランクフルトを訪れたが、そこで12月28日に死去した。死因は出血性膵炎だった。スイス・ヴォー州ラ・シエザ(英語版)のラ・シエザ墓地に埋葬されている[10]。


作風
それまで独奏楽器としては無視されていたヴィオラの独奏曲を多く残すとともに、通常のオーケストラに定席を持つほとんどの楽器の独奏曲を残した職人的な作曲家であり、各楽器の独奏者に重宝がられている。

初期の作風は後期ロマン主義や表現主義の影響が濃厚であったが、1920年代より新即物主義、新古典主義へ移行した。しかしイーゴリ・ストラヴィンスキーのそれとは異なり、モーツァルトの古典的な明瞭さよりもバッハの対位法を好んだ。バッハの演奏で名高いグレン・グールドは「ヒンデミットは現代の数少ない真のフーガの名手である」と彼の対位法技術の高さを評価している。また彼はクルト・ヴァイルやエルンスト・クルシェネクとともにアマチュアでも演奏が容易な「実用音楽」を提唱している。

指揮、ヴィオラ独奏ともに録音を残し、ヴィオラ独奏では、自身の曲にふさわしい豪快でパワフルな演奏を繰り広げている。


音楽論
それまでの伝統的な、狭義の調性の枠を大きく超えるような音楽を書いたヒンデミットであるが、シェーンベルクらの無調音楽に対しては自然倍音の正当性を守る立場から否定的であった。教育も一風変わっておりヴィルヘルム・マーラー式和音記号を採用せず、数字付き低音の正当性を主張したドイツ人作曲家としても知られている。『三声部楽曲の練習書 Übungsbuch für den dreistimmigen Satz』(未邦訳)では彼独自の記号が並ぶ。

彼は、複数の音が同時に鳴ると、その周波数の和の音と差の音がかすかに発生する(例:400Hzと500Hzの音が同時に鳴ると、900Hzと100Hzの音が発生する)、という現象に着目し、その結果、どんな複雑な不協和音や半音階的旋律にも、複数の音の間には調的な支配関係が存在し、完全な無調は存在し得ない、と主張した。そして、あくまでも一つの中心音の調的な支配力のもとで、斬新な和音や半音階を駆使する作法を確立していった。このような作法は「拡大された調性」とも呼ばれた。

12のフーガからなるピアノ曲『ルードゥス・トナリス』に使われている音列は、基音Cから徐々に不協和となる、という構造を持ち(C-G-F-A-E-Es-As-D-B-Des-H-Fis)、そうした理論が典型的に示されている。


主な作品

オペラ
殺人者、女達の望み(Mörder, Hoffnung der Frauen )op.12 (1919年)
ヌシュ=ヌシ (Das Nusch-Nuschi )op.20 (1920年) 人形劇のための音楽
聖スザンナ (Sancta Susanna )op.21
カルディヤック (Cardillac )op.39 (1926年) <原作はE.T.A.ホフマンの『スキュデリ嬢』>
行きと帰り(Hin und Zurück )op.45a (1927年)
今日のニュース (Neues vom Tage ) (1928年 - 1929年、改訂:1953年)
画家マティス (Mathis der Maler ) (1934年 - 1935年)
世界の調和 (Die Harmonie der Welt ) (1936年 - 1957年)
長いクリスマスの会食 (Das lange Weihnachtsmahl ) (1960年)


舞踊作品
悪魔(Der Dämon ) (1922年)
ダンス・パントマイムのための曲。
トリアディッシェス・バレエ(英語版)(オスカー・シュレンマー)(1923年)
気高い幻想(レオニード・マシーン)(1938年)
エロディアード(Hérodiade ) (1944年)
バレエのための語りと音楽。


付随音楽
トゥティフェントヒェン(Tuttifäntchen ) (1922年)
クリスマス用児童劇のための曲。
教育用音楽(Lehrstück ) (1929年)
ブレヒトの作品のための音楽。
街を作ろう (Wir bauen eine Stadt ) (1930年)
R.ザイツの児童劇のための曲。


映画音楽
猫のフェリックス (Felix the cat ) (1927年)
機械オルガンの曲。

管弦楽曲
おどけたシンフォニエッタ (Lustige sinfonietta )op.4 (1916年) 室内管弦楽のための作品
交響曲「画家マティス」 (Symphonie "Mathis der Maler" ) (1934年)
同名の歌劇に先だって作曲された。
交響的舞曲(Symphonische Tänze ) (1937年)
交響曲変ホ調 (Symphonie in Es ) (1940年)
ウェーバーの主題による交響的変容(Symphonische Metamorphosen über Themen von C.M. von Weber ) (1943年)
ウェーバーの付随音楽「トゥーランドット」と「ピアノ連弾曲集」からの4つの自由な変奏曲。
シンフォニア・セレーナ (1946年)
ダラス交響楽団の委嘱作品。
シンフォニエッタ ホ調 (Sinfonietta in E ) (1949年) 小管弦楽のための作品
交響曲「世界の調和」 (Die Harmonie der Welt ) (1950年 - 1951年)
旧バーゼル室内管弦楽団創立25周年記念のために作曲。同名のオペラの音楽から改作したもの。
ピッツバーグ交響曲 (Pittsburgh Symphony ) (1958年)
ピッツバーグ市創立200年記念のために作曲。
管弦楽のための協奏音楽(演奏会用音楽)(Konzertmusik für Orchester )op.38 (1925年)
弦楽と金管のための協奏音楽(演奏会用音楽)(Konzertmusik für Streichorchester und Blechbläser )op.50 (1930年)
ボストン交響楽団創立50周年記念の委嘱作品。
フィルハーモニー協奏曲 (Philharmonisches Konzert ) (1932年)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団創立50周年記念の委嘱作品。
組曲「気高い幻想」 (Suite "Nobilissima visione" ) (1938年)
同名のバレエ音楽から改作。
序曲「エロスとプシュケ」(Ouvertüre "Amor und Psyche") (1943年)
「あるバレエのための序曲」と副題されている。
古いスイスの歌による行進曲(Marsch über den alten "Schweizerton" ) (1960年)
バーゼル大学創立500年記念のために作曲。


吹奏楽曲
吹奏楽のための協奏音楽(演奏会用音楽) op.41 (1926年)
吹奏楽のための交響曲変ロ調(1951年)
ワシントン陸軍音楽隊のH.カーリ少佐の委嘱作品。

協奏曲
チェロ協奏曲 op.3 (1915年 - 1916)
室内音楽 (Kammermusik )
第2番 op.36-1 (ピアノ協奏曲) (1924年)
第3番 op.36-2 (チェロ協奏曲) (1925年)
第4番 op.36-3 (ヴァイオリン協奏曲) (1925年)
第5番 op.36-4 (ヴィオラ協奏曲) (1927年)
第6番 op.46-1 (ヴィオラ・ダモーレ協奏曲) (1927年)
第7番 op.46-2 (オルガン協奏曲) (1927年)
ヴィオラと大室内管弦楽のための協奏音楽 op.48 (1930年)
トラウトニウムと弦楽合奏のためのコンツェルトシュテュック(Konzertstück für Trautonium und Streichorchester )op.50 (1931年)
トラウトニウム (Trautonium) は電子楽器。
白鳥を焼く男 (Der Schwanendreher )(ヴィオラ協奏曲) (1935年)
古い民謡の旋律によるヴィオラ協奏曲。題名は第3楽章に用いられた民謡に由来する。
葬送音楽 (Trauermusik ) (1936年)
ヴィオラ(またはチェロ、ヴァイオリン)と弦楽合奏のための作品。イギリス国王ジョージ5世追悼のために作曲。
ヴァイオリン協奏曲(1939年)
チェロ協奏曲 (1940年)
4つの気質 ピアノと弦楽オーケストラのための主題と変奏 (Die vier Temperamente - Thema mit vier Variationen ) (1940年)
ピアノ協奏曲 (1945年)
クラリネット協奏曲 (1947年 - 1949年)
ホルン協奏曲 (1949年)
木管楽器、ハープと管弦楽のための協奏曲 (1949年)
トランペット、ファゴットと弦楽のための協奏曲 (1949年)
オルガン協奏曲 (1962年)


室内楽曲
室内音楽 (Kammermusik )
第1番 op24-1 (12の独奏楽器のための)
八重奏曲 (1957年 - 1958年) (クラリネット1、ファゴット1、ホルン1、ヴァイオリン1、ヴィオラ2、チェロ1、コントラバス1)
管楽七重奏曲 (1948年)(通常の木管五重奏+バスクラリネット、トランペット)
ピアノ五重奏曲 op.7
クラリネット五重奏曲変ロ調・変ホ調 op.30 (1923年)
小室内楽曲 op24-2 (1922年) (木管五重奏曲)
5つの楽器のための3つの小品 (1925年) (クラリネット・トランペット・ヴァイオリン・コントラバス・ピアノ)
弦楽四重奏曲(全7曲)
第1番ハ長調 op.2 (1915年)
第2番ヘ短調 op.10 (1918年)
第3番 op.16 (1920年)
第4番 op.22 (1921年)
第5番 op.32 (1923年)
第6番変ホ調 (1943年)
第7番変ホ調 (1945年)
朝7時に湯治場で二流のオーケストラによって初見で演奏された「さまよえるオランダ人」序曲(1925年頃)
金管楽器のための朝の音楽 (1932年) (金管五重奏)
ピアノ、クラリネット、ヴァイオリンとチェロのための四重奏曲 (1939年)
4つのホルンのためのソナタ (1952年)
弦楽三重奏曲
第1番 op.34 (1924年)
第2番 (1933年)
クラリネット、ホルンとピアノのための三重奏曲 op.1
ピアノ、ヴィオラとヘッケルフォン(またはテナー・サクソフォーン)のための三重奏曲 op.47
ヴァイオリンソナタ(ヴァイオリンとピアノ)
ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 op.11-1 (1918年)
ヴァイオリンソナタ ニ長調 op.11-2 (1918年)
ヴァイオリンソナタ ホ調 (1935年)
ヴァイオリンソナタ ハ調 (1939年)
ヴィオラソナタ(ヴィオラとピアノ)
ヴィオラソナタ ヘ調 op.11-4 (1919年)
ヴィオラソナタ op.25-4 (1922年)
ヴィオラソナタ ハ調 (1939年)
チェロソナタ(チェロとピアノ)
チェロソナタ イ短調 op.11-3 (1919年)
チェロソナタ ホ調 (1948年)
チェロとピアノのための3つの小品 op.8 (1917年)
3つのやさしい小品 (1938)
古いイギリスの民謡「求婚に出かけた蛙」による変奏曲 (1941年)


その他の独奏楽器とピアノ
瞑想曲 (Meditation ) (1938年)(ヴァイオリンまたはヴィオラ、チェロとピアノ)
ヴィオラダモーレ小ソナタ op.25-2 (1923年)
コントラバスソナタ ロ調 (1949年)
フルートソナタ 変ロ調 (1936年)
トーマス・モアの詩によるエコー (1942年) (フルートとピアノ)
オーボエソナタ ト調 (1938年)
イングリッシュホルンソナタ 嬰ハ調・ヘ調 (1941年)
クラリネットソナタ (1939年)
ファゴットソナタ 変ロ調 (1938年)
ホルンソナタ ヘ調 (1939年)
トランペットソナタ 変ロ調 (1939年)
トロンボーンソナタ ヘ調 (1941年)
アルトサクソフォーンソナタ 変ホ調 (1943年)
チューバソナタ 変ロ調 (1955年)


独奏曲
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
op.31-1 (5楽章) (1924年)
op.31-2 (4楽章) (1924年)
無伴奏ヴィオラ・ソナタ
op.11-5 (1919年)
op.25-1 (1922年)
op.31-4 (1923年)
(1937年)
無伴奏チェロ・ソナタ op.25-3 (1923年)
ハープ・ソナタ (1939年)
無伴奏フルートのための8つの小品 (1927年)
オルガン・ソナタ
第1番 (1937年)
第2番 (1937年)
第3番「古い民謡による」(Über alte Volkslieder ) (1940年)


ピアノ曲
2台のピアノのためのソナタ(1942年)
7つのワルツ(ピアノ連弾)op.5
ピアノ連弾ソナタ(1938年)
ピアノソナタ
第1番 イ調「マイン川」(1936年)
第2番 ト調(1936年)
第3番 変ロ調(1936年)
ピアノソナタ op.17(1917年)
「ある夜に」op.15(1921年)
舞曲集 op.19(1922年)
組曲「1922年」op.26(1922年)
ピアノ音楽 op.37
第1部 三つの小品による練習(1925年)
第2部 一連の作品(1927年)
ルードゥス・トナリス(対位法・調性およびピアノ奏法の練習)(1942年)

歌曲
歌曲集『マリアの生涯』


合唱曲
古い詩文による歌(1923年)
古い詩文による5つの歌(1937年/1938年)
6つの歌(1939年)
4声の男声のための合唱(1939年)
戸口に咲き残りのライラックが咲いた頃―愛する人々へのレクイエム (When lilacs last in the dooryard bloom'd - A Requiem for those we loved ) (1946年)
編成:メゾソプラノ・バリトン・混声合唱団・管弦楽。第二次世界大戦の犠牲者への哀悼を込めて作曲。
神の定めの日は来たらん(1947年)
5声のマドリガル(1958年)
ミサ (Messe ) (1963年)
男声合唱曲
春について
薄明りの真夜中
汝すべてを与うべし
Fürst Kraft
男の夢想

初雪
古い踊りの歌による変奏曲
Gar viele gibt’s, die halten sich für Amigos
絞首台の悪魔


その他の作品
ミニマックス


著作(日本語訳書)
『和声学』(坂本良隆訳 / 音楽之友社 / 1952年)
『作曲の手引』(下総皖一訳 / 音楽之友社 / 1953年)
『作曲家の世界』(佐藤浩訳 / 音楽之友社 / 1955年;1999年新装)
『音楽家の基礎練習』(坂本良隆、千蔵八郎訳 / 音楽之友社 / 1957年;1998年新装) 点字楽譜普及会「トニカ」から1992年に点字版が出版されている。
『二声部楽曲の練習書』(下総皖一、志賀静男訳 / 音楽之友社 / 1958年)
『和声学第2巻』(坂本良隆訳 / 音楽之友社 / 1965年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/685.html

[近代史6] パウル・ヒンデミット 交響曲「世界の調和」
パウル・ヒンデミット 交響曲「世界の調和」


Hindemith Symphony「Die Harmonie der Welt」







Hindemith
Symphony「Die Harmonie der Welt」


date 1965


orch Leningrad Philharmonic Orchestra
cond Yevgeny Mravinsky Evgeny Mravinsky

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/686.html

[近代史6] エルヴィン・シュルホフ(Erwin Schulhoff,1894 - 1942)
エルヴィン・シュルホフ(Erwin Schulhoff,1894 - 1942)(シュールホフ)

第二次大戦で強制収容所で命を落とした人。この人の交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲はかなりよいと思う。ぜひ大戦を生き延びてほしかった。


ピアノ協奏曲「ジャズ風に」Op.43
3.5点
20世紀の隠れ名作ピアノ協奏曲のひとつ。ジャズ風と悲劇性をおびたユダヤ的な感情が驚きの結合を見せている成功作。美しい場面が多く出てくる。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


エルヴィン・シュルホフ(シュールホフとも、英語: Erwin Schulhoff、チェコ語: Ervín Schulhoff、1894年6月8日 - 1942年8月18日)は、チェコの作曲家、ピアニスト、指揮者[1]。ピアニストのユリウス・シュルホフ(英語版)(1825年-1898年)は彼の大叔父に当たる[2]。

第一次世界大戦後のダダイスム運動の音楽家として重要な人物とされており[3]、ジャズや実験音楽の要素を取り入れた曲など、あらゆるジャンルの作品を残し、生涯に作曲した作品は200作にのぼる[4]。しかしナチス・ドイツによってシュルホフの曲は「退廃音楽」という烙印を押され、演奏活動の禁止や作品の出版も認められなくなるなど迫害を受け、1942年に強制収容所で命を落とした。

シュルホフの死後、彼の作品は半世紀にわたって日の目をみることはなかったが[5]、テレージエンシュタットなどで迫害された他のチェコの作曲家(クライン、ウルマン、ハースなど)と同様に、再評価が進みつつある[4]。

生涯

少年期
1894年、ドイツ系ユダヤ人の子としてプラハに生まれた[2]。家庭は裕福であり[6]、エルヴィンの母ルイーズは、ヨーロッパ中の有名な教師に連絡を取って幼いエルヴィンの指導のために雇い、エルヴィンを連れてあらゆるところに出かけた[7]。また幼い頃から母に連れられて沢山の演奏会に足を運び、マスカーニやクーベリックなどのサインを集めていた[8]。

ルイーズは特にドヴォルザークに息子を指導してもらうことにこだわったが、結局ドヴォルザークはルイーズの意に沿わず、直接指導することはなかった[7]。しかしドヴォルザークは後にエルヴィンの才能を認めて[7]、7歳のエルヴィンにピアノ・レッスンをつけられるよう推薦し[2]、10歳の頃には音楽院へ推薦した[1]。エルヴィン自身も後年の日記で「ドヴォルザークに生徒としては受け入れてもらえなかったが、彼にその後の方向を定められた」と綴っている[7]。

ドヴォルザークの推薦を受けて、エルヴィンは1901年から Jindrich Kaan に師事してピアノのプライベート・レッスンを受け、1904年にはプラハ音楽院へ進学[2]。1906年以降はウィーンに移ってレッスンを受けた[7]。その練習は非常に厳しく、その甲斐あってシュルホフは非常に優れた演奏技術を身につけた[7]。のちにシュルホフは両親に連れられてライプツィヒに移り、14歳の時にライプツィヒ音楽院への入学を許可された[7]。そこでマックス・レーガーに師事し、作曲にも関心をもつようになった[9]。レーガーはブラームスやJ.S.バッハ、ベートーヴェンなどを課題としてレッスンを行い、シュルホフも好んでレーガーのレッスンを受けた[9]。

ライプツィヒ音楽院を卒業後、シュルホフはコローニュ音楽院に留学してラザーロ・ウジェリ(ドイツ語版)にピアノを、フリッツ・シュタインバッハに作曲と指揮を師事した[9]。シュタインバッハは、シュルホフに器楽曲を作曲することも認め、レーガーの倍音構造を用いた「ヴァイオリンとピアノのための組曲 WV 18」(1912年)などの作品を残している[9]。また指揮では、リヒャルト・シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の指揮でヴュルナー賞を受賞した[10]。

また1913年の夏には、作風に強い影響を受けたドビュッシーに個人レッスンを申し込み、フランスに出向いて作曲などを師事したが、平行5度など伝統的な和声進行で禁じられているメロディは使わないようにさせるなど、シュルホフの期待と異なる指導であったため、落胆してドビュッシーの指導を受けるのをやめた[11]。

反戦主義からダダイスムへ
第一次世界大戦でシュルホフはオーストリア軍に徴兵されて従軍したが、その経験から自身の信条として反戦主義的な考えを持つようになった[1]。この徴兵経験は、シュルホフの政治的立場だけでなく文化的、芸術的な物の見方にも大きく影響を及ぼし、戦後はナショナリズムへの反発や軍隊への反対意識がより深く、過激なものとなった[12]。シュルホフは第一次世界大戦後に、フランスの左派の活動家であるアンリ・バルビュスが率いる平和主義運動「クラルテ」を支持し、画家であるジョージ・グロスやオットー・ディクス、ハンス・アルプらが活動している急進的なダダイスム運動のメンバーに加わった[12][13]。また同時期にアルバン・ベルクと文通を始め、ドレスデンやプラハでの演奏会でベルクの曲を取り上げた[14]。1919年からは、シェーンベルクらが開催していた私的演奏協会に参加し、自らの楽曲などを演奏した[14]。

「文化を守れ!」と叫ぶ一方で、人々が殺されそうになっている、こんなことは私にとっては痛ましく悪趣味なことだ。私は、1914年、1915年、そして1916年は人間のレベルが最も低い年であるし、もっと率直に言うと、この3年が20世紀を台無しにしている、と主張する。私自身も兵士であるが、それでも私はそう主張する。 The popular cry 'Saveguard your culture', while men are being killed, is for me painfully tasteless. i maintain that the years 1914, 1915 and 1916 are on the lowest human level, and quite frankly make a mockery of the twentieth century. I say this, even though I am a soldier myself.
— エルヴィン・シュルホフ、1916年1月8日の日記より[12]
1921年に Alice Libochowitz と結婚[14]。1922年にはベルリンに移住したが[14]、その翌年の1923年にはプラハに戻り、ピアニストや作曲家として精力的に活動した。1920年代なかばごろには、シュルホフは「ダダの」作曲家として世に知られるようになり、前衛的な作曲家として、あるいはその曲の演奏者などとして、当時の前衛音楽の最前線に立っていた[13]。各国のあらゆる現代音楽の音楽祭でシュルホフの音楽が聞かれ、エーリヒ・クライバーやエルネスト・アンセルメ、ピエール・モントゥー、ジョージ・セル、ヴァーツラフ・ターリヒなどがシュルホフの作品を指揮した[13]。楽譜もマインツやロンドン、ウィーンなど各地の出版社から次々と出版され、1920年代の半ば頃には、ウィーンで最も多くの楽譜を出版した作曲家の一人となっていた[15]。シュルホフ自身も、1913年にメンデルスゾーン賞を受賞するなどピアノの腕は高く評価されており[16]、プラハを始めドイツの多くの都市や、フランス、オランダなど、ヨーロッパの広い範囲で演奏を披露した[2]。ラジオ放送でも演奏を披露し[17]、チェコのラジオ局をはじめBBCやWDRで、チェコの作曲家の作品や自作曲を放送した[2]。またシュルホフがピアニストとして自作曲を演奏したライブの一部については録音されており、ピアノ協奏曲を含む自作自演の録音が残されている(一部の音源については、デッカの「退廃音楽シリーズ」からCD化されている)[18]。特にジャズを取り入れた「ジャズ様式の5つの練習曲」(1926年)、「ジャズ様式のエスキス」(1927年)、「ホット・ミュージック」(1928年)などは軒並み出版され、ヨーロッパ各地で行われた演奏会では、例外なく成功を収めたとされる[19]。またプラハで興った前衛芸術活動である解放劇場(英語版)とも何度か演奏を行った[20]。

シュルホフは作曲家、演奏家としてだけでなく、文筆家や講演家としても人気を博した[13]。1924年から1926年にかけては、プラハの新聞である「Prager Abendblatt」誌の音楽記事を扱う記者としても活動[2]。特にシェーンベルクについては数多くの記事を残している[21]。

なおこの時期にシュルホフはプラハのドイツ音楽アカデミーの教員に何度か申し込んだが、結局そのポストは得られなかった[2]。

迫害と死

シュルホフの墓(ドイツ・バイエルン州・ヴァイセンブルク=グンツェンハウゼン郡)
1920年代には精力的に活動していたシュルホフであったが、1930年代に入ると、多くの楽譜出版社がシュルホフの作品に関心を見せなくなり始めるなど[15]、シュルホフの活動を取り巻く状況に変化が現れ始めた。これにはシュルホフが大編成の曲を作曲するようになり、出版しやすい小品が減ったという理由もあったが、それ以上に政情の変化によるところが大きかった[15]。シュルホフはユダヤ人であることのみならず、その政治的な信念と過激な主張によって[22]、ナチス・ドイツから「退廃音楽」の烙印を押され、迫害を受けるようになった。1932年に完成した歌劇「炎」は、エーリヒ・クライバー指揮のもと初演する計画があったが、ナチスの圧力によりその計画は潰された[23]。1933年以降は、シュルホフは自ら国際的な音楽シーンから姿を消した[15]。

作品内容も共産主義への傾斜が顕著となっていき、チェコスロバキア政府からも危険視された。プラハに避難してラジオ局での仕事やピアニストの職を得たが[14]、日々の生活をまかなうのがやっとの状態だった。シュルホフの家族の生活状況も悪くなっていき、1938年には母が亡くなった[14]。またシュルホフの妻も病に伏せたが、同じ頃彼は自らの教え子に熱を上げており、最終的に妻とは離婚することになった[14]。母の死後すぐに、シュルホフは再婚した[14]。

シュルホフが交響曲第5番を完成させた1939年頃になると、ナチス・ドイツに侵攻された母国チェコでもあらゆる職を奪われ[24]、やむを得ず偽名で演奏活動を行うようになった。そんな折シュルホフは、以前からその社会主義リアリズムの考え方に共感していたソビエト連邦に対して、市民権の付与を要請した[14]。シュルホフの妻と息子についても同様に市民権の付与を要請しており、1941年4月にソビエト連邦はシュルホフ一家の市民権付与を承認した[14][25]。しかしソビエト連邦に移住する直前の同年6月23日に、プラハを占拠したナチス・ドイツに逮捕された[14][22]。シュルホフは間もなく、当時強制収容所として使用されていたヴュルツブルク城(ドイツ語版)(バイエルン州・ヴァイセンブルク(英語版))に収容され、翌年の1942年に結核のため死去した[5]。

死後、長い間シュルホフの作品は顧みられることがなかったが、1992年頃からギドン・クレーメルが演奏会でシュルホフの作品を取り上げたことがひとつのきっかけとなり[15]、未出版であった作品の出版やこれまで出版された作品のリイシューが進むなど[15]、徐々に再評価が進んでいる。

作風
シュルホフは新しいアイデアを次々と受け入れようとし、また幸運にも、広い範囲のさまざまな事物から影響を受けることとなった[26]。そのため、シュルホフの作風にはあらゆる様式やさまざまな作品などからの影響が見られ、非常に多彩な作品が残されている[14]。

シュルホフの音楽的な特徴は、大きく分けて第一次世界大戦前と大戦後に分けられ、大戦前には師事を受けた教師や自らのレパートリーとした作曲家から大きな影響を受けたのに対し、大戦後には前衛芸術などの芸術運動や先進的な演奏会から計り知れない影響を受けている[27]。

演奏会や教師からの影響
幼少期には母親に数多くの演奏会に連れていってもらっており、そこで多くの音楽家から影響を受けている。特にグリーグの曲には強い影響を受け、「弦楽オーケストラのための3つの小品 WV 5」などグリーグを讃えた曲も作曲している[8]。また「牧神の午後への前奏曲」や「ペレアスとメリザンド」(1908年の初演時に観劇している)などといったドビュッシーの音楽からも非常に大きなインパクトを受けており、後年「ピアノのための4つの絵画 WV 22」「ピアノのための小品 WV 23」(ともに1913年)などドビュッシーに影響を受けたピアノ曲を作曲している[8]。また前述のとおり、師事したレーガーからも強い影響を受けており、レーガーに師事していた頃にも、レーガーに影響を受けた「ヴァリエーションとフーガ WV 5」などの作品を残している[9]。

ジャズとの出会い
第一次世界大戦後には、シュルホフはジャズのリズムにインスピレーションを見出し、ジャズの影響を受けた作品を数多く残している。シュルホフはヨーロッパの作曲家で最初にジャズを取り入れた作曲家の一人であり[28]、特にピアノ曲でジャズに影響を受けた曲が多く見られる[19]。シュルホフは第一次世界大戦後に参加したダダイスム運動のメンバーの一人、ジョージ・グロスのスタジオで、彼が所有していたジャズレコードの膨大なコレクションに触れ、ジャズに親しんだものと考えられている[13][19]。ジャズに影響を受けて作曲した最初の作品は、ピアノ独奏曲である「5つのピトレスク(音画)作品31 WV 51」(1919年)であり、シュルホフはこの曲をグロスに献呈している[13]。

シュルホフはジャズをダンス・ミュージックとして扱ったが[29]、その一方で、古い様式の音楽を攻撃するため[30]、既存の音楽作品を否定するダダの活動にふさわしい題材としてもジャズを扱っており、グロスらのビジュアルアートと平行してこのようなジャズを取り入れた作曲活動を行なっている[19]。またヨーロッパでの演奏旅行などを通して、ピアニストとしてのレパートリーを増やす中で、ピアノ曲の技巧的な限界を追求するショパンやリスト、スクリャービンなどに触れ、そこからピアノ曲の様式などについて影響を受けている[16]。


ダダから前衛へ
ダダイスムから感化された実験的な手法を用いた作品も知られており、耳障りな不協和音をリズムに挿入するなど、現代のポピュラー音楽にも通じる手法を用いた曲もある[5]。全曲が長さの異なる休符とアゴーギクのみからなる「5つの演奏会小品 作品3」の第3曲「In futurum」は、典型的なダダ的風刺がこめられた作品であるとされている[2]。そのほか女声と効果音からなる「シアター・ピース WV 197」、女性の喘ぎ声と水音を組み合わせた「ソナタ・エロティカ WV 197」など、第二次世界大戦後の前衛音楽を先取りしたような作品もある。

シュルホフは旧習を否定するために前衛的な試みを支持していたが、実験のための実験には反対する立場をとっていた[2]。前衛的な作曲技法である十二音技法を推し進めたシェーンベルクについての文章も残しているが、シュルホフはシェーンベルクの音楽的哲学には共感できず、「リズムを欠いた騒々しいだけの音楽である」と評しており、自ら十二音技法を作曲に用いることもなかった[21]。これはシュルホフが、芸術音楽と大衆音楽の溝を埋めたいと思っており、「音楽は決して哲学ではない!(中略)ブルジョワだけが音楽は哲学であると信じている」として、哲学的な音楽の捉え方を否定していた[2]ためであった。ただしシェーンベルクの楽曲に見られる、緻密なフレーズとダイナミックな表現に織り交ぜられる主題的な旋律については、シュルホフも高く評価している[17]。またシュルホフは音楽におけるリズムの重要性を強調しており、リズムを通した肉体的な至福感や、そこから得られる恍惚感を重視していた[2]。


作品

舞台作品
バレエ「オゲララ」作品53 WV 64 1922-1924
夢遊病の者:グロテスクな踊り WV 78 1925 パーカッションのみで演奏する「Step (without music)」という楽章がある[5]。
歌劇「炎」作品68 WV 93 1928/1932
オラトリオ「HMS Royal Oak」 イギリスの戦艦であるロイヤル・オークへの風刺がこめられている[31]。

交響曲
交響曲第1番 作品5 WV 76 1925 ターリヒに献呈[32]。初演は1928年にクライバーによって行われた[32]。
交響曲第2番 作品81 WV 101 1927 イラークに献呈され、初演もイラークによって1935年に行われた[32]。
交響曲第3番 作品85 WV 118 1937 死後の1950年に初演された[24]。
交響曲第4番 作品88 WV 123 1936-1937
交響曲第5番 作品89 WV 125 1938-1939
交響曲第6番 作品94 WV 138 1940-1941 「自由の交響曲」(合唱つき)
交響曲第7番 WV 139 1941-1942 未完[33]
交響曲第8番 作品99 WV 141 1941-1942 未完[33][34]。編成は管弦楽と混声合唱が予定されていた[34]。ナクソスレーベルの KZ MUSIK シリーズで、ピアノと男声合唱版として音源化されている[35]。


協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 作品11 WV 28 1913-1914 pf, Orch
ピアノ協奏曲第2番 作品43 WV 66「ジャズ風に(アラ・ジャズ)」 1923 pf, Orch 同じくジャズを取り入れたジョージ・ガーシュウィンのピアノ協奏曲よりも2年早く作曲された。
フルート、ピアノと管弦楽のための二重協奏曲 作品63 WV 89 1927 pf, Orch
弦楽四重奏と管楽器のための協奏曲 WV 97 1930 sq, wind ラジオでの演奏のために作曲[14]。

室内楽曲・器楽曲
室内管弦楽のための組曲 作品37 WV 58 1921 Chamber Orch.
弦楽六重奏曲 作品45 WV 70 1920-1924 2vn, 2va, 2vc
弦楽四重奏のためのディヴェルティメント 作品14 WV 32 1914 sq
弦楽四重奏のための5つの小品 WV 68 1923 sq
弦楽四重奏曲第1番 作品8 WV 72 1924 sq
弦楽四重奏曲第2番 WV 77 1925 sq
フルート、ヴィオラ、コントラバスのための小協奏曲 WV 75 1925 fl va cb
オーボエ、クラリネットとファゴットのためのディヴェルティメント WV 87 1925 ob, cl, fg
ヴァイオリンとピアノのための組曲 作品1 WV 18 1912 vn, pf
ヴァイオリン・ソナタ第1番 作品7 WV 24 1913 vn, pf
ヴァイオリン・ソナタ第2番 WV 91 1927 vn, pf
チェロ・ソナタ 作品17 WV 35 1914 vc, pf
ホット・ソナタ アルト・サクソフォーンとピアノのための 作品70 WV 95 1930 altosax, pf
低声のうぐいす コントラファゴットのための 作品38 WV 59 1922 cfg


ピアノ曲
5つのピトレスク(音画)作品31 WV 51 1919
ピアノ・ソナタ第1番 WV 69 1924
ピアノ・ソナタ第2番 WV 82 1928
ピアノ・ソナタ第3番 WV 88 1927
ジャズ様式の5つの練習曲 作品58 WV 81 1926
6つのジャズ風のスケッチ 1927
ジャズの舞踏組曲 作品74 WV 98 1931

歌曲
4つの歌 作品2 WV 19 1912
3つの歌 作品14 WV 12 1914
風景 作品26 WV 44 1918-1919
人間性 作品28 WV 28 1919
ソナタ・エロティカ WV 197 1919
5つの歌 1919
雲のポンプ 作品40 WV 61 1922
共産党宣言による交唱曲 作品82 1932-1933 『共産党宣言』に基づくカンタータ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%95


http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/687.html

[近代史6] エルヴィン・シュルホフ ピアノ協奏曲「ジャズ風に」Op.43
エルヴィン・シュルホフ ピアノ協奏曲「ジャズ風に」Op.43



Erwin Schulhoff: Concerto per pianoforte e piccola orchestra op.43 (1923)



Jan Simon, pianoforte
Prague Radio Symphony Orchestra
Vladimír Válek

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/688.html

[リバイバル3] 伝説の千原温泉 _ 強い使命感がないと名湯は守れない 中川隆
48. 中川隆[-16192] koaQ7Jey 2021年9月29日 17:21:47 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[20]
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[近代史4] コロナ肺炎を治すには温泉水を飲むしかない 中川隆
1. 中川隆[-16191] koaQ7Jey 2021年9月29日 17:23:51 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[22]
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伝説の千原温泉 _ 強い使命感がないと名湯は守れない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/522.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/832.html#c1

[近代史4] 癌は温泉水と食事療法で治そう 中川隆
6. 中川隆[-16190] koaQ7Jey 2021年9月29日 17:24:27 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[23]
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[近代史4] 千原温泉 中川隆
1. 中川隆[-16189] koaQ7Jey 2021年9月29日 17:25:01 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[24]
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[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
345. 中川隆[-16188] koaQ7Jey 2021年9月29日 17:33:44 : FipIkwVaTy : c2RDcHFVLzVlbzY=[25]
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伝説の千原温泉 _ 強い使命感がないと名湯は守れない
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[近代史6] ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886 - 1954)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886 - 1954)

いわずと知れた大指揮者。なぜか曲がどれも長い。一流とはいえない才能に加えて曲の長さが、無駄に敷居を上げているのだが、逆に挑戦心を駆り立てているところもある。

交響曲

交響曲第1番ロ短調 (1941年)

交響曲第2番ホ短調 (1945〜47年)
3.5点
感動的な巨編として一聴の価値がある。一流作曲家では聴かないようないまいちなフレーズも多いのだが。

交響曲第3番嬰ハ短調 (1947年〜54年)


その他の作品

ヴァイオリン・ソナタ1番

ヴァイオリン・ソナタ2番

ピアノ五重奏曲

ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, ドイツ語: [ˈvɪlhɛlm ˈfʊɐ̯tvɛŋlɐ], 1886年1月25日 ベルリン - 1954年11月30日 バーデン=バーデン)は、ドイツの指揮者、作曲家。伴奏ピアニストとしての演奏も行った。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を1922年から1945年まで、終身指揮者を1947年から1954年まで務め、20世紀前半を代表する指揮者のひとりとされている。ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナー等のドイツ音楽の本流を得意とした。一般には後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承した演奏とされ[1]、作曲家としても後期ドイツ・ロマン派のスタイルを継承したことから、ライバルのトスカニーニと対極に位置づけられることもあるが、「堅固な構築性をそなえた演奏を『ロマン主義的演奏』というだけで片付けてしまうのは軽率」とする見解もあり[2]、またフルトヴェングラー自身は「後期ロマン主義者」と看做されることを極度に嫌い、「私はロマン主義者でも古典主義者でもない」と語ったともいわれる[3]。

音楽評論家の吉田秀和はフルトヴェングラーについて、「濃厚な官能性と、高い精神性と、その両方が一つに溶け合った魅力でもって、聴き手を強烈な陶酔にまきこんだ」[4]「(ベートーヴェンが)これらの音楽に封じ込めていた観念と情念が生き返ってくるのがきこえる」[5]と評している。

現在でもCDが続々と発売され、放送録音、海賊録音の発掘も多く、真偽論争となったレコードも少なくない。

妹メーリットは、哲学者マックス・シェーラーの妻。甥ベルンハルトと妻エリーザベトの連れ子カトリーンの間の娘のマリア・フルトヴェングラーは女優で医師。

音が出る前から指揮棒の先が細かく震え始め、アインザッツが非常にわかりにくいその独特の指揮法[6]から、日本ではフルトヴェングラーをもじって「振ると面食らう」などと評され、「フルヴェン」の愛称で親しまれている。


略年譜

伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2019年6月)

AEG工場での歓喜力行団コンサートを指揮するフルトヴェングラー(1942年)
1886年 ベルリンにて誕生。正式な洗礼名はグスタフ・ハインリヒ・エルンスト・マルティン・ヴィルヘルム(Gustav Heinrich Ernst Martin Wilhelm)。父は考古学者アドルフ。
1894年 父アドルフがミュンヘン大学の教授に任命され、ミュンヘンに転居。
1898年 高校を退学し、以後、ルートヴィヒ・クルツィウス、ヴァルター・リーツラーを家庭教師として勉強を続ける。
1901年 マックス・フォン・シリングスから作曲を学び始める。
1906年 カイム管弦楽団(現在のミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)を指揮しデビュー。デビュー・コンサートのプログラムは、ベートーヴェン「献堂式序曲」、自作のアダージョ、ブルックナー交響曲第九番[7]。同年チューリヒ歌劇場の第三指揮者となる。
1909年 シュトラスブルク歌劇場の第三指揮者となり、ハンス・プフィッツナーと交わる。
1911年 リューベックの音楽監督となる。リューベック在任中に、ハンブルクで活動していたアルトゥール・ニキシュと交わる。
1915年 マンハイムの音楽監督となる。
1920年 音楽学者ハインリヒ・シェンカーと親しく交わる。
1922年 同年死去したアルトゥール・ニキシュの後任として、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団およびベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。
1927年 フェリックス・ワインガルトナーの後継としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。
1931年 バイロイト祝祭劇場にはじめて出演し、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』を指揮。
1933年 ベルリン国立歌劇場でワーグナーの「マイスタージンガー」を指揮した際、首相ヒトラーと握手している写真を撮影される。9月15日、ヘルマン・ゲーリングの指令により、プロイセン枢密顧問官に就任。同年11月15日には帝国音楽院副総裁に就任。
1934年 ヒンデミット事件によりナチス政府と対立。12月5日、ベルリン・フィル音楽監督、ベルリン国立歌劇場音楽監督、プロイセン枢密顧問官および帝国音楽院副総裁を辞任。
1935年 客演指揮者としてベルリン・フィルに復帰。
1936年 ニューヨーク・フィルの次期音楽監督にトスカニーニから指名されるが、ナチスの妨害により破談。
1938年 ドイツのオーストリア併合後、ナチスによるウィーン・フィル解散を阻止。
1939年 第二次世界大戦が勃発するがドイツに残る。国内のユダヤ人音楽家を庇護。
1945年
2月 ウィーン・フィルの定期演奏会後にスイスへ亡命(彼を嫌うナチス高官ハインリヒ・ヒムラーから逮捕命令を出されていた)。
5月 戦時中のナチ協力を疑われ、演奏禁止処分を受ける。
1947年 「非ナチ化」裁判の無罪判決をうけ、音楽界に復帰。ベルリン・フィルの終身指揮者に。
1948年 シカゴ交響楽団の常任指揮者就任の要請を受けるが、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ミルシテイン、ピアティゴルスキー、ハイフェッツを含むユダヤ系音楽家たちからの抗議により破談。
1951年 バイロイト音楽祭再開記念演奏会でベートーヴェンの交響曲第9番を指揮(7月29日)。
1954年 肺炎により死去。68歳。
2013年3月5日 妻エリーザベト、102歳で死去。日本のフルトヴェングラー・センターの名誉会長を務めていた。

主な初演作品
バルトーク/ピアノ協奏曲第1番 - ピアノ:バルトーク、劇場管弦楽団(Theater Orchestra) 1927年7月1日 フランクフルト
シェーンベルク/管弦楽のための変奏曲作品31 - ベルリン・フィル 1928年12月2日 ベルリン
プフィッツナー/楽劇『こころ(Das Herz)』 ベルリン国立歌劇場 1931年11月12日 ベルリン[9]
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第5番 - 作曲者のピアノ、ベルリン・フィル 1932年10月30日 ベルリン。
オネゲル/交響的運動第3番 - ベルリン・フィル 1933年3月26日 ベルリン
ヒンデミット/交響曲『画家マティス』 - ベルリン・フィル 1934年3月11日 ベルリン
プフィッツナー/小交響曲 ト短調 作品44 - ベルリン・フィル 1939年11月17日 ハンブルク
リヒャルト・シュトラウス/『4つの最後の歌』 - ソプラノ:キルステン・フラグスタート、フィルハーモニア管弦楽団 1950年5月22日 ロンドン(初演時、あるいは直前のドレス・リハーサルによるとされる録音が現存している)


作曲家として

ベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスを尊敬していたフルトヴェングラーは、自身を作曲家であるとみなしていた。ブルックナーらに匹敵する長大な作品が多く、3つの交響曲、交響的協奏曲、ピアノ五重奏曲は演奏に1時間以上を要する。

現状、作曲家としてのフルトヴェングラーやその作品群が評価されているとは言い難いが、演奏や録音の機会は増えつつある。それらはフルトヴェングラー自身の自演をはじめ、彼とゆかりの深かった演奏家、影響を受けた演奏家によるものが多く、ヨーゼフ・カイルベルト、オイゲン・ヨッフム、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ラファエル・クーベリック、ロリン・マゼール、ダニエル・バレンボイム、朝比奈隆などの著名な指揮者も含まれる。また、アルフレート・ヴァルターとゲオルゲ・アレクサンダー・アルブレヒトが交響曲全集を完成させている。

交響曲
交響的楽章 ニ長調
交響的楽章 ロ短調
交響曲第1番 ロ短調 (1941年)
交響曲第2番 ホ短調 (1945〜47年)
自身の指揮でオーケストラの異なる5種類の録音が残されている。
交響曲第3番 嬰ハ短調 (1947年〜54年)


管弦楽曲
序曲 変ホ長調
ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲 ロ短調
エトヴィン・フィッシャーとの自作自演の録音が存在する。


室内楽曲
ピアノ五重奏曲 ハ長調
ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 <1937年、フーゴ―・コールベルクが初演>
ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 <1940年、ゲオルク・クーレンカンプが初演>
2つの幻想曲(ピアノ作品)


声楽曲
テ・デウム イ長調
いくつかの歌曲

主要な著作
フルトヴェングラーは評論、文筆活動にも積極的で、著作物も多く残している。

音と言葉(独: Ton und Wort)
フルトヴェングラーの主著で、フルトヴェングラーが各方面の雑誌に載せた論文や講演会での講演をまとめたもので、没後の1956年、ドイツのブロックハウス社(ドイツ語版)から上梓された。主要論文「ヴァーグナー問題〜ニーチェ風の随想」をはじめ、現代の音楽、社会に対する鋭い慧眼と哲学的考察を持って書かれた論考32編が収められている。中には有名な「ヒンデミット事件」も含まれている。日本語訳は芦津丈夫訳で白水社から出版されており、1996年には新装版も出版された。

音楽ノート(遺稿集)(独: Vermächtnis)
フルトヴェングラーの没後に残された最終的な推敲を経ていない論考をまとめた本。最終的な推敲を経ていないとはいえ、ほぼ完全な形でまとまったものがほとんどである。特に、「音と言葉」には見られない指揮者自身の役割、フルトヴェングラーの指揮に対する考え方を率直に示した論考も含まれ、極めて貴重である。同時にフルトヴェングラーが自身のカレンダーに記していた覚書も「カレンダーより」として収められている。フルトヴェングラー没後の1956年にこれもドイツのブロックハウス社から出版された。日本語版も同様に芦津丈夫の訳で白水社から出版されている。また、1996年の新装版では、従来版で割愛されていた青年期の論考1編も新たに収められた。

その他にもヴァルター・アーベントロートとの対談が収められた「音楽を語る」などがある。フランク・ティース編纂の書簡集も日本語訳が白水社から出版されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/689.html

[近代史6] ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 交響曲 第2番 ホ短調
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 交響曲 第2番 ホ短調


Symphony No. 2 (Furtwängler) , Berliner Philharmoniker 1951/11/22-12/4



指揮ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリンフィル 1951年11月22日~12月4日録音
Symphony No. 2 (72min)
(Furtwängler)
Berliner Philharmoniker 1951/11/22-12/4



Furtwängler - Symphony No 2 - Furtwängler, VPO, 22/02/1953 [Legendary Recordings LR006]



Symphony No. 2 in E minor [1945 - 1946]
01 Assai moderato [23:52]
02 Andante semplice [12:00]
03 Un poco moderato [16:33]
04 Langsam - Allmahlich vorwarts - Allegro molto [27:33]


Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler


Recorded Live 22 February 1953, Grosser Saal, Musikverein, Vienna




Furtwangler: Symphony No.2 (rec1954)



date 1954


orch SDR Symphonieorchester
cond Wilhelm Furtwängler (25 January 1886 – 30 November 1954)




Furtwängler - Symphony No 2 - Furtwängler, Hamburg Philharmonic (1948)



0:00 Assai moderato - Allmählich belebend (bis Allegro) - Von hier ab festes Tempo (Allegro)
24:55 Andante semplice (Tranquillo)
37:10 Un poco moderato - Più Allegro - Più Moderato - Allegro - Moderato - Allegro
52:49 Langsam - Moderato andante - Allegro molto - Moderato - Langsam - Moderato – Presto


Hamburg Philharmonic State Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Live recording: 18 October 1948, Musikhalle Hamburg

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/690.html

[近代史6] フランツ・シュミット(Franz Schmidt, 1874 - 1939)
フランツ・シュミット(Franz Schmidt, 1874 - 1939)

交響曲4番
3.3点
連続して演奏される4楽章は、蠢く動機の繋がりで構成された闇の中を徘徊するような音楽でかなりマニアックである。アラン・ペッタションに近いのだが、味わいは異なる。癖になりそうな不安定な難解さはしかしながら後期ロマン派の枠組みの音楽のようにも聴こえる。濃厚すぎる灰色の世界は雨の日に泥の中に潜り込んでいくような感覚を覚える。気分によってはかなり気にいるかもしれない曲。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%281860%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


フランツ・シュミット(Franz Schmidt、1874年12月22日プレスブルク - 1939年2月11日ペルヒトルツドルフ)は、後期ロマン派に属するオーストリアの作曲家。


プレスブルク(現在はスロヴァキアの首都ブラチスラヴァ)に生まれる[1]。ピアノを短期間テオドール・レシェティツキーに学ぶが、そりが合わなかった。1888年に家族と共にウィーンに転居し、ウィーン音楽アカデミーにて作曲をロベルト・フックスに、チェロをフェルディナント・ヘルメスベルガーに師事、1896年に「優秀賞」を得て卒業した。ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団にチェリストの座を射止めて(しばしばマーラーの指揮の下に)、1914年まで演奏した(同オーケストラに就職する際、13人のライバル候補を蹴落としたといわれる)。

また、他にもピアニストとしてコンサートを開催したり、ウィーン音楽アカデミーでチェロ、ピアノ、作曲、音楽理論を教えたりしていた[1]。シュミットに教えを受けたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員たちは、畏怖の念をもって師のことを語った[1]。

なお、指揮者としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮することもあったが、団員のオットー・シュトラッサーはシュミットの指揮について、「そもそも作曲家なるものが必ずしも自己の創作の最上の解釈者たるべきとは限らない事実をまさに証明する」と語っている[2]。

1925年にウィーン音楽アカデミー理事に、1927年には院長に就任。健康の悪化に伴い、1937年初頭にアカデミー辞職を余儀なくされ、1939年にペルヒトルツドルフで他界した。

なお、同時代のフランスの作曲家フローラン・シュミットとの区別の必要から、両者ともに氏名を省略せずにカナ書きすることが通例である。これは、名前のイニシャルと姓だけ(F.シュミット)では両者の区別がつかないことによる。

作品

交響曲4曲 (1899, 1913, 1928, 1933)
オペラ『ノートルダム』 (Notre Dame, 1904-1906)
オペラ『フレディグンディス』 (Fredigundis, 1916-1921)
ベートーヴェンの主題による2つの協奏的変奏曲 (1923)
ハンガリー騎兵の歌による管弦楽のための変奏曲 (1930)
ピアノ協奏曲 (1934)
2つの弦楽四重奏曲 (1925, 1929)
ピアノ五重奏曲 (1926)
2つのクラリネット五重奏曲
2つの弦楽三重奏曲
左手のためのピアノ四重奏曲 (1932, 1938)
オルガンのための前奏曲とフーガ ホ長調 (1924)
オルガンのためのトッカータ ハ長調 (1927)
『ヨハネの黙示録』に作曲されたオラトリオ『7つの封印の書』 (Das Buch mit sieben Siegeln, 1935-1937)


評価
シュミットは、的外れではあるにせよ、おおむね保守的な作曲家と見なされている。しかし、作品の多くに見られるリズム面での巧妙さや和声の複雑さが、これを裏切っている。シュミットは、モダニストたることなしにモダンな作品を書いており、一連の偉大なオーストリアやドイツの作曲家に対する敬意と、和声やオーケストレーションにおけるきわめて個性的な独創性とを結び付けている。シュミット作品のかなりの技術的な洗練は、尊敬せずにはいられないが、それでも虻蜂取らずに終わったようだ。すなわち彼の作品は、保守主義指向というにはあまりに複雑にすぎ、それでいてなお、前衛的というには伝統的すぎるのが明々白々である(それに彼の作品は、演奏するのが至難なことでも評判が悪い)。

死後の評価は、誤って伝えられたナチズム協力の非難のために、長年にわたって好ましいものではなかったが、シュミットのユダヤ人の友人、同僚たち ― オスカー・アドラー (Oskar Adler) やハンス・ケラー (Hans Keller) ら ― により強力な反証が挙げられてきた。1970年代に彼の作品は地味な復活をとげたが、この地味な状況は今も再発見や再評価の当時と変わっていない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/691.html

[近代史6] フランツ・シュミット 交響曲 第4番 ハ長調
フランツ・シュミット 交響曲 第4番 ハ長調


Franz Schmidt - Symphony no. 4 (1933) (Full Score)





0:00 I. Allegro molto moderato - Passionato
14:30 II. Adagio - Piu lento - Adagio
26:59 III. Molto Vivace
34:05 IV. Tempo primo un poco sostenuto - Passionato - Tempo primo: Allegro molto moderato


Paavo Järvi conducting the Frankfurt Radio Symphony (Live Recording)

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/692.html

[番外地9] 警察や学校関係者は家庭の問題というのが何かはっきり言わないのですが、具体的には

警察は自殺だとは言っていません。しかし、調査は一切しませんでした。
つまり、旭川の児童売春組織には関わりたくないのですね。

>警察の捜査で実行犯が特定され触法少年になっていることから事実ですよね。

触法少年のやったのは犯罪と言える程の事ではないです。
警察も学校関係者もイジメ事件自体がサアヤさんの被害妄想だと判断していました。
サアヤさんは小学校の時からパニック障害だったので、中学のイジメは大した影響はなかったという判断です。

>家庭の問題” と警察が判断した

警察や学校関係者は家庭の問題というのが何かはっきり言わないのですが、具体的には

サアヤさんが母親の男にレイプされてパニック障害になった
サアヤさんが母親の男に覚醒剤を打たれてパニック障害になった
サアヤさんが母親の男に児童売春を強要されてパニック障害になった

のどれかでしょう。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/843.html

[近代史5] 日本に実在する呪われた「神社」5選!
【ゆっくり解説】日本に実在する呪われた「神社」5選!



日本には様々な神社があります。
そこには怨霊を沈めたりするために建てられた所もあるのです。
呪いの力がある御神木のある神社もあります。
今回は本当に怖い日本の「神社」5選を紹介して行きます。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1138.html

[近代史5] 押尾学事件の闇
押尾学事件の闇
2021/09/09



黒すぎる真実
2009年8月 押尾さんは粉の所持、服用で逮捕されました。


その際、隣でホステスの女性がなくなっていたこと、
そしてそのマンションの名義が押尾さんではなく、
ピーチジョンの女社長のものだったことから、世間をざわつかせました。


押尾さんは体調が急変するホステスに対して何も処置をせず
そのまま放置したとして保護責任の罪に問われました。


かなり衝撃的な事件で、
記憶に残っている方も多いのではないでしょうか?


ホステス女性は以前から
暴力団関係者の知り合いも多く
彼女の常連になっている幹部も何人かいたようです。


当時は彼女の黒い関係と押尾さんのことばかりが
取り沙汰されていましたが、
この事件は調べれば調べるほど、もっと闇が深いことがわかります。


他にもキーパーソンが何人かいるのです。
今回は押尾事件の謎に迫りたいと思います。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1139.html

[番外地9] PB黒字化は必要、政府の赤字=国民の黒字 は間違い
PB黒字化は必要、政府の赤字=国民の黒字 は間違い
政府の赤字=資本家の黒字 =労働者の赤字 が正しいのです。
黒字になるのは国民ではなく赤字国債を買っている資本家だけです。
財政出動をやると家賃や生活必需品が暴騰し高所得者層以外はホームレスになる
米連銀は火に油を注ぎ続けるか?低所得者にインフレ直撃、フルタイム労働でもホームレスに

2021年7月20日
米国では物価上昇に賃金アップが追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。

米6月の消費者物価指数は前月比+0.9%、前年比+5.4%だった。コア指数は前月比+0.9%、前年比+4.5%だった。パンデミックからの需要の急回復に供給不足が重なり、前年比では、それぞれ約13年ぶり、約30年ぶりの伸び率だった。

半導体不足で自動車生産が滞り、中古車価格が19年比で+41%となるなど、国民に身近な品目も値上がりが続いている。

また、米4月のS&Pケース・シラー20都市住宅価格指数は、前月比+1.6%、前年比+14.9%だった。前年比では、1987年の統計開始以来の最高の伸び率を記録した。米5月の中古住宅販売価格中央値は、前年比23.6%の35万300ドルで、全米不動産協会が記録を取り始めた1999年以降で最大の上昇率となった。

そのため、レントも上がり、米国のどの州でも、どの郡でも、どの都市でも、フルタイムで週に40時間働く最低賃金労働者では、2ベッドルームの賃貸住宅の家賃が払えないことが、全米低所得者住宅連合の報告書でわかった。1ベッドルームの賃貸住宅でも、フルタイムの最低賃金労働者が家賃を払える郡は、全米で3,000以上ある郡の7%(218郡)だけとなった。

回復遅れる労働市場。パウエル議長の「燃料」投下は続く
一方、米連銀のパウエル議長は「米経済は資産購入の縮小を開始できるだけの進展をまだ見せていない」と強調。「インフレは一時的なもの」で、警戒感を持ちながらも緩和的な金融政策を続けるとした。

家賃高騰、週40時間労働でもホームレスに
ところが、米国にはインフレの鎮静化を相当期間も待てない人々がいる。

6月の住宅保護期限切れで、何百万人もの米国人が立ち退きに直面か、1,100万人以上の米国人たちが家賃を滞納している。そして、全国的な立ち退き強制禁止期間が期限切れとなる6月に、多くが自宅から追い出されるかも知れない。
フルタイムで週に40時間働いてもホームレスになるとすれば、条件の合わない求人に応じることはできない。

米連銀の金融緩和でますます住宅価格が上がるとすれば、これ以上の労働市場の改善はむしろ望み薄になってくる可能性がある。

物価上昇に苦しむ低所得者、報酬が上がり続けるCEO
S&P500企業のCEOの平均報酬は昨年、平均的な労働者の給与の299倍だったと、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議が年次「役員報酬監視」報告書で発表した。

CEOたちは平均報酬総額1550万ドルを受け取った。過去10年間で毎年26万ドル以上の報酬増だった。その一方で、2020年の生産部門と非管理職の労働者の平均所得は4万3,512ドルで、過去10年間で毎年ほんの957ドルの上昇だった。

バイデン政権は大規模な財政出動の財源を賄うため、大企業や富裕層に増税を課すことはあっても、低中所得層に負担を強いることはないと公言してきた。しかし、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。

このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を「事実上」負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。

▲△▽▼

利子付き国債発行、公共事業や企業への援助では需要は増えない
家や車を買った金はすべて資本家の所に行くから、最終的には給料の安い介護士には何も残らないで、国債発行で増えた金はすべて資本家が独占する。 今欧米でリアルタイムで起きている事です:

コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 2020年6月14日

 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。

米国の進歩的な政策研究所(inequality.org)が統計データを集計し、4日に報告書を発表した。過去最大規模の金融緩和の恩恵を受ける1%の富裕層と、コロナ禍で生きる糧を奪われる99%との格差がかつてなく拡大している。

 報告書によると、コロナ危機による世界経済の急激な停滞によって、3月18日からの約3カ月間で、新規失業手当を申請した米国人は4300万人(労働統計局)にのぼり、リーマン・ショック不況後に創出された雇用のほとんどが消滅した。これには自営業者として支援を申請した数百万人は含まれておらず、実態はさらに深刻だ。

 同じ3カ月間に、富裕層の累計総資産は約5650億j増加した。現在、億万長者の資産総額は3・5兆j(385兆円)に達しており、新型コロナ流行の開始時に記録された最低水準から19・15%上昇している。一方、米国ではコロナ感染ですでに10万人以上が死亡しており、報告書のなかでは「パンデミックの最中、億万長者の富が急増していると同時に、何百万人もの人々が苦しみ、多くの困難や死に直面している。米国社会の不平等でグロテスクな現実だ」とのべている。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増
マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増
マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増
イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増
セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増
ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増
スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増
フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増
ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増
ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増
マイケル・デル(デル創業者)76億j増など。

 富裕層の資産拡大の背景には、株式市場の異常な回復がある。連邦準備制度理事会(FRB)が緊急措置としてゼロ金利、無制限の債券買いとりなど、かつてない規模の金融緩和策を講じ、2月19日をピークに29%減まで急下降していたナスダック指数が史上最高値に迫るなど、株式市場は大幅に値上がりした。実体経済と乖離した市場の活況が富の移動をもたらし、格差拡大を加速させている。

 国連は5月末、2020年の世界経済は少なくとも3・2%縮小し、3億人以上が失業し、米国だけで3900万人が失業すると予測したが、実態はそれを上回る。米国内の医療保険未加入者は3000万人をこえ、コロナ禍に見舞われながらも医療の恩恵を受けることができず、多くの死者を出している。米国の失業率は今後20%に達することが予測されており、リーマン・ショック恐慌を上回る深刻さをみせている。

 報告書共著者であるチャック・コリンズ氏は「数百万人の苦しみと窮状と引き換えにもたらされた億万長者の富の急増は、私たちが今後数年で社会を回復するために必要な社会的連帯を損なう。これらの統計は、私たちがかつてなく経済的、人種的に分裂していることを示している」と声明でのべている。
________

財政出動で労働者が貰った金はすぐに使われて後には何も残らない。
最終的に資本家の所に集まった金は株と不動産を買うのに使われるから、今のアメリカみたいなバブル経済になる。労働者の賃金は上がらないで物価と株価と不動産価格だけが上がるから、労働者は更に貧困化する。

少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=pcifNIAlVG0
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/844.html

[番外地9] 金融緩和と財政出動は資本家と中国を裕福にし労働者をより貧乏にする
金融緩和と財政出動は資本家と中国を裕福にし労働者をより貧乏にする
コロナで職を失ったり商売が立ち行かなくなった人が大勢いる。それで現金給付のような政策が支持されており、アメリカでは増税と景気刺激の組み合わせを行おうとしているバイデン政権が選ばれたのである。

しかし国民から多く徴収して多くばらまくという政策には経済学的には疑問も残る。

増税をすればその分国民は消費が出来なくなるだろう。その分を政府が代わりに投資するというコンセプトなのだが、これは実際にはライブのチケットを買おうとする音楽ファンの国民からチケット代を取り上げ、代わりに五輪のチケットを渡す政策に等しい。

日本で自民党が行なっている増税・財政支出の組み合わせも同じである。このような経済政策が機能するだろうか。それを考えるためには、歴史上同じような政策が採用された例を探せば良い。

現在のような節操のない金融・財政政策を行なった結果を歴史上の例から探すと、かなり悲惨な結果となる。その結果は大体内戦か革命だ。
歴史的に著名な例はフランスの王政である。
フランス革命の時にも現在と同じような経済政策が取られた。

フランスは1770年代に金本位制度から離脱したが、1780年代には食糧を求めて暴動が起きた。パンが不足してパンの価格が高騰したので、女性たちはヴェルサイユ宮殿にいるルイ16世と王妃マリー=アントワネットに対してデモを起こした。

金本位制度からの離脱とは、元々中央銀行が紙幣と金を交換する約束をしていたのをその約束を反故にし、紙幣を持ってきても金は渡さないと宣言することである。

つまり金本位制度からの離脱は中央銀行の債務不履行であり、紙幣の価値を下落させる量的緩和と基本的に同じである。アメリカでは1970年代に同じことが起こり、ニクソンショックと呼ばれた。それと同じことがフランス革命においても起こった。当時パンの価格が高騰したことは、現在金融市場において物価高騰が懸念されている状況と重なる。

現金がばら撒かれたにもかかわらず、何故フランスの人々はデモを起こさなければならなかったのか。

紙幣印刷と現金給付によって中流階級が貧乏になり、貧困階級は死ぬほど飢えた。一方で紙幣印刷のレバーを握っている側は更に裕福になった。

量的緩和がどういう理由で行われているかを考えればそれは明らかだろう。量的緩和は政府債務を支えるために行われている。金利を低く抑えられなければ政府は膨大な借金の利払いで他の支出が出来なくなる。他の支出が出来なくなれば何故困るのか。政府予算に依存して利益を得ている人々が利益を得られなくなるからである。

だからばら撒き政策は既得権益層をますます裕福にし、その恩恵は中間層には返ってくることはない。

アメリカの消費と中国の輸出
こうした政策はアメリカの消費を促進している。だがアメリカの生産者にはほとんど関係のない話だ。消費は増えたが、消費されるものは中国から来ている。アメリカ人が中国のものを大量に消費しているので中国のGDPはどんどん上がっている。

現金給付によりGDPの構成要素である個人消費は上がった。現金給付によって毎月の消費が押し上げられる。しかし消費される商品は何処から来ているのか。これらの商品の多くは現代においては中国で作られている。つまりアメリカの資金が中国に流れているのである。アメリカは借金をしてこれらの政策を行なっているので、アメリカは実質的には借金をして中国に貢いでいることになる。

その資金はAmazon.comなどのオンラインストアを通して中国に流れてゆく。
こうした消費はどうやって起こるか。単純化して言えばこうした消費はアマゾンを通して行われている。アマゾンはこうしたビジネスで大きなシェアを獲得している。だからジェフ・ベゾス(訳注:Amazon.comのCEO)のようなシリコンバレーの億万長者が政府の現金給付によって相当に豊かになる。

しかしその資金は中流階級の自国民には返ってこないのである。中間層に何が起こるかと言えば、後に残った莫大な政府債務を返すために増税のくびきに掛けられることになる。

大きな政府と小さな政府
増税と財政出動を組み合わせ、国民から大きく吸い取り大きく吐き出す政府のことを大きな政府と言うが、予算の大きな政府の政治家達が資金を吐き出す時には当然ながら彼らの利益となる場所に資金吐き出すことになる。

日本政府が消費増税を行いオリンピックやGO TOトラベルを強行する理由は何か。一般国民から吸い取って自分の票田である宿泊業界や大手メディア、広告代理店などに吐き出すためである。保守派とは伝統的にこうした政府の利権を認めず政府の予算を縮小しようとする立場のことを言うので、自民党は保守ではない。何度も言っているのだが大半の日本人にはこれが分からないらしい。

少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=pcifNIAlVG0
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/845.html

[番外地9] 金融緩和と財政出動は資本家と中国を裕福にし労働者をより貧乏にする 中川隆
1. 中川隆[-16187] koaQ7Jey 2021年9月30日 06:40:22 : vU36Hyfchc : UUxPMnJpSlhpRU0=[3]
金融緩和と財政出動は資本家と中国を裕福にし労働者をより貧乏にする
コロナで職を失ったり商売が立ち行かなくなった人が大勢いる。それで現金給付のような政策が支持されており、アメリカでは増税と景気刺激の組み合わせを行おうとしているバイデン政権が選ばれたのである。
しかし国民から多く徴収して多くばらまくという政策には経済学的には疑問も残る。

増税をすればその分国民は消費が出来なくなるだろう。その分を政府が代わりに投資するというコンセプトなのだが、これは実際にはライブのチケットを買おうとする音楽ファンの国民からチケット代を取り上げ、代わりに五輪のチケットを渡す政策に等しい。

日本で自民党が行なっている増税・財政支出の組み合わせも同じである。このような経済政策が機能するだろうか。それを考えるためには、歴史上同じような政策が採用された例を探せば良い。

現在のような節操のない金融・財政政策を行なった結果を歴史上の例から探すと、かなり悲惨な結果となる。その結果は大体内戦か革命だ。
歴史的に著名な例はフランスの王政である。
フランス革命の時にも現在と同じような経済政策が取られた。

フランスは1770年代に金本位制度から離脱したが、1780年代には食糧を求めて暴動が起きた。パンが不足してパンの価格が高騰したので、女性たちはヴェルサイユ宮殿にいるルイ16世と王妃マリー=アントワネットに対してデモを起こした。

金本位制度からの離脱とは、元々中央銀行が紙幣と金を交換する約束をしていたのをその約束を反故にし、紙幣を持ってきても金は渡さないと宣言することである。

つまり金本位制度からの離脱は中央銀行の債務不履行であり、紙幣の価値を下落させる量的緩和と基本的に同じである。アメリカでは1970年代に同じことが起こり、ニクソンショックと呼ばれた。それと同じことがフランス革命においても起こった。当時パンの価格が高騰したことは、現在金融市場において物価高騰が懸念されている状況と重なる。

現金がばら撒かれたにもかかわらず、何故フランスの人々はデモを起こさなければならなかったのか。

紙幣印刷と現金給付によって中流階級が貧乏になり、貧困階級は死ぬほど飢えた。一方で紙幣印刷のレバーを握っている側は更に裕福になった。

量的緩和がどういう理由で行われているかを考えればそれは明らかだろう。量的緩和は政府債務を支えるために行われている。金利を低く抑えられなければ政府は膨大な借金の利払いで他の支出が出来なくなる。他の支出が出来なくなれば何故困るのか。政府予算に依存して利益を得ている人々が利益を得られなくなるからである。

だからばら撒き政策は既得権益層をますます裕福にし、その恩恵は中間層には返ってくることはない。

アメリカの消費と中国の輸出
こうした政策はアメリカの消費を促進している。だがアメリカの生産者にはほとんど関係のない話だ。消費は増えたが、消費されるものは中国から来ている。アメリカ人が中国のものを大量に消費しているので中国のGDPはどんどん上がっている。

現金給付によりGDPの構成要素である個人消費は上がった。現金給付によって毎月の消費が押し上げられる。しかし消費される商品は何処から来ているのか。これらの商品の多くは現代においては中国で作られている。つまりアメリカの資金が中国に流れているのである。アメリカは借金をしてこれらの政策を行なっているので、アメリカは実質的には借金をして中国に貢いでいることになる。

その資金はAmazon.comなどのオンラインストアを通して中国に流れてゆく。
こうした消費はどうやって起こるか。単純化して言えばこうした消費はアマゾンを通して行われている。アマゾンはこうしたビジネスで大きなシェアを獲得している。だからジェフ・ベゾス(訳注:Amazon.comのCEO)のようなシリコンバレーの億万長者が政府の現金給付によって相当に豊かになる。

しかしその資金は中流階級の自国民には返ってこないのである。中間層に何が起こるかと言えば、後に残った莫大な政府債務を返すために増税のくびきに掛けられることになる。

大きな政府と小さな政府
増税と財政出動を組み合わせ、国民から大きく吸い取り大きく吐き出す政府のことを大きな政府と言うが、予算の大きな政府の政治家達が資金を吐き出す時には当然ながら彼らの利益となる場所に資金吐き出すことになる。

日本政府が消費増税を行いオリンピックやGO TOトラベルを強行する理由は何か。一般国民から吸い取って自分の票田である宿泊業界や大手メディア、広告代理店などに吐き出すためである。保守派とは伝統的にこうした政府の利権を認めず政府の予算を縮小しようとする立場のことを言うので、自民党は保守ではない。何度も言っているのだが大半の日本人にはこれが分からないらしい。

少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/845.html#c1

[番外地9] PB黒字化は必要、政府の赤字=国民の黒字 は間違い 中川隆
1. 中川隆[-16186] koaQ7Jey 2021年9月30日 06:45:24 : vU36Hyfchc : UUxPMnJpSlhpRU0=[4]
PB黒字化は必要、政府の赤字=国民の黒字 は間違い
政府の赤字=資本家の黒字 =労働者の赤字 が正しいのです。
黒字になるのは国民ではなく赤字国債を買っている資本家だけです。
財政出動をやると家賃や生活必需品が暴騰し高所得者層以外はホームレスになる
米連銀は火に油を注ぎ続けるか?低所得者にインフレ直撃、フルタイム労働でもホームレスに
2021年7月20日
米国では物価上昇に賃金アップが追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。

米6月の消費者物価指数は前月比+0.9%、前年比+5.4%だった。コア指数は前月比+0.9%、前年比+4.5%だった。パンデミックからの需要の急回復に供給不足が重なり、前年比では、それぞれ約13年ぶり、約30年ぶりの伸び率だった。

半導体不足で自動車生産が滞り、中古車価格が19年比で+41%となるなど、国民に身近な品目も値上がりが続いている。

また、米4月のS&Pケース・シラー20都市住宅価格指数は、前月比+1.6%、前年比+14.9%だった。前年比では、1987年の統計開始以来の最高の伸び率を記録した。米5月の中古住宅販売価格中央値は、前年比23.6%の35万300ドルで、全米不動産協会が記録を取り始めた1999年以降で最大の上昇率となった。

そのため、レントも上がり、米国のどの州でも、どの郡でも、どの都市でも、フルタイムで週に40時間働く最低賃金労働者では、2ベッドルームの賃貸住宅の家賃が払えないことが、全米低所得者住宅連合の報告書でわかった。1ベッドルームの賃貸住宅でも、フルタイムの最低賃金労働者が家賃を払える郡は、全米で3,000以上ある郡の7%(218郡)だけとなった。

回復遅れる労働市場。パウエル議長の「燃料」投下は続く
一方、米連銀のパウエル議長は「米経済は資産購入の縮小を開始できるだけの進展をまだ見せていない」と強調。「インフレは一時的なもの」で、警戒感を持ちながらも緩和的な金融政策を続けるとした。

家賃高騰、週40時間労働でもホームレスに
ところが、米国にはインフレの鎮静化を相当期間も待てない人々がいる。

6月の住宅保護期限切れで、何百万人もの米国人が立ち退きに直面か、1,100万人以上の米国人たちが家賃を滞納している。そして、全国的な立ち退き強制禁止期間が期限切れとなる6月に、多くが自宅から追い出されるかも知れない。
フルタイムで週に40時間働いてもホームレスになるとすれば、条件の合わない求人に応じることはできない。

