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中川隆 koaQ7Jey コメント履歴 No: 100387
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[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
5. 中川隆[-14094] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:25:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-776]

カルロス・クライバー指揮 ウィーン国立歌劇場


Strauss - Der Rosenkavalier - Lott, Von Otter, Bonney, Moll, Kleiber Viena 1994 sub. español




Felicity Lott: Marschallin
Kurt Moll: Der Baron Ochs auf Lerchenau
Anne Sofie von Otter: Octavian
Gottfried Hornik: Herr von Faninal
Barbara Bonney: Sophie
Olivera Miljakovic: Jungfer Marianne Leitmetzerin
Heinz Zednik: Valzacchi
Anna Gonda: Annina
Keith Ikaia-Purdy: Ein Sänger
Lotte Leitner: Eine Modistin

Vienna State Opera Chorus and Orchestra
Carlos Kleiber, conductor




カルロス・クライバー指揮ウィーン国立歌劇場

フェリシティ・ロット、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、バーバラ・ボニー、クルト・モル

1994年3月、同歌劇場でのライヴ。

「オットー・シェンクの演出を基本にして」と書いてある。

クライバーは年とったが舞台上は美人揃い!

BSで放送されたあとLDになった。放送されたものと違ってLD版は編集がされている。(第2幕の前奏部分におけるクライバーの指揮の動作が違う。)
2004年、クライバー死去をキッカケにして彼のLDを全てDVDに買い換えた。

http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c5
[近代史3] グスタフ・マーラー 『アダージェット』
グスタフ・マーラー 『アダージェット』


GUSTAV MAHLER-Film -"DEATH IN VENICE"-Luchino VISCONTI-(1971)


"Death in Venice" - Luchino Visconti. Final Scene.



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MAHLER - ADAGIETTO SYMPHONY 5 - BRUNO WALTER 1938.flv






Bruno Walter
Wiener Philharmoniker


____



G. Mahler, Symphony No. 5, IV Adagietto - B. Walter (Conduct) - New York Philharmonic Orch (1947)



Recording: Feb. 10, 1947
Conduct: Bruno Walter (1876 - 1962)
New York Philharmonic Orchestra


______


Bruno Walter speaks about Gustav Mahler (1950)




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Mengelberg Mahler : Symphony No. 5 W - Adagietto





Willem Mengelberg, conductor
The Concertgebouw Orchestra


Recorded 1926



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Mahler: Symphony No. 5, Walter & NYP (1947)




Gustav Mahler (1860-1911)
Symphony No. 5 in C-sharp minor


(00:05) 1. In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt.
(11:44) 2. Stürmisch bewegt. Mit grösster Vehemenz.
(24:18) 3. Kräftig, nicht zu schnell.
(39:26) 4. Adagietto. Sehr langsam.
(47:04) 5. Rondo-Finale. Allegro giocoso


Bruno Walter (1876-1962), Conductor
New York Philharmonic Orchestra (New York Philharmonic)
Rec. 10 February 1947, at Carnegie Hall, in New York




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交響曲第5番のハープと弦楽器による第4楽章アダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティ監督による1971年の映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われ、ブームの火付け役を果たしただけでなく、マーラーの音楽の代名詞的存在ともなっている。


交響曲第5番 嬰ハ短調は、グスタフ・マーラーが1902年に完成した5番目の交響曲。5楽章からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、ウィーン時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。


1970年代後半から起こったマーラー・ブーム以降、マーラーの交響曲のなかで人気が高い作品となっている。その理由としては、大編成の管弦楽が充実した書法で効果的に扱われ、非常に聴き映えがすること、音楽の進行が「暗→明」というベートーヴェン以来の伝統的図式によっており曲想もメロディアスで、マーラーの音楽としては比較的明快で親しみやすいことが挙げられる。


第2番から第4番までの3作が「角笛交響曲」と呼ばれ、声楽入りであるのに対し、第5番、第6番、第7番の3作は声楽を含まない純器楽のための交響曲群となっている。第5番で声楽を廃し、純器楽による音楽展開を追求するなかで、一連の音型を異なる楽器で受け継いで音色を変化させたり、対位法を駆使した多声的な書法が顕著に表れている。このような書法は、音楽の重層的な展開を助長し、多義性を強める要素ともなっており、以降につづく交響曲を含めたマーラーの音楽の特徴となっていく。


また、第5番には同時期に作曲された「少年鼓手」(『少年の魔法の角笛』に基づく)や、リュッケルトの詩に基づく『亡き子をしのぶ歌』、『リュッケルトの詩による5つの歌曲』と相互に共通した動機や曲調が認められ、声楽を含まないとはいえ、マーラーの歌曲との関連は失われていない。さらに第4番以降しばしば指摘される「古典回帰」の傾向についても、後述するようにそれほど単純ではなく、書法同様の多義性をはらんでいる。


作曲の経緯


ウィーン・フィル辞任
1901年2月17日に自作『嘆きの歌』を初演したマーラーは、その一週間後、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を終えた直後に痔による出血を起こした。4月にはウィーン・フィルを辞任する。


この辞任は、マーラーがベートーヴェンやシューマンの交響曲などを編曲して上演したり、自作やリヒャルト・シュトラウス、ブルックナーの作品をプログラムに組んだりしたことが、ウィーンの保守的な批評家・聴衆から非難されたことによる。


批評家からは「音楽の狂人」、「ユダヤの猿」など耐え難い批判を浴び、移り気な聴衆は代役指揮者を支持することなどがあったとされる。同時に、マーラーが専制君主的に接した楽団員ともトラブルが発生した。


しかし、ウィーン宮廷歌劇場の職は維持しており、ブルーノ・ワルターやレオ・スレザークらを同歌劇場に登用、自身の理想とする舞台づくりに邁進する。ウィーン・フィルとの関係自体も継続され、1902年3月にマーラーの妹ユスティーネはウィーン・フィルのコンサートマスター、アルノルト・ロゼと結婚している。


作曲と指揮


1901年夏、マーラーはヴェルター湖畔のマイアーニック(Maiernigg)で休暇を過ごし、作曲小屋で、『リュッケルトの詩による5つの歌曲』の第1曲から第4曲まで、『亡き子をしのぶ歌』の第1曲、第3曲、第4曲、『少年の魔法の角笛』から「少年鼓手」を完成させ、続いて交響曲第5番の作曲をスケッチする。


休暇を終えたマーラーは、11月25日に自作の交響曲第4番をミュンヘンで初演。これは不評だったが、翌1902年6月、クレーフェルトで第3番の全曲初演を指揮して大成功を収めた。クレーフェルトでは、ウィレム・メンゲルベルクと知り合う。前後して、オッフェンバック『ホフマン物語』(1901年11月11日)やリヒャルト・シュトラウス『火の欠乏』(1902年1月29日)などのオペラ作品をウィーン初演している。


第5交響曲は、スケッチから1年後の1902年夏に同じマイアーニックの地で完成。同時期に『リュッケルトの詩による5つの歌曲』の第5曲も完成している。


アルマとの結婚


この間、1901年11月に解剖学者ツッカーカンドル家のサロンに招待され、当時22歳のアルマ・シントラーと出会い、12月には婚約を発表、翌1902年3月9日に結婚した。この年の11月3日には、2人の間に長女マリア・アンナが誕生している。


アルマの実父はウィーンの風景画家エミール・シントラー(この時点で故人)、養父(母親の再婚相手)がウィーン分離派の画家カール・モル、母親は芸術家サロンの主宰者という家庭環境のもとで、アルマは詩人マックス・ブルクハルトや画家グスタフ・クリムトらとも交流があった。アルマ自身は作曲家志望で、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーの音楽の弟子であり、マーラーと出会うまではツェムリンスキーと恋愛関係にあったという。


アルマとの交際、結婚によって、マーラーの交友関係は飛躍的に広がった。1902年4月、第15回分離派展でのオープニングに、宮廷歌劇場の管楽器奏者を連れて参加、ベートーヴェンの交響曲第9番の終楽章を編曲して演奏した。この際分離派の画家アルフレート・ロラーと意気投合し、翌1903年からロラーを舞台装置家兼演出家として起用することになる。


一方でアルマとの結婚をきっかけに、ナターリエ・バウアー=レヒナーなど古くからの友人は、マーラーから離れていった。



初演と出版・録音


初演
1904年10月19日(18日とも)、ケルンにて、マーラー自身の指揮、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による[1]。この年の夏、マーラーは交響曲第6番を完成させ、交響曲第7番の二つの「夜曲」(第2楽章と第4楽章)を作曲済みだった。


録音


第4楽章のみ、1926年にマーラーと親しかったウィレム・メンゲルベルクが録音しており、これが世界初の録音である[2]。


また全曲版の世界初録音は、1947年2月10日にブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団によって録音されたコロムビア・レコードによるSPレコードである[1]。



楽器編成


フルート 4(3,4はピッコロへの持ち替えあり)、オーボエ 3(3番はコーラングレ持替え)、クラリネット 3(3番はバスクラリネット及び小クラリネット(但しニ調のものを指定)持ち替え)、ファゴット 3(3番はコントラファゴット持ち替え)
ホルン 6(第3楽章のみホルン 4 +独奏ホルン(Corno Obbligato) 1)、トランペット 4、トロンボーン 3、チューバ
ティンパニ、グロッケンシュピール、シンバル、大太鼓、小太鼓、タムタム、トライアングル、ホルツクラッパー(スラップスティック)
ハープ
弦五部 計88


楽曲構成
全5楽章からなるが、第1楽章と第2楽章を「第一部」とし、第3楽章を「第二部」、第4楽章とつづく第5楽章を「第三部」とする三部構成が楽譜に表示されている。


第1楽章


葬送行進曲 In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt.(正確な速さで。厳粛に。葬列のように) 嬰ハ短調 2分の2拍子 二つの中間部を持つABACAの形式(小ロンド形式) 最後のAは断片的で、主旋律が明確に回帰しないため、これをコーダと見て、ABAC+コーダとする見方もある。


交響曲第4番第1楽章で姿を見せたトランペットの不吉なファンファーレ(譜例1)が、重々しい葬送行進曲の開始を告げる。主要主題(譜例2)は弦楽器で「いくらかテンポを抑えて」奏され、付点リズムが特徴。この主題は繰り返されるたびに変奏され、オーケストレーションも変化する。葬送行進曲の曲想は『少年の魔法の角笛』の「少年鼓手」との関連が指摘される。一つの旋律が異なる楽器に受け継がれて音色変化するという、マーラーが得意とする手法が見られる。再びファンファーレの導入句がきて、主要主題が変奏される。


さらにファンファーレが顔を出すと、「突然、より速く、情熱的に荒々しく」第1トリオが始まる。第1トリオ(B)(変ロ短調)は激しいもので、やがてトランペットがファンファーレを出して、主部が回帰する。主要主題は今度は木管に出る。終わりには、『亡き子をしのぶ歌』の第1曲「いま太陽は晴れやかに昇る」からの引用があり、ティンパニのきざむリズムが残る。第2トリオ(C)(イ短調)は弦によって始まる陰鬱なもの。重苦しい頂点を築くと、トランペットのファンファーレが三度現れるが、そのまま静まってゆき、最後にトランペットと大太鼓が残って、曲は、静かに結ばれる。


演奏時間は11〜15分程度。本楽章はマーラー自身による演奏がピアノロールに残されており、その演奏時間は約14分である。


第2楽章
Stürmisch bewegt. Mit grösster Vehemenz. (嵐のような荒々しい動きをもって。最大の激烈さをもって)イ短調 2分の2拍子 ソナタ形式


第1楽章の素材が随所に使われ、関連づけられている。 短い序奏につづいて、ヴァイオリンが激しい動きで第1主題(譜例3)を出す。曲はうねるように進み、テンポを落とすとチェロがヘ短調で第2主題(譜例4)を大きく歌う。この旋律は第1楽章、第二の中間部の動機に基づいている。


展開部では初めに序奏の動機を扱い、第1主題が出るがすぐに静まり、ティンパニの弱いトリル保持の上に、チェロが途切れがちの音型を奏するうちに第2主題につながっていく。明るい行進曲調になるが、第1主題が戻ってきて再現部となる。すぐに第2主題がつづく。第2主題に基づいて悲壮さを増し、引きずるような頂点となる。楽章の終わり近く、金管の輝かしいコラール(譜例5)がニ長調で現れるが、束の間の幻のように消え去って、煙たなびく戦場のような雰囲気で終わる。


第3楽章
スケルツォ Kräftig, nicht zu schnell.(力強く、速すぎずに)、ニ長調 4分の3拍子、自由なソナタ形式


拡大されたソナタ形式のスケルツォで全曲の中でも最長の楽章。この楽章単独で第2部となっている。第1、2楽章から一転して楽しげな楽想で、4本のホルンの特徴的な信号音の導入に促されて木管が第1主題(スケルツォ主題)を出す(譜例6)。第1主題が変奏されながらひとしきり発展した後、レントラー風の旋律を持つ第2主題(第1トリオ)が「いくぶん落ち着いて」ヴァイオリンで提示される(譜例7)。これは長く続かず、すぐに第1主題が回帰する。


まもなく、展開的な楽想になり「より遅く、落ち着いて」と記された長い第3主題部(第2トリオ)へ入ってゆく(譜例8)。主題を変奏しながら進行し、最後はピッツィカートで扱われる。
そこから第2主題が顔を出して展開部へ入る。展開部は短いが、ホルツクラッパーが骨の鳴るような音を出すなど効果的に主題を扱う。提示部と同様に再現部も開始する。第1主題の再現後、第2主題、第3主題も混ざり合わさって劇的に展開し、展開部が短いのを補っている。その後、第2主題が穏やかに残り、提示部と同様に第3主題による静止部分がきて、やはり最後はピッツィカートで扱う。コーダは華やかなもので最後にホルンの信号音が出て曲を閉める。


全曲の構成は、この長大なスケルツォ楽章を中心として各楽章が対称的に配置されており、マーラーは、この手法を第7番でも使用することになる。


第4楽章
Adagietto. Sehr langsam. アダージェット 非常に遅く ヘ長調 4分の4拍子、三部形式


ハープと弦楽器のみで演奏される(譜例9)、静謐感に満ちた美しい楽章であることから、別名「愛の楽章」とも呼ばれる。


『亡き子をしのぶ歌』第2曲「なぜそんな暗い眼差しで」及び『リュッケルトの詩による5つの歌曲』第3曲「私はこの世に忘れられ」との関連が指摘される。


中間部ではやや表情が明るくなり、ハープは沈黙、弦楽器のみで憧憬を湛えた旋律(譜例10)を出す。この旋律は、終曲でも使用される。休みなく第5楽章へ繋がる。


ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画『ベニスに死す』で使用されたことで有名となり、しばしば単独で演奏される。


なお、楽章の表題は「アダージェット」であるが、演奏指示は Sehr langsam (非常に遅く)となっている(意味的にAdagiettoとSehr langsamの指示は対立するものではない)。一般に10分前後の演奏時間であるが、マーラーとメンゲルベルグは約7分で演奏した。


第5楽章
Rondo-Finale. Allegro giocoso ロンド - フィナーレ。アレグロ・楽しげに ニ長調 2分の2拍子。自由なソナタ形式。


第4楽章の余韻が残る中、ホルン、ファゴット、クラリネットが牧歌的に掛け合う。このファゴットの音型(譜例11)は、『少年の魔法の角笛』内の一曲「高邁なる知性への賛美」からの引用である。

短い序奏が終わると、ホルンによるなだらかな下降音型が特徴の第1主題(譜例12)、低弦によるせわしない第2主題(譜例13)が呈示され、これらに対位旋律が組み合わされて次第に華々しくフーガ的に展開する。再び第1主題が戻り、提示部が変奏的に反復される。第2主題も現れ、すぐ後に第4楽章の中間主題がコデッタとして現れるが、軽快に舞うような曲調となっている。


この部分が終わると展開部に入り、引き続きフーガ的楽想が展開される。コデッタ主題が現れ、次第に力を増してクライマックスの後、再現部に入るが、第1主題はかなり変形されていて明確ではない。第2主題、コデッタ主題も再現され、ふたたび展開部最後に現れたクライマックスとなりそのまま壮大なコーダに入る。第2楽章で幻のように現れて消えた金管のコラールが、今度は確信的に再現され、最後は速度を上げて華々しく終わる。



第5交響曲とアルマ
マーラーがアルマと出会ったのは、交響曲第5番の作曲中である。
メンゲルベルクによると、第5番の第4楽章アダージェットはアルマへの愛の調べとして書かれたという。
アルマがメンゲルベルクに宛てた書簡によると、マーラーは次の詩を残した。


「Wie ich dich liebe, Du meine Sonne, ich kann mit Worten Dir's nicht sagen. Nur meine Sehnsucht kann ich Dir klagen und meine Liebe.
(私がどれほどあなたを愛しているか、我が太陽よ、それは言葉では表せない。ただ我が願いと、そして愛を告げることができるだけだ。)」


アルマの回想によれば、アルマは第5交響曲を初めて聞いた際、よい点を褒めつつも、フィナーレのコラールについて「聖歌風で退屈」と評した。マーラーが「ブルックナーも同じことをやっている。」と反論すると、アルマは「あなたとブルックナーは違うわ。」と答えた。マーラーはこのときカトリックに改宗し、その神秘性に過剰に惹かれていたとアルマは述べている。


アルマはこの曲のパート譜の写譜を一部手伝っている。


初演は1904年10月にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によってなされたが、アルマの回想によると同年はじめにウィーンフィルによるリハーサルがなされたという。アルマはその様子を天井桟敷で聴いていた。アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。それを追って帰宅したマーラーに対しアルマは「あなたはあれを打楽器のためだけに書いたのね」と訴えると、マーラーはスコアを取り出し赤チョークで該当箇所の打楽器パートの多くを削除したという。


マーラーは1905年から第5番の改訂に取りかかるが、これには、アルマの意見もとり入れられたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

[近代史3] グスタフ・マーラー 『アダージェット』 中川隆
1. 中川隆[-14093] koaQ7Jey 2020年2月02日 16:15:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-775]




映画「ヴェニスに死す 」 オリジナル・サウンドトラック
The Original Motion Picture Soundtrack From The Film Death In Venice








収録曲 : 

  1. Main Title: Theme From 'Death in Venice'
    マーラー:交響曲第5番〜第4楽章 アダージェット(09:28 )
  2. Deserted Beach
    ムソルグスキー:子守唄(02:18 )
  3. Evening On The Veranda
    カンツォーネ Chi Con le Donne Vuole aver Fortuna (02:50 ) 
  4. The Salon & The Bordello
    ベートーヴェン:エリーゼのために (03:57 )
  5. Return To Venice
    マーラー:交響曲第3番〜第4楽章 (11:16 ) 
  6. Death & End Title: Theme From 'Death in Venice' Reprise
    マーラー:交響曲第5番〜第4楽章 アダージェット 抜粋 (02:15 )



   フランコ・マンニーノ 指揮 Franco Mannino
   ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団 Accademia di Santa Cecilia Orchestra
   マーシャ・プレディット (メゾ・ソプラノ ) Mascia Predit ・・・ 2
   クラウディオ・ギッツィ (ピアノ ) Claudio Gizzi ・・・ 4
   ルクレツィア・ウェスト (コントラルト ) Lucretia West ・・・ 5  他



▲△▽▼



反省文 : 1976年、発起人(当時14歳 )は 映画「ヴェニスに死す 」を いかに誤解したか。
http://scherzo111.blog122.fc2.com/blog-entry-389.html

 何を隠そう 私は、1962年(昭和37年 ) 7月生まれなので、そうすると もう 2か月も経てば53歳になろうという年齢(とし )です。
 それは、気づいてみれば すでにグスタフ・マーラーの寿命 (50歳 + 10か月 + 2週間 ) を追い越して 生き長らえているということに ふと思い至り、われながら驚いています。



▲ 映画 「ヴェニスに死す 」 ニュープリント予告編

 ルキノ・ヴィスコンティ監督の名画「ヴェニスに死す 」 Death in Venice (1971年公開 )を 私が初めて観た記憶は、映画館でではなく、公開から5年経って テレビ朝日「日曜洋画劇場 」(日本語吹替 )でTV初放送された時でした。 それは1976年 6月 − 私 “スケルツォ倶楽部”発起人 が14歳の頃 − のこと。
 この映画が放送される約 3か月前(76年 3月17日 )に、ヴィスコンティはローマで死去していました。映画「ヴェニスに死す 」のTV放送は、イタリアの偉大な映画監督の追悼的な特別企画でもある という解説者の口上もおぼろげに記憶しています。

 ご存知のとおり、トーマス・マンの原作では 主人公 「グスタフ・フォン・アッシェンバッハ 」 は 「作家 」 でしたが、ヴィスコンティ はこれを映画化するにあたって 視聴覚効果を考慮し、その職業を「音楽家 」に設定しています。

トーマス・マン ルキノ・ヴィスコンティ グスタフ・マーラー
▲ (左から ) トーマス・マン、ルキノ・ヴィスコンティ、グスタフ・マーラー

 しかし、原作者トーマス・マンは もともと同時代の著名な音楽家だったグスタフ・マーラーをモデルに「アッシェンバッハ 」を創作していたことから、結果的にヴィスコンティが加えた変更は 事実上の「修正 」に他ならず、奇しくも 当初マンが想定していた地点に着地することとなったわけです。

 クラヲタになりたてだった中学生の発起人にとって、その頃のあらゆる関心事でも中心に位置していたグスタフ・マーラーをモデルに作られた映画であるということ、さらにサウンド・トラックにもマーラーの音楽が使われていること − などという情報を読んで、わあ 一体どんな映画なんだろう、というわけで、放送日の夜には、もうわくわくの期待感もいっぱいで TVのブラウン管の前に座ったものでした。
映画「ヴェニスに死す」 (2)

 ・・・しかし、恥ずかしながら告白しますと、私( この時14歳ということは、原作のタッジオと同い年の少年だった = )発起人は、予習もせずに観た映画の意味をまったく理解できず、ひたすら退屈を堪(こら )えて 何とか最後まで我慢しましたが、「これはマーラーじゃない 」という反感でいっぱいでした。
14歳だった頃 “スケルツォ倶楽部”発起人
▲ 当時 14歳 (タッジオ君と 同級生だった頃の )“スケルツォ倶楽部”発起人(笑 )

 なにしろ その時にはヴィスコンティがいかにもセンチメンタルな外面的効果を狙って、機能的に 「アダージェット 」を使っているようにさえ聞こえたほどでしたから、その「誤解 」も重症でした。 「理解 」どころか、トーマス・マンやヴィスコンティ監督の真意からは 最も離れた 「浅瀬に立っていた 」ように思います。
映画「ヴェニスに死す」Original Soundtrack  映画「ヴェニスに死す」 (4)

 「大地の歌 」・第9番・未完の第10番 という最後の傑作三大交響曲のいずれもが 「死 」 をテーマにしているという事実や、ベートーヴェン以来の「第9 の壁 」のジンクスを怖れるあまり 意図的にそれら晩年の交響曲に番号を振らなかったなどという信憑性も低い伝承、また若妻アルマとの不幸なエピソードやジークムント・フロイトとの接触など、あたかも 「悲劇と死に憑りつかれた 病的で内向的な作曲家 」 (アンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ:『失われた無限を求めて 』 より ) である − という誤ったイメージが、昔から グスタフ・マーラー にはつきまとっていますが、ここへきて さらに トーマス・マンとヴィスコンティの共犯 ( ? ) で作られた映画「ヴェニスに死す 」が、そんなマーラーの病的な面を過剰に拡大し、チャイコフスキー的同性愛者であったかのような 間違った偏見まで 一般世間に付加しかねない危険なフィクションとなり得るのではないか − などという勝手な思い込みが − 繰り返しますが、この映画を初めて観た当時 まだ14歳だった 私 − “スケルツォ倶楽部”発起人の、今にして思えば、浅い理解でした。

映画「ヴェニスに死す」 (3)
 当時の私が 最も「誤解 」してしまった部分とは、映画の中で 初老の主人公アッシェンバッハが 外国の美少年を「恋してしまう 」(ように見えた )同性愛者であると思われる描写でした。
 そのように観ることは、当時 タッジオ とは 同級生(笑 ) だった 私には 生理的に受け容れることができませんでした。 率直に 「もう二度と観たくない 」 という目を背けたくなる嫌悪感に満たされ、それきり自分から望んで この映画を見なおす気にはなれず、勝手に封印することになりました、それは 今から40年近くも(うひゃ、ホント? ) 昔の話になるわけですが − 。

映画「ヴェニスに死す」 (14)
 この文章は序章に過ぎず、続きの本編があります。
http://scherzo111.blog122.fc2.com/blog-entry-389.html

▲△▽▼

2015年、発起人53歳、「ヴェニスに死す 」 再観
 映画 「ヴェニスに死す 」 の意味 〜 39年ぶりの謎解き と マーラー 「アダージェット 」。
s 2015 05.30 | ☆ 映画のスクリーンに貼りつけられた音楽
http://scherzo111.blog122.fc2.com/blog-entry-390.html



 今回の文章は、短い 「反省文 : 1976年、発起人(当時14歳 ) は 『ヴェニスに死す 』 を いかに誤解したか 」の 続きとなります。
 
 私 “スケルツォ倶楽部”発起人、53歳を迎える誕生日を 翌々月に控えた、5月のとある休日の午後、ヴィスコンティ監督の映画「ヴェニスに死す 」 Death in Venice (1971年公開 )のDVDを買ってきて 自宅で鑑賞する機会を持ちました。これで生涯二度見です。
映画「ヴェニスに死す」 (13)

 初めて観た若い時には理解できず、拒否反応さえ感じた「ヴェニスに死す 」を ふと観なおしてみようと思った動機は、なぜでしょう、自分でもわかりません。

 ・・・で、先に結論から申し上げると、この映画が 「名作である 」 といわれる真実を 50を過ぎて 「初めて 」 私は 理解しました − 「理解した 」 などという言葉が 今さらおこがましいので 率直に 「感動しました 」 と言い直しましょう。
 中学生だった 私 発起人の目は、その当時 まったくの 「節穴 」 に過ぎなかったことを痛感しました。 かつてTV放送で 映画を 初見した子どもの頃には 不謹慎にもアクビを噛み殺していた、そんな態度で眺めていたエンディング − 逆光に輝き渡る砂浜の映像 − が、今では 逆に 魂が揺さぶられるほど美しい慟哭のあまり、ホント誇張抜きで、滝のように涙が溢れるシーン となりました。
映画「ヴェニスに死す」 (8)

 主人公が苦しい探究の末、生命(いのち )と引き換えに垣間見た真実の美を表現する壮大なフィナーレと、その果てに得た ( 同時に失った ) ものが わかった、という 感銘がいかほどだったかを、さあ 何にたとえたらよいでしょう。 モグリのゴンドラ漕ぎに 「リドまで上手くお連れしますぜ、旦那 」 と言われるなり 油断して後ろ向きに座っていた私 発起人の後頭部を 振り上げたオールで殴りつけられるくらいの衝撃だった − と言っても大袈裟に感じぬほど 私は 美と感動に「打ちのめ 」されました。

 ・・・ と 言っても、もともと この映画は「大人向け 」 だったのです。
 鑑賞者が若ければ若いほど、ましてや子どもなんかには 本来 容易に理解出来るような内容では なかったのです。ヴィスコンティ自身も 記者に答えた 何かのインタヴューで 「このテーマに取り組むためには、自分自身も成熟する時間が必要だった 」と述べているほど。
ルキノ・ヴィスコンティ スケルツォ倶楽部_ヴェニスに死す

 映画「ヴェニスに死す 」とは、ある程度の年齢(とし )を経て 自身の人生から 美しい大事なもの を失ったり、諦めたり、手放したり、あるいは 愛着のある土地や住まいを 離れたり、両親や 心から愛する人と 別れたり ・・・ そういった 挫折 や 人生経験を 豊富に重ねた人だけが、初めてその本質に深く共感できる映画だったのです。 お子様には もう最初から無理です。
 ・・・ さあ、それからが もう大変です。 図書館から トーマス・マンの原作 ( 高橋義孝 / 訳、 新潮文庫 )を借りてくるは、DVDを 連夜 午前 3時まで繰り返し 50回以上は観るは・・・ (笑 )
ダーク・ボガードとヴィスコンティ(ベニスに死す)


■ いくつかの重要なシーンの 意味を考える
ヴェニスに死す オーケストラのシーン
 ものがたりは、1911年 ( 音楽史的にも グスタフ・マーラーが亡くなる年 ) の夏、ミュンヘンの歌劇場で オーケストラのリハーサル中、持病の心臓発作を起こして倒れた多忙な作曲家グスタフ・フォン・アッシェンバッハは、かかりつけ医から 「過労で心臓に負担がかかっている。 当分は仕事を離れて休養をとることが必要 」 と勧められ、静養の旅に 水の都ヴェニスの海浜ホテルを訪れることになります。

映画「ヴェニスに死す」 (5) 映画「ヴェニスに死す」 (7)
▲ さて、アッシェンバッハが 運命の美少年タッジオを ホテルのウェイティング・サロンで初めて見かけるシーンを、原作の文章から引用させて頂きましょう。
 〜 十四歳ぐらいかと思われる少年がひとり、この少年は髪を長くのばしていた。この少年のすばらしい美しさにアシェンバハは唖然とした。
 蒼白く優雅に静かな面持は、蜂蜜色の髪の毛にとりかこまれ、鼻筋はすんなりとして口元は愛らしく、やさしい神々しい真面目さがあって、ギリシャ芸術最盛期の彫刻作品を想わせたし、しかも形式の完璧さにもかかわらず、そこには強い個性的な魅力もあって、アシェンバハは自然の世界にも芸術の世界にもこれほどまでに巧みな作品をまだ見たことはないと思ったほどである。 ( 中略 )
 鋏(はさみ )を加えることを差控えたらしい美しい髪の毛は、「とげを抜く少年 」像そのままに額へ垂れ、耳を覆い、さらにうなじに伸びていた。 たっぷりとした袖が下へ行くに従って狭く細くなって、まだ子供々々した、しかし花車(きゃしゃ )な手の手首にぴったりとついている英国風の水兵服は、その紐やネクタイや刺繍などで、この少年のなよやかな姿にどことなく豊かで豪奢な趣を添えている。
 少年はアシェンバハに横顔を見せて、黒いエナメル靴をはいた一方の足を他方の足の前に置いて、籐椅子の腕の一方の肘を突いて、握った片方の手に頬を寄せ、ゆったりと、しかも不作法でなく坐っている (以下略 )
(トーマス・マン / 原作、 高橋義孝 / 訳  新潮文庫より )

 原作の中で言及されている 興味深い「とげを抜く少年 」像とは、ローマのカピトリーニ美術館に収蔵されている古代ブロンズ像(紀元前1世紀 )を指します。
カピトリーニ美術館蔵(ブロンズ)とげを抜く少年の像 カピトリーニ美術館蔵(ブロンズ)とげを抜く少年像
▲ 「とげを抜く少年 」像 カピトリーニ美術館 蔵 (ブロンズ )

■ ポールを くるんくるん
ヴェニスに死す ポールをくるんくるん-1ヴェニスに死す ポールをくるんくるん-2ヴェニスに死す ポールをくるんくるん-3ヴェニスに死す ポールをくるんくるん-4
▲ 後年、ケン・ラッセルの 映画「マーラー 」でも パロディとして引用された 有名なシーン − アッシェンバッハの目の前で 赤い水着のタッジオが 砂浜に続く回廊に並んだ複数のポールを くるくる回ってみせる 子どもっぽい仕草・・・
 赤い水着の美少年が 自分のことを見つめながら 屹立する柱 ( フロイト流に眺めると、これらが 何を象徴しているものか、おわかりでしょう ) の周りを回ってみせる意味深な動作、これは 実は現実のものではなく、内心の衝動を無意識に抑えるアッシェンバッハの心象風景だったのではないでしょうか。 それは、疫病が蔓延するヴェニスから避難するようタッジオの母に警告して感謝され、そのドサクサに紛れて 少年のきれいな髪を なでなでしてしまう「夢想 」のシーンと同様に・・・
スケルツォ倶楽部_ヴェニスに死す (4) ◀ 何故 (なで ) 
 
 人の無意識の世界が 夢の中で活発に活動する「真夜中 」をテーマにした、同じくマーラーの作品 第3交響曲 ニ短調 から第4楽章 が画面のオフから流れてきます。 その歌詞は ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき 」の 「真夜中の歌 」( 第4部第19章「酔歌 」から )・・・。

インスピレーション_0007 ニーチェ Nietzsche
「人間よ、注意して聴け。深い真夜中が何を語るか…。
眠っていた私は 深い夢から目覚めた。
世界の苦悩は深い・・・快楽は 心の苦悩より深い
そして すべての快楽は永遠を欲する、深い永遠を欲する… 」
 
 この楽曲に指定したマーラーの表示は「きわめてゆるやかに Sehr langsam、神秘的に Misterioso 一貫してピアニッシシモで Durchaus ppp … 」 
 たいへん不思議な雰囲気を持った歌曲(アルト独唱 )で、言葉少なげに物語を紡ぐ独唱アルトの隙間(ま )を 埋めるかのように 緩やかな深呼吸を繰り返す 宵闇のホルン・アンサンブルの響き のほうに 私は魅かれます。 うーん、それにしても この音楽を映画のサウンド・トラックに使う感性って・・・。

映画「ヴェニスに死す」 (2)
▲ また唐突に 場面転換、タッジオが ホテル内の無人のサロンに置かれたピアノに腰掛け、退屈そうに「エリーゼのために 」を ぽろんぽろんとつま弾くシーンと、これに続く 謎に満ちた 娼館の回想場面 − この意味について、考えました。

 ヴィスコンティ監督にとっては、ここで少年が弾く楽曲は 必ずしもベートーヴェンでなければ、というほどのものではなく、雰囲気さえ壊さなければ はっきり言って「何でもよかった 」ようです。 実際、このシーンの撮影時、「何かピアノで弾いてごらん 」とタッジオを演じた ビョルン・アンドレセン に要請したところ、しばらく考えた末に少年が音を探(さぐ )るように弾きはじめた無難な曲が この「エリーゼのために 」でした。 しかし実に当意即妙ではありませんか。多少でもピアノに心得のある人が楽器を前にして手慰み程度に奏でる楽曲として、これ以上 適切なピアノ曲は 思いつけないほどです。

ヴェニスに死す 娼館のシーン
▲ ・・・で、ここからまたも この映画特有の唐突な回想シーンへの転換となります。
それは、お忍びで娼館を訪れ、順番を「待たされて 」いるアッシェンバッハ。彼にあてがわれるべき若い娼婦に、しわ枯れ声のマダムが声を掛けます。
「エスメラルダ、空いてるかい ? 」
たどたどしく「エリーゼのために 」を弾くピアノの音が どこからともなく聞こえています。アッシェンバッハの記憶の中、サロンでタッジオが奏でる同じメロディが、この時の思い出につながったようです。
 その同じ「エリーゼ 〜 」が場面転換と同時に 調律の狂った安っぽい楽器の音へと変化していたことにお気づきでしょう。 それは、売春宿に置かれているほうのピアノの音です。

■  エスメラルダの 「衣装 」 と 「演技 」
 低いアップライト・ピアノの陰から ひとりの若い娘が小首を傾け、あら 次はどんな男の人が来たのかしら と覗いてみせる 可憐な仕草、一瞬 愛らしいと錯覚してしまいそうですが、これは「演技 」です。 娼婦エスメラルダの本性は、部屋のドアを 平気で足で蹴って閉めやがる、そんな下賤な態度にも表れています。
映画「ヴェニスに死す」 (4)
 言うまでもなく、彼女が身にまとっている美しいドレスも 「衣装 」 です。彼女は 自分の体を買った客に このドレスを脱いで見せるために着ているに過ぎません、包装紙みたいなものです。

 このエロティックなシーンは、トーマス・マンの原作にはありません。
 ヴィスコンティ監督は、主人公アッシェンバッハのことを 健全な欲望を持つ一人の男性である( × 同性愛者などではなく ) という 重要な情報 を 私たち観客に伝えておくため、わざわざ 彼が買春に娼館を訪れる場面を 追加してみせたのではないか、というのが 私 発起人の ようやく辿り着いた、ひとつの仮説です。

ヴェニスに死す アルフリートとの激論のシーン
▲ 潜在的には、芸術上の激論の相手である友人の作曲家アルフリートが ミュンヘンで主張していたことに影響を受け、すなわち 自分自身を 「凡庸な芸術から脱却 」 させるため、ちょうど 「タンホイザー 」 のハインリヒがヴェーヌスブルクに その身を投じたように、芸術家として 「個人の道徳とは無関係に 」、「官能に打ち負かされ、あらゆる汚れに身を晒(さら ) 」 したい − という衝動が、 すでに娘も妻も失った 孤独な身(だったと思われる )の アッシェンバッハをして 娼館へ 向かわせたものかもしれません。 
 友人の音楽家 アルフリートは シェーンベルクが モデルである、と書かれている資料が多いようですが、もし アッシェンバッハがマーラーだとすれば、その年齢や互いの人間関係から 考察すると この人物は むしろ リヒャルト・シュトラウス の存在に近いような気が、私にはしました。

幸福だった時代のアッシェンバッハ 
▲ そして、このフラッシュバックから 時系列的に考えてみると、アッシェンバッハが 愛妻と愛娘と 北イタリアの山荘で 幸せに過ごしていた頃の 家族の回想シーン および ・・・ 
亡き娘を偲ぶ歌
▲ その後 夭折した愛娘の小さな棺を 夫婦で涙ながらに見送る悲しいシーン  ・・・ いずれも若いアッシェンバッハには口髭がありませんでしたが、この娼館を 訪れるシーンでは 鼻の下に薄く髭が生え揃って いますから、 少なくとも エスメラルダとのシーンは、彼が 愛娘を亡くして以降のエピソードで 間違いないでしょう。

■ 切られたフィルムの間に、何があったか ? 
 ヴィスコンティにとっては 残念なことに、次のシーンの真意は 結局 観客に伝わりにくかったように思えます。娼婦エスメラルダが ドアを蹴って閉めてから、モンタージュ手法によって 次は 同じ部屋の数十分後へ場面が切り変わってしまうわけですが、その「間 」に 一体何が起きたのかが 謎 だからです。

 髪をとき、ベッド上で両足を開いている 下着姿の若い娼婦の肢体が鏡に映っています。
 支払うべき 紙幣 をテーブルに置こうとするアッシェンバッハの手元をチラ見したエスメラルダ、一瞬 何かに驚いたような表情を浮かべ ・・・
ヴェニスに死す 娼館のシーン-3
 次の瞬間、男に微笑んでみせると その細い指を伸ばし、部屋を退出しようとするアッシェンバッハの手を堅く握りしめます。 その様子は まるで情事を終えた男女が、別れの名残を惜しんでいるように錯覚されそうですが、しかし よくご覧ください。そんな彼女の指を振りほどいてしまうアッシェンバッハの表情はと見ると苦悩に満ちています。何があったのでしょう、これは一体どういう意味でしょうか。
ヴェニスに死す 娼館のシーン-5.

 アッシェンバッハは、若い娼婦を 抱かなかったのではなく、「抱けなかった 」 − いえ、はっきり言ってしまうと 「勃(た )たなかった 」 =「できなかった 」 と いうことではないでしょうか。 ・・・ そうです。女の若い肉体に触れなかった理由とは、彼が「高潔だった 」からではなく「高血圧だった 」から(笑 ) − すなわち、何らかのストレスか 血管の老化に起因する男性特有のED(勃起障害 ) だったのでしょう。 
 そう考えれば、若い娼婦 エスメラルダが 最後に浮かべた表情も 「よくあることよ。気にされないで・・・また来てね 」 と、払いのよい上客の再来を気にするベテラン娼婦のようにさえ見えませんか。 
ヴェニスに死す また来てね
 しかし相手の女から そんなふうに慰められることが、不本意ながら こういう立場に置かれた男性の感情を最も傷つけるものだっていうこと・・・ でも こんなことも きっと お若い「元気な 」 男性諸君は まだ ご経験ないことではないでしょうか、想像もできないことではないでしょうか。 ゆえに この場面の意味も 解らなかったのではありませんか、それは かつての私と同じように。
ヴェニスに死す 娼館のシーン-6
 このときアッシェンバッハは、「ああ、もう俺も若くはないのだな 」 と、自身の肉体の老いを痛感し、さらにその先に待つ 「死 」 さえも おぼろげに 想ったのではないでしょうか。そんな苦い記憶の場面に 紐づけられていた音楽こそ エスメラルダが弾いていた 「エリーゼのために 」 − そして 今や老いを迎えたアッシェンバッハは、タッジオの指先から流れてくる 同じピアノ曲の断片が、彼のいまわしい過去の記憶の情景と一緒に 現在の自分まで 流れついたことに、気づいたのでしょう。


2019年秋 補筆(以下青字 )
 さて、2019年 9月のこと、私 “スケルツォ倶楽部”発起人と同世代女性のある会員様から 非公開コメントで お便りを いただきました。
 そこには、この謎めいたシェーナ Scena を理解するために 必要な示唆を含む、ひとつの論文が紹介されていました。九州大の独文学 助教授(当時 )福元圭太先生による「映画のイコノロジー : 『ヴェニスに死す 』の映像メデイアへの転換 」(2000年 5月発表 ) ― そこには、「エスメラルダとタッジョーとをオーバーラップさせるというヴィスコンティの演出は,トーマス・マン晩年の大作『ファウスト博士』を眺望する視点がないと不可能 」、「アッシェンバハにとってのタッジョーが,晩年にレーヴァーキューン(『ファウスト博士 』の主人公である作曲家 )にとってのエスメラルダという図式で反復されることを,ヴィスコンティは映画で マンの先回りをして示した 」という文章があり、私は 思わず括目しました。恥ずかしながら、私 発起人は これまでマン晩年の名作とされる「ファウスト博士 」は未読で、この主人公が「作曲家」であるという重要な設定を 知らなかったのでした。はー、無知にもほどがあるってもんでしょうw
トーマス・マン Mann Thomas ヴェニスに死す 娼館のシーン-2

 マンの「ファウスト博士 」の主人公である「作曲家 」アドリアン・レーヴァーキューンは、彼の「頬を腕で撫でる」娼婦からの病毒感染の代わりに 「悪魔との契約 」によって優れた霊感を獲得し、非凡な創造力で作曲活動をおこないます。しかし、その代償は大きく、悪魔との契約ゆえ 破滅へと至るストーリーです。
 これこそ 映画「ヴェニスに死す」娼館の場面に ヴィスコンティが隠しておいた、私たちが解くべき「心」だったのです。娼婦エスメラルダを抱かなかったアッシェンバッハは、病毒感染もなく = 悪魔とのファウスト的な契約を交わすこともなく、友人の作曲家アルフリートが貶すところの「凡庸なる才能 」のまま、彼の終焉の地 ヴェニスで死を迎えることになるものの、それゆえ 死の間際に 真の「美」を垣間見ることを一瞬 許されたのだ − あの不思議な娼館の場面(シェーナ )は、マンの読者であれば、ある意味 知っていて当然、気づいて当たり前の、そんな意味も含まれていたのでした。
 考察のきっかけを与えてくださった 会員様には 重ねて御礼を申し上げます。ありがとうございました。(2019補筆ここまで )


■ 今日のアッシェンバッハの姿は、明日のタッジオの姿
 そう解釈すると、他にも重要なことが さらにいくつか見えてくる気がします。
 ここまでお読みくださったかたには もう重ねて申し上げるまでもありませんが、まず アッシェンバッハに 同性愛的な嗜好などはありません。 この映画の宣伝や解説などで 今でもたまに見かける、明らかに不適な解釈 「 老人が 少年に恋した 」 云々という言葉が誤解を拡散します。 
 アッシェンバッハは たしかに映画中で 「I Love You お前を愛している 」 と呟いていますが、これは タッジオ 個人 に対して 告白 などを したわけではなく、 タッジオに宿った 「美しさ 」 に対して、そして 自身がすでに失った 「若さ 」 に対して、あるいはそれら「美しさ 」、「若さ 」 の輝きを 賛美する気持ちで いっぱいになった心から溢れ、思わず 独白となって こぼれ落ちてしまった台詞であるに違いないのです。

映画「ヴェニスに死す」 (21)

 逆説的ですが、トーマス・マンが タッジオという 美しい存在 を 敢えて 「男性 」 に設定したことからも、それは明らかではありませんか。
 ご想像ください − 誰でも構わないのですが − アッシェンバッハが もしタッジオの姉のほう( を、もっと美しい少女をキャスティングし直す必要はあるでしょうが )に目を移してしまったと想像したら、ヴィスコンティ本来の真意は伝わらず、全然別の・・・ たとえば「ロリータ 」のような、そのまんまなドラマになってしまうだけでしょう。彼は 少年タッジオの肉体など 欲していたわけではないのです。

 彼が、タッジオの姿の裡(うち )に 「見たもの 」 とは、少年の肉体の上に かりそめに宿った、いわば天から降臨した 今だけ限定の「美しさ 」そのもの でした。グスタフ・フォン・アッシェンバッハが 芸術家として 長らく追い求めてきたもの、それこそ 人生を賭けて 追い求めてきた解答への重要なヒントを、彼は生涯の最期になって、静養先のヴェニスで出会った一人の少年の輝くような 「美しさ 」 の上に 見出したのでしょう。
 そう、「美 」とは 決して手に触れるところにはなく、ましてや 抱けるものでも、征服できるものでも、味わったりできるものでも ありません。私たちに許されることは、ただ少し離れ 称賛のまなざしで 「見つめる 」だけなのです。
映画「ヴェニスに死す」 (12)
 そんな 「美 」 も、時が経てばタッジオの肉体から 飛び去ることが約束されていました。今は光り輝くタッジオ自身の肉体に宿っている 「美 」も 鮮度に賞味期間があり、その期限が過ぎれば 手放さなければならぬことを、実は 彼自身も まだ知らないでしょう。今日のアッシェンバッハの姿は、明日のタッジオの姿でもあるのです。

 そんな究極の美を 垣間見てしまったアッシェンバッハには さらに色濃く死の影が忍び寄ります。
 流行性の疫病コレラによって死の都と化したヴェニスは、アッシェンバッハ自身の滅びゆく肉体のメタファーでもあります。
スケルツォ倶楽部_ヴェニスに死す (2)
▲ 観光業で成り立っているヴェニスの保健局は 疫病の蔓延をひたすら隠し、「腐敗 」を「取り繕う 」ように 異臭を放つ白い消毒液を 街中に散布させます。 

映画「ヴェニスに死す」
▲ 一方、進行する 「老い 」 を 「取り繕う 」 ように 死化粧のような あり得ない メイクを施されてしまう アッシェンバッハの 白塗りの顔と、同じくらい真っ白な消毒液に浸されるヴェニスの街とが 視覚的にも 重なってくる ではありませんか。 けれど 「老い 」 も 「死 」も 止めることは、決して誰にもできません。
 アッシェンバッハの死因は、持病の心臓病、血管症、過度のストレスに加え、直接は ヴェニスに流行していた 急性コレラに感染したものと思われます。
ヴェニスに死す いちご ヴェニスに死す いちごは危ない
▲ 「だから いちごは危ない、と 言ったじゃろ 」

 ・・・ ですが、実は 死因などは さして重要なことではなく、もともと アッシェンバッハは 療養先である このヴェニスの地で 死すべき運命にあって、彼が自分の「人生 」と訣別する最後の一瞬を迎えたとき、その掌からすべり落ちる間際の 生命(いのち ) − その輝くばかりの「美しさ 」 ( = まさに これを擬人化した存在が「タッジオ 」 ) その本質を 初めて垣間見た、そんな最初で「最期 」の「出会い 」の瞬間を ヴィスコンティが 映像で描いた、これは 一篇の詩であった、といってよいでしょう。


■ 砂時計の砂は みるみる 落ちてゆく − 
 さて、前後して申し訳ありませんが、この映画の最初のほうの ある場面を思い出してください。
 健康問題を抱え、静養を目的にヴェニスへ到着したアッシェンバッハが 最初にホテルの部屋へ案内された後、ミュンヘンで倒れたときのことを回想するシーンで、実は このドラマを理解する鍵ともなる重要な台詞が提示されていたことを ご記憶ですか。

ヴェニスに死す 砂時計のシーン
▲ 「・・・わたしの父の家にも砂時計があった。砂の落ちる通路(みち )は非常に狭いので、最初のうちは いつまでも上の砂の量が減らないようにみえたものだ。砂が残り少なくなったことに気づくのは いつも終わりの間際だった。それまでは誰も殆んど気にしない。最後まで時間が過ぎて 気づいたときには、既に全部の砂が落ち切っていた・・・ 」

 この回想場面の背景では、アッシェンバッハの友人の音楽家アルフリートが、マーラーの「アダージェット 」を 邸のピアノで巧みに奏でています。 砂時計の中を上下に流れる砂は、一瞬の儚(はかな )さと 停時の永遠とを対比させる相対的な小道具として 映画に登場しています。

 たとえば、主人公アッシェンバッハが ビーチの長椅子の上で最期の時を迎えるラスト・シーンが、まさしく砂の上であることは言うまでもなく、また 同じビーチ・サイドで戯れるタッジオの顔は 粗暴な男友達によって何度も砂まみれにされますが、スクリーンに映る泥だらけの顔は、お節介な母親や家庭教師に わざわざ拭いてもらわなくても 不思議なほど「キタナイ 」という印象を観る者に与えません。それは、あたかもダイアモンドに傷がつかぬように、いくら濡れた砂が泥になってタッジオの顔を汚しても 少年自身の美しさを損なうことは決してないからです。
 これは「美しさ 」が人間に宿る時間は ごく瞬時( すでに何度も書いているように、タッジオもまた年老いる )でありながら、「美しさ 」自体は 永劫不滅であるということを象徴しているように、私には思えます。

映画「ヴェニスに死す」砂時計
▲ 残り少ない砂時計の砂が下へ下へと落ちゆくのを惜しむように 失われつつあるアッシェンバッハ自身の美しかった人生と引き換えに得られた解答、それは、決して手にすることができないがゆえに美しい、死にゆく宿命を背負った「生命 」の輝き の美しさでした。
スケルツォ倶楽部_ヴェニスに死す (3)
▲ わが生命(いのち ) と引き換えに得る (失う ) ことになる 美なる存在の後ろ姿を追って、ヴェネツィアの街中を 徘徊しまくる 白面のアッシェンバッハの 「美しさ 」 に執着する未練は傷ましいほど・・・  “スケルツォ倶楽部”発起人、50歳を過ぎて このシーンを 観ると、本心から 「ああ、わかる、わかるなー 」 と、もう涙が止まりません。 
 まさに人生を終えようとする 芸術家が 「美 」を追求する この姿、この死に物狂いのもがきを、ただの変態ストーカー オヤジ にしか見えなかった 14歳の時の自分の理解の浅さ に ただただ恥じ入ります。

ダーク・ボガード 幼時 Dirk Bogarde Young ! Dirk Bogarde (3) Young Dirk Bogarde ダーク・ボガード若きポートレート Dirk Bogarde Young ! Dirk Bogarde
▲ 若き日のアッシェンバッハ( ? もちろん 俳優ダーク・ボガードですよ )のポートレートを数葉みつけました。 ご覧ください。(出典 dirkbogarde.co.uk より )

映画「ヴェニスに死す」 (22)
「 時よ止まれ お前は美しい ! 」 ( ゲーテ 「ファウスト 」 )

―  少年は髪を風になぶらせつつ、離れた海の中を、模糊として煙る果てしない海を背景に、ぶらぶらと歩いて行く。ふたたび立ちどまって少年はあたりを眺める。と、突然、ふと何事かを思い出したかのように、ふとある衝動を感じたかのように、一方の手を腰に当てて、美しいからだの線をなよやかに崩し、肩越しに岸辺を振返った。
 岸辺にあって少年を見守っていた男は、最初その砂洲から送られてきた灰色に曇った視線を受けとめたときは、もとの通り椅子に坐ったままであった。椅子の背にもたれていた頭は、ゆっくりと、海の中を歩いて行く少年の動きを追っていた。ところが今、彼は少年の視線に応じ答えるように、頭を起こした。と、頭は胸の上にがくりと垂れた。そこで目は下のほうから外を眺めているような具合だったが、彼の顔は、深い眠りの、ぐったりとした、昏々とわれを忘れている表情を示していた。 
 けれども彼自身は、海の中にいる蒼白い愛らしい魂の導き手が自分にほほ笑みかけ、合図しているような気がした。少年が、腰から手を放しながら遠くのほうを指し示して、希望に溢れた、際限のない世界の中に漂い浮んでいるような気がした。すると、いつもと同じように、アシェンバハは立ち上がって、少年のあとを追おうとした。
映画「ヴェニスに死す」 (9)
 椅子に倚って、わきに突っ伏して息の絶えた男を救いに人々が駆けつけたのは、それから数分後のことであった。そしてもうその日のうちに、アシェンバハの死が広く報道されて、人々は驚きつつも恭しくその死を悼んだ。
( トーマス・マン / 原作、高橋義孝 / 訳 新潮文庫より )


■ グスタフ・マーラー 「アダージェット 」
楽譜 マーラー_アダージェット冒頭(音楽之友社 )
▲ 交響曲第5番 嬰ハ短調 〜 第4楽章 アダージェット Adagietto
(非常に遅く Sehr langsam ) ヘ長調 4 / 4拍子、三部形式
 スケルツォ倶楽部 会員の皆さまには 今さら 説明不要の名曲。
 ハープと弦楽オーケストラのみで演奏される、静謐感に満ちた美しい楽章。
 中間部で 第1ヴァイオリンに現れる旋律が フーガ的な要素を持つ第5楽章の中でも ほぼ同じ姿で再現されますが、これら第4楽章と第5 楽章 二つの関係を、J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集等における「前奏曲とフーガ 」の関係と類似性を述べる人もいます (音楽之友社 ミニチュアスコアの解説を参照 )。



スケルツォ倶楽部オススメの
「アダージェット 」 名盤を、いくつか 聴く。
クラシックプレス 2001年秋号


▲ ウィレム・メンゲルベルク 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
演奏時間:07:07
録  音:1926年
音  盤:Columbia / 復刻 クラシックプレス(2001年秋号付録CD )
付録CD 併録曲 : 「ルスランとリュドミーラ」序曲(グリンカ )ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 / オデオン大交響楽団 (11.Apr.1933 )、 「幻想交響曲 」第2楽章「舞踏会 」(ベルリオーズ )エウゲニ・ムラヴィンスキー指揮 / ソビエト国立交響楽団 (1949 )、 歌劇「魔笛 」序曲(モーツァルト )ジョージ・セル指揮 / 大交響楽団 (22.Sep.1924 )、 「トルコ行進曲 」(モーツァルト 〜 ヘルベック編 )カール・アルヴィン指揮 / ウィーン・フィル (9.Sep.1929 ) 、 「フィンランディア 」(シベリウス ) ヘルマン・アーベントロート指揮 / ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (1936.10.01 )、喜歌劇「こうもり 」序曲(J.シュトラウスU )ブルーノ・ワルター指揮 / ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (10-11.Jan.1929 )、 「ユモレスク 」(ドヴォルザーク )ヴァーツラフ・スメターチェク指揮 / FOK交響楽団 (29.Oct.1941 )、 序曲「フィンガルの洞窟 」(メンデルスゾーン )ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 / ベルリン・フィル (1930 ) 、 「コリオラン 」序曲(ベートーヴェン )カール・シューリヒト指揮 / ベルリン市立管弦楽団 (Jun.1942 )
コメント: マーラー自身の評価はワルターより高かったとも伝わる メンゲルベルクによる貴重な 「アダージェット 」 レコーディング。随所にストリングスの 押さえた音を引っ張り上げる濃厚なポルタメントが聴かれます、特に後半になってから弦楽器奏者たちの指が 一斉に弦を擦り上げ 擦り下ろす動きがあまりにも凄まじく、テンポも信じられないくらい速いし、当時のスタイルを今に伝える貴重な録音でしょう。SP盤からの復刻ゆえ 03:16辺りで複数のディスクを 繋げたことが判ります。
マーラー アダージェット ガット弦によるHMD
▲ 尚、参考までに 1995年に ガット弦を歴史的楽器に張ったスミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ ( ケネス・スロウィック指揮 )、100年近い昔のメンゲルベルクの解釈で「アダージェット 」を再現しているレコーディングがあるのですが、一聴をオススメします。 必ずメンゲルベルク録音を事前に聴いてからご鑑賞くださいね。



ワルター_マーラーアダージェット_オーパス蔵
▲ ブルーノ・ワルター 指揮 
ウィーン・フィルハーモニー
演奏時間:07:57
録  音:1938年
音  盤:Columbia / 復刻 OPUS蔵
コメント:凄まじいメンゲルベルク盤を聴いた後だと 誰の演奏を聴いてもホッとしますが、特にワルター / ウィーン・フィルのレコーディングは すでに現代の演奏の基礎を築いた歴史的な記録ですよね。後にCBSでワルターは第5をモノラルで全曲録音しますが、アダージェットの解釈は このウィーン・フィル盤と基本的に同じ。速度は速いですが、決して情感を失わない立派な名演と思います。ああ、それにしてもワルターには ぜひステレオ録音で第5番を残しておいてほしかったものです。




バーンスタイン_マーラー第5交響曲_CBS
▲ レナード・バーンスタイン 指揮 
ニューヨーク・フィルハーモニック
演奏時間:11:00
録  音:1963年
音  盤:CBS-Sony
コメント:ヤング・バーンスタイン最初のマーラー全集からの録音。この旧盤は甘さを排した 険しい弦のアンサンブルが特徴で、特に低音弦の弾力ある刻みがフォルティッシモでは凄まじい効果を上げています。

マーラーの高速 第5交響曲(フランス国立放送管弦楽団 )
▲ ヘルマン・シェルヘン 指揮
フランス国立放送管弦楽団
演奏時間:13:04
録  音:1965年 ライヴ
音  盤:HMF
コメント:あの悪名高いズタズタ・カット版で大ブーイングのライヴ録音。正直 普段は 異形の第3 ・ 5楽章 ばかりを抜き出しては 笑って聴いていましたが (失礼 ! ) 改めてちゃんと聴いたら ノー・カットの 「アダージェット 」は超低速、シェルへンらしからぬ( ? )情感も豊かで弦全体がうねる動きと爆発的な迫力にも事欠かない、意外な佳演でありました。

バーンスタイン_ファースト・パフォーマンス_リンカーン・センター・オープニング・ガラ・コンサート1962
▲ レナード・バーンスタイン 指揮 
ニューヨーク・フィルハーモニック
演奏時間:11:19
録  音:1968年6月、ロバート・ケネディ葬儀における実況
音  盤:CBS-Sony
コメント:特殊な環境下における演奏ゆえに 振幅の大きな、ドラマティックなアダージェット。クライマックスでは弦は一斉に叫ぶよう。逆に教会は静まりかえる、そんな厳粛な雰囲気が 封じ込められたサウンドから想像できます。

バルビローリ_マーラー第5交響曲_EMI
▲ ジョン・バルビローリ 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
演奏時間:09:52
録  音:1969年
音  盤:EMI
コメント:正直 他の楽章ならバルビローリ以上に好む演奏はいくらもあるのですが、こと「アダージェット 」に限っては 中低音域の豊かな充実度と心のこもった美しい歌が存分に聴ける、この一枚を 外すことはできません。

映画「ヴェニスに死す」Original Soundtrack
▲ フランコ・マンニーノ 指揮
ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団
演奏時間:09:28
録  音:1970年
音  盤:Soundtrack from“Death In Venice”(Varese Sarabande)
コメント:特に期待もせず聴き始めたところ、途中 38小節目(03:59 ) − 第一ヴァイオリンの「G線で 」とマーラー自身が指定した個所(フォルテになる辺り ) − 以降、音楽に急速に熱が通って、あっという間に ホント驚くほど濃い口の表情へ彩られます。そこは mit Wärme(暖かさをもって or 親しみを込めて )、まるで胸を大きく膨らませながら 途切れ途切れ 初めての告白に言葉を選ぶ美しい乙女の呼吸に耳を澄ますようです。
さらに 躊躇(ためら )うような高音弦の響きは、後年の繊細極まるバーンスタイン/ウィーン・フィル(D.G. )盤を先取り。感嘆しますよ。

Solti Mahler No.5 (KING KICC‐8433)
▲ ゲオルク・ショルティ 指揮
シカゴ交響楽団
演奏時間:09:47
録  音:1970年
音  盤:Decca-LONDON
コメント:緩徐楽章にもかかわらず弦の力強いボウイングが良く歌い、気持ちよくメリハリを効かせた演奏、各弦とハープそれぞれの動きをしっかり分離して捕えた録音も耳に心地良い、素晴らしい一枚です。

Karajan_Mahler.jpg
▲ ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィルハーモニー
演奏時間:11:53
録  音;1973年
音  盤:D.G.
コメント:磨き抜かれた高級な調度品を思わせる仕上がり。劇的な起伏にも不足なく 特に最後の係留音を思い切り長く引っ張っておいて低音弦が締める呼吸は比類ない格好良さです。大好きですね、カラヤン。

マーラー_交響曲第5番 ノイマン_チェコ・フィル  
▲ ヴァーツラフ・ノイマン 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
演奏時間:10:05
録  音:1977年
音  盤:SUPRAPHON
コメント:チェコの古き良き時代のストリングス・アンサンブルによる、弦楽器本来がもつ生(アコースティック )な温もりが伝わってくる好ましいサウンドです。ミキシングのせいでしょうか、第4楽章は 奏者が弦を爪弾くハープの音がやや大きく鮮明に聴こえてくる録音に特徴があります。

マーラー第5番 レヴァイン フィラデルフィア管弦楽団 RCA
▲ ジェイムズ・レヴァイン 指揮
フィラデルフィア管弦楽団
演奏時間:12:02
録  音:1977年
音  盤:RCA
コメント:弦楽オーケストラのダイナミックな起伏が素晴らしいアダージェット。逆に弦の人数を減らす指示のある個所での室内楽的な音響のヴィブラートも美しく心に残ります。第5番は(10番を別格とすれば )レヴァインのマーラーでは最高傑作ではないでしょうか。

テンシュテット_マーラー第5_FM東京
▲ クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
演奏時間:12:05
録  音:1984年
音  盤:東京FM (TFMC0015 )
コメント:夭折したテンシュテットの素晴らしい「第5 」が聴ける音盤はEMIにスタジオ盤(1978年 )とライヴ盤(1988年 )の二種ありますが、いずれもこのカリスマ指揮者のマーラーへの適性の高さを思い知らされる凄演です。おススメの このディスクは、同オケとの来日公演(大阪 )、「アダージェット 」が発散する情念が尋常でなく、そのまま最後まで聴き通したくなってしまいます。

バーンスタイン_ウィーン・フィルマーラー第5
▲ レナード・バーンスタイン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー
演奏時間:11:12
録  音:1987年
音  盤::D.G.
コメント:打ち震えるように切なく繊細な弦の響き、フォルティッシモではスケールの大きさが際立ち エモーショナルで もうたいへんなことになっています。フレーズひとつひとつが深く考え抜かれ、時に息苦しくなるほど力の入った演奏。マーラー好き なら どなたも よくご存知ですよね。

小澤征爾_マーラー第5番 ボストン(Philips ) 
▲ 小澤征爾 指揮
ボストン交響楽団
演奏時間:11:56
録  音:1990年
音  盤:PHILIPS
コメント:丁寧に楷書で書かれた筆運びを思わせる名演です。情熱的に波が打ち寄せる中間部でも 小澤さん、決して激することなく 美しく 弦の縦線を揃えながら歩みます。例のため息がグリッサンドで落下した後、静寂の中から再び現れるメイン主題は 今度は著しくテンポを落としており、その姿はどこか神秘的ですらあります。

プレートル_マーラー第5交響曲_
▲ ジョルジュ・プレートル 指揮
ウィーン交響楽団
演奏時間:11:21
録  音:1991年
音  盤:Weitblick
コメント:意外な掘り出し物でした。 ライヴならではのとても情感豊かな内容。厚みのある弦のアンサンブル。その精度は 必ずしも高くないですが、それゆえ どこか草書的な勢いもあって、私は 結構好きです。

ブーレーズ_マーラー第5交響曲_DG
▲ ピエール・ブーレーズ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー
演奏時間:10:59
録  音:1996年
音  盤:D.G.
コメント:透徹したウィーン・フィルの弦、それも弱音の美しさが印象深い名演。D.G.ブーレーズのマーラーには不満は全く感じないんですが、不満のないところが不満とでも言いますか・・・  かつて 鋭い氷の剣のようだったCBS時代の 「嘆きの歌 」やバルトーク、ラヴェル、シェーンベルク、ベルク の演奏ほどにはどうしても没入できないです。聴く側である私のほうに 聴き取る能力が足りないんでしょうけど・・・ 。

ブルネロ_ダルキ・イタリアー_フィルム(マーラー アダージェット収録 ) ダルキ・イタリアーナ
▲ マリオ・ブルネロ 指揮 
ダルキ・イタリアーナ (2002年 )
演奏時間:12:39
録  音:2002年
音  盤:Victor アルバム「フィルム 」
収録曲 : 弦楽のためのアダージョop.11 (バーバー )、ヴァイオリンと弦楽オーケストラのためのノスタルジア〜アンドレイ・タルコフスキーの追憶に (武満徹 )、トリスティング・フィールズ (ナイマン )、弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ 」 (ヤナーチェク )、交響曲第5番 嬰ハ短調〜第4楽章 アダージェット (マーラー )
コメント:1986年にチャイコフスキー・コンクール・チェロ部門優勝以来 世界的に活躍するイタリアの名チェリストが2000年に組織したユース・オーケストラによる演奏。情感も起伏も豊か、美しく均整のとれた堂々たる名演に驚きます。ブルネロには ぜひフルオケで第5番全曲を振ってもらいたいものです。

ノリントン_マーラー第5_Haenssler
▲ ロジャー・ノリントン 指揮
SWRシュトゥットガルト放送交響楽団
演奏時間:08:54
録  音:2006年
音  盤:Hänssler
コメント:  ノリントンらしくノン・ヴィブラート奏法のおかげで 弦の美しい透明度が増した、一聴の価値ありの新しさです。弦とハープの分離も良く、耳に心地良く染み入る音響。今の私なら、まずノリントン盤の個性的な演奏を 心から楽しみに、繰り返し聴きたいですね。

 すみません。 
 実は 他にも 自宅のCD棚に眠っている 所蔵盤についても 一言ずつ コメントを 入れるつもりで準備 ・・・
▼ ラファエル・クーベリックとか、
クーベリック_マーラー第5_DG クーベリック_マーラー第5_Audite

▼ ロリン・マゼール、リッカルド・シャイー ・・・
マゼール_マーラー全集_sony マーラー 交響曲全集 シャイー_コンセルトヘボウ管弦楽団、ベルリン放送交響楽団

▼ それから インバル、ラトル、ファビオ・ルイージ なども 準備していたのですが・・・
インバル_マーラー交響曲第5番 ラトル_マーラー第5交響曲_EMI ルイージ_マーラー第5

 はー、今日は さすがに 発起人 疲れ果ててしまいました。 もういいや、ここまで読んでくださって 感謝です。 また いつか・・・


▲ 駆け足10分で観る 映画「ヴェニスに死す 」



http://scherzo111.blog122.fc2.com/blog-entry-390.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html#c1
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
123. 中川隆[-14092] koaQ7Jey 2020年2月02日 16:16:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-774]
グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c123
[リバイバル3] スキー場の選択は雪質だけで決めよう 中川隆
174. 中川隆[-14091] koaQ7Jey 2020年2月02日 17:16:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-773]

スキー場積雪ランキング 2020年2月2日更新


1ロッテアライリゾート

新潟 積雪量 266cm
.

2夏油高原

岩手 積雪量 240cm
.

3シャルマン火打

新潟 積雪量 230cm
.

4キロロスノーワールド

道央 積雪量 230cm
.

5ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 230cm
.

6たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 200cm
.

7丸沼高原

群馬 積雪量 200cm
.

8HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根

長野 積雪量 190cm
.

9関温泉

新潟 積雪量 190cm
.

10川場

群馬 積雪量 190cm
.

11森吉山阿仁

秋田 積雪量 180cm
.

12秋田八幡平

秋田 積雪量 180cm
.

13安比高原

岩手 積雪量 180cm
.

14サッポロテイネ

道央 積雪量 180cm
.

15札幌国際

道央 積雪量 180cm
.

16野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 175cm
.

17富良野

道北 積雪量 173cm
.

18HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜

長野 積雪量 170cm
.

19八甲田

青森 積雪量 165cm
.

20志賀高原 横手山・渋峠

長野 積雪量 160cm
.

21かぐら

新潟 積雪量 160cm
.

22谷川岳天神平

群馬 積雪量 160cm
.

23天元台高原

山形 積雪量 160cm
.

24ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 160cm
.

25HAKUBA VALLEY 栂池高原

長野 積雪量 157cm
.

26HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク

長野 積雪量 155cm
.

27六日町八海山

新潟 積雪量 150cm
.

28HAKUBA VALLEY 白馬コルチナ

長野 積雪量 145cm
.

29池の平温泉

新潟 積雪量 145cm
.

30赤倉温泉

新潟 積雪量 145cm
.

31音威富士

道北 積雪量 145cm
.

32GALA湯沢

新潟 積雪量 140cm
.

33赤倉観光リゾート

新潟 積雪量 140cm
.

34星野リゾート トマム

道北 積雪量 140cm
.

35竜王スキーパーク

長野 積雪量 135cm
.

36野沢温泉

長野 積雪量 135cm
.

37妙高 杉ノ原

新潟 積雪量 134cm
.

38戸狩温泉

長野 積雪量 130cm
.

39グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 130cm
.

40神立スノーリゾート

新潟 積雪量 125cm
.

41開田高原マイア

長野 積雪量 120cm
.

42石打丸山

新潟 積雪量 120cm
.

43ホワイトワールド尾瀬岩鞍

群馬 積雪量 120cm
.

44星野リゾート 猫魔

福島 積雪量 120cm
.

45岩手高原スノーパーク

岩手 積雪量 120cm
.

46ルスツリゾート

道央 積雪量 120cm
.

47サホロリゾート

道東 積雪量 120cm
.

48奥志賀高原

長野 積雪量 115cm
.

49ONTAKE2240

長野 積雪量 110cm
.

50Mt.乗鞍スノーリゾート のりくらエリア

長野 積雪量 110cm
.

51志賀高原 焼額山

長野 積雪量 110cm
.

52斑尾高原

長野 積雪量 110cm
.

53スノーパーク尾瀬戸倉

群馬 積雪量 110cm
.

54鹿沢スノーエリア

群馬 積雪量 110cm
.

55ハンターマウンテン塩原

栃木 積雪量 110cm
.

56湯殿山

山形 積雪量 110cm
.

57雫石

岩手 積雪量 110cm
.

58戸隠

長野 積雪量 105cm
.

59キューピットバレイ

新潟 積雪量 105cm
.

60スノーウェーブパーク白鳥高原

岐阜 積雪量 100cm
.

61富士見パノラマリゾート

長野 積雪量 100cm
.

62HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド

長野 積雪量 100cm
.

63志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 100cm
.

64サンメドウズ清里

山梨 積雪量 100cm
.

65妙高スキーパーク

新潟 積雪量 100cm
.

66ムイカスノーリゾート

新潟 積雪量 100cm
.

67舞子スノーリゾート

新潟 積雪量 100cm
.

68万座温泉

群馬 積雪量 100cm
.

69草津温泉

群馬 積雪量 100cm
.

70箕輪

福島 積雪量 100cm
.

71奥中山高原

岩手 積雪量 100cm
.

72八幡平リゾート パノラマスキー場&下倉スキー場

岩手 積雪量 100cm
.

73網張温泉

岩手 積雪量 100cm
.

74ピラタス蓼科スノーリゾート

長野 積雪量 95cm
.

75やぶはら高原

長野 積雪量 90cm
.

76湯の丸

長野 積雪量 90cm
.

77車山高原SKYPARK

長野 積雪量 90cm
.

78HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)

長野 積雪量 90cm
.

79志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 90cm
.

80志賀高原中央エリア タンネの森 オコジョ

長野 積雪量 90cm
.

81志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 90cm
.

82志賀高原中央エリア 一の瀬山の神

長野 積雪量 90cm
.

83志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド

長野 積雪量 90cm
.

84軽井沢スノーパーク

群馬 積雪量 90cm
.

85かたしな高原

群馬 積雪量 90cm
.

86山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

87山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

88黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル

山形 積雪量 90cm
.

89たざわ湖

秋田 積雪量 90cm
.

90みやぎ蔵王スキー場 すみかわスノーパーク

宮城 積雪量 90cm
.

91カムイスキーリンクス

道央 積雪量 90cm
.

92菅平高原スノーリゾート

長野 積雪量 85cm
.

93ノルン水上

群馬 積雪量 85cm
.

94桜ヶ丘

道東 積雪量 82cm
.

95イエティ

静岡 積雪量 80cm
.

96高鷲スノーパーク

岐阜 積雪量 80cm
.

97鷲ヶ岳

岐阜 積雪量 80cm
.

98ダイナランド

岐阜 積雪量 80cm
.

99めいほう

岐阜 積雪量 80cm
.

100Mt.乗鞍スノーリゾート 休暇村エリア

長野 積雪量 80cm
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[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
28. 中川隆[-14090] koaQ7Jey 2020年2月02日 17:16:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-772]

スキー場積雪ランキング 2020年2月2日更新


1ロッテアライリゾート

新潟 積雪量 266cm
.

2夏油高原

岩手 積雪量 240cm
.

3シャルマン火打

新潟 積雪量 230cm
.

4キロロスノーワールド

道央 積雪量 230cm
.

5ニセコマウンテンリゾート グラン・ヒラフ

道央 積雪量 230cm
.

6たんばらスキーパーク

群馬 積雪量 200cm
.

7丸沼高原

群馬 積雪量 200cm
.

8HAKUBA VALLEY 白馬八方尾根

長野 積雪量 190cm
.

9関温泉

新潟 積雪量 190cm
.

10川場

群馬 積雪量 190cm
.

11森吉山阿仁

秋田 積雪量 180cm
.

12秋田八幡平

秋田 積雪量 180cm
.

13安比高原

岩手 積雪量 180cm
.

14サッポロテイネ

道央 積雪量 180cm
.

15札幌国際

道央 積雪量 180cm
.

16野沢温泉(やまびこゲレンデ)

長野 積雪量 175cm
.

17富良野

道北 積雪量 173cm
.

18HAKUBA VALLEY エイブル白馬五竜

長野 積雪量 170cm
.

19八甲田

青森 積雪量 165cm
.

20志賀高原 横手山・渋峠

長野 積雪量 160cm
.

21かぐら

新潟 積雪量 160cm
.

22谷川岳天神平

群馬 積雪量 160cm
.

23天元台高原

山形 積雪量 160cm
.

24ニセコアンヌプリ国際

道央 積雪量 160cm
.

25HAKUBA VALLEY 栂池高原

長野 積雪量 157cm
.

26HAKUBA VALLEY Hakuba47ウィンタースポーツパーク

長野 積雪量 155cm
.

27六日町八海山

新潟 積雪量 150cm
.

28HAKUBA VALLEY 白馬コルチナ

長野 積雪量 145cm
.

29池の平温泉

新潟 積雪量 145cm
.

30赤倉温泉

新潟 積雪量 145cm
.

31音威富士

道北 積雪量 145cm
.

32GALA湯沢

新潟 積雪量 140cm
.

33赤倉観光リゾート

新潟 積雪量 140cm
.

34星野リゾート トマム

道北 積雪量 140cm
.

35竜王スキーパーク

長野 積雪量 135cm
.

36野沢温泉

長野 積雪量 135cm
.

37妙高 杉ノ原

新潟 積雪量 134cm
.

38戸狩温泉

長野 積雪量 130cm
.

39グランデコスノーリゾート

福島 積雪量 130cm
.

40神立スノーリゾート

新潟 積雪量 125cm
.

41開田高原マイア

長野 積雪量 120cm
.

42石打丸山

新潟 積雪量 120cm
.

43ホワイトワールド尾瀬岩鞍

群馬 積雪量 120cm
.

44星野リゾート 猫魔

福島 積雪量 120cm
.

45岩手高原スノーパーク

岩手 積雪量 120cm
.

46ルスツリゾート

道央 積雪量 120cm
.

47サホロリゾート

道東 積雪量 120cm
.

48奥志賀高原

長野 積雪量 115cm
.

49ONTAKE2240

長野 積雪量 110cm
.

50Mt.乗鞍スノーリゾート のりくらエリア

長野 積雪量 110cm
.

51志賀高原 焼額山

長野 積雪量 110cm
.

52斑尾高原

長野 積雪量 110cm
.

53スノーパーク尾瀬戸倉

群馬 積雪量 110cm
.

54鹿沢スノーエリア

群馬 積雪量 110cm
.

55ハンターマウンテン塩原

栃木 積雪量 110cm
.

56湯殿山

山形 積雪量 110cm
.

57雫石

岩手 積雪量 110cm
.

58戸隠

長野 積雪量 105cm
.

59キューピットバレイ

新潟 積雪量 105cm
.

60スノーウェーブパーク白鳥高原

岐阜 積雪量 100cm
.

61富士見パノラマリゾート

長野 積雪量 100cm
.

62HAKUBA VALLEY 白馬岩岳スノーフィールド

長野 積雪量 100cm
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63志賀高原 熊の湯

長野 積雪量 100cm
.

64サンメドウズ清里

山梨 積雪量 100cm
.

65妙高スキーパーク

新潟 積雪量 100cm
.

66ムイカスノーリゾート

新潟 積雪量 100cm
.

67舞子スノーリゾート

新潟 積雪量 100cm
.

68万座温泉

群馬 積雪量 100cm
.

69草津温泉

群馬 積雪量 100cm
.

70箕輪

福島 積雪量 100cm
.

71奥中山高原

岩手 積雪量 100cm
.

72八幡平リゾート パノラマスキー場&下倉スキー場

岩手 積雪量 100cm
.

73網張温泉

岩手 積雪量 100cm
.

74ピラタス蓼科スノーリゾート

長野 積雪量 95cm
.

75やぶはら高原

長野 積雪量 90cm
.

76湯の丸

長野 積雪量 90cm
.

77車山高原SKYPARK

長野 積雪量 90cm
.

78HAKUBA VALLEY 鹿島槍スキー場(鹿島槍スポーツヴィレッジ)

長野 積雪量 90cm
.

79志賀高原中央エリア 高天ヶ原マンモス

長野 積雪量 90cm
.

80志賀高原中央エリア タンネの森 オコジョ

長野 積雪量 90cm
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81志賀高原中央エリア 一の瀬ファミリー

長野 積雪量 90cm
.

82志賀高原中央エリア 一の瀬山の神

長野 積雪量 90cm
.

83志賀高原中央エリア 一の瀬ダイヤモンド

長野 積雪量 90cm
.

84軽井沢スノーパーク

群馬 積雪量 90cm
.

85かたしな高原

群馬 積雪量 90cm
.

86山形蔵王温泉(ユートピアゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
.

87山形蔵王温泉(中央ゲレンデ)

山形 積雪量 90cm
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88黒伏高原スノーパーク ジャングル・ジャングル

山形 積雪量 90cm
.

89たざわ湖

秋田 積雪量 90cm
.

90みやぎ蔵王スキー場 すみかわスノーパーク

宮城 積雪量 90cm
.

91カムイスキーリンクス

道央 積雪量 90cm
.

92菅平高原スノーリゾート

長野 積雪量 85cm
.

93ノルン水上

群馬 積雪量 85cm
.

94桜ヶ丘

道東 積雪量 82cm
.

95イエティ

静岡 積雪量 80cm
.

96高鷲スノーパーク

岐阜 積雪量 80cm
.

97鷲ヶ岳

岐阜 積雪量 80cm
.

98ダイナランド

岐阜 積雪量 80cm
.

99めいほう

岐阜 積雪量 80cm
.

100Mt.乗鞍スノーリゾート 休暇村エリア

長野 積雪量 80cm
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[近代史3] 「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行

評論家 中野剛志:悲劇は繰り返す!忍び寄る「令和恐慌」

景気後退にもかかわらず、消費増税を断行。自分で自分の首をしめるがごとく、ことさらに不景気を造っている。

2020年2月号 BUSINESS by 中野剛志(評論家)

「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行


野心にとり憑かれた井上準之助蔵相


国内外が不況であるにもかかわらず、緊縮財政を断行するという愚行の記録は、日本の近代史にもある。最悪の例は、昭和初期に、民政党の浜口雄幸内閣の下で、井上準之助蔵相が断行した「金(輸出)解禁」である。「金解禁」とは、第一次世界大戦を契機に離脱していた金本位制への復帰を指す。金本位制とは、自国通貨を固定レートで金と交換することを約束する制度である。金本位制下の国は、一定量の金準備を必要とする。したがって、例えば、財政支出の拡大が輸入増を通じて国際収支の悪化をもたらすと、金準備が不足してしまうので、財政支出を制限して輸入を減らさなければならない。こうして金解禁(金本位制復帰)は、財政規律を強制したのである。

当時、金本位制は、言わば文明の根幹をなす基本的な制度と信じられており、大戦後の欧米諸国も、順次、金本位制への復帰を果たしていた。こうした潮流の中で、日本も金本位制への復帰を目指していた。しかし、当時の日本は、27年の金融恐慌の爪痕がまだ残っており、為替レートも低位の状態であった。このため、金本位制への復帰は見送られてきたのである。

だが、井上蔵相は、金解禁の断行へと邁進した。彼の論理は、こうだった。政府が財政を緊縮し、国民も消費を節約すれば物価が下がり、輸入も減る。そうすれば、為替レートが上昇する。そういう準備を行った上で、金解禁を実施すれば、問題ない。これは、当時の主流派経済学の教科書通りの論理ではある。しかし、要は、金解禁の準備のために、デフレ政策を行うというのである。そんなことをすれば大不況になるのは当然であった。しかも、もっとまずいことに、金解禁実施の直前の29年10月、世界恐慌の端緒となったニューヨーク株式市場の大暴落が起きていたのである。それにもかかわらず、30年1月、金解禁は断行された。その結果、金が大量に流出し、世界恐慌の影響が日本を直撃し、昭和恐慌が勃発した。しかし、井上蔵相は、緊縮財政を強硬に押し通した。翌31年9月18日には満州事変が勃発し、さらに、その直後には、金本位制の守護者であったイギリスが金本位制から離脱した。それでもなお、井上は路線変更を拒み続けた。

結局、31年12月に民政党政権(第二次若槻礼次郎内閣)が倒れ、政友会の犬養毅内閣が誕生したことで、緊縮財政路線は終わった。そして、蔵相高橋是清の下で、金輸出再禁止が実行され、「高橋財政」と呼ばれるケインズ主義的な積極財政政策が行われた。この高橋財政が昭和恐慌からの脱出を実現したのは、周知の通りである。しかし、井上は、下野した民政党の筆頭総務としての立場から、高橋による金輸出再禁止を攻撃し続けたのであった。

後知恵で考えるならば、国内外ともに不況というタイミングで、緊縮財政を行った井上の政策は愚行と言うほかない。しかし、浜口内閣が金解禁を掲げた時、それに反対する声は、財界、学界そしてマスメディアにおいても、少数だった。当時、金本位制は、欧米諸国においても、文明の根幹をなす制度であると固く信じられていたからだ。当時の主流派経済学においても、金本位制は疑うべからざる仕組みであり、それに異を唱える経済学者は、日本のみならず海外でも、異端であった。こうした当時の知的・政治的環境の下において、大勢が金解禁に傾いたのも無理はなかった。しかし、注目すべきは、かかる状況においても金解禁に反対し、緊縮財政の危険性を理論的に理解していた者が少数とは言え、存在したという重要な事実である。
.

「緊縮財政」に松下幸之助の嘆き

最も有名なのは、言うまでもなく、高橋是清である。高橋がケインズ主義的な「高橋財政」を行ったのは、ケインズの主著『雇用・利子・貨幣の一般理論』が刊行される前のことだった。高橋は、ケインズの理論を知らずして、ケインズと同じ理解に達していたのである。例えば、高橋の次の言葉は、ケインズ経済学の有効需要の原理や乗数効果を先取りしたものとして、後世の研究者を驚かせたものである。

〈緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮にある人が待合へ行つて、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。(中略)即ち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであらうが、その金の効果は二千円を出ない。しかるに、この人が待合で使つたとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなつて働く。ゆゑに、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、その人にとつて、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなつて働くのであるから、むしろその方が望ましい訳である。茲が個人経済と、国の経済との異つて居るところである〉

高橋は、この洞察を経済理論からではなく、自身の豊富な実務経験から得たのであろう。だが、このような発想は高橋だけのものではなかった。政友会の大物政治家三土忠造も『経済非常時の正視』(1930年)の中で、緊縮財政が消費の減退とデフレを招くメカニズムを正確に示していた。

〈先づ政府が一番大きな消費者であり、次は地方公共団体である。この大なる消費者が急に財政を緊縮して事業の中止又は繰延を行ひ、物資の購入を激減し、事業に従事する多数の人々の収入を杜絶する結果として、生産者及商人に大影響を及ぼし、これ等の人々の購買力を減退せしめることは明かである。又政府の奨励に従つて多数国民が消費を節約することになれば、これが生産者及販売者の利益を減少せしめることも云ふを俟たない。即ち国家及び公共団体並びに多数国民が急に消費を減少するだけでも、経済上に相当大なる打撃を与へ、不景気を招来することは初めより明かであるが、それよりも更に不景気を深刻ならしめるものは、之に依つて起る所の物価先安見越である。(中略)苟も常識あるものは如何なる品物でも今買ふよりも後になつて買ふ方が利益であると云ふ打算をする。かくの如くにして物価先安見越が強くなつて来れば、一般に差当り止むを得ざるものゝ外は購入を見送る気味に一致する〉

実務家のセンスから、ケインズと同じ洞察に達したのは、高橋や三土のような政治家だけではない。かの松下幸之助も、当時、こう考えていたという。

〈緊縮政策もここまでくると、自分で自分の首をしめるがごとくことさらに不景気を造っている(中略)物を使った上にも使ってこそ、新たなる生産が起り、進歩となって不景気が解消され、国民には生気がみなぎり、国力が充実されて繁栄日本の姿が実現するのだ。それにはかかる政策はことごとくその反対の結果を招来するものである。私のような学理を知らない者にとっては不思議でならなかった〉

「学理を知らない」松下が訝しんだ緊縮政策を断行した井上は、エリート中のエリートであった。二高で高山樗牛と首席を争い、東大法学部に進み、卒業後は日本銀行に入り異例の昇進を遂げる。19年日銀総裁、23年には大蔵大臣、27年から28年にかけては再び日銀総裁を務めた。しかし、この経歴から明らかなように、井上もまた豊富な経験をもつ実務家であった。しかも奇妙なことに、彼は29年夏に民政党に入党する直前までは、金解禁は「肺病患者にマラソン競走をさせるようなものだ」と述べていたのである。それが、民政党政権で蔵相となるや、突然、金解禁論者の最右翼に豹変し、少なくとも公式には、死ぬまで自説を改めなかった。なぜ、井上はこのような頑迷な姿勢を貫いたのか。
.

「怨念」吸い上げるポピュリスト勢力

井上は、浜口内閣の蔵相に任命され、金解禁を政策課題として与えられた際、かつて誰も為し得なかった金解禁を実現して、歴史に名を刻みたいという野心にとり憑かれたのだ。そして、その政治的野心が、冷静な情勢判断を妨げたのである。金解禁後、その失敗が明らかとなったが、失敗を認めることは政治的敗北を認めることに等しい。批判の声が高まれば高まるほど、井上はますます己の立場に固執せざるを得なくなるというディレンマに追い込まれた(中村隆英『昭和恐慌と経済政策』)。

しかし、井上が自らの政治生命を守ることに執着したせいで、国民、特に中小企業と農民層が絶望的な困窮に追い込まれた。既存の支配層に絶望した彼らは、過激な右翼思想へと引き込まれていった。井上の緊縮財政がもたらした危機がファシズムを生み、日本を軍国主義へと駆り立てたのだ(長幸男『昭和恐慌:日本ファシズム前夜』)。
https://facta.co.jp/article/202002024.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/883.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
152. 中川隆[-14089] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:12:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-771]
「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/883.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c152
[近代史3] 昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由 中川隆
24. 中川隆[-14088] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:20:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-770]
評論家 中野剛志:悲劇は繰り返す!忍び寄る「令和恐慌」

景気後退にもかかわらず、消費増税を断行。自分で自分の首をしめるがごとく、ことさらに不景気を造っている。

2020年2月号 BUSINESS by 中野剛志(評論家)

「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行


野心にとり憑かれた井上準之助蔵相


国内外が不況であるにもかかわらず、緊縮財政を断行するという愚行の記録は、日本の近代史にもある。最悪の例は、昭和初期に、民政党の浜口雄幸内閣の下で、井上準之助蔵相が断行した「金(輸出)解禁」である。「金解禁」とは、第一次世界大戦を契機に離脱していた金本位制への復帰を指す。金本位制とは、自国通貨を固定レートで金と交換することを約束する制度である。金本位制下の国は、一定量の金準備を必要とする。したがって、例えば、財政支出の拡大が輸入増を通じて国際収支の悪化をもたらすと、金準備が不足してしまうので、財政支出を制限して輸入を減らさなければならない。こうして金解禁(金本位制復帰)は、財政規律を強制したのである。

当時、金本位制は、言わば文明の根幹をなす基本的な制度と信じられており、大戦後の欧米諸国も、順次、金本位制への復帰を果たしていた。こうした潮流の中で、日本も金本位制への復帰を目指していた。しかし、当時の日本は、27年の金融恐慌の爪痕がまだ残っており、為替レートも低位の状態であった。このため、金本位制への復帰は見送られてきたのである。

だが、井上蔵相は、金解禁の断行へと邁進した。彼の論理は、こうだった。政府が財政を緊縮し、国民も消費を節約すれば物価が下がり、輸入も減る。そうすれば、為替レートが上昇する。そういう準備を行った上で、金解禁を実施すれば、問題ない。これは、当時の主流派経済学の教科書通りの論理ではある。しかし、要は、金解禁の準備のために、デフレ政策を行うというのである。そんなことをすれば大不況になるのは当然であった。しかも、もっとまずいことに、金解禁実施の直前の29年10月、世界恐慌の端緒となったニューヨーク株式市場の大暴落が起きていたのである。それにもかかわらず、30年1月、金解禁は断行された。その結果、金が大量に流出し、世界恐慌の影響が日本を直撃し、昭和恐慌が勃発した。しかし、井上蔵相は、緊縮財政を強硬に押し通した。翌31年9月18日には満州事変が勃発し、さらに、その直後には、金本位制の守護者であったイギリスが金本位制から離脱した。それでもなお、井上は路線変更を拒み続けた。

結局、31年12月に民政党政権(第二次若槻礼次郎内閣)が倒れ、政友会の犬養毅内閣が誕生したことで、緊縮財政路線は終わった。そして、蔵相高橋是清の下で、金輸出再禁止が実行され、「高橋財政」と呼ばれるケインズ主義的な積極財政政策が行われた。この高橋財政が昭和恐慌からの脱出を実現したのは、周知の通りである。しかし、井上は、下野した民政党の筆頭総務としての立場から、高橋による金輸出再禁止を攻撃し続けたのであった。

後知恵で考えるならば、国内外ともに不況というタイミングで、緊縮財政を行った井上の政策は愚行と言うほかない。しかし、浜口内閣が金解禁を掲げた時、それに反対する声は、財界、学界そしてマスメディアにおいても、少数だった。当時、金本位制は、欧米諸国においても、文明の根幹をなす制度であると固く信じられていたからだ。当時の主流派経済学においても、金本位制は疑うべからざる仕組みであり、それに異を唱える経済学者は、日本のみならず海外でも、異端であった。こうした当時の知的・政治的環境の下において、大勢が金解禁に傾いたのも無理はなかった。しかし、注目すべきは、かかる状況においても金解禁に反対し、緊縮財政の危険性を理論的に理解していた者が少数とは言え、存在したという重要な事実である。
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「緊縮財政」に松下幸之助の嘆き

最も有名なのは、言うまでもなく、高橋是清である。高橋がケインズ主義的な「高橋財政」を行ったのは、ケインズの主著『雇用・利子・貨幣の一般理論』が刊行される前のことだった。高橋は、ケインズの理論を知らずして、ケインズと同じ理解に達していたのである。例えば、高橋の次の言葉は、ケインズ経済学の有効需要の原理や乗数効果を先取りしたものとして、後世の研究者を驚かせたものである。

〈緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。(中略)更に一層砕けて言ふならば、仮にある人が待合へ行つて、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。(中略)即ち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであらうが、その金の効果は二千円を出ない。しかるに、この人が待合で使つたとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなつて働く。ゆゑに、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、その人にとつて、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなつて働くのであるから、むしろその方が望ましい訳である。茲が個人経済と、国の経済との異つて居るところである〉

高橋は、この洞察を経済理論からではなく、自身の豊富な実務経験から得たのであろう。だが、このような発想は高橋だけのものではなかった。政友会の大物政治家三土忠造も『経済非常時の正視』(1930年)の中で、緊縮財政が消費の減退とデフレを招くメカニズムを正確に示していた。

〈先づ政府が一番大きな消費者であり、次は地方公共団体である。この大なる消費者が急に財政を緊縮して事業の中止又は繰延を行ひ、物資の購入を激減し、事業に従事する多数の人々の収入を杜絶する結果として、生産者及商人に大影響を及ぼし、これ等の人々の購買力を減退せしめることは明かである。又政府の奨励に従つて多数国民が消費を節約することになれば、これが生産者及販売者の利益を減少せしめることも云ふを俟たない。即ち国家及び公共団体並びに多数国民が急に消費を減少するだけでも、経済上に相当大なる打撃を与へ、不景気を招来することは初めより明かであるが、それよりも更に不景気を深刻ならしめるものは、之に依つて起る所の物価先安見越である。(中略)苟も常識あるものは如何なる品物でも今買ふよりも後になつて買ふ方が利益であると云ふ打算をする。かくの如くにして物価先安見越が強くなつて来れば、一般に差当り止むを得ざるものゝ外は購入を見送る気味に一致する〉

実務家のセンスから、ケインズと同じ洞察に達したのは、高橋や三土のような政治家だけではない。かの松下幸之助も、当時、こう考えていたという。

〈緊縮政策もここまでくると、自分で自分の首をしめるがごとくことさらに不景気を造っている(中略)物を使った上にも使ってこそ、新たなる生産が起り、進歩となって不景気が解消され、国民には生気がみなぎり、国力が充実されて繁栄日本の姿が実現するのだ。それにはかかる政策はことごとくその反対の結果を招来するものである。私のような学理を知らない者にとっては不思議でならなかった〉

「学理を知らない」松下が訝しんだ緊縮政策を断行した井上は、エリート中のエリートであった。二高で高山樗牛と首席を争い、東大法学部に進み、卒業後は日本銀行に入り異例の昇進を遂げる。19年日銀総裁、23年には大蔵大臣、27年から28年にかけては再び日銀総裁を務めた。しかし、この経歴から明らかなように、井上もまた豊富な経験をもつ実務家であった。しかも奇妙なことに、彼は29年夏に民政党に入党する直前までは、金解禁は「肺病患者にマラソン競走をさせるようなものだ」と述べていたのである。それが、民政党政権で蔵相となるや、突然、金解禁論者の最右翼に豹変し、少なくとも公式には、死ぬまで自説を改めなかった。なぜ、井上はこのような頑迷な姿勢を貫いたのか。
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「怨念」吸い上げるポピュリスト勢力

井上は、浜口内閣の蔵相に任命され、金解禁を政策課題として与えられた際、かつて誰も為し得なかった金解禁を実現して、歴史に名を刻みたいという野心にとり憑かれたのだ。そして、その政治的野心が、冷静な情勢判断を妨げたのである。金解禁後、その失敗が明らかとなったが、失敗を認めることは政治的敗北を認めることに等しい。批判の声が高まれば高まるほど、井上はますます己の立場に固執せざるを得なくなるというディレンマに追い込まれた(中村隆英『昭和恐慌と経済政策』)。

しかし、井上が自らの政治生命を守ることに執着したせいで、国民、特に中小企業と農民層が絶望的な困窮に追い込まれた。既存の支配層に絶望した彼らは、過激な右翼思想へと引き込まれていった。井上の緊縮財政がもたらした危機がファシズムを生み、日本を軍国主義へと駆り立てたのだ(長幸男『昭和恐慌:日本ファシズム前夜』)。
https://facta.co.jp/article/202002024.html
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html#c24

[近代史3] 「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行 中川隆
1. 中川隆[-14087] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:28:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-769]

井上準之助は JPモルガンのエージェントだった


櫻井ジャーナル2019.05.02

日本で天皇の代替わり儀式が行われる中、米政府はベネズエラでクーデターに失敗

 日本のマスコミは天皇が退位する、即位すると騒いでいる。彼らにとって天皇とは「至高の存在」なのだろう。日本は第2次世界大戦で降伏する前と同じように天皇制官僚国家であり、その元首は天皇だということである。


 しかし、徳川時代の天皇は忘れ去られた存在だった。当時の天皇は生活に困窮し、短歌を売っていたという話を聞いたこともある。徳川の拠点である江戸に住む人びとが「公方様」として意識していたのは徳川家だ。


 その忘れられた天皇を発掘し、徳川に代わる体制の象徴にしようとした人びとがいた。その人びとによって現在の天皇制、明治王朝が誕生した。その後ろ盾がイギリスの支配層だ。


 徳川から明治へ移行する時期、つまり明治維新の頃、イギリスはビクトリア女王が君臨していた。心霊術にのめり込んでいた人物として知られている。


 女王は夫のアルバート(ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ公の次男で、夫妻はいとこの関係)からアドバイスを受けていたとされているが、それ以上に影響力を持っていたと思われるのがネイサン・ロスチャイルド、セシル・ローズ、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)など。


 言うまでもなくロスチャイルドは強大な金融資本の支配者でローズのスポンサー。ステッドはジャーナリストで、ブレッドはビクトリア女王の相談相手だ。後にブレッドはエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めることになる。


 当時のイギリスはいわゆる産業革命で生産力が上がったものの、商品が思うように売れない。国内では貧富の差が拡大、民の貧困化が深刻になる。そこで始めたのが麻薬取引と侵略戦争。中国(清)の富を奪うためにアヘン戦争を始めたのが1840年。その年にビクトリア女王とアルバートが結婚している。イギリスが「世界経済の覇者」と呼ばれるようになるのはそれ以降だ。大英帝国とは侵略と略奪で成り立っていた。


 中国より前にイギリスが植民地化していたインドでは1857年に傭兵(セポイ)が武装蜂起、一般のインド人を巻き込んで大反乱になった。鎮圧されたのは1859年。その年にアヘンと武器の取り引きで大儲けしていたジャーディン・マセソンは日本へふたりのエージェントを送り込む。ひとりは歴史小説で有名なトーマス・グラバーで、赴任地は長崎。もうひとりはジャーディン・マセソンの創設者一族に属すウィリアム・ケズウィックで、赴任地は横浜。


 明治政府は1872年の琉球併合から台湾派兵、江華島事件、日清戦争、日露戦争というように東アジア侵略を開始、その背後にはイギリスが存在していた。日本人はイギリスの支配者に操られていたと言える。


 そのイギリスは1899年からボーア戦争(南アフリカ戦争)を開始、金やダイヤモンドを産出する南アフリカを制圧する。その直前に南アフリカではダイヤモンドが発見され、その利権に目をつけたイギリスの支配者たちが引き起こした戦争だった。後に首相となるウィンストン・チャーチルもこの戦争で頭角を現している。この戦争で世界の金をイギリスが支配するようになり、金本位制を採用する国々の通貨も支配できるようになった。


 ちなみにチャーチルは貴族階級の家に生まれたが、父親のランドルフ・チャーチルは甘やかされて育ったプレーボーイで、46歳のときに梅毒が原因で死亡している。


 生前、ランドルフはネイサン・ロスチャイルドから多額の借金をしていたことでも知られ、その額は現在の価値に換算すると数百万ポンド、つまり数億円。いくらでも借りられたという。ランドルフがロスチャイルドを裏切らない限り、借金は返済する必要がなかったようだ。


 ネイサン・ロスチャイルドと親しい関係にあったジョージ・ピーボディーは銀行を経営していたが、そのパートナーがジュニアス・モルガン。その息子がジョン・ピアポント・モルガンだ。ネイサンはこの若者をアメリカにおけるビジネスの責任者にしている。そして巨大銀行のJPモルガンが生まれる。関東大震災以降の日本に大きな影響力を及ぼすことになるのはこのJPモルガン。


 この銀行が中心になり、アメリカでは1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト政権を倒し、ファシズム体制を樹立させようというクーデターが計画されている。


 そのJPモルガンが駐日大使として日本へ送り込んできたのがジョセフ・グルー。本ブログでは繰り返し書いてきたが、グルーと親しかった日本人には秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介、松岡洋右などが含まれる。中でも親しかったのは松岡。戦争が始まり、離日する直前にグルーがゴルフした相手は岸だ


 要するにイギリスとアメリカの金融資本はつながっているのだが、その金融資本を中心とする支配層がベネズエラの石油を狙っている。


 4月30日にもクーデターが試みられたが失敗、フアン・グアイドと反政府派の象徴になっているレオポルド・ロペス(2014年のクーデター未遂で自宅軟禁中だったが、クーデター派によって解放されていた)はスペイン大使館へ逃げ込み、クーデターに参加した兵士25名はブラジル大使館へ逃げ込んだ。


 クーデタの失敗を受け、アメリカのマイク・ポンペオ国務長官はメディアに対し、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は航空機でキューバへ逃げようとしていたが、ロシアの説得で留まったと主張している。実際はごく狭い地域で混乱があっただけで、基本的に国内は安定、逃亡するような状況ではなかった。ポンペオは失笑を買っただけ。


 アメリカ支配層が発する嘘の質が急速に劣悪化している。アメリカを中心とする支配システムの崩壊は早いかもしれない。アメリカの支配システムが崩れれば、日本の天皇制官僚制も維持できなくなる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905010001/


▲△▽▼


櫻井ジャーナル 2019.04.24

米支配層が維持しようとした天皇制官僚体制の恥部がひとつ明らかに

 インドネシアのバンカ島で日本軍の兵士は1942年2月、22名のオーストラリア人看護師を銃殺したという。海の中を行進させ、機関銃で射撃、ひとりを除いて殺害したのだが、その前に看護師は兵士から性的暴行を受けていたことを示す証拠の存在が明らかにされた。(​英語​、​日本語​)証拠を隠滅し、なかったことにするという手法は今でも使われている。NGT48のケースもその一例だが、隠しきれないこともある。


 日本のアジア侵略は1872年の琉球併合から始まるが、アメリカとの戦争は1941年12月7日の真珠湾攻撃から。1942年6月のミッドウェー海戦で日本の艦隊が敗北するまで日本側は勝ち戦だと考えていたようだ。そうした中、バンカ島での虐殺は引き起こされたことになる。


 外国へ攻め込んだ軍隊の兵士が女性に性的に暴行するという話はしばしば聞く。日本軍に限った話ではない。日本軍の特徴はブレーキがきかなくなることにあると言えるだろう。性的暴行への対策として日本軍が作り上げたのが慰安婦の仕組みだ。戦争経験者は次のような文章を残している。


 「日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと『慰安所』の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。」(高見順著『敗戦日記』)


 「あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の家族、自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやっているんですよ。中国戦線では兵士に女性を強姦することも許し、南京では虐殺もした。そのにがい経験に懲りて、日本軍は太平洋戦争が始まると、そうしたことはやるな、と逆に戒めた。」(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)


 「そこで、出てきたのが『慰安婦』というものです。その主体は朝鮮から来た女性たちでした。日本の女性も来ましたが、これは将校専用です。』(前掲書)


 「女性たちにここへ来た事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった。」(前掲書)


 「何人もの女性たちを船に乗せてインドネシアまで連れてくるためには、軍の了解が絶対に必要です。・・・やはり、慰安婦は軍部が一つの作戦としてやったことで、まったく軍の責任だった。」(前掲書)


 敗戦後、日本の将兵が戦場で行ったことを批判的に語るおとなもいたが、多くの「元兵士」にとって身に覚えのある話であり、口にすることはできなかっただろう。勿論、事実を否定することもできない。1945年に20歳代だった人は1975年でも50歳代だ。日本社会には戦場の記憶が鮮明に残っていた。荒唐無稽な話はできない。


 戦争経験者が少なくなるに連れ、妄想を平然と口にする人が増えてくる。メディアもそうした妄想の拡散に協力した。


 それでも慰安婦の存在を否定できないため、商売として行っているのだから問題がないと言う人もいるが、その考え方は日本人の堕落、退廃を示している。


 第2次世界大戦の前、JPモルガンの強い影響下にあった日本では新自由主義的な経済政策が採用され、庶民の生活水準は悪化し、東北地方では娘の身売りが増えた。欠食児童、争議なども社会問題になっている。こうした貧富の差を拡大させる政策を推進したのが浜口雄幸内閣だ。


 そうした政策に反発する人も少なくなかった。その結果、浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には大蔵大臣だった井上準之助が本郷追分の駒本小学校で射殺され、その翌月には三井財閥の大番頭だった団琢磨も殺された。井上は当時、日本でも最もJPモルガンに近いとされていた人物。団もウォール街と緊密な関係にあった。


 その年の5月には五・一五事件が引き起こされ、1936年2月には二・二六事件だ。血盟団にしろ、二・二六事件の将校にしろ、娘を身売りしなければならないような状況を作った支配層への怒りが行動の背景にはある。


 井上が殺された1932年に駐日アメリカ大使として日本へやってきたジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて緊密な関係にある。このことは本ブログで繰り返し書いてきた。グルーのいとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかもグルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーである。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあったわけだが、1933年から45年4月にかけての期間はウォール街と敵対関係にあったニューディール派がホワイトハウスで主導権を握った。ニューディール派の中心的な存在がフランクリン・ルーズベルト大統領だ。


 ルーズベルトが急死するとウォール街がホワイトハウスを奪還、ドイツのナチは救出され、日本の天皇制官僚システムは存続することになる。戦争責任も曖昧なまま幕引きになった。


 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる


 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)


 ウォール街は日本を支配するシステムとして大戦前から天皇制官僚システムを使っていた。それを戦後も存続させるため、戦争責任の追及と民主化の推進という儀式を早く終わらせる必要があった。


 そこで1946年1月に戦争犯罪を裁くとして極東国際軍事裁判(東京裁判)を設立、48年11月に判決が言い渡されている。その年の12月23日に東条英機、広田弘毅、松井石根、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、武藤章が処刑されているが、これは「民主化」を演出するセレモニーにすぎない。本来なら処罰されて当然であるにもかかわらず被告席にいない人がいた。


 そして新たな憲法が制定される。その憲法は第1条から第8条で天皇制の存続を定めている。「象徴」という修飾語をつけてはいるが、天皇制の存続を謳っている。「戦争の放棄」を定めたその後、第9条だ。


 戦後日本の進む方向を決めたジャパンロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。内務官僚、思想検察、特別高等警察といった戦前日本の治安体制の中枢は戦後も要職に就いている。「国体」は護持されたのだ。


 バンカ島での出来事をオーストラリア政府が封印したのは日本の「国体護持」を望むウォール街の意向に沿った行動だと言えるだろう。その国体に関わる儀式が近く行われる。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904230000/

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関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その1)

 1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震が関東地方を襲った。死者/行方不明者は10万5000人以上、その損害総額は55億円から100億円だという。当然のことながら金融機関もダメージを受けた。


 そこで政府は被災地関係の手形で震災以前に銀行割引したものを1億円限度の政府補償を条件として日本銀行が再割引したのだが、銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したため、手形の総額は4億3000万円を上回る額になり、1926年末でも2億円を上回る額の震災手形が残った。しかもこの当時、銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。


 そうした中、復興資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断し、森賢吾財務官が責任者に選ばれた。交渉相手に選ばれた金融機関がアメリカのJPモルガン。このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後の9月2日に大蔵大臣となった井上準之助。1920年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。


 当時、JPモルガンを指揮していたトーマス・ラモントは3億円の外債発行を引き受け、1924年に調印する。その後、JPモルガンは電力を中心に日本へ多額の融資を行い、震災から1931年までの間に融資額は累計10億円を超えている。


 日本に対して大きな影響力を持ったラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求め、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。1899年から1902年にかけての南アフリカ戦争で世界の金を支配することにイギリスは成功、金本位制を最小した国々の通貨を支配できる立場になった。JPモルガンはイギリスの巨大金融資本の影響下にあった金融機関だ。


 金解禁(金本位制への復帰)の結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、強者総取り、弱者は駆逐されるべき対象だとする考え方をする人物だった。当然、失業対策には消極的で、労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。


 その1932年にアメリカでは大統領選挙があり、巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトがウォール街を後ろ盾とする現職のハーバート・フーバーを選挙で破って当選する。


 そのルーズベルトは大統領に就任する17日前、つまり1933年2月15日にフロリダ州マイアミで開かれた集会で銃撃事件に巻き込まれた。ジュゼッペ・ザンガラの撃った弾丸はルーズベルトの隣にいたシカゴ市長に命中、市長は死亡した。群衆の中、しかも不安定な足場から撃ったので手元が狂い、次期大統領を外したと考える人も少なくない。


 次期大統領を狙っていた可能性があるわけで、背後関係などをきちんと捜査する必要があったのだが、何も事情を聞き出せない、あるいは聞き出さないまま、ザンガラは3月20日に処刑されてしまった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809010000/

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関東大震災でウォール街の影響下に入った日本(その2)

 本ブログでは何度も書いてきたが、ルーズベルトが大統領に就任するとJPモルガンをはじめとするウォール街の勢力がクーデターを計画する。スメドリー・バトラー海兵隊少将によると、1934年の夏に「コミュニズムの脅威」を訴える人物が訪ねてきた。


 その訪問者はJPモルガンと関係が深く、いわばウォール街からの使者。ドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしてルーズベルト政権を倒そうとしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領をプロパガンダで攻撃し、50万名規模の組織を編成して恫喝、大統領をすげ替えることにしていたという。


 バトラーの知り合いだったジャーナリスト、ポール・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。


 バトラーとフレンチは1934年にアメリカ下院の「非米活動特別委員会」で証言し、モルガン財閥につながる人物がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していることを明らかにした。ウォール街の手先は民主党の内部にもいて、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。活動資金の出所はデュポンや「右翼実業家」だったという。


 バトラー少将は計画の内容を聞き出した上でクーデターへの参加を拒否、50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗すると告げる。ルーズベルト政権を倒そうとすれば内戦を覚悟しろ、というわけである。


 クーデター派の内部にはバトラーへ声をかけることに反対する人もいたようだが、この軍人は名誉勲章を2度授与された伝説的な人物で、軍隊内で信望が厚く、クーデターを成功させるためには引き込む必要があった。


 1935年にはニューディール派以上のウォール街を批判していたヒューイ・ロング上院議員が暗殺されている。彼は当初、ルーズベルト政権を支持していたが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になることをウォール街が恐れたことは想像に難くない。ロングが大統領になれなくても、ニューディール派の政策を庶民の側へ引っ張ることは明らかだった。


 一方、日本ではウォール街とつながっていた人物が殺されている。ひとりは1930年に銃撃されて翌年に死亡した浜口雄幸、32年には血盟団が井上準之助と団琢磨を暗殺、また五・一五事件も実行された。団はアメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者で、アメリカの支配層と太いパイプがあった。


 1932年にアメリカ大使として来日したジョセフ・グルーのいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥の妻で、自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。日本の皇室はウォール街と深く結びついていたとも言える。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 ルーズベルト政権と対立関係にあったJPモルガンは関東大震災から戦後に至るまで日本に大きな影響力を維持していた。大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809020000/

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2018.09.13
米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その1)

 ロシアのウラジオストックで2015年から毎年開催されているEEF(東方経済フォーラム)はウラジミル・プーチンの外交戦略において重要な意味を持っている。アメリカは東アジアの軍事的な緊張を高めようとしているが、それに対抗してロシアは緊張を緩和、地域の経済発展につなげようとしているのだ。プーチンの戦略に中国や韓国は賛成、連携している。この3カ国に朝鮮も加わった。

 今年のEEFは9月11日から13日に開かれているが、そこで朝鮮は自国の鉄道と韓国に鉄道を結びつけることに前向きな姿勢を見せた。ロシアには以前からシベリア横断鉄道を延長して朝鮮半島を南下させようという計画がある。その計画とリンクしていることは間違いないだろう。


 この鉄道計画はロシアから天然ガスや石油を輸送するパイプラインの建設計画、そして中国の一帯一路とも関係している。大英帝国の時代からアングロ・サクソンの基本戦略はユーラシア大陸の周辺部分から内陸部を締め上げていくというもの。物資の輸送が海運中心だった時代は効果的な戦略だったが、そうした戦略を高速鉄道やパイプラインは揺るがせている。


 現在、東アジアでアメリカの戦略に従っている数少ない国のひとつが日本。その日本に対し、プーチンは前提条件なしで平和条約を結ぼうと日本側へ提案したという。ソ連/ロシアと中国の制圧を長期戦略の中心に据えているアメリカは日本がソ連/ロシアや中国と友好関係を結ぶことを許さない。プーチンも当然、そうしたことを熟知している。アメリカの政策で疲弊している日本へのちょっとしたメッセージだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809120000/


米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その2)


 アメリカは東アジアでも軍事的な緊張を高めようとしてきた。2009年に総理大臣となった鳩山由紀夫は東シナ海を「友愛の海」にしようと提案したが、これはアメリカ支配層を激怒させたことだろう。その後、日本ではマスコミが鳩山を攻撃、鳩山は2010年に首相の座から引きずり下ろされた。


 そして登場した菅直人内閣は中国との関係を破壊する。2010年に「日中漁業協定」を無視して石垣海上保安部は中国の漁船を尖閣諸島の付近で取り締まったのだ。それ以降、日本は中国に敵対する国になった。


 こうした政策は日本の企業に打撃を与える。中国は日本企業にとって重要なマーケットだったからだ。アメリカの中東政策は石油価格を暴騰させる可能性があるのだが、これも日本にとっては大問題。ロシアという中東より低コストで安定的なエネルギー資源の供給源が日本の近くに存在するが、ロシアとの関係を深めることをアメリカ支配層は許さないだろう。


 こうしたアメリカの政策は一貫したもの。1955年6月に鳩山一郎内閣はソ連と国交正常化の交渉を始めた。その一方、重光葵外務大臣(副総理)は同年8月に訪米してジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談、「相互防衛条約」の試案を提示した。


 その試案の中で「日本国内に配備されたアメリカ合衆国の軍隊は、この条約の効力発生とともに、撤退を開始」、「アメリカ合衆国の陸軍及び海軍の一切の地上部隊は、日本国の防衛6箇年計画の完遂年度の終了後おそくとも90日以内に、日本国よりの撤退を完了するものとする」としている。


 日本とソ連は「歯舞、色丹返還」で領土問題を解決させる方向で動き始めたのだが、ダレス米国務長官は激怒、2島返還でソ連と合意したらアメリカは沖縄を自国領にすると恫喝したという。沖縄は歴史的に独立国であり、その意味でもアメリカの姿勢は傲慢だ。


 こうした恫喝はあったが、鳩山首相は1956年10月、河野一郎農相をともなってモスクワを訪問、鳩山首相とニコライ・ブルガーニン首相(ソ連閣僚会議議長)は日ソ共同宣言に署名して12月に発効した。それにタイミングを合わせるように鳩山は引退する。


 鳩山一郎の辞任を受けて行われた自民党総裁選でアメリカは岸信介を後押しするが、中国やソ連との交流を促進しようとしていた石橋湛山が勝つ。その石橋は2カ月後に病気で倒れ、首相臨時代理を務めることになったのが岸。翌年の2月に岸は首相に選ばれた。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130000/


米巨大資本に従属する日本人エリートが破壊する日本(その3)

 明治維新から後の日本を支配している人びとはアングロ・サクソン、つまりイギリスやアメリカの支配層と密接な関係にある。19世紀後半からアングロ・サクソンは日本を中国侵略の拠点と見なしてきたのだ。


 その頃、イギリスは中国(清)との貿易赤字に苦しんでいた。そこでイギリスは麻薬のアヘンを清に売りつけ、それを清が取り締まると戦争を仕掛けた。1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年にかけてのアロー戦争(第2次アヘン戦争)である。この戦争でイギリスは勝利、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、香港の割譲、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いなどを中国に認めさせた。


 しかし、これらの戦争は基本的に海で行われ、イギリス軍は内陸部を占領できなかった。それだけの戦力がなかったのだ。海上封鎖はできても中国を占領することは不可能。そこで日本に目をつけ、日本はイギリスの思惑通りに大陸を侵略していく。勿論、イギリスやその後継者であるアメリカの支配層(巨大資本)の利益に反することを日本が行えば「制裁」されることになる。


 イギリスは他国を侵略するため、傭兵を使ったり第3国に攻撃させたりする。例えば、インドを支配するためにセポイ(シパーヒー)と呼ばれる傭兵を使い、アラビア半島ではカルトのひとつであるワッハーブ派を支配が支配するサウジアラビアなる国を樹立させ、パレスチナにイスラエルを建国させている。


 このイギリスを日本へ行き入れたのが長州と薩摩。イギリスを後ろ盾とする両国は徳川体制の打倒に成功、明治体制(カルト的天皇制官僚国家)へ移行していく。


 このイギリスの主体は金融界、いわゆるシティ。1923年の関東大震災で日本政府は復興資金の調達をアメリカのJPモルガンに頼るが、この銀行の歴史をたどるとシティ、より具体的に言うとロスチャイルドへ行き着く。アメリカの金融界はウォール街とも呼ばれるが、そのウォール街でJPモルガンは中心的な立場にあった。


 このウォール街を震撼させる出来事が1932年に起こる。この年に行われた大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。ニューディール派は巨大企業の活動を規制し、労働者の権利を認め、ファシズムに反対するという看板を掲げていた。巨大企業の金儲けを優先させ、労働者から権利を奪い、ファシズムを支援するウォール街とは考え方が正反対だった。圧倒的な資金力を持つウォール街の候補、現職のハーバート・フーバーが敗北したのは、言うまでもなく、それだけ庶民のウォール街への反発が強かったからだ。


 1933年から34年にかけてウォール街はニューディール政権を倒すためにクーデターを計画、この計画はスメドリー・バトラー海兵隊少将によって阻止された。こうしたことは本ブログで繰り返し書いてきたとおり。庶民の反発はニューディール派より巨大資本に批判的だったヒューイ・ロング上院議員への人気につながるのだが、このロングは1935年に暗殺された。


 ロングは当初、ルーズベルト政権を支持していたのだが、ニューディール政策は貧困対策として不十分だと考え、1933年6月に袂を分かつ。ロングは純資産税を考えていたという。ロングが大統領になったなら、ウォール街を含む支配層は大きなダメージを受けることになり、内戦を覚悟でクーデターを実行することになっただろう。


 そうしたウォール街の強い影響を受けていたのが関東大震災以降の日本。JPモルガンと最も親しかった日本人は井上準之助だった。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と強く結びついていた。このふたりは1932年、血盟団によって暗殺された。


 この年、駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと関係が深い。つまり、彼のいとこ、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻で、グルー自身の妻であるアリス・グルーは大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后と少女時代からの友だち。大戦前からグルーは日本の皇室に太いパイプを持っていた。


 グルーの人脈には松平恒雄宮内大臣、徳川家達公爵、秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、樺山愛輔伯爵、吉田茂、牧野伸顕伯爵、幣原喜重郎男爵らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


 1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしたという。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 第2次世界大戦後、グルーはジャパン・ロビーの中心人物として活動して日本をコントロールすることになる。グルーと親しかった岸信介。その孫にあたる安倍晋三が戦前レジームへの回帰を目指すのは、日本をウォール街の属国にしたいからだろう。


 それに対し、ロシアと中国は関係を強めている。ドナルド・トランプ政権は軍事的にロシアを脅しているが、それに対し、プーチン政権は9月11日から15日にかけてウラル山脈の東で30万人が参加する大規模な演習ボストーク18を実施。​その演習に中国軍は3200名を参加させている​。経済面で手を差し伸べる一方、軍事的な準備も怠らない。


 明治維新から日本の支配層はシティやウォール街、つまりアングロ・サクソンの支配層に従属することで自らの権力と富を得てきた。そうした従属関係が日本経済を窮地に追い込んでいる。この矛盾に日本の支配システムがいつまで耐えられるだろうか?(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809130001/

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2018.09.21 自民党総裁選という茶番

 自民党の次期総裁を決める同党国会議員による投票が9月20日に行われ、安倍晋三首相が石破茂を破って3選が決まったという。茶番としか言い様がない。安倍に限らないが、日本の総理大臣は基本的にアメリカ支配層の傀儡にすぎず、彼らの意向に反する人物が選ばれれば強制的に排除される。安倍も石破もそうした類いの人間ではない。


 アメリカ支配層の戦略は国内におけるファシズム化と国外における侵略。本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカの巨大金融資本は遅くとも1933年の段階でアメリカにファシズム政権を樹立させようとしていた。そこで、1932年の大統領選挙で勝利したフランクリン・ルーズベルトを排除するためにクーデターを計画、これはスメドリー・バトラー海兵隊少将の告発で明るみに出ている。


 ウォール街からナチス政権下のドイツへ資金が流れていたことも知られているが、そうしたパイプ役のひとりがジョージ・ヒューバート・ウォーカー。ロナルド・レーガン政権での副大統領を経て1989年に大統領となるジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたる。


 アメリカの好戦派がソ連に対する先制核攻撃を作成した1950年代、彼らは地下政府を編成する準備をしている。「アイゼンハワー10」と呼ばれる人びとによって権限を地下政府へ与えることになっていたのだ。


 その延長線上にFEMA、そしてCOGがある。COGは緊急事態の際に政府を存続させることを目的とした計画で、ロナルド・レーガン大統領が1982年に出したNSDD55で承認され、88年に出された大統領令12656によってその対象は「国家安全保障上の緊急事態」へ変更された。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)


 1991年12月にソ連が消滅するとネオコンはアメリカが唯一の超大国にあったと認識、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。中でも中国が警戒され、東アジア重視が打ち出された。


 このDPG草案が作成された当時の国防長官はリチャード・チェイニーだが、作成の中心になったのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。この長官と次官はネオコンのコンビで、2001年に始まるジョージ・W・ブッシュ政権ではそれぞれ副大統領と国防副長官を務めた。


 唯一の超大国になったアメリカは国連を尊重する必要はないとネオコンは考え、単独行動主義を打ち出す。アメリカの属国である日本に対しても国連無視を強制、1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が作成されてから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。日本人を侵略戦争の手先として利用しようというわけだ。勿論、その延長線上に安倍内閣は存在する。


 安倍は「戦後レジーム」を嫌悪、「戦前レジーム」へ回帰しようとしているらしいが、この両レジームは基本的に同じ。戦後レジームとは民主主義を装った戦前レジーム。関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするウォール街の影響下にあり、その構図は戦後も続いている。JPモルガンが敵対関係にあったニューディール派のルーズベルト政権は1933年から45年4月まで続くが、この期間は日本の支配者にとって厳しい時代だった。


 1932年に駐日大使として日本へ来たジョセフ・グルーはJPモルガンと極めて関係が深い。いとこであるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガン総帥の妻なのだ。


 グルーは皇室とも深いパイプを持っていた。結婚相手のアリス・ペリー・グルーの曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリー。ジェーン自身は少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通い、そこで後の貞明皇后と親しくなったという。


 グルーの人脈には松平恒雄、徳川家達、秩父宮雍仁、近衛文麿、樺山愛輔、吉田茂、牧野伸顕、幣原喜重郎らが含まれていたが、グルーが個人的に最も親しかったひとりは松岡洋右だと言われている。


 松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父。1941年12月7日(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃、日本とアメリカは戦争に突入するが、翌年の6月までグルーは日本に滞在、離日の直前には商工大臣だった岸信介からゴルフを誘われてプレーしている。(Tim Weiner, "Legacy of Ashes," Doubledy, 2007)


 安倍晋三が目指す戦前レジームとはアメリカの巨大金融資本が日本を支配する体制にほかならない。彼がアメリカ支配層に従属しているのは当然なのだ。戦前レジームへの回帰とアメリカ支配層への従属は何も矛盾していない。これを矛盾だと考える人がいるとするならば、その人は歴史を見誤っているのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809210000/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/883.html#c1

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
260. 中川隆[-14086] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:31:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-768]
2020年02月02日
勝つ投資家は暴落で買う マイナス金利、円高、株安、原油安


ソロスといえども神のように予言が当たった訳ではなく、半分は外れている。
つまり我々と予測の精度は変わらない。

引用:http://b2.img.mobypicture.com/befe2285c152c9fbb8f5f1047783f4eb_large.jpg

暴落は投資で勝つチャンス

現在は中国発新型ウイルスの脅威で市場の変動が大きくなり、儲けやすいが損もしやすい状況になっています。

2019年後半から米中貿易対立の影響で世界経済が減速し、悲観的な予想が増えていました。

2009年の世界経済危機を主要国は金融緩和つまりお金バラマキで乗り切ったが、限界が指摘されている。


各国の金融緩和の原資になったのは日本もそうだが中央銀行の借金であり、アメリカが100兆円ばら撒いた分はFRBの借金になった。

政府債務や企業の借金も増え、全世界の企業債務は8000兆円を超えた。(国際金融協会(IIF))

世界の債務合計金額は1京8000兆円(2016年、国際決済銀行(BIS))を超え、現在は2京円に達している筈です。

世界の経済成長はこうした借金に支えられているので、持続可能かどうか疑問視する声も出ている。

特に中国の債務は巨大で、政府債務だけで4000兆円、GDP比で300%を超えていると言われている。

世界的な経済危機が発生してもおかしくない状況であり、中国発世界経済危機が懸念されている。

ところが本当に「勝つ投資家」は大きな下げや暴落局面でしか、新たな投資を始めません。

大投資家は暴落で買う

一般的な投資家は上昇局面で買い、下がると耐えられなくなって売ります。

ジョージソロスは下げ相場で顧客の預かり金が20%以上減った時、「たった20%しか減っていないのに解約するなんてバカな連中だ」と言ったそうです。

彼にとっては暴落時こそ、安く株等を買うチャンスだったのです。


バフェットもほとんど同じ事を言っていて「肉が安ければ買うでしょう?私は安いから株を買うのです」とリーマンショックの時に言いました。

ここで一般的な投資家、例えば貴方や私の投資を検証して見ると、おそらく株価などが上昇しているときに買って儲けている。


日経平均は2008年から2012年までの民主党時代、7000円から9000円の間をうろうろしていました。

安倍首相が就任して金融緩和を始めると、あれよあれよと上昇して行き、2015年6月に2万952円の最高値をつけました。

多くの人は2013年に株高を確信して買い、2014年から2019年に掛けて儲けたと思います。

これは別に良いのですが、こうした人の多くは最後に高値で買ってしまって、損切りして終える。


一般的な投資家は、上昇局面からピークを超え、相場が下降してからも買い注文を入れています。

リーマンショックを例に取ると、危機前は1ドル124円でしたが110円や100円台の時に買った人が多く居ました。

その後ドル円は70円台まで下落して、株や為替を買った人は、全員が大損したが破産したと思います。

勝つ投資家は我々の真逆をやっている

優れた投資家は必ず分散投資をし、レバレッジは絶対に掛けません。

レバレッジを掛けると僅かな値動きで資産が底をついてしまうので、自分の戦略を制限されるからです。

自分が注目している相場が暴落して市場がパニックになっている最中に、やっと買い始めます。


それも相場が半額に下落しても痛くないような小額を、相場が下がるごとに、積み立て投資していきます。

相場の世界では指数が半分になるのは良くある事で、日経平均は5分の1、原油は4分の1に下落しました。

こうした指数がゼロになる事はないのですが、仮にゼロになっても深刻な打撃を受けない程度の金額を分散して積み立てます。


すると大抵数ヵ月後には反転し始めて、1年か2年後には大きな利益をもたらしている、というのが大人の投資です。

比較して見ると我々レベルとは、何もかも逆の事をしているのが分かります。

我々はなるべく高いレバレッジを掛けるが、大投資家はレバレッジなど掛けない。


我々は一度に可能な限りの金額を掛けて、後は相場が上昇するのを待つだけだが、大抵は下がり続ける。

我々は先の事など考えないが、大投資家は相場が半分になっても4分の1になっても、大きな打撃を受けないようにしている。(そうなる前に損切りするので、負けても損失は軽微)

我々は相場が上昇しているときに買い、あるいは少し下がった時に買い、暴落したときに損切りして破産する。


大投資家は暴落するほど買い進めて、上昇期では何もしない。

こうして優れた投資家は勝つべくして勝ち、劣った投資家は負けるべくして負けます。

欧米の投資機関が顧客を「勝っている人」と「負けている人」に分けて投資テクニックを分析したが、全く差は無かったという話があります。

勝ち組と負け組みは、ただ行動パターンが違っているだけでした。
http://www.thutmosev.com/archives/55367037.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c260

[番外地7] 日本人の起源 中川隆
9. 中川隆[-14085] koaQ7Jey 2020年2月02日 18:52:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-767]
>DとEは同根です。

それは現世人類がアフリカから出た少し後の段階の事です:
80万年前に現れた草創期のネアンデルタール人が共通の祖先となり、 60万年前頃にネアンデルタール人が先に出アフリカし、50万年前頃に原ホモサピエンスが現れたのだろうと考えられます。

  最新のY-DNAツリーは、


Y-DNA「Adam」からY-DNA「A0000」(デニソワ人)が分化し、

Y-DNA「A000」(ネアンデルタール人)が分化し、

Y-DNA「A00」(コイサン集団)が分化し、更に「A0」、「A」と分化が進み、

Y-DNA「A1b」からY-DNA「BT」が分化し、

Y-DNA「BT」がY-DNA「B」とY-DNA「CT」に分化しましたが、

  この「A」と「B」は原ホモサピエンスの始祖亜型と考えられます。


Y-DNA「CT」が出アフリカし、Y-DNA「DE」とY-DNA「CF」に分化しました。

  これは中近東あたりで先住ネアンデルタール人との交雑の結果と考えられます。


  この「C」、「D」、「E」 は古代性を強く残した狩猟採集民として、近年まで残ってきました。


日本列島への最初の到来者は、古代遺伝子集団:Y-DNA「D」と「C」

  Y-DNA「D1b」(旧「D2」)を主力とするY-DNA「C1a1」(旧C1a」との混成部隊である。

  写真は記事「30-11. 縄文遺伝子Y-DNA「D2」」、および「30-12. 縄文ハンター遺伝子Y-DNA「C1a」,「C3a」」でご紹介したものです。

  Y-DNA「D」が100%の純系子孫のOnge族です。白黒写真なのでわかりませんが Onge族やJarawa族は世界で最も黒い(ネイティヴアフリカンより黒い)と言われているそうです。Y-DNA「D」が日本列島に 渡って来たのは、オーストラリアのアボリジニは5−6万年前頃には既に到達していたらしいので、日本列島にも恐らく遅くても 3−4年前頃には渡来していたと考えるのが妥当でしょう。その当時のY-DNA「D」集団は黒かったのか既に黄色くなっていたのかは 全く情報がありません。しかし確かなのは鯨面文身であったことでしょう。Y-DNA「D」が85%を占める子孫のアイヌが鯨面文身だったのは、 子孫として数万年にわたり正しく文化を残してきたことになります。 Jarawa族やOnge族は現代でもネグリートなので、当然縄文人も小柄なネグリートつまり、 「倭」人であったことは間違いないでしょう。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/415.html#c9

[番外地7] アイヌは劣等民族ではない 中川隆
1. 中川隆[-14084] koaQ7Jey 2020年2月02日 19:21:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-766]
アイヌが新石器時代だと思っているというのが何かな−
アイヌは擦文時代には鉄製農具を使って大規模農耕をやっていたよ
しかし、和人に迫害されて鉄製農具の輸出を止められたから狩猟民に戻ったんだ
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/448.html#c1
[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
34. 中川隆[-14083] koaQ7Jey 2020年2月02日 20:04:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-765]
自殺、殺人、孤独死……「引っ越し先が事故物件だった」は意外に多い! 大島てるが教える“怪しい物件の見抜き方”
大島 てる 2020/02/02
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/自殺、殺人、孤独死……「引っ越し先が事故物件だった」は意外に多い%ef%bc%81-大島てるが教える“怪しい物件の見抜き方”/ar-BBZz3Lq?ocid=ientp


事故物件とは知らずに引っ越してしまうことも……

 そもそもの前提として、不動産業者には宅建業法で「告知義務」が課されています。そのため、前の入居者がそこで自殺していたり、あるいはその部屋が殺人事件の現場になっていたとしたら、業者は契約が成立する前に、その旨を伝えなくてはいけません。ただ、それにもかかわらず、知らず知らずのうちに事故物件に引っ越してしまった、というケースも少なくないのです。たとえば、下記のような場合です。

(1)告知義務を無視し、事実を隠して部屋を貸し出す悪徳業者に当たってしまった場合

(2)自殺や殺人などが一定期間以上、過去の出来事である場合

(3)自殺や殺人などが、隣や真上・真下の部屋で起きていた場合


 この中で、(1)は違法ですが、残念ながらそうした業者はまだ一定数存在しています。(2)に関しては、たとえば自殺があったのが5年前であれば、告知義務がないと考える業者が多く、そうした判断が業界の慣習になっています。

 また、(3)では、そもそも告知義務は当該物件のみに適用され、隣や真上・真下の部屋でいくら凄惨な事件が起きていたとしても、業者が入居者にその事実を伝える必要はないとされています。

 こうした場合、そこが事故物件であるか否かを知るために、最も確実な方法は「 大島てる 」のサイトを確認すること――というのが、まず私に言えることです。ただ、それ以外にも、「怪しい」と判断できるポイントはいくつかあります。
全面リフォームされた部屋はなぜ“怪しい”のか?

 第一に、一部だけ不自然なリフォームがされている物件。アパートであれ、マンションであれ、あるいは雑居ビルであれ、「101は古い、102も古い、でも103だけ新しい」といったような、建物の中で1部屋だけがなぜか全面リフォームされている物件は、過去に何らかの事件があった可能性があります。

 たとえば、鉄筋コンクリート造のマンションで火事があった場合には、しばしばこうしたリフォームがなされます。木造アパートで火事が起きると、たとえ燃えたのが1部屋だけでも“建て替え”となりがちなのですが、鉄筋コンクリート造のマンションなら、火事があった部屋だけを新しくすれば、そのまま使えることが多いからです。

 また、孤独死が起きた部屋も、こうしたリフォームの対象になります。自殺や殺人と比べると、“事故物件感”は弱く思えるかもしれませんが、孤独死の現場は酷いです。なにより臭いがきつく、天井や壁紙、床にまで染み込んでしまうのです。発見された段階でかなり腐敗が進んでいることも多く、そうなると結局全てを張り替え、全面リフォームすることになってしまうのです。
玄関のドアは要チェック!

 ちなみにリフォームの際には、原状復帰にとどまらず、むしろグレードをあげた部屋に変えてしまう、という例もよく見られます。内装を豪華にしたり、あるいは防音の部屋にしたりして、家賃のベースを上げるのです。

 こうした場合の見抜き方としては、ネットで同じ建物内の別の部屋の写真をチェックしたり、外から見て玄関のドアが他と違うところがないかを確認するのが有効です。リフォームする際に、以前と同じドアが製造終了になっていたり、同じようなデザインでより性能が良い、あるいは安いドアを購入するオーナーが多いため、「玄関のドア」は注目すべきポイントなのです。

「クローゼットだけ新しい」も危ない?

「一部だけ不自然なリフォームがされている」という点で言うと、もう一つ、同じ部屋の中で「トイレは古い、風呂場も古い、でもクローゼットだけ新しい」といった物件も怪しいです。こちらは、自殺や殺人がその部屋で起きている可能性があります。

 火事や孤独死とは違って、自殺や殺人が起きた部屋を全面リフォームすることは、実はそんなにありません。よほどの事件であれば別ですが、基本的には特殊清掃を行えば、部屋は引き続き使えるからです。ただ、畳に大量の血液が染み込んでしまったり、クローゼットの中で首を吊って体液が漏れ出てしまったりしていたら、そこだけ新しくする必要があります。

 内見の際に、畳数枚だけ妙に新しかったり、風呂場やクローゼットなど、特定の場所だけなぜかピカピカだったりしたら、そこは事故物件かもしれません。

 ここまでが“部屋の内側のリフォーム”の話だとすれば、“部屋の外側のリフォーム”でも、「怪しい」と気付けるポイントがいくつかあります。こちらは、何らかの事件が起きてメディアに報道されてしまった物件が、事故物件であることを気づかれないよう、カムフラージュのために行うことが多い手法です。次は、そのパターンについてお話ししましょう。


( 後編に続く )
(大島 てる)
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/自殺、殺人、孤独死……「引っ越し先が事故物件だった」は意外に多い%ef%bc%81-大島てるが教える“怪しい物件の見抜き方”/ar-BBZz3Lq?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c34

[番外地7] 武漢肺炎の今後
武漢肺炎の今後 2020年02月02日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1017.html


 中国共産党が、自分たちに都合の悪い情報を徹底的に隠蔽、封鎖して真実を明らかにしない=「メンツを守ろうとする」ことは、今や世界の常識であって、中国政府の発表を鵜呑みにする、めでたい人々も、ほぼ存在しないと思われるのだが、原発事故を隠蔽封鎖してきた日本国内のメディアは、中国共産党と連帯して、矮小化されたインチキ情報を拡散して「メディアの任務」を果たしたつもりになっている。

 武漢肺炎について、2月2日現在の中国当局による公表は、
 感染者は前日比2590人増の1万4380人、死者は45人増の304人に上ったと発表した。重症者は2110人。このほか約2万人の感染が疑われている。
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020020200144&g=int

 ところが、香港大学の研究者は、以下のように感染者数を推計している。
 新型肺炎、武漢で最大7万5800人感染か 香港大推計 2020年2月1日
 https://www.asahi.com/articles/ASN214SQYN21ULBJ001.html

 米英研究者は、2月4日までに、34万人が感染すると指摘した。
 新型肺炎「武漢だけで、2月4日までに最大35万人超が感染」英米研究チーム1/27(月)
 https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20200127-00160519/

 真実の感染者数の推計は、なかには、すでに数百万人が感染し、数十万人が死亡しているとの情報もあったが、ネットは、これらの情報を次々に削除している。
YouTubeによれば、中国から遠く離れた、チベットやウイグルでも、バタバタ人が倒れている映像が公開された。これが真実なら、すでに、感染者・死者は、数百万人よりも桁違いに多いことになる。
 https://www.youtube.com/watch?v=NR7M1nNt84U&bpctr=1580638581

 隠蔽を続ける中共 新型肺炎の蔓延に拍車 高官内部にも拡散? 1月31日
 https://www.youtube.com/watch?v=s8KtuVU2ybU
 
 以下、安倍政権をヨイショして、フクイチ事故について嘘を書き連ねてきた日経新聞が、武漢肺炎について総合的に、パンデミックを小さく見せる記事を書いている。
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 新型コロナウイルスについて知っておきたい20のこと(随時更新)日経ビジネス 編集部日経BP 2020年1月29日
 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/012900076/

 ・新型コロナウイルスはどうやって感染する?
 日経→ 空気感染しない。

 米専門家→ 通常の感染に対する防護能力のある医療従事者の感染が多いことは、非常に感染力が強い(空気感染の可能性)ことを意味する。
 https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20200124-00160018/

 医師が手術中に意識喪失 1月25日
 https://www.youtube.com/watch?v=bGuDOglgsDY
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・新型コロナウイルスの感染を防ぐにはどうすればいい?
日経→ 接触感染を抑止するため、手を消毒し、マスクをする。

 マスクに感染予防効果はないが、自分の咳飛沫を拡散させにくくする効果はある
 https://blogs.itmedia.co.jp/yasusasaki/2020/01/post_131.html
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・新型コロナウイルスに感染したらどう治療する?

 日経→ 現代医学における治療薬は存在せず、対症療法を行うしかない。
 これは、本日までに公開されている情報に共通している。ワクチンが完成するには、なお数ヶ月必要とし、夏頃までに配布されるのではと報道されている。
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020012900401&g=int
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・新型コロナウイルスの潜伏期間は?

 日経→2週間程度?
 
 通常のインフルエンザの潜伏期間は48時間程度だが、コロナウイルスでは、14日と非常に長く、おまけに、潜伏期間内でも無症状のまま、他人に感染させる能力がある。
 https://toyokeizai.net/articles/-/327764
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・新型コロナウイルス感染症の症状は?

日経→ SARSと同じく発熱やせき、呼吸困難などの症状が出るが、鼻水、くしゃみ、咽頭炎など上気道の症状、下痢などの消化器症状はSARSと比べると報告が少ない。
 一般の風邪であれば発症から3日間程度で症状が軽減していくことが多いが、新型コロナウイルスは発症から7日間程度からむしろ症状が悪化する傾向があると報告

 これまでの、コロナウイルス感染(風邪)と大きく異なるのは、突然、症状が重篤化することで、そのまま死んでしまう例も多く報告されている。
 https://www.youtube.com/watch?v=RfVr_vQ3-cQ
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・新型コロナウイルスに感染したかどうかをどうやって調べる?

日経→ 風邪やインフルエンザ、他の病原体による肺炎と比較して、検査所見・画像初見において特異な点はないため、医師による診断で感染を判別するのは難しい。感染の診断を確定させるためには、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法と呼ばれる検査手法でウイルスを同定する必要がある
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・感染症法ってどんな法律?「指定感染症」って何?

 感染症法(正式名称:感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)は、感染症の予防や患者に対する医療措置について定め、強制入院や就業制限などの根拠となる法律である。

 成田に帰国した日本人が検査を拒否したことで、自民党や維新の改憲グループが、「だから非常事態法が必要」と、問題をすり替えて、改憲と人権制限法の制定を求めた。
 社説 [新型肺炎と改憲] 節操なさすぎるのでは 2020年2月2日
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/529759
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・そもそも「コロナウイルス」って何?

日経→ ウイルス粒子(ビリオン)の外殻膜に当たる「エンベロープ」に、太陽のコロナのような形状が見られることからこの名が付いた。RNAウイルスに分類される。ほかのウイルスと同様に、コロナウイルスには細菌に対しては有効な抗生物質も効力を及ぼさない。

 通常の風邪の原因もコロナウイルスの一種である。
 https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000588330.pdf

 エンベロープが脂質なので、アルコールや界面活性剤、次亜塩素酸ソーダなどで不活化できる。(つまりブリーチ・ハイターの千倍薄め液で消毒可能)
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・症状があり、感染したかもしれないと思ったらどうすればいい?

 厚生労働省は感染が疑われるせきや発熱などの症状が出た場合、事前に医療機関に連絡を入れた上で、マスクを着用して受診することが望ましく、その際には鼻と口の両方をマスクで確実に覆うことを推奨している
 新型コロナウイルス専用の電話相談窓口(03-3595-2285)
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・重症化しやすいのはどんな人?

 日経→ 死亡例の多くは60歳以上、もしくは高血圧や内臓疾患など別の重篤な症状を患っていたとの報告もあり、新型コロナウイルス感染症自体は、十分な体力と適切な対症療法さえあれば、重篤化するもののただちに生命に危機を及ぼすものではないという見方もできると考える専門家もいる

 現実には、若者や、完全防護の医療従事者にまで拡大し、死者も出ている。
 https://www.youtube.com/watch?v=fDtdkbc-0w4
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・新型コロナウイルス感染症の致死率は高い?

  2月2日現在の情報として、一般的なインフルエンザの致死率が、0.1%程度であるのに対し、これまで武漢肺炎の致死率は3%程度といわれてきたが、武漢衛生当局は、5.5%であると公表した。
 https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000175044.html

 当然、この中国政府発表も信じる者はいないと思われるが、香港・台湾では、以下のニュースがかけめぐった。

 《【速報】中国と香港の最新発表、コロナウイルスの致死率は15% 感染率83%に更新した。このデータでは 人類史上最凶のウイルスです。 多分一週間後にWHOと厚生労働省が中国政府を追いかける更新します》

 この報道が、デマであると、日経など日本メディアが、しきりに拡散しているが、動画情報を見る限り、街中でバタバタ倒れて死んでゆく現実を見せられると、決してデマではなく、本当に致死率は15%以上あるのではと、印象が強まっている。

 https://www.youtube.com/watch?v=_6K6IqIP8kc

 https://www.youtube.com/watch?v=lkz2Y3HedGo

 https://www.youtube.com/watch?v=suro7jlC138

 SARSのとき、倒れた患者が、まだ息があるうちに治療もされず、そのまま焼き殺された
 https://www.youtube.com/watch?v=p67BatCrKGg&list=PLLDPbV51JJn90fNHsiPfNhjrn4oVKmk1E
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・ウイルスの流行は終わる?SARSって全滅した?

日経→ 感染が流行しない状態に追い込むことを「封じ込め(containment)」と呼ぶ。2002年11月前後から流行したSARSは2003年7月にはWHOによって封じ込めの成功が宣言された。ワクチンの開発によってではなく、医療機関や政府機関が連携しながら感染者の治療と隔離、感染予防の徹底を図った「社会的封じ込め」の結果だった。

 SARSが本当に封じ込められたのか、まだ確認されていない。人工的に生物兵器として作られたウイルスは、突然変異性が高く、毒性を失うのも早いとの指摘もあるが、まだ世界的に承認されていない。
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・感染源はコウモリ?ヘビ?なぜヒトに感染?

 日経→ コウモリに感染できるウイルスの一部に、たまたまヒトの細胞にあるレセプターを利用できるような突然変異が起こったとする。ヒトがこのウイルスに接することがなければこのウイルスはコウモリの細胞に感染できずに死滅するだけだが、そこにヒトがいたら感染し、増殖してしまうかもしれない。

 真実は、武漢市内にある「武漢病毒研究所」など2施設が、生物兵器の研究を行っていて、この施設からSARSなど致死的ウイルスが漏れ出したと、すでに2017年に指摘があった。
 
 武漢病毒研究所がコロナウイルスの感染源?米紙「生物兵器を漏らした」可能性を指摘 1月26日
 https://niconews55.com/koronavirus

 中国当局も、日本のメディアも、この生物兵器説を打ち消すのに躍起になっているが、ウイルスの研究者から、武漢肺炎もSARSも、明らかに人工的な性質を持っているとの指摘がある。
 https://blog.goo.ne.jp/kuranishimasako/e/35a711370ea4db828b9bc391dc9cbcb6

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・野生動物からの感染が疑われているが、ジビエは口にして大丈夫?(1/31追加)

日経→「一般的にウイルスは熱に弱く、十分に加熱調理をした上で食べる分には問題ない」と話す。「十分な加熱」の目安は「肉の中心部を75度で1分間以上」。同課は「ジビエ肉や新型コロナウイルスの流行時に限らず、家畜の肉も含めて普段から加熱調理を徹底してほしい」と呼び掛けている

 瑞浪の柳家さんは困るな……。
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・WHOが「緊急事態宣言」を出すと何が起きる? (1/31加筆)

 日経→ 中国武漢で発生した新型コロナウイルスに対して、WHOは20年1月23日に委員会を開いたが宣言を見送っている。1月29日にWHOのテドロス事務局長と会談した中国の習近平主席は宣言に否定的な考えを示した。宣言のポイントは、感染が国際的に広がりを見せているかや、「感染力」、「病原性(感染した場合の重篤度)」などだ。WHOの会議では意見が割れたものの「時期尚早」として宣言を見送った。

  宣言が出されると、加盟国は感染者が発生した場合に24時間以内に通告する義務を課せられ、空港・港での検疫強化や渡航制限といった水際対策の強化も求められる。

 WHOは事実上、中国に買収されていて、中国政府への忖度行動しかとらない。
 ほぼ無意味である。
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・新型コロナウイルスの最新感染状況を知るには?

日経→  米ジョンズ・ホプキンス大学の「Wuhan Coronavirus (2019-nCoV) Global Cases」でも感染地図を掲載している。
 https://reliefweb.int/report/world/wuhan-coronavirus-2019-ncov-global-cases-johns-hopkins-csse
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 最後に、武漢肺炎激増後、春節に合わせて70万人の中国人が日本に入国し、その後もとどまっている者も多い。
 健全な保菌者も感染能力があるため、今後、日本国内でのパンデミックは避けられないだろう。
 致死率も、今日、5.5%と中国政府が公表したが、こんなのは嘘に決まっている。実際は10%をはるかに超えるはずだ。
 感染後、7日以降に、突然重症化して、意識喪失が起きると報告されている。それまで感染に無自覚である場合が多い。
 非常に危険な状態だ。

 これも、馬鹿の安倍晋三が権力を握っているためで、まともな知能のある首相なら、中国からの流入を即座に止めただろう。
 願わくば、感染は安倍晋三支持者だけにとどまってほしい。

 対策は、もはや、「人のいる場所に近づかない」ことしかない。パンデミックは秋まで続くと見積もられている。秋になればワクチンが普及するだろう。
 相当に長期間、田舎の人口の少ない地域に退避した方がいい。子供は学校に行く義務があるので、感染阻止は困難だが、田舎ならば対策がやりやすい。
 最低限の購買などの接触は、ウイルス防護の原則を厳格に実行すべきだろう。

 所要多く、更新が遅れる傾向にあります。

 最近、頻繁に無言の不審電話がかかってくる。発信者は非通知になっている。かけているのは、私に嫌がらせを続けている安倍自民党信者で静岡の郵便局員と予想しているが、136サービスを知らないようだ。
 現在のところ、提訴しても100万円程度の賠償金しかとれないので、70万円かかる費用対効果が薄いので我慢しているが、これが200万円になれば動くつもりだ。

 なお、十数年前に、滋賀県から自称障害者の男から毎日数百回の嫌がらせ電話があったが、警察に告発して、30万円の罰金刑となった。今ではストーカ法で懲役刑だろう。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1017.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html

[番外地7] 天皇一族はソウル出身の朝鮮人だった 中川隆
2. 中川隆[-14082] koaQ7Jey 2020年2月02日 20:59:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-763]

天皇一族は半島での勢力争いに負けて日本に移住してきたので、chousenn に未練が有った。
それで神功皇后の時にchousenn に侵略したのですね。 朝鮮で見つかっている日本式古墳はその頃の5世紀のものです。

それから天皇が chousen出自だというのは昭和天皇も認めていた事です。
大嘗祭とか儀式に使う文物がすべて昔の chousen のものだからなのですね。

記紀に書かれている伝承では、スサノオは新羅出身、ニニギはソウル出身です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/456.html#c2

[番外地7] 天皇一族はソウル出身の朝鮮人だった 中川隆
3. 中川隆[-14081] koaQ7Jey 2020年2月02日 21:03:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-762]

>半島南部にあった古墳は日本のものよりも新しいものでは?広開土王碑文でも和人が半島を統治してたと記載されてると教科書レベルでも書いてありますが、これについてはどうなりますか?

天皇一族は半島での勢力争いに負けて日本に移住してきたので、chousenn に未練が有った。
それで神功皇后の時にchousenn に侵略したのですね。 加羅で見つかっている日本式古墳はその頃の5世紀のものです。

それから天皇が chousen出自だというのは昭和天皇も認めていた事です。
大嘗祭とか儀式に使う文物がすべて昔の chousen のものだからなのですね。

記紀に書かれている伝承では、スサノオは新羅出身、ニニギはソウル出身です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/456.html#c3

[近代史3] ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』


ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』



Smetana: Vltava (The Moldau) Furtwängler & VPO (1951)




Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra


Rec. 24-25 January 1951, at Großer Musikvereinssaal, in Vienna


1951年
●1月24日 スメタナ/モルダウ VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音 Matrix:2VH7257-3/58-3/62-3


SP/PR: DB9787-9('50?)
CD: ToshibaTOCE8440(94/08)


▼スタジオ盤でしか聴けないケルビーニ、スメタナとニコライは貴重。
驚愕、マンフレッドを含めオリジナルテープが現存すると思われる音質。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu15.htm


▲△▽▼


Smetana: Vltava (The Moldau), Toscanini & NBCso (1950)




Arturo Toscanini (1867-1957), Conductor
NBC Symphony Orchestra


Rec. 19 March 1950, in NBC Studio


____________


Toscanini/NBC Broadcast Concert Dec 13th, 1941, restored (Barber, Smetana, Dvořák)




Toscanini / NBC play the following:


0:57 Samuel Barber: "Adagio for Strings"
8:41 Smetana: "Vltava" ("The Moldau") from "Má vlast"
Dvořák: Symphony No. 9 in E minor "New World Symphony"
20:07 Adagio, Allegro molto
27:58 Largo
37:54 Scherzo: Molto vivace – Poco sostenuto,
44:53 Allegro con fuoco


55:26 The US National Anthem


▲△▽▼


Bruno Walter Vltava, JB 1:112/2 "Die Moldau": Ma vlast (My Fatherland) : No. 2. Vltava (Moldau)




New York Philharmonic Orchestra
Dvorak, A.: Symphony No. 8 / Slavonic Dance No. 1, Op. 46 / Smetana, B.: Moldau / Overture To The Bartered Bride (Walter) (1938, 1941, 1947)


Conductor: Bruno Walter
Orchestra: New York Philharmonic Orchestra


ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル
Cantus Classics。1941年2月録音。SP復刻2枚組。


______


Bruno Walter Ma vlast (My Fatherland) : No. 2. Vltava (Moldau)


Los Angeles Standard Symphony Orchestra
Bruno Walter Conducts Music by Three Slavic Masters (1942, 1949)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/884.html

[近代史3] ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』 中川隆
1. 中川隆[-14080] koaQ7Jey 2020年2月02日 22:41:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-761]



ラファエル・クーベリック指揮 スメタナ 連作交響詩「わが祖国」

Rafael Kubelík & Česká filharmonie - Opening Concert of 1990 Prague Spring Festival




The opening concert of 1990 Prague Spring International Music Festival on 12th May 1990 at Smetana Hall in Prague.

Bedřich Smetana (1824-1884):
Fanfares from the Opera "Libuše"

National Anthem of Czechoslovakia (combination of Kde domov můj (Czech) and Nad Tatrou sa blýska (Slovak))

Bedřich Smetana:
Má vlast (My Country)
1. Vyšehrad
2. Vltava (Die Moldau)
3. Šárka
4. Z českých luhů a hájů
5. Tábor
6. Blaník

Česká filharmonie (Czech Philharmonic)
Rafael Kubelík


 この曲はなんと言ってもクーベリックでなくては!
 「モルダウ」のメロディなどちょっと速いのでは、という気がするかもしれない。しかし、これは甘ったるくメロディを聴かせる曲ではないのだ。そのことは「プラハの春」のLDを見ればわかる。

チェコ・フィル
スプラフォン。1990年5月12日、スメタナ・ホールにおける、チェコ民主化の翌年の「プラハの春」音楽祭オープニングコンサートのライヴ。

クーベリックも楽団員も全員「市民フォーラム」のバッジを付けている。
冒頭、スメタナ作のオペラ「リブシェ」よりファンファーレが奏され、ハヴェル大統領夫妻がバルコニー席に登場する。続いてチェコスロヴァキア国歌。ここまでで会場の熱気は最高潮に達する。それを冷ますかのように、しばらく間をおいてから、ハープでヴィシェフラドのテーマが奏される..。2曲目のモルダウへの移行はアタッカに近い。最後の2曲は、まさに民族独立運動叙事詩というにふさわしい。
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


Smetana: "Ma Vlast" / Kubelík Czech Philharmonic Orchestra (1990 Movie Live Outdoors)


Rafael Kubelík
Czech Philharmonic Orchestra
1990:6.9 Live

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Smetana: Má Vlast / Kubelík Czech Philharmonic Orchestra (1991 Movie Japan Live)


Rafael Kubelík
Czech Philharmonic Orchestra
1991.11.2 Tokyo.Japan Live

Altus(写真左)。1991年11月2日、サントリーホールでのライヴ録音。NHKによる録音である。
HMVのサイトでは、前年の「プラハの春」の演奏よりも良い、との評判である。
私の感想は、両者優劣つけがたいが、場の熱気というものは「プラハの春」ライヴに譲るのではないか、と思う。当盤は、NHK録音を用いているならば、もっと音が良くてもよいのではという気もする。演奏が素晴らしいのは言うまでもない。

2008年、ついにNHK CLASSICALからDVDが発売された(写真右)。NHKのカメラワークが自然なため、どアップ連続の「プラハの春」盤よりも客観的に演奏が聴ける。
終演後何度も舞台にアンコールで呼び出されるクーベリックを最後まで映し続けているのは、この演奏がクーベリック最後の演奏会だったからということもある。
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


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スメタナ 連作交響詩「わが祖国」
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau

 この曲集は、長年ドイツ人に支配されてきたチェク人の思いがこめられた曲である。
次の6曲からなっている。

1.「ヴィシェフラド(高い城)」
2.「ヴルタヴァ(モルダウ)」
3.「シャールカ」
4.「ボヘミアの森と草原から」
5.「ターボル」
6.「ブラニーク」

 第1曲と第2曲、第5曲と第6曲はそれぞれ1セットと考えられている。
しかし、第3曲と第4曲の組だけは、あまりセットらしくない。よって、コンサートで全曲演奏するときは、3曲目と4曲目で休憩することが多い。クーベリックの「プラハの春」コンサートもそうだった。

 特に、第5曲と第6曲は、フス派のコラールがテーマとなっており、チェク人のドイツ人に対する独立闘争の歴史の重みを感じさせる素晴らしい曲である。
(フスは、ルターに先立つこと100年前のベーメンの宗教改革者。コンスタンツ公会議で火刑となったが、フス派の一揆は、神聖ローマ帝国に対するチェク人の独立運動のはじまりでもあった。)

 1989年末のチェコ民主化の運動において、ノイマン指揮チェコ・フィルは社会主義政府に対してはストライキをする一方、市民フォーラムの応援のためにこの2曲を何度も演奏したらしい。
(しかし、運動の締めくくりには「第9」を演奏したのであった。その第9はCD化されている。)

 第2曲「モルダウ」のメロディは特に有名であるが、むしろ主題的には第1曲「ヴィシェフラド」冒頭のハープで奏されるテーマが重要である。このテーマは第6曲の最後で、全曲の締めくくりに、金管が奏するフス派のコラールと対位法的に弦パートによって演奏されるのだ。

 なお、モルダウとは、プラハ市内を流れるヴルタヴァ川のドイツ語名である。民族主義的なこの曲の名としてはチェコ語の「ヴルタヴァ」のほうを何としても用いるべきであろう。(ちなみにヴルタヴァはその下流(北方)のドイツにおいてエルベ川に合流するのであるが...)
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


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わが祖国 (スメタナ)

『我が祖国』(チェコ語: Má Vlast)は、ベドルジフ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩からなる連作交響詩。

第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ,バルタバ)』が特に著名である。

各楽曲の初演は1875年から1880年にかけて、別々に行われており、全6作通しての初演は1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島(チェコ語版)にある会場において、アドルフ・チェフの指揮の下で行われた。

スメタナは1856年から1861年まで、故国ボヘミアを離れてスウェーデンのヨーテボリでピアニストおよび指揮者として活動していたが、この時期にリストの影響を受けて『リチャード三世』作品11(1857年 - 1858年)、『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858年 - 1859年)、『ハーコン・ヤール』作品16(1861年 - 1862年)の3曲の交響詩を作曲している。これらはスメタナの作品の中ではあまり知られていないが、それぞれシェイクスピアの戯曲、三十年戦争を扱ったシラーの戯曲、中世のノルウェー王ハーコン・シグルザルソンを題材としたもので、いずれも特に国民主義的な作品ではない。

チェコ国民音楽として記念碑的な作品を交響詩の連作の形で創作しようとスメタナが考えたのは、オペラ『リブシェ』を作曲していた1869年から1872年の間のことであると言われる。当初は「ジープ」(Říp )、「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「リパニー」(Lipaný )、「ビーラー・ホラ」(Bílá hora )の 5つの地名を各曲の題名として構想していたが、最終的には『ヴィシェフラド』、『ヴルタヴァ』、『シャールカ』、『ボヘミアの森と草原から』、『ターボル』、『ブラニーク』の 6曲が作曲された。

作曲は『リブシェ』の完成後すぐに着手され、第1曲『ヴィシェフラド』が1874年に完成した。これと前後してスメタナは聴覚を失っているが、作曲活動は続けられ、最後の第6曲『ブラニーク』は1879年に完成した。

当時の聴衆にとって「交響詩」がなじみの薄いジャンルであったことに配慮して、スメタナは自ら解説を書いて楽曲の意図が理解されるよう努めた。さらに楽譜にも、標題のページだけでなく楽曲の各箇所に注釈が記されている。

楽器編成

ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル(第5曲を除く)、大太鼓(第2曲のみ)、シンバル、ハープ(第1曲:2、第2曲:1)、弦楽合奏(チェロが2部に分かれており、全体で6部になっている)



曲の構成

第1曲:ヴィシェフラド 原題:Vyšehrad

1872年から1874年の間に構想され、1874年9月末から11月18日にかけて作曲された。6曲のうちで唯一、スメタナが失聴する前にかなりの部分が出来上がっていた。初演は1875年3月14日。変ホ長調。この曲はプラハにあるヴィシェフラド城を題材としている。ヴィシェフラドは「高い城」を意味し、そのように題名が訳されることもある。この城は、ボヘミア王国の国王が居城としていたこともある城であったが、戦乱によって破壊され廃墟となった。

1874年夏の間にスメタナの聴力は徐々に衰えるようになり、それから間もなく完全に失聴してしまう。スメタナは、仮劇場の支配人であるアントニーン・チーセック(チェコ語版)へ宛てた辞表の中で、段階的だが急速な失聴について述べている。全ての音から隔絶された状況が続く(完全失聴)なか治療が行われたが、結局成功することはなかった[1]。

曲は、吟遊詩人(Lumír)のハープで始まり、この詩人が古の王国の栄枯盛衰を歌う、というのが内容である。冒頭のハープの音色のあと、城の工廠の響きに転換する。この部分で現れる主題は『わが祖国』全曲を通じて繰り返し用いられる。4つの音で構成される主題(B♭-E♭-D-B♭)がヴィシェフラド城を示しており、第2曲『ヴルタヴァ』の終わりと第6曲『ブラニーク』の終わりにも提示される。この主題の最初の部分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭[注釈 2])が音として刻まれている。

冒頭のアルペッジョでは、2台のハープが必要とされる。属七の和音のあと、管楽器が主題を引き継ぎ、弦楽器がそれに続いて、やがてオーケストラの全楽器によるクライマックスに達する。次のパートでは、スメタナは速いテンポを用いて城の歴史を呼び覚まし、これは行進曲に発展する。表面上は明るいクライマックスは、城の衰退を描写する下降パッセージで中断され、音楽は静かになる。そして、冒頭の主題が再び提示され、現在では廃墟となってしまった城の美しさを再び奏でる。音楽は静かに終わり、城の下を流れるヴルタヴァ川の描写に続く。


第2曲:ヴルタヴァ (モルダウ) 原題:Vltava

1874年11月20日から12月8日の間に作曲され、初演は1875年4月4日にアドルフ・チェフの指揮で行われた。ホ短調。

『モルダウ』(ドイツ語: Die Moldau、英語: The Moldau)の名でも知られる。『バルタバ』とも表記する。

この楽曲でスメタナは、ボヘミアの大きな川の一つの音を呼び起こすためにトーン・ペインティングを用いた[2]。スメタナは、以下のように述べている。

この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。ヴルタヴァ川は、Teplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる2つの源流から流れだし、それらが合流し一つの流れとなる。そして森林や牧草地を経て、農夫たちの結婚式の傍を流れる。夜となり、月光の下、水の妖精たちが舞う。岩に潰され廃墟となった気高き城と宮殿の傍を流れ、ヴルタヴァ川は聖ヤン(ヨハネ)の急流 (cs) で渦を巻く。そこを抜けると、川幅が広がりながらヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名:エルベ川)へと消えていく。

この曲は 6曲中にとどまらず、スメタナの全楽曲の中でも最も有名なもので、単独で演奏されたり録音されることも多い。

最初の主題は歌曲や合唱曲に編曲されて歌われたり、ジャズやロックへとアレンジして演奏されることもある。

最初の主題には、15世紀から16世紀にかけてイタリアで活動したテノール歌手ジュゼッペ・チェンチ作の『ラ・マントヴァーナ』に由来するメロディが改変されて用いられている[3]。

同曲はモルドバ(モルダヴィア)などにも伝わり、民謡の一節に流用され、イスラエルの国歌『ハティクヴァ』のメロディの基礎ともなっている。スメタナの祖国ボヘミアにおいても、民謡"Kočka leze dírou"に用いられている。

スメタナはこの『ラ・マントヴァーナ』に由来する祖国の民謡のメロディを、第1主題として採り入れたものと思われる。

楽曲の最終部分には、第1曲『ヴィシェフラド』の主題も組み込まれている。
その他、ヨーゼフ・ランナーの『旅の行進曲』(作品130)のメロディが一部引用されている[4]。


第3曲:シャールカ 原題:Šárka

1875年2月20日に完成した。初演はアドルフ・チェフの指揮で行われたが、日付については2説あり、1876年12月10日[5]もしくは1877年3月17日[6]とされる。
シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、その由来は男たちと女たちが死闘を繰り広げたというチェコの伝説『乙女戦争』に登場する勇女の名である。

ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツチラトとその配下たちが通りかかる。ツチラトによって縄をほどかれたシャールカは、助けてもらったお礼にと酒をふるまう[7]。すっかり彼らの気が緩んだ頃、シャールカは角笛を吹いて味方の女戦士たちを呼ぶ。ツチラトは捕虜となり、彼の配下は皆殺しにされる[7]。

これが物語の大筋であるが、スメタナが作曲した音楽にはこの物語の様子をファゴットで男たちのいびきを表現したり、金管楽器がシャールカの吹く角笛の音を表すなどの工夫がされており、大変迫力のある劇的なものになっている。



第4曲:ボヘミアの森と草原から 原題:Z českých luhů a hájů

1875年10月18日に完成し、初演はそれから約8週間後の同年12月10日に行われた。この曲は、チェコ(ボヘミア)の田舎の美しさを描写しており、鬱蒼とした深い森を思わせる暗い響きで始められる。何かの物語を描写しているわけではないが、曲が進むと夏の日の喜び、収穫を喜ぶ農民の踊り、祈りの情景、喜びの歌が繰り広げられる。そして後半は、チェコの国民的舞踊でもあるポルカが盛大に続けられる。


第5曲:ターボル 原題:Tábor

1878年12月13日に完成し、初演は1880年1月4日に行われた。この曲と次の『ブラニーク』は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたものである。ターボルとは南ボヘミア州の古い町で、フス派の重要な拠点であった。ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369年 - 1415年)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落した教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられた。しかしその死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こす。この戦いは18年にも及ぶものであったが、結果としてフス運動は失敗に終わる。しかし、これをきっかけにチェコ人は民族として連帯を一層深めることなった。フス派の讃美歌の中で最も知られている『汝ら神の戦士(チェコ語版)』が全篇を通じて現れ、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。


第6曲:ブラニーク 原題:Blaník

1879年3月9日に完成し、第5曲『ターボル』と共に1880年1月4日に初演された。スメタナは両曲を一緒に演奏することを望んだ。

ブラニークは中央ボヘミア州にある山で、ここにはフス派の戦士たちが眠っており、また讃美歌に歌われる聖ヴァーツラフの率いる戦士が眠るという伝説もある。伝説によれば、この戦士たちは国家が危機に直面した時、それを助けるために復活する(しばしば、全方位からの4つの敵国軍の攻撃に対してとも述べられる)。

音楽的には、『ターボル』から切れ間なく演奏される。全曲から持ち越された主題は、まるで戦いの直後の中にいるかのように演奏される。

そのため、この第5曲と第6曲は、第1曲と第2曲のようにペアとして扱われる。

ヴルタヴァ川の旅の最後(第2曲『ヴルタヴァ』の最終部)で現れる『ヴィシェフラド』の主題は、『ブラニーク』の最後部にも再現する。『ターボル』にも使われたフス教徒の讃美歌『汝ら神の戦士』が高らかに響き、希望に満ちた未来を暗示しながら、連作の最後を飾るのに相応しく勇壮なクライマックスをもって曲を閉じる。この讃美歌におけるオリジナルの詞は、「最後には彼とお前が常に勝利と共にある」であり、チェコ国家の最終的勝利を映し出している。

編曲
スメタナ自身による、ピアノ4手連弾版の編曲が『わが祖国』全6曲に存在する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/わが祖国_(スメタナ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/884.html#c1
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
124. 中川隆[-14079] koaQ7Jey 2020年2月02日 22:42:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-760]
ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/884.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c124
[近代史3] 社会主義の20世紀 おしつぶされた改革 〜プラハの春・ドプチェクの証言〜 中川隆
12. 中川隆[-14078] koaQ7Jey 2020年2月02日 22:44:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-759]



ラファエル・クーベリック指揮 スメタナ 連作交響詩「わが祖国」

Rafael Kubelík & Česká filharmonie - Opening Concert of 1990 Prague Spring Festival




The opening concert of 1990 Prague Spring International Music Festival on 12th May 1990 at Smetana Hall in Prague.

Bedřich Smetana (1824-1884):
Fanfares from the Opera "Libuše"

National Anthem of Czechoslovakia (combination of Kde domov můj (Czech) and Nad Tatrou sa blýska (Slovak))

Bedřich Smetana:
Má vlast (My Country)
1. Vyšehrad
2. Vltava (Die Moldau)
3. Šárka
4. Z českých luhů a hájů
5. Tábor
6. Blaník

Česká filharmonie (Czech Philharmonic)
Rafael Kubelík


 この曲はなんと言ってもクーベリックでなくては!
 「モルダウ」のメロディなどちょっと速いのでは、という気がするかもしれない。しかし、これは甘ったるくメロディを聴かせる曲ではないのだ。そのことは「プラハの春」のLDを見ればわかる。

チェコ・フィル
スプラフォン。1990年5月12日、スメタナ・ホールにおける、チェコ民主化の翌年の「プラハの春」音楽祭オープニングコンサートのライヴ。

クーベリックも楽団員も全員「市民フォーラム」のバッジを付けている。
冒頭、スメタナ作のオペラ「リブシェ」よりファンファーレが奏され、ハヴェル大統領夫妻がバルコニー席に登場する。続いてチェコスロヴァキア国歌。ここまでで会場の熱気は最高潮に達する。それを冷ますかのように、しばらく間をおいてから、ハープでヴィシェフラドのテーマが奏される..。2曲目のモルダウへの移行はアタッカに近い。最後の2曲は、まさに民族独立運動叙事詩というにふさわしい。
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


Smetana: "Ma Vlast" / Kubelík Czech Philharmonic Orchestra (1990 Movie Live Outdoors)


Rafael Kubelík
Czech Philharmonic Orchestra
1990:6.9 Live

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Smetana: Má Vlast / Kubelík Czech Philharmonic Orchestra (1991 Movie Japan Live)


Rafael Kubelík
Czech Philharmonic Orchestra
1991.11.2 Tokyo.Japan Live

Altus(写真左)。1991年11月2日、サントリーホールでのライヴ録音。NHKによる録音である。
HMVのサイトでは、前年の「プラハの春」の演奏よりも良い、との評判である。
私の感想は、両者優劣つけがたいが、場の熱気というものは「プラハの春」ライヴに譲るのではないか、と思う。当盤は、NHK録音を用いているならば、もっと音が良くてもよいのではという気もする。演奏が素晴らしいのは言うまでもない。

2008年、ついにNHK CLASSICALからDVDが発売された(写真右)。NHKのカメラワークが自然なため、どアップ連続の「プラハの春」盤よりも客観的に演奏が聴ける。
終演後何度も舞台にアンコールで呼び出されるクーベリックを最後まで映し続けているのは、この演奏がクーベリック最後の演奏会だったからということもある。
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


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スメタナ 連作交響詩「わが祖国」
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau

 この曲集は、長年ドイツ人に支配されてきたチェク人の思いがこめられた曲である。
次の6曲からなっている。

1.「ヴィシェフラド(高い城)」
2.「ヴルタヴァ(モルダウ)」
3.「シャールカ」
4.「ボヘミアの森と草原から」
5.「ターボル」
6.「ブラニーク」

 第1曲と第2曲、第5曲と第6曲はそれぞれ1セットと考えられている。
しかし、第3曲と第4曲の組だけは、あまりセットらしくない。よって、コンサートで全曲演奏するときは、3曲目と4曲目で休憩することが多い。クーベリックの「プラハの春」コンサートもそうだった。

 特に、第5曲と第6曲は、フス派のコラールがテーマとなっており、チェク人のドイツ人に対する独立闘争の歴史の重みを感じさせる素晴らしい曲である。
(フスは、ルターに先立つこと100年前のベーメンの宗教改革者。コンスタンツ公会議で火刑となったが、フス派の一揆は、神聖ローマ帝国に対するチェク人の独立運動のはじまりでもあった。)

 1989年末のチェコ民主化の運動において、ノイマン指揮チェコ・フィルは社会主義政府に対してはストライキをする一方、市民フォーラムの応援のためにこの2曲を何度も演奏したらしい。
(しかし、運動の締めくくりには「第9」を演奏したのであった。その第9はCD化されている。)

 第2曲「モルダウ」のメロディは特に有名であるが、むしろ主題的には第1曲「ヴィシェフラド」冒頭のハープで奏されるテーマが重要である。このテーマは第6曲の最後で、全曲の締めくくりに、金管が奏するフス派のコラールと対位法的に弦パートによって演奏されるのだ。

 なお、モルダウとは、プラハ市内を流れるヴルタヴァ川のドイツ語名である。民族主義的なこの曲の名としてはチェコ語の「ヴルタヴァ」のほうを何としても用いるべきであろう。(ちなみにヴルタヴァはその下流(北方)のドイツにおいてエルベ川に合流するのであるが...)
http://classic.music.coocan.jp/orch/smetana/mavlast.htm#moldau


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わが祖国 (スメタナ)

『我が祖国』(チェコ語: Má Vlast)は、ベドルジフ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩からなる連作交響詩。

第2曲『ヴルタヴァ(モルダウ,バルタバ)』が特に著名である。

各楽曲の初演は1875年から1880年にかけて、別々に行われており、全6作通しての初演は1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島(チェコ語版)にある会場において、アドルフ・チェフの指揮の下で行われた。

スメタナは1856年から1861年まで、故国ボヘミアを離れてスウェーデンのヨーテボリでピアニストおよび指揮者として活動していたが、この時期にリストの影響を受けて『リチャード三世』作品11(1857年 - 1858年)、『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858年 - 1859年)、『ハーコン・ヤール』作品16(1861年 - 1862年)の3曲の交響詩を作曲している。これらはスメタナの作品の中ではあまり知られていないが、それぞれシェイクスピアの戯曲、三十年戦争を扱ったシラーの戯曲、中世のノルウェー王ハーコン・シグルザルソンを題材としたもので、いずれも特に国民主義的な作品ではない。

チェコ国民音楽として記念碑的な作品を交響詩の連作の形で創作しようとスメタナが考えたのは、オペラ『リブシェ』を作曲していた1869年から1872年の間のことであると言われる。当初は「ジープ」(Říp )、「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「リパニー」(Lipaný )、「ビーラー・ホラ」(Bílá hora )の 5つの地名を各曲の題名として構想していたが、最終的には『ヴィシェフラド』、『ヴルタヴァ』、『シャールカ』、『ボヘミアの森と草原から』、『ターボル』、『ブラニーク』の 6曲が作曲された。

作曲は『リブシェ』の完成後すぐに着手され、第1曲『ヴィシェフラド』が1874年に完成した。これと前後してスメタナは聴覚を失っているが、作曲活動は続けられ、最後の第6曲『ブラニーク』は1879年に完成した。

当時の聴衆にとって「交響詩」がなじみの薄いジャンルであったことに配慮して、スメタナは自ら解説を書いて楽曲の意図が理解されるよう努めた。さらに楽譜にも、標題のページだけでなく楽曲の各箇所に注釈が記されている。

楽器編成

ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル(第5曲を除く)、大太鼓(第2曲のみ)、シンバル、ハープ(第1曲:2、第2曲:1)、弦楽合奏(チェロが2部に分かれており、全体で6部になっている)

曲の構成

第1曲:ヴィシェフラド 原題:Vyšehrad
1872年から1874年の間に構想され、1874年9月末から11月18日にかけて作曲された。6曲のうちで唯一、スメタナが失聴する前にかなりの部分が出来上がっていた。初演は1875年3月14日。変ホ長調。この曲はプラハにあるヴィシェフラド城を題材としている。ヴィシェフラドは「高い城」を意味し、そのように題名が訳されることもある。この城は、ボヘミア王国の国王が居城としていたこともある城であったが、戦乱によって破壊され廃墟となった。

1874年夏の間にスメタナの聴力は徐々に衰えるようになり、それから間もなく完全に失聴してしまう。スメタナは、仮劇場の支配人であるアントニーン・チーセック(チェコ語版)へ宛てた辞表の中で、段階的だが急速な失聴について述べている。全ての音から隔絶された状況が続く(完全失聴)なか治療が行われたが、結局成功することはなかった[1]。

曲は、吟遊詩人(Lumír)のハープで始まり、この詩人が古の王国の栄枯盛衰を歌う、というのが内容である。冒頭のハープの音色のあと、城の工廠の響きに転換する。この部分で現れる主題は『わが祖国』全曲を通じて繰り返し用いられる。4つの音で構成される主題(B♭-E♭-D-B♭)がヴィシェフラド城を示しており、第2曲『ヴルタヴァ』の終わりと第6曲『ブラニーク』の終わりにも提示される。この主題の最初の部分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭[注釈 2])が音として刻まれている。

冒頭のアルペッジョでは、2台のハープが必要とされる。属七の和音のあと、管楽器が主題を引き継ぎ、弦楽器がそれに続いて、やがてオーケストラの全楽器によるクライマックスに達する。次のパートでは、スメタナは速いテンポを用いて城の歴史を呼び覚まし、これは行進曲に発展する。表面上は明るいクライマックスは、城の衰退を描写する下降パッセージで中断され、音楽は静かになる。そして、冒頭の主題が再び提示され、現在では廃墟となってしまった城の美しさを再び奏でる。音楽は静かに終わり、城の下を流れるヴルタヴァ川の描写に続く。


第2曲:ヴルタヴァ (モルダウ) 原題:Vltava
1874年11月20日から12月8日の間に作曲され、初演は1875年4月4日にアドルフ・チェフの指揮で行われた。ホ短調。

『モルダウ』(ドイツ語: Die Moldau、英語: The Moldau)の名でも知られる。『バルタバ』とも表記する。

この楽曲でスメタナは、ボヘミアの大きな川の一つの音を呼び起こすためにトーン・ペインティングを用いた[2]。スメタナは、以下のように述べている。

この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。ヴルタヴァ川は、Teplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる2つの源流から流れだし、それらが合流し一つの流れとなる。そして森林や牧草地を経て、農夫たちの結婚式の傍を流れる。夜となり、月光の下、水の妖精たちが舞う。岩に潰され廃墟となった気高き城と宮殿の傍を流れ、ヴルタヴァ川は聖ヤン(ヨハネ)の急流 (cs) で渦を巻く。そこを抜けると、川幅が広がりながらヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名:エルベ川)へと消えていく。

この曲は 6曲中にとどまらず、スメタナの全楽曲の中でも最も有名なもので、単独で演奏されたり録音されることも多い。

最初の主題は歌曲や合唱曲に編曲されて歌われたり、ジャズやロックへとアレンジして演奏されることもある。

最初の主題には、15世紀から16世紀にかけてイタリアで活動したテノール歌手ジュゼッペ・チェンチ作の『ラ・マントヴァーナ』に由来するメロディが改変されて用いられている[3]。

同曲はモルドバ(モルダヴィア)などにも伝わり、民謡の一節に流用され、イスラエルの国歌『ハティクヴァ』のメロディの基礎ともなっている。スメタナの祖国ボヘミアにおいても、民謡"Kočka leze dírou"に用いられている。

スメタナはこの『ラ・マントヴァーナ』に由来する祖国の民謡のメロディを、第1主題として採り入れたものと思われる。

楽曲の最終部分には、第1曲『ヴィシェフラド』の主題も組み込まれている。
その他、ヨーゼフ・ランナーの『旅の行進曲』(作品130)のメロディが一部引用されている[4]。


第3曲:シャールカ 原題:Šárka
1875年2月20日に完成した。初演はアドルフ・チェフの指揮で行われたが、日付については2説あり、1876年12月10日[5]もしくは1877年3月17日[6]とされる。
シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、その由来は男たちと女たちが死闘を繰り広げたというチェコの伝説『乙女戦争』に登場する勇女の名である。

ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツチラトとその配下たちが通りかかる。ツチラトによって縄をほどかれたシャールカは、助けてもらったお礼にと酒をふるまう[7]。すっかり彼らの気が緩んだ頃、シャールカは角笛を吹いて味方の女戦士たちを呼ぶ。ツチラトは捕虜となり、彼の配下は皆殺しにされる[7]。

これが物語の大筋であるが、スメタナが作曲した音楽にはこの物語の様子をファゴットで男たちのいびきを表現したり、金管楽器がシャールカの吹く角笛の音を表すなどの工夫がされており、大変迫力のある劇的なものになっている。

第4曲:ボヘミアの森と草原から 原題:Z českých luhů a hájů
1875年10月18日に完成し、初演はそれから約8週間後の同年12月10日に行われた。この曲は、チェコ(ボヘミア)の田舎の美しさを描写しており、鬱蒼とした深い森を思わせる暗い響きで始められる。何かの物語を描写しているわけではないが、曲が進むと夏の日の喜び、収穫を喜ぶ農民の踊り、祈りの情景、喜びの歌が繰り広げられる。そして後半は、チェコの国民的舞踊でもあるポルカが盛大に続けられる。


第5曲:ターボル 原題:Tábor
1878年12月13日に完成し、初演は1880年1月4日に行われた。この曲と次の『ブラニーク』は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたものである。ターボルとは南ボヘミア州の古い町で、フス派の重要な拠点であった。ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369年 - 1415年)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落した教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられた。しかしその死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こす。この戦いは18年にも及ぶものであったが、結果としてフス運動は失敗に終わる。しかし、これをきっかけにチェコ人は民族として連帯を一層深めることなった。フス派の讃美歌の中で最も知られている『汝ら神の戦士(チェコ語版)』が全篇を通じて現れ、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。


第6曲:ブラニーク 原題:Blaník
1879年3月9日に完成し、第5曲『ターボル』と共に1880年1月4日に初演された。スメタナは両曲を一緒に演奏することを望んだ。

ブラニークは中央ボヘミア州にある山で、ここにはフス派の戦士たちが眠っており、また讃美歌に歌われる聖ヴァーツラフの率いる戦士が眠るという伝説もある。伝説によれば、この戦士たちは国家が危機に直面した時、それを助けるために復活する(しばしば、全方位からの4つの敵国軍の攻撃に対してとも述べられる)。

音楽的には、『ターボル』から切れ間なく演奏される。全曲から持ち越された主題は、まるで戦いの直後の中にいるかのように演奏される。

そのため、この第5曲と第6曲は、第1曲と第2曲のようにペアとして扱われる。

ヴルタヴァ川の旅の最後(第2曲『ヴルタヴァ』の最終部)で現れる『ヴィシェフラド』の主題は、『ブラニーク』の最後部にも再現する。『ターボル』にも使われたフス教徒の讃美歌『汝ら神の戦士』が高らかに響き、希望に満ちた未来を暗示しながら、連作の最後を飾るのに相応しく勇壮なクライマックスをもって曲を閉じる。この讃美歌におけるオリジナルの詞は、「最後には彼とお前が常に勝利と共にある」であり、チェコ国家の最終的勝利を映し出している。

編曲
スメタナ自身による、ピアノ4手連弾版の編曲が『わが祖国』全6曲に存在する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/わが祖国_(スメタナ)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/794.html#c12
[番外地7] 本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由
本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由はご存知ですよね。

僕が自らYouTuberになって、

天皇は朝鮮人だとか、
従軍慰安婦強制連行の吉田清治の話はやっぱり事実だった

とか言ったら、すぐに右翼に XX されますからね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/459.html

[番外地7] 本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由 中川隆
1. 中川隆[-14077] koaQ7Jey 2020年2月02日 23:29:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-758]
本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由はご存知ですよね。

僕が自らYouTuberになって、

天皇は chousen 人だとか、
jyuugun ianfu 強制連行の吉田清治の話はやっぱり事実だった

とか言ったら、すぐに右翼に XX されますからね。

そもそも、youtube では chousen とか kankoku という漢字すら書けないんですよ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/459.html#c1

[番外地7] 本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由 中川隆
2. 中川隆[-14076] koaQ7Jey 2020年2月02日 23:41:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-757]
本多勝一が外出する時に必ずカツラを被ってサングラスしていた理由はご存知ですよね。

僕が自らYouTuberになって、

天皇は chousen 人だとか、
jyuugun ianfu 強制連行の吉田清治の話はやっぱり事実だった

とか言ったら、すぐに右翼に XX されますからね。

そもそも、youtube では chousen とか kankoku という漢字すら書けないんですよ。
チャンネル桜の関係者が典型ですが、右翼の人には論理や理屈が全然通じないんですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/459.html#c2

[番外地7] ダーウィンの進化論が崩壊?
それは何も知らないジャーナリストが誤読して流したデマだよ、真実は:

ダーウィンの進化論が崩壊?


yuk********さん 2018/6/8 20:46:09

今いる種が20万年以内に登場したってだけでしょ。

その祖先となる種はその前からいた。

cla********さん 2018/6/9 00:24:24

https://phys.org/news/2018-05-gene-survey-reveals-facets-evolution....
"The simplest interpretation is that life is always evolving," said Stoeckle.


この文章を読めば分かる通り、大本のソース記事では進化論は否定されておらず、進化論に残された疑問の答えが見つかったらしいというものです。

ダーウィニズムの否定どころか補強ですね。

indeep記事の引用もとのソース記事を最後まで読めばわかると思いますが、indeepのライターはソース記事をまともに読んでいない(というより文脈とことなる意味で引用している)のがわかります。

というか悪質な捏造ばかりです。


>そして、「中間種は存在しない」


もとのソース記事では「中間種が存在しない」ではなく、「中間種が観察できないという疑問は、中間段階が非常に短いからだ」という文脈の中で『中間種の不在』というダーウィンの言葉を引用しているだけです。

indeepライターは研究者の発言の多くを意図的に無視しておりかってな解釈を加えています。


>a species only lasts a certain amount of time before it either evolves into something new or goes extinct.


地球上の多くの生物種がここ20万年の間に生まれたのは、20万年前に突如として現れたからではなく、はっきりと書かれている通り、「生物種はとっとと進化して新しい種になるか絶滅するので安定的に種として存在していられる期間は20万年もなかなか続かない」というだけなのです。

まあ、ソース読まず、飛ばし記事に騙された質問者さんが間抜けだったということですね。

こんなん報道するより元ソース記事のほう(進化の過程の謎の一つが解明された)を報道するほうが有意義です。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13191486138
一部を表示
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/460.html

[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番
グスタフ・マーラー 交響曲第9番



ブルーノ・ワルター指揮 マーラー 交響曲第9番


Mahler: Symphony No. 9, Walter & VPO (1938)






_________






Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra


Rec. 16 January 1938, at Großer Musikvereinssaal, in Vienna (Live Recording)


▲△▽▼


Mahler: Symphony No. 9, Walter & ColumbiaSO (1961)



Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra


Rec. 16, 18, 28, 30 January & 2, 6 February 1961, at American Region Hall, in Hollywood


▲△▽▼


交響曲第9番(ドイツ語名:Sinfonie Nr. 9)ニ長調はグスタフ・マーラーが作曲した交響曲。『大地の歌』を含めると、10番目の交響曲となる。交響曲第10番が未完成のままマーラーが死去したため、この曲が完成された最後の交響曲となった。
マーラーが『大地の歌』に「第9番」と銘打つことを恐れたため、続いて作曲されたこの曲が第9番になったという逸話については、大地の歌#「第九」のジンクスの項を参照のこと。


交響曲第8番、『大地の歌』とつづいた声楽・歌曲との融合から、マーラーはこの曲では再び純器楽路線に立ち戻っている。4楽章構成、第1楽章がソナタ形式に従って書かれているなど、古典的な交響曲としての要素を持つ。その一方で、両端楽章にテンポの遅い音楽を配置し、調性的には、第1楽章はニ長調であるが、第1主題が常にこの調と結びついていて、展開部などでも移調されないこと、最終楽章がこれより半音低い変ニ長調で書かれているなど、伝統的なスタイルからの逸脱も多い。


この曲は、なんらの標題も用いられていないにもかかわらず、全曲が「別れ」や「死」のテーマによって貫かれていることが印象づけられる。その理由として、終楽章の最後の小節に、マーラー自身が ersterbend(死に絶えるように)と書き込んでいることがある(後述)。


また、この曲でマーラーは、過去の自作、他作から多くの引用をしており、これらが過去の追想や別離の気分を高めている。引用は、これまでのマーラー作品でも部分的に見られたものであるが、第9番では、それが体系的といえるほど多用されている。


引用の手法も単純でなく、ひとつの素材が変形されるなかで、引用された音楽との間で多様な連関を想起させるものとなっており、同じ進行の繰り返しを徹底的に避けるマーラーの作曲技法とひとつに重なっている。こうした手法は、後の1960年代後半から1970年代にかけて流行したコラージュ音楽の発想の原型とも見られている。


この引用を含めて技法的には、これまでの諸作品の集大成であることを超えて、新たな境地を開こうとする意欲が認められる。多くの場合、音楽とテーマの普遍性、独自性、書法の大胆さ、表現の崇高さなどにおいて第9番はマーラーの最高傑作と見なされている。


このため、演奏・録音機会が多いだけでなく、後述するように、指揮者やオーケストラがなんらかの節目や記念的な行事の際の演奏曲目としてしばしば採り上げられる。


第9番の「完成度」


マーラーの最高傑作とされることも少なくない第9番であるが、マーラーの死によって、自身で初演を果たすことはできなかった。交響曲第8番までの自作については、初演に向けた練習の過程や初演後に楽譜に手を入れることが常であったため、もしマーラーがもう少し長生きして第9番を初演できていたら、第9番はさらに改訂された可能性がある。


とくに第4楽章については、オーケストレーションが薄く、マーラー独特の念入りな指示が少ないことから、後で手を加えるつもりがあったとの推測も成り立つ。


アルマとの関係


この曲が作曲された1909年の夏には、妻アルマは病気のためマーラーの休暇先のアルト・シュルーダーバッハに同行していなかったといわれている。第9番の自筆譜には、アルマへの呼びかけの言葉が書き込まれていることから、この時期、マーラーとアルマの関係に亀裂が生じ始めており、マーラーのアルマに対する個人的な感情が音楽に影響を与えたという解釈もある。


ただし、アルマが建築家ヴァルター・グロピウスと出会うのは1910年の夏で、曲が完成した同年4月より後のことであり、この「三角関係」を第9番の内容に直接結びつけることはできない。


作曲の経過


1908年9月19日、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して自作の交響曲第7番を初演。10月27日、ミュンヘンで再演。
10月21日、ニューヨークに戻り、ニューヨーク・フィルハーモニックを初めて指揮。12月8日には同オーケストラを指揮して交響曲第2番を演奏する。


このシーズンからアルトゥーロ・トスカニーニがメトロポリタン歌劇場に登場して、ワーグナー作品などマーラーが得意とするレパートリーを採り上げ始めた。
このため、マーラーは心中穏やかでなく、活動の中心を歌劇場からニューヨーク・フィルに移し始めた。エンリコ・カルーソーがマーラーのカリカチュアを描いたのはこのころである。


1909年2月にベドルジハ・スメタナのオペラ『売られた花嫁』をアメリカ初演。
4月にヨーロッパに戻り、パリに滞在。オーギュスト・ロダンの彫刻のモデルになったり、アルフレード・カゼッラやエドガー・ヴァレーズに会ったりしている。


第9交響曲の作曲


同1909年夏、トブラッハ(現イタリア)近郊のアルト・シュルーダーバッハで交響曲第9番を作曲、2ヶ月間でほぼ書き上げた。この地にアルマは同行しなかったという。


ブルーノ・ワルター宛の手紙に、この曲についてマーラーは「小さな一家にとって非常に好ましい財産になるだろう。」と述べ、「それは狂ったように大急ぎで、あわただしく、ほとんど書きなぐられたので、とても他人には読めないだろう。今年の冬には何とか暇がとれて、総譜の清書ができるとよいのだが」と書いている。


10月以降はニューヨークに楽譜を持ち込んで仕上げにかかり、翌1910年4月1日、同地で浄書が完成した。


この間、9月末から10月初めにかけてオランダ旅行し、自作の交響曲第7番を指揮。10月8日から12日にかけてパリで再びロダンのモデルとなっている。


ニューヨーク・フィルとの蜜月


1909年から1910年にかけてのシーズンでは、マーラーはメトロポリタン歌劇場ではほとんど指揮せず、代わりにニューヨーク・フィルとの演奏会を44回も持った。
このなかで、自作の交響曲第1番や、リヒャルト・シュトラウス、フェルッチョ・ブゾーニ、クロード・ドビュッシーらの作品、セルゲイ・ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ラフマニノフ自身のピアノによる)などを演奏した。


1910年3月5日、メトロポリタン歌劇場特別公演でピョートル・チャイコフスキーのオペラ『スペードの女王』の新演出を上演。その後ヨーロッパに戻る。


同年4月17日、パリ・トロカデロ宮で自作の交響曲第2番を指揮。
ドビュッシーやポール・デュカスが聴きに来るが、アルマの回想録によると、彼らは第2楽章の演奏途中で出て行ったという(ドビュッシー研究家のフランソワ・ルシュールは、この証言を「到底信じられないような情報」と評している)。
6月、交響曲第8番の初演(9月)に向け、練習にとりかかる。このころ、病気療養中のアルマが建築家のヴァルター・グロピウスと出会う。


初演と出版


初演
1912年6月26日、マーラーの死後、ウィーンにて初演。
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による。
なお、マーラーの完成された交響曲がウィーンで初演されたのも、今日の版図におけるオーストリアで初演されたのもこれが唯一であり、大部分はドイツ初演である。


出版
1912年、ウィーンのウニヴェルザール出版社から出版。
1969年、ウニヴェルザール出版社から国際マーラー協会による「全集版」出版。


楽器編成
ピッコロ 1、フルート 4、オーボエ 4 内コーラングレ持ち替え 1、小クラリネット 1、クラリネット 3、バスクラリネット 1、ファゴット 4 内コントラファゴット持ち替え 1
ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、チューバ
ティンパニ 2人 (6個)、バスドラム、スネアドラム、トライアングル、シンバル、銅鑼、グロッケンシュピール、鐘 3
ハープ
弦五部 (16型)


楽曲構成


古典的な4楽章構成をとるが、両端楽章は通例に反して緩徐楽章となっている。各楽章ごとのテンポは緩−急−急−緩という流れとなっており、これは、緩−急−緩のフランス風序曲の形式に倣っているともいわれている。また、マーラーの交響曲でよく見られるレントラーが第2楽章に用いられている。


第1楽章 Andante comodo
アンダンテ・コモド ニ長調 4/4拍子 自由なソナタ形式


チェロ、ホルン、ハープなどが断片的に掛け合う短い序奏(譜例1)によって曲は開始される。ここでは、シンコペーションと歩むようなリズムが扱われ、全曲を統一する有機的な素材となっている。


シンコペーションのリズムには、マーラーの心臓の鼓動、不整脈を表すという解釈がある。
これに続き、第2ヴァイオリンがため息のように2度下降する動機を奏する。これが第1主題(譜例2)で、この動機は、前作『大地の歌』の第6楽章「告別」の結尾で歌われた「永遠に」(ewig)という音型の引用によっている。この動機は、自作の歌曲(『さすらう若者の歌』)や交響曲(交響曲第3番第4楽章、交響曲第4番第3楽章など)で見られるもので、他の楽章でも現れ、統一的に用いられる。

この主題を中心として歌うような曲想が続くが、ホルンの2度下降動機からニ短調に転じ、管の和音と共に第1ヴァイオリンが半音階的に上昇する主題を奏する。これが第2主題(譜例3)である。

この主題が悲痛に高揚した後、ヴァイオリンの高音部に2度下降動機が再び出る。もう一度高まって、金管に半音階的に下降する動機が繰り返される(譜例4)と、提示部の変奏的かつ発展的な反復となる。第1主題、第2主題ともに発展し、「死の舞踏」を思わせる。ハープの印象的な動きに導かれ、金管の半音階的に下降する動機が発展し、情熱的に呼びかけるような主題が弦と金管に現れて盛り上がる。この主題(譜例5)は、自作の交響曲第1番の第4楽章、第2主題からの引用であり、この楽章ではいわば第3主題のような役割を果たす。ここで初めの頂点に達するが、音楽は暗転し、展開部に入る。

冒頭と同じテンポになり、静かで暗い雰囲気の中、序奏が回想される。これに引き続き、しばらく第1主題が暗く扱われるが、ハープの響きから気分を整えて第1主題の変形が現れる。


ここではヨハン・シュトラウス2世のワルツ『人生を楽しめ』が引用され


(マーラーは自筆譜のこの部分に
「おお若き日! 消え去ったもの! おお愛! 吹き消されたもの!」
と書き込んでいる)、


さらにベートーヴェンのピアノソナタ第26番「告別」との関連も示唆される。


穏やかな曲想が続いていくが、徐々に動きを見せ、テンポはアレグロ・リゾルートとなり、金管の半音階下降動機や第3主題、トランペットのファンファーレ(交響曲第1番、交響曲第7番第1楽章などからの引用)が重ねられて力を増す。トライアングルが動きを遮るように強音でトレモロを出すが、序奏の歩みのモティーフがティンパニによって強打され、音楽はさらに凶暴さを増し、狂おしくなっていく。頂点で第3主題が強烈に吹奏され、輝かしいクライマックスを築くが、急速に落ち込む。


ここから曲はテンポを落とし、第2主題に基づいて陰鬱な気分で進む。変形された第2主題の情熱的かつ不気味な展開が続いたあと、2度下降動機や半音階的に下降する動機が静かに奏されていくが、次第に落ち着いてきて再び第1主題の変形が現れる。ここから3度目の頂点へと高揚してゆく。第1主題が高揚していき、第3主題が叫ばれると、それに続き「より動きをもって(Bewegter)」と指示される部分に入る。大きな起伏を持って何度も頂点を築き、第1主題が輝かしく叫ばれるも、不協和な響きのなか引きずられていくように落ち込む。


それに続いて「最大の暴力で(mit höchster Gewalt)」と指示され、銅鑼が強打され、トロンボーンのシンコペーションがすべてを遮るように吹き鳴らされる。歩みのモティーフがティンパニによって強烈に打たれ、もう一度シンコペーションが吹かれた後、葬送行進曲風の経過部となる。


ここでは序奏の変形を扱っているが、歩みのモティーフが鐘によって奏されることで、初めてこれが葬列の鐘を模したものであったことが明かされる。


こののち、「最初のように(Wie von Anfang)」と指定された再現部となり、第1主題がかなり自由に再現し、高まった後、第2主題が暗示される。


ここで曲は一転して、「突然著しくゆっくりと、そして小さく(Plötzlich bedeutend lamgsamer(lento) und leise)」と指示された、各楽器の掛け合いによるカデンツァ風の部分となる。もう一度第2主題が姿を見せるが、荒々しさは消えており、ハープの動きによって導かれる第3主題も残照のようなホルンの響きに変わる。フルートが高いところから次第に降りてきて、静かになった後、コーダに入る。


コーダでは、独奏ヴァイオリンと木管の対話から2度下降動機が柔らかく繰り返されて、最後に弦の高いフラジョレットが楽章を結ぶ。


第2楽章 Im Tempo eines gemächlichen Ländlers. Etwas täppisch und sehr derb


緩やかなレントラー風のテンポで、いくぶん歩くように、そして、きわめて粗野に ハ長調 3/4拍子


付点リズムを伴う序奏のあと、3つの舞曲がABCBCABAという順序で入れ替わり現れる。
Aは弦のトリルを含む民族舞踊的な旋律であるが、ファゴットの音階的に上昇する動機や木管の2度下降動機が絡む(譜例6、7)。指示通りレントラー風に進んでいったあと、Bを導く。


Bはホ長調で速度を上げて活気づく(譜例8)。時折2度下降動機をはさんでかなり土俗的で諧謔的な雰囲気になる。付点リズムの動機も挟み、曲は一旦暗転しかけるが、すぐに穏やかになり、Cを導く。

Cはヘ長調で穏やかなもの(譜例9)。2度下降の動機によっており、Aの要素も顔を出す。若干暗い影を落としかけるも、また穏やかになり、つづいてBが再現する。

Bが展開風に扱われ、またもや暗転しかけるが、再びCとなる。2度下降動機が大きく歌われ、第1楽章の面影も見せるも、Aが再現する。


Aは次第に暗い影を深刻に落とし始め、死の舞踏の様相すら呈し始め、楽章のクライマックスを導く。陽気な動機と陰気な動機がぶつかり合い、狂乱状態となったあと、Bが再現する。


Bが収まると、序奏の素材に導かれてAが再現し、暗い影を落としつつも次第に穏やかになってゆき、静かに楽章を結ぶ。


第3楽章 Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig


「ロンド=ブルレスケ」アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に イ短調 2/2拍子


「ブルレスケ」とは「道化」を意味する。
草稿には作曲者自身の「アポロにいる私の兄弟たちへ」の書き込みがある。


おおまかにABABC(中間部)Aという構成。トランペットの信号音とAの断片による短い序奏のあと、力強くAが開始される。
Aは多声的で、自作の交響曲第1番第3楽章及び第4楽章との関連が指摘される(譜例10)。

Aのリズムを持って移行することによって、2/4拍子でユーモラスな副主題の役割を果たすB(譜例11)が現れる。

この両者がフゲッタ的に組み合わされて曲は進行し、レハールの『メリー・ウィドウ』や交響曲第3番第1楽章からの引用を交えながら、快活だが皮肉な雰囲気で曲は進む。


Aの盛り上がりの頂点でシンバルが打たれ、Cが導かれる。ここでは、回音(ターン)音型を含むなめらかな動機とホルンの6度跳躍上昇の動機が組み合わされるうちに雰囲気が一変し、ニ長調でトランペットが柔らかく回音音型を奏する(譜例12)。

クラリネットなどを主にして、徐々にAの動機が皮肉な調子で戻ってくるが、ハープの動きでCと頻繁に交代する。大太鼓の弱音のトレモロによってAが支配的となり、完全にAの動機が帰ってきたあと、速度を上げて狂おしく盛り上がり、最後はストレッタ的に急迫する。


第4楽章 Adagio. Sehr langsam und noch zurückhaltend


アダージョ。非常にゆっくりと、抑えて 変ニ長調 4/4拍子
基本的には2つのエピソードを持つABABA+コーダの形式だが、同様な繰り返しが避けられており、絶えず表情が変化しているため、形式感は判然としない。交響曲第3番の終楽章もアダージョであり、構成的にも対応が見られる。2つの主題に基づく変奏曲とする解釈もある。


第3楽章で見られた回音音型(ミ・ファミレ♯ミ)を含む、弦の短い序奏(譜例13)で始まる。


ここでは、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』から「愛の死」が引用されていると見られる。また、ブルックナーの交響曲第9番の第3楽章冒頭主題との関連性も指摘されている。

ヴァイオリンの主要主題(譜例14)は2度下降動機で始まり、回音音型に至るもの。各声部で回音音型が繰り返される。ファゴットの低いモノローグを挟んでホルンが主要主題の前半を歌う。

第1のエピソードは、高弦と低弦によって、ファゴットのモノローグが拡大されたような音楽が奏され、薄明るい印象を残す。ヴァイオリン独奏や木管に2度下降動機が現れる。


ホルンが再び主要主題を出して、弦楽によって感動的に高まるが、次第に重苦しくなる。再び独奏ヴァイオリンと木管が現れて緊張が解ける。


第2のエピソードは、ハープの単純なリズムのうえに木管が淋しげに歌う。


弦、金管が加わってきて、主要主題となり、大きくクライマックスを築く。ここでは主要主題はほとんど形を失って、回音音型で覆われる。そしてヴァイオリンの高音に、第1楽章冒頭動機のシンコペーションが反復された後、再び主要主題が詠嘆的に大きく形を変えて再現する。


この後もう一度大きなクライマックスを築くが、徐々に主要主題は形を変え、断片的になっていく。


ヴァイオリン(譜例15)が『亡き子をしのぶ歌』第4曲(「太陽の輝くあの高みでの美しい日」、譜例16)を引用する。その後、回音音型が導かれ、徐々に力を失い、休止のあとアダージッシモのコーダに入る。

最後の34小節は、コントラバスを除く弦楽器だけで演奏される。回音音型を繰り返しながら浮遊感を湛えつつ、「死に絶えるように」最弱奏(ピアニシシモ)で終わる。


最後のヴィオラの音型は、ソ・ラ♭・シ♭・ラ♭(移動ドでファ♯・ソ・ラ・ソ)となっていて、これは同じく「死に絶えるように」と書かれた交響曲第7番第4楽章の最後、クラリネットの音型と同様である。


死に絶えるように
この曲の第4楽章、最後の小節にマーラーはドイツ語で ersterbend(死に絶えるように)と書き込んでおり、このことが第9交響曲全体を貫く「死」のテーマにつながっている。 しかし、この ersterbend の語が使われているのは、必ずしも第9番のこの部分だけではない。他に次のような例がある。


1.交響曲第2番、第4楽章「原光」の中間部、オーケストラの間奏部分。


2.交響曲第4番第3楽章の最後に、Gänzlich ersterbend(完全に死に絶えるように)と書かれている。同時に、イタリア語のmorendo(こちらは「だんだん遅く、弱く」という音楽上の発想記号として使われる)も書き込まれている。


3.交響曲第7番第4楽章の最後。morendoも書かれている。このクラリネットの音型は、第9番第4楽章最後の音型と同様のもの。


4.『大地の歌』第6楽章「告別」の最後に、Gänzlich ersterbendと書かれている。


このように、第9番だけが「死ぬように」終わっているわけではない。
とはいえ、第2番の場合は楽章の途中である。
第4番、第7番の場合は、中間楽章の終わりであって、いずれもその後につづく最終楽章で「天上」を描いているという解釈もなされている。
全曲の終わりで、第9番とほぼ共通した使われ方をしているのは『大地の歌』である。


この発想表示や大地の歌#「第九」のジンクスの逸話などから、マーラーは迫り来る死の恐怖におびえ、あるいはこの恐怖と闘いながら作曲したという劇的なイメージが作られるが、「死」は、第9番に限らずマーラーが生涯を通じて追求してきたと同時に、20世紀初頭の芸術各分野で一般的に採り上げられる主題であったこともまた事実である。


レコーディング


初レコーディング
この曲の初めてのレコーディングはブルーノ・ワルターが1938年1月16日にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した演奏会のライヴ録音で、戦前期におけるウィーン・フィルとの最後の共演盤であった。


この演奏の約2ヶ月後、オーストリアはナチス・ドイツに併合され(アンシュルス)、ユダヤ系だったワルターは財産没収などを受け、苦難の亡命せざるを得なくなる。また、ウィーン・フィルにとってもユダヤ系の音楽家が多かった戦前の黄金時代最後の演奏会となり、ユダヤ系名物コンサートマスターのアルノルト・ロゼーの事実上の引退公演でもある。


日本では太平洋戦争中の1943年にニッチクから発売された。しかし当時は戦時中ということを勘案しても、この曲の真価を理解できる日本人は殆どいなかった。
ワルター自身は嫌な思い出のためか、この録音をさっさと破棄することを願っていたという。
後にワルターは1961年にコロンビア交響楽団とセッション録音を行っている。
なお、ウィレム・メンゲルベルクは、ワルターの解釈に異を唱えていた。


バーンスタインの一期一会
1979年10月4日、レナード・バーンスタインはアムネスティ・インターナショナルの支援を受けて、最終的に当時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督であったカラヤンではなく、ベルリン芸術週間の決定を受けて、生涯唯一となるベルリン・フィルへの出演(ベルリン芸術週間)を果たし、第9番を指揮した。
この演奏会は放送用に録音されて翌年に日本でもNHK-FMで放送され、その後1992年にドイツ・グラモフォンよりCDとして発売された。
バーンスタインは1985年にもアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団とのライヴ録音を残している。


カラヤンのライヴ録音
カラヤンもその直後、1979年から1980年にかけて第9番をセッション録音し、さらにその後の1982年にもベルリン芸術週間で第9番をライヴ録音している。こちらはカラヤンが生前に認めたライヴ録音として貴重である。


バルシャイの里帰り
1993年4月13日、ルドルフ・バルシャイは亡命以来16年ぶりにモスクワに戻り、モスクワ放送交響楽団を指揮して第9番を演奏した。この演奏は1993年度のモスクワ音楽界一番のハイライトに選ばれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
125. 中川隆[-14075] koaQ7Jey 2020年2月03日 01:09:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-756]
グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c125
[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
1. 中川隆[-14074] koaQ7Jey 2020年2月03日 01:22:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-755]

Mahler: Symphony No. 9, Barbirolli & BPO (1964)








Sir John Barbirolli (1899-1970), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra

Rec. 10, 11, 14, 18 January 1964, at Jesus-Christus-Kirche, in Berlin



ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル
EMI。1964年1月10,11,14,18日、ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。1CD。


録音の1年前、63年1月にバルビローリがベルリン・フィルに客演したときの演奏に同団員たちが感動して実現したもの。素晴らしい密度の濃さ、完成度の高さである。

この曲を録音しようとする指揮者は、かなり気合いを入れて取り組むようで、駄盤をさがすのが容易でない。しかし、その中で決定盤となるとやはり、

ワルターVPOの伝説的名盤、
バルビローリBPO盤、
そしてバーンスタインのACO盤及びVPOのLD盤、

ということになるだろう
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html#c1
[昼休み54] 部落解放同盟は悪い 中川隆
21. 中川隆[-14073] koaQ7Jey 2020年2月03日 13:02:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-752]
2020年02月03日
餃子の王将の創業者、加藤朝雄と 創業者の呪い


1967年、王将1号店以前の創業者の経歴は殆ど不明

引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-4-2_l.jpg


餃子の王将は手軽で美味しい中華料理を食べれる店ですが、創業者の出自が暗い影を落している。

創業者、加藤朝雄の黒い人脈が、歴代社長や一族に災難として降りかかっています。

2013年に社長が何者かにおそわれ亡くなっているが、創業時代からの何らかの遺恨とも言われている


創業者の謎

王将の創業者、加藤朝雄は1924年九州の福岡県飯塚市の貧困集落出身で、これが全ての問題の原因になりました。

加藤朝雄は出兵して満州で戦時中を過ごしたと言われていて、中華料理はこの時に覚えたらしい。

現在の王将の1号店を1967年に京都で開業したが、前年の1966年にも別な場所で開店したが、半年で潰れたともいわれている。


創業者、加藤朝雄の一族は現在の王将とは対立しているので、王将の関連サイトにも創業時や創業前の事は書かれていない。

特に加藤朝雄が京都に来る前、どこで何をしていたのかは全く不明で、出身地すら正確にはどこなのか分からない有り様です。

加藤朝雄の周囲には「普通ではない人たち」が群がっており、闇社会と深い繋がりがあったとされている。


加藤朝雄は集落出身である事から解放運動を支援するスポンサーになっていて、解放運動と関わりがあった。

解放同盟や非合法組織に、トラブルの仲介を依頼していたとも言われるが、そうした事は表に出ないので確認が取れない。

さらに加藤朝雄は戦時中満州あるいは中国に出兵していたとされ、ここから日本の中国人社会との繋がりもできた。


現在でも王将は店内では中国語で注文を通していて、単なる中華料理好きでは無いと想像できる。

加藤朝雄は1944年に20歳なので、18歳で出兵したとしても終戦時には21歳であり、軍では下っ端だったと想像できます。

この創業者に群がった「うさん臭い人達」が王将の歴代経営者に呪いのように降りかかる事になります。

潰しかけた創業者の息子

加藤朝雄が体調を崩して飲料メーカーのアサヒ元副社長の望月氏が臨時社長に就任した。

唐突なようだがアサヒは現在王将の筆頭株主なので、当時から資本関係があったのかも知れません。

王将のような飲食業では、取り引きのある大手飲料メーカーと資本関係を持つのは良くあり、不自然ではない。


だが1993年に加藤朝雄が逝去すると息子の加藤潔が社長に就任し、創業者一族が経営権を握りました。

創業者一族とは加藤朝雄の息子や孫達で、ほぼロクなのが居ないというのが世間の評価になっています。

加藤潔3代目社長は元々素行が良くなかった上に、創業者から「解放同盟」「非合法組織」の人脈を受け継いだとされる。


解放同盟関係者や組織に乱脈融資を行って400億円以上の借金を作りましたが、株主である一族に地位を守られていました。

加藤潔は現在も王将の役員ですが、現在の王将役員12人のうち、創業者の血縁は潔氏だけで、他は大東隆行や飲料系のようです。

加藤潔は乱脈融資と業績悪化で評判が悪く、2000年に社内クーデターを起こされて社長の座を追放されました。


特に1999年に創業者の出身地である福岡のゴルフ場や、解放同盟の関連企業に89億円を貸し付けたのが問題になった。

だがこうしてみると問題になった融資は初代の加藤朝雄が始めた事業や人間関係で、どれも加藤潔が始めた訳ではない。

創業者の呪いとはこの事で、後にとんでもない事件に繋がります。


関東1号店で働く3代目社長大東隆行、1978年

引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-2-1_l.jpg

王将を再建した義弟

加藤朝雄の跡を継いだのが朝雄の妻の弟の大東隆行で、戦時中姉夫婦の手伝いをした後、自分も薪炭・氷業を始めた。

加藤朝雄が帰国後の1967年に京都で「王将」を始めたので、大東隆行も王将で働きました。

王将は大ヒットしてチェーン展開を始め、大東隆行は営業本部長、専務取締役経て、2000年に社長に就任しました。


だが創業者の加藤朝雄が1993年に没してから大東隆行に直接代替わりしたのではなく、間には創業者の息子が入りました。

加藤潔社長は解放同盟や非合法組織に無担保融資をして、店舗は放置し虫が沸いていたと言われています。

2000年に大東社長になった時には売上約390億円に対して、有利子負債が約470億円あり経営危機に陥っていました。


大東隆行は人望が厚く経営手腕もあり、短期間で負債を返済した上に、王将を全国チェーンにして立役者でした。

筆頭株主のアサヒと、アサヒの親会社で融資を受けている三井住友銀行にも信頼され、順風満帆かに思えました。

だが創業者と息子が解放同盟や「その筋」に関わったとき、実際に彼らと応対したのが大東隆行だったと言われています。


4代目の大東社長に至っても、まだ闇社会との関係は続いていて、断ち切れては居なかったのでした。

2005年からは中国の大連に進出したが、この土地は創業者の加藤朝雄が軍隊時代に中華料理を覚えた場所とされています。

中国は資本主義国ではなく、何をするにも共産党の許可と人脈が必要で、このため中国の闇社会と関わります。


散々苦労して金を毟りとられた挙句、結局中国事業は失敗し、2014年に撤退が発表されました。

創業者の呪いは続く

大東隆行は人望があり仕事ができ、闇社会との付き合いを表に出さずに上手く処理したが、誰かから恨まれていたようです。

2013年12月19日にいつものように掃除をするため、朝早く(5時40分)出社したところ、駐車場でおそわれて没した。

背後関係は未だに分からず、捜査に進展は見られないようです。


これとは別に創業者の孫で加藤潔社長の息子の、加藤貴司が息子を連れて2008年から失踪しています。

自分の意思で失踪したのかも分からず、警察によると日本から資産を持ち出している形跡は無いようです。

加藤貴司の妻はウクライナ人で、行方不明になったとき妻は息子を連れてウクライナに帰国していた。


加藤貴司は妻と復縁するため、3人でエジプト旅行に出かけ、旅行中に失踪しました。

妻のカチェリーナは夫の失踪によって資産を相続し、王将の株主になり、年間数千万円を受け取っているとされている。

大東隆行の最後と共に加藤貴司の事件も、疑わしい人物が多すぎて、何も進展がありません。
http://www.thutmosev.com/archives/48245957.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/152.html#c21

[近代史3] 輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく 中川隆
15. 中川隆[-14072] koaQ7Jey 2020年2月03日 13:19:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-751]
疫病に限らず、我々が「国境」により守られていない場合、
「外国の産業、労働者との自由な競争により、国内市場で所得を稼ぐことが困難になる」
 という形で、苦境に立たされることになります。

 そもそも、イギリスが「自由貿易!」などと標榜したのは、国内の過剰な生産能力により生産される綿製品の「市場」を求め、世界最大の綿製品製造大国、消費大国だったインドに目を付けたためです。

 インドは軍事力を背景にした英東インド会社、英国政府により国境を引き下げられ、「モノ」の移動を制限できなくなります。
 産業革命を経て生産性が極端に高まったイギリス面産業に、インド側は全く対抗することができませんでした。

 イギリス製品が流入するまでは、綿布産業で繁栄を極めていたインドのダッカ、スラート、ムルシダバードなどの街は貧困化の一途をたどり、当時のイギリスのインド総督が、
「この窮乏たるや商業史上にほとんど類例を見ない。木綿布工たちの骨はインドの平原を白くしている」
 と嘆くに至ります。

 80年代以降の日本は、「自由貿易? 自由だからいいじゃない」といった幼稚なレトリックにより、ひたすらグローバリズムを推進。国境を引き下げ、自ら貧困化し、自分たちの「安全な生活」を破壊してきました。

 今でも、
「国境は低ければ低いほどいい」
 と、歴史や経済、国家、主権について無知な連中が繰り返し、多くの国民はグローバリズムを礼賛というか、信仰している有様です。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12572370175.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/187.html#c15

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
1. 中川隆[-14071] koaQ7Jey 2020年2月03日 13:40:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-750]
2020/2/3
新型コロナウイルスはHIVのタンパク質を含み免疫系を破壊する  

 

■ HIVの4種類のタンパク質がコードされた新型コロナウィルス ■

インド工科大学の研究チームは新型コロナウイルスのタンパク質の解析を行い、新型コロナウィルスがSARSに近い祖先を共有している事を発見。そこでSARSウイルスとタンパク質のコードを比較した所、SARSウイルスには含まれない4つのタンパク質が挿入されている事を発見しました。

「GTNGTKR」「HKNNKS」「GDSSG」「QTNSPRA」

何とこれらのタンパク質はHIVウイルスが含むタンパク質であると研究チームは発表しています。

■ 一度感染しても再感染するリスクを警告 ■

中国国家衛星健康委員会は31にの記者会見でこう発表しています。

「感染後に出来る抗体は長時間持続しないものもある。一度感染して治癒した患者にも再感染のリスクがある」

■ 重症化は20%、致死率は3% ■

新型コロナウィルスがHIVのタンパク質を含む事で、HIV同様に人の免疫系を破壊するかどうかは不明ですが、これまでの中国政府の発表から重症化率は20%程度、致死率は3%程度である事が分かっています。

SARSの致死率が30%程度ですから、病毒性は若干弱いもののインフルエンザの致死率が0.1%とされていますから、新型コロナウイルスは非常に危険なウイルスである事は間違いありません。

■ 潜伏期間が9日から2週間という厄介なウィルス ■

中国政府が新型コロナウイルスの封じ込めに失敗した原因は、潜伏期間の長さにあります。通常のウイルスであれば48時間程度で発症しますが、9日から2週間も症状が現れないウイルスでは、その期間に感染者が多くの人々と接触し、電車や飛行機で長距離移動する人も多い。

武漢市では春節を前に市民の半分が市街に移動したと言われています。最早ウイルスは中国全土の拡散してしまいました。さらに、武漢からの観光客が世界中にこのウイルスを運んでいます。中国政府は武漢の公共交通機関を封鎖井し、1月27日からは中国人の海外渡航を基本的に禁止しました。

しかし、既に日本を始め多くの国々に新型コロナウイスは運ばれてしまいました。

■ 1月程度で感染が拡大するか分かる ■

武漢で新型コロナウイルスが発見され話題になったのが12月初旬でした。その頃は数人の患者でしたから2か月で中国全土のアウトブレイクした事になります。

その間、武漢からの観光客が大勢日本にも入国して観光をしています。バスの運転手とガイドの感染が明らかになっていますが、彼らはバスという「密閉空間」で感染した可能性が高い。

一方、一般の日本人がどの程度感染しているかですが、新型コロナウィルスがインフルエンザや一般的な風邪と同程度の感染力を持つのならば、それなりの数の日本人が感染している可能性は否定出来ません。

日本政府は武漢から帰国した日本人を隔離していますが、中国人渡航者を制限しなかった時点でウイルスの封じ込めに失敗しています。

仮にこのウイルスが「中国人限定」で無いならば(既に日本人が感染しています)、中国の前例から1か月程度で感染が拡大するか分かるハズです。

■ スーパースプレッターの存在 ■

中国当局は新型コロナウイスのスーパースプレッターの存在を警告しています。武漢市の医療機関では15人のスタッフが感染しましたが、たった一人の患者から感染した可能性が高い。

この様に特異的にウイルスをまき散らす感染者をスーパスプレッターと呼びます。スーパースプレッターが現れると感染は急激に拡大する事が分かっています。

さらに新型コロナウイルスの潜伏期間が長い事や、症状の出ない感染者も感染拡大に拍車を掛けます。

■ 春の訪れと共に感染は収束する ? ■

新型コロナウイルスが気温や湿度によって感染率がどう変化するかは未知数ですが、一般的な風邪のウイルスは、気温が低く乾燥した環境で感染力が拡大します。冬に風邪が多いのはその為です。

日本は中国内陸部に比べれば冬でも温暖ですから、もしかすると武漢程の感染拡大は起こらないかも知れません。さらに、3月に入れば気温も高くなりますから、感染は収束に向かうかも知れません。

■ 日本人の免疫力は低い ■

懸念すべき点があるとすれば、日本人の免疫力が低下している点です。

多くの報道が中国の衛生状態の悪さがウイルス感染を助長している的な報道をしていますが、衛生環境が悪いからこそ中国人の免疫力は高い。

一方、社会的病理とも思える「キレイ好き」の日本人の免疫力は相当に低下しています。生物は多くの病原菌やウイルスに感染する事で免疫を獲得し、基礎免疫力も向上しますが、清潔な環境では免疫がまともに働かなくなります。結局暇になった免疫は、花粉などドーデも良いタンパク質に過剰に反応してアレルギーを引き起こします。

はたして、日本人の「キレイ好き」がウイルスの拡大を防ぐのか、逆に感染を拡大するのか、個人的には興味が有ますが・・・・やはり致死率が3%もあるウイルスは遠慮したい。


■ 「新型コロナウイルスより怖いインフルエンザ」というデマにご用心 ■

「新型コロナウイルスよりも、日本で毎年1万人以上が死亡するインフルエンザの方が怖い」という書き込みがネットでちらほら出て来ました。CNNも似た様な記事をアップしています。

これ、インフルエンザで儲かる人達の「便乗商法」ですからご注意を。

「日本で1万人以上の死者」というのは「超過死亡率」で、インフルエンザを発症した後に、肺炎など合併症で亡くなった方を含む数字です。多くが高齢者で、インフルエンザに罹らなくとも免疫力が低下していたり、持病が悪化していたりで、遅かれ速かれお亡くなりになる可能性が高い方々。インフルエンザは切っ掛けに過ぎません。

世界の医学界では「インフルエンザワクチンの効果は限定的で、タミフルなどの抗インフルエンザ薬の効果は回復を1日早めるだけ」というのが常識です。


日本の医療関係者のブログやTwitterの書き込みは、こんな内容で溢れています。

「インフルエンザの季節になると外来が混雑して迷惑。抗インフルエンザ薬の効果が限定的な事を説明しても、検査と抗インフルエンザ薬の処方を要求して来る」

「インフルエンザの患者は家で寝ていれば治る。病院に来てワザワザ他の外来患者にうつさないで欲しい」


要は、インフルエンザ如きで病院来るな。家で寝てれば治る!!


しかし、子供がインフルエンザになれば学校を休み為に診断書が必用ですし、社会人も会社を休む為に診断書が必用です。こんなの「インフルなので今週はお休みします」の電話一本で充分ですが、几帳面な日本人は「診断書」を求めます。

さらに、会社でインフルエンザを持ち込むと重罪人扱いに成りますし、忙しい人程、休んで家で寝ているという選択肢は取れません。そこで、咳止めを飲んで、元気な振りをして出社します。そうすると、暇な人が感染して・・・会社を休む。忙しい人はさらに忙しくなる・・・。

・・・・なんだかなぁーーー。

「インフルエンザなんてただの風邪」という常識が普及してくれないと、この空しい連鎖が繰り替えされます・・・。

話が逸れてしまいましたが、新型コロナウイルスの感染の疑いがある場合は、家族も含め他人との接触は最小限に留め、しかるべき医療機関に連絡を。間違えても、咳止め飲んでこっそり出社しないように!!