米連銀の金融緩和でますます住宅価格が上がるとすれば、これ以上の労働市場の改善はむしろ望み薄になってくる可能性がある。

物価上昇に苦しむ低所得者、報酬が上がり続けるCEO
S&P500企業のCEOの平均報酬は昨年、平均的な労働者の給与の299倍だったと、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議が年次「役員報酬監視」報告書で発表した。

CEOたちは平均報酬総額1550万ドルを受け取った。過去10年間で毎年26万ドル以上の報酬増だった。その一方で、2020年の生産部門と非管理職の労働者の平均所得は4万3,512ドルで、過去10年間で毎年ほんの957ドルの上昇だった。

バイデン政権は大規模な財政出動の財源を賄うため、大企業や富裕層に増税を課すことはあっても、低中所得層に負担を強いることはないと公言してきた。しかし、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。

このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を「事実上」負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。

▲△▽▼

利子付き国債発行、公共事業や企業への援助では需要は増えない
家や車を買った金はすべて資本家の所に行くから、最終的には給料の安い介護士には何も残らないで、国債発行で増えた金はすべて資本家が独占する。 今欧米でリアルタイムで起きている事です:

コロナ禍の3ヶ月間で米国富裕層の資産62兆円増 背景に大規模金融緩和 2020年6月14日

 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億j(62兆円)増やしていたことがわかった。

米国の進歩的な政策研究所(inequality.org)が統計データを集計し、4日に報告書を発表した。過去最大規模の金融緩和の恩恵を受ける1%の富裕層と、コロナ禍で生きる糧を奪われる99%との格差がかつてなく拡大している。

 報告書によると、コロナ危機による世界経済の急激な停滞によって、3月18日からの約3カ月間で、新規失業手当を申請した米国人は4300万人(労働統計局)にのぼり、リーマン・ショック不況後に創出された雇用のほとんどが消滅した。これには自営業者として支援を申請した数百万人は含まれておらず、実態はさらに深刻だ。

 同じ3カ月間に、富裕層の累計総資産は約5650億j増加した。現在、億万長者の資産総額は3・5兆j(385兆円)に達しており、新型コロナ流行の開始時に記録された最低水準から19・15%上昇している。一方、米国ではコロナ感染ですでに10万人以上が死亡しており、報告書のなかでは「パンデミックの最中、億万長者の富が急増していると同時に、何百万人もの人々が苦しみ、多くの困難や死に直面している。米国社会の不平等でグロテスクな現実だ」とのべている。

 この間、資産を飛躍的に延ばした主な富裕層は以下の通り。IT大手や投資関連の大企業が目立っている。

ジェフ・ベゾス(アマゾンCEO)362億j増
マッケンジー・ベゾス(前妻)126億j増
マーク・ザッカーバーグ(フェイスブックCEO)300億j増
イーロン・マスク(テスラCEO)141億j増
セルゲイ・ブリン(グーグル共同創業者)139億j増
ラリー・ペイジ(グーグル元CEO)137億j増
スティーブ・バルマー(マイクロソフト元CEO)133億j増
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)118億j増
フィル・ナイト(ナイキ創業者)116億j増
ラリー・エリソン(オラクル会長)85億j増
ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハサウェイCEO)77億j増
マイケル・デル(デル創業者)76億j増など。

 富裕層の資産拡大の背景には、株式市場の異常な回復がある。連邦準備制度理事会(FRB)が緊急措置としてゼロ金利、無制限の債券買いとりなど、かつてない規模の金融緩和策を講じ、2月19日をピークに29%減まで急下降していたナスダック指数が史上最高値に迫るなど、株式市場は大幅に値上がりした。実体経済と乖離した市場の活況が富の移動をもたらし、格差拡大を加速させている。

 国連は5月末、2020年の世界経済は少なくとも3・2%縮小し、3億人以上が失業し、米国だけで3900万人が失業すると予測したが、実態はそれを上回る。米国内の医療保険未加入者は3000万人をこえ、コロナ禍に見舞われながらも医療の恩恵を受けることができず、多くの死者を出している。米国の失業率は今後20%に達することが予測されており、リーマン・ショック恐慌を上回る深刻さをみせている。

 報告書共著者であるチャック・コリンズ氏は「数百万人の苦しみと窮状と引き換えにもたらされた億万長者の富の急増は、私たちが今後数年で社会を回復するために必要な社会的連帯を損なう。これらの統計は、私たちがかつてなく経済的、人種的に分裂していることを示している」と声明でのべている。
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財政出動で労働者が貰った金はすぐに使われて後には何も残らない。
最終的に資本家の所に集まった金は株と不動産を買うのに使われるから、今のアメリカみたいなバブル経済になる。労働者の賃金は上がらないで物価と株価と不動産価格だけが上がるから、労働者は更に貧困化する。

少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/844.html#c1

[番外地9] GDPが増えても国民は豊かにならない
GDPが増えても国民は豊かにならない
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日本を始めとして世界中で”親世代より貧しい子供世代”に入っていて、韓国もご多分に漏れず子供世代が貧しい。
先進国で初めてこうなったのはおそらく1980年代以降のアメリカで、マイホームが買えなくなった。
アメリカは1950年代が絶頂期で(裕福な白人家庭は)7リッターの大型車を乗り回し、芝生やプール付きの家を所有していた。

当然未来のアメリカはもっと豊かになると想像していたが、子供や孫の世代になるほど貧困化している。
アメリカは60年代、70年代、80年代と不況が続き、やっと好景気になった90年代は以前とは違っていた。
前の好景気では労働者の所得が増え、自動車工場の従業員は自分が作った車を買うことが出来た。

だが90年代以降の好景気では労働者の給料はあまり増えず、資産価値だけが増加しました。
つまりお父さんの給料は30万円で変わらないのに、株価や地価やビットコインだけが値上がりしました。
値上がりした株やビットコインでGDPは上昇するので、物価も資産上昇につれて上昇しました。
だが物価が上昇してもお父さんの給料は30万円のままなので、労働者家庭はどんどん貧困化しました。

統計によるとアメリカの中産階級は1980年代から貧困化していて、中産階級から貧困階級に転がり落ちる人が多い。
こうした例を日本に当てはめるまでも無く、労働者の所得は減り資産だけが増え日本人は『貧困民族』になりました。

資産価値上昇が日本人を貧困にしている。
個人資産が1500兆円とか2000兆円という数字を聞いたことがあると思いますが、アレが増えれば増えるほど日本人は貧困になります。
なぜなら汗を流して働いた人の給料は減り続け、働かずに土地や株を所有する人の収入が増え続けるからです。
多分あなたは週5日以上、一日8時間以上働いているが、収入は増えていないのではないでしょうか?
ところが資産を保有している人は1年に1日も働いていないのに、資産が倍になったりしています。
資産価値が上昇した分日本のGDPが増えたことになり物価が少し上がるので、労働者は毎年貧しくなります。
これが安倍、小泉や自民党政権が20年やった事だが、自民党のせいというほど話は単純ではない。

欧米や中韓ロですらそうなっていて、労働者の給料は実質減り続けて、不労者である資産階級だけが収入を増やしている。
この原因が資産価値の上昇で、マネー経済ともバブル経済とも言います。
労働価値は変わらないのに株やビットコインや地価だけが上昇する社会は労働者にとって地獄の世界になります。
そして世界中が地獄化しているのです。


少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/846.html

[番外地9] アメリカはドルの貨幣価値が下がったから GDP や株価が上がっているだけだよ
GDPが増えても国民は豊かにはならない
アメリカはドルの貨幣価値が下がったから GDP や株価が上がっているだけだよ、実質価格は上がっていない。そもそもGDPの大部分は資本家の所得だから、GDPがいくら増えても労働者が豊かになる訳じゃないよ。

米連銀は火に油を注ぎ続けるか?低所得者にインフレ直撃、フルタイム労働でもホームレスに
2021年7月20日
米国では物価上昇に賃金アップが追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。

中古車や住宅など身近な品目が値上がりする米国経済

米6月の消費者物価指数は前月比+0.9%、前年比+5.4%だった。コア指数は前月比+0.9%、前年比+4.5%だった。パンデミックからの需要の急回復に供給不足が重なり、前年比では、それぞれ約13年ぶり、約30年ぶりの伸び率だった。

半導体不足で自動車生産が滞り、中古車価格が19年比で+41%となるなど、国民に身近な品目も値上がりが続いている。

また、米4月のS&Pケース・シラー20都市住宅価格指数は、前月比+1.6%、前年比+14.9%だった。前年比では、1987年の統計開始以来の最高の伸び率を記録した。米5月の中古住宅販売価格中央値は、前年比23.6%の35万300ドルで、全米不動産協会が記録を取り始めた1999年以降で最大の上昇率となった。

そのため、レントも上がり、米国のどの州でも、どの郡でも、どの都市でも、フルタイムで週に40時間働く最低賃金労働者では、2ベッドルームの賃貸住宅の家賃が払えないことが、全米低所得者住宅連合の報告書でわかった。1ベッドルームの賃貸住宅でも、フルタイムの最低賃金労働者が家賃を払える郡は、全米で3,000以上ある郡の7%(218郡)だけとなった。

回復遅れる労働市場。パウエル議長の「燃料」投下は続く

一方、米連銀のパウエル議長は「米経済は資産購入の縮小を開始できるだけの進展をまだ見せていない」と強調。「インフレは一時的なもの」で、警戒感を持ちながらも緩和的な金融政策を続けるとした。

パウエル議長が言及する経済回復の進展とは、労働市場の回復だ。ピーク時には2,500万人を超えていた失業保険の継続受給者が、先週発表の数値では324万1,000人にまで減少したが、まだ多いと言えば多い。

一方で、米5月のJOLTS求人件数は920万9,000件で、6月の雇用統計による5月の失業者数931万6,000人とほぼ一致していた。求職しながら求人に応じない理由としては、対人職の求人が多くコロナ感染が恐いため、失業手当を受け取っているため、子育て対策が不十分なためなどが挙げられている。

このことは、金融緩和により労働市場の回復がこれ以上進展するとしても、パウエル議長が望む水準にまで達成するには、相当期間を要することが見込まれることだ。

つまり、それまでは失業保険の継続受給者が2,500万人を超えていた時期と、同規模の金融緩和を継続する「懸念」があることを暗示している。

インフレの炎が、パウエル議長が見なしているように仮に「くすぶっている」だけだとしても、コロナ禍の最悪期に始めた、ほぼゼロ金利と大量の資金供給いう前代未聞の規模の「燃料」を注ぎ続けると言うのだ。

家賃高騰、週40時間労働でもホームレスに
ところが、米国にはインフレの鎮静化を相当期間も待てない人々がいる。

6月の住宅保護期限切れで、何百万人もの米国人が立ち退きに直面か、1,100万人以上の米国人たちが家賃を滞納している。そして、全国的な立ち退き強制禁止期間が期限切れとなる6月に、多くが自宅から追い出されるかも知れない。

CDCの立ち退き猶予9月から実施されていたが、6月30日に失効する。

立ち退き率は州によってバラツキが出る見込みだ。

例えば、予算と政策優先センターによれば、フロリダ州やサウスカロライナ州では賃貸者の4人に1人が家賃を滞納しているのに対し、メーン州やケンタッキー州では6%にとどまっている。

フルタイムで週に40時間働いてもホームレスになるとすれば、条件の合わない求人に応じることはできない。

米連銀の金融緩和でますます住宅価格が上がるとすれば、これ以上の労働市場の改善はむしろ望み薄になってくる可能性がある。

物価上昇に苦しむ低所得者、報酬が上がり続けるCEO
資産運用会社のブラックロックは、インフレ率の上昇を受け、9月からすべての従業員のベースサラリーを8%引き上げると報道された。状況次第では2022年初めにも追加で賃上げを行うという。

一方で、一般の米大企業の従業員たちはそこまで恵まれてはいない。

S&P500企業のCEOの平均報酬は昨年、平均的な労働者の給与の299倍だったと、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議が年次「役員報酬監視」報告書で発表した。

CEOたちは平均報酬総額1550万ドルを受け取った。過去10年間で毎年26万ドル以上の報酬増だった。その一方で、2020年の生産部門と非管理職の労働者の平均所得は4万3,512ドルで、過去10年間で毎年ほんの957ドルの上昇だった。

バイデン政権は大規模な財政出動の財源を賄うため、大企業や富裕層に増税を課すことはあっても、低中所得層に負担を強いることはないと公言してきた。しかし、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかず、明日の住居、明日の生活に脅える人々が急増している。

このことは、大規模な政府の財政出動や中央銀行の金融緩和を「事実上」負担しているのは、低中所得者層であることを強く示唆している。

▲△▽▼

アメリカはドルの貨幣価値が毎年毎年下がっているから GDP や株価が上がっているだけだよ、実質価格は上がっていない。
そもそもGDPの大部分は資本家の所得だから、GDPがいくら増えても労働者が豊かになる訳じゃないよ。
アメリカみたいに労働者の賃金が上がらないでGDPだけ増えるというのは、労働者が毎年、毎年貧しくなっているという事だ。
日本みたいに労働者の賃金が上がらなくてもGDPが増えない場合は格差の拡大が少ないという事だ。
アメリカみたいにワンルームマンションの賃料が月30万円、虫歯治療が10万円になったら年収が1000万円でも生活が苦しいんだよ。
日本も高度成長時代は chousen戦争やベトナム戦争の戦争特需で輸出が増えていたからGDPも上がっていただけだ。
プラザ合意以降は輸出で稼げなくなったから GDPが上がらなくなっただけだよ。
人口も増えない、輸出も増えない、貨幣価値も変わらない、ではGDPが増える方がおかしいんだ。
GDPが増える必要なんかない。
公共事業をやってもその金は最終的にはすべて資本家の所に行ってしまうから、労働者はますます貧しくなる。
大事なのは経済成長する事ではなく、労働者への所得分配率を上げる事だ。  

▲△▽▼

毎年ドルの価値が下がっているからアメリカの株価も毎年上がっているだけだ。
アベノミクスで円の価値が1/3 、1/4になったから日経平均は3倍・4倍になったというだけだ。
株の実質価値は昔と変わっていない。

少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/847.html

[番外地9] 量的緩和・財政出動や企業支援金がデフレを生む _ 貧困層には援助しなければいけないが、企業救済はしてはいけない
量的緩和・財政出動や企業支援金がデフレを生む _ 貧困層には援助しなければいけないが、企業救済はしてはいけない
一般的には量的緩和は紙幣を無制限に印刷するためインフレを生むのではないかと言われている。しかし実際には逆である。
量的緩和は短期的には良いことだと言えるかもしれない。だが長期的には債務には新陳代謝が必要だ。ゾンビ企業、非効率な企業を退場させる必要がある。だが、緩和のお陰でそれが起こらない。
これはデフレの一因だと言える。供給が過剰なのだから理屈が通るだろう。

市場経済では消費者の望む商品を作らない企業は淘汰される。しかしそれを政府が人為的に妨げると、消費者の望まないものを作り続けるゾンビ企業がどんどん増えることになる。

経済学では価格は需要と供給の兼ね合いで決まり、ゾンビ企業を生かすということは経済の供給(しかも不要な供給)を増やし続けるということである。供給の増加は当然ながら価格を押し下げる。つまりデフレになるのである。

デフレがインフレになる瞬間

しかし現在アメリカで懸念されているのはインフレであり、デフレではない。アメリカではコロナ禍で大量の現金給付を行なった結果、物価が上昇している。デフレが問題だったはずがいつの間にかインフレになっている。

それは何故か? 量的緩和を長年続けるとデフレと低成長が実現する。消費者の望まないものを作り続ける企業が増え続けるのだから当然である。インフレになる前に緩和は終了し、それで問題がないと人々は考える。

しかしそこにコロナショックのような衝撃が加わり深刻な景気後退に陥ると、インフレを引き起こす規模の刺激策なしには経済成長を支えられなくなる。インフレが起こると分かっていても緩和で経済を支えなければならなくなる状況に陥るのである。

これほどの現金をばら撒いた場合、消費がデフレ圧力に打ち勝ってしまう。

この状況に陥った経済は急激なデフレと急激なインフレを行き来する非常に不安定な状態となる。緩和を止めれば急激なデフレになり、緩和をすれば急激なインフレになるからである。

まさにこれが現在のアメリカ経済の状況である。アメリカでは3回行われた現金給付が今年3月を最後に途絶えると、アメリカ経済は途端にデフレに向かい始めている。

もうアメリカには選択肢が2つしかない。緩和を続けて物価高騰を受け入れるか、緩和を止めて不況を受け入れるかである。

この状況は短期的にはコロナだが、長期的には量的緩和が作り出したものである。量的緩和によるデフレと低成長がなければ、コロナ禍も経済的にはこれほど酷くはならなかっただろうからである。

量的緩和政策のそもそもの原因

そもそも何故量的緩和政策が行われたのだろうか? 量的緩和政策とは基本的に貸し手より借り手に有利な政策である。金利を押し下げることで莫大な借金を背負っている借り手は利払い義務が軽減される。

一方で貸し手はお金を貸しても金利が得られない状況に陥る。得られないどころか、銀行にお金を預けるとむしろ手数料を取られるというのが貸し手が置かれている状況である。

ここで考えてみてほしいのだが、経済における最大の借り手とは誰だろうか? 政府である。そして貸し手とは誰だろうか? 国民なのである。

つまり、量的緩和政策とは経済最大の借り手である政府が、貸し手である国民を犠牲にして自分を利する政策なのである。こうすることで政府は莫大な借金を背負っても、東京オリンピックやGO TOトラベルなどの政策で自分の支援者に金をばら撒くことが出来る。

そして奇妙なことにチャンネル桜の自称経済評論家や経済がわからない保守・右翼は無邪気にもそれを支持しているのである。人々が自分の置かれた状況についてどれだけ何も知らないかである。

量的緩和危機と中国恒大集団
非効率なビジネスを生かし続けた結果が、いま中国でGDP2%分の負債を抱えて破綻しかけている恒大集団である。

中国もまた消費者の望まないものを作り続ける企業を長い間野放しにしてきた。しかし報道によれば中国共産党は恒大集団を救済しない可能性が高いらしい。中国共産党傘下の環球時報は次のように主張している。

恒大集団は『大きすぎて潰せない』の原則に基づく政府による救済を期待すべきではない。

これは中国共産党がアメリカとは違う方向に舵を切ったことを意味する。不況か物価高騰か選べと言われたら、米国政府は迷わず物価高騰を選ぶだろう。

しかし少なくとも現状では中国共産党はゾンビ企業の末路を市場経済に委ねたように見える。一方で、どの企業が生き残るべきかを消費者ではなく政府が決定する量的緩和は共産主義の定義そのものである。

中国共産党は恒大集団の様なゾンビ企業の始末を市場に委ねようとしている。この意味では中国共産党は量的緩和を推進する日本の自民党よりよほど資本主義的である。

一方で、日本を含め多くの先進国の政治家は票田にばら撒くための政府予算にしがみつくためだけに緩和政策に執着して増税と量的緩和という社会主義政策を推し進めている。

▲△▽▼

量的緩和は政府債務を支えるために行われている。金利を低く抑えられなければ政府は膨大な借金の利払いで他の支出が出来なくなる。他の支出が出来なくなれば何故困るのか。政府予算に依存して利益を得ている人々が利益を得られなくなるからである。だからばら撒き政策は既得権益層をますます裕福にし、その恩恵は中間層には返ってくることはない。

大きな政府と小さな政府
増税と財政出動を組み合わせ、国民から大きく吸い取り大きく吐き出す政府のことを大きな政府と言うが、予算の大きな政府の政治家達が資金を吐き出す時には当然ながら彼らの利益となる場所に資金吐き出すことになる。

日本政府が消費増税を行いオリンピックやGO TOトラベルを強行する理由は何か。一般国民から吸い取って自分の票田である宿泊業界や大手メディア、広告代理店などに吐き出すためである。保守派とは伝統的にこうした政府の利権を認めず政府の予算を縮小しようとする立場のことを言うので、自民党は保守ではない。大半の日本人にはこれが分からないらしい。


少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
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http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/848.html

[番外地9] 財政出動政策は日本経済を破滅させる
財政出動政策は日本経済を破滅させる
2022年、オイルショック級の物価上昇が日本と世界を襲う=吉田繁治
20年間のディスインフレで、「茹でカエルの反対の冷えカエル」になった頭には、石油危機のときのようなインフレへのイマジネーションがない。事実、高市早苗候補は、2022年からの経済予想がないままに、150兆円規模の、量的緩和を政策として掲げているのです。

20年間の「ディスインフレ」が一変する
21世紀の20年は、世界的なディスインフレの時代でした。通貨が下落した国で輸入物価が上がり、インフレになるだけだったのです。

ディスインフレとは、価格が下がるデフレではなく、物価上昇が0%から1%付近と低い経済の状態を言います。米国の物価上昇もコロナ前は1%台と低かった。

この世界的な原因は、中国とアジアでの、出荷価格3分の1くらいの商品生産が増えたことです。この生産量は、世界の50%に増えているでしょう。中国とアジアは内需主導型ではなく、輸出主導型経済です。

たとえばマレーシアのGDPに占める輸出額は、69%と、異常なくらい高い。日米欧のメーカーが、工場を作って、現地人を雇用し、輸出しているからです。部品は他国から調達します。

中国と東南アジアの産業構造がこれです。約20年で、世界中に、網の目のサプライチェーン物流網が築かれたのです。

通信はインターネットとスマホ、物流はコンテナ。世界中で国内の価格が上がると、中国・アジア輸入が有利になるので、2000年代の20年間、企業が価格を上げることができないディスインフレの経済構造になっていたのです。


コロナ禍で世界のサプライチェーンはズタズタに壊れました。コンテナ便の運賃は異常な上昇をみせており、2022年にはすべての商品にインフレが及ぶと思われます。私たちは1970年代に起きたオイル・ショック級のインフレを覚悟しないといけないでしょう。


21世紀の世界の産業は、部品と製品のサプライチェーンで深く結ばれています。「近代国家の枠を超えるサプライチェーン」が、21世紀の産業の構造変化でした。

産業、つまり製造と小売・流通が、国際サプライチェーンに変わったのです。人的なサービス業のみが国内産業となりました。

国際サプライチェーンでの部品・商品調達と、生産の障害になったのが、今回のコロナ危機です。

日本の企業の多くは、東南アジアと中国で生産しています。SONYやパナソニックのAV機器も、多くが中国製造です。米欧の企業も同じです。中国の工業は世界の約40%の商品は生産しています。

コンテナ便の料金は6.6倍に高騰
サプライチェーンの物流は国際コンテナ便に依存します。

料金は、2020年の1月は2,420ドルでしたが、2021年の1月は5,250ドル(58万円:へと3倍に上がっています。21年7月は更に上がっていて1万3,630ドルです(150万円:20年1月の5.6倍の料金:上海〜NY:EAST BOUND:20ftの標準コンテナ)。上海からNYまで25万円というのが、通り相場の常識でしたが、今はその5.6倍です。

2020年1月:2420ドル → 7月:2,760ドル → 12月:4,100ドル →
2021年1月:5,250ドル → 7月:1万3,630ドル……
※参考:主要航路コンテナ運賃動向 – 日本海事センター

当初、コロナによる一時的な上昇かと思っていました。

しかし2021年7月には5.6倍に上がり、下がる気配がない。世界のコンテナ便の料金が同じ傾向です(※筆者注:原油のタンカー便は上がっていません。洋上備蓄が多くなっているためです)。

なぜ運賃上昇?
なぜ商品や部品を混載するコンテナ便の非常な高騰が続いているのか。

国内物流、出荷港、そして船舶に、コロナでの低操業と休業が増えたために、便が足りなくなったからです。

NYのコンテナ港(NJ州セコーカス)には、運ばれないコンテナが山積みです。2020年の11月から現在まで、9か月続いています。

船会社の利益は上がった。しかし、運航する便数は減った。

国際物流費の異常な高騰は、2022年の世界の物価上昇(製造物価の上昇)を先行して示しています。
2021年の12月からは、より大きなサプライチェーンの停止、つまり物流と生産の縮小になる可能性が高い。

これは大戦のとき以外には起こったことのない、「供給ショック」です。

平時に、需要に対して供給が下回る事態が長期化すれば、「石油危機並みの物価上昇」に帰結します。


2022年のインフレ予想
経済の未来は、複雑であり確率的なものです。2021年冬にコロナ第6波が起こると、2022年の「高いインフレ率(20%か?)」となる確率は高まるでしょう。

過去のように、戦争で工場が破壊された後のハイパーインフレまでは行かないでしょう。しかし石油危機(1973年と79年)並みのインフレは、相当な確率(70%)で想定できるでしょう。

コンテナ料金の長期高騰(事実)は、インフレに6か月先行する指標になるものです。世界のエコノミストは、国際コンテナ料金の長期高騰に気がついていません。

インフレの本質は、物価上昇の形をとった「過剰になった信用通貨の価値の下落(マネーサプライの残高 × 流通速度 = マネー量)」です。

相対的な、通貨ペアのレートでは信用通貨の価値下落はわからない(ドル/円)。両方が下がれば同じレートだからです。通貨価値の下落は高騰した物価との関係で分かります。

今回は、戦争ではない。コロナ危機による、アジアの工場と国際物流の休業です。すでに、戦争のときのような「供給ショック」になっています。

輸入物価の30%上昇は、商品原価の高騰であり、長期化すれば、時間をおいて約15%の店頭物価の上昇になって行きます。

わが国の次期首相は、2022年から「長期化するサプライチェーン供給ショックによるインフレ」と戦うことになります。インフレは、経済学的には、市場の期待金利を上げます。国債価格の買いの価格が下るということです。

市場の金利上昇(国債価格の下落)のなかで、日銀のマネー絞りを行わねばならず、2022年の株価は下がり、リーマン危機より大きな金融危機に直面する可能性が高いでしょう(推計70%)。損な役割です。

20年間のディスインフレで、「茹でカエルの反対の冷えカエル」になった頭には、石油危機のときのようなインフレへのイマジネーションがない。事実、高市早苗候補は、2022年からの経済予想がないままに、150兆円規模の、量的緩和を政策として掲げているのです。


少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U    
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/849.html

[近代史6] アンリ・デュティユー(Henri Dutilleux, 1916 - 2013)
アンリ・デュティユー(Henri Dutilleux, 1916 - 2013)

夢の樹
3.3点
かなり現代音楽的でありながらも、流麗で華麗で聴きやすい協奏曲。夢の樹というタイトルが恐ろしく適切であり、まさに夢の世界にある世界一巨大な樹木を連想させる。ヴァイオリンはギコギコと現代音楽らしいキツい音を出しつつも聴いていて不快感がなく楽しんで派手な活躍を聴ける。これはお勧めできる。

メタボール
2.8点
現代的な音の作りで音の変容を楽しむ音楽と思われる。聴きやすく流麗な雰囲気は悪くないが、長さのわりに内容の多さを感じられず、代表作らしい凄みを感じなかった。これならば夢の樹の方がはるかにお勧めできる。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


アンリ・デュティユー(Henri Dutilleux, 1916年1月22日 - 2013年5月22日)は、フランスの作曲家。フランス6人組よりもやや若い世代で、20世紀後半から21世紀初めにかけてのフランスを代表する作曲家の一人。


生涯
フランス西部、メーヌ=エ=ロワール県のアンジェに生まれる。1933年から1938年までパリ音楽院に学び、ジャン・ギャロン、ノエル・ギャロン、フィリップ・ゴーベール、アンリ・ビュッセル、モーリス・エマニュエルに師事した。
1938年、カンタータ『王の指輪』でローマ賞を受賞した。しかし戦争のためわずか数か月でパリへ戻ることとなった。

1943年から1963年まで、ラジオ放送のための作曲を仕事としていた。
1946年にピアニストのジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919年 - 2009年)と結婚。
1961年から、エコールノルマル音楽院で教鞭を執り、1970年、パリ音楽院に客員教授として招かれた。
1994年、第6回高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門を受賞。


プライベート
父方の曽祖父は画家のコンスタン・デュティユーで、ドラクロワの親友であり、コローのコレクターでもあった。コローの作品やバルビゾン派から影響を受けたフォンテーヌブローの森を主題とした風景画などの作品がある。アンリ・デュティユーは1999年、この曽祖父の作品および彼によるドラクロワのコレクションや手紙類を、ルーヴル美術館およびフランス国立図書館に寄付している。

母方の祖父も作曲家でジュリアン・コズルといい、ストラスブール音楽院の教授を務め、ガブリエル・フォーレと親交があり、またアルベール・ルーセルの教師でもあった。

主要作品

交響曲
交響曲第1番 (1950年)
第1楽章のパッサカリアをはじめ、古典的な様式に基づきながらも、従来の調性にとらわれず主題の音程関係による「自由な無調性」を模索した作品。
交響曲第2番「ル・ドゥーブル」 (1959年)
大管弦楽の一部の首席奏者たちが小編成の室内楽として扱われ、二重の編成が対比される。

管弦楽曲
メタボール Métaboles (1964年)
作曲家一番の代表作。いわゆる変奏曲だが、従来の主題と変奏という概念にとらわれず、より自由な変容を目指した作品。第3楽章には十二音技法的な主題も登場する。
音色、空間、運動 Timbres, espace, mouvement (1978年)
ゴッホの絵画『星月夜』の印象に基づく作品。
瞬間の神秘 Mystère de l'instant (1989年)
24の弦楽器、ツィンバロムと打楽器のための
時の影 The Shadows of Time (1997年)
小澤征爾による委嘱作品。管弦楽に3人の童声が加わる。
コレスポンダンス(往復書簡) Correspondances ソプラノとオーケストラのための (2003年)
ベルリンフィルとサイモン・ラトルによる委嘱作品。リルケやゴッホなどの書簡に基づく。
時間 大時計 Le Temps L'horloge (2007年)
2007年サイトウ・キネン・フェスティバルにおいて、小澤征爾の指揮により世界初演。声楽を伴う。

協奏曲
チェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」 Tout un monde lointain... (1970年)
ヴァイオリン協奏曲「夢の樹」 L'arbre des songes (1985年)
ヴァイオリンと管弦楽のための夜想曲「同じ和音の上で」Sur le même accord (2002年)
アンネ=ゾフィー・ムターによる委嘱作品。

室内楽曲
フルートとピアノのためのソナチネ Sonatine pour flûte et piano (1943年)
弦楽四重奏 「夜はかくの如し」 Ainsi la nuit (1976年)
引用 Les Citations (1990年)
オーボエ、クラヴサン、コントラバスと打楽器のための

器楽曲
ピアノソナタ Sonate pour piano (1947年) (妻のジュヌヴィエーヴ・ジョワにより初演。Wikipedia Commonsに音源あり)
SACHERの名による3つのストロフ Trois Strophes sur le nom de SACHER pour violincelle solo (1976年)
パウル・ザッハーの70回目の誕生日を祝い、ロストロポーヴィチがブーレーズ、ベリオなど12人の作曲家に独奏チェロの作品を依頼した。
3つの前奏曲 Preludes pour piano (1988年)
暗がりと静寂から D'ombre et de silence
1つの和音で Sur un même accord
対比の戯れ Le jeu des contraires

声楽曲
ジャン・カスーの2つのソネット(1954年)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A6%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/693.html

[近代史6] アンリ・デュティユー ヴァイオリン協奏曲 『夢の樹』
アンリ・デュティユー ヴァイオリン協奏曲 『夢の樹』


DUTILLEUX: Violin Concert "L'Arbre des songes" / Stern · Maazel · Orchestre National de France






I. Librement - Interlude 7:49
II. Vif - Interlude 2 3:54
III. Lent - Interlude 3 7:23
IV. Large et animé 5:20


Isaac Stern (violin)
Lorin Maazel (conductor)
Orchestre National de France


1985/11/06, 07 (ⓟ 1987) Stereo (DDD), Salle Wagram, Paris




『夢の樹』(L'arbre des Songes )は、アンリ・デュティユーが作曲したヴァイオリン協奏曲。


このヴァイオリン協奏曲は、1983年から1985年にかけて作曲され、元々はアイザック・スターンの還暦を祝うために作曲された。しかしその時期に完成することが出来なかったため、結局1985年11月5日、パリのシャンゼリゼ劇場で、スターンの独奏ヴァイオリン、ロリン・マゼール指揮のフランス国立管弦楽団によってようやく初演された。


デュティユーの協奏的作品は、この曲の他に、チェロ協奏曲『はるかなる遠い国へ』(Tout un monde lointain… )、ヴァイオリンと管弦楽のための夜想曲 『一つの和音の上で』(sur le même accord)の2曲が知られている。


構成
全体は大きく分けると4つの部分から成っているが、それぞれのあいだに「間奏」が挿入されているので、細かく見れば7つの部分となっている。演奏時間は約23分。


リーブルマン(自由に)-
間奏1-
ヴィフ(快活に)-
間奏2-
ラン(ゆっくりと)-
間奏3-
ラルジュ・エ・アニメ(ゆとりを持って生き生きと)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E3%81%AE%E6%A8%B9_(%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A6%E3%83%BC)

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/694.html

[近代史6] オリヴィエ・メシアン(Olivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen、1908 - 1992)
オリヴィエ・メシアン(Olivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen、1908 - 1992)

現代の最重要作曲家の一人。独自の音世界を築いて、大きな実績を残した。でも自分は生理的すぎる彼の音感覚を身体がなかなか受け付けない。


管弦楽曲
トゥーランガリラ交響曲(1949)
2.0点
おそろしくキモい曲。生理的な感覚が生々しく露にされすぎている。ちっともいい曲とは思えなかった。

室内楽曲
世の終わりのための四重奏曲(1941)
3.5点

ピアノ曲
幼子イエスに注ぐ20の眼差し(1944)
3点

鳥のカタログ(1956-58)(全13曲)
2.5点


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


オリヴィエ=ウジェーヌ=プロスペール=シャルル・メシアン(Olivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen, 1908年12月10日 - 1992年4月27日)は、フランス、アヴィニョン生まれの現代音楽の作曲家、オルガン奏者、ピアニスト、音楽教育者である。

20世紀前半から後半にかけてヨーロッパの現代音楽界を牽引した作曲家のひとりであり、加えて、多くの著名な子弟を育てた音楽教師として知られる。オルガニスト、ピアニストとしても長年演奏活動を続け、録音も数多く残している。本人は作曲家としての肩書きに加えて、彼の見地から「リズムの創作家」を名乗っており、また神学者としても稀にみる博学さを持ち合わせていたとされる。そして鳥類学者としては、世界中の鳥の声を採譜した貴重な偉業を成し遂げた。音と色彩についての言及は多く、音を聴くと色彩や模様などを連想するという共感覚の持ち主であるとされ、その詳細な記述は世界の人々を驚愕させたが、その連想を楽譜に書き込むことも多かった。

経歴
フランス南部のアヴィニョンに生まれ、1919年、11歳の時に、ピアノとパーカッションを学ぶためにパリ国立高等音楽院に入学した。音楽院時代には輝かしい業績を残しており、1924年、15歳の時にはまず和声科にて2位でプリを取得。1926年、フーガおよび対位法科にてプルミエプリを取得、翌1927年、伴奏科にてプルミエプリを取得している。 1928年、モーリス・エマニュエルの講義を経て、音楽史のプルミエプリを取得。この時、エマニュエルより古代ギリシャのリズムおよび民族音楽の旋法への知見を得ている。そして、マルセル・デュプレのもとで、フランスのオルガニストの伝統と遺産を引き継ぎ、オルガン科およびオルガン即興科のプルミエプリを取得。並行して1927年より作曲科主任であったポール・デュカスの元で管弦楽法を学び、1929年、シャルル=マリー・ヴィドールの元で作曲の勉強を続け、11年間に渡る音楽院での研究の集大成として、翌1930年、作曲科にてプルミエプリを取得し、卒業した。

音楽活動
在学中より多くの作品を残し、1930年頃からはインドやギリシアのリズム、音と色彩の関係、鳥の鳴き声などの探求が作品にあらわれるようになり、独自の音楽語法として用いるようになる。1931年、22歳の若さでパリのサントトリニテ教会のオルガニストに就任、彼はこの職をその最期まで、60年以上も務めることとなった。そこでの即興演奏は世界中に評判となった。サントリニテ教会にて彼は即興演奏家としての地位を確立するとともに、多くの宗教音楽を作曲した。第二次世界大戦中にはドイツ軍の捕虜となり、収容所内で世の終わりのための四重奏曲を作る。

教育活動
1942年、母校の和声科教授となるためにパリへ戻る。当初の彼の学生の中には、後に彼の作品演奏の最も良き理解者であり、妻となるイヴォンヌ・ロリオがいた。1959年、前妻に先立たれたメシアンは、1961年にイヴォンヌと再婚する。メシアンはまず音楽美学の教授に指名され、後に楽曲分析科、1966年以降は作曲科の教授となった。メシアンが退官するまでの間に受け持った学生には、ピエール・ブーレーズ、カールハインツ・シュトックハウゼン、ヤニス・クセナキス、トリスタン・ミュライユ、ジェラール・グリゼー、フセイン・セルメット、ナジ・ハキムなど、日本人では別宮貞雄、矢代秋雄、丹波明、平義久、宍戸睦郎、篠原眞、加古隆、福士則夫、仲俣申喜男、二橋潤一、藤井一興、安田正昭などがいた。

最初期の弟子だったブーレーズとの地下鉄内での会話では「この先、誰が現代音楽を牽引して行ったら良いのか」と悩むブーレーズに対し、メシアンは「何を言っているんだ、ブーレーズ君。それは君だよ」と諭した。またブーレーズが父から作曲家になることを反対され数学者になれと言われた時は、メシアンは音楽院の帰りにメトロに乗ってブーレーズの家までついて行き、ブーレーズの父を説得したという[1]。そのブーレーズはメシアンの『音価と強度のモード』を基に『構造I, II』を作曲し、同じくシュトックハウゼンもまた『音価と強度のモード』の楽譜を何度も読み返したという。数学と建築を学んでから作曲に転向したクセナキスには「君は数学を知っている。なぜそれを作曲に応用しないのか」という名言を残し[2]、初期の習作では出身国ギリシャの民族音楽的だった彼の作風を全く違うものへと転換させ、数学的なグラフに基づく出世作『メタスタシス』を作曲させるに至った。早世したグリゼーの遺稿集にはインタビュアーの「影響を受けた作曲家は誰ですか?」という質問に対し「私はいつもこう答えています。父なる神、子なるキリスト、聖霊と。(三位一体を参照)父なる神はオリヴィエ・メシアンで、音楽と色彩への知見と愛を教わりました。」と答えている。(後略。子はシュトックハウゼン、聖霊はリゲティを挙げている)[3]

作風
メシアンは幼少時から音と色の共感覚[4]を持っていると述べており、しかもそれが音階の一音一音ごとに異なる色に対応し、それらを複雑に組み合わせることによってステンドグラスのような色のモザイクの感覚を得られると主張している。また「鳥の歌」にも早くから興味を示し、そのリズムや平均律化されていない音程に興味を持っていた。[5]

同じく少年の頃からドビュッシーに傾倒し、クリスマスプレゼントにもらった『ペレアスとメリザンド』の楽譜をぼろぼろになるまで読みふけったという。

最初期の20歳の頃(1928年〜1929年)に書かれたピアノのための『前奏曲集』(全8曲)は、ドビュッシーやその時代の印象主義音楽の影響を濃厚に受けているが、後にメシアン自身が提唱した「移調の限られた旋法 (Mode de transpositions limitées, MTL)」を既に巧みに用いている。オルガンのための組曲『主の降誕』で「移調の限られた旋法」をはじめ「付点リズム」「不可逆リズム」「ギリシャ、インドのリズム」「鳥の歌」などの語法をはじめて意識的に組織化して用い、以後自身の語法として発展させた。この頃までの1930年代の作品は、和声やリズムを工夫することによって、土台となる基本的な調性ははっきりし協和音を多用しながらも、独特の個性的な響きを確立させている。

電子楽器のオンド・マルトノにも早くから興味を示し、死後出版された最初期作品の『未完のページ』というオンド・マルトノとピアノ伴奏の小品をはじめ、オンド・マルトノ6台のために書かれた組曲『美しき水の祭典』(後に一部を『世の終わりのための四重奏曲』の第5楽章、第8楽章に転用)、後には合唱と管弦楽のための『神の現存のための3つの小典礼楽』、『トゥランガリーラ交響曲』、オペラ『アッシジの聖フランチェスコ』(3台使用)にも用いている。

また前述のリズムを含む「時間」の感覚についても独特の個性を持っており、例えばある側面では「天国的に長い時間」と呼ぶ、従来の音楽よりもずっと遅いテンポを持つ楽章や部分が多い。最初期のオルガン曲『天上の宴』、パリ音楽院の卒業試験のために書かれた最初の管弦楽曲『忘れられた捧げもの』のコーダ部分、同じく管弦楽曲で後にオルガン曲にも編曲された『キリストの昇天』第4楽章などがそれである。これらはオルガンや弦の持続音によって成り立っており、前述の『美しき水の祭典』もオンド・マルトノの持続音によってやはりこの長大な緩徐楽章が用いられている。後にそれが転用された『世の終わりのための四重奏曲』第8楽章では、捕虜収容所という極限に限定された環境の中でたまたまあったヴァイオリンとピアノのために改作しているゆえに、ピアノという減衰音楽器を用いて和音を連打しているが、元々は持続音であり、前述の作風と合致する。この緩徐楽章の作風は、晩年の最後に完成された管弦楽曲『彼方の閃光』の最終楽章にも登場する。

1940年代になると、より複雑で調性の判別しがたい作品が多くを占めるようになる。第2次世界大戦での捕虜収容所で書かれた『世の終わりのための四重奏曲』、解放後に書かれたピアノ曲『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』、2台ピアノのための『アーメンの幻影』、歌曲『ハラウィ』などである。作品もより長大な傾向を示し、『幼子イエス〜』に至っては全曲演奏は2時間を越える。しかしながら後の晩年に至るまで、メシアンの作品は皆長大ではあるが多楽章に分かれ、一つの楽章は長くても10分程度であることが多い。また楽章によっては従来的な意味での調性がはっきりした楽章も存在し、調性の不明瞭な楽章と対比させてコントラストが与えられている。メシアン自身はこの調性的な楽章をキリスト教的な神の顕現と捉えており、例えば『世の終わり〜』では第5楽章『主イエス・キリストの永遠性への讃歌』、第8楽章『主イエス・キリストの不滅性への讃歌』と題されている。[6]『幼子イエス〜』では嬰ヘ長調主和音と移調の限られた旋法第2旋法を組み合わせた「神の主題」が用いられ、全20楽章中第1楽章と5の倍数の楽章(5, 10, 15, 20)では明確な嬰ヘ長調が出現し、神への賛美が語られる。[7]メシアンはこれら自作の解説を自ら出版譜の冒頭に詳細に書き表している。また楽譜中にも「インドのリズム」「〇〇(具体的な鳥の種類)の鳥の歌」などと注意書きを入れている。そしてその集大成として、この時期までの自作を解説した著作『わが音楽語法』が1944年に出版された。(日本では1954年に平尾貴四男によって翻訳が出版されたが、現在絶版。)

1946年〜1948年、セルゲイ・クーセヴィツキーとその財団からの委嘱によって作曲した『トゥランガリーラ交響曲』によって、メシアンの作風は一つの頂点を迎える。この曲は中世の「トリスタンとイゾルデ」物語、またインドの時間と愛に基づいた作品で、歌曲『ハラウィ』、合唱曲『5つのルシャン』と共に3部作を成す。この作品は委嘱条件に恵まれて大規模な編成(ピアノ・ソロ、オンド・マルトノおよび大管弦楽)を持ち、メシアンの最も有名な作品として、クラシック音楽のレパートリーとして世界中で度々演奏されている。

しかしながらこの後、メシアンの作風は大きな転換を迎える。1949年〜1950年に書かれたピアノのための『4つのリズムの練習曲』の第3曲『音価と強度のモード』は、付点を含む32分音符単位の音価と、クアジ・ピアノ(やや弱く)などの微細な指示を加えた強度が細分化されて用いており、新ウィーン楽派の十二音技法を強く意識させる音高のセリー(音列)と共に、厳密な管理のもとでそれらが組み合わされて作曲されている。これは戦後の現代音楽の出発点となったトータル・セリエリズム(総音列技法)の理論を最初に提示した曲として重要である。後にパリ音楽院でのメシアンの生徒だったピエール・ブーレーズがこの曲と同じセリーを用いて「構造I, II」を作曲した。その後、メシアンはトータル・セリエリズムによる作曲を実践せず、「鳥の歌」などの従来の自己の語法を推し進めた。その集大成と言えるのが、1959年〜1960年に作曲された管弦楽曲『クロノクロミー』である。「エポード(叙情短詩形)」と名付けられた第6楽章では、多くの弦楽器がソリストとして扱われながら「鳥の歌」だけで構成されるという特異な響きを持つ。初演こそ前衛音楽に無理解な聴衆から多くの批判を浴びたものの(演奏終了後の挨拶で舞台に歩み寄った際に聴衆の一人から危うく殴られかかったと言う。[8])、メシアンの主要レパートリーとして現在では特に高い評価を得ており、パリ音楽院分析科をはじめとする作曲の分析の授業では定番として用いられる作品である。

他にも1960年以降の中期・後期作品では大規模な管弦楽作品が多い。キリスト教に基づくものとしては4管編成の巨大管弦楽と合唱で2時間を要する『我らの主イエス・キリストの変容』、カトリックのミサで唱えられる信仰宣言(ニカイア・コンスタンティノポリス信条)の終端部分に基づく『かくて我死者の復活を待ち望む』、『天の都の色彩』などが挙げられる。長年の協力者であり、先妻の死去後に再婚したピアニストのイヴォンヌ・ロリオのためにピアノ・ソロを配した管弦楽曲も多く、前述の『神の現存のための3つの小典礼楽』や『トゥランガリーラ交響曲』をはじめとして、日本旅行の印象に基づくピアノと小管弦楽のための『七つの俳諧』、「鳥の歌」に着想を得たピアノ協奏曲『異国の鳥たち』『鳥たちへの目覚め』、全曲演奏で3時間を越えるピアノ曲集『鳥のカタログ』といった作品が挙げられる。オルガン曲も大規模な曲集を多く生み出し、『オルガンの書』『聖霊降臨祭のミサ』『聖三位一体のための瞑想』『聖体秘跡の書』などを作曲した。

晩年も精力的に創作活動を続け、また1960年代には影を潜めていた調性的志向も復活した。アメリカ合衆国ユタ州の大自然に印象を得た90分の大作『峡谷から星たちへ…』、フランスの国家プロジェクトとして小澤征爾の指揮で初演された上演に6時間を要するオペラ『アッシジの聖フランチェスコ』、最後に完成した作品でやはり80分の大作『彼方の閃光』がある。最晩年には『四重協奏曲』の作曲を試みたが、こちらは未完に終わり、イヴォンヌ・ロリオがジョージ・ベンジャミンの協力の下で補筆完成させた。

著作
著作も大変多く、特に初期の著書「わが音楽語法」は日本では平尾貴四男の訳で1954年に出版されて以来長らく絶版だったが[9][10]、「音楽言語の技法」と改題されて細野孝興の訳でヤマハミュージックメディアより2018年1月に出版されることとなった。もとは分冊だったが、現在は1冊に直されている。

中でも移調の限られた旋法(M.T.L.)は広く知られ、晩年まで彼の特徴的な雰囲気を形づくる一つの要素として様々に使用されている。わが音楽語法を残した後、前衛の時代に入っても独自の探求は継続し、「クロノクロミー」、「天の都市の色彩」では理論の複雑化が頂点に達した。メシアン本人は「わが音楽語法の続編」を「リズムの教程」として簡易なブックレットの形で出版する意向を強く望んだが、その望みが果たされることはなかった。メシアンの死後、残された遺稿集を全て出版する計画が始まり、全7巻の遺稿集「リズムと色と鳥類学の概論 Traité de rythme, de couleur et d'ornithologie」がLeduc社より出版された。個人の残した音楽理論教程としてはシャルル・ケクランを優に凌いでいる。

これとは別に「メシアンによるラヴェル楽曲分析」がイヴォンヌ・ロリオの監督のもと小冊子として出版され、日本語版は野平一郎の訳によって全音楽譜出版社より出版されている。「モーツァルトの22のピアノ協奏曲」はパリ音楽院で行われた分析講義録である。

Vingt leçons d’harmonie : dans le style de quelques auteurs importants de « l’histoire harmonique » de la musique depuis Monteverdi jusqu’à Ravel, Paris, Alphonse Leduc, 1939, 53 p.
Technique de mon langage musical, Paris, Leduc, 1944, 112 p.
Traité de rythme, de couleur et d’ornithologie : 1949-1992, Paris, Leduc, 1994-2002, 7 vol.
Conférence de Bruxelles, Paris, Leduc, 1959, 16 p.
Conférence de Notre-Dame, Paris, Leduc, 1978, 15 p.
Conférence de Kyoto, Paris, Leduc, 1988, 14 p.
Les 22 concertos pour piano de Mozart, Paris Séguier, 1990.

家族構成
父親: ピエール・メシアン(Pierre Messiaen、1883年 - 1957年、英文学者)
母親: セシル・ソヴァージュ(Cécile Sauvage、1883年 - 1927年、詩人)
実弟: アラン・メシアン(Alain Messiaen)
夫人: クレール・デルボス(Claire Delbos、1906年 - 1959年、ヴァイオリニスト・作曲家、1934年に結婚)
子息: パスカル・メシアン(Pascal Messiaen、1937年 - 、デルボスとの子)
夫人: イヴォンヌ・ロリオ=メシアン(Yvonne Loriod-Messiaen、1924年1月20日 - 2010年5月17日、ピアニスト、デルボスの死後1962年に再婚)


日本との関係
親日家でもあったメシアンは、クロード・サミュエルとの対談の中で、日本についての個人的愛着を公言しているのを確認することができる。文化や自然、景色や人柄、そして和食についても言及し、イヴォンヌ・ロリオも同様に日本が好きであることに触れ、1985年第1回京都賞思想・芸術部門(音楽分野)受賞の際にも共に来日している。

日本人による国内の活動としては、芸術家グループ実験工房がその活動期であった1950年代に、「前奏曲集」、「アーメンの幻影」、「世の終わりのための四重奏曲」などを日本初演し(ピアニストは実験工房メンバーの園田高弘)、メシアンの研究と日本紹介につとめた。またこの活動はメンバーの作曲家、武満徹や湯浅譲二などの初期の作曲活動に多大な影響を与えている。

1962年に、イヴォンヌ・ロリオを伴って来日した際、NHKの主催による以下の3つの演奏会などが催された。(なお下記項目においてのみ、曲名表記は当時のポスターに従った)

1962年7月4日 トゥランガリラ交響曲(日本初演)小澤征爾指揮NHK交響楽団、イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)本荘玲子(オンド・マルトノ)、オリヴィエ・メシアン監修 東京文化会館大ホール
1962年7月6日 幼な児イエズスへの20のまなざし イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)、アーメンの幻影 イヴォンヌ・ロリオ、オリヴィエ・メシアン(ピアノ)東京文化会館小ホール
1962年6月29日 オリヴィエ・メシアン講演会 第1部:リズムの研究 第2部:鳥の歌の記譜法 東京文化会館小ホール
メシアン夫妻は東京だけでなく、都市部から田舎まで様々な場所を訪れている。軽井沢を訪れた際には、ホトトギスを初めとする日本の鳥の声を採譜した。この他に奈良、山中湖、宮島なども訪れている。雅楽の演奏にも接している。

7つの俳諧
日本旅行の印象が後に「7つの俳諧」(1962年)というアンサンブルのための作品にまとめられている。笙や篳篥がメシアンの語法を用いて巧妙に模倣されている。7つの曲から成り、それぞれの次のようなタイトルがつけられている。

導入部 (Introduction)
奈良公園と石灯籠 (Le parc de Nara et les lanternes de pierre)
山中湖−カデンツァ (Yamanaka-cadenza)
雅楽 (Gagaku)
宮島と海中の鳥居 (Miyajima et le torii dans la mer)
軽井沢の鳥たち (Les oiseaux de Karuizawa)
コーダ (Coda)


主な作品

舞台作品
歌劇『アッシジの聖フランチェスコ』(Saint François d'Assise,1975-83)
全3幕8景。台本は作曲者による

管弦楽曲
忘れられた捧げもの(les Offrandes oubliées,1930)
『交響的瞑想』の副題あり
輝ける墓(le Tombeau resplendissant,1931)
キリストの昇天(l'Ascension,1932-33)
1933年から1934年にオルガン用として編曲
トゥーランガリラ交響曲(Turangalîla-Symphonie,1949)
ピアノ、オンド・マルトノ、オーケストラのための。
クロノクロミー(Chronochromie,1960)
オーケストラと2つの木琴のための。全7曲
われ死者の復活を待ち望む(Et exspecto resurrectionem mortuorum,1964)
管楽器と金属打楽器のための
彼方の閃光(Éclairs sur l'Au-Delà...,1987-91)
全11楽章、遺作
ほほえみ(Un sourire,1989)
コンセール・ア・カトル(Concert à quatre,1990-92)
四重奏と管弦楽のためのコンセール。作曲者の死没により未完に終わったため、後に未亡人のイヴォンヌ・ロリオ=メシアン、ハインツ・ホリガー、ジョージ・ベンジャミンらが補筆完成

ピアノと管弦楽の作品
異国の鳥たち(Oiseaux exotiques,1956)
11の管楽器、打楽器、鉄琴とピアノのための
7つの俳諧(Sept Haïkaï,1962)
天の都市の色彩(Couleurs de la Cité céleste,1963)
『天国の色彩』とも
鳥たちの目覚め(Réveil des oiseaux,1953)
当初、交響詩『春』として作曲
峡谷から星たちへ…(Des canyons aux étoiles...,1971-74)

室内楽曲
主題と変奏(Thème et variations,1932)
ヴァイオリンとピアノのための
美しい水の祭典(Fête des belles eaux,1937)
6台のオンド・マルトノのための
世の終わりのための四重奏曲(Quatuor pour la fin du Temps,1941)
ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ピアノのための
クロウタドリ(Le Merle noir,1951/52)
フルートとピアノのための。パリ音楽院の試験用課題曲として作曲

ピアノ曲
8つの前奏曲(Huit préludes,1928-29)
シャロットの婦人(la Dame de Shalott,1917)
聖アガサの切った胸(Les seins coupés de Ste. Agathe,1923)
大天空の悲しみ(la Tristesse d'un grand ciel blanc,1925)
ポール・デュカスの墓のための小品(Pièce pour le Tombeau de Paul Dukas,1935)
アーメンの幻影(Visions de l'Amen,1943)- 2台のピアノのための
創造のアーメン
星たちと環を持った惑星のアーメン
イエスの苦悶のアーメン
欲望のアーメン
天使たち、聖者たちと鳥たちの歌のアーメン
審判のアーメン
成就のアーメン
幼子イエスに注ぐ20の眼差し(Vingt regards sur l'Enfant Jésus,1944)
カンテヨジャーヤ(Cantéyodjayâ,1948)
4つのリズムのエチュード(Quatre Études de rythme,1949-50)
火の島T
音価と強度のモード
リズム的ネウマ
火の島U
鳥のカタログ(Catalogue d'oiseaux,1956-58)
全13曲
庭のほおじろ(La Fauvette des jardins,1970/72)
ニワムシクイ(La Fauvette des Jardins,1970)
鳥たちの小スケッチ(Petites Esquisses d'oiseaux,1985)

オルガン曲
2枚折り絵-地上の生と至福の永遠性についてのエッセー(Diptyque - Essai sur la vie terrestre et l'Éternité bienheureuse,1930)
地上の生
天国
聖体秘蹟への讃歌(Hymne au Saint Sacrement,1932)
永遠の教会の出現(Apparition de l'église éternelle,1932)
キリストの昇天(l'Ascension,1933-34)
管弦楽曲からの編曲、第3曲のみ新曲と差し替え
栄光に輝く身体(Les Corps glorieux,1939)
聖霊降臨祭のミサ(Messe de la Pentecôte,1950)
オルガンの書(Livre d'orgue,1951)
聖なる三位一体の神秘についての瞑想(Méditations sur le Mystère de la Sainte Trinité,1965/69)
聖体秘蹟の書(Le Livre du Saint-Sacrement,1984-85)
18の小品

合唱曲
おお聖餐よ(O sacrum convivium !,1937)
神の現存についての3つの小典礼(Trois petites Liturgies de la présence divine,1943-44)
5つのルシャン(Cinq Rechants,1948)
我らの主イエス・キリストの変容(La Transfiguration de Notre Seigneur Jésus-Christ,1965-69)
全14部からなる大オラトリオ

具体音音楽(ミュジーク・コンクレート)
音色―持続(Timbres-Durées,1952)
メシアン自身この作品には不満で、後に撤回。以降この分野に手を染めることをしなかった

歌曲
ミのための詩(Poèmes pour Mi,1936)
全9曲。1937年にオーケストラ伴奏版を作成
地と天の歌(Chants de Terre et de Ciel,1938)
ミへの貸し
無言の聖母讃歌
丸薬人形の踊り
汚れない虹
真夜中の裏表
復活
ハラウィ - 愛と死の歌(Harawi, chant d'amour et de mort,1945)
全12曲。詞はペルーのケチュア語の伝承詞から

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/695.html

[近代史6] オリヴィエ・メシアン 『世の終わりのための四重奏曲』

メシアン 『世の終わりのための四重奏曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/967.html  
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/696.html
[近代史5] ロックフェラー 頭首3人の人生
ロックフェラー 頭首3人の人生【CGS 林千勝 大東亜戦争の真実 第26回】
2021/09/27



「大東亜戦争の真実」、講師は歴史研究家の林千勝さんです!
今回のテーマは『ロックフェラー』についてです。
過去3回にわたり太平洋問題調査会についてお聞きしてきました。
その調査会のスポンサーとなっていたのがロックフェラー家。
そもそもロックフェラーとは何か…
まずは当主の3人を見ていきます。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1140.html

[番外地9] ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト 中川隆
3. 中川隆[-16185] koaQ7Jey 2021年9月30日 12:24:51 : vU36Hyfchc : UUxPMnJpSlhpRU0=[5]
米軍幹部と日本の官僚が日本の進路決める「日米合同委員会」
日本政治を図らずも30年近く見てきて、いつも不思議に感じてきたことがある。
それは、「地方分権」と言われながら、いまだにすべての情報は中央、東京に集中し、内政における大枠の情報がほとんど東京に集中していることである。しかも国家主権にわたる外交、安全保障、国の経済政策、教育政策、福祉政策、医療政策、その他の分野でも大きな方針、政策は、すべて霞ヶ関から、国会議員に「勉強会」という形で官僚から卸されてくるのである。

そこで国会議員になった人間は、その中の一つか二つの分野に精通し、期数を重ねることによっていわゆる族議員というものになって、その内政の利権のお裾分けに預かる。この仕組みが、今も続く戦後の日本政治である。

さらに不思議なことは、その霞ヶ関に大きな政策を棚卸ししてくるのが、戦勝国であるアメリカなのである。

今回は、その大きな役割の一つを担っている「日米合同委員会」なるものを改めて紹介したい。不勉強の小生はこの組織のことを知ったのが、十年ちょっと前である。2011年の311以降、ネットや一部の本でもやっと言及されるようになったが、多くの日本人はマスコミがほとんど報道しないので全く知らないのではないだろうか。

そのためにいまだに一般の日本人には、認識されていないが、「日米合同委員会」というものが、戦後日本政治をコントロールしてきた最重要会議であることは間違いないのである。憲法で規定された国権の最高機関である国会を現実には超越していると言っても過言ではない。今回の安保法制を巡ってもテレビのニュース等で、あたかも日本が独立国としてこの法制を審議しているかのような報道がなされているが、残念ながら、このような報道は戦後に創られた共同幻想を維持するためものでしかない。

ところで、話題の書である矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、矢部宏治氏は、「日米合同委員会」についてこう書いている。

日本はなぜ帰途と原発を止められないか

「官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです」


日米合同委員会の構成メンバーを見ると、米側がほとんど軍人である。

米側代表は在日米軍司令部副司令官である。

代表代理として在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。在日米軍の軍人が威嚇するかのごとく居並んでいる。


日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長である

代表代理は、法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官である。選挙で選ばれた政治家は一人も入っていない。


これは極めて象徴的な演出で、米国側は意識的に軍人を出している。現在も日本が米国の軍事占領下にあることの象徴なのだろう。わかりやすく言えば、日本官僚はネイティブの日本支配者であり、在日米軍の意向を受けて官僚の利権を維持拡大しているというわけである。

そして、日米合同委員会から多くの検事総長を出す。そして日本の対米隷属に異を唱え、真の独立を目指す人間を裁判にかけて攻撃する。その対象になったのが、最近では小沢一郎氏であった。

また、日米合同委員会で決まったことが公表されることはない。記録として残されることもない。いわば密約である。それが日本官僚を通じて政権与党である自民党に降ろされている。前回のレポートでも指摘した覇権国である米国経済の実情を考えると、もっと多くの日本人がこのことを知るべき時を迎えている。
________________

「米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在」

東京都港区南麻布。都内屈指の閑静な高級住宅地も、そこだけは異空間が広がる。

入り口には屈強なガードマンが立ち、脇には「100%、IDチェック」と書かれた案内書きがある。米軍施設の「ニューサンノーホテル」である。


 在日米軍関係者は、

「ここは赤坂の米国大使館以上に、米国にとって重要な施設。表向きは来日した米軍関係者の宿泊施設ですが、米海軍情報部や CIA の拠点が置かれていて、日米のインテリジェンスの集積地です」

と説明する。

 日本のメディアどころか、政治家も立ち入れない。そんな場所で、日本の高級官僚と在日米軍関係者は、定期的に会合を重ねていた。それが日米合同委員会後述するが1960年に締結された日米地位協定(※注1)をどう運用するかを協議する実務者会議だ。

※注1/1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」が前身。1960年に日米安全保障条約を締結した際に改めて交わされた。 

そこでは、日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から、米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。 前者は在日米軍基地の移転・縮小、米海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備といった問題、後者は基地内のゴミ処理、航空機の騒音問題などだ。

かつては、米兵の犯罪並びにその処遇も、開かれた法廷ではなく、密室の話し合いによって、解決がなされたこともあった。 

日米合同委の組織は、米国側は在日米軍司令部副司令官、在日米大使館公使など、日本側は外務省北米局長を代表として法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長といった面子だ。

 日本側の代表者及び代表代理は、将来的に事務次官を狙えるポストにある。そんな高級官僚が、在日米軍や米大使館の有力者と密議を交わすことから、日米合同委は「影の政府」との異名もつく。

 ただし、彼らが一堂に会するわけではない。同委員会は、基地問題、刑事、環境など35の分科会や部会に分かれ、担当ごとに参加者が決まる。実際に出席したことのある官僚が明かしてくれた。

「日米の責任者(担当者)が最低一人、書記および通訳などの職員が最低二人は出席する。対話は基本的には日本語で行なわれますが、日本側も英語の話せる通訳を連れているため、微妙なニュアンスで日米の解釈が異なるという事態は生じない」

 関係者らの話をまとめると、毎月2回ほど開かれ、開催場所は米国と日本で持ち回りとなる。米国ならニューサンノーホテル、日本の場合は外務省を中心に、分科会や部会ごとに代表者の所属する官庁内で開催されているという。

 だが、会合の中身は一切明かされない。合意の一部は外務省、防衛省のホームページに公表されているが、それも簡潔に記されているだけだ。

 同委員会を所管する外務省北米局に日米合同委の詳細を問い合わせても、「回答できるのは、既に公表しているものだけ」の一点ばりで、防衛省広報課に問い合わせても、「外務省が所管なので、外務省に聞いてください」という堂々巡りだった。

 元琉球新報論説委員で、在日米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学大学院教授・前泊博盛氏は語る。

「日米合同委に合意内容を公表する義務はない。日米双方の合意がない限り公表しない取り決めになっているからです。」
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/360.html#c3

[番外地9] 米軍幹部と日本の官僚が日本の進路決める「日米合同委員会」
米軍幹部と日本の官僚が日本の進路決める「日米合同委員会」
日本政治を図らずも30年近く見てきて、いつも不思議に感じてきたことがある。
それは、「地方分権」と言われながら、いまだにすべての情報は中央、東京に集中し、内政における大枠の情報がほとんど東京に集中していることである。しかも国家主権にわたる外交、安全保障、国の経済政策、教育政策、福祉政策、医療政策、その他の分野でも大きな方針、政策は、すべて霞ヶ関から、国会議員に「勉強会」という形で官僚から卸されてくるのである。

そこで国会議員になった人間は、その中の一つか二つの分野に精通し、期数を重ねることによっていわゆる族議員というものになって、その内政の利権のお裾分けに預かる。この仕組みが、今も続く戦後の日本政治である。

さらに不思議なことは、その霞ヶ関に大きな政策を棚卸ししてくるのが、戦勝国であるアメリカなのである。

今回は、その大きな役割の一つを担っている「日米合同委員会」なるものを改めて紹介したい。不勉強の小生はこの組織のことを知ったのが、十年ちょっと前である。2011年の311以降、ネットや一部の本でもやっと言及されるようになったが、多くの日本人はマスコミがほとんど報道しないので全く知らないのではないだろうか。

そのためにいまだに一般の日本人には、認識されていないが、「日米合同委員会」というものが、戦後日本政治をコントロールしてきた最重要会議であることは間違いないのである。憲法で規定された国権の最高機関である国会を現実には超越していると言っても過言ではない。今回の安保法制を巡ってもテレビのニュース等で、あたかも日本が独立国としてこの法制を審議しているかのような報道がなされているが、残念ながら、このような報道は戦後に創られた共同幻想を維持するためものでしかない。

ところで、話題の書である矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で、矢部宏治氏は、「日米合同委員会」についてこう書いている。

日本はなぜ帰途と原発を止められないか

「官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです」


日米合同委員会の構成メンバーを見ると、米側がほとんど軍人である。

米側代表は在日米軍司令部副司令官である。

代表代理として在日米大使館公使、在日米軍司令部第五部長、在日米陸軍司令部参謀長、在日米空軍司令部副司令官、在日米海軍司令部参謀長、在日米海兵隊基地司令部参謀長である。在日米軍の軍人が威嚇するかのごとく居並んでいる。


日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長である

代表代理は、法務省大臣官房長、農林水産省経営局長、防衛省地方協力局長、外務省北米局参事官、財務省大臣官房審議官である。選挙で選ばれた政治家は一人も入っていない。


これは極めて象徴的な演出で、米国側は意識的に軍人を出している。現在も日本が米国の軍事占領下にあることの象徴なのだろう。わかりやすく言えば、日本官僚はネイティブの日本支配者であり、在日米軍の意向を受けて官僚の利権を維持拡大しているというわけである。

そして、日米合同委員会から多くの検事総長を出す。そして日本の対米隷属に異を唱え、真の独立を目指す人間を裁判にかけて攻撃する。その対象になったのが、最近では小沢一郎氏であった。

また、日米合同委員会で決まったことが公表されることはない。記録として残されることもない。いわば密約である。それが日本官僚を通じて政権与党である自民党に降ろされている。前回のレポートでも指摘した覇権国である米国経済の実情を考えると、もっと多くの日本人がこのことを知るべき時を迎えている。
________________

「米軍幹部と日本の官僚が進路決める「日米合同委員会」の存在」

東京都港区南麻布。都内屈指の閑静な高級住宅地も、そこだけは異空間が広がる。

入り口には屈強なガードマンが立ち、脇には「100%、IDチェック」と書かれた案内書きがある。米軍施設の「ニューサンノーホテル」である。


 在日米軍関係者は、

「ここは赤坂の米国大使館以上に、米国にとって重要な施設。表向きは来日した米軍関係者の宿泊施設ですが、米海軍情報部や CIA の拠点が置かれていて、日米のインテリジェンスの集積地です」

と説明する。

 日本のメディアどころか、政治家も立ち入れない。そんな場所で、日本の高級官僚と在日米軍関係者は、定期的に会合を重ねていた。それが日米合同委員会後述するが1960年に締結された日米地位協定(※注1)をどう運用するかを協議する実務者会議だ。

※注1/1952年に旧安保条約と同時に発効した「日米行政協定」が前身。1960年に日米安全保障条約を締結した際に改めて交わされた。 

そこでは、日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から、米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。 前者は在日米軍基地の移転・縮小、米海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備といった問題、後者は基地内のゴミ処理、航空機の騒音問題などだ。

かつては、米兵の犯罪並びにその処遇も、開かれた法廷ではなく、密室の話し合いによって、解決がなされたこともあった。 

日米合同委の組織は、米国側は在日米軍司令部副司令官、在日米大使館公使など、日本側は外務省北米局長を代表として法務省大臣官房長、防衛省地方協力局長といった面子だ。

 日本側の代表者及び代表代理は、将来的に事務次官を狙えるポストにある。そんな高級官僚が、在日米軍や米大使館の有力者と密議を交わすことから、日米合同委は「影の政府」との異名もつく。

 ただし、彼らが一堂に会するわけではない。同委員会は、基地問題、刑事、環境など35の分科会や部会に分かれ、担当ごとに参加者が決まる。実際に出席したことのある官僚が明かしてくれた。

「日米の責任者(担当者)が最低一人、書記および通訳などの職員が最低二人は出席する。対話は基本的には日本語で行なわれますが、日本側も英語の話せる通訳を連れているため、微妙なニュアンスで日米の解釈が異なるという事態は生じない」

 関係者らの話をまとめると、毎月2回ほど開かれ、開催場所は米国と日本で持ち回りとなる。米国ならニューサンノーホテル、日本の場合は外務省を中心に、分科会や部会ごとに代表者の所属する官庁内で開催されているという。

 だが、会合の中身は一切明かされない。合意の一部は外務省、防衛省のホームページに公表されているが、それも簡潔に記されているだけだ。

 同委員会を所管する外務省北米局に日米合同委の詳細を問い合わせても、「回答できるのは、既に公表しているものだけ」の一点ばりで、防衛省広報課に問い合わせても、「外務省が所管なので、外務省に聞いてください」という堂々巡りだった。

 元琉球新報論説委員で、在日米軍基地問題に詳しい沖縄国際大学大学院教授・前泊博盛氏は語る。

「日米合同委に合意内容を公表する義務はない。日米双方の合意がない限り公表しない取り決めになっているからです。」
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/850.html

[番外地9] 大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ事件 _ 日本の国益を考える官僚は全員追放される
大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ事件 _ 日本の国益を考える官僚は全員追放される
経済コラムマガジン 2018/4/30(984号)「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の顛末
文書改竄に続き、事務次官のセクハラ事件が起り財務省は世間の批難を受けている。しかし筆者は、財務省に関しては別の方向での批難があってしかるべきと思い今週号を書いている。ただ話を進める前に、安倍総理を攻撃する勢力について述べる必要がある。

安倍総理を攻撃する勢力の一つは、安保法制改定に反対し憲法改正を警戒する人々である。端的に言えば左翼である。左翼系メディアや労働組合など野党を支持する勢力である。これまで安倍政権は、野党の猛反対にも拘らず安保法制の改定など安保関連の法改正を着々と実現してきた。またこれらを実現しなが高い支持率を維持し、国政選挙でも連続して勝ってきた。左翼勢力は、ついに本丸である憲法が改正されると危機感を持ち、安倍総理への攻撃を最大限に高めている。

もう一つの反安倍勢力は、財政再建派とか財政規律派と呼ばれる人々である。消費税の再増税を2度も安倍総理に阻止され、彼等の総理個人への反感は最高潮に達している。
自民党の中の反安倍と目される全ての政治家は、財務省に繋がっている財政規律派と見て良いであろう。またポスト安倍と見なされている政治家もほぼ全員財政規律派である。

このように役所の中ではっきりと反安倍のスタンスなのが財務省である。消費税の再増税を阻止され、総理に対しては恨み骨髄と思われる。しかし組織の上では総理は上司であり、財務官僚も表向きには総理に従っている。いわゆる面従腹背という接し方を行っている。

財務官僚の反安倍を示す信じられない話が伝わっている。以前、財務官僚数名が評論家の屋山太郎氏を訪れ「アベノミクスに反対してくれ」と申入れたという(4月14日付ZAKZAK)。これが本当ならとんでもない話であるが、十分有りうると思われる(もちろんアベノミクスが万全ではなく、問題があることは筆者も承知しているが)。筆者は、この前代未聞の出来事は文書改竄やセクハラよりずっと大きな問題と見なす。

ところが今日の財務官僚の一連の不祥事を、安倍政権の責任と日本のメディアは報道する。財務官僚が強硬な反安倍勢力であることを指摘するのは一部のメディアに限られる。ほとんどのメディアはこのことを承知しながら、卑怯にも今日のような偏向報道を続けているのである。


筆者は、昔から大蔵省や財務省、そしてこれらの官僚を動きをずっと観察してきた。元大蔵事務次官の相沢英之衆議院議員(当時)のような有力な大蔵官僚OBの何名かに直接お会いし話をしたこともある。この結果を元に、筆者は大蔵官僚と財務官僚は考え方が違う二つのグループに別れると認識するに到った。

一つが「柔軟派」であり、もう一つが「規律派」である。「柔軟派」は財政だけでなく銀行行政にも柔軟に対処する官僚であり、財政に関しても必要に応じ積極財政を是認する柔軟性を持ち合わせている。後者の「規律派」は、今日の財政規律派と見てもらって良い(銀行行政が金融庁に移管したので、規律と言えば財政に関する規律)。大蔵省時代の官僚は、これら二つのグループに別れる。ただ福田赳夫総理のように、大蔵大臣時代は「規律派」と目されていたのに、総理になって積極財政派(柔軟派)に転向するケースもあった。


しかしこれは大蔵省時代の話であり、今日の財務官僚には「柔軟派」がいない。今日の財務官僚は全員が「規律派」である。それは98年に大蔵省接待汚職事件が起り、「柔軟派」の有力官僚のほとんどが大蔵省を去ったからである。大蔵省と財務省の決定的な違いは、大蔵省では「柔軟派」と「規律派」が対抗勢力として省内で拮抗していたのに対し、財務省では「規律派」の独裁体制になったことである。

ただし追出された「柔軟派」の有力官僚の全てが汚職事件に関与したのではない。しかし汚職事件の捜査の過程で、これらの官僚が過剰な接待を受けていたことが問題になったのである。特に「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が話題になり、一連の出来事を「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件と一括りにされている。しかしこれは適切な表現ではないと筆者は思っている。ましてやこれが今日のセクハラ事件と同じ扱いを受けていることは完全に間違っていると見る。

追出された柔軟派の官僚

「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が問題になり大蔵省を退官した官僚の言い訳を筆者は聞いたことがあり、以下、これを記す。たしかに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待されたが、これは仕事の合間を抜けて陳情を聞くためだったという。当時、目立たないところで陳情を受けながら食事(夜食)するとしたなら、この「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいな所しかなかったと言う。陳情を聞きながらの食事が終わると、さっさと役所に戻り朝まで仕事を続ける毎日であったという。この官僚の言い分を信じるかどうかは読者の方にお任せする(筆者は信じても良いと感じる)。

陳情していたのは銀行のMOF担(大蔵省担当)だったと思われる。当時、不良債権が社会問題になり検査官の検査がどんどん厳しくなっていた。マスコミの論調はおかしくなり、不良債権が大きく悪い銀行は潰せという「空気」を作っていた。しかし問題の根源は土地などの資産価格が下がり続けていることであった。

たしかに平時なら、問題の金融機関の検査を厳しくすることは意味がある。しかし当時はバブル崩壊後、担保に取っていた土地の価格が下がり続けていた異常な時代であった。ましてや橋本政権の緊縮財政(消費増税など)で経済がマイナス成長に転落したこともあった。また構造改革派の観念論者が跋扈し、この非常時に企業の株の持合いを禁止したり、時価会計まで導入した。地価下落は一旦止まりそうになった場面もあったが(橋本緊縮財政の直前)、これらによって資産(土地や株)の投売りは止まらなくなった。


それにも拘らず、銀行の検査は強化され続けた。検査マニュアルは現実離れしたほど厳しいものに改定された。検査を強化し、銀行が隠している不良債権をあぶり出し、悪い銀行を破綻に追込むことが正義という風潮が作られた。

この「空気」を作ったのは、日経新聞など大蔵省の規律派の息の掛ったメディアと筆者は認識している。銀行を追詰めそこに公的資金を注ぎ込むことによって金融機関の健全化を行うという発想である。当然、これを警戒する銀行で貸し渋りや貸し剥がしが起り、銀行から融資を受けていた企業は資産(土地や株)を安値で売り急ぐことになった。

銀行に対する甘い対応は否定され、検査が異常に強化された。検査先の銀行で出されたお茶を飲むことさえ憚れ、自分でポットにお茶を用意してくる検査官がもて囃されたといった笑い話のようなことになった。結果的に、不良債権を巧みに隠した銀行だけが生残ることになった。


このため資産(土地・株)価格は下がり続け、適正価格を大きく下回るケースが出てきた。収益力がある土地にも買手が現れないので、資産価格は極限まで下がった。それらを買ったのが外資である。外資は、10分の1まで下がった銀座の一等地を買ったり、また企業の株の持ち合い解消に伴い放出された安値の株や、これによって連れ安した株を大量に買った。この頃から外資が日本の株式市場での売買の過半を支配するようになった。

銀行にとって、この危機的状況で頼るのは現場をよく知っている柔軟派の大蔵官僚だけになった。この官僚は仕事の合間に「ノーパンしゃぶしゃぶ」に呼び出され、陳情を聞くことになった。しかし結果的に、このような銀行に甘い官僚や閣僚は追出された。

ちなみに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待を受けたとされる柔軟派の官僚は、夜中に仕事をする時は自分の机を廊下に出しそこで仕事をしていたという。それは盗聴を恐れたからである。仮に盗聴器がないとしても「盗聴されているのではないか」と感じられることがプレッシヤーになったという。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/851.html

[番外地9] (藤井聡)積極財政派への転換を果たした立憲民主党。自民党は「緊縮・総裁」では国政選挙で早晩敗れる。
旭川の人間が全員バカだと言うのが証明されたね:
【藤井聡】積極財政派への転換を果たした立憲民主党。自民党は「緊縮・総裁」では国政選挙で早晩敗れる。
今、世間は総裁選の選挙戦まっただ中ですが、そんな中、野党第一党の立憲民主党が、『アベノミクス検証委員会 報告書』を公表しました。
総裁選の直後には総選挙がありますから、こうした立憲の動きは総裁選の大きな影響を及ぼし得ます。

もしも野党が「緊縮」なら、自民党がコレまで通りの「ド緊縮」を唱え続けても選挙に負けることはありません。だから、総裁選候補同士が「自分の方が積極財政だ!」とアピールし合う必要性もなく、総裁選でもプライマリーバランスだ、消費減税だ、といった話の選挙上の重要性は低減します。

ですが、野党が積極財政派に転換したとすれば、自民党が旧態依然の緊縮を唱えていては、総選挙で大きな痛手を受けかねません。今、国民は消費増税とコロナ禍のダブルパンチで大変な打撃を受けており、政府の積極財政を待ち望む声が、平成期には想像も出来ないくらいに高まっているからです。

そして立憲民主党は、この度のアベノミクスの検証を通して、

・プライマリーバランス規律の凍結
・消費税率の5%への減税

の二つを明確に宣言するに至ったのです!