「症状の特徴は痰を伴わない乾いた咳と高熱」


【追及】 インドの研究チームは査読前の論文を取り下げました「HIVウイルスに類似のタンパク質を含む」「人為的に合成されたものでは無い」と言う文章に変更される様です。陰謀論関連のブログで論文が世界的に拡散してしまったので身の危険を感じたのでしょう。

一方タイではタミフルと抗エイズ薬の投与で患者の症状が改善したと報じられています。やはりエイズウイルスのタンパク質を含んでいるのでしょう。

何となくウイルスをばら撒いた連中の顔が見えて来ますね。株を買うなら今でしょう。これらの薬関連の。

https://green.ap.teacup.com/pekepon/


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c1

[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
3. 中川隆[-14070] koaQ7Jey 2020年2月03日 14:40:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-749]
レナード・バーンスタイン指揮 マーラー 交響曲 第9番



ISRAEL PHIL.ORC GUSTAV MAHLER SYMPHONY NO.9


ISRAEL PHIL.ORC. TOUR IN JAPAN 1985
CONDUCTOR LEONARD BERNSTAIN

____

G.Mahler : Symphony No.9 (L.Bernstein/Israel P.O) 1985.9.3 Osaka,Japan


1985.9.3 Festival Hall,Osaka
ETERNITIES

_____

G.Mahler : Symphony No.9 (L.Bernstein/Israel P.O) 1985.9.5 Nagoya,Japan


1985.9.5 Civic Hall,Nagoya
ETERNITIES


_________

イスラエル・フィル
Helicon Classics(イスラエル・フィルのレーベル)。


1985年8月25日、テルアビブ、マン・オーディトリアムでのライヴ録音。
29:27 + 16:43 + 12:07 + 30:15 = 88:32。

順序としてまずコンセルトヘボウとのDG盤を録音したあと、このIPOとのイスラエルでのライヴがあり、それに引き続き9月にIPOとの伝説的日本公演が行われた。

日本での全9公演のうち4公演がこの曲で、なかでも初日3日の大阪・フェスティバルホールと、8日の東京・NHKホールがことのほか凄絶な内容であったという。
このNHKホールには東北大混声の同級生が聴きに行っていて、その話を聞かされたものだ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm



▲△▽▼

Mahler: Symphony No. 9 (Bernstein, Koninklijk Concertgebouworkest)





Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
Leonard Bernstein

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
DG。1985年5月29日〜6月3日、コンセルトヘボウでのライヴ録音。
考えうる最高の名演。何も言う必要がない。
29:52 + 17:26 + 11:47 + 29:34 = 88:39
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm

▲△▽▼

マーラー: 交響曲 第9番 ニ長調 バーンスタイン, ベルリン・フィル 1979





Leonard Bernstein
Berliner Philharmoniker Oct.1979

DG。1979年10月、バーンスタイン唯一のベルリン・フィルへの客演。
27:31 + 15:49 + 11:59 + 26:03 = 81:22
1992年発売でセンセーションを巻き起こしたが、完成度の高さという点ではコンセルトヘボウ盤のほうをとるべきだと思う。
2010年初頭、ORIGINALSシリーズOIBP化輸入盤で出た。何と82分4秒が1枚で収まっている(左)。
2015年にはバーンスタイン没後25周年記念でシングルレイヤーSACDが出た(右)。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm

▲△▽▼

Mahler Symphony no. 9 - Vienna Philharmonic Orchestra - Leonard Bernstein


Vienna Philharmonic Orchestra

DG。UNITEL映像DVD。1971年3月、ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ。
27:24 + 16:06 + 11:28 + 25:48 = 80:46
この終楽章冒頭を見て聴いて、何も感じない人は、音楽を聞く必要のない人である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler9.htm




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html#c3
[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
4. 中川隆[-14069] koaQ7Jey 2020年2月03日 14:56:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-748]

カラヤン


Mahler Symphony No. 9 - Karajan, BPO, 1982 Salzburg Live Recording (SACD)



Conductor: Herbert von Karajan
Berlin Philharmonic Orchestra
Live recording, Salzburg, 1 May 1982. SACD, 2000.

________


Mahler “Symphony No 9” Karajan & BPO, 1982



Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル

DG。OIBP化。2CD。1982年9月30日、ベルリン芸術週間におけるカラヤンには珍しいライヴ録音。

カルロス・クライバーのベートーヴェンの第4番と同じ年に発売されたにもかかわらず、こちらがレコード・アカデミー賞を受賞した(1984年度)が、そんなに良い演奏かぁ? 

のっぺりした感じがする一方、クレンペラーのように悟りきっているわけでもない。
バーンスタインが客演した直後79年11月のスタジオ録音も出ているが私は持っていない。


_______


Mahler “Symphony No 9” Karajan & BPO, 1980



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マーラー/交響曲第9番ニ長調/カラヤン (創立100年記念コンサート



(1982年5月1日 フィルハーモニーホール ベルリン・フィル創立100年記念コンサート) 1982年9月23日エアチェック 動画開始後1分51秒くらいでイス?を倒したような音がありますが、放送時のものです。

 カラヤンの交響曲第9番には、79年〜80年のスタジオ録音と82年のライブ録音があります。市販のCDは(海賊版を除き)この2つです、と思います。今回アップしたエアチェックテープは、そのライブ録音の2ヶ月ほど前の演奏会のテープということになります。テープには演奏開始後1分30秒後、譜面?イス?を倒したような音があります。カラヤンさん、瞑っていた目をギョロっと開けて睨みつけたのでしょうか。

 ちなみに82年のライブ録音版のCDジャケット、ガブリエラ・ブランデンシュタイン撮影の、カラヤンの憂えた横顔のジャケット写真、かっこいいと思います。
    
 このCDは1985年4月にF66G 50038/9(410 726-2)発売されましたが、6,600円もしたし、まだ当時は第9番のすごさを知らなかったので、新譜では買わず、数年後に中古で購入しました。1985年から買い集めたCD、ここ数年来はiTunesにインストールして、あらかたヤフオクで売却しましたが、このCDは手元に置く数少ないCDのひとつです。iTunesで膨大な楽曲管理はすごく便利で音質もいい、でもクラシック音楽にCDジャケットは必要ですよね。

 マーラーファン、交響曲第9番の好きな方は聴き比べてみてください。

 エアチェックテープのタイミングです。
 第1楽章28分02秒 第2楽章16分31秒 第3楽章12分52秒 第4楽章25分48秒 計85分00秒
https://blog.goo.ne.jp/tgcy2801/e/3d96d349968463a04259f4bcb7aefee1



カラヤンはこの曲をシェーンベルクの 浄められた夜 と同じ様な後期ロマン派の爛熟した退廃芸術として捉えています。

従って、ワルターやバーンスタインの様な死の音楽とは全く違った曲になっています。



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html#c4
[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
50. 中川隆[-14068] koaQ7Jey 2020年2月03日 15:59:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-747]
2020.02.03
イラクで新首相が指名されたが、同国民の米国に対する感情は変化しそうにない


 イラクのバルハム・サリフ大統領は​新たな首相としてモハメド・タウフィク・アラウィを指名​した。この人物はアヤド・アラウィ元首相の甥にあたり、ノウリ・アル・マリキ政権で通信相を務めている。

 シオニストの一派であるネオコンは1980年代にイラクのサダム・フセイン政権を倒そうとしてきたCIAと関係が深く、ペルシャ湾岸産油国の防波堤になっていたフセインを倒そうとしたのは、そこに親イスラエル体制を樹立してシリアとイランを分断し、両国を殲滅して中東全域をイスラエルに支配させたかったからだ。

 その考えをネオコンのポール・ウォルフォウィッツも共有していた。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、国防次官だった1991年にウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると語っているのだ。(​3月​、​10月​)

 そして2003年3月にアメリカ軍は従属国の軍隊を引き連れてイラクを先制攻撃、フセイン体制を倒したのだが、親イスラエル体制の樹立には失敗、イランとの関係が強い政権が現れた。2006年にノウリ・アル・マリキが首相になるとイラクはアメリカ支配から抜け出す動きを見せ始める。そこでアメリカは首相をすげ替えるが、思惑通りには進んでいない。

 マリキが首相になった翌年、​調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌に、ジョージ・W・ブッシュ政権がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定めてスンニ派と手を組むことにしたと書いた​。その相手はサラフィ主義者やムスリム同胞団をさすが、フセイン体制の残党も含まれている。

 2009年1月にアメリカ大統領はブッシュからバラク・オバマに交代するが、戦術は継承された。オバマ大統領は2010年8月にPSD-11を出し、ムスリム同胞団を主力とする体制転覆プロジェクトを開始している。

 そのオバマの政策がサラフィ主義者の支配地域を出現させるとDIA局長として警告したのがマイケル・フリン中将。その警告通り、2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)が出現、シリア東部からイラク西部にかけての地域を支配するようになった。

 そのダーイッシュを敗走させたのがシリア政府の要請で介入したロシア軍とイランの革命防衛隊。その中でも重要な役割を果たしてきたガーセム・ソレイマーニーは1月3日にバグダッド国際空港でアメリカ軍が暗殺した。

 そのときソレイマーニーはサウジアラビアとイランとの間で進められていた関係修復を目指す交渉のメッセンジャーとしてイランの返書を携えていた。この交渉を潰すこともアメリカ側の重要な目的だったのだろう。

 アメリカは昨年からイラクの親イラン政権を揺さぶるため、イラク国民の不満を利用して「カラー革命」を仕掛けているのだが、ソレイマーニー暗殺を切っ掛けにしてその抗議活動は反アメリカに変化していると伝えられている。クルド系のサリフ大統領とダボスで会談したドナルド・トランプ米大統領はイラクとアメリカとの蜜月を演出したが、逆効果だろう。首相交代でイラク情勢が劇的に変化するとは思えない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002030000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c50

[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第9番 中川隆
5. 中川隆[-14067] koaQ7Jey 2020年2月03日 17:59:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-746]
マーラー 交響曲第9番二長調 名盤 : ハルくんの音楽日記 2010年6月 1日
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-3ed4.html


マーラーはアメリカからヨーロッパに戻っていた1909年の夏に交響曲第9番を完成させました。そして再びニューヨークへ行った1910年の冬に、この曲の修正にかかりきりになりました。それでもクリスマスには、妻アルマと娘と、家族だけで水入らずの楽しい時間を過ごしたそうです。それはマーラーがこの世を去ることになる僅か5ヶ月前のことでした。

『第9交響曲』の迷信におびえて、9番目の交響曲に「大地の歌」と名づけたマーラーにとって、この曲は本当は10番目の交響曲です。そして、後期ロマン派の巨人が完成させた最後の交響曲となったのです。果たして、この作品は生涯の大傑作となりました。曲の構造は第6番以来のシンプルな4楽章構成です。けれども内容は長い曲の中にぎっしりと詰め込まれています。

第1楽章 アンダンテ・コモード
第2楽章 ゆるやかなレントラー風のテンポで(歩くようにそして極めて粗野に)
第3楽章 ロンドーブルレスケ、アレグロ・アッサイ(極めて反抗的に)
第4楽章 アダージョ 

なんといっても驚くべきは、この曲は長大であるにもかかわらず、どこをとってもおよそ無駄が無いことです。楽想は相変わらず、静けさ、激しさ、怖さ、優しさなどが、次々と表情を変えて繰り返されるマーラー調なのですが、音楽が結晶化されているために少しも停滞する事がありません。長い第1楽章から音楽の深さははかりしれず、生と死の狭間で激情的に揺れ動くマーラーの精神そのものです。第2楽章の素朴な雰囲気と中間部の高揚は心をとらえて止みません。第3楽章の激しさにも大いに惹かれます。この皮肉的な楽しさは、マーラーの現世との最後の戦いだったのでしょう。そして終楽章アダージョでは、とうとう黄泉の国に分け入ってゆくような神秘感を一杯に漂わせています。マーラーは自身の死を既にはっきりと予感していたのでしょう。僕はマーラーの全交響曲の中で、やはりこの曲が最も好きですが、古今の交響曲の中でも、肩を並べられるのはブルックナーの9番しか有りません。

僕はこの曲を一度演奏したことが有ります。もう三十年も前のことですが、大学を卒業した年に、当時交流のあった都内の大学数校のオーケストラによる合同コンサートが開かれたのです。指揮をしたのは久志本 涼さんでした。楽器を始めた時にはまさかマーラーの9番を演奏できるなどとは思ってもいませんでした。この2年前には「復活」を演奏することも出来ましたし、つくづく幸せな学生時代だったと思います。

聴き手として接した比較的最近の演奏では、2008年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送響の来日公演があります。決してドロドロと情念の濃い表現では有りませんが、音楽への共感を深く感じられてとても良い演奏でした。彼のマーラーは是非また聴きたいと思っています。

この曲の愛聴盤はもちろん少なくは無いので全て聴き直すのが中々大変でしたが、順番にご紹介していきたいと思います。


ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1938年録音/EMI盤) 

ユダヤ系であったワルターは戦前からナチスによって様々な妨害を受けていましたが、これはオーストリアがドイツに占領される僅か2ヶ月前のウイーンでの歴史的演奏会です。これが単なる「記録」に留まらないのは、録音が非常に明快な為に、演奏を充分に鑑賞することが出来るからです。ここにはマーラーからその才能を高く評価されたワルターが、同じユダヤ系の師の音楽を命がけで守ろうという強靱な意思の力を感じます。現代の指揮者にこのような精神状態になれというのは無理な話です。真に「鬼気迫る演奏」というのはこのような演奏のことでしょう。


ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1961年録音/CBS盤) 

あの壮絶な1938年盤と比べると、随分ゆったりと落ち着いた演奏です。「ゆったり」とは言っても緊張感に欠けるわけでは有りませんが、どうしても38年盤の印象が強すぎるのです。時にはかつてのような激しさを垣間見せたりもしますし、細部の表情づけも入念で、やはりワルターだけのことはあります。それをステレオ録音で聴けることは有り難いとは思います。でも、やっぱりどこかで「生ぬるさ」を感じてしまうのですね。 

サー・ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル(1964年録音/EMI盤) 

定期演奏会の余りの素晴らしさに楽団員たちが感激して、急遽録音を行うことになったという有名な演奏です。バルビローリのマーラーとしても5番、6番ではニューフィルハーモニアというオケの弱さがありましたが、ベルリン・フィルは最高です。阿修羅のようなバーンスタインが「現世での戦い」ならば、こちらはいわば「過ぎ去った戦いの追想」です。遠い昔を懐かしんでいるかのような風情がたまりません。特に弦楽の扱いの素晴らしさが、そういう雰囲気をかもし出すのだと思います。けれども熱さが無いわけではなく、静けさと熱さが同居する稀有な名演だと思います。


カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル(1966年録音/スプラフォン盤) 

アンチェルが「プラハの春」事件で亡命する2年前の録音です。この人のお国もののドヴォルザークやスメタナは最高に好きですが、それ以外ではこれまで心底気に入った演奏はありません。この演奏も中々に立派な演奏ではあるのですが、バルビローリの後に聴くと、弱音部分でのニュアンスや共感度合いでどうしても聴き劣りしてしまいます。弦楽にも硬さを感じます。第3楽章ロンドーブルレスケは切れの良さで楽しめますが、少々健康的過ぎるのが気になります。ということで、アンチェルのファン以外には余りお勧めはできません。

ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ロンドン響(1966年録音/BBCレジェンド盤) 

知る人ぞ知るマーラー指揮者ホーレンシュタインの演奏は昔LPで聴いた6番が無骨ながらも非常に惹きつけられる演奏でした。この9番では第1楽章冒頭の弦は意外にあっさりと開始しますが、徐々に情念と熱気の高まりを増してきます。やはりユダヤの血を感じます。2楽章は遅く穏やかで、これこそレントラー風です。但し中間部はスケール大きく聞かせます。第3楽章ロンドーブルレスケは無骨の極みで巨大な演奏に惹きつけられます。後半では鳥肌が立つほどです。アダージョも美しく深い演奏です。これはクナッパーツブッシュがマーラーを指揮したらかくやと思わせるような?演奏かもしれません。但しオケにミス、傷はだいぶ目立ちます。

オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/TESTAMENT盤)

これはウイーンでのライブ録音です。柔らかい音色や人間味の溢れる味わいは確かに魅力的なのですが、この曲に要求される凝縮力や緊張感に欠ける気がします。録音のマイク・セッティングのせいで、オケが小編成に聞こえるのも気になります。この人の7番のような巨大な超名演と比べると満足し切れないというのが、正直な感想です。クレンペラーには1967年のニュー・フィルハーモニアとのスタジオ録音(EMI盤)も有り、3楽章での遅いテンポによる巨大な表現や終楽章後半は素晴らしいですが、全体としてはウイーンPOの魅力を聴ける、こちらの演奏のほうが良いとは思います。

ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1975年録音/audite盤) 

これは東京のNHKホールでのライブ録音です。クーベリックのマーラーは大抵が速めのテンポで熱く、ユダヤ調のしつこさは無いのに感情に強く訴えかける、という具合ですが、この演奏もやはり同様です。但し、1、2楽章ではまだ少々燃焼不足を感じさせます。3楽章でエンジン全開となって、続くフィナーレではこの世の惜別の歌を感情一杯に聞かせてくれます。


カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ響(1977年録音/グラモフォン盤)

この演奏は昔、LP盤で愛聴しました。遅いテンポでスケールの大きな、いかにもジュリーニの演奏です。けれども、感情の嵐が吹き荒れるような部分でもイン・テンポを保つために、幾らか一本調子な感もあります。2楽章の中間部や3楽章などは、そのイン・テンポが確かに巨大な迫力を生んで素晴らしいのですけれど、ここまで感情の揺れが無いマーラーってのもどうかなぁ、と思わないでもありません。しかし、そこがジュリーニの魅力なのですね。分厚い音の合奏も、さすがにシカゴ響で聴き応えが有ります。

レナード・バーンスタイン指揮ベルリン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) 

バーンスタインがベルリン・フィルを振った余りにも有名な演奏です。当時FM放送からテープへ録音して何度も聴きました。この人のマーラーは必ずしも全てが最高だという訳ではないですが、9番だけは比較を絶する凄さです。壮絶さという点で並び得るのが戦前のワルターのみでしょう。全ての音が意味深く共感に溢れ、生と死の狭間で揺れるマーラーの精神がこれほどまでに音楽になり切っている例は他に決して無いと思います。あとは後年のコンセルトへボウ盤との比較のみです。

 
クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1979-80年録音/EMI盤) 

晩年に入る前のスタジオ録音です。テンシュテットのライブ演奏の凄さを知る者にとっては、もの足りなさが残ると思います。これも普通に素晴らしい演奏なのは確かなのですが、どうしても期待が過大になってしまうからです。それでも部分的には彼らしい表現力に耳を奪われる瞬間は多く有ります。圧倒的な感動までに至らないのが残念です。ロンドン・フィルの力量は例によって、いまひとつというところです。

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1982年録音/グラモフォン盤) 

カラヤンが手兵ベルリン・フィルとバーンスタインの演奏の評判の高さに対抗心を燃やしたとしか思えません。同じライブ盤を3年後に残したのですから。この演奏は美しく、アンサンブルも最高なのですが、およそ「死の翳り」というものは感じられません。余りに健康的だとも言えます。元々俗人のリヒャルト・シュトラウスを得意とするカラヤンとマーラーの生まれ変わりのようなバーンスタインとでは根本的に資質が異なります。マーラーを振って勝負になるはずが有りません。カラヤンがベルリン・フィルを二度とバーンスタインに振らせなかったのも何となくうなずけます。

ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) 

マーラーと縁の深いウイーン・フィルの演奏だというだけで惹かれてしまいます。戦前ほどの濃密さは無いですが、それでもこの柔らかい音は他のオケとは違います。それでいて現代的なアンサンブルも持ち合わせているので魅力的です。バーンスタインほどテンポに緩急はつけず、ジュリーニほどインテンポではないですが、バランスの良さを感じます。終楽章のみ少々速く感じますが、非常に美しいです。この演奏はウイーン・フィルのマーラーを良い録音で聴きたい方にはお勧めです。


レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1985年録音/グラモフォン盤) 

バーンスタインはカラヤンの邪魔立てを知ってか、それならと「へーん、ベルリンPOを振らなくったっていい演奏は出来るやーい」と、今度はコンセルトへボウと録音を行いました。こうなればマーラー演奏に伝統の有るコンセルトへボウは負けるわけには行きません。かくて両者の意地がベルリンPO以上の演奏が実現しました。スケールの大きさ、完成度ではこちらがずっと上です。3楽章のたたみかける迫力もベルリンPO以上。終楽章の神秘性、寂寥感も最高です。どちらか一つを選ぶなら僕は迷わずにコンセルトへボウ盤を取ります。


ガリー・ベルティーニ指揮ウイーン響(1985年録音/WEITBLICK盤) 

これはEMIへの録音盤ではなく、ウイーンでのライブ演奏です。ベルティーニはケルン放送を振るときよりもずっとオケの自発性に任せている印象で、おおらかさを感じます。最初はかなり手探り状態で危なっかしいのですが、少しづつ調子が上がって行くのがいかにもライブです。2、3楽章もオーケストラにミスも多く、荒い感じがしますが、終楽章では神秘的な雰囲気を漂わせていて感動的です。やはり良い演奏だと思います。ムジークフェラインの響きを美しく捉えた録音も良いです。


クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1987年録音/グラモフォン盤)

 ウイーンでのライブ録音です。弦も管も非常に響きの美しさを感じます。しかもライブとは思えないほどにアンサンブルが優秀で、安心して聴いていられます。3楽章のドライブ感も実に見事です。ただし問題は、この曲の「怖さ」が余り感じられないことです。悲劇性、汚さから離れて、ひたすら美しさに徹した演奏には幾らか疑問を感じます。アバド/ウイーンPOの3番、4番は文句無しの名演奏ですが、この曲の場合は、そこまでの感銘は受けません。ただ、聴き疲れしませんし、何度でも繰り返して聴ける名盤だと思います。深刻なマーラーは苦手だと言われる方には是非のお薦めです。


ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) 

EMIへの全集録音ですが、「大地の歌」と同様に日本でのライブ収録です。さすがに手兵のケルン放送だけあって、スタジオ録音と間違えるほどに完成度が高いです。録音も広がりが有り優れています。ユダヤ的な粘着性は余り感じさせない耽美的な演奏ですが、この人の職人的な面が最上に発揮されています。但し、マーラーの死への恐れの心情表現は必ずしも充分に感じられず、終楽章も余り心に深く響きません。むしろ完成度は低くとも終楽章はウイーン響盤の方が感動的でした。

ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1995年録音/CANYON盤) 

この演奏には激しさはおよそ感じませんし、全体のテンポも極めて中庸です。けれども、全ての音符に意味深さが込められているので、聴いているとマーラーの音楽が自然にどんどん心の奥底まで染み入って来ます。これは凄いことです。ノイマン晩年のマーラー再録音はどれもが素晴らしいのですが、この9番は、3番、6番と並んで特に優れた演奏だと思います。チェコ・フィルの音は非常に美しいですし、CANYONの録音はもちろん優秀です。


小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(2001年録音/SONY盤) 

自分は同じ日本人として小澤さんを尊敬しているのですが、サイトウ・キネン・オケについては少々懐疑的なのです。スーパー臨時編成オケで、松本フェスティヴァルでの中心的役割を果たすのは良いとしても、次々と発売されたライブCDにはどうも商業主義を感じずにはいられませんでした。この演奏は東京文化会館でのライブ録音で、もちろん水準を越える出来栄えですが、常設オケのような熟成された音が感じられません。この直後にボストン響を指揮したフェアウェル・コンサートと比べると大きな差が有るように感じます。出来ればボストン・ライブをCDリリースして欲しいところです。


実は、この曲は普通に演奏してくれれば、どの演奏も感動的です。それほど音楽が素晴らしいからです。この曲を演奏して、もしも人を感動させられなければ、その演奏家はマーラーを演奏しないほうが良いのかもしれません。

僕の好みでベスト盤を上げてみますと、迷うことなくバーンスタイン/コンセルトへボウ盤です。それに続いてバーンスタイン/ベルリン・フィル盤です。

この2つはたとえどちらか片方のみだけでも充分過ぎるほど満足できますが、やはり両方としたいです。

バーンスタインが余りに素晴らしいので、その他は随分引き離されますが、バルビローリ/ベルリン・フィル盤は個人的に大好きです。

それ以外はかなり団子状態ですが、マゼール/ウイーン・フィル盤、ベルティーニ/ウイーン響盤、ノイマン/チェコ・フィル盤には捨て難い良さが有ります。そして番外として外せないのは歴史的演奏のワルター/ウイーン・フィル盤です。

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2013年3月 3日
マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン/イスラエル・フィルのライブ盤: ハルくんの音楽日記
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レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(1985年録音/Helicon Classics盤)


僕は、自称ブラームジアーナーとして、ブラームスの音楽を心の底から愛していますが、同じように溺愛しているのがマーラーです。そのマーラーの曲で、どれか一つだけ選べと言われれば、ためらわずに選ぶのが交響曲第9番です。もちろん、アマチュアオケ団員時代に、この曲を演奏したことも影響しているかもしれません。でもそれを抜きにしても、やはり他のどの曲でも無く第9なのです。

その第9交響曲の演奏のなかで一番気に入っているのが、「劇場型」(「激情型」とも)マーラー演奏家として最高のレナード・バーンスタインです。もちろん人によっては、ワルターだ、ジュリーニだ、バルビローリだ、と色々と言われるでしょう。けれどもバーンスタインの洗礼を受けたファンにとっては、とてもとても比べものにならないほどの唯一無二の存在がバーンスタインの演奏です。

そのバーンスタインによるマーラーの第9交響曲については、正規録音として以下の4つの演奏がCD化されています。


1965年12月  ニューヨーク・フィル(スタジオ)
1979年10月  ベルリン・フィル(ライブ)
1985年5、6月 ロイヤル・コンセルトへボウ(ライブ)
1985年8月   イスラエル・フィル(ライブ)

(この他に、1971年3月のウイーン・フィルとのライブも存在しますが、ビデオ収録のみです)

このうち、バーンスタインのマラ9のベスト演奏はどれかと言えば、自分としてはコンセルトへボウ盤(グラモフォン)を上げますが、ベルリン・フィル盤(グラモフォン)を上げる方も居ます。ただ、最初のニューヨーク・フィル盤(CBS)を上げる人は少なそうです。

そんなバーンスタインのマラ9で最近リリースされたのが、最後のイスラエル・フィル盤で、本拠地のテルアビブでのライブ録音です。何となくグラモフォンのジャケット・デザインを彷彿させますが、実際にはイスラエル・フィルの自主レーベル「Helicon Classics」が制作したものです。録音スタッフも全てイスラエル人のようです。

実はこのコンサートの翌月に、彼らは日本でコンサート・ツアーを行なって、マラ9を4度演奏しました。古いマーラーファンには伝説となっているコンサートです。残念ながら僕はそれを聴いていませんが、当時それを聴いた人の話では、空前絶後の凄演だったそうです。その日本のコンサートを想像できるCDとしてはとても貴重だと思います。

さて、肝心の演奏内容ですが、多くのCDレヴューを読むと賛否両論で興味深いです。ある人は「過去の全ての演奏を凌ぐ」と書いていますし、「大したことない」と書いている人も居ます。僕には、そのどれもが本当だろうと思います。少なくとも、書き手にとっては、その人の書いた通りなのです。ですので、これから書く感想も、あくまで僕一人の感想でしかありません。

これまでの演奏と比べて、最もユダヤ的な演奏に感じます。第二次大戦前のウイーン・フィルが、どうしてあれほど甘く柔らかい音を出せていたかと言えば、ユダヤ人が多く在籍していたからだそうです。長い指を持つユダヤ人が弾くヴァイオリンの音の特徴なのですって。イスラエル・フィルにはそれと共通した魅力を感じます。とにかく甘く柔らかく、そして粘ります。それがマーラーの音楽との同質性を感じさせます。それは、ユダヤ系の指揮者と、それ以外の民族の指揮者が演奏するマーラーの確かな違いとも言えます。従って、バーンスタインの指揮したマラ9は全てが魅力に溢れてて感動的です。もちろん、この演奏も同じです。最も顕著なのが第4楽章で、弦楽の息の長い旋律を、粘りに粘って弾いています。こういうのが苦手の人には抵抗が有るでしょうね。でも僕は大好きなのです。魂の没入度では一番かもしれません。バーンスタインの足音がひときわ大きく聞こえますし(笑)。

この楽章を聴くだけでも価値が有ると思います。但し、それまでの楽章について言えば、特に管楽器全体の質とミスがかなり多いのがマイナスです。実演で聴けば気にならないようなことでも、CDで聴く場合は気にならないと言えば嘘になります。ですので、ディスクとして聴く限りは、やはりコンセルトへボウ盤がベストです。恐らく、このCDを聴かなくても困らなかったとは思いますが、聴いたことを後悔はしていません。聴いて良かったと思っています。

もっとも、他の人に「このCDを聴くべきか、聴くべきでないか?」と尋ねられても答えられません。その答えは「その人が聴きたいと思えば聴くべき」でしかないからです。

コメント


マーラーの「第9」は 20代の頃、夢中になって聴いていました。当時は「これこそ、究極の交響曲だ!」と思っていましたね・・・。(笑)

確かに マーラーの行き着いた究極の作品には間違いありません。
しかし、年齢を重ねてくると、ブラームスやブルックナー、また、シベリウスの交響曲を聴く機会が増えているのは事実です。何故でしょうね・・・?      

CDは やはりバーンスタイン/コンセルトヘボウ管盤と ワルター/ウィーン・フィル盤が双璧だと思います。(私としては ワルターの方に思い入れがあるのですが・・・(笑))
投稿: ヨシツグカ | 2013年3月 3日 (日) 22時34分


マーラーは青春時代に一度は熱病にかかりますね。
僕も今はブラームスとシベリウスの方を聴くことが多いですが、マーラーも聴かないわけではありません。むしろブルックナーよりも多いかもしれません。
まだ青春が終わっていないのかも。(笑)
投稿: ハルくん | 2013年3月 3日 (日) 22時49分

こんばんは。
コンセルトヘボウ管弦楽団とのDG盤に続き この盤も聴きなおしましたが
DG盤には演奏も録音も及ばないと思えます。
全体的に「埃っぽい」録音なので、演奏の良さが伝わってきません。

9月3日(来日初日)の実演は彼岸から聴こえてくるような弦の美しさでしたが・・・

バーンスタインならば発売を許可しなかったでしょう(ベルリンも)。
演奏家の生前に発売された盤を尊重するのが演奏家に対する礼儀ではないかと思えます。
投稿: 影の王子 | 2017年5月17日 (水) 20時19分

そうですね。コンセルトヘボウ管とのDG盤の完成度と比べては問題になりませんね。

ベルリンフィル盤に関しては存在意義を認めますが、このイスラエル盤は不要だったかもしれません。

日本公演の感動をそのまま記憶されていたほうが幸せでしょうね。生演奏を忠実にパッケージすることは至難の業です。とくにこの時代では。
投稿: ハルくん | 2017年5月18日 (木) 12時35分

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[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
2. 中川隆[-14066] koaQ7Jey 2020年2月03日 18:42:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-745]
2020年02月03日
武漢肺炎 中国というシステムが作り出した妖怪だった


武漢市は1月23日過ぎまで、被害を訴える人を「デマを流した」と逮捕し治療しなかった。
この1カ月半で爆発的に感染者が増え治療不可能になった

画像引用:https://d15-a.sdn.cz/d_15/c_img_F_O/7d1MVj.jpeg?fl=cro,98,0,1080,720%7Cres,1200,,1%7Cwebp,75

中国というウイルスの自壊作用だった

武漢発の新型コロナウイルスは相変わらず中国では爆発的に増加し、中国以外の国ではそれほどでもない。

武漢から帰国した日本人感染者は565人中8人で、これを武漢周辺地域に当てはめると1月31日に20万人の感染者がいた筈です。

だが中国政府が発表した武漢市の患者数は2月2日に5千人程度で、中国全体でも1万5千人にすぎない。


もしこの発表を信じると新型ウイルスは日本人にだけ1.4%の割合で感染し、中国人は0.04%しか感染しない。

この理由を医師や科学者は誰も説明できないが、中国政府が武漢の患者数を40分の1に発表しているとすれば合理的に説明できる、

中国以外での感染者数は26か国178人で、50万人超と推測される中国に対して大幅に少ない。


この理由は中国以外で発熱や感染した患者が適切な治療を受けたのに対し、中国は今も9割以上の感染者を放置しているからです。

感染者数を40分の1に偽っているということは、治療を受けている人は感染者の40人に1人に過ぎないのを意味します。

人口1100万人の武漢に医療設備が整った病院は5つしかなく、臨時に建設した病院を含めて7病院です。


一つの病院で受け入れ可能なのは500人から1000人、外来で1日に受け入れ可能なのもその程度でしょう。

すると中国政府や湖北省が全員を治療したいと考えても、感染者が増えると不可能だったのです。

中国政府は感染者が100人以内の時に情報を隠蔽し、患者を逮捕して刑務所に入れていました。

中国以外では拡大しない可能性

感染者数人の段階で適切な治療をしていたら、中国国内の患者数は諸外国と同じ数十人にとどまっていたでしょう。

中国は最初の感染者が出た19年12月初めには事態を把握していたが、治療どころか「デマを流した」と取り締まりました。

武漢市民は感染を訴えると逮捕されるので病院に行くどころか隠れてしまい、治療不可能になって感染者を増やした。


これが武漢ウイルスの真相で、おそらく新型ウイルスの感染力自体はそれほど強くなかったのかも知れません。

各国は感染者の入国を防止しようとしていて、アメリカとオーストラリアは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国を拒否した。

フィリピンは2月2日に中国以外で初の死者が出たのを受けて、中国からの入国を禁止するとしている。


タイの保健省は2月2日、重症の新型肺炎患者にインフルエンザ治療薬と抗エイズウイルス(HIV)薬を組み合わせて投与したところ、症状が急速に改善したと発表した。

71歳の重症患者に投与したところ、熱が下がり食欲が回復し、48時間以内にコロナウイルスが消えたという。 

HIVウイルスとコロナウイルスの類似性が数日前から指摘されていて、HIVウイルスが変化した物という説もある。


武漢ウイルスの発生源とされた武漢の海鮮市場だが、本当に発生源だったのが疑問視する声が上がっている。

イギリスの医学専門誌ランセットによると最初の感染者4人のうち3人は海鮮市場に行っておらず、行ったのは一人だけだった。

初期の感染者41人のうち華南海鮮市場に行ったのは27人だけで、市場を悪玉に仕立てたのも中国政府が責任を押し付けた可能性が高い。

中国政府はやっと感染防止に本腰

中国浙江省温州市で2月2日に外出禁止令が出され、住人は家の中や部屋から出るのを禁止された。

2日に1度、1家庭から1人に限り、食料品や日用品を買いに出掛けて良いが、仕事をするのも禁止。

医療機関や感染防止に関わる仕事以外は、全面的に外出禁止となり、事実上の戒厳令に等しい。


湖北省黄岡市も1月1日から同様の措置を取っていて、これには中国共産党の姿勢変化が影響している。

中国共産党は最初の感染者確認から1か月半も経った20年1月20日にやっと対応を指示したが、それまでは隠蔽を指示していた。

習近平批判に繋がらないよう、湖北省幹部が対応を遅らせたと批判し、地方役人に責任を負わせた。


中国ではこんな場合、地方役人が責任を否定すれば即逮捕され、一家全員山奥の収容所などに送られる。

武漢市のトップ、馬国強書記は2月1日にテレビで謝罪放送をし、「自分の対応遅れが被害を拡大させた」と話した。

これの真の意味は「責任を取って謝罪しないと習近平に処刑される」という事なのでしょう。


中国人民銀行は2月3日、1兆2000億人民元(18兆円)を春節明けに資金供給すると発表した。

中国では武漢や大連・上海など南部の都市で商店が休業し、消費経済に大打撃があると予想されている。

外国企業の撤退や工場の一時閉鎖も起きていて、企業の資金繰りを助けるためだと思われる。

http://www.thutmosev.com/archives/82115721.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c2

[番外地7] ソ連共産主義は反ユダヤ思想
ソ連共産主義は反ユダヤ思想

馬渕さんはまた事実無根の嘘を言ってますね。

ユダヤ人は確かに10月革命の主力でしたが、その後殆どが殺されています。つまり、ソ連共産主義は反ユダヤ思想です。

スターリンとエジョフのNKVDのユダヤ人虐殺。大粛清開始時のNKVD上級職員の3分の1はユダヤ人であったが、1939年には4%以下となっていた。スターリンは大粛清の責任をユダヤ人に負わせることを企図し、事実ヒトラーがそう煽ったように、後年ユダヤ人のせいにされた。こうしてのちに続く大量虐殺の布石がうたれたのである。

十月革命後に発足した秘密警察チェーカー(非常委員会)とその後継諸機関では,ユダ ヤ人が反対勢力の弾圧,諜報,防諜活動で大きな役割を果たした。このような状況から著者は 「十月革命の主な担い手はユダヤ人ボリシェヴィキであったことは多くの文献で指摘されてい る」としている。 しかし,革命にこれだけの貢献をしたユダヤ人革命家と秘密警察幹部の末路は悲惨きわまる ものだった。前記のボリシェヴィキ幹部のうち大半が非業の死(銃殺刑か暗殺)を遂げている。 掲載された多くの人々のリストでは,死亡年が1937〜41年の者がとても多い。スターリンに よる大粛清のすさまじさを如実に示したものだ。 第 12 章の秘密警察のユダヤ人のリストでは,取り上げられた 111 人のうち,私が数えたと ころ 79 人が処刑されたか獄死している。党首脳の場合と同じく「人民の敵」ないし「外国の スパイ」としてである。そしてほとんどのものがスターリンの死後に名誉を回復した。つまり 彼らは体制側としては,無実の罪でまったくむなしく生命を失ったわけだ。

スターリンの粗暴で疑い深い性格はつとに知られているが,ユダヤ人を含む各部門の 幹部をなぜあれほど大量に処刑したのか。彼の極端な猜疑心によるのか,なにか別の意図があっ てのことなのか。たしかに大粛清が行われた時期は国際情勢が緊迫し,ソ連にも戦雲が迫って いた。グルジア出身ではあるが,大ロシア主義だったスターリンはもともとユダヤ人ぎらいで, 予想される支配体制の存亡をかけた大戦争を前に,“潜在的に危険”とみなす幹部を一気に絶 滅しようとした,とりわけユダヤ要人が狙われた―ということだろうか。 亡命中の大物政敵トロツキーへのたびたびの暗殺の企てと10 年以上を経てのその実現,演 出家メイエルホリド夫妻の殺害,戦後の俳優ミホエルスのむざんな虐殺などに,スターリンの ユダヤ憎悪の一端が感じられる。この男を登用し,党書記長に起用した首領レーニンの責任は 大きい。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/461.html

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
43. 中川隆[-14065] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:09:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-743]

ロシア革命で活躍したユダヤ人たち 帝政転覆の主役を演じた背景を探る
2011/6/1 中澤 孝之 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4046537515/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i0


中澤孝之著『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち 帝政転覆の主役を演じた背景を探る』 (角川学芸出版,2011年,608ページ)
鈴 木   肇 (平成国際大学名誉教授)
Nakazawa, Takayuki, The Role of the Jews in the Russian Revolution (Tokyo: Kadokawa Gakugei Shuppan, 2011)
Suzuki, Hajime Professor Emeritus, Heisei International University


膨大な資料を駆使した大変な労作である。著者は約500人ものユダヤ人革命家を取り上げた。 それぞれの出身,活動歴,役職,たどった運命をくわしく紹介した。まさに本邦初の『ロシア のユダヤ人革命家事典』である。 読者は帝政ロシアでの激しい反ユダヤ主義の実態とその原因,文豪たちのユダヤ人観,ユダ ヤ人革命家輩出の理由,彼らのたどった悲惨な末路を知ることができる。読み終えた人はあの ロシア革命とはいったい何だったのかと,深く考えこむことになろう。 本書は19 〜 20 世紀のロシアとソ連でのユダヤ人迫害の歴史を主に扱っている。全 12 章の ほぼ半分は帝政ロシアの歴代皇帝のユダヤ人政策の紹介である。その政策は「改革帝」のとき には緩和されたが,途中で引き締めに転じ,「反改革帝」のときには弾圧が強まるという傾向 があった。 ユダヤ人に対する差別政策としては「定住区域」,「居住地区」の設定,公職と経済活動の制 限,高等教育機関での員数割り当て制度,幼少期からの長期の兵役制度などなどが指摘されて いる。二流住民の扱いである。 また著者は帝政時代にユダヤ人が迫害された理由として,ロシア正教の影響,ユダヤ教の「選 民思想」 ,ロシア人農民と労働者の憎悪,偏見,一種の嫉妬心,体制側の危機感などを挙げて いる。中産階級が多い西欧諸国のユダヤ人住民とちがって,ロシア・東欧のユダヤ人の大多数 は貧しい労働者,職人その他だった。しかし,人口の約8 割が文盲の 19 世紀のロシアでは, 男女とも大半が読み書きができて,宗教,生活習慣の異なるユダヤ人は敵対感情を持たれがち な民族だったのであろう。 さらにロシアではポグロム(ユダヤ人に対する集団的暴行,略奪)がたびたび起きて,多く の死傷者が出た。これらの事情が大学卒のユダヤ人知識人の多くを革命運動に走らせた。本書 で引用されている資料では,ユダヤ人は全人口の約4.13 パーセント(1897 年の統計)に過ぎ ないのに,ボリシェヴィキ,メンシェヴィキその他の左翼政党の幹部ではきわめて高い比率を占めていた。

改革期の 1860 年代以降,大学卒のユダヤ人が増えて,のちのユダヤ人インテリ ゲンチャ層を形成した。革命家への有力な供給源である。 十月革命期には,ボリシェヴィキ幹部の中ではユダヤ人革命家が突出していた。トロツキー, スヴェルドロフ,ジノヴィエフ,カーメネフ,ラデック,ウリツキー,ヴォロダルスキー,リ トヴィノフ,ロゾフスキーらである。彼らはユダヤ教を離れ,ロシアに同化した知識人。革命 の成功によって,ユダヤ人問題は解消すると考えていた。思想,理論の水準ではボリシェヴィ キを上回りながら,権力闘争に敗れて非合法化されたメンシェヴィキでも,ユダヤ人の比率は きわめて高かった。領袖マルトフも,長老アクセリロートもユダヤ人である。このほかブンド という一般ユダヤ人の有力社会主義政党があった。 また十月革命後に発足した秘密警察チェーカー(非常委員会)とその後継諸機関では,ユダ ヤ人が反対勢力の弾圧,諜報,防諜活動で大きな役割を果たした。このような状況から著者は 「十月革命の主な担い手はユダヤ人ボリシェヴィキであったことは多くの文献で指摘されてい る」としている。 しかし,革命にこれだけの貢献をしたユダヤ人革命家と秘密警察幹部の末路は悲惨きわまる ものだった。前記のボリシェヴィキ幹部のうち大半が非業の死(銃殺刑か暗殺)を遂げている。 掲載された多くの人々のリストでは,死亡年が1937〜41年の者がとても多い。スターリンに よる大粛清のすさまじさを如実に示したものだ。 第 12 章の秘密警察のユダヤ人のリストでは,取り上げられた 111 人のうち,私が数えたと ころ 79 人が処刑されたか獄死している。党首脳の場合と同じく「人民の敵」ないし「外国の スパイ」としてである。そしてほとんどのものがスターリンの死後に名誉を回復した。つまり 彼らは体制側としては,無実の罪でまったくむなしく生命を失ったわけだ。 本書を読むと,ロシアの近現代史について,さまざまな疑問がわいてくる。帝政ロシアはい かに伝統のある専制体制を守るためとはいえ,なぜユダヤ人にあれほど多くの制限を課し,抑 圧する必要があったのか。「反改革帝」とその側近たちはあまりにも頑迷で,いたずらに敵を ふやし,自らの墓穴を掘っていることになぜ気がつかなかったのか。 また教育程度が高くて,国際経験も豊かなはずのユダヤ人知識人の多くがなぜ革命幻想に取 りつかれ,流刑,投獄などいくたの辛酸をなめながら,スターリンによる大粛清でまるで虫け らのように踏みつぶされなければならなかったのか。一般にロシア人よりも現実主義だと思わ れている彼らもまた「千年王国社会主義」の夢を追っていたのだろうか。 さらにスターリンの粗暴で疑い深い性格はつとに知られているが,ユダヤ人を含む各部門の 幹部をなぜあれほど大量に処刑したのか。彼の極端な猜疑心によるのか,なにか別の意図があっ てのことなのか。たしかに大粛清が行われた時期は国際情勢が緊迫し,ソ連にも戦雲が迫って いた。グルジア出身ではあるが,大ロシア主義だったスターリンはもともとユダヤ人ぎらいで, 予想される支配体制の存亡をかけた大戦争を前に,“潜在的に危険”とみなす幹部を一気に絶 滅しようとした,とりわけユダヤ要人が狙われた―ということだろうか。 亡命中の大物政敵トロツキーへのたびたびの暗殺の企てと10 年以上を経てのその実現,演 出家メイエルホリド夫妻の殺害,戦後の俳優ミホエルスのむざんな虐殺などに,スターリンの ユダヤ憎悪の一端が感じられる。この男を登用し,党書記長に起用した首領レーニンの責任は 大きい。レーニンは最晩年にその誤りに気づいてスターリンの排除を図ったが,果たせないま ま病死した。


次に本書では,ロシア文学の巨匠たちのユダヤ人観がかなりくわしく紹介されていて興味深 い。特に著者は 11 ページにわたって,ドストエフスキーの主張を引用している。全体として 誇張の多い極論ではあるが,当時の一般大衆の反ユダヤ主義感情をそのまま反映した主張なの だろうか。近年,日本ではドストエフスキー人気が再燃しているようだが,彼の作品に加えて 思想も高く評価する人々の論評を聞きたいものだ。

また本書で秀逸なのは,布施勝治氏による ボリシェヴィキのユダヤ要人たちの人物評を引用したことだ。とりわけラデック,ヨッフェ, リトヴィノフ,ボロジン評は的確だ。リトヴィノフはオールド・ボリシェヴィク。西欧で活躍 し,1930 〜 39 年に外務人民委員。米ソ国交樹立などをなしとげたが,スターリンのナチス・ ドイツ接近に伴い解任された。布施氏は会見の際の紅茶のもてなしの一件で,好きになれなかっ たと語っている。鋭い観察だ。ちなみに,同氏はスターリンの死の前後に産経新聞の論説委員 だった。当時,新米記者の私は,小柄だが眼光の鋭いこの大先輩に接する機会に恵まれた。もっ とたくさん,話を聞いておけば良かったのにと悔やまれる。 さらに本書では,弾圧と粛清の渦中を生き延びて,天寿をまっとうした人々がいたことが分 かる。おおむねソ連に残ったユダヤ人活動家の大半は処刑されたか獄死した。しかし,早くに ロシアを去り,欧米に移住したシオニスト(聖地パレスチナにユダヤ民族の国家を建設しよう とした活動家)は主に米国で暮らし,ニューヨークなどで生涯を終えた。 一方,左翼陣営ではたびたび危ない橋を渡りながらも,生き残って病没した大物がいた。パ ルヴスである。ベラルーシのユダヤ人手工業者の家に生まれ,スイスのバーゼル大卒。ドイツ の社民党首脳およびレーニンと知り合い,年下のトロツキーに永続革命論を伝授した。 1906年シベリアの流刑地から脱走してドイツに移住,ドイツ社民党の中央委員となった。 しかし武器輸出会社を興してバルカン戦争で大もうけをし,第1次大戦中はドイツ当局から 資金を引き出して,主にボリシェヴィキを支援した。「革命の銀行家」として悪名の高い怪人 物だ。亡命先で客死した誠実なマルトフとは対照的な人柄だが,とにかくあの乱世を無事に乗 り切ったのはすごい。のちの作家エレンブルグも,モロトフ(首相,外相)夫人もなんとか生 き延びた。 当時とは世界もロシアも大きく変わった。しかし,ロシアでの反ユダヤ主義はどうなったの だろうか。例えばイスラエル政府の発表では,ソ連解体(1991 年末)後,ロシアのユダヤ系 住民120万人がイスラエルに移住したという。また米国,ドイツなどへの移住者は約100万人 という推定もある。 本書が引用した資料では,1881年から1914年にかけて,約200万人のユダヤ人が米国に移 住している。1881 年はアレクサンドル2 世が暗殺され,新たな反ユダヤ運動がはじまり,ポ グロムが広がった年だ。ソ連解体後のロシアは一時,経済状況が非常に悪化したが,政治,出 国などの面での自由は拡大した。それでもなお,大量移住が行われたのは,やはりユダヤ人に はロシアは居づらい国なのだろうか。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees/2012/41/2012_118/_pdf
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c43

[近代史3] 馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた 中川隆
29. 中川隆[-14064] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:11:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-742]

ロシア革命で活躍したユダヤ人たち 帝政転覆の主役を演じた背景を探る
2011/6/1 中澤 孝之 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4046537515/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i0


中澤孝之著『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち 帝政転覆の主役を演じた背景を探る』 (角川学芸出版,2011年,608ページ)
鈴 木   肇 (平成国際大学名誉教授)
Nakazawa, Takayuki, The Role of the Jews in the Russian Revolution (Tokyo: Kadokawa Gakugei Shuppan, 2011)
Suzuki, Hajime Professor Emeritus, Heisei International University


膨大な資料を駆使した大変な労作である。著者は約500人ものユダヤ人革命家を取り上げた。 それぞれの出身,活動歴,役職,たどった運命をくわしく紹介した。まさに本邦初の『ロシア のユダヤ人革命家事典』である。 読者は帝政ロシアでの激しい反ユダヤ主義の実態とその原因,文豪たちのユダヤ人観,ユダ ヤ人革命家輩出の理由,彼らのたどった悲惨な末路を知ることができる。読み終えた人はあの ロシア革命とはいったい何だったのかと,深く考えこむことになろう。 本書は19 〜 20 世紀のロシアとソ連でのユダヤ人迫害の歴史を主に扱っている。全 12 章の ほぼ半分は帝政ロシアの歴代皇帝のユダヤ人政策の紹介である。その政策は「改革帝」のとき には緩和されたが,途中で引き締めに転じ,「反改革帝」のときには弾圧が強まるという傾向 があった。 ユダヤ人に対する差別政策としては「定住区域」,「居住地区」の設定,公職と経済活動の制 限,高等教育機関での員数割り当て制度,幼少期からの長期の兵役制度などなどが指摘されて いる。二流住民の扱いである。 また著者は帝政時代にユダヤ人が迫害された理由として,ロシア正教の影響,ユダヤ教の「選 民思想」 ,ロシア人農民と労働者の憎悪,偏見,一種の嫉妬心,体制側の危機感などを挙げて いる。中産階級が多い西欧諸国のユダヤ人住民とちがって,ロシア・東欧のユダヤ人の大多数 は貧しい労働者,職人その他だった。しかし,人口の約8 割が文盲の 19 世紀のロシアでは, 男女とも大半が読み書きができて,宗教,生活習慣の異なるユダヤ人は敵対感情を持たれがち な民族だったのであろう。 さらにロシアではポグロム(ユダヤ人に対する集団的暴行,略奪)がたびたび起きて,多く の死傷者が出た。これらの事情が大学卒のユダヤ人知識人の多くを革命運動に走らせた。本書 で引用されている資料では,ユダヤ人は全人口の約4.13 パーセント(1897 年の統計)に過ぎ ないのに,ボリシェヴィキ,メンシェヴィキその他の左翼政党の幹部ではきわめて高い比率を占めていた。

改革期の 1860 年代以降,大学卒のユダヤ人が増えて,のちのユダヤ人インテリ ゲンチャ層を形成した。革命家への有力な供給源である。 十月革命期には,ボリシェヴィキ幹部の中ではユダヤ人革命家が突出していた。トロツキー, スヴェルドロフ,ジノヴィエフ,カーメネフ,ラデック,ウリツキー,ヴォロダルスキー,リ トヴィノフ,ロゾフスキーらである。彼らはユダヤ教を離れ,ロシアに同化した知識人。革命 の成功によって,ユダヤ人問題は解消すると考えていた。思想,理論の水準ではボリシェヴィ キを上回りながら,権力闘争に敗れて非合法化されたメンシェヴィキでも,ユダヤ人の比率は きわめて高かった。領袖マルトフも,長老アクセリロートもユダヤ人である。このほかブンド という一般ユダヤ人の有力社会主義政党があった。 また十月革命後に発足した秘密警察チェーカー(非常委員会)とその後継諸機関では,ユダ ヤ人が反対勢力の弾圧,諜報,防諜活動で大きな役割を果たした。このような状況から著者は 「十月革命の主な担い手はユダヤ人ボリシェヴィキであったことは多くの文献で指摘されてい る」としている。 しかし,革命にこれだけの貢献をしたユダヤ人革命家と秘密警察幹部の末路は悲惨きわまる ものだった。前記のボリシェヴィキ幹部のうち大半が非業の死(銃殺刑か暗殺)を遂げている。 掲載された多くの人々のリストでは,死亡年が1937〜41年の者がとても多い。スターリンに よる大粛清のすさまじさを如実に示したものだ。 第 12 章の秘密警察のユダヤ人のリストでは,取り上げられた 111 人のうち,私が数えたと ころ 79 人が処刑されたか獄死している。党首脳の場合と同じく「人民の敵」ないし「外国の スパイ」としてである。そしてほとんどのものがスターリンの死後に名誉を回復した。つまり 彼らは体制側としては,無実の罪でまったくむなしく生命を失ったわけだ。 本書を読むと,ロシアの近現代史について,さまざまな疑問がわいてくる。帝政ロシアはい かに伝統のある専制体制を守るためとはいえ,なぜユダヤ人にあれほど多くの制限を課し,抑 圧する必要があったのか。「反改革帝」とその側近たちはあまりにも頑迷で,いたずらに敵を ふやし,自らの墓穴を掘っていることになぜ気がつかなかったのか。 また教育程度が高くて,国際経験も豊かなはずのユダヤ人知識人の多くがなぜ革命幻想に取 りつかれ,流刑,投獄などいくたの辛酸をなめながら,スターリンによる大粛清でまるで虫け らのように踏みつぶされなければならなかったのか。一般にロシア人よりも現実主義だと思わ れている彼らもまた「千年王国社会主義」の夢を追っていたのだろうか。 さらにスターリンの粗暴で疑い深い性格はつとに知られているが,ユダヤ人を含む各部門の 幹部をなぜあれほど大量に処刑したのか。彼の極端な猜疑心によるのか,なにか別の意図があっ てのことなのか。たしかに大粛清が行われた時期は国際情勢が緊迫し,ソ連にも戦雲が迫って いた。グルジア出身ではあるが,大ロシア主義だったスターリンはもともとユダヤ人ぎらいで, 予想される支配体制の存亡をかけた大戦争を前に,“潜在的に危険”とみなす幹部を一気に絶 滅しようとした,とりわけユダヤ要人が狙われた―ということだろうか。 亡命中の大物政敵トロツキーへのたびたびの暗殺の企てと10 年以上を経てのその実現,演 出家メイエルホリド夫妻の殺害,戦後の俳優ミホエルスのむざんな虐殺などに,スターリンの ユダヤ憎悪の一端が感じられる。この男を登用し,党書記長に起用した首領レーニンの責任は 大きい。レーニンは最晩年にその誤りに気づいてスターリンの排除を図ったが,果たせないま ま病死した。


次に本書では,ロシア文学の巨匠たちのユダヤ人観がかなりくわしく紹介されていて興味深 い。特に著者は 11 ページにわたって,ドストエフスキーの主張を引用している。全体として 誇張の多い極論ではあるが,当時の一般大衆の反ユダヤ主義感情をそのまま反映した主張なの だろうか。近年,日本ではドストエフスキー人気が再燃しているようだが,彼の作品に加えて 思想も高く評価する人々の論評を聞きたいものだ。

また本書で秀逸なのは,布施勝治氏による ボリシェヴィキのユダヤ要人たちの人物評を引用したことだ。とりわけラデック,ヨッフェ, リトヴィノフ,ボロジン評は的確だ。リトヴィノフはオールド・ボリシェヴィク。西欧で活躍 し,1930 〜 39 年に外務人民委員。米ソ国交樹立などをなしとげたが,スターリンのナチス・ ドイツ接近に伴い解任された。布施氏は会見の際の紅茶のもてなしの一件で,好きになれなかっ たと語っている。鋭い観察だ。ちなみに,同氏はスターリンの死の前後に産経新聞の論説委員 だった。当時,新米記者の私は,小柄だが眼光の鋭いこの大先輩に接する機会に恵まれた。もっ とたくさん,話を聞いておけば良かったのにと悔やまれる。 さらに本書では,弾圧と粛清の渦中を生き延びて,天寿をまっとうした人々がいたことが分 かる。おおむねソ連に残ったユダヤ人活動家の大半は処刑されたか獄死した。しかし,早くに ロシアを去り,欧米に移住したシオニスト(聖地パレスチナにユダヤ民族の国家を建設しよう とした活動家)は主に米国で暮らし,ニューヨークなどで生涯を終えた。 一方,左翼陣営ではたびたび危ない橋を渡りながらも,生き残って病没した大物がいた。パ ルヴスである。ベラルーシのユダヤ人手工業者の家に生まれ,スイスのバーゼル大卒。ドイツ の社民党首脳およびレーニンと知り合い,年下のトロツキーに永続革命論を伝授した。 1906年シベリアの流刑地から脱走してドイツに移住,ドイツ社民党の中央委員となった。 しかし武器輸出会社を興してバルカン戦争で大もうけをし,第1次大戦中はドイツ当局から 資金を引き出して,主にボリシェヴィキを支援した。「革命の銀行家」として悪名の高い怪人 物だ。亡命先で客死した誠実なマルトフとは対照的な人柄だが,とにかくあの乱世を無事に乗 り切ったのはすごい。のちの作家エレンブルグも,モロトフ(首相,外相)夫人もなんとか生 き延びた。 当時とは世界もロシアも大きく変わった。しかし,ロシアでの反ユダヤ主義はどうなったの だろうか。例えばイスラエル政府の発表では,ソ連解体(1991 年末)後,ロシアのユダヤ系 住民120万人がイスラエルに移住したという。また米国,ドイツなどへの移住者は約100万人 という推定もある。 本書が引用した資料では,1881年から1914年にかけて,約200万人のユダヤ人が米国に移 住している。1881 年はアレクサンドル2 世が暗殺され,新たな反ユダヤ運動がはじまり,ポ グロムが広がった年だ。ソ連解体後のロシアは一時,経済状況が非常に悪化したが,政治,出 国などの面での自由は拡大した。それでもなお,大量移住が行われたのは,やはりユダヤ人に はロシアは居づらい国なのだろうか。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jarees/2012/41/2012_118/_pdf
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html#c29

[番外地7] ソ連共産主義は反ユダヤ思想 中川隆
2. 中川隆[-14063] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:18:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-741]
ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。

レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/461.html#c2

[番外地7] ソ連共産主義は反ユダヤ思想 中川隆
3. 中川隆[-14062] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:20:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-740]
馬渕さんはまた事実無根の嘘を言ってますね。共産主義はユダヤ思想とは何の関係もありません。 左派ユダヤ人は確かに10月革命の主力でしたが、その後殆どが殺されています。つまり、ソ連共産主義は反ユダヤ思想です。

スターリンとエジョフのNKVDのユダヤ人虐殺。大粛清開始時のNKVD上級職員の3分の1はユダヤ人であったが、1939年には4%以下となっていた。スターリンは大粛清の責任をユダヤ人に負わせることを企図し、事実ヒトラーがそう煽ったように、後年ユダヤ人のせいにされた。こうしてのちに続く大量虐殺の布石がうたれたのである。

十月革命後に発足した秘密警察チェーカー(非常委員会)とその後継諸機関では,ユダ ヤ人が反対勢力の弾圧,諜報,防諜活動で大きな役割を果たした。このような状況から著者は 「十月革命の主な担い手はユダヤ人ボリシェヴィキであったことは多くの文献で指摘されてい る」としている。

しかし,革命にこれだけの貢献をしたユダヤ人革命家と秘密警察幹部の末路は悲惨きわまる ものだった。前記のボリシェヴィキ幹部のうち大半が非業の死(銃殺刑か暗殺)を遂げている。 掲載された多くの人々のリストでは,死亡年が1937〜41年の者がとても多い。スターリンに よる大粛清のすさまじさを如実に示したものだ。 第 12 章の秘密警察のユダヤ人のリストでは,取り上げられた 111 人のうち,私が数えたと ころ 79 人が処刑されたか獄死している。党首脳の場合と同じく「人民の敵」ないし「外国の スパイ」としてである。そしてほとんどのものがスターリンの死後に名誉を回復した。つまり 彼らは体制側としては,無実の罪でまったくむなしく生命を失ったわけだ。

スターリンの粗暴で疑い深い性格はつとに知られているが,ユダヤ人を含む各部門の 幹部をなぜあれほど大量に処刑したのか。彼の極端な猜疑心によるのか,なにか別の意図があっ てのことなのか。たしかに大粛清が行われた時期は国際情勢が緊迫し,ソ連にも戦雲が迫って いた。グルジア出身ではあるが,大ロシア主義だったスターリンはもともとユダヤ人ぎらいで, 予想される支配体制の存亡をかけた大戦争を前に,“潜在的に危険”とみなす幹部を一気に絶 滅しようとした,とりわけユダヤ要人が狙われた―ということだろうか。 亡命中の大物政敵トロツキーへのたびたびの暗殺の企てと10 年以上を経てのその実現,演 出家メイエルホリド夫妻の殺害,戦後の俳優ミホエルスのむざんな虐殺などに,スターリンの ユダヤ憎悪の一端が感じられる。この男を登用し,党書記長に起用した首領レーニンの責任は 大きい。

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元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫は手垢にまみれたユダヤ陰謀論を縷々述べる。持ち出される数々の「証拠」は、これまで陰謀論者によって散々繰り返されてきたものばかりである。たとえば、ロシア革命の指導者の多くはユダヤ人であり、革命を資金支援したのも米英のユダヤ系金融機関だったと馬渕はいう。

しかしロシアのユダヤ人の多くは共産主義者ではなく、穏健な立憲君主制支持者だったし、共産主義を支持するユダヤ人も、その多数はレーニン率いるボルシェヴィキ側ではなく、対立するメンシェヴィキ側だったので、ソ連政権下では生き残れなかった。

資金については、歴史学者アントニー・サットンが1974年の著書で、モルガン、ロックフェラーといった米国のアングロサクソン系金融財閥が支援していたことを公式文書にもとづいて明らかにし、ユダヤ人陰謀説を否定している。

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ソ連は1917年のロシア革命で誕生したが、伝説のように市民が蜂起した訳ではなく、ドイツの悪巧みで発生した。当時第一次大戦で負けそうだったドイツは、対戦相手のロシアで革命を起こさせて有利にするため、レーニンを送り込んだ。
レーニンはロシア人だがドイツに亡命して国家崩壊を企む人物で、日本で言えば麻原彰晃レベルの人間でした。普通は誰も相手にしませんが、ロシアは大戦や財政危機で国民生活が破綻しており、飢えた人々はレーニンに従った。ロシア革命とは麻原彰晃が敗戦を利用して日本の皇帝になったようなもので、当然ながらソ連は帝政時代より凶悪な国家になった。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/461.html#c3

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
7. 中川隆[-14061] koaQ7Jey 2020年2月03日 22:45:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-739]
馬渕さんの嘘八百は聞き飽きた。そもそも、エンゲルスはユダヤ人じゃないし、マルクスはクリスチャンだし、初期共産主義にもユダヤ人は関与していない:

『共産主義者宣言』は、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた書籍。 『共産主義の信条表明』は全文がエンゲルスによって書かれている。マルクス主義者による国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領であり、共産主義の目的と見解を初めて明らかにした文書である。

正義者同盟(別訳語:義人同盟)は1836年にパリで生まれた亡命ドイツ人を中心とした組織である。エンゲルスは『ドイツにおける社会主義』という論文のなかで、正義者同盟はフランスの革命家であるフランソワ・ノエル・バブーフ(1760年11月23日 – 1797年5月27日)以来のユートピア的な共産主義の伝統をひくもので、財貨全体を共有することや秘密結社としての色合いが濃かったことを回顧している。
回大会では『共産主義の信条表明』が暫定的な綱領草案として採択される。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c7

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
8. 中川隆[-14060] koaQ7Jey 2020年2月03日 23:00:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-738]
馬渕さんの嘘八百は聞き飽きた。そもそも、エンゲルスはユダヤ人じゃないし、マルクスはクリスチャンだし、初期共産主義にもユダヤ人は関与していない:

『共産主義者宣言』は、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた書籍。 『共産主義の信条表明』は全文がエンゲルスによって書かれている。マルクス主義者による国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領であり、共産主義の目的と見解を初めて明らかにした文書である。

正義者同盟(別訳語:義人同盟)は1836年にパリで生まれた亡命ドイツ人を中心とした組織である。エンゲルスは『ドイツにおける社会主義』という論文のなかで、正義者同盟はフランスの革命家であるフランソワ・ノエル・バブーフ(1760年11月23日 – 1797年5月27日)以来のユートピア的な共産主義の伝統をひくもので、財貨全体を共有することや秘密結社としての色合いが濃かったことを回顧している。
回大会では『共産主義の信条表明』が暫定的な綱領草案として採択される。

____

20世紀のアメリカ金融資本はヒトラーや昭和天皇を支援してたので、反共ですね。

フォード、IBM, ロックフェラー等のアメリカ金融資本はみんなヒトラーに援助していたので、対米開戦に反対していたのです。ドイツが負けた後も、ナチス残党を南米に移住させて援助していましたね。チャーチルはソ連への核攻撃をさせようとしていた位です。ヒトラーと昭和天皇が反共だったのは有名です。

つまり、欧米金融資本は反共です。馬渕さんの話はすべて妄想です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c8

[番外地7] マルクス思想がユダヤ思想というのは間違い 中川隆
9. 中川隆[-14059] koaQ7Jey 2020年2月03日 23:18:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-737]
馬渕さんの嘘八百は聞き飽きた。そもそも、エンゲルスはユダヤ人じゃないし、マルクスはクリスチャンだし、初期共産主義にもユダヤ人は関与していない:

『共産主義者宣言』は、1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた書籍。 『共産主義の信条表明』は全文がエンゲルスによって書かれている。マルクス主義者による国際秘密結社「共産主義者同盟」の綱領であり、共産主義の目的と見解を初めて明らかにした文書である。

正義者同盟(別訳語:義人同盟)は1836年にパリで生まれた亡命ドイツ人を中心とした組織である。エンゲルスは『ドイツにおける社会主義』という論文のなかで、正義者同盟はフランスの革命家であるフランソワ・ノエル・バブーフ(1760年11月23日 – 1797年5月27日)以来のユートピア的な共産主義の伝統をひくもので、財貨全体を共有することや秘密結社としての色合いが濃かったことを回顧している。
回大会では『共産主義の信条表明』が暫定的な綱領草案として採択される。

____

20世紀のアメリカ金融資本はヒトラーや昭和天皇を支援してたので、反共ですね。

フォード、IBM, ロックフェラー等のアメリカ金融資本はみんなヒトラーに援助していたので、対米開戦に反対していたのです。ドイツが負けた後も、ナチス残党を南米に移住させて援助していましたね。チャーチルはソ連への核攻撃をさせようとしていた位です。ヒトラーと昭和天皇が反共だったのは有名です。

つまり、欧米金融資本は反共です。

それから、ルーズベルトとニューディール派は共産主義者で日本共産党もGHQが合法化したのですが、そもそもルーズベルトとニューディール派は反ウォール街で。アメリカ金融資本の敵だったのですね。馬渕さんはルーズベルトとニューディール派もアメリカ金融資本の側だと誤解しているのです。

結論 : 馬渕さんの話はすべて妄想です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/442.html#c9

[番外地7] ロックフェラーは共産主義者だったルーズベルトの政敵だった
ロックフェラーは反共というより、共産主義者だったルーズベルトの政敵だったのですね:

大恐慌以降に出て来た左翼のニューディール派はウォール街の金融資本とは敵対していたので

共産主義者がグローバリストだとか、ユダヤ人がグローバリストだというのは間違いです。

アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。

 こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。

 連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。

 こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。

 ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのだが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。政治家になってからはウォール街から支援を受けていた。

 そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。

 1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。

 クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。

 ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。

 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。

昭和天皇は戦前はJPモルガンのエージェント、戦後はロックフェラーのエージェントなので、反共グローバリストです。

天皇一族がアメリカに行くときは、ロックフェラー邸に数日間泊まって密談するのがメインエベントになっています。

つまり、天皇一族と日本の官僚は戦前から一貫して英米金融資本のエージェントなのですね。

共産主義者のルーズベルトとニューディール派が権力を握って、ソ連と組んで日本と戦ったのは大恐慌から終戦後しばらくまでだけです。

共産主義者のルーズベルトでなくグローバリストのフーバーが大統領だったら、太平洋戦争が起きる筈も無かったのですね。


安倍晋三も祖父でCIA工作員だった岸信介同様に国際金融資本の手先でネオコンや CIA のエージェントなのです。

従って、安倍晋三はチャンネル桜や保守の人がはみんな信じている様な反グローバリストでは有り得ません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/462.html

[番外地7] ロックフェラーは共産主義者だったルーズベルトの政敵だった 中川隆
1. 中川隆[-14058] koaQ7Jey 2020年2月04日 10:02:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-736]
ロックフェラーは反共というより、共産主義者だったルーズベルトの政敵だったのですね:

大恐慌以降に出て来た左翼のニューディール派はウォール街の金融資本とは敵対していたので
共産主義者がグローバリストだとか、ユダヤ人がグローバリストだというのは間違いです。

アメリカでは19世紀に「泥棒男爵」と呼ばれる人びとが出現した。不公正な手段で財産を手に入れ、巨万の富を築いた人たちだ。石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。

 こうした人びとの権力が強大化する切っ掛けになった出来事が1913年12月にあった。連邦準備制度が創設され、連邦準備理事会が金融政策の樹立と遂行を監督、12の連邦準備銀行が政策を実行することになったのだ。このシステムを支配するのは富豪たちだ。

 連邦準備制度を作るための秘密会議が1910年11月にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したメンバーはクーン・ローブやJPモルガンの使用人やジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの義父、つまりロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーの代理人たちだった。こうした人びとがアメリカの通貨を発行する特権を持つことになる。

 こうした富豪が拠点にしている場所がウォール街やシティ。そこの住人に立ち向かった大統領もかつてはいた。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディたちだ。

ルーズベルトは1932年の大統領選挙で勝利したのですが、その時にライバルだったハーバート・フーバーは現職の大統領。スタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物。

フーバーは利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。

政治家になってからはウォール街から支援を受けていました

(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 そのフーバーとは違い、ルーズベルトは労働者の権利を認めてファシズムに反対するニューディール派を率いていた。そのルーズベルトをウォール街は嫌った。


 1933年から34年にかけてウォール街の大物たちはニューディール派を排除するためにクーデターを計画する。そのため、軍の内部で大きな影響力を持っていた海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将を抱き込もうとするのだが、失敗してしまう。計画の内容はバトラー、そしてバトラーと親しかったジャーナリストが議会で証言、記録として残っている。

 クーデターで中心的な役割を果たしたのはJPモルガンだったとされているが、その総帥であるジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーは1932年に駐日大使として来日している。


 ちなみに、JPモルガンの共同経営者だったエドワード・ストーテスベリーと結婚したエバ・ロバーツ・クロムウェルの娘の夫はダグラス・マッカーサーである。


 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持つ人物で、特に松岡洋右と親しかった。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。


昭和天皇は戦前はJPモルガンのエージェント、戦後はロックフェラーのエージェントなので、反共グローバリストです。
天皇一族がアメリカに行くときは、ロックフェラー邸に数日間泊まって密談するのがメインエベントになっています。
つまり、天皇一族と日本の官僚は戦前から一貫して英米金融資本のエージェントなのですね。

共産主義者のルーズベルトとニューディール派が権力を握って、ソ連と組んで日本と戦ったのは大恐慌から終戦後しばらくまでだけです。

共産主義者のルーズベルトでなくグローバリストのフーバーが大統領だったら、太平洋戦争が起きる筈も無かったのですね。


安倍晋三も祖父でCIA工作員だった岸信介同様に国際金融資本の手先でネオコンや CIA のエージェントなのです。
従って、安倍晋三はチャンネル桜や保守の人がはみんな信じている様な反グローバリストでは有り得ません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/462.html#c1

[番外地7] ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは徹底した反共
ロスチャイルドのエージェントのチャーチルは徹底した反共だよ

広島と長崎に原爆が投下されたとき、すでに米英はソ連との戦争を始めていた  1945年4月12日にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、5月上旬にドイツが降伏、その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連を奇襲攻撃する作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)に命令、5月22日に「アンシンカブル作戦」が提出される。

 その作戦によると、攻撃開始は7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 ソ連へ攻め込んで壊滅したドイツ軍に替わり、アングロ・サクソン軍がドイツ軍とポーランド軍を引き連れて攻め込もうというわけだが、この作戦は実行されていない。参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 チャーチルは7月26日に下野するが、その10日前にアメリカは原爆の爆発実験(トリニティ)を成功させた。これを受けてハリー・トルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可し、26日にアメリカ、イギリス、中国がポツダム宣言を発表したわけである。

 首相の座を降りた後もチャーチルはソ連との戦いを諦めない。そして1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げたのである。 デイリー・メール紙によると、​1947年にチャーチルはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだ​とするFBIの文書が存在する。

 1932年の大統領選挙でニューディール派のルーズベルトが当選したことを受け、ウォール街、つまりアメリカの巨大金融機関は1933年から34年にかけてニューディール派を倒してファシズム政権を樹立するクーデター計画を立てていた。

 この計画はスメドレー・バトラー少将が阻止、議会でも詳細に証言している。その後の研究でウォール街がナチス時代のドイツを支えていたことも判明しているが、ウォール街はシティ、つまりイギリスの巨大金融機関と深く結びついている。

 ドイツが降伏したのは1945年5月だが、実際は軍の主力は1943年2月にスターリングラードで壊滅している。つまり、その時点でドイツの敗北は決定的だった。それを見てアメリカとイギリスは慌てて動き始め、1943年7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸、1944年6月にノルマンディー上陸作戦を実行した。

 これはソ連軍より先に西ヨーロッパを制圧することが目的で、ドイツ側とも話はついていたはず。スターリングラードでドイツ軍が壊滅してからドイツ軍の幹部たちはアレン・ダレスたちと盛んに接触。その結果、アメリカ政府はナチス幹部などの逃亡を助け、保護し、後に雇用することになる。
 1945年4月に急死したルーズベルトや45年1月まで副大統領だったヘンリー・ウォーレスはウォール街とファシストとの関係を熟知していたはず。ルーズベルトは1938年にファシズムを私的権力が政府を所有している状態だと定義、ウォーレスは44年にファシズムの脅威がアメリカを襲うピークは第2次世界大戦の後だと主張、米英は帝国主義化し、アメリカをロシアとの戦争へ向かわせると警告していた。

 ウォーレスはスキャンダルで副大統領から商務長官へ降格になり、シオニストをスポンサーにするハリー・トルーマンが新たな副大統領になる。ルーズベルトの急死で大統領になるのはこのトルーマンだ。そのトルーマンはウォーレスを嫌い、1946年9月に務長官を辞めるように通告してホワイトハウスから追い出している。その時、すでにチャーチルはソ連との戦争を始めていた。

_______

ロスチャイルドの代理人ウィンストン・チャーチル

ウィンストン・チャーチルは若くして、ロスチャイルド一族に惚れ込んでいた。 彼は南アフリカ戦争(1899年〜1902年)の戦闘に参加する直前、21歳のときにロスチャイルド邸のパーティーに招かれた。 「ロスチャイルド卿は素晴しい感覚の持主で、まことに博識です。 このように賢い人に会って話を聞くことができるというのは実に貴重な体験です」 と書いた手紙を母に出していた。

チャーチルのロスチャイルド一族への惚れ込み様は尋常ではなく、彼は終生、ロスチャイルドの代理人として働いた。

戦後、チャーチルは南アフリカの 「アングロ・アメリカン」 や 「リオ・チント」 の資金をまとめて、カナダのチャーチル河にあるチャーチル滝のダム建設という巨大発電プロジェクトを成功させ、アンソニー・グスタフ・デ・ロスチャイルドとエドモンド・ロスチャイルドを感激させた。 このプロジェクトは、ロスチャイルドが原子力帝国を築く為の出発点となった。

ロスチャイルドの誠実な代理人で好戦家、これがチャーチルの特質であった。 チャーチルがロスチャイルド財閥のメンバーとして首相の座につくと、イギリス国内の反ユダヤ勢力は一掃され、上流社会の動揺は鎮静した。 ロスチャイルド財閥は崩壊していなかったのである。

以上、広瀬隆氏の著書『赤い楯』(集英社)より
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/463.html

[番外地7] 文脈を無視して自分に都合の良い所だけ取って来るのがアホ右翼のスタイル

文脈を無視して自分に都合の良い所だけ取って来るのがアホ右翼のスタイル


僕は引用文を全文コピペ・ペーストする主義

文脈を無視して自分に都合の良い所だけ取って来るのが馬渕さんや水島社長みたいなアホ右翼のスタイルだからね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/464.html

[番外地7] グローバリズムって「企業」の理論なんですよ
グローバリズムって「企業」の理論なんですよ


最近、グローバリズムは「共産主義」だって言うアホ右翼がいるんですね。

でも、「資本主義」、「共産主義」って考える時点で、あなたは既に「昭和のお花畑」です(笑)

グローバリズムって「企業」の理論なんですよ

自分たちが儲かれば、国家や国民なんてどうなろうが、知ったこっちゃないわけです
つまり、「資本主義」(A)、「共産主義」(B)も、金儲けの道具でしかない
AとBが対立したら、AにもBにも武器(核兵器含)が売れて儲かるよな〜
これが、企業の戦略なんです

かつて、植民地時代に彼らは考えたんですよ奴隷制度だと、奴隷のモチベーションもいまいち上がらないし、労働生産性が低いよな、と・・
やっぱ、奴隷にも必要最低限の「希望」と、必要最低限の「お金」を与えて、生産効率性を上げたほうがいい、と

生産効率化がもたらす利益−新奴隷に与えるコスト>旧奴隷がもたらす利益
考え方は、まさにROIであって、この損益分岐の上に生まれた新奴隷管理制度が「グローバリズム」です

なので、グローバリズムは、共産主義も、資本主義も一切関係なし「生産効率性の向上と、最低限の統治コストを実現した新奴隷制度」つまり、グローバリズムは「奴隷制度」なんですさて、世界の歴史ってものは、国家戦略をベースに国家管理視点で書かれているんですね

なので、グローバリズムを理解するには、それを「企業戦略」の視点から、読み直す必要があるのです労働者(奴隷)には、労働をさせるので、ストレスが溜まりますこれが溜まりすぎると、暴動とかデモとかになって厄介なんですねなので、適度にストレスを解消させる必要があります人間には、そもそも闘争本能があって、本能的に「殺し合い」を見るのが好きなんです

古くはコロシアムですけど、今は、それが、サッカーとか、ボクシングとかになってます
政治的論争、民族的論争なんていうのも、同じですそういうものを見て、わーわー応援、批判させることで、社会や企業に対するストレス、欲求不満を解消させるというのが、基本的な戦略です

今の東アジアだって、「韓国ガー」「日本ガー」ってやってるでしょう?(笑)
古くは、「右翼ガー」「左翼ガー」・・・
でも日本の戦後の右翼も左翼も、グローバル企業が人工的に作ったものだって、ご存知でした?(笑)

この形を変えたものが、軍事戦略です(この軍事戦略というのは、国家の軍事戦略ではなくて、企業の軍事戦略ですね)

対立するAとBという勢力があるAにもBにも武器を売ると儲かる※日露戦争なんてまさにこれまずこういう基本戦略があります
AとBが平和的な状態であれば、争うように仕向けるそして、AにもBにも武器を売ると儲かる※北朝鮮がミサイル撃つぞ〜ってなると、日本がアメリカの迎撃システムを買う、なんてのはこれですね

※北朝鮮に払う賄賂<日本から入るお金、であればビジネス成立です
Aに敵対する勢力がなければ、人工的に敵対する勢力Bを作り出すそして、Bから攻撃を仕掛ければ、Aに武器が売れて儲かる※まぁ、これは中東でよく見かける光景です、反政府勢力とかですね


東西冷戦
朝鮮戦争
ベトナム戦争
イスラエル建国
イラク戦争
リビア紛争
シリア紛争←ついに失敗

(実は金融も、この軍事戦略の応用でかなり読み解けるんです)

で、100年近く騙されてきたのが、私たち新奴隷であるとさぁて、どうしてくれようか、とそれが2013年です(・ω・)/大切なのは、国家戦略の視点だけでなく、企業戦略の視点からも世界を見ていくということですね
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/465.html

[リバイバル3] 与沢翼の成功、破産、そして復活 秒速1億円男 中川隆
1. 中川隆[-14057] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:20:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-735]
2020年02月04日
ネットで投資成功者を装う人たちの目的はお金を使わせる事


高級住宅地で写真を撮ってセレブを装うのは基本


成功自慢する人

インターネット黎明期の掲示板から、成功者を装って自慢する人たちが存在した。

目的は単に自慢して尊敬されたい、威張りたいというものから信者を増やしたい人まで様々です。

信者を獲得すると信者は「教祖」に従うようになり、勧められるままに行動するようになる。


広告を貼るとクリックして、教祖がお勧めする業者に口座開設するなどはまだ可愛い手口です。

悪質な教祖は投資法や必勝法と称してデタラメな必勝本や、高額な投資ソフトを購入させます。

もっと悪質なのは自分の投資ファンドに投資させたり、霊感商法さながらに価値のない物を買わせる。


原野が値上がりすると言って買わせる原野商法や、エビ養殖が儲かると言って投資させるエビ養殖詐欺と変わらない。

時代は下りインターネットは掲示板からSNSになり、フェイスブックやツイッターでファンを獲得しやすくなった。

成功者を装う人は証拠として業者の取引画面を掲示するが、これは画像加工ソフトで簡単に作れてしまう。


また業者によっては宣伝してもらうために、偽装の証拠画面を簡単に作れる偽口座を用意している。

こうしてカリスマ投資家は実際には投資で勝っていないのに、数千人や数万人のファン(信者)を獲得する。

毎日の(ウソの)取引を解説しながら、さりげなく商材購入や口座開設に誘導します。

成功者の正体は商材屋が多い

こうした信者獲得で成功者になった1人は与沢翼で、彼のメインの職業は商材販売でした。

自分は成功者であると名乗り、こうすれば成功できるという商材を数十万円や100万円以上で販売していた。

与沢は一度破産するが、立て直したのはブログによる信者獲得と、やはり商材販売のノウハウでした。


与沢が成功者であることは間違いないが、彼の商材を買って同じように成功できるかは、甚だ疑問です。

同様にSNSで成功者を名乗る人は、実際に成功者なのかも知れないが、その収入源は投資ではなく商材販売や紹介料です。

投資で大金を稼いでいる投資のプロが、ネット上で素人に教える事はなく、自分で自分の首を絞めたりしない。


簡単なロジックとして、「勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない」のであり、他人に教える情報はゴミだけです。

プロディーラーであろうと外資系ヘッジファンド役員であろうと、他人に教える投資家は100%投資で負けています。

ブログやユーチューブやツイッターやフェイスブックでは、自分は投資で勝っていると名乗る者が大勢います。


だが統計として、投資で生涯通算で勝つ人は5%以下であり、大金を得る人は万人に1人も居ません。

たとえば世界一を自称する有名FX業者は以前、「10万円を数億円に増やした」という体験談を広告に使っていました。

もっともらしく書いているが一目見てウソと分かる内容で、「水素水でガンが治った」のような類でした。


そんな悪徳業者が悪徳商材屋に金を渡し、偽の成功談や取引履歴で素人投資家を勧誘します。

こうして在りもしない成功談に騙されてお金を失う人が、後を絶ちません。
http://www.thutmosev.com/archives/82110665.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1019.html#c1

[リバイバル3] 金持ちの習慣を真似しても金持ちにはならない 中川隆
7. 中川隆[-14056] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:20:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-734]
2020年02月04日
ネットで投資成功者を装う人たちの目的はお金を使わせる事


高級住宅地で写真を撮ってセレブを装うのは基本


成功自慢する人

インターネット黎明期の掲示板から、成功者を装って自慢する人たちが存在した。

目的は単に自慢して尊敬されたい、威張りたいというものから信者を増やしたい人まで様々です。

信者を獲得すると信者は「教祖」に従うようになり、勧められるままに行動するようになる。


広告を貼るとクリックして、教祖がお勧めする業者に口座開設するなどはまだ可愛い手口です。

悪質な教祖は投資法や必勝法と称してデタラメな必勝本や、高額な投資ソフトを購入させます。

もっと悪質なのは自分の投資ファンドに投資させたり、霊感商法さながらに価値のない物を買わせる。


原野が値上がりすると言って買わせる原野商法や、エビ養殖が儲かると言って投資させるエビ養殖詐欺と変わらない。

時代は下りインターネットは掲示板からSNSになり、フェイスブックやツイッターでファンを獲得しやすくなった。

成功者を装う人は証拠として業者の取引画面を掲示するが、これは画像加工ソフトで簡単に作れてしまう。


また業者によっては宣伝してもらうために、偽装の証拠画面を簡単に作れる偽口座を用意している。

こうしてカリスマ投資家は実際には投資で勝っていないのに、数千人や数万人のファン(信者)を獲得する。

毎日の(ウソの)取引を解説しながら、さりげなく商材購入や口座開設に誘導します。

成功者の正体は商材屋が多い

こうした信者獲得で成功者になった1人は与沢翼で、彼のメインの職業は商材販売でした。

自分は成功者であると名乗り、こうすれば成功できるという商材を数十万円や100万円以上で販売していた。

与沢は一度破産するが、立て直したのはブログによる信者獲得と、やはり商材販売のノウハウでした。


与沢が成功者であることは間違いないが、彼の商材を買って同じように成功できるかは、甚だ疑問です。

同様にSNSで成功者を名乗る人は、実際に成功者なのかも知れないが、その収入源は投資ではなく商材販売や紹介料です。

投資で大金を稼いでいる投資のプロが、ネット上で素人に教える事はなく、自分で自分の首を絞めたりしない。


簡単なロジックとして、「勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない」のであり、他人に教える情報はゴミだけです。

プロディーラーであろうと外資系ヘッジファンド役員であろうと、他人に教える投資家は100%投資で負けています。

ブログやユーチューブやツイッターやフェイスブックでは、自分は投資で勝っていると名乗る者が大勢います。


だが統計として、投資で生涯通算で勝つ人は5%以下であり、大金を得る人は万人に1人も居ません。

たとえば世界一を自称する有名FX業者は以前、「10万円を数億円に増やした」という体験談を広告に使っていました。

もっともらしく書いているが一目見てウソと分かる内容で、「水素水でガンが治った」のような類でした。


そんな悪徳業者が悪徳商材屋に金を渡し、偽の成功談や取引履歴で素人投資家を勧誘します。

こうして在りもしない成功談に騙されてお金を失う人が、後を絶ちません。
http://www.thutmosev.com/archives/82110665.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/918.html#c7

[リバイバル3] German Physiks 友の会

German Physiks 友の会


What's new with the German Physiks website — German Physiks
https://www.german-physiks.com/whats-new

German Physiks DDD Loudspeakers — German Physiks
https://www.german-physiks.com/products

German Physiks - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=German+Physiks+


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2020年 02月 03日
German Physiks News Letter 「友の会」の紹介記事
https://tannoy.exblog.jp/31038398/


ジャーマンフィジックスのホームページに、我々の「German Physiks 友の会」の活動が紹介されました。英文のままですが、とてもわかりやすいので、このまま転載いたします。ただ、本文にあわせて、写真は増やしてあります。

The Japanese German Physiks appreciation society
https://www.german-physiks.com/campaigns/view-campaign/9ppoKLrSUpoRIEt7sGHSbACQspYm2e_Bcv6ZCP-4vssTMRJ1TSmGVMGQay1oYV6ejTxCAmktGxcoGU4O1rS8RIaqNamntx2M


Welcome to our first newsletter of 2020. Our thanks to all of you who have stuck with us and a warm welcome to new subscribers.Casting around for a topic for this month’s newsletter we decided to tell how a request for a pair of replacement DDD drivers from Japan lead to the formation of a German Physiks appreciation society there.


In the beginning…


In June 2012 we were contacted by a customer in Japan who had bought a used pair of our Unicorn Mk I loudspeakers. These were 14 years old at the time and long out of production. This model used one titanium diaphragm DDD driver to cover the entire range from 21,500Hz to 55Hz.


和室のユニコーン


In all other German Physiks loudspeakers, the DDD driver is rolled off at around 200Hz and the bass is handled by one or more conventional woofers. This is because the stiffness of the DDD driver’s surround limits the diaphragm excursion, thereby limiting the low bass output.

On the Unicorn Mk I, the DDD driver was coupled to a horn system that extended the low-end response down to 55Hz. On the current Unicorn Mk II, which uses a carbon fibre DDD driver, the bass is extended to 40Hz. A more detailed explanation of the Unicorn horn design may be found in Newsletter number 5.

The original titanium DDD drivers were quite fragile and those on this customer’s Unicorns had sustained some minor dents in the diaphragm. The customer wanted to restore his loudspeakers to their original condition, so he ordered a pair of new drivers. This was not a problem, as we can repair or provide a replacement for any DDD driver we have ever made.


About a month after these had been shipped the customer got back in touch. He was extremely pleased with how his restored Unicorns sounded. The DDD drivers we shipped to him were an improved version of those originally fitted and they sounded noticeably better.


Our customer turned out to be a very enthusiastic audiophile who ran an audiophile group in Tokyo. He had a lot of equally enthusiastic audiophile friends and had invited a number of them around to listen to his “new” loudspeakers. Several liked what they heard so much, that they wanted Unicorns for their own systems.

A discussion followed with our customer and he ordered six pairs of the Unicorn Mk I for his friends. Building a product that was long out of production posed a few challenges, but we got there.


プー博士のリスニングルーム


T.Wさんのリスニングルーム

椀方さんのリスニングルーム

Oさんのリスニングルーム

Hさんのリスニングルーム


The pictures above shows the “new” Unicorn Mk Is in the owner’s home.

What happened next…


Our customer then decided to look at two of our other out of production models: the Troubadour 40, which used a single titanium DDD driver and the Troubadour 80, which used a pair of titanium DDD drivers. Neither model had much output below 200Hz, so in most installations these were paired with a sub-woofer. Our customer decided to make his own sub-woofer in order to get the particular quality of bass that he liked.

The picture shows a prototype. This used two 10-inch drivers, one on the front and one on the back of the cabinet. On the top is a Troubadour 40. You can also see part of the customer’s extensive open reel tape machine collection. On the left of the back wall are three Nagra Ts and on the right, four Nagra 4s. As we said, he is a serious audiophile.

The final products…


The prototype eventually resulted in the design shown above, paired here with a Troubadour 80. The grey box on the right is the Troubadour’s EQ network. This attenuates the very low bass that would otherwise damage the drivers. The woofer network is in the wooden box behind it.

A second sub-woofer design using 18-inch drivers was later produced, seen on the back wall of the listening room of an open reel tape machine fan with an even bigger collection.

German Physiks 友の会


The Troubadour 80/sub-woofer system proved popular and a significant number have since been sold in Japan to members of the audiophile group. This lead to the formation of a German Physiks appreciation society - 友の会 - in Tokyo. The membership consists of existing owners and those interested in German Physiks loudspeakers. Members gather once a year at a restaurant, owned by an audiophile of course, where they enjoy good food and drink and then listen to German Physiks loudspeakers.

The pictures above were taken at the November 2019 meeting of the German Physiks appreciation society. The members, having dined well are enjoying some music with their wine. Notice how they are spread out across the room. This is because the DDD driver creates stereo images with the correct tonal balance that can be enjoyed in almost any position in the room - just like in a concert hall.

You can’t do that with conventional loudspeakers!

So there we are. From a replacement pair of DDD drivers to a German Physiks appreciation society, via a sub-woofer.


Until next time…

January 2020 | Newsletter No. 9
https://www.german-physiks.com/campaigns/view-campaign/9ppoKLrSUpoRIEt7sGHSbACQspYm2e_Bcv6ZCP-4vssTMRJ1TSmGVMGQay1oYV6ejTxCAmktGxcoGU4O1rS8RIaqNamntx2M

https://tannoy.exblog.jp/31038398/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html

[リバイバル3] 中川隆 _ オーディオ関係投稿リンク 中川隆
220. 中川隆[-14055] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:42:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-733]

German Physiks 友の会
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/451.html#c220
[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
1. 中川隆[-14054] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:48:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-732]
GRFのある部屋 Phile-webコミュニティ
http://community.phileweb.com/mypage/3735/

GRFのある部屋 tannoy.exblog.jp
http://tannoy.exblog.jp/

ベルウッド お茶の間オーディオ Phile-webコミュニティ
http://community.phileweb.com/mypage/2408/

セッティングについて GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/20012832/

部屋との相関関係 GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/11308411/
http://tannoy.exblog.jp/11369651/
http://tannoy.exblog.jp/11376702/
http://tannoy.exblog.jp/11395554/
http://tannoy.exblog.jp/11400690/

平行法の音場の出方 GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/23954940/

音のバランス GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/24493704/

ホログラフの音を求めて GRFのある部屋
http://tannoy.exblog.jp/24600639/
http://tannoy.exblog.jp/24601679/
http://tannoy.exblog.jp/24604716/
http://tannoy.exblog.jp/24610980/
http://tannoy.exblog.jp/24614836/
http://tannoy.exblog.jp/24615616/
http://tannoy.exblog.jp/24621404/
http://tannoy.exblog.jp/24627930/


うわさのオーディオ・サブルーム-ウェブリブログ


鈴木と北川の二人組 その2 2015/08/17


噂によりますと、鈴木は62歳、北川は69歳、この二人がひとつのハンドル名『GRFのある部屋』を共用している、というのです。

それでもって互いが自分の主張を補強している、と。


勿論、鈴木(62歳)は「大学紛争世代」ではない、
「アンチ丸山」レスは北川(69歳)が執筆。

「孔子や孟子、寮歌」の妄想も北川(69歳)の発想。

日頃のおとなしめの投稿は鈴木(62歳)が執筆。編集部もこれを分かってて放置か?

あれだけ丸山さんのワーグナー賛歌を「貴族趣味」とけなしながら、自分は2週間のドイツ音楽旅行、これって矛盾するが、二人いれば、もう一人は矛盾しない。


「『GRFのある部屋』」というのは、二人以外にも複数の関係者全員で堅守する、いわばブランド(Brand)。
http://27415664.at.webry.info/201508/article_7.html

木と北川の二人組 その3 2015/08/20


あの北川、言葉巧みですから・・・。

私も1年前に伺っているのですが、

3階建ての自社ビルの中に2部屋あり、6畳間のユニコーン(CDオンリー)、後ろの部屋は30畳強はある部屋にあのGRFがコーナー(アナログオンリー)にT−4(平行法、CDオンリー)はリスポジソファから先1m強先に置いてあるその他いくつかのその昔のSP連が複数あります。

その30畳強の部屋、Phile-web コミュニティとか伺った時には出ませんが、なんと3千万かけて改造してるとのことです
(これは仲のいい、ジャズ好きの方がこの前教えてくれました)。

たしかに床は頑丈で壁も違う、天井も・・・ 
そういうことを言わないで、いい音でしょうを連発は、それこそ「きもい」です。

いい音どころか居心地は悪いです。北川の性格でしょう、これは。

音は出て「なんぼ」の世界ですが、このユニコーンは解像度が良過ぎて、すべての楽器が鮮明という異次元の音でもあるのです。

あの独特の無指向性のフルレンジのSPからと巧みなバックロード構造からの奏でる音と量感音域は確かにいいのですが問題は駆動する是枝パワーとサウンドパーツ社のプリがあまりにもきれいすぎて「潔癖症」の音質と重箱を突くようでなんでも、聞こえない音まで出てくる始末。

それがいいだなんて、ちょいおかしい。

美しい奏でる音なら許せるのですがきれいではだめなんです。

それとリスポジがキッチン用の椅子であることでやや見下ろす感じです(ユニコーンが低いせいもあり)。

コンサートでいう中二階から観た聴いた感じでしょうか・・・それも有りでいいのですが、問題は音源が上に伸びない、つまり途中で音が沈むという感じです。

奥行きも壁べったりのため(6畳間を横長に)奥行きが寸詰まりです。

そのためガラスのよくある家庭のやや大きい「水槽の中での演奏を」聴いている感じです。

悪く言えば箱庭。

それに輪をかけるのが、どのCDでも同じ音質、これはいただけない、最悪! 

そして、ジャズは掛けてくれない、こちら持参のCD(クラ)も掛けてくれない、
つまり悪いとこは聴かれたくないということであり、これは他の人でもそれは同じことを聞いております。

T4、GRFも有りますが、欠点を観られたくない聴かれたくないという、ほんと演技がうまい雲助ですネ! 

このような音を初めて聞く人は、言葉巧みな戦術に入り込む恐ろしさです。


ユニコーンSPはとてもいいSPなんですが、やはり駆動側の問題が多分にあるのは聴いていても大いに感じます。

それに気が付かない北川は、やはり「お山の大将」が抜けきらないのでしょう。


30畳強のタンノイ部屋、GRFは、一言でいえば、もう古い音源の鳴り方は否めません。

コーナー置きはその昔のヴアイタボックス(クリプッシュホーン)と同じですが、GRFのほうが音の古さ(古典)がありもうお役御免でしょうか。

ソースはアナログオンリーでありカスタムメイドの超高級アンプ(球)でしょうか。

彼の鳴らし方は、奏者の解釈ではなくそれこそ「蜃気楼」そのものです。

いい悪いは別にしてもリスポジからの距離6m強はあるでしょうか、
そこのオケは蜃気楼のように並びますが、ハイライトはそこまでです。

楽器類の音色、艶、音楽の力強さ等は感じ取れません・・・
そうモノクロ。

こみあげてくるオケの音圧に空気感がないので、ただ「蜃気楼」が平然と並んでいる。

やはりホールの雰囲気を取りあえず、といった感じです。


音楽を聴く、これもありですが、どちらかというと雰囲気感と各演奏楽団のくせ(性格といいましょうか)を楽しんでいるようですネ。よく会話に出てきますから・・・オケの当てっこが好きなようです。

LP扱うのもクリーニング液には2万円(5cc)もする液体を針の掃除に毎回使い、針圧も0.1刻みのセッテイングには呆れるばかりです。こういう人もいることは、それも趣味と割り切ればですが、毎回能書きがうるさいのです。つまり自慢なんでしょう。

T4の平行法、これは Phile-webコミュニティ(彼のブログでも)では結構影響受けた人が多いのも事実ですが、次第に「それはないだろう」が分かってきた人も出てきてます。

つまり、リスポジやや先に置くか、壁手前に置くかの選択肢があるのですが、彼はリスポジやや先(1m)で行っているのですが、これが飛んでもない悪であるのです。

ゲストからのCDを掛けさせないこと、彼の選択CDのみ、つまりいいとこCDのソフトしか掛けない。

これには裏があり、つまりT4の後ろは6mあまりの空間があり、ここに音の像(蜃気楼)が浮かび上がるのですが、それはそれでいいのです。

しかし問題は、そのソースはすべて音場性のあるソフトでないと後方に集まらないのです。

これが普通の録音・・・手前SPから出る音源(一部の楽器等)と奥の空間に集まる音源とでは、その距離に「間」(間が抜けた空間)が空いてまとまった音楽が構成されないのです。

例えばジャズで見れば、手前の右SPではベースが鳴り(それもあの小さい口径からですから箱全体ではないのです)、奥ではドラムが鳴るとすると、ベースとドラムの距離(数メートル)が途方もなく間があるというこの違和感が発生するというものです。

このことは北川は絶対に言わないのと、言えば T4=平行法同時売り込みにも影響が出るということが分かっているからです。

また壁にやや近い置き方(平行法)でも、同じような傾向はありますが、これなどは奥行き感が薄れ定位も良くは無いのです。


これはあの鈴木邸がそうです。

リスポジでは定位が定まらなく、音の像も小さく聴けたものではない。

いいとこは奥の隅(L型部屋の構造?)

ここは、一応ホール感(S席でも壁よりの後方)がそれなりに味わえる、という鈴木の求める音であると思います。

しかしT4の口径(14cm?)と箱の限界(奥行き稼いでいますが)があるので、量感音域等の消えるのが早いのもこの影響でしょうか。ソースはCDメインですがやはり、どのソースも同じ音質には参ります。

どちらかというと無色透明ですネー。

「静」だとか「ラダーケーブル」を使い盛んにクリアー感を目指しているようで。
でもそれらに色艶、音源の太さ感が出てくればまだ聴きやすくなるのですが。

本人はあれだけコンサートに通っているのに、再生音は正反対の音質。よくわかりません。

平行法もいいけど、もう少し内ぶりであれば濃厚な音源が出てくると思われるのですが、そこは ホール感=雰囲気 を優先する、兄貴分の北川がそうはさせないのだと思います。

いろいろありますね、この世界は。
http://27415664.at.webry.info/201508/article_15.html

鈴木と北川の二人組 その4 2015/08/22


Phile-webコミュニティでの二人組の「釣果」について、次のような追加情報が入ってきました。


Phile-webコミュニティ
GRFのある部屋 - お気に入りユーザー一覧
http://community.phileweb.com/mypage/f_user/3735/0/


その第1号が「椀方」さん(その前には、ユニコーンのSPのみを納入して既存SPとの複合型を試みるも失敗)。これは「椀方」さんが Phile-web コミュニティ記事にしていました。

Phile-web コミュニティで、私が知っている限り「犠牲」になった人と、危うくセーフの人は数知れずです。

北川は基本的には、犠牲者のお宅に鈴木と伺うというやり方で、決してひとりでは行かないです。必ず鈴木が行った後に二人で行くのが今までのパターン。

犠牲者側が北川を呼ぶにあたってもその前に鈴木が来てますので安心感があるというわけです。主導は北川です。鈴木も共犯です。

少なくとも私が知っているかぎりで表沙汰になった人たちは次の通りです。


犠牲者の中でも本信者になってしまったのは、「椀方」さん。

「横浜の vafan」さんは今は危ういですが現行のSPでどれだけ我慢できるかです。

「にら」さんは資金がないということで、今は静かにしてますが、しばらく様子見でしょうか。

「クー△△△」さんには私が注意喚起したので来なくなったとか。

「akahanamizuki」さんも危うかったけど、彼の読みで距離を取るようになった(裏メールでの平行法の押しつけがしつこいようなことあり)。

「Loge」さん。これが問題です。長野の個人ガレージメーカーで修理等の工房。すでに相互訪問してますね。

「RICHEBOURG」さん。北川は鈴木と押しかけて平行法を押し付け、DACの中古を60万で売りつけ。音がおかしいので聴きに来てと誘いがあり、私が伺って聴いた音は、「なんじゃこの音は」でしたネ。


簡単に言いますと、たしかに平行法。しかしどう見てもぼけた「蜃気楼」というか音像がぼやけてしまっている。ピアノ・コンチェルトのピアノが後方ティンパニーの位置から鳴る、こんなの信じられんです。また、後日、置いて行ったというDACもメーカー名は「知り合い先の」ということで、「RICHEBOURG」も「???」。

そのDACも人工的な音、もしくは半導体の基板の音、現状のラックスCDPのほうが好いのです。後にDACも返却へ、平行法はその日のうちにやや内ぶりに修正、これで音が活きてきたのです。


私の見るところ第一次面接試験で落ちた候補者(というか正確には犠牲者にならずに済んだ人)は、最近では、「genmi」さん、「K&K」さんといったところでしょうか。


ごく最近では「バック△△△」さんに早速手を出しているようで、ご注意、ご注意。
http://27415664.at.webry.info/201508/article_16.html

北川がクセモノである所以は、オフ会(お宅訪問)をしても必ず同行の鈴木に日記を書かせ、本人はその日記にレスを入れ、そこで褒めあげて周りの人達(日記の記事をみている人)を誘い込むというパターンです。

一方、鈴木のオフ会記事での批評はすべて甘くなり、以前と比べて変化が起きているようです。焦りでしょうか。たとえば、直近の二つの例をあげます。これらのお宅の訪問のあと、鈴木は実際には次のような感想を私にもらしているのです。

                  ※   ※


(ひとつは、「genmi」さん。)

石井式をモデルにした6畳の部屋ですが壁が厚く(20p以上?)実質5畳ぐらいです。
天井高が3mあるのが唯一の救いでしょうか?
ここはオーディオ以前の音で音楽表現は無理です。


この人はすべて、某Dショップ/H店長の言いなりのようです(から入り込みは難しいかも)。

高音域にメリハリがあるが、中身は薄い。

一見いいように聞こえますが、高音域はブリキ板というかステンレス板の音で、そこに低音域が乗ってこないので、「きれいそうな音」、わかりやすく言えば無機質の硬い音です。

たとえBGMであってもこんなものは聞けないです。評価など、本当はできないです。
頭が痛くなるキンキン音。ラジカセを大きくしたコンポとでも申しましょうか。

折角行ったので仕方なく、私は1o単位でスピーカー位置を調整して(遊んで)やりました。

この人はそれをみて感心しきりでした。実情を知らない素人はこれで簡単に引っかかります。ちょろいもんです。


                  ※   ※


(もうひとつは、「K&K」さん。)
ここは二度目の訪問でした。

オーディオ部屋の横にグランドピアノ(STEINWAY)が置いてあります。
奥さんがピアノを弾くと言っても単に「ピアノが弾ける」程度でへたくそです。

自分の家でほんもののピアノの音を聴いているのにもかかわらず、ご本人はその音の深さというものがいまだに分かっていないんです。

システムから出てくるピアノの音はおもちゃの音です。
しかも定位が悪いので鍵盤の位置が床上30pのところにあります。

サラウンド再生ですので、後方からも音楽が鳴るのには本当に参ります。
それにセンター・ウーファ(サーロジック製)が左SPの横にあり、低音域が左からのみ出る不自然さ、それもボワーン、ボワーンですよ。

今回は延々と夜6時までつきあわされましたが、最悪でした。
http://27415664.at.webry.info/201509/article_2.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c1

[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
2. 中川隆[-14053] koaQ7Jey 2020年2月04日 14:52:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-731]
2016年 08月 20日 GRF邸訪問記  不思議な音響空間 K&K

GRFさんのお宅は、すでにいろんなかたが紹介されていると思うのですが、私の備忘録も兼ねてお部屋の概要を書き留めておくことにします。

広さは24畳、天井高は3m位でしょうか。

スゴイのは、その天井のほぼ全面が開口部になっていて建物の躯体の上端まで吸音材で埋められていること。

床は構造上の床の上にコンクリートを施し、計50o程の板材を積層してつくられているとか…表面はカリンの集成材(無垢材)で足を載せた感覚は強固そのもの。

壁には吸音処理はなく、天井のみで吸音しているようです。

壁はMDFに塗装を施したもので、その壁面を支える桟は定間隔ではなく1/f 揺らぎを模したランダムの間隔にしているとのこと。
その指示には施工した大工さんが困惑したとのことですが…(笑)

壁は音響的には床には接しないような造りになっているとのこと。
ムチャクチャ凝った造りです。


吸音部の面積比から考えると吸音率は20%強くらいでしょうか?

全体的にはデッドと言えるのかもしれませんが、正面の窓にかかったひとつのカーテン以外には高音域のみ吸音するような材料がないので、低音から高音までバランスよく吸音されているようで、響きにはまったく違和感がありません。

会話の聴こえ方から判断すると響きの質はやや硬質のような気がします。

http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=25628732&i=201608%2F18%2F99%2Ff0108399_6264165.jpg


オーディオ機器は…送り出しはEMMのトランスポートとDAC。

CDはDSD変換した後、アナログ化されるとのこと。

プリアンプは真空管式のモノラル構成のものをひとつの筐体に収めたもの
電源部は別筐体になっていて、やはり左右別々にDC供給している。

パワーアンプはモノラル構成の3極管のプッシュプル。
プッシュプルがひとつの管の中に収められており、真空管は全くわかってない私はシングルアンプと勘違いしてしまったのですが…。

出力トランスはタムラの特注品でこれを作ってもらうのにロットで発注しなければならなかったとのこと。


今日の主役はやっぱりスピーカー。

Omni-Directional(無指向性)のGerman Physicsのトロバトーレ80とBi-Directional(双指向性)のPSD社の特注品と思われる20pウーファを背中合わせに配置したシステムの組み合わせ。

300Hz、12dB/octのネットワークでクロスされている。

このトロバトーレはチタンの0.025o厚のメンブレムを持つもの。

ウーファシステムはキャビネットに独特の面取りが施され美しいバーズアイメープルの突板で仕上げられている。


最初に聴かせていただいたのはクレーメルとアルゲリッチのプロコフィエフのヴァイオリンソナタ。演奏会場にいる感じ。ピアノとヴァイオリンの位置関係が立体的に感じられる。柔らかい耳あたりの良い音なのにピアノはスタインウェイらしい華やかさが感じられて心地よい。

ダニエル・ハーディング、ウィーンフィルのマーラー10番は開放的な響き。ビックリしたのはグランカッサ。グランカッサの奥行き感、定位の安定感、質感、まさにコンサートホールで聴いているような…。こんな再生音は今まで聞いたことがない。

GRFさんに促されて立ち上がってスピーカーの周囲を回りながら聴いてみると…

スピーカーの裏側からはサントリーホールのP席で聴くように下の方にオーケストラが展開する。

横に回るとミューザ川崎の知る人ぞ知る舞台横の特等席みたいな音が…


昔のスターウォーズ第一作目でR2D2がレイア姫の3Dホログラフィック映像を空間に投影して姫のメッセージを伝える場面があったけれど、あれの音響版みたい。

部屋の中にオーケストラの音響が立体的に構築されていて、その周りを移動して聴くとコンサートホール各席での音が聴けてしまう。

ホログラフィックな映像のレイヤ姫と違うのはそのスケール感で、小さなレイヤ姫と違ってこちらは目の前に壮大なオーケストラが出現しているわけですから…

何とも不思議な音響空間。


GRFさんによるといくら無指向性のスピーカーを使ってもスピーカーの位置調整などがきちんとされないとこのホログラフィック感は得られないのだそうです。

先ほど触れたグランカッサは部屋の音響、特に低域の吸音が適切に設定されないとあのような気持ちいい実在感は得られないのではないかと思います。

通常のスピーカーよりも部屋の響きの影響を大きく受けるはずなので、この部屋の響きのホログラフィック感への貢献度はかなり高いのではないでしょうか?