これは、歴史的に極めて重大な意義を持つ大きな転換であり、大きな進歩と言えるでしょう。

何といっても、現在の自民党政府の国債発行を抑圧し続けているプライマリーバランス規律は、民主党の菅直人総理が導入したものであり、かつ、消費税を5%から10%に増税する三党合意を主導したのも、時の総理大臣である民主党の野田佳彦氏だったからです。

つまり、立憲民主党は、「他者」である自民党政権のアベノミクスの検証を通して、かつて「自分達」(当時民主党)のリーダーが行ったPB規律導入と消費増税という二つの行為が如何に日本経済に破壊的なインパクトをもたらしたのかを自認し、反省し、かつての「緊縮」財政方針から「積極」財政方針へと大きく転換(ピボッド)したのです。

立憲民主党がこう宣言した以上、もし自民党において河野太郎総裁が誕生すれば、自民党が大きく議席を減らし、最悪の場合は惨敗する可能性さえ生ずる事になります。

何と言っても河野候補は、このコロナ禍の最中の総裁選においてすら、消費税の増税をほのめかす様な発言を繰り返している程の、超緊縮的候補だからです。

こうした河野候補が総理になれば、コロナ感染症が収まり、政府がGoToトラベルなり何なりを始めた途端に、「これからは平常通りPB規律を守って財政運営を行います」という、財務省に100%付き従うことになるでしょう。

そうなれば、立憲民主党には大きな「チャンス」が舞い込みます。

もしも河野総理が誕生したとするなら、立憲民主党は万が一、総裁選直後の今年の総選挙で敗れることがあったとしても、来年の参議院選挙では「超緊縮」故に国民から嫌悪された河野自民を打ち破り、大きく躍進するチャンスを得ることになるでしょう。

・・・という事を考えれば、自民党が安定政権を築きたければ、立憲民主党に負けない「積極財内閣」を作り上げる他、道はないのです。

そのためにも、安定政権を目指したいのなら、自民党は何が何でも河野政権の誕生だけは阻止しなければならないのです。

一方で、四人の総裁候補の中で最も積極的な財政論を展開しているのは、高市早苗候補です。彼女は、
・デフレ脱却までのプライマリーバランス規律の凍結
を主張しているからです、これは他の候補にはない素晴らしい積極財政論です。

ただしこの点は高く評価できるのですが、彼女は消費税についてはこれまで、「減税しない」という事を明確に発言してもいるのです。

この点において、今のままでは、高市候補ですら立憲民主党よりも「緊縮的」な側面があると判断せざるを得ないのです。

ただし……高市候補には、
「軽減税率」
の仕組みを拡充する事を通して、デフレ脱却までの間、実質的な「消費減税を行う」という道が残されています。例えば、全品目5%の軽減税率の適用、と宣言することができれば、それは実質的に5%の減税と同じになります。

そして、この軽減税率アプローチは、他の三候補には出来ません。なぜなら、他の三候補は、(デフレ脱却までの間の)プライマリーバランス規律の凍結を宣言していないからです。ところが高市氏はそれを宣言している以上、フリーハンドで、デフレ脱却までの間、軽減税率を拡充することができるのです。

もちろん、高市候補がこうした軽減税率アプローチを採用するかどうかは今の所分かりません。しかし、「プライマリーバランス規律の凍結」を主張している以上、そうした主張も可能なのだ、と言う点は事実として指摘することができます。

・・・という事を踏まえれば、立憲民主党に自民党が絶対負けない総裁を、という点で考えるならば、最悪の選択肢は河野候補であり、最善の選択肢は高市氏だ、と言うことも可能な訳です。

もちろん、財政以外にも様々な論点がありますから、実際には総合判断が必要ですが、このタイミングでアベノミクスの検証を行った以上、立憲民主党が最大の争点として仕掛けてくるのは間違い無く「財政」、とりわけ「消費税」であることは間違いないでしょう。

立憲民主党のさらなる議論の精緻化と、それを見据えた自民党の関係者の賢明なる判断を、心から祈念したいと思います。

政治は結果が全て。結果さえ残してくれるのなら、どの候補でも、どの政党でも良いのですから。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/852.html

[番外地9] (藤井聡)積極財政派への転換を果たした立憲民主党。自民党は「緊縮・総裁」では国政選挙で早晩敗れる。 中川隆
1. 中川隆[-16184] koaQ7Jey 2021年9月30日 12:43:03 : vU36Hyfchc : UUxPMnJpSlhpRU0=[6]
旭川の人間が全員バカだと言うのが証明されたね:
【藤井聡】積極財政派への転換を果たした立憲民主党。自民党は「緊縮・総裁」では国政選挙で早晩敗れる。
今、世間は総裁選の選挙戦まっただ中ですが、そんな中、野党第一党の立憲民主党が、『アベノミクス検証委員会 報告書』を公表しました。
総裁選の直後には総選挙がありますから、こうした立憲の動きは総裁選の大きな影響を及ぼし得ます。

もしも野党が「緊縮」なら、自民党がコレまで通りの「ド緊縮」を唱え続けても選挙に負けることはありません。だから、総裁選候補同士が「自分の方が積極財政だ!」とアピールし合う必要性もなく、総裁選でもプライマリーバランスだ、消費減税だ、といった話の選挙上の重要性は低減します。

ですが、野党が積極財政派に転換したとすれば、自民党が旧態依然の緊縮を唱えていては、総選挙で大きな痛手を受けかねません。今、国民は消費増税とコロナ禍のダブルパンチで大変な打撃を受けており、政府の積極財政を待ち望む声が、平成期には想像も出来ないくらいに高まっているからです。

そして立憲民主党は、この度のアベノミクスの検証を通して、

・プライマリーバランス規律の凍結
・消費税率の5%への減税

の二つを明確に宣言するに至ったのです!

これは、歴史的に極めて重大な意義を持つ大きな転換であり、大きな進歩と言えるでしょう。

何といっても、現在の自民党政府の国債発行を抑圧し続けているプライマリーバランス規律は、民主党の菅直人総理が導入したものであり、かつ、消費税を5%から10%に増税する三党合意を主導したのも、時の総理大臣である民主党の野田佳彦氏だったからです。

つまり、立憲民主党は、「他者」である自民党政権のアベノミクスの検証を通して、かつて「自分達」(当時民主党)のリーダーが行ったPB規律導入と消費増税という二つの行為が如何に日本経済に破壊的なインパクトをもたらしたのかを自認し、反省し、かつての「緊縮」財政方針から「積極」財政方針へと大きく転換(ピボッド)したのです。

立憲民主党がこう宣言した以上、もし自民党において河野太郎総裁が誕生すれば、自民党が大きく議席を減らし、最悪の場合は惨敗する可能性さえ生ずる事になります。

何と言っても河野候補は、このコロナ禍の最中の総裁選においてすら、消費税の増税をほのめかす様な発言を繰り返している程の、超緊縮的候補だからです。

こうした河野候補が総理になれば、コロナ感染症が収まり、政府がGoToトラベルなり何なりを始めた途端に、「これからは平常通りPB規律を守って財政運営を行います」という、財務省に100%付き従うことになるでしょう。

そうなれば、立憲民主党には大きな「チャンス」が舞い込みます。

もしも河野総理が誕生したとするなら、立憲民主党は万が一、総裁選直後の今年の総選挙で敗れることがあったとしても、来年の参議院選挙では「超緊縮」故に国民から嫌悪された河野自民を打ち破り、大きく躍進するチャンスを得ることになるでしょう。

・・・という事を考えれば、自民党が安定政権を築きたければ、立憲民主党に負けない「積極財内閣」を作り上げる他、道はないのです。

そのためにも、安定政権を目指したいのなら、自民党は何が何でも河野政権の誕生だけは阻止しなければならないのです。

一方で、四人の総裁候補の中で最も積極的な財政論を展開しているのは、高市早苗候補です。彼女は、
・デフレ脱却までのプライマリーバランス規律の凍結
を主張しているからです、これは他の候補にはない素晴らしい積極財政論です。

ただしこの点は高く評価できるのですが、彼女は消費税についてはこれまで、「減税しない」という事を明確に発言してもいるのです。

この点において、今のままでは、高市候補ですら立憲民主党よりも「緊縮的」な側面があると判断せざるを得ないのです。

ただし……高市候補には、
「軽減税率」
の仕組みを拡充する事を通して、デフレ脱却までの間、実質的な「消費減税を行う」という道が残されています。例えば、全品目5%の軽減税率の適用、と宣言することができれば、それは実質的に5%の減税と同じになります。

そして、この軽減税率アプローチは、他の三候補には出来ません。なぜなら、他の三候補は、(デフレ脱却までの間の)プライマリーバランス規律の凍結を宣言していないからです。ところが高市氏はそれを宣言している以上、フリーハンドで、デフレ脱却までの間、軽減税率を拡充することができるのです。

もちろん、高市候補がこうした軽減税率アプローチを採用するかどうかは今の所分かりません。しかし、「プライマリーバランス規律の凍結」を主張している以上、そうした主張も可能なのだ、と言う点は事実として指摘することができます。

・・・という事を踏まえれば、立憲民主党に自民党が絶対負けない総裁を、という点で考えるならば、最悪の選択肢は河野候補であり、最善の選択肢は高市氏だ、と言うことも可能な訳です。

もちろん、財政以外にも様々な論点がありますから、実際には総合判断が必要ですが、このタイミングでアベノミクスの検証を行った以上、立憲民主党が最大の争点として仕掛けてくるのは間違い無く「財政」、とりわけ「消費税」であることは間違いないでしょう。

立憲民主党のさらなる議論の精緻化と、それを見据えた自民党の関係者の賢明なる判断を、心から祈念したいと思います。

政治は結果が全て。結果さえ残してくれるのなら、どの候補でも、どの政党でも良いのですから。


少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/852.html#c1

[近代史5] 臨死体験と死後の世界
【ゆっくり解説】臨死体験と死後の世界について語るぜ
2021/09/29




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1141.html

[近代史5] 臨死体験と死後の世界 中川隆
1. 中川隆[-16183] koaQ7Jey 2021年9月30日 14:05:40 : vU36Hyfchc : UUxPMnJpSlhpRU0=[8]
釈迦の悟りとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1141.html#c1
[リバイバル3] 日本のカレーライスはインド料理ではなく純然たる日本料理 中川隆
14. 中川隆[-16182] koaQ7Jey 2021年9月30日 17:41:48 : vU36Hyfchc : UUxPMnJpSlhpRU0=[13]
【ゆっくり解説】毎日カレーでスパイスいっぱい?一番使われている原材料は?市販カレールーに潜む危険について
2021/09/30




毎日カレーでスパイスいっぱい?一番使われている原材料は?市販カレールーに潜む危険についてゆっくり解説します!

目次
00:00 市販のカレールーが健康に悪いのかどうか
00:47 一番使われてる原材料は○○!?
   ・食用油脂/小麦粉
06:49 他の添加物も危険?カレールーの原材料を徹底解説
   ・カラメル色素
   ・たんぱく加水分解物/調味料(アミノ酸等)
   ・デキストリン
   ・酵母エキス
11:23 カレールーは自分で作れる?

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/998.html#c14
[近代史5] 民主主義より武士が統治する封建制社会の方がよっぽどマシだった
民主主義より武士が統治する封建制社会の方がよっぽどマシだった


2021年09月30日
衆愚政で自民党は続く / 日本の淀んだ政治
パッとしない新総裁
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68873175.html


自民党111Suga 8821

  9月29日の総裁選挙で、岸田文雄が自民党の新総裁になった。まぁ、自民党の価値基準からすれば、妥当な人選なんだろうげと、党員以外の保守派国民からすれば、何とも退屈な新総裁である。岸田氏は来る総選挙に向けての“看板”となる訳だが、映画界で譬えれば、「期待感が全く湧かない主役俳優」としか言い様がない。なるほど、岸田氏は今回が正念場と考え、プロの選挙アドヴァイザーや演出家を雇って討論の練習をしたんだろうが、肝心の一般国民は彼の“熱弁”に感動したのか? 岸田総裁には気の毒だが、彼の背後には財務省や特定の金融業者、経済界の重い影がいつもチラついているので、どうしても「操り人形」にしか見えない。

  前のブログ記事で述べた通り、次の衆院選挙では、いくら自民党といえども多少の議席減は免れず、議席を伸ばす圧勝にはならなだろう。しかし、政権から滑り落ちるような惨敗も予想できないから、そこそこの勝利で自民党の執行部はホッとするはずだ。何しろ、立憲民主党を始めとする野党が、あまりにも“だらしいない”ので、政権交代になるほどの躍進が一切期待できないからだ。おそらく、地盤の弱い自民党議員は落選の憂き目に遭ってしまうだろうが、強固な支持母体や手入れが行き届いた票田を持つベテラン議員は、たとえ危険水域に陥っても、何とか再選されるだろう。政治に関心の無い一般有権者でも、「野党じゃ頼りないわよねぇ〜」とソッポを向くから、落胆した国民は渋々でも自民党に投票せざるを得ない。

  保守派国民の間では、極左議員の河野太郎は頗る評判が悪いが、地上波のワイドショーしか観ていない自民党の一般党員や「名前貸し」の幽霊党員、支那人や朝鮮人の協力者になった党員は、基本的に「マスコミが押す人物」や「露出度が高い人物」を「勝ち馬」と思うので、国益など全く考えず、「よくテレビで顔を見るから、河野さんに一票」となる。中には、「党員」で有ることを知らない党員までいるから、防諜組織を持たない日本の政治はかなり厄介だ。我々が注目すべきは第一回目の投票で、河野太郎は一般党員・党友が投ずる票のうち、169票を獲得した。続く岸田文雄が110票で高市早苗が74票だから、河野太郎は相当な“人気”を持っていた、と言っていい。

  やはり、自民党の形式党員とは、テレビや新聞しか観ていない中高年と、義理や組織のしがらみ、友人・仕事の付き合いで所属しているだけなので、どうしても国益とズレた考えを持ちやすい。ただし、年会費4千円を払う一般党員や2万円の年会費を払う特別党員の中には、外国勢力の手先や工作員、ないし無意識の協力者、特殊利益を追求する銭ゲバが含まれているので、平凡な日本国民とは言えない場合がある。自民党には党員を検査する機関や法的監査も無いので、支那人の手先や帰化鮮人などが、独りで100票とか500票を持つことも可能だ。まぁ、全国各地の党員が総て工作員とは限らないので、おそらく、下っ端党員の大半は普通の日本人だろう。でも、彼らはスキャンダルとなった河野氏の親族会社、「日本端子」の献金問題や支那との癒着を全く知らないんだろう。たとえ、知っていても気にしない人々だ。

Ichimanda 2232(左 / 一萬田尚登 )
  日本国民の大多数は民衆参加制度で日本の政治が変わると思っている。しかし、それは幼稚な幻想で、各国会議員は支持母体や特殊利益団体、高級官僚、財界などの意向で態度を決めることが多い。とりわけ有力なのは、宗主国のアメリカに君臨するウォール街の旦那衆だ。国務省や国防省のジャパン・ハンドラーズといった仲介業者は、こうした大御所連中からの伝言を持ち帰り、自民党の幹部に「おい、これをやれ!」と命じる。すると、首相以下の重鎮達は「仰せ」の通りに我が国の政策を動かす。ここでは詳しく述べないけど、大蔵省が米国の意向で動いていたのは一般的に知られているが、日銀も宗主国の管理下にあるので、我が国の金融政策や財政は他国の思惑で動いている。敗戦後、日銀総裁を務めた新木栄吉(あらき・えいいち)とか、その後継者である一萬田尚登(いちまんだ・なおと)総裁といった人物を思い出せば分かるじゃないか。

例えば、元営業局長だった新木総裁は、戦後、公職追放令で辞任した。ところが、1951年に追放令が解除されると、東京電力の会長を経て駐米大使にまでなっていたのだ。どうして政治家でもない日銀の親玉が、対米外交の要職に就けるんだ? また、「法王」と呼ばれた一萬田総裁は、最長在任の日銀総裁を辞めると、1957年から大蔵大臣となり、鳩山内閣と岸内閣で権力を振るっていた。さらに、1958年、衆院議員に当選すると、再選を繰り返して5期も務めたというから凄い。戦後の日本で日銀総裁と大蔵大臣を務めたのは一萬田氏だけである。彼が佐々木直(ささき・ただし)を自分の後継者に選び、予定通り日銀総裁になったのは有名だが、佐々木氏だって米国からの指令を充実に守る執事であった。

支配者の歴史が国家の歴史

Oswald Spengler 232( 左 / オズワルド・シュペングラー )
  脱線したので話を戻す。『西洋の没落』を書いたドイツの歴史家、オズワルド・シュペングラー(Oswald A. G. Spengler)によれば、国家を形成するのは農民じゃなく、常に王や貴族であったという。確かに、畑で穀物を作る農夫が100万人集まったって国家は出来ない。必ず、指導者となる豪族や庇護者となる武人が現れ、神殿や王宮が中心となる都市を造るのが普通である。農村というのは国家にまで発展するものじゃない。石で舗装された道路や広場、大理石や木材で建築された宗教施設、豪華絢爛な宮殿というのは、原始人や未開人にとって驚異的に映るが、非常に魅力的で奇蹟のように見える。鋭い考察力を持つシュペングラーによると、本当の奇蹟とは都市に“魂”が出現したことであるという。(オズワルド・シュペングラー 『西洋の没落』 第二巻 村松正俊 訳 五月書房、昭和53年 、p.75.) この魂を持つ都市は目に見える体躯となり、独特な文化と歴史を有するようになるそうだ。

  そして、都市国家の歴史は支配者家族が繰り広げた行動の記録、つまり王侯貴族の歴史となり、支配者が持つ血の運命が、そのまま国家の運命になるというのだ。我々日本人は西歐諸国の歴史を勉強しているが、中世史の書物を繙けば、そこには様々な王様や領主の野心や失敗が描かれているから、本質的には王侯貴族の興亡を学んでいるに等しい。例えば、ガリアとゲルマニアを支配したカロリング家とか、ドイツやシチリアに君臨したホーエンシュタウフェン家、オーストリアやスペインを拠点にしたハプスブルク家、フランスを長年に亙って支配したブルボン家、イングランドの地位を高めたチューダー家、スコットランドからイングランドへ鞍替えしたスチュアート家といった王朝の勃興や衰退を観てみれば、ヨーロッパの過去がだいたい解る。

  オズワルド・シュペングラーの指摘で興味深いのは、なぜ「ロートリンゲン」という国家(王国)が無かったか、という説明だ。(上掲書 p.149.) 確かに、カール大帝にはルイ敬虔王(Louis the Debonaire/ the Pious)という息子がいて、ルイの長男がロタール(Lothair)1世として「ロタリンギア(Lotharingia)」を統治していた。このロタリンギアを継承したのは、次男のロタール2世であったが、彼には子供がいなかったので、「ロタリンギア」という国家は消滅し、その地名は残っていても、ロタリンギアの民族というのは現存しないのだ。要するに、王様や何らかの有力者が存在しない地域には、国家というものが存続しないという訳である。

  現在の日本では武士階級が存在しないので、国家の命運を担う人物や組織が存在しない、という悲惨な状態となっている。確かに、日本の中核を担う皇室は存在するけど、如何せん、外敵を払いのける武力が無い。やはり、国家を守るのは軍事力をもつ武家集団となる。いくら尊敬される天皇陛下が日本に君臨されても、やはりコ川家とか島津家、毛利家といった有力大名がいないと、日本の独立や繁栄は保てない。民衆の中から選出される代議士なんて愚劣さの象徴だ。彼らは易々とハニートラップに引っ掛かるし、特殊団体の誘惑にも弱い。そのくせ小細工なら得意で、関心があるといったら、財界の接待とかキックバックだけ。あとは、自分の息子に地盤と利権を継承させるくらいなんだから、日本の政治が腐敗し、機能不全に陥るのも当然だ。永田町の国会議員が高級官僚に頭が上がらないのは、宗主国のアメリカが官僚組織を支配下に入れているからだ。防衛面でも日本は依存体質で、未だにアメリカの駐留軍が存在し、日本独自の軍事システムを持っていないんだから、どう考えても異常だろう。そのうえ、消費税一つも廃止できないんだから、どうして「民衆による支配体制(デモクラシー)」なんだ? 民衆が重税に苦しんでいるのに、民衆の代表が民衆の気持ちを代弁しないなんて“おかしい”じゃないか。「これには何か裏がある !」と思うのが普通だろう。

民衆政治の恐ろしさ

  政治学部や法学部に寄生する大学教授は大反対だろうが、日本人にはデモクラシーという統治形態(polity)は相応しくない。社会実験というのは禁止されているが、日本では実際に行われていた。明治の日本人は武家政治を捨て去り、西洋の「民主主義(大衆が主体の政治制度)」なるものを導入したが、結局のところ、散々な敗戦と衆愚政治を迎えてしまった。これなら、武士が統治する封建制社会の方がよっぽどマシだ。なるほど、武家社会だと民衆に投票権は無い。しかし、現在だって「無党派層」とか「選挙に行かない人」、「政治に無関心な庶民」、「何が起こっているのか解らない素人」がたくさんいて、我が国の政治は不毛の荒野と化しているんだから、世襲の武士に任せたって平気だろう。だいたい、「デモクラシー」といっても、現実の永田町や霞ヶ関では売国議員や高級官僚が跋扈し、「我が世の春」を謳歌しているんだから、「デモクラシーのどこがいいんだ?」と尋ねたくなる。

  民衆から選ばれる議員というのは、基本的に1代限りの銭ゲバで、当選するまでに大金を費やし、再選の度に運動会や葬式、結婚式、宴会に大忙しである。軍事外交どころか、経済や科学の知識に欠け、基礎知識さえ無い者がほとんど。議員に選ばれてから勉強するなんて言語道断だ。大工になってから建築を学ぶ者や、経済学部に入る前の受験生がヘッジファンドの社長になれるのか? これだから、キャリア官僚の言いなりになるんだろう。一方、武士は生まれた時から未来の統治者になることが決められているので、幼少のころから深い教養を身につけなければならない。小学生くらいの子供でも、鬼軍曹の如き碩学から薫陶を受ける。こうした武士の子は、文武両道の厳しい教育を経ると、切腹を覚悟するような役職に就く。主君たる藩主や将軍も同じような教育を受けるから、国家の有事に際しては同じ危機感を共有し、迅速な対策を講ずることができる。

  しかも、藩主や将軍は独自の財産を持っているから、支那人や朝鮮人から銭をもらって祖国を裏切るようなことはない。島津斉彬や一橋慶喜といった立派な統治者が、支那人やロシア人から金や女をもらって朝廷を売り渡すなんてことはしないだろう。もし、藩主や家老が売国奴になったら、「末代までの恥」を曝すことになるので、その子供ばかりか孫や曾孫、10代先の赤ん坊まで恥辱にまみれてしまうのだ。こんにちの政治家で、10代先、ないし20代先の子孫を考えている奴がいるのか? 議員を辞めれば自分の瀆職はチャラになる、と思っている連中が大半だろう。

  高市議員を望んでいた保守派国民は、「自民党の総裁が河野太郎じゃなくて良かった !」と一安心しているが、河野氏に群がる議員を見れば、「こんな奴を支持する議員が、あんなに居たのか !」と恐ろしくなるはずだ。なぜなら、河野太郎や野田聖子を支持する議員は、今後も引き続き自民党内にのさばるからだ。なるほど、河野太郎は総裁になれなかった。しかし、河野氏や野田氏を支援した議員は、次の総選挙で落選するのか? おそらく、彼らの多くは再選されるだろう。たぶん二階俊博は引退だろうが、支那人の下僕はまだ大勢潜んでいるから、たとえ高市議員が次の総理・総裁になっても、彼らは甚大な影響力を温存し、「高市内閣」を内部から揺さぶるに違いない。まぁ、本質的には河野一派と安倍グループの抗争だろうけど。

  とにかく、自民党の左翼議員を支援する国民や立憲民主党を支える赤い国民が、雲霞の如く存在するんだから、これからも続々と「河野もどき」や「二階2世」が誕生するはずだ。自民党の一般党員を見れば判る通り、直接民衆政は恐怖の制度としか言えまい。今回の総裁選だって、マスコミは「初の女性総理誕生か?」と囃し立てたけど、これってマスコミが嫌う「性差別」なんじゃないか? どうして女性だと素晴らしいのか? それにもし、野田聖子が総裁になったら、日本の政治は無茶苦茶になり大混乱だ。 民衆が読売新聞の笛に踊らされ、大統領のような最高行政官を選べるようになれば、日本の宰相は土井たか子や田中真紀子のような人物になってしまうだろう。実際、支那人に好意を示す福田康夫が総理大臣になったし、民衆は日本経済をボロボロにした小泉純一郎に歓喜した。地方選挙では、あの石破茂が「人気者」となったし、今でも小泉進次郎は有力な総理候補だ。

Koizumi 8821Fukuda Tatsuo 002


( 左 : 小泉進次郎と滝川クリステル / 右 : 進次郎と福田達夫)

  おそらく、岸田内閣は短命に終わるだろう。そうなれば、高市早苗の登場か安倍晋三の再浮上となるが、その次は身の毛がよだつ小泉劇場の復活だ。昔、小泉今日子が「何てったってアイドぉぉ〜ル」と唄っていたが、クリステル夫人を伴った進次郎を目にすれば、間抜けな大衆は黄色い声で「進ちゃゃゃ〜ん!」と叫び、「やっぱり、進ちゃんが次の総理よ !」と大はしゃぎするだろう。横浜のアイドル、小泉ジュニアはオヤジの跡目を継いで新総理となるが、もしかすると竹中平蔵の後継者と一緒になって、「売国政治シーズン2」をやらかすかも知れないぞ。過去を振り返れば、福田赳夫の秘書を務めた小泉純一郎が総理となり、その支援で息子の福田康夫が総理となった。純ちゃんの息子である進次郎も、福田康夫の息子である福田達夫と組んでいるから、小泉進次郎内閣では福田官房長官が誕生するんじゃないか。そして、やがては福田達夫がオヤジと同じく外務大臣となり、総理総裁になったりして・・・。まぁ、進次郎の私的な女房が滝川クリステルなのは赦せるが、公職の女房役が福田達夫じゃ厭だよねぇぇ〜。

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[近代史6] ジャック・イベール(Jacques François Antoine Ibert,1890 - 1962)
ジャック・イベール(Jacques François Antoine Ibert,1890 - 1962)

交響組曲『寄港地』(Escales)(1922)
3.5点
南国的な開放感や活気が楽しい。旅行気分になって聴ける楽しい娯楽作品。

海の交響曲(Symphonie marine)(1931)

交響組曲『パリ』(Paris, Suite symphonique)(1931)

フルート協奏曲(1934)

アルト・サクソフォーンと11の楽器のための室内小協奏曲(1935)

木管五重奏のための3つの小品(1930)

弦楽四重奏曲(1942)

ヴァイオリン、チェロとハープのための三重奏曲(1944)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29

ジャック・フランソワ・アントワーヌ・イベール(Jacques François Antoine Ibert, 1890年8月15日 - 1962年2月5日)は、フランスの作曲家。しばしばその作風は、軽妙、洒脱、新鮮、洗練などと言った言葉で評される。


イベールはパリで生まれた。1910年、パリ音楽院に入学[1]。アンドレ・ジェダルジュの対位法講義では「フランス6人組」のダリウス・ミヨーやアルチュール・オネゲルと同窓であった。第一次世界大戦中は海軍士官として従軍。1914年に音楽院を卒業し、5年後の1919年、カンタータ『詩人と妖精Le poète et la fée』にてローマ大賞を受賞した。1923年まで3年間ローマに留学、『寄港地』などを作曲した。1937年から1960年まで(第二次世界大戦中を除く)在ローマ・フランス・アカデミーの館長だった[2]。1940年、フランス政府よりの依頼を受けて、日本の皇紀2600年奉祝曲として『祝典序曲』を作曲。

1940年6月にパリが陥落すると、北アフリカで抗戦を継続しようとする政治家たちにイベールは同行し、このためにヴィシー政権によってイベールは反逆者と見なされ、曲の演奏が禁じられていた[3]。1944年に在ローマ・フランス・アカデミー館長に復職した。

1955年から1957年までパリの国立オペラ劇場連合(RTLN、オペラ座とオペラ=コミック座)の監督をつとめた[4]。

1962年にパリにて死去。遺体はパリ16区のパッシー墓地にて埋葬された。

作品

管弦楽曲
レディング監獄のバラード(La Ballade de la geôle de Reading)(1921年)- オスカー・ワイルドの同名の詩にもとづく。
交響組曲『寄港地』(Escales)(1922年)
組曲『遊戯』(Jeux)(1923年)
スケルツォ『妖精の郷』(Féerique, scherzo)(1925年)
室内管弦楽のためのディヴェルティスマン(Divertissement pour orchestre de chambre)(1930年)
海の交響曲(Symphonie marine)(1931年)
交響組曲『パリ』(Paris, Suite symphonique)(1931年)
祝典序曲(Ouverture de fête)(1940年)
エリザベス朝組曲(Suite Élisabéthaine)(1944年)
ルイヴィル協奏曲(Louisville concerto)(1953年)
ボストニアーナ(Bostoniana)(1955年)- ボストン交響楽団創立75周年記念に作曲した未完成の交響曲の第1楽章を没後に出版したもの。
バッカナール(Bacchanale)(1956年)
架空の愛へのトロピズム(Tropismes pour des amours imaginaires)(1957年)

協奏曲
チェロと管楽合奏のための協奏曲(1926年)
フルート協奏曲(1934年)
アルト・サクソフォーンと11の楽器のための室内小協奏曲(1935年)
ピアノ協奏曲
オーボエと弦楽合奏のための協奏交響曲(1948年)

室内楽・器楽
奇想曲(フルートとピアノ)
組曲『物語』(Histoires)(1917年)- 本来はピアノ独奏曲だが、フルートとピアノ用にも編曲された。マルセル・ミュールによるサクソフォーンとピアノ編曲も知られる。とくに第2曲「小さな白いろば」は単独で演奏される。
木管五重奏のための3つの小品(1930年)
10の楽器のための奇想曲(1930年)
弦楽四重奏曲(1942年)
ヴァイオリン、チェロとハープのための三重奏曲(1944年)
即興曲(トランペットとピアノ)(1951年)

オペラ
ペルセウスとアンドロメダ(Persée et Andromède)(1921年)
アンジェリック(Angélique)(1927年)
イヴトの王様(Le Roi d'Yvetot)(1930年)
ゴンザーグ(Gonzague)(1931年)
鷲の子(L'Aiglon)(1937年)- アルテュール・オネゲルとの合作。エドモン・ロスタンの同名の戯曲に基づく。
カルディナル家の姉妹(Les Petites Cardinal)(1938年)- アルテュール・オネゲルとの合作オペレッタ。

バレエ音楽
めぐりあい(Les Rencontres)(1925年初演)- 現在はピアノ独奏用の組曲としてのみ演奏される。
ジャンヌの扇(L’Éventail de Jeanne)(1927年)の中の「ワルツ」(Valse)
ジョルジュ・オーリック、ダリウス・ミヨー、フランシス・プーランク、モーリス・ラヴェル、アルベール・ルーセル、フローラン・シュミットらによる合作。
ディアーヌ・ド・ポワチエ(Diane de Poitiers)(1934年初演)- イダ・ルビンシュタインのためのバレエ。
ユピテルの恋(Les Amours de Jupiter)(1946年初演)
放浪の騎士(Le Chevalier errant)(1950年初演)
ユニコーンまたは純潔の勝利(La Licorne ou le Triomphe de la chasteté)(1950年)

付随音楽
イタリアの麦藁帽子(Un Chapeau de paille d’Italie)(1930年初演)
本作から『ディヴェルティスマン』が編まれた。
ドノゴー(Donogoo)(1930年初演)- ジュール・ロマンの戯曲。
サモス島の庭師(Le Jardinier de Samos)(1932初演)
7月14日(Le Quatorze Juillet de Romain Rolland)(1936年)- 7人による合作。
夏の夜の夢(Le Songe d’une nuit d’eté)(1942年)

映画音楽
60作を越える映画音楽を書いている[2]。

五人の悪い紳士(Les Cinq Gentlemen maudits)(監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ、1931年)
ドン・キホーテ(フランス語版)(Don quichotte)(監督:ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト、出演:フョードル・シャリアピン、1933年、仏)
モーリス・ラヴェルもこの映画のために『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』を作曲したが採用されなかった。
ゴルゴタの丘(英語版)(Golgotha)(監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ、1935年)
マクベス(Macbeth)(監督:オーソン・ウェルズ、1948年)
舞踏への招待(Invitation to the Dance)(監督:ジーン・ケリー、1956年。第1話「嘆きのピエロ」(Circus)の音楽を担当)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/697.html

[近代史6] ジャック・イベール 交響組曲『寄港地』
ジャック・イベール 交響組曲『寄港地』


Jacques Ibert - Escales








I. Palermo
II. Tunis - Nefta
III. Valencia


Orchestra: French National Radio Orchestra
Composer: Jacques Ibert
Conductor: Leopold Stokowski

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/698.html

[近代史6] アンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet, 1905 - 1974)
アンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet, 1905 - 1974)

交響曲

交響曲第1番 (1953年)
3.0点
冒頭はおおっと楽しみを楽しみを感じさせる。しかし、休む間のない刺激の連続に疲れて集中力が途切れて来る。交響曲らしい構成の魅力がなくて、単に長くて多楽章の管弦楽曲というだけになっている。ジョリヴェの個性的な音楽の魅力はここでも楽しめるが、作品としてベストな次元に到達しているとは思えない。個々の場面には、なかなかのゾクゾク感を感じるため、勿体無いと思う。

交響曲第2番 (1959年)

交響曲第3番 (1964年)
2.5点
単なる無茶苦茶で無調的なカオスの音楽であるようにしか聴こえない。ジョリヴェらしい音楽ではあるとは思ったが、あまり魅力を感じず楽しめなかった。


協奏曲
ピアノ協奏曲 (1950年)
3.5点
野性味あふれるはちゃめちゃな作風が、ピアノ協奏曲によくマッチしている。自由奔放な音楽の変遷は、あまり組織的な構成感がないのだが、かといって無茶苦茶でもないような妙な納得感がある。そして予想もつかない展開に次は何が起こる?という予想の出来なさにワクワクしながら曲の最後まで聞き通せるのがよい。

ハープと室内オーケストラのための協奏曲 (1952年)

チェロ協奏曲第1番 (1962年)

チェロ協奏曲第2番 (1966年)

フルートと弦楽合奏のための協奏曲(フルート協奏曲第1番) (1949年)

フルートと打楽器のための協奏組曲(フルート協奏曲第2番) (1965年)

オンド・マルトノ協奏曲 (1947年)
3.8点
自分はものすごく面白い曲だと思う。とにかく奇想天外なソロの動きが繰り出す今まで聞いたことのない音の世界が楽しくてたまらない。野蛮さを孕む破茶滅茶なジョリヴェの音楽との相性はバッチリ。ここまで意外性に満ち溢れた曲は少ないだろう。ソロの圧倒的な表情の豊かさと魅力は、単音にもかかわらず、ほぼすべてのピアノ協奏曲のソロが負けているかもしれない。とにかく面白い曲。中間部分のフリージャズのように音を隙間なく埋めてカオスにゴリゴリと勢いで繰り出されるスリリングな音の洪水の圧倒感が最高である。その場面の印象が強いが他は静かな場面が多い。静かな場面もオンデ・マルトノの独特の表現を印象的に活用して斬新な雰囲気を演出して聞き手を没入させる。難しいことを考えなくとも、とにかく耳が離せない面白さのまま最後まで新しい音楽を聴かせてくれる。作曲者のセンスとよくマッチしている楽器だからこそ、ここまで成功したし、現れる楽想がピッタリとオーケストラと独奏の協奏ならではの創造世界としてはまっているのだろう。一聴を強くお勧めしたい。

ファゴット協奏曲
2.5点
のだめに登場した曲とのこと。コンパクトで聴きやすいが、巨匠らしさがほぼ感じられない。ありがちなフランスの管楽器協奏曲であり、いくつかのパーツをなんとなく並べて1曲を構成した以上の表現者としての意思を感じなかった。ファゴットの音と音色と表現力を楽しむには悪くはない曲であり、深刻さのない聴きやすさがある。

トランペット協奏曲第2番
3.5点
純粋なクラシック音楽にカテゴライズしてよいか微妙な音楽だと思う。ジャズや映画音楽や民族音楽やバンドミュージックなど、様々なものが混合されている斬新な音楽である。そして非常にセンスが良くておしゃれで面白い。パーカッションやサクソフォーンが独奏パートのように大活躍して、それらの絡み合いが盛り上がりを作っていく。ピアノの使い方も面白い。トランペットはその分、普通の協奏曲ほど圧倒的な主役ではなくなっているが、そのこと自体も新鮮である。

打楽器のための協奏曲
3.0点
昔から気になっていた、のだめの真澄ちゃんが演奏していた曲。 思ったほど技巧的に凄みを感じるものではなかった。しかし、管弦楽と打楽器が対等になり、場面によっては管弦楽を伴奏にする感じは、快感のようなスリリングさを味わえる。なかなかカッコ良い。各楽章ごとに独奏楽器が違うのも楽しめる点。3楽章がドラムの独奏で1番好きだが、これをポピュラーのスーパードラマーに数倍難しくして演奏してほしいと思ったりした。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


アンドレ・ジョリヴェ(André Jolivet, 1905年8月8日 - 1974年12月20日)は、フランスの作曲家、音楽教育者。様々な作曲技法を用いて、ラジカルな前衛音楽からポピュラーなCM音楽まで幅広い分野の作曲を行い、「音楽のジキルとハイド」と揶揄されるほどであった。


生涯
技師でアマチュア画家の父親とピアノ教師の母親との間に、パリのモンマルトルで生まれた。母親からピアノを、教区神父からは典礼音楽と和声学の基礎を学んだ。さらにはチェロを学び、音楽以外に絵も学んだ。芸術家となることを夢見るが両親の反対で、師範学校に進学する。しかし、ソルボンヌ大学でアンリ・ベルクソンの哲学に触れ、ますます芸術に対する意欲を昂め、創作意欲を募らせた。卒業後は兵役を務めた後に教師となったが、1927年に合唱隊指揮者ポール・ル・フレムに出会った。フレムから近代和声学や対位法を学び、シェーンベルク、ベルク、バルトークらの作品を研究した。

その後、フレムの紹介でエドガー・ヴァレーズに師事することになった。ジョリヴェの音楽には、ヴァレーズ流の十二音技法、実験的音響、打楽器に対する偏愛といった、ヴァレーズの影響が色濃い。こうした直接的な影響のみならず、ヴァレーズから紹介されたシュールレアリズムの画家や詩人を介しての芸術的刺激も大きな影響となった。これに加え、1931年の国際植民地博覧会、1933年の北アフリカへの旅行を通してジョリヴェは、異国的・異教的音楽を体得していった。1934年、オリヴィエ・メシアンから手紙を受け取り、当時支配的だった新古典主義音楽に対抗し人間性の回復・ベルリオーズへの回帰を目指す芸術サークル「若きフランス(ジュヌ・フランス La Jeune France)」を立ち上げることになる。この頃、彼は「調性から自らを解放すること」を目指しており、異教の呪術性を強調した『呪術的舞踏』、『5つの儀礼的舞踏』といった作品を相次いで発表している。

第二次世界大戦中に着想した『兵士の3つの嘆き』以降は調性旋律に基づく抒情的な作風で人気を博した。さらに終戦後には、戦前の呪術的な音楽と戦中の抒情性とを古典的な形式に統合した協奏曲や交響曲を作曲している。

この時期には、国立音楽協会の設立者に名を連ね、文化大臣アンドレ・マルローの顧問やパリ音楽院教授を務めた。日本人では平義久と宍戸睦郎が彼の弟子であり、松平頼則は彼の称賛を得て世に出た。こうしたことから公的な活動や教育のための講演会などがスケジュールの多くを占めるようになったが、それ以後も創作意欲は已むことなく作曲を続けた。

1974年にインフルエンザをこじらせて、69歳で逝去した。日本の朝日新聞ではトップ記事の扱いであった。最後の住居であったパリ7区59 Rue de Varenneに記念碑がある。

主な作品

歌劇
ドロレス、または醜い女の奇蹟 (1942年)

交響曲
交響曲第1番 (1953年)
交響曲第2番 (1959年)
交響曲第3番 (1964年)

管弦楽曲
弦楽のためのアンダンテ (1935年)
前奏曲「天地創造」 (1938年)
5つの儀礼的舞踏 (1939年)
バレエ音楽「ギニョールとパンドラ」 (1943年)
劇音楽「ブリタニキュス」 (1946年)
交響的断章「プシュケ」 (1946年)
組曲「大洋横断」 (1955年)

協奏曲
ピアノ協奏曲 (1950年)
ハープと室内オーケストラのための協奏曲 (1952年)
チェロ協奏曲第1番 (1962年)
チェロ協奏曲第2番 (1966年)
フルートと弦楽合奏のための協奏曲(フルート協奏曲第1番) (1949年)
フルートと打楽器のための協奏的組曲(フルート協奏曲第2番) (1965年)
オンド・マルトノ協奏曲 (1947年)
打楽器とオーケストラのための協奏曲(1958年)
トランペットと弦楽、ピアノのための小協奏曲(トランペット協奏曲第1番) (1948年)
トランペット協奏曲第2番 (1954年)
ヴァイオリン協奏曲(1972年)

室内楽曲
弦楽四重奏曲 (1934年)
小組曲 (フルート、ヴィオラ、ハープ、1942年)
デルフィ組曲 (1943年)
クリスマスのためのパストラール (フルート、ファゴット、ハープ、1943年)
リノスの歌 (フルート1944年)
7つの楽器のためのラプソディ (1957年)
6人の打楽器奏者の為のセレモニアル(打楽器、1968年)
トランペットと打楽器の為のエプタード(トランペット、打楽器、1970年)

ピアノ曲
6つの小品「マナー」 (1935年)
古い旋法による練習曲 (1944年)
ピアノ・ソナタ第1番 (1945年)
ピアノ・ソナタ第2番 (1957年)
2台ピアノのための「パチンコ」 (1970年)

その他の器楽曲
五つの呪文 (フルート、1936年)
マンダラ (オルガン、1969年)

声楽曲
兵士の三つの嘆き (1940年)
平和の日のためのミサ (1940年)
カンタータ「ジャンヌ・ダルクの最後の誘惑」 (1941年)
祝婚歌(1953年)
オラトリオ「ジャンヌの真実」 (1956年)
ミサ曲 (1962年)

著書
ベートーヴェン(池内友次郎訳/音楽之友社/1960年 原著は1955年出版)

エピソード
過激な実験的な前衛音楽からCM音楽まで手がけ、作風を何度も変えていることから、彼を転向者あるいは「音楽のジキル&ハイド」と非難する音楽家も多い。ピエール・ブーレーズとは不仲である。日本人の作曲家では、矢代秋雄がジョリヴェを激しく非難しているが、これにはパリ音楽院時代の個人的な確執が背景にあると考えられている。

また、来日した際、日本のパチンコにどっぷりとはまってしまい、国内で過ごす時間の殆どをパチンコに費やしてしまった。以降、彼のパチンコ・パチスロへの興味が尽きることは無く、数年後には『二台ピアノのためのパチンコ』を作曲するまでに至った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A7
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/699.html

[近代史6] アンドレ・ジョリヴェ オンド・マルトノ協奏曲
アンドレ・ジョリヴェ オンド・マルトノ協奏曲


André Jolivet - Concerto pour Ondes Martenot et orchestre



1. Allegro moderato (0:00) ;
2. Allegro vivace (09:54) ;
3. Largo cantabile (16:08).


Manuel Rosenthal
Orchestre National de l'ORTF ; Jeanne Loriod
Date : 08/12/1966




André Jolivet: Concerto per Onde Martenot e orchestra (1947)



1) Allegro moderato
2) Allegro vivace
3) Largo cantabile


Orchestre Philarmonique de l'ORTF
diretta dall'autore

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/700.html

[近代史6] ジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre、1892 - 1983)
ジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre、1892 - 1983)

ピアノ協奏曲
3.3点
ミヨー的な推進力として活力と風向明媚という表現を連想させる明るさが楽しめる佳作。内容豊富なのかよく分からないが、とにかく音が生み出すパワーで押し切るから、何も考えずに楽しいのは間違いない。そしてミヨーとかとは少し音の感覚が違うが故の新鮮さがある。何度も楽しめる深さはなさそうだが、聴いてみる価値はある曲。

弦楽四重奏曲(1917-19)

ハープ・ソナタ(1953)
3.3点
フランス的で深刻さのない軽さがあり、オシャレさと浮遊感がある音楽がハープとマッチして、一つの楽しめる音楽を作っている。凄みはないが、神秘的なハープの音の世界が一つの小宇宙となっている。個性と音楽形態がマッチして成功している曲。コンパクトで聴きやすい。

クラリネットのためのソナタ(1957)

ヴァイオリンソナタ1番
3.0点
わたしには、全体を覆っている陰鬱さとねちっこい感傷性が鼻について楽しめなかった。まだ作曲家として音が十分にこなれておらず、ドビュッシーを悪くしたような感じであるのも物足りない。とはいえ、それなりの音世界の規模と広がり深みをもった力作としての楽しみはあるかもしれない。こじんまりと小さく収まり良くまとめられた作品ではなく、野心的な作品である。

ヴァイオリンソナタ2番
3.0点
時に平凡な場面を混ぜながら即興的に進む。深刻さはないが感傷も混ざったりするし、様々な変化を気楽に聴ける。フランス6人組の中でも自分の音楽が凝り固まっておらず新鮮さを失っていない音を聴ける良さがある。

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ジェルメーヌ・タイユフェール(Germaine Tailleferre, 1892年4月19日 - 1983年11月7日)は、20世紀フランスのクラシック音楽の作曲家。パリ音楽院で学んだ後、個人的にシャルル・ケクランとラヴェルに師事。シャブリエ、サティの影響を受けた快活でさわやかな作品を残す。コクトーに「耳のマリー・ローランサン」と呼ばれた女性作曲家。いわゆるフランス六人組のメンバーの一人。

生涯
イル=ド=フランスのサン=モール=デ=フォッセ出身。本名はマルセル・タイユフェス (Marcelle Taillefesse) であったが、横暴で家庭を顧みない父親への反感から、タイユフェールという姓に改めた。修道院付きの学校に学んだ母親から、ピアノなどの教養を学んで楽才を発揮し、パリ音楽院への進学を許される。音楽院ではダリウス・ミヨーやジョルジュ・オーリック、アルテュール・オネゲルと出逢い、親交を結んだ。いくつかの学科で首席になり、18歳の時、ハープ科の助教授カロリーヌ・タルデューのために『タルデュー夫人のためのハープ小曲集』(Petit livre de harpe de Madame Tardieu)を作曲した。これは現存する最初の作品のひとつと言われている。早くから優等生ぶりを発揮する一方、ピアノ科の試験の最中に院長フォーレに気押され、無意識にバッハを移調して演奏して(フォーレを含む)試験官を驚かせたり、オルガン科で即興演奏の学習中に、「ストラヴィンスキーの様式」を選んで教授の逆鱗に触れたりなど、いくつかの武勇伝を残している。またこの頃、無教養で野卑な父親から解放されたことの反動で、音楽以外の勉強もしており、気球の操縦も学んでいる。

友人たちとともにモンマルトルやモンパルナスの芸術家集団と親交を結び、その中で知り合った彫刻家のエマニュエル・サントールは、後にタイユフェールの妹と結婚した。「フランス六人組」の原型が出来上がったのも、モンマルトルの友人の画家のアトリエにおいてであった。ジャン・コクトーの宣言文『牡鶏とアルルカン』が出版されると、音楽評論家で作曲家のアンリ・コレの批評によって、「フランス六人組」という名称が与えられ、一躍グループを有名にした。タイユフェールは「六人組」の紅一点のメンバーである。

「六人組」は、当初は共作を行い、ピアノ曲集『六人組のアルバム』(Album des Six)などを出版した。ルイ・デュレを除く5人は、その後もコクトーの台本『エッフェル塔の花嫁花婿』(Les Mariés de La Tour Eiffel)をもとにバレエ音楽を共作した。このバレエは、もともとコクトーがオーリックに持ちかけて始まったものだったが、オーリックがリハーサルに間に合うように作曲できるほどの速筆ではなかったため、六人組で共作することになったのである。この頃デュレはパリにいなかったために参加していない。ラヴェルやサティの評価をめぐる他の同人との意見の食い違いから、デュレはやがて六人組を脱退することになったが、この頃デュレはまだ毎回、六人組の演奏会に出席しており、その後も他の同人との関係は悪くなかった。また六人組は、もとより各人の志向性に相違があり、それぞれの同人が初めから別々の道を歩んでいたことにも留意すべきであろう。

タイユフェールはといえば、モーリス・ラヴェルの知遇を得て、1923年からモンフォール=ラモリのラヴェルの自宅に通って個人指導を受けていた。ラヴェルは早くから彼女とミヨーの才能を激賞しており、タイユフェールにローマ大賞選抜試験を受験するように励ましていた。しかし1925年、タイユフェールはアメリカ人の諷刺漫画家ラルフ・バートンに口説き落とされ、結婚してニューヨークのマンハッタンに移住してしまう。1927年に2人はフランスに戻るが、チャップリンを含む幅広い著名人と親交の深かったタイユフェールに対して、バートンが嫉妬から兇暴化し(一説によると家庭内暴力さえ日常的であったといわれる)、耐え難くなったタイユフェールは、間もなくバートンと離婚した。

後にバートンと結婚した理由を尋ねられて、タイユフェールは「寂しかったから」と答えているが、第一次世界大戦に前後する時期、タイユフェールはヴァイオリニストのジャック・ティボーと愛人関係にあり(『ヴァイオリン・ソナタ第1番嬰ハ短調』はティボーに献呈されている)、報われぬ恋に疲れていた。その矢先に、遊び人のバートンに言葉巧みに誘惑されてしまったというのが真相らしい。

1920年代はタイユフェールにとって激動の時期であったが、『ピアノ協奏曲』や『ハープのためのコンチェルティーノ』、バレエ音楽『鳥商人』(Le Marchand d'Oiseaux:スウェーデン・バレエ団のための作品)および『新しきシテール島』(La Nouvelle Cythère:ディアギレフとロシア・バレエ団の依嘱作品)などのいくつかの代表作のほか、先駆的な映画音楽の作曲も手懸けて、アフリカ音楽を主題に用いるなどの試みもしている。チャップリンは、映画音楽をタイユフェールに書いてもらいたがっていたが、タイユフェールはチャップリンの作曲センスを認めていたので、チャップリンに自分で作曲するように助言した。チャップリン映画の数々の名旋律は、タイユフェールの配慮がなければ後世に残らなかった可能性が高い。

1930年代はいっそう実り豊かであり、『2台のピアノと合唱、サクソフォーン、管弦楽のための協奏曲』や『ヴァイオリン協奏曲』、オペラ『ズライナ』(Zoulaïna)、ポール・ヴァレリーとの共作カンタータ『ナルシスを讃えて』など、野心的な作品が相次いで生み出された。この時期にも一連の映画音楽やドキュメンタリーの付随音楽を手懸けている。

第二次世界大戦の勃発によって、グラスの自宅にほとんどの草稿を置き去りにしたまま、亡命生活に入らなければならなかった。イベリア半島を横断して運よくアメリカ合衆国行きの船に乗り込み、そのままペンシルベニア州フィラデルフィアで戦時中を過ごした。

終戦後の1946年、フランスに帰国して作曲活動を再開する。バレエ音楽『魔術師パリ』(Paris-Magie)、オペラ『小船が一艘ありました』(Il était un Petit Navire)・『哀しみ』(Dolores)・『小さなシレーヌ』(La Petite Sirène)・『教師』(Le Maître)、オペレッタ『香水』(Parfums)、『バリトン、ピアノ、管弦楽のための協奏曲』、『フルートとピアノ、管弦楽のためのコンチェルティーノ』、『2台のギターと管弦楽のための協奏曲』、『ピアノ協奏曲第2番』、『ヴァイオリン・ソナタ第2番』、『ハープ・ソナタ』などの作品のほか、映画音楽やテレビ音楽を手がける。同時代の前衛音楽の勃興にも無関心ではなく、『クラリネット・ソナタ』では「面白半分に」十二音技法を取り入れ、打楽器とピアノのための『ラモーを讃えて』は、タイユフェール自身はあまり評価しなかったが、辛辣で小気味よい表現は再評価されつつある。

1976年にパリの私立学校エコール・アルザシエンヌの音楽教師を引き受ける。最晩年にはもっぱら小品ばかりを手がけたが、これは老化にともなう手の関節炎のためもあった。それでもなお、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ピアノのための『田園風ソナタ』(Sonate Champêtre)や、2台ピアノのためのソナタ、2台のピアノと管弦楽のための『コラールと変奏』のほか、いくつかの童謡や、子供向けのピアノ曲集を手懸けた。最後の大作『コロラテューラ・ソプラノと管弦楽のための協奏曲』(Concerto de la Fidelité)は、作曲者の死の前年にパリ・オペラ座で初演された。亡くなる数週間前まで作曲を続けた。

セーヌ=エ=マルヌ県のケンシー=ヴォワザンに埋葬されている。


作品

オペラ
小船が一艘ありました(1951年)

室内楽
弦楽四重奏曲(1917年 - 1919年)
ハープ・ソナタ(1953年)
クラリネットのためのソナタ(1957年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/701.html

[近代史6] ジェルメーヌ・タイユフェール ピアノのオーケストラの為のバラード
ジェルメーヌ・タイユフェール ピアノのオーケストラの為のバラード


Germaine Tailleferre: Ballade for piano and orchestra (1920)



Rosario Marciano, pianoforte
Orchestra of Radio Luxembourg diretta da Louis de Froment.



Germaine Tailleferre (1892-1983): Ballade pour piano et orchestre (1920)



Pianist : Rosario Marciano
Dir : Louis de Froment

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/702.html

[近代史6] リリ・ブーランジェ(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger, 1893 - 1918)
リリ・ブーランジェ(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger, 1893 - 1918)

20世紀の作曲家で、ここまで心に強く訴えるもののある作曲家を私は知らない。私の知る限り女性作曲家の中でももっとも優れているし、それどころか20世紀になってから活躍した作曲家の中でももっとも優れた作曲家の一人だと思う。

カンタータ<ファウストとエレーヌ>Faust et Hélène(1913年)
3.5点
前半はオーケストレーションが簡素すぎるきらいはあるものの、ゆったりとした美しい叙情に身をひたす楽しみがある。ワーグナーのようであり広大で空気感のある甘美な音楽である。後半はプッチーニのように情熱的でロマンティックを突き詰めた甘美さの音楽になる。このようにオペラ的な劇的さを30分に詰め込んだ作品であり、どちらもエンターテイメント的な楽しみを感じさせる。長く生きればフランスを代表するオペラ作曲家になれただろうと思わせる。

交響詩<哀しみの夜にD'un soir triste>(1917年〜18年)
2.8点
間奏的な曲。大きく盛り上がらず、重厚で重たい夜の雰囲気だけをずっと奏でて終わる。先を期待させるも、大きな変化や天才的な閃きを見せずに終わる。雰囲気は好きだがこれだけで10分は長い。

ヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための<春の朝にD'un matin de printemps>(1917年〜18年)
3.0点
ドビュッシーの作品のようだ。印象派的な音の使い方の美しさが魅力の小品。4分とは思えないほど、みっちりと展開が詰まっている。巨匠的とまでは若書き感の残る作品だが、その新鮮で溌剌としたところが魅力である。

(ヴァイオリンと)ピアノのための<夜想曲 ヘ長調><行列 ホ長調>
3.5点
伴奏のピアノもヴァイオリンの旋律も非常に美しい。特別なことをしていないようであるが、小品として強く引き込まれる。色彩感と夜の雰囲気と楽器を豊かに歌わせる展開力が優れているからだろう。何度も聴きたくなってしまう。

ピアノ曲<暗い庭から>

詩篇 第24番(1916年)

詩篇 第130番(1910年〜17年)
4.0点
ブルックナーのように重厚で力強く、熱い信心の心を圧倒的な質量の音の重さでもって表現している。展開力、世界観の 圧倒性には感服するしかない。女性か男性かという次元でなく、20代前半とは到底信じられない恐るべき深さをもった楽曲である。不安げな冒頭、後半の感情の盛り上がり、はるか深い闇の中からうごめくように這い出てくる魂たち。人類の悲しみの歴史と業をも背負ったかのようだ。この次元に若くして到達したのは病弱な身体に宿った精神ゆえとしか説明がつかない。

古い仏陀の祈り
3.3点
同じ動機を繰り返すため、途中からしつこく感じてしまった。とはいえ古い仏陀の祈りという題名の表象する音世界を非常に絶妙に表現できていて、驚くべき表現力と思う。神秘的だが、東洋的な柔らかさと世界をオーラのように包み込むような感じと、何千年も昔の世界から時空を超えて伝わってくる感じがよい。

ピエ・イエズ(1918年)
3.8点
天才作曲家の24歳にして病床で口述筆記された絶筆という前提知識を持って聴くと、あまりにも天国的に美しくて、心臓が止まりそうになる。冒頭の歌が始まった瞬間に時が止まったかのようになり、この音楽の世界に入り込む。なんという美しい音楽だろうか。半音階的な伴奏の進行や絶妙な転調を繰り返して、祈りながら天の彼方へと飛び去って行く魂のような音楽を聴かせてくれる。

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リリ・ブーランジェ(Marie-Juliette Olga Lili Boulanger, 1893年8月21日 - 1918年3月15日)は、フランスの作曲家。


生涯
音楽一家に生まれる。祖父フレデリックはチェリストで、祖母ジュリエットは歌手。父エルネストはオペラ作曲家で、パリ音楽院でローマ大賞音楽部門に輝いた経歴を持つ。のち母校で声楽教師を務めた。母ライサは旧姓ムィシェツカヤといい、ロシアの公爵令嬢だった。結婚するまでエルネストとはパリ音楽院で師弟関係にあった。著名な音楽教師ナディア・ブーランジェはリリの姉である。

ブーランジェ夫妻の子供のうち健康で長寿を保ったのは第2子ナディアだけで、長女は生後まもなく急死、リリ自身も臓器に障害があって医師に短命を予告されていた。にもかかわらず2歳で神童ぶりを発揮し、家族によって英才教育をほどこされた。語学力と並んで楽器の演奏能力、とりわけ初見演奏に秀で、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ハープを得意とした。

4歳の時から姉にくっつきパリ音楽院の講座にもぐり込み、音楽の知識を吸収。長じてリリ自身も正式の学生となり、オルガンをルイ・ヴィエルヌに師事しながら、音楽理論と作曲を最初は姉ナディアに、次いでポール・ヴィダルやジョルジュ・コサード、フォーレに学ぶ。フォーレはブーランジェ姉妹の父で同僚のエルネストと親しく、リリのことを幼児期から可愛がり、歌曲の楽譜をブーランジェ家に持ち込んでは、リリに演奏させていたという。1899年にエルネストが他界してからは、フォーレはブーランジェ姉妹にとって、父親代わりの役目も果たしていたようだ。

1913年にカンタータ『ファウストとエレーヌ』(Faust et Hélène)でローマ大賞を受賞した。これは、4度の受験の末に断念した、姉ナディアの苦渋と屈辱をリリが代わって雪いだ面もあり、一方ナディアも妹の力作を手引きしたようである。

リリ・ブーランジェの作品は、色彩的な和声と楽器法、歌詞への巧みな曲付けで名高い。また、幼くして老齢の父親の死を体験し、自らも常に死の影に脅かされていたことから、喪失感や不安、悲哀の感情も彼女の作品を特徴づけている。彼女の作品には、フォーレやドビュッシーへの理解が見受けられ、彼女の独創的な作品は、少なくともアルテュール・オネゲルに影響を及ぼした。

免疫系が冒される気管支肺炎を2歳で発症したのに始まり、ついには腸結核(現在では「クローン病」と呼ばれる)を併発して24歳で若い命を散らすまで、リリの生活と活動は宿痾に苛まれ続けた。

旅行を愛し、ローマ大賞受賞後にイタリアでいくつかの作品を完成させたほどだったが、健康の衰えのために帰国を余儀なくされた(一説には、リリの看護と世話のために付添い人が同行することを、留学先の施設管理者が理解しなかったためといわれる)。帰国後は、病身をなげうって、第一次世界大戦に従軍するフランス人兵士を支援するため、姉ナディアとともに文字通りに砕身粉骨した。

リリは最晩年も未完成の作品を仕上げるのに尽力したため、音楽的にみのり豊かな時期を迎えることができた。しかし、一生のうちの大半を費やした、メーテルランク原作のオペラ『マレーヌ姫』は完成させることができなかった。リリはアルカションで絶筆の「ピエ・イェズ」を口伝筆記で完成させた後、昏倒して永眠した。亡骸はパリのモンマルトル墓地に埋葬されている。

フルート奏者林リリ子(作曲家林光の従姉)の名はブーランジェにちなんでおり、さらにフラウト・トラヴェルソ奏者の前田りり子は林の名にあやかっていると言われる。

フランスの天文学者ヴェニアミン・ジェコフスキーが1927年に発見した小惑星リリトは、ブーランジェの名前にちなんで命名された。

主要作品

カンタータ『ファウストとエレーヌ』(Faust et Hélène) (1913年)
交響詩『哀しみの夜に』(D'un soir triste)(1917年 - 1918年)
ヴァイオリン(またはフルート)とピアノのための『春の朝に』(D'un matin de printemps)(1917年 - 1918年)
(ヴァイオリンと)ピアノのための『夜想曲 ヘ長調』『行列 ホ長調』
ピアノ曲『暗い庭から』
詩篇 第24番(1916年)
詩篇 第130番(1910年 - 1917年)

古い仏陀の祈り

ピエ・イエズ(1918年)

(フランシス・ジャムの「悲しみ」による)連作歌曲集『空の晴れ間』(1913年)
※この曲名は原題 "Clairières dans le ciel" にリリ・ブーランジェがこめた意図をどう理解すべきかが難題で、訳名づくりにあたっては、さまざまな解釈が試みられている。ここでは書籍の訳に従うが、オンライン上では「空のひらけたところ」というやや天文学めいた訳が流布するようになっているほか、「雲の切れ目」とする音楽学者もいる。
その他の歌曲・合唱曲

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/703.html

[近代史6] リリ・ブーランジェ ピエ・イエズ
リリ・ブーランジェ ピエ・イエズ


Pie Jesu
Works of Lili Boulanger: Du Fond De L'abime - Psaume 24 & 129 - Vieille Prière Bouddhique - Pie Jesu



Orchestra: Lamoureux Concert Association Orchestra
Conductor: Igor Markevitch
Soprano: Alain Fauqueur
Composer: Lili Boulanger





Lili Boulanger - Pie Jesu



Eric Lebrun (organ)
Isabelle Sabrié (soprano)
Francis Pierre (harp)
Raphaëlle Semezis (cello)
Magali Demesse (viola)
Aude Perin Dureau (violin)
Olivier Charlier (violin)
Conductor: Emile Naoumoff


- Year of recording: 1993




Lili Boulanger Pie Jesu



Bernadette Greevy, contoralto
BBC Symphony Orchestra
Nadia Boulanger
30 October 1968

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/704.html

[番外地9] 貧困者は救済しなければいけないが企業救済だけはしてはいけない _ 日本の実質失業率は50%、人材を安月給で拘束しているだけの… 中川隆
1. 中川隆[-16181] koaQ7Jey 2021年10月01日 01:11:45 : HremhHxmtE : YS5nZjFIWVhnSkk=[1]
日本人の半数は付加価値マイナスの仕事をしている。
日本の実質失業率は50%、人材を安月給で拘束しているだけの企業は破綻させた方がいい:
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません。
MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません:
大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 

アホ右翼でも理解できる様に超簡単に解説しました。
経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。

警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。

そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。

日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:

(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。


MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない
起業家の厳しい実態

10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。
「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。

現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。
既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。
それでも起業して数ヶ月の間は、会社員だった頃のツテやコネから仕事を得られる場合があるが、それも無くなります。


起業する人には何かアイディアがあり「これが世の中に必要とされる筈だ」というような構想があると思います。
ところが革新的なアイディアの99%は、短期間で社会から不要になる事が多いです。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。
月商はもちろん売上げであって、そこから様々な経費を差し引いたのが収入になります。

仮に月商の50%が利益になるとしても月収15万円未満な訳で、起業した人の家計が非常に苦しくなるのが分かります。
良く不動産ビジネスで「年商1億円」のように言う人が居ますが、不動産の利益は良くて年10%以下と言われています。
しかもこれは借金が無い場合なので、利子の支払いなどがあれば年商1億円でも「年収」は500万円以下かも知れません。
起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

______

失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。


少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/154.html#c1

[番外地9] 日本の実質失業率は50%、人材を安月給で拘束しているだけの企業は破綻させた方がいい
日本人の半数は付加価値マイナスの仕事をしている。
日本の実質失業率は50%、人材を安月給で拘束しているだけの企業は破綻させた方がいい:
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません。
MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません:
大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 

アホ右翼でも理解できる様に超簡単に解説しました。
経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。

警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。

そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。

日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:

(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。


MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない
起業家の厳しい実態

10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。
「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。

現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。
既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。
それでも起業して数ヶ月の間は、会社員だった頃のツテやコネから仕事を得られる場合があるが、それも無くなります。


起業する人には何かアイディアがあり「これが世の中に必要とされる筈だ」というような構想があると思います。
ところが革新的なアイディアの99%は、短期間で社会から不要になる事が多いです。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。
月商はもちろん売上げであって、そこから様々な経費を差し引いたのが収入になります。

仮に月商の50%が利益になるとしても月収15万円未満な訳で、起業した人の家計が非常に苦しくなるのが分かります。
良く不動産ビジネスで「年商1億円」のように言う人が居ますが、不動産の利益は良くて年10%以下と言われています。
しかもこれは借金が無い場合なので、利子の支払いなどがあれば年商1億円でも「年収」は500万円以下かも知れません。
起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

______

失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。


少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/853.html

[番外地9] 日本の実質失業率は50%、人材を安月給で拘束しているだけの企業は破綻させた方がいい 中川隆
1. 中川隆[-16180] koaQ7Jey 2021年10月01日 01:17:22 : HremhHxmtE : YS5nZjFIWVhnSkk=[2]
日本人の半数は付加価値マイナスの仕事をしている。
日本の実質失業率は50%、人材を安月給で拘束しているだけの企業は破綻させた方がいい:
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません。
MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 

経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。

警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。

そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。

日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:

(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。


MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない
起業家の厳しい実態

10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。
「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。

現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。
既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。
それでも起業して数ヶ月の間は、会社員だった頃のツテやコネから仕事を得られる場合があるが、それも無くなります。


起業する人には何かアイディアがあり「これが世の中に必要とされる筈だ」というような構想があると思います。
ところが革新的なアイディアの99%は、短期間で社会から不要になる事が多いです。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。
月商はもちろん売上げであって、そこから様々な経費を差し引いたのが収入になります。

仮に月商の50%が利益になるとしても月収15万円未満な訳で、起業した人の家計が非常に苦しくなるのが分かります。
良く不動産ビジネスで「年商1億円」のように言う人が居ますが、不動産の利益は良くて年10%以下と言われています。
しかもこれは借金が無い場合なので、利子の支払いなどがあれば年商1億円でも「年収」は500万円以下かも知れません。
起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

______

失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。

少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/853.html#c1

[番外地9] GDPが増えても国民は豊かにならない 中川隆
1. 中川隆[-16179] koaQ7Jey 2021年10月01日 01:25:02 : HremhHxmtE : YS5nZjFIWVhnSkk=[3]
国民が頑張って働いてGDPを増やしても国民は豊かにならない
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日本を始めとして世界中で”親世代より貧しい子供世代”に入っていて、韓国もご多分に漏れず子供世代が貧しい。
先進国で初めてこうなったのはおそらく1980年代以降のアメリカで、マイホームが買えなくなった。
アメリカは1950年代が絶頂期で(裕福な白人家庭は)7リッターの大型車を乗り回し、芝生やプール付きの家を所有していた。

当然未来のアメリカはもっと豊かになると想像していたが、子供や孫の世代になるほど貧困化している。
アメリカは60年代、70年代、80年代と不況が続き、やっと好景気になった90年代は以前とは違っていた。
前の好景気では労働者の所得が増え、自動車工場の従業員は自分が作った車を買うことが出来た。

だが90年代以降の好景気では労働者の給料はあまり増えず、資産価値だけが増加しました。
つまりお父さんの給料は30万円で変わらないのに、株価や地価やビットコインだけが値上がりしました。
値上がりした株やビットコインでGDPは上昇するので、物価も資産上昇につれて上昇しました。
だが物価が上昇してもお父さんの給料は30万円のままなので、労働者家庭はどんどん貧困化しました。

統計によるとアメリカの中産階級は1980年代から貧困化していて、中産階級から貧困階級に転がり落ちる人が多い。
こうした例を日本に当てはめるまでも無く、労働者の所得は減り資産だけが増え日本人は『貧困民族』になりました。

資産価値上昇が日本人を貧困にしている。
個人資産が1500兆円とか2000兆円という数字を聞いたことがあると思いますが、アレが増えれば増えるほど日本人は貧困になります。
なぜなら汗を流して働いた人の給料は減り続け、働かずに土地や株を所有する人の収入が増え続けるからです。
多分あなたは週5日以上、一日8時間以上働いているが、収入は増えていないのではないでしょうか?
ところが資産を保有している人は1年に1日も働いていないのに、資産が倍になったりしています。
資産価値が上昇した分日本のGDPが増えたことになり物価が少し上がるので、労働者は毎年貧しくなります。
これが安倍、小泉や自民党政権が20年やった事だが、自民党のせいというほど話は単純ではない。

欧米や中韓ロですらそうなっていて、労働者の給料は実質減り続けて、不労者である資産階級だけが収入を増やしている。
この原因が資産価値の上昇で、マネー経済ともバブル経済とも言います。
労働価値は変わらないのに株やビットコインや地価だけが上昇する社会は労働者にとって地獄の世界になります。
そして世界中が地獄化しているのです。


少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/846.html#c1

[番外地9] 今上天皇が中国のハニートxップにかかったので官僚も政治家も中国に逆らえない
中国は旭川の女子小中学生を使ったハニートxップ戦略で北海道を乗っ取ろうとしている
今上天皇が中国のハニートxップにかかったので官僚も政治家も中国に逆らえない
皇族が顧客だとわかって捜査中止になったプチエンジェル事件
今から16年前の2003年、小学6年生の女子児童を渋谷でスカウトして赤坂のウイークリーマンションに監禁した、小児買春組織の事件。
この組織の顧客リストに、当時皇太子だった徳仁氏の名前があった。
中国政府関係者に今上天皇と12歳の小向美奈子の動画を撮られたので、警察や官僚は中国に逆らえなくなった。
プチエンジェル事件で皇太子にハニートラップを仕掛けたのは民主党の小沢一郎
旭川市長は小沢の弟子だからプチエンジェル事件の残党でしょう
今上天皇はチンチクリンで女性から相手にされなかったのでペドファイルになったんでしょう
相手は小学生時代の小向美x子?

先日警視庁のHPのPDFから
令和元年の0〜19歳の行方不明者が1,200人ほどいると書きました。
見つかった人がいたとしても何割かは行方不明のままです。
とくに女の子。小学生くらい。

もちろん中国や東南アジアの国際組織人身売買ブローカー、ヤクザ、芸能事務所等を通じて
性的虐待や人食、奴隷目的や結婚相手として売られてしまいます。

または売る前に日本に監禁されてしまうケースも。

そして世界の奥の院が一目置く存在として天皇家があります。
なぜ?
とお思いになるかと思います。
イギリスじゃないの?
とか思いますよね。

何故日本の天皇家が悪魔の集団から一目置かれてるかというと

@天皇家が所有してる金(ゴールド)が ケタ外れに多いこと。
A人種売買の総元締めであること。

ぷちえんじぇる置屋の源氏名せいか(小向美x子)は現在栃木の女性刑務所に服役中。
まだ刑期中だったかな。
悲しい人生です。
僕が彼女の親なら…。

芸能界ーペドファイルーグラビアアイドルーAV女優ー覚醒剤ー逮捕ー実刑。

天皇のペドファイルの後は芸能界や性産業で働かされたり、口封じで殺害したり。
カネ、ヒト、奴隷。


以下真偽不明ですが、皇室関係の話は5ちゃん他のネット情報と全く同じなので、一応転記しておきます:

片山徹 @_9105294027642 2021年7月21日
ぷちえんじぇる事件。女児発注者徳仁(東宮)。請負人吉里弘太郎(置屋、東京都港区赤坂2-17-54ウィークリーマンション・インターナショナルプラザ赤坂 11階1101号室)。女児配達人、渡辺x也、上原x優、ベンツCクラス。女児売春婦に飽きた徳仁は吉里に新女児発注。女児逃亡により発覚。ほぼ全員殺。

片山徹 2020年6月12日
プチエンジェル小学六年生、2000年7月17日午後5時2分の写真。令和天皇徳仁へのメッセージ「優しくしてくださいね」、現在AV女優小向x奈子と年齢出身地概ね一致。筆跡・文体も概ね本人と確認。江上波夫東大教授紹介の長州イボ侍の子供Mと父との面談の話。小児性愛であれば辻褄が合います。

2019年6月13日
小向美x子 アイドル時代の写真はプチエンジエル写真と一致。徳仁へのメッセージ「優しくしてくださいね」プチエンジェル事件後、鹿児島へ暫く姿を眩ませ、グラビアアイドルとして復帰。芸能プロダクションと宮内庁とはグル。不審死四人、行方不明六名。森友学園の不審死四人より多い日本人犠牲者。

2019年7月2日
赤坂プチエンジェル事件、小学六年生女児から、徳仁 へのメッセージ「なめるの大好き♡」女児の名は町田x沙と小向美x子に次いで二人目判明。運転手は東宮へ出張サービス。現在、運転手は行方不明。不審死四名、行方不明六名。

2020年8月22日
「あなたは、天皇。わたしは、女囚生活。」小向美x子。ぷちえんじぇる置屋の源氏名せいか(小向美x子)は女児売春婦。令和天皇に「やさしくしてくださいね」。今、栃木刑務所「女囚生活」。昭恵と同じ薬やってた。

2021年7月17日
女児人身売買、背後の人物統一教会大村x章。ベンツCクラスで女児配達渡辺x也。中国マフィアから仕入れた東南アジア女児。その後、行方不明。ぷちえんじぇる事件四人女児も行方不明。三浦春馬は日本でラオスから人身売買された女児の行方を探し、密室空間Xで消えた事を知った可能性。PEDO徳仁関与。

7月12日
済生会総裁PEDO秋篠宮からのビデオメッセージを見る六人の幹部の一人東京済生会中央病院院長海老原全。上下関係から三浦春馬の生き見せ、病院での死去を依頼した可能性。PEDO秋篠宮は複数回ラオス・ヴエンチャン訪問中の少女買春と遊興費寄付金から支出とを三浦春馬に掴まれた為、口封じ暗殺共謀か。

7月7日
李家の連続口封じ暗殺事件。三人共、PEDO(徳仁、秋篠宮、晋三)の少女買春口封じの為韓流地蔵背負ドアノブ自殺偽装暗殺。竹内結子(40歳)タオル、芦名星(36歳)ベルトに対し三浦春馬(30歳)は他人のリーシュコード(三田警察押収)でドアノブと繋がれていた。A香川健二郎、田中諒平とは証拠品窃盗回収。

7月5日
陸山会(小沢一郎)所有マンションは既に解体更新築済。グーグル3Dの赤坂ぷちえんじぇる貴重資料。「赤坂ぷちえんじぇる」事件現場は東京都港区赤坂2丁目17-54 11F赤丸。皇居から至近距離。徳仁、秋篠宮ご愛用の為、官邸は赤坂の地名削除。渡辺x也、上原x優により暗殺された吉里弘太郎の女児置屋。

7月5日
ぷちえんじぇる事件。稲城市立長峰小学校六年生女児四人監禁事件( 03.07.13〜07.17)。女児の一人が花屋に逃亡、事件発覚。警察保護の四人がその後、家庭に戻った報道無し。全員行方不明との未確認情報。口封じ暗殺であれば、計十四人の日本人の命がPEDO倶楽部会員 徳仁によって失われた事になる。

7月4日
中国マフィアから統一教会大村x章が仕入れた女児に手を出すPEDO徳仁。女児は中里弘太郎置屋からベンツCクラスで渡辺x也が東宮へ搬送。会員制PEDO倶楽部に徳仁名。ぷちえんじぇる事件はマンションから女児逃亡で発覚。米ピザゲート事件の日本版。三浦春馬を含め日本人十名が自殺偽装口封じ暗殺。

片山徹 7月2日
ぷちえんじぇる事件。住民からの目撃証言。マンション玄関から二人男女が出て行った。吉里弘太郎を社長と。女児置屋主と女児配達屋との仕事関係。東宮への配達写真に渡辺x也。女はM配下の上原x美。当日、女児の一人を東宮へ配達する予定。女児逃亡により警察介入。渡辺を除き関係者全員口封じ暗殺。

7月1日
PEDO徳仁、少女拉致事件。吉川x梨失踪事件はPEDO徳仁が性欲を満足する為、大阪府熊取町在住九歳少女を白いクラウンで拉致。十四歳の時、PEDO徳仁に面談を許され、アイドルレビューを懇願。芸名町田x紗でDVDレビュー。最初のDVDカバー写真と懇願する後ろ姿の吉川x梨とのヘアーバンド一致。

6月30日
赤坂ぷちえんじぇる事件の女児置屋主(東京都港区赤坂2-17-54、1101号)吉里弘太郎はマンション玄関から入室した女児デリバリー担当渡辺x也と上原x優とに練炭自殺偽装暗殺された。現地に乗り捨てられた徳仁への女児搬送用ベンツCクラス。警察は捜査放棄。LornserE50に近い型式車。渡辺x也所有か。

6月30日
捜索中の吉川友梨は全国捜査のWEB司法省により発見。九歳の時、大阪府熊取町から白クラウンで拉致された吉川x梨は五年間、PEDO徳仁の性奴隷。十四歳の時、芸名町田x沙で念願CDレビュー。PEDO徳仁との吉川x梨面談写真のヘアーバンドと町田x沙最初CDカバーのヘアーバンドと一致。乳大人化。

6月28日
PEDO徳仁が大阪府熊取町から吉川友梨を白いクラウンで拉致証拠。五年間性奴として仕えた吉川x梨は約束グラビアアイドルレビュー要求。DVD出演は叶えられた。しかし、面談時の吉川x梨ヘアーバンドとDVDのカバー町田x沙のヘアーバンドと一致。PEDOの性犯罪立証。

6月14日
ベトナムの闇市人身売買。スマホ欲しさに子供を売る親。公権力介在。中国マフィアを経て国際的人身売買組織統一教会等に売却。赤坂プチエンジェル事件、フリージャーナリスト染谷悟刺殺遺体東京湾に浮かぶ。中国マフィアに殺されると予告。統一教会と中国マフィアとの人身売買取引に大村秀章知事関与。

4月4日
春馬の最後のマネジャーは死後八ヶ月以上経過して田中諒平と判明。諒平ブログに「カンボジヤなう」と投稿。後藤x政、高村x彦、安藤x春の人身売買闇組織とPEDO令和天皇とを結ぶ線浮上。貧困から身を売る少女は闇組織の資金源
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/854.html

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
10. 中川隆[-16178] koaQ7Jey 2021年10月01日 05:49:53 : 6DGngjR4dk : UklneHhXZG5yNEE=[2]
2021-09-30
朝鮮人虐殺:『デビルマン』のあのトラウマシーン同様の場面を目撃してしまった少女
https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/09/30/215720


永井豪のマンガ版『デビルマン』には残虐シーンが山のように出てくるが、中でも極めつけのトラウマシーンと言えるのが、「デーモン狩り」の暴徒が牧村家に押し寄せ、不動明の恋人美樹やその弟タレちゃんを惨殺するシーンだろう。

【閲覧注意→】画像1 画像2【←閲覧注意】[1]
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/V/Vergil2010/20210929/20210929165728.jpg
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/V/Vergil2010/20210929/20210929165736.jpg


『デビルマン』は架空の話だが、関東大震災時の朝鮮人虐殺では、これと同じような場面を現実に目撃してしまった少女がいた。

文戊仙氏(故人)は、父母と一緒に11歳か12歳で日本に渡り、苦しい生活の中、紡績工場で働き始めた。そして15歳で関東大震災に遭遇する。以下は、彼女の娘である尹峰雪氏の証言。[2]

 ちょうど十五歳になった夏の日、関東大震災に遭遇するのですが、祖父母は仕事で千葉の方に行っており、母と幼い妹弟達だけが残されました。余震の続く中、母は妹たちを抱え、恐怖心で震えていたと言っておりました。

 その直後、朝鮮人大虐殺が始まり、自宅近くにも自警団が鳶口、なた、竹やり、日本刀などを持って来た時、ちょうど隣に住んでいた日本人の大家さんが「この子達は何もしていない、最初から自分とずっと一緒にいた。この子達を連れて行っちゃいけない。」と言って、助けてくれたそうです。



 しかし、その時にちょうど祖父の友人が訪ねてきたのですが、その友人は、「日本人だって話せばわかる、朝鮮人は毒も入れていないし火もつけていない」、と言って出かけたそうです。

尹氏は、母から関東大震災時の体験について、ここまでしか聞かされていなかった。

しかし、後に文氏は、朝鮮人虐殺を体験した最後の生き証人として、日本弁護士連合会による人権救済勧告の申し立て人となった。そして、体験内容のヒアリングの際、上記の話の続きを初めて語った。[2]

 そして母が関東大震災最後のたった一人の生き証人であるので、人権救済の申し立て人になってほしいと言う話を聞いた時、私は非常に躊躇したのですが、母はその時九〇に手の届く年でしたが非常に元気で、昔のこともはっきり記憶に留めておりました。私は母は当然断るだろうと思ったのですが、あの時無残に殺されていった同胞たちの恨みを晴らして日本政府に謝罪をさせるのが、死んでいく私が最後に人間としてやらなきゃいけない仕事だと、母は気持ちよく快く受けてくれ、一九九九年一二月、日本弁護士連合会に人権救済の申し立てを行ないました。

 その時、母はしっかりした口調で目撃したこと、体験したことを述べましたが、私が一つびっくりしたのは、初めて聞いたことがありました。その弁護士会で、祖父の知人が朝鮮人を助けに行って二度と帰らなかったという話は聞きましたけれど、その知人の生首を竹やりの先に刺して自分の家の前を自警団の人達が練り歩いていったという話を、母からその時初めて聞きました。

 おそらく母は幼い年であまりの恐ろしさを記憶の中に封印して忘れていたんだろう、封印してそれが日弁連の先生方の前で安心して、その封印が解けて、解き放たれ、その当時の記憶がよみがえってきたんだと思います。その時受けた衝撃、そしてその後トラウマで長い間色々なかたちで苦しんできたことなど、その時つくづくまた深く感じました。


永井豪は、後に『デビルマン』について、「戦争の真実を凝縮して描いた」と語っている。[3]

『自分が持っているものをすべて出し切ろう』と思っていました。実際に戦争体験をしていなくても、前世の記憶なのか、遺伝子的なことなのかで、人は戦争の痛みや悲しさを心の中で知っているのではないかと思います。

だから『デビルマン』が心の琴線にふれて、共感できたのでは。戦争の真実が、あの作品の中には凝縮されています。だから、読者はいつまでも忘れないでいてくれるのかなと思いますね

しかし、軍人でもない一般の日本人が罪なき人々を集団で襲い虐殺したのは、戦争ではなく関東大震災の時である。永井の発言になぞらえて言えば、「普通の人々」がデーモンではないかと疑った相手を容赦なく殺すストーリーが読者の共感を得たのは、日本人の中に、あのときの恥ずべき行為について、何らかの集団的記憶が残っていたからではないのか。

ちなみに、文氏の申し立てを受けて改めて詳細な被害調査を行った日弁連は、2003年、日本政府に対して以下の勧告を行った。[4]

国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、 遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、 その責任を認めて謝罪すべきである。
国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。
しかし、今に至るまで、日本政府はなすべきことを何ひとつ行っていない。

[1] 永井豪 『デビルマン(5)』 講談社コミックス 1973年 P.172-175
[2] 尹峰雪 『母のトラウマ、ひ孫まで排他と差別』 統一評論 2008年11月号 P.45-46
[3] 『永井豪が語る『デビルマン』 戦争の真実を凝縮して描いた』 Smart FLASH 2019/9/16
[4] 日弁連 『関東大震災人権救済申立事件調査報告書』 2003/8/25

https://vergil.hateblo.jp/entry/2021/09/30/215720
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c10

[番外地9] "過去の映像がサイトに…" 少女の相談で発覚 「xxx 動画」を撮影し25歳男逮捕 リベンジポルノか
旭川にはまともな人間は一人も居ない
"過去の映像がサイトに…" 少女の相談で発覚 「xxx 動画」を撮影し25歳男逮捕 リベンジポルノか
北海道文化放送 2021年9月30日
 当時高校生だった少女の xxx 動画を撮影したとして、25歳の男が逮捕されました。
 児童ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕されたのは、北海道旭川市に住む会社員の25歳の男です。
 男は2018年12月から2019年9月ごろまでの間、同市内で当時16歳か17歳の高校生だった少女のxxx動画を携帯電話で撮影した疑いが持たれています。
 警察によりますと2人は知人関係で、被害から少なくとも1年以上が経過した2021年9月24日、少女が「過去の映像がネット上のサイトに載っていることが分かった」などと警察に相談したことで事件が発覚しました。
 男は複数回少女と会って、動画を撮影していたとみられています。

____________

2009.01.05 写真メール問題「暴力事件に近い」 旭川市教委
【旭川】旭川市内の中学の女子生徒三人が同学年の女子生徒の上半身裸の写真をカメラ付き携帯電話で撮影し、別の生徒にメールで送っていた問題で、旭川市教委の小池語朗学校教育部長は二十六日の定例市長会見で「(撮影時、抵抗を抑えるため)ガムテープが使われており、手足は何らかの形で押さえ付けられていた」と述べ、「一種の暴力事件に近い」との認識を示した。
 関係者から事情を聴いている旭川東署によると、撮影時、被害生徒の手足はタオルや衣服で縛られていたという。市教委などによると、被害生徒は十月中旬、三人のうち一人の自宅に宿泊した際、写真を撮られた。

仲直りと称してお泊り会を開き被害者にガムテープを巻き付け上半身の裸の写メを撮る事件があった。
警察が介入して加害者三人はそれぞれが違う学校に転校させられた。
うろ覚えだが北星中学か北門中学だと思う

#45 2021/06/09 08:23最新レス
身体を動かないようの縛り付けて
異物を入れて 動画撮影して拡散したらしいね
爽彩さんの事件はこれと1996年の事件を合わせた感じらしいね

▲△▽▼

旭川の人には人間の死は非常に軽い、死んだらまた新しいのを連れてくればいいという感覚

旭川14歳女子中学生凍死事件の被害者 廣瀬爽彩さんの死後、加害者は、「便所ATM壊れちゃった。新しいの探さなきゃ」と、爽彩さんの死亡を暗示させるようなLINEをしていた。

#270 2021/04/27 22:23
なぜ、加害者たちが、被害者を便所ATMと呼んでいたのか?
いつでも、どこでも、Cからの呼び出しがあれば急いで行かないといけなかったのか?
母親と一緒にいる早朝4時にCから呼び出しがあり、家を出ていく被害者を止めた母親に、
「行かないと後でひどい目にあわされる」と震えていたとか。「私は汚れているから・・」と言って悩んでいた被害者。

352 名前:ニューノーマルの名無しさん投稿日:2021/04/19(月) 02:44
友達のなかでの女の子のあだなは便所ATM。やらせて金ももってきてくるからだって
便所ATMが壊れたから今の便所と一緒に働く新しいの見つけるから、仲いい友達とかに卒アル見せてもらってかわいい子いたら便所ATMにするために同窓会やろってゆって参加させて新しいの調達するって言ってた
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/855.html

[番外地9] 2009.01.05 写真メール問題「暴力事件に近い」 旭川市教委 中川隆
2. 中川隆[-16177] koaQ7Jey 2021年10月01日 08:10:50 : 6DGngjR4dk : UklneHhXZG5yNEE=[6]
旭川にはまともな人間は一人も居ない
"過去の映像がサイトに…" 少女の相談で発覚 「xxx 動画」を撮影し25歳男逮捕 リベンジポルノか
北海道文化放送 2021年9月30日
 当時高校生だった少女の xxx 動画を撮影したとして、25歳の男が逮捕されました。
 児童ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕されたのは、北海道旭川市に住む会社員の25歳の男です。
 男は2018年12月から2019年9月ごろまでの間、同市内で当時16歳か17歳の高校生だった少女のxxx動画を携帯電話で撮影した疑いが持たれています。
 警察によりますと2人は知人関係で、被害から少なくとも1年以上が経過した2021年9月24日、少女が「過去の映像がネット上のサイトに載っていることが分かった」などと警察に相談したことで事件が発覚しました。
 男は複数回少女と会って、動画を撮影していたとみられています。

____________

2009.01.05 写真メール問題「暴力事件に近い」 旭川市教委
【旭川】旭川市内の中学の女子生徒三人が同学年の女子生徒の上半身裸の写真をカメラ付き携帯電話で撮影し、別の生徒にメールで送っていた問題で、旭川市教委の小池語朗学校教育部長は二十六日の定例市長会見で「(撮影時、抵抗を抑えるため)ガムテープが使われており、手足は何らかの形で押さえ付けられていた」と述べ、「一種の暴力事件に近い」との認識を示した。
 関係者から事情を聴いている旭川東署によると、撮影時、被害生徒の手足はタオルや衣服で縛られていたという。市教委などによると、被害生徒は十月中旬、三人のうち一人の自宅に宿泊した際、写真を撮られた。

仲直りと称してお泊り会を開き被害者にガムテープを巻き付け上半身の裸の写メを撮る事件があった。
警察が介入して加害者三人はそれぞれが違う学校に転校させられた。
うろ覚えだが北星中学か北門中学だと思う

#45 2021/06/09 08:23最新レス
身体を動かないようの縛り付けて
異物を入れて 動画撮影して拡散したらしいね
爽彩さんの事件はこれと1996年の事件を合わせた感じらしいね

▲△▽▼

旭川の人には人間の死は非常に軽い、死んだらまた新しいのを連れてくればいいという感覚

旭川14歳女子中学生凍死事件の被害者 廣瀬爽彩さんの死後、加害者は、「便所ATM壊れちゃった。新しいの探さなきゃ」と、爽彩さんの死亡を暗示させるようなLINEをしていた。

#270 2021/04/27 22:23
なぜ、加害者たちが、被害者を便所ATMと呼んでいたのか?
いつでも、どこでも、Cからの呼び出しがあれば急いで行かないといけなかったのか?
母親と一緒にいる早朝4時にCから呼び出しがあり、家を出ていく被害者を止めた母親に、
「行かないと後でひどい目にあわされる」と震えていたとか。「私は汚れているから・・」と言って悩んでいた被害者。

352 名前:ニューノーマルの名無しさん投稿日:2021/04/19(月) 02:44
友達のなかでの女の子のあだなは便所ATM。やらせて金ももってきてくるからだって
便所ATMが壊れたから今の便所と一緒に働く新しいの見つけるから、仲いい友達とかに卒アル見せてもらってかわいい子いたら便所ATMにするために同窓会やろってゆって参加させて新しいの調達するって言ってた  
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/644.html#c2

[近代史6] ニコライ・カプースチン(Nikolai Girshevich Kapustin、1937 - 2020)
ニコライ・カプースチン(Nikolai Girshevich Kapustin、1937 - 2020)

ピアノソナタ第1番 Op.39 1984

8つの演奏会用練習曲 Op.40 1984
4点
ジャズ風の和音やフレーズを使用しているが、テクニカルで音楽的にもコンパクトで聴きやすく楽しい。

ピアノソナタ第2番 Op.54 1989

ピアノソナタ第3番 Op.55 1990

ピアノソナタ第4番 Op.60 1991

ピアノソナタ第5番 Op.61 1991

ピアノソナタ第6番 Op.62 1991

ピアノソナタ第7番 Op.64 1991

ピアノソナタ第8番 Op.77 1995

ピアノソナタ第9番 Op.78 1995

ピアノソナタ第10番 Op.81 1996

ピアノソナタ第11番 Op.101 2000

ピアノソナタ第12番 Op.102 2001

ピアノソナタ第13番 Op.110 2003

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


ニコライ・ギルシェヴィチ・カプースチン[3](英語: Nikolai Girshevich Kapustin、ロシア語: Никола́й Ги́ршевич Капу́стин、1937年11月22日[1] - 2020年7月2日[2][4])は、ウクライナ出身のロシアの作曲家、ピアニスト、ミュージシャン[5]。


略歴
ホールリウカ(ロシア語版)出身。1937年11月22日生まれ[1]。両親は、ベロルシア出身のグリゴリー(ギルシュ)・エフィーモヴィチ・カプースチンとロシア出身のクラヴジヤ・ニコラエヴナ・カプースチナ。第二次世界大戦のはじめ、4歳の時ニコライは、母親、姉フィーラ(1931生まれ)と祖母とともにキルギスに疎開。1941年から1943年までの2年間、トクマクに住んだ。ニコライの父親は従軍していたが、第二次世界大戦が終わり、1945年の夏に帰国した[6]。ニコライは7歳でピョートル・ヴィニチェンコ[7]のレッスンで、ピアノをはじめる。ヴィニチェンコはヴァイオリニストでピアノも教えた。ヴィニチェンコから姉はヴァイオリンのレッスンを受け、ニコライはピアノのレッスンを受けた。1949年からリュボーフィ・フランツーゾヴァ[8]にピアノを師事する。14歳の時にモスクワに移り住み、モスクワ音楽院附属の音楽学校 (Академическое музыкальное училище при Московской государственной консерватории имени П. И. Чайковского) でアヴレリアーン・ルッバーフ[9]に、モスクワ音楽院でアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルにピアノを師事する[10]。在学中にラジオ放送ボイス・オブ・アメリカで聴いたジャズに興味を持ち始め、独自のアイディアに基づいて作曲を試みるようになる[11]。

1961年にモスクワ音楽院を卒業した後、1972年まで11年間にわたって、ソビエト連邦中をオレーク・ルントストレム(英語版)が率いる国立ジャズ音楽室内管弦楽団 (Государственный камерный оркестр джазовой музыки) の一員として旅行する。1972年から1977年までヴァジーム・リュドヴィコフスキー(ロシア語版)のソビエト連邦テレビラジオ軽音楽管弦楽団に、1977年から1984年までロシア国立映画交響楽団 (Российский государственный симфонический оркестр кинематографии) に参加した。アンサンブルではサクソフォーン奏者のゲオルギー・ガラニャン(英語版)とアレクセイ・ズーボフ(フランス語版)、ギター奏者のアレクセイ・クズネツォフ(英語版)らと共演した[1]。1980年にはチャイコフスキー記念コンサートホール(ロシア語版)で自作のピアノ協奏曲第2番を演奏している。1984年に映画交響楽団を退いてからは、自作のレコーディングを除いて作曲活動に専念し、多数の作品を生み出し続けた[11]。長期間の闘病ののちに2020年7月2日にモスクワで亡くなり、同年7月6日にモスクワ郊外で告別式が行われた[4]。

作品番号は161を数える[2]。作曲家としては長らく無名の時代が続いたが、ニコライ・ペトロフ、マルカンドレ・アムラン、スティーヴン・オズボーン(英語版)などの巨匠ピアニストらがカプースチンの作品を取り上げるようになり、その名が次第に知られるようになった。日本国内で販売されている自作自演のCDも好評を得ており、特に8つの演奏会用練習曲の人気が高い。楽譜も多数出版されている。

なお、自作のレコーディング活動については2004年に一度引退を表明したが、2008年に再びCDをリリースして復帰した。出版社はムジカ、プリズム、全音楽譜出版社、ショットと複数を渡り歩いた。

作風
ジャズとクラシックを融合した独特の作風を持つのが彼の最大の特徴である。年代的には現代音楽に属する作曲家であるが、実験的なものではなく、あくまで聴き手を意識した曲を書いている。

また、本人が優れたピアニストであることから、高度な演奏技巧が求められるピアノ曲を多数作曲している。こういったことに由来し、彼の音楽は非常に高い演奏効果を有し、演奏会向きといえる。

主な作品

管弦楽曲

協奏曲
協奏曲に類似する作品も含む。
ピアノ協奏曲第1番 作品2 1961
ピアノ協奏曲第2番 作品14 1974
ピアノ協奏曲第3番 作品48 1985
ピアノ協奏曲第4番 作品56 1989
ピアノ協奏曲第5番 作品72 1993
ピアノ協奏曲第6番 作品74 1993
ピアノ小協奏曲 作品1 1957
ピアノとジャズバンドのための変奏曲 作品3 1962
ピアノと管弦楽のためのトッカータ 作品8 1964
ピアノと管弦楽のための間奏曲 作品13 1968
ピアノと管弦楽のための夜想曲 作品16 1972
ピアノと管弦楽のための練習曲 作品19 1974
ピアノと管弦楽のための夜想曲 作品20 1974
ピアノと管弦楽のための演奏会用狂詩曲 作品25 1976
ピアノと管弦楽のためのスケルツォ 作品29 1978
ピアノとヴァイオリンのための協奏曲 作品105 2002
2台のピアノと管弦楽のための小品 作品33 1982
ヴァイオリン協奏曲 作品141 2009
チェロ協奏曲第1番 作品85 1997
チェロ協奏曲第2番 作品103 2002
コントラバス協奏曲 作品76 1994
アルトサクソフォン協奏曲 作品50 1987
5本のサクソフォンと管弦楽のための小品 作品22 1975
トランペットと管弦楽のための小品 作品5 1962

室内楽曲
11人の奏者のための協奏曲 作品90
弦楽四重奏曲第1番 作品88
弦楽四重奏曲第2番 作品132
ピアノ三重奏曲第1番 作品136
ピアノ三重奏曲第2番 作品142
ピアノ五重奏曲 作品89
ヴァイオリンソナタ 作品70
ヴィオラソナタ 作品69
チェロソナタ第1番 作品63
チェロソナタ第2番 作品84
フルート、チェロとピアノのための三重奏曲 作品86
フルートソナタ 作品125

ピアノ曲
古典様式による組曲 作品28 1977
ピアノソナタ第1番 作品39 1984
8つの演奏会用練習曲 作品40 1984
24の前奏曲 作品53 1988
ピアノソナタ第2番 作品54 1989
ピアノソナタ第3番 作品55 1990
10のバガテル 作品59 1991
ピアノソナタ第4番 作品60 1991
ピアノソナタ第5番 作品61 1991
ピアノソナタ第6番 作品62 1991
ピアノソナタ第7番 作品64 1991
3つの即興曲 作品66 1991
ピアノソナタ第8番 作品77 1995
ピアノソナタ第9番 作品78 1995
ピアノソナタ第10番 作品81 1996
24の前奏曲とフーガ 作品82 1997
ソナチネ 作品100 2000
ピアノソナタ第11番 作品101 2000
ピアノソナタ第12番 作品102 2001
ピアノソナタ第13番 作品110 2003
ピアノソナタ第14番 作品120 2004
ピアノソナタ第15番 作品127 2005
ピアノソナタ第16番 作品131 2006
ピアノソナタ第17番 作品134 2008
ピアノソナタ第18番 作品135 2008
ピアノソナタ第19番 作品143 2011
ピアノソナタ第20番 作品144 2011


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%B3

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/705.html

[近代史6] ニコライ・カプースチン 8つの演奏会用エチュード Op.40
ニコライ・カプースチン 8つの演奏会用エチュード Op.40


Kapustin plays Kapustin: Concert etudes, op. 40






Nikolai Kapustin, piano
Recorded in 2000


1. Prelude (0:00)
2. Dream (2:08)
3. Toccatina (5:07)
4. Reminiscence (7:23)
5. Shutka (11:20)
6. Pastoral (13:39)
7. Intermezzo (16:11)
8. Final (19:46)

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/706.html

[近代史6] アルフレット・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke、1934 - 1998)
アルフレット・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke、1934 - 1998)

現代音楽的な重くダークな音空間と後期ロマン派のような聴きやすさを両立させたことで、普通のクラシック音楽ファンでも楽しめる音楽を書いた作曲家だと思っている。

交響曲

交響曲第0番 

交響曲第1番  
3.3点
支離滅裂な場面展開が1時間以上も続いていく珍曲。突拍子もなく有名曲の引用が多発されるのが面白い。個人的にはこのごった煮のようなカオスに身を任せるのは嫌いじゃない。どこに向かっているのか分からないまま、作曲者に連れられて面白い幻想世界をランダムにワープしながら巡っているような感覚になる。個別の場面は面白いものが多いと思うし、調性感は明確で難解さは少なくて分かりやすい時が多い。調性感がないときも、心地よいカオスであり難解感は少なくて、無茶苦茶な曲だけれど自分は楽しんじゃいました、すいません、という感想。

交響曲第2番 《聖フローリアン》 
3.5点
声楽入りの大作。聖なる神秘性に包まれている。1番とはうってかわってやりたい事が明確でシリアスな曲。心の旅に連れて行ってくれるような、引き込まれる場面は多い。現代らしいが同時に中世に精神だけタイムスリップしたようにも感じる精神世界の表現だと思う。クラシック音楽が現代に獲得した表現力を駆使していて、映画音楽のような通俗性にもほぼ堕ちていない。物質的な巨大さと精神的なトリップの重複した感覚が独特だと思う。

交響曲第3番  
3.0点
後期ロマン派の時間と内容が肥大されつつもロマン派の形式を辛うじて保っているのを、さらに極端に推し進めたように感じる場面が多い。夜の自然を徘徊するような雰囲気もあるが、どちらかというと自然界の物質や動物がエネルギーをえて蠢めくような感じのほうが近いかも。リヒャルト・シュトラウスを連想することが多い。精神面の深堀りを感じないため、「この曲はキテる」という感覚がない。折衷的な様式とあいまって、自分はいろいろ少し物足りなく感じた。特に後半はショスタコーヴィチみたいな沈んでゆっくり蠢めく曲だが、かなり冗長に感じた。

交響曲第4番  
2.8点
ピアノの独奏が多く、薄い音の場面がとても多い。意味深な面白い響きのフレーズは散りばめられている。しかし、それだけになってしまっており、抑揚がないし大きな仕掛けもない。つまり交響曲としての作りが不足している。そうなると冗長であり、前半のうちは響きを楽しめるが後半になると飽きてしまう。高級ムード音楽もしくはドキュメンタリー番組のバックミュージックになってしまっている。合唱は活躍が少なすぎるが、特に最後の場面の音の使い方に鋭さを感じる。

交響曲第5番 (合奏協奏曲第4番)  
3.5点
合奏協奏曲とも呼ばれるだけあって、線を絡ませて作られている曲である。音響の面で作っている音楽ではない。しかし、あまりソロが活躍するようには聞こえない。起伏がとにかく激しくて、刺々しい不穏な波を作っては、違うところからまた波が起こりを積み重ねていく。それが延々と積み重なって巨大な交響曲を形成するさまは圧巻である。不安定なマグマを常に地下に感じながら、空中に異世界の渦が形を変えていくようなイメージである。最初はマーラーに通じる下品さが嫌だと思ったが、聴き続けるうちに作られた世界観の凄さの感動が上回った。

交響曲第6番  
2.3点
新古典主義を連想する素朴な音の使い方。同時に1音から3音しか鳴っておらず室内楽よりも音が薄い程のスカスカな音の重なり。5番までと比べると別の作曲家になったかのようだ。そして、音楽がごく一部の箇所以外はちっとも心に迫らないところから、この変化は成功したとは思えない。単なる健康の衰えに伴う気力不足に思える。しかも全曲がアダージョのような雰囲気のまま変化もなく、これでは聴く価値が低い。

交響曲第7番 
2.5点
6番と1年しか変わらず同じような作品である。しかし、多少の進歩が感じられて、聞いたあとの後悔は少なかった。少しは音も厚くなった気はする。6番と続けて聴いたことで慣れてくると、変に時間の進み方と音の薄さが心地よく感じられるようにはなった。しかし他の人にオススメはしにくい。短いのはよいが。

交響曲第8番
2.5点
7番と同じような雰囲気。そして長い。ショスタコーヴィチを彷彿とさせる場面が多い。似た雰囲気でも彼ほど狙いか分かりやすすぎるために浅くて飽きやすくはなりがちにはなっていないが、代わりに何処に向かって何をしようとしているのか理解に苦しむ。あえて言えば、内容がないために単に何も考えずに音に浸って心を空っぽに出来る良さがあるかもしれない。そこが気に入ってまた聴きたいと個人的には思っているが、他の人にはオススメはしにくい。

交響曲第9番

管弦楽曲

合奏協奏曲第1番 (1977)

合奏協奏曲第2番 (1982)

合奏協奏曲第3番 (1985)

合奏協奏曲第4番 (1988)

合奏協奏曲第5番 (1991)

合奏協奏曲第6番 (1993)


協奏曲

ヴァイオリン協奏曲第1番 (1993)

ヴァイオリン協奏曲第2番 (1966)

ヴァイオリン協奏曲第3番 (1978)

ヴァイオリン協奏曲第4番 (1984)

チェロ協奏曲第1番 (1986)

チェロ協奏曲第2番 (1990)

ヴィオラ協奏曲 (1985)

ヴィオラと弦楽のためのモノローグ (1989)


室内楽曲

ヴァイオリンソナタ第1番 (1979)

弦楽四重奏曲第1番 (1966)

弦楽四重奏曲第2番

弦楽四重奏曲第3番

弦楽四重奏曲第4番


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


アルフレート・ガリエヴィチ・シュニトケ(ロシア語: Альфре́д Га́рриевич Шни́тке, ラテン文字表記例: Alfred Garyevich Schnittke, 1934年11月24日 - 1998年8月3日)は、ソビエト連邦のドイツ・ユダヤ系作曲家。

人物・来歴
ヴォルガ・ドイツ人自治共和国のエンゲリスに生まれる[2]。

ジャーナリストおよび翻訳家の父親は、1926年にヴァイマル共和国からソビエト連邦に移住してきたフランクフルト出身のユダヤ系ドイツ人で、母親はいわゆるヴォルガ・ドイツ人。このためシュニトケは、少年時代からドイツ語を使う家庭環境に育つ(ただし母語はヴォルガ・ドイツ方言であった)。

1946年に父親の赴任地ウィーンで最初の音楽教育を受ける。1948年にモスクワに転居。1961年にモスクワ音楽院を卒業し、翌1962年から1972年まで講師を務めた。その後は主に映画音楽の作曲により糊口をしのぐ。後にカトリックに改宗し、信仰心が作風の変化に影響を与えるが、合唱協奏曲に明らかなように、シュニトケ自身は共産革命を経ても猶ロシアに根付いているロシア正教会の力強い神秘主義に親近感を持っていた。

シュニトケは、いわゆる「フルシチョフの雪どけ」の時代に青春を過ごし、西側から大挙して押し寄せてきた、現代音楽や実験音楽の渦に巻き込まれている。このため初期のシュニトケは、ソ連当局が推奨する伝統的な作曲手法に飽き足らなくなり、新ウィーン楽派やストラヴィンスキーなどの影響のもとに激しい表現衝動を飛翔させ、無調、拍節感の放棄、12音技法、特殊奏法の多用、極端なポリフォニー、打楽器的な効果、新しい記譜法が取り入れられている。このため、しばしばソ連官僚によって恰好の攻撃対象に選ばれた。交響曲第1番はソ連作曲家連盟から実際に糾弾され、1980年に同連盟を棄権してからは一切の出国が禁じられた。

1985年には脳血管発作に倒れ、昏睡に陥った。たびたび医師に死を宣告されながらも、奇跡的に回復して、作曲活動を続けた。1990年にロシアを去ってハンブルクに定住するが、相変わらず健康に優れず、1994年の脳血管発作によりほぼ全身が麻痺して、ほとんど作曲ができなくなった。1997年にはいくつかの小品が創られたが、1998年8月3日に、何度かの脳卒中の後に他界した。63歳没。交響曲第9番は未完成のまま遺された[3]。

晩年には、プロコフィエフの未完作品「チェロと管弦楽のためのコンチェルティーノ」Op.132を、プロコフィエフ研究家のウラジーミル・ブロークと共に補筆している[4]。

作風
シュニトケの最初期の作品はショスタコーヴィチの影響を示しているが、イタリアの作曲家ルイジ・ノーノのソ連訪問後は、「ピアノと室内オーケストラのための音楽」(1964年)に見られるように、セリー技法が採用された。だが間もなく、本人の言によると「セリーによる自己否定というお年ごろの儀式」に飽き足らなくなり、「多様式」と呼ばれる新しい作曲様式に突き進んだ。多様式による作品では、新旧の作曲様式による音楽が、きわめて密接して積み重ねられていく。シュニトケはかつて「私の生涯の目標は、芸術音楽と軽音楽の統一なのです。そうしたら、たとえ私の首が折れてしまうとしても」と記したが、これは70年代の流行をいち早く察知し、自らがそれを最上の形で表明したことへの自信でもあった。

多様式の萌芽は、ヴァイオリン・ソナタ第2番「幻想曲風に」(1967年〜1968年)において認められ、十二音技法で作曲されているが、シェーンベルクやヴェーベルンの例では禁則とされた、3度・6度といった協和音程や、協和音のアルペッジョが、音列の中に使われている。その一方で、ほとんどの楽曲素材が映画音楽の転用であり、シュニトケの作曲様式の発展において映画音楽の影響力が歴然と示されている。また当時テープ音楽からの影響を強く受け、オーバーダブを用いて擬似無限カノンを作り出す極めて個性的な音色を発案する。この技法は後にバレエ音楽「ペール・ギュント」の終結部に使われた。また前衛の時代では忌み嫌われた絶対音楽の命名法にも向かい、叙事的な交響曲第1番(1969年-1972年)や合奏協奏曲第1番(1977年)において発展を続けた。後者では調性さえ復活されており、この作品によって世界的に注目される。一方の、亡き母を偲んで作曲されたピアノ五重奏曲(1972年-1976年)のような作品では、むしろ統一された作曲様式が採られている。

1980年代になると、シュニトケの音楽は国外でもLPリリースで広く知られるようになった。これは、ギドン・クレーメルやマルク・ルボツキーのような亡命音楽家のおかげであるが、ペレストロイカやグラスノスチの恩恵を良いタイミングで被ってもいる。この時期は体調が優れず、しばしば病中にありながらも大曲の創作を続け、弦楽四重奏曲第2番(1980年)と同第3番(1983年)、弦楽三重奏曲(1985年)、ファウスト・カンタータ、バレエ音楽「ペール・ギュント」(1985年-1987年)、交響曲第3番(1981年)、同第4番(1984年)、同第5番(合奏協奏曲 第4番)(1988年)、ヴィオラ協奏曲(1985年)、チェロ協奏曲 第1番(1985年-1986年)が作曲された。この時期の最後に、BIS社から全作品録音プロジェクトが決定される。

健康がさらに衰えるにつれて、シュニトケの作品は、多様式の外面的な部分の多くを切り捨て、より内面的で打ち沈んだ調子に閉じこもるようになる。弦楽四重奏曲第4番(1989年)、交響曲第6番(1992年)、同第7番(1993年)、同第8番(1994年)はその好例といえよう。この段階の作風について、ショスタコーヴィチの二番煎じではないのかと疑問視する意見も上がったものの、ジェラルド・マックバーニー Gerald McBurney のような研究家からは、「これらの後期作品こそ、シュニトケの全作品のうちで最も影響力を持っている」と断言されている。交響曲第9番(1996年-1997年)は、シュニトケが脳卒中の発作と戦いながら最後には左手だけで書いた絶筆で、3楽章までの解読困難なスコアが残された。知人の作曲家アレクサンドル・ラスカートフにより解読・再構成され、2007年6月16日にドレスデンで初演された。現在出版されており[5]、CDもリリースされている。

作品

歌劇
愚者との生活[7]

交響曲
交響曲第0番 
交響曲第1番  
交響曲第2番 《聖フローリアン》 
交響曲第3番  
交響曲第4番  
交響曲第5番  (合奏協奏曲第4番)  
交響曲第6番  
交響曲第7番  
交響曲第8番 
交響曲第9番

管弦楽曲
ピアニッシモ (1968)
イン・メモリアム (1978) (ピアノ五重奏曲の管弦楽版)
パッサカリア (1980)
ゴーゴリー組曲 (1980)
交響的前奏曲 (1994)
4つのリヴァプール (1994)
合奏協奏曲第1番 (1977)
合奏協奏曲第2番 (1982)
合奏協奏曲第3番 (1985)
合奏協奏曲第4番 (1988)
合奏協奏曲第5番 (1991)
合奏協奏曲第6番 (1993)

協奏曲
ヴァイオリン協奏曲第1番 (1957)
ヴァイオリン協奏曲第2番 (1966)
ヴァイオリン協奏曲第3番 (1978)
ヴァイオリン協奏曲第4番 (1984)
チェロ協奏曲第1番 (1986)
チェロ協奏曲第2番 (1990)
ヴィオラ協奏曲 (1985)
ヴィオラと弦楽のためのモノローグ (1989)
オーボエ、ハープと弦楽のための協奏曲 (1971)

ピアノ協奏曲
ピアノと室内管弦楽のための音楽 (1978)
ピアノと弦楽のための協奏曲 (1979)

合唱曲
オラトリオ「長崎」 (1958)
自然の声 (1972)
レクイエム (1975)
ミンネザング (1981)
冷静に、目を覚ましていよ (ファウスト・カンタータ) (1983)
3つの聖なる歌 (1984)
合唱協奏曲 (1985)
回心の詩篇 (1988)

室内楽曲
ヴァイオリンソナタ第1番 (1979)
弦楽四重奏曲第1番 (1966)
セレナード (1966)
ヴァイオリン・ソナタ第2番「幻想曲風に」 (1968)
パガニーニ (1982)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%88%E3%82%B1
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/707.html

[近代史6] アルフレット・シュニトケ 交響曲第2番 《聖フローリアン》 
アルフレット・シュニトケ 交響曲第2番 《聖フローリアン》 


Symphony No.2 "Saint Florian" - Alfred Schnittke



Leningrad Philharmonic Orchestra & USSR Ministry of Culture Chamber Choir Gennady Rozhdestvensky


I - Kyrie. Rezitando: 0:00
II - Gloria. Maestoso - (attacca): 11:48
III - Credo. Moderato - (attacca): 16:46
IV - Crucifixus. Pesante: 24:09
V - Sanctus & Benedictus. Andante: 35:56
VI - Agnus Dei. Andante: 46:39


Artist: Elena Zolotova
Artist: Yuri Vishnyakov
Artist: Erik Kurmangaliev
Artist: Yuri Bogdanov
Choir: USSR Ministry of Culture Chamber Choir
Conductor: Gennady Rozhdestvensky
Orchestra: Leningrad Philharmonic Orchestra

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/708.html

[番外地9] "過去の映像がサイトに…" 少女の相談で発覚 「xxx 動画」を撮影し25歳男逮捕 リベンジポルノか 中川隆
1. 中川隆[-16176] koaQ7Jey 2021年10月01日 10:01:58 : 6DGngjR4dk : UklneHhXZG5yNEE=[7]
"過去の映像がサイトに…" 少女の相談で発覚 「xxx 動画」を撮影し25歳男逮捕 リベンジポルx か
北海道文化放送 2021年9月30日
 当時高校生だった少女の xxx 動画を撮影したとして、25歳の男が逮捕されました。
 児童ポルx 禁止法違反の疑いで逮捕されたのは、北海道旭川市に住む会社員の25歳の男です。
 男は2018年12月から2019年9月ごろまでの間、同市内で当時16歳か17歳の高校生だった少女のxxx動画を携帯電話で撮影した疑いが持たれています。
 警察によりますと2人は知人関係で、被害から少なくとも1年以上が経過した2021年9月24日、少女が「過去の映像がネット上のサイトに載っていることが分かった」などと警察に相談したことで事件が発覚しました。
 男は複数回少女と会って、動画を撮影していたとみられています。

____________

2009.01.05 写真メール問題「暴力事件に近い」 旭川市教委
【旭川】旭川市内の中学の女子生徒三人が同学年の女子生徒の上半身裸の写真をカメラ付き携帯電話で撮影し、別の生徒にメールで送っていた問題で、旭川市教委の小池語朗学校教育部長は二十六日の定例市長会見で「(撮影時、抵抗を抑えるため)ガムテープが使われており、手足は何らかの形で押さえ付けられていた」と述べ、「一種の暴力事件に近い」との認識を示した。
 関係者から事情を聴いている旭川東署によると、撮影時、被害生徒の手足はタオルや衣服で縛られていたという。市教委などによると、被害生徒は十月中旬、三人のうち一人の自宅に宿泊した際、写真を撮られた。

仲直りと称してお泊り会を開き被害者にガムテープを巻き付け上半身の裸の写メを撮る事件があった。
警察が介入して加害者三人はそれぞれが違う学校に転校させられた。
うろ覚えだが北星中学か北門中学だと思う

#45 2021/06/09 08:23最新レス
身体を動かないようの縛り付けて
異物を入れて 動画撮影して拡散したらしいね
爽彩さんの事件はこれと1996年の事件を合わせた感じらしいね

▲△▽▼

旭川の人には人間の死は非常に軽い、死んだらまた新しいのを連れてくればいいという感覚

旭川14歳女子中学生凍死事件の被害者 廣瀬爽彩さんの死後、加害者は、「便所ATM壊れちゃった。新しいの探さなきゃ」と、爽彩さんの死亡を暗示させるようなLINEをしていた。

#270 2021/04/27 22:23
なぜ、加害者たちが、被害者を便所ATMと呼んでいたのか?
いつでも、どこでも、Cからの呼び出しがあれば急いで行かないといけなかったのか?
母親と一緒にいる早朝4時にCから呼び出しがあり、家を出ていく被害者を止めた母親に、
「行かないと後でひどい目にあわされる」と震えていたとか。「私は汚れているから・・」と言って悩んでいた被害者。

352 名前:ニューノーマルの名無しさん投稿日:2021/04/19(月) 02:44
友達のなかでの女の子のあだなは便所ATM。やらせて金ももってきてくるからだって
便所ATMが壊れたから今の便所と一緒に働く新しいの見つけるから、仲いい友達とかに卒アル見せてもらってかわいい子いたら便所ATMにするために同窓会やろってゆって参加させて新しいの調達するって言ってた  
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/855.html#c1

[近代史4] 野田聖子は何故あんなに頭が悪いのか?
野田聖子は何故あんなに頭が悪いのか?


女性の生理用品が大切?!
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68872899.html

Noda 221( 左 / 元暴力団員の夫を持つ野田聖子)

  野田聖子は総裁選に出馬したが、この嫌われ者は最初から総裁に選ばれない、誰もが分かっていた。本人も明言した通り、野田氏の野望は最初から「夢」に終わることになっていた。しかし、二階俊博が河野太郎の票を少しでも切り崩し、決選投票の時に「交渉の種」としたかったから、ゴリ押しで野田を総裁選に押し込んだらしい。大手マスコミとアホな国民は、「女性候補の誕生か?」と期待したが、候補者四人の討論会を聞いて、「こりゃ、ダメだぁぁ〜」と落胆したんじゃないか。なぜなら、「日本の成長産業は?」と訊かれて、野田氏は「フェムテック」と答えたんだから。

  テレビ討論会を観ていた、巷(ちまた)のオッちゃんオバちゃん達は、「フェムテックで何?」と首を傾げた。この「フェムテック」とは「female(女性)」と「technology(技術)」を掛け合わせた造語で、女性特有の生理や妊娠、更年期障碍などで引き起こされる悩みや問題を解決する新しい技術のことである。例えば、従来、生理に関してはタンポンやナプキンが製造されてきたが、「フェムテック」を使えば「吸水型のショーツ」などが誕生するという訳だ。ナプキンによる“かぶれ”も無いし、シリコン製の「月経カップ」を使えば経血が製品に溜まるから、臭いや蒸れが無くなるらしい。また、製品を一度使用しても、消毒すれば繰り返し使えるというので、「環境」にも“優しい”そうだ。(花澤葵 「良質フェムテック製品、普及に期待、自民議連、法的位置づけ提案」 毎日新聞、2021年5月4日。) もし、良心的な女性が「環境に優しい」製品を望むなら、生理中の膣に干し草でも詰めればいいじゃないか。工業製品はどれも環境汚染に繋がるものである。「エコロジー左翼」は綺麗事を口にしてゼニ儲けに励む。

  今さら野田聖子についての不満をブチまけ、彼女を批判しても時間の無駄でしかない。だが、こうした人物が長年に亙って国会議員を務め、未だに岐阜1区で再選されていることを鑑みれば、現状の政治的病理が分かるはずだ。自民党には野田氏以外にも、売国奴や外人の手下がウヨウヨいる。野田氏は自民党内で設置された「フェムテック振興議員連盟」の会長を務めているという。しかし、彼女のインタヴュー記事を読むと、「こんな事とにしか興味がないのかよぉ〜」と嘆きたくなる。こうした取材はウンザリするけど、我々はボンクラ議員がどんな考えを持っているのかだけは知ることができる。野田氏は生理現象について語っていた。

  私は去年60歳になったけれど、50歳で出産したとき子宮を摘出しました。ティーンエイジャーのときからあった生理とバイバイしたわけですが、そのときはすごく悲しくなりました。でも子宮を摘出した後、もう仕事がサクサク進む。つまり、女性にとって生理の期間がいかにロスタイムかと思い知ったわけです。生理がもうすぐ来るかなと思っただけで憂鬱になる。生理は大変な時間だけれど、この1週間があるおかげで、人類が紡がれ、経済や教育や文化がある。私たちはここに、もっと、男性の敬意が欲しいわけです。「昭和の男性」が考えられないのであれば、次の世代が考えていけばいい。男性は全く意地悪じゃなくて、わからないだけ。当事者じゃないから想像力が働かない。この違いを知ることが必要なのではないでしょうか。(大西綾 「『生理にサヨナラして分かった男女の違い』議連会長の野田聖子氏」 日経ビジネス、2021年1月18日。)

  またもや、「日本の男は遅れている !」といった言い草である。女性の生理に対する“敬意”が無いのは「昭和の男性」なのか? 昭和の精神を持った日本人男性は、「男性と女性が肉体的に違っていることに気づかない」から、令和の男性は「男女の違い」に理解を示すべき、と言いたいんだろうが、昭和、平成、令和でも日本人男性の本質はほとんど同じだ。日本の男性が生理学や遺伝学を知らない、と思っているのは野田氏くらいだろう。「女性には生理があるから、職場の上司はもっと配慮せよ !」というのは、左翼女の甘えだ。「平等」を口にするなら、にくたいてきにも肉体的にも対等に仕事をしろ !

  「またもや !」というか、「やっぱりな !」といった感じで、野田氏は「日本では女性の社会的地位が低い」、「女性というだけで出世できない」といった不満や愚痴を披露し、左翼女性の常套句を繰り返す。

   例えば政治という仕事にも性差をつけてしまい、男女ともに女性が選択する仕事ではないとの思い込みがあります。女性が当たり前に生きるためには、こうした考えが当たり前だと思い込んでいる女性も変えていくことも欠かせません。私は女性活躍担当大臣になりたいのではなく、「女性当たり前担当大臣」になりたいですね。議員をやっていて思うのは、女性の公的・社会的な地位や給与は、男性の7~8割掛けかなということ。民間企業の平均所得でも女性の方が安い。男性にも育休を取らせるべきだというのは理解できますが、所得の低い方が育休を取った方が家計には響かない。こうした不自由や不安は女性が背負ってきました。(上掲記事)

  野田氏は「女性だから私は総理になれなかった」とでも言いたいんだろうが、そんなのはアホの弁解で、単に野田氏が愚劣なだけである。思考能力が相対的に低く、嫉妬心だけが異常に強い、というのが左翼女子の特徴だ。何が恥ずかしいのかも分からぬ女性は、自分の無能さを棚に上げて、「ガラスの天井があるから、女性議員は要職に就けないのよ !」と叫ぶ。老舗旅館や高級料亭を取り仕切る女将や、作曲能力を持つ歌手、売れっ子の漫画家なら、こんな事は口にしないだろう。なぜなら、彼女達は実力で自らの地位を築き、現実社会の厳しさを知っているからだ。能無しの女子社員ほど、仔犬みたいにキャンキャク吠える。幼稚園なら保母さんに甘えれられるけど、成人に達した大人が「小学生の言い訳」を口にするなんて湯避けない。だいたい、会社の給料や方針に不満で、出世ができないと愚痴をこぼすなら、さっさと会社を辞めて、屋台のラーメン店を開業したり、自宅の台所を使ったパン屋を始めればいいじゃないか。独立した自営業者になれば、即座に社長だし、努力次第で高額収入も可能である。

我々が考慮すべき成長産業

  ボンクラ議員に何を言っても始まらないが、一応、彼らも日本の景気低迷や悲惨な経済状況に目を向けているので、ジャーナリストから「あなたの経済対策は?」と訊かれれば、何らかの具体策を答えねばならない。野田氏も総裁選の討論会で尋ねられたそうだが、その目玉政策というのが女性関連の産業なんだから天を仰ぎたくなる。最先端の科学技術とか、基礎科学教育の充実なら分かるけど、女性の健康診断や生理用品の開発じゃ、一般国民だって頭が痛くなるだろう。野田氏は言う。

  私はフェムテック議連以外に、乳がんや子宮頸(けい)がんの検診促進議員連盟にも関わっています。男性にはない検査項目のため、これらの健康診断はオプションになっています。世の中には女性の気が付かないうちに、長年当たり前化していることがあります。消費者の半分が女性ということを考えれば、女性がハッピーになるようなものの需要が景気につながる。女性の需要に応えることが日本の経済を変えていくのではないでしょうか。(上掲記事)


  野田氏と違って、高市早苗議員は成長産業分野として「産業用ロボット」を挙げていたから、まだ「まし」と思えた。もし、“まともな頭”を持った議員なら、国防予算の増大や軍産複合体の促進くらい言えるはずだ。事実、歐米諸国は国防を「当然」と思っているし、ハイテク産業は軍隊と民間に多大な利益をもたらすと分かっている。例えば、米国には「DARPA(Defense Advanced Reasrch Projects Agency / 国防先端研究事業局)という機関があって、様々な科学技術を研究し、国力増大に役立っている。敗戦後の日本は軍事研究や兵器産業を禁止されたから、戦闘機や爆撃機、原潜、生物・化学・核兵器などの開発分野で後れを取っており、歐米に追いつけないほど悲惨な状態にあるのだ。

  ここでは詳しく述べる事はしないが、先進国しかできない空軍力の開発は国力を測る一つの指標である。今では信じられないけど、第一次世界大戦の前、つまり明治の末から大正初期(航空産業の黎明期)における各国の航空関連予算を見ると、「えぇぇ〜、そんなぁ〜」と驚いてしまう。1908年から1913年における各国政府がどれくらいの予算をつけたのかを調べてみると意外な事が判る。

   国名                    予算額(1913年における米ドルの貨幣価値)

   ドイツ                      $ 28,000,000
   フランス $ 22,000,000
   ロシア $ 12,000,000
   イタリア $ 8,000,000
   オーストリア $ 5,000,000
   イングランド $ 3,000,000
   ベルギー $ 3,000,000
   日本 $ 1,500,000
   チリ $ 700,000
   ギリシア $ 660,000
   ブルガリア $ 600,000
   スペイン $ 550,000
   ブラジル $ 500,000
   アメリカ合衆国 $ 435,000
   デンマーク $ 300,000
(引用 / Tom D. Crouch, Wings : A History of Aviation from Kites to the Space Age, New York : Norton, 2003, pp134-135.)