もうこの後は、ホログラフィックな独特の心地よい音響空間に身をゆだねて、GRFさんが繰り出す名演盤をひたすら聴きまくるモードになりました。


ピリスのモーツァルト・ソナタ、白井光子さんのブラームス歌曲、ギレリスのベートーベン・ソナタ…やはり、臨場感が素晴らしい。


続いてジャズ・ボーカル。パトリシア・バーバーのジャズ・ボーカルもタイトルのナイトクラブで聴く感じ。トニー・ベネットのWith my friendからダイアナ・クラールやスティービー・ワンダーとの豪華共演、マディー・ウォーターズのフォーク・シンガー。柔らかい心地よいボーカルでその場で聴いている感じ。

さらにヴァイオリンということでイザベラ・ファウストのベートーベン・ソナタ。メルニコフのピアノはベーゼンドルファー的でやや控えめ。ヴァイオリンを引き立てるような演奏。比較の意味で同じ曲をクレーメルとアルゲリッチで聴くとさすがにアルゲリッチは主張しまくって丁々発止の演奏で面白い。もうこの辺ですっかり音楽を聴くモードになっています。


カラヤンのウィーン・フィル ニューイヤーコンサートからキャスリン・バトル独唱の春の歌、トスカニーニ、フィルハーモニアのブラームス。エバ・キャシディのライブでのAutumn leaves。フランク永井やちあきなおみまで。

GRFさんがベンチマークとして使われているハイティンク・コンセルトヘボウのショスタコーヴィチ第15番を聴かせていただいた時に、GRFさんが先日ウチにお越しになった時に言われていた意味がやっと理解できたような気がしました。

GRFさんと拙宅では違ったアプローチだけど目指していることは同じと言われていたのです。確かにここで聴かせていただいた音、雰囲気感とウチのマルチch再生には共通のものが感じられたのです。

あ〜、そういうことだったのかと。

でも、マルチchをやっている身としては2本のスピーカーでこんな音を出されてしまうと…う〜ん、ガッカリというかなんというか…(笑)

マルチchでやっと得られる雰囲気感以上のものを普通のCDで出されているわけで…。


http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=25628732&i=201608%2F20%2F99%2Ff0108399_5292839.jpg


私がチェック用に使っているキム・チョン・ファ、ツィマーマンのリヒャルトシュトラウスのヴァイオリンとピアノのためのソナタも聴いたのですが、やはり柔らかい音にもかかわらず細部までよく聞き取れる解像度に感心させられます。

ヴァイオリンはきつくなることなく心地よいし、ピアノはスタインウェイらしい輝きと華やかさがある。無理やりアラを探すと生の音はもう少しきつい音だったかもしれないということくらい。これは生の音を知る由もないので、真偽のほどは何とも言えないし、心地よすぎると文句をつけるのも変なので意味はないのですが…。(^^;)

気がつくと既に時計は9時を回っていて…ピリスのショパン、ノクターンを聴いた後、さらに遺作まで聴きたいという思いをやっとのことで断ち切って、GRF邸を後にしました。終バスに何とか間に合いましたので後ろ髪惹かれる思いを断ち切ってあの時においとまさせていただいてよかったです。

結局お聴きしたいと思っていたタンノイGRFや和室のユニコーンや「悪魔のソフト」すら聴くことができませんでした。再びGRF邸を訪れるための理由ができたと思うことにしましょう。(笑)


__


4チャンネルのマルチをお聞きのK&Kさんが、拙宅のホログラフをどの様にお感じになるか楽しみでした。

コンサートホールで聞くようにステージが出現します。

マルチと違ってどの位置で聞いても、そのステージは変わりません。

ホールで聞くときのように場所に依って音は変わりますが、どこで座っても良い音で聞けます。

はじめて、このホログラフィックの音を聞かれると、驚かれると思いますが、コンサートホール聞かれたことが無い方は、三次元の音とは感じないようです。

スタジオでの奥行き感だけになります。

それでも、ヴォーカルがバックから浮き上がり、鮮やかな音が聞こえてきます。

いずれにしても、音場情報が入っている録音は、その場所が、部屋の中に出現するわけですから、こんなに楽しいことはありません。

マルチをされている K&Kさんに確認頂き嬉しかったです。
次回は、DecolaとGRFの番ですね。そうそう、和室のユニコーンも聞いてください。
http://tannoy.exblog.jp/25628732/


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2016年 09月 26日 GRF邸で聴いた「スピーカーの存在が消える音場感」
http://tannoy.exblog.jp/26088768/

クラシック音楽とオーディオに造詣が深いマイミクのGRFさんから「一度、わが家の音を聴きにきませんか?」とお誘いがあり、9/24に上京してお宅を訪問してきました。私はクラシック音楽は大好きですが、オーディオに関しては知識には疎く、感想を書くのはちょっと恥ずかしいのですが、とりあえず感じたことを書きたいと思います。

私が自宅で使っているオーディオは、GRFさんと比べると恥ずかしいような標準的なものです。本物の音は実際にライブの音をコンサートホールへ聴きに行けばよいと思っていました。しかしGRFさんの御宅の音を聴いて、ホールと同等の音響がオーディオで再現されていたことの大変、驚きました。

GRF邸には2つのオーディオ・ルームがあり、それらにはよく調整されたスピーカーが設置されています。この2つのスピーカーは 360度に音が出ることです。一般的な2次元に音がでるものとは設計コンセプトがまるで違っています。


・6畳の和室のジャーマン・フィジックス社のユニコーン

・40平米ぐらいの洋室の同社のトロバドール80


http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=26088768&i=201609%2F26%2F99%2Ff0108399_2136253.jpg


午前中は和室の音を聴かせていただきました。

ユニコーンという名称は、そのスピーカーの姿が「一角獣」を思わせるものだからでしょう。

最初に掛けられたのはピアノ・トリオのジャズのCD。最初のコントラバスの一音の「量感」にまずビックリしました。

見えないはずの音が塊のように見えた。
目の前でプレイヤーがボンボンと弦を弾いている姿が感じられます。

まさにライブハウスの音。
スピーカーが鳴っている感覚ではなく、和室そのものが本物のスタジオのような音場感。


私がビックリしていると、さらにサイモン・ラトル指揮&ベルリン・フィルのベートーヴェン作曲・交響曲第4番のCDが掛けられました。またビックリ。

木管の音がよく立っています。
それらの音が高い位置から聴こえてきて、微妙なニュアンスもよく感じられます。再生された音楽でこのような音を私は聴いたことがありません。

次にGRFさんはユニコーンについているピンを操作しはじめました。

するとサントリーホールの1階席のステージ前で聴いているかのような音場が、音源が遠ざかりもっと後ろの席で聴いているような感じになりました。

音域別によるエネルギー分布を変えることで、このようなことが可能だそうです。

よく考えると、音も性質によって反射の仕方が違うので、高域の音が聞こえやすい場所、全体の音が混ざりあった音がする場所など、席によって聴こえてくる音の特性があるので、そのようなことができるのでしょう。

GRFさんは音域のエネルギー分布に変えることで、コンサートホールやライブハウスなど様々な仮想空間を作って楽しまれているようです。普通の和室でこのような音が再現できるなんて心底、驚きました。


そのあと、白井光子が歌うブラームスの名歌「野の寂しさop86-2」を掛けていただいた時、目をつぶると目の前に歌手が立っているかのような錯覚を覚えました。

音響だけでなく、音源となる演奏者の姿まで映し出してしまうとは本当に究極のオーディオです。

スピーカーの正面に座らせていただいて、ジーッとスピーカーを観察していて気づいたことがあります。

左右のスピーカーのメープルの根で作られたというボックスの柄が左右対称になっていたことです。

これは同じ木から切り出したパーツが左右が対称型になるように慎重に組み立てられたことを意味します。

すごい手間です。スピーカー内部の密度感が均一になるような配慮です。

これならスピーカーそのものから出る音のバランスもよいはずです。
まさに左右の箱は双子といっても言い。

こういう手法は建築の石貼りでも見られます。
水戸芸術館にはオニックスという石の柄がそのように左右対称に見えるように貼られています。

このスピーカーはドイツの職人魂を感じさせますね。


もうひとつ気づいたのは、傍らに見たことがあるCDプレイヤー(マランツCD34)が置かれていました。これは30年ぐらい前に私が最初にかったCDプレイヤーです。懐かしいなぁ。でもよくよく訊いてみると、中身はスーパーカーのように改造して、音はベツモノらしいですw。


ユニコーンに驚愕している私に、GRFさんは「驚くのはまだ早い」というような表情で、ランチを食べに行こうと誘われ、近所のイタリア料理店でパスタをご馳走になりました。その時、オーディオ歴50年の話などをいろいろ伺いました。


http://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=26088768&i=201609%2F26%2F99%2Ff0108399_21451999.jpg


ランチの後は洋室に移ってトロバドール80です。

部屋はおよそ40平米ぐらい。

ヴェルディ作曲のオペラに「イル・トロバトーレ(吟遊詩人)」という作品がありますが、そのスピーカーの風貌も羽つき帽子を被ったかのような吟遊詩人と重なって見えてきます。

トロバドールは壁から3m程度離された位置に置かれています。

最初、午前中に和室で聴いたのと同じベートーヴェン作曲の交響曲第4番が掛けられました。トロバドールが鳴った瞬間、私は「刺し身のよう…」と思わず失礼なつぶやきを無意識に言ってしまいました。これは鮮度がよく、まるで生きているようなな…ということです。この演奏が、今、そこで演奏されている生の音のようというニュアンスでした。機械が出している音とは思えなかった。

そして驚いたのはスピーカーから音がするというよりも、部屋全体の空間が鳴っている感じです。音楽専用ホールに座っているかのような思いです。

全方位型のスピーカー、恐るべし。
ユニコーンよりも音が鳴っている全体の空間のイメージがよく分かるような気がしました。

するとGRFさんが「聴く位置を替えると音が違って聴こえるから試してみて…」というので、部屋内を動き回ってみると、

正面の椅子ではサントリーホールの1階中央のSS席ぐらいの定位感だったのに、

壁の側面に行くと2階RA、LA席の音に聴こえるし、

背面に移るとP席の音がするのにはビックリでした。

それぞれの楽器の音が分解されて細かいニュアンスが明快に聴き取れます。


次に聴いたクレーメル&アルゲリッチのプロコフィエフのヴァイオリンソナタ第1番では、演奏者の演奏する様子が立体映像のように浮かび上がるように音が聴こえてきます。

演奏者の息遣い、弦の倍音、ビブラートをする右手、フラジオレットの弓使いがみえる。音が映像化してる。


その後、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」の冒頭の低弦の符点のリズムで始まる箇所をいろいろなCDで聴き比べ。

弱音の中で振動のような微妙な音の違いが明瞭に聴き取れます。
私はヤンソンスとRCOのキレがある演奏が気に入りました。

マリア・ジョアオ・ピリスが弾くモーツァルトの幻想曲は同じ録音を異なる3種類のCDで聴きました。1枚もの、廉価版のBOXセットの2種。

聴いてビックリ。音の厚さとコクが全然ちがう。

これはCDに焼き付けられている情報量の違いだそうです。

トロバドールから響くピリスのピアノの音色が微妙にちがっていて、細かいニュアンスまでが鮮明に聴き取れます。ピアノのいち音いち音が言葉になっていることがよく分かりました。私の安スピーカーでは聴き取れないと思います。

GRFさんが中央の窓の吸音効果があるドレープを少し開けると、出窓奥にある音の反射面のガラスが威力を発揮し、より正面からの音が響くように感じられました。

コンサートホールは入場者の数などによって音が変わりますが、このトロバドールの部屋も家具やドレープ、スピーカーの位置によって音が変わってきます。

GRFさんは今、かかっている音楽に合わせてそれらを微調整しながら、最良の響きになるように常に動いていました。

ちっと変えるとすぐ音響が変化するこの音空間は、まるで生きているですね。


私は建築の設計の仕事をしているので、この部屋をつくるにあたって工夫したことをいろいろ聴かせていただきました。

遮音を厳重にすることは必須、

それとスラブ振動がオーディオルームにに伝わらないように、部屋が躯体から縁が切れるように床下地材を構成したこと、

音と部屋が共鳴しないように壁の下地材の貼り方を工夫したこと、

音響効果を考えた吸音材の布置など、いろいろ訊いて、ガッテンしました。


GRFさんが余興として、いきなりフランク永井のCDを掛けました。

トロバドールがつくる音場感がまったく変わってしまったのでビックリ。

ムード歌謡が二次元的な音になってしまい、はじめてスピーカーの存在に気づいた感じがしました。これは録音方法が全然ちがうので、このような音になるそうです。

スピーカーからの音がその部屋を楽器化したように音を鳴らすというのはまさに至高の域と言ってでしょう。

私はGRFさんに「ここまで来てしまったら次は何処へ行くのですか?」と訊くと、「ほぼ満足な音が出てきたので、好きな音楽に没頭できそう…」という答えでした。

キュビズムの画家のジョルジュ・ブラックの「当初の構想が消え去った時、絵画ははじめて完成する」という言葉がありますが、GRFさんもほぼ同じ境地ではないかと想像しました。

そろそろ失礼しようとした時に、「ちょっと一杯どうですか?」と赤ワインを用意していただきました。「かんぱーい」とグラスを軽くタッチしたら「ゴーン」という聞き慣れた音がしました。私、思わず「これはリーデルのグラスですね!」と言ってしまいました。もちろん当たり。私が使っているグラスを同じだからです。

リーデルのボルドーグラスは香りが外へ逃げないようにするために、グラス内に香りが籠もるような断面になっているので、「ゴーン」という鐘のような音がするのです。

GRFさんと私のオーディオの音は天と地の差がありますが、グラスの乾杯の音だけは同じでした(笑)

帰路、聴かせていただいた白井光子が歌うブラームスの名歌「野の寂しさop86-2」を思い出しました。

「美しい白い雲は遠くへ流れ、深い青さは、まるで美しい静けき夢のようだ。私はまるでずっと昔に死んでしまっていて、永遠の空間を幸せに漂っているかのようだ。」

という歌意だったと思います。録音する時に消えてしまった音が、トロバドールによって再び命を与えられ、GRFさん宅の空間を幸せに漂っているイメージを持ちました。

すばらしい音を聴かせていただき、ありがとうございました。


____


マイミクで、紀尾井ホールでも良くお会いする、エビネンコさんが、土曜日、高速バスに乗って私のうちの音を聞きにきてくれました。

音楽にとても造詣が深く、今回の訪問記でもオーディオファンとはやはり観点が違います。

初めて聞くオーディオなのに、的確に家の音の特徴を捉えて表現していただきました。とてもうれしいです。オーディオファンの方と話すより遥かに楽しかったです。エビネンコさんも楽しんでいただけたようで楽しい週末を過ごす事ができました。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c2

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ
カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ


元祖グローバリズムは中南米のバナナ共和国ですよね。

キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してロシアと軍事同盟を結んだのですね。

どう考えても社会主義は反グローバリズムでしょう。

バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
1. 中川隆[-14052] koaQ7Jey 2020年2月04日 15:10:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-730]
元祖グローバリズムは中南米のバナナ共和国ですよね。
キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても社会主義は反グローバリズムでしょう。

バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c1

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
2. 中川隆[-14051] koaQ7Jey 2020年2月04日 15:22:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-729]
元祖グローバリズムは中南米のバナナ共和国ですよね。
キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。

元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c2

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 _ 731部隊の人体実験は無かった

またアホ右翼が731部隊の人体実験が嘘だとかデマ流しているね:

アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅 _ 昭和天皇と731部隊

 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。

 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。  莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところが、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。  731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?  マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。
 また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。

 731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)  日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。 昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。
・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・  石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。
・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)
・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。
 (1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)

・『731部隊−天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。 (『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/467.html

[近代史3] 北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている

北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている。


2020年02月04日
中国の病院 数週間待つのが常識 医師が高額賄賂要求

中国の病院の酷さを訴える女子大生


引用:http://www.acnw.com.au/images/portal/201601/27/073427ea87d7ppr9w8prw5.jpg

現在中国では新型ウイルスで病院がパンク状態だが、実は以前からパンクしていた。


北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている。

番号を買っても診察時間は3分以内で、医者にも賄賂を取られ、高額な薬を売りつけられています。


病院で女子大生がキレた理由

数年前に中国の病院で「賄賂が横行している」と告発した女子大生の事が話題になりました。

中国で投稿された動画には、女性が中国語で怒鳴っている様子が写っているが、彼女は「受付番号」の不正に怒ってました。


中国の医療保険制度は自治体ごとに分かれていて、職業別にも適用範囲が分かれています。



北京のように人口が多く発展している都市で、公務員をしているなら充実した医療を低価格で受ける事ができます。

ただし保険が適用される病院はほとんど存在せず、病院の受付は常に大渋滞が起きています。

富裕層や共産党員はこのような病院には行かず、金持ちと権力者用の病院に、待ち時間なしで受診できます。


という事は一般人民が病院に受診するには、何週間も前から申し込んで順番待ちをする事になります。

この「受付番号」がどれほどの価値を持つかは、日本人には想像できませんが、プラチナチケットになっています。

しかも「受付番号」を貰う為に、まず何日も座り込んで順番を待つ状況で、数日泊り込んでやっと1ヵ月後の順番を貰えるのです。


こういう事なのでプラチナチケットの売買が横行し、窓口前ではダフ屋がチケットの買い取りと販売を行っています。

日本のヤ○オクとかでライブや希少列車のチケットが転売されていますが、あれが病院の窓口で展開されています。

動画の女子大生はその日は朝からずっと並んだが番号を貰えず、午後にまた並んで、運良く診察してもらう事ができた。

賄賂、ワイロ、わいろ

だが診察時間は1分から3分という所で、話も聞かずに薬を出して終わりだったという。

因みに中国の病院は日本のように病院と薬局は別れていないので、医者が直接薬を売ります。

医者はなるべく高額な薬を売って金儲けし、患者からも賄賂を受け取っています。


賄賂は病院のあらゆる場所で横行し、窓口の係が受け付け番号を出すのも、賄賂が多い順番です。

女子大生は田舎から北京の大病院に出て来て、受付時間前から並んでいたが、受付時間になると男達が割り込んで番号を受け取っていた。

割り込んだ数十人の男達はダフ屋で、窓口の係員に予め賄賂を渡してあるので、必ず一番先に番号を貰える。


ダフ屋は窓口から「買った」番号を、欲しい人に4,500元(約80,700円)で販売していたという。

この女子大生の話だと、そもそも受け付け番号自体も、300元(約5,400円)で買わなければならないようです。

これが正規の料金なのかは分からないが、恐らく窓口係が患者全員から強制的に賄賂を取っているのでしょう。


中国人13億人の平均所得は80万円で、北京は高いがこの2倍程度なので、受付番号に5400円は法外です。

しかも日本で言う健康保険を適用されるのは公務員や大企業など上級市民だけで、貧しい人ほど医療費が高額負担です。

病院の警備員もダフ屋の仲間なので、ダフ屋のために交通整理している始末で、怒りが爆発した女子大生は怒鳴り始めたという顛末でした。


受付番号を貰う為に並ぶ人々


引用:http://images.shobserver.com/news/news/2016/1/29/8ffac186-c831-47b4-9c02-9a59de4740a1.jpg

福祉大国北欧の現実

患者が病院に取られる5400円や8万円は番号を貰うだけの費用で、診察代や薬代、医者への賄賂はもっと高い。

ある田舎の人が母親を病院に入院させ、そこまでは幸運だったのが、彼は医者や看護婦にも賄賂を渡すのを知らなかった。

彼の母親は病院で放置され、治療されること無くなくなった、というニュースが以前流れていました。


これは中国の事なのだが、実は福祉先進国で知られている北欧諸国も、似たような状況にあると言われています。

北欧では医療費は全て無料で、もちろん中国のように賄賂をとられたりはしません。

しかし無料の病院は当然赤字であり、国の負担が重く、多数の患者に対して少ししか存在しません。


無料で診察してもらうには最低でも2週間前に予約が必要なので、急な場合は役に立ちません。

そこで「有料の病院」が登場し、高額料金を支払うことで診察してもらっているという、本末転倒な事になっています。

日本以外の世界の医療の実態は、ほぼこんな物と考えて間違いなく、治療費が高いか、何週間も待たされるかどちらかです。


世界レベルで見ると日本の医療は、問題を抱えながらもうまく行っている方のようです。
http://www.thutmosev.com/archives/53878203.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/886.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 中国関係投稿リンク 中川隆
45. 中川隆[-14050] koaQ7Jey 2020年2月04日 21:56:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-728]
北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/886.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/925.html#c45
[近代史3] 北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている 中川隆
1. 中川隆[-14049] koaQ7Jey 2020年2月04日 22:24:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-727]

2020年02月03日
武漢肺炎 中国というシステムが作り出した妖怪だった


武漢市は1月23日過ぎまで、被害を訴える人を「デマを流した」と逮捕し治療しなかった。

この1カ月半で爆発的に感染者が増え治療不可能になった


画像引用:https://d15-a.sdn.cz/d_15/c_img_F_O/7d1MVj.jpeg?fl=cro,98,0,1080,720%7Cres,1200,,1%7Cwebp,75

中国というウイルスの自壊作用だった

武漢発の新型コロナウイルスは相変わらず中国では爆発的に増加し、中国以外の国ではそれほどでもない。

武漢から帰国した日本人感染者は565人中8人で、これを武漢周辺地域に当てはめると1月31日に20万人の感染者がいた筈です。

だが中国政府が発表した武漢市の患者数は2月2日に5千人程度で、中国全体でも1万5千人にすぎない。



もしこの発表を信じると新型ウイルスは日本人にだけ1.4%の割合で感染し、中国人は0.04%しか感染しない。

この理由を医師や科学者は誰も説明できないが、中国政府が武漢の患者数を40分の1に発表しているとすれば合理的に説明できる、

中国以外での感染者数は26か国178人で、50万人超と推測される中国に対して大幅に少ない。


この理由は中国以外で発熱や感染した患者が適切な治療を受けたのに対し、中国は今も9割以上の感染者を放置しているからです。

感染者数を40分の1に偽っているということは、治療を受けている人は感染者の40人に1人に過ぎないのを意味します。

人口1100万人の武漢に医療設備が整った病院は5つしかなく、臨時に建設した病院を含めて7病院です。


一つの病院で受け入れ可能なのは500人から1000人、外来で1日に受け入れ可能なのもその程度でしょう。

すると中国政府や湖北省が全員を治療したいと考えても、感染者が増えると不可能だったのです。

中国政府は感染者が100人以内の時に情報を隠蔽し、患者を逮捕して刑務所に入れていました。

中国以外では拡大しない可能性

感染者数人の段階で適切な治療をしていたら、中国国内の患者数は諸外国と同じ数十人にとどまっていたでしょう。

中国は最初の感染者が出た19年12月初めには事態を把握していたが、治療どころか「デマを流した」と取り締まりました。

武漢市民は感染を訴えると逮捕されるので病院に行くどころか隠れてしまい、治療不可能になって感染者を増やした。


これが武漢ウイルスの真相で、おそらく新型ウイルスの感染力自体はそれほど強くなかったのかも知れません。

各国は感染者の入国を防止しようとしていて、アメリカとオーストラリアは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国を拒否した。

フィリピンは2月2日に中国以外で初の死者が出たのを受けて、中国からの入国を禁止するとしている。


タイの保健省は2月2日、重症の新型肺炎患者にインフルエンザ治療薬と抗エイズウイルス(HIV)薬を組み合わせて投与したところ、症状が急速に改善したと発表した。

71歳の重症患者に投与したところ、熱が下がり食欲が回復し、48時間以内にコロナウイルスが消えたという。 

HIVウイルスとコロナウイルスの類似性が数日前から指摘されていて、HIVウイルスが変化した物という説もある。


武漢ウイルスの発生源とされた武漢の海鮮市場だが、本当に発生源だったのが疑問視する声が上がっている。

イギリスの医学専門誌ランセットによると最初の感染者4人のうち3人は海鮮市場に行っておらず、行ったのは一人だけだった。

初期の感染者41人のうち華南海鮮市場に行ったのは27人だけで、市場を悪玉に仕立てたのも中国政府が責任を押し付けた可能性が高い。

中国政府はやっと感染防止に本腰

中国浙江省温州市で2月2日に外出禁止令が出され、住人は家の中や部屋から出るのを禁止された。

2日に1度、1家庭から1人に限り、食料品や日用品を買いに出掛けて良いが、仕事をするのも禁止。

医療機関や感染防止に関わる仕事以外は、全面的に外出禁止となり、事実上の戒厳令に等しい。


湖北省黄岡市も1月1日から同様の措置を取っていて、これには中国共産党の姿勢変化が影響している。

中国共産党は最初の感染者確認から1か月半も経った20年1月20日にやっと対応を指示したが、それまでは隠蔽を指示していた。

習近平批判に繋がらないよう、湖北省幹部が対応を遅らせたと批判し、地方役人に責任を負わせた。


中国ではこんな場合、地方役人が責任を否定すれば即逮捕され、一家全員山奥の収容所などに送られる。

武漢市のトップ、馬国強書記は2月1日にテレビで謝罪放送をし、「自分の対応遅れが被害を拡大させた」と話した。

これの真の意味は「責任を取って謝罪しないと習近平に処刑される」という事なのでしょう。


中国人民銀行は2月3日、1兆2000億人民元(18兆円)を春節明けに資金供給すると発表した。

中国では武漢や大連・上海など南部の都市で商店が休業し、消費経済に大打撃があると予想されている。

外国企業の撤退や工場の一時閉鎖も起きていて、企業の資金繰りを助けるためだと思われる。
http://www.thutmosev.com/archives/82115721.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/886.html#c1

[近代史3] グスタフ・マーラー 『大地の歌』
グスタフ・マーラー 『大地の歌』


ブルーノ・ワルターの 『マーラー 大地の歌』


Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & VPO (1936)






Kerstin Thorborg (1896-1970), Contralto
Charles Kullman (1903-1983), Tenor
Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra


Rec. 24 May 1936, in Vienna (Live Recording)


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Mahler "Das Lied von der Erde" Svanhom/Ferrier/Walter/NYP, 1948 live restored




Kathleen Ferrier, mezzo-soprano
Set Svanholm, tenor
New York Philharmonic Orchestra
Bruno Walter, Conductor
Carnegie-Hall, 18.I.1948


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Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & VPO (1952)






Kathleen Ferrier (1912-1953), Contralto
Julius Patzak (1898-1974), Tenor
Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra


Rec. 15-16 May 1952, in Vienna (Live Recording)


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Mahler - Das Lied von der Erde - Vienna / Walter live 1952


Kathleen Ferrier
Julius Patzak
Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Live recording, Vienna, 17 or 18.V.1952


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Mahler "Das Lied von der Erde" Svanholm/Nikolaidi/Walter


Set Svanholm, Tenor
Elena Nikolaidi, Contralto
New York Philharmonic Orchestra
Bruno Walter, Conductor
22.II.1953


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Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & NYP (1960) マーラー 大地の歌 ワルター (詞字幕有)


Mildred Miller (1924-), Mezzo Soprano
Ernst Haefliger (1919-2007), Tenor
Bruno Walter (1876-1962), Conductor
New York Philharmonic


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『大地の歌』( Das Lied von der Erde )は、グスタフ・マーラーが1908年に作曲した、声楽(2人の独唱)を伴う交響曲。連作歌曲としての性格も併せ持っている。


「大地の歌」というメインタイトルに続き、副題として「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」(Eine Symphonie für eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester )とあり、通常マーラーが9番目に作曲した交響曲として位置づけられるが、連作歌曲としての性格も併せ持っており、ピアノとソリストのための異稿も存在するため、「交響曲」と「連作歌曲」とを融合させた作品と考えられる。


交響曲としてはかなり破格の存在であり、「9番目の交響曲」であるという点も影響してか、マーラーは「第○番」といった番号を与えなかった(詳しくは第九のジンクスの項を参照)。なお、ウニヴェルザール出版社から出版されている決定版総譜には「大地の歌」とだけ記されていて「交響曲」とは全く記されていないところを見ると、歌曲集としての重みも非常に強い。


後にこの作品に影響を受けて、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」や、ショスタコーヴィチの交響曲第14番が生まれている。


作曲は1908年。6楽章からなり、テノールとアルト(またはバリトン)が交互に独唱をつとめる。歌詞は、李白(悲歌行など)らによる唐詩に基づき、ドイツの詩人・翻訳家のハンス・ベートゲ(1876年1月9日 - 1946年2月1日)が自由に翻訳・編集した詩集『中国の笛』から7編の詩を選び、これをマーラー自身が適宜改変したものによっている。


マーラーがベートゲの『中国の笛』に出会ったのは作曲の前年1907年秋(同書の出版は同年10月)と考えられるが、その年の夏、マーラーは長女マリア・アンナの死に遭い、自身も心臓疾患の診断を受けていた。同年暮れには、10年間務めてきたウィーン宮廷歌劇場の音楽監督を辞任し、渡米するという転機を迎えている。マーラーにとって、死が身近なものとなり、音楽活動だけでなく、実生活面でもヨーロッパとの訣別という心情があったと考えられる。


こうしたもとで作曲された『大地の歌』は、前作交響曲第8番までの、音楽の多声的かつ重層的な展開によって獲得していた多義性は影を潜め、これに代わって、色彩的で甘美、かつ耽美的な表現が全面に打ち出されている。書法的にも和声的・ホモフォニー的な進行が顕著になっている。とはいえ、このような特徴は、すでに交響曲第8番や第7番でも萌芽的に見られていたものである。


マーラーの作曲活動は、交響曲と歌曲が大きな柱となっているが、『大地の歌』はこの両者が融合された傑作として、マーラー作品のなかでは親しみやすい交響曲第1番、第4番とともに、早くから受容されてきた。同時に、この曲から聴き取れる東洋的な無常観、厭世観、別離の気分は、つづく交響曲第9番とともに、マーラーの生涯や人間像を、決定的に印象づけるものとなっている。


なお『大地の歌』という日本語の訳題について、柴田南雄は「おそらく前記レコード(1939年に日本で発売されたブルーノ・ワルター指揮のレコード - 引用者註)発売時の邦訳であろうが、時期からして、パール・バックの『大地』を踏まえて付けられたのは疑いない」と断定している[1]。


作曲の経緯


ウィーン歌劇場辞任


1907年7月12日、ヴェルター湖畔マイアーニック(Maiernigg)での夏の休暇中、マーラーの長女マリア・アンナが亡くなり、マーラー自身にも心臓病の診断が下される。これに先立つ6月に、マーラーはニューヨーク・メトロポリタン歌劇場と契約を交わしており、ウィーン宮廷歌劇場辞任の意志を固めていた。


8月、ウィーン宮廷歌劇場のマーラーの後任としてフェリックス・ワインガルトナーが指名される。


10月15日、宮廷歌劇場の告別演奏会。演目はベートーヴェンの『フィデリオ』。同月の後半、サンクトペテルブルクとヘルシンキに演奏旅行。サンクトペテルブルクの演奏会にはストラヴィンスキーが出席、ヘルシンキではシベリウスと会っている。
11月24日、楽友協会大ホールで自作交響曲第2番を指揮。ウィーン最後の演奏会となる。
12月9日、妻アルマとともに渡米。アルノルト・シェーンベルクやグスタフ・クリムトらに見送られる。


アメリカ・デビュー


翌1908年1月1日、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の指揮者としてデビュー、フィラデルフィア、ボストンにも客演する。


5月、ヨーロッパに戻る。6月から南オーストリア、ドロミーティアルプスに位置するトプラッハ(現イタリア)近郊のアルト・シュルーダーバッハの別荘で夏の休暇を過ごす。


『大地の歌』の作曲


『大地の歌』は渡米後の1908年の夏、休暇先のアルト・シュルーダーバッハで作曲された。作曲のきっかけは、マーラーの友人テオバルト・ポッラクからハンス・ベートゲが編んだ詩集『中国の笛』(Die chinesische Flöte)を贈ってもらったこととされる。


作曲は、オーケストラ稿とピアノ稿(後述)が並行して進められている。最終的にはオーケストラ稿の仕上げを手がけているが、これまでの自作のように、マーラー自らが初演を経て手を入れることができなかった。オーケストラ稿およびピアノ稿自筆譜の日付から作曲順をたどると以下のようになる。


1908年7月 - 第2楽章(ピアノ稿)
1908年8月1日 - 第3楽章(オーケストラ稿)
1908年8月14日 - 第1楽章(オーケストラ稿)
1908年8月21日 - 第4楽章(ピアノ稿)
1908年9月4日 - 第6楽章(オーケストラ稿)


第5楽章については日付が書かれていないが、この曲が最後に作曲されたと考えられている。


アルマの回想を始めとして、前年1907年の夏に第1楽章に着手したという説があるが、先述のように『中国の笛』は1907年10月の出版であり、それ以前にマーラーが目にした可能性は低い。1907年着手説には、同年夏にマーラーの長女の死、マーラー自身の心臓病、さらに歌劇場辞任と事件が重なったことを『大地の歌』作曲の動機に直接結びつける意図があると考えられる。


初演


オーケストラとソリスト稿
本作の世界初演は1911年11月20日、ミュンヘンにて、ブルーノ・ワルター指揮、カイム管弦楽団(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)によって行われた。この年の5月にマーラーはこの世を去っており、マーラーの弟子であるワルターが指揮を担当することとなった。ワルターはその時の思いを自叙伝『主題と変奏』において
「…『大地の歌』の初演は最も貴重な芸術上事件として生涯忘れることはできない。
それは、マーラーが残してくれた、私自身にとっても極めて大事なこの作品の初演の責任を感じていたことであり、さらには、私が師に代わって行う事を感じていたことなどが理由である。また、初演で、彼から私にゆだねられたスコアがここに初めて感動的な音楽の響きとなるや、故人の有り様を痛ましくもまた身近に感じたからだ。…」


と書き残している。


出版


オーケストラとソリスト稿
1912年、ウィーンのウニヴェルザール出版社から出版。1964年には国際マーラー協会による「全集版」が同社から出版。1990年には「全集版」の改訂版が出版された。


ピアノとソリスト稿
1989年、ウニヴェルザール出版社からピアノ稿が出版。


楽器編成


声楽
アルトまたはバリトン独唱
テノール独唱


管弦楽
ピッコロ、フルート 3(ピッコロ持ち替え 1)、オーボエ 3 (コーラングレ持ち替え 1)、クラリネット 3、小クラリネット 1、バスクラリネット 1、ファゴット 3 (コントラファゴット持ち替え 1)
ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ
ティンパニ、バスドラム、タンブリン、シンバル、トライアングル、銅鑼、グロッケンシュピール
ハープ 2、マンドリン、チェレスタ
弦五部合計88


ピアノとソリスト稿
マーラーはこの作品の全曲のピアノ伴奏による稿を遺している。オーケストラ稿とは小節数や音、歌詞などに相違がある。このピアノ稿は、ヴォーカル・スコアのように作品に付随して生み出されたものとは異なり、独立した作品として構想され、同時並行的に作曲が進められている。このような例は、他に『少年の魔法の角笛』、『亡き子をしのぶ歌』があり、この曲の歌曲的性格を示す。


このピアノ稿はマーラー存命中に演奏・出版されることがなく、死後、自筆譜を妻アルマが所持していた。1950年代にアルマは自筆稿を画商のオットー・カリルに贈り、これがステファン・ヘフリングによって校訂され、1989年にマーラー全集の補巻として出版された。


オーケストラ稿とピアノ稿との比較によって、構想の推移やマーラーの意図をある程度つかむことができる。この成果から、1990年にオーケストラ稿の改訂版が出版されている。


アルトとバリトンの選択について


マーラーは偶数楽章をアルトまたはバリトンの独唱にあてており、その選択は演奏者に委ねられている。初演の指揮者でマーラーの直弟子のワルターは、この曲をたびたび演奏しているが、バリトンでの演奏は一度きりだった。そのこともあって、現在では男声と女声の対比をつけるためにアルトで演奏・録音する例が圧倒的に多い。


そのためバリトンでの演奏・録音の例は多くないが、クリップス、クレツキ、バーンスタイン、ラトル、サロネン、ケント・ナガノなどが指揮した録音がある。なかでもバーンスタインがバリトンにフィッシャー=ディースカウを起用してウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と行った録音が知られている。


楽曲構成


全6楽章からなる。テノールとアルト(またはバリトン、以下同じ)が楽章ごとに交互に独唱する。


柴田南雄は全体の構成を、第4楽章を中心とし、第3楽章と第5楽章、第2楽章と第6楽章(前半)、第1楽章と第6楽章(後半)がそれぞれ対応する対照的配置であるとしている。


これに対し、諸井誠は第3・4・5楽章をスケルツォ楽章の三部形式と見なすことで、音楽的には全体を伝統的な4楽章制交響曲として捉えることができ、詩的内容からは、第1楽章と第5楽章、第2楽章と第6楽章、第3楽章と第4楽章が対応関係になっているので、第3・4楽章を中間展開部とする三部構成と捉えることもできる、としている。


しかし第3・4・5楽章を典型的な歌曲集の形としてみなすことも可能である。


第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」
アレグロ・ペザンテ イ短調 3/4拍子


詩は李白「悲歌行」に基づくが、自由に改変されている。テノール独唱。
ホルンの斉奏で始まり、劇的でペシミスティックな性格が打ち出されている。歌詞は3節からなり、各節は「生は暗く、死もまた暗い」という同じ句で結ばれる。この句は最初はト短調、2回目に変イ短調、3回目にはイ調(長調と短調の間を揺れ動く)と半音ずつ上昇して強調されている。
諸井誠はこの第1楽章と次の第2楽章について、ソナタ形式として分析することが可能だとしている。


第2楽章「秋に寂しき者」
Etwas schleichend. Ermüdet(やや緩やかに、疲れたように) ニ短調 3/2拍子


詩は銭起「效古秋夜長」とされてきたが、近年は疑問視されており、張籍もしくは張継との説がある(これについては第2楽章「秋に寂しき者」の問題を参照)。ソナタの緩徐楽章のようである。アルト独唱。


第3楽章「青春について」
Behaglich heiter(和やかに、明るく) 変ロ長調 2/2拍子


詩は李白「宴陶家亭子」に基づく。テノール独唱。ピアノ稿の題名は「陶製の亭」であり、ベートゲの題名をそのまま使っている。ベートゲは原詩の「陶家」(陶氏の家)を「陶器の家」と誤訳している。
音楽は五音音階を用いて東洋的な雰囲気を醸し出している。


第4楽章「美について」
コモド・ドルチッシモ ト長調 3/4拍子


詩は李白「採蓮曲」に基づく。アルト独唱。ピアノ稿の題名は「岸辺にて」であり、ベートゲの題名をそのまま使っている。蓮の花を摘む乙女を描く甘美な部分と馬を駆ける若者の勇壮な部分が見事なコントラストを作っている。


第5楽章「春に酔える者」
アレグロ イ長調 4/4拍子


詩は李白「春日酔起言志」に基づく。唐詩の内容に最も忠実とされる。
ここでも管弦楽の間奏部分などに五音音階が顕著に用いられている。テノール独唱。


第6楽章「告別」
Schwer(重々しく) ハ短調 4/4拍子 拡大されたソナタ形式。アルト独唱。


演奏時間にして全体の4割以上を要する長大な楽章である。詩は前半部分が孟浩然の「宿業師山房期丁大不至」、後半部分が王維の「送別」によっている。ベートゲの詩は唐詩に忠実だが、マーラーが2つの詩を結合させた上、自由に改変、追加している。

曲の最後は「永遠に」の句を繰り返しながらハ長調の主和音(ハ-ホ-ト)に至るが、和音に音階の第6度音のイ音が加えられて(ハ-ホ-ト-イ)となっているため、ハ長調ともイ短調ともつかない、閉じられない印象を残す(この和音は、ベルクのヴァイオリン協奏曲(変ロ-ニ-ヘ-ト)でも結尾に使われているほか、後にはシックスス・コードとしてポピュラー音楽でも多用される)。マーラーはこの部分に Gänzlich ersterbend (完全に死に絶えるように)と書き込んでいる。
この楽章のみで約30分の演奏時間を持つ、非常に長大な楽章である。


『大地の歌』の詩について


マーラーが歌詞に採用したのは、ハンス・ベートゲ編訳による詩集『中国の笛−中国の叙情詩による模倣作』である。ベートゲは中国語を解さず、『中国の笛』は、既出版の『中国の叙情詩』(ハンス・ハイルマン)、『唐詩』(エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵)、『玉書』(ジュディット・ゴーティエ)からの翻訳(サン=ドニとゴーティエの詩集はフランス語)あるいは自由な模倣によっている。このため、原詩にほぼ忠実なものや自由な模作となっているものが混在しており、元となった唐詩については特定できていないものもある。


19世紀末から20世紀初頭にかけて、マーラーの周囲ではウィーン分離派やミュンヘンでのユーゲント・シュティールなど、感情と感覚が結合した時代様式が盛んであり、これはドイツ・オーストリアにとどまらない、ヨーロッパの風潮でもあった。


この時代には文学、絵画を含めた芸術分野で「死」をテーマとした作品が数多く生み出されており、同時に、エキゾチズム、とりわけ日本を含めた東洋への関心も高まっていた。


ベートゲの『中国の笛』は、このような時代の所産であり、マーラーの『大地の歌』もまたこの系列に含めることができる。したがって、『大地の歌』には先に述べたように、無常観、厭世観、別離の気分が漂っているとしても、このことで、マーラー自身が東洋的諦観に達していたとは必ずしもいえない。


しかしながら、人間は死んで地上からいなくなるが、大地は永遠に繰り返して花を咲かせ、緑に覆われるというイメージについて、マーラーは10歳代のころから手紙でこのことに触れている。第6楽章で、「永遠の大地」を強調する歌詞を追加したのもマーラー自身である。アルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェの著作を読んでいたマーラーが、唐詩の編訳に接して、これに自身のイメージと体験を重ね合わせていたことは間違いない。


「第九」のジンクス


「第九の呪い」も参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/第九の呪い


『大地の歌』は、交響曲第8番に次いで完成され、本来ならば「第9番」という番号が付けられるべきものだった。しかし、ベートーヴェンが交響曲第10番 (ベートーヴェン)を未完成に終わらせ、またブルックナーが10曲の交響曲を完成させたものの、11番目にあたる第9交響曲が未完成のうちに死去したことを意識したマーラーは、この曲に番号を与えず、単に「大地の歌」とした。その後に作曲したのが純然たる器楽作品であったため、これを交響曲第9番とした。マーラーは続いて交響曲第10番に着手したのだが、未完に終わり、結局「第九」のジンクスは成立してしまった、というのが通説となっている。


これとは逆に、つづいて第9交響曲を作曲すれば「10曲」として数えることができるために、交響曲としては破格のこの曲に、あえて「交響曲」の名称を与えてジンクスの「緩衝地帯」としたとする説もある。この説は、ブルックナーが実際には10曲以上書いていることからすると、説得力に欠ける。ただし、『大地の歌』が交響曲として「破格」という点では、明確にソナタ形式を用いた楽章を欠き、強い歌曲的性格と書法に加えて、『亡き子をしのぶ歌』同様、ピアノ稿も同時に作曲されていた経過からして、そのような判断がマーラー自身にあったとも考えられる。『大地の歌』に番号が付されていない理由として、上記のジンクス説は、この曲の性格とマーラーの心理の一面を物語るものではあっても、それがすべてとはいえない。


これまでのマーラー作品は、マーラー自身によって初演され、出版までに楽譜に手が加えられる過程で、表現がより明確にされ、標題などの位置づけも練り上げられて完成度が高められてきた。しかし、先述の通り『大地の歌』はマーラーの死によって、それが果たされなかった。このことは、「第九」のジンクスが、現在まで神話的に語られる要因となっている。事実上のアレグロ・ソナタや緩徐楽章を持った歌曲集でもある。


歌詞


1. Das Trinklied vom Jammer der Erde
第1楽章 大地の哀愁に寄せる酒の歌
Li-Tai-Po (701-762)
李白の詩「悲歌行」による


Schon winkt der Wein im gold'nen Pokale,
Doch trinkt noch nicht, erst sing' ich euch ein Lied!
Das Lied vom Kummer
Soll auflachend in die Seele euch klingen.
Wenn der Kummer naht,
Liegen wüst die Gärten der Seele,
Welkt hin und stirbt die Freude, der Gesang.
Dunkel ist das Leben, ist der Tod.


Herr dieses Hauses!
Dein Keller birgt die Fülle des goldenen Weins!
Hier, diese Laute nenn' ich mein!
Die Laute schlagen und die Gläser leeren,
Das sind die Dinge, die zusammen passen.
Ein voller Becher Weins zur rechten Zeit
Ist mehr wert, als alle Reiche dieser Erde!
Dunkel ist das Leben, ist der Tod.


Das Firmament blaut ewig und die Erde
Wird lange fest steh'n und aufblühn im Lenz.
Du aber, Mensch, wie lang lebst denn du?
Nicht hundert Jahre darfst du dich ergötzen
An all dem morschen Tande dieser Erde!


Seht dort hinab!
Im Mondschein auf den Gräbern
Hockt eine wildgespenstische Gestalt!
Ein Aff' ist's! Hört ihr, wie sein Heulen
Hinausgellt in den süßen Duft des Lebens!


Jetzt nehmt den Wein!
Jetzt ist es Zeit, Genossen!
Leert eure goldnen Becher zu Grund!
Dunkel ist das Leben, ist der Tod!
なんと美しくあることか、黄金の杯を満たすこのうま酒は、
しかし飲むのを待たれよ、まずは歌でも一つ歌おうぞ!
憂愁を誘うこの歌を
君たちの心に哄笑として高鳴らせよう。
憂愁が迫り来ると、
心の園も荒涼でいっぱい。
歓びの情もその歌う声もしおれ果て消えゆくかな。
生は暗く、死もまた暗い。


この家の主よ!
君が酒蔵には黄金の酒が満ちている!
ここにある琴を、私の琴としよう!
この琴をかき鳴らし、盃を尽くすことこそ
最もふさわしいだろう。
ほどよき時に、なみなみと注がれた一杯の盃は、
この大地の全ての王国にも優る!
生は暗く、死もまた暗い。


天空は永久に蒼(あお)く、しかも大地は
永遠に揺るがずにあり、春ともなれば花咲き乱れる。
だが人間たる君よ、君はどれだけ生き長らえていくものか?
君は百歳とは慰(なぐさ)むことは許されぬ、
全てこの大地の儚(はかな)き戯れの上では!


そこかしこを見下ろしたまえ!
月光を浴びた墓の上に
座してうずくまる者は荒々しくも不気味な物影、
それは猿一匹! 聴け、その叫びが
この生の甘美な香りに甲高く絶叫する様を!


いまこそ酒をとれ!
いまこそ、その時だ、友よ!
この黄金なる盃を底まで飲み尽くせ!
生は暗く、死もまた暗い!



2. Der Einsame im Herbst
第2楽章 秋に寂しき者
Tchang-Tsi ? (765? - 830?)
銭起の詩「效古秋夜長」による?


Herbstnebel wallen bläulich überm See;
Vom Reif bezogen stehen alle Gräser;
Man meint, ein Künstler habe Staub vom Jade
Über die feinen Blüten ausgestreut.
Der süße Duft der Blumen ist verflogen;
Ein kalter Wind beugt ihre Stengel nieder.
Bald werden die verwelkten,
gold'nen Blätter Der Lotosblüten
auf dem Wasser zieh'n.
Mein Herz ist müde.
Meine kleine Lampe Erlosch mit Knistern,
es gemahnt mich an den Schlaf.
Ich komm zu dir, traute Ruhestätte!
Ja, gib mir Ruh,
ich hab Erquickung not!
Ich weine viel in meinen Einsamkeiten.
Der Herbst in meinem Herzen währt zu lange.
Sonne der Liebe,
willst du nie mehr scheinen,
Um meine bittern Tränen mild aufzutrocknen?
秋の霧が青らみ湖面を渡り、
霜がすべての草草を白く包み
あたかも匠(たくみ)の手が玉光のこまやかな粉を
美しく咲き誇る花の上に
まき散らしたかのようだ。
花のかぐわしき香りは、すでに飛び流れ去り、
その茎は冷たい秋の北風がうち吹かれ横たえた
枯れしぼみ金色に染まった睡蓮(すいれん)の花も
ことごとくやがては池の面に浮かび出すだろう
私の心は疲れ果て
私のささやかな灯も幽かな音とともに消え
私は一人想い寝の眠りに誘われる心安らぐ憩いの場所
私はそなたのもとへ行こう
そう今こそ私に憩いを与えておくれ
私はささやかに回復を欲するだけだ
私は一人孤独のうちに涙ぐみ、
心の奥にひそむこの秋は
果てしなく広がりわたる太陽よ!
そなたは慈悲深く、再び輝きあらわれて
私の苦きこの涙をやさしく拭い去ってはくださらぬか?



3. Von der Jugend
第3楽章 青春について
Li-Tai-Po (701-762)
李白の詩「宴陶家亭子」による


Mitten in dem kleinen Teiche Steht
ein Pavillon aus grünem
Und aus weißem Porzellan.
Wie der Rücken eines Tigers Wölbt
die Brücke sich aus Jade
Zu dem Pavillon hinüber.
In dem Häuschen sitzen Freunde,
Schön gekleidet, trinken, plaudern,
Manche schreiben Verse nieder.
Ihre seidnen Ärmel gleiten Rückwärts,
ihre seidnen Mützen Hocken lustig tief
im Nacken.
Auf des kleinen Teiches stiller
Wasserfläche zeigt sich alles Wunderlich
im Spiegelbilde.
Alles auf dem Kopfe stehend
In dem Pavillon aus grünem
Und aus weißem Porzellan;
Wie ein Halbmond steht die Brücke,
Umgekehrt der Bogen. Freunde,
Schön gekleidet, trinken, plaudern.
ささやかな池のその真ん中に
立ったのは緑の陶土と
白磁なる陶土でできた東屋よ
虎の背に凭(もた)れたかの形して
硬玉(ダイヤの玉)でつくった橋
丸く架かって東屋にいたる
小さな家に籠(こ)もる朋友(ほうゆう)
着飾り、杯あげて、談笑を交わして
詩を書きつける者もまた多し
その絹地の袖は背中にすべりきくずれて
その絹地の冠帽子は襟首に
可笑しくぶら下がる
ささやかな池の面の
ひそかやかな水に辺りのもの全てが
趣深く映っている
逆さまに映り立たないものはない
この緑の陶土と
白磁なる陶土とともになる東屋の中
半月のごとき太鼓橋はかかり
その弧となる姿も逆さまに
美しく着飾り、盃をあげて 談笑交わす



4. Von der Schönheit
第4楽章 美について
Li-Tai-Po (701-762)
李白の詩「採蓮曲」による


Junge Mädchen pflücken Blumen,
Pflücken Lotosblumen an dem Uferrande.
Zwischen Büschen und Blättern sitzen sie,
Sammeln Blüten in den Schoß
und rufen Sich einander Neckereien zu.
Goldne Sonne webt um die Gestalten,
Spiegelt sie im blanken
Wasser wider.
Sonne spiegelt ihre schlanken Glieder,
Ihre süßen Augen wider,
Und der Zephyr hebt mit Schmeichelkosen
das Gewebe
Ihrer Ärmel auf, führt den Zauber
Ihrer Wohlgerüche durch die Luft.
O sieh,
was tummeln sich für schöne Knaben Dort
an dem Uferrand auf mut'gen Rossen?
Weithin glänzend wie die Sonnenstrahlen,
Schon zwischen dem Geäst
der grünen Weiden Trabt
das jungfrische Volk einher!
Das Roß des einen wiehert fröhlich auf
Und scheut und saust dahin,
Über Blumen, Gräser, wanken hin die Hufe,
Sie zerstampfen jäh im Sturm
die hingesunknen Blüten.
Hei! Wie flattern im Taumel seine Mähnen,
Dampfen heiß die Nüstern!
Gold'ne Sonne webt um die Gestalten,
Spiegelt sie im blanken Wasser wider.
Und die schönste von den Jungfrau'n
sendet Lange Blicke ihm der Sehnsucht nach.
Ihre stolze Haltung ist nur Verstellung.
In dem Funkeln ihrer großen Augen,
In dem Dunkel ihres heißen Blicks Schwingt
klagend noch die Erregung ihres Herzens nach.
うら若き乙女たち 自然にわく水のその池に
花摘む その蓮の花を
岸辺の茂みの中、葉と葉の中に座して
茗荷の花を手折り、膝に集め
嬉嬉たる声をあげ、一緒に交わし合った。
金色の陽は差し照りて、
その乙女たちを包んで
きらめく水面に映し出している
陽は乙女たちのたおやかな肢体と
愛らしい瞳とを逆さまにして映し出している
そしてさらに微風は
乙女たちの袂(たもと)を揺らし
魅惑に満ちた乙女の香りを
日射しの中に振りまいた。
見よあれを
凛々しい少年たちが猛り勇ましい駿馬にまたがり、
駆けめぐる、いかなる者たちよ?
陽の差す光にも似て、きらめき遠ざかり、
はやくも緑なす柳葉の
茂れる枝の木の間より
若人が群がり、現れ走り行く
ひとりの少年の馬は 歓びに嘶(いなな)きて
怖じけながら猛り走り行き
草花の咲く野原の上を越えて
土音たてて馬蹄はよろめき去る
たちまちに嵐のように、落花を踏みしだく
そのたてがみは 熱に浮かれて靡(なび)きひるがえり
その鼻孔は熱い息吹き出しぬ
金色に輝く太陽がそこにあるものを光で包み
静かで清らかな水面にあらゆる影を映し出し
その中でも美しき乙女が顔をあげ、少年へ
送るのは憧憬の眼差し、ながながと追いかける
乙女の誇らしき物腰態度、上辺だけの見せかけに過ぎぬもの
つぶらな瞳の閃きながら火花の中に
熱いその眼差しによぎる暗き影の中にも
心のどよめき、なおも長引き哀しく憧れ秘めている


5. Der Trunkene im Frühling
第5楽章 春に酔える者
Li-Tai-Po (701-762)
李白の詩「春日酔起言志」による


Wenn nur ein Traum das Leben ist,
Warum denn Müh und Plag'?
Ich trinke, bis ich nicht mehr kann,
Den ganzen, lieben Tag!
Und wenn ich nicht mehr trinken kann,
Weil Kehl und Seele voll,
So tauml' ich bis zu meiner Tür
Und schlafe wundervoll!
Was hör ich beim Erwachen? Horch!
Ein Vogel singt im Baum.
Ich frag ihn, ob schon Frühling sei,
Mir ist als wie im Traum.
Der Vogel zwitschert: Ja!
Der Lenz ist da, sei kommen über Nacht!
Aus tiefstem Schauen lauscht' ich auf,
Der Vogel singt und lacht!
Ich fülle mir den Becher neu
Und leer' ihn bis zum Grund und singe,
bis der Mond erglänzt am schwarzen Firmament!
Und wenn ich nicht mehr singen kann,
So schlaf' ich wieder ein,
Was geht mich denn der Frühling an!?
Laßt mich betrunken sein!
人生がただ一場の夢ならば
努力や苦労は私にとって何の価値があろうか?
それゆえ私は酒を飲む 酔いつぶれて飲めなくなるまで
終日酒に溺れようぞ。
喉も魂までも溺れ酔いしれて
ついに酔いつぶれて飲めなくなったら
よろめきながら家の戸口にたどり着き
そのままそこに眠り込んでしまうのだ
目覚めて何を聞くのか さあ聞くがよい
前庭の樹の花 その花の中で鳴くは鶯一羽
私は鶯に尋ね聞く。<もう春になったのか>と
私はいまだに夢心地まどろむ
鶯囀(さえず)り、《そうです。春はすでにやって来た。
闇夜を渡り、春はここにやって来た》と
そうして私は聞き惚れ感じ入り、見つめれば
鶯はここぞとばかりに歌い、笑うのだ
私は新たに手ずから酒杯を満たし
盃傾け、飲み尽くす底までも、そして歌うのだ
明月が黒き帳の下りた夜空に昇り、輝き渡るまで
もし私がもはや歌えなくなったなら
その時、私はもう一度眠り込む
いったい春は私に何の役に立つのか
だから、このまま酔わせてくれ!


6. Der Abschied
第6楽章 告別
Mong-Kao-Yen and Wang-Wei (701-761)
孟浩然の詩「宿業師山房期丁大不至」と王維の詩「送別」による


Die Sonne scheidet hinter dem Gebirge.
In alle Täler steigt der Abend nieder
Mit seinen Schatten, die voll Kühlung sind.
O sieh! Wie eine Silberbarke schwebt
Der Mond am blauen Himmelssee herauf.
Ich spüre eines feinen Windes Weh'n
Hinter den dunklen Fichten!
Der Bach singt voller Wohllaut
durch das Dunkel. Die Blumen blassen
im Dämmerschein.
Die Erde atmet voll von Ruh' und Schlaf,
Alle Sehnsucht will nun träumen.
Die müden Menschen geh'n heimwärts,
Um im Schlaf vergess'nes Glück
Und Jugend neu zu lernen!
Die Vögel hocken still in ihren Zweigen.
Die Welt schläft ein!
Es wehet kühl im Schatten meiner Fichten.
Ich stehe hier und harre meines Freundes;
Ich harre sein zum letzten Lebewohl.
Ich sehne mich, o Freund, an deiner Seite
Die Schönheit dieses Abends zu genießen.
Wo bleibst du? Du läßt mich lang allein!
Ich wandle auf und nieder
mit meiner Laute auf Wegen,
die vom weichen Grase schwellen.
O Schönheit! O ewigen Liebens
- Lebens - trunk'ne welt!
Er stieg vom Pferd und reichte
ihm den Trunk des Abschieds dar.
Er fragte ihn, wohin er führe
und auch warum es müßte sein.
Er sprach, seine Stimme war umflort:
Du, mein Freund, Mir war auf dieser Welt
das Glück nicht hold! Wohin ich geh'?
Ich geh', ich wand're in die Berge.
Ich suche Ruhe für mein einsam Herz.
Ich wandle nach der Heimat, meiner Stätte.
Ich werde niemals in die Ferne schweifen.
Still ist mein Herz und harret seiner Stunde!
Die liebe Erde allüberall Blüht auf im Lenz
und grünt aufs neu!
Allüberall und ewig Blauen licht die Fernen!
Ewig... ewig...
夕陽は西の彼方の向こうに沈み
日没過ぎて、しんしんと冷気満ち、
暗闇迫り、渓谷すっぽり包み込む
おお、あれを見よ。銀の小舟のように
月はゆらゆら蒼天の湖にのぼりゆき
私は松ヶ枝の暗き木陰にたたずんで
涼しげな風を身に受ける
美しき小川のせせらぎ 心地よく
この夕闇を歌い渡るぞ
花は黄昏(たそがれ)淡き光に色失う
憩いと眠りに満ち足りて 大地は息づく
全ての憧れの夢を見ようとし始める
生きる苦しみに疲れし人々 家路を急ぎ
眠りの内に過ぎ去りし幸福と青春
再びよみがえらそうとするように
鳥は静かにすみかの小枝に休みいて
世界は眠りに就くときぞ
私のもとの松ヶ枝の木陰に夜陰は冷え冷えと
私はここにたたずんで君が来るのを待つばかり
最後の別れを告げるため、私は友を待ちわびる
ああ、友よ。君が来たれば傍らで
この夕景の美しさともに味わいたいのだが
君はいづこか。私一人、ここにたたずみ待ちわびる
私は琴を抱え、行きつ戻りつさまよいて
たおやかな草にふくよかな盛り土、
その道の上にあり
おお、この美しさよ、永久の愛に−
その命にー酔いしれた世界よ
友は馬より降り立ちて、
別れの酒杯を差し出した
友は尋ね聞く。〈どこに行くのか〉と、
そしてまた〈なぜにいくのか)と
友は答えたが、その声愁いに遮られ、包まれて
〈君よ、私の友よ、この世では私は薄幸なりし
一人今からいずこに行こうか
さまよい入るのは山中のみさ〉
私の孤独な心 癒すべく憩いを自ら求めゆき
私が歩み行く彼方には、私が生まれし故郷あり
私は二度と漂泊し、さまようことはあるまいよ
私の心は安らぎて、その時を待ち受ける
愛しき大地に春が来て、ここかしこに百花咲く
緑は木々を覆い尽くし 永遠にはるか彼方まで
青々と輝き渡らん
永遠に 永遠に……




唐詩による原詩
原詩の特定について


『大地の歌』に使用された歌詞は、前述の通り原詩が特定されているものについては、全て盛唐の詩人の作品によるものである。原詩の特定はベートゲによる追創作や底本の誤訳によって容易ではなかったが、中国文学者の吉川幸次郎やドイツ文学者の富士川英郎、音楽学者の浜尾房子らの努力によって、7編のうち6編の原詩が確認されている。



第2楽章「秋に寂しき者」の問題
歌詞で唯一原詩が特定されていないのがこの「秋に寂しき者」である。
かつては銭起の「效古秋夜長(古の秋夜長に效(なら)う)」によるという説が一般的だったが、これは秋の夜の男女の相思の情を歌ったもので、「中国の笛」に収められている哲学的な詩の内容には程遠い。さらに、ベートゲが表記した作者名「Tschang-Ti」は漢字表記に直せばむしろ「張籍」ないしは「張継」であり、ベートゲは同じ「Tschang-Ti」の表記で張籍の「節婦吟」を忠実に訳して「中国の笛」に収めているので、このことからこの詩は張籍による可能性が高いと見られている。
しかし、遺された張籍の作品に該当するものが見当たらないことから、ベートゲによる追創作の可能性が指摘されている。


原詩の白文・書き下し文


悲歌行 (第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」)
悲歌行 (前半部分、詩:李白)


悲來乎
悲來乎
主人有酒且莫斟
聽我一曲悲來吟
悲來不吟還不笑
天下無人知我心
君有敷斗酒
我有三尺琴
琴鳴酒樂兩相得
一杯不啻千鈞金
悲來乎
悲來乎
天雖長地雖久
金玉滿堂應不守
富貴百年能幾何
死生一度人皆有
孤猨坐啼墳上月
且須一盡杯中酒
悲しいかな
悲しいかな
主人酒有るも且く斟むこと莫かれ
我に聽け一曲悲來の吟
悲來吟せずまた笑はず
天下に人我が心を知るもの無く
君に敷斗の酒有り
我に三尺の琴有り
琴鳴酒樂兩つながら相得たり
一杯啻(ただ)に千鈞の金のみならず
悲しいかな
悲しいかな
天長へにありと雖も地久しきにありと雖ども
金玉堂(こんぎょくどう)に滿つれば應に守らざるべし
富貴百年よく幾何ぞ
死生一度人皆有り
孤猨(こえん)坐(そぞ)ろに啼く墳上の月
且く須らく一たび杯中の酒を盡くすべし



宴陶家亭子 (第3楽章「青春について」)
陶家の亭子に宴す (詩:李白)


曲巷幽人宅 高門大士家
池開照膽鏡 林吐破顔花
祿水藏春日 軒祕晩霞
若聞弦管妙 金谷不能誇
曲巷幽人の宅 高門大士の家
池は開く照膽の鏡 林は吐く破顔の花
祿水春日を藏し 軒晩霞を祕す
若し弦管の妙を聞かば 金谷も誇ること能はず


採蓮曲 (第4楽章「美について」)
採蓮の曲 (詩:李白)


若耶谿傍採蓮女
笑隔荷花共人語
日照新妝水底明
風飄香袂空中擧
岸上誰家遊冶郎
三三五五暎垂楊
紫騮嘶入落花去
見此踟蹰空断腸
若耶谿(じゃくやけい)の傍 採蓮の女(むすめ)
笑ひて荷花(かか)を隔て 人と共に語る
日は新粧(しんしょう)を照らして 水底に明らかに
風は香袂(こうべい)を飄(ひるがえ)して 空中に挙(あ)がる
岸上(がんじょう) 誰が家の遊冶郎(ゆうやろう)
三三 五五 垂楊(すいよう)に暎(えい)ず
紫騮(しりゅう)落花に嘶(いなな)き入りて去るも
此れを見て踟蹰(ちちゅ)し 空しく断腸



春日醉起言志 (第5楽章「春に酔えるもの」)
春日醉より起きて志を言う (詩:李白)


處世若大夢 胡爲勞其生
所以終日醉 頽然臥前楹
覺來盼庭前 一鳥花阮ツ
借問此何時 春風語流鶯
感之欲歎息 對酒還自傾
浩歌待明月 曲盡已忘情
處世大夢の若く 胡爲ぞ其の生を勞する
所以に終日醉ひ 頽然(たいぜん)として前楹(ぜんえい)に臥す
覺め來たつて庭前を盼(かえりみ)れば 一鳥花閨iかかん)に鳴く
借問(しゃもん)すれば此れ何れの時ぞ 春風流鶯(りゅうおう)に語る
之に感じて歎息せんと欲し 酒に對して還た自ら傾く
浩歌して明月を待ち 曲盡きて已に情を忘る
宿業師山房待丁大不至 (第6楽章「告別」前半部分)
業師の山房に宿り、丁大を待てども至らず (詩:孟浩然)
夕陽度西嶺 羣壑倏已瞑
松月生夜涼 風泉滿C聽
樵人歸欲盡 烟鳥棲初定
之子期宿來 孤琴候蘿逕
夕陽(せきよう)西嶺(せいれい)に度(わた)り
羣壑(ぐんかく)倏(たちま)ち已に瞑(くら)し
松月(しょうげつ)夜涼を生じ
風泉(ふうせん)C聽(せいちょう)滿(み)つ
樵人(しょうじん)歸(かえ)りて盡(つ)きんと欲し
烟鳥(えんちょう)棲みて初めて定まる
之の子宿來(しゅくらい)を期す
孤琴(こきん)蘿逕(らけい)に候(ま)つ



送別 (第6楽章「告別」後半部分)
送別 (詩:王維)


下馬飲君酒
問君何所之
君言不得意
歸臥南山陲
但去莫復問
白雲無盡時
馬を下りて君に酒を飲ましむ
君に問う、何くにか之く所ぞ
君は言う、意を得ず
歸(かえ)りて南山の陲(ほとり)に臥せんと
但だ去れ、復た問うこと莫からん
白雲は盡くる時無し


https://ja.wikipedia.org/wiki/大地の歌



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
261. 中川隆[-14048] koaQ7Jey 2020年2月05日 10:35:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-725]
平野憲一の株のお話 2020.02.03

 2日新甫(月の最初の取引日)は荒れると言われますが、今月は3日新甫です。先週末のダウ603ドル安の影響がどう出るでしょうか。相場巧者の余裕筋はこの突込みを買うでしょうが、多くの投資家は拡大する新型肺炎の渦がどこまで大きくなるか不安感いっぱいで、実際は下値確認の一日になるでしょう。


 先週末の夜間取引で日経平均先物3月物は、2万2650円となっています。

順張りのAIは節目を切ると次の売りを出します。

売りが売りを呼ぶことになりますが、短期筋の売り一巡の後を期待します。

 中国人民銀行はオペを通じて金融市場に1兆2000億元(約18兆7000億円)を供給すると発表しました。今日から始まる上海市場への援護射撃で、春節延長と共にショック安を防ぐ必死の政策を取っています。

平野憲一の株のお話 2020.02.05 買い戻しの売買代金に注目。

 4日のNY株。
 ダウは407.82ドル高の2万8807.63ドル、ナスダックも194.57ポイント高の9467.97ポイントと大幅続伸。
ナスダックは史上最高値を8営業日ぶりに更新しています。


 3日の中国人民銀行(中央銀行)による1兆2000億元(18兆円)の大規模な資金供給は、4日も多めの供給を継続し、金融市場沈静化に向けた中国当局の積極姿勢を好感し、買い先行となりました。

 相場の基本は、停滞する経済に対する世界的な財政出動です。

中国に続いてロシアも26兆ルーブル(44兆円)の財政出動に動き出しました。中国も、1か月後の「全人代」、2か月後の習近平国家主席の「国賓としての訪日」を控え、国の威信をかけて必死です。
http://kasset.blog.fc2.com/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c261

[番外地7] 辻元議員は質問の冒頭、新型コロナウィルスへの対応をめぐり「総理に約束してほしいことがある」
今度の新型コロナウイルスの対応に関しても、日本も(中国も?)不都合なことを隠しているのではないかという見方が出ている。

衆院予算委員会でも、立民党の辻元清美氏が、この件に関して「情報の開示」や「文書の保存」を強く要望していたのだが。安倍首相は、情報開示や文書保存を約束はせず。「法令に則って、適切に対応する」と答えるにとどまった。(-"-)

『辻元議員は質問の冒頭、新型コロナウィルスへの対応をめぐり「総理に約束してほしいことがある」

と切り出し、

「人々が不安になっているときに政治にとって一番大事なのは情報公開と政治への信頼だ。政府が情報を隠しているのではないか、嘘をついているのではないかということが広がると不安がパニックになってしまうことがある。今回の新型コロナウィルスの問題では、いつ誰が何を決め、どのように対応をしたのか、記録をすべて保存しておいてほしい。昨日、例えば職員が対応した記録も明日、明後日に振り返らなければいけない。また、将来いったいどういう対応してきたのかという検証し、教訓にもしなければいけない」


と指摘。

「政府にとって都合の悪いと思われる情報があったとしても隠ぺいや改ざんはせずにしっかり真実を情報公開し、すべての文書を保存すると約束してほしい」

と求めましたが、安倍総理は「ルールに則り対応する」と答えるにとどまりました。(BLOGOS立憲民主党2.3より)』
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/468.html

[番外地7] 辻元議員は質問の冒頭、新型コロナウィルスへの対応をめぐり「総理に約束してほしいことがある」 中川隆
1. 中川隆[-14047] koaQ7Jey 2020年2月05日 11:08:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-724]
2020年1月29日
「野党は新型肺炎の質問をしない」と攻撃する与党、対策のための「厚生労働委員会」開催要請を放置していた
◆野党の新型肺炎対策のための「厚生労働委員会」開催要求、与党に無視される

春節を前にした1月24日、共産党の宮本徹衆議院議員(厚生労働委員会所属)は自身のツイッターアカウントで医療・公衆衛生を所管とする衆議院厚生労働委員会の理事会を開くよう、与党側に提案していることを明かしていました。

しかし衆議院の委員会開催日程を見てみると1月29日現在まで厚生労働委員会は開催されずに放置されたまま。これに対して立憲民主党と共産党は1月28日の時点で独自に新型肺炎に対する対策本部を立ち上げています。

今度の新型コロナウイルスの対応に関しても、日本も(中国も?)不都合なことを隠しているのではないかという見方が出ている。
衆院予算委員会でも、立民党の辻元清美氏が、この件に関して「情報の開示」や「文書の保存」を強く要望していたのだが。安倍首相は、情報開示や文書保存を約束はせず。「法令に則って、適切に対応する」と答えるにとどまった。(-"-)

『辻元議員は質問の冒頭、新型コロナウィルスへの対応をめぐり「総理に約束してほしいことがある」

と切り出し、

「人々が不安になっているときに政治にとって一番大事なのは情報公開と政治への信頼だ。政府が情報を隠しているのではないか、嘘をついているのではないかということが広がると不安がパニックになってしまうことがある。今回の新型コロナウィルスの問題では、いつ誰が何を決め、どのように対応をしたのか、記録をすべて保存しておいてほしい。昨日、例えば職員が対応した記録も明日、明後日に振り返らなければいけない。また、将来いったいどういう対応してきたのかという検証し、教訓にもしなければいけない」


と指摘。

「政府にとって都合の悪いと思われる情報があったとしても隠ぺいや改ざんはせずにしっかり真実を情報公開し、すべての文書を保存すると約束してほしい」

と求めましたが、安倍総理は「ルールに則り対応する」と答えるにとどまりました。(BLOGOS立憲民主党2.3より)』
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/468.html#c1

[リバイバル3] 与沢翼の成功、破産、そして復活 秒速1億円男 中川隆
2. 中川隆[-14046] koaQ7Jey 2020年2月05日 11:20:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-723]

2020年02月05日
「天才」与沢翼が復活した錬金術 ブログと商材で瞬足1億円調達


破綻したのに妙にお金があるので、計画倒産も囁かれた


引用:https://s1-ssl.dmcdn.net/M3fVJ/1280x720-EYo.jpg


与沢翼は最近また「投資で成功しシンガポールで活動している」などと自身の活躍を誇示しています。

2014年に破産して無一文になった筈だが、どうやってそこから再起したのだろうか。


破綻したがお金持ちの理由

与沢翼は2014年4月に会社が破綻した筈だが、現在はシンガポールで投資家として活躍しているようです。

近況を伝えるマスコミによれば、株取引や土地投資で月に数千万円を稼ぎ、豪邸や高級車を所有しているという。


どうやって再起したのか調べてみると、相変わらず怪しさ満点の「ビジネス」をしていました。


まず2014年に会社が破綻した経緯は、情報商材などで稼いだ金で、もっと大きなビジネスをしようと思ったのがきっかけです。

情報商材は1件数十万円から数百万円の価格なので、月に1千万円以上の収入になりました。

その後テレビに出演し「投資で秒速1億円稼ぐ」と豪語していたが、実際は投資で儲けた金ではなかったようです。


収入の大半は情報商材販売とテレビ出演料、講演会の講演料のようなものだったとされています。

そんな与沢の転機になったのが東北地震と原発事故で、「日本はもう滅びる」と思って外国で投資しようと思った。

「All of me」という会社を立ち上げてゲーム開発をしようとしたが、思ったより面倒なのでFXに切り替えた。


ここで上手い話を持ちかけるペテン師に引っ掛かり、会社の運営資金数億円を持ち逃げされました。

「All of me」は与沢翼が出資した資金で運営されていたが、その大半を失ってしまいました。

「All of me」を立ち上げたのが2014年初めで、一ヵ月後には資金持ち逃げで破綻しました。

復活する与沢翼

この後税務署から3億5000万円の法人税を請求されたが収めることが出来ず、ブログで破産宣言をしました。

自宅や高級車を売ったら残り未納金は1億円になり、その後1億円の還付金があったのでチャラになりました。

この時与沢に他に借金は無かったので、無一文にはなったが、ただそれだけでした。


ここで重要な役割りを果たしたのがブログで、破産を報告してアクセスが殺到し、推定で毎月数百万の広告収入があったと思われます。

ブログ以外にもLINEスタンプ、著書の著作権料、情報商材売上げ、講演など現金収入が多く、どれも元手がタダでお金だけ入ってきます。

これらの合計だけで年間1億円近くに達し、破産後もシンガポールに移住してすぐに贅沢な暮らしを再開しました。


与沢は儲からないFXや株などを辞めて、ブログで儲ける事に集中しました。

推定一日数十万人のブログ読者に「商材」を売ることを思いつき、メールマガジン販売を始めました。

メルマガは一件600円だったが、一ヶ月で7万人の会員を集めたとされるので、数千万円の現金収入を得ました。


メルマガ会員にはさらに自分の商材を売ったりして、継続的に利益を上げているようです。

さらに与沢は得意のセミナー商法で会員限定の講演会を開き、経営塾のようなものも主催して料金を取りました。

このブログXメルマガX商材X講演会X経営塾の核分裂反応で、数億円を稼ぎました。

株投資はネタ話か

この間たった1年であり、なるほど与沢翼は何かの意味で「天才」なのかも知れません。

さらに申し込んだ人をネットで有名人にするというプログラムを販売し、ここでも数億円を得たようです。

これらもまた継続的に会員を獲得しているようで、確かに資産を増やし続けているようです。


では与沢翼が豪語している「株投資で毎千月数万円稼いでいる」は何かと言えば、会員を集める為の宣伝でしょう。


株投資(特にデイトレ)は継続的に儲かるものではないので、投資テクニックというのも作り話でしょう。


現在の主な収入源は土地を購入して賃貸するビジネスと、中長期の資産運用と考えられる。

資産運用の原資は相変わらず商材販売やブログなどの「現金収入」で、何にしろ現金が入ってくる商売は強い。


相変わらず与沢の本当の収入源は商材販売とか講演、ブログなどであって、土地投資や株投資は儲けた金を増やす手段だと思います。


1年の半分以上海外の同一国に居れば日本政府に納税しなくて済むのが、シンガポールに居る理由です。

http://www.thutmosev.com/archives/55986281.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1019.html#c2

[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
3. 中川隆[-14045] koaQ7Jey 2020年2月05日 12:10:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-722]
2020年 02月 04日
German Physiks News Letter No.9「友の会」の紹介記事
https://tannoy.exblog.jp/31041250/

日本でのGerman Physiks愛好家の会

2020年最初のNews letterにようこそおいでいただきました。私たちの製品に関心をお持ちの方々、そして新しく購読者になられた方々に厚く御礼いたします。今月のNewsletterの話題を考えていたとき、ある日、日本から来たDDDドライバーの交換のご依頼が、どうして彼の地にGerman Physiksの愛好家の会の設立まで至ったのかをお話することにいたしました。

そのはじまりは・・・

2012年の6月、我々のもとに日本で中古のユニコーンを買い求めた方から連絡が入りました。


生まれ変わったユニコーン GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/17668219/


その時点でもう、そのユニコーンは製造してから14年も経っていました。この製品は一個のチタン製のDDDドライバーを使用していて、周波数は21,500Hzから55Hzまでカバーしています。

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German Physiks製のスピーカーの他のモデル全ては、200Hz前後で下をカットされて、それ以下の低域は一本または複数の通常の形のウーファーを使用しています。それは、DDDドライバーの強度と可動範囲から、大振幅の低音再生を制限しているからです。しかし、そのユニコーンはその低域の特性をバックロードホーンと組合わせることで、低域を55Hzまで再現しています。現在のユニコーンMK-IIはカーボンファイバー製のDDDユニットを使用することで、低域はさらに広がり40Hzまで再現できます。詳しいユニコーンの仕組みは、

News letterのバックナンバー5
https://www.german-physiks.com/campaigns/view-campaign/eLczefB4o_HmdzoPDUmbTYYHHuzZQbQidoErw5AGhtH4zGtyfnz0DTkdufQCtnYmWfqmswwb0PN6uhyyCmVTQn2nFWox3PS3


をご覧ください。

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当初のチタン製DDDドライバーは、とても薄く、そのお客様のドライバーも長年の使用から、ところどころチタン膜にへこみが出ていました。そのお客は、元の状態に戻すためにペアーの新しい交換用のドライバーを発注してきました。それは何も問題はなく、私たちは何時も過去に作られた製品用の交換部品を提供できるからです。

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おおよそ一月後、それらの交換用ドライバーはお客様に出荷されました。彼はその新しく生まれ変わったユニコーンの音を聞いてとても喜んでくれたのです。彼の元に出荷したDDDドライバーは、改良されたヴァージョンで、そのままオリジナルに取り付けられますが、サウンドはとても良くなっていたのです。そのお客様は、実は大変熱心なオーディオ愛好家で、東京でオーディオ愛好家のグループを主宰されていたのです。

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そのお客様には沢山の同じように熱心なオーディオ愛好家の友人がいて、彼はそれらの友人を招いて、彼の「新しい」ユニコーンを聞いてもらったのです。聞かれた方のなかには大変気に入っていただき、彼らも同じユニコーンを彼らのシステムにほしいとの声が出てきたのです。


その要望をお聞きして、彼とは何回かのやりとりがありましたが、彼はお仲間のために六台まとめてオリジナルのユニコーンを発注されたのです。大分前に製造を中止していたモデルですから、製造再開にはいくつかのチャレンジがありましたが、我々はやり遂げました。


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プー博士のリスニングルーム


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T.Wさんのリスニングルーム


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椀方さんのリスニングルーム


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Oさんのリスニングルーム


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Hさんのリスニングルーム


これらの写真は、「新しい」ユニコーンが、オーナーたちの家に収まった写真です。 


その次に起こったのは・・・

そのお客様は、我々の製品の中から、二つのその他の製品に目をつけられたのです。それはチタン製のDDDドライバーを一台のTroubadour40と同じくチタン製のDDDドライバー二台組み合わせて使っているTroubadour80でした。いずれのモデルも200Hz以下の低域は出ないので、それに合わせるウーファーとの組み合わせが必要です。そのお客様は、彼の好みの独自の性能の良いウーファーを作ることにしました。


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上の写真は、そのウーファー開発中の写真です。この実験機では、22センチのドライバーを二台、全方位用に前面と後面に配置したキャビネットの上に、Troubadour40を乗せて実験しています。後方には彼のオープンリール機のコレクションが見られます。Nagra T-Audioが三台、右奥には4台のNagra4Sがご覧いただけるでしょうか?我々が言ったように彼は真のオーディオ愛好家なのです。

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その完成品は・・・


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プロトタイプ機は最終的には、この様な形になりました。ここでは、Troubadour80との組み合わされています。右側のグレーのボックスは、Troubadour用のイコライザーネットワークです。ドライバーに影響を及ぼす低域は減衰されています。後方の茶色の箱はウーファー用のネットワークです。

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Troubadourシステム用に作られた専用のリスニングルームです。後方のウーファーは、18インチの大口径ユニットが使われています。この部屋のオーナーも壁際にさらに沢山のオープンリールのテープレコーダーを収集されていますね。


German Physiks 友の会

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開発されたTroubadour80とウーファーの組み合わせは、評判を呼び、オーディオ愛好家グループに浸透していきました。このことが「German Physiks 友の会」を始める動きとなったのです。German PhysiksのDDDドライバーのスピーカーを使っている人と、興味を持たれている方々を対象に「German Physiks友の会」が4年前に設立され、年に一回、オーナーもTroubadour システムの愛用者である素晴らしいサロンに集まり、美味しい食事やワインを楽しみながら、German Physiksのスピーカーを聞きながら、オーディオや音楽を楽しむ会になりました。


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上の写真は、去年2019年の11月に開かれた「German Physiks友の会」の模様です。集まったメンバーの方々はワインを片手に音楽を楽しまれています。お伝えしたいのは、座れる席がこの部屋一杯に広がっていることです。これはDDDドライバーが元の音楽と同じバランスで、ステレオの音場を作り出すからです。実際のコンサートホールのようにどの席で聞かれても音楽が楽しめる音場の再生を行っているからですね。


このような音場再生は従来のスピーカーでは出来ません。


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最初は、ユニコーンのドライバーの交換から始まった流れが、8年間でここまで大きくなり、ウーファーの開発に伴い「German Physiks友の会」まで大きく発展してきたというお話でした。


それでは次回まで・・・

January 2020 | Newsletter No. 9
https://www.german-physiks.com/campaigns/view-campaign/9ppoKLrSUpoRIEt7sGHSbACQspYm2e_Bcv6ZCP-4vssTMRJ1TSmGVMGQay1oYV6ejTxCAmktGxcoGU4O1rS8RIaqNamntx2M

by TANNOY-GRF| 2020-02-04 16:33| German Physiks友の会


Commentedby TANNOY-GRF at 2020-02-05 01:34

2007年にUNICORNさんのお宅で聞いたユニコーンに驚き、とっくに製造中止していた中古のユニコーンが我が家に来たのは、2008年でした。それから4年、当初から気になっていたドライバーのエッジが限界にきてバックロードホーンのロードが掛からなくなり、その五月にGerman Physiks 友の会の会長が主宰されているホワイトアスパラガスの会で、私のユニコーンを輸入した会社の社長にお会いして、どうしたら修理が出来るかをお聞きしました。それで購入時から気になっていたユニット交換を実施したわけです。その時点で、ユニコーンは製造されてから14年も経っていたのですね。14年前と言えば、この家と同じ年なのですね。これも何かの縁でしょう。
Commentedby パグ太郎 at 2020-02-05 07:42


GRFさん

ジャーマンのニュースレターは2012年以降のことで、それ以前の歴史もあったのですね。追加された皆さんのユニコーンの写真を拝見していると、お一人お一人の物語がそこにあるのだろうなと想像が膨らんでしまいます。あ、いつの間にか日本語になっていますね!
Commentedby TANNOY-GRF at 2020-02-05 09:54


やはり、英語だけでは解らんと言う声もありましたので、つたない飜訳ですが、日本語版も追加しました。日本語になると、何時もの文体になってしまうのはお許し下さい。

わたしも皆さんの家に今は必然のように収まっているユニコーンの写真を見て、あのときユニット交換を頼まなければ、ここまでの発展はなかったのだと今更のように思いました。

SD05ファンクラブからの、大山さんのご協力が無ければ、ここまで来ませんでした。まだ、まだ新しい分野も開発中です。今年のGerman Physiks友の会もおもしろいですよ!

https://tannoy.exblog.jp/31041250/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c3

[近代史3] 監視国家 中国

監視国家 中国


監視国家の現実 2020年02月04日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html


  私が中学生になるころ、娯楽といえばテレビだったのだが、群を抜いて面白い番組があった。
 「プリズナー6」という。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%BCNo.6

 このドラマの面白さは、最後まで主人公を監視し、拘束する組織の正体が分からないことだった。いったい誰が? 何の目的で、一人の諜報員を拘束し、暴力的に監視し続けるのか?
 ストーリーは、極めて哲学的な示唆に富んだもので視聴者を惹きつけた。

 この番組は、イギリスで制作されたものだったが、そのイギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 2月2日、ロンドンで仮釈放中の、イスラム国思想の影響を受けたテロ活動家が単独で3名を刺傷し、直後に、監視中だった警官に射殺された。
 https://www.bbc.com/japanese/51352236

 容疑者は、世界一といわれる密度の監視カメラで追跡され、テロ行動と同時に近くにいた警官が駆けつけて射殺したのだが、その対応の早さに驚かされた。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン
人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという
 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032300130/

 このニュースを見て、プリズナー6を思い出したのは、私一人ではないだろう。
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。

 それは、最初に民族的対立のなかで起きていた。
 
アイルランド共和軍
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%85%B1%E5%92%8C%E8%BB%8D

 イギリスは「テロとの百年戦争」の最中にある ロンドンは、ずっと過激派の標的だった
 https://toyokeizai.net/articles/-/96503

 私の世代は、イギリスがIRAによって、激しいテロの標的にされ続け、ちょうど、中東の無差別自爆テロのモデルになっていたような時代が長く続いたことを知っている。
 だから、ロンドンでテロが繰り返されても、イギリス国民は、日常的風景として大きな驚きを持たないのである。

 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。
 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 
http://www2.ashitech.ac.jp/civil/yanase/essay/no07.pdf

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。
 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。
 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。
 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。

 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 https://jp.reuters.com/article/column-apps-idJPKBN1ZY0CI

 以下引用

 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

 新型コロナウイルスの感染拡大抑止に向けたドローンの「創造的な活用法」だと中国共産党系英字紙グローバル・タイムズが報じたこの動画は、海外の多くの人々にとっては未来のディストピア(暗黒世界)の1シーンに映るかもしれない。

 しかし中国政府指導部が、これを誇るべきことと考えているのは明らかだ。動画は中国のソーシャルメディアで拡散され、英語メディアで海外にも紹介された。

 この一件は、2つの重要なことを示していそうだ。第1に、中国はあらゆる手段を駆使して新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めようとしているだけでなく、これを機に世界一高度な監視国家である自らの能力を強化し、誇示する可能性が十分にあるということだ。

 第2の点は言うまでもないが、小型で無人の媒体やプラットフォームが、大衆の監視だけでなく、直接的な社会統制の手段としても急速に普及しつつあることが鮮明になった。この傾向は独裁主義的な国々以外にも広がる可能性が高く、民主主義国家はこの点について、これまで努力してきたよりずっと公開かつ参加しやすい議論を積極的に行っていく必要がある。

 <法の執行>

 法の執行や警備体制が手いっぱいの国々は既に多いため、こうした機器が活用されるのは目に見えている。ロンドンで2日、最近釈放されたばかりのイスラム過激派思想の男に2人が刃物で切りつけられた事件では、危険と見なされる人物を追跡する当局の能力に疑問が投げ掛けられた。顔認識ソフトウエアなどの自動化技術を使えば追跡はもっと容易になるが、多くの人々を不安にさせるのも間違いない。

 米国ではカリフォルニア州のオークランドやバークリーなど、いくつかの市や町が法執行機関による顔認識技術の利用を禁じている。他にも管理を強化している州や地域があるが、米国および西側世界の大半の地域では、ほぼ気付かれず、議論もされないままに新たな監視技術が次々と導入されている。

 中東地域などでの米軍の活動では、武器を搭載する大型無人ドローンが何年も前から主役を演じている。米国が始めたことに、中国はしばしば追随するため、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)など、米国からのドローン輸出が制限され不満を抱く国々にとって、中国は武装ドローンの主な供給源になっている。

 米国防高等研究計画局(DARPA)は昨年8月、ジョージア州フォート・ベニングの米軍訓練施設で、ドローンの集団を使って特定の建物内─この場合は市庁舎の想定だった─の特定の対象を見つけ、監視するという最新技術を披露した。250ものドローンがたった1人のオペレーターにコントロールされ、あるいは機体が個々に独立して動作するといったことを可能にするのが狙い。こうした水準の移動式監視は以前なら不可能だった。

<ドローン技術>

 中国は数十年前からドローンと監視技術に資源を投入してきた。2018年、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは、見た目や動きを鳩などの鳥に似せた無人ドローンについても、中国が開発中だと報じた。国境地帯や、イスラム教徒への弾圧で知られる新疆ウイグル自治区で既に活用中だという。

 同紙によると、このドローンは羊の群れの上を飛ばしても羊たちが飛行物体に騒がないほどの性能が証明されている。羊は通常、飛行機に非常に敏感に反応する。中国政府がこの技術をカメラや顔認識データベースなど、他の監視手段と組み合わせて使おうと考えているのはほぼ間違いない。中国は他に、歩き方の癖で人を認識するシステムなども開発中だと報じられている。

 ただ、冒頭のグローバル・タイムズが報じた動画は、明らかに人間がコントロールしており、声は拡声器から流されていた。江蘇省の別の動画では、婦人警察官が横断歩道でドローンを使い、通行人がマスクを着用しているかをチェックしていた。「電話中のハンサムなお兄さん、マスクはどうしましたか。着けて下さいよ」と拡声器から呼びかける。「食べ歩き中のお嬢さんたち、マスクを着けて下さいね。おうちに帰れば食べられますよ」。

 こうした光景を見ると、旧東ドイツのような、かつての監視国家のように、中国もまだ人間による人間の監視に頼っているようだ。しかし状況は急速に変わりつつある。人工知能(AI)のアルゴリズムと、過去に蓄積された膨大なデータの組み合わせがターゲティング広告を一変させたのは周知の事実だ。

 グローバル・タイムズによると、春節(旧正月)の催しが中止になり、自宅にこもる中国の人々にとって、成都市の動画は格好の娯楽となっている。動画が本物かどうかは別の問題だが、世界中も思ったより早く、同じような課題に直面するかもしれない。

*****************************************************************
 引用以上

 こうしたドローン監視社会は、いずれ、日本や欧州にも拡大することは間違いなさそうだ。社会全体に格差と差別の固定した社会では、必ず底辺の人々に矛盾がしわ寄せされ、やり場のない憤懣が貯まってゆく。
 あらゆる手段で、こうした不満・憤懣が抑圧されるなら、最期は必ずテロ暴発に向かうのが人間社会の法則である。

 固定された特権階級=一級国民は、何が怖いかといえばテロが怖い。直接、個人が狙われるテロリズムでは、特権階級にとって逃げ道がないのだ。
 だから、社会の個人的暴発を防ぐための監視と弾圧に、持てる最大の力を注ぐことになる。これは、世界中で同じことなのだ。

 ただ、知っておいてもらいたいことは、本当は、「無差別テロ」を戦略として用いる政治思想は存在しない。例えば、中東や欧州で横行している無差別自爆テロは、ほとんどの場合、イスラエル=モサドが背後にいると考えるべきだ。

 イスラエルは、旧約聖書創世記に記された「イスラエル人に約束の地を与える」という文言に脅迫されて、ユーフラテスとナイルの間の広大な土地をイスラエルにするシオニズム運動(大イスラエル主義)を行っていて、このため、この地域の人々を自爆テロによって追い出す作戦を実現しているのである。
 イスラムの若者が、モサドの陰謀作戦によって洗脳され、自爆テロに利用されているのが真実である。
 本当の民族テロに自爆作戦は存在しない。ただIRAのようなテロが存在するだけだ。

 しかし、どちらにせよ、特権階級がテロ被害を防止しようとすれば、電子機器による監視を強化し、住民統制支配をAI化する方向に進むのは間違いない。
 こうした電子監視が誰に利益をもたらすのかといえば、少なくとも民衆には利益はない。財産と特権を守ろうとする特権階級に大きな利益をもたらすだけなのだ。

 しかし、こうした発想には、大きな落とし穴がある。
 監視社会を強化すれば、ますます個人の人権はいびつに弾圧され、住民の生活は極端に息苦しくなってゆく。
 こんな苦しい社会から、人間を解放しようとする思想が湧き上がってくるのが自然の成り行きである。

 だから、中国でも英国でも、監視社会の眼をくぐった裏社会の秩序ができあがってゆくことが避けられない。
 かつての中国の主役は、青幇・紅幇に代表される裏社会の秘密結社だった。例えば、戦前は、青幇は国民党軍と重なっていて、蒋介石は、どちらもの頭目だった。
 通州事件・南京事件の大虐殺の命令者は蒋介石だった。

 監視社会の背後では、再び、青幇=蒋介石のような人物がのし上がってくる必然性があり、中国人は、表の監視社会に従うフリをしながら、実は、裏の秘密結社に帰依するというような人生を送る者が激増することだろう。
 
 それに、米中軍事衝突が起きれば、最初に、両国ともに、必ずEMP核爆弾を上空400Kmで爆発させ、相手の電子機器をすべて破壊するところから戦争が始まるのである。
 もちろん、日本上空でもEMPが爆発することだろう。

 EMP爆発の瞬間から、コンピュータ機器、AI機器、監視機器は、すべて破壊される。本当に生身の人間による第二次世界大戦以前の戦争に戻ることになる。
 このとき、はたして中国共産党は、どの程度の実力を発揮できるのか、極めて面白い見物である。
 おそらく、共産党も軍も、利権によって完全に腐敗しきっているので、統制もとれずに大混乱に陥るのではないだろうか?

 現在の中国の戦争システムは、一人っ子政策で、屈強の男子がいなくなった社会のなか、ほぼコンピュータに依存しきっていて、コンピュータや監視機器が破壊されたとき、何が起きるのか? 考えてみればいい。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/888.html

[近代史3] 階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった
階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。


監視国家の現実 2020年02月04日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html


  私が中学生になるころ、娯楽といえばテレビだったのだが、群を抜いて面白い番組があった。
 「プリズナー6」という。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%BCNo.6

 このドラマの面白さは、最後まで主人公を監視し、拘束する組織の正体が分からないことだった。いったい誰が? 何の目的で、一人の諜報員を拘束し、暴力的に監視し続けるのか?
 ストーリーは、極めて哲学的な示唆に富んだもので視聴者を惹きつけた。

 この番組は、イギリスで制作されたものだったが、そのイギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 2月2日、ロンドンで仮釈放中の、イスラム国思想の影響を受けたテロ活動家が単独で3名を刺傷し、直後に、監視中だった警官に射殺された。
 https://www.bbc.com/japanese/51352236

 容疑者は、世界一といわれる密度の監視カメラで追跡され、テロ行動と同時に近くにいた警官が駆けつけて射殺したのだが、その対応の早さに驚かされた。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン
人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという
 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032300130/

 このニュースを見て、プリズナー6を思い出したのは、私一人ではないだろう。
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。

 それは、最初に民族的対立のなかで起きていた。
 
アイルランド共和軍
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%85%B1%E5%92%8C%E8%BB%8D

 イギリスは「テロとの百年戦争」の最中にある ロンドンは、ずっと過激派の標的だった
 https://toyokeizai.net/articles/-/96503

 私の世代は、イギリスがIRAによって、激しいテロの標的にされ続け、ちょうど、中東の無差別自爆テロのモデルになっていたような時代が長く続いたことを知っている。
 だから、ロンドンでテロが繰り返されても、イギリス国民は、日常的風景として大きな驚きを持たないのである。

 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。
 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 
http://www2.ashitech.ac.jp/civil/yanase/essay/no07.pdf

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。
 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。
 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。
 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。

 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 https://jp.reuters.com/article/column-apps-idJPKBN1ZY0CI

 以下引用

 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

 新型コロナウイルスの感染拡大抑止に向けたドローンの「創造的な活用法」だと中国共産党系英字紙グローバル・タイムズが報じたこの動画は、海外の多くの人々にとっては未来のディストピア(暗黒世界)の1シーンに映るかもしれない。

 しかし中国政府指導部が、これを誇るべきことと考えているのは明らかだ。動画は中国のソーシャルメディアで拡散され、英語メディアで海外にも紹介された。

 この一件は、2つの重要なことを示していそうだ。第1に、中国はあらゆる手段を駆使して新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めようとしているだけでなく、これを機に世界一高度な監視国家である自らの能力を強化し、誇示する可能性が十分にあるということだ。

 第2の点は言うまでもないが、小型で無人の媒体やプラットフォームが、大衆の監視だけでなく、直接的な社会統制の手段としても急速に普及しつつあることが鮮明になった。この傾向は独裁主義的な国々以外にも広がる可能性が高く、民主主義国家はこの点について、これまで努力してきたよりずっと公開かつ参加しやすい議論を積極的に行っていく必要がある。

 <法の執行>

 法の執行や警備体制が手いっぱいの国々は既に多いため、こうした機器が活用されるのは目に見えている。ロンドンで2日、最近釈放されたばかりのイスラム過激派思想の男に2人が刃物で切りつけられた事件では、危険と見なされる人物を追跡する当局の能力に疑問が投げ掛けられた。顔認識ソフトウエアなどの自動化技術を使えば追跡はもっと容易になるが、多くの人々を不安にさせるのも間違いない。

 米国ではカリフォルニア州のオークランドやバークリーなど、いくつかの市や町が法執行機関による顔認識技術の利用を禁じている。他にも管理を強化している州や地域があるが、米国および西側世界の大半の地域では、ほぼ気付かれず、議論もされないままに新たな監視技術が次々と導入されている。

 中東地域などでの米軍の活動では、武器を搭載する大型無人ドローンが何年も前から主役を演じている。米国が始めたことに、中国はしばしば追随するため、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)など、米国からのドローン輸出が制限され不満を抱く国々にとって、中国は武装ドローンの主な供給源になっている。

 米国防高等研究計画局(DARPA)は昨年8月、ジョージア州フォート・ベニングの米軍訓練施設で、ドローンの集団を使って特定の建物内─この場合は市庁舎の想定だった─の特定の対象を見つけ、監視するという最新技術を披露した。250ものドローンがたった1人のオペレーターにコントロールされ、あるいは機体が個々に独立して動作するといったことを可能にするのが狙い。こうした水準の移動式監視は以前なら不可能だった。

<ドローン技術>

 中国は数十年前からドローンと監視技術に資源を投入してきた。2018年、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは、見た目や動きを鳩などの鳥に似せた無人ドローンについても、中国が開発中だと報じた。国境地帯や、イスラム教徒への弾圧で知られる新疆ウイグル自治区で既に活用中だという。

 同紙によると、このドローンは羊の群れの上を飛ばしても羊たちが飛行物体に騒がないほどの性能が証明されている。羊は通常、飛行機に非常に敏感に反応する。中国政府がこの技術をカメラや顔認識データベースなど、他の監視手段と組み合わせて使おうと考えているのはほぼ間違いない。中国は他に、歩き方の癖で人を認識するシステムなども開発中だと報じられている。

 ただ、冒頭のグローバル・タイムズが報じた動画は、明らかに人間がコントロールしており、声は拡声器から流されていた。江蘇省の別の動画では、婦人警察官が横断歩道でドローンを使い、通行人がマスクを着用しているかをチェックしていた。「電話中のハンサムなお兄さん、マスクはどうしましたか。着けて下さいよ」と拡声器から呼びかける。「食べ歩き中のお嬢さんたち、マスクを着けて下さいね。おうちに帰れば食べられますよ」。

 こうした光景を見ると、旧東ドイツのような、かつての監視国家のように、中国もまだ人間による人間の監視に頼っているようだ。しかし状況は急速に変わりつつある。人工知能(AI)のアルゴリズムと、過去に蓄積された膨大なデータの組み合わせがターゲティング広告を一変させたのは周知の事実だ。

 グローバル・タイムズによると、春節(旧正月)の催しが中止になり、自宅にこもる中国の人々にとって、成都市の動画は格好の娯楽となっている。動画が本物かどうかは別の問題だが、世界中も思ったより早く、同じような課題に直面するかもしれない。

*****************************************************************
 引用以上

 こうしたドローン監視社会は、いずれ、日本や欧州にも拡大することは間違いなさそうだ。社会全体に格差と差別の固定した社会では、必ず底辺の人々に矛盾がしわ寄せされ、やり場のない憤懣が貯まってゆく。

 あらゆる手段で、こうした不満・憤懣が抑圧されるなら、最期は必ずテロ暴発に向かうのが人間社会の法則である。

 固定された特権階級=一級国民は、何が怖いかといえばテロが怖い。直接、個人が狙われるテロリズムでは、特権階級にとって逃げ道がないのだ。
 だから、社会の個人的暴発を防ぐための監視と弾圧に、持てる最大の力を注ぐことになる。これは、世界中で同じことなのだ。

 ただ、知っておいてもらいたいことは、本当は、「無差別テロ」を戦略として用いる政治思想は存在しない。例えば、中東や欧州で横行している無差別自爆テロは、ほとんどの場合、イスラエル=モサドが背後にいると考えるべきだ。

 イスラエルは、旧約聖書創世記に記された「イスラエル人に約束の地を与える」という文言に脅迫されて、ユーフラテスとナイルの間の広大な土地をイスラエルにするシオニズム運動(大イスラエル主義)を行っていて、このため、この地域の人々を自爆テロによって追い出す作戦を実現しているのである。

 イスラムの若者が、モサドの陰謀作戦によって洗脳され、自爆テロに利用されているのが真実である。

 本当の民族テロに自爆作戦は存在しない。ただIRAのようなテロが存在するだけだ。

 しかし、どちらにせよ、特権階級がテロ被害を防止しようとすれば、電子機器による監視を強化し、住民統制支配をAI化する方向に進むのは間違いない。

 こうした電子監視が誰に利益をもたらすのかといえば、少なくとも民衆には利益はない。財産と特権を守ろうとする特権階級に大きな利益をもたらすだけなのだ。

 しかし、こうした発想には、大きな落とし穴がある。
 監視社会を強化すれば、ますます個人の人権はいびつに弾圧され、住民の生活は極端に息苦しくなってゆく。

 こんな苦しい社会から、人間を解放しようとする思想が湧き上がってくるのが自然の成り行きである。

 だから、中国でも英国でも、監視社会の眼をくぐった裏社会の秩序ができあがってゆくことが避けられない。

 かつての中国の主役は、青幇・紅幇に代表される裏社会の秘密結社だった。例えば、戦前は、青幇は国民党軍と重なっていて、蒋介石は、どちらもの頭目だった。
 通州事件・南京事件の大虐殺の命令者は蒋介石だった。

 監視社会の背後では、再び、青幇=蒋介石のような人物がのし上がってくる必然性があり、中国人は、表の監視社会に従うフリをしながら、実は、裏の秘密結社に帰依するというような人生を送る者が激増することだろう。
 
 それに、米中軍事衝突が起きれば、最初に、両国ともに、必ずEMP核爆弾を上空400Kmで爆発させ、相手の電子機器をすべて破壊するところから戦争が始まるのである。
 もちろん、日本上空でもEMPが爆発することだろう。

 EMP爆発の瞬間から、コンピュータ機器、AI機器、監視機器は、すべて破壊される。本当に生身の人間による第二次世界大戦以前の戦争に戻ることになる。

 このとき、はたして中国共産党は、どの程度の実力を発揮できるのか、極めて面白い見物である。

 おそらく、共産党も軍も、利権によって完全に腐敗しきっているので、統制もとれずに大混乱に陥るのではないだろうか?

 現在の中国の戦争システムは、一人っ子政策で、屈強の男子がいなくなった社会のなか、ほぼコンピュータに依存しきっていて、コンピュータや監視機器が破壊されたとき、何が起きるのか? 考えてみればいい。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html

[番外地7] マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由

イギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。

 2月2日、ロンドンで仮釈放中の、イスラム国思想の影響を受けたテロ活動家が単独で3名を刺傷し、直後に、監視中だった警官に射殺された。
 https://www.bbc.com/japanese/51352236

 容疑者は、世界一といわれる密度の監視カメラで追跡され、テロ行動と同時に近くにいた警官が駆けつけて射殺したのだが、その対応の早さに驚かされた。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン
人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという
 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032300130/

 このニュースを見て、プリズナー6を思い出したのは、私一人ではないだろう。
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。

 それは、最初に民族的対立のなかで起きていた。
 
アイルランド共和軍
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%85%B1%E5%92%8C%E8%BB%8D

 イギリスは「テロとの百年戦争」の最中にある ロンドンは、ずっと過激派の標的だった
 https://toyokeizai.net/articles/-/96503

 私の世代は、イギリスがIRAによって、激しいテロの標的にされ続け、ちょうど、中東の無差別自爆テロのモデルになっていたような時代が長く続いたことを知っている。
 だから、ロンドンでテロが繰り返されても、イギリス国民は、日常的風景として大きな驚きを持たないのである。

 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。
 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 
http://www2.ashitech.ac.jp/civil/yanase/essay/no07.pdf

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。
 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。
 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。
 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/469.html

[近代史3] パリ・コミューンについて

パリ・コミューンについて - 内田樹の研究室 2019-03-05
http://blog.tatsuru.com/2019/03/05_1542.html

石川康宏さんとの『若者よマルクスを読もう』の三巻目は「フランスにおける内乱」をめぐっての往復書簡だった。

『反抗的人間』を読んでいたら、ぜひ引用したいカミュの言葉が出て来たので、それを数行加筆することにした。

それを含む、パリ・コミューン論を採録する。


『フランスの内乱』、読み返してみました。この本を読むのは、学生時代以来50年ぶりくらいです。同じテクストでも、さすがに半世紀をおいて読み返すと、印象がずいぶん違うものですね。

パリ・コミューンの歴史的な意義や、このテクストの重要性については、もう石川先生がきちんと書いてくださっていますので、僕は例によって、個人的にこだわりのあるところについて感想を語ってゆきたいと思います。
 
「コミューン」というのは、そもそもどういう意味なんでしょう。「コミューン」という言葉を学生だった僕はこの本で最初に知りました。そして、たぶん半世紀前も次の箇所に赤線を引いたはずです。

「コミューンは本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働者階級の経済的解放を実現するために、ついに発見された政治形態である。」(『フランスの内乱』、辰巳伸知訳、マルクスコレクションVI, 筑摩書房、2005年、36頁、強調は内田)

「ついに発見された政治形態」であると断定された以上、それは前代未聞のものであるはずです。僕は素直にそう読みました。なるほど、パリ・コミューンは歴史上はじめて登場した政治形態だったのか。すごいな。それなのに反動的なブルジョワたちから暴力的な弾圧を受けて、徹底的に殲滅されて、多くのコミューン戦士は英雄的な死を遂げた。気の毒なことをしたなあ・・・。そう思いました。それくらいしか思いませんでした。でも、さすがにそれから半世紀経つと感想もずいぶん違うものになります。

 僕が気になったのは、パリ・コミューンがマルクスの時代において「ついに発見された」前代未聞のものであったことはわかるのですが、それに続くものがなかったということです。

 パリ・コミューンからすでに150年を閲しましたけれど、パリ・コミューンのような政治形態はそれを最後に二度と再び地上に現れることはありませんでした。それはなぜなのでしょう。

 もし、パリ・コミューンがマルクスの言うように、1870年時点での革命的実践の頂点であったのだとしたら、その後も、パリ・コミューンを範とした革命的実践が(かりに失敗したとしても)世界各地で、次々と試みられてよかったはずです。でも、管見の及ぶ限りで「この政治形態はパリ・コミューンの甦りである」とか「この政治形態はパリ・コミューンが別の歴史的条件の下でいささか相貌を変えて実現したものである」というふうに名乗る事例を僕は一つも知りません。「われわれの戦いはパリ・コミューンを理想としてしている」と綱領的文書に掲げた政治運動や政治組織も僕は見たことがありません。
 変な話だと思いませんか?

 かのマルクスが、「ついに発見された政治形態である」と絶賛した究極の事例について、それを継承しようとした人たちも、未完・未済のものであったがゆえにその完成をこそ自らの歴史的召命として引き受けようとした人たちも、1871年から後いなかった。どうして、パリ・コミューンという政治的理想をそれからのちも全力で追求しようとした人たちは出てこなかったのか? 

 少なくともそれ以後フランスには「パリ・コミューン的なもの」は二度と登場しません。フランスでは、1789年、1830年、1848年、1871年と、比較的短いインターバルで革命的争乱が継起しました。いずれも、その前に行われた革命的な企てを引き継ぐものとして、あるいは先行した革命の不徹底性を乗り越えるものとしてなされました。でも、1871年のパリ・コミューンから後、パリ・コミューンを引き継ぎ、その不徹底性を批判的に乗り越える革命的な企てを構想した人は一人もいなかった。

 1944年8月25日のパリ解放の時、進軍してきた自由フランス軍に中にも、レジスタンスの闘士たちの中にも、誰も「抑圧者が去った今こそ市民たちの自治政府を」と叫ぶ人はいませんでした。1968年には「パリ五月革命」と呼ばれたラディカルな政治闘争がありましたが、その時に街頭を埋め尽くしたデモの隊列からも「今こそ第五共和政を倒して、パリ・コミューンを」と訴える声は聴こえませんでした。少しはいたかも知れませんが(どんなことでも口走る人はいますから)、誰も取り合わなかった。

 今も「パリ・コミューン派」を名乗っていて、少なからぬ力量を誇っている政治組織が世界のどこかにはあるかも知れませんけれど、寡聞にして僕は知りません(知っている人がいたらぜひご教示ください)。

 これはどういうことなのでしょう。なぜ「ついに発見された政治形態」は後継者を持ちえなかったのか?

 以下はそれについての僕の暴走的思弁です。

「マルクスとアメリカ」でも同じ考え方をご披露しましたけれど、僕が歴史について考える時にしばしば採用するアプローチは「どうして、ある出来事は起きたのに、それとは別の『起きてもよかった出来事』は起きなかったのか?」という問いを立てることです。
 このやり方を僕はシャーロック・ホームズから学びました。「起きたこと」からではなくて、「起きてもよかったはずのことが起きなかった」という事実に基づいて事件の真相に迫るのです。「白銀号事件」でホームズは「なぜあの夜、犬は吠えなかったのか?」というところからその推理を開始します。なぜ起きてもよいことが起きなかったのか?
 (...)