  世界最強の空軍を誇るアメリカが、大正時代には日本よりも少ない予算だったなんて信じられないが、歐洲の戦争に巻き込まれたくないと考えていたアメリカ人だから、軍事予算の増額に不熱心でもおかしくはない。ところが、アメリカ人は一旦その精神に火が付くと火山のように爆発するから、官民挙げての軍事技術の開発となる。

  野田聖子のような低脳人間にあれこれ言っても仕方ないが、この議員には女性関連の課題しか頭にない。世間に対してアピールできるのは、自分の体験を語ることや、社会に充満する嫉妬心を煽ることのみである。野田氏は「内閣の半分を女性議員にせよ !」と息巻いているが、こんな議員を目にすれば、ちょっと頭のいい日本人は「こんな発想しかないのかぁ〜」と呆れてしまうだろう。嗤(わら)ったら気の毒だけど、野田氏のオツムには「国家の経綸」という言葉は一切無い。インタヴューに答えて曰く、


  女がつらいって思ったことはありませんが、面倒くさいっていつも思っていました。式典の会場でもトイレは少ないし、酔っ払った有権者にパンツ見せろと言われたこともありました。そんなセクハラもあったけれど、今の私は「NO」と言えます。女性が抱える多くの生きづらさ、面倒くささを、男性と同じ気楽さにするのが私の仕事。自分で自分の身を守る選択肢を女性のために増やしていくことが、第二の人生かなと思っています。

  国家の命運を任された議員なのに、政治に関する取材を受けたら、「パンツを見せろ、というセクハラを受けました !」という下らない体験談の羅列なんだから、アホとしか言い様がない。どこの社会にもスケベ爺はいるもので、それを一々政治家が気にしていたら、国会の運営なんか出来やしないだろう。他に重要な課題は無いのか? こうした不満を述べても時間の無駄と解っているが、無能な議員を見せつけられると無性に腹が立つ。だいたい、野田氏が再選されるのは、小選挙区制度のお陰である。2017年の衆院選で岐阜1区に立ったのは、野田氏を除けば、無所属になった元民主党の吉田里江と共産党系の候補者くらい。これじゃあ、良識的な岐阜県民は落胆し、嫌々ながらでも野田氏に投票するしかないだろう。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68872899.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1703.html

[近代史6] モイセイ・ヴァインベルク(Moisey Samuilovich Vainberg 1919 - 1996)
モイセイ・ヴァインベルク(Moisey Samuilovich Vainberg、苗字はWeinbergとも表記 1919 - 1996)

ショスタコーヴィチから高く評価されていた作曲家。何曲か聴いた限りでは、職人的な音作りの総合的な出来の良さや繰り返し鑑賞することに耐えるようなバランスではショスタコーヴィチに一歩譲るものの、鬼気迫る心を強くえぐり取る感じは、同等以上といってもよいくらいだった。


交響曲

交響曲第1番 作品10 (1942)

交響曲第2番 弦楽合奏のための 作品30 (1946)

シンフォニエッタ第1番 作品41 (1948)

交響曲第3番 作品45 (1949、1959改訂)

交響曲第4番イ短調 作品61 (1957、1961改訂)

シンフォニエッタ第2番 作品70 (1960)

シンフォニエッタ第2番 イ短調 弦楽とティンパニのための 作品74 (1960)

交響曲第5番 ヘ短調 作品76 (1962)
3.5点
デモーニッシュに音を鋭角的にカオスのように盛り上がって行く1楽章の迫力はなかなかである。ダンス的になったり、様々に変化する展開の面白さがよい。ショスタコーヴィッチによく似ているのは多くの人が感じるだろうが、意外性が高くて予想できず、世界の外から突発的に新しい要素が現れる感じがよい。2楽章のアダージョは2声部を基本とする不安さの表現で、最初は雰囲気に既視感を感じるが、行き場のない音の徘徊により精神の深奥に潜っていく感じになって、かなり没入できた。3楽章はショスタコーヴィッチの交響曲5番の4楽章にかなり近い。スピードと切迫感のある楽章。その後に、4楽章で力を溜めたまま推移する楽章を入れるのがヴァインベルクらしさだろう。不思議な均衡を崩さずにじわじわと時間をかけていつのまにか盛り上げて、圧倒的なテンションに持って行っている。分かりやすくない玄人的な音楽で個人的にはセンスの良さに感心した。

交響曲第6番 少年合唱と管弦楽のための 作品79 (1963)
3.5点
1楽章は、ショスタコーヴィッチ風の深く不安な深夜を遠くの光を頼りに徘徊するかのような音楽。昔の数10万人の街の中心部という感じの世界の大きさを感じる。刺激を定期的に感じられるため12分を長く感じない。2楽章は少年合唱入りで、独特の節回しで不思議感や浮遊感を見せてとてもよい。3楽章はファンファーレとともに力強く始まる。じわじわと汗が出そうな焦燥感と常に前へ前へと加速度が付いている感じが楽しい。4楽章はラルゴの少年合唱による楽章。息を潜めて不安を語り、現実を告白するかのようだ。5楽章はやや速度を速めるが遅いままの少年合唱で、達観したかのようにしめくくる。現実主義的な嬉しくない終わり方だが、感慨をうける。1回目でストーリーをとても分かりやすく把握できる。

交響曲第7番 ハ長調 弦楽合奏とチェンバロのための 作品81 (1964)

交響曲第8番「ポーランドの花々」 テノールと混声合唱と管弦楽のための 作品83 (1964)

交響曲第9番「永遠の時」 ナレーターと合唱と管弦楽のための 作品93 (1967)

交響曲第10番イ短調 作品98 (1968)

交響曲第11番「祝典交響曲」 合唱と管弦楽のための 作品101 (1969)

交響曲第12番 ショスタコーヴィチの思い出に 作品114 (1976)
2.8点
シリアスで大河的な大きさをもつ曲。声部は多くなく、薄めの音で静寂を常に裏に持ちながらも緊張感を作り上げている。室内楽のような音の重ね方だが、とはいえ交響曲の音の迫力あっての音楽ではある。5番6番の意外性の面白さは消えてしまっているが、鋭角さもあるシリアスさゆえにそれなりに聴かせるものがある。しかし内容のボリュームと比較して少し長すぎるし、明確に割り切れないまま次の場面に進行していくため、ストーリーもいまいち追えない。

交響曲第13番 作品115(1976)

交響曲第14番 作品117 (1977)
2.5点
十分に深く練って思考して書いた曲という感じがしない。重みがなく即興的で、雰囲気だけの音楽と思ってしまう。ショスタコーヴィッチの類似性からはだいぶ脱しているが、単に簡素になって面白みが減ってしまっている。意外性や場面転換の複雑さが足らない。個別の部分は悪くないが通して聴いたあとの何も残らない残念さにがっかりである。

交響曲第15番「私はこの地球を信じる」 ソプラノ、バリトン、女性合唱と管弦楽のための 作品119 (1977)

交響曲第16番 作品131 (1981)

交響曲第17番「記憶」 作品137 (1984)

交響曲第18番「戦争、これより惨い言葉はない」 合唱と管弦楽のための 作品138(1986)
2.5点
1楽章は前奏であり、不安げな気分を盛り上げていく。その後からは合唱である。私はまだヴァインベルクの作風の変遷を終えていないでのだが、作品として簡素になっているうえに、合唱曲の不自由さがマイナスになって、単なるよくある平凡な20世紀の合唱曲に聴こえてしまう。それなりの長さだが、光る部分は少ないと思ったし、若い頃の意外性や展開の突発的な感じがなくて面白くない。戦争の悲しみを交響曲ならではの強靭で圧倒的な創作性で表現していないと思う。

交響曲第19番「輝かしき五月」 作品142 (1986)

室内交響曲第1番 作品145 (1987)

室内交響曲第2番 作品147 (1987)

室内交響曲第3番 作品151 (1991)

室内交響曲第4番 作品153 (1992)

交響曲「カディッシュ」 作品154 (1992)

管弦楽曲
小管弦楽のための組曲 作品26 (1939-1945)

2つのバレエ組曲 作品40 (1947)


協奏曲
チェロ協奏曲ハ短調 作品43 (1948)

ヴァイオリン協奏曲ト短調 作品67 (1959)

フルートと弦楽のための協奏曲 (フルート協奏曲第1番) 作品75 (1961)

トランペット協奏曲変ロ長調 作品94 (1967)

フルート協奏曲第2番 作品148 (1987)


室内楽曲

弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲第1番 作品2 (1937)

弦楽四重奏曲第2番 作品3 (1940)

弦楽四重奏曲第3番 作品14 (1944)

弦楽四重奏曲第4番 作品20 (1945)

弦楽四重奏曲第5番 作品27 (1945)

弦楽四重奏曲第6番 作品35 (1946)

弦楽四重奏曲第7番 作品59 (1957)

弦楽四重奏曲第8番 作品66 (1959)

弦楽四重奏曲第9番 作品80 (1963)

弦楽四重奏曲第10番 作品85 (1964)

弦楽四重奏曲第11番 作品89 (1966)

弦楽四重奏曲第12番 作品103 (1970)

弦楽四重奏曲第13番 作品118 (1977)

弦楽四重奏曲第14番 作品122 (1978)

弦楽四重奏曲第15番 作品124 (1979)

弦楽四重奏曲第16番 作品130 (1981)

弦楽四重奏曲第17番 作品146 (1987)

ヴァイオリンソナタ
ヴァイオリンソナタ第1番 作品12 (1943)

ヴァイオリンソナタ第2番 作品15 (1944)

ヴァイオリンソナタ第3番 作品37 (1947)

ヴァイオリンソナタ第4番 作品39 (1947)

ヴァイオリンソナタ第5番 作品53 (1953)

2つのヴァイオリンのためのソナタ 作品69 (1959)

その他の室内楽曲
ピアノ五重奏曲 作品18 (1944)

チェロソナタ第1番 ハ長調 作品21 (1945)

クラリネットソナタ 作品28 (1945)

チェロソナタ第2番 ハ長調 作品63 (1959)

ピアノ三重奏曲 作品24 (1945)

弦楽三重奏曲 作品48 (1950)

ピアノ・ソナタ
ピアノソナタ第1番 作品5 (1953)

ピアノソナタ第2番 作品8 (1942)

ピアノソナタ第3番 作品31 (1946)

ピアノソナタ第4番ロ短調 作品56 (1955)

ピアノソナタ第5番 作品58 (1956)

ピアノソナタ第6番 作品73 (1960)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


ミェチスワフ・ヴァインベルク(ポーランド語: Mieczysław Wajnberg)またはモイセイ・サムイロヴィチ・ヴァインベルク (露: Моисей Самуилович Вайнберг ラテン文字転写例 : Moisey Samuilovich Vainberg、または Weinberg とも、 1919年12月8日 - 1996年2月26日)は、ポーランド出身で、主にソビエト連邦・ロシアで活動した作曲家。

経歴
ポーランドの首都ワルシャワのユダヤ人の家庭にミェチスワフ・ヴァインベルク (Mieczysław Wajnberg) として生まれる。ワルシャワ音楽院で学ぶが、1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻のため、ソヴィエト連邦に亡命。名前をロシア風にモイセイ・ヴァインベルクと改める。ソ連ではドミートリイ・ショスタコーヴィチと親交を結ぶ。しかしスターリンの反ユダヤキャンペーンで1953年に逮捕されるなど、苦難の生涯であった。

生涯
1919年にワルシャワでユダヤ人の家族に生まれた。父のシュミイル Shmil(またはシュミエル Shmuel)はワルシャワのイディッシュ劇場でヴァイオリン奏者や指揮者を務めていた。家族は元々ベッサラビア出身で、反ユダヤ主義による暴力行為の犠牲者であった(1903年にキシナウで起こったポグロム(大虐殺)で曽祖父も祖父も殺されている)。12歳の時、ワルシャワ音楽院でピアノを学び、1939年に卒業する。第二次世界大戦が勃発するとソビエトに亡命(親と妹はワルシャワに残り、トラヴニキ強制収容所en:Trawniki concentration campで命を落とした)。ミンスクで過ごし、初めて作曲を学ぶ。その後、タシュケントに移りオペラを書いた。そして、俳優ソロモン・ミホエリスの娘と結婚した。

1943年、ショスタコーヴィチに請われてモスクワに移る。ショスタコーヴィチはヴァインベルクの才能に感心し、親交を深めた。当時まだ若かったヴァインベルクはショスタコーヴィチに多大な影響を受け、後に「生まれ変わったようであった」と語っている。

ミホエリスは1948年にスターリンの戦後の反ユダヤ主義運動の一環として殺される。ヴァインベルクのいくつかの作品は1948年のジダーノフ批判で禁止になり、映画音楽やサーカス音楽の作曲で生計を立てざるを得なくなった。ヴァインベルクは1953年2月に逮捕される。ショスタコーヴィチはラヴレンティ・ベリヤにヴァインベルクの為に仲裁するようにと手紙を書き、またヴァインベルクの妻も逮捕された場合、彼の娘の面倒を見るよう頼んだ。結局のところ、ヴァインベルクは翌月のスターリンの死に救われ、それから間もなく公式に名誉回復がなされた。

その後は作曲とピアノ演奏をしながらモスクワに住み続ける。ショスタコーヴィチとは家が近く、毎日作曲のアイディアを分かち合っていた。ヴァインベルクの作品は、ショスタコーヴィチがしばしば称賛しただけでなく、エミール・ギレリス、レオニード・コーガン、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、クルト・ザンデルリングなどのロシア随一の演奏家にも取り上げられた。

晩年、ヴァインベルクはクローン病にかかり寝たきりの状態になったが、作曲を続けた。1996年1月3日に正教会に改宗し、その直後の2月26日に死去した。

作品

主な作品には、20曲の交響曲(番号付き交響曲19曲+第19番の後に書かれた番号のない交響曲「カディッシュ」)、他の管弦楽曲(室内交響曲4曲とシンフォニエッタ2曲を含む)、17の弦楽四重奏曲、8つのヴァイオリンソナタ(3つはソロ、5つはピアノを含む)、チェロの為の24の前奏曲、6つのチェロソナタ(4つはソロ、2つはピアノを含む)、6つのピアノソナタ、他の器楽曲、そして多くの映画音楽がある。7つのオペラを書き、そのうち「パサジェルカ Passazhirka」(1967-68年)はその中で最も重要な作品とされている。ピアノ五重奏曲やピアノ三重奏曲およびチェロ曲は、最近ではヨーロッパからアメリカのコンサートや音楽祭で演奏されるようになった。イギリスのレコード会社オリンピア・レーベルは15以上のCDを発売している。その音源は、メロディア・レーベルのLP及び、世界初演をモスクワ放送がライヴ収録した録音からのリマスタリングと、オリンピア社の独自録音の両方が混じっている。

ヴァインベルクは、しばしば標題的要素の強い音楽を作曲した。生涯を通じて、ワルシャワ時代の人間形成期や、青年期に終止符を打った戦争を思い返すことが常であった。彼の番号付き交響曲の最後の3曲(第17番「記憶」、第18番「戦争、これより惨い言葉はない」、第19番「輝かしき五月」)は、アンナ・アフマートヴァの詩に基づいた「戦争三部作」となっている。このような暗黒的要素は、カタルシスを経て平和を発見する背景として用いられていることもある。ただし全ての作品が平和に到達して終わるわけではなく、表向きの平和の裏に不安や疑念、皮肉のような複雑な表情を漂わせるものも多い。こうした調和への憧れは、ヴァインベルクの音楽様式においても表れており、リュドミラ・ニキーティナはヴァインベルクの作品について、「新古典主義的でいかにも合理主義者らしい明晰さと均斉感」と強調した。

ヴァインベルクはショスタコーヴィチに正式には学ばなかったが、影響を受けていたのは明らかである。それを裏付ける根拠の一つが、「交響曲第5番」終結部におけるチェレスタのピアニッシモである。これはショスタコーヴィチの「交響曲第4番」からの影響であることは明白であり、その初演(前衛的な作風のため長らく初演が見送られてきた)とヴァインベルクの5番の作曲時期は重なっている。「ピアノ・ソナタ第6番」では、ショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」の1作が引用されている。音楽語法の面でより全般的な類似点は、旋律の引き伸ばし、主題の反復、極端な音域などの利用である。このような点は、ヴァインベルクに対する主な批判のひとつとなっている。アレクサンドル・イワシュキンは、ヴァインベルクのような作曲家たちが自分の名声だけでなく、ショスタコーヴィチの名声までを傷つけているとして、次のように述べている。「これらの作品はショスタコーヴィチの音楽を台無しにするだけでなく、数え切れないほどの悪質な亜流の“かさぶた”でもってショスタコーヴィチの音楽を覆い隠してしまう」。

しかしヴァインベルクが影響を受けたのはショスタコーヴィチだけではなかった。プロコフィエフ、ミャスコフスキー、バルトーク、マーラーからも影響を受けていたことがニキーティナによって確認された。一方でトランペット協奏曲は、メンデルスゾーンの有名な「結婚行進曲」が引用されている。当然のようにユダヤの民族音楽がくっきりと目立つが、同時にモルダビア、ポーランド、アルメニアなど、その他の民族的な要素も見つけることができる。ショスタコーヴィチはヴァインベルクと出会ってから、クレズマーの主題に対する興味を増していったが、一部の評論家は、その興味の発端がヴァインベルクであったと見なしている。

歌劇
7曲のオペラを作曲している。

パサジェルカ(英語版)(Passazhirka、1967-68年) - 2006年にモスクワで演奏会形式で初演。オペラとしての初演は2010年7月、オーストリア・ブレゲンツ祝祭劇場で行われた。
マドンナと兵士(英語版) (1967-68)
アルタニャンの愛(英語版)(1971)
おめでとう!(英語版)(1975)
レディ・マグネシア(英語版)(1975)
肖像画(英語版)(1980)
白痴(英語版)(1985)- ドストエフスキーの同名小説に基づく。


交響曲
交響曲第1番 作品10 (1942)
交響曲第2番 弦楽合奏のための 作品30 (1946)
シンフォニエッタ第1番 作品41 (1948)
交響曲第3番 作品45 (1949、1959改訂)
交響曲第4番イ短調 作品61 (1957、1961改訂)
シンフォニエッタ第2番 作品70 (1960)
シンフォニエッタ第2番 イ短調 弦楽とティンパニのための 作品74 (1960)
交響曲第5番 ヘ短調 作品76 (1962)
交響曲第6番 少年合唱と管弦楽のための 作品79 (1963)
交響曲第7番 ハ長調 弦楽合奏とチェンバロのための 作品81 (1964)
交響曲第8番「ポーランドの花々」 テノールと混声合唱と管弦楽のための 作品83 (1964)
交響曲第9番「永遠の時」 ナレーターと合唱と管弦楽のための 作品93 (1967)
交響曲第10番イ短調 作品98 (1968)
交響曲第11番「祝典交響曲」 合唱と管弦楽のための 作品101 (1969)
交響曲第12番 ショスタコーヴィチの思い出に 作品114 (1976)
交響曲第13番 作品115(1976)
交響曲第14番 作品117 (1977)
交響曲第15番「私はこの地球を信じる」 ソプラノ、バリトン、女声合唱と管弦楽のための 作品119 (1977)
交響曲第16番 作品131 (1981)
交響曲第17番「記憶」 作品137 (1984)
交響曲第18番「戦争、これより惨い言葉はない」 合唱と管弦楽のための 作品138(1986)
交響曲第19番「輝かしき五月」 作品142 (1986)
室内交響曲第1番 作品145 (1987)
室内交響曲第2番 作品147 (1987)
交響曲第20番 作品150 (1988)
室内交響曲第3番 作品151 (1991)
交響曲第21番「カディッシュ」 作品152 (1991)
室内交響曲第4番 作品153 (1992)
交響曲第22番 作品154 (1996 未完)

管弦楽曲
小管弦楽のための組曲 作品26 (1939-1945)
2つのバレエ組曲 作品40 (1947)
交響詩『平和の旗』 作品143 (1986)

協奏曲
チェロ協奏曲ハ短調 作品43 (1948)
ヴァイオリン協奏曲ト短調 作品67 (1959)
フルートと弦楽のための協奏曲 (フルート協奏曲第1番) 作品75 (1961)
トランペット協奏曲変ロ長調 作品94 (1967)
フルート協奏曲第2番 作品148 (1987)


室内楽曲

弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲第1番 作品2 (1937)
弦楽四重奏曲第2番 作品3 (1940)
弦楽四重奏曲第3番 作品14 (1944)
弦楽四重奏曲第4番 作品20 (1945)
弦楽四重奏曲第5番 作品27 (1945)
弦楽四重奏曲第6番 作品35 (1946)
弦楽四重奏曲第7番 作品59 (1957)
弦楽四重奏曲第8番 作品66 (1959)
弦楽四重奏曲第9番 作品80 (1963)
弦楽四重奏曲第10番 作品85 (1964)
弦楽四重奏曲第11番 作品89 (1966)
弦楽四重奏曲第12番 作品103 (1970)
弦楽四重奏曲第13番 作品118 (1977)
弦楽四重奏曲第14番 作品122 (1978)
弦楽四重奏曲第15番 作品124 (1979)
弦楽四重奏曲第16番 作品130 (1981)
弦楽四重奏曲第17番 作品146 (1987)

ヴァイオリンソナタ
ヴァイオリンソナタ第1番 作品12 (1943)
ヴァイオリンソナタ第2番 作品15 (1944)
ヴァイオリンソナタ第3番 作品37 (1947)
ヴァイオリンソナタ第4番 作品39 (1947)
ヴァイオリンソナタ第5番 作品53 (1953)
2つのヴァイオリンのためのソナタ 作品69 (1959)

その他の室内楽曲
ピアノ五重奏曲 作品18 (1944)
チェロソナタ第1番 ハ長調 作品21 (1945)
クラリネットソナタ 作品28 (1945)
チェロソナタ第2番 ハ長調 作品63 (1959)
ピアノ三重奏曲 作品24 (1945)
弦楽三重奏曲 作品48 (1950)

器楽曲
無伴奏チェロソナタ第1番 作品72 (1960)
無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 作品82 (1964)
無伴奏チェロソナタ第2番 作品86 (1965)
無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番 作品95 (1967)
無伴奏チェロのための24の前奏曲 作品100 (1968)
無伴奏チェロソナタ第3番 作品106 (1971)
無伴奏ヴィオラソナタ第1番 作品107 (1971)
無伴奏ヴィオラソナタ第2番 作品123 (1978)
無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番 作品126 (1979)
無伴奏バスーンソナタ 作品133
無伴奏ヴィオラソナタ第3番 作品135
無伴奏ヴィオラソナタ第4番 作品136
無伴奏チェロソナタ第4番 作品140 (1986)

ピアノ・ソナタ
ピアノソナタ第1番 作品5 (1953)
ピアノソナタ第2番 作品8 (1942)
ピアノソナタ第3番 作品31 (1946)
ピアノソナタ第4番ロ短調 作品56 (1955)
ピアノソナタ第5番 作品58 (1956)
ピアノソナタ第6番 作品73 (1960)

声楽曲
レクイエム 作品96 (1967)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%A7%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/709.html

[近代史6] モイセイ・ヴァインベルク 交響曲第6番 少年合唱と管弦楽のための 作品79
モイセイ・ヴァインベルク 交響曲第6番 少年合唱と管弦楽のための 作品79


Mieczyslaw Weinberg: Symphony No. 6 Op. 79 (1962-63)



American Symphony Orchestra
Leon Botstein
Choir/coro: ASO Youth Chorus / Coro Juvenil de la ASO.


I. Adagio Sostenuto (0:00)
II. Allegretto (12:49)
III. Allegro molto (18:55)
IV. Largo(25:59)
V. Andantino (34:00)




Mieczysław Weinberg Symphony No 6



Kiril Kondrashin
Moscow School Boys Chorus
Moscow Philharmonic Orchestra

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/710.html

[番外地9] 「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」
旭川の人間には複雑さが完全に欠如している
民度というのは「成熟した複雑な大人」が何人いるかという事です。
教育の目的は子どもたちの成熟を支援することであり、成熟とは複雑化すること

 たしかに教育を語る人の中で「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」というようなことを主張する人はあまりいません。知識が増えるとか、感情が豊かになるとか、コミュニケーションがうまくなるというようなことを「成熟」の指標にとる人は多くいますが、「前より複雑な生き物になった」ことを成熟の徴として言祝ぐというような人はあまり見たことがありません。

「前より複雑な生き物になった」場合、子どもたちはこれまで見たことのない表情を浮かべ、聴いたことのない語彙を用いて語り始め、これまでしたことのないふるまいをするようになるわけですけれど、子どものそういう変化を見て、もろ手を挙げて喜ぶ...という親も教師も、あまりいなさそうです。たしかに、昨日までとは違う人間を相手にすることになるわけですから、当惑することはあっても、喜ぶというリアクションはあまり期待できません。でも、僕は子どもの複雑化を素直に喜ぶことは大人のたいせつな職務の一つだと思います。

 別人になった子どもに向き合う大人より、別人になってしまった子どもの方がずっとたいへんだからです。一番当惑しているのは本人です。「昨日までの自分」のままではいられないというのは、自分の意志では統御できない変化なんです。生物の幼生がそれまでの殻を脱ぎ捨てて、次の段階に変態するようなものです。自分の意志でそうしているわけではありません。そうせずにはいられないのです。でも、複雑化したからと言って、子どもは「昨日より幸福になる」わけでもないし、「昨日より自由になる」わけでもないし、「昨日より強くなる」わけでもありません。長期的に見ればそうなる確率は高まるのですけれども、即席な効果は期待できません。複雑化した子どもはただ「昨日より複雑になる」だけです。
 でも、そういう複雑化プロセスを連続的に繰り返す以外に子どもたちが成熟する道筋はありません。だから、教師も親も、周りの大人たちは決然として子どもの複雑化を支援するという立場を選び取る必要がある。僕はそう考えています。

 どうしてわざわざ「複雑化」なんていうあまり教育現場で使われない言葉を僕が持ち出してきたかというと、複雑化というのは数値的に計測することができないものだからです(まったくできないわけではありませんが)。
 複雑化は計測不能である。それがとても重要なことなんだと思います。
 長さも重さも大きさも、ちゃんとそれを計る「ものさし」があります。でも、複雑化を計る「ものさし」は僕たちの手元にはありません。

 複雑化するときに起きているのは量的な変化ではありません。それは「表情の変化」「手触りの変化」「雰囲気の変化」というようなものです。表情が深くなる、声の厚みが変わる、身動きの分節が変わる。もちろん、変化が生じている以上、精密な計測機器があれば計測可能なんでしょうけれど、僕たちの手元にはそのための「できあいのものさし」がありません。ですから、子どもたちの複雑化を計測しようとしたら、「ものさし」はその場で手作りしなければならない。簡単な仕事ではありません。

「複雑化する子ども」に向き合い、その成熟を支援するというのは、周りの大人たちに集中力と発明の才を要求する、まことに骨の折れるプロセスなんです。
 それでも、僕は子どもたちの成熟の指標として、「複雑化」ということをできれば最優先に掲げたいと思っています。
 あらゆる社会制度について言えることだと思うのですけれど、その制度を利用する人たちの市民的成熟を要求する制度は「よい制度」です。

 例えば、民主制がそうです。
 独裁制なら「賢い独裁者」に丸投げして、市民たちは「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」して、わが身のことだけ考えていればよい。市民が「子ども」でも独裁制は機能する。でも、民主制ではそうはゆきません。「公共の福祉」を配慮して、そのために自分に何ができるかを考える「成熟した市民」が一定数いないと民主制は機能しません。民主制はメンバーに「大人になってくれ」と懇請する制度です。その遂行的な力ゆえに民主制は他のどの制度よりもすぐれていると僕は思っています。

 教育制度も同じです。僕は社会制度をどれも同じ基準で評価します。その制度をきちんと機能させるためには、制度運用者たちの(全員とは言いませんが)一定数が「まともな大人」であることを必要とする制度は、運用者たち全員が「幼児」でも運用できる制度よりもよい制度です。僕はこの基準だけは譲りません。運用者自身に成熟を要求する制度が、子どもたちを成熟させる制度としては最も「できがよい」ものである。僕はそう信じています。

民度というのは「まともな大人」が何人いるかという事です。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/856.html

[番外地9] 「旭川の人間は日本語が読めない」という事実、だから簡単に騙されるんだね
「旭川の人間は日本語が読めない」という事実、だから簡単に騙されるんだね
若者になればなるほど、大部分が長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。長文は避けられる。今は「日本人の3分の1は日本語が読めない」のだが、そのうち日本人の半分は日本語が読めない世界に突入するのではないか?

「日本人の3分の1は日本語が読めない、旭川の人間は全員は日本語が読めない」という事実
昔から文章を読まない人は本当に読まない。私の知り合いの90%は本を読む習慣がないし、長文を読むのを嫌がる。長文は読めるが読みたくないのかと思ったら、そうではなくて「長文が読めない」人も相当数混じっているようだ。

塾講師や大学講師の経験則として「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」という人もいる。

さすがにそれはないだろうと思っていたのだが、最近は作家の橘玲《たちばな・あきら》氏が『無理ゲー社会』の中で、「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実を紹介して、私も大いに驚いたのだった。

「日本人の3分の1は日本語が読めない」という事実は別に橘玲氏が推測で言っているのではなく、経済協力開発機構の国際成人力調査の調査を紹介しているものである。

日経ビジネスもこれを取り上げていて、『日本人の3分の1は日本語が読めない!?  量産されるAI未満人材』の中で、以下のように綴っている。(日経ビジネス:日本人の3分の1は日本語が読めない!? )

日本人の現役世代の27.7%は「日本語読解力の習熟度がレベル2以下」で、例えば「図書館で目録を指示通りに検索し、指定された書名の著者を検索できない可能性」が高い。

高齢者の認知度が下がって日本語が読めないとか、小学校の勉強嫌いの子供が日本語をうまく読めないというのではない。「現役世代」が文章を読めないのだ。


長文はもはや「化石」のような存在になってしまった
今の時代、文学系の書籍は数千部売れたら良いところで、1万部でそこそこヒット、10万部は大ヒット、100万部も売れたら大流行作家である。

しかし、冷静に考えてみて欲しいのだが、日本の人口は1億2000万人である。その中の100万部など全体から見たら「たかが知れている」数字である。テレビの視聴率で言えば1%でしかない。1%の視聴率なら打ち切りレベルである。

出版社は「文字」で稼いでいない。出版社は「マンガ=映像」で稼いでいる。文字を読む人は少ないというのはデータとして出ているので、もともと「文字」に注力するのは不利だった。

その傾向がインターネットとスマートフォンの時代になって拍車がかかっている。

スマートフォンはとても小さなディスプレイである。これが主流なので、小説を読むにしても、「文字びっしり」の小説は敬遠される。そのため、まるでLINEの会話をそのまま写したのではないかと思うようなライトな小説が好まれる。

ニュースサイトでも本文を読む人よりも、見出しだけで判断する人の方が多い。さらに、ネットには文字が満ち溢れているように見えるのだが、すでにインターネットのメインストリームも文字ではなく動画やマンガに移っている。

インターネットは「文字が中心だった世界」の頃はマニアのもので、画像・動画が主流になってからやっと大衆《マス》のものになったと言える。長文はもはや「化石」のような存在になってしまっている。

当然だが、このままでは「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」とか「日本人の3分の1は日本語が読めない」という世界は、もっと悪化していく。そのうち、日本人の半分は日本語が読めないという世界に突入するのではないか?

読解力がなければ仕事で苦労するだろう。理解力がなければ能力も向上しないだろう。仕事では不利な立場に置かれることになり、やがてそれは収入にも反映されていくのだろう。しかし、日本語が読めない人たちが減ることはない。

この時代に相変わらず長文を書く人は一種の伝統工芸の職人
本を読む人口は一定数いる。文章をじっくり読む人が好きな層は、どんなに動画時代に入っても消えることはない。

私自身は子供の頃から典型的な「文字人間」で、私はマンガを読むのが苦手だし、テレビも見ないし、映画も見るときは何か義務感のようなものを感じて「娯楽として楽しむ」という姿勢になれない。

やはり文字が読みたいのである。それも、きちんとした文章が読みたい。

しかし、私のように「本を読むのが好きだ」というのは、狭い世界の「変わった趣味」になっており、決して世の中のメインストリームではない。テレビやYouTubeのような動画は世間に広く受け入れられるが長文は避けられる。

若者になればなるほど、大部分は長文を避ける。長文を好む若者もいると思うが、それは世間を俯瞰して見ればとても少数派である。

長文は明確に避けられる。そして、長文が避けられ続けることによって、「長文が読めない」人が普通になっていき、長文が読める人の方がむしろ珍しくなっていく。

長文が読めないのだから、当然のことながら長文を書くこともできない。長文で書かれた大事な資料は長文で理解できない人が半分以上になるので、動画に置き換えられて要点が説明される方向に変わっていく。

つまり、長文の読解力が必要な場面になっても、長文が読まれるようになるのではなく、動画で説明される時代になるということだ。

そう考えると、この時代に相変わらず長文を書く人は一種の伝統工芸の職人で、それを読むことができるのは特殊技能を持った人という扱いになっていくのではないかとも思っている。

今後、「超」高度情報化社会に入るのに長文がどんどん避けられるのだから、私から見ると何か割り切れないものもある。しかし、超高度情報化社会の主役は動画になるというのは避けられない動きであり、時代が文字に戻ることはないだろう。  
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/857.html

[番外地9] 深刻な副作用が報告されているCOVID-19ワクチンに癌を誘発する疑い
深刻な副作用が報告されているCOVID-19ワクチンに癌を誘発する疑い
 昨年12月頃から接種が始まった「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」が深刻な副作用を引き起こし、少なからぬ人が死亡していると報告されているが、ここにきて​「ワクチン」接種者の間で癌が増えている​と指摘されるようになってきた。

 病理学者のライアン・コールによると、接種者にさまざまな自己免疫系の病気が増えているほか、子宮内膜の癌が例年の20倍程度見つかっているとしている。「COVID-19ワクチン」をワクチンと呼べるのかどうか明確でないが、本来のワクチンも癌を引き起こしていると告発されている。

 例えばポリオ・ワクチンの場合、バーニス・エディという研究者はワクチンの中に発癌性のSV(シミアン・ウイルス)40が混入していると指摘している。これはサルを宿主とするポリオーマウイルスで、人間の体内に入り込むと癌を誘発するという。

 ジョン・F・ケネディ大統領の甥に当たるロバート・ケネディ・ジュニアによると、1996年の時点で血液サンプルの23%、精子サンプルの45%からSV40が発見され、80年から95年にかけて生まれた新生児の6%が感染していたという。(Judy Mikovits & Kent Heckenlively, “Plague of Corruption,” Skyhorse, 2020)

 アメリカでは1970年代の終盤から皮膚癌、リンパ腫、前立腺癌、乳癌が増え始め、1980年代の半ばから増加の割合が高くなる。この傾向は1987年まで続くのだが、その原因は1950年代にアメリカで使われたポリオ・ワクチンにあると推測する学者もいる。

 ポリオ・ワクチンは1950年代にジョナス・ソークが開発した当時から問題になっていた。そのワクチンを投与したサルがポリオを発症することにエディは気づいて警告するが、無視されて多くの被害者が出ることになった。

 この告発をした当時、エディはアメリカのNIH(国立衛生研究所)で研究していたが、その発言にNIHの上司は激怒、警告は封印され、医薬品メーカーはワクチンの製造を続けることができた。製造が止まるのは1961年7月。ちなみにNIHはNIAID(国立アレルギー感染症研究所)の上部機関だ。

 しかし、リコールが宣言されてもNIHは市場へ出回っている製品全てを回収することを命じなかった。そこでアメリカ人はそのワクチンを1961年から63年にかけて接種されることになる。

 最近ではレトロウイルスのXMRVが問題になっている。癌だけでなくアルツハイマー病や自閉症の原因になるという疑いも持たれているが、そうした情報を封印しようとする強い力が存在する。

 アルバート・サビンが開発した「安全なワクチン」の場合、製造に使われた猿の腎臓には人間を癌にするウイルスが存在、ワクチンに癌を誘発するウイルスが混入することになったとも言われている。

 猿の腎臓にエイズの原因になる病原体が含まれていたとする説も存在する。アメリカでエイズが社会的問題になるのは1980年代に入って間もない頃だが、そうした中、1984年に免疫学者のアンソニー・ファウチがNIAIDの所長に就任した。その時の部下のひとりがHIVで有名になったロバート・ギャロ。

 HIVの出現を予告したと思えるような発言が1969年にあった。伝染病からの感染を防ぐための免疫や治療のプロセスが対応困難な病原体が5年から10年の間、つまり1974年から79年の間に出現すると1969年6月に国防総省国防研究技術局のドナルド・マッカーサー副局長が議会で語っている。HIVの存在が公的に認められたのは1981年のことだ。

 ところで、「COVID-19ワクチン」が接種されるようになる前からADE(抗体依存性感染増強)を懸念する声が専門家の間から聞こえてきたが、接種が始まってから帯状疱疹や⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)が増えると指摘され始め、今年の4月頃から「ワクチン」接種で先行したイスラエルで心筋に炎症を引き起こす若者が目立つと報告されるようになった。この「ワクチン」が人類にとって危険であることは間違いないだろう。

 COVID-19だけでなく、リスクの高い「COVID-19ワクチン」について議論されることは当然だが、​そうした議論をユーチューブは封印すると宣言​した。「ワクチン」推進派が望まない情報を削除するというのだが、それだけ彼らが追い詰められているということだろう。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/858.html

[リバイバル3] 放射能障害と癌は昆布ダシの味噌汁を飲んで予防しよう 中川隆
4. 中川隆[-16175] koaQ7Jey 2021年10月01日 18:31:51 : 6DGngjR4dk : UklneHhXZG5yNEE=[13]
【ゆっくり解説】衝撃!健康に減塩みそはいらない!?食塩の代わりに入っているものとは・・・
2021/10/01




普通の人に減塩みそが必要なのか?を解説しています。塩の代わりに入っている成分とは

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/763.html#c4
[近代史3] 1000円/kg 以下の安物の味噌は買ってはいけない 中川隆
10. 中川隆[-16174] koaQ7Jey 2021年10月01日 18:32:08 : 6DGngjR4dk : UklneHhXZG5yNEE=[14]
【ゆっくり解説】衝撃!健康に減塩みそはいらない!?食塩の代わりに入っているものとは・・・
2021/10/01




普通の人に減塩みそが必要なのか?を解説しています。塩の代わりに入っている成分とは

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/336.html#c10
[近代史4] 清水崇 輪廻(東宝 2005年)
清水崇 輪廻(東宝 2005年)




監督:清水崇
脚本:清水崇・安達正軌
音楽:川井憲次
主題歌:扇愛奈『輪廻』
配給 東宝
公開 2005年10月27日(TIFF)


『輪廻』(りんね)は、清水崇監督、優香主演による日本のホラー映画。およびそれを原作としたノベライズ小説。


小説:「輪廻」大石圭(角川ホラー文庫)


Jホラーシアター第2弾として製作され、2005年東京国際映画祭特別招待作品となった。2006年1月7日より全国東宝系にて公開された。PG-12。キャッチ・コピーは「ようこそ、前世へ。」



あらすじ
昭和45年、群馬県粕川郡の尾野観光ホテルで無差別大量殺人事件が発生した。犯人は大学の法医学教授・大森。被害者は大森の幼い娘と息子を含む11人。犯人の大森は犯行直後に自殺したため、動機はまったく不明であった。


それから35年後の現代。この事件の映画化に執念を燃やす映画監督・松村がいた。


オーディションでこの映画の主役に大抜擢されたのは新人女優・渚だった。だが彼女は、見知らぬ少女の幻覚と赤い屋根のホテル[2]の夢につきまとわれるようになる。


やがて、映画のリハーサルがスタートし、怪現象は周囲の人物を巻き込んでエスカレートしていく。そして撮影が佳境に入り、過去のホテルに追い詰められた渚は、あの事件の衝撃的な真実を知ることになる。


キャスト


杉浦渚:優香(主人公。新人女優で、松村郁夫が監督を務める「記憶」という映画で主役に抜擢される。しかしその後不可解な出来事に悩まされる)


松村郁夫:椎名桔平(映画監督)


村川忠司:杉本哲太(渚のマネージャー)


山中:小市慢太郎(プロデューサー)


木下弥生:香里奈(女子大生、和也の恋人。自分が見た夢を不思議に思い調べていくうちに事件を知り真相を調べる)
尾西和也:小栗旬(弥生の恋人)
森田由香:松本まりか(女優の卵。前世は首を絞められ殺されたと言っている)
大森千里:佐々木麻緒(大森教授の娘。人形を抱きかかえたまま渚につきまとう謎の少女。父親が最後に客室の押入れの中で殺した)
大森優也:伊藤大翔(大森教授の息子。妹の千里同様、恨みを持っている)
大森範久:治田敦(大学教授。大量殺人犯)
大森歩美:三條美紀/望月美緑(大森教授の妻。夫が引き起こした事件で唯一生き残った)
須藤貴子:藤貴子(客室係)
高田直人:野村信次(尾野観光ホテルオーナー)
猪俣悠太:潮見勇輝(フロント係)
新谷薫:和泉今日子(清掃係)
小澤淳史:古谷泰時(配膳係)
奥野雅:原田文明(宿泊客)
奥野なお:西美子(宿泊客)
速水太一:石丸ひろし(宿泊客)
竹内洋子:戸田佳世子(宿泊客)
落合拓馬:相ヶ瀬龍史
映写技師:諏訪太朗
ラジオDJ:七尾藍佳
川島教授:黒沢清
眞島秀和、蟷螂襲、佐藤貢三、正木佐和、久保貫太郎、増本庄一郎、吉満涼太 ほか



ロケ協力:くまもとフィルムコミッション、福岡フィルムコミッション、八女市役所商工観光課 ほか


ロケ地に使われたホテルは既に閉館した熊本県阿蘇郡長陽村(現:南阿蘇村)の阿蘇観光ホテル(2000年2月に廃業)である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1704.html

[近代史4] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
12. 中川隆[-16171] koaQ7Jey 2021年10月02日 05:56:31 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[1]
 『複雑化の教育論』まえがき
2021-09-30
http://blog.tatsuru.com/2021/09/30_1548.html

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 本書は2020年の夏から2021年の3月まで3回にわたって行った教育についての
講演を書籍化したものです。
 もともとは日本各地に赴いて、現地の学校の先生たちを前にして、僕が講演してから、フロアの先生方と対話をするという旅もの企画でしたが、ご承知の通りに、感染症拡大のために対面での講演が難しくなり、ツァー計画は放棄せざるを得なくなりました。代わりに神戸の凱風館(僕が主宰している道場・学塾)で行うことになりました。10人から15人ほどの聴衆においで頂き、その方たちの前で僕が2時間ほど話をして、それから質疑応答をするというやり方です。とりあえず、「人前で話す」というかたちは整えることができました。聴講者の募集・会場の設営・録音・文字起こしなどは東洋館出版社の刑部愛香さんに仕切って頂きました。お骨折りに感謝いたします。
「複雑化の教育論」というタイトルも刑部さんの提案です。どこかで僕が「教育の目的は子どもたちの成熟を支援することであり、成熟とは複雑化することだ」と話したのを聴いてくださって、「複雑化」という語が印象に残ったようです。
 まえがきとして、そのタイトルの意味について少しだけ思うところを書いておきたいと思います。

 たしかに教育を語る人の中で「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」というようなことを主張する人はあまりいません。知識が増えるとか、感情が豊かになるとか、コミュニケーションがうまくなるというようなことを「成熟」の指標にとる人は多くいますが、「前より複雑な生き物になった」ことを成熟の徴として言祝ぐというような人はあまり見たことがありません。
「前より複雑な生き物になった」場合、子どもたちはこれまで見たことのない表情を浮かべ、聴いたことのない語彙を用いて語り始め、これまでしたことのないふるまいをするようになるわけですけれど、子どものそういう変化を見て、もろ手を挙げて喜ぶ...という親も教師も、あまりいなさそうです。たしかに、昨日までとは違う人間を相手にすることになるわけですから、当惑することはあっても、喜ぶというリアクションはあまり期待できません。でも、僕は子どもの複雑化を素直に喜ぶことは大人のたいせつな職務の一つだと思います。
 別人になった子どもに向き合う大人より、別人になってしまった子どもの方がずっとたいへんだからです。一番当惑しているのは本人です。「昨日までの自分」のままではいられないというのは、自分の意志では統御できない変化なんです。生物の幼生がそれまでの殻を脱ぎ捨てて、次の段階に変態するようなものです。自分の意志でそうしているわけではありません。そうせずにはいられないのです。でも、複雑化したからと言って、子どもは「昨日より幸福になる」わけでもないし、「昨日より自由になる」わけでもないし、「昨日より強くなる」わけでもありません。長期的に見ればそうなる確率は高まるのですけれども、即席な効果は期待できません。複雑化した子どもはただ「昨日より複雑になる」だけです。
 でも、そういう複雑化プロセスを連続的に繰り返す以外に子どもたちが成熟する道筋はありません。だから、教師も親も、周りの大人たちは決然として子どもの複雑化を支援するという立場を選び取る必要がある。僕はそう考えています。

 どうしてわざわざ「複雑化」なんていうあまり教育現場で使われない言葉を僕が持ち出してきたかというと、複雑化というのは数値的に計測することができないものだからです(まったくできないわけではありませんが)。
 複雑化は計測不能である。それがとても重要なことなんだと思います。
 長さも重さも大きさも、ちゃんとそれを計る「ものさし」があります。でも、複雑化を計る「ものさし」は僕たちの手元にはありません。
 複雑化するときに起きているのは量的な変化ではありません。それは「表情の変化」「手触りの変化」「雰囲気の変化」というようなものです。表情が深くなる、声の厚みが変わる、身動きの分節が変わる。もちろん、変化が生じている以上、精密な計測機器があれば計測可能なんでしょうけれど、僕たちの手元にはそのための「できあいのものさし」がありません。ですから、子どもたちの複雑化を計測しようとしたら、「ものさし」はその場で手作りしなければならない。簡単な仕事ではありません。
「複雑化する子ども」に向き合い、その成熟を支援するというのは、周りの大人たちに集中力と発明の才を要求する、まことに骨の折れるプロセスなんです。
 それでも、僕は子どもたちの成熟の指標として、「複雑化」ということをできれば最優先に掲げたいと思っています。
 あらゆる社会制度について言えることだと思うのですけれど、その制度を利用する人たちの市民的成熟を要求する制度は「よい制度」です。
 例えば、民主制がそうです。
 独裁制なら「賢い独裁者」に丸投げして、市民たちは「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」して、わが身のことだけ考えていればよい。市民が「子ども」でも独裁制は機能する。でも、民主制ではそうはゆきません。「公共の福祉」を配慮して、そのために自分に何ができるかを考える「成熟した市民」が一定数いないと民主制は機能しません。民主制はメンバーに「大人になってくれ」と懇請する制度です。その遂行的な力ゆえに民主制は他のどの制度よりもすぐれていると僕は思っています。
 教育制度も同じです。僕は社会制度をどれも同じ基準で評価します。その制度をきちんと機能させるためには、制度運用者たちの(全員とは言いませんが)一定数が「まともな大人」であることを必要とする制度は、運用者たち全員が「幼児」でも運用できる制度よりもよい制度です。僕はこの基準だけは譲りません。運用者自身に成熟を要求する制度が、子どもたちを成熟させる制度としては最も「できがよい」ものである。僕はそう信じています。

 教育にかかわる「一定数のまともな大人」の頭数をひとりでも増やしたい。それが僕がこの本を書いた最大の動機です。分かりにくい話だということは分かっていますが、本書を最後までお読み下さったら、きっと僕が言いたいことはみなさんにもお分かりいただけると思います。では、また「あとがき」でお会いしましょう。

2021年9月
内田樹
http://blog.tatsuru.com/2021/09/30_1548.html

『複雑化の教育論』まえがき
2021-09-18
http://blog.tatsuru.com/2021/09/18_1557.html

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 『複雑化の教育論』は教育についての講演録です。2020年の夏から2021年の3月まで3回にわたって行った講演を書籍化しました。
 日本各地に赴いて、現地の学校の先生たちを前にして、僕が講演してから、フロアの先生方と対話をするという企画でしたが、コロナ禍のために対面での講演が難しくなり、全国ツァー計画は放棄せざるを得なくなりました。代わりに3回とも神戸の凱風館(僕が主宰している道場・学塾)で行うことになりました。
 10人から15人ほどの聴衆においで頂き、その方たちの前で僕が2時間ほど話をして、それから質疑応答をするというやり方です。少人数ではありましたが、とにかく「人前で話す」というかたちだけは整えることができました。聴講者の募集・会場の設営・録音・文字起こしなどは東洋館出版社の刑部愛香さんに仕切って頂きました。お骨折りに感謝いたします。
「複雑化の教育論」というタイトルも刑部さんの提案です。どこかで僕が「教育の目的は子どもたちの成熟を支援することであり、成熟とは複雑化することだ」と話したのを聴いて、その時の「複雑化」という語が印象に残ったようです。「まえがき」として、そのタイトルの意味についてちょっとだけ書いておきたいと思います。

「子どもたちがより複雑な生き物になることを支援するのが教育の目的だ」というようなことを主張する人はあまりいません。ふつうは知識が増えるとか、感情が豊かになるとか、コミュニケーションがうまくなるというようなことを「成熟」の指標にとります。それでももちろん構わないのですけれども、子どもにおけるほんとうに大きな変化は「昨日より複雑な生き物になった」というかたちで現れると僕は思っています。これまで見たことのない表情を浮かべ、聴いたことのない語彙を用いて語り始め、これまでしたことのないような身動きをするようになる。
 教師や親にしてみると、ちょっとショックです。ですから「当惑する」ということはあっても、「喜ぶ」というリアクションはあまり期待できない。でも、僕はここで大人は喜ばないといけないと思うのです。
 大人たちは当惑しますけれど、それ以上に当惑しているのは本人の方です。なにしろ、「別人」になってしまうんですから。なりたくてなったわけじゃないんです。「複雑化しよう」と自己決定して、自己努力の成果として変わったわけじゃないんです。
 量的な変化なら自己決定・自己努力で達成できます。体重を増やそうとか、声を大きくしようとか、俊敏に動こうというようなことならある程度までは自分で統御できます。でも、「複雑になる」というプロセスは統御できません。単細胞生物が多細胞生物になるようなものだからです。単細胞生物がより複雑な生き物になる時に、あらかじめ「下絵」を書いたり、工程管理をしたりすることができません。だって、多細胞生物がどんなものか知らないんですから。
それと同じです。子どもがより複雑な生き物になるというプロセスがどういうものかは、なってみないと分からない。気がついたら、複雑になっていた。
 それはさまざまな「行(ぎょう)」の構造とよく似ています。宗教的なものであれ、武道的なものであれ、あるいは芸事の修業であれ、「行」というのは「前に進む」ということだけがわかっていて、いつ・どこにたどりつくことになるのかは分かりません。「行」の場合には「先達」がいますので、ただその背中についてゆくです。どこに向かっていて、いま全行程のどの辺まで来たのか、その行程を走破するとどういうことが起きるのか、そういうことを先達は何も教えてくれません。言ってもしょうがないからです。仮に目的地はどこかを言葉で言ってみても、その語は修業者の手持ちの語彙にはないからです。だから、たとえ聴いても意味がわからない。
 武道の修業もそうです。それまで自分の身体にそんな部位があるとは知らなかった部位を操作できるようになり、そんな動きができると思ってもいなかった動きができるようになった後に、これまで自分が稽古してきたことの意味がはじめてわかる。
 行の意味は事後的にしか開示されません。だから事前に「この行の目的はね...」というふうに説明をすることができない。
 子どもが複雑化するプロセスも「行」に少し似ています。子どももまた自分の「先達(メンター)」を無意識のうちに探しています。それは身近にいる具体的な人の場合もあるし、読んだ物語や観た映画に出てきた虚構の人の場合もあるし、あるいは現実や想像の断片を繋ぎ合わせて手作りしたぼんやりした「像」の場合もあります。それが日ごとに入れ替わることもある。でも、とにかく「その人の背中を見ながら前に進む人」がいる。それに導かれて、気がついたら昨日よりも複雑化していた。もう「昨日までの自分」のままではいられない。表情も、声も、身ぶりも、話すことも、興味を抱くものも、全部変わる。どれか一つ変わると全部が変わる。記号体系というのはそういうものですよね。「歯触りがよい」とか「喉ごしがやさしい」というような言葉を一つ学習したら、それまでそれ一本でやってきた「美味しい」という 
 言葉のニュアンスがもう前と同じではなくなる。それと同じです。
 複雑化というのは、自分の意志では統御できない変化なんです。複雑化したからと言って、子どもは「昨日より幸福になる」わけでもないし、「昨日より強くなる」わけでもないし、「昨日よりも勉強ができるようになる」わけでもない。そういう即席の、分かりやすい効果がある変化ではないのです。でも、子どもたちはそういう複雑化の連続的なプロセスをたどることによって成熟の階梯を上ってゆきます。それ以外に成熟の道筋はありません。
 そうである以上、われわれ大人は子どもたちが複雑化することを全力で支援しなければならない。少なくとも、複雑化することは君たちにとって少しも不利益をもたらさないということを保証してあげなければならない。
 でも、それがなかなかできない。だからこそ、僕はわざわざ「複雑化」というあまり教育現場で使われない言葉を持ち出してきたのです。
 教師も親も子どもの成熟を評価するときに「より複雑化したかどうか」ということを見る習慣がないからです。複雑化は数値的に計測することができないからです。
 量的な変化であれば、それを計る「ものさし」があります。身長が伸びるとか、体重が増えるとか、偏差値が上がるとかは数値で計れます。でも、複雑化をはかる「ものさし」はありません。複雑化するときに起きているのは量的な変化ではないからです。表情に深みが出る、声の響きが変わる、身動きの分節が細かくなる...などなど。もちろん変化がある以上、精密な計測機器があれば計測は可能でしょう。でも、それは「できあいのものさし」で数値的にはじき出すことはできない。
 例を一つ挙げます。
 前に、僕の道場でも、小学生を集めて、合気道の少年部を始めることになりました。子ども好きの女性の門人たちが担当してくれました。合気道にも段や級があります。ふつうは五級から始まって、1級になって、それから初段、二段・・・と上がってゆきます。
 始まってしばらくして少年部の担当者から、子どもたちのために10級から6級までというグレードを新設したいのだけれど、いいだろうかと訊いてきました。正式の免状は出ないのですけれども、子どもたちの稽古の励みになるならと思って「いいですよ」と許可しました。
 それからしばらくして担当者が1つの級をABCの三段階に分けてもいいかと訊いてきました。つまり、10級のCから6級のAまで全部で15段階に分けたいというのです。「なんでそんなややこしいことをするの?」と訊いたら、親からの要望なのだというのです。子どもの修業の進度をできるだけ頻繁に、かつ数値的に表示して欲しいと親たちが要望してきたのです。なんと。
 僕はちょっと驚きました。だって、自分の子どもが武道の稽古に通っていたら、その変化は歴然としていると思ったからです。ご飯をたくさん食べるようになったとか、よく寝るようになったとか、首まわりに筋肉がついてきたとか、正座の姿勢がよくなったとか...、無数の徴候が検知できるはずです。でも、子どもの変化を分かりやすく数値で示して欲しいと親は言う。
 僕はこれにはかなり愕然としました。インストラクターに修業の進度を数値表示してもらわないと子どもの変化が「分からない」というような親がいるのだろうかと思ったのです。でも、いるのかも知れません。さまざまな場面で、子どもの変化を「数値的に表示する」という習慣になじんでしまったせいで、子どもの身に起きたアナログで微細な変化を観察するということができなくなってしまった親がいるかも知れない。だとしたら、これはかなりシリアスな事態だと僕は思いました。
 それ以後、わりと注意して親や教師たちの言動を見てきたのですが、「数値的に考量できない変化をどうやってきちんとモニターするか」という問題にまっすぐ取り組んでいる人があまりいないということに気づきました。定量的な変化を精密化することにはずいぶん熱心なのですけれども、定性的な変化を吟味できるような精密な「計測能力」を手作りしようと努力している親や教師にはなかなか出会うことがありませんでした。「複雑化の教育論」というのは、僕の側のそういう問題意識に基づいて書かれたものです。
 3回の講演を通じて着々と結論に向かって接近してゆく...という作りではなくて、同じ一つの論件をいくつかの視点から「ああでもない、こうでもない」と吟味しています。ですから、みなさんはどこから読まれても構いません。ぱらりとめくって、何となく興味を惹くトピックがあれば、そこから読み出してくださって結構です。
ではまた「あとがき」でお会いしましょう。

http://blog.tatsuru.com/2021/09/18_1557.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/647.html#c12

[近代史6] ガヴリイル・ポポーフ(Gavriil Nikolayevich Popov, 1904 – 1972)
ガヴリイル・ポポーフ(Gavriil Nikolayevich Popov, 1904 – 1972)

交響曲

交響曲第1番 作品7 (1935)

交響曲第2番「祖国」 作品39 (1943)

交響曲第3番「英雄」(または「スペイン」) 作品45

交響曲第4番「わが祖国の栄光」 作品47 (1949)

交響曲第5番「田園」 作品77 (1956)
3.0点
音の響きは20世紀の前衛的な音のぶつかりは非常に少ないが、一方で古典趣味的な陳腐さもない。近代的な機能的な管弦楽の達者な使い方であり、チャイコフスキーのように音が躍動して素材の詰め込んで豪華に聴かせる。オーケストレーションの実力の確かさを感じさせる。スケールの大きい叙景的な場面展開の面白さがあり、充実感と内容的なボリューム感はかなりのもので驚いた。ただし、交響曲というよりバレエ音楽のようだ。また、素人に印象を残すような個性の濃厚さがないかもしれない。構成も複雑で聴きながら場面の解釈がうまく出来ない。後半の茫洋とした雰囲気を延々と引っ張る感じは好きだ。

交響曲第6番「祝祭」 作品99 (1969)
3.3点
5番より鋭角的であり、さまざまな音楽のるつぼが続いていく。交響曲というよりバレエ音楽のような場面展開と音の躍動感なのは同じであるが、より音の変化が激しいために、飽きずに展開を楽しめる。なんとも言えない不思議な音の動きが大半を占めており、前衛に近い音の世界になっている。グロテスクになりそうでならない、バランスが破壊されそうでされない、独特の音感覚である。5番と6番は好みだろうが、私はより隙間のない6番が気に入った。前衛的とされる1番にかなり近い曲。

交響曲第7番(未完)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29

ガヴリイル・ニコラーエヴィチ・ポポーフ(Гаврии́л Никола́евич Попо́в / Gavriil Nikolayevich Popov, 1904年9月12日 ノヴォチェルカスク – 1972年2月17日 レーピノ(英語版))は、ソビエト連邦の作曲家。


略歴
1922年から1930年までレニングラード音楽院でニコラーエフ、シテインベルク、ウラディーミル・シチェルバチョフらに師事。ピアノ曲《表現》作品1がアルノルト・シェーンベルクに献呈されているように、ブゾーニや新ウィーン楽派の影響のもとに作曲家として活動に入る。大胆な才気においてショスタコーヴィチにも匹敵すると認められ、《室内交響曲(英語版) (またはフルート、トランペット、クラリネット、ファゴット、ヴァイオリン、チェロとコントラバスのための七重奏曲)ハ長調》や無調的な《交響曲第1番》は、進歩的な作品としてセンセーショナルな成功を収めた。

やがてショスタコーヴィチのように当局と衝突して、より伝統的な音楽語法で作曲するに至ったことは、驚くに当たらない。アルコール依存症に陥ったにもかかわらず、多数の管絃楽曲を作曲し、6つの交響曲を完成させた。作品の多くは、ソヴェト体制の制約のもとに作曲され、当局によって規定されたような、日常生活の描写や共産党の英雄への歓呼の声となっている。たとえば交響曲第2番は《祖国》、交響曲第4番は「祖国を称えて」と副題が添えられ、カンタータは「同志の讃歌」と題されている。ポポーフはまた映画音楽も手懸けた。

主要作品

歌劇
鋼鉄の騎手 (1937)
リア王 (1942)
アレクサンドル・ネフスキー (未完)

交響曲
交響曲第1番 作品7 (1935)
交響曲第2番「祖国」 作品39 (1943)
交響曲第3番「英雄」(または「スペイン」) 作品45
交響曲第4番「わが祖国の栄光」 作品47 (1949)
交響曲第5番「田園」 作品77 (1956)
交響曲第6番「祝祭」 作品99 (1969)
交響曲第7番(未完)

協奏曲
ヴァイオリンと弦楽のための協奏的詩曲 作品17 (1937)
ヴァイオリン協奏曲
ピアノ協奏曲 作品24
チェロと管弦楽のための交響的アリア 作品43 (1946)
チェロ協奏曲 作品71 (1953)
オルガン協奏曲 (1970)

管弦楽曲
交響的組曲第1番 (1933)
交響的嬉遊曲 作品23 (1938)
スペイン組曲 作品28
英雄的間奏曲 作品25
管弦楽のための序曲

室内楽曲
室内交響曲 作品2(英語版) (1927)
ヴァイオリンとピアノのためのコンチェルティーノ 作品4
ヴァイオリンとピアノのための歌 作品6A
八重奏曲 作品9
吹奏楽のためのセレナーデ 作品26
ヴァイオリンとピアノのためのメロディ 作品35
弦楽四重奏のための交響曲 作品61 (1951)
五重奏曲 (1958)

ピアノ曲
2つの小品 作品1 (1925)
ジャズ組曲 作品5
大組曲 作品6 (1927)
2つのマズルカ・カプリス 作品44
2つの子どもの曲 作品46 (1946)
2つの小品 (1947)
2つのお伽話 作品51 (1948)
3つの叙情詩 作品80 (1957)

合唱曲
赤軍運動
カンタータ「勝利へ」(1944)
児童合唱のための組曲「わが祖国」 作品50 (1948)
陽気なコサックの歌 作品52
交響曲第4番「わが祖国の栄光」 作品47 (1949)
Everything that is Beautiful in Life, 作品54
O You Fields, for Voice and Female Chorus, 作品56
カンタータ「レーニン詩曲」 作品58 (1950)
人民の平和
Tsimlyanskoye Sea, 作品64 (1951)
3つの合唱 作品66 (1952)
Honour to the Party, after Mashistov
The Communist, Someone Like You and Me, after Rustam
樺と松 作品92 (1960)
5つのコサックの合唱 作品93 (1961)
鷲の家族 作品94
春の日 作品95
プーシキンに基づく5つの合唱 作品101 (1970)

声楽曲
3つのヴォカリーズ 作品3
プーシキンの2つの叙情詩 作品22
レヴァショフの2つのロマンス 作品48 (1948)
モスクワ Op. 49

映画音楽
The New Motherland (1932)
Island of Doom (1933)
A Severe Young Man (1934)
Чапаев(Chapaev)<英語版> (1934)
Call to Arms (1936)
Бежин луг(Bezhin Meadow)<英語版> (1937)
The First Horse (1941)
Once at Night (1941)
She Defends the Motherland (1943)
Front (1943)
Великий перелом(The Turning Point)<英語版> (1945)
The Great Force (1951)
Zvanyy Uzhin (1953)
Partisan Children (1954)
Unfinished Story (1956)
Baltic Glory (1957)
Poem of the Sea (1959)
Повесть пламенных лет(Chronicle of Flaming Years)<英語版> (1961)
Казаки(The Cossacks)<英語版> (1961)
Dinner Time (1962)
The Tale of Tsar Saltan (1966)
Zacharovannaya desna (The Enchanted Desna)<英語版> (1968)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B4%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%95
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/711.html

[近代史6] ガヴリイル・ポポーフ 交響曲第6番『祝典』 作品99
ガヴリイル・ポポーフ 交響曲第6番『祝典』 作品99


Symphony No.6 in B major "Festive" - Gavriil Popov



USSR Radio Symphony Orchestra
Edvard Chivzhel




GAVRIIL POPOV: Symphony No. 6 "Festive" (1969)




交響曲第6番『祝典』 作品99は、ガヴリイル・ポポーフが1969年に作曲した6番目の交響曲で、未完の交響曲第7番を除けば最後の曲になる。表題となっている祝典の名が指し示す通り、金管等が活躍する祝祭色溢れるものとなっている。


楽器編成
フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニ、弦五部、


楽曲構成


第1楽章 Maestoso cantando  
ホルンのファンファーレで開始され、他の金管が加わって荘厳な雰囲気を醸し出す。やがて冒頭のファンファーレから派生した新しい主題が現れる。
第2楽章 Largo cantabile 。
第3楽章 Allegro vivace  
弦の明るい主題に始まり、これに木管が絡む。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC6%E7%95%AA_(%E3%83%9D%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%95)

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/712.html

[近代史6] アラム・ハチャトゥリアン((Aram Il'ich Khachaturian), 1903 - 1978)
アラム・ハチャトゥリアン((Aram Il'ich Khachaturian), 1903 - 1978)

はっちゃけた野蛮性が魅力の作曲家だと思う。ショスタコーヴィチとプロコフィエフと並び称されるほどの大物扱いだったようだが、現代からみるとやはりワンランク以上落ちると思う。

交響曲第1番 ホ短調

ピアノ協奏曲 変ニ長調
3.5点
はっちゃけた野蛮性の持ち味が十分発揮されたよい曲。個性とピアノ協奏曲というジャンルの相性は抜群。内容が濃いし多くの素材を使っていて、巨匠的な充実感と天才性の発揮がみられる。ピアノは前面に出て大活躍する。ピアノ独奏のエグくて激しい野蛮さは、向いているピアニストの演奏で聴くと予想と期待を超えたものを見せてくれて、満足させてくれる。快感だけでなく違和感が常につきまとう所がやや個人的に苦手であり、それがメジャーになりきれない要因だろうかと思う。

ヴァイオリン協奏曲 ニ短調

『仮面舞踏会』(ミハイル・レールモントフの劇のための音楽)

組曲『ガヤネー(ガイーヌ)』第1番・第2番・第3番(管弦楽曲)

交響曲第2番 ホ短調「鐘」

チェロ協奏曲 ホ短調

交響曲第3番 ハ長調「交響詩曲」

ピアノソナタ
3点
力強くて熱い。なかなかの曲。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281890%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E9%99%8D%29


アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(アルメニア語: Արամ Խաչատրյան [ɑˈɾɑm χɑt͡ʃʰɑt(ə)ɾˈjɑn], グルジア語: არამ ხაჩატურიანი, ロシア語: Ара́м Ильи́ч Хачатуря́н/Хачатря́н (Aram Il'ich Khachaturian/Khachatrian) Ru-Aram Ilyich Khachaturian.ogg ロシア語発音, 1903年5月24日(グレゴリオ暦6月6日) - 1978年5月1日)は、旧ソビエト連邦の作曲家、指揮者。アルメニア人であり姓は、ハチャトゥリャーン、ハチャトゥリャンなどとも表記される。

ソ連人民芸術家。プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共にソ連を代表する作曲家である。

来歴
ロシア帝国支配下にあったグルジア(現在のジョージア)のティフリス(トビリシ)でアルメニア人の家庭に生まれ、甥に作曲家カレン・ハチャトゥリアンがいる。モスクワで音楽を学んだ。レーニン賞など多数の賞を受け、高い評価を受ける一方、自作の指揮者としても活躍。映画音楽も手がけ、チェコスロバキア国際映画祭個人賞も受賞した。作品の中でも、バレエ音楽「ガヤネー(ガイーヌ)」から抜粋した演奏会用組曲がとりわけ演奏機会が多く、中では「剣の舞」が、アンコールピース、オーケストラ入門曲、映像BGMなどとして知られる。民族的な伝統を大切にし、独自の価値観とエネルギーに満ちた作風であり、異色の光彩を放っている。仮面舞踏会はミハイル・レールモントフ(1814〜1841)の演劇「仮面舞踏会」がモスクワのヴァフタンゴフ劇場で公演されるのに合わせて作曲された。虚飾と欺瞞に満ちた帝政ロシアの貴族社会における悲劇として描かれた。

アルメニアで発行されている50ドラム紙幣に肖像が使用されている。


年譜
1903年 - 製本工の息子としてティフリスに生まれ、コーカサス地方で民族音楽に親しみながら育つ。
1921年 - 大学入学のためモスクワに向かう途上に演奏会に出たのがきっかけで音楽の才能を認められ、音楽の勉強を正式に始める。
1922年 - グネシン音楽専門学校のチェロ科、作曲科。
1929〜1934年 - モスクワ音楽院でミャスコフスキー、ワシレンコなどに学ぶ。
1933年 - ミャスコフスキーの弟子であったニーナ・マカロワと結婚。
1936年 - 「ピアノ協奏曲 変ニ長調」で名声を博す。
1948年 - スターリン主義的文化政策の中心ジダーノフによる音楽批判(ジダーノフ批判)の対象となり、「形式主義的退廃音楽家」とされる。(1959年に名誉回復)
1953年 - 論文「創造の大胆さとインスピレーションについて」(社会主義リアリズム音楽理論の発展)に関して、アメリカの音楽評論家タウブマンと論争を展開。
1956年 - グネーシン音楽学校とモスクワ音楽院で教授。
1963年 - 来日。京都市交響楽団、結成直後の読売日本交響楽団と共演する。
1978年 - 没。


ハチャトゥリアンの音楽
ハチャトゥリアンは、アルメニア・アゼルバイジャン・ジョージアなどコーカサス地方の民族音楽の影響がうかがわれる、オリジナリティ溢れる印象的な曲の数々を作曲した。

作風は大胆、強烈と評価され、国民楽派の延長として民族的要素を取り入れた社会主義リアリズムの代表的作曲家と見なされる。

作品

1926年(23歳)
ヴァイオリンとピアノのための舞曲
1929年(26歳)
ヴァイオリンとピアノのための詩曲haha
弦楽四重奏曲
クラリネット・ヴァイオリン・ピアノのための3重奏曲
ピアノのためのトッカータ
1933年(30歳)
ウズベク民謡主題による2つの小曲(吹奏楽曲)
舞踏組曲(管弦楽曲)
1934年(31歳)
交響曲第1番 ホ短調
映画『ペポ』
1936年(33歳)
ピアノ協奏曲 変ニ長調
1938年(35歳)
混声合唱と管弦楽のための「スターリンの詩」
1939年(36歳)
バレエ曲『幸福』、『ガヤネー(ガイーヌ)』
1940年(37歳)
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
『ヴァレンシアの寡婦(ヴァレンシアの未亡人)』(劇音楽)
『仮面舞踏会』(ミハイル・レールモントフの劇のための音楽)
1943年の組曲版の構成は、ワルツ、ノクターン、マズルカ、ロマンス、ギャロップの5曲。
1942年(39歳)
「大祖国戦争の英雄たちに」(行進曲)
バレエ『ガヤネー(ガイーヌ)』(初演)(3幕6場)
剣の舞、子守唄、ばらの乙女達の踊り、ガイーヌのアダージョ、レズギンカ、山岳人の踊り、など
1943年(40歳)
組曲『ガヤネー(ガイーヌ)』第1番・第2番・第3番(管弦楽曲)
1944年(41歳)
交響曲第2番 ホ短調「鐘」
アルメニア・ソヴィエト社会主義共和国国歌
1945年(42歳)
2台のピアノのための組曲
映画『囚人217号』
1946年(43歳)
チェロ協奏曲 ホ短調(英語版)
3つの演奏会用詠唱(独唱と管弦楽のための作品)
1947年(44歳)
交響曲第3番 ハ長調「交響詩曲」
子どものためのアルバム 第1集(ピアノ曲)
1948年(45歳)
ウラジーミル・イリイチ・レーニン追悼の頌歌(管弦楽曲)
1949年(46歳)
映画『スターリングラードの戦い』(The Battle of Stalingrad)
1950年(47歳)
映画『秘密任務』
1952年(49歳)
組曲『ヴァレンシアの寡婦』
導入部、セレナーデ、歌、こっけいな踊り、間奏曲、舞曲
1953年(50歳)
映画『ウシャコフ提督』
1954年(51歳)
『スパルタクス』(バレエ曲)
管弦楽のための祝典序曲
1955年(52歳)
組曲『スパルタクス』第1番・第2番・第3番(管弦楽曲)
『幸福の頌歌』(メゾソプラノ独唱、合唱、10のハープと40のヴァイオリンの合奏、管弦楽のための作品)
映画『オセロー』(監督:セルゲイ・ユトケーヴィチ)
1956年(53歳)
バレエ『スパルタクス』 (初演)(4幕9場)
映画『永遠のかがり火』
1959年(56歳)
歓迎序曲(管弦楽曲)
ピアノのためのソナチネ
1961年(58歳)
ピアノソナタ
1962年(59歳)
ヴァイオリンと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディー
1963年(60歳)
チェロと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディー
1965年(62歳)
ヴァイオリンとチェロのためのラプソディー
子どものためのアルバム 第2集(ピアノ曲)
1968年(65歳)
ピアノと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディー(改訂版)
1976年(73歳)
無伴奏ヴァイオリンのための「幻想ソナタ」
無伴奏チェロのための「幻想ソナタ」


ハチャトゥリアンが出演した映画作品
ソ連(1983年), ロシア(2003年), アルメニア(2003年)の切手
1968年『作曲家・ハチャトゥリアン』(マリアンナ・タブログ監督、劇場未公開)
1979年『アラム・ハチャトゥリヤン』(Yu・アリドーヒン監督、劇場未公開)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/713.html

[近代史6] アラム・ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲 変ニ長調 作品38
アラム・ハチャトゥリアン ピアノ協奏曲 変ニ長調 作品38


William Kapell plays Khachaturian Piano Concerto (Koussevitzky, 1946)





Allegro maestoso (00:00)
Andante con anima (15:09)
Allegro brillbante (26:02)


Serge Koussevitzky
Boston Symphony Orchestra
Symphony Hall, Boston


Recorded in 1946, April, 19




Nikolai Petrov plays Khachaturian Piano Concerto, op. 38 - video 1972



Nikolai Petrov playing Khachaturian's Piano Concerto in D-flat major, op. 38, with the composer himself conducting the Moscow Radio SO, recorded in 1972.




LIVE: Khachaturian: Piano Concerto | Melikyan & Gergiev



Live from Aurora Tribute & Fundraising Concert, Yerevan, October 20, 2019, Aram Khachaturian Concert Hall.