 なぜパリ・コミューンはマルクスによって理想的な政治形態と高く評価されたにもかかわらず、それから後、当のマルクス主義者たちによってさえ企てられなかったのか?
 それに対する僕の仮説的回答はこうです。

 パリ・コミューンはまさに「ついに発見された政治形態」であったにもかかわらずではなく、そうであったがゆえに血なまぐさい弾圧を呼び寄せ、破壊し尽くされ、二度と「あんなこと」は試みない方がよいという歴史的教訓を残したというものです。
 パリ・コミューン以後の革命家たち(レーニンもその一人です)がこの歴史的事実から引き出したのは次のような教訓でした。

 パリ・コミューンのような政治形態は不可能だ。やるならもっと違うやり方でやるしかない。

 パリ・コミューンは理想的に過ぎたのでした。

 それは『フランスの内乱』の中でマルクスが引いているいくつもの事例から知ることができます。マルクスが引いている事実はすべてがヴェルサイユ側の忌まわしいほどの不道徳性と暴力的非寛容と薄汚れた現実主義とコミューン側の道徳的清廉さ、寛大さ、感動的なまでの政治的無垢をありありと対比させています。どちらが「グッドガイ」で、どちらが「バッドガイ」か、これほど善悪の対比がはっきりした歴史的出来事は例外的です。少なくともマルクスは 読者たちにそういう印象を与えようとしていました。

 ティエールは国民軍の寄付で調達されたパリの大砲を「国家の財産である」と嘘をついてパリに対して戦争をしかけ、寄せ集めのヴェルサイユ兵を「世界の称賛の的、フランスがこれまで持った最もすばらしい軍隊」と持ち上げ、パリを砲撃した後も「自分たちは砲撃していない、それは叛徒たちの仕業である」と言い抜け、ヴェルサイユ軍の犯した処刑や報復を「すべて戯言である」と言い切りました。一方、「コミューンは、自らの言動を公表し、自らの欠陥をすべて公衆に知らせた」(同書、44頁)のです。

 マルクスの言葉を信じるならまさに「パリではすべてが真実であり、ヴェルサイユではすべてが嘘だった」(同書、46頁)のでした。パリ・コミューンは政治的にも道徳的にも正しい革命だった。マルクスはそれを讃えた。

 でも、マルクス以後の革命家たちはそうしなかった。彼らはパリ・コミューンはまさにそのせいで敗北したと考えた。確かに、レーニンがパリ・コミューンから教訓として引き出したのは、パリ・コミューンはもっと暴力的で、強権的であってもよかった、政治的にも道徳的にも、あれほど「正しい」ものである必要はなかった、ということだったからです。レーニンはこう書いています。

 「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧することは、依然として必要である。そして、コンミューンにとっては、このことはとくに必要であった。そして、コンミューンの敗因の一つは、コンミューンがこのことを十分に断固として行わなかった点にある。」(レーニン、『国家と革命』、大崎平八郎訳、角川文庫、1966年、67頁)

 レーニンが「十分に、断固として行うべき」としたのは「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧すること」です。ヴェルサイユ軍がコミューン派の市民に加えたのと同質の暴力をコミューン派市民はブルジョワ共和主義者や王党派や帝政派に加えるべきだった、レーニンはそう考えました。コミューン派の暴力が正義であるのは、コミューン派が「住民の多数派」だからです。

「ひとたび人民の多数者自身が自分の抑圧者を抑圧する段になると、抑圧のための『特殊な権力』は、もはや必要ではなくなる!国家は死滅し始める。特権的な少数者の特殊な制度(特権官僚、常備軍主脳部)に代わって、多数者自身がこれを直接に遂行することができる。」(同書、67−8頁、強調はレーニン)

 少数派がコントロールしている「特殊な権力」がふるう暴力は悪だけれど、国家権力を媒介とせずに人民が抑圧者に向けて直接ふるう暴力は善である。マルクスは『フランスの内乱』のどこにもそんなことは書いていません。でも、レーニンはそのことをパリ・コミューンの「敗因」から学んだ。

 レーニンがパリ・コミューンの敗北から引き出したもう一つの教訓は、石川先生もご指摘されていた「国家機構」の問題です。これについて、石川先生は、レーニンは「国家機構の粉砕」を主張し、マルクスはそれとは違って、革命の平和的・非強力的な展開の可能性にもチャンスを認めていたという指摘をされています。でも、僕はちょっとそれとは違う解釈も可能なのではないかと思います。レーニンの方がむしろ「できあいの国家機構」を効率的に用いることを認めていたのではないでしょうか。レーニンはこう書いています。

「コンミューンは、ブルジョワ社会の賄賂のきく、腐敗しきった議会制度を、意見と討論の自由が欺瞞に堕することのないような制度とおき替える。なぜなら、コンミューンの代議員たちは、みずから活動し、自分がつくった法律をみずから執行し、執行にあたって生じた結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしてみずから直接責任を負わなければならないからである。代議制度はのこるが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執行活動の分業としての、代議員のための特権的地位を保障するものとしての、議会制度は、ここにはない。(...)議会制度なしの民主主義を考えることができるし、また考えなければならない。」(同書、74−75頁、強調はレーニン)
 
 法の制定者と法の執行者を分業させた政体のことを共和制と呼び、法の制定者と執行者が同一機関である政体のことを独裁制と呼びます。パリ・コミューンは「議会制度なしの民主主義」、独裁的な民主主義の達成だったとして、その点をレーニンは評価します。
 この文章を読むときに、代議制度は「のこる」という方を重く見るか、立法と行政の分業としての共和的な制度は「ない」という方を重く見るかで、解釈にずれが生じます。僕はレーニンは制度そのものの継続性をむしろ強調したかったのではないかという気がします。レーニンは何か新しい、人道的で、理想的な統治形態を夢見ていたのではなく、今ある統治システムを換骨奪胎することを目指していた。そして、マルクスもまた既存の制度との継続を目指したしたるのだと主張します。

「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない。そうではなくて、彼は、古い社会からの新しい社会の誕生、前者から後者への過渡的諸形態を、自然史的過程として研究しているのだ。」(同書、75頁、強調はレーニン)
 
 ここで目立つのは「からの」を強調していることです。旧体制と新体制の間には連続性がある。だから、「過渡的諸形態」においては「ありもの」の統治システムを使い回す必要がある。レーニンはそう言いたかったようです。そのためにマルクスも「そう言っている」という無理な読解を行った。

「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない。プロレタリアートの独裁の任務についての無理解にもとづくこうした無政府主義的夢想は、マルクス主義とは根本的に無縁なものであり、実際には、人間が今とは違ったものになるときまで社会主義革命を引き延ばすことに役だつだけである。ところがそうではなくて、われわれは、社会主義革命をば現在のままの人間で、つまり服従なしには、統制なしには、『監督、簿記係』なしにはやってゆけない、そのような人間によって遂行しようと望んでいるのだ。」(同書、76―77頁、強調はレーニン)

 レーニンが「監督、簿記係」と嘲弄的に呼んでいるのは官僚機構のことです。プロレタリアート独裁は「服従」と「統制」と「官僚機構」を通じて行われることになるだろうとレーニンはここで言っているのです。「すべての被搾取勤労者の武装した前衛であるプロレタリアートには、服従しなければならない。」(77頁)という命題には「誰が」という主語が言い落とされていますが、これは「プロレタリアート以外の全員」のことです。

 これはどう贔屓目に読んでも、マルクスの『フランスの内乱』の解釈としては受け入れがたいものです。

 マルクスがパリ・コミューンにおいて最も高く評価したのは、そこでは「服従」や「統制」や「官僚機構」が効率的に働いていたことではなく、逆に、労働者たちが「できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と考えたからです。新しいものを手作りしなければならないというコミューンの未決性、開放性をマルクスは評価した。誰も服従しない、誰も統制しない、誰もが進んで公的使命を果たすという点がパリ・コミューンの最大の美点だとマルクスは考えていたからです。

「コミューンが多種多様に解釈されてきたこと、自分たちの都合のいいように多種多様な党派がコミューンを解釈したこと、このことは、過去のあらゆる統治形態がまさに抑圧的であり続けてきたのに対して、コミューンが徹頭徹尾開放的な政府形態であったということを示している。」(マルクス、前掲書、36頁)

 マルクスの見るところ、パリ・コミューンの最大の美点はその道徳的なインテグリティーにありました。自らの無謬性を誇らず、「自らの言動を公表し、自らの欠陥のすべてを公衆に知らせた」ことです。それがもたらした劇的な変化についてマルクスは感動的な筆致でこう書いています。

「実際すばらしかったのは、コミューンがパリにもたらした変化である! 第二帝政のみだらなパリは、もはやあとかたもなかった。パリはもはや、イギリスの地主やアイルランドの不在地主、アメリカのもと奴隷所有者や成金、ロシアのもと農奴所有者やワラキアの大貴族のたまり場ではなくなった。死体公示所にはもはや身元不明の死体はなく、夜盗もなくなり、強盗もほとんどなくなった。1848年二月期以来、はじめてパリの街路は安全になった。しかも、いかなる類の警察もなしに。(・・・)労働し、考え、闘い、血を流しているパリは、―新たな社会を生み出そうとするなかで、(・・・)自らが歴史を創始することの熱情に輝いていたのである。」(同書、45―46頁、強調は内田)

「新しい社会を生み出そうとするなかで」とマルクスは書いています。この文言と「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない」というレーニンの断定の間には、埋めることのできないほどの断絶があると僕は思います。
 でも、パリ・コミューンの総括において「パリ・コミューンは理想主義的過ぎた」という印象を抱いたのはレーニン一人ではありません。ほとんどすべての革命家たちがそう思った。だからこそ、パリ・コミューンはひとり孤絶した歴史的経験にとどまり、以後150年、その「アヴァター」は再び地上に顕現することがなかった。そういうことではないかと思います。

 勘違いして欲しくないのですが、僕はレーニンの革命論が「間違っている」と言っているのではありません。現にロシア革命を「成功」させたくらいですから、実践によってみごとに裏書きされたすぐれた革命論だと思います。でも、マルクスの『フランスの内乱』の祖述としては不正確です。

 ただし、レーニンのこの「不正確な祖述」は彼の知性が不調なせいでも悪意のせいでもありません。レーニンは彼なりにパリ・コミューンの悲劇的な結末から学ぶべきことを学んだのです。そして、パリ・コミューンはすばらしい歴史的実験だったし、めざしたものは崇高だったかも知れないけれど、あのような「新しい社会」を志向する、開放的な革命運動は政治的には無効だと考えたのです。革命闘争に勝利するためには、それとはまったく正反対の、服従と統制と官僚機構を最大限に活用した運動と組織が必要だと考えた。
 レーニンのこのパリ・コミューン解釈がそれ以後のパリ・コミューンについて支配的な解釈として定着しました。ですから、仮にそれから後、「パリ・コミューンのような政治形態」をめざす政治運動が試みられたことがあったとしても、それは「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない」と断定する鉄のレーニン主義者たちから「空想家」「夢想家」と決めつけられて、舞台から荒っぽく引きずりおろされただろうと思います。

 アルベール・カミュは『国家と革命』におけるレーニンのパリ・コミューン評価をこんなふうに要言しています。僕はカミュのこの評言に対して同意の一票を投じたいと思います。

「レーニンは、生産手段の社会化が達成されるとともに、搾取階級は廃滅され、国家は死滅するという明確で断固たる原則から出発する。しかし、同じ文書の中で、彼は生産手段の社会化の後も、革命的フラクションによる自余の人民に対する独裁が、期限をあらかじめ区切られることなしに継続されることは正当化されるという結論に達している。コミューンの経験を繰り返し参照していながら、このパンフレットは、コミューンを生み出した連邦主義的、反権威主義的な思潮と絶対的に対立するのである。マルクスとエンゲルスのコミュ―ンについての楽観的な記述にさえ反対する。理由は明らかである。レーニンはコミューンが失敗したことを忘れなかったのである。」(Albert Camus, L'homme révolté, in Essais, Gallimard, 1965, p.633)

 僕はできたら読者の皆さんには『フランスの内乱』と『国家と革命』を併せて読んでくれることをお願いしたいと思います。そして、そこに石川先生がこの間言われたような「マルクス」と「マルクス主義」の違いを感じてくれたらいいなと思います。マルクスを読むこととマルクス主義を勉強することは別の営みです。まったく別の営みだと申し上げてもよいと思います。そして、僕は「マルクス主義を勉強すること」にはもうあまり興味がありませんけれど、「マルクスを読む楽しみ」はこれからもずっと手離さないだろうと思います
http://blog.tatsuru.com/2019/03/05_1542.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html

[近代史3] マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由

マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由


階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。


監視国家の現実 2020年02月04日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html


  私が中学生になるころ、娯楽といえばテレビだったのだが、群を抜いて面白い番組があった。
 「プリズナー6」という。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%BCNo.6

 このドラマの面白さは、最後まで主人公を監視し、拘束する組織の正体が分からないことだった。いったい誰が? 何の目的で、一人の諜報員を拘束し、暴力的に監視し続けるのか?
 ストーリーは、極めて哲学的な示唆に富んだもので視聴者を惹きつけた。

 この番組は、イギリスで制作されたものだったが、そのイギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 2月2日、ロンドンで仮釈放中の、イスラム国思想の影響を受けたテロ活動家が単独で3名を刺傷し、直後に、監視中だった警官に射殺された。
 https://www.bbc.com/japanese/51352236

 容疑者は、世界一といわれる密度の監視カメラで追跡され、テロ行動と同時に近くにいた警官が駆けつけて射殺したのだが、その対応の早さに驚かされた。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン
人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという
 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032300130/

 このニュースを見て、プリズナー6を思い出したのは、私一人ではないだろう。
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。

 それは、最初に民族的対立のなかで起きていた。
 
アイルランド共和軍
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%85%B1%E5%92%8C%E8%BB%8D

 イギリスは「テロとの百年戦争」の最中にある ロンドンは、ずっと過激派の標的だった
 https://toyokeizai.net/articles/-/96503

 私の世代は、イギリスがIRAによって、激しいテロの標的にされ続け、ちょうど、中東の無差別自爆テロのモデルになっていたような時代が長く続いたことを知っている。
 だから、ロンドンでテロが繰り返されても、イギリス国民は、日常的風景として大きな驚きを持たないのである。

 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。
 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 
http://www2.ashitech.ac.jp/civil/yanase/essay/no07.pdf

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。
 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。
 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。
 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。

 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 https://jp.reuters.com/article/column-apps-idJPKBN1ZY0CI

 以下引用

 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

 新型コロナウイルスの感染拡大抑止に向けたドローンの「創造的な活用法」だと中国共産党系英字紙グローバル・タイムズが報じたこの動画は、海外の多くの人々にとっては未来のディストピア(暗黒世界)の1シーンに映るかもしれない。

 しかし中国政府指導部が、これを誇るべきことと考えているのは明らかだ。動画は中国のソーシャルメディアで拡散され、英語メディアで海外にも紹介された。

 この一件は、2つの重要なことを示していそうだ。第1に、中国はあらゆる手段を駆使して新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めようとしているだけでなく、これを機に世界一高度な監視国家である自らの能力を強化し、誇示する可能性が十分にあるということだ。

 第2の点は言うまでもないが、小型で無人の媒体やプラットフォームが、大衆の監視だけでなく、直接的な社会統制の手段としても急速に普及しつつあることが鮮明になった。この傾向は独裁主義的な国々以外にも広がる可能性が高く、民主主義国家はこの点について、これまで努力してきたよりずっと公開かつ参加しやすい議論を積極的に行っていく必要がある。

 <法の執行>

 法の執行や警備体制が手いっぱいの国々は既に多いため、こうした機器が活用されるのは目に見えている。ロンドンで2日、最近釈放されたばかりのイスラム過激派思想の男に2人が刃物で切りつけられた事件では、危険と見なされる人物を追跡する当局の能力に疑問が投げ掛けられた。顔認識ソフトウエアなどの自動化技術を使えば追跡はもっと容易になるが、多くの人々を不安にさせるのも間違いない。

 米国ではカリフォルニア州のオークランドやバークリーなど、いくつかの市や町が法執行機関による顔認識技術の利用を禁じている。他にも管理を強化している州や地域があるが、米国および西側世界の大半の地域では、ほぼ気付かれず、議論もされないままに新たな監視技術が次々と導入されている。

 中東地域などでの米軍の活動では、武器を搭載する大型無人ドローンが何年も前から主役を演じている。米国が始めたことに、中国はしばしば追随するため、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)など、米国からのドローン輸出が制限され不満を抱く国々にとって、中国は武装ドローンの主な供給源になっている。

 米国防高等研究計画局(DARPA)は昨年8月、ジョージア州フォート・ベニングの米軍訓練施設で、ドローンの集団を使って特定の建物内─この場合は市庁舎の想定だった─の特定の対象を見つけ、監視するという最新技術を披露した。250ものドローンがたった1人のオペレーターにコントロールされ、あるいは機体が個々に独立して動作するといったことを可能にするのが狙い。こうした水準の移動式監視は以前なら不可能だった。

<ドローン技術>

 中国は数十年前からドローンと監視技術に資源を投入してきた。2018年、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは、見た目や動きを鳩などの鳥に似せた無人ドローンについても、中国が開発中だと報じた。国境地帯や、イスラム教徒への弾圧で知られる新疆ウイグル自治区で既に活用中だという。

 同紙によると、このドローンは羊の群れの上を飛ばしても羊たちが飛行物体に騒がないほどの性能が証明されている。羊は通常、飛行機に非常に敏感に反応する。中国政府がこの技術をカメラや顔認識データベースなど、他の監視手段と組み合わせて使おうと考えているのはほぼ間違いない。中国は他に、歩き方の癖で人を認識するシステムなども開発中だと報じられている。

 ただ、冒頭のグローバル・タイムズが報じた動画は、明らかに人間がコントロールしており、声は拡声器から流されていた。江蘇省の別の動画では、婦人警察官が横断歩道でドローンを使い、通行人がマスクを着用しているかをチェックしていた。「電話中のハンサムなお兄さん、マスクはどうしましたか。着けて下さいよ」と拡声器から呼びかける。「食べ歩き中のお嬢さんたち、マスクを着けて下さいね。おうちに帰れば食べられますよ」。

 こうした光景を見ると、旧東ドイツのような、かつての監視国家のように、中国もまだ人間による人間の監視に頼っているようだ。しかし状況は急速に変わりつつある。人工知能(AI)のアルゴリズムと、過去に蓄積された膨大なデータの組み合わせがターゲティング広告を一変させたのは周知の事実だ。

 グローバル・タイムズによると、春節(旧正月)の催しが中止になり、自宅にこもる中国の人々にとって、成都市の動画は格好の娯楽となっている。動画が本物かどうかは別の問題だが、世界中も思ったより早く、同じような課題に直面するかもしれない。

*****************************************************************
 引用以上

 こうしたドローン監視社会は、いずれ、日本や欧州にも拡大することは間違いなさそうだ。社会全体に格差と差別の固定した社会では、必ず底辺の人々に矛盾がしわ寄せされ、やり場のない憤懣が貯まってゆく。

 あらゆる手段で、こうした不満・憤懣が抑圧されるなら、最期は必ずテロ暴発に向かうのが人間社会の法則である。

 固定された特権階級=一級国民は、何が怖いかといえばテロが怖い。直接、個人が狙われるテロリズムでは、特権階級にとって逃げ道がないのだ。
 だから、社会の個人的暴発を防ぐための監視と弾圧に、持てる最大の力を注ぐことになる。これは、世界中で同じことなのだ。

 ただ、知っておいてもらいたいことは、本当は、「無差別テロ」を戦略として用いる政治思想は存在しない。例えば、中東や欧州で横行している無差別自爆テロは、ほとんどの場合、イスラエル=モサドが背後にいると考えるべきだ。

 イスラエルは、旧約聖書創世記に記された「イスラエル人に約束の地を与える」という文言に脅迫されて、ユーフラテスとナイルの間の広大な土地をイスラエルにするシオニズム運動(大イスラエル主義)を行っていて、このため、この地域の人々を自爆テロによって追い出す作戦を実現しているのである。

 イスラムの若者が、モサドの陰謀作戦によって洗脳され、自爆テロに利用されているのが真実である。

 本当の民族テロに自爆作戦は存在しない。ただIRAのようなテロが存在するだけだ。

 しかし、どちらにせよ、特権階級がテロ被害を防止しようとすれば、電子機器による監視を強化し、住民統制支配をAI化する方向に進むのは間違いない。

 こうした電子監視が誰に利益をもたらすのかといえば、少なくとも民衆には利益はない。財産と特権を守ろうとする特権階級に大きな利益をもたらすだけなのだ。

 しかし、こうした発想には、大きな落とし穴がある。
 監視社会を強化すれば、ますます個人の人権はいびつに弾圧され、住民の生活は極端に息苦しくなってゆく。

 こんな苦しい社会から、人間を解放しようとする思想が湧き上がってくるのが自然の成り行きである。

 だから、中国でも英国でも、監視社会の眼をくぐった裏社会の秩序ができあがってゆくことが避けられない。

 かつての中国の主役は、青幇・紅幇に代表される裏社会の秘密結社だった。例えば、戦前は、青幇は国民党軍と重なっていて、蒋介石は、どちらもの頭目だった。
 通州事件・南京事件の大虐殺の命令者は蒋介石だった。

 監視社会の背後では、再び、青幇=蒋介石のような人物がのし上がってくる必然性があり、中国人は、表の監視社会に従うフリをしながら、実は、裏の秘密結社に帰依するというような人生を送る者が激増することだろう。
 
 それに、米中軍事衝突が起きれば、最初に、両国ともに、必ずEMP核爆弾を上空400Kmで爆発させ、相手の電子機器をすべて破壊するところから戦争が始まるのである。
 もちろん、日本上空でもEMPが爆発することだろう。

 EMP爆発の瞬間から、コンピュータ機器、AI機器、監視機器は、すべて破壊される。本当に生身の人間による第二次世界大戦以前の戦争に戻ることになる。

 このとき、はたして中国共産党は、どの程度の実力を発揮できるのか、極めて面白い見物である。

 おそらく、共産党も軍も、利権によって完全に腐敗しきっているので、統制もとれずに大混乱に陥るのではないだろうか?

 現在の中国の戦争システムは、一人っ子政策で、屈強の男子がいなくなった社会のなか、ほぼコンピュータに依存しきっていて、コンピュータや監視機器が破壊されたとき、何が起きるのか? 考えてみればいい。

http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html  
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 共産主義関係投稿リンク

マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

安くて従順な子供を、朝から晩までこき使う資本主義の裏の顔
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/413.html

主要企業・銀行の殆どが外資に乗っ取られてるとこういう社会になる
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/784.html

誰も知らないアメリカ格差社会の実情
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/110.html

マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html

アナーキストが誰にも相手にされない理由 _ 一般大衆は自由であるよりも支配されることを望んでいる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/737.html

ロシア革命とは何だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/795.html

脳動脈硬化症で晩節を汚した(?)レーニン _ 実際は若い時から…
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/756.html

ロシアの若者の間でスターリンがじわじわ人気上昇中
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/757.html

中国人の子供の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/253.html

中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html

毛沢東はセッ○ス狂
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/760.html

"新喜び組"は23歳以下の美女たち!
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/906.html

社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html

中国 _ 悪夢の監視社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/181.html

監視国家 中国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/888.html

河添恵子 中国共産党の真実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/425.html

石平 中国共産党政権の脅威
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/435.html

プーチン大統領は神の申し子
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html

パリ・コミューンについて
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/890.html

チェ・ゲバラ  世界を変えようとした男
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/715.html

社会主義の20世紀 カストロの選択
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/791.html

社会主義の20世紀 おしつぶされた改革 〜プラハの春・ドプチェクの証言〜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/794.html

社会主義の20世紀 |バルトの悲劇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/788.html

ドイツとロシアにはさまれた国々において、ヒトラーとスターリンは 1933年〜1945年に1400万人を殺害した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/344.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html

馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html

田中英道のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/213.html






http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1037.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 共産主義関係投稿リンク 中川隆
1. 中川隆[-14042] koaQ7Jey 2020年2月05日 14:42:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-715]

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1037.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 共産主義関係投稿リンク 中川隆
2. 中川隆[-14041] koaQ7Jey 2020年2月05日 14:44:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-714]

戦後の日本が世界で最も成功した社会主義国、理想の共産社会に近い一億総中流社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/353.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1037.html#c2
[近代史3] 世界を反米にした殺人鬼ヒラリー・クリントン 中川隆
7. 中川隆[-14040] koaQ7Jey 2020年2月05日 17:57:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-713]
2020.02.05
米国の不公正な選挙制度に投票数を操作できるシステムが導入されようとしている


 アメリカ大統領選挙の候補者である​タルシー・ガバード下院議員は電子投票システムの問題を指摘​している。紙を利用した投票の場合、その結果を後に検証することが可能だが、電子的なシステムでは証拠が残らず、外部から操作されてもわからないと指摘しているのだ。すでに14州で投票に紙が使用されていないという。前回は2016年に選挙があったが、その前にも電子投票システムにおける投票数操作の問題が指摘されていた。

 その2016年の選挙では、2015年の段階でネオコンのヒラリー・クリントンは次期大統領に内定したと噂されていた。この人物は上院議員になったときからロッキード・マーチンの代理人と呼ばれ、後にウォール街の巨大金融資本も後ろ盾にしているとも言われるようになる。

 クリントンが次期大統領に内定したと噂されたのは、2015年6月にオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合に彼女の旧友であるジム・メッシナが参加していたことなどが理由。このグループは1948年にアレン・ダレスやウィンストン・チャーチルを中心とする米英の支配層によって創設されたACUEの下部機関で、欧米支配層の利害調整が役割だとも言われている。

 しかし、電子投票システムへの疑問が噴出する中、バラク・オバマ大統領やその後継者と見られていたヒラリー・クリントンの好戦的な姿勢を懸念する声が支配層の内部からも出てきた。

 その切っ掛けは2014年にネオコンがウクライナでネオ・ナチを使って成功させたクーデター。その結果、ロシアと中国が急接近して戦略的同盟関係を結んでしまったのだ。その後、オバマ大統領はロシアとの関係を悪化させ、ヒラリーたちは核戦争で脅し始める。ソ連を消滅させ、ロシアを属国にしたという前提で立てられたネオコンの世界制覇プランがロシアの再独立と中露の接近で崩れ始めたことが大きいと言えるだろう。

 大統領選挙の風向きが変わったと言われたのは2016年2月10日にヘンリー・キッシンジャーがロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談してから。民主党の候補者選びでも戦争に反対するバーニー・サンダースがクリントンのライバルとして登場してきた。

 慌てたDNC(民主党全国委員会)の幹部はサンダースを妨害する工作を始めるのだが、その一端を示す電子メールを3月から内部告発支援グループのウィキリークスが公表、クリントン陣営には大きなダメージになる。

 その一方、共和党ではロシアとの関係修復を訴えたドナルド・トランプが人気になるが、そのトランプを潰す工作をFBIは2016年夏に始めた。その背後にはCIA長官だったジョン・ブレナンがいたと見られている。

 アメリカの選挙制度が公正なものでないことは明白だが、さらに進めて、投票数を自由自在にコントロールできる仕組みを支配層は導入しようとしている。そうした動きが進んでいるとガバードは警鐘を鳴らしたのである。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002050000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/548.html#c7

[近代史3] 北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている 中川隆
2. 中川隆[-14039] koaQ7Jey 2020年2月05日 18:02:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-712]
2020年02月05日
「最強ウイルス」は中国のずさんさが産んだ幻影だった


武漢市内の病院窓口前で倒れたが放置された人
治療しなければ「感染者」は増えないのでわざと放置している
治療したらその人は感染者になり、感染者数が増えて医療機関の落ち度になる

画像引用:https://i.epochtimes.com/assets/uploads/2020/01/Untitled-2-4-450x322.jpg

中国人以外には感染しない仕組み

19年1月20日ごろ明るみになった中国発新型肺炎ウイルスは、ようやく全体像が見えてきた。

20年2月4日現在で中国発表の感染者数は2万3680人、世界では2万3800人ほどとなっている。

中国以外では27の国で感染者214人なので、中国と中国以外の感染者数は100対1となっている。


武漢から帰国した日本人の感染率は1.4%だったので、これを武漢と周辺に当てはめると20万人になる。

中国は中国以外で発生した感染者数を見ながら、「その100倍」を目安に発表している疑いが強い。

本当の数字は政府批判を招くので隠しておくが、外国の患者は隠せないのでその100倍を適当に発表している。


これなら外国の反発を招かず、かなり自然な数字になるので誤魔化しやすいという仕組みです。

日本での感染者数は約23人で、全員が中国人から移された人で、バス運転手とツアーガイドは車内で中国人から移された。

日本人から日本人へ感染した例はなく、外国でも中国人以外から感染したと分かっている例はないようです。


武漢発新型コロナウイルスは中国人にだけ爆発的に感染し、他の国の人には殆ど感染しないのが分かってきました。

だが中国人だけに感染するウイルスというのは不自然で、本当は中国の医療制度や社会制度が原因でした。

中国では武漢だけで本当の感染者が20万人以上なのに政府発表は5千人、つまり今までに検査や治療を受けたのは5千人だけでした。

共産主義の論理「感染したと認めなければ感染者ではない」

このへ理屈は中国全土にも適用され、熱を訴えても病院で検査を受けられるのは希望者の1割未満しかいない。

病院の絶対数が不足しているのと、医療の未整備が主な原因で、病院で検査を受けなければ感染者にカウントされません。

中国政府にしてみれば放っておいた方が「感染者」が増えず、下手に検査したら10倍や100倍に増えかねない。


新形ウイルスの死亡率は千人に1人程度と見られ、治療しなくてもほとんどが自然治癒します。

今までになくなったほとんどは高齢者や持病があった人なので、若くて健康な人には関係ない病気です。

高齢者や深刻な持病持ちの人は、ウイルスに感染しなくても亡くなっていたかも知れず、死因は心不全とか適当に作れる。


中国はこうした偽装を行って感染者数を少なく見せるのに成功しているが、これが新型ウイルスの流行を招いた。

中国人以外はほぼ誰も感染していないのに、中国だけ数十万人感染した理由がこの「政府に不都合な事を隠蔽する」体質でした。

武漢では遅くとも12月8日には謎の新型肺炎を確認たが、それから1カ月間の対策はなんと患者を逮捕するというものでした。


新形ウイルスを訴える患者や医療関係者を逮捕しては刑務所や収容所に送り込み、新型ウイルスは存在しないという態度を取った。

これが1月20日まで続き、20日に習近平がようやく新型ウイルスの存在を認めて対処を指示した。

だが武漢では1月23日まで患者の逮捕が続けられていて、23日には武漢市外への移動を禁じる戒厳令状態になった。


結局現在も中国政府の対応は、不満を訴えるものを逮捕し刑務所に入れる、あるいは家に閉じ込めて外出したら逮捕するというものです。

中国はアメリカに食われる

中国以外では大した感染力がないウイルスを数十万人に感染させた中国に世界は疑惑の目を向けている。

アメリカは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国禁止措置を取ったが中国側は面白い事を言っている。

アメリカは新型肺炎利用して世界から「中国を隔離」しようとしていると不満を表明しました。


おそらくこれは当たっていて、中国を潰したいアメリカにとってはチャンス到来でした。

中国のGDPは対米7割に達しようとしていて、全盛期のソ連や日本の規模に迫っている。

アメリカは対米7割を防衛ラインとして、それを超えようとする国をあらゆる手段で潰します。


ウイグルやチベット弾圧、香港民主化、そして武漢ウイルスなどアメリカにとっての好材料はいくつもある。

キリスト教国家には「豚は太らせて食え」という格言があり、チヤホヤして良い気にさせ、太って動けなくなったら食べる。

ソ連も旧ドイツも日本もまんまと引っ掛かり、崩壊してアメリカに全財産を奪われました。


アメリカの指導者が今考えているのは、どうやって中国が築いた資産を自分のものにするかでしょう。

中国のGDPは公称12兆ドルで実際は半分としても、これをアメリカのものに出来れば巨大な利益になる。

中国の資産は軽くその10倍以上はあり、トランプやアメリカの資産家が美味しそうに舌なめずりをしています。
http://www.thutmosev.com/archives/82132382.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/886.html#c2

[近代史3] アメリカが No.2 になった国を潰した方法 中川隆
5. 中川隆[-14038] koaQ7Jey 2020年2月05日 18:06:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-711]
2020年02月05日
「最強ウイルス」は中国のずさんさが産んだ幻影だった

武漢市内の病院窓口前で倒れたが放置された人
治療しなければ「感染者」は増えないのでわざと放置している
治療したらその人は感染者になり、感染者数が増えて医療機関の落ち度になる

画像引用:https://i.epochtimes.com/assets/uploads/2020/01/Untitled-2-4-450x322.jpg


中国人以外には感染しない仕組み

19年1月20日ごろ明るみになった中国発新型肺炎ウイルスは、ようやく全体像が見えてきた。

20年2月4日現在で中国発表の感染者数は2万3680人、世界では2万3800人ほどとなっている。

中国以外では27の国で感染者214人なので、中国と中国以外の感染者数は100対1となっている。

武漢から帰国した日本人の感染率は1.4%だったので、これを武漢と周辺に当てはめると20万人になる。

中国は中国以外で発生した感染者数を見ながら、「その100倍」を目安に発表している疑いが強い。

本当の数字は政府批判を招くので隠しておくが、外国の患者は隠せないのでその100倍を適当に発表している。


これなら外国の反発を招かず、かなり自然な数字になるので誤魔化しやすいという仕組みです。

日本での感染者数は約23人で、全員が中国人から移された人で、バス運転手とツアーガイドは車内で中国人から移された。

日本人から日本人へ感染した例はなく、外国でも中国人以外から感染したと分かっている例はないようです。


武漢発新型コロナウイルスは中国人にだけ爆発的に感染し、他の国の人には殆ど感染しないのが分かってきました。

だが中国人だけに感染するウイルスというのは不自然で、本当は中国の医療制度や社会制度が原因でした。

中国では武漢だけで本当の感染者が20万人以上なのに政府発表は5千人、つまり今までに検査や治療を受けたのは5千人だけでした。


共産主義の論理「感染したと認めなければ感染者ではない」

このへ理屈は中国全土にも適用され、熱を訴えても病院で検査を受けられるのは希望者の1割未満しかいない。

病院の絶対数が不足しているのと、医療の未整備が主な原因で、病院で検査を受けなければ感染者にカウントされません。

中国政府にしてみれば放っておいた方が「感染者」が増えず、下手に検査したら10倍や100倍に増えかねない。


新形ウイルスの死亡率は千人に1人程度と見られ、治療しなくてもほとんどが自然治癒します。

今までになくなったほとんどは高齢者や持病があった人なので、若くて健康な人には関係ない病気です。

高齢者や深刻な持病持ちの人は、ウイルスに感染しなくても亡くなっていたかも知れず、死因は心不全とか適当に作れる。


中国はこうした偽装を行って感染者数を少なく見せるのに成功しているが、これが新型ウイルスの流行を招いた。

中国人以外はほぼ誰も感染していないのに、中国だけ数十万人感染した理由がこの「政府に不都合な事を隠蔽する」体質でした。

武漢では遅くとも12月8日には謎の新型肺炎を確認たが、それから1カ月間の対策はなんと患者を逮捕するというものでした。

新形ウイルスを訴える患者や医療関係者を逮捕しては刑務所や収容所に送り込み、新型ウイルスは存在しないという態度を取った。

これが1月20日まで続き、20日に習近平がようやく新型ウイルスの存在を認めて対処を指示した。

だが武漢では1月23日まで患者の逮捕が続けられていて、23日には武漢市外への移動を禁じる戒厳令状態になった。


結局現在も中国政府の対応は、不満を訴えるものを逮捕し刑務所に入れる、あるいは家に閉じ込めて外出したら逮捕するというものです。


中国はアメリカに食われる

中国以外では大した感染力がないウイルスを数十万人に感染させた中国に世界は疑惑の目を向けている。

アメリカは2週間以内に中国に滞在した外国人の入国禁止措置を取ったが中国側は面白い事を言っている。

アメリカは新型肺炎利用して世界から「中国を隔離」しようとしていると不満を表明しました。


おそらくこれは当たっていて、中国を潰したいアメリカにとってはチャンス到来でした。

中国のGDPは対米7割に達しようとしていて、全盛期のソ連や日本の規模に迫っている。

アメリカは対米7割を防衛ラインとして、それを超えようとする国をあらゆる手段で潰します。


ウイグルやチベット弾圧、香港民主化、そして武漢ウイルスなどアメリカにとっての好材料はいくつもある。

キリスト教国家には「豚は太らせて食え」という格言があり、チヤホヤして良い気にさせ、太って動けなくなったら食べる。

ソ連も旧ドイツも日本もまんまと引っ掛かり、崩壊してアメリカに全財産を奪われました。


アメリカの指導者が今考えているのは、どうやって中国が築いた資産を自分のものにするかでしょう。

中国のGDPは公称12兆ドルで実際は半分としても、これをアメリカのものに出来れば巨大な利益になる。

中国の資産は軽くその10倍以上はあり、トランプやアメリカの資産家が美味しそうに舌なめずりをしています。
http://www.thutmosev.com/archives/82132382.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/745.html#c5

[近代史3] グスタフ・マーラー 交響曲第10番
グスタフ・マーラー 交響曲第10番


Mahler's 10th Symphony [MIS/Cooke III] (Audio + Handwritten Score)


1st movement (Mahler International Society version)
Vienna Philharmonic cond/ Leonard Bernstein


2nd-5th movements (Cooke)
SWR Sinfonieorchester cond/ Michael Gielen


0:00 - Andante – Adagio: 275 bars drafted in orchestral and short score
26:11 - Scherzo: 522 bars drafted in orchestral and short score
38:03 - Purgatorio. Allegro moderato: 170 bars drafted in short score, the first 30 of which were also drafted in orchestral score
42:13 - [Scherzo. Nicht zu schnell]: about 579 bars drafted in short score
55:07 - Finale. Langsam, schwer: 400 bars drafted in short score


Leonard Bernstein / Wiener Philharmoniker Oct.1974


レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1974年録音/グラモフォン盤) 


これはウイーンでのライブ演奏です。バーンスタインがこういう曲をウイーン・フィルと演奏すれば最高なのはわかりきっています。ひとつひとつの音符に深い意味が込められていて真に感動的です。録音のせいか金管が弦楽と溶け合わずに分離したようにも感じますが、反面音の動きは聞き取りやすいです。それにしても何という悲しみに満ちた音なのでしょうか。死を覚悟した(し切れない?)マーラーの悲痛な心の叫びが痛々しく思えてなりません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-2cee.html


ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団
ヘンスラー。2005年3月17-19日、フライブルクでの録音。クック版第3稿第1版による。
ギーレンは下記のように、第1楽章アダージョだけは以前に録音しており、それはヘンスラーからの全集セットにも収録されている。
このクック版第10番は、(全集完成記念というわけではなかろうが)、そのマーラー自身の手になる曲の全集とは別個に発売されたものである。第5楽章のハンマーのすごさは、ラトル盤以上のものがある。上記全集の最後のほうの何曲かの録音では「ギーレンも丸くなったな」と感じたものだが、この演奏を聴くとやはりギーレンのゲンダイものは凄いと思わざるを得ない。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler10.htm


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Gustav Mahler - Symphony No. 10 "Adagio" | Vienna Philharmonic, Leonard Bernstein [HD]




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Leonard Bernstein "Adagio Symphony No 10" Mahler


New York Philharmonic
Leonard Bernstein, conductor


レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1975年録音/CBS SONY盤) 


僕が昔LP盤で聴いていたのはこの演奏です。ウイーンライブの翌年のスタジオ録音です。二つの演奏にテンポ、表現の差はほとんど有りません。なので、このニューヨーク盤も素晴らしいのですが、やはりウイーンフィルの管や弦の持つ独特の柔らかさを望むことはできません。どちらもマーラーゆかりの楽団とはいえ、長年の間その土地の風土文化に育まれてきた音は異なります。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-2cee.html


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テンシュテット指揮:マーラー:第10交響曲よりアダージョ(1983年ライヴ)


K.Tennstedt / Vinna Philharmonic Orchestra 29/Aug/1983 Live in Salzburg


クラウス・テンシュテット指揮ウィーン・フィル
Altus。2CD。1982年8月29日、ザツルブルク祝祭大劇場におけるライヴ録音。
このコンビの一期一会の記録。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler10.htm


クラウス・テンシュテット指揮ウイーン・フィル(1982年録音/TIENTO盤)
これはザルツブルク音楽祭のライブ録音ですが、演奏はバーンスタイン以上に広がりがありスケールが大きく、まるで大波にのみ込まれるようです。全ての音符が繊細に扱われて深い意味が込められているので、最初から最後まで心底惹きつけられます。弦と管が柔らかく溶け合った録音も素晴らしいです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-2cee.html


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Mahler - Adagio from Symphony No.10 Maazel Vienna Philharmonic


Conducted : Lorin Maazel
Vienna Philharmonic Orchestra
October 3, 1984
Vienna Musikverein Saar


ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) 


この曲の演奏に関してはウイーン・フィルの魅力は絶大です。やはりマーラー自身が作った響きの歴史を継いでいるわけですから、このオケでなければ出せない音が有ります。悲痛さではバーンスタイン、広がりではテンシュテットですが、美しさでは遜色ありませんし、むしろ良い意味で平常心に近いまま音楽を鑑賞したいと思う時には最適かもしれません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-2cee.html


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デリク・クック補筆、全5楽章版
Mahler "Symphony No 10 (Cooke) Kurt Sanderling




Symphony No 10 by Gustav Mahler
(completed by Deryk Cooke)
1. Adagio
2. Scherzo
3. Purgatorio
4. Scherzo: Allegro pesante
5. Finale


Berliner Sinfonie Orchester
Kurt Sanderling, Conductor
1979 Deutsche Schallplatten


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Mahler “Symphony No. 10” (Daniel Harding ・ Vienna Philharmonic)


ダニエル・ハーディング指揮ウィーン・フィル
DG。2007年10月、ムジークフェラインでの録音。クック版第3稿第1版による。(ハーディングはクックの死去した1976年の生まれである。)
ハーディングは、マーラーの曲の中ではこの曲をもっとも多く指揮しているという、またこの曲でウィーン・フィルにデビューした。それはまたウィーン・フィルにとっても5楽章版でこの曲を演奏する最初の機会であった。
ウィーン・フィルから極めて透明な響きを引き出した名演。(ライヴではなくセッション録音である。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler10.htm


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RUDOLF BARSHAI conducts MAHLER - SYMPHONY N. 10




Junge Deutsche Philharmonie / Rudolf Barshai
*Reconstruction and Instrumentation after Mahler's sketches by R. Barshai


ルドルフ・バルシャイ指揮ユンゲ・ドイチェ・フィル
BRILLIANT。2001年9月12日、ベルリンでのライヴ録音。
「バルシャイ編」となっているが、その実態は「クック版」に大量の打楽器を導入したりして改変を加えたものである。
演奏は、カップリングの第5番ともども、かなり素晴らしいものになっている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler10.htm


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交響曲第10番(ドイツ語名:Sinfonie Nr. 10)嬰ヘ長調はグスタフ・マーラーによる未完成の交響曲である。マーラーは1910年に本作の作曲を開始したが、翌1911年、マーラーの死によって完成させることができなかった。


楽譜は第1楽章がほぼ浄書に近い段階で、他の楽章は大まかなスケッチがなされた状態で残された。


国際マーラー協会は第1楽章のみを「全集版」として収録・出版しており、これに基づいて第1楽章のみ単独で演奏されることが多かったが、第二次世界大戦後、補筆によって数種の全曲完成版が作られている。なかでもイギリスの音楽学者デリック・クックによるものが広く受け容れられており、補筆完成版の演奏機会が近年増加傾向にある。


マーラーの遺稿は 5楽章からなり、第3楽章を中心とする対称的な構成として構想されている。スケルツォ楽章を中心とする5楽章構成はマーラーが好んで用いているが、第10番では第3楽章に「プルガトリオ(煉獄)」と題する短い曲を置き、これを挟む第2楽章と第4楽章にスケルツォ的な音楽が配置されている。


第1楽章は交響曲第9番につづいて緩徐楽章だが、速度はさらに遅く、形式感は薄れてソナタ形式の痕跡はほとんど認められない。


純器楽編成によるが、第3楽章「プルガトリオ」で自作の歌曲集『少年の魔法の角笛』から第5曲「この世の生活」が引用されている。これを始めとして、第9番や『大地の歌』などを想起させる楽句が随所に現れる。


調性的には交響曲第9番からさらに不確定な印象を与え、無調に迫る部分が見られる。極度の不協和音が用いられており、第1楽章で1オクターブ12音階中の9音が同時に鳴らされ、トランペットのA音の叫びだけが残る劇的な部分は、トーン・クラスターに近い手法である。アルノルト・シェーンベルクはこれを和声の革新とみなした。


演奏時間は第1楽章のみの場合約18.5 - 28分。 補筆全曲版の場合約85分。


遺稿の完成度
マーラーは4段ないし5段譜表による略式総譜を全5楽章の最後まで書いており、そのうち第1楽章と第2楽章(スケルツォ)については一応のオーケストレーションを施した総譜の草稿を作り終えていた。


このうち第1楽章は、管弦楽に薄いところがありながらも楽章を通して演奏可能である。


第2楽章は構成と拍子が複雑で、遺稿に一部欠落もあったために、そのままでは演奏不能であった。


第3楽章は、最初の30小節について第1楽章、第2楽章に準じてオーケストレーションがなされていた。短く単純な形式であるため、補筆は第2楽章よりも容易であった。


第4楽章以降については、略式総譜の各所に楽器指定が書き込んであるものの、声部には濃淡があり、どうにか最後までつづいているという状態であった。


楽曲構成や楽章順については、過去の自作で迷った経緯もあって、これがマーラーの最終判断とはいえないものの、略式総譜の順及び作品の完成度によって、構想段階のものとしてはほぼ確定可能である。


マーラーの書き込み
この曲のスケッチには第3楽章以降、いたるところに妻アルマへ対する言葉が記されており、以下に主なものを挙げる。


第3楽章の標題ページの下の部分が切り取られており、アルマが切り取ったとされる。ここにはアルマにとって不都合なことが書かれていたと推定される。


第3楽章にはこのほか


「死! 変容!」、
「憐れみ給え! おお神よ! なぜあなたは私を見捨てられたのですか?」、
「御心が行われますように!」


などと書かれている。後の二つはマタイによる福音書から、十字架上のイエスの言葉の引用である。


第4楽章の表紙には
「悪魔が私と踊る、狂気が私にとりつく、呪われたる者よ! 私を滅ぼせ、生きていることを忘れさせてくれ! 生を終わらせてくれ、私が……」、


楽章の末尾には


「完全に布で覆われた太鼓、これが何を意味するか、知っているのは君だけだ! ああ! ああ! ああ! さようなら、私の竪琴! さようなら、さようなら、さようなら、ああ、ああ、ああ」


と書かれている。


第5楽章のコーダには


「君のために生き! 君のために死ぬ! アルムシ!」


と書かれている。アルムシ(Almschi)はアルマの愛称。


作曲当時、マーラーとアルマの関係はヴァルター・グロピウスの登場によって一気に緊張したものとなったが、これらの書き込みは、夫婦の危機に直面したマーラーの衝撃の大きさを示すとともに、このことが第10番の音楽にも反映されていると考えられる。とはいえ、作曲はグロピウスの事件までにもすすんでいたのであり、第10番の構想をすべてこの事件に結びつけることはできない。


作曲の経緯


第10交響曲の構想、アルマとの危機


1910年、妻のアルマは6月から湯治療養先のためトーベルバート(ドイツ語版)に滞在していたが、この地で建築家ヴァルター・グロピウスと出会う。
同年7月3日、マーラーは休暇先トブラッハ近郊のアルトシュルーダーバッハで第10番を構想、スケッチを始める。
アルマがトブラッハのマーラーの元に戻ると、グロピウスはアルマに求愛の手紙を書く。7月29日にマーラーはグロピウスの手紙(マーラー宛になっていたという)を読んで二人の関係を疑う。


8月5日、アルマを追ってトブラッハまでやってきたグロピウスをマーラーは自分の別荘に招き入れる。このときマーラーは聖書を読んでいたが、アルマに「君が好きなようにしてもいい。君が決めたまえ」といったという。


アルマはマーラーの元にとどまったが、グロピウスとの関係はつづき、マーラーの死後、画家オスカー・ココシュカとの関係を経て1915年、アルマはグロピウスと結婚する。


8月22日、扁桃腺炎? のために別荘で昏倒する。


8月25日、マーラーはオランダのライデンを訪れ、ジークムント・フロイトの診断を受ける。この診療以降にマーラーが第10交響曲の作曲を進めたという記録は全くなく、死ぬまで放置される事になる。


第8交響曲の初演、最後のシーズン


9月12日、ミュンヘンで交響曲第8番を初演。マーラーの生涯の頂点ともいえる記念碑的成功を収める。
10月25日、ニューヨークに戻る。
12月、ニューヨーク・フィルハーモニックと演奏旅行。ピッツバーグ、バッファロー、クリーブランド、ロチェスター、シラキューズを回る。
1911年1月17日及び20日、ニューヨーク・フィルを指揮して自作の交響曲第4番を演奏。これが自作を指揮した最後となる。


ウィーンへ、死
2月21日、ニューヨーク・フィルと48回目にして最後の演奏会。プログラムはフェリックス・メンデルスゾーンの交響曲第4番、フェルッチョ・ブゾーニの『悲歌的子守歌』など。この直後に敗血症のため重体となる。


4月8日、ヨーロッパへ向かう。同じ船にはシュテファン・ツヴァイクやブゾーニが乗船していた。パリで治療を受けて5月12日にウィーンへ移るが、すでに瀕死の状態であった。


5月18日、マーラー死去。51歳。
最後の言葉は「モーツァルト!」だったという。
(妻アルマの回想によると「モーツァルトル!」という愛称を表すマーラーの生まれた地方の方言だったという。)


5月22日、グリンツィング墓地に葬られる。


主な補筆と演奏の経緯


クルシェネク版の成立
『マーラー伝』の著者リヒャルト・シュペヒトによれば、マーラーは、完成することのできなかった第10番のスコアを焼却するように、妻アルマに言い残した。しかし、アルマは楽譜を形見として所持していた。


1924年、アルマは作曲家である娘婿のエルンスト・クルシェネクに第10番の補筆完成を依頼、ウィーンのパウル・ソルナイ(アルマの娘アンナ・ユスティーネの結婚相手)社からマーラーの自筆楽譜をファクシミリ版として出版する。クルシェネクは第1楽章をほぼ草稿のまま演奏譜に仕立て、第3楽章のオーケストレーションを補筆して完成させた。これにフランツ・シャルクや、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーも協力した。


同年10月14日、クルシェネク版による第1楽章と第3楽章がウィーンでフランツ・シャルク指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演。
1942年、音楽学者ジャック・ディーサー(英語版)がドミートリイ・ショスタコーヴィチに補筆依頼するが、ショスタコーヴィチは断った。


第二次大戦後、初版の出版、全曲補筆版の完成


1946年、クリントン・カーペンター(Clinton Carpenter)が補筆に着手(カーペンター版)。ディーサーを通じてアルマがアルノルト・シェーンベルクに補筆依頼するが、シェーンベルクは断った。
1949年 カーペンター版第1稿完成。
1951年、クルシェネク版がニューヨークのアソシエイテッド・ミュージック・パブリッシャーズ(AMP社)から出版。
1953年、ジョー・フィーラー(英語版)が補筆に着手(フィーラー版)。
1954年、ハンス・ヴォルシュレーガー(英語版)が補筆に着手。しかし1974年に断念する。
1955年、フィーラー版第1稿完成。
1959年、デリック・クックがマーラーの自筆楽譜の研究を開始。


クック版などの全曲版の初演


1960年、マーラー生誕100周年を記念し、BBCがラジオ放送でゴルトシュミット指揮フィルハーモニア管弦楽団によるクック版(第1稿)全曲初演。この時点では第2楽章と第4楽章に一部欠落があった。この放送は事前にアルマの承諾を得ておらず、アルマはラジオの再放送や補筆版総譜の上演・出版を差し止める。
1963年、クック版の放送録音を聴いたアルマが態度を軟化。アルマの娘アンナが欠落していた部分のコピーを提供する。12月11日、アルマ没。


1964年8月13日、欠落を補填したクック版(第2稿)全曲をゴルトシュミット指揮ロンドン交響楽団によって初演。
1964年、国際マーラー協会がエルヴィン・ラッツ(ドイツ語版)監修による「全集版」(第1楽章のみ)をウニヴェルザール出版社から出版。
1965年、フィーラー版第3稿、ニューヨークで初演。
1966年、フィーラー版第4稿完成。カーペンター版改定稿完成。
1972年、クック版(第3稿)をウィン・モリス指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が初演。
1976年、クック版(第3稿)をファーバー社が出版。10月26日クック没。
1983年、レモ・マゼッティが補筆に着手(マゼッティ版)。カーペンター版初演。
1989年、クック版第3稿(第2版)出版。マゼッティ版全曲初演。


楽曲構成


短い第3楽章を中心とした対称的な5楽章構成である。各楽章についての演奏楽器などの記述は、基本的に「クック版」に基づく。


第1楽章 「アダージョ」
アンダンテ-アダージョ 嬰ヘ長調 4/4拍子 自由なソナタ形式。


虚無的で謎めいたヴィオラの序奏主題(譜例1)によって開始される。調記号は嬰ヘ長調だが、ヴィオラの旋律は調性があいまいで嬰ヘ短調にも聞こえる。この部分はアンダンテで、冒頭に書かれた「アダージョ」は、速度表示というより、音楽の一種の性格を示すものと見られる。

アダージョになると弦を主体とした第1主題(譜例2)が柔らかく歌われる。この主題は、ブルックナーの交響曲第9番の第3楽章主要主題との類似が指摘されるが、雰囲気的には自作の交響曲第9番の終楽章とも近い。つづいてこの主題の反行形が示され、楽章を通じて重要な働きを示す。

テンポをやや上げ、皮肉でおどけた調子となり、弦によって半音階的に上下行する第2主題(譜例3)が現れる。この動機はワーグナーの『パルジファル』から、クリングゾルの動機との関連が指摘される。

やがて序奏主題が再現し、第9番の第1楽章同様、変奏を受けながら提示部が反復される。


序奏主題がまた現れると展開部。これに第2主題が結合され、皮肉な調子が支配的となる。アダージョ主題(主として第1主題の反行形)が登場するが、これも次第に第2主題に誘導され、各種の動機が渾然となる。展開部は短いが、これは第2提示部で十分両主題が変奏されているためであると考えられている。


やがて再現部となり、第1主題によって弦楽によって神秘的な浮遊感をたたえた部分となる。交響曲第9番の終結部分を暗示する。第2主題も変形されて再現される。そして、序奏主題が再現すると、これに導かれるように突然金管によってコラール的な絶叫“カタストロフィ”が吹き上がる。第2主題が示されるが、動揺は治まらず、不協和音(譜例4)が次々に重ねられるなかをトランペットのA音が貫くように奏される。

この劇的な場面が静まると、テンポを落とした長いコーダとなる。アダージョ主題(第1主題の反行形)が慰めるように繰り返され、穏やかな気分の中で、柔和に結ばれる。


第2楽章 「スケルツォ」
Schnelle Vierteln 嬰ヘ短調 変拍子 二つの部分による自由な形式


交響曲第6番や交響曲第9番の第3楽章を思わせる、反抗的なスケルツォ。 主部(A)はほとんど1小節ごとに拍子が変動する。ホルンのリズム、木管の軽快な動機につづいて、荒々しい弦の主題が登場する(譜例5)。これらの素材に基づき、多声的で激しい部分がつづく。徐々に曲調は明るさを帯びてきて、弦の下降音型が曲の進行をさえぎるように出ると、中間部となる。



中間部(B)は変ホ長調、3/4拍子。レントラー風の主題(譜例6)は第1楽章のアダージョ主題(B)と関連がある。

その後、この二つの部分が繰り返し変奏・再現されるが、両者の間隔が次第に短くなり、後半は頻繁に交替する。構造的にはABABABABAとなる。3回目のAからはBの動機が絡むようになり、コラージュ的で混沌としてくる。最後はAの上昇音型とBの下降音型が重なり合い、嬰ヘ長調で楽章を終える。


第3楽章 「プルガトリオ(煉獄)」
アレグレット・モデラート 変ロ短調 2/4拍子 三部形式


マーラーの楽譜には「プルガトリオ(煉獄)またはインフェルノ(地獄)」と書かれ、「またはインフェルノ」の部分が消された跡がある。マーラーがこの楽章にプルガトリオと名付けたのは、マーラーの友人が書いた裏切りの詩とも、ダンテの神曲に基づくともいわれている。


この標題の下の部分は切り取られていて、ここにはアルマに対する言葉が書かれていたと推測される。


簡潔な三部形式で4分程度と、マーラーが書いた楽章として最も短いため、エルヴィン・ラッツのように、さらに拡大される予定だったとする説もある。


主部は、ヴァイオリンによるもの悲しげな主要主題(譜例7)と、これにつづく木管の愛らしい対句からなる。これらは間断なくつづくヴィオラのリズムに乗ったもので、『少年の魔法の角笛』から第5曲「この世の生活」が引用されている。主要主題を構成する3音動機(譜例8)は、リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』との関連が指摘され、この楽章以降、至る所に姿を現す。この楽章においては、大地の歌や交響曲第9番等で用いられたewig主題がサロメ主題によって高らかにあざ笑われる箇所が印象的である。


中間部は同一の素材によるが、付点リズムを伴う順次下降の動機が弦に繰り返し現れ(譜例9)、この動機も後の楽章で重要な働きを示す。この部分にマーラーは「死! 変容!」などと書き込んでいる。



第4楽章
アレグロ・ペサンテ 急がずに ホ短調 3/4拍子


明記されていないが、内容は力強く激情的なスケルツォである。ABABABAと、二つの部分が交錯する。


マーラーは楽章の最初のページに「悪魔が私と踊る。狂気が私にとりつく」などと書き込みしている。


主部A(譜例10)は強烈な響きで開始される、荒々しい舞曲。随所に第3楽章の三音動機が現れる。

Bはワルツ風で明るく、交響曲第5番の第3楽章スケルツォが引用される。Aの再現では『大地の歌』の第1楽章が引用される。Bの再現を経てテンポが落ち、Aの3回目は長調となる。Bももう一度再現する。


Aが最後に出ると、三音動機を境にして音楽はだんだん静かになり、バスドラムが弱々しく連打されるコーダに入る。一瞬の静寂の後、バスドラムが今度はミュートをかけて強烈に打たれ、そのまま次の楽章に続く。


マーラーはこの部分に「これが何を意味するかは、君だけが知っている」と書き込んでいる。アルマによれば、これはニューヨークのホテルの窓からアルマとともに見た、殉職した消防士の葬送の行列で叩かれた太鼓の記憶だという。


第5楽章
終曲 ニ短調 3/4拍子 - 4/4拍子 - 2/2拍子


第4楽章から休みなくつづき、緩-急-緩という、大きく三つの部分からなっている。これを序奏・ソナタ主部・コーダとする見方もできるが、「主部」の部分が前後と比較して短く、十分な発展がないうちに結尾に至るため、一般的なソナタ形式とはいえない。


バスドラムの連打とチューバによる不気味な響きではじまる。第3楽章の三音動機がこれに加わり、付点リズム・順次下降の動機も姿を見せる。フルートが印象的な旋律(譜例11)を奏で、次第に高く昇っていく。全曲の白眉ともいえる美しい場面で、主題の後半には付点リズム・順次下降の動機が示される。この主題は弦に受け継がれるが、高揚したところで再びバスドラムが強打され、冒頭部分が再帰する。

アレグロ・モデラートにテンポを速め、三音動機と付点リズム・順次下降の動機が現れて両者が争うように展開される。いったんテンポが落ちて、フルートの主題が出るが、再び速くなり、ここで第1楽章の不協和音が再帰し、三音動機も荒々しく付加される。ホルンと弦に第1楽章のA主題が大きく現れ、音楽は次第に静まっていく。


ハープの分散和音に乗って、フルート主題をヴァイオリンが再現し、フルートも加わる。三音動機が柔らかく出ると、音楽は感動的に高まり、やがて静かになっていく。最後は嬰ヘ長調となり、名残惜しそうな響きのなかを、付点リズム・順次下降の動機がくっきりと示され、余韻のような交響曲第9番の二度下降動機(ただしここではミ-レでなくレ-ドと主音に至る)によって終わる(譜例12)。


マーラーはこの結尾部分に、「君のために生き! 君のために死ぬ! アルムシ(アルマの愛称)!」と書き込んでいる。

なお、このコーダ部分には嬰ヘ長調と変ロ長調の2種類のスケッチがあり、クック版を含め、ほとんどの補筆完成版は嬰ヘ長調を採用して、第1楽章と照応させている。


全集版(第1楽章のみ)
国際グスタフ・マーラー協会は、作曲者以外の手の加わらないスコアを正統とし、クックらによる補筆に否定的な立場をとった。したがって、協会が出版した「全集版」の第10番は、補筆なしで演奏可能な第1楽章のみである。現在も「全集版」による演奏・録音機会は多い。


オーケストレーションは、補筆完成版がスコアの空白部分などに楽器を充填しているのに対し、「全集版」は空白部分をそのままにしてあるので、比較的響きが薄いという特徴がある。 また、「全集版」第1楽章は、嬰ヘ長調(シャープ記号6個)という調号の上にさらに追加されるダブルシャープなどの煩雑な臨時調記号が、自筆譜を尊重するという立場からそのまま採用されており、演奏時にわかりにくい面がある。このためクルシェネク版やクック版などの補筆版は異名同音処理によってこの煩雑さを避けているが、これらを「全集版」と比較すると、実際の音程が半音ずれてしまっている箇所がある。


1964年、エルヴィン・ラッツ監修によりウニヴェルザール出版社から出版。


なお、国際グスタフ・マーラー協会から、概略版として清書された楽譜がウニヴェルザール出版社から出版される予定となっている。[1]


補筆版
以下のとおり、多くの版が存在する。このうちクルシェネク版は補筆版としてもっとも古いものだが、第1楽章と第3楽章のみである。


クルシェネク版
エルンスト・クルシェネクによる第1楽章と第3楽章の補筆版である。
補筆にはフランツ・シャルク、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー、アルバン・ベルクも加わったとされる。ただし、ベルクの注釈は、出版譜には生かされなかったという。


クックによる全曲版以降、クルシェネク版が演奏されることはほとんどない。


1951年に出版された版は、1924年にツェムリンスキーがプラハで演奏を計画した際に用意したスコアが元になっていると考えられ[2]、クルシェネクがほぼマーラーの草稿のまま演奏譜に仕立てたとされる第1楽章にも補筆が見られるが、これはシャルクとツェムリンスキーによるものと見られている[3]。ツェムリンスキーなどクルシェネク以外の人物の手も加わっていることから、校訂者オットー・ヨークルの名を取ってヨークル版、ヨークル稿などと呼ばれることもある。


1924年10月14日、ウィーンでフランツ・シャルク指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演。
1951年、ニューヨークのアソシエイテッド・ミュージック・パブリッシャーズ(AMP社)から出版。
録音 1953年、フレデリック・チャールズ・アドラー(英語版)指揮、ウィーン交響楽団 (Music & Arts)
1958年、ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管弦楽団 (ソニー・ミュージック)
1966年頃、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、モスクワ放送交響楽団*第1楽章のみ。


カーペンター版
アマチュア音楽家クリントン・カーペンターの手による。着手は1946年で、補筆完成版のなかでは最も古い。第1稿は1949年に完成。改定完成版は1966年に年完成、1983年初演。


後述する「クック版」とは対照的に、より補筆者の意思を反映した補筆が行われている。第1楽章及び第3楽章にも手が入っており、むしろ編曲に近いと言える(レナード・バーンスタインはこの補筆版を良しとせず、全集録音に加えなかった。)。最近は新版が出ていてジンマンにより録音されている。


録音 2001年、アンドリュー・リットン指揮、ダラス交響楽団(DELOS)
2010年、デイヴィッド・ジンマン指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 (Rca)


フィーラー版
「ホイーラー版」とも。イギリスの音楽愛好家、ジョー・フィーラーによるもので、着手は1953年とクック版より古い。補筆完成版のなかではオーケストレーションがもっとも地味とされる。第1稿の完成は1955年。


フィーラーが1966年に第4稿まで完成させた後、ロバート・オルソン、レモ・マゼッティ(マゼッティ版の編者)、フランス・ボウマンの3名によって1997年に改訂版が出版されている。


録音 2000年、ロバート・オルソン指揮、ポーランド国立放送交響楽団(NAXOS)


クック版
イギリスの音楽学者、デリック・クックによる。クックはこれを「第10交響曲の構想による実用版」と位置づけており、マーラーの構想を音として聴ける形にすることを目的とした。したがって、補筆部分は抑制的である。補筆総譜の下段にマーラーが残した略式総譜を併記して参照可能とし、詳細な校訂報告によって、補筆材料を提供している。


この補筆はアルマを始めとして、当初は反発を買ったが、のちにアルマの承認を得て、次第に広く受容されつつあり、補筆版として代表的な存在となっている。


第1稿
第2楽章と第4楽章に一部欠落がある。マーラーの妻であったアルマや、弟子のブルーノ・ワルターらははじめこれに気分を悪くしたという。
1960年、BBCがラジオ放送でゴルトシュミット指揮によって初演。この初演はアルマの承諾を得ておらず、アルマによって総譜の上演・出版を差し止められた。


第2稿
アルマの承認を得て、新たに見つかった資料によって欠落が補填されたもの。1964年発表。


初演:1964年、ゴルトシュミット指揮、ロンドン交響楽団
アメリカ初演:1966年、ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団。これは録音されレコード化された。CDでも復刻され、現在では第二稿唯一のCD録音として知られるものである。一般にはあまり流布しなかったが、当時このクック版の最初の全曲レコードであった。


第3稿
クックがコリン・マシューズ・デイヴィッド・マシューズ(英語版)兄弟、ゴルトシュミットの協力を得て、1972年に発表、1976年に出版したもの。クックはこれを「最終稿」と呼んだ。


初演:1972年、ロンドンにて。


著名な録音
1973年、ウィン・モリス指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(Philips)
1979年-1980年、ジェームズ・レヴァイン指揮、フィラデルフィア管弦楽団(RCA)
1980年、サイモン・ラトル指揮、ボーンマス交響楽団(EMI)。
1979年、クルト・ザンデルリング指揮、ベルリン交響楽団(Eterna)打楽器を追加するなど独自の校訂を行っている。
1986年、リッカルド・シャイー指揮、ベルリン放送交響楽団(Decca)
1993年、エリアフ・インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団(Denon)
2005年、ミヒャエル・ギーレン指揮、南西ドイツ放送交響楽団(hänssler)。第2楽章コーダのシンバルなど、一部に後述の第2版も取り入れられている。


第3稿(第2版)
この校訂はクック没後のもので、実質ゴルトシュミットとマシューズ兄弟の3人による。1975年完成、1989年に出版された。


著名な録音


1999年、サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)。
なお、ラトルは第10番をもっとも多く演奏している指揮者である。
第10番研究の本場・イギリス出身であり、校訂に関わったゴルトシュミットらとも親交があった。


2007年、ダニエル・ハーディング指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(DG)。
2007年、ジャナンドレア・ノセダ指揮、BBCフィルハーモニック(CHANDOS)。


マゼッティ版
レモ・マゼッティによる。1983年着手、1989年完成。
マゼッティは「フィーラー版」の改訂にも加わり、この成果をもとにして2000年に「マゼッティ版」第2稿を出版している。この第2稿は第1稿に比べオーケストレーションがやや控えめとなっている。


著名な録音


1994年、レナード・スラットキン指揮、セントルイス交響楽団。第1稿による。マゼッティ版による世界初録音(RCA)
2000年、ヘスス・ロペス=コボス指揮、シンシナティ交響楽団。第2稿によるが「1997年版」。(TELARC)


サマーレ/マッツーカ版
ブルックナーの交響曲第9番の第4楽章の補筆完成版を作成したニコラ・サマーレ(英語版)とジュゼッペ・マッツーカによる版。
2000年に完成され、2001年にペルージャでマルティン・ジークハルト(ドイツ語版)指揮、ウィーン交響楽団によって初演された。

録音
2007年、マルティン・ジークハルト指揮、アルンヘム・フィルハーモニー管弦楽団(オランダ語版)(Exton)


バルシャイ版
2001年のルドルフ・バルシャイによる補筆完成版。
クック版の最終稿を基にしながら、より大規模な編成をとり、打楽器が重視されている。コルネットやチューバ2本・マリンバ・カスタネット・シロフォン・トムトム・ウッドブロックなどのマーラーの様式に入らないロシア風の楽器編成も見られるが、テノールホルン・シンバル付きの大太鼓・ギター・チェレスタなどの過去の交響曲に出てきた楽器はすべて使われ、派手なオーケストレーションが施されている。演奏時間は約80分。


録音
2001年、ルドルフ・バルシャイ指揮、ユンゲ・ドイチェ・フィルハーモニー(ドイツ語版) (Brilliant Classics)


出版 ウィーンのウニヴェルザール出版社から出版されている。


ガムゾウ版
イスラエルの若手指揮者ヨエル・ガムゾウ(ドイツ語版)による版、校訂者の指揮で2011年11月21日にヴィースバーデンでインターナショナル・マーラー管弦楽団によって初演された。ユダヤ風のしつこいオーケストレーションが特徴的である。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC10%E7%95%AA_(%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC)



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マーラー 交響曲第10番
http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler10.htm


 以下は、金子建志著「こだわり派のための名曲徹底分析 マーラーの交響曲」、および「レコ芸」2001年12月号読者相談室コーナーを参照した。
 この曲は第9番を書き上げたのち1910年に作曲されたが、死によって未完となった。


一応全曲にわたって総譜になっているのは「第1楽章アダージョ」だけである。
それにつぐ完成度なのが「プルガトリオ(煉獄)」(クック版第3楽章)、次が「スケルツォ」(同第2楽章)だが、この2つは補筆なしでは演奏できない。


残りの2つの楽章も、とりあえずは4〜5段の略式スコア状態でほぼ全曲通せるような資料は残されているらしい。
(欠落はクック版の第2と第4楽章展開部に時間にして5〜6分のみ。)


 ちょうどこの曲を作曲していた1910年におきた、マーラー(当時50才)の妻アルマ(31才)と建築家ヴァルター・グロピウス(26才)との不倫が、この曲の背景にある。


 マーラーはアルマに「君の好きなようにしなさい」と言い、この時はアルマはマーラーを選んだ。しかし、マーラーの死後、アルマは、画家オスカー・ココシュカ(後にスイスでのフルトヴェングラーの隣人となる)との恋愛が破れたあと、1915年に再びグロピウスとよりを戻して再婚する。
(この2人の間に生まれた娘マノンは、18才で小児麻痺で亡くなる。
ベルクがヴァイオリン協奏曲を捧げた少女でもある。
アルマはさらにのちに、詩人フランツ・ヴェルフェルと3度目の結婚をし1964年12月に死去。マーラーの墓と背中合わせに、アルマ・マーラー・ヴェルフェルの墓とマノン・グロピウスの墓は同一区画にある。)


 この曲の残された草稿には、妻の不倫に苦悩しながらも、それを許す言葉が随所に書き込まれているという。


 この曲の楽譜は、次の3種類ある。


1. エルンスト・クルシェネク補筆「アダージョ」「プルガトリオ」(1924年)


 クルシェネクは補筆当時、短い間(1923-25)だったがマーラーの次女アンナと結婚していた。
この版は、1924年10月14日にフランツ・シャルク指揮で初演され、ついでプラハでアレクサンダー・ツェムリンスキー指揮でも演奏された。この時、2人の手も加わったのだが、のちにアルバン・ベルクがその加筆に誤りや不要なものを見つけ訂正したらしい。ところが1951年に楽譜が刊行された時には、ベルクの訂正が無視されてしまったという。ジョージ・セル指揮の第1・第3楽章の1958年録音は年代的にこの版のはずである。


 全曲補筆の試みは、1942年にニューヨークのマーラー協会会長ジャック・ディーサーがショスタコーヴィチに依頼するが断られ、1944年にはディーサーとアルマがシェーンベルクに依頼したがこれも断られた。


2. 「マーラー協会全集版(第1楽章のみ)」(エルヴィン・ラッツ編、1964年刊行)
ラッツは国際マーラー協会会長で、クック補筆に反対していた。
この版はマーラーの書いたそののままの状態のものである。1967年にはマーラーの手稿のファクシミリ出版も手がけている。


3. デリク・クック補筆、全5楽章版 (後述)


クック版
 イギリスの音楽学者デリク・クックは、1959年にBBCから、翌60年のマーラー生誕100周年を記念する放送番組の企画を依頼されたことがきっかけで、第10番の補筆にとりかかった。ナチに追われてイギリスで活動していた作曲家ベルトルート・ゴルトシュミットの協力を得て、上記欠落部分以外の全曲スコアを仕上げ、1960年12月19日にゴルトシュミット指揮フィルハーモニア管が番組で初演した。欠落部分は解説で補った。これが言ってみれば「クック版第1稿」であるが、欠落部分があるため、これは演奏されることはその後2度とない。


 当時、マーラーの妻だったアルマはニューヨークで存命であった。上のクックの試みは彼女の承諾なしに行ったことだったため、彼女は放送を聴いていなかったにもかかわらず、ひどく心証を害し、BBCの再放送や楽譜出版を禁止した。しかしクックは、放送の反響の大きさと、マーラー次女アンナから送られてきた新発見資料も得て、全曲総譜を完成した(クック版第2稿)。


1963年4月に、指揮者ハロルド・バーンズとディーサーらがアルマを訪ね、クックの第2稿総譜を見ながら、以前のBBCの第1稿録音テープを聴かせた。この時、アルマは全曲を聴き終わったあと、終楽章をもう一度聴きたいと言い、それも終わって「Wunderbar!」と言った。そしてクックに「第10番を世界のどこででも演奏してよい、との全面的な承認を与える」と手紙を書いた。


この第2稿の初演は、1964年8月13日にゴルトシュミット指揮ロンドン交響楽団により、ロイヤル・アルバート・ホールのプロムナード・コンサートで行われた。
(同年12月11日、アルマ死去)。
1965年11月にオーマンディ指揮フィラデルフィア管が第2稿をアメリカ初演し、直後にCBSが録音した(唯一の第2稿録音)。
 クックはさらに、コリン・マシューズ、ディヴィッド・マシューズの兄弟の協力を得て、1972年にクック自身が最終稿と呼んだ「第3稿」を完成させ、同10月15日にウィン・モリス指揮ニューフィルハーモニア管で初演。同じコンビでPHILIPSが録音。
この版(=第3稿第1版)はのちにレヴァインの録音で有名になる。(インバル盤、シャイー盤もこの版である。)


 1976年10月26日、クックが死去したため、本来ならこれで打ち止めのはずだが、のちにマシューズ兄弟とゴルトシュミットの3人がクックの作業過程を見直して微修正を加えた。これは「クック版第3稿第2版」とでも呼ぶべきものである。
ラトル指揮BPOの新録音は、この版によっている。


ダニエル・ハーディング指揮ウィーン・フィル
DG。2007年10月、ムジークフェラインでの録音。クック版第3稿第1版による。(ハーディングはクックの死去した1976年の生まれである。)
ハーディングは、マーラーの曲の中ではこの曲をもっとも多く指揮しているという、またこの曲でウィーン・フィルにデビューした。それはまたウィーン・フィルにとっても5楽章版でこの曲を演奏する最初の機会であった。
ウィーン・フィルから極めて透明な響きを引き出した名演。
(ライヴではなくセッション録音である。)
DGへの移籍第1弾で、08年2月の東京フィル客演(マーラー第6)にあわせての日本先行発売国内盤。


ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団
ヘンスラー。2005年3月17-19日、フライブルクでの録音。クック版第3稿第1版による。
ギーレンは下記のように、第1楽章アダージョだけは以前に録音しており、それはヘンスラーからの全集セットにも収録されている。
このクック版第10番は、(全集完成記念というわけではなかろうが)、そのマーラー自身の手になる曲の全集とは別個に発売されたものである。第5楽章のハンマーのすごさは、ラトル盤以上のものがある。上記全集の最後のほうの何曲かの録音では「ギーレンも丸くなったな」と感じたものだが、この演奏を聴くとやはりギーレンのゲンダイものは凄いと思わざるを得ない。


サイモン・ラトル指揮ボーンマス交響楽団
EMI。1980年録音。ラトルのデビュー録音。オランダ・エディソン賞受賞。
クックの第3稿1972年版に独自のアレンジを加えたものらしい。(ザンデルリンク盤も同様)


サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル
EMI。1999年9月24,25日、ライヴによる新録音。
ちょうど、ベルリン・フィルのアバドの後任シェフに選出された頃の録音である。
上記のように、マシューズ兄弟とゴルトシュミットによるクック版第3稿第2版を使用した初録音である。ラトル自身もこの校訂に助言者として加わったという。


ルドルフ・バルシャイ指揮ユンゲ・ドイチェ・フィル
BRILLIANT。2001年9月12日、ベルリンでのライヴ録音。
「バルシャイ編」となっているが、その実態は「クック版」に大量の打楽器を導入したりして改変を加えたものである。
演奏は、カップリングの第5番ともども、かなり素晴らしいものになっている。


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※第1楽章アダージョのみ


クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル
EMI。ART処理。1978年5月10-12日,6月8日,10月5-7日録音。
LPでは第5番とカップリングされて発売されたマーラー全集第2作である。
第9番とカップリングのART処理forte2CDで入手。


クラウス・テンシュテット指揮ウィーン・フィル
Altus。2CD。1982年8月29日、ザツルブルク祝祭大劇場におけるライヴ録音。
このコンビの一期一会の記録。2枚組で同日に演奏された「英雄」とカップリング。


ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
DG。1968年12月7〜8日録音。ということは第6番と同時録音ということになる。(6日に第6のライヴ)。
2005年分売された国内盤で第3番とカップリングされている。


ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
ソニー。1958年録音。第1楽章の他、第3楽章「プルガトリオ」も収録している。
セルのマーラーは他に第6番のライヴ録音、および第4番がある。
ストラヴィンスキー「火の鳥」とカップリング。



ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団
インターコード。1989年録音。トリスタン「前奏曲と愛の死」とのカップリング。


カール・アントン・リッケンバッヒャー指揮バンベルク交響楽団
ヴァージンクラシックス。1988年録音。
カップリングが、交響詩「葬礼」(第2番「復活」の第1楽章の初稿)、
もう1つは「花の章」(第1番「巨人」の第2楽章だったが後に削られたもの)
ということで、実におもしろい企画のCDである。演奏・録音とも悪くない。


レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル
ソニー。1975年録音。旧全集の第9番とのカップリング。


クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィル
DG。1985年録音。第9番とのカップリング。


ヴァレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団
LSO Live。SACD Hybrid。2008年6月、バービカンでのライヴ録音。
同年4月の「復活」とのカップリング。


レイフ・セーゲルスタム指揮デンマーク放送交響楽団
CHANDOS。1994年録音。第8番とのカップリング。


ヘルマン・シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウェストミンスター。1952年モノラル録音。
2001年、同レーベルがドイツ・グラモフォン傘下に入ったため、OIBP化された輸入盤で発売された。「巨人」とカップリングである。


ヘルマン・シェルヒェン指揮ライプツィヒ放送交響楽団
TAHRA TAH 147。1960年10月4日、ライヴ・モノラル録音。
同日の第6番、及び10月1日の第3番・亡き子を偲ぶ歌とのカップリング。


http://classic.music.coocan.jp/sym/mahler/mahler10.htm



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2010年6月 8日
マーラー 交響曲第10番から「アダージョ」 名盤: ハルくんの音楽日記http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-2cee.html


マーラーの「未完成」交響曲第10番です。
マーラーは交響曲第9番完成後の1910年の夏に、続く第10番に着手しました。再び創作に意欲を燃やしたのです。けれども彼は翌年の2月に病に倒れてしまい、5月にはこの世に別れを告げました。ですので第10番は僅かに第1楽章のアダージョがほぼ完成していたほかは、断片的なスケッチにとどまります。


この曲は後年、音楽学者によって復元が行われていますが、マーラー自身はこの曲は公表をしないように言い残しています。ですので、個人的にはマーラー以外の手による復元曲を聴こうという気にはなれないのです。


鑑賞するとすればアダージョのみです。


この曲は、調性がかなり失われていますし、響き自体も現代曲に近づいています。ですので、よく「シェーンベルクたちの先駆けとなった」という解説を目にしますが、僕はむしろ逆のように思っています。


マーラーはウイーンに居た時に、シェーンベルクやツェムリンスキーをよく自宅に呼んでは好物の黒ビールを飲みながら、音楽について激論を交わしたそうです。時には大喧嘩にもなったそうです。けれども、マーラーはアルマに


「私には彼の音楽はわからない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのかもしれん。私は老いぼれで、彼の音楽にはついてゆけないのだろう。」


と語ったそうです。この言葉から、決してマーラーが先駆けていたのではなくて、むしろ彼は新しい音楽に置いて行かれないように必死だったのだと思います。同業のブラームス爺が、新しい音楽家のことを「まったく最近の連中はなってない!」と、さんざんこきおろしていたのとは大きな違いです。


このアダージョも「生への別れ、死への旅立ち」という雰囲気が一杯ですので、「大地の歌」の終楽章や第9番の両端楽章とその点で共通しています。しかし無調による冷たい響きと不協和音で表現されるマーラーの痛切な心の叫びは、それまでの曲以上と言えます。


この曲は美しいとは思いますが、ここまで悲痛な音楽は普段はそうそう聴けるものではありません。同じ「未完成交響曲」といってもブルックナーの9番とはだいぶ異なります。でも、でも、やはりこの曲は限りなく美しく、悲しく、素晴らしい!


この曲の初演は、マーラーの死から14年後にウイーン・フィルにより行われました。
その指揮をしたのはマーラーから「才能が無い」と言われていたフランツ・シャルクです。
この曲を公表するなと言い残したマーラーは墓の中でどう思ったことでしょう。


ちなみに、マーラーは生前自分の墓について、「飾りのない墓石を置いて、ただ“マーラー”とだけ書いてくれ。僕の墓を訪ねてくれるほどの人なら僕が何者かはわかっているだろう。そのほかの人には用はない。」と言ったそうです。実際にウイーンの郊外に建てられた墓はその通りになっています。


それでは僕の愛聴するCDをご紹介します。


レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1974年録音/グラモフォン盤) 


これはウイーンでのライブ演奏です。バーンスタインがこういう曲をウイーン・フィルと演奏すれば最高なのはわかりきっています。ひとつひとつの音符に深い意味が込められていて真に感動的です。録音のせいか金管が弦楽と溶け合わずに分離したようにも感じますが、反面音の動きは聞き取りやすいです。それにしても何という悲しみに満ちた音なのでしょうか。死を覚悟した(し切れない?)マーラーの悲痛な心の叫びが痛々しく思えてなりません。


レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1975年録音/CBS SONY盤) 


僕が昔LP盤で聴いていたのはこの演奏です。ウイーンライブの翌年のスタジオ録音です。二つの演奏にテンポ、表現の差はほとんど有りません。なので、このニューヨーク盤も素晴らしいのですが、やはりウイーンフィルの管や弦の持つ独特の柔らかさを望むことはできません。どちらもマーラーゆかりの楽団とはいえ、長年の間その土地の風土文化に育まれてきた音は異なります。


クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1978年録音/EMI盤) 


手兵のロンドン・フィルは大抵の場合でオケの力不足を感じてしまいます。けれどもこの曲では余り不満を感じさせません。弦楽中心の単一楽章だからでしょうか。全体にゆったりとしていて、バーンスタインほどの痛切さは感じさせません。どちらかいうと9番の終楽章に近い雰囲気に聞こえます。この演奏だけ聴いていれば素晴らしいと思いますが、実は後述のウイーン・フィルのライブがある為に、自分にとってはどうしても影が薄くなります。


クラウス・テンシュテット指揮ウイーン・フィル(1982年録音/TIENTO盤) 


これはザルツブルク音楽祭のライブ録音ですが、USAの海賊CD-R盤です。音が良いのでマスターテープ使用だと思います。演奏はバーンスタイン以上に広がりがありスケールが大きく、まるで大波にのみ込まれるようです。全ての音符が繊細に扱われて深い意味が込められているので、最初から最後まで心底惹きつけられます。弦と管が柔らかく溶け合った録音も素晴らしいです。


これを聴いていると、ウイーン・フィルでテンシュテットの9番を聴きたかったとつくづく思ってしまいます。
<追記> Altusから発売された正規盤はTIENTO盤よりも更に音が良いので、初めて聴かれる方はAltus盤を購入すべきです。


ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) 


この曲の演奏に関してはウイーン・フィルの魅力は絶大です。やはりマーラー自身が作った響きの歴史を継いでいるわけですから、このオケでなければ出せない音が有ります。悲痛さではバーンスタイン、広がりではテンシュテットですが、美しさでは遜色ありませんし、むしろ良い意味で平常心に近いまま音楽を鑑賞したいと思う時には最適かもしれません。


以上から、僕の好きな順番を上げますと、


1位はテンシュテット/ウイーン・フィル、
2位はバーンスタイン/ウイーン・フィル、


ここまではダントツです。
そして3位にはマゼール/ウイーン・フィルとなります。


結局全部ウイーン・フィルですが、これはまあ仕方がありませんね。


コメント


この曲、泣かせますね。
私が聴いて記事にしたのは、ちょっと変わっていて、
ギドン・クレーメル+クレメータ・バルティカのです。
これはこれで良いと思います。
バーンスタイン/ウィーンフィルのが
全集に入っているのですが、
まだ聴いていません。
楽しみです。
投稿: 四季歩 | 2010年6月 9日 (水) 19時33分



四季歩さん、こんばんは。
マーラーの醍醐味は重厚な管弦楽の響きですが、室内合奏というのは意表をついたアプローチですね。
投稿: ハルくん | 2010年6月 9日 (水) 22時14分


マーラー10番…バーンスタイン/ウィーンフィルの8番とカップリングで収録されていたので、改めて聞いてみました。
ハルさんの言う通り悲しく美しい。そして、迷路に入り込んでしまった様な危うい不安定さがあって…いろんな表情を見せてくれる曲ですね。
マーラーの人生を投影しているのでしょうか?
人間の顔だって人生を映し出しますね。良い人生を送ってきた人は良い顔になる訳で…
オダチューさんがピカチューさんになっても、それが名指揮者としての味になっていくんですよね。
投稿: From Seiko | 2010年6月13日 (日) 02時06分


Seikoさん、こんにちは。
この曲は自身の死を意識したマーラーの最後の心境の表現でしょうし、それまでの人生の投影とも言えるでしょうね。この痛切さ、哀しさに心を揺さぶられてしまうのです。
投稿: ハルくん | 2010年6月13日 (日) 17時51分


非難覚悟でコメントします。
マーラーに興味をもったならば一度はクック版による5楽章形式の演奏も聴いて欲しい。
そして聴いてダメと思ったらそれでいい。
第1楽章のアダージョだけ聴けば良い。


クック版による録音はクルト・ザンデルリンク指揮ベルリン響の録音のみ気に入っています。(国内盤・ドイツ・シャルプラッテン)
解説もたいへん丁寧で、この作品の理解を深めるのに充分なものがあります。この解説を読まなかったら私もクック版を無視していたかもしれません。


なおアダージョのみの演奏ではバーンスタイン指揮ウィーンフィルの演奏が最高であるのは異論ありません。けっして誤解しないで下さい。
投稿: 敷居が高いアサヒナファン | 2010年6月14日 (月) 00時36分


敷居が高いアサヒナファンさん、こんばんは。
そうですねー、復元版を実際に耳にしてみてからダメ出しするのもマーラーファンの本来の姿なのかもしれませんね。多くのマーラーCDを聴いているくらいなら、1枚ぐらい復元版が有っても良いでしょうしね。
まあ、これは単なる感覚的なものですが、弟子に完成を託して死んだモーツァルトのレクイエムの場合は作者公認の復元ですが、マーラーの場合は作者禁止の復元を行っているわけですから、自分としてはどうしても抵抗感が拭えないのです。
でも、「一度は聴くべき」というのは貴重なご意見だと思います。
投稿: ハルくん | 2010年6月14日 (月) 01時06分


>個人的にはマーラー以外の手による復元曲を聴こうという気にはなれないのです。鑑賞するとすればアダージョのみです。


同意です。
一時期はクック版に入れ込みましたが
やはり第5楽章は「作り物」でしかありません。
今はもうアダージョだけで十分です。
これだけでもうお腹一杯。
それだけ優れた曲だと思います。
マゼール盤は録音も含めかなりいいですね。
ウィーン・フィルの弦の美しさが印象的です。
投稿: 影の王子 | 2013年5月 5日 (日) 11時37分


影の王子さん、コメントありがとうございます。
色々な考え方は有るのでしょうが、この曲に対する意見にご同意頂けて嬉しいです。
正に絶筆の名にふさわしい、美しくかつ壮絶なアダージョですね。
この曲に関してはウイーンフィルの演奏は別格ですね。マゼールもバーンスタインも素晴らしいですし、記事中に記載は有りませんが、アバドとウイーンPOの演奏(グラモフォン)も極めて美しいです。
個人的にはやはりテンシュテット/ウイーンPOが最も気に入ってはいますが。
投稿: ハルくん | 2013年5月 6日 (月) 10時11分


マーラーという映画ご存じでしょうか?
冒頭に第一楽章のトランペット全合奏が効果的に使用されていてすごく印象的です。この曲は色々と紆余曲折しているみたいで、クック全曲版で聞くとマーラーの当初の意図とは異なった方向に曲が導かれていくような気がします。


アルマへの惜別として聴くのなら全曲版、第9番とは別世界として聞くのなら第1楽章までと思います。


手許にはオーマンデイ(第2版?)セル(第3楽章付)クック全曲版(レバインとウインモリス)があります。いずれも一長一短です。前述した映画をみてこの曲の奥深さをしりました
投稿: k | 2014年9月24日 (水) 06時49分


Kさん
ケン・ラッセル監督の映画でしたら観たことはありません。DVDがもっと安いと良いのですが。
第10番の全曲版は面白いことは面白いのですが、マーラー自身の筆では無いことがどうしても受け入れられません。ですので10番は自分にとってはやはりアダージョのみの曲なのですね。
投稿: ハルくん | 2014年9月24日 (水) 23時23分


こんにちは。
 ハルくんさんは、補筆版に抵抗があるようですが、補筆版の演奏を第1楽章だけ聴かれたりはしないんですか。
投稿: t2 | 2015年3月22日 (日) 16時15分


t2さん、こんにちは。
そもそも補筆版のCDは所有していません。一つぐらい有っても良いかなと思いますが、結局聴くことはほとんど無いだろうと思いますので。
必ずしも補筆が全て嫌いと言うことでも有りません。そんなことを言うと、モツレクなんか聴けなくなってしまいますからね。
投稿: ハルくん | 2015年3月23日 (月) 23時49分


こんばんは。
アバド&ウィーン・フィル盤も良いですね。
やはりマーラーはウィーン・フィルの響きを想定して
作曲したのではないか?と思わせます。
他にはクーベリックのDG盤もなかなかです
(メインの第3はイマイチでしたが)。
テンシュテットは同年にFMで聴いたのですがCDではまだです。
FM誌によるとバーンスタインの代役だったそうです。
投稿: 影の王子 | 2016年2月 9日 (火) 19時55分


影の王子さん、こんばんは。
アバド/ウイーン盤ですが、ウイーン・フィルの響きは他の楽団とはまるで違いますね。ウイーンそのものの艶とでもいうものなのでしょうかねぇ。
また中間部の現代音楽的な音のからみ合いなど本当に惹き付けられます。
ただ、バーンスタインやテンシュテットに比べると「この世の終わり」のような深刻さはいま一つですね。テンポも速過ぎに感じられます。
ですのでカップリングの9番のほうが好きな演奏ではあります。
投稿: ハルくん | 2016年2月 9日 (火) 21時00分


こんばんは。
私ももうすぐマーラーが亡くなった年齢に達しようとしてます。
そうしてこの曲を聴くと「マーラーって深刻な人だったんだなぁ」
と思ってしまいます。
私自身は世俗的なR.シュトラウスの方に共感を覚えます
(二人と違い、私は独身ですが)。
音楽にではなく、生き方としてです・・・
もう補筆完成版は聴く気になりません。
バーンスタイン&ウィーン・フィル盤で聴くと
アダージョで「完結」していると思います。
投稿: 影の王子 | 2016年3月25日 (金) 20時26分


影の王子さん、こんにちは。
マーラーは気の毒な性格だとは思いますが、あの性格がなければマーラーの音楽は音響だけのそれこそ空虚な音楽に成りかねなかったですね。我々ファンにとっては有り難いことでしたが。
自分にはとても芸術家のような生き方はできません。聖なるものにあこがれはしてもやはり世俗的ですから。
私も補筆完成版はまず聴かないですね。面白くはありますが。
投稿: ハルくん | 2016年3月27日 (日) 09時46分


10番については私がマーラーの交響曲の中でも最も好きな曲であるので少しだけ持論を語らせてください。
何よりもまず、「未完成だから」などの理由で1楽章しか聞かないのは勿体ないです。私自身もクック版しか聞いたことはないのでその他の版については何も言えませんが、そもそもクック版は「補筆完成版」ではありません。クック自身も完成を目指したものではないと明言しているので、マーラー以外の人が完成させようとするなどおこがましいといったことを理由に聞かないというのは、見当違いであるし勿体無いです。また、クック版のスコアを見ていただければわかるのですが、スケッチだけとは言え曲の流れ自体は本人によりほぼ完成されています。


そして、10番をアダージョのみ聴くという方には「10番は9番の続きで死が関連している」と言われる方が多いです。確かに1楽章にはそのような雰囲気が多大にありますが、5楽章まで聞いて頂ければ、決してこの10番はそのような曲ではなく、むしろ「苦難を乗り越えてそれでも生きる」という生命力に満ち溢れた曲であると感じられるのではないでしょうか。
投稿: テンシュテットにはまってる | 2018年9月11日 (火) 13時54分


テンシュテットにはまってるさん、こんにちは。
確かに昔の作曲家の作品で自筆譜が残されていない曲も多々有りますし、それらを全部否定するつもりは毛頭ありません。
しかし私がひっかかるのはマーラーが公表するなと言い残した点です。真意は分りませんが、それは恐らく後年に他人の手によって復元されるのを嫌がったのだろうと自分は推測します。
ですのでもちろんクック版を何回か聴いたことは有りますし面白くは感じますが、他の曲のように心から没入しては聴けないのですね。
「そういうものだ」とこの復元版を楽しめる方に異議を唱えるつもりは無いですし、むしろ羨ましく思います。仰る通りに、今後割切って楽しめるようになれたら良いなとも思います。
投稿: ハルくん | 2018年9月12日 (水) 11時19分


http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-2cee.html





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html

[近代史3] フレデリック・ショパン 『幻想即興曲』 中川隆
1. 中川隆[-14037] koaQ7Jey 2020年2月05日 23:01:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-709]
クラシック音楽 一口感想メモ
フレデリック・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin 1810 - 1849)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/ショパン


史上最高のピアノ音楽作曲家であろう。

ピアノの機構と機能を熟知し、機構に合わせた音の動きで機能が生かされるように音楽を構成して、ピアノの音響を完璧に計算して曲を書いた。ショパンの曲を弾くと明らかに他の作曲家の曲よりピアノがよく鳴る。ピアノ全体を豊かに響かせる音楽になっている。

それに加えて屈指のメロディーメーカーであり、繊細で詩情豊かな発想力もずば抜けている。

また発想だけでなく、曲の全体の構成も綿密にきっちり練られている。一つひとつの曲の作品としての完成度を高めるタイプであり、残された作品は駄作がほとんどなく存在意義のある磨き上げられた曲ばかりである。


協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 Op.11 ホ短調(1930)
5.0点

まだ20歳の作品。まだ少年の心を残した青年らしいウブな純情を、聴いていて恥ずかしくなってくるほどここまでストレートに切々と描いた曲が他にあるだろうか?人生の一時期しか書けない貴重な記録である。しかしピアノだけではこの魅力は出せなかった。オケが未熟というのは誰の耳にも明らかだが、しかしピアノとオーケストラの両方の良さを生かしたからこそ出来た表現である。たまに聴きたくなる。

ピアノ協奏曲第2番 Op.21 へ短調(1929〜30)
5.0点

2番の方が先に書かれたので1番と比較すると少し未熟だが、感情的な純度はこちらの方が高いようにも感じる。どちらも甲乙つけがたい。1番と同様に貴重な記録である。


協奏的作品
ラ・チ・ダレム変奏曲 Op.2 (1927)
3.0点

正確にはモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲。変奏曲形式の見通しの良さと採用したドンジョバンニの主題の良さにより、華やかさが生きており10代の作品の中では分かりやすく楽しめる曲になっている。

演奏会用大ロンド『クラコヴィアク』 Op.14 (1928)
2.5点

ピアノ協奏曲に至る過程としての資料的価値はあるが、曲としては華やかな技巧だけで内容が薄い。しかしやや目新しいテーマが出てくるし、何より聴き心地は良い。

室内楽


序奏と華麗なポロネーズ Op.3 ハ長調〔Vc,Pf〕(1829〜30)
2.3点
チェロとピアノの作品であり、チェロを鳴らし方の積極性にショパンの熱意を感じる。しかし、メロディーに魅力がなく内容は未熟さがあり、あまり面白くない。

ピアノ三重奏曲 Op.8 ト短調〔Vl,Vc,Pf〕(1828〜29)
2.5点
ピアノ協奏曲と同じ時期なので期待したのだが、あまり印象が残っていない。

チェロ・ソナタ Op.65 ト短調〔Vc,Pf〕(1845〜46)
3点
ショパン最後の大作であり、ショパンの作曲技法が尽くされているらしく、高く評価する人もいる。しかし、聴いて楽しむという観点では、自分は正直なところやはり、耳に残るフレーズや印象に残る場面があまり無く、渋すぎると思う。室内楽としての楽しみの観点でも物足りない。彼のピアノ独奏曲や他の作曲家のチェロソナタと比較して、あまり高く評価はできない。


ピアノ曲

ピアノソナタ
ショパンのピアノソナタは2番と3番のどちらがいいかよく議論になるが、私は2番派である。

ソナタ第1番 Op.4 ハ短調(1828)
3.0点
力の入った作品であるが、ショパンにしては堅苦しい印象が強い。2楽章や3楽章などは多くの部分に才能を生かしたよい音楽があり、習作とはいえ案外鑑賞用にも楽しめるものだと思う。ただ、ショパンらしい自由さと自然さが足らず、頑張って書いている感がどうしても鑑賞していて気になってしまい、曲に入り込めない。特に最初の1楽章がそうなので、後続の楽章にもそのイメージを引きずってしまう。4楽章は3番と印象が被る。ベートーヴェン的な情熱の音楽を頑張って書いた感がとても強い。

ソナタ第2番 Op.35 変ロ短調(1839,3楽章のみ1837)
5.5点
芸術性と独創性が非常に高く、ピアノ曲史上屈指の名作だと思う。一見まとまりが無いようで、聴き込むと多くの要素が奇跡のように一つの世界としてまとまり昇華されている事が分かる。ソナタとしては長くないが、情熱や激情と癒しや信仰心、天国と地獄、悲痛と追憶など、広く深い実に多くの感情世界が表現されている。1楽章はショパンの中でも最も濃密で多くのものが詰め込まれた音楽の一つであろう。3楽章の葬送行進曲は単体でも素晴らしい曲だが、周りの楽章がさらに重さと深さを増加させている。4楽章は超高速の無調的な曲であり、単体では摩訶不思議な音楽であるが、それまでの3つの楽章の重さとのバランスが取れていて絶妙である。

ソナタ第3番 Op.58 ロ短調(1844)
1楽章4.5点
2楽章から4楽章 3.5点
1楽章の第二主題から提示部最後までの、美しいフレーズを惜しげもなく繰り出して流れるように次から次へと紡ぎだされる叙情性と詩情あふれるメロディーは絶賛に値する。しかし、それ以外の部分はソナタらしいまとまりとスケールを重視して作った曲と感じてしまう。特に4楽章はショパンの中に内面から自然に沸いてきた音楽ではなく、最後の締めくくりのために無理に努力してまとめた音楽という印象がある。3楽章も曲想は好きだが、冗長で掴みどころに欠けているのはかなり大きな問題であると思う。

バラード

バラード第1番 Op.23 ト短調(1831〜35)
5.0点
バラードらしい物語性と詩情にあふれた曲。モノローグのような第一主題は、いにしえから伝わっている物語を聞いているかのような独特の詩情がある。第二主題は感動的メロディーで、特に2回目に盛り上げて演奏される場面はやはり感動してしまう。サロン風な間奏が突然挟まったり、エンディング部分はショパンらしからぬ乱暴さだったり、展開が大胆すぎるのだが、その大づかみな大胆さもまた魅力である。その強烈さが聞き手を物語の中に引き込む力を高めているが、しかし無駄をそぎ落とす洗練を失いすぎているともいえる。文学性が高いことや主題の魅力から、非常に強烈な体験を得られるため、また聴きたいと思わせる力が強い。

バラード第2番 Op.38 ヘ長調(1836〜39)
4.0点
2つの部分の対比が単純で極端なの曲。詩的な場面も激情的な場面も、どちらも詩情が豊かなよい出来である。だからいい曲ではあるのだが、他のバラードと比較すると、構成的な単純さがまた聴きたいという感覚をあまり起こさせないため、個人的には聞く回数が少ない。

バラード第3番 Op.47 変イ長調(1840〜41)
4.5点
前半と後半に分かれた曲。バラードらしい物語性がありながらも、有機的な主題の関連性と、主題から発展させて全体を統一的に作り上げた構築性を兼ね備えた曲である。どの主題も詩的な美しさは見事なもので、つなぎも部分も完璧である。1番と比較して、あの強烈なインパクトがないものの、精密に磨きあげられた作品としての精度の高さは断然上である。

バラード第4番 Op.52 ヘ短調(1842)
5.5点
前半部分は短いメロディーがひたすら繰り返される。暗闇に浮かぶ浮遊感や艶めかしさと切なさを感じさせながらメロディーが変奏される。メロディーが短いにも関わらず、寂寥感が胸に迫り何度も何度も聴いて浸りたくなる絶妙さがある。第二主題は信仰告白のような静けさと現実的な階層の実感を感じさせる素晴らしい感動的メロディーである。後半のドラマチックでスケールの大きな包み込むような感情の高まりは最高である。何度聞いても、いいなあと思う。以前、数年間もっとも聴く回数の多い曲であり続けていた曲である。ショパンの作曲技術が尽くされており、精神的な成熟と人生経験を技術により音楽化してみせている。成熟感とテクニカルな総合性と味わい深さがあり、ショパンの最高傑作のひとつと思う。

スケルツォ

スケルツォ第1番 Op.20 ロ短調(1831〜32)
4.0点
バラードとスケルツォの中では最初の作品。若き日の大変な力作である。ショパンの作品の中でも特に響きが鋭角的で棘がある印象が強い。練習曲の激しさをさらに発展させて大規模の作品として堅く厳しい世界を構築したような曲。力作であることに感心はするが、とっつき難いきらいがあり、気軽に聴けない。

スケルツォ第2番 Op.31変ロ短調(1837)
4.0点
有名な曲である。前半部分のメロディーはショパン節全開であり、柔らかさとダイナミックな推進力をもった高揚感がなかなかよい。しかし、エキゾチックな中間部のほうが何度も聴きたくなる味がある。この箇所もダイナミックな場面転換が効果的。各場面は魅力的だが、ほぼ変奏なしの2回繰り返しが多いため、ショパンには珍しく単調さが気になる曲である。

スケルツォ第3番 Op.39嬰ハ短調(1839)
4.0点
冒頭の調性が曖昧な刺々しい激しさがかっこいい。その後のオクターブの嵐のような部分もひたすらかっこいい。中間部分は絹ののようなきめ細かい美しさや、ノクターンのような叙情性が素晴らしい。長い高速なコーダもいい。濃密な素晴らしい曲。

スケルツォ第4番 Op.54ホ長調(1842)
4.0点
バラード、スケルツォ群の中で際立って難解であり、奥の院のような位置付けの曲と考えている。最初の部分は明るくさばさばとしていて珍しくあまり感情を感じない。苦しみを乗り越えて達観の世界に達したしたようである。もしかしたら、他のショパンの曲のようなそのような感情と結びつける聞き方ではなく、純粋に音の運動を楽しむ音楽であり、印象派の先駆けと考えた方がよいのかもしれない。中間部分はしんみりして暗くなるが、やはりどこか客観的であり達観を感じる。この曲はスルメのように味わい深くて聞き込みむほどに好きになる曲の一つであるが、熱心なファン以外には勧めにくい。難解であり、私も最初の印象は「どこがよいのかさっぱり分からない」だった。

即興曲

即興曲第1番 Op.29変イ長調(1837)
3.0点
上品で分かりやすい曲ではある。しかし、味わいが薄めでソフトすぎる軽い曲であり、何度も繰り返し聞きたくなるような深みがない。

即興曲第2番 Op.36嬰ヘ長調(1839)
4.0点
ノクターンに近く、中間部分は舟歌のような雰囲気になる渋い曲。遠くで鳴っているような瞑想的で幻想的な世界が素敵である。靄の中のようでもある。静寂の中の音の動きは、最初はピンとこないかもしれないが、次第に魅力に気付くにつれて何度も繰り返し聴きたい曲になる。中間部分の力をセーブした盛り上げ方が絶妙である。

即興曲第3番 Op.51変ト長調(1842)
4.0点
1番のような上品さの中に、琥珀色のような渋さがある。控えめながらも寂しさや感傷的な気分を湛えた複雑な感情が、ほのかな前向きさとともに、精妙な音の重なりと和声で表されている。すばらしい。

幻想即興曲 Op.66嬰ハ短調(1834)
5.0点
いわずと知れた有名曲。他の即興曲と比較すると単純すぎる作りであり、飽きやすいところがある。しかし、特に高速な部分はぐっと耳を捉えて離さない強烈な魅力を放っている。分かりやすくかっこいい。ピアノの持つ情熱の表現力を見事に活かしている。

ノクターン

ノクターン1番変ロ短調
3.5点
ジョン・フィールドのノクターン影響が濃厚。音の密度は薄いが感情的な濃密さが全体を覆う力作で魅力的。ある意味で一番夜に想うという邦訳が合っている曲だと思う。夜の暗闇の重さと、孤独な想像を感じさせる。

ノクターン2番変ホ長調
3.8点
有名な曲。砂糖の塊のような究極的に甘美なメロディーが繰り返される。ピアノを習っている女の子が演奏するのには合っている可愛らしい曲である。大人の男が弾くには少し恥ずかしいかもしれない。同じメロディーを繰り返す単純すぎる構造であはるが、やはりメロディー自体は秀逸であり、いい曲ではある。

ノクターン3番ロ長調
3.5点
1番と同様にジョン・フィールドの影響が高い。半音階的な浮遊感と、夜らしい奔放に想像世界をさ迷う雰囲気がよい。曲集の最後の曲らしい締めくくり感がある。

ノクターン4番ヘ長調
3.5点
前半は雨だれの前奏曲を連想する、メロディーと伴奏が演出する、しっとりとした回想的な詩情が素晴らしい。中間部は突然の激情であり、対比に驚く。

ノクターン5番ヘ長調
3.8点
2番と同様に同じフレーズを繰り返す曲。夜の幻想の雰囲気を濃厚に感じさせる。盛り上がる中間部があり、曲想が2番よりも大人の音楽であるため、聞き応えがある。

ノクターン6番ヘ長調
3.3点
前半部分は孤独な独白をしているような寂寥感をひりひりと感じる。後半は即興で作ったような取りとめのない展開をみせて面白い。心の彷徨をそのまま音にしたようだ。

ノクターン7番ヘ長調
3.8点
何だか胸の中にわだかまった感情を押し殺したまま耐えるかのような前半と、それを開放するかのような中間部分。その感情は良いほうに転ぶので救われる。ノクターンではあるが、心のドラマは劇的であり、ぜんぜん平和な曲ではない。

ノクターン8番ヘ長調
3.8点
幻想的な夢の世界へといざない心の旅をするような曲。白い明るい光に溢れた非常に美しい世界を作り上げている。恍惚感が心地よくて何度も聴きたくなる。主要メロディーを繰り返しながらもかなり自由な変奏であることで、形式が邪魔しないのがよい。

ノクターン9番ヘ長調
2.8点
前半は発想が平凡で、あまりいいメロディーではない。中間部分もショパンにしては凡庸と思う。ショパンの手癖を組み合わせて書かれた曲のような印象。

ノクターン10番ヘ長調
3.5点
物語が終わり余韻に浸るエピローグのような雰囲気の曲。中間部分の盛り上げ方は、前半のメロディーの良さが作った雰囲気を非常に適切に活かしている。

ノクターン11番ヘ長調
3.0点
マズルカのように個人的な陰鬱な感情が切々と歌われる。メロディーは、すぐにネガティブ方向に傾く。根暗な曲。中間部分は和音の単純な積み重ねによるコラールで珍しい。

ノクターン12番ヘ長調
3.5点
最初の部分は晴れ晴れとした、何かから解放されたような感情を感じる。雰囲気が即興曲にかなり近い。中間部も即興曲に近い。遠くで鳴っている何かの音に耳をそばだてるような雰囲気で魅力的。

ノクターン13番ヘ長調
3.5点
前半は漆黒の夜のどす黒い闇からわき出す力が、静寂からわき出すのを感じる。中間部分のコラールを使いながらの盛り上がりはノクターン随一のスケールをみせる。

ノクターン14番ヘ長調
3.3点
人生に疲れを感じてきて、回想しながら今と将来について瞑想するかのような曲。感情的には新しいが、ある意味で初期のノクターンに似たものを感じる。少し長いと感じる。

ノクターン15番ヘ長調
4.0点
シンプルで憂いを含んだ、秀逸なメロディーの前半部分も、中間部の劇的な盛り上がり方もよく、作品としてのまとまりがよい曲。他の曲と比較して、感情の発露が生々しくなく、作品的と感じる。とはいえ、美しい夜想曲らしい幻想性と感情をよく感じられる。

ノクターン16番ヘ長調
2.5点
感情の流れを音にするという方式だけで書かれているような即興的た曲。メロディーの出来がいまいちなので、雰囲気は悪くないが、曲に浸りきれない。

ノクターン17番ヘ長調
3.8点
ノクターンの最後の2曲はそれまでのノクターンとは違う。枯れており、響きにショパンらしい湿いが無い生々しい音楽である。17番は身体的な衰えに悩み悶え苦しむような、痛ましい音楽。回想的であるとともに、生への渇望も感じて心を打つ。ただしノクターンらしい音響的な豊かさが失われてしまっている残念さは否めないのだが、これは題名の問題と思えばよいかもしれない。

ノクターン18番ヘ長調
4.0点
人生の最後の大きな仕事を終えて、ゆっくりと休息取りながら今後を考えつつ回想するような気分の曲。仕事をやりきった晴れやかさと、人生の終焉に大きく近付いた寂しさような感情を感じる。非常に印象的な忘れがたさがあり、時々ふとした時に頭のなかでリフレインする。

ノクターン19番ホ短調
2.8点
17歳の作品。既にショパンのノクターンの世界が完成形であることに驚く。伴奏の音形やメロディーが作る雰囲気や感情はなかなか良い。だが、そこからの発展の弱さには未熟さを感じる。


マズルカ

他のジャンルは聞き手を意識した外面的な完成度や印象の強さへの配慮が感じられるが、マズルカだけはそのような配慮が少なくて、ショパンの内なる音楽を生々しくそのまま書きとめたような作品が並んでいる。このため、聴き始めた最初はショパンにしては完成度の低いことからあまり楽しめないが、慣れてくると他にはない独特の魅力に虜になる。

4つのマズルカ Op.6

1.嬰ヘ短調
3.5点
第1作は曲として作品としてのまとまりとバランスのある正統派の楽曲。濃厚さと民族的なあくの強さは既に十分。

2.嬰ハ短調
3.0点
民族的な粘っこいメロディーが繰り返されるのが心地よい。

3.ホ長調
3.0点
明るく開放感があり、土着的な粘り気もあるダンス曲。

4.変ホ短調
2.5点
ふわふわとして捉えどころのない落ち着かない曲。


5つのマズルカ Op.7

1.変ロ長調
3.3点
マズルカの中では有名だが、特に他と比較して特段優れているとは思わない。耳を捉えやすいやや刺激的なメロディーが分かりやいこと、ワルツのように聴けることが理由かと思う。

2.イ短調
3.5点
ショパンの憂いを日記のように綴るマズルカの魅力のよく現れている曲の一つ。

3.ヘ短調
3.0点
民族的な粘っこさを楽しめる。中間部がよい。

4.変イ長調
2.0点
間奏としての価値しか無いショパンの出版作品の中では珍しい曲。

5.ハ長調
1.5点
これは小学生でも書けそうな断片的な曲。なぜ出版したのか謎。

4つのマズルカ Op.17

1.変ロ長調
3.0点
何かいいことがあって心の中の喜んびを抑えられないような、晴れやかな気分がいい。

2.ホ短調
4.0点
マズルカの中でも一番好きな曲のひとつ。この人生の悲哀を感じさせる珠玉の美しいメロディーは仕事に疲れた時などにふっと思い出すことがある。中間部分のための後に、もう一度主要メロディーが登場する雰囲気もすき。

3.変イ長調
3.0点
落ち着かない不安定さを長時間持続させる独特の味がある曲。

4.イ短調
4.0点
もっとも美しいメロディーを持つマズルカの一つ。生々しい真実味のある音楽が心を打つ。哀愁が基調だが美的な透明感があるのがよい。物語的なドラマティックさもある。


4つのマズルカ Op.24

1.ト短調
2.8点
憂いを含んむいい雰囲気だが、マズルカの中ではありきたり感があっていまいちな部類である。

2.ハ長調
3.0点
跳ねるようなリズムで落ち着かなさを演出している曲。

3.変イ長調
3.5点
晴れやかな系統の曲の一つだが、感動をそっと胸のうちにしまって通常通りに振る舞おうとしているかのような、おしとやかな感じがよい。

4.イ短調
3.0点
何かを終わらせたくなかったのに終わってしまったような、感情的に煮え切らない感が強い。何度も繰り返すメロディーがその気分を助長する。もどかしい。それを受けた晴れやかさもあるのだが、やはり煮え切らない。


4つのマズルカ Op.30

1.ハ短調
2.8点
割り切れないはっきりしない感情を表した曲。ふっきれないもどかしさをここでも感じる。

2.ロ短調
2.8点
主要部分はごく普通の曲。中間部分が不思議だ。右手のフレーズ繰り返しを採用してしまうのは異様。

3.変ニ長調
3.0点
晴れやかな気分の系統の曲の一つ。鐘のような効果が面白い。

4.嬰ハ短調
3.0点
民族的な響きの『あく』が強い曲。エキゾチックさを感じる。


4つのマズルカ Op.33

1.嬰ト短調
3.5点
普通のマズルカの一つなのだが、なんとなく好き。メロディーがありきたりなようでいて、絶妙なバランスを持っていると思う。

2.ニ長調
3.0点
ポーランド人が民族的な衣装でダンスをするのに使っていそうな印象の曲。

3.ハ長調
3.5点
間奏曲の趣。年季の入ったおもちゃのように愛らしくて好き。

4.ロ短調
3.5点
断片を曲の形にしたような大半のマズルカと違い、この曲は大曲の作品として構成を意識して、まとまめられた感がある。曲想の豊富な大作マズルカで聴き応えがある。


4つのマズルカ Op.41

1.嬰ハ短調
3.0点
落ち着かない系の曲。ワルツっぽいフレーズも出てくるが、やはりそこはマズルカなので別世界である。

2.ホ短調
4.0点
悲しさ無念さなど様々な感情が沸いてきてなんとも言えない状態になっている胸のうちを切々と歌い上げているような曲。なんという生々しい音楽だろう。ショパンが目の前でピアノに向かって気持ちをぶつけているかのようだ。

3.ロ長調
3.0点
民族的なダンス調の軽快な短い曲。

4.変イ長調
3.0点
晴れやかな曲。ワルツにかなり近いと思うが、感情が煮え切らない感じと、リズムの癖はやはりマズルカである。


3つのマズルカ Op.50

1.ト長調
3.0点
ワルツ的だが粘っこい系統の曲。晴れやかさがある。

2.変イ長調
3.0点
ワルツ的である。シンプルななかに終焉や成功や不安など、さまざまな感情がこめられており、ニュアンスが豊富な曲。

3.嬰ハ短調
3.0点
ふわふわしている。捉えどころをわざと外しているように感じる。

3つのマズルカ Op.56

1.ロ長調
3.5点
いきなり割り込んだような入り方で始まる。それがいつの間にかノクターン的な大いなる感情に広がっていく。独特の魅力を感じる不思議な曲。

2.ハ長調
2.5点
この曲はいまいち。中身が薄い。

3.ハ短調
2.8点
断片的と感じさせるメロディーを使って、煙に巻くような雰囲気を出しながら曲集を閉めるのはマズルカではよくあるが、この曲は特にその傾向が強い。それにしては長い曲で、よく分からない。


3つのマズルカ Op.59

1.イ短調
2.8点
ワルツに近い。わざと捉えどころを外しているかのような、ひねりの入った曲。

2.変イ長調
3.0点
ダンス系の中に晴れ晴れとした感情があり、前向きさが感じられるのにも関わらず、感情が爆発せずに煮え切らないのがもどかしい。

3.嬰へ短調
3.0点
民族的な濃さが前面に出ている舞曲らしい曲。


3つのマズルカ Op.63

1.ロ長調
3.3点
達成感を感じて晴れ晴れとした感情が感じられる曲の一つ。しかし、中間部分に複雑さがあって楽しめる。

2.へ短調
3.0点
何かが「終わり」を告げた感のある寂しい曲。半音階的な進行が入るところが虚しさを強調する。

3.嬰ハ短調
3.0点
ワルツにかなり近い曲。憂いの濃い内向的なところはマズルカらしいが。

前奏曲

24の前奏曲 Op.28
3.5点
ただし15番雨だれは単品で5.0点

【1.ハ長調 2.イ短調 3.ト長調 4.ホ短調 5.ニ長調 6.ロ短調 7.イ長調 8.嬰ヘ短調 9.ホ長調 10.嬰ハ短調 11.ロ長調 12.嬰ト短調 13.嬰ヘ長調 14.変ホ短調 15.変ニ長調 16.変ロ短調 17.変イ長調 18.ヘ短調 19.変ホ長調 20.ハ短調 21.変ロ長調 22.ト短調 23.ヘ長調 24.ニ短調】

数曲を除いて、独立した1曲とはいいにくい断片的な曲である。バラエティーと詩情に富んでおりピアノの詩人の面目躍如たる作品ではある。しかし、ショパンらしいメロディーの妙や和声の絶妙さ、曲構成の磨かれた完成度が無いので、個人的にはショパンの作品の中であまり重視していない。ただし、雨だれは香り立つ詩情が素晴らしい、代表的な小品と思う。

前奏曲 Op.45 嬰ハ短調
4.0点
ノクターンのような夜の静けさの中で瞑想的な心の旅が出来るような曲であり、非常に美しく素晴らしい。
練習曲
12の練習曲 Op.10
1.ハ長調
4.0点
演奏が難しいので有名。ハ長調のストレートさがあり、広大な世界のような雄大さを感じる、聴き栄えがする曲。

2.イ短調
3.0点
演奏が技術的に難しいので有名。完全に技術的な練習のための曲という印象であり、観賞曲としてはたいした曲ではない。

3.ホ長調「別れの曲」
6.0点
メロディーの格別な美しさ、それを引き立てる伴奏と音響の素晴らしさ、メロディーの展開、中間部への場面展開と盛り上げ方、中間部の激情と鎮静から主題に回帰するまでの繋げ方など、全てがあまりにも完璧で奇跡的な作品。全てのピアノ小品の中でも圧倒的にずば抜けた出来のよさであり、ピアノ音楽の最高傑作の一つであることに異論のある人はいないだろう。

4.嬰ハ短調
4.3点
一気呵成に突き進む感じがかっこいい曲。

5.変ト長調「黒鍵」
4.0点
黒鍵だけを使って書いた曲であるが、フレーズにバラエティに富んでいる。愛らしくていい曲だと思う。

6.変ホ短調
3.5点
かなり簡単そうであり、練習曲っぽくない。演奏者の歌心を発揮しがいがある美しいメロディーは聴きばえがする。

7.ハ長調
3.0点
練習曲らしい曲なので鑑賞曲としてはいまいちである。

8.へ長調
3.5点
クルクルと回転するようなフレーズが聴いていて心地よい。

9.ヘ短調
2.5点
作品10の中では特に地味な曲。

10.変イ長調
3.0点
この曲も練習曲らしい曲である。

11.変ホ長調
3.0点
大きく音が離れた分散和音の嵐で構成されている曲。聴くだけだと愛らしさを感じさせるドリーミーなメロディと雰囲気になっており、楽譜を見て驚く。

12.ハ短調
6.0点
強烈にかっこいいメロディー。精神を駆り立てる圧倒的にかっこよくて痺れる伴奏。絶妙な転調を繰り返しながら、勢いを落とさずに表情を揺らして、激しい感情を出し切る構成力はすさまじい。別れの曲とともにピアノ小品の最高峰だと思う。

12の練習曲 Op.25

1.変イ長調「エオリアンハープ」
4.0点
明るい昼間に海の近くで爽やかに海風がそよいでいるかのようだ。美しくて心地よく、そして淡い切なさがある曲。

2.ヘ短調
3.5点
練習曲らしい音数だが、メロディー的な心に訴えるものを感じる曲。

3.ヘ長調
2.5点
これは聴いていてあまり楽しい曲ではない。

4.イ短調
3.0点
エキゾチックな雰囲気を楽しめる。

5.ホ短調
3.5点
前半はまあまあだが、中間部が美しさがかなりのもの。

6.嬰ト短調
3.0点
技巧的に難しいので有名。作品10-2と同様に観賞用としてはいまいちで、難しそうであること自体を楽しむ曲。

7.嬰ハ短調
3.5点
チェロが独奏しているかのような、低音の渋いメロディーが印象的。作品10-6の姉妹編。

8.変ニ長調
2.5点
練習曲らしい曲で印象は薄い。

9.変ト長調「蝶々」
3.5点
副題付きではあり、軽快さが印象的だが、他の副題付き練習曲のような素晴らしさのある曲ではないと思う。

10.ロ短調
2.5点
両手のオクターブを鋭角的な響きでゴリゴリと弾いていく曲。カオス過ぎてついていけない・・・

11.イ短調「木枯らし」
5.0点
半音階的な音の嵐が奔流のように駆けめぐり、激しい音響を作り出している。「革命」ほどの奇跡は感じないにしても、非常に完成度が高い素晴らしい曲。

12.ハ短調「大洋」
5.0点
両手の分散和音が生み出す音のうねりが、かっこよすぎ!特に中間部の不協和音の使い方が演出するゾクゾク感は凄い。メロディーが少ないため革命にはかなわないが、迫るほどのかっこよさがある傑作である。


3つの新しい練習曲

1.ヘ短調
3.0点
ノクターンの一部のような曲。エチュードにしては静か。

2.変イ長調
3.3点
前奏曲の一部のような曲。じわじわとした叙情はなかなかよい。

3.変ニ長調
3.0点
晴れやかな感情のメロディーと内声の絡みが楽しい曲。

ポロネーズ

2つのポロネーズ Op.26

1.嬰ハ短調
3.5点
ポロネーズの中でメジャーな方ではないが充実した大作である。端正と情熱、憂鬱と切なさ、現実と空想など、相反するものを多く取り入れている。ただ、バラードやスケルツォの驚異的な完成度にくらべると、楽想を並べているだけの感があり、緊密な構成や洗練度合いで劣る。

2.変ホ短調
3.0点
5番を思わせる冒頭で始まり、暑苦しいほどに情熱的なメロディーになる。冒頭もその後のどのメロディーも悪くはないのだが、どうしてもいまいち冴えない印象である。

2つのポロネーズ Op.40

1.イ長調「軍隊」
5.0点
単純明快な描写的ともいえる軍隊的な行進曲である。それにも関わらず、ものすごくいい曲である。ショパンの音響構築の素晴らしさが光る。まったく同じメロディーでも他の人が書いたらこうはならない。いくつかのメロディーが登場するが、組み合わせも個々の魅力も完璧である。

2.ハ短調(1838〜39)
3.5点
低音の兵隊の足音の地響きのようにごうごうと響き渡るメロディーが強烈な印象を残す。このメロディーが曲の大半の印象を占めるが、その間に挟まれた部分も繊細でなかなか出来はよい。

ポロネーズ Op.44 嬰ヘ短調
4.0点

ポロネーズ裏の名曲としてファンには有名な曲。勇壮で大変に男くさい曲である。血のように濃い愛国心の固まりのような音楽が展開される。中間部にマズルカが入る構成が凄いが、これがまたふわふわとして精妙で絶妙なものである。

ポロネーズ Op.53 変イ長調「英雄」
5.0点
スケールが大きくて、これでもかというほど、とにかく格好よさを追求した曲。豪壮な感じを出すために激しい和音の重ねて、基本的に自然な演奏が出来るように書かれているショパンにおいて例外的に、あえて意図的に無理を強いる書き方になっている。中間部の無茶な左手の伴奏は特にそうだ。テンションが高過ぎるし無理やりさがあるという点で、聴いていて疲れる曲。

幻想ポロネーズ Op.61 変イ長調
5.0点
大変独創的な曲。人生の回想が幻影として浮かんでは消えるかのような曲想。元から憂鬱さがついて回るショパンの音楽であるが、この曲は肉体性と気力の衰えが病的領域に入るとともに、幻覚のような非現実性が現れている。作曲時のショパンの精神と肉体のダメージが生々しく感じられて痛々しい。ショパン晩年の傑作であり代表作のひとつではあるが、少し変な曲である。ある程度熱心に聴く気のある人以外には薦めにくい。

ワルツ

生前に発表したワルツは外れなし!名曲揃いで素晴らしい。

華麗なる大ワルツ Op.18 変ホ長調(1831)
4.0点

華やかなサロン風フレーズ満載。多くの人に愛される素敵な名曲であるが、後年の充実したワルツと比較してしまうと、実は内容が浅い。弾いてみると想定と違う物足りなさと音の薄さにがっかりした。とはいえ、多くのパートで構成されたすべての部分が魅力的な名曲であることは確かである。

3つの華麗なるワルツ Op.34 

1.変イ長調(1835年) 
4.0点
ピアニスティックで豪華絢爛な曲。ピアノが鍵盤上を駆け巡るのが楽しい。親しみやすさでは1番に一歩劣るが、音の充実感において、1番よりかなり進歩している。

2.イ短調(1831) 
4.0点
これはワルツなのか?と思うような穏やかで暗い曲だが、これはこれで詩的な真実味のある歌心にあふれた名曲である。マズルカの土着的な感じがないのがよい。ショパン本人が気に入っていたそうだが、根暗な人だったのだろうなと思った。

3.ヘ長調(1838)
3.5点
なかなかいい曲ではあるが、名作揃いのワルツの中では少し単調であるとともに、フレーズにキレがないため、地味な作品に属する。

ワルツ Op.42(1840) 変イ長調
4.5点

ワルツ2番路線のピアニスティックで豪華絢爛な作品である。2番も十分に良い曲であるが5番はさらに進歩して充実しており、華麗さと成熟感を併せ持った完成度がすごい。中間部のメロディーは特に絶妙であり、外面的な華やかさと複雑さを伴った内容とバランス感覚を併せ持つ天才的なものだと思う。

3つのワルツ Op.64 

1.変ニ長調「子犬のワルツ」
4.5点
有名な曲。軽快で楽しくスマートな冒頭部分は素晴らしい。また、中間部分は優雅さと華やかさと詩情を併せ持つよく出来たメロディーで素晴らしい。

2.嬰ハ短調
4.5点
ショパンの愛称なしの曲の中では有名な曲の一つ。一つ一つの部分が複雑で表情豊かで技巧的であり、演奏が容易であるにも関わらずたいへん充実している。憂鬱、前向きさ、達観、希望、そのような複雑な感情が混ざり合っている。音楽的な純粋な美しさもレベルが高い。

3.変イ長調
3.0点
晴れやかな清々しい気分で始まり、生前に出版されたワルツの締めくくりに相応しい。しかし、展開や転調などが単純で絶妙さがなく、他の作品64の2作品のずば抜けた完成度と比較すると見劣りする。


ロンド

ロンドは初期に書かれており、いずれも7分から10分の大きな作品である。

ロンド ハ短調op1(1825)
2.5点
公表を予定した最初の作品。主題がマズルカ的な憂いを含んでいてそれなりに魅力的であるが、それ以外の部分や展開はまだ成長の途上の感が強く、完成度はそれほど高くない。ただし15歳にしては驚異的な出来ではある。

マズルカ風ロンドop5(1826)
3.0点
まさにマズルカ風の曲。作品1から進歩している。初期にしては力作であり面白い曲でもある。冗長な箇所もあるが所々素晴らしい発想力を見せている。

ロンド Op.16 変ホ長調(1832)
2.3点
長い序奏付き。ピアノ書法は他の10代に書かれたロンドより成長している。しかし主題に魅力が無い。技巧が華やかなだけで内容が無い曲。

ロンド Op.73 ハ長調 独奏用、2台ピアノ用(1828)
2.5点
軽快なサロン風の主題は耳に残る。多彩な発想を盛り込んでいる力作だが、どこか磨かれ方が足りない感じがする。

その他のピアノ曲

華麗なる変奏曲 Op.12 変ロ長調(1833)
2.5点

作品番号付き独奏用として唯一の変奏曲。サロン風の技巧的な華やかな変奏曲。内容はあまり無い。

ボレロ Op.19 イ短調(1833)
3.0点
エキゾチックなボレロのテーマは魅力的。常に異国情緒があるわけでなく、ショパンらしい洗練された音楽を挟んでいるため、主題がより強調される。


アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22 変ホ長調
2.5点
長いしあまりいい曲だとは思わない。

タランテラ Op.43 変イ長調(1841)
3.3点
楽しい織物のようなパッセージの主題で楽しい小品。

演奏用アレグロ Op.46 イ長調(1832〜41)
2.5点
一人協奏曲の曲。長い曲で華はあるが、特に管弦楽の編曲のような部分はショパンらしからぬ音楽が延々と続く感じであまり面白くない。

幻想曲 Op.49 ヘ短調(1840〜41)
3.5点
堂々としてがっちりした大規模な曲。しかし、ショパンらしいしなやかさが少なくて、きっちりとした手堅さが目立つ。また、各部分に有機的関連がなく、細かいニュアンスの妙による複雑さは少ない。このため、個人的にはあまり面白い曲と感じない。

子守歌 Op.57 変ニ長調(1843〜44)
4.5点
小さな子供が寝ていて、その夢の中で妖精が登場して飛んだり跳ねたりして踊っているかのようだ。ずっと同じパターンの左手の伴奏の上で、右手が即興的に幻想的に動き回っていく、とてもかわいらしい変奏曲。ショパンのピアノ的な発想力の驚異的な豊かさと音感の良さが発揮されている。かなりの名曲だと思う。

舟歌 Op.60 嬰ヘ長調(1845〜46)
6.0点

多くの点でショパンおよびピアノ曲史上のもっとも完璧な作品のひとつ。1拍ごとにニュアンスを変えていくほどの究極的な精緻さと繊細な詩情豊かさが凄い。和声の付け方や挿入するフレーズは様々な細かい変化がつけられており、それが濃密な感情の揺れを表現している。メロディーと一体化して展開されていく有機的な動機が生み出す精神的な内面的な物語の見事さは奇跡的といえる。主題は憂いを含み、艶めかしく美しいだけでなく、人生経験の重みと渋みを持っている。

伴奏の作り方がメロディーの魅力を最大限に引き出すとともに、メロディーと一体化して伴奏自体も音楽として魅力的になっている。細部の1拍ずつが素晴らしい上に、全体構成のバランスやドラマの作り方も完璧に計算し尽くされて造形されている。冒頭の前奏からして、あまりにも天才的でそのあとの主部を導くのにちょっとこれ以上は考えられないほどの完璧さである。とにかく調べれば調べるほど新しい発見がありその素晴らしさに驚嘆を新たにする曲である。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/ショパン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/861.html#c1

[番外地7] マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由 中川隆
1. 中川隆[-14036] koaQ7Jey 2020年2月05日 23:28:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-708]
そもそも ディープステートなんか存在しないし、グローバリズムは新しい概念じゃないし、トランプは反グローバリストじゃないし、中国はマルクス主義ではない。
トランプも習近平もイギリス支配層も典型的な帝国主義者・植民地主義者です。習近平の中国に一番近いのはイギリスですね:

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

イギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン

人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという

 このニュースを見て、プリズナー6を思い出したのは、私一人ではないだろう。
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。 
 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。

 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。

 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。

 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。

 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。
 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

_____


イギリスに移住したマルクスが共産主義者になったのはイギリスの階級社会を見て憤ったからですね。ユダヤ思想と共産主義は何の関係も有りません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/469.html#c1

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
3. 中川隆[-14035] koaQ7Jey 2020年2月05日 23:35:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-707]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c3

[番外地7] マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由 中川隆
2. 中川隆[-14034] koaQ7Jey 2020年2月05日 23:38:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-706]
そもそも ディープステートなんか存在しないし、グローバリズムは新しい概念じゃないし、トランプは反グローバリストじゃないし、中国はマルクス主義ではない。
トランプも習近平もイギリス支配層も典型的な帝国主義者・植民地主義者です。習近平の中国に一番近いのはイギリスですね:

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

イギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン

人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという 
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。 
 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。

 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。

 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。

 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。

 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。
 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

_____


イギリスに移住したマルクスが共産主義者になったのはイギリスの階級社会を見て憤ったからですね。ユダヤ思想と共産主義は何の関係も有りません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/469.html#c2

[番外地7] トランプはネオコンの一員 中川隆
2. 中川隆[-14033] koaQ7Jey 2020年2月06日 01:15:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-703]
単にアメリカに製造業を戻せと言ってるだけでしょ。
中国が強くなり過ぎたので NO.2 を潰しにかかってるだけでしょう。
戦前のドイツも戦後のソ連と日本もNo.2になった段階でアメリカに潰されていますからね。
ソレイマーニー暗殺はトランプがネオコンだというのを示しています:

ソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅し

アメリカは基軸通貨を発行する特権で生きながらえている帝国で、製造能力は放棄している。基軸通貨発行の特権と金融市場を操作する能力が支配力の源泉だと言えるだろう。 ドルを基軸通貨に留めておくため、アメリカの支配層は発行したドルを回収、あるいは吸収する仕組みを作った。そのひとつがペトロダラー。どの国も必要としている石油を産出するOPECに決済をドルに限定させ、貯まったドルをアメリカへ還流させる仕組みだ。産油国の中心がサウジアラビアである。 

そのサウジアラビアがイランに接近することはペトロダラーの仕組みを揺るがすことになる。しかも、そこへロシアだけでなく中国も接近している。 今回のソレイマーニー暗殺はアメリカから自立することは許さないという脅しだ。

ソレイマーニー暗殺の2日後の1月5日、イラク議会は外国の軍隊はイラクから出るように求める決議を採択、アブドゥル-マフディ首相も賛成した。 それに対し、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の匿名情報源によると、アメリカ軍を追い出そうとすればイラク政府の銀行口座を封鎖するとドナルド・トランプ大統領は警告したという。

万一、日本がアメリカから独立しようとすれば、アメリカにアル資産は凍結され、食糧も供給されなくなるということだ。 

こうした恫喝で世界を震え上がらせ、屈服させようとしているのだ。支配できない国は破壊して「石器時代」にするというのがアメリカ支配層の基本スタンスだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/446.html#c2

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
6. 中川隆[-14032] koaQ7Jey 2020年2月06日 01:43:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-702]
>レーニンもトロツキーもグローバリストでしたよ

グローバリストじゃないですね。
反共連合の経済弾圧・軍事弾圧に対抗する為には共産国家が連帯しないといけないというだけでしょう。
キューバや北朝鮮みたいに経済封鎖されたら一国ではやっていけないですからね。

ソ連のバルト海三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、中南米みたいな一応 自治や民主選挙を認めた支配ではなく、完全な植民地化・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の場合はグローバリズム支配ではなく完全植民地化になるのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c6

[近代史3] イギリスの高級オーディオはすべて輸出用で本国では全く売れない _ イギリス人は何故そんなにケチなのか? 中川隆
37. 中川隆[-14031] koaQ7Jey 2020年2月06日 01:58:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-701]
イギリスの庶民に金が無い理由

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。


監視国家の現実 2020年02月04日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html


  私が中学生になるころ、娯楽といえばテレビだったのだが、群を抜いて面白い番組があった。
 「プリズナー6」という。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%BCNo.6

 このドラマの面白さは、最後まで主人公を監視し、拘束する組織の正体が分からないことだった。いったい誰が? 何の目的で、一人の諜報員を拘束し、暴力的に監視し続けるのか?
 ストーリーは、極めて哲学的な示唆に富んだもので視聴者を惹きつけた。

 この番組は、イギリスで制作されたものだったが、そのイギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 2月2日、ロンドンで仮釈放中の、イスラム国思想の影響を受けたテロ活動家が単独で3名を刺傷し、直後に、監視中だった警官に射殺された。
 https://www.bbc.com/japanese/51352236

 容疑者は、世界一といわれる密度の監視カメラで追跡され、テロ行動と同時に近くにいた警官が駆けつけて射殺したのだが、その対応の早さに驚かされた。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン
人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという
 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/032300130/

 このニュースを見て、プリズナー6を思い出したのは、私一人ではないだろう。
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?

 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。

 それは、最初に民族的対立のなかで起きていた。
 
アイルランド共和軍
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%85%B1%E5%92%8C%E8%BB%8D

 イギリスは「テロとの百年戦争」の最中にある ロンドンは、ずっと過激派の標的だった
 https://toyokeizai.net/articles/-/96503

 私の世代は、イギリスがIRAによって、激しいテロの標的にされ続け、ちょうど、中東の無差別自爆テロのモデルになっていたような時代が長く続いたことを知っている。

 だから、ロンドンでテロが繰り返されても、イギリス国民は、日常的風景として大きな驚きを持たないのである。

 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。

 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 
http://www2.ashitech.ac.jp/civil/yanase/essay/no07.pdf

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。
 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。

 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。

 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1019.html  
 

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/447.html#c37

[番外地7] トランプはネオコンの一員 中川隆
3. 中川隆[-14030] koaQ7Jey 2020年2月06日 09:22:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-700]
そもそも ディープステートなんか存在しないし、グローバリズムは新しい概念じゃないし、トランプは反グローバリストじゃないし、中国はマルクス主義ではない。
トランプも習近平もイギリス支配層も典型的な帝国主義者・植民地主義者です。
トランプが言うグローバリストというのはアメリカの親中派の事で、トランプの反グローバリズムというのは単に反中というだけの事です。中国が強くなり過ぎたのでアメリカが NO.2 を潰しにかかってるだけでしょう。

戦前のドイツも戦後のソ連と日本もNo.2になった段階でアメリカに潰されていますからね。


習近平の中国に一番近いのはイギリスですね:

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

イギリスは、中国共産党の監視社会が成立するまでは、世界一の監視国家だった。
 
 いつも誰かに見られている、超監視社会ロンドン

人口1人当たりの監視カメラの台数で、ロンドンは世界トップだという 
 イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった。

 なぜ、イギリスが、かほどの監視体制を必要とする国だったのか?
 それは、歴史的な、もの凄い格差社会であり、社会資本や人的資源の流動性がなく、人々は、支配階級と被支配階級(奴隷階級)に歴史的に固定され、体制に対する憤懣をぶちまける手段が、テロしか残されていなかったからだろう。 
 イギリスは民主主義国家などと言われるが、実態は、王室と特権階級による独裁社会である。

 人々の身分は、生まれた家や土地によって定まり、土地の所有権すら、英王室と地方領主貴族が大半を独占し、ほとんどの英国民が小作人=農奴に貶められている。 

 生産手段を持たない小作人の家に生まれたなら、社会全体の硬直した価値観によって、底辺の労働者階級としての人生以外の選択肢はない。

 これは移民に対しては、より苛酷であり、だから、移民でテロに走る若者が多いのである。

 これに対して、支配階級は監視と法的な弾圧で対抗してきた。

 イギリスにおける監視社会とは、固定された領主が、自由を求める底辺庶民の怒りを封じ込めるためのシステムであった。

 現在、体制の利権を固定し、庶民の怒りを封じ込めるためのシステムを、世界でもっとも必要としているのが、中国共産党社会である。
 新型肺炎対策にドローン、中国が誇示する監視国家の姿 ロイター2月3日
 先週のある日、中国・成都市の路上に住民数人が集まって座っていた。小さなドローンが近づいて空中停止すると、話し始めた。
  
「感染症が広がっているときの屋外麻雀は禁止されています」ドローンから声がする。「見つかっていますよ。麻雀をやめて今すぐそこを離れなさい」、「子どもさん、ドローンを見てはいけません。お父さんに今すぐ離れるように言いなさい」。

_____


イギリスに移住したマルクスが共産主義者になったのはイギリスの階級社会を見て憤ったからですね。ユダヤ思想と共産主義は何の関係も有りません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/446.html#c3

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
8. 中川隆[-14029] koaQ7Jey 2020年2月06日 09:40:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-698]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です。

「万国の労働者、団結せよ!」という標語はグローバリズムを目指すという事ではなく、アメリカや西欧の反共産主義勢力による弾圧や経済封鎖に対抗するには世界中の共産主義者が連帯しなければいけないというだけの意味です。

キューバや北朝鮮、ベネズエラみたいに経済封鎖されたら一国だけではやっていけないですからね。


ソ連のバルト三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、確かに多民族国家にはなりましたが、中南米みたいな自治や民主選挙を認めた傀儡国家化ではなく、戒厳令を敷いた弾圧・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の国家併合はグローバリズム支配ではなく民族文化の否定・ミンゾクジョウカになるのです。

グローバリズムというのは 物・金・人の移動の自由化、企業が仕事をし易い環境にする政策ですから、共産圏での国家併合とは180度違うものです。:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c8

[番外地7] 琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけない

琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけないですね。
民族自決権がありますからね。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに日本人化させるのが間違っているのです。
琉球人やアイヌ人がどんな思想を持とうが自由です。

今迄いくら差別や迫害を訴えても日本政府から相手にされなかったから北chousen や同和の力を借りただけでしょう。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/470.html

[番外地7] スイングトレードのやり方
スイングトレードのやり方


海外投資家の売買動向
https://karauri.net/doukou/

騰落レシオ(6日間)
https://nikkei225jp.com/data/touraku.php

3日移動平均線


の三つだけ見ていればいいです。


海外投資家が買っていたら買い
海外投資家が売っていたら様子見

騰落レシオ(6日間) が 50以下になったらナンピンで買い
騰落レシオ(6日間) が 200以上になったらナンピンで利食い

株価が 3日移動平均線を下回ったら買い
株価が 3日移動平均線を上回ったら利食い


http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/471.html

[リバイバル3] スイングトレードのやり方
スイングトレードのやり方


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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html

[リバイバル3] 中川隆 _ 相場関係投稿リンク 中川隆
42. 中川隆[-14028] koaQ7Jey 2020年2月06日 10:10:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-697]
スイングトレードのやり方
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html#c42
[番外地7] スイングトレードのやり方 中川隆
1. 中川隆[-14027] koaQ7Jey 2020年2月06日 10:15:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-696]
日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(6日)

2020-01-30 22,977.75 -401.65 35.01

2020-01-31 23,205.18 +227.43 52.77

2020-02-05 23,319.56 +234.97 112.25
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/471.html#c1

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
1. 中川隆[-14026] koaQ7Jey 2020年2月06日 10:24:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-695]

日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(6日)

2020-01-30 22,977.75 -401.65 35.01

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ソニーや東京エレクトロンみたいな日経平均連動の優良大型株を買っておけば失敗は無いです。


8035東京エレクトロン
https://kabutan.jp/stock/chart?code=8035

6758ソニー
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6501日立製作所
https://kabutan.jp/stock/chart?code=6501

7951ヤマハ
https://kabutan.jp/stock/?code=7951


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c1

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
2. 中川隆[-14025] koaQ7Jey 2020年2月06日 10:30:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-694]

JT やキャノンの様な日経平均に連動しない高配当銘柄は絶対に NG です


2914JT
https://kabutan.jp/stock/chart?code=2914

7751キヤノン
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7751

7201日産自動車
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7201
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c2

[番外地7] 琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけない 中川隆
1. 中川隆[-14024] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:20:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-693]
琉球人もアイヌも独立したいというならその通りにさせないといけないですね。
民族自決権がありますからね。
チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに日本人化させるのが間違っているのです。このままいくと人類の宝の琉球語やアイヌ語が死語になってしまいます。 アイヌ語は縄文人の言葉だというのが定説で、世界最古で最美の言葉だといわれています。

そもそも琉球人やアイヌ人がどんな思想を持とうが自由です。
今迄いくら差別や迫害を訴えても日本政府から相手にされなかったから北chousen や同和の力を借りただけでしょう。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/470.html#c1

[近代史3] アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』 中川隆
5. 中川隆[-14023] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:27:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-692]

クラシック音楽 一口感想メモ
アントニン・ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák 、1841 - 1904)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF


チェコの大作曲家。

屈指のメロディーメーカーとして親しみやすく楽しい作品を書いた。

派手で活力があるオーケストラ曲も、渋くて哀愁ただよう室内楽も良い。各ジャンルで素晴らしい作品を残した。

交響曲

•交響曲第1番 ハ短調 作品3、B.9 「ズロニツェの鐘」◦3.3点


ドヴォルザークの若く熱き血潮をたぎらせた初期の名作で、2番3番よりも好きである。おおらかな曲であり、曲や音の密度では未熟さを感じるにも関わらず、才能が十分に現れており、力強い熱血のメロディーが多く現れてきて楽しめる。

•交響曲第2番 変ロ長調 作品4、B.12◦2.3点


冗長で鈍い音楽の足取りと、場面描写の拙さはまだまだ一流作曲家とは言えないレベル。まだ個性もあまり発露しておらず、正直言って魅力に乏しいので、この長い曲を聴き通すのは大変。大作曲家の様々な影響の跡をみる楽しみはある。ワグネリアンだからか、どこかブルックナーぽいのは面白い。

•交響曲第3番 変ホ長調 作品10、B.34 1873年◦2.5点


音楽の密度が薄く、同じフレーズを繰り返しながら大らかに音楽が動いていく。各部分の魅力はそれなりにあるが、未熟さとあいまって、聴き通すのがやや辛い。

•交響曲第4番 ニ短調 作品13、B.41 1874年◦3.0点


1楽章はスカスカで面白くない。2楽章はたっぷりと叙情的に歌う曲で十分に楽しめる。3楽章もまあまあだが、後年の作品の未熟版という感じがする。

4楽章は叙情的なしなやかさをもった大いなる感情をもちながら、おおらかに盛り上げるのが悪くないが、大した曲ではない。

•交響曲第5番 ヘ長調 作品76、B.54 1875年◦3.3点


4楽章がワーグナーのような伸びやかな叙情を交えてスケール大きく盛り上がる、後年の傑作に近い素晴らしい出来。1楽章が密度が薄くて、広大な音楽がやりたかったのだろうが、どうにも煮え切らなくもの足らない。だが、楽章が後になる程に密度が濃くなり良くなっていく。3楽章まではスカスカな印象があり未完の大器レベル。

•交響曲第6番 ニ長調 作品60、B.112 1880年◦3.5点


両端楽章はインパクトが足らずもの足らない。しかし、2楽章はしみじみするし、美しい場面が多くある。3楽章のフリアントは単品でも使えそうな名曲。

•交響曲第7番 ニ短調 作品70、B.141 1884-85年◦4.0点


スラブ的な格好良さと内面の充実と交響曲のスケールを併せ持たせている。1楽章は同じ動機を使いながら渋くて格好良いもの。2楽章は、雄弁な闇に沈んでいく大地のような曲。3楽章はスラブ的なフレーズを取り入れてカッコいい。4楽章が他と比較するとやや弱い。

•交響曲第8番 ト長調 作品88、B.163◦5.0点


どの楽章もキャッチーなフレーズが含まれている。新世界よりと並んで極めて聞きやすく、そして素晴らしい。チェコ的な雰囲気が入っていて、ドヴォルザークの創作の中でも代表的な作品になっている。

•交響曲第9番 ホ短調 作品95、B.178「新世界より」◦5.5点


非常に有名な交響曲であり、メロディーの良さ、内容のわかりやすさ、かっこよさ、充実感など、深さはさておき分かりやすくていい曲という点ではロマン派の交響曲の中で最も完璧に近い内容である。


管弦楽曲

序曲

•序曲「わが家」 (Domov m?j) 作品62a、B.125a◦3.0点


凄みは感じないが、それなりに聴き映えする曲。

•劇的序曲「フス教徒」 (Hustisk? dramatick? ouvertura) 作品67、B.132◦3.5点


めまぐるしく展開する。情景を音で描いているかのようにはっきりと場面が目に浮かぶようである。舞台音楽みたいである。各場面が優れており聴き映えする。

•序曲「自然の中で」 (V p??rod?) 作品91、B.168◦3.5点


交響曲の中の一つの楽章のような本格的な音楽で、活力あるオーケストラの使用と描写力を遺憾なく発揮している。分かりやすい。

•序曲「謝肉祭」 (Karneval) 作品92、B.169◦3.0点


コンサートのオープニングかアンコールに向いているような、賑やかな曲。ドヴォルザークの良さはあまり活かされていないと思う。

•序曲「オセロ」 (Othello) 作品93、B.170◦3.5点


美しい自然のような場面など、説得力のある管弦楽の使い方とメロディーに身を任せて楽しめる。聴き応えあり。ワーグナー的な良さもある。

交響詩

•「水の精」 作品107、B.195◦2.5点


水の精の描写や個々の場面の雰囲気は悪くないのだが、曲が長すぎるし変化が少ないので平板な感じがする。

•「真昼の魔女」 作品108、B.196◦2.5点


ある程度の緊密さと劇的な起伏がある所は他の交響詩より楽しめるが、メロディーや内容は交響曲などの主要な管弦楽曲と比べると物足りない。

•「金の紡ぎ車」 作品109、B.197◦2.5点


感想は「水の精」とほぼ同じ。この曲も個々の場面の雰囲気は悪くないのだが、曲が長すぎるし変化が少ないので平板な感じがする。バックミュージックで流してまったり楽しむ程度の曲。ワグネリアンらしさを少し感じる。

•「野ばと」 作品110、B.198◦2.0点


他の交響詩と同様に間延びした内容で起伏に乏しく、面白くない曲。まったりした気分で心地よさに浸ることは出来なくはないが、そういう趣旨で作者が書いた曲では無いだろう。

•「英雄の歌」 作品111、B.199 1897年◦1.5点


約20分の長さだが、ちっとも「これはいい」という場面が出てこない。

セレナード

•セレナード ホ長調 作品22、B.52◦3.8点


「弦楽セレナード」メロディーの良さとか、雰囲気作りの上手さが際立っていて、単なる娯楽曲と考えてはもったいない素晴らしい出来の曲になっている。次から次へと曲の良さに感心できる場面が続いていくから、全く飽きない。セレナーデだから高級な音楽というわけにはいかないが、精巧さもあり、芸術作品として成り立っていると思う。

•セレナード ニ短調 作品44、B.77◦3.0点


「管楽セレナード」の愛称で呼ばれている。ドヴォルザークは基本的に弦の人だと思うが、この管楽器の合奏でも柔らかくてまったりとして温かみのある音楽を作れている。管だけでなく低弦が入っているので音響的に聴きやすいのが良い。3楽章が印象的。


スラヴ舞曲

•スラヴ舞曲 第1集 作品46、B.83 (4手ピアノ版はB.78)
【1. ハ長調 / 2. ホ短調 / 3. 変イ長調 / 4. ヘ長調 / 5. イ長調 / 6. ニ長調 / 7. ハ短調 / 8. ト短調】
•スラヴ舞曲 第2集 作品72、B.147 (4手ピアノ版はB.145)
【1. ロ長調 / 2. ホ短調 / 3. ヘ長調 / 4. 変ニ長調 /5. 変ロ短調 / 6. 変ロ長調 / 7. ハ長調 / 8. 変イ長調】
◦2.3点


ごくシンプルな舞曲集。鑑賞用の音楽としては面白くない。大作曲家らしさを感じない。一般向けの楽譜を売るためのスラブ風味の音楽という印象しかない。ただし有名な第2集の2曲目はやはり良い曲。


その他の管弦楽曲

•交響的変奏曲 作品78、B.70◦2.5点


ドヴォルザークらしい躍動感あふれるオーケストラの扱いを楽しめる。しかし、いかんせん主題の魅力に乏しいので辛い。

•3つのスラヴ狂詩曲 作品45、B.86
【1. ニ長調 / 2. ト短調 / 3. 変イ長調】

•チェコ組曲 ニ長調 作品39、B.93◦3.3点


スラブらしい曲調だが、それほどスラブ色が濃厚な訳ではない。3曲目は濃いが。4曲目の管楽器のメロディーが素敵。大らかな雰囲気の組曲。アメリカ組曲と雰囲気は似ている。メロディーや雰囲気は楽しめるが、書法はシンプルであり本格派のドボルザークは聴けない。

•伝説曲 (Legendy) 作品59、B.122

全10曲【1. ニ短調 / 2. ト長調 / 3. ト短調 / 4. ハ長調 / 5. 変イ長調 / 6. 嬰ハ短調 / 7. イ長調 / 8. ヘ長調 / 9. ニ長調 / 10. 変ロ短調】

•スケルツォ・カプリチオーソ 作品66、B.131◦3.0点


賑やかな聞きやすい長さの管弦楽曲。緩急をつけたメロディーが何種類も出てくる曲であり、ラテン的な開放感もあるので楽しい事は楽しいのだが、深さや渋さが無いので聞いた後に残るものがない。

•アメリカ組曲 イ長調 作品98B、B.190◦3.0点


アメリカらしい大らかな雰囲気とメロディーに溢れている。当初ピアノ曲として書かれたためか、多声的でなくかなりシンプルな書法である。どの曲もメロディーは楽しめて気楽に聴ける小品の組曲だが、本格派のドボルザークは聴けない。

•2つのワルツ B.105 作品54 1880 弦楽 B.101-1,4の編曲◦3.5点


弦楽用のワルツ。弦楽を美しくバランス良く柔らかく扱うドヴォルザーク一流の美技と、愛らしいメロディーのワルツの楽しさが光る。

協奏曲

•ピアノ協奏曲 ト短調 作品33、B.63 1876年◦2.5点


ピアノは室内楽のピアノパートを華やかにした感じ。音楽的にドヴォルザークらしさはあり、円熟期に入っての作品で内容はそれほど悪くないが地味さは拭えない。彼のファンなら耳にして損は無い程度。

•ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53、B.108◦3.0点


1楽章は粘っこい雰囲気は悪くないがあまり内容がない。2楽章は叙情的やオーケストラの伴奏に載せた独白の雰囲気がなかなかよい。3楽章はもう少し生き生きとやってほしい。

•チェロ協奏曲 ロ短調 作品104、B.191 1894-95年◦5点


独奏楽曲が活躍するにも関わらず、管弦楽と完全に一体化して有機的に連携し、自然に楽想が繋がっているので、まとまった交響的作品になっている。その手腕は脱帽もの。そのうえで、哀愁の雰囲気や美しいメロディーの数々、5音階の懐かしさ、詩的な情景の美しさなどドヴォルザークの美点が見事に発揮されていて、音楽に浸りきる事が出来る。素晴らしい傑作。

•森の静けさ (Klid) 作品68-5、B.182(原曲はピアノ連弾)◦4.0点


チェロ独奏が非常に美しくて素敵。朝日と共に動物達が起きてくるような、静かな大自然の森の中を逍遥するような感覚を実際に味あわせてくれる。

•チェロと管弦楽のためのロンド ト短調 作品94 B.181 1893 vc,Orch B.171の編曲◦3.0点


ピアノ伴奏よりは同じ曲でも華やかなので楽しめる。チェロ協奏曲の一つの楽章のようだ。

室内楽曲

六重奏曲

•弦楽六重奏曲 イ長調 作品48、B.80 1878年 ヴァイオリン2・ヴィオラ2・チェロ2◦3.3点


弦楽六重奏曲は、声部が豊かで中低音が充実する代わりに、響きがもっさりして曖昧になるという欠点がある。この曲がデメリット以上のメリットを享受することに成功しているかは微妙である。スラブ的な雰囲気は濃くはないが活かされており、特別優れた楽章はないが全体的に弦楽四重奏曲の達人らしい充実した響きを楽しめる。


五重奏曲

•ピアノ五重奏曲第1番 イ長調 B.28 1872年◦3.5点


あまり期待せずに聴いたのだが、密度の濃さや躍動感のある雰囲気がかなり楽しめる曲で驚いた。室内楽の作者としては初めから巨匠だったようだ。確かに磨き上げられた洗練は足りないかもしれないが、アンサンブルを作るセンスやメロディーの才能はとても素晴らしい。ベートーヴェンの影響を感じる本格性と骨太さがある曲だと思う。全体に鋭角的で真剣な音楽になっている。艶やかな感じは時々現れるが、それでも落ち着けない。初期ではあるが、音楽的にはそれなりに成熟している。しかし、薄い密度の場面を使いこなせておらず、構成もぎこちなくて、まだ達人の域に達し切れていないとは感じる。まだこれから花開く作曲家だと感じさせる。力の入った力作ではある。

•ピアノ五重奏曲第2番 イ長調 作品81、B.155 1887年◦3.5点


メロディーの宝庫。分かりやすいメロディーやフレーズが次々と出てくる。しかし、それ以上の素晴らしさや底の深さは感じない。

•弦楽五重奏曲第1番 イ短調 作品1、B.7 作曲1861年 ヴァイオリン2・ヴィオラ2・チェロ1


•弦楽五重奏曲第2番 ト長調 作品77、B.49 1875年 ヴァイオリン2・ヴィオラ1・チェロ1・コントラバス1◦3.0点


コントラバスが入っていることで、重低音が強化されて音が分厚い。しかし、それが機動力を奪っているかのように、軽いフットワークの弦楽四重奏の良さが失われたデメリットが大きいように感じる。全体に、あまり面白い曲だとは感じない。メロディーがイマイチであり、フレーズを繋いで作ったような曲である。ドヴォルザークらしい良さがあまりない。重厚さをなんとなく楽しむだけになってしまっている。

•弦楽五重奏曲第3番 変ホ長調 作品97、B.180 1893年◦3点


アメリカの雰囲気を取り入れつつも、ボヘミア的な雰囲気もあり、もの悲しさが全体を覆っている。四重奏でさえ中音域が厚いので五重奏だと中音域が充実しすぎでぼやけた印象がある位。どの楽章も平均的によく、特に優れている楽章がない。


四重奏曲

•ピアノ四重奏曲第1番 ニ長調 作品23、B.53 1875年◦3.3点


すべての楽章において、どうにも捉えどころのなさがある曲。茫洋とした印象は、広大なスケール感があるがアクセントとなるものが少ないため、なんとなく曲が続いているように聴こえるからだろうか。音はたくさん敷き詰められているし、活発に動くのだが、道標のようなものがないと、曲を捉えられないことがよく分かる。個別の部分は決して悪くはないが、精神的な表現の主張はない。

•ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 作品87、B.162 1889◦3.5点


広々とした音のキャンバスを使って練達した作曲技術で楽しませてくれる。緊張感は低いのでまったりとくつろいだ気分で聴ける。練り込まれたスラブ情緒が楽しい。バランスの良さ、メロディーのセンスの良さが光る。ただし、特別感のある楽章はない。

•バガテル 作品47,B.79 作曲1878年、ヴァイオリン2・チェロ1・ハルモニウム(またはピアノ)1

•弦楽四重奏曲第1番 イ長調 B.8 1862◦3.3点


第1作からいきなり48分の大作。音の薄さの使い方や躍動感などの室内楽の名手らしさを存分に発揮している。長すぎて中だるみするし、構成が頭に入らないものの、それぞれの部分は魅力的なため楽しんで聴ける。スラブ的な濃さがとても上手く取り込まれて、聞き栄えを作り上げている。しかしそれは前半までで、あまりの長さに後半はうんざりしてしまう。

•弦楽四重奏曲第2番 変ロ長調 B.17 1870年◦1.5点


またしても49分の大作。1楽章はいきなり前衛的とも言えるほどの新奇な音のする音楽で、ついていくのが困難。2楽章も聴きづらくて全然分からない。ほかの楽章も同様で、ドヴォルザークが特殊な音楽を書いてみたかったのだと想像されるが、聴くのはかなり辛い。

•弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 B.18 1870年◦2.5点


69分という化け物的な長さ。ブルックナーのように、細かい動機を執拗に積み重ねて少しずつ変容していくマッタリした音楽になっている。ダイナミックな変化に乏しいのが残念。1楽章はいい曲ではないが、2番ほど極端に聴くのが辛くはない。ただ、長すぎる苦痛があるため、2番より少しマシという程度だと思う。2楽章はしみじみとした歌が延々と続く懐の深い曲でかなり良い。マーラーみたいな存分な歌わせ方に振った曲。ただ執拗すぎる気はする。3楽章は間奏的な曲想なのに長すぎ。4楽章も高揚感のある曲想は良いが長すぎ。

•弦楽四重奏曲第4番 ホ短調 B.19 1870年◦3.0点


3楽章制で切れ目なし。実験的でコンセプトが明確な作品。1楽章はとても変わった曲でよく理解できない。ドヴォルザーク風の前衛音楽だと思う。2楽章はヴァイオリンがひたすらずーーっとメロディーを聴かせ続けるこれまた変わった曲。ある種の純化された美しさはあるものの、10分の曲でこの執拗さは異常である。世界記録でも狙ったのだろうか。3楽章も意欲的で前衛的な部分があるが、わりと聴きやすくて、独自のダイナミックな音楽のつくりに感心する。中間に2楽章のリフレインがくるのは効果的。

•弦楽四重奏曲第5番 ヘ短調 作品9、B.37 作曲1873年◦2.8点


地味で渋い路線の曲。雰囲気としては普通の曲に戻ったのだが、華がない場面が多くて、なんとなく晴れない気分のまま曲が進むのが、なんとも残念である。変な曲シリーズの残骸らしく感じる部分も散見されるため、やはり実験的な部分があるのだろう。普通の曲なので良く感じて聞けるし、たまに書法の冴えに感心するが、冷静に考えるともしドヴォルザーク作曲でなければ、人に勧められるほどの曲ではないと思う。

•弦楽四重奏曲第6番 イ短調 作品12、B.40 1873年◦2.8点


また普通の曲に近付いてはいるが、やはりよく分からない感がどうしても残る。変な曲になっている箇所が少なからずある。そして、メロディーが印象に残らず、構成も印象に残らず、地味で控えめな印象なのも、たまに達人の筆致を感じるのも相変わらず。3楽章は実験的だなあと感じる曲。

•弦楽四重奏曲第7番 イ短調 作品16、B.45 1874年◦3.5点


ようやく巨匠らしい本格的で貫禄のある音楽になってきた。スラブ風味が産みだす独特の陰影の楽しさや寂寥感を楽しめる。音楽に艶があり心地いい。バランスが良くなり、実験的な雰囲気はもはや希薄になった。地味すぎることはなくなり、控え目さは残っているが十分に華やかな聴いていて楽しい音楽になった。特に最終楽章は躍動感や高揚感が一辺倒にならないバランスで使われていて、かなり優れた曲。

•弦楽四重奏曲第8番 ホ長調 作品80、B.57 1876年◦3.3点


成熟した巨匠的な書法の良さとともに、スラブ風の色がより濃くなった作品。27分と短いくて無駄が少ないのは良いこと。しかし、これはという素敵な楽章がない。わりと良いか大満足とはいかない場面ばかりであり、物足らないまま次の場面に期待しているうちにすぐに曲が終わってしまう印象である。

•弦楽四重奏曲第9番 ニ短調 作品34、B.75 1877年◦3.5点


3楽章がかなり感動する。他の楽章も力作であり良い場面は多いのだが、10番以降の恐るべき完成度には何かが及ばない。

•弦楽四重奏曲10番 変ホ長調 作品51、B.92 1878年◦4.0点


深々としたニュアンスの妙味にあふれた1楽章、民謡のような主題が印象的な2楽章、うら悲くて寂しい気分になる3楽章がいずれも良い。4楽章もそれなりに良い。ボヘミア色が強い曲。

•弦楽四重奏曲第11番 ハ長調 作品61、B.121 1881年◦3.8点


1楽章はややボヘミア色が薄く構築性を楽しむ曲。2楽章以降はボヘミア色もある程度あり、なにより愁いの影が常につきまとっている。全体に東欧ならでは?のあまり他では聞かない独特な音の雰囲気に覆われていて新鮮。

•弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96、B.179 『アメリカ』 (The American) 1893年◦4.0点


親しみやすいメロディーの分かりやすさと雰囲気で、弦楽四重奏の入門にピッタリの曲。後期の本格的で深々とした素晴らしい弦楽四重奏群と比較してメロディー主体であり深さには欠けるが、やはり傑作である。

•弦楽四重奏曲第13番 ト長調 作品106、B.192◦3.5点


2楽章が感動的。4楽章も立派な構成で感動的で素晴らしい。1楽章がいまいち。立派な作品だが民族色が薄くて曲に濃厚さが無いのは寂しい。

•弦楽四重奏曲第14番 変イ長調 作品105、B.193◦4点


1楽章が濃厚で、構成にメリハリがあり良い。2楽章もよいし、3楽章は感動的で泣きそうになる。

•弦楽四重奏のための『糸杉』 (Cyp?i?e) B.152◦3点


歌曲集『糸杉』B.11から12曲を1887年に編曲したもの。弦楽四重奏の淡さや甘さをうまく活かしてる。それほど分かりやすいメロディーはなく渋め。

•弦楽四重奏のための楽章 B.120 1881 SQ ◦2.5点


柔らかい響きの曲。しかし、どちらかというとハッキリしなくてよく分からないという印象が強い。

三重奏曲

•ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 作品21、B.51 1875年◦4.0点


全体にメロディーの魅力がすごい。期待せず聴いたら名曲でかなり驚いた。1楽章は何より2つの主題がとても魅力的で感動するし、展開もわくわくさせられる出来の良さ。軽妙かつスケール感もある。これはロマン派室内楽の傑作に数えてよい楽章と思う。2楽章はメロディーも中間の盛り上げ方も非常に美しい。3楽章も「そうきたか」と言いたいような始まり方に意表を突かれて楽しい。4楽章が平凡なのはとてももったいないが、1〜3楽章までの素晴らしさをスポイルするほどではない。全体の印象として、バランスが難しい印象があるピアノトリオを書く難しさを難なくクリアーしている印象。

•ピアノ三重奏曲第2番 変ロ長調 作品26、B.56 1876年◦3.8点


1番の1楽章ほどの正統派の感動はないかもしれないが、どの楽章も平均してクオリティが高い。1楽章は最初は陰湿に聴こえたが、よく聴くと憂いを含んだ美しい旋律。1番の4楽章のような弱点がなくて、ピアノ三重奏曲としての充実度は1番より上がっているかもしれない。楽器のからませ方がやや大胆になった気がする。

•ピアノ三重奏曲第3番 ヘ短調 作品65、B.130 1883年◦3.5点


ドヴォルザークには珍しい非常に情熱的で熱く煮えたぎる想いを感じる曲。成熟感は素晴らしい。ゴリゴリと和音の打撃で押していくようなピアノはブラームスを連想させる。すごみを感じる曲であるが、自分はゴツゴツとした感触がぎこちなさをを感じさせるのがどうしても気になる。慣れれば曲に入り込むことは出来るのだが、美メロディーがないこともあり、心の底から高い評価をするまでは至らない。

•ピアノ三重奏曲第4番 ホ短調 作品90、B.166 「ドゥムキー」 1891年◦3.0点


この曲がドヴォルザークの室内楽の代表作の一つとされることがピンとこない。軽い小曲が6曲並んでいる組曲という感じであり、深みやスケール感やまとまりがないため、本格的な楽曲の手応えが感じられない。それほどメロディーや雰囲気が魅力的という印象もない。音が薄く、弦が絡み合って穴を埋めたり協奏的にかけあう感じがあまりない。気楽に聞き流せばスラブ的な音楽をそれなりに楽しめる。

•弦楽三重奏曲 ハ長調 作品74、B.148 1887年、ヴァイオリン2・ヴィオラ1◦3.5点


低音がないせいか響きに男性的な印象が減っているのが新鮮で楽しめる音楽。とはいえ1楽章は優美で美しいが他は女性的でもない。2楽章は陰影が豊かでこれまた非常に美しい。3楽章も独特の緩い切迫感ともいうべき雰囲気があり面白い。どの楽章も見るべきものがあり、なかなか心を捉えるものがあるよい曲。短くて聴きやすいのもよい。

•バガテル ハ長調 作品75a、B149 1887 2vn,va◦3.0点


どうやら4つのロマンティックな小品の編曲版のようだ。柔らかい弦の響きは曲のメロディーを生かせていて、ヴァイオリンとピアノの版とは違う魅力がある。後半の面白くない曲については、ヴァイオリンとピアノよりこちらの版の方がいいかも。

•三重奏曲 ハ長調 B.148 作品74 1887 2vn,va ◦2.0点


響きのバランスが悪く、メロディーが弱く、駄作だと思う。


二重奏曲

•ヴァイオリンソナタ ヘ長調 作品57, B.106◦2.3点


期待を裏切られた。大半の室内楽の出来の良さから考えるとかなりつまらないと思う。弦楽器同士の絡みがないとダメなのだろうか。特に1楽章はひどい。全然理解できない。2楽章と3楽章はまだマシかもしれないが、大半の場面が面白くない。

•カプリッチョ Capriccio B.81 1878年の作品。(ヴァイオリン1、ピアノ1)◦2.0点


たいした曲ではないな、という程度の感想しか持てなかった。

•バラード I balada 作品15、B.139 1885年の作品。(ヴァイオリン1、ピアノ1)◦3.0点


渋いバラード。ピアノ伴奏の低音の渋さが印象に残る。

•ロマンティックな小品 (Romantick? kusy) 作品75, B.150◦3.0点


1曲目はありきたりながらも素敵。2曲目の粘っこさも良い。後半2曲は面白くない。

•ソナティーナ ト長調 作品100、B.183◦3.3


子供向けのヴァイオリンとピアノのためのソナチネ。アメリカ時代らしい5音階や黒人霊歌の特徴が現れており、素朴なボヘミアらしさもあるなど、ドヴォルザークらしさを端々に感じる事が出来る。

•ポロネーズ イ長調 B.94
1879年の作品。初演は1879年トゥルノフ。(チェロ1、ピアノ1)

•夜想曲 ロ長調 B48a 作品40 1875-83 vn,pf◦3.0


秋の夜長に深夜に故郷のことや青年時代を思い出しながら思い出に浸るような音楽。それほど美メロでは無いが、センチメンタルな気分になれれば曲に浸れる。

•ロンド ト短調 B171、作品94 1891 vc,pf◦2.5点


チェロソナタの中の一つの楽章ならばまた印象が違うかもしれないが、この単発の曲だとイマイチで地味という印象になってしまう。


器楽曲

4手ピアノのための作品

•伝説曲 (Legendy) 作品59、B.117

ボヘミアの森から (Ze ?umavy) 作品68、B.133
全6曲【1. 糸を紡ぎながら / 2. 暗い湖の畔で / 3. 魔女の安息日 / 4. 待ち伏せ / 5. 森の静けさ / 6. 嵐の時】
◦3.8点


4手用の小曲集全10曲。どの曲もインスピレーションが働いていて華がある。伝説になった古い物語を聞かせてもらうような気分になる。詩的情緒にあふれており、温かい気分に包まれるかのような素敵な曲集である。こんな名作があるのかと驚いた。


ピアノ独奏曲

•主題と変奏 変イ長調 作品36、B.65

•詩的な音画 作品85、B.161

全13曲【1. 夜の道 / 2. たわむれ / 3. 古い城で / 4. 春の歌 / 5. 農夫のバラード / 6. 悲しい思い出 / 7. フリアント / 8. 妖精の踊り / 9. セレナード / 10. バッカナール / 11. おしゃべり / 12. 英雄の墓にて / 13. 聖なる山にて】

•ユーモレスク 作品101、B.187◦3.5点 ただし7曲目は5.0点


全8曲【1. 変ホ短調 / 2. ロ長調 / 3. 変イ長調 / 4. ニ短調 / 5. イ短調 / 6. ロ長調 / 7. 変ト長調 / 8. 変ロ短調】

有名や7曲目は冴えたセンスの良いメロディーの組み合わせが見事で、端正さと民族的な粘り気の両方を絶妙にブレンドした名曲。他の曲もアメリカらしさを生かした楽しめる曲が多い。

•影絵 B.32作品8 1872

B.98の初期の草稿。この版でも十分に詩的な美しい曲揃いで楽しめる。


声楽曲

教会音楽、カンタータ、オラトリオ

•スターバト・マーテル 作品58、B.71◦3.8点


子供が相次いで亡くなるという個人的な不幸を契機にしているだけあり、真に心に刺さる音楽だ。悲しみに突き動かされて書いたのがよく分かる。いつもとドヴォルザークと全く違う音楽である。和声などはシンプルで、この時代にしては古い音楽のように聴こえる気がするが、シンプルな方がより切迫感を増すものなのだろう。剥き出しの感情描写ともいうべき場面が多く、聴き入って感動させられる。

•レクイエム 変ロ短調 作品89、B.165◦3.3点


いい曲ではあるが、どこか堅い印象。スターバトマーテルが心の中から自然に湧いてきた感情から作曲されたのと比較すると、なんとなく心に迫る感じがない。立派で良い曲ではあるが、ドヴォルザークでなければ書けない何かをあまり感じない。感動的大作ではあるものの、どことなく高く評価しにくい。

•テ・デウム ト長調 作品103、B.176


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html#c5

[近代史3] アレクサンドル・スクリャービン 『焔に向かって』 中川隆
1. 中川隆[-14022] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:33:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-691]

クラシック音楽 一口感想メモ
アレクサンドル・スクリャービン( 1872 - 1915)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3

大作である交響曲、協奏曲、ピアノソナタはいずれも充実した傑作である。

また、大半がピアノ曲の作曲家であると共に、1〜3分の短いピアノ小品をたくさん残した。ピアノ音楽史上最重要な作曲家の一人である。

小品群は前期と後期はハズレがなく、概ねどの作品もはっとさせられる美しさを持っているが、中期は面白くない曲が多いと私は思う。

管弦楽曲・協奏曲

•ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20◦4.0点


ショパンのピアノ協奏曲に魅力が似ている。若い時だけのセンチメンタルでウブな純情をオーケストラの伴奏に乗ってピアノの独奏で吐露していくような、感情に浸って聴く音楽である。特に2楽章はそうであり、瑞々しく恥ずかしくなるほどに生々しいセンチメンタルな美しさは、クラシック史上稀にみるものであり特筆に値する。

聴き映えがするのはやはり3楽章であり、高揚感を保ち進む音楽に心がウキウキする中で感動的に現れる美しい第2主題が心を奪う。ショパン同様に若書きの未熟さが感情面の演出の一つの要素となっている。同時代ではラフマニノフのピアノ協奏曲ほどの総合性を備えてはいないものの、非常に魅力があり私は中毒になった。もっと頻繁に演奏されて良い曲である。

•交響曲第1番 ホ長調 作品26◦3.3点


聴き方が難しい…大仕掛けの多彩な楽章で最後は独唱と合唱が登場する全6楽章。夢のような1楽章など、美しい曲もあれば、スクリャービンの線の細さの欠点が露呈している箇所も多い。後期ロマン派らしい和声やオーケストレーションで、知らずに聴いたらスクリャービン作曲と当てられない人は多いだろう。途中の部分はあまりまとまりが良いとは思えない。独唱と合唱による、最初はプッチーニ似かとおもいきや、だんだんマーラーに似ていく壮大でメルヘンチックでもあり、感動的な最終楽章だけでも聞く価値はある。


•交響曲第2番 ハ短調 作品29◦3.5点


交響曲1番の軽さとまとまりの悪さを克服している。重厚さと力感にあふれた、どっしりとした腰の重さが印象に残る。それでもロシア臭があまりしない洗練されている所がよい。陳腐さも少ない。全5楽章で50分近い大作。内面的な情熱の強さもある種の悪魔的な感覚が上昇する音形の多用により表現されている。ただ、雰囲気の統一感はあるが多様性が少なく、大作のわりに同じ雰囲気が続き、総合性に欠けるのがかなりマイナス。

最終楽章は、締めの音楽として割と分かりやすく演出されているが、1番の素晴らしさはない。


•交響曲第3番「神聖な詩」ハ短調 作品43◦3.3点


中期の作品であり、初期ほどに明快なロマン派音楽ではなく曖昧で神秘的な世界を垣間見せるのだが、調性は明確である。曲が長く楽章に切れ目がない。ピアノ曲では表現しきれない管弦楽ならではの壮大さとスクリャービンらしいロマンを楽しむことが出来るため、長さを気にせずに聴けるならば、音に浸ってなかなか幸せな時間を過ごせる。ピアノ曲はどうしてもせわしなく音楽が展開していくものであるが、スクリャービンにとって必ずしも必須だったわけではないようだ。以前はここに成功作とは思えないと書いていたが誤りだった。とはいえ、このようなお腹が一杯になる大曲は基本的には彼の持ち味を活かすものではなく、この1曲だけだから良いという気もする。


•交響曲第4番「法悦の詩」ハ長調 作品54◦3.5点


交響曲と交響詩の中間のような曲だと思う。神秘和音の響きと、何度も繰り返される動機の醸し出す雰囲気と、何度も繰り返されるエクスタシーの高潮を楽しむ曲。


•交響曲第5番「焔の詩 -- プロメテ」作品60◦3.5点


6番以降の後期のソナタの直前に書かれている。一種のピアノ協奏曲といっても良いピアノ独奏入りの交響曲。神秘和音を中心とする音の作りもピアノ書法も後期ソナタ同様の世界であるが、管弦楽があるため色彩的であり雰囲気のイメージがつかみやすく、少し調性的にも感じられるため聴きやすい。スクリャービンの頭の中のイメージがよく分かるため、彼の後期の音楽の入門に良いかもしれない。曲想は神秘性を中心に超常的なイメージが広がり展開していく感じであり、イメージの多彩さを楽みながら聴ける。

ピアノ曲

ピアノソナタ

•第1番 ヘ短調 作品6◦2.5点


4楽章の大作。激情的な表現の一楽章と葬送的な4楽章がまあまあ。しかし、あまり霊感の強さを感じず、スクリャービンとしては傑作の範疇に入らないと思う。

•第2番「幻想ソナタ」嬰ト短調 作品19◦2.8点


1楽章の中の光の幻影が波を打っているかのような幻想的な夢のようなはかない部分が大変美しい。二楽章の無窮動曲は平凡だが。

•第3番(「心理状態」)嬰ヘ短調 作品23◦2.8点


3楽章ノクターンから暗い情熱を湛えた4楽章への流れはショパンのソナタ3番みたいだ。がっちりとしたソナタを書こうとしたのは分かるが、何だかもの足らない感じが聴いている間ずっと付きまとう。

•第4番 嬰ヘ長調 作品30◦4.0点


神秘的なスクリャービンらしい斬新さが現れ始めているが、まだロマン派の聞きやすさを残していてバランスが良い。ジャズに少し似た複雑な和音を使っている。2楽章の光の粒のようなキラキラした音が飛び跳ねるさまが独特であり、躍動感と推進力を保ちながら、たった4分の中で次々と新しい雰囲気を見せる極めて内容豊富な音楽である点で、ピアノ音楽史上で稀に見る傑作であると思う。最後は和音連打で光の速さで空の果てまで飛んでいくような雰囲気になるのがかっこいい。

•第5番 (ロ長調〜変ホ長調)作品53◦3.5点


4番とは違いドロドロとした雰囲気が現れ始めている。しかしまだ壊れきっておらず、ロマン派らしさも残っている。とにかく静と動の対比が徹底しており、力強さと豪快さがあって聴き栄えがするのと、過渡的に適度なドロドロ感を持っていて初期の綺麗すぎる音楽よりもインパクトが強いのが、人気の理由だろう。特に最後の盛り上がりの部分の高揚感は何度聞いてもスカっとするような満足感がある。一方で、たった6日間程度で書かれただけあって、勢いに任せて半ば即興的に書かれた印象があり、緊密な内容豊富さを楽しむことはできない点で自分は4番よりも物足りなな感じる。

•第6番 作品62◦3.5点


この曲はかなりとっつきにくい。ドロドロとした場面が延々と続く中で、7番のような分かりやすく理解できるような旋律や盛り上がりがない。しかし、後期の後半ほどは旋律の絡みの複雑怪奇さがないが、和声は徹底した妥協のない追求がされており、精神的な集中度は7番と並び素晴らしい。。グロテスクな響きが延々と続いていきながら音楽が進行する様は、慣れてくると妙に気持ち良さすら感じるようになる。

•第7番「白ミサ」作品64◦3.8点


6番以降では最初に完成。非常に鋭角的な鋭い響きがする曲である。神秘的で荘厳な儀式が行われるような雰囲気を明確に感じられるし、とにかく素材もその料理の仕方も内容豊富で構成が複雑で非常に多くの場面が詰め込まれた、非常に重量感のある大変な力作のソナタである。冒頭から非常に印象的で悪魔的な響きが強く心に突き刺さるし、第二主題の深遠さも素晴らしい。後半の爆発的な部分の衝撃的な圧倒性も素晴らしい。

•第8番 作品66◦3.3点


最後に完成されたソナタ。6番に似ているとっつきにくい世界であるが、こちらは複数の動機を組み合わせながら、神秘性な雰囲気が色彩感の豊かさを持って変容していくさまが、とにかく恐ろしく複雑怪奇な音の絡みで表現された究極的な世界を楽しむことができる。薄明かりの中で超常的な神秘的な現象が少しずつ変容しながら発生している様を楽しむ曲と思われる。他の後期ソナタと違い、大きく盛り上がる場面がないため、曲を聴きながら感じる欲求不満がずっと解消されないため、気分が乗らないと聞く気ならない。

•第9番「黒ミサ」作品68◦3.5点


7番と同じく荘厳で悪魔的なイメージが分かりやすい。曲が短く、後半に向けて段々早くなっていき最大の盛り上がりを作ったところで静かに終わる、というシンプルな構造であるため、構成が把握しやすい。しかしその代償として、後期の濃厚で何度聞いても理解しきれない複雑さが足りない。曲の短さもあって悪魔性をとことん極限まで突き詰めて心がお腹いっぱいになる感を覚えられない。そのた、後期ソナタの中では、入門に最適な分かりやすさと聴きやすさはあるのだが、慣れてくるとこの曲だけ物足りなさを感じる。

•第10番「トリル・ソナタ」作品70◦3.5点


執拗なトリルの繰り返しが顕著な、趣向的な曲である。しかしながら、後期ソナタの中でもっとも晴れやかであり、太陽に照らされた大地の壮大さを感じさせる力作である。後期ソナタの中では悪魔的な感じは少ない。展開部最後のトレモロによる盛り上がり部分は、ピアノの限界を見せる名場面であり、大自然の中で大きく息を吸い込んで自然の恵みに感謝するような気分になる。何度聞いても胸が一杯になる場面である。

•幻想ソナタ 嬰ト短調◦2.0点


14歳の作品だそうで、ものすごくショパンぽい。スクリャービンの出発地が分かる。曲の出来は天才少年だと感じさせるが、完全な亜流だから出来たことなのかもしれない。

ソナタ形式によるピアノ曲

•ポロネーズ 変ロ短調 作品21◦2.5点


唯一のポロネーズ。7分。洗練された透明感を魅せながらも泥臭く勇壮なポロネーズだが、曲がどちらに進みたいのか把握しにくい。さまようような印象。

•幻想曲ロ短調 作品28◦4.0点


雄渾で壮大で中身の詰まった大変な力作である。第二主題が素晴らしいメロディーである。初期の曲の中ではピアノソナタと比較してよりよくまとまっている。荘重な悲劇的な雰囲気で始まり、曲の中間に第2主題の感動を爆発させるように再現させる辺りは、ショパンのバラード1番と同じような構成である。実際、10分の時間で多くのテーマを使いながら緊密で濃密なドラマをピアニステックに展開させている点において、ショパンのバラードやスケルツォと完全に同レベルにある数少ない作品の一つである。

•悲劇的詩曲 変ロ長調 作品34◦3.0点


かなり激しい和音の連打で非常に演奏が難しそう。明るく分かりやすいメロディーがあるのに、伴奏が激しすぎて聞こえにくいほどである。悲劇的な感じではないのに何故悲劇的という題名なのだろうか。

•悪魔的詩曲 ハ長調 作品36◦2.8点


ピアニスティックな激しさがあり、まさに悪魔的な感覚が表現されている。規模の大きな詩曲。後期への入り口に入り込んだような音の使い方がある。後半はかなり激しい。

•ポエム・ノクチュルヌ 作品61◦3.0点


後期のソナタ以外の長い曲の一つである。夜というよりは夜明けの薄明の中ようなイメージである。同じフレーズを繰り返しながら少しずつ雰囲気を盛り上げていくのだが、ソナタのような総合性はなく、投入されている素材は多くない。時間の長い小品というイメージであるが、時間が長い分、よい雰囲気があっという間に終わってしまわないのがよい。

練習曲

•12の練習曲 作品8◦作品8-11 5.0点
◦その他 4.0点


作品8-11は悲愴という副題で呼ばれることもある。史上最も情熱的なピアノ曲のひとつであり素晴らしい名曲。他の曲はかなりショパンに似ており、ショパンの曲だと言って知らない人に聴かせたら信じてしまいそうだ。やや芸風の幅が狭いこと、所々にロシアの香りがほんのり漂う所が違うくらいか。ショパンに似すぎとはいえ、耳に残る名曲ばかりで、練習曲集としてかなりの名作だと思う。

•8つの練習曲 作品42◦作品42-5 5.0点
◦その他 3.0点


作品42-5は情熱がほとばしるような美しい主題を素晴らしいピアノ書法で歌わせている。センスのよさと完成度の高さで彼の代表作といえる小品である。その他の曲は、作曲技法の洗練度の高さはすぐに分かるものの、耳を捉えるメロディーが無く鑑賞用の曲としては微妙である。

•3つの練習曲 作品65◦3.8点


後期らしい神秘和音の世界であるにも関わらず、練習曲であるため聞きやすいのがいいところである。1曲目はとても神秘的なキラキラした音がする、他に類を見ないような斬新で画期的な音世界である。コインがチャリンチャリンと鳴っているようでもある。9度の練習曲という特異な練習曲の特徴をこれ以上ないくらい活かしている。穏やかな2曲目を経て、圧巻の3曲目。地獄の業火のようでめちゃめちゃカッコいい。後期が苦手な人にも試しに聴くように薦めたい。


マズルカ


•10のマズルカ 作品3◦3.3点


学生時代の作品であり、基本的にショパンの亜流であるが、その中に新しいピアノ書法やスクリャービンらしい繊細な個性が多少は入っている。

10曲のバラエティーは豊かであり、結構いい曲が多い。マズルカ独特の憂いが素敵。ショパンのマズルカが好きな人は楽しめるだろう。最後の曲は長いうえに面白くなくて頂けないが。

•9つのマズルカ 作品25◦2.8点


作品3と違い、ショパンの亜流ではなく明確なスクリャービンの個性は出ているが、マズルカとしては残り香が漂う程度であり普通の小品に近くなっている。洗練されたスクリャービンらしい小品集だが、憂いや粘りのような濃厚さがなくなり、その代わりに精妙で詩情はあるが線が細く旋律の魅力があまり多くない曲になってしまった。素敵な部分も散見されるが、魅力は全体としては落ちていると言わざるを得ない。

•2つのマズルカ 作品40◦3.0点


この2曲はどちらも濃厚で晩年のショパンのマズルカのような切なさや人生を邂逅するような趣もあって、なかなか印象的な小品である。


詩曲

•2つの詩曲 作品32◦3.8点


1曲目の半音階的な進行により微妙なゆらぎのようなものを表現した柔らかく絶妙で詩情豊かな世界は、達人の技である。この曲は多くの人に広まるべきである。かなりの名曲だと思う。2曲目は激しくて中期らしい複雑さがあり、普通のメロディーのようでありながら耳に残るものがあるものの、1番に比べれば普通の曲。

•詩曲 変ニ長調 作品41◦2.8点


左手の音数が多くて、3分と大きめの規模である。左手の和声から大きく外れたテンションコードの音を徘徊するような旋律は印象である。しかし、いい曲と感じるほどではない。

•2つの詩曲 作品44◦2.8点


1曲目はラフマニノフのように茫洋とした雰囲気の中でなんとなくメランコリック気味な旋律が蠢く音楽である。2曲目はショパンのような旋律であり、時代を考慮すると単なる普通の曲である。

•2つの詩曲 作品63◦3.3点


1曲目は静かな曲で捉えにくいが、スクリャービン らしい詩魂が込められた霊感に満ちた独自世界は面白い。2曲目は、キラキラした珍しく音数の多い作品であり、旋律が1度で覚えられるような印象的なもののため楽しめる曲である。

•2つの詩曲 作品69

•2つの詩曲 作品71◦3.0点


1曲目はミニ版ソナタ8番とも呼びたい。旋律が似ており光や風の揺らめきが表現されていて雰囲気がよい。2曲目はこれといった特徴がなく面白くない。

•詩曲『焔に向かって』作品72◦3.3点


なんともヤバい曲である。同じ動機を繰り返しながら少しずつ音の高さをずらして、音の数を増やしながら、じわじわと音楽が進行する。高音で神秘和音をカンカンと鳴らして、二重トリルで表現される焔が不気味なゆらぎを少しずつ大きくしていく。世紀末的な世界を焼き尽くす焔が少しずつ大きくなっていく様を描いているようだ。最後の作品の一つにふさわしい、スクリャービンの後期の特徴がもっとも純化された曲である。


即興曲

•2つのマズルカ風即興曲 作品7◦2.8点


マズルカのテイストの美しさと心情的な陰影の深さをうまく活用しており、どちらも耳に残るものがある小品。

•2つの即興曲 作品10◦3.0点


どちらも透明感があり洗練された美しさが耳に残る曲である。控え目なショパン風味も効果的。

•2つの即興曲 作品12◦3.0点


1曲目は軽やかな三拍子で華やかさがあり楽しい。2曲目は重々しくて悲劇的でラフマニノフを連想するが、中間は夢をみるような美しさ。どちらも楽しめる。

•2つの即興曲 作品14◦3.0点


1曲目は静かななかで右手が自由に想いを述べるようなメロディーを弾く。2曲目の雰囲気は舟歌のようであり、陰影に富んだ情感的でかつ情景を浮かび上がらせるような美しい作品。

前奏曲

•24の前奏曲 作品11
•6つの前奏曲 作品13
•2つの即興曲 作品14
•5つの前奏曲 作品15
•5つの前奏曲 作品16
•7つの前奏曲 作品17
•4つの前奏曲 作品22
•2つの前奏曲 作品27
•4つの前奏曲 作品31◦3.3点


1曲目はショパンの初期ノクターンに似た世界であり、親しみやすく美しいメロディーを素直に楽しめる。他はごく短い曲であり、断片的な前奏曲である。

•4つの前奏曲 作品33◦2.5点


作品31と異なり、核になる曲がなくて全曲が短い断片である。はっとする部分も見当たらず、あまり聴いて楽しめるような曲集ではない。

•3つの前奏曲 作品35◦2.8点


1曲目はかなりショパンに近い高速の前奏曲。2曲目は同じ調子が続くレティタティーボで長いのだが、変化が少なくて面白くない。3曲目は悪くないが、まあ普通の出来のショパン時代にも生まれていておかしくない前奏曲である。

•4つの前奏曲 作品37◦2.5点


2分の曲が2つあり、前奏曲としては短くはないのだが印象に残る曲がない。面白くない。初期から変貌するにも同等の代替的な魅力を見つけられていない感じだ。

•4つの前奏曲 作品39◦2.5点


この曲集も耳に残るものがなく面白くない。

•4つの前奏曲 作品48◦3.0点


2曲目の静謐な浮遊感と透明感が心を捉えるものがある。他の曲は短いのだが、2曲目がよいためそれを引き立てる曲のように聴ける。

•2つの前奏曲 作品67◦3.3点


1曲目は単音の右手の音の動きと和音を伸ばす左手という構成はシンプルだが、変化のつけ方や和声は良く出来ていて、きちんと力を入れて書いた作品として楽しめる。次の曲に繋がるように終わるのもよい。2曲目はプレストで右手と左手のグロテスクな音のぶつかりが早めのフレーズの中で連続するのがゾワゾワとさせられて楽しめる。

•5つの前奏曲 作品74

3.3

1分程度の断片的な短い前奏曲が並ぶ。後期ならではの音使いで醸し出される独特の詩情は、どれも他では聴けないはっとさせるものがある。なかなか言葉では伝えにくい、ソナタでは出来ない魅力を小品作曲家として見事に見せている。


小品

•3つの小品 作品2

•3つの小品 作品45◦3.0点


1曲目はショパンのマズルカのような旋律であり耳に残る。2曲目はごく短いが後期のような響きが目新しい。3曲目は和声がいつまでも解決しないまま最後までなんとなく音の動きが続く曲であり、実験の曲という印象である。

•3つの小品 作品49◦2.8点


3曲ともごく短い。後期に向けて音楽が壊れていく過程をそのまま切り出したようなものであり、3曲とも独立した作品としての面白さは感じない。

•4つの小品 作品51◦2.5点


わたしには4曲とも特段良いところが見当たらず、面白くない曲集である。後期の世界の模索がスタートしたばかりの習作では、と思ってしまう。

•3つの小品 作品52◦2.8点


3曲とも音の響きは後期になっていないが、曲想は後期そのものである。やりたい事を実現する方法を模索しているのがよく分かる。しかし曲としては面白くない。

•4つの小品 作品56◦2.8点


曲名がプレリュードではなく題名が付いているおかげか、少し耳に残る曲が集まっている。たいした作品ではないのだが、後期を模索するだけでない霊感を多少は感じる。とはいえ習作レベルと思われる。

•2つの小品 作品57◦3.0点


どちらも1分の小さな作品でありアンニュイな雰囲気が強い。後期の世界に変貌しつつもまだ中期の香りを残す過渡期作品として楽しめる。まさに脱皮中という感じだ。

•2つの小品 作品59◦2.8点


1曲目は中期から後期への変貌の過程として面白い。作品57からさらに和声が後期寄りになっている。2曲目はソナタ6番に似ている。力強さがあり、一つの和音にこだわっているように聞こえる。どちらも面白いが観賞用としては旋律の楽しみが少ない気がする。

その他ピアノ曲

•ワルツ ヘ短調 作品1


•アレグロ・アパッショナート 作品4◦2.8点


11分の大作。若書きのソナタの1楽章からの改作。テクスチャーの細かさが印象的。幻想的な雰囲気。初期にしてはショパンに似ていない。モヤモヤとした雰囲気が続き、主題の明確な効果に欠ける。

•2つの夜想曲 作品5◦2.5点


10代の曲で2曲目に至ってはなんと12歳。年齢の割には雰囲気の作り方が凄いと思ったが、印象がモヤモヤしているのも若い時からなのかと思った。

•左手のための2つの小品 作品9◦3.0点


浮遊感のある作風は片手の作品と相性がよい。メロディーが明確の浮き上がっていて、むしろ両手より聞きやすい。知らずに聴いたら片手の曲とは気付かないかもしれないくらい音は充実している。2曲目は盛り上がりもある。

•ワルツ 変イ長調 作品38◦3.5点


夢を見るような素敵な旋律と場面展開が楽しい曲である。スクリャービンらしい詩情があり、ショパンをあまり感じないないのもよい。中期の名作の一つだと思う。

•スケルツォ 作品46◦3.0点


この曲は中期らしい和声とスケルツォの取り合わせの妙があり独立した面白さがあり、短い曲のわりに内容豊富で聞く価値のある内容である。

•ワルツ風に ヘ長調 作品47◦3.0点


テンションコードの音に飛ぶワルツということで、なかなか不思議な雰囲気を出していて短い曲だが面白い。

•アルバムの一葉 作品58◦2.8点


これは断片的なフレーズの集積であり、後期の響きが過渡的でなく完成されているように聴こえる。独立した作品という感じではなく、新しい響きを模索したスケッチに聴こえる。

•2つの舞曲 作品73◦3.3点


ダンスと名付けられているが、後期のドロドロした神秘的な世界であり、とてもではないが踊れるような曲ではない。だがこの2曲は3分と2分で小品の中では規模の大きな曲であり、その分の聞き応えがある。1曲目は洞窟の奥に人知れず輝く神秘の秘宝を音にしたような、とても印象的な曲。2曲目は特徴が少なくて、神秘和音の小さなフレーズを積み重ねて貯めた力を少しずつ解放していき、爆発には至らず終わる曲。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/873.html#c1

[近代史3] ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』 中川隆
2. 中川隆[-14021] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:36:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-690]

東欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana, 1824-1884)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7


連作交響詩『わが祖国』(Má Vlast)(6曲)(1874-79年)

•第1曲:ヴィシェフラド◦3.8点


ワーグナーをすぐに連想するような、古代的なおとぎ話のような雰囲気を持っている。ヴィシェフラド城という城を題材にしているのはよく伝わってくる。心地よいファンタジー感で楽しい。かなり良いのだが、ワーグナーほど情熱的で地が湧く感じでないところに彼との差を感じる。

•第2曲:モルダウ◦4.5点


主要なメロディーをはじめとして、どの場面も旋律、雰囲気、音による描写の的確さなどいずれも非常に優れている。甘く劇的で描写的なロマン派の美点を見事に代表する曲の一つと言えるだろう。大地を流れる大河の自然の壮大さ、川の水のエネルギーなどをこれ以上なく表現できている。

•第3曲:シャールカ◦3.3点


やや和声や旋律に凡庸さを感じる場面が多くあるが、次々と移り変わる場面に身を任せることができるため、いちおう問題の解決になっている。ボヘミア的な民族的な旋律が楽しい。劇的ではあるが、激しさはそれほどでなく、おとなしい激しさとも呼ぶべき程度である。

•第4曲:ボヘミアの森と草原から◦3.3点


前半の森林浴やハイキングをしているかのようや自然の気持ちよさを満喫できる音楽。実際にハイキングに出かけたくなる。後半はポルカで楽しい踊りの音楽。ドヴォルザークのような躍動感があるが、同時に軽さもある。

•第5曲:ターボル◦3.0点


鋭角的な音楽。戦いを表現しているようだ。他と同様に正統派な交響詩らしい交響詩だが、インスピレーションは他と比べて強くない気がする。さらっと聴けて印象にあまり残らなかった。

•第6曲:ブラニーク◦2.8点


密度がオペラの音楽並みに感じでしまい、あまり楽しくない。正統派の交響詩として悪い曲ではないのだが、なんだか感動できる要素がかなり少ない。ここが良い、という部分がない。あと、5曲目と同じ旋律が多用されているのもマイナス。フス教徒の賛美歌とのことだが。


室内楽曲

•弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876年)

•弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83年)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/884.html#c2

[近代史3] モデスト・ムソルグスキー 組曲 『展覧会の絵』 中川隆
2. 中川隆[-14020] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:39:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-689]

ロシア(1889年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
モデスト・ムソルグスキー( Modest Petrovich Mussorgsky, 1839 - 1881)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29

管弦楽曲

•交響詩「禿山の一夜」


ピアノ曲

•組曲「展覧会の絵」◦5.5点


どの曲も強靭な発想力と独特の土臭さと色彩感が両立していて大変面白い。組曲としてのまとまりやプロムナードの変奏など曲集としての全体の構成感も大変素晴らしい。捨て曲なしであり、間奏的な作品はあるものの、名作揃いである。最後のキエフの大門の圧倒的なフィナーレには感動してしまう。ロマン派のピアノ用組曲としては圧倒的な出来だと思う。

ラヴェルの華麗な編曲も素晴らしいが、より土着的でグロテスクさもあるピアノ版が自分は好みである。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/874.html#c2

[近代史3] 音楽史上最高の名作 モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
4. 中川隆[-14019] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:42:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-688]

イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ
クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi, 1567 - 1643)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2

ルネサンスからバロックへの、西洋音楽至上最大の変革の両方の時代に生きた、前期バロック最大の作曲家。

彼の時代はまだ異世界音楽という感じであり聞きやすくないが、その中でも強く感情をほとばしらせる力は心に訴えかけるものがある。


•聖母マリアの夕べの祈り(1610年)◦3.5点


さまざまなバラエティ豊かで充実感がみなぎり滋味もある音楽が続く大作。まだバロック音楽というよりルネッサンス時代の音楽に近く、通常耳にするような音楽と仕組みが違うので、分かりやすくはない。

•倫理的、宗教的な森◦3.5点

長い曲なので、パロットの抜粋版で聴いた。「聖母マリアの夕べの祈り」同様に古い音楽ではあるが、通奏低音がより明確なラインとなっていて聞きやすいと思うし、敬虔な癒しの音楽という全体的な印象があるとともに、曲集としての総合性を感じる。自分はこちらの方が好みかもしれない。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/814.html#c4

[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
6. 中川隆[-14018] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:00:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-687]

クラシック音楽 一口感想メモ
リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864 - 1949)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9

交響詩は、まだ存命だったブラームスとは時代の違うドイツの代表的な近代的な管弦楽法と、マーラーやブルックナーのように長大でなく気軽に楽しめる点で演奏頻度が高い人気曲が多い。

他のジャンルも優秀な作品を残しており、自分はほとんど聞いたことがないがオペラ作曲家として特に評価が高い。後期ロマン派の中ではバランスと総合性があり優秀な作曲家。


交響詩


•『ドン・ファン』1888年◦3.3点


交響詩というより交響的な舞台物語を見せてくれる感じである。正直なところ音楽が心に響く場面は無い。その意味では凡庸な曲だが、実に達者な管弦楽の扱い方を見せるので、しきりと感心してしまう。

•『マクベス』1890年◦2.5点


リヒャルト・シュトラウスの良さは部分的には現れているが、主題の魅力や音楽的な展開の自由で達者な筆致が足りず、まだ高みに登ることが出来ていない作品であり、努力を感じるが物足りないまま終わる。

•『死と変容』1889年◦3.3点


儚く美しい生の思い出と死を描いた曲。情緒的で浄化された美しさがあり、活発な部分もリヒャルト・シュトラウスにしてはロマン派的な分かりやすい曲になっている。しかし、展開はあるものの緩やかであり生への執着を描写するにしても25分はさすがに冗長である。死をテーマにしているため、マーラー晩年の曲に似ている。

•『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』op.281895年◦3.3点


管弦楽によるユーモラスな冒険活劇。描写的な音楽であり、ナレーションが欲しいほどである。巧みな管弦楽法とユーモラスなフレーズを楽しむ曲。

•『ツァラトゥストラはこう語った』1896年◦3.5点


有名な冒頭場面は心踊る。それ以降は大規模管弦楽を活用した場面表現力の卓抜さが際立つ。自然世界と人間の精神世界を行き来するような不思議な感覚の音楽が続く。心には響かないが興味深く音楽を追う事が出来る。一番長い後半の舞踏の部分とその後の終結部分は楽しい。

•『ドン・キホーテ』(Don Quixote)1897年◦3.5点


明るい曲だが、それほどユーモラスな印象はなく、むしろかなり叙情的である。独奏チェロと独奏ヴィオラの活躍もあるためかなり聴きやすい曲である。様々な場面展開が楽しめるし、変奏曲と銘うっていることもあり、リヒャルト・シュトラウスには珍しい落ち着いて聴ける居心地のよさがある。しなやかな叙情性と旋律の豊さは素晴らしい。

•『英雄の生涯』(Ein Heldenleben)1898年◦3.3点


歌のないオペラと呼びたいほど物語的な内容である。大規模な管弦楽の機能をフル活用して壮大かつ劇的に音楽が展開していく様は聞き物である。前半はあまり心に響かず、曲に思い入れを持ちにくい。後半は情緒的で聴きやすい。

交響曲


•家庭交響曲(Sinfonia domestica) 1903年◦3.0点


交響曲と命名されているが、表題性があり、内容は交響詩とにたようなものと思う。交響曲らしい総合性は少ししか感じられない。逆にいうと、楽章構成の中に少しは感じる。マーラーのようなゴージャスな管楽器の活躍する管弦楽の使い方が楽しい。演奏はいかにも難しそうだ。メロディーにはそれほど魅力がないが、派手だが艶めかしく幻想的で柔らかさもある雰囲気は悪くない。ただ正直にいって、こんな派手で大仕掛けの音楽は『家庭』を連想しないけれど。

•アルプス交響曲(Eine Alpensinfonie) 1915年◦4.0点


リヒャルト・シュトラウスはメロディーが分かりにくくて、とっつきにくい曲が多いが、この曲は表題的で非常にわかりやすい。まさに、彼の管弦楽曲の大作としての総決算と思う。交響詩の世界の広さを拡大して、精神的に成熟させて力みをなくしている。さらに、具体性を持たせて、親しみやすくさせたものに感じる。マーラーに近いが、マーラーと比較して哲学的なものが無い表題音楽であり、そこが良い。エンターテインメント音楽であり、余計な事を考えずに楽しめる。管弦楽法はやはりゴージャスで楽しめる。これほどのワクワク感やドキドキ感は彼の他の管弦楽曲では感じない。ロマン的心情を素直に表現しているからかもしれない。

管弦楽曲

交響的幻想曲『イタリアから』 1886年
◦3.3点


交響詩を書き始める前に書かれた4楽章の大規模作品。後期ロマン派らしいロマンティックで濃厚である。オーケストラを存分に壮大に歌わせており、ワーグナーに似ている。耳を楽しませるという点では、交響詩群に勝るとも劣らないと思う。何と言っても分かりやすいため、交響詩が苦手な人にもお勧めできる。しかし、精神的な成熟感や作曲者のオリジナリティやオーケストラの機能のフル活用という点では、少し落ちると思う。まだ技術が発展途上という印象であり、それにしては交響曲の長さであるため聴くのが大変。最終楽章よフニクリ・フニクラを使った楽章はウキウキ感とイタリアらしい陽気さがあってとても愉しい。


協奏曲

•ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品8 1882年

•ブルレスケ ニ短調(ピアノと管弦楽) 1885年◦2.8点


まだ最初の交響詩を書いていない初期の単一楽章ピアノ協奏曲。明確な和声と若干腰が重く重厚な中で醸し出すロマンチックな雰囲気、ピアノと管弦楽の交響的な協奏など、ブラームスの影響を強く感じる。

ピアノがかなり前面に出て華々しく活躍し、オーケストラも派手である点で聴きやすい曲なのだが、長くて捕らえ所が分からず聴いた後に残るものがない。

•ホルン協奏曲第1番変ホ長調 作品11 1883年◦2.8点


作曲者18才の時の作品であり、シューマンやメンデルスゾーンのような音楽で、後期ロマン派らしさは殆どない。ホルン協奏曲として貴重なレパートリーなのだろうし、聴きやすい曲ではあるが、あまり面白いという印象はない。リヒャルト・シュトラウスのルーツが分かる点では面白いが。

•ホルン協奏曲第2番変ホ長調 1942年◦2.5点


前作から60年を経た作品。長生きぶりが分かる。作品としては、1942年にしてはかなり古典的であり調性が明確だが、彼らしいヌルヌルとした滑らかさと転調の妙は生きている。独奏は出ずっぱりで大活躍であるが、楽想はかなり掴みにくい。切れ目なくなんとなく微妙に雰囲気が変遷していく。独奏も何かを言いたいのか、よく分からない。3楽章は音楽が一度切れてから盛り上がるから、分かりやすくなる。全体に、創造性に関して意志の明確さを欠いているように感じられる。いい曲とは言えないと思う。

•オーボエ協奏曲 1945年◦2.5点


1楽章は明快で流麗なオーボエが全面にでている。しかし、それ以上のものが何もない。2楽章は憂いのある少し美しい音楽。かなり古典的な内容。3楽章は、ユーモアもある美しく流れるような活発さで、一番優れた楽章である。ただし冗長なので後半は飽きてくる。

•二重小協奏曲(クラリネット、ファゴット、ハープ、弦楽合奏)1947年◦3.0点


2種類の管楽器による協奏曲は珍しいと思うが、ここでは成功している。オペラの伴奏の上で2人が歌っているような曲の雰囲気である。管楽器の協奏曲は、和音が出せないこともあり、どうしても一本調子になりがちである。この曲は違う2本の独奏のため、ずっと変化が多くなっている。それを楽しむ曲。このような構成の曲がもっと多ければよかったのにと思う。曲想としてはシンプルなもので特筆するべきものはないと思う。


室内楽

•チェロ・ソナタ 1883年◦3.0点


まだ18歳の作品であり、古風なロマン派の定跡の範囲内で書かれている。強い個性は感じられない。耳当たりの良さと、ある意味で上品で踏み外していないところが、とても聴きやすい曲という印象を与える。知らずに聞けばメンデルスゾーンと同世代の作曲家の曲に聞こえるだろう。精神的にはまだ大人になっていなくて定跡通りで面白くない部分は気になるが、華がありゴージャスで聞き映えのするソナタとして案外楽しめる。

•ヴァイオリン・ソナタ 1888年◦3.3点


1楽章はゴージャス感のある、交響的なスケール感のある曲。まだロマン派の真っ只中のような雰囲気。感情の変遷が楽しいとともに、曲の巨大さが心地よい。3楽章も似たところが多分にある。2楽章はロマン派らしい魅力。全体にヴァイオリンソナタとして存在感のある曲。ただし、スケール感の代償ではあるが音楽の密度の濃さが足りないと思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c6

[近代史3] フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」 中川隆
1. 中川隆[-14017] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:06:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-686]

クラシック音楽 一口感想メモ
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%29

モーツァルト、ベートーヴェンと並ぶ古典派の巨人。

2人に比べればキャッチーなメロディーやドラマ性に欠けて地味であるが、実力はほとんど変わらない。多作だが、工夫を凝らされているのでどの曲にも驚きがあり、快活で明るく滋味もあり、晩年は骨太で大変完成度の高い音楽に到達した。短くコンパクトにまとまっていて聴き易い。

交響曲一覧(Hob.I)

ハイドン入門はなんといっても交響曲である。107曲は多いが、だいたいの曲は何かしら聴き所がある。80番以降は傑作の森だし、それ以前もいい曲は多い。

とはいえ初期の1764年位までの作品は、ベートーヴェンの1790年代の作品みたいなもので成熟した時代とは別物だし、中期も時々駄作があり1〜2割くらい間引くとちょうどよいとは思う。


交響曲(1番から30番)


•交響曲第1番 ニ長調 1757◦3.5点


1楽章をはじめとして、どの楽章もエネルギー溢れる音楽でパワーに満ちており、心が躍る。音が非常に活き活きとしており、心を楽しませる度合いはハイドンの交響曲の中でもかなり上位クラスである。記念すべき1番に相応しい名作。

•交響曲第2番 ハ長調 1757-59/61以前?-64◦3.0点


どの楽章もパワーを感じるものの、1番のような名作感はなく、ごく標準的なレベルの曲である。メロディー重視というより勢い重視であり、高揚感があるため聴いていて楽しい。1番に続き3つの楽章しかなくコンパクト。

•交響曲第3番 ト長調 1759/60?-62◦3.5点


2番に続き、この曲も同様の楽しみのある曲。メロディーは耳に残らないものの、音の勢いに身を任せるだけでとても楽しい時間を過ごせる。初めての4楽章制で、構成が大きいだけ深みも増している。2楽章の骨太な手応えと陰影の深さにそれを感じる。最後の楽章は対位法の要素があり、ジュピター交響曲を連想する。

•交響曲第4番 ニ長調 1760以前?-62◦3.0点


3楽章制だが、各楽章はわりと長い。聴く楽しみなど、出来は同年の他の曲と大きくは変わらないが、プラフアルファの良さはあまり感じない。2楽章は短調だが、陰影の深さがあまりない。その代りにバロックのような端正さはあるため、わりと良い曲ではあるけれど。3楽章がメヌエットで終わるのは、優雅ではあるが締めくくりとしては物足らない。

•交響曲第5番 イ長調 1760以前?-62◦3.5点


1楽章は穏やかな曲。ホルンが美しい情景を演出する大変美しい曲である。このような詩情をハイドンが表現していたとは驚いた。教会ソナタ形式ならではかもしれないが、驚いた。2楽章も派手すぎず、聴きやすくて美しい。ヴァイオリンのソロの使い方も素敵だ。しかし、前半2楽章の素晴らしさと比較して、後半はありきたりであり、あまりトキメキがない。

•交響曲第6番 ニ長調『朝』 1761?◦3.8点


初期の交響曲。合奏協奏曲と交響曲の間のような曲である。旋律は単純で、和声も単純であまり機能が強くない。しかしながら、合奏的な楽器使いの多彩さが生み出す楽想の豊かさ、薄明のような雰囲気の詩情は驚くべきものがある。初期の曲だが非常に素晴らしい。

•交響曲第7番 ハ長調『昼』 1761◦3.5点


1楽章はごちゃごちゃした印象を受けてしまった。2楽章はソロの受け渡しがとても効果的で、非常に美しい。田園的な印象であり、様々な楽器のソロが活躍する様は多様な生命の息吹すらも感じさせる。3楽章と4楽章はこの合奏協奏曲らしい複雑さと音の動きの楽しさを存分に楽しませてくれる。ほぼ全ての楽器にソロがあるのは楽しい。

•交響曲第8番 ト長調『夕』 1761?◦3.5点


『朝』と同様に、バロック的な音の使い方により、活力のある貴族的な華やかさが演出されている。多くの楽器が活躍の場を与えられていて楽しい。素晴らしいのは2楽章。夜の帳の降りた世界で起こる幻想的で美しい情景は、大変美しい。ハイドンの緩徐楽章の中で、もしかしたら屈指の出来かもしれない。

•交響曲第9番 ハ長調 1762◦3.0点


小さな3楽章制の曲。小さく無難にまとまっているイメージであり、聴いていて楽しさはある。2楽章はフルートが旋律をずっと吹いていて大活躍で楽しい。3楽章は面白くない。

•交響曲第10番 ニ長調 1761?-66◦3.0点


これも9番と同じくコンパクトな3楽章制。1楽章はありきたりであまり面白くない。2楽章は優美で美しい。シンプルだがけっこう聞き惚れるものがある。3楽章はメヌエットと最終楽章を兼ねたような曲で、作曲者の意図はいちおう成功しているように聴こえる。

•交響曲第11番 変ホ長調 1761?-62/(1769?)◦2.5点


教会ソナタ。1楽章の雰囲気は素敵であり、空間的な広がり感のおかげで後期に教会ソナタ形式の1楽章を書いたならこう書いたかもと思わせるものがある。しかし、あまりに長すぎて終わるまで我慢が大変である。2楽章以降はその疲れのせいでいまいち頭に入ってこない。実際インパクトが薄く面白くない、ありきたりの曲に聴こえる。

•交響曲第12番 ホ長調 1763◦2.8点


1楽章はあまり印象的でない。2楽章の短調の憂いを活かして心に入り込んでくる様はなかなか良い。歌謡的な冒頭の旋律が分かりやすくて印象的。分かりやすいためか、ある意味でハイドンには珍しく映画音楽のようでもある。3楽章は普通の最終楽章らしい曲。

•交響曲第13番 ニ長調 1763◦3.0点


2楽章がチェロ協奏曲のようである。渋い音が気分を静かに盛り上げてくれる素敵な音楽である。3楽章も管楽器が活躍する、少し田園的な情緒がよい。4楽章はジュピターの最終楽章と同じドレファミの動機をふんだんに使っており、たたみかけるように高揚感を煽って盛り上げるところがそっくりである。聴いていてドキっとするのが楽しい。

•交響曲第14番 イ長調 1762/63◦2.8点


1楽章はハツラツとして元気がよくて良い。2楽章と3楽章はかなりありきたりで楽しくなく、がっかりする。4楽章は盛り上がる最終楽章であり、早いパッセージも登場したりして、楽しめる曲。2、3楽章のがっかり感をある程度挽回してくれる。完全には挽回できていないが。

•交響曲第15番 ニ長調 1761◦3.0点


1楽章は後年ほどもったいぶってはいない序奏からの、高速な音楽への突入はエンターテイメント的な楽しさ。また序奏の音楽に戻るのは斬新な構成である。ピチカートに乗った楽天的な音楽はオペラの前奏曲のようだ。2楽章の跳ねるリズムのメヌエットも楽天的で華やか。3楽章は普通。4楽章も普通。つまり1楽章の面白さが半分以上の価値を占めている。

•交響曲第16番 変ロ長調 1760頃/63?◦3.0点


1楽章は執拗な動機の繰り返しや、伴奏とメロディーの関係が珍しくて面白い。2楽章は普通であまり面白くない。3楽章は躍動感とモーツァルト的な力感のある音楽でなかなか良い。

•交響曲第17番 ヘ長調 1760頃/62?◦3.0点


1楽章は素朴ながらも、優美でありながら一つひとつの音に力強い表現のチカラを持たせているところがモーツァルトっぽい。2楽章も優美でモーツァルトを思い出す。彼よりもっと軽い遊びがあるし、中間の自由闊達さはかなり違うが。3楽章は3楽章制の欠点がモロに出ている。メヌエット風でいかにも物足りなくて満足できない。

•交響曲第18番 ト長調 1762頃/64?◦2.8点


1楽章はバロックの室内楽のようなごく素朴でのどかな曲調。2楽章も素朴で音の密度が薄く、聴きやすいが充実感がない。3楽章はディベルティメント風。どの楽章も聴きやすいのだが交響曲らしい充実感に欠ける。ただ、つまらないまではいかず、音感の良さで気分よく楽しませてくれるものがある。ただ、内容と比べて冗長だと思う。

•交響曲第19番 ニ長調 1757-59頃/60?◦3.0点


1楽章は疾走感があり、ダイナミックさが楽しい楽章。2楽章は短調で、歌劇の一幕のような具体的場面を思わせる描写的な音楽であり楽しい。3楽章は威勢の良い音楽であり、1楽章も似たところがあるため、この曲は尖った曲という印象を強くもつ。

•交響曲第20番 ハ長調 1757-59頃/63?◦2.5点


1楽章はトランペットが鳴り響く派手志向の曲。2楽章は優美さはあるものの、音の絡み方が単純である。3楽章もまた素朴で複雑さが足りないため手応えが足りない。4楽章はある程度の複雑さはあるが、トランペットの華やかさも上手く生かされていないし物足りない。

•交響曲第21番 イ長調 1764◦3.0点


1楽章は教会ソナタの1楽章としては良い塩梅の雰囲気で心地よい。2楽章のノリと快活さも良い。3楽章は曲としては普通と思うが、何よりアイネ・クライネ・ナハトムジークに冒頭が似ていてドキッとする。4楽章の前のめりさと舞台音楽的な人情を感じる快活さも楽しい。

•交響曲第22番 変ホ長調『哲学者』 1764◦3.5点


オーボエの代わりに音が5度低いコーラングレを使った渋い音が素敵。特に1楽章のバロック音楽の通奏低音を連続するようなゆったりとして豊かな低音の動きの上で、思索的ともいえるゆったりとした旋律を奏でる所が、哲学者の愛称の由縁になったのも納得の素敵さで魅力的。他の楽章は曲としては標準的に思えるが出来は良く、コーラングレ採用による響きの他との違いで楽しめる。

•交響曲第23番 ト長調 1764◦3.0点


1楽章は音をふんだんに使って、沸き立つような楽しい気分を演出したもので良い。2楽章もテンポは早くないが、楽しくてコミカル。3楽章と4楽章もコミカルで、特に4楽章は完全に諧謔的な音楽で客を驚かせるのを狙ってやっている。最後に消えるように終わるのはびっくりする。

•交響曲第24番 ニ長調 1764◦3.3点


1楽章は溢れるかのごとく素敵な光に満ちているような、幸せになれる曲。2楽章は冒頭から最後までフルートのソロが大活躍で、完全に協奏曲である。カデンツァすらある。とても美しく清純で運動性もあるフルートの良さを存分に引き出している曲で素晴らしい。3楽章は1楽章の幸せさと強く相関を感じるメヌエット。4楽章はジュピターの最終楽章を連想する骨太で壮麗な雰囲気で気分を持ち上げる曲。4音の動機も類似している。

•交響曲第25番 ハ長調 1761頃◦3.3点


1楽章は重厚な前奏に続いて、主要部も重厚さと疾走感を兼ね備えた曲なのが印象的。2楽章は中間の管楽器のソロがピツィカートに乗って奏される部分が楽園的な愉しさで良い。3楽章は普通の4楽章制の最終楽章のような曲調。それなりの聴きがいはある。

•交響曲第26番 ニ短調『ラメンタチオーネ』 1768◦3.3点


3楽章のメヌエットの独奏が大活躍するところとメロディーがチャーミングで素敵。愉しいなあと耳を奪われる。そのため、それに続く4楽章が存在しないのは非常に物足りなくて残念。また1楽章の激しい感情の表出も悪くない。

•交響曲第27番 ト長調 1761頃◦3.0点


1楽章は単に爽やかすぎるところがあり、ハイドンではないみたい。2楽章のシチリアーノも爽やかで何かの間奏曲のようだ。3楽章も同一性を保って爽やかであり、緊迫感が希薄な呑気な曲。どの楽章も音の密度が低くハイドンらしい良さは少ないものの、個性的な曲としての愉しみがあることは否定しがたい。

•交響曲第28番 イ長調 1765◦3.3点


1楽章のリズミカルな音形の支配する音楽は独特の躍動感に心を踊らせる効果があり、なかなか楽しい体験を与えてくれる。2楽章がその反動で低音中心の心が落ち着く曲調なのもよい。一方でリズムが活躍する場面があり一貫性を感じさせてくれる。その対比が楽しめる。3楽章もまたリズミカルさや、対比の鋭さで楽しめる曲。4楽章はコミカルさを内包しつつ、うまく締めくくってくれる曲。

•交響曲第29番 ホ長調 1765◦3.0点


1楽章は不思議な三拍子のきらびやかな曲であり、音の分解能が低いためメヌエットに似ているが違うという独特の雰囲気をもっている。2楽章は薄い音で掛け合いが続く、これまた不思議な雰囲気。といっても使われる音形はハイドンの手癖のようなものだが。3楽章はメヌエットの部分はなかなかよい。トリオは伴奏だけになってしまうという特殊曲。ハイドン研究室にあるとおり、これが元の作意とはとても思えない。4楽章も他の楽章と同じく、何か音が薄くてテンションが上がりにくい感じがする。

•交響曲第30番 ハ長調『アレルヤ』 1765◦3.0点


明るく快活な曲。悪くはないが特段の良さは見つからなかった。3楽章制であり、最後をメヌエット楽章で締めくくるところの雰囲気がやや面白い。


交響曲(31番から60番)
•交響曲第31番 ニ長調『ホルン信号』 1765◦3.8点


冒頭のホルンをはじめとした管楽器の大活躍が愉しい祝典交響曲。一番目立つのはホルンだが、他にも次々と新しい楽器が華々しく活躍する様は、豊かさがあるとともに痛快なエンターテイメントとして、ウキウキした気分になれる。かなり楽しめる。

•交響曲第32番 ハ長調 1760頃◦3.3点


33番との双生児のような同じ年に書かれた祝典交響曲。2曲はよく似ているのだが、気のせいか32番の方が内容が豊富で楽想も練られており、よく出来ている気がする。どの楽章も手応えを感じるものであり、単に派手なだけでなく品もよく優雅で、かつ中身のある良さを感じる。

•交響曲第33番 ハ長調 1760頃◦2.8点


祝典交響曲だから派手にトランペットとティンパニが鳴り響く楽しさはある。しかし、あまり深い内容がないため、完全にその場かぎりの音楽になっている。

•交響曲第34番 ニ短調 1767以前◦3.0点


最初にアダージョで始まる教会ソナタ形式でかなり古臭い印象のある曲。しかし、その音の響き方も含めた古臭さが味となり、新鮮さも演出するため、なんとなく興味を持って聴ける。

•交響曲第35番 変ロ長調 1767◦2.8点


これといって強い魅力を発見できなかった。1楽章の主題の組み合わせ方は良いなと思うが、特別によく出来ているというほどではない。

•交響曲第36番 変ホ長調 1761頃◦2.8点


多くの場面にバロックらしい素朴さをまだ残している。特に4楽章。全体に旋律の魅力はあまりない。過渡期を楽しむという点で好奇心を刺激してくれるところはある。

•交響曲第37番 ハ長調 1757-59頃◦3.3点


1楽章はティンパニがうるさいほど活躍する、祝典的なノリで攻めた曲。2楽章もティンパニが鳴り響き、勢いを抑えてはいるがパワーを持続しているのが面白い。3楽章は弦の冷静ながらも歌心と間合いの良い曲。他の楽章のどんちゃん騒ぎの間だから余計にかもしれないが、とてもよく出来た曲に聞こえる。4楽章は普通。

•交響曲第38番 ハ長調『エコー』 1769頃◦3.5点


軽妙なキレの良さがあり管楽器が大活躍するバロック的な音の軽さが楽しい。全編その雰囲気で統一されている。2楽章のエコーは楽しい仕掛けであり、ハイドンらしいあっと驚く機知の刺激を味わえる。

•交響曲第39番 ト短調 1765頃◦3.5点


1楽章はまさに文字通りの疾風怒濤の音楽。2楽章は1楽章の刺激を緩和しつつも、この楽章もまだ刺激的だと思う。なかなか面白い。3楽章は独特の地に足がつかない感じで面白い。4楽章はものすごく激しい曲。嵐のようなあまりの迫力に圧倒されてしまう。同じト短調のモーツァルトの25番との関連性を考えて聴くと面白い。

•交響曲第40番 ヘ長調 1763◦2.5点


4つの楽章すべて旋律の魅力が乏しく、それに代わる魅力も見つけられない。高揚感などの雰囲気的な良さも少なくて、気分が盛り上がらない。

•交響曲第41番 ハ長調 1770頃◦3.3点


2楽章の管楽器の活躍。3楽章の神々しいほどの輝かしさ。4楽章のたたみかける高揚感はいずれも愉しさを感じさせるもの。祝典的な交響曲として十分な価値がある。

•交響曲第42番 ニ長調 1771◦3.0点


1楽章は地味目でピンとこない。2楽章は大人な曲。長すぎるのが気になる。3楽章も、やや落ち着いている印象がある。4楽章がまた落ち着いていて、どうにもワクワク感が足りない。構成を工夫していて豊かさはあるが。

•交響曲第43番 変ホ長調『マーキュリー』 1771頃◦3.3点


品位と中庸な明るさや滋味や快活さや優美さのバランスに優れた、ハイドンらしい魅力に溢れた曲。上品で典雅な雰囲気が聴いていて心地よい。BGMに使えそうな穏やかな雰囲気である。1楽章からそう感じたが、楽章間の統一感もある。といっても、機会音楽のようなつまらなさわけではなく、交響曲らしい聴き映えはちゃんとある。1楽章のバランスの取れた快活さが特に魅力。4楽章は控えめながらもきっちりワクワクさせてくれる。

•交響曲第44番 ホ短調『悲しみ』 1772以前◦3.8点


まさに激情的な悲しみに溢れた曲である。そして3楽章は透明な癒しや安らぎに満ちた名曲。ハイドン作曲というのが驚きのドラマチックさである。ロマン派のようだ。そして、普段と違う作風ではあるが、やはり凡百の作曲家とはレベルの違う名作となっている。

•交響曲第45番 嬰ヘ短調『告別』 1772◦3.8点


1楽章はモーツァルトのト短調を想起させる始まり方。旋律の魅力はモーツァルトには劣るが、第2主題は割と魅力的で第1主題との対比に感動出来る。2楽章と3楽章も短調交響曲としてロマン的な感性すら感じさせる所がモーツァルトと同じである。4楽章の後半の、演奏者が一人ずつ減っていく場面がやはり全曲で一番印象的。この部分は世の中の多くの交響曲の中でも忘れがたい場面の一つ。

•交響曲第46番 ロ長調 1772◦3.3点


1楽章は短調に頻繁に転じる中間が面白い。メロディーが良いというより多くの変化が面白い。2楽章も短調で始まり、長調と入れ替えながら聴かせるとても美しい感動する曲。4楽章はコミカルな緩急のつけ方で驚かせてくれる面白い曲。

•交響曲第47番 ト長調『パリンドローム』 1772◦3.0点


標題の由来である回文構造の3楽章は、楽譜を順方向の後に逆方向に演奏するという、興味をそそる仕掛けで面白い。ただ、曲の良さとしては大したことはない。曲として面白いのは、音の動きが活発な1楽章だと思う。4楽章もわりとバランスよく充実している内容である。

•交響曲第48番 ハ長調『マリア・テレジア』 1769以前◦3.8点


1楽章の一度聴いたら忘れない華麗なファンファーレで始まる元気な祝典的音楽は気持ちよく聴けて愉しい。2楽章の流麗で優美な美しさとバランスの良さは出色の出来。メロディーがなかなか魅力的。3楽章と4楽章も活発さを楽しめる曲で出来は良い。

•交響曲第49番 ヘ短調『受難』 1773◦3.8点


全編を悲劇的な力強さが覆っているハイドンには珍しい曲。歯切れの良さが重すぎずに重要度の高い音を響かせててきぱきと音楽を進めるため、過度にロマン的な感情は抱かせないが、しかし強く訴えるものと美的感覚のバランスの良さのため、良い曲になっている。