Hayk Melikyan, piano
The Mariinsky Orchestra
Valery Gergiev, conductor



アラム・ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調作品38(露: Концерт для фортепиано с оркестром)は1936年に作曲されたピアノと管弦楽のための協奏曲である。この作品によりソビエト連邦以外の諸外国で認められるようになった。演奏時間は約35分。


概要
1935年に初演されたモスクワ音楽院卒業作品である『交響曲第1番』に続く大作で、1936年のおよそ半年の間に書き上げられた[1]。初演はハチャトゥリアンの希望で、レフ・オボーリンにより行われることとなり、初演までの間にオボーリンの助言を得てピアノ・パートの推敲が行われた。1937年夏の初演は一応は成功したものの、ハチャトゥリアンにとって満足のいくものではなかったらしい[2]。しかし、初演と同じ年の秋にガウク、ムラヴィンスキーが伴奏者となった演奏会はハチャトゥリアンも認める真の成功を収め、カバレフスキー、ショスタコーヴィチといった同僚作曲家からも評価された[3]。出版に際して、功労者であるオボーリンに献呈されている[4]。


第二次世界大戦の勃発後、同盟国であるソビエト連邦への連帯を示すためか、戦時下にもかかわらず欧米での初演が相継いで行われ、イギリスでは1940年[5]に、アメリカでは1942年[6]に初演されている。ウィリアム・カペルもこの曲を得意とし、演奏会で盛んに演奏して、この曲の知名度をさらに高めた。


初演
1937年7月12日、モスクワのソコーリニキ公園野外劇場においてオボーリンの独奏、レフ・シテインベルクの指揮により初演された。


編成
独奏ピアノ、フルート2(1はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、バスドラム、スネアドラム、シンバル、フレクサトーン[7]、弦五部


曲の構成


第1楽章 Allegro non toppo e maestoso
ソナタ形式。管弦楽による荒々しい序奏の後、ピアノが第1主題(譜例)を奏する。管弦楽との応答が続き高揚した後、オーボエに東洋風な第2主題が登場する。この主題はピアノに引き継がれてカデンツァ風の展開を見せる。展開部は管弦楽とピアノにより第1、第2主題の順に展開する。スネアドラムも登場、やがてはっきりと第1主題が奏されて再現部となる。第2主題はクラリネットなど木管楽器に登場、ピアノはこれにオブリガートを付ける形となる。この後、カデンツァとなり、最後は第1主題のトゥッティで終わる。


第2楽章 Andante con anima
三部形式。バスクラリネットによる序奏の後、ピアノに主題が登場する。この主題は弦楽器やフレクサトーンに受け継がれる。しばらく発展した後、中間部に入る。中間部はフルートに導かれる短いもので、すぐに最初の主題が現れ、やがて序奏の主題が再現されて静かに終わる。


第3楽章 Allegro brillante
ロンド形式。ピアノでトッカータ風の力強い主題が奏された後、トランペットでロンド主題が奏される。ピアノのメカニックな動きの後、一旦静まってから管弦楽による激しい展開となり、長いカデンツァに至る。その後、ロンド主題が再現、ピアノで変奏され次第に高揚すると、その頂点で第1楽章第1主題が登場、堂々と終わる。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2_(%E3%83%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3)

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/714.html

[近代史6] サムイル・フェインベルク(Samuil Evgenyevich Feinberg, 1890 - 1962)
サムイル・フェインベルク(Samuil Evgenyevich Feinberg, 1890 - 1962)

彼のピアノソナタはスクリャービンのようなドロドロ感を持ちつつも、洗練感も失っていない気がする。ラフマノニフやスクリャービンにおいて技術的に限界に達したピアノ書法を駆使して、ピアノ音楽の限界点で書かれた作品群という点で、ピアノ音楽ファンなら必聴だと思う。

ピアノソナタ1番
3.5点
20世紀の名作ピアノ曲のひとつ。後年の作品と違い、この曲は非常に純度が高い感動的な美しさを持っている。高音でゆらめく宝石のようにキラキラと輝くような美しいフレーズの連続に聞きほれているうちに、最後まであっという間に聞き終わるような曲。ドビュッシーのような音の使い方でイメージ重視の曲であり、スクリャービン初期の端正さも兼ね備えている。メロディーは明確でなく構成も頭について入らないにも関わらず、忘れがたい強い印象を与えられる。また大ピアニストの作品らしい洗練されたピアニズムも見事。

ピアノソナタ2番
3.0点
1番の路線であるが、キラキラした美しさが減少して魅力が落ちた。そして、そこはかとないグロテスクさが追加されてしまった。メロディーがはっきりしない、ピアニスティックさ、8分の単一楽章など1番に似ていて、1番という短い曲のボリューム的な物足りなさを補完してくれるが、それ以上の価値はない。

ピアノソナタ3番
2.8点
3楽章制。しかし、音の詰め込みぶりがどの楽章もあまりかわらないため、あまり変化がない。ただ、3楽章のスケール感ではかなり恩恵を受けているかも。2番と雰囲気は近い。長い分だけ、テクニカルな音数重視ピアノ曲マニアの心を強く捉えてくれていると感じる。一方で作曲家としては完全にマイナーな幅の狭い人になってしまった。

ピアノソナタ4番
3.3点
単一楽章。連発さらる低音の和音が禍々しさを演出し、さらにドロドロしてきて後期スクリャービンに近付いてきた。むしろ影響を強く感じて近付きすぎの感もある。所々、まだまだ過去のキラキラ世界の残り香も感じられる。後半が演出的に盛り上がるし、短い曲なのに非常に長く感じられる。スクリャービン後期以上に聴き映えがする。

ピアノソナタ5番
3.3点
単一楽章。スクリャービン後期を彷彿とさせるドロドロとした音楽世界が、それまでと似たような音使いながらも独自の新境地到達を感じさせてなかなか良い。極端に煮詰めたスープのような粘着とドロドロ感と神秘性や超越性は、好きな人には強くツボにはまるだろう。演出が少ないせいか、2番からの方向性が一つの壁を越えた世界に到達した感じ。

ピアノソナタ6番
3.0点
単一楽章だが14分とやや長い。そして後半は静寂の世界が長く続くというのが、それまでにはない。新しい雰囲気であり、その後も神秘的な人類滅亡後のような世界観。このような世界が非常にツボる人もいるだろう。音の鳴らし方のセンスはなかなか良いと思う。自分の好みとしては、わりと好き、という程度だが。

ピアノソナタ7番
2.5点
もともとフェチ系音楽ではあるが、もはや完全に別世界に行ってしまった。暗黒世界。世界の終わりのような終末の音楽。楽章が3つに分かれていて、副題もあるので構成のガイドがあるのは分かりやすい。

ピアノソナタ8番
3.0点
それまでのドロドロした作風から変わり、明るさが支配する部分が増える。1楽章は曖昧な雰囲気のままだが、2楽章はかなり調性が明確であり、静寂感がある。とはいえ、古臭い感じは全くないので良い。後半は地鳴りのような暗黒世界に降りていくが、それでも短い時間のため、染まりきらない領域で終わる。楽章構成が価値のあるものになっている。作風の転換を感じる。

ピアノソナタ9番
2.5点
前半は驚くほど平明になってしまった。これではあまり価値がない。彼らしさは残っているとはいえ。中間で激しい音数になり、収まってからは曖昧模糊としたいつもの雰囲気になる。前半はカモフラージュか?とも思ってしまったが、いずれにせよ大半の場面では調性が明確になってしまい、最後は堂々と和音で終わるという古典回帰。残念感がある。

ピアノソナタ10番
2.8点
轟音が響き渡る、重戦車系の曲。今までと雰囲気が違う。調性の観点ではわりと平明なのだが、音楽の方向性が違うので気にならない。これはこれで、メジャー作曲者がやらない極端を突き詰めた曲としての価値があると思う。楽想の変化のさせ方など、作曲技術の高さを感じた。

ピアノソナタ11番
2.5点
前半はかなりロマン派に近い調性の非常に明確な音楽。意志的でなく、構築的な方向感がないので、かろうじて現代的なだけ。途中に高速なパッセージで爆発してから、一度収まりまた締めに入る構成は分かりやすいし、よく出来ている。9番からの社会主義リアリズム的平明さをさらに進めた曲。9番からそうなのだがこの曲は特に、穏やかな平明さの中に新奇さを混ぜ込む手法にプロコフィエフを連想する。

ピアノソナタ12番
3.3点
驚くべき平明な透明感と叙情的の世界。このようなセンスのある人はその気になれば美しい曲が書けるという例である。他では必ずあった爆発はごく控えめになっている。一番ロマン派に近く、ショパンあたりを連想する瞬間すらある。公平にみてフェインベルクのソナタの中で高く評価してよいかは分からないが、12曲順番に聴いていった場合に最後のこの曲想で格別の感慨を抱かせられたのは確かだ。

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サムイル・エヴゲニエヴィチ・フェインベルク(ロシア語: Самуи́л Евге́ньевич Фе́йнберг ; Samuil Evgenyevich Feinberg, 1890年5月26日 - 1962年10月22日)はソビエト連邦のユダヤ系ピアニスト・作曲家。1938年にイザイ国際コンクールの審査員に選出された。


略歴
ウクライナに生まれるが、4歳でモスクワに移る。パーヴェル・パプストの高弟アレクサンドル・ゴリジェンヴェイゼルに師事。恩師ゴリジェンヴェイゼルは、同世代のアレクサンドル・ジロティやセルゲイ・ラフマニノフらと同じく、19世紀末のロシア・ピアノ楽派の伝統に連なるピアニストであり、演奏技巧と美音、広い知識に加えて普遍的で温かな表現で知られた。

フェインベルクの演奏様式は、鋭敏さや繊細さ、青年時代のグレン・グールドに通じる大胆な解釈に加えて、同時代のエドヴィン・フィッシャーに通じるロマンティックな表現が特徴的である。

フェインベルクがとりわけ熱心な取り組みを見せたのがヨハン・ゼバスティアン・バッハである。バッハの《平均律クラヴィーア曲集》を全曲演奏し、またバッハのオルガン曲(分けてもコラール)をピアノ用に編曲しただけでなく、録音にも残した。

バッハ以外のレパートリーでは、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、リスト、チャイコフスキーを得意とし、録音にも残したが、フェインベルクがとりわけ得意としたのがスクリャービンであった。

作品
フェインベルクの作品は、3つのピアノ協奏曲、12のピアノ・ソナタならびに数多くのピアノ曲がある。また民謡やチャイコフスキーの交響曲の編曲も残されている。

初期のフェインベルクはスクリャービンに影響され、拡張された曖昧な調性感、大胆な転調、複雑なリズム書法、ピアノ・ソナタにおける単一楽章制といった特徴を示している。一方でスクリャービンと違って調性音楽の枠組みから離れることをよしとせず、又バッハの影響から、対位法的な構想も好んでおり、結果的にスタンチンスキーにも似通った作風となった。

やがてスターリン主義の時代が訪れると、かつてのような急進的な楽想は鳴りを潜め、代わって社会主義リアリズムに同調したかのような、叙事的で懐古的な、大時代的な表現に落ち着いたが、それでも旋律や転調の思いがけない進行に、初期の面影がまだ残っていると見る向きもある一方、同時代のプロコフィエフを参考にしたのではないかとする見方もある。

ピアノ・ソナタ全集はBISから、バッハ作品の編曲はハイペリオン・レーベルから音源が出ている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/715.html

[近代史6] サムイル・フェインベルク ピアノソナタ
サムイル・フェインベルク ピアノソナタ


Feinberg - Complete Piano Sonatas



0:03 Sonata 1
7:33 Sonata 2
16:45 Sonata 3
30:07 Sonata 4
38:56 Sonata 5
47:14 Sonata 6
1:02:08 Sonata 7
1:21:10 Sonata 8
1:42:35 Sonata 9
1:52:00 Sonata 10
2:03:59 Sonata 11
2:15:21 Sonata 12


Nikolaos Samaltanos




Piano Sonatas Nos 1-6


1 - Piano Sonata No 1 in A major Op 1 [7'01]
2 - Piano Sonata No 2 in A minor Op 2 [8'25]


Piano Sonata No 3 in G minor / G sharp minor Op 3 [25'11]
3 - Prélude
4 - Marche funèbre
5 - Sonate: Allegro appassionato


6 - Piano Sonata No 4 in E flat minor Op 6 [10'08]


7 - Piano Sonata No 5 in E minor Op 10 [10'38]


8 - Piano Sonata No 6 in B minor Op 13 [13'05]


Recording Details: December 2018
Marc-André Hamelin (piano)



https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_k6KgLnqG-EFgxTd-zFau4zb4PsR5RWlDk

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/716.html

[近代史6] ニコライ・ミャスコフスキー( Nikolai Yakovlevich Myaskovsky,1881 - 1950)
ニコライ・ミャスコフスキー( Nikolai Yakovlevich Myaskovsky,1881 - 1950)

交響曲を27曲残したことで有名な作曲家。超一流と比較すると発想の弱さが二流感を漂わせる。しかし、交響曲は結構楽しめる。特に27番は大作曲家らしい作品と言ってよい。


交響曲

交響曲第1番ハ短調作品3 (1908年 3楽章)

交響曲第2番嬰ハ短調作品11(1911年 3楽章)

交響曲第3番イ短調作品15(1914年 2楽章)

交響曲第4番ホ短調作品17(1918年 3楽章)

交響曲第5番ニ長調作品18(1918年 4楽章)
2.5点
後年の作品に比べると、音に重みがなくて、音楽的な密度も薄い。それゆえに軽い気分で楽しめる部分はあるものの、やはり根暗で変化が大きすぎないことによる重みと民謡的な軽い楽しさの取り合わせと旋律の楽しみは足らない。音に対するセンスそのものが物足らず、大作曲家の交響曲に相応しいレベルには到達していないように聞こえてしまう。

交響曲第6番変ホ短調作品23(「革命」)(1923年 4楽章)-声楽つき

交響曲第7番ロ短調作品24(1922年 2楽章)

交響曲第8番イ長調作品26(1925年 4楽章)

交響曲第9番ホ短調作品28(1927年 4楽章)

交響曲第10番ヘ短調作品30(1927年 単一楽章)

交響曲第11番変ロ短調作品34(1932年 3楽章)

交響曲第12番ト短調作品35「十月」(1932年 3楽章)

交響曲第13番変ロ短調作品36(1933年 単一楽章)
2.8点
盛り上がりのないひたすらダークな1楽章制の曲。この音楽はだれでもアラン・ペッテションとの類似と比較を考えるだろう。しかし、ペッテションほどの深さに到達して徹底的に重みに精神を浸すような満足を得られず、なんとなく物足りないまま終わってしまう。比較対象が無ければ感動できたのかもしれないが、私としてはあまり聴く価値を感じなかった。

交響曲第14番ハ長調作品37(1933年 5楽章)

交響曲第15番ニ短調作品38(1935年 4楽章)

交響曲第16番ヘ長調作品39 (1936年 4楽章)

交響曲第17番嬰ト短調作品41(1937年 4楽章)

交響曲第18番ハ長調作品42(1937年 3楽章)
3.0点
1楽章と3楽章は短くて少し祝典的な雰囲気がある音楽で特にどうということはない曲だと思う。2楽章がこの曲この価値の大半を占めている。1回聴いた時は素朴な民謡的な味の中に歴史的な悲しみとか孤独を忍ばせて非常によい曲に聴こえたが、すぐにもう一度聴いたらその良さの多くが消えてしまい、あまり感動できなかった。

交響曲第19番変ホ長調作品46(1939年 4楽章)

交響曲第20番ホ長調作品50(1940年 3楽章)

交響曲第21番嬰ヘ短調作品51(「交響幻想曲」)(1940年 単一楽章)
2.5点
幻想曲と銘打たれているのだが、本当にとりとめもなく音楽が進み、何をしたいのか理解が出来ない。暗かったりするだけでストーリーが構成されないと、クラシック音楽がは面白くないという例だと思った。特にステキな場面もないし。

交響曲第22番ロ短調作品54「大祖国戦争についての交響バラード」(1941年 3楽章)
2.8点
バラードというだけあってある程度の物語的な説得のある音楽なのは良いところ。しかし長すぎる。特に中間は緩徐楽章の場面のつなぎの経過みたいな音を延々と続けていて、これが本気の作曲的思考の結果なのだとしたら酷すぎる笑。キワモノの類の音楽といえよう。

交響曲第23番イ短調作品56「北コーカサスの歌と踊りの主題による交響組曲」(1941年 3楽章)
3.5点
1楽章はミャスコフスキーらしい暗すぎない陰鬱さの場面が土臭い民族音楽ふうのウキウキするようや楽しい場面を挟んでいる構成。やや長い楽章だが、中間がとにかく楽しいのと強烈なコントラストが楽しくて飽きない。2楽章の丁度よい暗さとモヤモヤした気分の表現は、長さの適切さもあって個人的にはツボである。ただひたすら気分に浸って満足したところで終わってくれる音楽。3楽章は再び土臭くて能天気で、前の楽章と気分的にイマイチ繋がらないのだが、そのまま高揚感を演出してフィニッシュまでもっていかれる。これは間奏にして後ろに4楽章がほしかった。

交響曲第24番ヘ短調作品63(1943年 3楽章)

交響曲第25番変ニ長調作品69(1946年 3楽章)

交響曲第26番ハ長調作品79「ロシアの主題による」(1948年 3楽章)
3.3点
1楽章は軽快さがあり聴きやすいが、展開が弱くて変化が少なく長すぎるため飽きてくる。2楽章は変奏曲でなかなか秀逸で、途中に挟まれるロマンティックなパートも楽しめて、いい曲だったと聴き終わって満足できる楽章である。3楽章は最終楽章らしい高揚感とゆったりした感じを両立している点では好きだが、明らかに冗長で間延びする。各楽章を2割カットするとよい曲になると思う。

交響曲第27番ハ短調作品85(1949年 3楽章)
4.0点
何曲か聴いた中ではこの曲が圧倒的に素晴らしいと思った。重々しい響きは雄渾なロシアの大地を感じさせる。厳しい中に温かみがあり、そして感動的な名曲。旋律の良さも素晴らしく、一つ一つの部分が真実味を伴っていて聴き応えがある。ロシアの広大な大地とそこに脈々と息づく人間達の営みを連想させる。1楽章と2楽章はチャイコフスキーの3大交響曲にも匹敵するほどの名作に聞こえる。この作曲家は最後まで完全に後期ロマン派の枠の中の作品であったというのがまた感慨深い。


協奏曲
チェロ協奏曲ハ短調 作品66 (1944年)


室内楽曲
弦楽四重奏曲
弦楽四重奏曲 ヘ長調(1907年)

弦楽四重奏曲 第1番 イ短調 作品33-1(1930年)

弦楽四重奏曲 第2番 ハ短調 作品33-2(1930年)

弦楽四重奏曲 第3番 ニ短調 作品33-3(1930年)

弦楽四重奏曲 第4番 ヘ短調 作品33-4(1937年)

弦楽四重奏曲 第5番 ホ短調 作品47(1938〜39年)

弦楽四重奏曲 第6番 ト短調 作品49(1939〜40年)

弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 作品55(1941年)

弦楽四重奏曲 第8番 嬰ヘ短調 作品59(1942年)

弦楽四重奏曲 第9番 ニ短調 作品62(1943年)

弦楽四重奏曲 第10番 ヘ長調「古いノートから」作品67-1(1945年)

弦楽四重奏曲 第11番 変ホ長調「思い出」作品67-2(1945年)

弦楽四重奏曲 第12番 ト長調 作品77(1947年)

弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 作品86(1949年)


チェロ・ソナタ
第1番 (1911年)

第2番 (1948年)


ピアノ・ソナタ
第1番ニ短調作品6(1909年)

第2番 嬰ヘ短調作 品13(1912年)

第3番 ハ短調 作品19(1920年)

第4番 ハ短調 作品27(1925年)

第5番 ロ長調「古いノートから」作品64-1(1944年)

第6番 変イ長調「古いノートから」作品64-2(1944年)

第7番 ハ長調 作品82(1949年)

第8番 ハ長調 作品83(1949年)

第9番 ハ長調 作品84(1949年)

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ニコライ・ヤコヴレヴィチ・ミャスコフスキー(ロシア語: Никола́й Я́ковлевич Мяско́вский, ラテン文字転写: Nikolai Yakovlevich Myaskovskii, 1881年4月20日(ユリウス暦では4月8日) - 1950年8月8日)は、ロシアの作曲家である。ベートーヴェン以降の作曲家としてはきわめて異例の27曲もの交響曲を作曲したことで有名。これらの作品は最近まであまり日の目を見ることは無かったが、近年再評価が進んでいる。

生涯
初期:学生時代まで
ワルシャワ近郊のノルヴォゲオルギイェフスクに生まれ、10代でサンクトペテルブルクに移る。軍人の家庭に生まれながら音楽の道に進むように励まされていたものの、軍務を退役してからようやく1906年にペテルブルク音楽院に進んだ。そこでプロコフィエフと同級となり、生涯にわたる親交を結ぶ。

プロコフィエフとは教官リャードフに対する嫌悪感で意気投合し、ミャスコフスキーはリャードフがグリーグを嫌っていたというので、在学中に作曲した《弦楽四重奏曲第3番》の終楽章に、グリーグの主題による変奏曲を書いている(《弦楽四重奏曲第3番》の番号は出版社が付けたので、3番目に完成された四重奏曲というわけではない)。

音楽院在籍中にプロコフィエフと1度ならず共作を行い、そのうちほとんど散逸した交響曲の断片は、後にプロコフィエフの《ピアノ・ソナタ第4番》の緩徐楽章の素材となった。また、ミャスコフスキーやプロコフィエフ作品(ピアノ・ソナタ第3番と第4番)に見られる「古いノートから」と題された楽曲は、この時期にまで素材をさかのぼることができる。ミャスコフスキーは1908年に《交響曲第1番ハ短調》作品3(1921年改訂)を書き上げ、音楽院の卒業制作とした。1914年の《交響曲第3番》はスクリャービンに影響されている。特にこの中の葬送行進曲には、ミャスコフスキーには珍しい要素をいくつか見出すことができる。

第一次世界大戦に従軍し、大戦中の困窮によってシェルショック(戦争神経症の一種)に陥るが、快癒する間に2つの対照的な作品を手懸けた。それが《交響曲第4番ホ短調》作品17と《交響曲第5番ニ長調》作品18である。それからの数年間は、発展と転換の時期であった。父親は1918年または1919年の冬、列車を待っている間に元皇帝派一派の一人として赤軍兵士に射殺されたが[1]、ミャスコフスキー自身は1917年から1921年まで赤軍に仕え、後にモスクワ音楽院の教員に任用され、ソ連作曲家同盟の会員にも選ばれた。

中期:作風の変遷
1921年から1933年までの間は、ミャスコフスキーが作曲に対して最も実験的だった時期であり、《交響曲 第10番 ヘ短調》や《交響曲 第13番》、《ピアノ・ソナタ第4番》、《弦楽四重奏曲 第1番》のほか、和声法が非常に大きく拡張された、ピアノのためのいくつかの組曲のような作品が完成された。おそらく最も実験的だったのは、中でも《交響曲 第13番》で、これは単一の、おぼろげで風変わりな楽章で作曲され、フガートで締め括られる。また、作曲者自身がアメリカ初演を行なった唯一の作品でもあった。

ちなみに、《第1番》から《第4番》までの弦楽四重奏曲は、作品33と番号付けされているが、《第3番 ニ短調》と《第4番 ヘ短調》は、1900年代末期の作品を1930年代半ばに改訂したものであり、最初の2つと違って新作というわけではない。したがってこれら4曲の作曲様式はかなり異なっている。いずれにせよこれらの作品が、非常に高水準の職人芸に支えられて出来ていることは間違いない。

《交響曲 第6番》(1921年 - 1923年作曲)は唯一の合唱交響曲であり、27ある交響曲のうちで最長の作品である。1947年に改訂され、こんにち通常はこの改訂版によって演奏・録音されることが多い。終楽章にはいくつかの引用楽句が認められ、なかでもグレゴリオ聖歌《怒りの日》とフランスの革命歌の旋律が目立っている。

1933年以降の数年間は、もっぱら実験的様式からの後退を示している。これは、この時期にスターリンの全体主義体制の下、「社会主義リアリズム」が国家の公式な芸術政策の方針として推進されたことが大きく影響している。しかしながら、職人的な技術の見事さはそれ以降も健在であった。この時期よりミャスコフスキーは、堅実な技法に支えられて新ロマン主義に傾くようになる。オイストラフに献呈された《ヴァイオリン協奏曲》はこの時期の作品である。ミャスコフスキーはこのほかに、ロストロポーヴィチの愛奏した《チェロ協奏曲》を作曲しており、さらに《抒情的小協奏曲》作品32を協奏曲の中に数えるなら、しめて3曲の協奏曲を作曲したことになる。この時期の、ヴァイオリン協奏曲を除いてもう一つの妥協のない作品は、単一楽章の《交響曲 第21番 嬰ヘ短調》作品51である。1940年に作曲され、同年モートン・グールドの指揮によって録音された。これは簡潔にして最も叙情的な作品で、1920年代とは大きくかけ離れた和声言語が認められる。


晩年:古典化の時代
翌1941年の《交響曲 第22番 ロ短調「バラード」》は、一部は第二次世界大戦の最初の数年間に着想されたのかもしれない。また同年には、プロコフィエフやハチャトゥリアンらとともに、カバルディノ=バルカリア地方に疎開している。こういうわけで、プロコフィエフの《弦楽四重奏曲 第2番》やミャスコフスキー自身の《交響曲 第23番》および《弦楽四重奏曲第7番》に、揃ってカバルダ民謡が利用されたのである。

この頃に作曲されたソナタ楽章を含む作品群(交響曲や四重奏曲など)は、《交響曲 第24番》、《ピアノのためのソナチネ》、《弦楽四重奏曲 第9番》がある。これらは響きや作曲様式においてロマン主義的であり、その直接の影響は和声法や展開に如実に現れている。最後の2つの弦楽四重奏曲に認められるように、ミャスコフスキーは、じりじりとした神経症的なスケルツォを、臆することなく書いている(最後の出版作品となった《弦楽四重奏曲第13番》のスケルツォは変幻自在で、ほとんどキアロスクーロ画法のように対比付けられている)。《チェロ協奏曲》やロストロポーヴィチに献呈された《チェロ・ソナタ第2番》の場合に当てはまるように、全般的に切り詰められた手段によって、直接的でかなり濃密な表現が可能となっている。そこでは、スクリャービンやシェーンベルクが発想源でありえたような初期作品と同等の、実験的なものを喚起すべくもない。

このような後期様式に何かしらの一長一短があるのもやむを得まい。無論このようなことになったのは、部分的にであれ全体的にであれ、「ジダーノフ批判」のような攻撃をひらりとかわす必要があったからであろう。勿論かわしようのあるはずもなく、もう一度攻撃された末、ようやく没年に、それも没後に名誉回復された。ジダーノフ批判後の最晩年の作品はそれ以前にも増して保守的、復古的なものとならざるを得なかった。

1950年に逝去。40年もの長きにわたって出版された、作品番号にして87の楽曲を後世に残した。生前6度にわたってスターリン賞を受賞しており、この賞の獲得回数においてミャスコフスキーをしのぐ作曲家はいない。

影響力
ミャスコフスキーは多くの門弟を抱えた。1920年代からの20年間にミャスコフスキーの門人となった作曲家は、アラム・ハチャトゥリアンやロディオン・シチェドリン、ドミトリー・カバレフスキー、ヴィッサリオン・シェバリーン、さらに、アレクサンドル・ロクシーンやボリス・チャイコフスキー、エフゲーニー・ゴルーベフらがいる。ゴルーベフは教師で多産な作曲家であり、その門下にアルフレート・シュニトケがいる。


録音・演奏
演奏や録音の機会にあまり恵まれているとは言い難いが、交響曲第27番や吹奏楽のための交響曲第19番、チェロ・ソナタは比較的多い。ミャスコフスキーを敬愛していた指揮者としてエフゲニー・スヴェトラーノフが挙げられる。まだ現在のように再評価が進んでいなかった時期から彼の作品を積極的に取り上げていた。そして2001年に、現在唯一となる交響曲全集をリリースしている。その他、交響曲第21番は1940年代からよく知られており、ユージン・オーマンディらにしばしば演奏されている。

作品

交響曲 全27曲。

交響曲第1番ハ短調作品3 (1908年 3楽章 約40分)
Lento, ma non troppo - Allegro
Larghetto, quasi andante
Allegro assai e molto risoluto
交響曲第2番嬰ハ短調作品11(1911年 3楽章 約45分)
Allegro
Molto sostenuto (attacca)
Allegro con fuoco
交響曲第3番イ短調作品15(1914年 2楽章 約45分)
Non troppo vivo, vigoroso
Deciso e sdegnoso
交響曲第4番ホ短調作品17(1918年 3楽章 約40分)
Andante, mesto con sentimento
Largo, freddo e senza espressione
Allegro energico e marcato
交響曲第5番ニ長調作品18(1918年 4楽章 約40分)
Allegretto amabile
Lento, quasi andante - Andante
Allegro burlando
Allegro risoluto e con brio
交響曲第6番変ホ短調作品23(「革命」)(1923年 4楽章 約65分)-声楽つき
Poco Largamente ma allegro - Precipitato - Allegro feroce
Presto tenebroso - Andante moderato - Tempo I
Andante appasionato
Allegro vivace, quasi Presto
交響曲第7番ロ短調作品24(1922年 2楽章 約25分)
Andante sostenuto, calmo - Allegro minaccioso, poco stravagante
Andante - Allegro scherzando e tenebroso
交響曲第8番イ長調作品26(1925年 4楽章 約50分)
Andante - Allegro
Allegro risoluto e con spirito
Adagio
Allegro deciso -piu animato - tempo I
「ステンカ・ラージン」の物語に基づく。
交響曲第9番ホ短調作品28(1927年 4楽章 約40分)
Andante sostenuto
Presto
Lento molto
Allegro con grazia - Moderato pesante - Tempo I
第8番同様にステンカ・ラージンを題材とするらしい。
交響曲第10番ヘ短調作品30(1927年 単一楽章 約20分)
Un poco sostenuto
交響曲第11番変ロ短調作品34(1932年 3楽章 約35分)
Lento - Allegro agitato
Andante - Adagio, ma non tanto
Precipitato - Allegro
交響曲第12番ト短調作品35「十月」(1932年 3楽章 約35分)
Andante - Adagio severo -Allegro giocoso - Andante
Presto agitato
Allegro festivo e maestoso
交響曲第13番変ロ短調作品36(1933年 単一楽章 約20分)
Andante moderato
交響曲第14番ハ長調作品37(1933年 5楽章 約35分)
Allegro giocoso
Andantino, quasi allegretto - poco piu mosso - Tempo I
Quasi presto
Andante sostenuto
Allegro con fuoco
交響曲第15番ニ短調作品38(1935年 4楽章 約35分)
Andante - Allegro apassionato
Moderato assai
Allegro molto, ma con garbo
Poco pesante, Allegro ma non troppo
交響曲第16番ヘ長調作品39 (1936年 4楽章 約45分)
Allegro vivace
Andante e semplice, quasi allegretto
Sostenuto - Andante marciale, ma sostenuto
Tempo precedente - Allegro, ma non troppo
交響曲第17番嬰ト短調作品41(1937年 4楽章 約50分)
Lento - Allegro molto agitato
Lento, Assai - Andantino, ma non troppo
Allegro poco vivace
Andante - Allegro molto animato
交響曲第18番ハ長調作品42(1937年 3楽章 約25分)
Allegro risoluto
Lento, ma non troppo
Allegro giocoso
十月革命(ロシア革命)20周年記念。
交響曲第19番変ホ長調作品46(1939年 4楽章 約25分)
Maestoso - Allegro giocoso
Moderato
Andante serioso
Poco Maestoso - Vivo
赤軍創立21周年記念作品。吹奏楽のための交響曲。第2楽章は日本では一時、コマーシャルにも使われていた。
交響曲第20番ホ長調作品50(1940年 3楽章 約25分)
Allegro con spirito
Adagio
Allegro inquietto
交響曲第21番嬰ヘ短調作品51(「交響幻想曲」)(1940年 単一楽章 約15分)
Andante sostenuto - Allegro non troppo,ma non impeto - Tempo I
交響曲第22番ロ短調作品54「大祖国戦争についての交響バラード」(1941年 3楽章 約35分)
Lento - Allegro non troppo (attacca) (Images of Peaceful Life Overshadowed Somtimes by Menaces)
Andante con duolo, quasi Adagio (attacca) (Listening to Horrors of War)
Allegro energico, ma non troppo vivo (And the Enemy trembled)
交響曲第23番イ短調作品56「北コーカサスの歌と踊りの主題による交響組曲」(1941年 3楽章 約35分)
Lento
Andante molto sostenuto
Allegretto Vivace
交響曲第24番ヘ短調作品63(1943年 3楽章 約35分)
Allegro deciso
Molto sostenuto
Allegro apassionato
交響曲第25番変ニ長調作品69(1946年 3楽章 約35分)
Adagio
Moderato
Allegro impetuoso
交響曲第26番ハ長調作品79「ロシアの主題による」(1948年 3楽章 約40分)
Andante sostenuto - Allegro
Andante quasi lento - Allegro giocoso - Tempo I (a dpppio meno mosso)
Adagio - Allegro maestoso
交響曲第27番ハ短調作品85(1949年 3楽章 約35分)
Adagio - Allegro animato
Adagio
Presto ma non troppo Marciale


シンフォニエッタ
シンフォニエッタ 作品10
弦楽のためのシンフォニエッタ 作品32-2(1928/29年)
シンフォニエッタ 作品68(1945/6年)


協奏曲
フルート、クラリネット、ホルン、バスーン、ハープ、弦楽合奏のための叙情的小協奏曲 作品32-3(1928/29年)
ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品44(1938年、改訂1939年) オイストラフに献呈
チェロ協奏曲ハ短調 作品66(1944年)

管弦楽曲
序曲(1909年)
悲愴序曲 作品76(1947年)
交響詩『沈黙』作品9(1909/10年) ‐ ポーの『大鴉』を基とする
交響詩『アラストル』作品14(1912/13年)
室内楽のためのセレナード 作品32-1(1928/29年)

吹奏楽曲
祝典行進曲 変ロ長調(1930年)
劇的行進曲 ヘ長調(1930年)
《ヘ短調の行進曲》《ヘ長調の行進曲》 作品53(1941年)
劇的序曲 ト短調 作品60(1942年)

室内楽曲
弦楽四重奏曲
番号付きは全13曲。

弦楽四重奏曲 ヘ長調(1907年)
弦楽四重奏曲 第1番 イ短調 作品33-1(1930年)
弦楽四重奏曲 第2番 ハ短調 作品33-2(1930年)
弦楽四重奏曲 第3番 ニ短調 作品33-3(1930年)
弦楽四重奏曲 第4番 ヘ短調 作品33-4(1937年)
弦楽四重奏曲 第5番 ホ短調 作品47(1938〜39年)
弦楽四重奏曲 第6番 ト短調 作品49(1939〜40年)
弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 作品55(1941年)
弦楽四重奏曲 第8番 嬰ヘ短調 作品59(1942年)
弦楽四重奏曲 第9番 ニ短調 作品62(1943年)
弦楽四重奏曲 第10番 ヘ長調「古いノートから」作品67-1(1945年)
弦楽四重奏曲 第11番 変ホ長調「思い出」作品67-2(1945年)
弦楽四重奏曲 第12番 ト長調 作品77(1947年)
弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 作品86(1949年)

チェロ・ソナタ
第1番 ニ長調 作品12 (1911年)
第2番 イ短調 作品81 (1948年、67歳)

ピアノ・ソナタ
番号付きのものは全9曲。

第1番ニ短調作品6(1909年)
第2番 嬰ヘ短調作 品13(1912年)
第3番 ハ短調 作品19(1920年)
第4番 ハ短調 作品27(1925年)
第5番 ロ長調「古いノートから」作品64-1(1944年)
第6番 変イ長調「古いノートから」作品64-2(1944年)
第7番 ハ長調 作品82(1949年)
第8番 ハ長調 作品83(1949年)
第9番 ハ長調 作品84(1949年)

声楽曲
カンタータ『キーロフ万歳』作品61 (1942/43年)
カンタータ『夜のクレムリン』作品75 (1947年)
歌曲

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC


http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/717.html

[近代史6] ニコライ・ミャスコフスキー 交響曲第27番 ハ短調 作品85
ニコライ・ミャスコフスキー 交響曲第27番 ハ短調 作品85


Symphony No. 27 in C Minor, Op. 85
Artist: Evgeny Svetlanov
Artist: USSR Symphony Orchestra






交響曲第27番 ハ短調 作品85は、ニコライ・ミャスコフスキーが作曲した最後の交響曲である。最晩年の1949年から1950年にかけて作曲され、1950年12月9日にアレクサンドル・ガウクの指揮で初演されたが、ミャスコフスキーは同年8月8日にすでに死去していたため、これを聴くことはできなかった。


翌1951年に、弦楽四重奏曲第13番作品86と共にスターリン賞を受賞した。


楽器編成
ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コーラングレ、クラリネット(B♭管)2、バス・クラリネット(B♭管)、ファゴット2、コントラファゴット、トランペット(B♭管)3、ホルン(F管)4、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、小太鼓、シンバル、大太鼓、弦五部


楽曲構成
3楽章からなる。全曲で約35分。


アダージョ - アレグロ・アニマート
アダージョ
プレスト・マ・ノン・トロッポ


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC27%E7%95%AA_(%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/718.html

[近代史6] ニコライ・メトネル(Nikolai Karlovich Medtner、1880 - 1951)
ニコライ・メトネル(Nikolai Karlovich Medtner、1880 - 1951)

ラフマニノフと同時代のピアノ音楽作曲家。大衆性に傾いておらず、テクニカルを極めている点では、ラフマニノフ以上だろう。

ピアノソナタ

ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調作品5
3.3点
全4楽章31分。1楽章は雄大で格好いい曲であり、いきなり本格的。全体に若書きらしいまとまりの悪さや粗さ、密度の低さはある。しかし、ピアノを雄大に使ってスケール大きく響かせて巨大な音楽を作る能力、ピアノに適合した書法の良さや音楽の作り方にかけては既に相当な高レベルに達している。4つの楽章は全てそれなりに良くて、聞き応えがある。

第2番、第3番、第4番はそれぞれ単一楽章の作品で別々に演奏可。3曲でソナタ三部作を形成。 作品11
3.0点
独立した単一楽章ソナタ3作品全24分。2曲目がやや穏やかなので全部をまとめて1作品のように聴いてもよいと思う。若気の至りのような作品5よりも大人っぽくて艶がある音楽になった。所々に光る場面があるし、聞き応えはあるのだが、やはり10分以内というキャンバスの小ささのせいか、広がりが足らず印象はまあまあという感じである。

ピアノ・ソナタ第5番 ト短調作品22(1909年 - 10年作曲)《お伽話ソナタSonata-Skazka》
3.3点
単一楽章15分。メトネルの一番有名なソナタ。複数主題を絡ませるて演出す複雑さと、洗練されたピアニズムが存分に発揮されている。激しさよりもリリシズムの比重が高いと感じる。15分の長さはスケール感と精神世界を冒険するようなドラマの構築と考え抜かれた構成を満たすのに良い長さであり、それを見事に活かしている。

おとぎ話ソナタ 作品25-1
全3楽章11分。5分以上の楽章が無いのはこの曲のみ。夢のような幻想的雰囲気が支配していて割と詩的。短い曲の割にはスケール感があり、聞き応えがある。ソナチネのような長さに聞こえない。

ピアノ・ソナタ第7番 ホ短調《夜の風」作品25-2
4.0点
全2楽章33分。メトネル最大のソナタであり長大で複雑な曲。1楽章は8分の15拍子。奔流のようなロマンティシズムの横溢が凄い。自由な幻想曲のように聞こえる場面も多い。艶のある美しい楽章。2楽章は前の楽章の素材を使いながらエネルギーを増して、巨大な流れを作る。これほど大規模で技巧的かつ作品としてのまとまりと巨匠性があり、20世紀に到達したピアノの器としての限界を引き出したピアノ独奏作品を自分は知らない。

バラード風ソナタ嬰ヘ長調 作品27
3.5点
全3楽章22分。古い物語を語るような1楽章はバラード風という副題がしっくりくる。割と明るいし、雰囲気と話の展開はなかなか楽しい。2楽章のゴツゴツとした和音の作る雰囲気もいいし、3楽章は詩情があり、雄弁に物語を構築していく。全体に成熟しており統一感があるし、内容が濃くて分かりやすい。

ピアノ・ソナタ第9番 イ短調作品30
2.5点
単一楽章12分。友人に戦争ソナタと呼ばれていたという攻撃的な内容である。しかし、面白い場面やはっとするようなメロディーが少なくて、霊感がやや足りない気がする。あまり印象に残らない。

ピアノ・ソナタ第10番 イ短調《回想のソナタ Sonata-Reminiscenza》作品38-1
3.0点
16分。メトネルのソナタにしては例外的に音数が少なく、しっとりとしていて、しんみりとする音楽がずっと続く。多少の盛り上がりはあるものの、激しくならない。メロディーは秀逸という程ではない。だが、切ない歌は心にそれなりに迫るものがあり、通俗的な分かりやすいメロディーに頼らないで、ピアノを繊細にたっぷり歌わせる事で情感を表現出来ている。長いが飽きる事はなかった。

ピアノ・ソナタ第11番 ハ短調 《悲劇的Sonata-Tragica》 op. 39 no. 5 作品 39-5
2.8点
発想が若干陳腐に感じられる。だが、ピアノの激しい音使いや高速やパッセージが格好よくて楽しめる。

ピアノ・ソナタ第12番 変ロ短調《ロマンティック》Romantica作品 53-1
2.3点
全4楽章。1楽章は確かに多少ロマンチックかもしれない。全体にかなり物足りないというのが正直なところ。特に最後の楽章はメロディーが面白くなくてセンスの無さやまとまりの悪さが目立つので、割と長い曲なだけに嫌になってきてしまう。2楽章の高速パッセージは楽しいが。

ピアノ・ソナタ第13番 ヘ短調《嵐 Minacciosa》作品 53-2
2.5点
単一楽章16分。全体としては取り留めのない茫洋とした雰囲気。その中で印象に残ったのは中間の高速の対位法的部分。非常にテクニカルで格好よくて痺れた。

ピアノ・ソナタ《牧歌ソナタ Sonate-Idylle》ト長調 作品56 1937年
3.0点
全2楽章。最後を締めくくるに相応しい感動的なソナタ。1楽章はほのぼのとした牧歌風の曲であり、2楽章は感動的に盛り上がっていく。メロディーは地味だがテクニカルでバランスのよいピアノの書法はここでも素晴らしい。

その他ピアノ曲
2つのおとぎ話 作品8 (1904-5年)
3.8点
2曲とも非常にキレがよい。不協和音や妥協のない先鋭的な音の使い方、不安定でせき立てるような雰囲気と前衛的な和音の進行、20世紀的への道を切り開いたかのような驚異的な作品である。若き日のプロコフィエフが絶賛した作品というのも納得。

組曲『忘れられた調べ I』 作品38 1918-20
3.3点
超テクニカルな曲から、メロディーをおおらかに聴かせる曲まで色々な曲が集まっている。名曲というほどではないが、ピアノの扱いの自由さと巧みさをいかしたバラエティーの豊さとスケールの大きさのため、楽しんで聴くことが出来る。この自由さは素晴らしい。多くのソナタと同様かそれ以上に楽しめる。

組曲『忘れられた調べ II』作品39 1919-20
3.3点
最初の二曲は内向的で瞑想的な曲。3曲目はテクニカルだが、夜想曲のような雰囲気がある。4曲目も夜想曲のようで、エピローグのような雰囲気であり、メロディーが珍しくとても良い曲。全体に1集ほどの自由さがないため、曲の良さとしては同じくらいか上かもしれないのだが、面白さの点では劣る。


ピアノ協奏曲
ピアノ協奏曲第1番ハ短調 作品33 (1914年 - 18年>

ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品50(1920年 - 27年

ピアノ協奏曲第3番 ホ短調作品60(1940年 - 43年)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29


ニコライ・カルロヴィチ・メトネル(ロシア語: Николай Карлович Метнер ニカラーイ・カールラヴィチュ・ミェートニェル;ラテン文字表記の例:Nikolai Karlovich Medtner、1880年1月5日モスクワ - 1951年11月13日ロンドン)は、 ロシアの作曲家、ピアニスト。

経歴
作品番号にしておおよそ60以上におよぶ曲集と、番号なしの若干の作品を残す。作品のジャンルは、ピアノ独奏曲、ヴァイオリンとピアノのための曲、ピアノ伴奏つき歌曲、ピアノ五重奏曲、2台のピアノのための作品、3曲のピアノ協奏曲などである。 そのうちソナタは、ピアノ・ソナタが14曲で、ヴァイオリン・ソナタが3曲、声楽とピアノのためのヴォカリーズ・ソナタが1曲である。

父方・母方とも祖先はドイツ人で、プロテスタントを信仰する実業家の家庭に育つ。父方の祖先は、18世紀にはロシアに移住していたと考えられている。また母方の従兄弟は、同じく作曲家であったアレクサンドル・ゲディケである。

なお、妻アンナは、初めニコライの実兄で文芸評論家であったエミーリイ・メトネル(ロシア語版)の妻だったが、エミーリイと離婚後、1919年にニコライと結婚。夫の死後、1958年に、メトネルの自筆楽譜を携えてソ連に帰国した。

モスクワ音楽院ではピアノを専攻、ヴァシーリイ・サフォーノフの指導を受けたが、セルゲイ・タネーエフほかに作曲も学ぶ。1900年に金メダルを受賞して卒業後、ピアニストとして活動を始めるが、恩師タネーエフの勧めもあり、後には作曲も本格的に開始した。1909年に母校のピアノ科で教授を務めるも、多忙により翌年辞任、1914年に復職。1916年には、作曲によりグリンカ賞を受賞。

前途洋洋に思われたが、1917年にロシア革命が勃発。しばらくはソ連に留まっていたが、やがて友人であったラフマニノフのように、演奏旅行の名目でロシアを出国。亡命の意図はなかったが、1927年の演奏旅行以外に、ついに母国に戻ることはなかった。

1925年、パリに定住したが、フランス六人組やストラヴィンスキーが主導権を握る、第一次世界大戦後のフランスの音楽界になじめないものを感じていた。それでもロンドンに落ち着くのはようやく1936年のことであった。晩年にロシア人としての自意識に目ざめ、正教に改宗した。

メトネルの晩年には、多くの支援者が現れた。同じくピアノ音楽の作曲家であったカイホスルー・シャプルジ・ソラブジの他にも、マイソール藩王国(1399年 - 1947年、現インドカルナータカ州)最後の藩王・ジャヤ・チャーマ・ラージャ・ウォディヤール(1919年 - 1974年)が、メトネルの作品を愛好し、私財を投じて「メトネル協会」を設立。その基金により、英国グラモフォンが自作を含むメトネルの演奏を録音した。メトネル協会はまずHMVから3集が出版され、第1集にピアノ協奏曲第2番および歌曲、小品、第2集が同第3番、ソナタ・ヴォカリーズ他、第3集に同第1番、朝の歌、悲劇的ソナタ他が収録された。そうした録音の中に、ベンノ・モイセイヴィチが伴奏を勤めた2台ピアノのための作品、さらに英コロムビアからメトネルが伴奏を務めエリーザベト・シュヴァルツコップが、1913年作曲の「ミューズの女神」(アレクサンドル・プーシキン作詞)などのリートを歌ったものが残された。

なお、メトネルの庇護者ウォディヤールは、マイソール藩王国がインド連邦に組み込まれた後もマイソール・マドラス両州の知事を務めたほか、慈善事業家・音楽学者・哲学者・社会思想家としてイギリスでも活動した人物で、数々の著作や学術論文によって受賞もしている。

メトネルは1951年11月13日にロンドンで死去し、ロンドン市内のヘンドン(英語版)のヘンドン墓地に埋葬された[1]。

作品

現在では彼の作品はマルク=アンドレ・アムラン、ヘイミッシュ・ミルン、ボリス・ベレゾフスキー、ニコライ・デミジェンコ、ウラジーミル・トロップ(ロシア語版)、イリーナ・メジューエワ、日本人では川上昌裕、有森博、熊本マリ、内藤晃らによって演奏や録音がなされている。


ピアノ独奏曲
「ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調作品5」は、 1902年から03年に作曲された4楽章の作品で、スクリャービンやラフマニノフの作曲様式を示している。メトネルの作曲様式は後年になって精巧さと複雑さを帯びるようになるが、それでもこの作品はすでに堅固である。開始の「アレグロ Allegro」楽章は劇的で、多くのメトネル作品のように鐘の響きが染み付いている。この楽章を、リズミカルで力強い「間奏曲 Intermezzo」の間に、緩徐楽章「ゆるやかに熱中して Largo divoto」が挟み込まれており、「速やかに決然と Allegro risoluto」したフィナーレに辿り着くより先に、 たっぷりとした「荘厳な Maestoso」クライマックスが形成される。

第2番、第3番、第4番の「ピアノ・ソナタ」はそれぞれ単一楽章の作品で、別々に演奏することができるのだが、3曲で「ソナタ三部作Sonata-Triad」を形成している(作品11、変イ長調、ニ短調、ハ長調、1904年 - 08年作曲)。ニ短調のソナタは、《悲歌Sonate-Elegie》と題され、緩やかに始まるが、いわゆるコーダにおいて「きわめて速く、倍の速さでAllegro molto doppio movimento」、しかも長調で結ばれる。変イ長調のソナタはかなり控えめであるのに対して、ハ長調のソナタは、がむしゃらさに欠けるものの、それでもこの曲集の壮大な終結部であると見なしうる。

最も有名な「ピアノ・ソナタ第5番 ト短調」作品22(1909年 - 10年作曲)は、緩やかな導入部が、3つの主題をもつ、突進するようなソナタ形式の主部と交代するのだが、そのうち一つはすでに導入部で予告されていたものにほかならない。この短い(15分かそこらの)作品の形式的・情緒的な中心は、「間奏曲:静々と歩くように、痛々しく Interludium: Andante lugubre」であり、これが展開部の大半に置き換わっている。

その直後に完成されたのが、2曲からなる作品25の第1曲《お伽話ソナタSonata-Skazka》である。この短いハ短調のソナタは、1910年から11年に作曲され、「速やかに、奔放に Allegro abbandonamente」、「活き活きと闊歩して Andantino con moto」、「速やかに、颯爽と Allegro con spirito」と題された3楽章で構成されているのだが、第2楽章と第3楽章が連結されている。開始楽章は規則どおりのソナタ形式なのに対して、緩徐楽章が開始楽章の第1主題に復帰する間に、フィナーレの威嚇的な行進曲となる。フィナーレは変奏曲が続いてコーダで結ばれるが、コーダは先行楽章のさまざまな主題を、多角的に見直したものにほかならない。

続く作品25の第2曲「ピアノ・ソナタ第7番 ホ短調《夜の風》」は、フョードル・チュッチェフの詩「Silentium」に基づいており、その抜粋が題辞として掲げられている。1911年に作曲された、いくつかの部分からなる単一楽章の作品で、通常は演奏するのに大体30分ほどを要する、メトネル作品の中でも最も野心的な力作である。基本的にソナタ形式の楽章だが、幻想曲が続き、活発だが陰のあるコーダで締め括られる。セルゲイ・ラフマニノフに献呈され、メトネルを援助したカイホスルー・シャプルジ・ソラブジが「20世紀最高のピアノ曲」と絶賛した。

次なる「バラード風ソナタ嬰ヘ長調 作品27」も単一楽章の作品として着手されたが、1912年から14年にかけて、今度は「バラード、序奏と終曲」という2楽章ないしは三楽章構成に落ち着いた。第1楽章は、メトネル作品の中でも愛らしい旋律の一つに始まる。フィナーレは、《ピアノ五重奏曲》と同じく、自作のプーシキン歌曲「ミューズの女神」と主題的に関連している。調性や楽想から、ショパンやリャードフの《舟唄》へのオマージュと見なされることもある。  自作自演録音が存在する。

「ピアノ・ソナタ第9番 イ短調」作品30は単一楽章の作品で、副題がないのが珍しい(ごく稀に「戦いのソナタ」と呼ばれる)。レフ・コニュスに献呈されており、全編を通して当時の物々しい世相を反映した雰囲気を帯びる。典型的なソナタ形式で書かれているが、特に5ページもわたるコーダの充実振りは特筆すべきものである。

「ピアノ・ソナタ第10番 イ短調《回想のソナタ Sonata-Reminiscenza》」作品38-1は、《忘れられた調べ(第1集)》と呼ばれる、8曲からなる組曲の1曲めに当たる(《忘れられた調べ》は、作品38 - 40の3つがあり、ソナタ第10番と第11番は、1918年 - 20年に作曲された)。この単一楽章の、穏やかなテンポの作品の気分は、郷愁と執着である。作品38のその他の曲は、このソナタのいくつかの変奏と、終曲の「想い出のうちに Alla Reminiscenza」である。ギレリスはこのソナタ(と作品22)を録音し、レパートリーに入れていた。

「ピアノ・ソナタ第11番 ハ短調 《悲劇的Sonata-Tragica》 op. 39 no. 5 」作品 39-5は、《忘れられた調べ 第2集》の終曲である。この曲集でも主題の循環が行なわれており、ソナタに先立つ曲《朝の歌 Canzona matinata》には、ソナタで一度聞こえる主題が含まれているだけでなく、この曲とソナタを一緒に演奏せよとの意味で、「アタッカ」―休止なしで―の指示が出されている。このソナタもソナタ形式で書かれているが、テンポは「速やかに Allegro」と指定され、猛々しく、3つの主題のうち1つを(《朝の歌》の名残り)再現することができぬまま、コーダに突入していくのである。自作自演録音が存在する。

「ピアノ・ソナタ第12番 変ロ短調《ロマンティック》Romantica」作品 53-1は、次のソナタと並んで、かなり後になって――1931年 - 32年に――作曲された。すなわち、ピアノ協奏曲第2番と第3番の間に書かれた作品にほかならない。この4楽章のソナタは、「ロマンス Romance」(変ロ長調)、「スケルツォ Scherzo」(変ホ短調)、「瞑想曲 Meditazione」(ロ短調)、「フィナーレ Finale」(変ロ長調)の順で構成されている。曲末に、《お伽話ソナタ》からの引用句が含まれている。

「ピアノ・ソナタ第13番 ヘ短調《嵐 Minacciosa》」 (別称「嵐 Tempest」)作品 53-2 は、もう一つの単一楽章の作品で、本当に荒々しい。作品30ほどではないにせよ、非常に半音階的で、印象的なフーガが続く。

最後となったピアノ・ソナタ《牧歌ソナタ Sonate-Idylle》ト長調 作品56は、1937年の作品である。これは2楽章の作品で、短めのパストラル楽章「快速に、歌うようにAllegretto cantabile」と、「程よく快速に、歌うように(常に一定のテンポで)Allegro moderato e cantabile (sempre al rigore di tempo)」と指示されたロンド楽章とで構成されている。和声の色彩感が繊細なので、2つの楽章で「カンタービレ(歌うように)」という表示は、曲の気分や感覚を効果的に方向付けている。


ピアノ協奏曲
メトネル自身により、全曲とも自作自演の録音が残されている。

《ピアノ協奏曲第1番ハ短調 作品33》 (1914年 - 18年 ロシア》  この作品こそ、メトネルの最高傑作と言って過言ではない作品である(但し、前出のソラブジは、ピアノ協奏曲第2番こそが古今のピアノ協奏曲群の中で最高傑作であると言っている)。曲は3楽章構成であるが、通常のピアノ協奏曲と異なり、フランツ・リストのピアノ協奏曲第2番のように最後まで間断なく演奏されるものとして作曲されている。ロシア時代の作品であるため、後期ロマン派の形式美が確固としており、調性の逸脱は無く、循環形式的手法が綿密な計算の下で採用されている。曲のテクニカルな難度についてであるが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を超える最高難度の超絶技巧が要求されるピアノ協奏曲第2番作品50(この作品は、作曲時期とラフマニノフに献呈された事実からも分かるように、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番に用いられた難技巧の数々を、メトネル自身が徹底して研究した上で作曲されたものと思われる)には及ばないものの、メトネル渾身の野心的作品であることから相当に高度な技術・技巧が要求されることは言うまでもない。また、ピアノが主導的な役割を演じながら、オーケストラと一体化する交響曲or交響詩的な作品でもある。その意味で、この曲の演奏には充実したオーケストラが必須である。

《ピアノ協奏曲第2番ハ短調 作品50》(1920年 - 27年は、〈トッカータ Toccata〉〈ロマンスRomanza〉〈ディヴェルティメント Divertimento〉の3楽章によっている。第1楽章は躍動しながら精力的で、ピアノとオーケストラとのバランスが絶妙である。第2主題は、作品14の《おとぎ話》(1906年 - 07年)のうち1曲〈勇者の行進〉のものに似ている。〈ロマンス〉楽章と〈ディヴェルティメント〉楽章は、それぞれ性格の点で異なっており、とりわけ〈ディヴェルティメント〉楽章は、変化に富んだ響きがする。ラフマニノフへ献呈され、1927年にロシアへ一時帰国した際に初演された。2004年1月23日、サントリーホールでマルカンドレ・アムランの独奏、オッコ・カム指揮の東京フィルハーモニー交響楽団により日本初演されている。

《ピアノ協奏曲第3番 ホ短調作品60》(1940年 - 43年)は、作曲者の晩年に書かれた評伝と、同時期に成立した作品である。3つの楽章は連結されており、第1楽章〈動きをつけて幅広くCon moto largamente〉はしばし眠っているかのようで、エネルギーを必要としているが、第2楽章〈間奏曲Interludium 〉は〈速やかに、音を充分たもって、神秘的にAllegro, molto sostenuto, misterioso〉との発想記号をもち、第1楽章を回想して、第3楽章を予告する。長大な終楽章は、〈極めて速やかに。目覚めたように、雄々しくAllegro molto. Svegliando, eroico〉と指示されたソナタ形式の楽章で、作品全体をエネルギッシュに締め括っている。


室内楽
「ヴァイオリン・ソナタ第3番 ホ短調《エピカ》」作品57(1938年)は、とりわけダヴィッド・オイストラフによる録音で知られている。〈(序奏―静々と穏やかに)Introduzione – Andante meditamente〉、〈スケルツォ(速やかに、非常にきびきびと、軽やかに)Scherzo – Allegro molto vivace, leggiero〉、〈(静々と、動きを付けて)Andante con moto〉、〈フィナーレ(極めて速やかに)Finale – Allegro molto〉の4楽章からなり、演奏には45分ほど要する。

序奏は、静かに、だが執拗に和音を重ねてゆき、そこにヴァイオリンの旋律が加わる。その旋律が、続くソナタ楽章の――冗長な――第1主題となり、模倣による行進曲などのその他の主題と、組み合わされてゆく。

イ長調のスケルツォ楽章は、開始楽章の速めの楽節から取られたリズムのようで、一種のロンド形式で作曲されている。

開始楽章のさまざまな回想に続いて現れるのは、アンダンテ楽章、今度はヘ短調の哀歌である。このパッセージが終わると見せかけておいて、今度は開始の部分に基づく変奏となり、しだいにアタックが大きく、てきぱきとしてくると、ホ短調となって、超絶技巧を要するフィナーレへと達する。


作曲以外の出版物
メトネル唯一の著書「ミューズと流行〜芸術音楽の原則を擁護して The muse and the fashion, being a defence of the foundations of the art of music」(1935年出版、1957年再刊、現在は絶版中か)は、彼の芸術上の信条告白と、同時代のいくつかの風潮に対する反発が表明されている。メトネルは、音楽には不変の法則があり、その本質とは歌にあると固く信じていたのであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%8D%E3%83%AB
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/719.html

[近代史6] ニコライ・メトネル ピアノ・ソナタ 第7番 ホ短調《夜の風」作品25-2
ニコライ・メトネル ピアノ・ソナタ 第7番 ホ短調《夜の風」作品25-2


Marc-André Hamelin Plays: Nikolai Medtner- "Night Wind" Sonata, Op. 25 No. 2






Boris Berezovsky plays Medtner - "Night Wind" Sonata (Moscow, 2005)



Boris Berezovsky, piano
Moscow Conservatory, February 2005



Irina Mejoueva plays Medtner Night Wind Sonata, etc
Skazki No. 2 In a Minor, Op. 51
Skazki No. 4 In a Minor, Op. 51
Sonata-Elegy in D minor op.11 No.2
3 Morceaux op.31
Night Wind Sonata Op. 25 No. 2


https://www.youtube.com/watch?v=LL61dkgbpEQ

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/720.html

[近代史5] 整形で顔が極端に変わってしまった衝撃写真をゆっくり解説! 中川隆
3. 中川隆[-16170] koaQ7Jey 2021年10月02日 08:58:37 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[4]
【ゆっくり解説】これは酷すぎる...整形で大失敗してしまった人たち
2021/10/01




今回は「整形で失敗した人」の話です。
やはり自然の姿にメスを入れるのはかなり怖いですよね。
整形以外の方法でも自分を磨くことは可能だと思うので、極力整形に頼るのは止めた方が良いでしょう。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1116.html#c3
[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
55. 中川隆[-16169] koaQ7Jey 2021年10月02日 09:00:09 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[6]
【ゆっくり解説】想像を絶する...過酷すぎる職業“特殊清掃員”
2021/10/01



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c55
[近代史5] 凄すぎた「昭和の常識 15選」令和との違いがやばすぎる!テレビはぶっ叩く、現金手渡し、車の窓はくるくる、1ドル360円、消費税なし。
【ゆっくり解説】凄すぎた「昭和の常識 15選」令和との違いがやばすぎる!テレビはぶっ叩く、現金手渡し、車の窓はくるくる、1ドル360円、消費税なし。




http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1143.html

[近代史6] アーノルド・バックス(Sir Arnold Edward Trevor Bax, KCVO, 1883 - 1953)
アーノルド・バックス(Sir Arnold Edward Trevor Bax, KCVO, 1883 - 1953)

一次大戦と二次大戦の間に沢山の交響曲を書いた人。渋めの作風が個人的には好みである。

交響曲
交響曲第1番 (1922)
3.3点
マイナー曲らしい地味な渋さを持ちつつも、SFの映画音楽のようなキラキラした壮大さと展開の大仰さを持っていてなかなか愉しい宇宙的な冒険心をそそる音楽になっている。このため次の展開を楽しみにしながら聴いていける。イギリスらしい端正さと田舎くささももちろんあり、一方でブリテンに似たイギリスらしい独特の音の感覚をバックスも強く感じさせる。とはいえ派手さや旋律に頼らないで地道に音楽を作っていくような感じもあるのが個人的にツボである。

交響曲第2番 (1926)
3.3点
SF映画のようなスペーシーな壮大な派手さが愉しい。基本的に叙景的で想像世界を描く楽しみの音楽であり、精神的な深堀りは感じない。精神的な場面展開に心を委ねて想像世界を彷徨する楽しみが好きな人ならば、一定の満足感を得られると思う。耳を強く捉えるメロディーがないためメジャーになる日が来るとは思えないのだが、マイナー交響曲の愉しみを満喫できる作曲家の1人だと感じる。

交響曲第3番 (1929)
3.3点
空間的な描写的な要素が非常に大きい2番までと違い、もっと心理的な内面的部分の描写が多くなっている。そして、響きに浮かない気分や渋さが増加している。2番までと好みは分かれるかもしれない。とはいえ、エンターテイメント音楽の方向性ではあり、楽しみながら聴くもので思想的な何かは感じない。最後の楽章はかなり華やかでSF音楽的である。あと一押しの何かがあったらなかなかの名作になり得た曲。

交響曲第4番 (1931)
2.8点
なんだか地味でうだつの上がらない感じの曲である。イマイチ冴えない印象が強く、ある程度感じられた才能の輝きがなくなってしまっている。特に前半は面白くなくてがっかりしながら聴いた。最後の盛り上げ方も、まるで素人が書いたような曲と思ってしまった。

交響曲第5番 (1932)
3.3点
しなやかな夜の幻想性の世界の音楽。壮大さを取り戻しており、描写的なだけでない雰囲気の幻想性と変容を楽しめる。内面的な深堀りは相変わらずないが、輝かしさと渋さを併せ持つために一定の奥深さはある。とはいえ、音を楽しむ音楽であり、音の変容の流れに身を委ねるのが愉しい。まるでラフマニノフのように心の欲求に音楽の緩急を合わせるのが上手くなっている気がする。最終楽章はバックスらしい豪華な盛り上がりを魅せるが、旋律が渋目で表面的な盛り上がりにならないように抑制しているように聴こえる。

交響曲第6番 (1935)
3.0点
随分と幻想的な世界観の曲である。現実的な感触に乏しく、ずっと夢の中の自由に変容していく世界にいるように感じる。とりとめのない雰囲気自体は悪くないが、前半は発想の天才性が足りず地味で光るもののない音楽という気もしてしまう。しかし、2楽章の後半になると音楽が心を捉えて沁みてきて感動する場面が増えていく。そこから切れ目なしに続く次の楽章も良い。ダイナミックな動きと揺れ動く幻想性のバランスがツボにはまる。

交響曲第7番 (1939)
2.5点
1楽章は派手に音を鳴らしながら場面を次々と移していく音楽。しかし盛り上げるような音にはなったりするが全体的な方向性が定まらないため気分的にもやもやしてしまい、あまり面白くない。2楽章も似たような印象がある。雰囲気は悪くないが冗長すぎて繰り返しが多く、その中での方向性が把握しにくくてあまり楽しめない。その印象は引き続き最後の楽章まで続いてしまう。


管弦楽曲
交響詩「ティンタジェル」(1919)
3.3点
バックスの良さが典型的に現れた華やかで空間的な描写を楽しめる曲。交響曲の広大さはない物足りなさはあるのだが、コンパクトに作られており聴きやすくて良い。ブルックナーの8番最終楽章の壮大さを連想させるとともにエネルギーを持った高揚感もあるのだが、もっとぶっとんだような突き抜けた地点に到達してほしかった感じがする。そうすればもっと有名になれたと思うのだが。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9

サー・アーノルド・エドワード・トレヴァー・バックス(Sir Arnold Edward Trevor Bax, KCVO, 1883年11月8日 ロンドン - 1953年10月3日 アイルランド、コーク)は、イギリスの作曲家。


人物
若い頃から音楽の才に恵まれ、どんな管弦楽作品でも一度聞いただけでピアノに編曲できたという[1]。

やがて王立音楽アカデミー・王立音楽大学に進み、スタンフォードやパリーらに学ぶ[1]。この頃にイェイツのアイルランド民話集『ケルトの薄明』に接し、自身のルーツがアイルランド系であることもあいまって、ロマン主義・印象主義の中にケルトの要素を取り入れた独自の作風を確立する[1]。

ケルト文化以上にバックスの作品に強く影響を及ぼしているのは、ピアニストのハリエット・コーエンへの慕情である[1]。バックスは既に妻子のある身でありながらコーエンと恋に落ち、その当時に作曲した作品中には、恋愛感情を反映したロマンティックな雰囲気が見て取れる[1]。

その後、第二次世界大戦前夜の暗い世相の中でバックスの創作意欲は薄らぎ、開戦以降に作曲された作品はごくわずかである[1]。

没後長らく半ば忘れられた存在であったが、シャンドス・レーベルからCD発売された作品集で、近年その名を知られるようになった[1]。

同じくイギリスの作曲家グスターヴ・ホルストに占星術の手ほどきをした劇作家クリフォード・バックス(英語版)は弟であり、アーノルド自身もホルストとは親しい間柄であったという。

作品

バレエ
ロシア人の踊り子の真実

交響曲
全曲が3楽章構成で書かれている。

交響曲第1番 (1922)
交響曲第2番 (1926)
交響曲第3番 (1929)
交響曲第4番 (1931)
交響曲第5番 (1932)
交響曲第6番 (1935)
交響曲第7番 (1939)

管弦楽曲
管弦楽のための4つのスケッチ
交響詩3部作「黄昏に」「妖精の丘で」「Rosc-Catha」(1908年-1910年)
交響詩「クリスマス・イヴ」(1912年)
交響詩「ファンドの園」(1913年)
交響詩「春の火」(1913年)
交響詩「十一月の森」(1917年)
交響詩「夏の音楽」(1921年)
交響詩「ティンタジェル」(1919年)
交響詩「レジェンド(伝説)」(1944年)
「北方のバラード」第1番(1927年)
「北方のバラード」第2番(1934年)
序曲「哀歌とロンド」(1927年)
ピカレスク・コメディのための序曲(1930年)
劇付随音楽「黄金の鷲」(1945年)
エリザベス王女とエディンバラ公の婚礼のためのファンファーレ(1947年)
戴冠式行進曲(1952年)

映画音楽
オリヴァ・ツイスト Oliver Twist (1948)

協奏曲・協奏的作品
ロマンティック序曲
ヴィオラと管弦楽のための「幻想曲」ニ短調 Phantasy(1920年)
冬の伝説
ヴァイオリン協奏曲(1938年)
左手のためのピアノ・コンチェルタンテ

室内楽・器楽曲
ヴィオラとピアノのための「演奏会用小品」Concert Piece(1904年)
ヴァイオリンソナタ第1番(1910年)
ヴァイオリンソナタ第2番(1915年、改訂1922年)
コーラングレ、ハープと弦楽四重奏のための「追悼」(1916年)
フルート、ヴィオラとハープの「悲歌の三重奏曲」Elegiac Trio(1916年)
ハープと弦楽のための五重奏曲 ヘ短調(1918年)
チェロとピアノのための「民話」Folk-Tale(1918年)
ヴィオラソナタ ハ短調(1921–1922年)
オーボエと弦楽のための五重奏曲(1922年)(レオン・グーセンスの委嘱)
ヴァイオリンソナタ第3番(1927年)
ヴィオラとハープのための「幻想ソナタ」Fantasy Sonata(1927年)
ヴァイオリンソナタ ヘ調(1928年)
フルートとハープのためのソナタ(1928年)
九重奏曲(1928年–1930年)
ヴィオラとピアノのための「伝説」Legend(1929年)
チェロとピアノのためのソナティナ ニ長調(1933年)
弦楽五重奏曲(1933年)
八重奏曲(1934年)
クラリネットとピアノのためのソナタ(1934年)
挽歌とスケルツォ Threnody and Scherzo(1936年)
チェロとピアノのための「伝説ソナタ」嬰ヘ短調 Legend Sonata(1948年)

ピアノ曲
トッカータ
ピアノソナタ第1番 嬰ヘ短調(1910、1917-21改訂) 単一楽章
ピアノソナタ第2番 ト調(1919、1920改訂) 単一楽章と第1補遺(appendix)・第2補遺
ピアノソナタ第3番 ト短調(1926) 3楽章
ピアノソナタ第4番 ト調(1932) 3楽章

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/721.html

[近代史6] アーノルド・バックス 交響詩「ティンタジェル」
アーノルド・バックス 交響詩「ティンタジェル」


"Tintagel" (Symphonic Poem) - Sir Arnold Bax



The Ulster Orchestra
Bryden Thomson



Arnold Bax - Tintagel (1919) (sheet music)



Vernon Handley
the BBC Philharmonic





"Tintagel", by Arnold Bax (1883-1953)



Royal Scottish National Orchestra
David Lloyd-Jones

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/722.html

[近代史6] ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(Gian Francesco Malipiero, 1882 - 1973)
ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(Gian Francesco Malipiero, 1882 - 1973)

交響曲は近代らしく様々な曲があり、かなり面白い。マイナー交響曲の作曲家の中では屈指の大作曲家である。

交響曲
第1番「四季のような四つのテンポで」(1933年)
2.8点
強烈な色彩のコントラストがとにかく面白い曲。しかし、1枚もしくは4枚の抽象画のようであり、時間という音楽の強力な要素を使ったストーリーがない。軽く聴くだけだと楽章ごとの色合いも単調であり差異が分かりにくい。音の面白さだけで終わった曲と感じた。

第2番「悲歌」(1936年)
3.0点
1番と同様に色彩的な多彩さの面白さがメインの曲であるが、ダイナミックなロマン性も持っておりだいぶ聴き応えが増えている。抽象的な世界ではあるが、音が踊って跳ねたり、心に訴えかけたりもするようになった。ドビュッシーやラヴェルを近代化したような印象はやはり受けるが、作曲者の個性が発露して、交響曲と呼べるだけの充実感を一応備えている。

第3番「鐘」(1944年)
3.0点
より夢幻的な世界になった。また、バレエ音楽のように音の活気のある音楽になった。場面展開にメリハリがあり、ダイナミックに聴き手を翻弄するようになった。交響曲という感じはあまりしないかもしれない。

第4番「イン・メモリアム」(1946年)
3.0点
様々な身体を動かさせる音の動きのバレエっぽさと、音の鳴り方が簡素になって簡単に割り切れるようになったことから、ストラヴィンスキーに似てきており新古典主義に近付いているように聴こえる。難しいことを考えなくても耳を楽しませてくれる音楽ではあるが、後に残るものはあまりない。とりとめのないような場面展開もバレエ音楽か組曲のようで、精神性に乏しく構築感も少なくて交響曲という感じはしない。最後は精神性な盛り上がりを少し作るが。

第5番「エコーによるコンチェルタント」(1947年)
3.0点
ピアノ協奏曲の要素のある曲。バレエ音楽風なのは変わらず。野性的な趣もある新鮮味のある強烈さが面白い。ピアノの使い方が効果音的であり、そこそこ活躍するもののあまり前面には出ていない。しかし、ピアノの刺激がマリピエロの音楽の面白さをより明確にしてくれている。

第6番「弦楽のための」(1948年)
2.8点
弦楽合奏のための交響曲。しかし、単に色彩感がない残念さが際立ってしまったように思う。それを代替する良いところが自分には見つからなかった。やや単調なようにも思う。

第7番「カンツォーネ風」(1948年)
3.3点
他と同様の多彩な面白さと色彩感の強いバレエ音楽のような曲。変化し続ける雰囲気の面白さに熟練の磨きがかかっている気がする。中世的な神秘性が時折顔を覗かせる効果もはっとさせられる度合いが強くなっているかも。

第8番「小交響曲」(1964年)
3.0
月日が経過し調性感が薄くて浮遊感があり、不安やモヤモヤをそのまま音楽にしたような曲になった。7番までの交響曲が基本線は同じであることを思うと、ここで急に全くの別世界の音楽になって驚く。ショスタコーヴィチの交響曲に登場する不安を表現する音楽にかなり違いが、あれほど根暗ではなく、もう少し色彩感は付与されている。独特だが、これはこれで楽しめる。しかし、心を強くえぐるような感じではない。

第9番「ため息」(1966年)

第10番「アトロポ」(1966-1967年)

第11番「バグパイプ」(1969年)


協奏曲・協奏的作品
ヴァイオリン協奏曲 第1番(1932年)

ヴァイオリン協奏曲 第2番

フルート協奏曲

チェロ協奏曲

ピアノ協奏曲 6曲


室内楽
弦楽四重奏曲

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2

ジャン・フランチェスコ・マリピエロ(Gian Francesco Malipiero, 1882年3月18日 - 1973年8月1日)は、イタリアの作曲家・音楽学者。モンテヴェルディとヴィヴァルディの校訂者として有名。

生涯
ヴェネツィアに生まれる。祖父はオペラ作曲家のフランチェスコ・マリピエロ。家庭の困難から、絶えず音楽教育を妨げられる。作曲家マルコ・エンリコ・ボッシに対位法を学ぶことを止めてから、モンテヴェルディやフレスコバルディのような古いイタリアの音楽を手ずから筆写することによって独学を続けた。イタリア古楽とのかかわりが畢生の事業となったことからすると、その時期は重要な振り出しであったと言える。1904年にボローニャに行き、ボッシを捜し出して学習を続ける。学習期間を終えると、盲目の作曲家アントニオ・スマレーリャの助手となった。

1913年にパリでストラヴィンスキーの《春の祭典》の初演に接し、その後まもなくアルフレード・カゼッラと出逢う。この頃、ローマの聖チェチーリア音楽アカデミーに提出した4つの作品が入賞する。これには裏話があって、別々の偽名を用いて提出した5つの作品のうち4つが同時に入選したのであった。

1921年に運よく寒村アーゾロに落ち着いてから、1926年から1942年までモンテヴェルディ全集の校訂にとりくみ、1952年以降はヴィヴァルディの協奏曲のほとんどを校訂した。

1923年にカゼッラやガブリエーレ・ダヌンツィオに協力して、新音楽協会(Corporazione delle Nuove Musiche)を設立する。

1932年、ヴェネツィア音楽高等学校(英語版)の教師となる。1939年から1952年までその運営に関わる。

1933年、ルイージ・ピランデッロの台本によって歌劇《取り違えられた息子の物語La favola del figlio cambiato 》を作曲するまでムッソリーニとは良好な関係にあったが、この作品によってファシストから痛罵を浴びせ掛けられた。1935年、次の歌劇《カエサルGiulio Cesare 》をムッソリーニに献呈したものの、これは何の助けにもならなかった。

1936年からパドヴァ大学の教壇に立つ。

1952年、作曲に専念するためふたたびアーゾロへ戻る。

1973年8月1日、トレヴィーゾの病院で死去。

作品
マリピエロはカゼッラとともにイタリア器楽の復興に尽くした「1880年代生まれの作曲家」に属する。初期のマリピエロの作品は主にフランス印象主義音楽の影響、とりわけドビュッシーの影響を受けており、自由な形式と非伝統的な楽章構成、斬新な和声法と線的な対位法を用いて作曲を続けた。そのため、ソナタ形式やフーガに縛られることを拒否した。カゼッラほど極端から極端へと渡り歩くことはなく、イタリア的な旋律の魅力は放棄されていない。多数ある交響曲のうち、第4番はクーセヴィツキー夫人ナターリアの追悼音楽であり、第6番は弦楽合奏のための作品である。

門弟にブルーノ・マデルナほか。ダッラピッコラと異なり、自ら無調や十二音技法を用いることはなかったが、学生が新たな作曲技法に挑戦することに寛容だったと言われる。


主要作品

歌劇
オルフェイデ(1922年)
ゴルドーニによる三つの喜劇(1922年)
熱狂したフィオメーラ(1925年)
夜の馬上試合(1929年)
取り違えられた息子の物語(1933年)
ジュリオ・チェーザレ(ユリウス・カエサル)(ウィリアム・シェイクスピアによる、1935年)
アントニオとクレオパトラ(シェイクスピアによる、1937年)
カロのカプリッチョ(E.T.A.ホフマンによる、1942年)
陽気な仲間(1943年)
天上の世界と地獄(1949年)
放蕩息子(1952年)
ドンナ・ウラカ (1954年)
囚われのヴィーナス(1955年)
蹄鉄工(1960年)
ドン・ジョヴァンニ(1963年)
謝肉祭と四旬節の心象(オペラ・バレエ 1961年)
ボナヴェントゥラの変身(1966年)
頑迷なタルチュフ(1966年)
イスカリオテのユダ(1971年)

交響曲
英雄交響曲(1905年)
海の交響曲(1906年)
静寂と死の交響曲(1909-1910年)
第1番「四季のような四つのテンポで」(1933年)
第2番「悲歌」(1936年)
第3番「鐘」(1944年)
第4番「イン・メモリアム」(1946年)
第5番「エコーによるコンチェルタント」(1947年)
第6番「弦楽のための」(1948年)
第7番「カンツォーネ風」(1948年)
1つのテンポによる交響曲(1950年)
Sinfonia per Antigenida(1962年)
黄道帯の交響曲(1951年)
第8番「小交響曲」(1964年)
第9番「ため息」(1966年)
第10番「アトロポ」(1966-1967年)
第11番「バグパイプ」(1969年)

協奏曲・協奏的作品
ヴァイオリン協奏曲第1番(1932年)
ヴァイオリン協奏曲第2番(1963年)
フルート協奏曲(1967-68年)
チェロ協奏曲
ピアノ協奏曲第1番(1931年)
ピアノ協奏曲第2番(1937年)
ピアノ協奏曲第3番(1948年)
ピアノ協奏曲第4番(1950年)
ピアノ協奏曲第5番(1958年)
ピアノ協奏曲第6番「機械の」(1964年)
ピアノと管弦楽のための「主題のない変奏曲」(1923年)
セレナータ
協奏曲集(1931年)
対話第5番「協奏曲風」(1956年)(ヴィオラ独奏)
対話第6番「協奏曲風」(1956年)(チェンバロ独奏)
対話第7番(2台以上のピアノとオーケストラのための)(1956年)

管弦楽曲
墓より(1904年)
自然の印象 I(1910-11年)
自然の印象 II(1914-15年)
自然の印象 III(1921-22年)
悲劇的ディテュランボス(1917年)
アルメニア(1917年)
グロテスク(1918年)
ガブリエリアーナ
間隙と静寂 I(1917年)
間隙と静寂 II(1925-26年)
チマロジアーナ(1921年)
7つのインベンション(1933年)
パッサカリア(1952年)
ヴィヴァルディアーナ(1952年)
毎日の幻想曲(1953年)
対話第1番「ファリャの想い出に」(1956年)
対話第8番「ソクラテスの死」(1957年)
歌と踊りの夜想曲(1957年)

室内楽・器楽曲
11の楽器のためのリチェルカーレ (1925年)
五重奏曲
田園風即興曲
ファンファーレのファンファロン
チェロソナタ(1908年)
チェロのためのソナティネ(1945年)
対話第4番「5つの管楽器のための」(1956年)
弦楽四重奏曲第1番 リスペットとストランボット(1920年)
弦楽四重奏曲第2番 ストルネッロとバッラータ(1923年)
弦楽四重奏曲第3番 マドリガル風の歌(1931年)
弦楽四重奏曲第4番(1934年)
弦楽四重奏曲第5番 カプリッチョ風(1950年)
弦楽四重奏曲第6番 ノアの方舟(1947年)
弦楽四重奏曲第7番(1950年)
弦楽四重奏曲第8番 エリザベッタのために(1963-64年)

歌曲
対話第3番「ヤコポーネ・ダ・トーディとの」(1956年)

ピアノ曲
6つの小品(1905年)
3つの古代舞曲(1910年)
印象(1910年頃)
月に寄せる小詩集(1909-10年)Poemetti lunari
秋の前奏曲(1914年)Preludi autumnali
アーゾロ詩集(1916年)Poemi Asolani 1. La notte dei morti 死者の夜 2. Dittico 3. I partenti
微かな光(1917年)Barlumi
過ぎ行く仮面道化師(1918年)Maschere che passano
反響(1918年)Risonanze
クロード・ドビュッシーに捧ぐ(1920年)A Claude Debussy
献呈(1920年)Omaggi 1. A un pappagallo 2. A un elefante 3. A un idiota
午睡(1920年)La siesta
騎上遊歩(1921年)Cavalcate
嫉妬(1922年)Il Tarlo
復活祭(1924年)Pasqua di rezurrezione
1つのフーガへの3つの前奏曲(1926年)Tre preludi a una fuga
墓碑銘(1931年)
空想のフーガへの前奏曲(1932年)
前奏曲とフーガ(1940年)
閉ざされた庭(1946年)Hortus conclusus
対話第2番「2台のピアノのための」(1956年)
明日への5つの練習曲(1959年)Cinque studi per domani
変奏曲 ファリャ「恋は魔術師」のパントマイムによる(1959年)Variazione sulla Pantomina dell'Amor brujo di Manuel de Falla
白と黒(1964年)Bianchi e neri

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%AD
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/723.html

[近代史6] ジャン・フランチェスコ・マリピエロ 交響曲 第7番「カンツォーネ風」
ジャン・フランチェスコ・マリピエロ 交響曲 第7番「カンツォーネ風」


Gian Francesco Malipiero: Sinfonia No.7 "delle canzoni" (1948)



1. Allegro
2. Lento quasi andante
3. Allegro impetuoso
4. Lento


Orchestra Sinfonica di Mosca diretta da Antonio de Almeida.