•交響曲第50番 ハ長調 1771頃◦3.5点


1楽章の序奏のあとは豪快で内容もあり魅力的。2楽章は最後まで延々と2声部なのが面白い。3楽章と堂々として聞き応えがある。4楽章の高揚感も聞き応えがある。どの楽章も聴き所がある曲。

•交響曲第51番 変ロ長調 1771頃◦3.0点


1楽章は普通。2楽章はホルンやオーボエが大活躍で面白い。3楽章は華やかだがあっさり終わる。4楽章は速度が遅めなのが特色で、華やかさはあるが圧倒感はない。

•交響曲第52番 ハ短調 1771頃◦3.0点


短調曲。あまり長調に転じない。自分の慣れのせいかもしれないが、交響曲としての短調のこなれた使いこなしていないように感じる。長調曲を短調にしたように感じる場面が多い。最終楽章はわりと気に入ったが。

•交響曲第53番 ニ長調『帝国』 1778-79頃◦3.5点


祝典交響曲であり、全体に力強い輝かしさに満ちている。1楽章は威風堂々とした曲だが、それだけでない味わいがある。2楽章もくっきりとした力強さと味わい深さがある曲。3楽章は普通。4楽章は英雄的で舞台的なエンターテイメント曲。

•交響曲第54番 ト長調 1774頃◦3.5点


1楽章のエネルギーに満ちた明るく力強い音楽はかなり魅力がある。2楽章は大編成のオケが合いそうな、音の厚みで荘重に演奏される曲。ヴァイオリンとチェロの長い2重奏が最後に用意されているのが耳を引く。3楽章も華やかできらびやかで魅力的。4楽章はまた大編成が合いそうな音の厚みのある壮麗な輝かしい曲。ベートーヴェンより後の時代の息吹が感じられる曲。どの楽章もよく出来ている。

•交響曲第55番 変ホ長調『校長先生』 1774頃◦3.5点


軽快で少しコミカルさも感じる雰囲気で、心がワクワクする楽しさがある。メロディーの楽しさが素晴らしい。1楽章はまた聴きたいと思わせるものが強くある。2楽章もウキウキするような気分で聴けてとても楽しい。4楽章が弱いのが惜しい。

•交響曲第56番 ハ長調 1774◦3.3点


1楽章は祝典気分というだけ。2楽章はかなり美しい。ファゴットのソロが耳を捉える。この時期のハイドンの緩徐楽章の傑作だと思う。しかし、やや長すぎるきらいがある。3楽章は普通だが輝かしさがある。4楽章のぐるぐると音が廻るような運動性が愉しい。

•交響曲第57番 ニ長調 1774◦3.3点


1楽章は清冽な雰囲気がよい。なかなか聞き応えがあり、聴き入ってしまう。2楽章はピチカートが耳を引く。モーツァルトみたいな柔らかさの曲。3楽章は躍動感がある。4楽章は悪くない。弦がユニゾンで素早く動く部分が聴き応えがある。

•交響曲第58番 ヘ長調 1776◦2.8点


3楽章までは特段の長所を見つけられなかった。4楽章だけは楽器数などに緩急をつけたダイナミックさの高揚感が楽しい。

•交響曲第59番 イ長調『火事』 1766頃◦2.8点


初期の単純すぎる音楽の作りが耳についてしまい、不満が残ってしまった。少しおどけた感じやあたふたした感じのコミカルさが楽しめる。

•交響曲第60番 ハ長調『うかつ者』 1774◦3.3点


全6曲。舞台音楽を使い回したもので、組曲に近い。交響曲らしい構成の楽しみがない。音楽的にはそれなりに面白い。調弦をやり直す場面にはびっくりする。


交響曲(61番以降)
•交響曲第61番 ニ長調 1776◦3.3点


軽快に跳びはねるような雰囲気が支配的。どの楽章もなかなかの佳作だと思う。強烈な印象こそないものの、よく出来ているなと感じる。

•交響曲第62番 ニ長調 1780頃◦3.0点


複数の作品をつなぎ合わせて作った急造の作品とのことだが、知らずに聞けば気付くのは容易でないと思う。1楽章や2楽章はなかなか良いと思う。3楽章も活発で楽しめる。4楽章も悪くはないのだが、急造感を感じるので聞き終わった後の印象が良くない。

•交響曲第63番 ハ長調『ラ・ロクスラーヌ』 1779頃◦3.3点


1楽章はまあまあ。2楽章は面白い。主題が面白いうえに、弦楽器と管楽器の使い方など、舞台音楽のようで、新鮮な感覚がある。短調と長調を行き来するのも面白い。3楽章は主題がいまいちだが、展開に変化を付けて楽しませようとするメヌエット。4楽章は珍しいほど内容が豊富でよく出来ている。

•交響曲第64番 イ長調『時の移ろい』 1773?/78以前◦3.5点


1楽章も2楽章もしなやかで回想的な雰囲気がよい。特に2楽章は切ない気分にさせられる。3楽章はまあまあ。4楽章のロンドは力強くて充実感がある。

•交響曲第65番 イ長調 1771頃◦3.3点


爽やかで聴きやすい曲。愛らしくて可愛い。メロディーが良い。特別な工夫や仕掛けの楽しみではなく、純粋になんとなく良い曲だなあと感じるところが良い。最終楽章のホルンの活躍も愉しい。

•交響曲第66番 変ロ長調 1775-76頃◦3.0点


キラキラとした優美さで聴きやすい曲。工夫で聴かせるのではなく、しなやかな雰囲気で聴かせる。メロディーもなかなか良い。どの楽章もそれで統一出来ているのだから、ハイドンの芸風の広さを感じる。それなりに良い曲ではあるが、特徴が少なくて工夫やメロディーなどに特段の目立つポイントがない。

•交響曲第67番 ヘ長調 1775-76頃◦3.3点


様々な工夫がされているらしい。2楽章の特殊奏法もおやっと思うし、3楽章のヴァイオリン2本による民族音楽みたいな場面は耳につくかなり印象的な個所だ。曲として旋律が全般にわたりイマイチだし、前述の特殊場面も別に面白いだけで、あまり音楽として効果的とか必然性などは感じなかった。ただし、4楽章は中間で突然慈しみにあふれる室内楽になり、そこから楽器を重ねていく最後の流れはかなり魅力的だ。ここだけで評価が上がる。この時期にしてはかなり長い曲。

•交響曲第68番 変ロ長調 1774頃◦3.3点


1楽章は普通の出来で楽しめる。2楽章はイマイチ。この曲の特徴は異様に長い特異な3楽章。何度も楽章が終わったと思ってもまだ続く。ごくシンプルな薄い伴奏の上でのメロディーを何度も再現しながら間奏を奏でる。人情を感じる楽想であることもあり、主人公が何度も登場しては退場して脇役が出てくる舞台を観ているかのように楽しめる。4楽章も悪くない。

•交響曲第69番 ハ長調『ラウドン』 1775-76頃◦3.0点


ティンパニとトランペットを導入して華やかな曲。しかし、ハイドンの標準的な曲が並んでいる印象であり、あまり目立った良さは発見できなかった。メヌエットはつまらない。

•交響曲第70番 ニ長調 1778-79頃◦3.3点


1楽章は、シンプルで直接的な華麗さのある音楽。2楽章は短調と長調が交互であり、いい感じの哀愁と郷愁の音楽で心を奪われる。3楽章は祝典的。4楽章は冒頭の雰囲気や中間の対位法的な個所など工夫された曲で、再び聞き入ってしまう。終わり方に驚く。楽章構成などいろいろ独特な曲。

•交響曲第71番 変ロ長調 1778-79頃/80◦3.0点


薄めの音で、細かい所に仕掛けを入れていそうな複雑さがある。自然体で聞いている分には、華やかさがそれなりにあって、この時期らしい成熟感のある曲という印象。

•交響曲第72番 ニ長調 1763-65頃◦3.0点


番号が大きいが、31番「ホルン信号」と同じ時期の作品。手の込んだ作品群の中に、素朴時代の音楽が紛れ込んでいる印象である。1楽章はホルンが大活躍して派手で楽しいから気付きにくいが、2楽章以降では時代の違いが明白である。とはいえ、そのつもりで聞けば素朴なりに味があり楽しめる。各楽章でソロが活躍し、順番にソロを回すのも楽しい。

•交響曲第73番 ニ長調『狩』 1781?/1782以前◦3.5点


1楽章の広がりのある主題は印象的。モーツァルトのような活気のあり多くの発想がつまった展開はかなり良い。2楽章もハイドンらしい温かみのある穏やかさが素敵。3楽章は普通。4楽章は突然のティンパニとトランペットでどんちゃん騒ぎで驚く。

•交響曲第74番 変ホ長調 1780?/81以前◦3.0点


切れがよくてかなり快活であり、この時期らしい成熟感もあり楽しめる曲。そういう点では地味によく出来てる。それ以上のものはないため目立たないが、よく聴くと実は良い曲。

•交響曲第75番 ニ長調 1779?-80◦3.3点


ティンパニとトランペットが鳴り響く祝典交響曲。はじめの序奏が高める期待値は、ハイドンの中でもなかなかよく出来ていると思う。1、3、4楽章はいずれも、特筆するべきほどのものはないが、華やかで愉しい曲であり、メロディーもそれなりに良くて変化もあり十分に楽しめる。2楽章の変奏曲はお得意のパターンの曲だが、チェロの独奏が活躍するのが面白い。

•交響曲第76番 変ホ長調 1782◦3.0


この時期としてはいかにも標準的な作品。4楽章の主題に修飾音が多く付いていて、展開でも同様に多いのは、少し目新しさを感じる。全体に悪くはないが、快活さなど諸々の要素がほとほどであり、やや地味な作品。

•交響曲第77番 変ロ長調 1782◦3.8点


舞台音楽的なダイナミックさと愉悦感が多くの箇所で感じられる良曲。華があり麗しさもあり、モーツァルトの音楽に似ていると思う。他にも例えば弦と管の分担の仕方にも類似を感じる。1楽章はオペラの序曲みたいにも聞こえる。4つの楽章が全部出来が良いし、ワクワク感が感じられて、聴いて良かったと思わせるものがある。

•交響曲第78番 ハ短調 1782◦3.0点


1楽章は、跳躍する主題などを使って長い短調部分を使って切迫感を演出しているのだが、いかんせんハイドンの音楽の要領の良さのせいで、浸りきれず、心に迫るものがない。2楽章と3楽章は長調であり、これはなかなか良い。特に華やかな3楽章は好き。4楽章はモーツァルトの短調曲の最終楽章に雰囲気が似ていてまた切迫感を演出する主題を繰り返すのだが、魅力がもう一つであり、要領が良すぎるのもありもの足りない。

•交響曲第79番 ヘ長調 1783/84◦2.5点


4つの楽章に光るものがない。工夫が少なく、ハイドンとしてはありきたりの部類の音楽がずっと続いており、平板で盛り上がりにも欠ける。駄作だと思う。

•交響曲第80番 ニ短調 1783/84◦3.3点


短調でなかなかの迫力で始まるにも関わらず、のんきな田園的主題が挿入されたり、遊び感覚いっぱいの1楽章が愉しい。2楽章は珍しくモーツァルトにかなり似ている優美で美しい曲。もの悲しい短調を混ぜたり、表情豊かな曲。3楽章は入り口が短調で、その後もうまく短調を混ぜつつ長調主体で面白い。4楽章は控えめな音の厚さでバランスをうまく保っている。

•交響曲第81番 ト長調 1783/84◦2.8点


1楽章はモーツァルトに似ているがあまり面白くない。2楽章は滋味のある主題と軽快でバラエティーに富む変奏で悪くない。3楽章のメヌエットも明るく弾むような気持ちにさせてなかなか良い。4楽章は再びモーツァルトを連想するが、平凡な曲と思う。


パリ交響曲
•交響曲第82番 ハ長調『熊』 1786◦4.0点


3楽章までは、ドンドコと威勢がよく快活で愉しい曲だが、内容が充実している感じではない。しかし四楽章の楽しさが数あるハイドンの中の交響曲の素敵なフィナーレの中でも格別。

•交響曲第83番 ト短調『めんどり』 1785◦3.5点


冒頭いきなり短調に圧倒されるがすぐに明るくなる。一楽章と二楽章がかなり充実している。二楽章は美しい緩じょ楽章で聴き入ってしまう。

•交響曲第84番 変ホ長調 1786◦3.0点


どの楽章も普通だが歯切れが良いフレーズが多い印象があり、管楽器も活躍するのを楽しめる。

•交響曲第85番 変ロ長調『王妃』 1785?◦3.0点


概ね普通だが、一楽章の突発的な激情的な短調のフレーズに驚く。あとは三楽章の後半が美しい。

•交響曲第86番 ニ長調 1786◦3.0点


管弦楽の編成が大きいので分厚い響きを楽しめる。曲としては普通。

•交響曲第87番 イ長調 1785◦3.0点


フィナーレが高速でなく一楽章のような雰囲気なのが目新しい。


トスト交響曲
•交響曲第88番 ト長調『V字』 1787頃◦3.5点


やや重たい曲調は現代のオケで演奏すると風格がある。そして音のうちに秘められた叙情性があるのを楽しめる。

•交響曲第89番 ヘ長調 1787◦3.0点


いつものノリやドンチャン騒ぎが無く、ロマン派の予感も無く、やたらと優雅で大人しい。


ドーニ交響曲
•交響曲第90番 ハ長調 1789◦2.0点


ありきたりな素材ばかりで、一楽章は少しいいと思う部分もあるがそれ意外はいまいち。

•交響曲第91番 変ホ長調 1788◦2.0点


1、2も3楽章がありきたりでイマイチ。4楽章の弦の使い方などはそれなりに愉しいのだが、それまでのイマイチ感を打破する程のものではない。


ザロモン交響曲
•交響曲第92番 ト長調『オックスフォード』 1789◦4.0点


それまでの総決算のような充実ぶりでどの楽章も端正でありなヵら内容豊富。

•交響曲第93番 ニ長調 1791◦4.0点


主題がどの楽章も魅力的で、快活さと優美さのバランスや楽章間の出来上など、多くの点でバランスが取れたオーソドックスな上質の作品。

•交響曲第94番 ト長調『驚愕』 1791◦5.0点


一楽章の泉から湧き出るように絶妙な素晴らしい音楽が次から次へと現れる爽快な楽しさ。「びっくり」の二楽章も三楽章のメヌエットも四楽章も全ての楽章のメロディーが優れていて聞きやすく、爽快でありながら美しく詩魂をこめた充実の内容で大変素晴らしい。

•交響曲第95番 ハ短調 1791◦3.0点


ありきたりの素材しか使っていなくて斬新さが無いのだが、珍しい短調で力強さもありそれなりに聴いて楽しめる。短調の曲だがかなり多くの部分は長調。

•交響曲第96番 ニ長調『奇蹟』 1791◦3.0点


メロディアスでないのでザロモンの中で聴きやすいほうでない。分厚い音で音に意味をもたせて雄弁に演奏しやすい、ある種のかっちりしたゴツさがある。

•交響曲第97番 ハ長調 1792◦3.0点


あまり大きな特徴が無いが、一楽章の主題はシンプルながら魅力がそれなりにあるし、二楽章の優美な美しさと陰影も楽しめる。後半は普通。

•交響曲第98番 変ロ長調 1792◦3.5点


2楽章の優美さな美しさはモーツァルトみたい。他の楽章もしなやかな雰囲気で場面のつなぎがスムーズな所が多くモーツァルトぽい。最後の楽章の最後で協奏曲風になるのが面白い。

•交響曲第99番 変ホ長調 1793◦3.5点


優美でしなやかで上品な雰囲気を楽しめる。


•交響曲第100番 ト長調『軍隊』 1793-94◦4.5点


全ての楽章に旋律の美しさと親しみやすさ、柔らかくて瑞々しい感覚がある。後半の遊び心や楽しい気分も好き。軍隊の楽器のドンチャン騒ぎも面白い。

•交響曲第101番 ニ長調『時計』 1793-94◦4.5点


規模が大きく力強く、モーツァルトのように美しいメロディーが全楽章にあふれていて聴きやすい。有名な時計の楽章はシンプルなのに不思議なくらい素敵だ。

•交響曲第102番 変ロ長調 1794◦3.5点


100番台で唯一愛称が無いが曲のレベルは同じ。勇壮で豪快で男性的な雰囲気を楽しめる。

•交響曲第103番 変ホ長調『太鼓連打』 1795◦3.0点


2楽章があまり魅力的でない主題の変奏曲なのに長すぎる。他の楽章も、立派だが主題に魅力があまり無いので印象が薄い。

•交響曲第104番 ニ長調『ロンドン』 1795◦4.5点


前向きさ快活さを保ちつつスケールが大きく、ベートーベンのようにそれぞれのフレーズが意味を持って響く巨匠的な充実感のある素晴らしい内容に魅せられる。冒頭から心を持って行かれる。

その他の交響曲

•協奏交響曲 変ロ長調 (交響曲第105番) 1792◦3.3点


1楽章はメロディーの魅力こそあまりないが、たくさんの楽器が大活躍し、多くの音が聞こえてくる充実感はなかなかのもの。2楽章も同様である。もはやベートーヴェンの3番や4番くらいの重厚である広大な空間を沢山の楽器が奏でる音で埋めていく様はすごい聞き映えである。ベートーヴェンにも協奏交響曲を書いて欲しかったなとつよく思った。3楽章もまた同じような感想である。ただ、ここで初めて耳につく旋律が現れる。しかし、ソロの大活躍が主眼になるため、すぐに終わる。歌劇で各楽器が配役のように活躍するような華やかな音楽である。

•交響曲 ニ長調 (第106番) 1769?

•交響曲 A 変ロ長調 (第107番) 1757/61頃?

•交響曲 B 変ロ長調 (第108番) 1757-61頃?

協奏曲

ハイドンの協奏曲はモーツァルトの20代前半の協奏曲みたいなクオリティである。安定して心地よい音楽。モーツァルトと比較すると、独奏の輝かしく縦横無尽な活躍と、芸術として昇華された深みの点では確かに負けている。しかし、耳を愉しませて、心がウキウキするようなら楽しさを提供してくれるハイドンの協奏曲はとても楽しい。モーツァルト以前、バロック以降という立ち位置は独特の価値がある。モーツァルトは協奏曲の作曲において、ベートーヴェンの交響曲のような画期的な意味をもたらしたのだと気付くことが出来た。モーツァルトのピアノ協奏曲20番は、ベートーヴェンの交響曲3番のような位置にある曲なのであろう。ハイドンは協奏曲が不得意という先入観を排除することで、ハイドンの協奏曲を聴くのは驚くほど楽しくて素敵な時間になる。


ヴァイオリン協奏曲(Hob.VIIa)


•ヴァイオリン協奏曲第1番 ハ長調 1761-65頃 ◦2.5点


1楽章は全然面白くない。2楽章は素朴な独奏のメロディーがひたすら続く音楽がでヴィヴァルディよりシンプルなくらい。3楽章は協奏曲らしい活発さを楽しめて、耳を楽しませる点での価値はある。聞く価値があるのはこの楽章だけだが、高い価値とまでは言えない。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ長調 1765

紛失

•ヴァイオリン協奏曲第3番 イ長調『メルク協奏曲』 1770/71頃◦3.0点


オーケストラでなく弦楽合奏での協奏曲ということもあり、通奏低音が鳴っていそうな古臭いバロック風の曲に感じられる。地味ではあるが、温かみのあるハイドンの良さは感じられる。優雅で品の良い雰囲気を楽しめる曲。協奏曲としての面白みとしては、ヴァイオリンの活躍が不十分であり、あまり無いと思う。

•ヴァイオリン協奏曲第4番 ト長調 1769以前◦3.5点


全体にバロック協奏曲の色彩が濃い。1楽章はとても優雅で美しさに感動できる。2楽章はあまり特徴がない穏やかな曲。3楽章がきびきびとした音楽性と協奏曲の相性がよく、純粋に音を聞いていて楽しいと感じられる曲。

チェロ協奏曲(VIIb)

•チェロ協奏曲第1番 ハ長調 1760-65?/1780 ◦3.3点


1楽章は活発で楽しめるものの普通。2楽章は優美で美しく、チェロの独奏の歌が素晴らしい。3楽章はきびきびとしたフレーズが魅力。

•チェロ協奏曲第2番 ニ長調 1783 ◦3.5点


しなやかさ、優美さがあり、情熱的でもあるが基本は明るい。渋いところはあるが、よくある渋さをフル活用したチェロ協奏曲とは一線を画している。


ホルン協奏曲(VIId)

•ホルン協奏曲第1番 ニ長調 1762 ◦3.3点


シンプルで爽やか。モーツァルトほど耳に残るものはなし、内容が豊富という感じでもないのだが、なぜかアドレナリンが分泌されてくるような聴いていて身体の中から楽しさが湧き出てくる感覚はすごいものがある。楽しい気分にさせてくれる娯楽の音楽としては、かなりのレベルである。

•ホルン協奏曲第2番 ニ長調 1781以前 偽作?◦3.0点


1番よりも表情豊かであり、ホルン独奏の活躍度合いも高い。しかし、1番の不思議な魔法のような部分はないため、同じように良い曲だと思うのだが、単なる古典派の一般的な協奏曲以上のものがないようにも冷静に考えると思われる。


トランペット協奏曲(VIIe)

•トランペット協奏曲 変ホ長調 1796◦3.5点


トランペットの明朗な音を存分に楽しめるため、何度も聴きたくなる。ハイドンの協奏曲らしい胸の踊るような楽しさに加えて、トランペットの明朗さを活かした空間的な広がりのある音の気持ちよさが素晴らしい。晩年の作品であるため、ベートーヴェンに近いがっちりとした力強い重さや構築感があり、技術的な成熟感による安定感がある。この曲はそれがハイドンの協奏曲らしい魅力をさらに増している。


フルート協奏曲(VIIf)

•フルート協奏曲 ニ長調 1780?


2つのリラのための協奏曲(VIIh)

5曲とも爽やかで楽しい。コンパクトにしてコミカル。特別な何かがあるわけではないし、どの曲も似ている。だが、楽しいエンターテイメント曲として、もう一度聴きたいと思わせるものがある。リラ・オルガニザータは生演奏でどのように聞こえるか分からないが、イヤホンで聴いている限りはコミカルで可愛らしい音楽を奏でる楽器に聞こえる。聴いていてついニコっと笑顔になってしまう。

•2つのリラのための協奏曲第1番 ハ長調 1786 ◦3.8点


コンパクトにして、古典派らしい爽やかさに満ちている。内容充実。どの楽章も要領よく必要な要素をまとめていて無駄がない。かなり素敵。特に1楽章と2楽章は最高である。

•2つのリラのための協奏曲第2番 ト長調 1786 ◦3.5点


1楽章はコンパクトで悪くないがメロディーの魅力が今ひとつ。2楽章は優雅でなかなかよい。3楽章は音が生き生きとしていて優雅さもあり、心がワクワクさせられるような優雅な気分になるような、非常に魅力のある楽章。

•2つのリラのための協奏曲第3番 ト長調 1786 ◦3.8点


1楽章の爽やかで心が楽しさでいっぱいになり、気分が良くなる度合いは相当なもの。古典派の素晴らしさを堪能できる。2楽章はモーツァルトを思い出すミューズの神が宿ったような神々しい美しさを端々にみせる。3楽章は凄みこそないが、楽しさ心地よさを十分に魅せている。

•2つのリラのための協奏曲第4番 ヘ長調 1786 ◦3.5点


1楽章は他と同様にとてもコミカルでノリノリの楽しい曲。2楽章は優雅さのある楽しい明るい曲。3楽章はおとぎ話を連想するような可愛らしい旋律の曲で1番印象的。どの楽章も高いクオリティー。

•2つのリラのための協奏曲第5番 ヘ長調 1786 ◦3.0点


この5曲の中では他とそっくりである同工異曲感がなく、雰囲気が違うものになっている。しかし、明るさと内から湧いてくるような音楽の推進力がなく、それに代わる良さが見つけられず、面白くない曲になってしまったように感じる。

チェンバロ協奏曲(ピアノ協奏曲)(XVIII)

•オルガン協奏曲 ハ長調 XVIII-1 1756 ◦3.0点


初期の曲だが、すでに耳と心を楽しませる協奏曲としては良いものになっている。特に3楽章の祝典的な雰囲気はなかなか気分を盛り上がらせる。バロックから一歩進んだ協奏曲としての楽しさがある。

•オルガン協奏曲 ニ長調 XVIII-2 1767

•チェンバロ協奏曲 ヘ長調 XVIII-3 1765/71以前 ◦3.0点


1楽章は長めの曲なのだが、あまり魅力を見つけられない。2楽章はチャーミングな旋律の魅力がある。3楽章も盛り上げて楽しい気分にさせる、楽想を次々と繰り出してたたみかけるような音楽。ただ、1楽章が面白くなかったのを取り返すほどではない。

•チェンバロ協奏曲 ト長調 XVIII-4 1768頃?/82以前 「ピアノ協奏曲」とも◦3.3点


1楽章は自由に前面で活躍するチェンバロのがなかなかの聴きもの。原始的なチェンバロ協奏曲として、それなりの出来に聴こえる。2楽章は、旋律に魅力がある、心地よい温かみとある雰囲気が魅力。ただ、冗長だと思う。3楽章はアドレナリンの出るような曲で、旋律やフレーズは普通のようにみえて、なかなか楽しめる。

•オルガン協奏曲 ハ長調 XVIII-5 1763

•ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲 ヘ長調 XVIII-6 1766 ◦2.3点


鍵盤楽器と弦楽器という組み合わせの二重協奏曲は珍しい。しかし、録音のせいかヴァイオリンは目立たない。チェンバロが常に大活躍。1楽章はまあ普通の曲で強い印象は残らない。2楽章も3楽章もなんら特別感がなく、協奏曲らしい良さもたいしたことがなく、ハイドンには珍しいあまり面白くない曲と思う。

•オルガン協奏曲 ハ長調 XVIII-10 1771

•チェンバロ協奏曲 ニ長調 XVIII-11 1782「ピアノ協奏曲」として良く演奏される◦4.0点


モーツァルトと比べてシンプルだが爽やかで美しく独特の明るい霊感に満ちている。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%29

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html#c1

[近代史3] フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」 中川隆
2. 中川隆[-14016] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:09:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-685]

ハイドン(室内楽)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E5%AE%A4%E5%86%85%E6%A5%BD%29


弦楽四重奏曲一覧

ハイドンの交響曲は爽快で聴いて楽しい娯楽作品である。一方で弦楽四重奏曲は「ああ、いい曲を聴いたなあ」という胸が一杯になるような感動を得られる曲が多い。そして作品数がとても多いにも関わらず、初期を除けば駄作がほぼない。

ハイドンの練達の技術で次々と名作と呼べる水準の曲を生み続けており、あまりにも驚異的という印象を受ける。楽器の用法も楽曲もバランスが良く形式的な安心感がありながらも自由さがあり、リズムと旋律が一体となって合奏の楽しさを感じさせるものであり、非常に書法が優れている。切れ味のよさと心が温まる感じというハイドンの良さが最大に活かされている。そして現代の耳では、アダージョの3楽章の魅力がロマン派的であると共に温かみと感動を感じさせるものであり、ずば抜けている。

どの作品も後期ロマン派の爛熟したブルックナーの巨大なアダージョと同格なほどの深い精神世界に入り込んでいる。もちろん他の楽章も愉しめる曲ばかりであり、まさに宝の山である。「これを知らないとはクラックファンとして人生損している」と断言できる音楽である。

初期の弦楽四重奏曲

•Op.1(1755年

1番〜6番と0番。まだ音がスカスカであまり価値はない。

•Op.2(1755年?)

7番〜12番。同様に音がスカスカで価値は低い。


Op.9(1771年)
•Hob.III.19 弦楽四重奏曲第19番ハ長調◦3.3点


1楽章はあまり印象に残らない。旋律がいまいちである。2楽章は精彩があるというほどではないが、聴いていて楽しいものがある。3楽章は美しい成熟したメロディーと雰囲気で、宝物のようなものを産み出している。4楽章は急いでいるような前のめり感が楽しい曲。

•Hob.III.20 弦楽四重奏曲第20番変ホ長調◦3.5点


1楽章は冒頭の分散和音のメロディーが特殊で驚くが、その後は高い密度の音楽に驚く。1番より書法の成熟を感じる。2学も音の絡まりが心地よい。3楽章はメロディーが歌謡的でとても心に沁みるものがある。美メロディーで忘れ難い印象を残す。4楽章は勢いまかせでない、味のある締めくくり楽章で、フットワークは軽いながらも渋さがあって良い。

•Hob.III.21 弦楽四重奏曲第21番ト長調◦3.8点


1楽章は躍動感と冷静さが同居して、しかも渋さもある、とても素晴らしい曲。2楽章は品が良い。3楽章は感動的に始まり、心に深く食い込む美しさを見せていて感動させてくれる。なんと美しい音楽だろう。4楽章の品の良い軽快な音楽はスマートに締めくくってくれて素晴らしい。

•Hob.III.22 弦楽四重奏曲第22番ニ短調◦3.8点


短調の曲。1楽章も2楽章もモーツァルトのような音の流れの良さと、ベートーヴェンのような芯の強固さと、シューベルトのはかないセンチメンタルさを併せ持ったようなバランス。悲劇性を強調しておらず控え目だが、わりと悲しさをもった曲。3楽章はいつものように感動的で、短調の間だけに達観とか打ちひしがれた後の回復のようで素晴らしい。4楽章はやりすぎないながらも嵐のような激しさを内包した内容でよい締めくくり。

•Hob.III.23 弦楽四重奏曲第23番変ロ長調◦3.3点


1楽章の変奏曲は、単なる音の分解を細かくしていくだけでなく、様々なニュアンスの変化が多彩な表情となり、説得力をもった音楽になっている。2楽章は普通の曲。3楽章は感動的なメロディーで相変わらず素晴らしいのだが、2楽章との対比が効いておらず効果が薄い。4楽章も単体ではよいのだが、他とのつながりがイマイチ。

•Hob.III.24 弦楽四重奏曲第24番イ長調◦3.0点


1楽章と2楽章はあまり旋律の魅力を感じない。2楽章は休止を多く入れていて、独特の浮遊するような不安定感を感じる。3楽章は単なる感動的メロディーだけでなく、多少の推進力でポジティブに進めていく雰囲気を持っている。なぜか曲に入り込みにくい。4楽章はあっという間に終わる。全体にちょっと取っ付きにくい曲だと思う。


Op.17(1771年)
•Hob.III.25 弦楽四重奏曲第25番ホ長調◦3.3点


1楽章は中庸な中に磨かれた良さを持つ。2楽章は主張が控えめな曲であるが、シンプルななかに微妙なニュアンスをそれなりに楽しめる。3楽章は艶のある短調の曲で、移りゆく気分を奏でる弦の合奏の響きが美しい。やや長いが聴きがいがある。4楽章は手際が良い系統だが、多くのアイデアを詰め込んでおり充実している。

•Hob.III.26 弦楽四重奏曲第26番ヘ長調◦3.5点


1楽章は豊穣さと渋さを兼ね備えた内容豊かな曲。2楽章は旋律の穏やかさと愉しさを併せ持ち、中声の音の絡ませ方の美しさがその魅力を高めている。3楽章は沈み込みながらも、水面が見えるあたりを漂う感じで、絶妙な塩梅が楽しい。人生の悲哀を表現しているが、黄昏という感じでなく未来を見ているところが素晴らしい。4楽章は充実感があるものの、旋律の魅力が今一歩だと思う。

•Hob.III.27 弦楽四重奏曲第27番変ホ長調◦3.3点


1楽章の変奏曲は主題は悪くないものの、変奏が世界を深めていく感覚が弱くて、いまいち心が踊らない。2楽章は普通。3楽章はいつもの素晴らしさで、音の織物が心に折り重なるように触れてきて、深く感じ入るような感動をくれる。ニュアンスも豊富。3楽章のただベストの群に属するものではない。4楽章はそれを上手くうけて、盛り上げすぎでもないいい感じに適切なテンションで締めくくってくれる。

•Hob.III.28 弦楽四重奏曲第28番ハ短調◦3.5点


1楽章は短調に始まるが、最初だけである。中庸な速度で繰り出される多くのメロディーは、落ち着いて聴けることもありかなりの充実感で満たされる。2楽章は堂々とした主題が魅力的。中間で悲しげな心情にも変化するたて単純でない豊かさである。3楽章は素敵であり、儚い希望と生きる決意を感じさせる感動的な曲である。ただ、本当の深い精神世界まではいかない。4楽章は性急さをすこし含む曲で、内容豊富であり短調らしいしめくくりもあり、なかなか良い。

•Hob.III.29 弦楽四重奏曲第29番ト長調◦3.5点


1楽章はやや勘所をとらえにくい曲に感じる。内容は多いが、ふわふわと場面が移り変わっていく。2楽章は穏やかで上品な音楽だが、単なるディベルティメントに堕ちず、ほのかな刺激もある。3楽章は短調であり、嘆きの歌とでも呼びたいような悲痛感が覆っている。リズムが少ない詠唱的なアダージョは珍しいと思う。後半のソロにやるレティタティーボは最大限の悲しみに到達している。4楽章は生命感のある音の活発な動きが楽しい。

•Hob.III.30 弦楽四重奏曲第30番ニ長調◦3.5点


1楽章は刺激や工夫が音楽のつくりに沢山見受けられる。2楽章もまたありきたりでない音の動きで楽しませてくれる。3楽章はリズム感が常に消えないなかで、バロック的な明朗さのあるソロの穏やかな歌が続く。いつものアダージョの沈み込むような魅力はないが、これはこれで強く心に刻み込まれるものがある曲。4楽章は動機を重ねていくのだが、これも統一性があり、単なる勢いでない新鮮さをそれなりに感じる音形である。


Op.20 『太陽四重奏曲』(1772年)

次から次へと湧いてくる楽想の充実と自由闊達さが素晴らしい。

•Hob.III.31 弦楽四重奏曲第31番変ホ長調◦3.3点


かっちりした1楽章、滋味の溢れる2楽章、印象に残るメヌエットの3楽章、快活で楽しい4楽章と、どの楽章も存在感がある。

•Hob.III.32 弦楽四重奏曲第32番ハ長調◦3.5点


一度聴いただけでは構成が把握しにくい複雑な1楽章、インパクトがある強烈な短調と中間のトリオの対比が鮮明な2楽章、対位法的な4楽章と聴きどころが多い。

•Hob.III.33 弦楽四重奏曲第33番ト短調◦3.0点


緩徐楽章は素敵。最終楽章はモーツァルト的な性急さがあるものの物足りない。1楽章は短調から入るがすぐに長調になるパターンだが、いまいち分かりにくく、すっきりと音楽に入れない。

•Hob.III.34 弦楽四重奏曲第34番ニ長調◦3.5点


滋味と複雑さを兼ね備えた1楽章、変奏曲形式で切なく悲しい歌を切々と奏で続けるような2楽章が素晴らしい。3楽章は普通、4楽章のきびきびした音の動きも楽しい。

•Hob.III.35 弦楽四重奏曲第35番ヘ短調◦4.0点


短調曲で、1楽章はすぐに長調になるパターンではなく、短調が続き悲しい音楽が続く。緩徐楽章や最後のフーガもかなり素晴らしい。旋律がどの楽章も魅力に溢れており、ハイドンの短調の弦楽四重奏の中では傑作である。

•Hob.III.36 弦楽四重奏曲第36番イ長調◦3.5点


長調だが、単なる明快さや優美さではない複雑で味わい深い魅力がある。緩徐楽章がやはり一番だが、1楽章も味わい深く、4楽章のフーガは緊張感を演出して見事に太陽四重奏を締めくくっている。


Op.33 『ロシア四重奏曲』(1781年)

モーツァルトが衝撃を受けた作品。古典派らしい均整の取れた美しさ楽しめるが、複雑で味わい深いハイドンの多くの弦楽四重奏の中では、単純明快すぎてものたらないと感じる時もある。

•Hob.III.37 弦楽四重奏曲第37番ロ短調◦3.5点


古典派的な均整の取れたまとまりとシンプルな美しさがあり、はっとするような美しさが随所にあり音楽的に楽しめる。

•Hob.III.38 弦楽四重奏曲第38番変ホ長調『冗談』◦3.5点


1楽章の古典的な均整美や叙情性や4楽章の軽快さは楽しい。

•Hob.III.39 弦楽四重奏曲第39番ハ長調『鳥』◦3.0点


歯切れの良さよりしなやかさを重視しているような曲調。2楽章がいまいち。

•Hob.III.40 弦楽四重奏曲第40番変ロ長調◦3.5点


メヌエット風のスケルツォが珍しく非常に印象的。ラルゴも良い。

•Hob.III.41 弦楽四重奏曲第41番ト長調◦3.5点


1楽章は凡庸一歩手前だが素敵な曲。2楽章は短調で素晴らしい。4楽章の変奏曲も素敵な楽しめる曲。

•Hob.III.42 弦楽四重奏曲第42番ニ長調◦3.0点


旋律的な魅力がやや物足らない。特に魅力が強い楽章は無く、どれもそれなりに良いという感じ。


Op.42(1785年)
•Hob.III.43 弦楽四重奏曲第43番ニ短調◦3.5点


短調の響きを楽しめるコンパクトな作品。1楽章が割と充実し、2楽章も良い。4楽章があっさりしすぎ。

Op.50 『プロシア四重奏曲』(1787年)

かなり古典派らしい内容。シンプルな伴奏とメロディーという素朴さが耳につく曲が多い。

•Hob.III.44 弦楽四重奏曲第44番変ロ長調◦3.0点


Op54以降と比較すると古典派らしいシンプルな内容。最終楽章が充実している。

•Hob.III.45 弦楽四重奏曲第45番ハ長調◦3.5点


冒頭から印象的な半音階的なメロディー。前期ロマン派みたい。二楽章も巨匠的で素晴らしい。最終楽章も大きくて相応しい。

•Hob.III.46 弦楽四重奏曲第46番変ホ長調◦3.0点


あまり特徴が無いが、三楽章が印象に残る。

•Hob.III.47 弦楽四重奏曲第47番嬰ヘ短調◦3.5点


短調と長調の切り替えが美しい。二楽章はモーツァルトが短調曲の緩じょ楽章でやるような美しさ。最終的のフーガも面白い。

•Hob.III.48 弦楽四重奏曲第48番ヘ長調◦2.0点


1楽章はメロディーが単純すぎる。二楽章はあまりいい曲でない。3,4楽章も単純すぎて旋律の魅力がなく貧相。

•Hob.III.49 弦楽四重奏曲第49番ニ長調『蛙』◦3.0点


蛙みたいな四楽章の主題は笑いそうになるくらい面白い。他の楽章は普通の出来だと思う。


Op.51 『十字架上のキリストの最後の7つの言葉』(1787年)

(もとはオーケストラのための教会音楽をハイドン自身が弦楽四重奏に編曲)

•Hob.III.50~56 弦楽四重奏曲第50番-第56番

一楽章構成


Op.54 『第1トスト四重奏曲』(1788年)

古典派らしい素朴さが残っている曲があるが、そこから発展して少し複雑になり始めている。

•Hob.III.58 弦楽四重奏曲第57番ト長調◦3.5点


一楽章は渋さを兼ね備えた明るい曲。二楽章はかなり美しい。三楽章は生き生きとした良いメヌエット。四楽章も良い。全体に充実して聴き応えがある。

•Hob.III.57 弦楽四重奏曲第58番ハ長調◦3.5点


2楽章がエレジーと呼びたくなるほどに悲しい短調の曲。四楽章に大きな美しい前奏のような楽想が短いプレストを挟んでほぼ全編という曲で、かなり印象的。

•Hob.III.59 弦楽四重奏曲第59番ホ長調◦3.0点


1楽章が元気で楽しい。二楽章はモーツァルトみたい。まったりしたシンプルさ。三楽章以降は普通。


Op.55 『第2トスト四重奏曲』(1788年)
•Hob.III.60 弦楽四重奏曲第60番イ長調◦3.0点


古典派らしいシンプルで伸びやかで明るい曲。

•Hob.III.61 弦楽四重奏曲第61番ヘ短調『剃刀』◦3.5点


3楽章までは全体を悲痛な雰囲気が覆っているハイドンには珍しい曲。内容は濃い。最終楽章は晴れやか。

•Hob.III.62 弦楽四重奏曲第62番変ロ長調◦3.0点


古典派らしい颯爽としていて伸びやかな明るい雰囲気が心地いい。

Op.64 『第3トスト四重奏曲』(1790年)

トスト第1、第2より進化して古典派らしさが消えて複雑になりつつあるが、この曲集は駄作がいくつかある。

•Hob.III.65 弦楽四重奏曲第63番ハ長調◦2.0点


音がスカスカで声部の絡みが悪いし、旋律も魅力がない。しかも全部の楽章がそうなので、かなりイマイチである。

•Hob.III.68 弦楽四重奏曲第64番ロ短調◦2.5点


一楽章の短調の響きが美しい。冒頭の不思議なフレーズは面白い。二楽章と四楽章は素朴でやや物足りないが悪くない。

•Hob.III.67 弦楽四重奏曲第65番変ロ長調◦3.5点


活力がある一楽章、歌謡的な二楽章、優美なメヌエットの三楽章はかけ声みたいなフレーズが面白い、生き生きした四楽章と全部の楽章が魅力的。

•Hob.III.66 弦楽四重奏曲第66番ト長調◦3.0点


前半は素朴でやや薄味で脳天気でさえあるが、三楽章で濃厚ないつもの音楽になる。四楽章の快活さは楽しい。

•Hob.III.63 弦楽四重奏曲第67番ニ長調『ひばり』◦3.5点


他の曲と比較して、メロディーがはっきりしていて明快な分かりやすさがある。冒頭の雲雀の主題は印象的。この曲は有名だが、ハイドンの中で突出して優れている訳ではないと思う。

•Hob.III.64 弦楽四重奏曲第68番変ホ長調◦3.3点


一楽章は印象が薄い。二楽章は珍しいほどまさに感動するための音楽。メヌエットもなかなか良い。フィナーレもちょうど良い感じの明るくノリノリの曲。


Op.71 『第1アポーニー四重奏曲』(1793年)

後期らしい完成度になっているが、Op76への道程という感じがある。

•Hob.III.69 弦楽四重奏曲第69番変ロ長調◦3.5点


感動を内に秘める瑞々しい叙情性が印象に残る。しかしあくまで爽やかなのがいい所。前半二楽章が良い。

•Hob.III.70 弦楽四重奏曲第70番ニ長調◦3.0点


普通の曲。フィナーレが素敵な雰囲気。

•Hob.III.71 弦楽四重奏曲第71番変ホ長調◦3.5点


1、4楽章の充実感、二楽章の絶妙な伴奏に載せた歌うシンプルながらも素敵なメロディーなど、魅力的な曲。


Op.74 『第2アポーニー四重奏曲』(1793年)
•Hob.III.72 弦楽四重奏曲第72番ハ長調◦3.0点


全体にしなやかで柔らかい雰囲気が支配的。半音階の動機が多く使われていて所々はっとする。

•Hob.III.73 弦楽四重奏曲第73番ヘ長調◦3.5点


一楽章は展開部が好き。二楽章がモーツァルト的な美しさ。三楽章は普通。四楽章は軽快で耳に残る。

•Hob.III.74 弦楽四重奏曲第74番ト短調『騎士』◦3.0点


一楽章は主題の魅力が今ひとつ。二楽章はオーソドックスで温かみがあるが、美しさがもの足りない。四楽章の愛称の由来となった騎士の主題はそれほど強く印象に残らない。

Op.76 『エルデーディ四重奏曲』(1796年-1797年)

声部の絡みや磨かれ方が誰にも届かないほどの完成度になった。

•Hob.III.75 弦楽四重奏曲第75番ト長調◦4.0点


前半の二つの楽章は大変素晴らしい。楽しく充実した一楽章、柔らかく温かい音の世界が感動的な二楽章。後半は普通になる。

•Hob.III.76 弦楽四重奏曲第76番ニ短調『五度』◦3.5点


愛称の由来となった冒頭の主題はそれほど魅力を感じない。それより後半が良い。特にフィナーレは緊密で緊張感があり優れている。

•Hob.III.77 弦楽四重奏曲第77番ハ長調『皇帝』◦4.0点


1楽章はいつもの歯切れのよさで愉しい。二楽章はやはり、ドイツ国歌のメロディーが大変良い。変奏というより、伴奏と独奏楽器を変えながら何度もメロディーを演奏する感じだが聞きほれる。三楽章はトリオが良い。四楽章は突然の短調で驚くが内容は普通。

•Hob.III.78 弦楽四重奏曲第78番変ロ長調『日の出』◦3.5点


一楽章の叙情性と歯切れのよい軽快さのバランスが良い充実作。二楽章は深く入り込める叙情的な内容。三楽章以降は普通。

•Hob.III.79 弦楽四重奏曲第79番ニ長調『ラルゴ』◦3.5点


ラルゴ楽章は別格というほどではないが、非常に心に響くものがある美しさ。他の楽章もそれぞれ素晴らしい。

•Hob.III.80 弦楽四重奏曲第80番変ホ長調◦3.5点


大作の二楽章に心惹かれる。最終楽章の盛り上がりもなかなか。


Op.77 『ロプコヴィッツ四重奏曲』(1799年)

極限まで磨きぬかれてる。

•Hob.III.81 弦楽四重奏曲第81番ト長調◦3.8点


音楽の幅広さ、精巧な作り、楽器の声部の活用の豊さなど、多くの点で非の打ち所のないようなハイドン晩年の円熟の技が光る作品。

•Hob.III.82 弦楽四重奏曲第82番ヘ長調『雲がゆくまで待とう』◦3.8点


77−1と同様に非の打ち所が無く、さらに内省的で人生の回想を内に秘めたような感動があり、器楽曲でのハイドンの最後の到達点の凄さに痺れる。


Op.103(1803年)
•Hob.III.83 弦楽四重奏曲第83番ニ短調(未完成)

ピアノ三重奏曲

番号は前半がホーボーケン番号であり、後半がランドン版の番号である。


ハイドンのピアノ三重奏曲はピアノが主役であり、弦楽器は味付けだけである。ベートーヴェン以降とは楽器のバランスがかなり異なる。極めて芸術性が高い弦楽四重奏曲などと比較すると、ピアノ三重奏曲は娯楽的で軽くて内容が浅い曲が多いと感じる。曲数は多いが、特に初期の方はあまり真剣に聴くジャンルではないと思う。晩年はそれなりの充実感と聴き応えをみせていて楽しめる。とはいえハイドンらしい大作曲家の精華という感じではないと思う。

1番から20番まで

•ピアノ三重奏曲第1番 ト短調 第5番 1755-60 ◦2.8点


短調の曲。しかもずっと短調の物憂い雰囲気が継続する。ト短調であることもあり、悲劇的な悲しみを持っていてモーツァルトを連想するところがある。とはいえ、やはりハイドンの短調曲の常でメロディーの魅力は今一歩だと思う。

•ピアノ三重奏曲第2番 ヘ長調 第17番 1772 ◦2.8点


1楽章はごく普通。2楽章の変奏曲は少し面白い。特に延々とピアノとヴァイオリンでユニゾンをするのが新鮮。

•ピアノ三重奏曲第3番 ハ長調 ? 偽作

•ピアノ三重奏曲第4番 ヘ長調 ? 偽作

•ピアノ三重奏曲第5番 ト長調 第18番 1784 ◦3.0点


1楽章は長い前奏のような趣き。2楽章はそこそこ充実した曲。これで終わりでもよさそうだが3楽章が変奏曲として続く。しかし短く終わってしまい、位置付けがよく分からない。順番に聴いていると急に音が成熟して驚く。

•ピアノ三重奏曲第6番 ヘ長調 第19番 1784 ◦3.5点


1楽章は健全な普通の曲。 2楽章が素晴らしい。ゆったりとした中での、感情の揺れとか間の使い方が良い。突発的に想いがこみ上げるような場面もあり、かなり心を揺さぶられる。

•ピアノ三重奏曲第7番 ニ長調 第20番 1784◦3.3点


1楽章は前奏的な曲風だが、変奏曲であり構成が理解しやすい。感傷的な歌の2楽章も、それを受けた適度な運動感のある3楽章もなかなか良い。

•ピアノ三重奏曲第8番 変ロ長調 第21番 1784 ◦2.5点


冒頭で重厚な和音に驚かされる。しかし、これ以外は標準以下の出来だと思う。旋律が良くないためあまり面白くない。

•ピアノ三重奏曲第9番 イ長調 第22番 1785 ◦2.8点


1楽章は長くて、まったりしているだけでたいした内容ではない。2楽章の手際の良さは気持ちいい。

•ピアノ三重奏曲第10番 変ホ長調 第23番 1785 ◦3.0点


1楽章のノリの良さと、2楽章の手際の良さと高揚感。なかなか楽しい曲である。緩徐楽章がない楽しさを味わえる。

•ピアノ三重奏曲第11番 変ホ長調 第24番 1788? ◦3.0点


1楽章は成熟しているが、ごく普通の曲。2楽章も内容的にはしっかりした曲だが、普通の曲という以上のものはないと思う。

•ピアノ三重奏曲第12番 ホ短調 第25番 1788/89? ◦3.3点


1楽章は短調だが長調の色が強い。2楽章はモーツァルト的な歌謡性がありロマンティックさもある。3楽章はかなりピアニスティックで音数が多くて楽しい。晩年にさしかかった充実した音楽の場合は3楽章あった方がバランスが良いと感じる。

•ピアノ三重奏曲第13番 ハ短調 第26番 1789? ◦3.3点


1楽章はピアノ三重奏曲の中では長大な変奏曲。短調と長調を織物のように組み合わせて、優美な主題の魅力とあわせて、なかなか楽しめる。2楽章も適度な快活さと胸の膨らむような広がり感が組み合わされており、なかなか楽しい曲。

•ピアノ三重奏曲第14番 変イ長調 第27番 1789/90 ◦3.0点


成熟感のある3楽章の曲。上品にまとまめられている。規模が大きいため時間の使い方が通常と違うこともあり、シューベルトの世界に近付いてきた感がある。しかし、気合いの入った曲というより、ムードをまったり楽しむ音楽という印象。

•ピアノ三重奏曲第15番 ト長調 第29番 1789/90? ◦3.0点


柔らかくて耳あたりはよい雰囲気が続くのだが、印象にのこるような強い主張はない。ディベルティメントのような曲風。

•ピアノ三重奏曲第16番 ニ長調 第28番 1789/90? ◦3.3点


明るく活発な雰囲気が支配していて楽しんで聞けるが、一方で短調に転じる場面も多いので、急に雰囲気が変わってドキッとさせられる時もある。なかなか愉しい曲。2楽章は短調だがしなやかな愛らしさがあり、曲が暗すぎないのがよい。フルート版も聴いたが同様に楽しい。

•ピアノ三重奏曲第17番 ヘ長調 第30番 1790? ◦3.0点


さらっと書かれたような2楽章の曲。可愛らしいコンパクトさがある。

•ピアノ三重奏曲第18番 イ長調 第32番 1793/94? ◦3.3点


安定感を感じる1楽章。2楽章の沈み込むような短調のあとに、飛び跳ね廻るような3楽章。楽章ごとのコントラストが非常にはっきりしていて面白い。

•ピアノ三重奏曲第19番 ト短調 第33番 1793/94? ◦3.3点


1楽章は短調の変奏曲で悪くない。2楽章は歌謡的で美しくて心に響く曲。3楽章はコントロールされた高揚感が心地いい。

•ピアノ三重奏曲第20番 変ロ長調 第34番 1793/94? ◦3.3点


1楽章は少しだけ癖はあるが普通。2楽章は冒頭で異様に長いピアノのソロがある。その後も夜もしくは黎明のような雰囲気で、感動的な雰囲気を持続したままの変奏曲となる。ハイドンにしては非常にロマン的な感情に深く浸ることを主体とした曲。3楽章は激しすぎない音楽で2楽章の気分を壊さないように配慮されている。


21番以降

•ピアノ三重奏曲第21番 ハ長調 第35番 1794/95? ◦3.0点


1楽章は悪くはないが、この時代のハイドンならば当然に出来ることしかしていない。2楽章は優美でなかなか美しい。3楽章は音の躍動感を楽しむ曲。

•ピアノ三重奏曲第22番 変ホ長調 第36番 1794/95? ◦3.3点


モーツァルトのように綺麗にまとめようとする志向と、成熟した雄大さを併せ持った曲を書こうとしたのを感じる。規模の大きさとゆったりとした柔らかい雰囲気を楽しめる。2楽章はロマン派の息吹を感じる。3楽章は立派。この時期のピアノ三重奏曲はみんなそうだが、最後の交響曲と同時期という書法の成熟感と規模感が楽しい。

•ピアノ三重奏曲第23番 ニ短調 第37番 1794/95? ◦3.5点


1楽章は長いし、それほど魅力を感じない。2楽章は非常に美しい。ほとんどショパンに近いほど繊細な冒頭のピアノのソロと、それをうけて展開していく音楽は続く平穏さの中で強くロマンチックに心を動かす。3楽章の音の動きは独特であり、スケルツォのようである。それを軸に構築された曲であり、インスピレーションの強靭さを感じる。

•ピアノ三重奏曲第24番 ニ長調 第38番 1794/95? ◦3.5点


1楽章はなかなか詩的なインスピレーションに溢れた、内容豊かな楽章。控えめななかに素敵な音楽が詰め込まれている。2楽章は動機に近いメロディーを繰り返すハイドンには珍しいタイプの曲であり、アタッカで続けて3楽章も珍しい。3楽章はバッハに影響を受けたかのような、奥ゆかしい対位法的な曲。達観したかのような何か清々しい気分に満ちたハイドンには珍しい曲。感動した。

•ピアノ三重奏曲第25番「ハンガリー風」 ト長調 第39番 1794/95? ◦3.5点


1楽章は耳障りのよい寛いだ雰囲気が支配的。2楽章はモーツァルトのような回想的で感傷的な美メロディーをたっぷり聴かせる。音の間合いの使い方など、モーツァルトを意識していると思われる。狙いがあからさまでもやはり感動してしまう。3楽章のジプシー風はハイドンには珍しい。独特の民族的土着的な音楽はいつもと違うだけにハイドンらしい料理の仕方への興味も湧くし、やはり耳を捉えるものがある。

•ピアノ三重奏曲第26番 嬰ヘ短調 第40番 1794/95? ◦3.3点


1楽章は寛いだ雰囲気で特徴は多くないが、充実感と聞き応えが十分にある。2楽章は普通。3楽章はテンションの上がらない最終楽章らしさの少ない曲。しかし、執拗な動機の繰り返しと短調の切迫感がだんだん感動を増していく不思議な曲。

•ピアノ三重奏曲第27番 ハ長調 第43番 1796? ◦3.3点


1楽章は冒頭こそ素人っぽいがっかり感があるが、そのあとは普通の曲として、一応の労力を感じられる曲になっている。2楽章も作り込みをそれなりに行っているが、主題の魅力がない。3楽章は繊細な軽妙さのある主題が珍しい。ピアノの縦横で派手な活躍ぶりはモーツァルトの協奏曲みたいだ。具体的に似た曲はあまり思いつかないのにモーツァルトを思い出す。しかし、モーツァルトには、この楽章ほど斬新で面白い曲はないと思う。

•ピアノ三重奏曲第28番 ホ長調 第44番 1796? ◦3.5点


1楽章はピツィカートを主題の一部として完全に取り込んでいるのが珍しい。内容は変化を十分に詰め込んでいる。2楽章はまた一段と実験的。無機質なユニゾンから始まり、そのまま異様な伴奏とモノローグのピアノが延々と続くのは完全な異常事態である。これはもう、ハイドンなりの前衛的な音楽だろう。ショスタコーヴィチが乗り移ったかのようだ。後半は3つの楽器が絡み合い、悲しみの歌になる。3楽章はメロディーと感情の力が強くて、聴いていてハイドンであることを忘れてしまう。

•ピアノ三重奏曲第29番 ト長調 第45番 1796? ◦3.3点


1楽章となめらかな中に骨太さのある音楽だが、特別なものがない。ノーマルな音楽がさらっと流れていく印象。2楽章は美メロディー風だが、今ひとつ気分が盛り上がらない。3楽章は3拍子で舞踏性と高揚感を演出するのがとても良い。この楽章は何度でも聴きたくなる。

•ピアノ三重奏曲第30番 変ホ長調 第42番 1796? ◦2.8点


1楽章はベートーヴェン的な清々しさ空間的な広がりの共存が良い。ごく普通の曲ではあるが。2楽章は特筆することはない。BGMのような曲。3楽章も特段の特徴がない。

•ピアノ三重奏曲第31番 変ホ短調 第41番 1795 ◦2.8点


1楽章も2楽章と特段の創意工夫を見つけられない。ごく普通の音楽がさらっと書かれているだけで、あまり内容がないように感じる。

•ピアノ三重奏曲第32番 ト長調 第31番 1792/93? ◦3.5点


どこかで耳にすることがある分かりやすいキャッチーなメロディーを前面で推している1楽章は面白い。いきなりピチカートで始まる冒頭は新鮮。2楽章も分かりやすくてメロディーに力がある。いかにもマイナー曲ばかりのピアノ三重奏曲の中ではメジャーになれる属性を持つ曲。

•ピアノ三重奏曲第33番 ニ長調 第8番 ?

紛失

•ピアノ三重奏曲第34番 ホ長調 第11番 1755-60 ◦3.0点


1楽章がモーツァルトのように優美で愛らしい曲でメロディーが目立つ曲であり印象的。2楽章と3楽章はハイドンらしい楽しい曲。ピアノが中心として活躍する音楽なのは相変わらず。

•ピアノ三重奏曲第35番 イ長調 第10番 1755-60 ◦3.0点


1楽章はほとんど全てヴァイオリンとピアノと右手がユニゾンという実験的ともとれる構成で驚く。2楽章は活気あふれるパワーのある曲でかなり素晴らしい。3楽章は可愛らしいさがある普通の曲。

•ピアノ三重奏曲第36番 変ホ長調 第12番 1755-60 ◦2.5点


光る楽章が無いのであまり面白くない。あえて言えば3楽章の明快でかっちりとした快活さがいい感じ。

•ピアノ三重奏曲第37番 ヘ長調 第1番 1755-60 ◦2.5点


中庸のテンポでしなやかでセンチメンタルな1楽章が始まるのは意外だが、なかなか美しい。

2楽章はテンポが速くなり、活発だが、メロディーの魅力はあと一歩。あまりハイドンぽくない。3楽章は陰影に富む中庸のテンポの曲。この楽章もあと一押しの何かが欲しい。

•ピアノ三重奏曲第38番 変ロ長調 第13番 1755-60 ◦3.0点


1楽章の優雅な美しさがなかなか印象的。古典派らしい美しさを堪能出来る。3楽章の快活さもなかなか。バリトン四重奏曲の最終楽章を連想するスピード感の主題が印象に残る。

•ピアノ三重奏曲第39番 ヘ長調 第4番 1755-60 ◦2.5点


優雅でくつろいだ雰囲気の楽しい曲。5楽章ある。普通の曲だが、その中にハイドンらしさが感じられる。

•ピアノ三重奏曲第40番 ヘ長調 第6番 1755-60 ◦3.0点


1楽章と2楽章のほのぼのとした優雅な雰囲気。3楽章の快活さ。まだ磨かれ方は足りないがハイドンらしい楽しさが現れている。

•ピアノ三重奏曲第41番 ト長調 第7番 1755-60 ◦3.0点


珍しい4楽章制。2楽章のトリルの効果が美しくて心を捉えた。他の楽章は中庸でシンプルな普通の曲である。4楽章制であることが高い効果を上げている印象は特にない。


Hob番号外

•ピアノ三重奏曲 ハ長調 第2番 1755-60 ◦2.5点


1楽章は主題の魅力はそこそこ。展開部に随分と迫力があり驚いた。2楽章は優雅にまったりだが、よく短調になるので陰影は深い。3楽章は2楽章と雰囲気が似た優雅な変奏曲だが、音を細かく分けて繰り返すだけに聞こえてあまり面白くない。

•ピアノ三重奏曲 ヘ短調 第14番 1755-60 ◦2.8点


1楽章も2楽章も短調をたっぷり聴かせる。交響曲のようにすぐに長調にならない。3楽章は大半が明るい。手抜きしていない、きちんとした内容で満たされているのだが、演奏のせいか霊感がいま一つ足りないと感じてしまった。

•ピアノ三重奏曲 ト長調 第3番 1755-60 ◦2.0点


ピアノが大変支配的な曲で、他の2つは目立たない。特にチェロは可哀想なくらい。そしてメロディーに魅力がなくて、面白くない。

•ピアノ三重奏曲 ニ長調 第9番 ?

紛失

•ピアノ三重奏曲 ニ長調 第15番 1755-60 ◦2.0点


とにかくハイドンらしさが無い特殊な曲。本当に真作?と疑問に思う。曲自体もつまらない。

•ピアノ三重奏曲 ハ長調 第16番 1755-60 ◦2.3点


まったりした曲。あまり特徴がなく、面白くもない。


ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 Hov.VI[#xa0f11db]
•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番 ヘ長調◦3.0点


チェロは完全に伴奏だけ。1楽章の変奏曲など、手を抜かずちゃんと書いている印象はある。とはいえ、ディベルティメント的な寛いで自分で演奏して楽しむための職人的に書かれた曲である。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番 イ長調◦3.3点


1楽章は音の飛び方で耳へのひっかかりを演出している印象。2楽章は短調でハイドンには珍しく音を長く伸ばして存分に聴かせる曲であり、おおっとなる。胸に迫るものがかなりある。3楽章は普通。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第3番 変ロ長調◦2.8点


2番までより少し難易度を上げられているように聴こえるのが最大の特徴。曲としては、特筆するほどの楽章はない。音の飛び方が激しいため、音の動きにスムーズさがない。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第4番 ニ長調◦2.5点


これといった特長のある楽章がない。一貫して平凡であり、聴きどころに欠ける。優雅な音感の良さは一流作曲家の手による作品と分かるものだが、それ以上のものがない。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第5番 変ホ長調◦2.5点


規模が小さくて聴きやすいのはよいが、1楽章の一部を除いてやはり内容が薄く、聴きどころがないと思う。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第6番 ハ長調◦2.5点


2楽章が多少力強い表現になり聴きどころがある箇所がある。それ以外は、さらっと聴ける耳を少し楽しませるだけのディベルティメントである。


バリトン八重奏曲

•8声のディヴェルティメント ニ長調 Hob.X1 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.3点


1楽章のキレと活発さが楽しい。2楽章と3楽章はごく標準的なディベルティメントだと思う。

•8声のディヴェルティメント ニ長調 Hob.X2 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.5点


バランスがよくて、楽章の統一感もかなり良い。旋律も良いためいい曲だと没入できる。

•8声のディヴェルティメント イ短調/イ長調 Hob.X3 1775 brt,SQ,2hrn,BC ◦3.5点


1楽章の鎮魂的とも言える悲劇的な暗い曲から、2楽章の底抜けに明るい曲に転換し、3楽章はまったりという特殊構成。2楽章が魅力的。1楽章はモーツァルトの最も悲劇的な曲にも匹敵するほどエモーショナルである。

•8声のディヴェルティメント ト長調 Hob.X4 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.3点


1楽章も2楽章も穏やかなのが、3番と対比を意図的しているように感じる。古典的な均整の取れた美しさと旋律の良さを楽しめる。

•8声のディヴェルティメント ト長調 Hob.X5 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.0点


雰囲気は他と同様だが、旋律が平凡でやや魅力が落ちる。

•8声のディヴェルティメント イ長調 Hob.X6 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.3点


2楽章がモーツァルトのように優美さを裏返したような歌謡的な悲しみの音楽。ハイドンにしては珍しいと思う。他の楽章は普通。

•8声のディヴェルティメント ト長調 Hob.X12 1775? brt,SQ,2hrn,BC◦3.3点


2楽章がまたしてもモーツァルト風の歌謡的な短調。これも良い曲。1楽章の広がりのある曲だがあまり良くない。3楽章のきびきびとした動きは魅力的。


バリトン五重奏曲

•ディヴェルティメント(五重奏曲) ニ長調 1767/68 brt,va,2hrn,BC ◦3.3点


高音が少なくて、父性の強い渋い音になっている。とはいえ、ホルンが2本もあるため華やかさと音の厚みは十分である。ただ、メロディーが地味だし、まったりした雰囲気のためもの珍しさだけで終わってしまう。


バリトン三重奏曲

•バリトン三重奏曲◦2.5点〜3.5点


全126曲。10分程度で3楽章のコンパクトな内容。同工異曲がたくさんあるが、領主に直接演奏してもらうための曲だからかひどい手抜きは無く、どの曲もそれなりのクオリティである。低音ばかりなので聞いていて気分が落ち着くし、ハイドンらしい楽しさにも満ちている。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E5%AE%A4%E5%86%85%E6%A5%BD%29

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html#c2

[近代史3] フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」 中川隆
3. 中川隆[-14015] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:12:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-684]

ハイドン(クラヴィーア曲、声楽曲)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%A3%B0%E6%A5%BD%E6%9B%B2%29

クラヴィーア曲

クラーヴィアソナタ

曲名につけている数字は、前半がホーボーケン番号で、後半がランドン版による番号である。


ハイドンのソナタは、モーツァルトのソナタのように個別的な個性があったり、心を虜にするような愛らしさと旋律美のような強烈な魅力があるわけではない。しかし、ハイドンらしい素朴な暖かさや成熟感は魅力があり、地味さに耳が慣れると、なかなか楽しめる佳作が揃っていると思う。

1番から20番まで


•ピアノソナタ第1番 ハ長調 第10番 1750-55? ◦3.5


シンプルな短いソナタ。古典的な簡素さの美に感動する。3楽章もそれなりに良い曲だが、特に1楽章と2楽章が良い。1楽章も3楽章も短調に転じるのが面白い。いずれにせよ、バロック的なシンプルな美しさが素晴らしい。初期の中でも心に響く曲。

•ピアノソナタ第2番 変ロ長調 第11番 作曲年不明 ◦3.0点


1番と比べると各楽章が長く感じる。2楽章のモーツァルト顔負けの憂愁。半音階的で驚く。1楽章の滋味。3楽章は急速でなく時計のような歩みの進行であり、ハイドンらしい時計的な詩情を見せる。

•ピアノソナタ第3番 ハ長調 第14番 1765? ◦2.8点


素朴でシンプルなソナタ。バロックの香りを放つ素朴な味わいは悪くないが、それ以上の何かは無い。

•ピアノソナタ第4番 ニ長調 第9番 1765頃?-1772 ◦2.5点


6分2楽章の短いソナタ。あまりに簡潔で、音楽的にもあまり目立つ良さは無い。ハイドンらしい良さはこの曲にもあるが、物足りない。

•ピアノソナタ第5番 イ長調 第8番 作曲年不明◦2.8点


爽やかで内容もそれなりに盛り込まれた短い曲。歯切れの良さが魅力。しかし、旋律の魅力にどことない物足りなさを感じる。

•ピアノソナタ第6番 ト長調 第13番 ◦2.8点


いかにもチェンバロ用の曲。4楽章。簡素な曲だが、憂いをたっぷり聴かせる短調の3楽章が独特のバロック的美しさで心に響く。他の楽章は普通。

•ピアノソナタ第7番 ハ長調 第2番 1750頃? ◦2.5点


簡素な曲。特に3楽章はあっという間に終わる。旋律の魅力が足りず、未成熟を感じる。

•ピアノソナタ第8番 ト長調 第1番 ◦3.0点


7番同様にものすごく短い曲。7番より歌心を感じて、ピアノフォルテらしい音の動きを楽しめる。

•ピアノソナタ第9番 ヘ長調 第3番 1766/1760?  ◦2.8点


2楽章がやや長くて冗長に感じるが他はシンプル。これもピアノフォルテらしい音の動きを楽しむ曲。

•ピアノソナタ第10番 ハ長調 第6番 作曲年不明◦2.5点


9番までと比較して長くて構成が大きいのだが、響きを単純に楽しむ素朴さが損なわれている。旋律があまり良くないと音感の良さも微妙なのが気になる。

•ピアノソナタ第11番 ト長調 第5番◦3.0点


2楽章がなかなか美しい。3楽章はいろいろ詰まっていて楽しく、コンセプトは良いが、大成功とはいかないと思う。1楽章は並。

•ピアノソナタ第12番 イ長調 第12番 ◦3.0点


スローテンポから段々早くなる曲。1楽章が美しい。他は並。

•ピアノソナタ第13番 ホ長調 第15番 1766/1760? ◦2.8点


1楽章は重厚な和音が登場して驚く。2楽章などにも、ところどころ初期にはない古典派の後期のような響きが登場する。順番に聴いたら目新しく感じるが、曲としてはいまいち魅力が足りない。

•ピアノソナタ第14番 ニ長調 第16番 作曲年不明 ◦2.8点


過渡的という言葉がついよぎってしまう曲。いろいろとピアニスティックではあるが、曲として十分に使いこなせていないように聴こえる。

•ピアノソナタ第15番 ハ長調 op.41-3 Divertimento Hob.II:11の編曲。偽作。

•ピアノソナタ第16番 変ホ長調 1750-55?

•ピアノソナタ第17番 変ロ長調 op.53-1 作曲年不明 近年では、J.G.シュヴァンベルガーによるものであると判明

•ピアノソナタ第18番 変ロ長調 第20番 作曲年不明 偽作。

•ピアノソナタ第19番 ニ長調 op.53-2 第30番 1767 偽作

•ピアノソナタ第20番 ハ短調 op.30-6 第33番 1771◦3.8点


1楽章が序奏付き。短調の曲という目新しさがある。モーツァルトの幻想曲のような哀しく切ない歌の音楽。2楽章も深く沈み込むような感じときらめくような美しいに溢れたロマンティックな曲。3楽章もそれをうけた見事な内容。このような特殊な曲を高く評価するのは自分でも良いのか悩むが、感動するのだからしょうがない。

21番から40番まで


•ピアノソナタ第21番 ハ長調 op.13-1 第36番 1773◦3.3点


1楽章の執拗な跳ねるリズムは、ハイドンにしては非常に特異な音楽である。効果のほどを高く評価したい出来ではないが、とにかく印象に残る。2楽章はオーソドックスだが、なかなか叙情的で美しい歌心のある曲。3楽章もオーソドックスでなかなか楽しくて、ハイドンらしい素朴さが過剰でない演出となりいい味を出している。

•ピアノソナタ第22番 ホ長調 op.13-2 第37番◦3.3点


1楽章は普通。2楽章はかなり沈み込んだ悲痛の感情に支配された曲。3楽章はそれを受けたしみじみとした晴れやかさのある曲。突発的な激情も挟まれる。ロマン派の息吹を感じる。

•ピアノソナタ第23番 ヘ長調 op.13-3 第38番◦3.3点


1楽章の活発な運動性や展開力は、それだけで楽しめるもの。短調の2楽章も3楽章の意外性のある音の動きの運動性も楽しい。表現の幅があり、滋味も裏にもっていて成熟感がある。

•ピアノソナタ第24番 ニ長調 op.13-4 第39番 1773?◦3.0点


1楽章は活発だがいまいちピンとこない曲。2楽章は短調で歌謡的でモーツァルトのように美しい。3楽章は音の動きで押す曲だが、これも旋律としてはあまりピンとこない。

•ピアノソナタ第25番 変ホ長調 op.13-5 第40番◦3.3点


1楽章は広がり感があるソナタ。多くのものが詰め込まれている、がっちりとしたソナタでハイドンらしい魅力がある。2楽章が非常に短く、そのまま終わるという構成に驚く。

•ピアノソナタ第26番 イ長調 op.13-6 第41番 1773◦2.8点


1楽章は多くが詰め込まれているが、旋律の魅力をあまり感じない。2楽章もあまり旋律の魅力がない。3楽章はスケール主体であっという間に終わる。

•ピアノソナタ第27番 ト長調 op.14-1 第42番 1774-1776?◦3.0点


1楽章は音の動きを止めない勢いの良さでソナタを作っている楽しさ。2楽章と3楽章は中庸で特徴が薄い。

•ピアノソナタ第28番 変ホ長調 op.14-2 第43番◦3.0点


1楽章と2楽章は中庸であり、内容はあるが取り立てた特徴を感じない。3楽章は面白い音の動きでテキパキした雰囲気を楽しめる。

•ピアノソナタ第29番 ヘ長調 op.14-3 第44番 1774◦2.8点


1楽章はふわっとしたつかみどころの分かりにくい曲。2楽章は古典派らしい素朴さだが、構成は大きくバラエティがある。3楽章がうろうろした感じのとりとめもない音楽。

•ピアノソナタ第30番 イ長調 op.14-4 第45番 1774-1776◦3.0点


1楽章は冒頭の第一主題の軽快さが魅力だが、それだけでない多様な表情を持つ。2楽章は2声部でごくシンプルだが、陰翳のある示唆的な曲。前奏の役割。3楽章はそのまま2声部で続けて始まる。和音は登場するが、2声部でバロックみたいなのは変わらない。うまく言えないが独特の穏やかな浮遊感のようなものがる変奏曲。

•ピアノソナタ第31番 ホ長調 op.14-5 第46番◦2.5点


1楽章と2楽章は素朴で穏やかななだけであまり面白くない。3楽章は活発でシンプルにすぐ終わる。

•ピアノソナタ第32番 ロ短調 op.14-6 第47番◦3.0点


1楽章はしっかり書かれているが、学習用に感じてしまう。2楽章も似た印象。3楽章は短調の切迫感を演出する。モーツァルトの8番のソナタの3楽章を連想する。

•ピアノソナタ第33番 ニ長調 op.41-1 第34番 1778以前?◦3.0点


オーソドックスでどの楽章も悪くはない。しかし、学習用のシンプルな曲という印象である。

•ピアノソナタ第34番 ホ短調 op.42 第53番 1783/84 ◦3.3点


1楽章は悪魔的な魅力も見せている。3楽章の迫り来る哀愁も良い。モーツァルトのピアノソナタ8番を想起する。

•ピアノソナタ第35番 ハ長調 op.30-1 第48番 作曲年不明◦3.0点


ソナチネアルバムの曲。教育的な曲の印象が強い。1楽章は三連符の伴奏が珍しくて印象的。2楽章は単純でアルベリティ・バスの上のメロディーが続く。3楽章は軽快な音の動きの曲。コンパクトでよくまとまっていて、難易度が低く、どの楽章もハイドンの中では正統派なのが良いところであり、有名な理由だろう。しかし、ハイドンのソナタの中で特段この曲が優れているというわけではないと思う。自分も昔の学習時に弾いた時は好きだった曲だが、いま観賞用として聴くと代表作とは思わない。

•ピアノソナタ第36番 嬰ハ短調 op.30-2 第49番◦3.5点


1楽章はきっちりと重厚に書かれた悲しみの表現。2楽章も元気のよいのもよい。感動的なのは3楽章。芸術性の香りの高い、悲しみをこらえるような静謐さが非常に強く心を捉えて離さない。この楽章の順番がマジックを起こしている。

•ピアノソナタ第37番 ニ長調 op.30-3 第50番◦3.5点


1楽章はピアノ版の祝典曲かと思うほど威勢がよく技巧的で華やかな曲。音の洪水に圧倒される。2楽章はその反動で極めておとなしくて静謐な曲。3楽章は中庸になるわけだが、これもよくできた楽章である。刺激的な動機を使いつつ、詩的な情緒性も感じる。

•ピアノソナタ第38番 変ホ長調 op.30-4 第51番 1779-1780◦3.5点


1楽章は中庸な速度のソナタとして規模が大きくバランスが取られた立派な曲。2楽章は短調。過度でない程度に感情的なものが盛り込まれており、音の美しさを存分に聴かせる曲。3楽章はそれをうけて悟ったような雰囲気を醸し出す、余韻に浸りながら気分を上昇させていく変奏曲。

•ピアノソナタ第39番 ト長調 op.30-5 第52番◦3.0点


1楽章はコンパクトで柔らさのある曲。2楽章は穏やかな気分になる。初学者が弾くには良さそう。3楽章は素直で程よい運動性であり、やはり弾くと楽しそう。

•ピアノソナタ第40番 ト長調 op.37-1 第54番 作曲年不明◦3.3点


穏やかで愛らしさと味のある変奏曲。大きな激しさは瞬間的にしかみせないまま続くが、曲調に身を浸して楽しめる。ただ、少し長すぎるとは思う。2楽章はめまぐるしく活発な音の動きで、それを追いかけていくだけで楽しめる。


41番以降

•ピアノソナタ第41番 変ロ長調 op.37-2 第55番◦3.0点


ピアノフォルテでなくピアノ的な書法と感じる。1楽章は中庸で悪くないが特徴は少ない。2楽章は非常にめまぐるしさくて楽しい。どちらもメロディーの特徴は少ないが、ソナタを順番に聴くなかでは書法の変化の楽しみがある。

•ピアノソナタ第42番 ニ長調 op.37-3 第56番◦3.8点


1楽章は非常に雄弁であるとともに、シューベルトのような淡く儚い美しさを感じさせる名曲。主題は非常に美しい。2楽章はごく短く、締めのためだけに存在する。この構成じたいが、ハイドンが1楽章を名曲と考えていた証拠である。

•ピアノソナタ第43番 変イ長調 op.41-4 第35番◦3.0点


どの楽章も、なんというか普通で特別感がない。とても中庸な安心感はあるのだが、刺激がなさすぎて物足りない。棘のない音楽だし、ありきたりなつまらなさがあるわけではないのだが。

•ピアノソナタ第44番 ト短調 op.54-1 第32番◦3.3点


1楽章はすぐ長調になってしまう普通の曲だが、シンプルな書法に歌心が忍ばせてあり、なかなかよい。2楽章が短調の美しさを活かしていて、陰影がありながらも冷静で感情に溺れないのがよい。

•ピアノソナタ第45番 変ホ長調 op.54-2 第29番 1766◦3.3点


素朴な書法でハイドンの中ではミニマルな音という印象である。しかし3楽章は工夫が多くあって、驚きが多く感じられて楽しめる。思わず聴き入ってしまうものがある。

•ピアノソナタ第46番 変イ長調 op.54-3 第31番 作曲年不明◦3.5点


1楽章は規模が大きい。それに見合った内容があり満足できる。静かでしなやかな感受性に満ちた柔らかい曲。2楽章は非常に美しくて、強い感動に心を揺さぶられる。ここまで深い精神世界にハイドンが入り込んだかと感動する。3楽章は標準的な内容であり、快速にきっちり締める。

•ピアノソナタ第47番 ヘ長調 op.55 第57番 1788◦3.0点


1楽章は語法や同じ雰囲気が続くところなど、バッハのプレリュードみたいだと思った。2楽章はとても静かで間を使った曲。3楽章も活発だが派手なのは一部であり控えめな曲。

•ピアノソナタ第48番 ハ長調 op.89 第58番 1789◦3.0点


1楽章は幻想曲のような趣き。自由な心の動きをそのまま音楽でなぞったようだ。ハイドンにしては目新しく感じる。2楽章はほのかな高揚感のある曲であり、展開をそれなりに楽しめる。

•ピアノソナタ第49番 変ホ長調 op.66 第59番 1789-90 ◦3.5点


1楽章はハイドンらしい主題の魅力と構成のがっちりした印象で正統派の良さがある。2楽章も規模が大きく、ベートーヴェンの中期に近い充実感。音の響きかたもベートーヴェンにかなり似ている。静けさと、胸の膨らむような広がり感とパーソナルな領域に入り込む感情を両立している。3楽章も冷静で雰囲気は悪くないが、他の楽章ほどの充実感はない。もっと盛り上げてほしかった。

•ピアノソナタ第50番 ハ長調 op.79 第60番 1794-95頃◦3.3点


1楽章はピアニスティックな発想で書かれた大規模な曲。2楽章は初期ベートーヴェンみたいな曲で、若々しく新鮮で気持ちが良い 。ピアノの響きを生かしてる緩徐楽章で美しい曲。3楽章はピアノの機能を使うことに主眼がある曲で今までのソナタの最終楽章と音の使い方が違うように感じる。動機の使い方の成熟した自由さがある。

•ピアノソナタ第51番 ニ長調 op.93 第61番◦3.5点


1楽章はピアニスティックさがありつつも、曲の長さがコンパクトでありよくまとまっていて、聴きやすい。2楽章は適度に活発であり、複雑性も良い感じであり聴きやすい。この楽章もコンパクト。51番は旋律に大きな魅力があるという印象ではないが、50番と52番の大作に挟まれた小さな作品として独自の価値がある。

•ピアノソナタ第52番 変ホ長調 op.82 第62番 1794◦3.5点


ベートーベン初期やクレメンティを彷彿とさせるクラーヴィア曲のテクニックを豊富に活用し、主題の豊富さとスケールの大きさで聴かせる曲。50番以上に規模の雄大さと、楽器の進化にともなう書法の可能性の探求をさらに進めており、もはや完全にベートーヴェンの世界になっている。ピアノの機能と響きを楽しみ、その可能性を試して音楽を作る方向になって。1楽章は壮大にして雄大なソナタ。2楽章の小さな音の残響の産み出す詩的情緒の美しさは特筆もの。非常に規模が大きい。3楽章はピアニスティックで爽快さと性急さが主体だが、それ一辺倒にならないように構成されて締めくくり感を演出している。1番の驚きは、60歳を過ぎて新しい楽器の機能を理解して、それに適応した構造の語法のそれまでと別世界である音楽を書くことに成功していることである。頭が柔らかいなと思う。


声楽曲

•スコットランド民謡集◦4.0点


ホーボーケン番号で273曲。これがとにかく素晴らしい。ピアノ三重奏による伴奏による歌心あふれる曲は、癒される度合いは半端ない。素朴な味は心の故郷に帰った気分になる。これこそが歌、これぞ「The 音楽の楽しみ」とまで思ってしまう。聴ききれないほどの大量さで、まさに宝の山である。あまりに良すぎてテンションが上がってしまう。ちなみに後任のベートーヴェンの民謡集は面白くなかった。

•ウェールズ民謡集◦4.0点


少し聴いただけだが、スコットランド民謡集と同様に素晴らしい。


宗教曲

オラトリオ

•オラトリオ『トビアの帰還』 Hob.xxI-1◦4.0点


晩年の2大オラトリオとは全然違う。この曲はとても楽しめた。輝かしいコロラトゥーラと、華やかでイタリア的で舞台的なワクワク感は素晴らしい。エンターテイメント曲として楽しめる。ハイドンのオペラを見てみたくなる。次から次へと若々しくて驚くほど楽しい音楽が飛び出すから、心が躍りながら聴ける。モーツァルトのオペラが好きな人はぜひ聴いてみるべきだと思う。3時間は長いが苦痛を感じない。交響曲をたくさん聴き漁るようなものだ。レティタティーボが入っているのが息抜きとして良い。

•オラトリオ『天地創造』 Hob.xxI-2◦3.5点


ハイドン渾身の大作。ストーリー性のある音楽であり、オペラに近い雰囲気であり、開放的で明るい。個人的にはやはり、ハイドンの芸風と持ち味からすると少し外れた部分を狙った音楽になっていると思う。ハイドンの最良であるいくつかのモノを感じられない。スケール感や機転や温かさなどである。立派な大作であるものの、ヘンデルのオラトリオやモーツァルトのオペラの良さと比較すると少し落ちると思う。これは実力や労力の問題でなく、相性の問題だろう。

•オラトリオ『四季』 Hob.xxI-3◦3.8点


天地創造よりも壮大で力強くドラマティックであり、良さが分かりやすい。長丁場を面白く聴ける。舞台的ではないが描写的な場面は多い。音楽の活力が、長年で鍛えられた作曲能力をさらに一歩先に進める形で披露されている。古典派の語法で書かれたオラトリオとして、見事な出来である。天地創造より楽しい。大作でありながらどこを切ってもハイクオリティなのが凄い。

•十字架上の七つの言葉◦4.0点


オラトリオ版。各曲がずっしりと重たく、骨太でがっちりしており、壮大なスケールを持ち、メロディーが充実しており、まさに巨匠に相応しい出来となっている。遅い楽章ばかりで、変化に富んでいるとは言えないが、飽きないための工夫はされており、音楽自体の充実感とあいまって、じっくりと楽しんでは最後まで聞ける作品である。最後のコラールでまた感動。


ミサ曲

ハイドンの後期のミサ曲は気宇広大にして壮大で骨太な音楽の中に詩魂をいかんなく発揮した、すばらしい音楽である。アイデアが沢山詰め込まれていて飽きさせない。室内楽との違いは驚くべきであり、作曲家としてのスケールの大きさを感じる。同じミサ曲でも非常に人間臭くてドラマチックなモーツァルトのそれとはかなり印象が違う。前期はまたぜんぜん違うバロックに近い雰囲気だが、それはそれで非常に素晴らしい。

•ミサ曲第1番 ヘ長調 ミサ・プレヴィス Hob.XXII-1◦3.3点


各曲が短いため、コンパクトな仕上がりである。そして、素朴すぎて普通の作品とはだいぶ雰囲気が違う。自分だけかもしれないが、シンプルな音使いに前期バロックを連想するほどである。その点で独特で面白いとはおもうが、やはり完成度や質はまだ十分な高みには達していないと思う。とはいえ聞いていて楽しめないレベルでは全然なく、十分に面白い曲として聴ける。

•ミサ曲 ト長調◦3.5点


非常に短い曲の集合で書かれた曲。全部で8分しかない。とてもコンパクトで聴きやすいし、活力のある様々な曲がある。ダイジェスト版という感じで楽しく聴ける。初期らしい聖なる雰囲気の魅力を他と同様に持っている。短いだけで決して良さは同様だと思う。

•ミサ曲第2番 変ホ長調 祝福された聖処女マリアへの讃美のミサ Hob.XXII-4◦3.8点


初期のミサ曲の、素朴さと宗教的な雰囲気の魅力はここでも溢れている。クリスマスの音楽かと思うような聖なる雰囲気に満ちていて楽しい。バロックのような素朴な陰影感も楽しめるもの。3番と違い一曲が長い作品だが、聞いていて全然飽きなくて続きが楽しみでしょうがない気分で聴ける。自分で演奏したらどう感じるのか分からないが、音源を聴いている限りは後期の傑作とは違う意味で同じくらいの魅力を感じる。

•ミサ曲第3番 ハ長調 聖チェチリア・ミサ Hob.XXII-5◦4.0点


ミサ曲の中でこの曲だけ曲数が多い。これはものすごい力作であり、非常に感動的だ。交響曲の感覚では1765年はまだ初期であるが、実際には精神的に充実した一流の作曲家なのだと思い知らされる。バロックの息吹が感じられる響きや音楽の作りがまた素敵だ。バッハやヘンデルを思い起こす場面がある。ミサ曲らしい敬虔さや聖なる雰囲気と、それに加えた高揚感が楽しませる。曲のバラエティーの楽しさもあり、バッハのロ短調ミサ曲の有力な対抗馬とさえ言いたくなるほどだ。

•ミサ曲第4番 ト長調 聖ニコライ・ミサ Hob.XXII-6◦3.5点


バランスが良くてバラエティーに富んだ曲。バロックに近い素朴さが良い味になっていて、後期とは違う魅力になっている。敬虔さに感動させられる、宗教的な雰囲気が強くてミサ曲らしさがある。最後には強い感動で終わる。

•ミサ曲第5番 変ロ長調 小オルガン・ミサ Hob.XXII-7◦3.5点


瑞々しい繊細な感受性の表現が光る作品。冒頭から感傷的とも言える繊細さにおおっとなる。後期ほどの音の密度ではないにせよ、魅力でいえば同じくらいあるように感じられる。オルガンが大活躍でしんみりと敬虔な気分にさせるのが、また素敵である。最後の曲までも静謐である。

•ミサ曲第6番 ハ長調 マリアツェル・ミサ Hob.XXII-8◦3.3点


いい曲ではあるが、やはり後期の高みに登っている感がない。立派だが予想の範囲内であり、立体的な深みがない。とはいえ、対位法など聴きどころは多少はある。明るくて輝かしくて力強い曲。

•ミサ曲第7番 ハ長調 戦時のミサ Hob.XXII-9◦3.5点


後期のミサ曲の中で、充実度は変わらないが、なんとなくこの後のさらなる成長をみせる名作を予見させる作品というように聴いてしまう。どの曲も良いのだが、これは最高に良いという曲がなく、平均以上が続くように感じられる。濃厚さが少なくて、後期のミサ曲の中では少しだけあっさりしているようにも感じられる。

•ミサ曲第8番 変ロ長調 オフィダの聖ベルナルトの讃美のミサ Hob.XXII-10◦3.8点


立派で壮大な作品であるが、前半部分はやや立体的な奥深さには欠けるように思った。もちろん、このあとの驚異的な数作と比較しての話だが。そして後半はしなやかで敬虔さにあふれる音楽に変貌して感動に包んで最後を締めくくってくれる。驚くべき名作という聴後感を与えてくれる。構成が見事であり、充実感のある曲。

•ミサ曲第9番 ニ短調 ネルソン・ミサ Hob.XXII-11◦4.0点


ハイドンにしては非常に劇的であり、ロマンティックささえも感じる作品で、モーツァルトの短調の曲を連想する。それと同時にハイドンらしい格調高い立派さに溢れている。多くの楽想はいずれも素晴らしい表現の力強さに満ちており、確信に満ちた輝かしさも感じる。そのような方向性の作品としては確実にハイドンの作品の中で頭ひとつ抜けた曲だろう。とにかく充実した立派で劇的な作品。

•ミサ曲第10番 変ロ長調 テレジア・ミサ Hob.XXII-12◦4.0点


壮大に全体を包み込むような大きな包容力、気宇広大さ、敬虔さと優しさ、そういったものに心を委ね、時に圧倒される楽しさに満ちた曲。1曲目から何度も聴いているうちに、すっかり好きになってしまった。旋律も全体的に魅力的であり、多くの楽想が詰まっている。内容の充実感でいえば交響曲よりかなり上という気がする。

•ミサ曲第11番 変ロ長調 天地創造 Hob.XXII-13◦3.8点


すっきりした壮大さと、明快な明るい感じが全体の雰囲気になっている。しかし、シンプルすぎて深みや陰影がやや欠けるかなとは思う。10番ほどの名作には感じられない。しかし、5曲目と6曲目がしなやかで感傷的な感動的な曲。前半の物足りなさを吹き飛ばしてくれる。

•ミサ曲第12番 変ロ長調 ハルモニー・ミサ Hob.XXII-14◦3.3点


とても立派なのだが、全体に立派なだけという印象を持ってしまった。心に残る場面は少ない。充実感はもちろんあるが、それだけではやはり満足に限界がある。


宗教曲

•テ・デウム ハ長調 Hob.XXIIIc-2

•スターバト・マーテル◦3.5点


爽やかさと活力のある敬虔さともいうべき雰囲気が楽しめる音楽。正攻法で魅了がある古典派宗教曲の良作だと思う。音楽として楽しいから長さが全然苦にならない。シンプルではあるが、音楽の情報量は十分に多い。どの曲も音の作る雰囲気に心がウキウキしながら聴ける。宗教的すぎないが、十分に敬虔な気持ちにさせるものがあり、そのバランスが良い。

•サルヴェ・レジーナ◦3.0点


オルガンの活躍が面白い。ハイドンにしてはかなり深刻な音楽。悲しみに満ちている真剣な音楽。しかし、短いせいかもしれないが、なぜか不思議と心を強くは打たなかった。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%A3%B0%E6%A5%BD%E6%9B%B2%29
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html#c3

[近代史3] ブルックナーの作品は日本の男のためにある _ 日本でのブルックナー人気は宇野功芳のカリスマ評論が唯一の原因 中川隆
14. 中川隆[-14014] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:15:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-683]

クラシック音楽 一口感想メモ
アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824 - 1896)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC

人間的感情に欠けるので聴き始めても最初はどこがいいのか分からない。長い全曲を何度も聴いて覚えて大自然の必然に身を置くように曲の流れに身を任せられるようになると、気持ち良くてやめられなくなる。一見禁欲的なようでいて、個人的には実は快楽的な音楽であると思う。

交響曲

•交響曲ヘ短調◦3.0点


初期の交響曲。もっと普通の曲かと思ったが既にブルックナーらしい世界である。まだ未熟で書法が単純であると感じるところはあるが、とはいっても十分な複雑さがありブルックナーが好きなら飽きずに楽しめるもの。茫洋とした雰囲気は0番などに似ている。曲がコンパクトで聞きやすく、各楽章を楽しめる。ブルックナーの作った世界の生い立ちを知る上でヒントを得られる点で興味深い。

•交響曲第1番ハ短調◦3.3点


ブルックナー生来の音は既に鳴っているが、まだオーケストラの使い方に荒削りさが気になるし、構成もブルックナー独特のものに固定されておるず発展中である。アダージョとスケルツォは特に魅力がある。初期であり完成度は後年のものには及ばないが、雰囲気に若い新鮮さもあり、案外聴きがいがある作品。

•交響曲第0番ニ短調◦3.5点


番号カウントに入っていない作品であり、後日改訂されていない作品である。しかしブルックナーらしい音はしっかりある。まあ、若い作品といっても45歳だから、いろいろ確立しているのは当然かもしれないが。茫洋とした雰囲気と、独特の力強さと不思議な世界観を見せている。なにより若々しい生命感と活力と感受性の発露があり、爺さんになってから書いた曲とは違った素敵さがある。2楽章の薄暗い曙光と冬の空気の雰囲気はロマンティック。3楽章のスケルツォはかなり秀逸で、霊感にあふれた巨匠的な内容のもの。4楽章は威勢が良くて、もったいぶってないのが爽快。

•交響曲第2番ハ短調◦3.5点


初期の作品であり、まだ精神の深い所に沈んでいく感じはなく、浅い。しかし、ブルックナーらしさは完成されてきており、構成が固まってきている。アダージョに感動的な魅力があるし、他の楽章もバランスがよく、既に大交響曲作曲家の一歩を踏み出している。

•交響曲第3番ニ短調(『ワーグナー交響曲』)◦3.8点


改編を晩年に実施した曲なので音の密度が濃く充実している。

•交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』(Romantische)◦3.8点


ブルックナーの中では短くて分かりやすいため入門に良い。全体にメロディーが良く、バランスも良く、長すぎないため曲を把握しやすい。明るく適度な開放感のある雰囲気は、聴いていて素直に楽しいと思わせるものがある。ただし、ブルックナーの真価である、7番以降ような世界と等身大のような広大さがまだない。とはいえ、聞きやすく純粋な音楽的部分でなかなか優れているので、この曲が一番有名というのは仕方ないと思う。なお、「ロマンティック」という副題は、普通のロマン派音楽の感覚でいえば全然ロマンティックではない曲なのであまり気にしない方がよいが、まったくロマンティックさが無い曲も多い本人の作品の中で、この曲は多少は感じる部分があると思う。

•交響曲第5番変ロ長調◦3.3点


8番と同様に、最後までの全体が立派で堂々としたスケールを持っている立派な曲。しかしながら、ブルックナーが感じさせるある種の快感がこの曲には少なく、聞いた後の疲れが多くてきつい。尖った感じがするともいえるが、むしろ、とっつきにくくて幻想的かつ思弁的という印象。構築的で同じ動機の使い回しが多いのだが、肝心の繰り返される動機が自分としてはあまり魅力を感じない。

•交響曲第6番イ長調◦3.5点


2楽章はブルックナーの曲の中では珍しく人間的な愛情のようなものが感じられる。何度も繰り返されるメロディーや、しなやかな深さをもって心をゆり動かす魅力は素晴らしく、聞く価値がある。また1楽章は巨大な深い森林のような雰囲気で、シベリウス初期に似た骨太なゴツさがあり、前に進む推進力がある。後半の楽章は可もなく不可もないと思う。


•交響曲第7番ホ長調◦4.5点


最初と二つの楽章は、メロディーが分かりやすくブルックナーにしては珍しく初聴で感動できるため、入門によい。田園的な心地よさと包み込むような柔らかさに満ちている。後半の2つの楽章のレベルが落ちるのが残念である。

•交響曲第8番ハ短調◦5.5点


圧倒的なスケールの正統派で雄大な作品。明るくポジティブな推進力があり、何度でも楽しめる。すべての楽章の完成度が高い。1楽章はあまりメロディーが無く、動機を使った運動的な曲。巨大な曲でありながら、全曲の中では序章に過ぎないのが凄い。2楽章はそれを展開するが、まだ序章その2という感じだ。3楽章からが本編である。精神世界の深い部分を逍遥するようなすばらしさ。特に第2主題の絶妙さは驚異的。コーダが最高である。4楽章の大自然の満点の星空のような雄大さと、アルプスの巨峰のような存在感の、稀にみる巨大スケールの曲。

•交響曲第9番ニ短調◦5.5点


4楽章が未完成。この曲はブルックナーの曲の中で密度の高さが大きく異なる。他の曲は曲の流れに身を委ねるのが気持ち良くて、聞き終わったらもう一度聴きたくなるが、この曲は胸が一杯になって満足感でしばらく動けなくなるような感じである。3つの楽章とも、8番の同じ楽章と比較するとより優れていると思う。この交響曲は人間的な愛情や信仰心といった感情をかなり強く感じさせる点が、ブルックナーの中で異質である。

室内楽曲

•弦楽五重奏曲 ヘ長調 1878-79◦3.8点


1楽章と3楽章が特に良い。1楽章は典型的なブルックナーのソナタ楽章だが、主題に魅力があり、規模の大きさと内容の充実があり、やや交響的なスケールを見せながらも室内楽としても魅力があり、満足感がある。3楽章はブルックナーの得意な息の長くたっぷりとメロディーをしなやかに感動をもって聴かせる美しい曲。これも彼の特質を発揮出来ている。2楽章はスケルツォとして間に入れる曲としてセンスが良い。4楽章が弱く、この曲の弱点になっている。旋律が弱くて、室内楽として最終楽章で出来ることをうまく発見出来ないまま書かれたように感じた。

•間奏曲ニ短調◦3.3点


一度弦楽五重奏曲の2楽章として差し替えられた後に、また外されて独立された。ウィーン的な上品さとブルックナーらしさが融合している面白い曲。しかしパンチが効いていないので、弦楽五重奏曲の中に入れるのは気分転換の図れるスケルツォの方が良さそうであり、ブルックナーの判断は正しいと思う。


合唱曲、宗教曲

•テ・デウム◦4.0


ブルックナーの宗教音楽の中の力作。交響曲のイディオムを合唱曲で使っているのだが、ダイナミックな音使い、ユニゾンの使い方などが、神々しい光を放って圧倒的に響くさまは、聞き込むほどに見事なものだと関心する。楽想の豊さと、構成の壮大さ、見事さといい、最後の二つの交響曲に近いほど重要な作品と感じる。交響曲と同様に何度も繰り返し聴いていくと、より素晴らしく聞こえてくる。短い部分に分かれているため、むしろ交響曲より聴きやすいかもしれない。


•ヘルゴラント◦3.8点

ブルックナー最後の作品。男性合唱の力強さが、ダイナミックな管弦楽とあいまって、なかなかの聴き応えある作品となっている。交響曲9番の時代ならではの、さらなる複雑さと神秘性を伴った響きが聞き物。そして高揚感も楽しい。最後の大円団はワクワクする楽しい音楽。なぜこれがマイナー曲なのか分からない。

•詩篇150◦3.3点

晩年の合唱作品。8分程度であまり長くないので、その分だけブルックナーの良さが完全には発揮されていない気がする。音の動きはかなり激しいのだが、野太さというブルックナーの特質が出し切られていないなど、ややブルックナーに期待するものが足りない。晩年らしく練達された作曲技法は使用されていて、楽しめる作品ではある。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/684.html#c14

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
94. 中川隆[-14013] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:20:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-682]

クラシック音楽 一口感想メモ
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833 - 1897)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9

ロマン派が爛熟し新奇さに走って構造の崩れた曲が増えた時代に、古典的な形式美を保持した曲を書き続けた人気作曲家。ドイツ3Bと呼ばれるのは伊達ではない。本格派にして実力派である。堅実な音楽ではあるが十分にロマン的情緒があり、素晴らしいメロディーメーカーでもある。

各ジャンルでロマン派を代表する傑作を書いた点で、同年代のチャイコフスキー、ドヴォルザークと双璧である。

難を言えば、このレベルの作曲家にしては芸風が狭く音楽がバラエティに欠けていると思う。また、いい所までいくのに突き抜けきれずにもどかしさの残るような作品が多い。一部の突き抜けられた作品はロマン派を代表する傑作になったのだが。あと、ターーラララのような手癖フレーズに安易に走ることが多いのも個人的には結構気になる。


交響曲

•交響曲第1番ハ短調作品68◦5.0点


闘争から勝利という図式が分かりやすく、ロマンチックな雰囲気を濃厚に持った名旋律が満載である。最後は楽しくウキウキした気分で締めくくられるので楽しく聞ける曲。ただし、長年推敲しすぎと気合入りすぎで多くの濃厚なものを詰め込みすぎなので、まとめきれておらず流れが不自然な箇所があったり、息苦しさを感じたりするところはある。

•交響曲第2番ニ長調作品73◦4.0点


風光明媚な土地の豊かさに包まれて生活するような、明るく田園的で広々とした気楽な雰囲気。さらさらと流れるように書かれたような緩やかさやロマン派らしい耽美的楽想と、古典交響曲的な緊密さ動機労作と、堅牢な構成の両面があり戸惑う。一楽章の第2主題は文句なしの美メロだが、それ以外はどのメロディーも惜しい。

•交響曲第3番ヘ長調作品90◦3.5点


3楽章が分かりやすい代わりに二楽章はいまいち。一楽章と四楽章は充実しているのを楽しめるものの、強い愛着を感じるほどのものでない。全楽章が静かに終わるのもなんだかなあと思う。


•交響曲第4番ホ短調作品98◦4.5点

古めかしい形式を交響曲に生かしたことは、現代からに見ると新鮮な創造性を感じる。一楽章の冒頭の魅力は素晴らしい。諦観と豊かさは見事なもの。二楽章の旋法を活用した古めかしい雰囲気も詩的で善い。三楽章も間奏的なものとして効果十分。四楽章のシャコンヌはゴツくていかめしくてめんどくさいが、創造的ではある。

管弦楽曲

•セレナーデ第1番ニ長調作品11◦3.5


難しいことを考えず心地よい音楽をくつろいで楽しめる。センスが良いので長くても飽きない。

•セレナーデ第2番イ長調作品16◦3.0点


ヴァイオリンが無いので管楽器が大活躍。少し響きに慣れが必要だが、内容は一番同様に良い。

•ハイドンの主題による変奏曲作品56a◦4.0点


なんといっても主題が魅力的。管弦楽のための変奏曲として、ヴァリエーションの豊富さ、ニュアンスの豊富さ、管弦楽らしい各種の管と弦楽合奏の共演という要素など、楽しくウキウキした気分で聴ける。

•大学祝典序曲作品80◦3点


大学生達の宿歌をつなげて作った序曲だが、対位法的な技法もうまく活用されていて、単なる明るい祝典序曲に留まらない音楽的豊かさがある。

•悲劇的序曲作品81◦3.0点


交響曲の一つの楽章のような曲。単一楽章なのでどうしても軽さがあり、深い所を繋げて展開していくストーリーを楽しむことが出来ないのだが、音楽的には充実していて、交響曲に匹敵している。


協奏曲

•ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15◦5.0点


一楽章では若いロマンチックな情熱がほとばしり、二楽章では思慕と感傷的気分に浸りきるような気分を隠さない。ほとんど若気の至りで書いたようなほとばしる情感をそのまま露わにした曲だが、二度と来ない青春時代の精神をそのままストレートな率直に表現した曲として大きな魅力があると思う。

•ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83◦4.5点


交響曲のように充実した協奏曲。ピアノが派手に全面に出て引っ張る感じでない。明るく開放的なイタリア的。ピアノの豊富な音数が作る豊かさ充実感と、メロディーが浮き立つのは交響曲以上か。少しゴテゴテした暑苦しさや、構成の作り込みに繊細さが足りない所などが欠点か。

•ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77◦5.5点


個人的にはヴァイオリン協奏曲の最高傑作だと思う。特に一楽章の重厚なオーケストラに乗せて情緒たっぷりにヴァイオリンを歌わせる手法と複雑な構成と展開の出来の良さは見事なもの。軽い曲が多いヴァイオリン協奏曲の中において、この曲が見せる深淵さを見せる大人の情緒が良い。二楽章の叙情性や三楽章の活発さも素晴らしい。

•ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102◦2.5点


他の管弦楽曲と比較して非常に渋い。独奏楽器が2つなので、CDて聴くとあまり独奏という感じがせず、オーケストラは協奏しているというより後ろで支えている感じ。大家の演奏で聴けば聴き映えはする堂々とした独奏パートでを楽しむことは出来るが。


室内楽曲

六重奏曲

•弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18◦4.0点


重厚だが柔らかくて温かみがある。弦の多くて声部の制約なく自由に書いている。響きがブラームスに合っているし、声部の豊かさが叙情となって美しさを出している。特に一楽章はかなりの名作。三楽章以降はややレベルが落ちて普通の音楽になる。

•弦楽六重奏曲第2番ト長調作品36◦4.0点


瑞々しくて甘くて美しい叙情に溢れる魅力作。交響楽団のような音の厚みや豊かさと、室内楽の要素を併せ持ち、両方の良さを兼ね備えている。一楽章の湖のほとりのような美しさは印象的。それ以外の楽章も同じくらい充実してる。三楽章は泣ける。甘い思い出を振り返ったり、優しい気持ちを思い出すような感情の曲。


五重奏曲

•弦楽五重奏曲第1番ヘ長調作品88◦3.0点


響きの豊かさ、対旋律の豊富さ、ニュアンスの精妙さなど耳を楽しませる曲としての充実感は素晴らしいのだが、メロディーなど心に響く感じがあまりない。

•弦楽五重奏曲第2番ト長調作品111◦3.5点


音楽的な充実感が半端ない。五本の弦楽器を縦横に活用して、聴いていて楽しく耳を楽しませる熟練の技を楽しむ事が出来る。

•ピアノ五重奏曲ヘ短調作品34◦3.0点


ある意味で中期までのブラームスらしさが最も典型的に詰まった曲だろう。重厚さ、情熱、憧れや諦めなどの感情、暗さなど。どちらかといえば若書きで練達の技術とまでいかず、分かりやすい魅力的な部分も少ない。人気曲で熱心なファンも高く評価する曲だが、正直個人的にはブラームスの室内楽のなかで上位とは思わない。

•クラリネット五重奏曲ロ短調作品115◦5.5点


クラリネットの哀愁漂う音色と諦念に満ちた曲想を存分に楽しめる晩年の大傑作。最終楽章の変奏曲が多少平凡な気がするが、1から3楽章までは全てにおいて文句なし。ブラームスの代表作のひとつであるとともに、ロマン派の室内楽の最高傑作だろう。1楽章のイントロからインパクトがすごい。2楽章は特に、両端部分の旋律の絶妙さといい、名人芸的な中間部の魅力といい、圧倒的に優れている。


四重奏曲

•弦楽四重奏曲第1番ハ短調作品51-1◦2.5点


このようなブラームスの弦楽の室内楽らしい緊密なアンサンブルが生み出す音の分厚さで押していく曲想の場合、四重奏だと音が足りなくて欲求不満になる。曲としてもブラームスらしいというだけで強く耳を引く部分は特にないと思う。

•弦楽四重奏曲第2番イ短調作品51-2◦3.5点


1番と違い柔らかくてロマン派の情緒たっぷり。音の薄さが気にならない。1,2楽章の哀愁が良くてその余韻のまま最後まで聞かせる。

•弦楽四重奏曲第3番変ロ長調作品67◦3.5点


四声部に適合して弦楽四重奏らしい曲を書く点や、曲の作り込みとロマン的情緒の表現において進歩してる感じがある。特に二楽章はロマンチックな良い曲。他の楽章も充実感があり秀逸。

•ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25◦3.5点


1楽章は実験的で聴いて楽しい曲とは思わない。二楽章はなかなかよい。三楽章の憧れに満ちた曲はぐっと胸に迫る。ここが一番の楽章。四楽章のジプシー風を活用した情熱的な音楽も面白い。この楽章は特にアンサンブルが効果的で生で聴いてみたい。

•ピアノ四重奏曲第2番イ長調作品26◦3.0点


明るく朗らかで柔らかい響きが支配的で、心地よく聞ける曲である。一楽章のリズムなと分かりやすく耳を楽しませる場面は多い。ただ曲が長いしやや底が浅い感じもあり、ブラームスらしいコクがない。

•ピアノ四重奏曲第3番ハ短調作品60◦3.5点


緊密で緊張感や悲劇的な雰囲気のある曲。無駄が少なく完成度は高い。その中で三楽章は耽美的な回想の雰囲気で心奪われる。

三重奏曲

•ピアノ三重奏曲第1番ロ長調作品8◦3.5点


渋めの曲想で親しみやすくはないし、名作という程の楽章も無いが、どの楽章も内容は濃く充実してる。三重奏だが音は厚い。

•ピアノ三重奏曲第2番ハ長調作品87◦2.5点


三楽章が多少いいかなという位。他の楽章は地味で、いい曲とまでいかないと思う。

•ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品101◦3.0点


最終楽章の高揚感や、三楽章の変わった拍子での繊細さに魅力を感じた。前の二つの楽章もそれなりに魅力がある。

•クラリネット三重奏曲イ短調作品114◦3.0点


ピアノが入っているので、五重奏にはない力強さがあり、クラリネットソナタにはないアンサンブルの楽しさがある。諦観やほの暗い情熱など自分の気分を生々しく音楽にしたような感じ。ブラームスのクラリネット入りの曲の中では暗くて甘さが少なくて取っつきにくい。

•ホルン三重奏曲変ホ長調作品40◦3.0点


この曲を聴いてホルンとは哀愁ただよう渋さを持つ楽器だとイメージが変わったのは自分だけだろうか?最終楽章だけやたら明快で、それ以外は渋い内容。

二重奏曲

•ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78◦3.5点


柔らかくて穏やかなヴァイオリンが十分に歌うのを存分に楽しめる。あまり屈折していない若々しい中に、複雑な大人の感情も取り込まれた音楽。ブラームスの粘っこさや重厚さが二重奏の場合は曲の支えになってヴァイオリンを存分に歌わせることに結実している。

•ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100◦3.0点


明るくたくましい音楽。ヴァイオリンを豊かに力強く響かせる。あまり底が深い感じは無いが、その分気楽に聴ける。

•ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108◦4点


どの楽章も非常にメロディーがわかりやすく、感情移入しやすい曲。

•チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38◦3.5点


チェロの音色の甘さの活用は程々にして、渋い情熱的要素を重視しているのが心地よい。低音域の活用が上手い。ブラームス得意の耳をつくヴァイオリンの泣きの高音域が無いのが心地よくて好きだ。

•チェロ・ソナタ第2番ヘ長調作品99◦2.5点


力強いし渋くて内容は充実しているのだが、楽想やメロディーが全体的に凡庸なのであまり楽しめない。

•クラリネット・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1◦3.5点


両端楽章がやや渋くて取っつきにくいが、中間の二つの楽章は孤独さや人生の回想を感じさせる魅力的な音楽。

•クラリネット・ソナタ第2番変ホ長調作品120-2◦4点


1楽章の甘美な回想の音楽はかなり魅力的。二楽章も甘くて強い回想。三楽章はいつもより控えめで雰囲気を壊さず終わる。クラリネットの甘さを生かし、すてきな歌心に溢れた名作。

ピアノ独奏曲

•ピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品1◦3.5点


交響的な四楽章、室内楽的な三楽章。内容豊富で快活で堂々とした一楽章はベートーベンの後継者らしい素晴らしさ。若書きの作品ながらシューマンのソナタにもひけを取らない良さ。

•ピアノ・ソナタ第2番嬰ヘ短調作品2◦2.0点


3曲で最初に書かれたそうで、1番と比較するとこの曲は随分とありきたりの部分ばかりで面白くない。

•ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調作品5◦2.5点


立派だが頑張っている若書き作品の感じが強い。二楽章の温かさとロマンチックさの共存は魅力。

•4つのバラード作品10◦3.0点


渋くて男臭い世界。渋さの中に隠された甘さが面白さの秘訣か。どの曲もそれなりのインスピレーションがあり、つまらない曲は無い。

•自作主題による変奏曲ニ長調作品21-1◦3.5点


叙情的で感動的な主題なので、しんみりとした気分になり感動する。

•2 ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲作品21-2◦3.0点


ごく短い主題の変奏曲。出来はいいが主題が短すぎて習作の感がある。

•シューマンの主題による変奏曲作品23◦3.0点


沈鬱でメランコリックな主題を使い、その気分をずっと引っ張りながら変奏していく。主題が素晴らしいので聴き映えはする。

•ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24◦4.0点


明るく明快でストレートで健康的。そして実に多彩で表情豊か。次々と楽しい変奏が現れてワクワクするので長い曲だが飽きない。書法ピアノ的でなかなか良い。

•パガニーニの主題による変奏曲イ短調作品35◦3.5点


難曲で有名。リストやラフマニノフほど華麗ではなく、重々しいブラームスらしさはある。技術やフレーズの鋭さを楽しむ曲としてかなり良いが、観賞用音楽として音楽的内容の豊富さはヘンデルの主題の変奏曲より下だと思う。