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/724.html

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 安倍晋三 中川隆
65. 中川隆[-16168] koaQ7Jey 2021年10月02日 11:30:07 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[10]
連載 安倍2代を振り返る 〜国民の幸せのためにどのような貢献をしたのか〜(4)
政治経済2021年9月21日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/21802

桜を見る会での安倍氏(2019年4月)

I「桜を見る会」問題

 「モリカケ」と同時並行で起きたこの問題は、いまだ検察による捜査の途上にある。東京地検特捜部は昨年12月、桜を見る会の前夜祭をめぐる公選法違反や政治資金規正法違反の疑いで刑事告発された安倍晋三前首相を不起訴としたが、検察審査会が「不当」として再捜査を求めたからだ。この問題では、これまでに安倍事務所の配川筆頭秘書が政治資金規正法違反で罰金100万円の略式命令を受けている。

 安倍氏は「モリカケ」同様にこの問題でも、みずからの過失を認めることなく、虚偽答弁によるはぐらかしに延々と時間を費やし、最終的に秘書に責任をなすりつけた。衆院調査局の集計に基づく安倍首相の虚偽答弁の数は118八回にのぼる。

 検察の不起訴を不当とした東京第一検察審査会の議決(7月15日付)は「政治家はもとより総理大臣であった者が、秘書がやったことだと言って関知しないという姿勢は国民感情として納得できない。国民の代表者である自覚を持ち、清廉潔白な政治活動を行い、疑義が生じた際には、きちんと説明責任を果たすべきである」とのべている。

 安倍氏自身の「規律を知る、凛とした」説明を有権者は待っている。

1.招待者の半数以上が「政治家枠」

 桜を見る会は、1952(昭和27)年から新宿御苑で実施されてきた首相主催の公的行事で、「内閣総理大臣が各界において功績、功労のあった方々を招き、日頃の御苦労を慰労するとともに親しく懇談する」(政府答弁書)ものと位置づけ、皇族や国会議員、都道府県知事、議会議長をはじめ「各界の代表者等」約1万人を招いて酒食を振る舞ってきた。

 その招待者の数が、第二次安倍政権発足後の2014(平成26)年から右肩上がりに増え、5年間で2倍近くに膨れ上がった。それにともなって公費支出も固定予算である1767万円の2〜3倍にのぼる予算超過が常態化し、ついに2020年度は従来予算の3倍にのぼる5729万円を概算要求していた【グラフ参照】。支出(2019年度)の内訳は「飲食物提供」が2261万5000円で最も多く、「会場設営等」に2167万円、「消耗費・備品」が625万3000円、「案内状等」に464万9000円(2014年度の2・5倍)だ。

 なぜこれほど規模が膨らんだのか? 内閣府が公表した2019年度までの数年間の招待者の内訳によると、政治家に割り当てられる「政治家枠」の人数が、2005年度は2744人であったが、2019年度には3倍以上の8894人に増加していた。

 「首相(安倍事務所)枠」(安倍昭恵夫人の枠も含む)が1000人あり、副総理など官邸幹部の推薦枠が1000人、特別招待者や報道関係者の枠が1000人、その他の自民党関係者に与えられた枠が6000人と、省庁が推薦する「功績・功労者」以外に自民党の政治的な配慮で全体の半数をこえる約9000人が招待されていた。同時期、国際貢献や災害復旧などの「功労者」の招待者は、406人から182人に減少していた。主役が入れ替わっている。

 そして、自民党議員たちは地元後援会員とともに桜を見る会に参加した様子をブログ等に綴っていた。「地元福井の後援会の皆様も多数お越し下さり、たいへん思い出深い会」(稲田朋美)、「今年は平素ご面倒をお掛けしている常任幹事会の皆様をご夫婦でお招き」(萩生田光一)、「選挙のうぐいす嬢の皆様をはじめ、後援会の皆様と参加」(松本純)などである。

 なかでも安倍氏の選挙区がある山口県からの招待者は850人と群を抜いて多かった。自民党の友田有県議のブログには、「私の後援会女性部の7名の会員の方と同行しました。前日の早朝に飛行機で上京して、貸し切りバスで東京スカイツリーや築地市場など都内観光をし」、その夜に「下関市・長門市そして山口県内外からの招待客約400人による安倍首相夫婦を囲んだ盛大なパーティー」に参加したとあり、同じく藤井律子県議(現周南市長)は「国会議員さんは、それぞれにご自分の後援会の皆さんを案内されておりますので、山口県からも多くの方が出席されていました」と綴っている。

 桜を見る会は税金で開かれる公的行事であり、「功績・功労」とは、いうまでもなく政治家個人に対する「功労」ではない。政治家が選挙で応援してくれた地元支援者を慰労するために自費で酒食を振る舞うことは公選法違反(有権者買収)であるが、首相が主催し、その原資が公金であれば「問題ない」という論理は、公金の私物化以外の何物でもない。

 安倍氏は「自治会やPTAなどの役員をされている方々もおり、後援会と重複することもある」と釈明したが、誰がどう見ても選挙の実働部隊の面々である。首相自身に公私を区別する規範意識がなく、事務所や後援会をあげて地元支援者を呼び込んだ挙げ句、招待者が2倍にも膨れ上がったのだった。

 いずれにせよ公費が注がれる以上、その使途を明らかにし、招待者の内訳について公表するのが公費支出の原則だが、野党議員がこの問題について国会の質問通告を提出した1時間後に、内閣府は桜を見る会の招待者名簿などの資料をシュレッダーで廃棄。「一連の書類については保存期間1年未満の文書として、会終了後遅滞なく廃棄」「もう今は調べることはできない」(大塚官房長)と、モリカケ同様の「記録も記憶もない」答弁に終始した。公文書管理制度は、施策や予算執行について透明性を確保し、後から検証できるようにして行政の公平公正を担保する目的でつくられたものだが、安倍政権の下ではことごとく証拠隠滅のために使われた。

 雪だるま式に膨らんだ桜を見る会招待者の選定について、安倍氏は当初、「とりまとめのプロセスには一切かかわっていない」と説明していた。

 ところが、安倍事務所(下関市)が地元の自民党市議や後援会員などの支援者に配っていた文書「内閣府主催『桜を見る会』参加申し込み」は、コピーをして使い回せば本人の家族、知人、友人も申し込みができ、「後日、郵送で内閣府から招待状が届きます」と記されていた。また別紙では、東京スカイツリーや浅草散策などの都内観光ツアー(4コースから選択)、安倍晋三後援会主催夕食会(会費5000円)、桜を見る会をセットにして参加者を募っていた。

 また、内閣府から招待状が届く前に安倍事務所が招待決定を通知する文書を推薦者に送っていたことなど、次々に証拠が出てくると、安倍氏は「私自身も事務所から相談を受ければ、推薦者について意見をいうこともあった」「私が把握した各界で活躍されている方々も推薦するよう意見を伝えたこともあった」と説明を修正した。安倍氏および安倍事務所が主体的に招待者の人選にかかわっていたのである。

 安倍事務所秘書としても毎年参加してきた前田晋太郎下関市長は記者会見で、桜を見る会に招待されることは「ものすごく名誉なこと」であり、呼ぶ側にとっては「選挙で勝って主催者になって、多くの方に喜んでもらえる」し、呼ばれる側としては「自分が何十年も頑張って応援してきた代議士がトップをとって、招待状が届いて、やっぱり今まで応援してきてよかったな」と思ってもらえる行事であり、政権与党には「ある程度の権限が与えられておかしくない」と見解を披瀝した。
 だが問題になっているのは、公私混同による権限の濫用である。

 やましいことがないのであれば、招待者名簿等を急いでシュレッダーに掛ける必要もなければ、バックアップデータを隠ぺいする必要もない。証拠の廃棄や隠ぺいは、桜を見る会の開催要領である「各界の代表者」「功労・功績のあった者」という基準を逸脱し、安倍氏自身の恣意的な基準で多くの人を招待していたことの証左ともいえる。

2.桜を見る会前夜祭の費用補填

 2013〜2019年までの7年間、桜を見る会前日には、安倍晋三後援会主催の夕食会が開催されていた。安倍事務所みずから「桜を見る会前夜祭」と銘打ち、観光や桜を見る会とセットで参加を募っていたものだ。

 地元支援者には、安倍派の市議・県議や業界団体など各方面から何通も案内が届き、市議や県議はみずからの支持者に他では得られないステイタスを味わわせることで票固めに利用し、安倍事務所としても選挙の票固めを意識していることは誰でも容易に想像がつく。
 だからこそ、ホテルニューオータニやANAインターコンチネンタルホテル東京など都内一流ホテルが使われ、800〜850人が参加する大規模なものになっていた。


桜を見る会前夜祭の様子(2019年4月、ホテルニューオータニ東京)

 ところがこの6年間、後援会の収支報告書にこれらの収支が一切記載されていなかった。政治資金規正法では、政治団体の資金の流れを国民の前に公開して政治活動の透明性を確保するため、収支や資産状況の報告を義務づけており、これだけでも違法である。

 さらに、これらのホテルの見積もり単価は最低でも1人当り1万1000円なのに対して、後援会が参加者から徴収した会費は5000円。その差額(5年間で推定916万円)は安倍晋三後援会が穴埋めしていた。

 前夜祭費用の穴埋めは、政治家自身の選挙区内の有権者に、1人当り6000円、800人で合計480万円分の酒食を無償で提供(寄附)したことになり、政治家の地元有権者への寄附を禁じた公職選挙法違反に抵触する可能性がある。

 そのため安倍氏は「(前夜祭の)主催は後援会だが、契約主体は個人。レストラン、旅館で個々が支払うのと同じ」「会場の入り口の受付で安倍事務所の職員が一人5000円(会費)を集金し、ホテル名義の領収書をその場で手交した」とし、「安倍事務所も後援会にも、一切入金、出金はない。食事代についても領収書を発行していないし、領収書を受けとってもいない」「事務所は関与していない」「差額は補填していない」「明細書もない」と虚偽答弁を118回もくり返した。

 参加者850人がそれぞれホテルと契約し、安倍事務所の職員は集金を代行しただけだから、後援会の収支報告書への記載は不要だ、という常識的には信じがたい主張で押し通したが、実態は後援会がホテルと契約しており、会費との差額分は後援会が支払っていた。

 その事実が判明し、後援会の会計責任者・配川筆頭秘書が政治資金規正法違反で略式起訴されると、安倍氏は「こうした会計処理は、私が知らないなかでおこなわれていた」としたうえで、「道義的責任を痛感している」と陳謝した。

 だが、その違法性を十分に認識できるベテラン秘書が、5年間だけで合計約900万円ものお金を無断で補填したうえに、不記載にするだろうか?あまりに不自然な構図である。 

 そもそも桜を見る会に1000人もの「首相枠」「首相夫人枠」を設け、開催要領を逸脱してまで地元支援者を多数招待してきた安倍氏が、自身の後援会主催である前夜祭の参加者や会費設定、その会計処理について7年間も「知らない」はずはない。実務のすべてを安倍事務所が取り仕切っており、実質は安倍氏が開催主体である。

 通常単価数万円もする都内一流ホテルで、会費1人5000円でパーティーを開催するという発想自体、なんらかの優遇措置や値引きをしなければ成立しない。安倍氏は通常料金の半分以下の会費について、「何回も使って信用のできる相手と一見(いちげん)の方とでは、商売においては当然違う」「参加者の大多数がホテル宿泊者という事情等を踏まえてホテル側が提案した額だ」と虚偽(参加者は他のホテルに宿泊していた)の説明をしたが、仮にホテル側の値引きであったとしても、それは政治家や政治団体による地元有権者への寄附(サービスの無償提供)という違法行為をホテルを介して脱法的におこなったことになる。

 このようなことが公然とまかり通るのなら、政治的な権力者は、業者に忖度させて格安料金でパーティーを開き、支援者に支払い金額以上の酒食が振る舞えることになり、有権者買収を禁じた公職選挙法は空文化してしまう。それを国のトップである総理大臣が7年間もやり続け、その合法性を主張するというのでは示しもなにもあったものではない。首相から、「800人の参加者と契約」「明細書等の提示も発行も受けていない」といわれた一流ホテルの側も信用にかかわる話である。

 このように安倍氏は、他者を巻き込んで自己の保身のために都合よく事実をねじ曲げて説明し、領収書や明細書など客観的証拠は一切出さず、廃棄・隠ぺいはするのに、その虚偽が暴かれると「私は知らなかった」「秘書が勝手にやっていた」と他人に責任を丸投げした。「道義的責任がある」というのも「私に法律上の責任はない」を体よくいいかえただけである。

 だが、少なくともこの件で118回も国会で虚偽説明をしたのは、秘書でも役人でもなく、安倍氏自身である。国会でのウソは国民に対するウソであり、もし「責任を痛感」しているのなら、客観証拠を洗いざらい公にするべきである。今に至るまで一切開示しないのは、「誠実な対応」とはかけ離れている。

3.会費補填の原資はどこから?

 さらに不可解なことに、前夜祭の会場となったホテルが領収書を発行したのは、後援会宛てではなく、安倍氏が代表を務める資金管理団体「晋和会」宛てであった。後援会の収支報告書を見ても、そもそも数百万円もの補填ができるほど残高はない。つまり、5年間で約900万円もの差額分を補填していたのは「晋和会」である可能性が高い【図参照】。

 その場合、後援会は「晋和会」から寄附を受けたことになるが、両団体の収支報告書にもそれら一切の記載はなく、前夜祭の収支をめぐる2団体の不記載額は実に約5600万円以上にのぼる。そして両団体を司るのが安倍事務所なのである。

 安倍氏は昨年12月の記者会見で、前夜祭費用を補填した原資について「食費や会費などプライベートに近いもの」や「妻の出費」「自宅に関わる費用」の支払いのために「貯金を下ろし、手持ち資金として事務所に預けているものから支出した」と説明した。また「支出について詳しい説明はなく、責任者に任せていた」としたが、それは秘書が数年間も数百万円もの安倍氏の私費を無断で使い回していたことになる。

 さらに、責任者の秘書は議員事務所の金庫から現金で出金し、口座記録を残さないようあえて現金取引をおこない、ホテル側から晋和会宛てに発行された過去5年分の領収書も廃棄するなど、綿密な隠ぺい工作に至るまで安倍氏に無断でおこなっていたことになる。

 なぜ秘書が独断でそんなことをする必要があったのか? 動機がまったく理解できないが、もし本当ならば後援会代表で公設第一秘書だった配川氏が、略式起訴後も解雇されず、私設秘書として安倍事務所で活動していたり、「晋和会」会計責任者であった西山秘書が起訴すらされないのは、不可解極まりない。

 その後修正したとする後援会の収支報告書にも、安倍氏からの寄附などの記載はなく、原資不明の「繰越金」として計上されており、依然として補填金の出所は不明のままである。収支報告書の保存期間は3年であるため、いずれお蔵入りになることを見越した処理にも見える。

 東京第一検察審査会の議決では、「領収書は、一般的には宛名に記載された者が領収証記載の額を支払ったことの証憑(しょうひょう)とされるから、宛名となっていない者が支払ったという場合は、積極的な説明や資料提出を求めるべきであり、その信用性は、慎重に判断されるべきである」として、東京地検に再捜査を求めている。

 金銭スキャンダルを立件するのにカネの出所と流れを把握するのは捜査のイロハである。通常は、問答無用の家宅捜索によって証拠物を押収するのが検察特捜部の常套手段であるが、こと安倍事務所に限っては任意の聴取のみにとどめているため、この不明瞭な金の流れも出所も、何一つ解明されないまま現在に至っている。

4.桜問題をめぐり山口県で起きていたこと

 地元選出代議士が総理大臣になったことで、安倍事務所の覚えめでたいというだけでさしたる「功労」も「功績」もない人々が新宿御苑に招かれて公金でもてなされ、夜は高級ホテルで酒食の接待を受けていた。それに加え、公的立場にある前田晋太郎下関市長(安倍事務所秘書出身)が「(桜を見る会は)地方を元気にしてくれている会」「名誉なことを受ける方々が増えていくのは悪いことか?」などの逆ギレ気味の弁護を全国に発信したため、「山口県はどうなっているのか?」という疑念を持たれることにもなった。

 桜を見る会に招待されて「元気になっていた」のは、133万山口県民のうちのわずか800人であり、しかも安倍氏を支援する自民党関係者のみである。恥ずかしい思いをしたその他大多数の県民や下関市民にとっては巻き添えであり、迷惑千万な話でしかない。「郷土の恥」と思った県民も少なくない。

 その800人も安倍事務所が招待しなければ1人も参加していないわけで、やはり一番に招いた側に責任がある。首相から直々にお誘いがかかったので10万円近くの旅費を叩いて上京し、時の権力者を支える一員として新宿御苑や高級ホテルで著名人と親睦を深めるステイタスを味わえたものの、それが規程を超える公金で賄われたり、公選法にも抵触する買収案件であることが指摘されると、たちまちみんな口をつぐんでしまった。

 この問題が明るみに出てから、安倍事務所がある下関市内には、東京からテレビ、新聞、週刊誌の記者が多数押し寄せてきたが、取材に対して堂々と「実態はこうでした」と語る参加者はおらず、息を潜めてダンマリを貫くものだから、余計に世間の疑いの視線が増すこととなった。関係者によると、安倍事務所から箝口令が敷かれていたといわれ、実名でインタビューに応じたり、領収証などの資料を提供でもすれば、秘書が雲隠れして「ほとぼりが冷めるまでスルー」作戦を決め込んでいる安倍事務所に叱られるからである。

 また記者たちに「桜に呼ばれたのはどんな功績、功労?」と問われても、「安倍さんの選挙を手伝った」という以外に説明しようがないからかもしれない。

 いずれにせよ総理大臣になったものが羽目を外して特権を振り回したことで、その周囲まで自分が天下を取ったような気になって調子に乗るというのは恥ずべきことであり、弁解の余地はない。この間、お膝元の山口県内政局をみても、そのような傾向に拍車が掛かっていたのは事実である。

 桜の会への招待者枠は、全国で2度の衆院選、2度の参院選がおこなわれる過程で倍増しており、安倍氏が3選した総裁選がおこなわれた2018年に最も急増していた。

 その間に山口県では、衆院全四選挙区のうち2つを安倍兄弟が握り、他も安倍氏にかしずくことで閣僚や党役員ポストを得たものや、安倍氏に抱えられた比例議員たちも自民党清和会入りした。2017年3月の下関市長選では、自民党林派の現職に対して、安倍事務所秘書上がりの前田晋太郎元市議をぶつけ、異例にも安倍首相夫妻が直々に応援に付き添い、力ずくで市長ポストを奪いとったりもした。微妙な利害対立は残っているものの、国会議員から知事や議会ポストに至るまで安倍派一辺倒となり、安倍氏が首相になったことを契機にして政局においても力関係に極端な偏りが生じてきた。


下関市長選で前田晋太郎の応援弁士をする安倍前首相(今年3月)

 このような独裁支配体制のなかでの圧力で、うかつに物がいいにくいといった状況もあるが、一般市民のなかでその基盤が盤石なわけでもない。首相お膝元といわれる山口県、とりわけ安倍氏の選挙区である下関市の人口は過去5年間で1万3318人も減り、減少数は全国ワースト8位。「地方創生」とか「地方を元気にする」どころか、衰退の一途をたどっているのが現実であり、むしろ多くの県民、市民は、歴代最長の総理大臣や閣僚がおりながら、その厳しい郷土の実情や苦しみが代議士を通じて国政に一切反映されてこなかったことに強い憤りを抱いている。そして権力者に取り入った一部のものだけが優遇されるような私物化政治に心底辟易している。それを繋ぎ止めるための盛大な「桜」ではなかったかとも思われる。

 安倍氏は昨年末、桜を見る会前夜祭の違法な会計処理も、自身が国会で放った118回もの虚偽答弁も、その責任はすべて配川秘書にあったとし、「本人は反省のうえ、公設秘書を辞職した」と全国向けにアナウンスした。そして「説明責任は果たすことができた」「来年(今年)の総選挙に出馬し、国民の信を問いたい」として幕引きを図った。

 でも実際には配川秘書はピンピンして私設秘書として地元の仕切り役を続けていることを多くの市民は知っているし、このようなケジメも反省もない政治については、自民党支持者のなかでも「いいかげんにするべきだ」という感情が渦巻いている。そのような有権者の心底の思いが次期総選挙でどのようにあらわれるかが注目されるところとなっている。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/21802

連載 安倍2代を振り返る 〜国民の幸せのためにどのような貢献をしたのか〜(5)
政治経済2021年10月1日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/21862


J黒川検事長問題

 ここまで「森友」「加計」「桜」と安倍政権のもとで起きた3つの問題をふり返っただけでも、民主主義を標榜し、法治国家といわれるこの国でなぜ自浄作用が働かないのか、多くの人が疑問を持っていると思う。

 公を司るはずの総理大臣に公私の区別がなく、権力や財産を私物化したり、オトモダチ優遇のために使い、政治家や官僚の虚偽答弁やはぐらかし、公文書の廃棄、隠ぺい、改ざんが常習化した。さらに説明責任は果たさず、情報公開制度のような民主的システムは形骸化し、内閣が官僚の人事権を握ることで「全体の奉仕者」であるべき公務員を「一部(権力者)の奉仕者」にしてしまい、真面目な公務員が命を絶つ悲劇も起きた。憲法に基づく法治国家といわれてきたが、人治国家へと逆戻りしたような瓦解ぶりである。

 そして安倍氏が、「三権分立」の原則で政治からの独立が建前であった司法にまで手を突っ込んだのが、黒川検事長問題(検察庁法改定問題)である。

 三権分立は、近代民主国家の政治システムを支える基本原理とされている。
 小学校で使われている社会科の教科書には、「日本では、国の政治を立法・行政・司法に分け、それぞれの仕事を国会・内閣・裁判所が分担して行っています。それぞれの機関がその役割を実行するとともに、おたがいの役割がきちんと実行できているかどうかを調べる役割をもつことで、一つの機関に権力が集中しないようにしています。このようなしくみを、三権分立といいます」(教育出版)と記されている。
 これが現実にはまともに機能していないとなると、学校で子どもたちにウソを教えていることになる。

 憲法では、国家権力を、法律をつくる立法権(国会)、法律に則って政治をする行政権(内閣)、法律が守られているかをチェックする司法権(裁判所)の3つに分け、それぞれが独立して相互に抑制し、均衡を保つことで国家権力の濫用(らんよう)を防止し、国民の権利と自由を保障することを建前としており、このうちの国会を「国権の最高機関」と定めている。

 ところが国会では自・公与党が数の力で国政調査権の発動を阻止し、そのもとで虚偽答弁や公文書の廃棄・改ざん等がおこなわれる以上、司法が機能しなければその不正は糾(ただ)されない。


黒川弘務元検事長

 このとき「法の番人」といわれる検察庁を管轄下に置く法務省の法務事務次官として、森友学園問題など官邸にとって不都合な事件の数々を闇に葬ってきたといわれるのが、後に東京高等検察庁検事長になる黒川弘務氏であった。森友問題を捜査していた大阪地検特捜部が、国有地の不当な値引きによる背任罪、関連する公文書を破棄・改ざんした公用文書毀棄(きき)、公文書変造罪などで告発された佐川元長官など被告全員を不起訴にしたのも、官邸とつながる黒川氏からの圧力が背景にあったといわれ、そのため「政権の守護神」との異名をとっていた。

 ロッキード事件のように首相経験者であっても逮捕、起訴できる権限をもつ検察は、政治的に独立性、中立性が強く求められる。そのため、その身分や定年は国家公務員法ではなく検察庁法によって特別に定められている。同じような配慮から、検察の人事についても、内閣が任命権を持ちながらも、検察側が決めた人事案を尊重する慣例が続いてきた。

 だが、検察ナンバー2とされる東京高検検事長に就任した黒川氏が、63歳の定年を迎える直前の2020年1月、安倍内閣はそれまでの法解釈を覆し、黒川検事長の定年を半年間延長することを閣議決定した。検察トップである検事総長が退官する8月まで黒川氏の首を繋ぎ、その後釜に据えるためであった。

 1947年制定の検察庁法は、検事総長は65歳、その他の検察官は63歳と退官の年齢を定めている。国家公務員については、1981年の国家公務員法改正で定年延長の特例が定められたが、当時の政府も「検察官に国家公務員法の定年延長は適用されない」と答弁し、同じく人事院局長も「検察官には適用されない」としていた。

 それを安倍首相は、「検察官の勤務(定年)延長に国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」とのべ、国家公務員法の「解釈変更」であると主張した。

 しかも、国会で解釈変更をめぐる法務省と人事院の協議に関する文書が残っていないことを指摘された森法相(当時)は、解釈変更時に決裁文書を作成せず、異例にも口頭で決裁したと釈明した。そして、ついにはその脱法措置を正当化させるかのように定年延長制度を盛り込んだ検察庁法改正案を国会に提出した。

 黒川弘務東京高検検事長の定年延長は安倍内閣の閣議決定でおこなわれたが、検察人事にかかわる法解釈の変更を法務大臣が口頭で決裁したということ自体、前代未聞のことである。政府答弁は二転三転し、裏付けとなる決裁文書もないため、解釈変更が正当な手続きをへておこなわれたという根拠すら存在しない。

 さしたる立法事実もなく、「余人を持って代え難い」という曖昧な理由だけで黒川検事長の定年を延長した理由はなんなのか――。黒川検事長が安倍政権が抱えるかずかずの疑惑を封じ込める「用心棒」「守護神」といわれる立場にあり、その黒川氏を次期検事総長として任命するためには半年間の定年延長をせざるを得なかったことから、政府が恣意的な人事のために解釈変更をおこなったのではないかという批判世論が巻き起こった。

 すると安倍政府は、その批判をかわすためか、閣議決定を上書きするかのような検察幹部の定年延長に政府の裁量権を盛り込んだ検察庁法改正案を国会に提出した。それもコロナ禍の緊急事態宣言の渦中にある2020年5月のことである。

 その主な内容【表参照】は、@検察官の定年を現行の63歳から65歳に引き上げる。A検事長、検事正などの幹部は、63歳(役職定年)で職位を辞任し、勤務は引き続き65歳まで続けることができる。さらに、B内閣が必要と認めた場合は、国家公務員法を適用し、役職定年を2年間、勤務を3年まで延長できるとする例外措置を設けた。

 この例外措置の運用基準は曖昧で、ときの内閣が「特別の事情がある」と判断すれば検察幹部の定年延長を可能にするものである。

 政府は「恣意的な人事介入がおこなわれる懸念はない」と説明したが、検察への政治介入を防ぐため国家公務員法と区別して定められているのが検察庁法の定年制度であり、説明に足る理由もなく、このような例外措置を設けることそのものが恣意的である。

 先述したように、三権分立のうえで、検察は行政府に属する組織だが、同時に政治家を含む国民を刑事訴追できる権利が認められた唯一の機関であり、司法機関でもある。だからこそ常に政治との距離を保ち、その独立性が担保されなければならないのが原則である。

 だが、ことに安倍政権の8年間、検察が自民党政治家にまつわるかずかずの疑惑をまともに捜査・立件した試しはなかった。

 小渕優子元経産相の政治資金規正法違反では、証拠になるパソコンのハードディスクをドリルで破壊するなど悪質な証拠隠滅をしていたにもかかわらず、秘書2人を起訴したのみ。松島みどり元法相の選挙区での団扇バラマキ問題や、甘利明元経済再生担当相のURへの口利き疑惑と大臣室での現金100万円授受事件、下村博文元文科相の加計学園からのパーティー券200万円不記載(裏献金)、そして安倍氏自身や夫人がかかわっていた森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題に至るまで、国民が納得するまともな捜査もおこなわれぬまま渦中の政治家や官僚は軒並み不起訴である。

 政権の腕力による人事で検察トップを優遇し、政治からの独立が原則である捜査機関までも「御恩と奉公」の関係で手なずけ、政権の汚職捜査や疑惑の解明を抑え込む意図が露骨にあらわれており、ついにはそれを法律で明文化するという性質のものであった。

 この事態に対して、日本中の人々が怒りを表明し、SNS(ツイッター)では「#検察庁法改正案に抗議します」という言葉が一昼夜で600万件を超えるほど投稿されて、トレンド入りした。「もうこれ以上、保身のために都合良く法律も政治もねじ曲げないで下さい。この国を壊さないで下さい」(俳優の井浦新氏)など、日頃は政治的発言を控えているミュージシャンや芸能人も次々に抗議の意を示した。

 さらに、ロッキード事件の捜査を担当した元検事総長ら検察OB有志が、「検察の人事に政治権力が介入することを正当化するもの」として反対意見書を法務省に提出するなど、検察関係者まで抵抗し、安倍氏の側近である河井克行前法相・案里夫妻の選挙違反捜査が開始されるなど、世論に足元を揺さぶられた安倍政府は改正法案を撤回した。

 相前後して、安倍政府が「余人を持って代え難い」と評価していた黒川検事長は、新聞記者らと賭け麻雀(違法賭博)に明け暮れていたことを週刊誌にスクープされ、あっけなく辞職した。

 一連の騒動に一旦終止符が打たれたが、違法賭博が摘発された黒川検事長は、国家公務員法で定められている懲戒処分も受けずに訓告にとどまった。法務省刑事局長は「旧知の間で、レートはいわゆる点ピン(1回の勝ち負けがおよそ2万円)」であり「高額と言えない」などと理由をのべた。世間では「黒川基準」と評されている。

 自民党政府は現在も「定年延長を可能とした法解釈変更は維持する」としており、問題の本質がなんら解決されたわけではない。多くの人たちが感じているように、「モリ、カケ、桜」、後述する河井夫妻選挙買収事件など安倍氏や自民党本部がかかわる疑惑の捜査に対して検察は現在も及び腰である。

K河井夫妻参院選買収事件

 今も未解明な部分が多く残されているこの事件は、2019(令和元)年7月の参院選広島選挙区において、初当選した自民党公認候補・河井案里氏と、法務大臣(当時)の夫・河井克行氏が共謀して起こしたとされる大規模な選挙買収事件である。

 河井夫妻は2020(令和2)年6月18日、公職選挙法違反(買収)容疑で東京地検特捜部によって逮捕された。河井克行氏に懲役3年、案里氏に懲役1年4カ月・執行猶予5年の判決を下した東京地裁の判決文(今年1月と6月)によると、買収額は、河井克行氏が2871万円(買収者106人)、案里氏は190万円(同4人)。これら裁判所が事実認定したものだけでも、2人で合計3060万円もの現金を、選挙区内の首長、議員などの自民党関係者110人に配るという、国会議員による選挙買収としては過去に前例のない大規模なものとなった。

 河井夫妻が逮捕された日、安倍氏は、自民党総裁として「わが党所属だった現職国会議員が逮捕されたことはたいへん遺憾である。かつて法務大臣に任命した者として、その責任を痛感している」と陳謝し、「国民の厳しいまなざしを受け止め、われわれ国会議員は改めてみずから襟を正さなければいけない」とのべた。まるで自分にある責任は、任命責任だけであるかのような他人行儀な口ぶりである。

 だが、これまで明らかになっている事件の経緯や事実関係を見れば、河井夫妻による共謀というだけでは説明がつかない。安倍氏および自民党本部は、事件の直接的、間接的な当事者である。

 しかも、選挙民主主義の根幹を揺るがす前代未聞の公職選挙法違反事件でありながら、逮捕・立件されたのは河井夫妻と秘書らに限定され、100人をこえる被買収者も不起訴という不可解極まりない措置がとられている。買収事件の全容について、当時首相であった安倍氏や自民党、そして捜査機関からは、国民が納得する説明も捜査もなされておらず、今後将来にわたる公職選挙の公正性を担保するためにも真相解明はゆるがせにはできない問題である。

1.河井案里氏の出馬に至る経緯

 事件の舞台となった参院選広島選挙区(改選2議席)には、自民党岸田派に所属し、参院自民党議員会長も務めた溝手顕正氏(過去6回当選)が、岸田文雄政調会長(当時)を頭とする自民党広島県連の支援を受けて早々に出馬を決めていた。

 ところが、安倍氏は2013年頃から「参院広島選挙区に自民党から2人の公認候補を立てて二議席を総取りする」と宣言しており、第1次安倍内閣から首相補佐官として安倍氏の側近を務めてきた河井克行衆議院議員(広島3区)の妻・案里氏(県議)を2人目の公認候補者として擁立することを決めた。これについて岸田派が多数を占める広島県連は、事実上の「溝手潰し」の刺客とみなして反対した。

 なぜ安倍氏がそれほど「溝手潰し」に執着したのか。2007年夏の参院選で自民党が民主党に惨敗したさい、当時防災相だった溝手氏が会見で「首相本人の責任はある。(続投を)本人がいうのは勝手だが、決まっていない」と批判したり、2012年に民主党の野田政権との「話し合い解散」を主張した安倍氏について、溝手氏が「もう過去の人」とこき下ろしたことなどがあげられている。先述した過去の下関市長選における火焔瓶事件でも見たように、自分を批判したり、刃向かう者には手段を選ばず執拗に攻撃する安倍氏の性格を鑑みても、これに安倍氏が敵意をたぎらせたことは想像に難くない。

 一方、同じ広島を地盤とする河井克行氏は、安倍氏が総裁に返り咲いた2012年9月の自民党総裁選では推薦人として党内支持者をとりまとめ、組閣後に首相補佐官に登用され、さらに妻の案里氏が疑惑の参院選で当選後、法務大臣にとり立てられた。安倍氏に忠義を尽くすことで出世してきた人物である。


河井克行と安倍晋三(2018年9月)

 参院広島選挙区での河井案里氏の出馬は、当初から安倍氏が仕掛けたものであり、その勝敗は安倍氏自身の面子にかかわるものであった。そのため河井陣営には、自民党本部から溝手陣営とは比較にならない応援人員と資金が投入された。

 2.自民党本部から1億5000万円提供

 自民党本部から提供された選挙資金は、溝手氏の支部が1500万円だったのに対して、河井夫妻の2支部にはそれぞれ7500万円の合計1億5000万円。そのうち1億2000万円は、税金が原資の政党交付金である。河井夫妻の逮捕後、この資金が買収の原資になった可能性が濃厚になると、安倍氏は選挙資金の提供については「(二階幹事長ら)党執行部に任せていた」とのべ、説明責任から逃げ続けた。

 だが二階氏も「関与していない」、当時選対委員長だった甘利氏も「私は1ミクロンもかかわっていない」などといい逃れに終始し、今年五月に二階氏が、「党全体の事を決めるのは(安倍)総裁と幹事長の私だ」と認めている。周囲の説明が二転三転をくり返すなかで、資金支出を決定した責任者である安倍氏からの説明は現在に至るまで一切ない。

 安倍氏は、当時の自民党総裁として、なぜ溝手陣営の10倍にのぼる1億5000万円もの選挙資金を河井陣営だけに提供したのか、理由を説明する義務がある。

 河井夫妻が3000万円もの現金供与をするためには、その原資がともなわなければならず、自民党本部から支出された巨額の選挙資金が有権者買収に使われたという疑惑は払拭されていない。しかも、その資金の大半は政党交付金(自民党には年間170億円)からの支出であり、実質的に税金が買収の原資に使われたことになる。

 河井克行氏は初公判の冒頭陳述で、自民党では選挙が近づくと党本部から「党勢拡大活動」のための資金が県連に交付され、県連を通じて所属する県議や市議らにそれぞれ20万〜30万円が支給されるのが通例であったが、2019年7月の参院選では県連が溝手氏のみを支援していたため、「(県連への)交付金は溝手先生の党勢拡大にのみ使われる」と考え、河井夫妻の支部として「県連に代行して党勢拡大のためのお金を(県議や市議に)差し上げないといけないと実行に移しました」とのべている。

 この事情を河井氏から伝えられたうえでの資金提供であれば、自民党本部は、溝手氏を支援する広島県連を介さずに、河井夫妻がみずからの支援を広げる目的で所属県議や市議にお金(買収費用)を配ることを想定して、河井陣営のために溝手陣営の10倍もの資金を融通したということになる。たとえ直接の買収原資は借入等であったとしても、党本部からの巨額の資金提供があったからこそ、買収が可能になったことは否定できない。

3.河井選対には安倍事務所の秘書が常駐

 安倍氏や自民党本部による参院広島選挙区への介入は、選挙資金の投入だけではなかった。河井陣営には、安倍首相、菅官房長官、森山裕国対委員長、山口泰明組織運動本部長、塩崎恭久元厚労相、吉川貴盛農水相(いずれも当時)らが応援に入り、選対には安倍事務所の秘書らが常駐した。安倍氏自身も「私の指示により秘書が広島に入ったことは事実」(昨年6月)とのべている。


参院選広島選挙区での安倍首相(当時)と河井案里(2019年)

 河井氏らの「百日裁判」で検察が読み上げた河井克行氏の公設秘書の供述調書では、「(2019年の)5月23日、28日、30日の3日間、山口県内の安倍事務所の秘書が、タクシーを借り上げて安佐南区の三矢会(後援会)関係者をしらみつぶしに訪問していきました。外回りに集中して最大60軒程度回れることができ、最も少なくても20軒程度回れました。私も随行しました」「(河井)代議士は、安倍総理の名前を借りれば支援をしてくれるのではないかと思ったのではないか」「総理秘書団が与えるインパクトが大きいと思いました」とのべている。この後援会組織には、50名に対し、合計385万円の現金が供与されたというのが検察の調査結果である。

 そのほか、安倍氏の関与を裏付ける事実として、以下のようなものがある。

 ・自民党本部が参院選の候補者として河井案里氏を公認した2019年3月13日の前後の2月28日と3月20日、さらに自民党本部が案里氏の政党支部に1500万円を振り込んだ2日後の4月17日、自民党本部が案里氏の政党支部に3000万円を振り込んだ3日後の5月23日に安倍首相と河井克行氏とが単独で面会していた。同年6月10日、案里の政党支部に3000万円、克行の支部に4500万円が振り込まれ、10日後に安倍首相と克行氏とが単独で面会し、その1週間後の同月27日に克行の政党支部に3000万円が振り込まれていた(首相動静)。

 ・安倍首相の秘書5人が、河井案里氏の選挙運動の応援に、山口から広島に派遣されていた。克行氏からスタッフに「安倍総理大臣秘書」と表現するように指示が出ていた(毎日新聞)。

 ・河井克行前法相が広島県議側に現金を渡した後に、安倍首相の秘書が同県議を訪ねて案里氏への支援を求めていた(共同通信)。

 ・案里氏の後援会長を務めた繁政秀子・前広島県府中町議は、2019年5月に克行氏に現金30万円を渡されたさい、克行氏から「安倍さんから」と言われた(第36回公判での証言)。

 この選挙の結果、岸田派の溝手氏は落選し、当選した案里氏は自民党二階派に入り、克行氏には法務大臣ポストが与えられた。これらの経過と事実関係を踏まえても、安倍氏は「大臣の任命責任がある」「すべての国会議員は襟を正さなければならない」というだけで済まされる問題であろうか?

 安倍氏は、河井夫妻が逮捕され、検察の捜査や裁判で次々と事実が明るみに出始めた2020年8月28日、突然総理辞任を表明した。

 だが、この事件は、多くの納税者を愚弄する税金を使った大規模買収事件であり、今後将来にわたる公職選挙の公正性を担保するうえでも、国民が納得する説明や真相究明、相応の処分がなされなければ、失われた政治に対する信用が回復することはない。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/21862
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c65

[近代史4] 売国政治家列伝 _ 安倍晋三 中川隆
66. 中川隆[-16167] koaQ7Jey 2021年10月02日 11:31:12 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[11]
安倍2代63年で私たちが思ったこと 連載『安倍2代』をめぐる読者座談会 選挙区は衰退まっしぐら
山口県2021年9月28日
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/21850


 本紙1面に連載している『安倍2代を振り返る 国民の幸せのためにどのような貢献をしたのか』に対して読者の皆様より、さまざまな意見や感想が寄せられている。とりわけ選挙区でもある下関市内では、過去の出来事や周囲にいる代議士界隈の存在ともあわせて積年の思いが語られ、近づく衆院選ともかかわって、60年余りに及ぶ安倍2代がトップに君臨した地元の政治構造についても話題になっている。今回、経歴も年代もさまざまな5人の読者に集まってもらい、地元で暮らす者としてあくまで匿名性を守ることを前提に、昨今の政治状況や安倍2代をどのように見ているのか率直な思いを語り合ってもらった。

◇      ◇


安倍晋三(左)と安倍晋太郎

 司会 お忙しいなか時間をとっていただきありがとうございます。今日は連載『安倍2代を振り返る』について、意見や感想を寄せて下さった方々に集まっていただき、「あれもいいたい」「これもいいたい」をおおいに語っていただければと思います。とりわけ、山口4区は安倍晋三元首相のお膝元ということで全国からも注目され、「いったい地元の有権者は何を考えているのか?」と良い意味でも悪い意味でも捉えられているように思います。そんな地元の皆さんの思いや空気感を少しばかりでも発信できればと考えています。
 まず、連載を読んでの率直な感想をいただければ。

 A 『安倍2代』というより、私は例の如く長周新聞を中心とした匿名調査チームの連載が始まったのだとワクワクする思いで読んできた。下関市立大学のトイレ改修工事を巡る問題(市長の支援者企業への資金融通疑惑)も、下関市議会の議長・副議長が公用タクシーチケットを使い放題で、毎日のように豊前田や赤間の歓楽街での飲み会から帰宅している問題も、一般の者には知るよしもない。そうした問題について徹底的に情報公開で事実を積み上げ、突き詰めていくスタイルが気に入っている。議会もろくに機能していないなかで、この街の浄化作用として必要だと思う。

 今回もまた、誇張があるわけでもなく、事実を淡々と書いていくことで、私たちからすると「確かにそんなことがあったな…」と安倍2代を振り返る契機になった。リクルート事件で晋太郎さんが逮捕されてないこと自体が不思議だよなとか、あの後下関に帰ってきた時に「(夫人の)洋子に胸ぐらつかまれてたいへんだったんだよ…」と周囲に漏らしていた話とか、数十年前の出来事をふっと思い出した。企業経営者の友人からも「長周の『安倍2代』読んでるか?」と電話があって、みんなが注目して読んでいるんだなと思った。

 B 感想を一言でいうと、安倍さんの再登板以来の8年でこの国をぶっ壊してしまったんじゃないかという思いしかない。連載は黒川検事問題にさしかかっているが、この問題一つとってみても三権分立なんてあったもんじゃないし、民主主義が根本からぶっ壊されたような気がしている。しかし、本人は痛みいってないし、平気で議員として居座ろうとしている。ケジメがない。「三代目は身上を潰す」というけれど、あの人は国家をオモチャにしたんじゃないかと思えてならない。最近でも唐戸なんかをSP連れてホイホイ歩き回っているのを見ると、山口4区も果たしてこのままでいいのだろうかと考えてしまう。私のまわりでは「今回は自民党に入れたくない」という意見も多いのだが、全般としてどうなのだろうか。さすがに次の選挙は10万票には届かないのではないか?

 C 衆院選も意識しての連載なのだろうが、私はできれば山口4区の有権者が全員読むくらいしないといけないと思う。そろそろ考えないといけないという思いに駆られている。安倍晋太郎さんの時代にやっていたことと、晋三さんの代でやっていたことも大差ないじゃないかと思ったし、昔から何も変わっていないんだな、というのが率直な感想だ。晋三さんは桜を見る会で有権者をもてなしたが、晋太郎さんの時代も婦人部の2万円旅行が問題になったことを知った。人数や規模こそ違うが、やっていることは同じじゃないかと。この八年のモリカケ桜、黒川等々を改めて振り返るだけでも、決して水に流してはいけない出来事ばかりだし、それらの疑惑や問題が何ら解明されていないことがわかる。Bさんがおっしゃったが、やはり私も人間として、また政治家として「ケジメがない」ように思う。

 D ところで晋太郎さんと晋三さんの2代で何年になるんだろうか?

 司会 安倍晋太郎の初当選が1958年なので、今年で63年にもなります。


安倍寛(1894-1946年)

 D もう半世紀以上にもなるのか。連載を読みながら、私は晋太郎さんの父親の安倍寛さんもいるんだから、安倍家としては3代では? とも思ったのだが、連載執筆チームとしては寛さんは別物という扱いをされたのだと認識した。そこは明確な線引きが必要だと思う。それこそ寛さんは15年戦争のさなかにも大政翼賛会に逆らって非戦・平和主義を貫いたような人物で、それを地元にいる支持者たちが懸命に支えたのだ。

 長門にいる私年代の年配の知人たちは「大津聖人」ともいわれるような清廉潔白な政治家として安倍寛さんを誇りに思っている。それこそ、お爺さんは大政党の金権政治や腐敗を糾弾していた側だったからだ。寛さんが生きていたら、息子や孫たちの有り様についてどう思うだろうと思う。これは子孫として墓参りすればいいってもんじゃない。みなから尊敬された政治家としてのお爺さんの顔に、2代目、3代目は泥を塗っていやしないか?と思うのだ。

 若い人は知らないだろうが、安倍寛さんの地盤、看板、カバンは周東英雄代議士(農水大臣・三隅出身)が引き継いだのだ。もともとは世襲ではなかった。周東代議士は宏池会に所属した政治家で、下関の戦後復興を牽引した水産業界などにはずいぶんと影響力があった。下関の水産業界というより、山口県の水産業界の重鎮だった藤本万次郎(祝島出身)が後援会長を務めていて、旧山口1区(中選挙区時代の下関、長門、萩、美祢、小野田、宇部を含む県西部、定数4)では田中龍夫代議士と並んで保守の地盤を争っていた。

 古い経緯をたどると、そこに岸信介が安倍晋太郎をぶつけて、いわば安倍寛さんの地盤というか安倍派を割るような形での登場だった。すでに亡くなられたが、当時の選挙にかかわった私よりもずいぶん年配の自民党の方いわく、岸が「下関は(選挙に)なんとカネのかかる街か…」とぼやいていたそうだ。とりわけ労働組合関係を取り込むのにカネがかかったそうで、昔からゴネてカネをむしるダラ幹というのはいたのだろう。下関の労組関係の腐ったのはそういうのが多い。

 そうして安倍寛の後継だったはずの周東代議士の地盤は林義郎さんが引き継ぎ、安倍、林、田中の3人がしばらくの間中選挙区時代の山口1区でしのぎを削っていた。そして田中龍夫さんの引退にともなって、この人も世襲はしないといって河村建夫に引き継いだ経緯がある。成り行きは複雑だ。私も選挙にはずいぶんとかかわってきたので、あの頃は本当に激しかったことを思い出す。田中龍夫さんも面白い人で、それなりに筋の通った政治家だったと思うが、比較してずいぶんと政治家の質も変わったものだと思う。モリカケ桜などは低俗極まりない疑惑で、その昔なら内閣もろとも吹き飛んでおかしくない代物だ。そんなのがよく8年も続いたものだと思うし、政治の質がよくぞここまで落ちたものだと感じる。

 E Dさんほど昔のことは詳しくないけど、中選挙区の時代は同じ自民党でも緊張感があったように思う。気を抜いたら落選するので、支持者を獲得するために地元密着で腰も低かった。それが小選挙区になってから頭も下げずに当選するようになりダメになった。小選挙区になって選挙区が改変されて、山口4区では林義郎さんが「晋三君は年齢も若く将来があるから」といってみずからは比例区にまわり、選挙区は安倍派に譲って今日に至っている。だから林派の人たちが、「もう首相までやって一丁上がりなんだから、今度は林芳正に譲れ」と主張する気持ちもわかる。「三度目の登板もあるかも」といって含みをもたせているが、「安倍晋三は終わった男ではないか」と。

 安倍晋三といっても東京生まれの東京育ちで、対する芳正は文関小学校、日新中学校、下関西高等学校出身で生粋の下関育ちだ。しかし、芳正本人に度胸がなくて次の衆院選では3区の河村と激突する道を選んだ。情けないものだ。住民票を宇部市に移した時点で、長年林派を支援してきた友人はカンカンに怒っていた。「安倍派に恐れをなして郷土を捨てるとは、長年の支援者への裏切りだ!」と。林派の人たちがどことなく興ざめしているのは、そんな複雑な思いがあるのではないか。亀山さん(亀山八幡宮)は林派、赤間神宮は安倍派、唐戸魚市は林派、中央魚市は安倍派というように企業関係にいたるまで綺麗に色分けもあるし、そんな系列を気にしながら私も仕事をしてきたが、支持基盤をそのまま置き去りにして林家が逃げ出したような印象だ。

 合同ガス(林派)やサンデン(林派)の知り合いに聞くと、なんだか次の衆院選は乗り気でないようで「自主投票でいいんじゃないか」と口にしていたくらいだ。市長も安倍さんところの前田晋太郎に獲られて面白くないのだろう。

 A 先ほど、安倍寛さんの話をDさんから聞いて、目からウロコならぬ耳からウロコのような思いがした。長門が生み出した立派な政治家じゃないかと。私たちの年代は晋太郎さんと晋三さんの2代しか直接には知らないのだけど、どうして息子や孫はあんなことになったんだろう。

 D 晋太郎さんは実質的に岸家に婿養子に行ったようなもので、その政治権力を引き継いだことが孫にいたるまでの現在の基盤なのだろう。だからリクルート事件でも女房から胸ぐらをつかまれるのだ。要するに安倍寛の継承者ではなく、岸信介の中央政界での権力に投機したといってもいいのではないか。晋三さんが政界で大きい顔ができるのも岸信介の孫だからで、安倍寛の孫だからという見方をする人などほとんどいない。そして本人自身も「岸信介の孫」を売りにしているではないか。だから長門の古い人たちのなかには、「私は安倍寛の安倍派だ」とこだわりをもっている人もいる。晋三さんの「安倍派」にくくってくれるなと。

避けられぬ有権者の審判  全国注目の山口4区

 A 連載を読んでみて、「ケチって火炎瓶」の事件とか、晋三さんの登場以来の抗争や出来事も思い出した。古賀敬章は今頃何をしているのだろうかと思うが、代議士としての地盤を引き継ぐさいの権力闘争の一端があの火炎瓶事件だった。晋太郎さん亡き後に安倍派に属していた古賀が代議士に色気を出して、しかも安倍事務所の秘書たちを何人か自陣営に引っこ抜いて地盤を脅かしたのが発端だ。その後、秘書のKとか詫びを入れて安倍事務所に出戻りした者もいたが、たまったもんじゃなかったのが巻き添えを食らった企業だ。


安倍事務所への火炎瓶投げ込みの捜査現場(2000年6月28日)

 怪文書をまいたのは、恐らく逆鱗に触れての市長選潰しだったのだろう。あの後、古賀についた支持者や企業も江島によってずいぶん制裁をくらった。市の指名競争入札から完全に干されて潰れたところもあった。血も涙もない制裁気質を見せつけられた。あれは江島による制裁というより、晋三さんや安倍事務所からの制裁だったように思う。設計事務所を営んでいた友人は、古賀に巻き添えをくらったことでひどいめにあい、同業者みんなして安倍事務所に詫びを入れに行ったと話していた。まるでヤクザのような世界の話だ。この辺りのくだりは、もう少し連載で脇道にそれて展開してもらっても良かったかなと思う。

 E 世代にもよるだろうし、いまは筆頭秘書の配川が裏の市長気取りなんだろうが、私らの世代は安倍事務所といえば奥田(晋太郎時代からの筆頭秘書)さんとか竹田さんの顔色を伺ってみんなが無難にやってきた。2人とも山口県警の刑事上がりで、すねに傷がある者に睨みが効いたり、下手に逆らえない恐さがあった。今度3区から出ようとしている林事務所も警察上がりを1人秘書として雇い入れるようだが、真似をしているのかと思うくらいだ。

 下関で安倍事務所の筆頭秘書に逆らえる市長などいないし、議員もいない。以前なら林派と安倍派で上手に棲み分けもしてきたが、晋三さんが首相になったあたりから力関係が一方的なものになってきた印象がする。林派がだらしないといえばそれまでだが、寄らば大樹の陰で安倍派に投機する人だっているのだ。世襲が続くのも、中央政界での権力への投機であって、すでに政治家として素晴らしいとか素晴らしくないとかは関係なくなっているのではないか。代議士としても選挙区は地盤として利用するし、地元財界も財界で中央での権力に乗っかるという相互依存ができ上がっている。

 やはり振り返って見て、晋太郎さんも大概だったなという思いと同時に、晋三さんになってからはモリカケ桜にしてももっとやりたい放題ではないかという思いがする。連載の副題として「国民の幸せのためにどのような貢献をしたのか」とあるが、国民の幸せとか果たして考えているのだろうか。時系列で並べたときの壊れっぷりというか、山口県の保守政治って何なんだ? という思いもする。

 C 私たちの年代からするとAさん、Dさん、Eさんの世代が見てきた世界、感じてきた世界との違いもあるのだろうし、先程からの話で知らないこともたくさんあるのだが、ここまでくると全国的には山口4区の有権者ってどうなってんの? と思われるのが当然だと思う。なんだか桜を見る会に800人も山口県の関係者が押しかけて公金でもてなされたり、バカじゃないの? と思われるのが当たり前だ。いや、私もバカじゃないの? と山口県民ながら思ったし、いい加減にしてほしいと思う。河井案里の選挙でも安倍事務所の筆頭秘書たちが乗り込んで陣頭指揮をとったわけで、そんな選挙に自民党から1億5000万円が注がれ、挙げ句に現金をばらまいて逮捕されたり、山口4区は犯罪の温床なのかという思いすらする。配川秘書が公設秘書は辞めたけど、私設としては筆頭秘書ですよとかいうのも、全国の人を小馬鹿にした話だと思う。今回の選挙は、4区の有権者の良識が問われているし、そのうえでも安倍2代についての検証は必要だと思う。世襲の弊害というのも考えさせられた。

 D 私が思うのは、郷土下関なり長門の衰退ぶりについて、選出の国会議員たちはどう思っているのだろうか? という点だ。なんの心配もしていないのだろうか? と。郷土すら豊かにできないものが国を豊かにできるとは思わないし、現に国としても下り坂を駆け落ちているではないか。


以西底引船団出港(昭和45年頃)下関漁港を基地とし、東シナ海・黄海を漁場としたのが以西底引網漁業で、下関の水産業の中心だった。

 下関は戦後は水産業で復興を成し遂げ、水産都市として栄えてきたが、晋太郎さんの時代に以西底引きがダメになり、大洋漁業が横浜に出て行ってからは都市として衰退の一途を辿ってきたように思う。昔は大洋漁業が市役所の助役まで案配するほど影響力を持っていたし、この街の政治構造のトップに君臨していたのは安倍事務所ではなく大洋漁業といっても過言ではない時期もあった。市長や商工会議所の重鎮たちも水産関係者で占められていたほどだ。唐戸の交差点では信号が青になると下関漁港節が流れるほど、水産業が街の中心だった。その衰退とともに観光都市化に舵を切ったが、週末都市としての傾向が強まったように思う。最近ではビルや家屋の解体があっちでもこっちでもやられていて、下関漁港の周囲の廃れ方も昔を知る人間としては信じがたいものがある。

 自民党は地方創生なんて叫んでいたけれど、例えば安倍代議士が下関なり長門の人口減少の実態なり、地方都市として危機的なまでに衰退している状況について、どれだけ選挙区の実情を知っているというのだろうか。そして、そんな地方都市の困難や思いについて、どれだけ国政に届けてきたのだろうかと思う。代議制が形骸化してはいないか。


下関駅前(昭和26年頃)。下関駅舎の玄関にタコの飾りがあり、人だかりや山車に仕立てたトラックなどから「みなと祭」の賑わいとみられる。

 A まったくDさんと同じ思いで、下関の衰退ぶりには恐さすら感じる。挨拶回りに戻ってきているが、晋三さんはどう思っているのだろうか。中央での政治家の権力に投機して市長選でも前田晋太郎が「太いパイプ」なんて叫んでいたが、太いパイプだろうが細いパイプだろうが何も変わらないではないか。むしろ衰退まっしぐらだ。

 国政は政治の劣化がどうしようもないまでに進み、あれほど疑惑を抱えながら是正する力も働かないほどに壊れている。いまの自民党総裁選を見ても、長周新聞が「2軍たち」と表現していたのがツボにはまったのだが、まさにそんな様相だ。「今回は自民党に入れたくない」「安倍晋三はやりすぎた」という意見が私の周囲でも多いが、このまま中央政界でキングメーカー気取りをさせることが国のためになるのかだ。

 B 4区の有権者がどのような審判を下すのかは全国から見られていると思う。ただ、かといって対抗馬の姿が見えず、正直にいうとれいわ新選組といっても本気でやる気があるのか? と感じている有権者は多いのではないか。候補者の存在感がまるでないし、どうして街頭演説などもっと精力的にやらないのだろうかと思う。ただの当て馬で出てくるだけというのなら、それなりの得票にしかならない。本気で4区からひっくり返していくという姿勢が見えれば選挙も盛り上がるだろうが、私自身は竹村さんの姿を一度も見たことはないし、折角選挙で真っ向勝負するのに何をしているんだろう? という印象しかない。おそらくほとんどの人がそうだと思う。

 E それは私も感じていることで、次の衆院選は安倍代議士は大幅に得票を減らすとは思いつつ、対抗する勢力がどうなっているんだろう? と思ってきた。新聞では、れいわ新選組の山口4区の候補者がいることも知っていたけど、まだ知らない人の方が多いと思う。4区でケジメをつけるような選挙戦に発展すれば面白いのにと願いつつ、だからといって一般的には誰でもいいとはならない。そこはなりかわる意志や能力をすべての有権者に向けて発信しないと、とてもではないが安倍事務所を筆頭にした4区の牙城が崩れるわけがない。有権者としてはシビアに様子を見ている状態だと思う。国政選挙で問題だと思うのは選択肢の乏しさで、自民党になりかわる政党がいないことが最大の問題ではないのか。それも含めた政治の劣化なのだと思う。コロナでみんなの暮らしが散々な目にあっている折り、この状況をどうにかしてくれる政治を期待している。

https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/21850
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c66

[近代史5] 1人当たりGDPは日本、フランス、イギリス、ドイツはほぼ同じ
1人当たりGDPは日本、フランス、イギリス、ドイツはほぼ同じ

東証株価時価総額では日本は既に1989年の最高値を超え770兆円、1989年はGDP405兆円で時価総額590兆円だった。


そのGDPはバブル最盛期で405兆円、実は日本のGDPはバブル崩壊後に急成長していた。

1989年に405兆円だった日本のGDPは1997年に477兆円、2004年に500兆円を超え2021年は546兆円になる見通しです。

それなりに成長しているが成長率は低く1986年に6.79%だったのが90年代の大半は平均ゼロ%まで下がりました。


2000年代から2010年代も平均1%前後という惨憺たる有様でした。

日経がダウを抜くとき、日本経済は復活する

この間に中国が急速な経済成長をし、2008年に日本のGDPを超えたと主張したのは周知の事実です。

実際には北京五輪に合わせて「日本を倒した」と言いたかっただけで、この年のGDPは日本より下だったと思われます。

その後13年間日本のGDPは世界3位、日本の下はドイツ、インド、イギリスなどで9位にブラジルが入っている。


欧州各国は結局人口が日本の半分程度なのと、日本と同じように少子高齢化し1人当たりGDPもそう変わりません。

欧州に抜かれる事は今後100年はないと思うが、下位のインドやブラジルは人口が多い後進国なので急成長する可能性がある。

逆に中国は既に成長が止まり、今後は停滞から衰退期に移行すると考えられている。


1人当たりGDPは先進国ではほぼ同じで日本、フランス、イギリスは約4万ドル、ドイツは4.5万ドルだが誤差の範囲です。

アメリカだけが6万ドルで、このほとんどを数社の巨大IT企業が稼ぎ出している。

一部の突出した大富豪がいるにしても、アメリカの庶民と日欧の庶民のレベルはそう違いません。


こう考えると日米欧の先進国は結局のところ、1人当たりで同じようなところに落ち着くのかなと思います。

1980年代から90年代の日本は全世界で一国だけ常に好景気、常に無敗、常に勝ち続けるスーパー国家でした。

その分日本のあらゆる数値が他の先進国より高くなり、30年かけて欧州と同じになった。
http://www.asyura2.com/bbsup/up.cgi?ban=reki5&up=2

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1144.html

[番外地9] GDPが増えても国民は豊かにならない 中川隆
2. 中川隆[-16166] koaQ7Jey 2021年10月02日 11:47:34 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[12]
国民が頑張って働いてGDPを増やしても国民は豊かにならない
GDP が増えると賃金が増えないまま物価だけ上がるので、労働者が貧しくなりマルクスが預言した階級社会が完成する
日本を始めとして世界中で”親世代より貧しい子供世代”に入っていて、韓国もご多分に漏れず子供世代が貧しい。
先進国で初めてこうなったのはおそらく1980年代以降のアメリカで、マイホームが買えなくなった。
アメリカは1950年代が絶頂期で(裕福な白人家庭は)7リッターの大型車を乗り回し、芝生やプール付きの家を所有していた。
当然未来のアメリカはもっと豊かになると想像していたが、子供や孫の世代になるほど貧困化している。
アメリカは60年代、70年代、80年代と不況が続き、やっと好景気になった90年代は以前とは違っていた。
前の好景気では労働者の所得が増え、自動車工場の従業員は自分が作った車を買うことが出来た。

だが90年代以降の好景気では労働者の給料はあまり増えず、資産価値だけが増加しました。
つまりお父さんの給料は30万円で変わらないのに、株価や地価やビットコインだけが値上がりしました。
値上がりした株やビットコインでGDPは上昇するので、物価も資産上昇につれて上昇しました。
だが物価が上昇してもお父さんの給料は30万円のままなので、労働者家庭はどんどん貧困化しました。

統計によるとアメリカの中産階級は1980年代から貧困化していて、中産階級から貧困階級に転がり落ちる人が多い。
こうした例を日本に当てはめるまでも無く、労働者の所得は減り資産だけが増え日本人は『貧困民族』になりました。

資産価値上昇が日本人を貧困にしている。
個人資産が1500兆円とか2000兆円という数字を聞いたことがあると思いますが、アレが増えれば増えるほど日本人は貧困になります。
なぜなら汗を流して働いた人の給料は減り続け、働かずに土地や株を所有する人の収入が増え続けるからです。
多分あなたは週5日以上、一日8時間以上働いているが、収入は増えていないのではないでしょうか?
ところが資産を保有している人は1年に1日も働いていないのに、資産が倍になったりしています。
資産価値が上昇した分日本のGDPが増えたことになり物価が少し上がるので、労働者は毎年貧しくなります。
これが安倍、小泉や自民党政権が20年やった事だが、自民党のせいというほど話は単純ではない。

欧米や中韓ロですらそうなっていて、労働者の給料は実質減り続けて、不労者である資産階級だけが収入を増やしている。
この原因が資産価値の上昇で、マネー経済ともバブル経済とも言います。
労働価値は変わらないのに株やビットコインや地価だけが上昇する社会は労働者にとって地獄の世界になります。
そして世界中が地獄化しているのです。

▲△▽▼

1人当たりGDPは日本、フランス、イギリス、ドイツでほぼ同じ、生活水準もほぼ同じ

東証株価時価総額では日本は既に1989年の最高値を超え770兆円、1989年はGDP405兆円で時価総額590兆円だった。

そのGDPはバブル最盛期で405兆円、実は日本のGDPはバブル崩壊後に急成長していた。

1989年に405兆円だった日本のGDPは1997年に477兆円、2004年に500兆円を超え2021年は546兆円になる見通しです。

それなりに成長しているが成長率は低く1986年に6.79%だったのが90年代の大半は平均ゼロ%まで下がりました。

2000年代から2010年代も平均1%前後という惨憺たる有様でした。

この間に中国が急速な経済成長をし、2008年に日本のGDPを超えたと主張したのは周知の事実です。

実際には北京五輪に合わせて「日本を倒した」と言いたかっただけで、この年のGDPは日本より下だったと思われます。

その後13年間日本のGDPは世界3位、日本の下はドイツ、インド、イギリスなどで9位にブラジルが入っている。

欧州各国は結局人口が日本の半分程度なのと、日本と同じように少子高齢化し1人当たりGDPもそう変わりません。

欧州に抜かれる事は今後100年はないと思うが、下位のインドやブラジルは人口が多い後進国なので急成長する可能性がある。

逆に中国は既に成長が止まり、今後は停滞から衰退期に移行すると考えられている。

1人当たりGDPは先進国ではほぼ同じで日本、フランス、イギリスは約4万ドル、ドイツは4.5万ドルだが誤差の範囲です。

アメリカだけが6万ドルで、このほとんどを数社の巨大IT企業が稼ぎ出している。
一部の突出した大富豪がいるにしても、アメリカの庶民と日欧の庶民のレベルはそう違いません。

こう考えると日米欧の先進国は結局のところ、1人当たりで同じようなところに落ち着くのかなと思います。

1980年代から90年代の日本は全世界で一国だけ常に好景気、常に無敗、常に勝ち続けるスーパー国家でした。

その分日本のあらゆる数値が他の先進国より高くなり、30年かけて欧州と同じになった。

▲△▽▼

少し位見習ったら
大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/846.html#c2

[番外地9] 援助しなければやっていけない企業はどんどん潰すのが正しい
企業への援助や金持ちへのベーシックインカムをやるとスタグフレーションになるのですね。
金をばら撒くのは貧困層に属する個人だけにしないとダメなのです。
赤字国債の発行をすると資本家だけが儲かるので NG
消費税は逆累進課税というより、輸出企業だけへの援助になるのでNG
援助しなければやっていけない企業はどんどん潰すのが正しいのです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/859.html
[番外地9] 日本の右翼・保守はみんな共産主義者だったんだよ
日本の右翼・保守はみんな共産主義者だったんだよ
それで終戦後はみんな日本共産党に入党したんだ
日本赤軍派の重信房子の父親も有名な右翼だよ

ソ連ではレーニン・スターリンを崇拝していたし、中共では毛沢東、北朝鮮は金一族を崇拝していただろ。
日本の右翼・保守も同じ様に天皇を崇拝していただけだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/860.html

[番外地9] 日本の右翼・保守はみんな共産主義者だったんだよ 中川隆
2. 中川隆[-16165] koaQ7Jey 2021年10月02日 14:08:53 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[15]
共産主義はマルクス主義だけじゃないからね。
皇道派が本当に批判していたのはリベラリズム・新自由主義・帝国主義だよ。
JPモルガンやロックフェラーの様な国際金融資本が敵だったんだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/860.html#c2
[近代史4] 近衛上奏文 中川隆
6. 中川隆[-16164] koaQ7Jey 2021年10月02日 15:09:16 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[18]
「戦前に似ている」と危機感も|昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-symbol-04.html

「拝謁記」には、昭和天皇が、東西冷戦や朝鮮戦争の勃発を背景に国内でも共産主義が勢いを増していく状況を戦争に突き進んでいった時代と重ね合わせて危機感を募らせる様子が記されています。


大学生を青年将校と重ね合わせる
昭和25年7月10日の拝謁では、昭和天皇が「共産党の大学生ニ 動機の純眞なるものがあるとの議論ニ非常ニあぶないので 永田鉄山問題でも動機云々(うんぬん)を口実ニ 刑ニハ処しても 甚しく軽きに失し 又他の場合ニハ動機のよきを口実ニ不問に附した事もあり かゝる風が遂に大平洋戦争(原文ママ)を起す事となつた事故 青年将校と大学生との差だけであつて 危険ハ同じ事だ」と述べたと記され、学生運動に参加する大学生を戦前の青年将校と重ね合わせていたことがうかがえます。

「私は実ニ心配しているのだが…」
また、昭和26年12月9日の拝謁では「所謂(いわゆる)反米思想が一般ニある程度あるは已(や)むを得ぬも それニ乗じて共産のものが共産主義の為に美名を平和とか戦争反対とかいつて色々やるのは困つたものだ、これハ丁度(ちょうど)戦前ニ軍閥者が 忠君愛国といふやうな当時ニあつては一寸 文句のいへぬ事を看板ニして戦争へと かりたてたのと同じであつて誠に困つた事だ」と語ったと記されています。

また、サンフランシスコ平和条約が発効し独立を回復する10日前、昭和27年4月18日の拝謁では、昭和天皇は「私は実ニ心配しているのだが 戦争前の状況といふか、大正末期から昭和の始めへかけての社会の有様と最近ハ非常に似てると思ふ。国会は矢張り其頃と実際少しも変りなく、国家社会より党の事を考へたやうな様子でその言論や実勢力を行ひ、政府側の答弁も責任逃れのやうな事ばかりで慨(なげか)ハしい有様ハ 先つ(さっ)きいつた頃と少しも違いない」と述べ、政治家が党利党略で動き国会で責任逃れの答弁する状況も戦前に似ているという認識を示したことが記されています。

そして、「あの頃ハ 血気ニはやる青年将校を此等の事情が刺戟(しげき)して 段々さはぎを大きくしたが、今はこれがソ連の手ニのせられて共産的ニなるか、又は反動として右翼的の戦前と同じ様なものが出現するか、世相ハ誠ニ私ニは憂慮すべきもので、その前徴は歴々あらはれてると私は思ふ」と語ったと記されています。

そのうえで、「蟻の穴から堤が切れるとか、塵もつもれば山といふ諺がある。今私ハその徴候を充分認める。これは過去の過ちを再びせぬと限らぬ徴候だ。まだ徴候の内ニ手を打たなければ、そして重病ニなつては名医も及ばぬ 今の内ニ警告して何とかすればどうかなると思ふが 時機を失しては駄目だ」と危機感をあらわにしたと記されています。

「国会の有様はどういふ事だらうネ」
独立後回復後の昭和27年5月12日の拝謁では、昭和天皇が「日本では民主主義の抽象的言葉に熱心で、何か気に入らぬことがあるとすぐ反動的といふ言葉を使ふ。丁度軍閥時代に其主張に反するものを‘非国民’とか何とか言ふのと同じだ」と述べたと記されています。


また、その翌月(昭和27年6月24日)の拝謁では、田島長官に「国会の有様はどういふ事だらうネ」と語りかけたうえで、「日本が再建する為ニは 此(この)際ハ挙国一致であるべきだと思ふに、国の前途など少しも考へぬやうな風ニ党利党略ニ専念してるやうに国会の有様は、民主化とか、憲法改正とかいふが、少しも戦前の議会のわるかつた処ハ改まつて居らない。これでは国会政治に失望する人が出るのは当然ともいへるので、それが昔は軍部の抬頭(たいとう)の結果を生んだが、それが軍人が独乙(ドイツ)にだまされたのだと同じ様に今では組織労働者や学生を共産ソヴィエツトが丁度独乙(ドイツ)と同じ立場でやつてる。之では国が亡(ほろ)んでもいゝと 国会は考へてるのかともいひたくなる位だ」と憤りをあらわにしたと記されています。

さらに「議会の現状ニ憤慨した往年の軍の一部、独乙(ドイツ)ー軍閥ー戦争ー敗亡といふやうに 今の国会の有様ニ憤慨して学生、労働者ーソ連ー共産党ー戦争ー敗亡といふ 餘(あま)りに相似的な事ニ目をさまさぬのはどうした事か」と述べ 憤りが収まらない昭和天皇を、田島長官が「陛下は政治上ニは御関係なき御立場故、陛下としてハ何も遊バす事ハ出来ませぬ」となだめると、昭和天皇は「それは分つてるが国がこんな事では亡びるのではないか」と述べたと記されています。

田島長官はこの日の拝謁記に、「何とか、陛下として手を打ちたき御心持と、それは出来ぬ現在の憲法の規定では致し方ないが国の亡びゆく経路を 傍観出来ぬとの御心持を拝して誠に恐懼(きょうく)す」と記しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-symbol-04.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1126.html#c6

[近代史5] 天皇一族は反日売国奴でアメリカ金融資本のエージェントだった 中川隆
6. 中川隆[-16163] koaQ7Jey 2021年10月02日 15:11:09 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[19]
「戦前に似ている」と危機感も|昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-symbol-04.html

「拝謁記」には、昭和天皇が、東西冷戦や朝鮮戦争の勃発を背景に国内でも共産主義が勢いを増していく状況を戦争に突き進んでいった時代と重ね合わせて危機感を募らせる様子が記されています。


大学生を青年将校と重ね合わせる
昭和25年7月10日の拝謁では、昭和天皇が「共産党の大学生ニ 動機の純眞なるものがあるとの議論ニ非常ニあぶないので 永田鉄山問題でも動機云々(うんぬん)を口実ニ 刑ニハ処しても 甚しく軽きに失し 又他の場合ニハ動機のよきを口実ニ不問に附した事もあり かゝる風が遂に大平洋戦争(原文ママ)を起す事となつた事故 青年将校と大学生との差だけであつて 危険ハ同じ事だ」と述べたと記され、学生運動に参加する大学生を戦前の青年将校と重ね合わせていたことがうかがえます。

「私は実ニ心配しているのだが…」
また、昭和26年12月9日の拝謁では「所謂(いわゆる)反米思想が一般ニある程度あるは已(や)むを得ぬも それニ乗じて共産のものが共産主義の為に美名を平和とか戦争反対とかいつて色々やるのは困つたものだ、これハ丁度(ちょうど)戦前ニ軍閥者が 忠君愛国といふやうな当時ニあつては一寸 文句のいへぬ事を看板ニして戦争へと かりたてたのと同じであつて誠に困つた事だ」と語ったと記されています。

また、サンフランシスコ平和条約が発効し独立を回復する10日前、昭和27年4月18日の拝謁では、昭和天皇は「私は実ニ心配しているのだが 戦争前の状況といふか、大正末期から昭和の始めへかけての社会の有様と最近ハ非常に似てると思ふ。国会は矢張り其頃と実際少しも変りなく、国家社会より党の事を考へたやうな様子でその言論や実勢力を行ひ、政府側の答弁も責任逃れのやうな事ばかりで慨(なげか)ハしい有様ハ 先つ(さっ)きいつた頃と少しも違いない」と述べ、政治家が党利党略で動き国会で責任逃れの答弁する状況も戦前に似ているという認識を示したことが記されています。

そして、「あの頃ハ 血気ニはやる青年将校を此等の事情が刺戟(しげき)して 段々さはぎを大きくしたが、今はこれがソ連の手ニのせられて共産的ニなるか、又は反動として右翼的の戦前と同じ様なものが出現するか、世相ハ誠ニ私ニは憂慮すべきもので、その前徴は歴々あらはれてると私は思ふ」と語ったと記されています。

そのうえで、「蟻の穴から堤が切れるとか、塵もつもれば山といふ諺がある。今私ハその徴候を充分認める。これは過去の過ちを再びせぬと限らぬ徴候だ。まだ徴候の内ニ手を打たなければ、そして重病ニなつては名医も及ばぬ 今の内ニ警告して何とかすればどうかなると思ふが 時機を失しては駄目だ」と危機感をあらわにしたと記されています。

「国会の有様はどういふ事だらうネ」
独立後回復後の昭和27年5月12日の拝謁では、昭和天皇が「日本では民主主義の抽象的言葉に熱心で、何か気に入らぬことがあるとすぐ反動的といふ言葉を使ふ。丁度軍閥時代に其主張に反するものを‘非国民’とか何とか言ふのと同じだ」と述べたと記されています。


また、その翌月(昭和27年6月24日)の拝謁では、田島長官に「国会の有様はどういふ事だらうネ」と語りかけたうえで、「日本が再建する為ニは 此(この)際ハ挙国一致であるべきだと思ふに、国の前途など少しも考へぬやうな風ニ党利党略ニ専念してるやうに国会の有様は、民主化とか、憲法改正とかいふが、少しも戦前の議会のわるかつた処ハ改まつて居らない。これでは国会政治に失望する人が出るのは当然ともいへるので、それが昔は軍部の抬頭(たいとう)の結果を生んだが、それが軍人が独乙(ドイツ)にだまされたのだと同じ様に今では組織労働者や学生を共産ソヴィエツトが丁度独乙(ドイツ)と同じ立場でやつてる。之では国が亡(ほろ)んでもいゝと 国会は考へてるのかともいひたくなる位だ」と憤りをあらわにしたと記されています。

さらに「議会の現状ニ憤慨した往年の軍の一部、独乙(ドイツ)ー軍閥ー戦争ー敗亡といふやうに 今の国会の有様ニ憤慨して学生、労働者ーソ連ー共産党ー戦争ー敗亡といふ 餘(あま)りに相似的な事ニ目をさまさぬのはどうした事か」と述べ 憤りが収まらない昭和天皇を、田島長官が「陛下は政治上ニは御関係なき御立場故、陛下としてハ何も遊バす事ハ出来ませぬ」となだめると、昭和天皇は「それは分つてるが国がこんな事では亡びるのではないか」と述べたと記されています。

田島長官はこの日の拝謁記に、「何とか、陛下として手を打ちたき御心持と、それは出来ぬ現在の憲法の規定では致し方ないが国の亡びゆく経路を 傍観出来ぬとの御心持を拝して誠に恐懼(きょうく)す」と記しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-symbol-04.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/105.html#c6

[近代史5] GDPでは国民所得はわからない _ 日本人の平均月収は15万円以下 中川隆
9. 中川隆[-16162] koaQ7Jey 2021年10月02日 15:34:25 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[21]

2021年10月02日
1人あたりGDPと国民の平均年収の関係

各国の1人当たり国民所得はこの順番で、平均年収もこの順位です

画像引用:https://www.globalnote.jp/post-1339.html 世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング・推移(IMF) – Global Note

韓国の「平均年収」が日本を超えたという寓話

最近笑ったのが韓国政府が「我が国の平均収入が日本を超えた」500万円以上だと発表した事でした。

これはOECDの発表に基づいているが、米国は6万5836ドル、ドイツは5万3638ドル、日本は3万8617ドルでした。

韓国は4万2285ドル(いずれも2019年)だったが、実はこれらは国民の平均収入や年収とは関係が無い。

IMFによると1人当たりGDPはアメリカは6万3000ドル、ドイツ4万5000ドル、日本4万ドル、ついでにイギリスも4万ドル、韓国は3万1000ドルでした。

GDPは国民総生産だが国民総所得でもあり、その国の全員の合計所得です。

だがこの中には企業や法人、団体などの所得が含まれていて、個人の所得は半分ほどです。


簡単に半分とすれば日本人個人の1人当たり所得は約2万ドル、アメリカは3万1000ドル、韓国は1万5000ドルのようになります。

韓国は財閥や大企業の力が非常に強く企業所得が多い筈なので、おそらく1人当たり個人所得は1万5000ドル以下でしょう。

これが真実ですが、じゃあ韓国政府やOECDが言っていた数字はなんなのだろうという疑問がわきます。


OECDではアメリカの平均賃金が6万5836ドルだが、これでは1人当たりGDPはアメリカは6万3000ドルなのでアップルやマイクロソフトは「所得ゼロ」になる。

どういう統計を取ったのか知らないが、ごく少数の高収入な層の賃金だけを調べたのは確かです。

ドイツに至っては「平均賃金」が5万3638ドルで1人当たりGDPは4万5000ドル、GDPより賃金が多くなってしまっている。

インチキ経済用語に注意

おそらく日本の統計は非常に広い層の平均賃金を取り、アメリカやドイツはごく少数の高賃金の統計を取った。

その国の国民の平均収入は結局のところ1人当たりGDPに比例し、国民総所得を国民と企業で分配しているからです。

もう一つの数字として「購買力平価」というのが、特に中国を褒め称える人が良く使います。


購買力平価では既に中国のGDPがアメリカを超え世界一の超大国になった、などのように使います。

購買力平価は物価との比較で、例えばコーラが10円の国と100円の国では、GDPが同じでも10円の国は「購買力平価ではGDP10倍」になります。

こんな風に大きく見せたり小さく見せたりするのだが、単純に計算すればGDPが同じならコーラの値段に関係なく経済規模は同じです。


GDPとか1人当たりGDPは比較的信頼性が高いが、各国の自己申告なので言ったもの勝ちです。

さらにGDPはドルで計算するので、為替レートが変わるとドル建てのGDPも変化します。

1ドル124円から1ドル75円になると日本のGDPは1.65倍になりますが、実態として日本経済は縮小します。


こんな風に経済に詳しい人は虚言を弄して人々を騙し、自分の意見を信じさせようとします。

https://www.thutmosev.com/archives/86848760.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/697.html#c9

[近代史5] 「三国志」の虚構と真実
2021年10月02日
満田剛『新説 「三国志」の虚構と真実』
https://sicambre.at.webry.info/202110/article_2.html

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E8%AA%AC-%E3%80%8C%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%99%9A%E6%A7%8B%E3%81%A8%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E6%BA%80%E7%94%B0%E5%89%9B/dp/4909400478


 パンダ・パブリッシングより2015年8月に刊行されました。電子書籍での購入です。『三国志』の時代の勉強も長期間停滞しているので、新たな知見を得るために読みました。本書は、『三国志』の時代の主要人物について、『三国志演義』に基づく人物像と、「史実」に基づく人物像とを対比させる、という構成になっています。人物評価(統率力と個人武力と知力と政治・外交と魅力・人望と門地と人脈と見せ場)がレーダーチャートで示されており、一般向け書籍ですから、こうした試みは悪くないと思います。

 私にとって意外な人物評価は、まず曹操です。本書は曹操を、袁紹の真似をしており、長期的視点に欠けた人物と評価しています。そもそも、曹操は献帝を迎え入れて袁紹と対立するまで袁紹の部下と考えるほうがよい、と本書は指摘します。全体的に、魏の人物は『三国志演義』よりも「史実(歴史書)」の方が高く評価される傾向にあります。代表的なのは韓浩(変換候補に出てくるあたり、昔の辞書よりも今の辞書の方が人物名にはずっと強いな、と改めて思います)で、全ての評価で『三国志演義』よりも「史実(歴史書)」の方がずっと高くなっています。「史実」での事績が知られるようになったためか、韓浩は、ゲームでも最近では以前よりも能力値が高く設定されているようです。

 魏とは対照的に蜀の人物は、『三国志演義』よりも「史実(歴史書)」の方が低く評価される傾向にあります。猛将とされる馬超にしても、反逆を繰り返して敗れ続け、身内をほぼ失い、劉備に仕えてから活躍はない、と冷ややかな評価です。趙雲も、『三国志演義』よりも「史実(歴史書)」の方が低く評価されていますが、そもそも劉備の生前は将軍というよりも劉備の「護衛隊長」だった、と評価されています。ただ、蜀でも一般的な評価が低いだろう劉封や孟達や糜芳は、「史実」の方が高く評価されています。なお、孟獲に関しては、「漢人」だったとの見解もあるそうです。

 呉に関しては、当主の孫氏が、元々は袁術の配下だった、と指摘されています。孫堅は袁術配下の将軍にすぎず、孫策も父の威光により勢力を拡大したのではなく、袁術が皇帝を自称するまで袁術の配下として行動しており、この過程で陸氏を弾圧したことが、後に孫呉政権の問題の一つになった、と本書は指摘します。孫権に関しては、家臣を統制して国を維持したものの、長期的戦略はなかった、と評価されています。また、袁術の配下だったのは孫氏だけではなく、名門の周氏は同じく名門の袁氏と関係が深く、周瑜も袁術が皇帝を自称するまで孫策ではなく袁術の配下として行動していた、と本書は指摘します。

 袁紹の死後、息子の袁譚と袁尚が後継者争いを起こし、袁氏は没落します。本書はこの背景として、『三国志演義』では描かれなかった、家臣団の対立を指摘します。具体的には、河北派の田豊・沮授・沮鴻・審配と河南派の辛評・郭図です。袁紹没後の後継者争いのさいに存命だった家臣のうち、河北派の沮鴻・審配は袁尚を、河南派の辛評・郭図は袁譚を擁立しています。黄巾の乱に関しては、単なる農民反乱ではなく、宮中クーデタや多方面でのゲリラ戦もしくはテロという側面もあった、と指摘されています。

https://sicambre.at.webry.info/202110/article_2.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1145.html

[近代史6] ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo Vidre, 1901 - 1999)
ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo Vidre, 1901 - 1999)

ギターと管弦楽のための《アランフェス協奏曲》
5点
この人の他の曲は知らないが、この曲は素晴らしすぎる。有名な2楽章だけでなく、他の楽章も十分に素晴らしい。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3


ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ(Joaquín Rodrigo Vidre スペイン語: [xoaˈkin roˈðɾiɣo], 1901年11月22日 - 1999年7月6日)は、スペインの作曲家。

幼児期に失明したにもかかわらず、芸術家として大成した。数々の作品を通じてクラシック・ギターの普及に功があったとされ、とりわけ《アランフエス協奏曲》はスペイン近代音楽ならびにギター協奏曲の嚆矢とみなされている。本人はピアニストであり、ギターは演奏しなかった。

生涯
スペインのバレンシア州のサグントに生まれる。3歳のころに悪性ジフテリアにかかり、視覚障害者となり視力を失う。8歳でピアノとヴァイオリンの学習を始める。地元バレンシアでフランシスコ・アンティチに、パリのエコール・ノルマル音楽院でポール・デュカスに作曲を師事。短期間スペインに帰国した後、パリに舞い戻って音楽学を初めモーリス・エマニュエルに、その後はアンドレ・ピロに師事。1924年に管弦楽曲《子どものための5つの小品》によりスペイン国家賞を授与される。1933年1月にバレンシアにてトルコ人ピアニストのビクトリア・カムヒと結婚し、一女のセシリア(1941年1月27日 - )を儲ける。1947年よりマドリード総合大学の哲学科・文学科の教授として音楽史を担当した。

代表作のアランフェス協奏曲は1939年にパリにおいて、クラシック・ギターの独奏と管弦楽のために作曲された。親しみやすい中間楽章の「アダージョ」は、20世紀のクラシック音楽としては最も有名な楽曲のひとつとなっており、マイルス・デイヴィスが1960年にLP「スケッチ・オブ・スペイン」の中核として取り上げるなど、様々な編曲によって広く知られている。この作品の成功は、20世紀におけるギター協奏曲の創作に先鞭をつけたとともに、その後のジェームズ・ゴールウェイやジュリアン・ロイド・ウェバーからロドリーゴへの協奏曲の依嘱につながることとなった。

1954年にアンドレス・セゴビアの依嘱により、《ある貴紳のための幻想曲》を作曲。《アンダルシア協奏曲》はセレドニオ・ロメロから、3人の息子と共演できる作品を打診されて創られた作品である。

1991年にスペイン国王ファン・カルロスより貴族に列せられ、「アランフエス庭園侯( Marqués de los Jardines de Aranjuez )」の爵位を授かった。1996年には、スペイン国民にとって最高の名誉を意味するアストゥリアス王太子賞を授与されたほか、1998年にはフランスの芸術文化勲章を獲得した。

1999年にマドリードにて老衰のため逝去。享年97。ビクトリア夫人とともにアランフエスの墓地に永眠している。生前は後進の育成にも力を入れ、中国の女性ギタリストスーフェイ・ヤンのマドリードでのデビューリサイタルに出席した。亡くなる半年前には、テレビ番組の収録を通じ、当時パリに在住していたギタリスト村治佳織が訪れて彼が作曲した曲を数曲披露した[1]。

主要作品一覧

協奏的作品
ピアノと管弦楽のための《旅芸人》 Juglares (1923年作曲、1924年バレンシア初演)
ギターと管弦楽のための《アランフエス協奏曲》 Concierto de Aranjuez (1939年)
ピアノと管弦楽のための《英雄的協奏曲》 Concierto heroico (1943年)
ヴァイオリンと管弦楽のための《夏の協奏曲》 Concierto de estío (1944年)
チェロと管弦楽のための《ギャラント様式による協奏曲》 Concierto en modo galante (1949年)
ハープと管弦楽のための《セレナータ協奏曲》 Concierto serenata (1954年)
ギターと管弦楽のための《ある貴紳のための幻想曲》 Fantasía para un gentilhombre (1954年)
ハープと管弦楽のためのセビーリャ幻想曲《ヒラルダの調べ》 Sones en la Giralda (1963年)
4台のギターと管弦楽のための《アンダルシア協奏曲》 Concierto Andaluz (1967年)
2台のギターと管弦楽のための《マドリガル協奏曲》 Concierto madrigal (1968年)
フルートと管弦楽のための《田園風協奏曲》 Concierto pastoral (1978年)
チェロ協奏曲《ディヴェルティメント風》 Concierto como un divertimento (1978年–1981年)
ギターと管弦楽のための《宴の協奏曲》 Concierto para una fiesta (1982年)
ヴァイオリンと弦楽合奏のための《歌》 Canconeta
ピアノ協奏曲 Concierto para piano y orquesta (1996年、英雄的協奏曲の改作。ホアキン・アチュカロに献呈)

管弦楽曲
管弦楽組曲《ソレール賛歌》 Soleriana (1953年8月22日 ベルリン初演、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による)
交響詩《遙かなるサラバンドとビリャンシーコ》 Zarabanda lejana y villancio (1926年-1930年)
交響詩《青い百合のために》 Per la flor del lliri blau (1934年)
交響詩《庭園の音楽》 Música para un jardín (1923年-1957年)
交響詩《彼方なる世界を求めて》 A la busca del más allá (1976年)
カスタネットとタンバリン Palillos y panderetas
子どものための5つの小品 Cinco Piezas Infantiles (原曲は同名の連弾曲)

吹奏楽
Homenaje a la Tempranica (1939年)
吹奏楽のためのアダージョ Adagio Para Orquesta de Instrumentos de Viento (1966年ピッツバーグ初演)
Pasodoble para Paco Alcalde (1975年)
青い百合のために (同名の交響詩の編曲、1984年)

ギター曲
3つのスペイン風小品 Tres piezas españolas
ファンダンゴ Fandango
パッサカリア Passacailla
サパテアード Zapateado
2つの前奏曲 Two Preludes
スペインの田園で Por los campos de España
小麦畑で En los trigales
オリーブの木立を縫って Entre olivares
丘を下って Bajando de la meseta
スペイン風ソナタ Sonata a la española
祈りと踊り Invocación y Danza (1961年) (ORTF)
ギターのための牧歌 Elogio de la guitarra (1971年)
3つの小品 Tres pequeñas piezas
もう羊飼いたちは行ってしまう Ya se van los pastares
サンティアゴへの道 Por caminos Santiago
セビーリャの子供たち Pequeñas sevillanas

ピアノ曲
朱色の塔の影で A l'ombre de Torre Bermeja
牧歌 Pastoral
郷愁の前奏曲 Preludio de anoranza
バガテル Bagatela
別れのソナタ(ポール・デュカスの墓のための讃歌) Sonada de adios
スペイン風セレナーデ Serenata espanola
遙かなるサラバンド Zarabanda lejana
一番鶏の声を模した前奏曲 Preludio al gallo mananero
物売りの声を模したトッカータとカスティーリャ風ソナタ 5 Sonatas de Castilla, con Toccata a modo de Pregon
トッカータ
ソナタ第1番 嬰ヘ短調
ソナタ第2番 嬰ヘ短調
ソナタ第3番 ニ長調
ソナタ第4番 ロ短調
ソナタ第5番 イ長調
ピアノ組曲
前奏曲 Prelude
シシリエンヌ Sicilienne
ブレー Bourree
メヌエット Menuet
リゴードン Rigaudon
4つのピアノ曲 4 Piezas
チュエカ賛歌「カレセーラス」 Caleseras: Homenaje a Chueca
安宿のファンダンゴ Fandango del ventorrillo
カスティーリャ王女の祈り Plegaria de la Infanta de Castilla
バレンシア舞曲 Danza valenciana
4つのアンダルシアの版画 4 Estampas Andaluzas
ニシン売り El vendedor de chanquetes
グワダルキビル川の夕暮れ Crepusculo sobre el Guadalquivir
悪魔のセギディーリャ Seguidillas del diablo
カディスの小舟 Barquitos de Cadiz
16世紀の5つの小品 5 Piezas del siglo XVI
アントニオ・デ・カベソン作曲《「騎士の歌」によるディフェレンシアス》 Diferencias sobre 'El Canto del Caballero’(Antonio de Cabezon)
ルイス・デ・ミラン作曲《パバーナ》 Pavana (Luis de Milan)
ルイス・デ・ミラン作曲《パバーナ》 Pavana (Luis de Milan)
エンリケス・デ・バルデラバーノ作曲《パバーナ》 Pavana (Enriquez de Valderrabano)
アロンソ・ムダーラ作曲《「ルドヴィコのハープ」を模した幻想曲》 Fantasia que contrahace la harpa de Ludovico (Alonso Mudarra)
セシリアのアルバム(小さな手のための6つの作品)El Album de Cecilia (6 Piezas para manos pequenas)
ロスレイエスのマリア(セビリャーナ) Maria de los Reyes (Sevillanas)
ホタ風に(ラス・パロマスのホタ) A la jota: Jota de las palomas
金髪の妖精の歌 Cancion del hada rubia
褐色の妖精の歌 Cancion del hada morena
黒人ペポ El negrito Pepo
ベツレヘムのロバ Borriquillos a Belén
2つの子守唄 2 Berceuses
春の子守唄 Berceuse de Printemps
秋の子守唄 Berceuse d'Automne

4手ピアノのための作品
子どものための5つの小品 5 Piezas Infantiles
通り過ぎる子供たち Son Chicos que pasan
物語りの後で Despues de un cuento
マズルカ Mazurka
お祈り Plegaria
最後のやんちゃ Griteria final
2つの人形のためのソナチネ Sonatina para 2 muñecas
Empieza el dia
Alegres peripecias
Recogimiento
Vuelta del cole
次官たちの大行進曲 Gran Marcha de los Subsecretarios
黄昏 Atardecer

声楽曲・合唱曲
青いユリのために Per la flor del Lliri Blau (1934年)
Ausencias de Dulcinea (1948年)
Tres viejos aires de danza (1994年)
Villancicos y canciones de navidad (1952年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B4
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/725.html

[近代史6] ホアキン・ロドリーゴ ギターと管弦楽のための《アランフェス協奏曲》
ホアキン・ロドリーゴ ギターと管弦楽のための《アランフェス協奏曲》


【ギター Guitar】ロドリーゴ Rodrigo: アランフェス協奏曲 Concierto de Aranjuez/イエペス Yepes/レコード/高音質



[0:00] 第1楽章 / 1. Allegro con spirito
[5:53] 第2楽章 / 2. Adagio
[15:48] 第3楽章 / 3. Allegro gentile


初リリース: 1959年 / First Release: 1959 (Public Domain)




Rodrigo / Narciso Yepes, 1969: Concierto de Aranjuez - Original DG LP, Indexed



Digitized from the LP shown above, issued in 1970 on the Deutsche Grammophon label, catalogue number 139 440.


Allegro con spirito (0:14)
Adagio (6:21)
Allegro (17:43)




Joaquin Rodrigo Concierto de Aranjuez, Narciso Yepes



1. Allegro con spirito
2. Adagio
3. Allegro gentile


Narciso Yepes, Guitar
Philharmonia Orchestra
Luis Garcia Navarro, Conductor
Re.: 1978




Concierto de Aranjuez - Concierto Madrigal - Joaquín Rodrigo - Narciso Yepes - Deutsche Grammophon



Deutsche Grammophon Nº 2531 208 (P)1980
Side A: Concierto Madrigal
Side B: Concierto de Aranjuez.
Philarmonia Orchestra : García Navarro

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/726.html

[近代史6] ホアキン・トゥリーナ(Joaquín Turina, 1882 - 1949)

ホアキン・トゥリーナ(Joaquín Turina, 1882 - 1949)

ファリャに次ぐスペインの大作曲家。音楽は魅力的で、とても楽しませてくれる。

交響的狂詩曲
4.0点
弦楽が入っていないのに驚くほど色彩感が豊か。印象派のような音使いやスペインらしい情緒の豊かさ華麗さ濃さが、素晴らしいピアノにオーケストラにより描かれている。短いのに内容豊かな佳曲。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3


ホアキン・トゥリーナ・ペレス(スペイン語: Joaquín Turina Pérez, 1882年12月9日セビーリャ - 1949年1月14日)は、スペインの作曲家、音楽教師。イタリア系。

略歴
郷里とマドリードで音楽を学ぶ。1905年から1914年までパリのスコラ・カントルムに留学し、ヴァンサン・ダンディに作曲を師事するかたわら、モーリツ・モシュコフスキのもとでピアノを学んだ。多くの同胞の作曲家や、親友のファリャと同じように、パリ滞在中に、ドビュッシーやラヴェルのようなフランス印象主義音楽の作曲家の知遇を得た。また、アルベニスからは、フランク楽派の影響を脱して、スペイン人としての自覚をもとに創作活動に取り組むべきだと諭される。

1914年にファリャとともに帰国し、作曲家・音楽教師・音楽評論家として活動を始める。1931年からはマドリッドの王立音楽院で作曲科教授に就任した。第二次世界大戦後の1947年にマドリッドで没した。


作風
トゥリーナの作品の多くは、伝統的なアンダルシアの民俗音楽に影響されている。19世紀末から20世紀初頭のスペインの作曲家が、おおむね特定の創作ジャンルに偏りがちだったのに対して、トゥリーナはほぼすべてのジャンルを走破し、なおかつ教育者や理論的な著作家としても活躍した。創作量の豊穣さでも群を抜いている。非政治的な姿勢から、フランコ政権とも妥協したため、没後はタブー視されたこともあったが、最近では演奏界を中心に、国際的に積極的な再評価が進められつつある。

主要作品一覧

舞台音楽
2幕の喜歌劇《マルゴー Margot》作品11(台本:グレゴリオ・マルティネス・シエラ)
1幕の歌劇《東方の花園 Jardín de Oriente》作品25(1922年、台本:同上)

管弦楽曲
ロシオの行列La procesión del Rocío 作品9 (1913年)
幻想的舞曲集 Danzas fantásticas 作品22(1919年-1920年、同名のピアノ組曲の編曲)
セビーリャ交響曲 Sinfonía Sevillana 作品23(1920年)
闘牛士の祈り La oración del torero 作品34(弦楽合奏曲。同名のマンドリン四重奏曲からの編曲で弦楽四重奏版あり)
ピアノと弦楽オーケストラのための《交響的狂詩曲》 Rapsodia sinfónica 作品66(1934年)

室内楽曲
弦楽四重奏曲「ギター風に」 ニ短調 "De la Guittarra" 作品4(1911年)
弦楽四重奏のための《セレナータ》Serenata 作品87(1935年)
ピアノ六重奏曲「アンダルシアの情景」 "Scène andalouse" 作品7(1911年)
ピアノ五重奏曲 作品1(1907年)
ピアノ四重奏曲 イ短調 作品67(1931年)
ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 作品35(1926年)
ピアノ三重奏曲 第2番 ロ短調 作品76(1933年)
ピアノ三重奏のための幻想曲《環》Circulo. Fantasía para piano, violín y violoncelo.作品91(1942年)
ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 作品51(1926年)
ヴァイオリン・ソナタ第2番「スペイン風」ト短調 [Sonata española] 作品82(1934年)
ヴァイオリンとピアノのための《サンルーカルの娘の詩》El poema de una sanluqueña 作品28(1924年)
ヴァイオリンとピアノのための《古典的変奏曲》 Variaciones clásicas 作品72(1932年)
ヴァイオリンとピアノのための《ナバラを讃えて》(1945年、作品番号なし)

ピアノ曲
セビーリャ Sevilla 作品2(1908年)
3つのアンダルシア舞曲 Tres danzas andaluzas 作品8(1912年)
絵画風ソナタ《サンルーカル・デ・バラメーダ》 Sanlúcar de Barrameda. Sonata pintoresca 作品24 (1920年)
5つのジプシー風舞曲 第1集 Cinco Danzas Gitanas 作品55 (1930年、ギター版あり)
5つのジプシー風舞曲 第2集 作品84 (1934年)
管弦楽のない協奏曲 Concierto sin orquesta 作品88(1935年)
版画《我が家のテラスにて》 Desde mi terraza. Estampas para piano 作品104(1947年)

ギター曲
セビリャーナ Sevilliana 作品29(1923年)
ファンダンギーリョ Fandanguillo 作品36(1925年)
颯(はやて) Ráfaga 作品53(1930年)
ソナタ ニ短調 作品61(1932年)
タレガ礼讃 Homeneja a Tarrega - Garotin, Soleares 作品69(1932年)

歌曲
ピアノ伴奏歌曲《カンシオーネス形式による詩曲》Poema en forma de canciones 作品19(1918年、詩:ラモーン・デ・カンポアモル)
連作歌曲集《セビーリャの唄》Canto a Sevilla 作品37(1925年、ピアノ伴奏版および管弦楽伴奏版による。詩:ホセ・ムニョス・サン・ロマーン)
《希望の聖処女に捧げるサエタ、「サルヴェ・レジナ」の形式による》 Saeta, en forma de salve, a la Virgen de la Esperanza 作品60 (ピアノ伴奏版および管弦楽伴奏版による。詩:ホアキン・イ・セラフィン・アルバレス・キンテロ)
声楽とピアノ、弦楽四重奏のための小品集《アンダルシアのムーサたち》 Las musas de Andalucía 作品93(1942年)

Enciclopedia abreviada de música, マドリッド、1917年
Tratado de composición musical, マドリッド、1942年-1948年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/727.html

[近代史6] ホアキン・トゥリーナ 交響的狂詩曲 作品66
ホアキン・トゥリーナ 交響的狂詩曲 作品66


Alicia de Larrocha plays Turina - Rapsodia Sinfónica, Op.66






Alicia de Larrocha (piano)
London Philharmonic Orchestra
Rafael Frühbeck de Burgos (conductor)
Recorded: 1983, Walthamstow Town Hall, London, England.

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/728.html

[近代史6] マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla y Matheu, 1876 - 1946)
マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla y Matheu, 1876 - 1946)

管弦楽曲が有名。しかし秀逸なピアノ曲もあり、バランスと総合性があるという点でスペイン近代の最高峰の作曲家である。

管弦楽曲
『三角帽子』 第1組曲 G.58、第2組曲 G.59

『恋は魔術師』組曲 G.69(7曲?)

4つの讃歌 G.86

協奏曲
交響的印象『スペインの庭の夜』 G.49
3.3点
ほぼピアノ協奏曲である。スペインらしい熱気をはらんだ空気が感じられる名作。


ピアノ曲
夜想曲/Nocturno [1899-1900年]

マズルカ/Mazurka [1900年]

アンダルシアのセレナータ/Serenata andaluza [1899-1900年]

歌/Canción [1900年]

ヴァルス・カプリッチョ/Vals-capricho [1899-1900年]

バレエ音楽《三角帽子》より 3つの踊り

小人の行列/Cortejo de gnomos [1901年]

セレナータ/Serenata

演奏会用アレグロ/Allegro de concierto [1903年]

4つのスペイン小品/4 Piezas espanolas [1907-08年]

ベティカ幻想曲(アンダルシア幻想曲)/Fantasia bética [1919年]
4.0点
スペイン音楽史上で最高峰のピアノ曲。他のファリャの作品はそうでもないのだが、この曲は非常にピアニスティックであり、ショパンのスケルツォやリストの大作などと同格の出来である。近代的なピアノな華やかさ、スペインの風情に彩られた表情の豊かさ、緊密でスケールの大きさを併せ持ち、大変レベルの高いピアノ曲である。

クロード・ドビュッシーの墓碑銘のための讃歌/Homenaje, pour le tonbeau de Claude Debussy [1920年]

ヴォルガの舟歌/Canto de los Remeros del Volga

ポール・デュカースの墓碑銘のための賛歌/Homenaje, pour le tombeau de Paul Dukas [1935年]

火祭りの踊り/Danza ritual del fuego [1914-1916年]


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3


マヌエル・デ・ファリャ・イ・マテウ(Manuel de Falla y Matheu, 1876年11月23日 カディス - 1946年11月14日 アルゼンチン・コルドバ)は、スペインの作曲家。晩年にフランコ政権を避けてアルゼンチンに亡命した。


生涯
1890年代からマドリードでピアノを学ぶかたわら、近代スペイン音楽復興の立役者フェリーペ・ペドレルに作曲を師事。現在ペドレルは音楽学者として、トマス・ルイス・デ・ビクトリアの作品全集の校訂・刊行で名を残しているにすぎないが、ファリャにスペイン民族音楽への興味を植え付けたのが、ほかならぬペドレルだったといわれる。ファリャはとりわけ、アンダルシアのフラメンコ(のカンテ・ホンド)に興味を寄せ、多くの作品においてその影響を示している。初期作品には多くのサルスエラがあるが、中でも最も重要な作品は1幕形式のオペラ『はかなき人生』(1905年作曲、1913年初演)である。

1907年から1914年までパリに滞在。いち早くファリャの才能を認めたデュカスはオペラ・コミック座で『はかなき人生』を上演させ[1]、ファリャをスペイン出身の作曲家アルベニスに紹介した。アルベニスからリカルド・ビニェス、ラヴェルへと人脈が広がり[1]、芸術家のサークル「アパッシュ」に参加[2]、これとは別にドビュッシーとも親交を結んだ[3]。

パリ滞在中にピアノと管弦楽のための『スペインの庭の夜』の作曲に着手するが、第一次世界大戦勃発に伴い1914年9月に帰国。マドリードに戻ってからは、『スペインの庭の夜』を完成(1915年)させたのに続き、バレエ音楽『恋は魔術師』(1915年作曲、単独でも演奏される〈火祭りの踊り〉で有名)、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)のために作曲された『三角帽子』(1917年作曲)など、最も有名なファリャ作品が生み出された。これらの作品では、民族主義と印象主義の両方がバランスよく混在している。

1921年から1939年にグラナダに移住して隠遁生活を送りつつ[1]、室内オペラ『ペドロ親方の人形芝居』(1923年)や『クラヴサン協奏曲』(1926年)を作曲した。これらの作品はストラヴィンスキーの新古典主義音楽の影響が認められ、スペイン民俗音楽の影響はやや稀薄になっている。

1936年にスペイン内戦が始まり、グラナダにいた親友フェデリコ・ガルシーア・ロルカが銃殺されたことを機に祖国を離れることを決意[1]、1939年にアルゼンチンに亡命した。フランコ政権からはたびたび帰国要請があったが、彼は終生拒否し続けた。

ジャシン・バルダゲーの民族叙事詩に基づいてグラナダ時代に構想された大規模なカンタータ『アトランティーダ』(La Atlántida)は、アルゼンチンに移住してからも作曲が続けられた。しかしながら作曲者の最期においてもこれは未完成のままであり、死後に門人エルネスト・ハルフテルにより、実用版完成に向けて補筆され、発表された。

1946年にコルドバで亡くなって同地に埋葬されたが、翌1947年にフランコによって遺体はスペインへ戻され、国葬の上でカディス大聖堂(スペイン語版)の地下礼拝堂へ埋葬された。

没後の1970年よりスペインで発行された100ペセタ紙幣に肖像が使用されていた。

作品

舞台作品

オペラ
ビリャメディアーナの伯爵 G.1(人形オペラ、消失?)
はかなき人生 G.35
はかなき人生 G.39(フランス語版)
ペドロ親方の人形芝居 G.65

サルスエラ
イネスの恋 G.26
ジュアナとペドラ(紛失)
マルタの十字架(紛失)
戦下の虜囚(複写譜のみ)

劇付随音楽
東方の3博士の神秘劇 G.64
受難
夜明け(紛失)
オセロ(紛失)

恋は盲目(紛失)
バジルを洗う少女と興味津々の王子
カンターロの乙女

バレエ音楽
三角帽子 G.53
恋は魔術師 G.44(第1稿)
恋は魔術師 G.68(第2稿)

その他
世界大劇場 G.73
パントマイム『お代官と粉屋の女房』 G.50(『三角帽子』に改作)
カンタータ『アトランティーダ』 G.102(未完)
フラメンコの情景
愛の施し

管弦楽曲
『三角帽子』 第1組曲 G.58、第2組曲 G.59
『恋は魔術師』組曲 G.69(7曲?)
4つの讃歌 G.86

協奏曲
交響的印象『スペインの庭の夜』 G.49
クラヴサン協奏曲 G.71

室内楽曲
メロディア G.4
ロマンス G.6
アンダルシアのセレナータ G.12
弦楽四重奏断章 G.30

ピアノ曲
マズルカ ハ短調 G.11
歌 G.14
セレナータ G.22
火祭りの踊り G.
ベティカ幻想曲(アンダルシア幻想曲)

合唱曲
讃歌 G.36

歌曲
プレリュード G.16
ロンダのパン G.47
7つのスペイン民謡

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%83%A3
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/729.html

[近代史6] マヌエル・デ・ファリャ ベティカ幻想曲(アンダルシア幻想曲)
マヌエル・デ・ファリャ ベティカ幻想曲(アンダルシア幻想曲)


Fantasía bética



Alicia de Larrocha
℗ 1958 The copyright in this sound recording is owned by EMI Music Spain, S.A.




Falla: Fantasia Baetica



Alicia de Larrocha
℗ 1974 Decca Music Group Limited




Alicia de Larrocha plays "Fantasia Betica" by M. de Falla (LIVE 1985)



Alicia de Larrocha (1923-2009) plays "Fantasia Bética" by Manuel de Falla, as part of the recital program she gave at the Palau de la Música Catalana in Barcelona, on January 10, 1985.

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/730.html

[近代史6] アラン・ペッタション(Gustav Allan Pettersson, 1911 - 1980)
アラン・ペッタション(またはペッテション)(Gustav Allan Pettersson, 1911 - 1980)

ワンアンドオンリーの独自に深められた精神世界を彷徨するような長大で重厚な交響曲を沢山書いた作曲家。その点では20世紀のブルックナーと呼びたいような存在。


交響曲
第1番 (1951年)※破棄され、断片のみが現存。

第2番 (1953年)

第3番 (1955年)

第4番 (1959年)
3.0点
純粋な精神世界の音楽である。叙景をほぼ感じさせない。ドロドロとした暗黒世界の中で現実的精神とも妄想か生み出した虚構ともつかないような純美の世界が展開される。調性はかなり明確な場面が多いが、場面展開は旋律的でなく動機を重ねたり音響的だったりする。もやもやとした黒い霧と渦巻く暗黒オーラが常に世界を覆っている。少しずつ押したり引いたりしながら場面は展開していくから十分に堪能出来る。しかし、まだまだこれからの深化の序章としての楽しみという感じで浅さと未成熟さが残っている。やりたい方向性は既に明確だが、明確に世界を確立しきっていない。

第5番 (1962年)
3.3点
4番よりもはるかに暗黒度合いが高く、曲への没入度合いも高い。音像の完成度が段違いであり、一段階の深みに達している。魂の底にへばりついて動かしていくような力がある。単なる精神世界ではなく、もっと異次元の何かの亜空間の世界の音楽である。現代音楽風ではあるものの、調性はだいたいあるにもかかわらず、ここまでの世界に到達しているのはすごい。ここからがペッテションの本領発揮であろう。

第6番 (1967年)
3.0点
エモーショナルなパワーが増強して、それとともに暗黒的な魔界の世界観もさらに濃密度を上げている。うんざりするような暗黒度合いである。劇的なパワーは楽しめる部分もあるのだが、後半の同じ和声の上で延々と音楽を続けるのはさすがにやりすぎではないだろうか。息抜きがないためいい加減ウンザリしてしまった。

第7番 (1967年)
3.0点
ネオクラシック的な明快すぎる線が気になる。亜空間のような異世界の中を目に見えないオーラが覆うようなオリジナリティーが薄れたことにより、独自の魅力が薄れたように感じてしまった。音楽が明快になったことで、楽章がないものの構成自体はかなりシンプルなことも分かりやすくなり過ぎたように思う。とはいえ、個別の場面がそれなりに魅力ある音楽だとは思うが。

第8番 (1969年)
3.0点
7番の単純さとは全然違う、割り切りができない音の様相が続く。そして暗黒的なオーラがかなり弱い。光が常に差し込んでおり、拡散して曖昧になりながらも光の力が強いため、そこに暗黒は登場しない。どうしたのか?と突っ込みたいくらいだ。その目新しさを楽しみ、雰囲気の複雑で少しずつ移り変わる様を楽しめる。そしてスクリャービン後期を連想するような神聖なる神秘的な秘蹟の音楽という感じは強くあるのが面白い。得意の執拗なコーダも不思議な浮遊感があり、重力に引っ張られるような重さが少ない。

第9番 (1970年)
3.3点
長尺の曲らしいゆったりした時間の流れの中で不思議な音楽が続く。執拗な繰り返しの中で、マーラーの6番のような過剰に劇的で起伏の激しい内面エネルギーのドラマが演出される。しかし、これはとても抽象的で独自の超越的な亜空間の中でエネルギーの粒子を主人公として産まれるドラマである。なかなか面白い音楽であり、8番を拡張して独自のものに仕立て上げている。しかし現代音楽のようなものではなく、効果音により書かれているものの調性的で聴きやすい。長いコーダが最後に平安と安息で美しく終わるのにドキッとする。

第10番 (1972年)
3.0点
順番に聴いていくと突如としてカオスの音響のるつぼの別の作曲家になったかのような音楽になって面喰らう。この曲まではシンプルで統制が取れていたが、急に各楽器がバラバラに自分の出したい音を自由に奏でているかのような不統一な世界になっている。ひたすら圧倒されるだけで終わるのだが、飽きる前に短く終わるので、まあいいかと思える。凄い曲という感想はないが。

第11番 (1973年)
3.3点
前半はペッタションにしてはあまりにも生ぬるい。えぐりがなく、ゆったりとした時間をフリージャズのように自由に声部が登場してやりたい事をやっては去っていく感じだ。しかし後半はボルテージか上がっていく。ユニゾンの強奏から浮遊感の中に浮かび上がる姿の見えない強大なラスボスのようなものが存在している感は、独特の楽しさである。斬新なとても新しくて楽しい音楽を聴いた満足感はなかなかだ。

第12番「広場の死者」 (1974年) 合唱付き
3.0点
カンタータ風の声楽中心の曲。独特の浮遊感の中での雲を掴むような感じの合唱が延々と続いていく。しかし、あまり面白くないというか、強く感じるものがない。曖昧さが合唱によりパンチが効かなくなりさらに曖昧になってしまっている。謎の音楽という感想は最後まで消えなかった。また、あまりに長すぎる。全く芯のようなものがつかめず歌唱の不思議な音の繋がりと異様なテンションに圧倒されっぱなしなのはよいのだが、それだけが永遠に続く感じだ。しかし最後の最後に綺麗に伸ばした音で終わった時は、一気に気分がスッキリして達成感も感じて急に良いものを聴いたような気持ちになって点を上げてしまった。

第13番 (1976年)
3.5点
これは最初の数10秒を聴けばすぐ分かることだが、総合性を備えた素晴らしい力作である。重厚感のある重さと異次元のような浮遊感を備えており、カオス性とフリージャズのような自由さとコントロールされた統一性を全て兼ね備えている。聴きごたえが非常にあり、濃密な時間が流れていく。深くえぐるようなダークな精神性を持ちながら、発想豊かで変化に富んだ面白さもある。エモーショナルな場面もある。大変な覚悟で臨んだ代表作なのが音だけでもよくわかるし、その挑戦は成功したように思われる。

第14番 (1978年)
3.5点
ペッタション流の交響曲による晩年らしい枯れた味わいのある曲。妙に人生の終焉の予感で感傷的になったり薄い音の枯れた雰囲気の場面が見え隠れするのだが、それほど単純化されているわけではなく、カオス性は存続していて面白い。晩年の音楽が好きという人は多いと思うのだが、そういう人にはぜひ試しに聴いてみてもらいたい。音の濃密さや変化の多彩さや壮大なスケール感などは13番を継承しており、聴きごたえも13番ほどではないがかなりある。泣けるほどに心を震わせてくれる場面もある。割り切れない無限の変容の繋がりは相変わらずだが、場面を切り出すと普通の交響曲のような時が増えているようにも思える。

第15番 (1978年)
3.3点
14番と同系統の音ではあるが、この曲はなんとも言えないバランスの良さである。14番の終焉感のような特徴の明確さはなく薄められていて、平衡感覚を保った作品になっている。時間が短くてコンパクトであるが、これにはどちらかというと深い深い底の部分までは到達されない物足りなさを感じる。音楽に翻弄されきった完了感がない。出来は良い気がするが、いろいろとインパクトが弱い曲と思った。

第16番 (1979年) アルト・サクソフォン独奏付き
3.5点
サクロフォーン協奏曲のような作品であり、ひたすら独奏を吹きまくる。これがペッタションの晩年の作品に奇跡的な相性の良さを見せており、何度も聴きたくなるような素晴らしさである。無限の変容と感傷的な雰囲気のなかで、サックスはまさに魂とは単一のものであることを表象しているかのように吹かれる。そして吹きすさぶ嵐の中を人生を回想しながらも強く自分を保持し、それでもナイーブな気分にもなったり、揺れ動く。独自の作風と晩年であることとサックスの奇跡の結合で、少なくともクラシック音楽の中で他では見つけられそうもないオンリーワンの魅力を放っている。

第17番 (1980年)※破棄され、断片のみが現存。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E5%8C%97%E6%AC%A7


グスタフ・アラン・ペッテション(またはペッタション)(Gustav Allan Pettersson, 1911年9月19日 - 1980年6月20日)は、スウェーデン出身の交響曲作曲家。17の交響曲のほか、いくつかの協奏曲や小品を残す。

暴力的でアルコール依存症な父と、病弱な母とともに4人兄弟の末子として幼年期を過ごす。1930年からはストックホルム王立音楽院でヴァイオリンとヴィオラを学び、後にストックホルム・フィルにヴィオラ奏者として入団。

1950年にパリへ留学し、オネゲルやミヨーと親交を結ぶ。1953年のスウェーデンへの帰国後は作曲家として活動するが関節炎を患い、後にはペンももてないほどになる。1980年、癌のため死去。  


作品

交響曲

第1番 (1951)※補完版が存在。
第2番 (1952-53)
第3番 (1954-55)
第4番 (1958-59)
第5番 (1960-62)
第6番 (1963-66)
第7番 (1966-67)
第8番 (1968-69)
第9番 (1970)
第10番 (1972)
第11番 (1973)
第12番「広場の死者」 (1974) 合唱付き
第13番 (1976)
第14番 (1978)
第15番 (1978)
第16番 (1979) アルト・サクソフォン独奏付き
第17番 (1980)※未完

管弦楽曲等
弦楽のための協奏曲第1番 (1949-50) 弦楽合奏
弦楽のための協奏曲第2番 (1956) 弦楽合奏
弦楽のための協奏曲第3番 (1956-57) 弦楽合奏
交響的断章 (1973) 管弦楽
カンタータ「人類の声」 (1974) 弦楽合奏、独唱×4、合唱
ヴァイオリン協奏曲第2番 (1977-78) ヴァイオリン、管弦楽
ヴィオラ協奏曲 (1979) ヴィオラ、管弦楽

室内楽曲、器楽曲
2つのエレジー (1934) ヴァイオリン、ピアノ
幻想曲 (1936) ヴィオラ
4つの即興曲 (1936) ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ
アンダンテ・エクスプレッシーヴォ (1938) ヴァイオリン、ピアノ
ロマンス (1942) ヴァイオリン、ピアノ
嘆き (1945) ピアノ
フーガ ホ長調 (1948) オーボエ、クラリネット、ファゴット
ヴァイオリン協奏曲第1番 (1949) ヴァイオリン、弦楽四重奏
2台のヴァイオリンのための7つのソナタ (1951) ヴァイオリン×2

歌曲
6つの歌 (1935)
24の裸足の歌 (1943-45)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/731.html

[近代史6] アラン・ペッタション 交響曲 第16番
アラン・ペッタション 交響曲 第16番


Allan Pettersson * Sinfonia n. 16



Stockholm Philharmonic Orchestra
direzione, Yuri Ahronovitch
sassofono, Frederick L. Hemke



Symphony No.16 - Allan Pettersson



Norrköping Symphony Orchestra
Christian Lindberg.


I - Frenetico (0:00)
U- Cantabile espressivo (8:05)
[III] (13:15)
[IV] (19:01)






Symphony No. 16



Released on: 2015-01-06


Artist: Jörgen Pettersson
Orchestra: Norrköpings Symfoniorkester
Conductor: Christian Lindberg


▲△▽▼


2016/07/27
ペッテション「交響曲第16番」の録音
実質的なサクソフォン協奏曲とも言えるアラン・ペッテション Allan Petterssonの「交響曲第16番」は、メジャーレーベルからリリースされているものは、長きに渡って以下の2録音しか存在しなかった。


・ユーリ・アーロノヴィチ指揮ストックホルム交響楽団(サクソフォン:フレデリック・ヘムケ)
・アラン・フランシス指揮ザールブリュッケン放送交響楽団(サクソフォン:ジョン=エドワード・ケリー)


つい最近まで知らなかったのだが、次のコンビによる演奏がリリースされてたのだそうだ。2014年の録音、BISからの発売で、BIS-2110という型番が付いている。


・クリスチャン・リンドベルイ指揮ノールショピング交響楽団(サクソフォン:ヨリエン・ペッテション Jörgen Pettersson)


リンドベルイ氏は言わずと知れた指揮者・トロンボーン奏者であり、ノールショピング交響楽団もそこそこ名のあるスウェーデンのオケだが、サクソフォンのヨリエン・ペッテション氏を知っている向きは少ないのでは。スウェーデン出身の非常に優秀なサクソフォン奏者で、スウェーデンのロイヤル・カレッジとフランスのボルドー音楽を卒業後、主に母国で独奏者・教育者として活躍、特に現代作品の演奏に注力し、これまでに献呈された作品は400を超える。特に「Saxophone Con Forza(Phono Suecia)」と題されたCDは、作品の強烈さと演奏のレベルの高さから、大変興味深いもので、私も時々取り出しては聴いている。ダールの「協奏曲」のCDもあるのだが、それもかなり良い。


そのような演奏者でのペッテション「交響曲第16番」の録音、聴いてみたが、なかなかの演奏。手に入りやすかったザールブリュッケン放送交響楽団の演奏は、少々線が細く、この曲が持つ重量感を表現するには少々不満な部分があった。今回のリリースは、メジャーレーベルのBISからということで手に入りやすく、内容も良い。やはり個人的にはヘムケ氏が参加した盤が好きなのだが、いかんせん手に入れづらく…今後、「ペッテションの交響曲聴きたいんだけどどのCD買えば良い?」と質問されたら、このBIS盤を勧めることになると思う。そんな質問が来るとは思えないが。


メイキング映像をYouTubeから参照可能。リンドベルイ氏が、ヘムケ氏についてもちらっと触れている。


Allan Pettersson: Snapshots from BIS recording of Symphony no 4 and 16 Lindberg NSO


Christian Lindberg and Norrköping Symphony Orchestra is continuing their award winning Pettersson serie och his complete symphonies. Jöergen Pettersson is featured as Saxophone player in Symphony no 16. Symphpny no 4 is dedicated to Pettersson´s Mother.


https://kurisaxo.blogspot.com/2016/07/16.html

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[近代史6] クット・アッテルベリ(Kurt Magnus Atterberg, 1887 - 1974)
クット・アッテルベリ(Kurt Magnus Atterberg, 1887 - 1974)

マイナー交響曲作曲家の有名人の一人。個人的には、もうツボにドンピシャであり、メジャー曲にはない独特な個性と世界観を楽しむマイナー交響曲の楽しさを最大限に享受できる作曲家である。。ブルックナーを近代化して映画音楽的なエンタメの要素も取り入れた趣味的な交響曲と言えるだろうか。趣味で書いた作品とのことで、どこかアマチュアらしい凝りすぎない書きたいものを書いた感じがある。


交響曲

交響曲第1番 ロ短調 (op.3)
3.5点
近代的な華やかな管弦楽法と響きの華麗さが良い。2楽章はブルックナー的な広大さの中で漂うような旋律で素晴らしい。陽光の中で音楽に身を浸すように聴ける。現代の映画音楽の大自然の場面のようでもある。人によっては好みにズバッとはまるだろう。3楽章はブルックナーのような骨太さに現代の映画音楽のような運動神経と近代的な管弦楽法のキレの良い輝かしさを合わせたもの。しかし音の密度感はアマチュアらしい物足りなさもある。最後の楽章は高揚感が大作でありながら全体に横溢していて、やはり密度感の問題はあるものの、かなりアドレナリンを放出させる愉しい音楽になっている。全体にブルックナーを分かりやすくエンターテイメント的にした印象。演奏が良いためかなり楽しめる。

交響曲第2番 ヘ長調 (op.6, 1911-13)
3.8点
1楽章は明るく叙情性すら感じる優美さと陽気さを持ちつつも大自然のようなスケールの大きさを持つ、とても素敵な曲。かなり気に入った。2楽章以降も、密度が上がり雰囲気だけでない充実感とともに、全体的な明るさとスケールと楽しませる工夫と没入感のバランスが自分にとってはとても好みで絶妙さを感じる音楽になっていて、聴き終わった後の満足感はかなりのものだ。楽しくてまた聴きたい気持ちになる。最終楽章はやや安っぽく感じるきらいもあるが、見事な締めくくりであっぱれと言いたくなる。

交響曲第3番 ニ長調『西海岸の光景』 (op.10)
3.5点
1番と2番はいわば同工異曲と言っても良い類似した曲だが、3番は趣向を変えている。薄明のような光の弱さの中で動く音楽の1楽章は短調も使われて新しい境地になっている。なかなか面白い。ロマン的な情緒に浸りきる場面もあったり、かなり自分のツボをついている。最後まで激しくならずに終わるが満足度は高い。

交響曲第4番 ト短調 (op.14, 1918)

交響曲第5番 ニ短調 (op.20, 1922)
3.5点
かなり分かりやすいチャイコフスキーのような派手な冒頭である。なかなかカッコよくてしびれる。エンターテイメント的で分かりやすいのだがそれだけでなく、音の作り方のセンスがなかなかだし、宇宙のようになったり様々に変遷していきダイナミックに展開していく各場面がいちいちツボを突いてくる。長さに身を任せて心を揺らされる楽しさはなかなかである。前半は最高なのだが、最後の10分は少し派手すぎて単純さが生まれてしまい、やや物足らなくなった。

交響曲第6番 ハ長調 (op.31, 1928)
3.3点
まとまりがよい代わりに、独特の壮大で自由なところが失われている。ブルックナー的な際限のないようなスケールの大きさがなく、曲の世界に没入する感覚を得られないため、かなり物足りなく感じる。十分に満足感を得られるのは2楽章だけである。3楽章は通俗的で軽薄でありかなり不満である。1楽章も分かりす過ぎる不満はあるが悪くない。コンクールの優勝作品とのことだが、その事実がネガティヴに感じる作品である。

交響曲第7番 (op.45, 1942)
3.0点
アッテルベリのマジックが消えてしまい、ただの映画音楽的な交響曲になってしまっている。ラディカルさとか独特の世界に没入できる感覚がない。かなりがっかりである。とはいえ、じゃあ完全に二流の音楽かというと、よく聞くとそうではないと思う。ロマン派に退化してしまった完全に時代遅れな作曲家という感じではあるが、1楽章や最後の楽章はエンターテイメント性のある派手な音楽としてそれなりに楽しめる。2楽章も純ロマン的な楽しさがあったりする。

交響曲第8番 (op.48, 1944)
3.3点
非常に土臭くて、ロシアの作曲家かと思うような曲である。7番と似たような通俗的でロマン派の雰囲気の曲だが、3楽章制でなく4楽章あることで、楽章の間が極端すぎずにがっちりした構成感が出ている。始めからこのような音楽の作曲家なのだと思って聴くと、やや通俗的ながらもなかなか楽しんで聴ける。曲が長くないのも良い。最初は地味かと思ったが、通して聞くと後悔せずに楽しい音楽を愉しい気分で聴けるものだった。旋律がなかなか秀逸で耳に残るものばかりである。

交響曲第9番 (op.54, 1957)
3.5点
カンタータ風である。壮大さ純美や独唱の孤独感などカンタータらしい魅力が詰まっている。アッテルベリならでは独自の魅力を交響曲ほどは感じられないとは思うが、分かりやすく聴き手に寄り添ったロマン的な音楽はやはり素直に楽しめるものである。つまり、カンタータのある種のフォーマットとしての幅の狭さは気になるし、冗長で次の場面を待っているだけの時もあるが、各場面はなかなか聴いていて世界に没入できる旋律の美しさと華麗でエモーショナルな雰囲気を持っている。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E5%8C%97%E6%AC%A7


クット・マグヌス・アッテルベリ(Kurt Magnus Atterberg, 1887年12月12日 - 1974年2月15日)は、スウェーデンの作曲家。名はクルト、姓はアッテベルイとも書かれる。チェロ奏者、音楽評論家としても活躍したが、職業的作曲家ではなく、ストックホルムの特許局の職員として大半を過ごした。

9曲の交響曲、5曲のオペラの他、多数の作品を残している。存命中は、スウェーデンの音楽の重鎮的存在であった。また、スウェーデンの作曲家協会・著作権協会の会長として活躍するなど、諸方面に活動的であった。

生涯
アッテルベリは1887年にイェーテボリで技術者を父として生まれた。幼少より音楽環境に親しみ、10歳ごろより友人に誘われて、チェロを学習する。

1907年に王立工科大学に入学し、電気技術者としての研鑽を積む。それと並行して1908年には、ストックホルムのオーケストラに入団。

1912年に交響曲第1番の初演に成功し、アルヴェーンとならぶスウェーデンの代表的作曲家として認知された。翌年には、ドイツで交響曲第2番を初演。名声は国外にも広まり、王立劇場から『イェフタ』のための劇音楽を委嘱された。この他に、ヴァイオリン協奏曲などのこの時期の音楽は、ドイツの近代音楽の影響を受け、難解なものになっている。また、同年、ストックホルムの特許庁に就職した。

1915年にピアニストのエラ・ペッタション(Ella Peterson)と結婚。(1923年に離婚。)この年の交響曲第2番、1916年の交響曲第3番あたりが作曲家としての頂点であり、これらの曲は初演後なんども演奏されている。

1918年の交響曲第4番の頃から、積極的にスウェーデン民謡を作品の中に取り入れ、その一つのバレエ音楽『おろかな娘』は繰り返し上演された。同年、スウェーデン作曲協会を設立。

1923年には、スウェーデン著作権協会を設立。作曲家協会と著作権協会の会長を兼任。

1928年にコロムビア・レコードの主催する「シューベルト没後100周年作曲コンクール」に、交響曲第6番で応募したのが優勝し、1万ドルの賞金を得た。これによって世界的な知名度を得た。

1940年代に交響曲第7番、第8番を作曲するが、あくまでもロマン派的なスタイルを保っていたため、近代音楽が主流となる音楽会においては、過去の人物となっていった。

1957年に最後のいささか風変わりな交響曲を発表、1968年にようやく特許局を退職したが、その後も音楽活動は継続し、1974年にストックホルムで逝去した。

作品

アッテルベリの主要な作品は、9曲の交響曲、劇音楽、オペラである。歌曲やピアノのための小品は少なく、金銭を得るための作曲は行わなかった[1]。

作風としては、後期ロマン派音楽の手法を踏襲したものが大きい。


歌劇
以下の5作品を残しているが、ほとんど演奏される機会はない。

歌劇『竪琴弾きヘルヴァルド』(op.12, 1917,1951改訂)
歌劇『小川の馬』(op.35, 1923-1924)
歌劇『ファナル(燃えている国)』(op.35, 1929-1934)
歌劇『アラジン』(op.43, 1937-1941)
歌劇『嵐』(op.49, 1946-1947)

劇音楽
バレエ音楽『おろかな娘たち』 (op.17, 1917) が有名。


交響曲

交響曲第1番から交響曲第9番まで、9曲の交響曲が残されている。

交響曲第1番 ロ短調 (op.3) は王立音楽院へ応募するため1910年に完成し、1912年に自身の指揮でエーテボリで初演された。作品番号が若いながら完成度が高く、若さと才気に溢れる作品である。古典的な4楽章構成の作品で、第1楽章にはブラームスやリヒャルト・シュトラウスの影響が見受けられる。第2楽章は、民謡風の印象的な旋律を発展させた緩徐楽章で、早くもアッテルベリの特徴が現れている。

交響曲第2番 ヘ長調 (op.6, 1911-13) は3楽章からなる。最初、2楽章制だったが後に第3楽章が書き加えられた。アダージョとプレストを組み合わせた第2楽章、終結部が壮大であることなどが特徴である。

交響曲第3番 ニ長調『西海岸の光景』 (op.10) の最初の2つの楽章は、それぞれ独立した作品として別々に作曲され、演奏された。第3楽章は1916年に初演された。この作品はイェーテボリ近郊のユトランド半島に面した島で作曲され、3つの楽章はそれぞれ「太陽の霞」、「嵐」、「夏の夜」という副題を持つ。第3楽章「夏の夜」の終結部は日の出を表現したもの。この曲は、人気があり何度も繰り返し演奏された。

交響曲第4番 ト短調 (op.14, 1918) は『(スウェーデン民謡の主題による)小交響曲』(Sinfonia piccola)という副題がある。4楽章構成であるが、その全楽章に民謡からとられた旋律が用いられている。演奏時間も20分程度と短い。

交響曲第5番 ニ短調 (op.20, 1922) は『葬送交響曲』の副題を持つ3楽章からなる作品である。第1楽章はいささか不協和音じみた和声に貫かれ、ピアノの和音で終わる。第2楽章は標題を示す葬送行進曲で、ドイツの『ライプツィガー・ターゲブラット(ドイツ語版)』紙は「かくも美しい感動的な葬送行進曲」と評した[2]。終楽章のコーダはチャイコフスキーの交響曲第6番を思わせる沈痛な雰囲気になっている[2]。

交響曲第6番 ハ長調 (op.31, 1928)は「シューベルト没後100年作曲コンクール」の優勝作品であり、1万ドルの賞金にちなんで『ドル交響曲』の異名がある(このコンクールの第2位は、フランツ・シュミットの交響曲第3番であった)。 自らの交響曲ついて「古いスタイルの模倣で、人を愚弄するもの」と嘲笑しているものの、ピアノ五重奏曲ハ長調 (op.31b) として編曲するなど、やはり愛着を見せている。終楽章は部分的に複調を使いお祭り騒ぎが繰り広げられる。

交響曲第7番 (op.45, 1942)は『ロマンティック交響曲』という副題が付けられている。曲の構成は3楽章制であり、第1楽章には歌劇『ファナル』の「眠りのアリア」に基づく部分を演奏者によって省略可としたり、第4楽章が破棄されたために終楽章が極端に軽い印象を与えて終わる。

交響曲第8番 (op.48, 1944)は、交響曲第4番同様に民謡を素材とした作品である。

交響曲第9番 (op.54, 1957)は『幻想的交響曲』(Sinfonia visionaria) の副題をもつ。独唱と合唱をともなう大規模な作品であるが、一般には理解されることがなく、2003年にアリ・ラシライネンによってようやく初録音が行われた。この曲は、アイスランドの古エッダ巻頭の「巫女の予言」に基づく単一楽章の曲であるが、全体は13の部分に分かれ、そこからさら2つの部分に分けることができる。[3]。今までのアッテルベリの交響曲とは異質で、どちらかというとカンタータに近い。部分的に12音音列を使うなど、彼の作品にしては近代的である。


協奏曲
ピアノ協奏曲 変ロ短調 (op.37)は、全3楽章からなる。ピアノと管弦楽のための作品は、20代の頃に書かれた《狂詩曲》(op.1)も存在する。

この他にヴァイオリン協奏曲 ホ短調 (op.7)、チェロ協奏曲 ハ短調(op.21)、ホルン協奏曲 イ短調(op.28)がある。ホルン協奏曲は、チェロ・ソナタ ロ短調(op.27)からの改作であるが、独奏パートにもかなり手を入れているので同じ曲という印象は無い。また、ヴァイオリン、チェロと弦楽のための《二重協奏曲》(op.57)が存在する。


弦楽合奏曲
ヴァイオリン・ヴィオラと弦楽のための組曲 第3番 (op.19-1) もともとは、メーテルリンクの戯曲『ベアトリス尼』の付帯音楽として作曲されたもの。ヴァイオリン・ヴィオラとオルガンによる組曲から編曲された。「前奏曲」、「パントマイム」、「ワルツ」の3曲からなる。パントマイムは、コラール風の前奏(終結部で再現)を持ち、尼僧の愛を表現する甘美な旋律が流れる。

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 Op. 2『アダージョとスケルツォ』(1909)
弦楽四重奏曲第2番 ロ短調 Op. 11(1918)
弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 Op. 39(1937)

編曲
ブラームス:弦楽六重奏曲第2番 Op. 36(1939)
原曲を弦楽合奏版にしたもの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AA
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/733.html

[近代史6] クット・アッテルベリ 交響曲第2番 ヘ長調 Op.6


Symphony No.2 in F major [Original Version] - Kurt Atterberg








CONDUCTOR: Neeme Järvi
ORCHESTRA: Gothenburg Symphony Orchestra


I - Allegro con moto - Maestoso - Largamente: 0:00
II - Adagio - Presto - Adagio - Presto - Adagio: 10:05


交響曲第2番 ヘ長調 (op.6, 1911-13) は3楽章からなる。最初、2楽章制だったが後に第3楽章が書き加えられた。アダージョとプレストを組み合わせた第2楽章、終結部が壮大であることなどが特徴である。

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/734.html

[近代史5] 「ママ、死にたい」自慰行為強要、わいせつ画像拡散…氷点下の旭川で凍死した14歳女子中学生への“壮絶イジメ” 中川隆
334. 中川隆[-16161] koaQ7Jey 2021年10月02日 22:20:17 : u8uuqDZBrs : WEpjMlNBaVNvL1E=[23]

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