•8つの小品作品76◦3.0点


様々な種類の曲で構成された8つの曲。曲に特別感は無いものの、小ぶりな小品はどれもブラームスらしい渋い詩情におり楽しめる。また曲がピアノ的になっている。

•2つのラプソディ作品79◦1番3.5点


室内楽のような楽想でややピアノ曲らしさに欠ける。多くの素材を使ってしっかりした構成で書かれており、中期以降にピアノソナタが無いブラームスだけに、ソナタの代わりになる曲。

◦2番3.0点


立派な曲だが、1番と比べるとコンパクトであり、第一主題が次々と転調するものである、低音の面白いつかいかたの部分など、やや実験的である。


晩年の作品

•7つの幻想曲作品116◦3.3点

1曲目は交響的な響きと力強さと粘っこさ。2曲目の夜想曲のような雰囲気に込められた諦観。これらの曲は印象的なのだが、それ以降の5曲ははっきりしないモヤモヤとした雰囲気と面白くないメロディーだけの曲になってしまう。なんとなく美しく感じる場面はあるが、瞬間的なものに留まる。


•3つのインテルメッツオ作品117◦3.5点

三曲とも長めで穏やかで瞑想的で回想するような内容あり、枯れた味わいがあるので、晩年らしい作品となっている。

•6つの小品作品118◦3.0点

力強い曲もあるバランスの取れた曲集だが、何となく瞑想的だったり夢見るような場面が多いので晩年らしい。他の晩年の曲集と比較して何となく普通のレベルの曲が多い。

•4つの小品作品119◦3.5点

1,2曲目の特別感のある諦観にあふれた枯淡の境地は素晴らしい。そしえ四曲目の突然古い曲を持ち出したかのような、活き活きとしたカーニバルのような音楽には驚くが非常にいい曲である。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c94

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
14. 中川隆[-14012] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:31:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-681]

クラシック音楽 一口感想メモ
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner , 1813 - 1883 )
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC

歌劇、楽劇の巨人であり、ドイツロマン派を代表する作曲家の一人。

作品ごとに雰囲気が全然違い、音楽の構造すら違ったりする。それでありながら全てが傑作である。新しい時代を切り開いた革命家であり、それまでには存在しなかった音楽の可能性を切り開いた。

陳腐さが全く無い音感の良さ、音に強烈なエネルギーを持たせる表現力、表現の幅広さや奥行きや劇的な構成力など、多くの能力において、ロマン派の中で最高峰の実力者である。


歌劇

•『さまよえるオランダ人』 序曲

•『タンホイザー』 序曲◦4.0点


まだロマンの浸りきるところまでたどり着いていない、初期らしさの残る作品。しかし堂々としていて既に完全に大作曲家の領域に達している。

•『ローエングリン』 序曲◦4.0点


初期の中ではやはり1番完成している。非常に情熱的で、ロマン的純度が高いイメージで究極感のある音楽である。

•『トリスタンとイゾルデ』 前奏曲

無限旋律やトリスタン和音の妙は、音楽の構造として見事な発明品である。そして、愛を情熱的に表現した音楽は、聴いていて熱い想いを感じさせる。

•愛の死

•『ニュルンベルクのマイスタージンガー』序曲◦5.0点


堂々としたゲルマン的な英雄的な力強さに満ちている。行進曲でありながら、序曲らしさを兼ね備えているのが素晴らしい。

•『ニーベルングの指環』 (Der Ring des Nibelungen )

ライトモチーフとストーリーを覚えると楽しんで聴けるSFファンタジー超大作。さしずめ19世紀版のスターウォーズといった所か。

•序夜『ラインの黄金』 序曲◦4.5点


自然が発生して、物語の場面へと誘う雰囲気の作り方の素晴らしさと期待感の高さは、全4夜の超大作にふさわしいもの。

•第1夜『ヴァルキューレ』 第1幕◦4.0点


叙情的に物語が始まる場面だが、雰囲気の作り方がうまさは完全に天才の所業である。ライトモチーフを追う楽しさはを端的に味わえる。

•ワルキューレの騎行◦5.0点


有名な曲。ビュンビュンとワルキューレが飛び交う雰囲気は何度聴いてもかっこいい。

•第2夜『ジークフリート』

•第3夜『神々の黄昏』

•『パルジファル』 前奏曲

神聖さ、厳粛さを強く感じさせながらも、ロマン的な情熱とドラマトゥルギーを併せ持ち、そして宗教がかった曲にありがちな陳腐さに堕ちていないという、ワーグナーにしか作れない素晴らしい音楽。


その他

•ジークフリート牧歌

•交響曲

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c14

[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
10. 中川隆[-14011] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:38:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-680]

クラシック音楽 一口感想メモ
フランツ・リスト(Franz Liszt 1811 - 1886)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

史上最高クラスの大ピアニストにして、最も重要なピアノ曲作曲家の一人。

大ホールで聴衆を喜ばすことを目的とした音符の塊は、CDで繰り返し聴くための音楽としては内容に乏しく辛い曲もあるが、豪快かつ繊細で清新なピアノの響きを活用した芸術性の高い曲も多い。

また、交響詩の創始など新しいことに挑戦する開拓心、病的な作曲家が多い時代の中では健全な魂、繊細さと豪快さなどスケールの大きなピアノの活用などにおいて、重要な作曲家である。


交響曲

•3人の人物描写によるファウスト交響曲◦3.5点


75分全3楽章と、マーラーやブルックナー並の大作。1楽章は交響詩と同様のオーケストレーションの軽さだが、スケールが大きくて動機を活用し、作曲者の意欲が伝わる内容。2楽章は叙情的で愛らしい曲でグレートヒェンらしさがうまく描かれていおり、結構感動できる。隠れた名作と言える。3楽章は不気味で悪魔的でメフィストフェレスをうまく表現出来ている。最後の合唱と独唱も大仕掛けのこの曲に相応しい。全体として、大作で聴くのがタイヘンだしトップレベルの交響曲ではないが、特に2楽章と3楽章はなかなか楽しめる。

•ダンテの神曲による交響曲◦3.5点


マイナー曲だが、案外良い。リストらしい安っぽさや構成の緩さはあるものの、ベルリオーズの幻想交響曲の表題性に近い楽しさがあるし、豪快さや独特の音の使い方など耳を楽しませる場面は多い。最後のコーラスは非常によい。


交響詩

•人、山の上で聞きしこと◦2.0点


自然の描写が精神的なものを交えて描かれているて雰囲気は良い。精神的な世界観も珍しく深いものがあり、交響曲並みにかなり気合いの入った本格派の力作なのだろうというのは分かる。しかし長すぎてウンザリしてしまう。マーラーぽい。

•タッソー、悲劇と勝利◦3.0点


所々甘美でかなり魅力的な場面が登場するので、それを楽しみに聴くことが出来る。

•前奏曲◦4.0点


前半もいいが、後半の穏やかな部分がかなり感動的で素晴らしく、盛り上がって終わる。いい意味でリストらしくなくて、期待を上回る。

•オルフェウス◦2.5点


まあまあ。美しい部分が出ててくると続きを期待するがたいしたことがない、という場面が数回あった。

•プロメテウス◦2.5点


フーガが登場するのは面白い。全体に他の交響詩と比較して特にピアノ的な音型が多い。リストならピアノで出来る事をオケでやっている感じがする。

•マゼッパ◦3.0点


超絶技巧のマゼッパ。ピアノ曲っぽい。メロディーの良さとかっこよさを再認識できる。後半の勝利のような音楽は悪くない程度だが、前半からの流れで聞く分には楽しめる。

•祭典の響き◦2.5点


祝典的な晴れがましい響きを基調とするが、決して単調なドンチャン騒ぎではなく、交響曲の最終楽章のような、充実した内容がありそうで、しかし物足りない。

•英雄の嘆き◦2.5点


英雄の葬送行進曲から、感動的な雰囲気の中間部を経て、少し盛り上がり暗く終わる。聴きやすく分かりやすい曲。陳腐という程では無いがやや安易ではある。

•ハンガリー◦1.5点


あまりいい所が無い。駄作だと思う。

•ハムレット◦2.5点


それなりの雰囲気作りはされているものの、全体に散漫で良いメロディーに欠ける印象が強い

•フン族の闘い◦3.0点


先頭から勝利という図式がわかりやすく、全体に躍動感にあふれており、オルガンが効果的で、楽しんで聴ける。

•理想◦3.0点


弦のメロディーの鳴らし方や、観念的だが甘美さもある雰囲気など中期のワーグナーぽい。最後は感動する。雰囲気はかなり良いのだが、いいメロディーは無いし、冗長。我慢する気があるかどうか。

•ゆりかごから墓場まで◦2.5点


交響詩の中で一曲だけ大きく時代が異なり晩年の作品なのが貴重。晩年の書法のためオーケストラ的な曲になっている印象。


ピアノと管弦楽のための作品

•ピアノ協奏曲第1番変ホ長調(S.124/R.455)1849年◦3.5点


リストらしい快活で豪快な曲であり、短いので聴きやすい。エンターテイメント性重視の曲。

•ピアノ協奏曲第2番イ長調(S.125/R.456)1839-61年◦3.5点


1番とは大きく異なる、穏やかで瞑想的な芸術性重視の曲。

•ピアノ協奏曲第3番 変ホ長調 遺作◦2点


遺作の曲。凡庸な曲であり、知名度が低いのも当然と思った。

•呪い◦2.0点


曲の趣旨が分かりにくくて、いい曲には聞こえないが、各部分をみると響きの斬新さや面白い表現がある。

•ハンガリー幻想曲(S.123)1852年頃◦3.0点


ハンガリー狂詩曲14番のピアノ協奏曲への編曲版。編曲は自然であり最初からピアノ協奏曲のよう。楽しく聞ける。

•死の舞踏(S.126/R.457)1849-59年◦3.5点


怒りの日に基づくグロテスクな内容。曲想に強いインパクトがある。変奏も割と内容が濃くてなかなか良い。

ピアノ曲(オリジナル作品。曲集、連作)

玉石混交で長大な曲を含めて作品数が多く系統だっていないので全貌が掴みにくいリストのピアノ曲。だが、改訂で曲名を変えたり、編曲ものが大量にあるので、それらを除いて細かい無名の小品も除いてきちんと作品として完成された聴くべきオリジナル曲を整理すると、実はショパンと量はそれほど変わらないことが分かった。


超絶技巧練習曲(S.139/R.2b)

それぞれの曲の完成度が高く、技巧的にもみるべきものが多い傑作曲集。

•1 ハ長調『前奏曲』◦3.0点


いきなりド派手に豪快に始まる。

•2 イ短調◦3.0点


なかなかかっこいい。

•3 ヘ長調『風景◦3.0点


静かでゆっくりした曲だが、和声に詩情がある。

•4 ニ短調『マゼッパ』◦3.5点


勇壮で英雄的でかっこいい。

•5 変ロ長調『鬼火』◦3.5点


弾くのが凄く難しいらしい。鑑賞曲としても細かい音の動きと和声に詩情がある。

•6 ト短調『幻影』◦3.5点


激しい分散和音に載せて詩情があるメロディーを演奏されるので聴き映えがする。

•7 変ホ長調『英雄』◦3.0点


英雄の葬送行進曲的な内容。同じメロディーの繰り返しが多い。

•8 ハ短調『荒々しき狩』◦3.5点


イントロがかっこいいし、途中の楽しい狩の角笛や中間部の美しさなどよい場面があり、なかなかいい曲。

•9 変イ長調『回想』◦3.5点


昔を懐かしむようなまろやかな美しいメロディーが良い。

•10 ヘ短調◦3.5点


悲劇性をもった曲調は楽しめるもの。この曲集後半の名作揃いにあって少し地味だが同レベルにある。

•11 変ニ長調『夕べの調べ』◦3.5点


まったりした曲だが、中間部の感動的な部分と、そこへの持って行き方が素晴らしい。

◦12 変ロ短調『雪あらし』
◦4点


胸に迫るものがある。美しい詩情あふれたメロディーと秀逸な音響を作っている伴奏に感動する。


巡礼の年

リストのシリアスな曲集。標題音楽。


巡礼の年 第1年:スイス(S.160/R.10a)

•1 ウィリアム・テルの聖堂 ◦3.0点


荘厳さを感じさせる。やや密度が薄い。ギリギリでいい曲。

•2 ワレンシュタット湖畔で◦3.0点


風光明媚な感じのする爽やかで美しい景色のような曲。

•3 田園曲◦3.0点


短い小品だが、山岳の田舎のほのぼのとした雰囲気が出ている。

•4 泉のほとりで◦3.5点


キラキラした泉の湧き出る様子がよく表現されている。

•5 嵐◦3.0点


嵐の激しさが表現された曲。田園的な曲が多い曲集の中でこの曲が配置されていることはいいのだが、単体の曲としてはたいした曲ではない。

•6 オーベルマンの谷◦3.5点


五分位に最初に登場する感動メロディーは忘れがたい印象を残すし、最後はこれでもかというくらいの感動巨編になるが、ちょっと長すぎ。

•7 牧歌 ◦3.0点


のどかな雰囲気で、田舎の緑の豊富さを感じさせる


•8 郷愁 3.0点

胸に秘めたものを吐露するような渋いが味がある曲。冗長ではあるがギリギリいい曲。

•9 ジュネーヴの鐘:ノクターン 3.0点

最後を締めくくるに相応しい回想的な曲で最後は包みこむような安らぎに満ちて終わる。


巡礼の年 第2年:イタリア(S.161/R.10b)

•1 婚礼◦4.0点


舟歌のような穏やかな揺れの中に数百年前に作られた宝物の輝かしさと美しさ静謐さを表現して素晴らしい

•2 物思いに沈む人◦3.0点


沈思するような静的な曲。前半は同音が続きで石のように固まっているかのよう。詩的。

•3 サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ◦3.5点


タンタッカのリズムで行進曲風だが穏やかというのが印象的で、美しさを感じる。

•4 ペトラルカのソネット第47番◦3.0点


柔らかくメロディーを唄わせる曲。

•5 ペトラルカのソネット第104番◦3.5点


かなりショパンのノクターンに近い。分散和音に乗せて右手で歌うように泣きの入ったやや大げさな感動のメロディーを弾く。

•6 ペトラルカのソネット第123番◦3.0点


やはりこの曲も歌うように柔らかくメロディーを弾く曲。

•7 ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲◦4点


独奏ピアノの限界に挑むような巨大で圧倒的な曲。真剣さがあり、強烈な描写力と強靭なテクニックの融合で高みに到達している。リストの多くの要素がまとまり良く入っており、リストの代表作の一つだろう。


巡礼の年 第2年補遺:ヴェネツィアとナポリ(初稿:S.159/R.10d, 改訂稿:S.162/R.10c)

•1 ゴンドラを漕ぐ女◦2.5点


主題が少し単調で、変奏は巧みだがもの足らない

•2 カンツォーネ◦2.5点


アレンジや中間部の展開がなかなか良いがメロディーが単純

•3 タランテラ◦2.5点


タランテラ度が薄いし前半は派手なだけの悪いリスト作品。中間部は真面目でわりと美しいが冗長。半分の長さでいいのに。


巡礼の年 第3年(S.163/R.10e)
•1 アンジェルス!守護天使への祈り◦2.0点


シンプルな中に敬虔さを感じるが、曲としての充実感がない

•2 エステ荘の糸杉にI:哀歌◦2.0点


重い和音の連なりの中に敬虔さが現れているが、それだけ。

•3 エステ荘の糸杉にII:哀歌◦2.5点


最初の哀歌から大きく展開していくのでまとまりが良い感じではないが曲に充実感がある。

•4 エステ荘の噴水◦4点


印象派のような音の使い方、メロディーラインが美しくて素晴らしい。光に当たってキラキラしているような水の描写は天才的。

•5 ものみな涙あり / ハンガリー旋法で◦2.0点


重たい悲劇的な独白を重ねる曲

•6 葬送行進曲◦2.5点


鐘のような重くて悲劇的な曲調から独白を経て盛り上がるというストーリーを追う曲

•7 心を高めよ◦3.0点


荘厳で力強く盛り上げる。和音の進行に目新しさがある。


詩的で宗教的な調べ(S.173/R.14)

•1曲目◦3.0点


宗教的な気高い精神性が壮大なスケールで表現される。

•2曲目◦3.5点


合唱曲からの編曲ということで、コラール風。合唱曲らしい純粋な美しさに宗教的な気分になる。

•3曲目◦4.0点


大作。冒頭から聖霊が舞い降りてきているかのような美しさ。孤独な精神は人生を回想し強く生きることを改めて決意しているよう。名曲。

•4曲目◦2.5点


前半は地味なレティタティーボとコラールばかりで内容が薄い。後半は月光ソナタ一楽章とそっくりな部分が登場して面白いし、その後の部分もなかなか良い。

•5曲目◦2.5点


シンプルなコラール曲

•6曲目◦2.5点


いかにも合唱曲の編曲ものなので、雰囲気もメロディーも悪くないが、ピアノ曲としてはそこそこ。

•7曲目◦4.0点


聞き応え十分の傑作。一つずつのフレーズが強い意味をもって心に響く。ショパンの英雄のオマージュ部分も面白い。

•8曲目◦3.0点


ルネサンス時代の音楽のようなメロディーを使って宗教的な静謐さと神秘をまとった曲

•9曲目◦3.0点


孤独で寂しく哀しい雰囲気が長く続き冗長だが、曲想はぐっとくるものがある。

•10曲目◦2.5点


最後の曲らしい晴れやかな締めくくりの感情と壮大さがいい。


ハンガリー狂詩曲(S.244/R.106)

•1番◦2.0点


中身スカスカで無駄に長い曲だが、軽快さがあって気楽に聴ける良さもある。

•2番◦5.0点


ハンガリー狂詩曲のダントツの名曲。素晴らしい天才的な発想に充たされている。

•3番◦2.0点


終始粘っこい音楽が続き、ノリが良くならないまま終わる。

•4番◦3.0点


前半は簡素な書法でつまらないのだが、後半アップテンポになってからの軽快なノリは楽しい。

•5番◦3.0点


葬送行進曲風とショパンの葬送行進曲の中間部によく似た部分がある中間部は感動的でなかなか良い、

•6番◦3.0点


オーソドックスな遅いテンポから速いテンポに移る曲。有名だけど2番と違い他より際立っていいというほどでもないような。軽快な曲で上手い人が弾くとジェットコースターのような楽しさが出るところがあるが。

•7番◦2.0点


レティタティーボがしつこくて面白くない。アップテンポになっても繰り返しが多くてしつこい。

•8番◦2.5点


遅い部分は多少軽い音であまり重厚でなく、アップテンポはかなり軽い雰囲気。

•9番◦2.5点


それなりに華やかだが、あまり面白くない。

•10番◦2.0点


装飾ばかりで内容がない。

•11番◦2.5点


最初静かに始まるのが面白い。普通の曲になってからはまあまあ。

•12番◦3.0点


かなり技術を要求する曲に聞こえる。音楽的な内容面は大したことが無いが、技術を楽しむことは出来る。

•13番◦3.0点


割とオーソドックスな狂詩曲で楽しめる。

•14番◦3.0点


内容がなかなか充実している大作

•15番◦4.0点


発想が優れていて、奥は深くないかもしれないがいい曲だと思う。

•16番◦2.0点


音楽に艶がないし盛り上がらずにあっさり終わってしまう

•17番◦1.5点


静かすぎて、これはもはやハンガリー狂詩曲と呼ぶべきではないのでは。

•18番◦2.0点


これも17番に近い感じの曲で、ハンガリー狂詩曲という感じではない。

•19番◦2.5点


後期の4曲の中では唯一オーソドックスなハンガリー狂詩曲であり、内容はそこそこ良い。


その他連作

•パガニーニによる大練習曲(S.141/R.3b)◦3.5点


全6曲。三曲目のラ・カンパネッラが有名。パガニーニの悪魔性とリストの運動性がうまく相乗効果を発揮している。

•3つの演奏会用練習曲(S.144/R.5)

•1曲目◦3.0点


優美なサロン風の雰囲気を持ちなかなか良い。練習曲という感じがあまりない。長過ぎて自由に発展していくのに最後まで付き合うのは大変だが。

•2曲目◦2.5点


途中からのパラパラとしたフレーズ部分が楽しめる。

•3曲目◦4.0点


切なさい感傷的なメロディーが美しくて儚い雰囲気を演出する分散和音に乗せて奏される

•2つの演奏会用練習曲(S.145/R.6)

•1曲目◦2.5点


メロディーがいまいち

•2曲目◦3.0点


中間部以降が面白い。

•クリスマスツリー◦2.0点


特に気に入るような良作は無いし、後期の発想の弱さを感じる。曲調に宗教がかったしんどさが無いので気軽に聴けるのは良い。7曲目の子守唄などはなかなか良い。

•幻影(S.155)(1834年)◦1曲目 2.0点


普通の曲のようでとりとめが無く、捉えにくい曲で楽しみ方がよく分からない。どこか未熟。

◦2曲目 2.0点


この曲もすっと頭に入ってこない。

◦3曲目 2.0点


この曲もとりとめない印象。若いリストの原点と思われる音が聴けて興味深いが。


•慰め(コンソレーション)(R.172/S.14)

•1曲目 2.5点
•2曲目 2.5点
•3曲目 3.5点
•4曲目 2.0点
•5曲目 2.5点
•6曲目 2.5点

静かで平易で穏やかな曲集。旋律の良さは三番が光る。他はいい曲とまでは言えない。

•ウォロナンスの落ち穂拾い(S.249)(1847-48年)◦1曲目 2.5点


憂愁をたたえた主題による静かでおとなしい変奏曲

◦2曲目 2.5点


やや技術的な要求がある少し感傷的気分で息長く続く曲

◦3曲目 3.5点


感傷的な旋律がぐっとくる。前二曲で感傷的気分に浸っていればさらに感動。

•2つのポロネーズ(S.223)(1851年)

•ポロネーズ1番◦2.5点


ショパンのポロネーズのたぎるような熱い血と、マズルカの粘っこさの両方の濃さを併せたような曲。しかし長い割に展開が面白くない。

•ポロネーズ2番◦2.5点


メロディーはショパンのポロネーズの影響が濃厚で個性が薄い。その分聴きやすいとは言える。発展の仕方はそれなりに個性があるが抑えめ。ショパンが大好きな人なら気に入るかも。


ピアノ曲(オリジナル作品。単品)

ワルツ

•メフィスト・ワルツ1番◦4点


斬新な響き、悪魔的な表現、宴の楽しさ、めまぐるしさのあとのまったり感など、リストの一流のイマジネーションの強さと表現力を遺憾なく発揮した傑作。

•メフィスト・ワルツ2番◦2.5点


革新的な響きに続きを期待しては、発想力の足らない場面になりがっかりの繰り返しで終わる。

•メフィスト・ワルツ3番◦3.5点


スクリャービンの中期から後期に近い、時代や年齢を考えると驚異的な極めて斬新な響きが作りあげられており、各部分の完成度も高い。

•メフィスト・ワルツ4番◦3.0点


3番のような驚異的な斬新さと完成度はないものの、亡くなる前の年まで改革を目指した探求はされていることに驚ける内容にはなっている。

•4つの忘れられたワルツ


•忘れられたワルツ1番◦3.0点


軽やかなサロン風小品として楽しめる。

•忘れられたワルツ2番◦2.5点


サロン風では聴きやすい部分もあるが、内容的に迷走していたり枯れていたりでいまいち。

•忘れられたワルツ3番◦2.5点


ワルツで和音連打する発想は面白い。ここまで高音に寄せられてしまうとやり過ぎで聴きにくいし、悪い意味で枯れた感じがする。

•忘れられたワルツ4番◦2.5点


短い小品で前奏曲のような趣き。


大作

•ピアノソナタ ロ短調(S.178/R.21)◦4.5点

リストのオリジナル独奏曲の代表作を一つ挙げるならやはりこれ。いくつかの動機を素材として自在に変化させて組み立てて、深遠で気高い精神のもとにストーリーを組み立てた。リストにしては構成的だが、大変自由に組み立てられた曲であることに変わりはない。この曲の演奏はいわば精神の旅に出るような趣きである。例えばふらふら当てもなく彷徨い虚空を見つめてから、覚悟を決めて前に進むかのように。旅の目的地はあそこでよかったのだろうか?

•大演奏会用独奏曲(S176)◦3点


曲名がいけてないので知らないと興味を持てないが、実は内容はソナタに向かう道程を示している貴重な記録であり、曲想はよい。

•スケルツォとマーチ(S177)◦3.5点


作り込み度合いと、独特のグロテスクながらも霊感を感じる曲想で、地味ではあるが素晴らしい傑作の一つと言える。とても難しそう。

•リゴレットパラフレーズ◦3.5点


すごく華やかな曲調で長さもちょうど良く、聴いて楽しい曲。

•「ドン・ジョヴァンニ」の回想◦3.5点


素材としているメロディーがいいし、場面の移り変わりや変奏も自由な発想に基づいて上手く作られていて楽しい。長時間たっぷりリストのピアニズムに翻弄されながら、明るく楽しい音楽を聞く事が出来る。

•「ノルマ」の回想◦3.0点


メランコリックで叙情的なメロディーを中心に、多くの場面をつなげて順番にメロディーを楽しむ曲。


その他の曲

•アルバムの綴り 変イ長調(S.165)(1841年)◦3.0点


サロン風でありきたりではあるが曲としてはよい。

•ワルツ形式による音楽帳の1ページ(S.166)(1841年?42年?)◦2.0点


サロン風のありきたりなワルツ。

•ルイ=フェルディナント公の動機による悲歌(S.168)(1842年)◦3.0点


どこが悲歌?お洒落なサロン風ワルツ。非常に聴きやすい。

•夜の讃歌/朝の讃歌(S.173a)(1847-52年頃)◦2.0点


曲想は親しみやすいが凡庸な内容。

•スペイン狂詩曲(S.254)◦4.5点


この曲は霊感にあふれている美しい場面が多く、ピアニスティックな楽しさと両立出来ていて、10分オーバーだが冗長さもほとんどない名曲の一つである。

•2つの伝説(S.175/R.17)

•小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ◦2点


描写的な音楽。10分あるのに静かなまま、さらさらとした雰囲気で終わってしまう。

•水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ◦2.5点


描写的。超常的な現象が起こっている現場をうまく描いているとは思うが、大作にしては単純な場面やメロディーが続き過ぎると思う。


愛の夢、3つの夜想曲(S.541/R.211)

•1番◦2.5点


甘美さは充分で悪くはないのだが、よい旋律という感じはない。

•2番◦2.5点


穏やかな甘美さで雰囲気は良いが、いい旋律ではない。

•3番◦5.0点


名旋律を名アレンジで聴かせる名曲で小品として文句なし。

•即興曲(夜想曲)(S.191)

•メフィスト・ワルツ1番◦4点


•バラード第1番変ニ長調(S.170/R.15)◦2.0点


穏やかな雰囲気のまま同じメロディーを繰り返して終わる。

•バラード第2番ロ短調(S.171/R.16)◦1.5点


大作だが、いいメロディーはないし心惹かれる場面は最後の盛り上がる部分だけという駄作。ショパンのバラードのようなレベルを期待してはダメ。

•ヘンデルのオペラ『アルミーラ』からのサラバンドとシャコンヌ(S.181)(1879年)

隠れた名曲。重厚でがっちりとした響きの元に進む変奏曲のサラバンドと、軽快で最後は華々しく終わるシャコンヌ、どちらも素晴らしい。

•ローマ内外の信徒に(S.184)(1864年)◦3.0点


晩年の印象派風の作品への橋渡しにもなっていそうな、変わった雰囲気の曲。

•即興曲(夜想曲)(S.191)

•モショーニの葬送(S.194)(1870年)◦2.5点


葬送の曲で哀悼の気持ちが伝わってくる

•眠れぬ問い(問いと答え)(S.203)(1883年)◦3.0点


斬新な響きで、もはやプロコフィエフさえも連想するほど。面白い。

•即興円舞曲(S.213, 改訂稿:S.213a)◦3.0点


雰囲気がついていくのが大変な位に、次々と即興的に移り変わる華やかな曲。

•無調のバガテル(S.216a/R.60c)◦2.5点


リストが時代の先をいった無調の曲。シェーンベルクのような純粋な無調ではなく和声も普通に使われている。希薄な調性感が独特の捉えどころのなさを演出してるのが面白い。

•2つのチャールダーシュ(S.225)(1881-82年)◦チャルダッシュ オブスティネ 3.0点


斬新で独特な小品でなかなか良い

•死のチャールダーシュ(S.224)(1881-82年)◦3.0点


死がタイトルに付いているが、その通りに重くて暗くて重たい雰囲気。とはいえ、単に暗いだけでなく、技術的なものも志向されている。

•ゲーテ生誕100年祭の祝典行進曲(S.227)◦2.0点


祝典的な雰囲気はあるけれども、単純なお祭りではなく、感動の想起とスケールの大きさを目指したように思える。

•子守唄◦1.5点


ショパンの子守唄にインスパイアされたのが明白だが、この曲はショパンを3分の1に薄めてから無駄な場面を挿入して引き伸ばしたような駄作になってしまっている。

•暗い雲◦2.5点


晩年の小品でフワフワとした不安な雰囲気をシンプルな音数だが実験的な和声で現されている特殊な曲。

•半音階的大ギャロップ◦3.0点


まさに半音階的なギャロップで、運動会の音楽みたいな楽しさ。


ピアノ編曲

リストは歌曲や管弦楽曲のピアノ編曲が数多くある。ピアノ編曲版は名曲を自分一人で演奏して楽しめるものであり、ピアノを演奏する人にとっては存在価値が大きい。ではCD等で聴く人にとっての価値は何だろうか?一つはピアノの均一な落ち着いた音色により原曲よりも落ち着いた気分で聴けることが挙げられる。また、大事な音だけが鳴るので曲の骨格がよく分かるメリットもある。打楽器的な性格のため、管弦楽よりもパンチが効いた音楽になる場合もある。これらのメリットがあるため、編曲を聴くことはオリジナル曲の鑑賞とは別の価値がある。

•ベートーヴェンの交響曲(9曲)(S.464/R.128)

初めて5番6番9番の編曲版を弾いてみた時の驚きは忘れ難い。ベートーヴェンの交響曲は音楽の充実度や発想の豊かさが彼のピアノソナタよりも段違いに上なのである。本気のベートーヴェンの凄さを痛いほど体感することになった。だから、ピアノが弾ける人は、ピアノ専用の曲ばかり弾いていてはもったいなくて、ぜひ有名曲の編曲版にも手を出してみることをお勧めする。ベートーヴェンの交響曲のリスト編曲版の中で、原曲に迫る魅力を持っているのは6番だろう。楽章単位でベストを挙げるなら6番5楽章と9番1楽章だろうか。

•1番◦3.0点


初期の交響曲は特にピアノ曲的な内容であり、アレンジされてもあまり違和感がない。非常に充実度した初期ソナタのようだ。

•2番◦3.5点


1番と同様に、ピアノ編曲の相性はよい。かなり楽しめる。

•3番◦4点


1楽章のアレンジは素晴らしく、オーケストラの壮大さやパワフルさをかなり再現できている。3番は個人的に聞いていて疲れる曲なのだが、この編曲はオーケストラ曲よりましなので、聴き始める時の心理的障壁は低い。しかしやはり編曲版も聞いていて疲れる。

•4番◦3.5点


柔らかい曲なのでピアノ向きであり、管弦楽ではやや掴みにくい曲の骨格と良さがよく分かる。

•5番◦4点


1楽章イントロはサステインのないピアノの悲しさで寂しいものになる。1楽章はあまりピアノに向いていない。2楽章は向いており、この楽章だけとっても、ピアノソナタ32曲の中にはこれほど充実した内容と展開を見せる曲はないと思うので弾いてみることをお勧めする。4楽章の最後が、盛り上げるためにリストっぽいピアニズムが前面に出てしまい、安っぽくて少しがっかりする。

•6番◦5点


この曲はピアノとの相性がバッチリ。素晴らしい展開力とメロディーの楽しさに溢れている。特に5楽章の感動は、ピアノのパンチの利き方がある分もしかしたらオリジナル以上かもしれない。5楽章に関しては、これほど気品と感動に溢れていて圧倒的な展開を魅せるピアノ用のオリジナル曲はおそらく古今東西皆無だと思うので、史上最高のピアノ曲のひとつではないだろうか。

•7番◦3.5点


バーンとオーケストラでノリ良く鳴らす曲なので、あまりピアノ曲との相性がよくない。

•8番◦3.5点


7番と同様にあまり相性がよくない。

•9番◦4点


点と線を紡ぎ合わせて書かれている1楽章はかなりピアノと相性がよく素晴らしい。2楽章も同様にフレーズ的に向いている。3楽章はジャジャジャーンの所以外は最初からピアノのために書かれた曲のようであるである。4楽章も驚くことにそれなりに雰囲気が出ているが、なぜその音を選んだのだろうと思う箇所はある。全般にピアノと相性の良い。この曲の良さと価値を思うとラッキーなことである。いつか自宅で年末第九演奏会をやるために弾けるようになりたいと思わせるものがある。

•ベルリオーズ:幻想交響曲(S.470/R.134, 136)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c10

[近代史3] イサーク・アルベニス 『アストゥリアス 』 中川隆
1. 中川隆[-14010] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:41:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-679]

スペイン - クラシック音楽 一口感想メモ
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albéniz y Pascual, 1860 - 1909)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3


ピアノ音楽の大家。ピアノに適合したピアノ曲を書いたという点では、かなり上位の作曲家だと思う。

最初は親しみやすく難易度の低い作品を書いており、晩年になって難易度の高い傑作を書いた。

•スペイン狂詩曲◦3.3点


ピアノ協奏曲形式。かなり通俗的。わかりやすいメロディーはよいが18分もあるとさすがに気になる。ありきたりのメロディーの連続にも聞こえる。とはいえ、スペインらしさとピアノ協奏曲の華やかさを楽しめる。


ピアノ曲

•古風な組曲

•マズルカ

•スペイン舞曲

•舟歌

•組曲「スペイン」

全6曲。第2曲「タンゴ」が有名。「タンゴ」は熱気を含んだいかにもスペインらしい気だるさが心地よい曲。非常にいい曲である。


•組曲「イベリア」全12曲◦4.0点

晩年の名作。派手なパッセージはないのだが、演奏が難しいそうだ。たしかに楽譜をみると音だらけである。音楽はイメージの奔流であり内容が豊富で霊感にあふれている名作揃いである。ただし、曲の個性はあまり強くない。そのため統一感はあるが。ピアノ的な書法が素晴らしい。分かりやすい曲が多いアルベニスだが、この曲は成熟した大人っぽい雰囲気で不協和音も多くて渋い。明快な多くの作品と違い、複雑であり、何度も聞いても主なメロディーと構成が頭に入らず、すっきりと理解出来ない。20世紀のピアノ曲の名作のひとつ。霞の中のような感じで、幻想的で抽象的な場面が主である中に、スペインらしい現実感がたまに顔を覗かせる。そのさじ加減がよい。


•ピアノソナタ5番

3.8

隠れた名曲。1楽章や3楽章のしなやかな叙情性の美しさが大変素晴らしい。ショパンと同様にピアノの機能と完全に結びつき同化した音楽であり、書法が見事である。ドイツ的なソナタらしい構築性や対比はそれほど見られないが、それを補ってあまりある詩情である。スペインとはどれだけ美しい国なのだろうか、と想像が膨らむほどである。早い2楽章と4楽章は短いので、主要ではない。落ち着きと旋律のよさが耳につく素晴らしいソナタである。後期ロマン派時代の屈指のピアノソナタであり、なぜマイナーなのか分からないほどだ。

•ラ・ベーガ◦3.0点


15分の大曲。変奏曲のように同じ動機を細かく変容させながら繰り返す部分を、いくつか組み合わせて作っている曲。伝説のような幻想的な雰囲気を漂わせる。ピアニスティックな場面も多い。内面的に情熱を持ちつつも、あまり全面に押し出さず奥ゆかしい。幻想曲のようであり、構成は弱いと思う。


•スペインの歌

•アストゥリアス(伝説)◦4.0点


ずっとギター曲だと思ってた。ピアノ版もギターを模して書かれている。渋くてカッコいい。髭の濃いイケメンのスペイン人をイメージしてしまう。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/875.html#c1

[近代史3] ヘンデル オペラ 『アグリッピナ』 _ ヘンデルのオペラ・オラトリオはどんな曲でもモーツァルトのオペラより上 中川隆
1. 中川隆[-14009] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:45:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-678]

クラシック音楽 一口感想メモ
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685 - 1759)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB

王家の宮殿に相応しいような輝かしくきらびやかで華やかな音楽を書いた。
その点でまさに王者の星の元に生まれた作曲家という印象がある。
オペラやオラトリオが創作の中心で器楽曲は多くない。

管弦楽曲

•水上の音楽(管弦楽組曲)HWV348-350◦5.0点


優雅で宮廷的なきらびやかさにあふれている。使われている和声やメロディーはシンプルなのに、何度聴いても飽きない。素敵な時間が流れる華やかな音楽。

•王宮の花火の音楽(管弦楽組曲)HWV351 1748年◦5.0点


華やかできらびやか。水上の音楽と同様に何度聴いても飽きない。極上の時間を過ごせる逸品である。


協奏曲

6つの合奏協奏曲集 作品3 HWV312-317 1734年出版

•合奏協奏曲第1番 変ロ長調 1710 2bfl,2ob,vn,弦楽,BC Op.3-1◦3.3点


爽やかでしなやかな楽曲の雰囲気とソロの掛け合いを楽しめる曲。ヘンデルらしい輝きと音感の良さを楽しめるものの、旋律に印象的なものはないと思う。3楽章が短調で始まるのが意表を突かれた。

•合奏協奏曲第2番 変ロ長調 1715-18 2ob,2vn,2vc,弦楽,BC Op.3-2◦3.5点


1楽章の華やかな始まり方。2楽章の心を鷲掴みにするような美しいオーボエの独奏のメロディーとチェロの絡みの絶妙さ。3楽章で爽やかに締めくくったようにみせて、4楽章で継続させて5楽章で改めて晴れやかな気分で締めくくる。自在な雰囲気のコントロールと楽章の組み合わせが秀逸。

•合奏協奏曲第3番 ト長調 1717-18 fl/ob,vn,弦楽,BC Op.3-3◦3.3点


ソロが中心であり音が薄めで軽快なのが楽しい1楽章。華やかさのあるフーガを楽しめる3楽章はどちらも魅力がある。

•合奏協奏曲第4番 ヘ長調 1716 2ob,弦楽,BC Op.3-4◦3.3点


優しくしなやかな曲。懐の深さがバッハのようだ。爽やかながらも心が温かくなるような癒される曲。目立つ楽章はないが愉しめる。

•合奏協奏曲第5番 ニ短調 1717-18 2ob,弦楽,BC Op.3-5◦3.3点


短調であり、疾風怒濤を連想させるような激しさのある曲である。運動的な音楽はなかなかの激しさをみせている。ヘンデルの音楽の中では嵐のような曲と言っても過言ではない。しかし、音の輝かしさという特質はここにも残っており、のちの時代の音楽のような徹底したものではない。

•合奏協奏曲第6番 ニ長調/ニ短調 1733-34 org/cemb,2ob,fg,弦楽,BC Op.3-6◦3.3点


楽章が2つしかなく、2楽章は短調で実質的にオルガン協奏曲という変わり種の曲。1楽章はヘンデルらしい華のある曲なのに、2楽章は唐突に終わる。

12の合奏協奏曲集 作品6 HWV319-330 1739作曲,1740年出版

•合奏協奏曲第1番 ト長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-1 HWV319 ◦3.0点


計算をあまり感じない。勢いでさらっと書いたかのように、即興的に音楽が進む。旋律の魅力もあまりないし、それほど面白くないと感じた。

•合奏協奏曲第2番 ヘ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-2 HWV320 ◦3.3点


かなり捻りを入れており、低音を充実させたり、荘重な雰囲気を作ったりして、微妙なニュアンスを作っている。対位法を曲のなかに混ぜ込んだり、表情の豊かさとアイデアで楽しませる曲になっている。

•合奏協奏曲第3番 ホ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-3 HWV321 ◦3.5点


短調の楽章に挟まれた長調の3楽章と4楽章が秀逸だと思う。ヴィヴァルディのような伸びやかさもありつつ、ヘンデルらしい調和のとれた複雑さと充実感を実現している。

•合奏協奏曲第4番 イ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-4 HWV322 ◦3.5点


短調で始まる。絶妙でありながらも、かなり強いインパクトを聞くものに与える劇的な音楽が並んでいる。爽やかなだけでない強烈さがあるため、ロマン派以降に慣れた耳には曲の個性と存在意義を強く主張する曲に聴こえて愉しめる。

•合奏協奏曲第5番 ニ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-5 HWV323 ◦3.0点


面白い部分はところどころにはある。しかし、全体としてはまとまりがない、もしくは焦点とストーリーが定まっていない曲に聴こえる。なんとなく納得できないまま終わる。

•合奏協奏曲第6番 ト短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-6 HWV324 ◦3.3点


短調の各楽章もそれなりに魅力があるが、そのなかで3楽章が長調でありモーツァルトの緩徐楽章のような慈愛と優しさと愛おしさに包まれるような曲であるのが強く印象に残る。ここだけなら古典派のような音楽である。

•合奏協奏曲第7番 変ロ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-7 HWV325 ◦3.3点


瑞々しさと快活さを併せ持ち、そこそこの魅力はありながらも、吹っ切れるところまではいかないと感じる。音楽の構造はバロックなのだが、どこか古典派に近いものを感じる。自分にはどこがそう感じさせるのか分析できなかったが。

•合奏協奏曲第8番 ハ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-8 HWV326 ◦3.3点


短調が続く曲。曲調にそれほど極端な変化はなく、逆に言えば統一が取れている。控えめの中にバロックらしい音の美しさを存分に生かした内面的なドラマ性があり、心に響くものがある。

•合奏協奏曲第9番 ヘ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-9 HWV327 ◦3.5点


舞台音楽のような劇的な場面展開と気分の躍動がある。爽やかなバロック音楽なのだが、表情が豊かなためかどこか古典派の音楽に近いように聴こえる。様々な場面の登場に心が踊るものがある愉しい曲。普通の合奏協奏曲とは少し違う。

•合奏協奏曲第10番 ニ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-10 HWV328 ◦3.3点


悲嘆の色が濃い曲が続き、このまま終わるか思ったら最後は晴れやかに終わる。場面の描写力に優れていて、やはりヘンデルは舞台音楽の作曲家だと思わされるものがある。音の厚みもあって、古楽器でなくても楽しめそうだ。

•合奏協奏曲第11番 イ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-11 HWV329 ◦3.3点


明るく素朴で平明。ヴィヴァルディからイタリアの暑さを取ってドイツやイギリスの陽気にしたようなものか。心を踊らせる要素が少し足りないが、これはこれで魅力がある。

•合奏協奏曲第12番 ロ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-12 HWV330 ◦3.8点


1曲目の序奏から始まって場面展開が劇的かつ明確なコントラストで作られており、かなり感情的な部分も強く作られている。ベートーヴェンもしくはバッハの受難曲のようにドラマチックである。3楽章の変奏曲は泣かせるものがある。

オルガン協奏曲集 第1集 作品4 HWV289-294

•オルガン協奏曲第1番 ト短調 1736 org,2ob,弦楽,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-1◦3.5点


華やかな舞台の高揚感を盛り上げるようなエンターテイメントの音楽の魅力が素晴らしい。楽しんで聴ける。1楽章がまず劇場の興奮を追体験できそうな力強い表現に満ちた曲で旋律も良い。4楽章は管弦楽とソロのダイナミックな分担のさせ方に独特の魅力がある。

•オルガン協奏曲第2番 変ロ長調 1735 org,2ob,弦楽,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-2◦3.0点


1番と同系統で楽しい曲ではあるが、はっとするようなアイデアがなく、敷かれたレールの上で音楽が進んでいる感じがする。1楽章は魅力的だが、それ以外があまり感動しない。

•オルガン協奏曲第3番 ト短調 1735 org,vn,vc,2ob,弦楽,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-3◦3.5点


ドラマチックな曲だ。1楽章はソロが全く出てこない悲劇的な序奏。2楽章は名曲と呼べる素晴らしい出来の曲。旋律も構成も天才性を感じるものであり、とても良い。3楽章の間奏が期待を持たせて4楽章に続くが、規模が小さく残念ながら肩透かしをくらってしまう。

•オルガン協奏曲第4番 ヘ長調 1735 org,2ob,2vn,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-4◦3.0点


幕間の間奏の趣の曲が多い。これはこれで悪くないが、単体で聴く分には少し物足らないというのが正直なところ。協奏曲らしい運動性がもう少しほしい。

•オルガン協奏曲第5番 ヘ長調 1735 org,2ob,弦楽,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-5◦3.3点


静かな楽章が多い中で祝典的な4楽章が映える。ウキウキする心が楽しい楽章である。それ以外も1楽章と3楽章は深く聴き入ってしまう音楽であり、2楽章は典型的なバロックらしい音楽であり楽しめる。

•オルガン協奏曲第6番 変ロ長調 1736 org,2bfl,2vn,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-6◦3.0点


ハープ協奏曲のオルガン版。ハープの馥郁とした響きの典雅な魅力はなくなって、大人しいごく普通の曲になってしまっている。オルガン版ならでは魅力はあまり見つけられなかった。


オルガン協奏曲第2集 HWV295-300

以下の2曲以外はオルガンソロのための協奏曲

•オルガン協奏曲第13番 ヘ長調『かっこうと夜うぐいす』 1739? org,2ob,弦楽,BC HWV295◦3.3点


幻想的で夢幻的な曲。現実感がなくふわふわしたまま場面が展開していく。全般に柔らかくて、感傷的な時も多い。なかなか斬新で描写力豊かな曲だ。意義深い多楽章の曲。

•オルガン協奏曲第14番 イ長調 1739? org,2ob,弦楽,BC HWV296◦3.3点


13番よりも活気がある正統派に近い曲がだが、やはり幻想的な雰囲気もある。柔らかくて何かの回想をしているような感傷的な感じをはらんでいる。しかし、時にそれを音楽的な力強さが上書きしたりする。それが波のように繰り返すところがある曲。

オルガン協奏曲集 第3集 作品7 HWV306-310
•オルガン協奏曲第7番 変ロ長調 1740 org,2ob,2fg,弦楽,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-1◦3.3点


大規模な1楽章に驚く。パッサカリアだろうか。その後も様々な雰囲気の楽章が続く、全体としてはなかなか大規模な曲。楽章が多いため雑多な印象もあるが、そこそこの満腹感を得られる。

•オルガン協奏曲第8番 イ長調 1743 org,2ob,2vn,va,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-2◦3.3点


全体にクリスマスのような聖なる気分を感じるのは自分だけだろうか?この雰囲気に浸れるだけで十分にこの曲の意義があると思った。最後の楽章が堂々とした大作なのも面白い。3楽章は逆に完全なソロで驚くが、かなり良い。

•オルガン協奏曲第9番 変ロ長調 1751 org,2ob,3vn,va,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-3◦3.0点


エモーショナルではあるが、楽章ごとのメリハリに欠けるように思える。沢山楽章があるのだから、もう少し爆発的ななにかがほしい。爽やかさも悲劇性も歓喜もなく、しんみりとしすぎだと思う。

•オルガン協奏曲第10番 ニ短調 1744 org,2ob,2fg,弦楽,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7- 4◦3.5点


非常に重厚で劇的な悲劇性の重たい音楽である1楽章と、それをうけた軽やかな気分の2楽章の対比はすごい。それ以降は余韻に浸りながら聴くことになるが、どの楽章も長大で充実感がある。

•オルガン協奏曲第11番 ト短調 1750 org,2ob,3vn,va,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-5◦3.0点


1楽章はあまり面白くない。2楽章は同じ低音の伴奏に合わせてソロを変奏で演奏していく趣向作。実演奏でヘンデル本人がどう演奏したのか興味深いが、今日聴くにはあまり面白くない。3楽章は普通。4楽章は伴奏のせわしない音の動きに工夫がある独特の曲で面白い。

•オルガン協奏曲第12番 変ロ長調 1748-49 org,2ob,3vn,va,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-6◦3.3点


3楽章の非常に小ぶりな曲。1楽章は隠れエモーショナルなところがあり、わりと良い。2楽章は伴奏なしの独奏であり、3楽章は独奏の活躍が少ないという極端な構成である。3楽章も隠れエモーショナルなおおいなる感動を内包した所が素敵だ。


その他の協奏曲

•オルガン協奏曲第15番 ニ短調 1746 org,3vn,va,弦楽,BC HWV304◦3.5点


罪の意識に囚われて悩んでいるかのような1、2、4楽章は強く心をとらえるものがある。悲劇的というより、かなり内面的に深堀りされたものである。その間にフーガが挟まる構成も素晴らしい。輝かしさがありつつも、感動的な主題のフーガである。

•オルガン協奏曲第16番 ヘ長調 1748? org,2ob,弦楽,BC HWV305a◦3.5点


他とは全く雰囲気の違う驚異的な曲。協奏曲らしさは少なく管弦楽とオルガンが一体となって、悟りの境地の風景ような不思議な音楽を奏でる。世にも不思議な世界だと思った。現実感が少なく、これまでの15曲と同じヘンデルの作品とは思えないほどだ。

•合奏協奏曲「アレクサンダーの饗宴」HWV318◦3.5点


瑞々しい感受性を刺激する活力がかなり魅力的。それとともに神々しい輝かしさもある。1曲目はとくに「いい曲に会えた」という満足感と興奮を得られる曲であり、旋律が魅力的である。

•二重協奏曲第1番 変ロ長調 1747-48 HWV332 ◦3.8点


音の分厚さを活用しつつ、ダイナミックに変化に富みながら推進していく音楽がとても楽しい。最初の2つの楽章が興奮する音楽でとても良いし、最後の楽章が名曲だと思う。途中ももちろん良い。

•二重協奏曲第2番 ヘ長調 1747-48 HWV333 ◦3.3点


2つの合奏体の分厚い音が産みだす豪華さはなかなかのもの。メロディーに特別感こそないが、心にインパクトを与えるものがある、なかなか愉しめる曲である。

•二重協奏曲第3番 ヘ長調 1747-48 HWV334 ◦3.3点


333と同様の魅力がある祝典性の強い曲であるが、より表情が豊かになっている。中間の静かな部分は曲ごとの個性を際立たせて全体を効果的に聴かせている。

•ハープ協奏曲 変ロ長調 1736 HWV294a ◦3.5点


冒頭の一度聴いたら忘れないメロディーがまず印象的。1楽章のこじんまりとした形式と天上的で典雅な音楽。2楽章の陰影ある感動。3楽章の優雅さと高揚感の同居。いずれも素敵だ。ポロロンというハープの音色の魅力を引き出している。

•オーボエ協奏曲第1番 変ロ長調 1740 HWV301

•オーボエ協奏曲第2番 変ロ長調 1740 HWV302a ◦3.3点


爽やかで美しいが協奏曲らしい聴きどころの足りない1、2楽章である。しかし、3楽章は有名な楽章でやはりいい旋律だなと聞き惚れる。4楽章も悪くない。

•オーボエ協奏曲第3番 ト短調 1707? HWV287 ◦3.3点


2番と異なりオーボエがずっと出ずっぱりの大活躍の曲。曲想にひねりは感じないが、正統派でオーボエを堪能できる作品として楽しめる。3楽章はさすがオラトリオの大家らしい歌心を発揮させる旋律が見事である。


室内楽

作品1
•フルートソナタ ホ短調 1727–28 fl,BC Op.1-1a HWV379
•フルートソナタ ホ短調 1724 fl,BC Op.1-1b HWV359b◦3.5点


とにかく軽快によく音が動く曲という印象。特に最後の楽章は速く動く。難易度が高そうだが、同時にバロックの管楽独奏曲としてかなり優れた曲に聴こえる。他の楽章もなかなか良く出来ていると思う。

•フルートソナタ ト短調 1725-26 fl,BC Op.1-2 HWV360 ◦3-3点


どの楽章も素朴な味があって素敵だが、これという売りの点が無いように思えた。よくある範囲での曲だと思うため、聴き応えのような手応えが足りない。

•ヴァイオリンソナタ イ長調 1725-26 vn,BC Op.1-3 HWV361 ◦3.0点


規模が大きい分、密度が薄まったり端的な表現の魅力が弱くなった気がする。華やかさも少し足りなく感じる。

•フルートソナタ イ短調 1725-26 fl,BC Op.1-4 HWV362 ◦3.8点


素朴な中にフルートの魅力を存分に聴かせてくれて、心が洗われるようだ。なんという魅力だろう。バロックの魅力である。短調だけれど、悲劇的とかそういう何かではなくひたすら音の美しさで楽しめる。特別な魔法はない気がするがなぜかとてと魅力に心が惹かれる。

•フルートソナタ ト長調 1711–16 fl,BC Op.1-5 HWV363b◦3.5点


様々な曲がありすぎてまとまりがないような気はする。しかしながら半分以上は癒される素朴な美しさに心を惹かれる楽章であり、総じて満足度は高い。また聴きたいと思わせるものがある。

•ヴァイオリンソナタ ト短調 1722–24 vn(ob),BC Op.1-6 HWV364a◦3.3点


おそろしく美しい短調の陰影と美しさが教会ソナタに見事にマッチしている曲。どの楽章も魅力的。

•フルートソナタ ハ長調 1725–26 fl,BC Op.1-7 HWV365 ◦3.3点


ちゃんも確認していないが、聴き覚えがあるからヘンデルの他の曲の編曲のはず。あまりブロックフレーテに合っていない曲ある気がするため編曲として傑作ではないと思うが、全体的には管楽器の力作だろう。

•オーボエソナタ ハ短調 1711–12 ob,BC Op.1-8 HWV366 ◦3.8点


素朴な管楽器の魅力。音感の鋭さや美的感覚を素朴な音楽で発揮する困難さを見事に克服して、なんとも心に染み入る素敵な音楽になっている。何度も聴いて癒されたい。

•フルートソナタ ニ短調 1725–26 fl,BC Op.1-9 HWV367b
•ヴァイオリンソナタ ト短調 ? vn,BC Op.1-10。偽作? HWV368
•フルートソナタ ヘ長調 1725-26 fl,BC Op.1-11 HWV369 ◦3.0点


ごくノーマルな曲という印象。特段の長所が見当たらないから、悪い曲ではない以上の感想が出てこない。テンションが上がるものがないと思う。

•ヴァイオリンソナタ ヘ長調 ? vn,BC Op.1-12。偽作? HWV370 ◦3.0点


規模が大きくて典型的な美しさはあるものの、天才的な閃きが生む輝きは感じない。

•ヴァイオリンソナタ ニ長調 1749-50 vn,BC Op.1-13 HWV371 ◦3.3点


天才的な眩しいほどに輝かしいものを感じる曲。音に強い主張がある気がする。楽章の対比も強烈。

•ヴァイオリンソナタ イ長調 ? vn,BC Op.1-14 HWV372 ◦2.8点


これはあまり面白くない。バロックの魅力はあるが、平凡というか1流でない作品だと思う。

•ヴァイオリンソナタ ホ長調 ? vn,BC Op.1-15 HWV373 ◦3.0点


明朗で分かりやすいのが美点。鋭さがなくて天才的ではないが、そこそこ楽しめる佳作。


フィッツウィリアム・ソナタ

•オーボエソナタ 変ロ長調 1707-10 ob,BC HWV357 ◦3.3点


フィッツウィリアムソナタのどこと無い内向性を打ち消すような力強さを内包するオーボエがよく合っている。3楽章の小ぶりだがまとまっているソナチネとして楽しめる。

•ヴァイオリンソナタ ト長調 1707-10 vn,BC HWV358 ◦3.3点


1楽章の快活さがかなり魅力を放っている。2楽章と3楽章もバロックの魅力が詰まってる。

•フルートソナタ 変ロ長調 1724–25 fl,BC HWV377 ◦3.3点


3楽章のコンパクトさに凝縮された曲であること自体の魅力が大きい。バランスも良くて、ソナチネの佳作と呼びたくなってしまう。どの楽章もよく出来ているのだが、ただ心を強く打つには至らないのも確かである。

•フルートソナタ ニ短調 1725–26 fl,BC HWV367a◦3.3点


各楽章の個性が強すぎて、後半は楽章が終わるごとに「曲が終わった」と思ったらまだ違う楽章が続くと感じた。悪いことではないのかもしれないがまとまりは無いと思う。全体にパンチの効いた楽章が多くてそれなりに楽しめるとは言える。


ハレ・ソナタ

•フルートソナタ イ短調 ? fl,BC 偽作? HWV374 ◦3.5点


短調のなかでもやや陰鬱さや精神的に疲労したりような暗さを秘めた曲調である。滅びの予感を孕んだ美学とでも呼びたいような音楽。もちろんバロックだから破壊的なものはない。なかなか美しい作品で聴きごたえがある。

•フルートソナタ ホ短調 ? fl,BC 偽作? HWV375
•フルートソナタ ロ短調 ? fl,BC 偽作? HWV376 ◦3.0点


暗い曲調でありフルートも重く聴こえる。軽やかに動いても、重さが取れない。作曲としての品質は高いが、一つの曲としてはあまり光るところがない気がする。


その他の二重奏曲

•ヴァイオリンソナタ ニ短調 1724頃 vn,BC HWV359a◦3.3点


短調のバロックらしい美しさが全般に心を打つ曲。最終楽章がとくに好き。

•オーボエソナタ ヘ長調 1711–16 ob,BC HWV363a
•ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ト短調 1724 gamb,BC HWV364b
•フルートソナタ ニ長調 1707? fl,BC HWV378
•アレグロ ハ短調 1725-29 vn,BC HWV408◦2.8点


短調と切れ味のある雰囲気をそれなりに楽しめるのだが、後に残るものがなく、良作とは思わない。

•412 アンダンテ イ短調 1725-26 vn,BC◦2.8点


しなやかで陰影のある雰囲気はよいのだが、徹底しておらず物足りない。単一楽章としては悪くはないが良くもない以上のものがない。


6つのトリオソナタ 作品2

•トリオ・ソナタ第1番a ハ短調 1717-19 fl(ob),vn,BC Op.2-1a HWV386a
•トリオ・ソナタ第1番b ロ短調 1717-19 fl,vn,BC Op.2-1b HWV386b
•トリオ・ソナタ第2番 ト短調 1717-19 2vn,BC Op.2-2 HWV387
•トリオ・ソナタ第3番 変ロ長調 1717-19 2vn,BC Op.2-4 HWV388
•トリオ・ソナタ第4番 ヘ長調 1717-19 fl,vn,BC Op.2-5 HWV389
•トリオ・ソナタ第5番a ト短調 1717-19 vn,va,BC Op.2-6a HWV390a
•トリオ・ソナタ第5番b ト短調 1717-19 2vn,vc,cemb(org) Op.2-6b HWV390b
•トリオ・ソナタ第6番 ト短調 1717-19 vn,va,BC Op.2-7 HWV391


7つのトリオソナタ 作品5

•トリオ・ソナタ第1番 イ長調 1739 2vn,BC Op.5-1 HWV396 ◦3.0点


爽やかな正統派というところ。特別に良い何かはないと思う。

•トリオ・ソナタ第2番 ニ長調 1739 2vn,BC Op.5-2 HWV397 ◦3.3点


1番よりもバラエティーに富んでいて面白い。演奏のせいか素朴で土着的な味も感じた。

•トリオ・ソナタ第3番 ホ短調 1739 2vn,BC Op.5-3 HWV398 ◦3.3点


短調の物悲しい雰囲気が全体を覆う。しかし、バロックらしい音自体の美しさが活かされており、リズム感を失わないため愉しみながら聴ける。

•トリオ・ソナタ第4番 ト長調 1739 2vn,BC Op.5-4 HWV399 ◦3.3点


音に複雑さと生気があり、しなやかさと活気あるリズム感を併せ持っており、合奏する楽しみがありそうな曲。なかなか魅力的だ。

•トリオ・ソナタ第5番 ト短調 1739 2vn,BC Op.5-5 HWV400 ◦3.5点


様々な作曲技法を駆使した作品で規模もわりと大きくて聞き応えを感じる。複雑さと素朴さの混ざり方が絶妙だし、雰囲気の作り方に巨匠性を強く感じる。

•トリオ・ソナタ第6番 ヘ長調 1739 2vn,BC Op.5-6 HWV401 ◦3.5点


とても魅力的な1曲目だが、そのあとは正統派に進む。とはいえ、音楽としての魅力はどの曲も心をつかむものがある。爽やかなだけでなく、どこかに感動が潜んでいる。

•トリオ・ソナタ第7番 変ロ長調 1739 2vn,BC Op.5-7 HWV402 ◦3.3点


しなやかな叙情性がある感情的な曲に聴こえる。どこか名残惜しい気分が全編を統一しているようである。曲集の最後にふさわしい。


クラヴィーア曲

クラヴィーア組曲第1巻

•組曲第1番 イ長調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 426
•組曲第2番 ヘ長調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 427
•組曲第3番 ニ短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 428
•組曲第4番 ホ短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 429
•組曲第5番 ホ長調『調子のよい鍛冶屋』 1720 クラヴィーア組曲第1巻 430 ◦4点


調子の良い鍛冶屋は大好きな曲。命名センスの良さも最高。華やでどこかおどけているかのように諧謔的で、とても楽しい曲。

•組曲第6番 嬰ヘ短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 431
•組曲第7番 ト短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 432
•組曲第8番 ヘ短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 433


クラヴィーア組曲第2巻

•組曲第9番 変ロ長調 1710?-17 クラヴィーア組曲第2巻第1番 434
•シャコンヌ ト長調 1705?-17 クラヴィーア組曲第2巻第2番 435
•組曲第10番 ニ短調 1721-26 クラヴィーア組曲第2巻第3番 436
•組曲第11番 ニ短調『サラバンド 主題と変奏』 1703-06 クラヴィーア組曲第2巻第4番 437
•組曲第12番 ホ短調 1710–17 クラヴィーア組曲第2巻第5番 438
•組曲第13番 ト短調 1703–06 クラヴィーア組曲第2巻第6番 439
•組曲第14番 変ロ長調 1703–06 クラヴィーア組曲第2巻第7番 440
•組曲第15番 ト長調 1703–06 クラヴィーア組曲第2巻第8番 441
•組曲第16番 ト長調 1703–06 クラヴィーア組曲第2巻第9番。 442


その他のクラヴィーア曲


オラトリオ

•メサイア HWV56 1742年

•サムソン HWV57 1743年

•セメレ HWV58 1744年

•ヘラクレス HWV60 1745年

•ベルシャザル HWV61 1745年

•マカベウスのユダ HWV63 1747年

•スザンナ HWV66 1749年

•ソロモン HWV67 1749年

•テオドーラ HWV68 1750年

•ヘラクレスの選択 HWV69 1751年

•イェフタ HWV70 1752年

•ジョージ2世の戴冠式アンセム 1.司祭ザドク HWV.258


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/824.html#c1

[近代史3] バッハ 『マタイ受難曲』 中川隆
2. 中川隆[-14008] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:49:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-677]

クラシック音楽 一口感想メモ
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685- 1750)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

バロック音楽の総決算を行った作曲家の一人。卓越した技法と深々とした味わい深い情緒とスケールの大きさと普遍性の高い音楽で、後世に絶大な影響を与えた。

一部の曲は誰も凌駕出来ない高みに達しているが、一方で仕事としてさらさらと書いたような作品も多い。また、音楽が四角くて一拍の中にタンタタというのを納めたものを並べている感がある部分が多いこと、時として辛気臭く神秘主義であるのは欠点だと思う。


宗教曲

•ミサ ロ短調BWV232 Messe h-Moll 1724-49 ◦6点


バッハの宗教音楽の総決算となり、マタイ受難曲ならぶバッハの最高傑作。最高の充実度の曲が27曲で組み上げられた大伽藍を形成していて、何度聴いても飽きない。円熟した技術の粋が込められている。最後は感動的。合唱が主体で聴きやすい。

•マニフィカト ニ長調BWV243 Magnificat D-Dur 1728-31◦4点

受難曲

•マタイ受難曲BWV244 1727-29◦6点


この曲こそクラシック史上最もドラマティックな最高の作品だろう。特に二部はバッハの中でも極めつけの名曲揃いで、しかも話が進むにつれ音楽が深くなるという奇跡的な作品。最終合唱は涙を流さずにはいられない。


•ヨハネ受難曲BWV245 (Johannes-Passion) 1724/25-29 1746/49年改作◦4.5点


マタイに比べれば極めつけの名曲という感はないが、これもバッハの最高級の宗教音楽の一つ。


オラトリオ

•クリスマス・オラトリオBWV248 (Weihnachts-Oratorium) 1734 ◦4点


長いし全部が名曲ではないが、クリスマスらしい明るく希望に満ちた音楽でよい。

•復活祭オラトリオBWV249(Oster-Oratorium) 1725/35◦3.5点


40分程度とコンパクト。冒頭がトランペットを活用して華やか。その後は叙情的なバッハの宗教曲の世界を手軽に楽しめる。


モテット


オルガン曲

•トリオ・ソナタ第1〜6番 変ホ長調BWV525 1730頃 6つのトリオ・ソナタ

•トッカータとフーガニ短調BWV565 1704頃 ◦4点


個人的には残念ながら偽作と思っている。あまりに後年のバッハと違うので。有名なイントロから始まるトッカータはいいのだが、フーガはいまいち。

•トッカータとフーガ ホ長調BWV566 1706頃
•フーガ ト短調BWV578 1703-07 BWV542と比較され、小フーガとも呼ばれる

•フーガ ロ短調BWV579 1708-17

•パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582 1706-12 ◦4点


パッサカリアを重々しく使っていて、何かの儀式でも執り行われるのかというような荘厳さが徹底しているところが魅力的。


クラヴィーア曲

•2声のインヴェンションと3声のシンフォニアBWV772 - 801 1720-23◦3.5点


初心者が練習する教材として有名だが、観賞用としてもシンプルな中に歌心があるのでそれなりに楽しめる。バッハ得意の半音階で深い世界に旋回しながら降りていくへ短調のように高度な内容の曲もある。


イギリス組曲

•イギリス組曲1番BWV806 1717◦3.5点


長調の正統派。奥ゆかしく味わい深い叙情を湛えた曲。美しい曲や印象的な曲がいくつもある。

•イギリス組曲2番BWV807 1717◦3.5点


短調の組曲として、憂いの美が活かされている、なかなかの曲が集まっている。早い曲と遅い曲の組み合わせの効果も良い。1曲目から魅力的だし、遅い曲も暗すぎない。正統派の楽しみを感じる。舞曲としての躍動も良い。

•イギリス組曲3番BWV808 1717◦3.3点


平凡で一瞬はっとしてもすぐにまた平凡と感じるような曲が並んでいる。短調らしい素朴さのある美しい曲は多あ。時々その美しさに感動してテンションが上がる。メロディーには霊感をあまり感じないが。

•イギリス組曲4番BWV809 1717◦2.5点


いまいち面白くない曲ばかりで、あまり価値が高くない組曲だと思う。そそられるような魅力がない。バッハならば技術を用いてさらっと書けそうな曲ばかり。

•イギリス組曲5番BWV810 1717◦3.3点


うら悲しい短調の美しさと、テクニカルな力強さを両立した曲。なかなかのどっしりとした手応えがある曲。

•イギリス組曲6番BWV811 1717◦3.3点


長大な大作であり、瞑想や情熱を見せたり、様々な表情を見せる。5番同様に聴き応えがあるが、うら悲しい感じはあまりなく、雰囲気はかなり異なる。


フランス組曲

フランス組曲はBWV812 - 817 1715

•1番◦3.5点


バッハらしい短調に殺文句的なエモーショナルな情念を響かせる曲。バッハとしては典型的な場面も多いが、一方ではっとさせる場面もところどころにあり、概ね感情を揺らされるのを楽しみながら刺激的な音楽として聴ける。

•2番◦2.8点


1番と比較するとはっとするような感動と発見がかなり少ない。さらさらと音楽が時間とともに流れていく。バッハらしい必殺の響きがなくて、聴き終わったあとにあまり印象に残らない。

•3番◦3.0点


1番と3番の中間の出来だと思う。ところどころに聴きどころはある。工夫も見られる。突き抜けたインスピレーションはあまりないが、曲想に意図が込められていてそれなりに楽しめる。

•4番◦3.3点


前半は心の現れるような美しさで素晴らしい。しかし、後半はありきたりの音形をありきたりの変化をつけて繰り返すばかりで面白くない曲が続く。前半の感動が吹き飛んでしまう。

•5番◦4.0点


この曲は単品で昔から何度も聴いている。他の曲とフェアに比較できないのだが、やはりどの楽章もキラキラとした音の美しさと愛おしい詩情に溢れていて、かなりの名作である。個々の曲の描写が優れているとともに、曲の組み合わせが浮き沈みを演出していて、美しさが心に強く染み渡っていく。そして捨て曲がない。

•6番◦3.5点


5番と似た曲調だが、ブリリアントな要素がなくて、しなやかで叙情的。これもなかなか心の琴線に触れる美しさをもっている曲だと思う。バッハらしい懐の深さと奥ゆかしさの楽しみもある。


パルティータ

パルティータはBWV825 - 830 1726-31

•1番◦3.5点


落ち着いた奥ゆかしさと熟成感がたまらない。豊かさに身を委ねてゆったり聴ける楽しみ。熟練した技術に裏打ちされた安心して幸せな時間を過ごせる音楽である。

•2番◦3.8点


1番と感想はほぼ同じ。短調でも高い品格と音の研ぎ澄まされた感性に従って、安心して幸せな時間を過ごせる。短調の美しさがあって、ロマン派のような情緒も見え隠れするたて1番よりさらに素敵に思えた。

•3番◦3.3点


1番2番と同じように雰囲気は素晴らしいようでも、どこかにマンネリを感じてしまう。霊感のヒラメキが弱いように思う。中間部分に目新しい場面はあるものの、前半と終わりの方があまり面白く無い。

•4番◦3.3点


長い曲であり、広大なキャンバスにゆったりとした時間の流れの中で絵を描いていく趣である。スケール感は魅力だが、満足度はそれほど高くない。もどかしい感じを常に感じながら時間が流れていくようであり、一歩間違えれば長いだけの曲になりかねないほどだが、詩情と円熟と洗練された技法はやはりあるため楽しめる。

•5番◦3.3点


規模が小さくて明快という点でフランス組曲と似た外面を持つものの、やはり熟成感と当たりの柔らかさが違う。特に良いという感じの曲は少ないため心に深く刺さるほどではないが、音に揺られたり、時に舞踏的になる楽しさは充分にある。

•6番◦3.0点


演奏時間も長いし、最初の辺りではバッハの渾身の大作かと期待する。しかし、悲劇性の強調の仕方が似ている曲が多い。だんだん飽きてくる。そうなると曲が長いのが負の効果を表してくる。対位法的な曲の多さとその中の執拗な繰り返しが悲劇性の一つの表現になっているが、やりすぎである。特に最後の曲は聴いていてしんどい。


その他

•フランス風序曲 ロ短調BWV831 1734◦3.5点


元はハ短調で出版時に移調されたそうだが、バッハのロ短調らしい独特の線の細い悲哀を帯びた美しさをもつ。特に序曲のフランス風序曲らしい華がありそれが余韻を最後まで保つことがあるため、各種の組曲との比較して聞き映えがして、聴いていて楽しい。


•平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV846 - 869 1722-23◦3.5点


フーガは宇宙の摂理のようにあまりにも客観的であり、高度な内容とはいえ楽しむための音楽という感じではない。前奏曲もフレーズを重ねたものでロマン派の小品のようには楽しめない。ピアニストの旧約聖書などとも言われているが、一般的な鑑賞者にとっての重要性はベートーヴェンのソナタとは比較にならないほど小さい。ピアノ演奏の学習者にとっての重要性は高いのかもしれないが。高度な作曲技術により生み出された高貴で崇高で広大な音楽世界の素晴らしさは、特筆に価する。しかし、神秘主義や辛気臭さが鼻につくところもある。

•平均律クラヴィーア曲集第2巻BWV870 - 893 1738-42◦3.8点


第1集と比較して、若々しいストレートな伸びやかさが生み出すギラギラした感じが抑えられており、複雑な奥ゆかしさが増すとともに、しなやかさになっている。個人的には、バッハの晩年らしい良さが表れていて、第1集よりも好みである。順番に曲を聞いていくと、森羅万象のような気宇広大な多彩さと深遠さがあり、卓越した作曲技術に基づくエネルギーと伴っているため、激しく精神を翻弄される。あまり類を見ない独特の愉しさがある局集である。とはいえ、基本的には第1集と同様に、宇宙の摂理を音化したような客観的な音楽である。聞くのにある種の覚悟が必要と感じるような敷居の高さが難点。

•半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV903 1719◦4.0点


緊張感が高く激情的な表現、緻密な構成は、バロック期をはるかに越えている。スリリングなフーガはアクション映画を見ているかのようにテンポよく進む。ベートーベンが研究したそうだが、熱情ソナタによく反映されている。

•イタリア協奏曲 ヘ長調BWV971 1734◦4.5点


バッハファンからすると軽すぎるかもしれないが、ノリノリで楽しい音楽で、一人なのにリズムや音の重ね方の工夫で驚くほど分厚い協奏的な音楽が楽しめる。

•ゴルトベルク変奏曲BWV988 1742◦5.5点


非常に長大な変奏曲。変化に富んでおり、飽きずに一気に楽しんで聴ける。充実した上品で平穏な音楽がさらさらと流れていく。楽しく幸せになれる曲。しかし短調になったり、さまざまな気分に変化していくところは、物語的でもある。よく調べると1音ずつずれていくカノンなど驚きの仕掛けもある。主題が魅力的であることも大きい。すべての物語が終わって最後にまた再現される時には、なんともいえない万感の想いになる。


室内楽曲

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ、パルティータ

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番 ト短調BWV1001 1720◦4.0点


荘厳な1楽章、無窮動の情熱的な4楽章、全部の楽章がいいが、傑作は2楽章のフーガだろう。主題の魅力と展開と対位法の充実感が半端ない。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番 ロ短調BWV1002 1720◦3.5点


バッハ無伴奏ヴァイオリン曲では一番劣ると思う。特に前半は特徴が乏しく並の曲である。後半はやや印象的な曲が続く。

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番 イ短調BWV1003 1720◦4.0点


1番と比較して、1楽章は荘厳な1番が上、2楽章は同レベルの充実した素晴らしいフーガ、3楽章は2番のシチリアーノがかなり好きなので2番が上、4楽章は同レベルだが、単なる無穹動でない2番の方が楽しい。ということで、同じ位素晴らしい曲。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調BWV1004 1720◦シャコンヌ 6点
◦その他は3.5点


シャコンヌはバッハのみならず独奏器楽曲の最高峰だろう。深々として厳しい精神性の高さ、欲しいところに音がある音感の良さ、主題の素晴らしさと変奏の絶妙さ、音の価値の高さ、中間の感動、後半の絶妙な終わりに向けた動き。その前の5曲はシャコンヌへの前奏曲という感じ。

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調BWV1005 1720◦3.8点


2楽章のソナタは主題こそ魅力が足りないものの、新しい主題を加えながら次々と変化していくので楽しく聴ける。しかし3楽章が面白くないし、1、4楽章もいい曲だが傑作とまではいかない。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調BWV1006 1720◦5点


楽しく親しみやすい曲のオンパレードで名作集のような密度であり、満足感が半端ない。ものすごい名作だと思う。


無伴奏チェロ組曲

•無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調BWV1007 1717-23◦5.0点


オーソドックスで無理が無い音の運びがされており、豊かさと人肌のような温もりや包み込むような父性を感じる。そして根源的な舞曲としての楽しみも味わえる。素晴らしい名曲。

•無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調BWV1008 1717-23◦4点


瞑想的な一方で汗をかいているような情熱を、低音の渋さをうまく活用して味わうことが出来る。

•無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調BWV1009 1717-23◦3.3点


ハ長調で広々としたスケールの広がりとかっちりとした構築性を感じる。しかしながら、曲としては1番と比較して霊感が無く、面白くない。有名な5曲目のブーレだけがいい曲と思う。

•無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調BWV1010 1717-23◦3.5点


前半は3番と似たようなレベルの曲だが、後半の3曲が素晴らしいので、飛び抜けていい曲は無いがトータルでは3番より良い。

•無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調BWV1011 1717-23◦3.5点


短調の曲として2番ほどメロディーの魅力はないものの、特に前半のレティタティーボのような渋い力強さの魅力が素晴らしい。漆黒のような黒い響きがする。後半はやや普通の曲になる。

•無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調BWV1012 1717-23◦3.3点


曲の雰囲気はまったりしていて1番と少し似ている。曲想は好きで発想は割と豊かだと思うが、5弦用の曲という事で普通のチェロだとハイポジションが多用されるので聴いていて疲れる。


その他

•無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調BWV1013 1720初頭◦3.5点


バッハの無伴奏らしい和声の進行を感じさせる手法や、音域の音色の差異で伴奏を代替したりすることや、リズムと旋律が一体化させる手法が活用をされている。無伴奏チェロ曲に似ているが、少し違うフルートならではの音色の良さでバッハを楽しむための曲。良くも悪くも非常にバッハ臭が強いので好みは分かれるかもしれない。休符がないのは素人目にみるとフルート的ではない気がする。


•ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ1〜6BWV1014

•ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第1〜3BWV1027 1720-39頃

•フルートとチェンバロのためのソナタ第1〜3BWV1030 1735頃

•フルートと通奏低音のためのソナタ第1〜3BWV1033 1720頃

•2本のフルートと通奏低音のためのソナタ ト長調BWV1039 1720頃


協奏曲

•ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調BWV1041 1717-23頃◦3.5点


1楽章の跳躍する美しい短調の主題や2楽章の何度も回帰するオーケストラの主題、3楽章のバロックらしいテンポの良さなど聞きどころは多い。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調BWV1042 1717-23頃◦4.0点


1楽章と3楽章のキャッチーな分かりやすいメロディーは、上品で優雅でバロックらしい楽しさに満ちている。2楽章がやや地味なので弱点になっている。

•2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調BWV1043 1718頃◦4.5点


1楽章はすぐに覚えてしまう短調らしい印象的な主題で始まり、コンパクトで楽しい曲。2楽章はG線上のアリアにも匹敵しそうな非常に美しい緩徐楽章。3楽章は1楽章と2楽章ほどの圧倒的な素晴らしさは無いが、ヴィヴァルディに似ており活発なダイナミックさを楽しめる。


•チェンバロ協奏曲第1〜8BWV1052

•2台のチェンバロのための協奏曲第1番BWV1060 1736◦2.5点


散逸した協奏曲の編曲もの。曲が冴えなくて陳腐という印象が強い。編曲は頑張っているものの、あまり面白くない。

•2台のチェンバロのための協奏曲第2番BWV1061 1736◦3.5点


初めからチェンバロ協奏曲として書かれたのに相応しいしっくりとくる感じがよい。明るく華やかな心踊るような独奏の活躍ぶりは、バッハの欠点を表面に出していない。そして裏に隠された抒情が素敵さを演出している。3つの楽章全て良い。

•2台のチェンバロのための協奏曲第3番BWV1062 ◦3.0点


本人の名作2台のヴァイオリンのための協奏曲の編曲。しかし、チェンバロは一つの音のみ価値が小さいし音に伸びがないため、この編曲はかなり地味な印象になっている。あまりこの編曲で聴くメリットを感じない。

•3台のチェンバロのための協奏曲第1番BWV1063 1733◦2.5点


四角い箱に詰め込んで敷き詰めたようなバッハの音楽になってしまっている。協奏曲の楽しみを感じる場面が時々あるなど、4台の協奏曲よりはましだと思うが、あまりいい曲とは思えない。

•3台のチェンバロのための協奏曲第2番BWV1064 1733◦3.0点


1楽章の音の分厚さを生かした勢いのある豪勢な音楽が良い。うきうきした気分になれる。残りの楽章も、1番や4台用よりも聴き応えがあり、不満は少ない。

•4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調BWV1065 1730頃◦2.5点


ヴィヴァルディの編曲。4台でもピアノほどの重さはないが、音がよく聞き取れない。そして編曲としてはあまり良さが感じられない。


ブランデンブルグ協奏曲

•ブランデンブルク協奏曲第1番 ヘ長調BWV1046 1717? 2hrn,3ob,fg,vn,弦楽,BC ◦3.5点


楽器構成が一番大規模なので、管弦楽のように豊富な音を楽しめる。曲は4楽章構成で、曲が終わったと思ったらさらに追加曲があるような印象。内容は四角くかっちりと構築されていて、テンポは遅めでほのぼのしている印象。

•ブランデンブルク協奏曲第2番 ヘ長調BWV1047 1717-18? tp,bfl,ob,vn,弦楽,BC ◦3.0点


6曲の中では地味な存在。トランペットがいるので音は華やかで明るいが、メロディーに耳を引くものがない。

•ブランデンブルク協奏曲第3番 ト長調BWV1048 1711-13頃 3vn,3va,3vc,BC◦4.0点


キレの良い1楽章の完成度が高い。3楽章もきびきびしているので、キレのよさがとにかく印象に残る。2楽章がチェンバロだけというのは面白い。早い2つの楽章の間で休憩するための曲になっている。

•ブランデンブルク協奏曲第4番 ト長調BWV1049 1720頃? vn,2bfl,弦楽,BC ◦3.5点


フルートの大活躍が目立つ曲。裏でのヴァイオリンの技巧的な活躍も面白い。メロディーがテンポ良く次々と繰り出されるのを楽しめる。

•ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調BWV1050 1720-21頃? fl,vn,cemb,弦楽,BC ◦1楽章 5.5点
◦その他 3.5点


1楽章はバッハの多くの作品の中でも突き抜けた奇跡的な完成度と充実した内容の作品。宮殿のようなきらびやかな優雅さと、多くのエンジンを使って前へと進む推進力、豊富で有機的な動機を使っており、大きな作品でありながら構成が完璧である。まさに圧巻であり、類似例を思いつかないほどの完成度である。カデンツァがまた凄い。単体のクラーヴィアでここまで豪華さと推進力を出せるのかと驚く。2楽章と3楽章は並の曲。

•ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調BWV1051 1708-10頃? 2va,2Gamb,vc,BC ◦3.5点


ヴァイオリンが無いので地味ながらも、低音で奏でられる音楽は滋味あふれており『まろやか』で美しい。

管弦楽組曲

•管弦楽組曲第1番 ハ長調BWV1066 1717-23頃 2ob,fg,弦楽,BC ◦4点


着飾った貴婦人が華やかな広間の階段を降りてくる情景をまさに想像するような上品な曲。3番よりも管楽器が活躍し、叙情的な側面もあるし、舞曲の楽しみも満喫出来る。

•管弦楽組曲第2番 ロ短調BWV1067 1730頃 fl,弦楽,BC ◦4.0点


フルート協奏曲のようにフルートが大活躍する曲。ロ短調の哀しく美しく透明感のある響きに乗せた軽やかなフルートの動きを楽しめる。この美しさは独特だと思う。

•管弦楽組曲第3番 ニ長調BWV1068 1729-31頃 3tp,tim,2ob,弦楽,BC◦G線上のアリア5.5点
◦その他 4点


G線上のアリアの豊饒でまろやかで内声の豊かな味わいは素晴らしい。その外の楽章は上品であり、トランペットとティンパニが華やかで外面的な華麗さで、祝典的な雰囲気が楽しい。

•管弦楽組曲第4番 ニ長調BWV1069 1717-23頃 3tp,tim,3ob,fg,弦楽,BC◦3.5点


管弦楽組曲の中で唯一の地味曲。管弦楽組曲は華やかさを楽しむ曲なので、地味だと聴く順番はどうしても最後になる。といっても、3番までと比較して大きく劣るわけでは無く、あくまで比較しての話であるが。


対位法的作品

•音楽の捧げものBWV1079 (Musikalisches Opfer) 1747

•フーガの技法BWV1080 (Die Kunst der Fuge) 1742頃-49 未完◦4点


バッハのフーガ技術が尽くされており、音楽的にも成熟の限りで充実感がすごい。音楽的にもバッハらしい奥ゆかしい精神世界を存分に楽しむことが出来る。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/827.html#c2

[近代史3] バッハ 『マタイ受難曲』 中川隆
3. 中川隆[-14007] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:51:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-676]
教会カンタータ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%28%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BF%29

1-20番

•1 暁の星はいと美しきかな 1725 ◦3.8点


長大な冒頭合唱は、ホルンの明快な信号に乗るように始まり、柔らかさと複雑な豊かさをもった非常に幸福感に満ちた時間を過ごせる曲。同じフレーズの繰り返しでも、全然飽きない。それどころか、終わってももっと聞き続けたいと思わせるものがある。次のアリアも晴れ晴れとした気分と敬虔さの混ざった絶妙な良いもの。しかし最後のアリアは面白くない。コラールで締めくくられる。

•2 ああ神よ、天より見たまえ 1724 ◦3.0点


冒頭は変な半音階的な主題のフーガの曲。なんとも分かりにくい、どう聴いたら良いのかピンとこない曲だ。アリアは時々見せる陰影は美しいが、全体としてはまあまあと思う。次のアリアは迫力がある力強い曲で悪くない。

•3 ああ神よ、いかに多き胸の悩み 1725 ◦3.3点


冒頭合唱も最初のアリアも、軽いひねりの入った主題であり落ち着かない。感情の没入はしにくい。次のアリアは二重唱であり、これはなかなか音の絡みかたが濃厚で感情の揺れ動きかたが良い曲で聞きごたえがある。伴奏もそれをサポートするよいもので、この曲だけで聞く価値がある。

•4 キリストは死の縄目につながれたり 1707/8 1724年改訂◦3.3点


レティタティーボがない。8曲ありざわざわとした鋭くて落ち着かない曲や不安感を煽るような曲が連続するため疲れる。その中で3曲目のような柔らかくて癒される曲は本当にオアシスのように感じる。半音階が多用されており、合唱も畳み掛けるような掛け合いが多くて、心が疲れながら落ち着く場所を求めて聴く感じになった。

•5 われいずこに逃れゆかん 1724 ◦2.8点


1曲目はあまり感動がない。次のアリアは泣きのフレーズを散りばめていてい悪くないが、強く感動するほどではない。次は男声と輝かしい金管の対比の曲で、これも悪くはないがたいした曲ではないと思う。全体的にあまり楽しめなかった。

•6 わがもとにとどまれ、はや夕べとなれば 1725 ◦3.0点


短調の正統派の曲であり、それなりの迫力はある。しかし、強く何か感動を与えるものに到達しておらず、予想を超える何かを見せてくれた印象はなかった。

•7 われらの主キリスト、ヨルダン川に来たれり 1724 ◦3.3点


冒頭合唱は繰り返しの運動性のある伴奏の音形と合唱との絡みが心地よいインパクトを与えてくれる。2曲目もチェロの独奏がマタイ受難曲を思い出させるもので、しみじみとした音楽を聴かせる。その曲調は最後まで同様に続き、明るく弾けることなくしんみりと終わる。

•8 最愛の神よ、われいつの日に死なん 1724 1735/50年改作◦3.5点


冒頭合唱の管楽器の同音連続が与える清冽な印象は素晴らしい。少年合唱の美しさと管楽器の絡みの美しさとあいまって、美的にある到達点まで極まった素晴らしさに到達している。他の楽章はそれなりの出来であり強い印象はない。

•9 救いはわれらに来たれり 1732-35
•10 わが心は主をあがめ 1724
•11 神をそのもろもろの国にてほめ讃えよ 1735 昇天祭オラトリオ
•12 泣き、嘆き、憂い、慄き 1714
•13 わが溜め息、わが涙は 1726
•14 神われらとともになかりせば 1735
•15 汝、わが魂を冥府に捨て置きたまわざれば 1703 1726年改訂。全2部9曲。偽作=J.L.バッハ作
•16 主なる神よ、我ら汝を讃えん 1726
•17 感謝を捧げる者、われを讃えん 1726
•18 天より雨と雪の降るごとく 1713-15
•19 かくて戦起れり 1726
•20 おお永遠よ、いかずちの声よ 1724


21-40番

•21 わが心には憂い多かりき 1714 1723年改訂
•22 イエス十二弟子を召寄せて 1723
•23 汝まことの神にしてダヴィデの子 1723
•24 飾りなき心ぞ 1723
•25 汝の怒りによりてわが肉体には 1723
•26 ああ、いかにはかなくいかに空しき 1724
•27 わが終わりの近きをたれぞ知らん 1726
•28 感謝せん、今ぞ年は終わりゆく 1725
•29 神よ、われ汝に感謝す 1731
•30 喜べ、救われし群れよ 1738-42 世俗カンタータ『楽しきヴィーデラウよ(BWV.30a)』のパロディ・カンタータ
•31 天は笑い、地は歓呼す 1715
•32 愛するイエス、わが願い 1726
•33 ただ汝ひとりに、主イエス・キリストよ 1724
•34 ああ永遠の炎、愛のみなもと 1746? 同名の結婚カンタータ(BWV.34a)を聖霊降誕祭のために改作したもの
•35 霊と心は驚き惑う 1726
•36 喜びて舞いあがれ 1731
•37 信じて洗礼を受けし者は 1724
•38 深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる 1724
•39 飢えたる者にパンを裂き与えよ 1726
•40 神の子の現れたまいしは 1723


41-60番

•42 されど同じ安息日の夕べに 1725
•43 歓呼のうちに神は昇天したもう 1726
•44 かれらは汝を追放せん 1724
•45 人よ汝によきこと告げられたり 1726
•46 考えみよ、かかる苦しみのあるやを 1723
•47 おのれを高うするものは低うせられ 1726
•48 われ悩める人、われをこの死の体より 1723
•49 われは生きて汝をこがれ求む 1726
•50 いまや、われらの神と救いと力と 1740頃 断片、合唱1曲のみ
•51 全地よ、神に向かいて歓呼せよ 1730
•52 偽りの世よ、われは汝に頼まじ 1726
•53 いざ来たれ、待ち望みたる時よ 1730頃 偽作=G.M.ホフマン作?
•54 いざ罪に抗すべし 1714
•55 われ貧しき者、われは罪のしもべ 1726
•56 われは喜びて十字架を負わん 1726
•57 かの人は幸いなり 1725 Lehms
•58 ああ神よ、心の痛手いと多く 1727
•59 われを愛する者は、わが言葉を守らん 1724
•60 おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ 1723?


61-80番

•61 いざ来ませ、異邦人の救い主よ 1714
•62 いざ来ませ、異邦人の救い主よ 1724 BWV62
•63 キリスト者よ、この日を銘記せよ 1716以前
•64 見よ、父なる神の大いなる愛を 1723
•65 彼らはみなシバより来たらん 1724
•66 よろこべ、汝らの心 1724 ケーテン侯レオポルトのための誕生日カンタータの改作
•67 イエス・キリストを憶えよ 1724
•68 かくも神は世を愛したまえり 1725
•69 わが魂よ、主を讃えよ 1742-48
•70 目覚め、祈り、心を備えよ 1724
•71 神はいにしえよりわが王なり 1708
•72 すべてただ神の御心のままに 1726
•73 主よ、汝の御心のままにわれはあらん 1724
•74 われを愛する者は、わが言葉を守らん 1725 第1-第2曲を第59番より転用
•75 貧しき者は饗せられん 1723
•76 天は神の栄光を語る 1723
•77 汝主なる神を愛すべし 1723
•78 イエスよ、汝わが魂を 1724
•79 主なる神は太陽にして楯なり 1725?
•80 われらが神は堅き砦 1724? 1727年-31年改作


81-100番

•81 イエス眠りたまえば、われ何に頼るべし 1724
•82 われは満ち足れり 1727
•83 新しき契りのよろこびのとき 1724
•84 われはわが幸に満ち足れり 1727
•85 われは善き牧者なり 1725
•86 まことに、まことに、われ汝らに告ぐ 1724
•87 今までは汝らなにをもわが名によりて 1725
•88 見よ、われは多くの漁る者を遣わし 1726
•89 エフライムよ、われ汝をいかにせん 1723
•90 おそろしき終末、汝らを奪わん 1723
•91 讃えられよ、イエス・キリスト 1724
•92 われは神の御心のままに 1725
•93 愛する神のみに従う者 1724
•94 われは何ぞ世を思い煩わん 1724
•95 キリストこそわが命 1723
•96 主キリスト、神のひとり子 1724
•97 わがすべての行いに 1734
•98 神なしたもう御業こそ、いと善けれ 1726
•99 神のみわざはすべて善し 1724
•100 神なしたもう御業こそ、いと善けれ 1732-35


101-120番

•101 主よ、まことの神よ、われらから取り去り給え 1724
•102 主よ、汝の目は信仰を顧みるにあらずや 1726
•103 汝ら泣き叫ばん 1725
•104 イスラエルの牧者よ、耳を傾けたまえ 1724
•105 主よ、裁きたもうことなかれ 1723
•106 神の時こそいと良き時 1707/08? 哀悼行事のための
•107 汝なんぞ悲しみうなだるるや 1724
•108 我、去りゆくは汝らの益なり 1725
•109 我は信ず、愛する神よ、不信仰なる我を助け給え 1723
•110 われらの口を笑いで満たし 1725 序曲は管弦楽組曲第4番(BWV1069)の序曲を転用したもの
•111 わが神の欲し給うこと常に起こらん 1725
•112 主はわが忠実な牧者なり 1731
•113 主イエス・キリスト、汝こよなき宝 1724
•114 ああ、愛しきキリストのともがらよ、心安んぜよ 1724
•115 備えて怠るな、わが霊よ 1724
•116 汝平和の君、主イエス・キリスト 1724
•117 至高の善に賛美と栄光あれ 1728-31
•118 おおイエス・キリスト、わが生命の光 1736/37 合唱のみ。2つの稿が現存。楽曲の規模から新バッハ全集ではモテットに分類
•119 エルサレムよ、主をほめまつれ 1723
•120 神よ、人はひそかに汝をほめ 1728/29


121-140番

•121 われらキリストを讃えまつらん 1724
•122 新たに生まれしみどり児 1724
•123 最愛なるインマヌエル 1725
•124 わがイエスをわれ捨てず 1725
•125 平安と喜びもてわれは逝く 1725
•126 主よ、我らを汝の御言葉のもとに保ち 1725
•127 まことの人にして神なる主イエス・キリスト 1725
•128 ただキリストの昇天に 1725
•129 主に賛美あれ 1726/27
•130 主なる神よ、われらこぞりて汝を頌め 1724
•131 主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ 1707?
•132 道をそなえ、大路をまっすぐにせよ 1715
•133 わが喜びは汝にあり 1724
•134 時は日と年を作り 1724 1731年改作
•135 ああ主よ、哀れなる罪人なるわれを 1724
•136 神よ、われを調べ、わが心を知り給え 1723
•137 力強き栄光の王なる主を讃えよ 1725?
•138 何故に悲しむや、わが心よ 1723
•139 神によれる者は幸いなるかな 1724
•140 目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声 1731


141-160番

•141 こはまことに信ずべき言葉なり ? 偽作
•142 ひとりの御子われらに生まれたり ? 偽作
•143 わが魂、主を讃えよ 1708/14? 偽作?
•144 おのがものを取りて、行け 1724 偽作?
•145 わが心よ、われは生きて汝を慰めん 1729? 偽作=G.P.テレマン作
•146 われらあまたの苦難をへて 1728?
•147 心と口と行いと生活で 1723 コラール『主よ、人の望みの喜びよ』はこのカンタータに含まれている
•148 主にむかいてみ名の栄光を讃えよ 1723?
•149 人は喜びもて勝利の歌をうたう 1728/29
•150 主よ、われ汝を仰ぎ望む 1708-09
•151 甘き慰め、わがイエスは来ませり 1725
•152 信仰の道を歩め 1714 全6曲
•153 愛する神よ、見たまえ、わが敵のいかにあるやを 1724
•154 いと尊きわがイエスは見失われぬ 1724
•155 わが神よ、いかに久しく 1716
•156 片足は墓穴にありてわれは立つ 1729?
•157 われを祝福し給わずば、われ汝を離さじ 1727
•158 汝に平安あれ 1728–31
•159 見よ、われらエルサレムにのぼる 1729?
•160 われは知る、わが救い主の生きるを ? 偽作=G.P.テレマン作


161-180番

•161 来たれ、汝甘き死の時よ 1715
•162 ああ、われは見たり、婚礼に行かんとする今 1715 1723年改作
•163 神はただ万人のために 1715
•164 汝ら、キリストの者と名のるともがら 1725
•165 おお、聖霊と水との聖なる洗礼 1715 1724年改作
•166 汝はいずこに行くや 1724
•167 人よ、神の愛を讃えよ 1723
•168 務めの報告をいだせ、と轟く雷の言葉 1725
•169 神にのみ わが心を捧げん 1726
•170 満ち足れる安らい、うれしき魂の悦びよ 1726
•171 神よ、汝の誉れはその御名のごとく 1729?
•172 鳴り響け、汝らの歌声 1714
•173 高められし血と肉と 1724? 1727年-31年改作
•174 われ、いと高き者を心を尽くして愛しまつる 1729
•175 彼はおのれの羊らの名を呼びて 1725
•176 反抗し臆するは 1725
•177 われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ 1732
•178 主なる神、われらがもとにあらざれば 1724
•179 心せよ、汝の敬神偽りならざるや 1723
•180 装いせよ、おお愛する魂よ 1724


181-200番

•181 軽佻浮薄なる霊の者ども 1724
•182 天の王よ、よくぞ来ませり 1714 1724年改作
•183 彼ら汝らを追放せん 1725
•184 待ちこがれし喜びの光 1724
•185 永遠の愛の慈悲深き心よ 1715 1723年改作
•186 おお魂よ、憤ることなかれ 1723
•187 ものみな汝を待てり 1726
•188 われはわが信頼を 1728
•189 わが魂はほめ讃う ? 偽作=M.ホフマン作
•190 主に向かいて新しき歌を歌え 1724/30 不完全
•191 天のいと高きところには神に栄光あれ 1740
•192 いざもろびと、神に感謝せよ 1730?
•193 汝ら、シオンの門よ 1727 全7曲のうち6曲のみ現存
•194 こよなく待ちこがれし喜びの祝い 1723
•195 光は正しき人のためにさし出で 1741 1749年改作
•196 主はわれらを思いたもう 1708
•197 主、かたき望み 1736?
•198 侯妃よ、願わくばなお一条の光を 1727 哀悼頌歌(Trauerode)
•199 わが心は血の海に泳ぐ 1714
•200 我はその御名を言い表さん 1724頃? 断片、1曲のアリアのみ


世俗カンタータ

•201 速く、速く、渦巻く風よ(アポロとパンの争い) 1729頃 全14曲
•202 しりぞけ、もの悲しき影 1718-23 全9曲、通称『結婚カンタータ』
•203 裏切り者なる愛よ 1723以前 偽作?
•204 わたしの心は満ちたりて 1726/27 全8曲
•205 破れ、砕け、壊て(鎮まれるアイオロス) 1725 全15曲
•206 忍びよれ、たわむれる波よ 1736? 全11曲
•207 互いに争いをやめ 1726 全11曲
•207a 響け、はれやかなラッパよ 1735
•208 楽しき狩こそ我が悦び 1712?/13 通称『狩のカンタータ』
•209 悲しみを知らぬ者 1729/34?
•210 おおやさしい日、待ち望んだ時 1738
•211 おしゃべりはやめて、お静かに 1734 通称『コーヒー・カンタータ』
•212 わしらの新しいご領主に 1742 通称『農民カンタータ』
•213 われら心を配りしかと見守らん 1733 または『岐路に立つヘラクレス』
•214 轟け太鼓よ、響けトランペットよ 1733
•215 恵まれしザクセンよ、汝の幸を讃えよ 1734
•216a 選ばれたプライセの町 1728-31
•217 主よ、我らが境遇を忘れ給うな ? 偽作

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%28%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BF%29
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/827.html#c3

[近代史3] モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ 中川隆
2. 中川隆[-14006] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:08:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-675]

クラシック音楽 一口感想メモ
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756 - 1791)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88

天才なバランス感覚、歌心を音に込める才能、あらゆる音楽を自分のものとして取り込む柔軟性、職人技を持っている。

顔で笑って、心の底では泣いているような音楽。寂しがったり、はしゃいだり、おどけたり、そんな人間的なところが大きな魅力である。

一方で「悪魔が人間を惑わすためにこの世に送り込んだ音楽」というゲーテの言葉も非常に素晴らしく見事に特別性を言い当てている。

早熟であり、日本の高校生くらいの年齢の曲で既に神が宿ったかのような天才性や別格性を発揮している。


管弦楽曲

交響曲

最後の二曲が最高であるため、モーツァルトの重要なジャンルというイメージがある。しかし、41曲もあるが30曲は18歳までに書かれた作品。それ以降も改編や急造の曲などあり、ピアノ協奏曲と比較するとモーツァルトにとっては主要ジャンルとは言えなかったのでは、という印象である。特に初期は番号付以外にも多くの曲があり、未熟な三品ばかりである。しかし初期にもモーツァルトの成長の過程がはっきりと現れているのを追いかける楽しみがある。ここでは、ごく初期の作品は除外している。

•交響曲 ヘ長調 K.75 (1771 旧全集番号では第42番)◦2.5点


節回しにハイドンの影響を感じる。全体に元気がよい感じが好印象。モーツァルトらしい特別さはほとんどなく、偽作説に納得ではあるのだが、なぜだか聴きやすい。

•交響曲第12番 ト長調 K.110(75b) (1771)◦3.3点


冒頭のバロックの息吹を感じる清冽な輝かしいメロディーが、モーツァルトとしては珍しいもので、耳に強く残る。それ以外の部分も輝かしい印象。まだ未熟ではあるが、この爽やかさの魅力は忘れがたいものがある。

•交響曲 ハ長調 K.96(111b) (1771? 旧全集番号では第46番)◦2.8点


1楽章のオペラの序曲のような明るい始まりと、モーツァルトには珍しい2楽章の古風な同じリズムがずっと続く憂いのある音楽がよい。楽章に個性があり聴き栄えのする曲。

•交響曲第13番 ヘ長調 K.112 (1771)◦2.8点


爽やかなだけで、特徴が少ないため、単に未熟な発展途上の曲に聴こえる。特に素敵だと思うような箇所はなかった。

•交響曲第14番 イ長調 K.114 (1771)◦3.5点


1楽章の冒頭の流麗で上品なメロディーの魅力はかなりのものである。彼の特質と天才性を見事に見せつけている。それ以外もどの楽章も後年を彷彿とさせる立派さとメロディーの魅力をふんだんにみせる素晴らしい作品であり、初期の交響曲の傑作と言っていいだろう。

•交響曲第15番 ト長調 K.124 (1772)◦2.8点


2楽章がしなやかな旋律のなかなか美しい曲だと思う。他の楽章はシンプルすぎてまだまだ未熟感が漂っており、感動には届かない。

•交響曲第16番 ハ長調 K.128 (1772)◦2.5点


1楽章が3拍子で舞踏性が高いのが面白い。2、3楽章もその雰囲気を受け継いでいる感じがする。とはいえそれだけであり、音の密度が薄い未熟感がまだまだ気になる。

•交響曲第17番 ト長調 K.129 (1772)◦2.3点


しなやかな雰囲気を楽しむ曲と思う。しかし、内容が薄くて聴き終わっても特に何も残らない。

•交響曲第18番 ヘ長調 K.130 (1772)◦2.3点


爽やかな中に少しモーツァルトらしい感性の強さが少しずつ表現され始めているようには思えるが、まだまだ非常に微妙なレベルである。

•交響曲第19番 変ホ長調 K.132 (1772)◦2.3点


規模がかなり大きくなった。しかし、内容がそれに伴った感じではない。あくまで、もっと後の曲のような規模感だけであり、内容は初期の未熟さから卒業できておらず、あまり面白くない。

•交響曲第20番 ニ長調 K.133 (1772)◦3.0点


祝典交響曲で華やか。2楽章のメロディーなど、聴き栄えのする楽しみのある曲でよい。4楽章のメロディーはハイドンみたいだ。規模感に内容が伴っている。

•交響曲第21番 イ長調 K.134 (1772)◦2.3点


J.C.バッハやC.P.Eバッハと聴いた印象がかなり近い。主題が単純であり、優美さやバランスの良さもまだ不十分であり他の作曲家を凌駕するものを感じない。唯一3楽章の中間部が耳を捉えた。

•交響曲第22番 ハ長調 K.162 (1773)◦2.3点


1楽章はメロディーが単純すぎる。2楽章と3楽章はいくぶんましだが、単純明快すぎてやはりあまり楽しめない。

•交響曲第23番 ニ長調 K.181(162b) (1773)◦3.0点


全3楽章8分で切れ目なく演奏。トランペットの輝かしさにより祝典的で高揚感のある雰囲気が創られている。割と好き。

•交響曲第24番 変ロ長調 K.182(173dA) (1773)◦2.3点


全3楽章10分の短い曲。この曲はメロディーに魅力がないため、あまり面白い曲ではい。短いため聴き通すのは容易だが、楽しめずに終わる。

•交響曲第25番 ト短調 K.183(173dB) (1773)◦5.0点


アマデウスの冒頭だが、この曲の燃えるような情熱は素晴らしい。40番より熱気があり心を動かされる。

•交響曲第26番 変ホ長調 K.184(166a) (1773)◦3.5点


全3楽章で続けて演奏される。これは深みがあり初期の中でも特に注目するべき曲の一つ。1楽章はイタリア風で快活で面白いが、素敵なのは2楽章と3楽章。短調でドラマチックで陰影に富んだ2楽章は晩年の作品以上にロマンチックである。3楽章はその余韻を反映した晴れやかな感情に満ちた曲で感動的。

•交響曲第27番 ト長調 K.199(161b) (1773)◦2.8点


快活で颯爽とした魅力がある。2楽章の滋味あふれる雰囲気はモーツァルトにしては珍しい。

•交響曲第28番 ハ長調 K.200(189k) (1774)◦3.0点


初期の一連の交響曲の中で最後に書かれた曲。ティンパニを使用しハ長調の堂々とした曲想が特徴。特殊なことをしている場面は少ないが、憂いがなく華やかで爽やかで輝かしいモーツァルトを楽しめる点で価値がある。

•交響曲第29番 イ長調 K.201(186a) (1774)◦4.0点


初期の交響曲の中では25番についで有名。明るい瑞々しい感性に支えられた勢いと楽しさ、爽やかさと優美さが、愉しいメロディーとともに奏でられており、それらが巨匠的な完成度で練り上げられて作品化されている。初期らしい汚れのなさと、聞きやすさで、後期の交響曲の中の大半の曲よりも魅力がある。

•交響曲第30番 ニ長調 K.202(186b) (1774)◦2.5点


初期の最後の交響曲で、それなりの規模と充実感はあるが、ありきたりな素材ばかりである。成熟して立派さが現れてきており、明るくて華やかであるが、深みや新鮮さには欠けると思う。


31番以降(20歳以降の作品)
•交響曲第31番 ニ長調 K.297(300a)『パリ』 (1778)◦2.5点


この曲は異例なほど推敲を重ねたそうだが、残念ながらその結果が自分にはあまり素晴らしいと感じられない。名曲とまではいかないと思う。

•交響曲第32番 ト長調 K.318 (1779)◦3.0点


1楽章のような長さの連続した曲の中に3つの楽章があるという特殊構成。印象的な冒頭を始めとして内容が豊富で、30番台前半では一番よい曲だと思う。

•交響曲第33番 変ロ長調 K.319 (1779)◦2.5点


1楽章は主題に多少の目新しさはあるものの、基本的に普通。2楽章は優美だが、天才性はあまりない。3楽章のメヌエットはごく普通。4楽章はオペラの伴奏みたいで面白くない。

•交響曲第34番 ハ長調 K.338 (1780)◦2.8点


メヌエットなし。1楽章はごく普通の序曲風の曲。2楽章は半音階を使ったメロディーがやや目新しいものの、全体の印象は普通だし冗長。3楽章は伸びやかで三連符の連続的な使用は目新しく、エネルギッシュで一番聴き所がある。

•交響曲第35番 ニ長調 K.385『ハフナー』 (1782 セレナーデからの改変曲。)◦3.3点


1楽章はオペラの序曲のように快活。2楽章は優美で呑気で美しく、この曲で一番印象的。3楽章は優美で華やかさのあるメヌエット。4楽章は祝典的。全体に元々がセレナーデとして書かれて改作されただけあり、天才的というほどではないが優美な華やかさを楽しめる。

•交響曲第36番 ハ長調 K.425『リンツ』 (1783)◦3.5点


どの楽章もオペラの音楽のようだ。登場人物が何かの行動をして物語を進行させているような生き生きとした感じがある。1楽章はオペラの序曲にそのまま使えそうである。たった四日で書かれたのは凄いが、知っていて聴くとやはりどこか仕事の荒さを感じてしまう。

•交響曲第38番 ニ長調 K.504『プラハ』 (1786)◦4.0点


39番より華やかでありながら叙情的であり各楽章に光る部分がある。特に1楽章は秀逸でメロディーが印象的。最後の3大交響曲はどの曲も特殊さがあるので、この曲は堂々とした正統派の音楽としては最大の交響曲かもしれない。

•交響曲第39番 変ホ長調 K.543 (1788)◦3.5点


最後の三大交響曲の1作だが、他2作と比べてしまうと地味であり、音楽の複雑度が低くて単純に聞こえるため物足りなく感じる。1楽章の純白の世界は素晴らしいのだが、2楽章と3楽章がもの足らず、4楽章もノリノリで楽しいがメロディーの魅力が足りない。個人的には、40番および41番と同時に書かれたとはいえ、3大交響曲として一括りにするべきでない大きな差があると思う。

•交響曲第40番 ト短調 K.550 (1788)◦6.0点


1楽章の有名メロディーはやはり非常に印象的であり、第二主題の魅力も全体構成も完璧な出来である。秋の憂愁と人間愛を感じさせる2楽章がまた大変に感動的で、どんなロマン派の曲も凌駕するほどに人間的でロマン的で胸がいっぱいになる。3楽章は3小節区切りなのが面白い。4楽章の性急さはモーツァルトがよく見せるものでやや小ぶりな印象があり、神がかり的とまではいかないが、この名作の締めくくりには十分な出来である。

•交響曲第41番 ハ長調 K.551『ジュピター』 (1788)◦6.0点


壮麗で神々しくて全世界に君臨する神のような偉大さを感じさせる音楽であり、まさに「ジュピター」の名がピッタリである。特に1楽章はそうなのだが、2楽章や3楽章でさえも、神々しさを発揮しているのが凄い。1楽章は堂々とした開始部分から、人間には及びもつかない神々の領域を感じさせる天上的で壮大で、かつ完璧なバランスで造形されている驚異的な音楽である。最後のフーガ楽章の畳み掛けるような高揚感と圧倒的な充実感の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。


セレナーデ

•セレナーデ第1番 ニ長調 K.100(62a) (1769 カッサシオン ニ長調 K.62と同一。)◦2.8点


13歳の作品。素朴な音楽の作りは幼さとともに古典派の初期の作曲家達の作品を想起するが、既に十分にセンスが良くて楽しい気分になれるのはさすがである。27分もの大作だが寛いで楽しく聴ける。

•セレナーデ第3番 ニ長調 K.185(167a) (1773)◦2.8点


45分。1曲目が面白くない。全体に古典派の標準を越えていない単純な書法。しかしだんだん耳が慣れてくるのか、聴き進むにつれてヘンデル的な華やかさや、活力のある音楽が楽しく聴けるようになってきて、聞き終わるとそれなりに満足できる。

•セレナーデ第4番 ニ長調 K.203(189b) (1774)◦2.8点


この時期のセレナーデにしては、優美で現代の楽器に合っている雰囲気である。快活さが足りないかわりにしっとりしていて、後年において増える雰囲気が出ており、聞きやすい。

•セレナーデ第5番 ニ長調 K.204(213a) (1775)◦2.8点


K.203からさらに進歩している。書法がこなれてきており、モーツァルト独特の気の利いた場面転換の巧みさが目立つようになっている。物語のような性格があり、オペラを聴くように楽しめるのも特徴。コミカルでドタバタ劇のような雰囲気もある。

•セレナーデ第6番 ニ長調 K.239 『セレナータ・ノットゥルナ』 (1776)◦3.0点


祝典的な華やかな雰囲気を管楽器を使わずに見事に出していて、なかなか楽しめる。メロディーも耳に残るもの。ティンパニを使っている場面もそれに頼っていない。最後のティンパニ独奏にはびっくりする。

•セレナーデ第2番 ヘ長調 K.101(250a) (1776)◦2.3点


弦楽合奏の短いセレナーデ。メロディーが地味で幼く聞こえる。あまり良い曲ではないと思う。

•セレナーデ第7番 ニ長調 K.250(248b) 『ハフナー』 (1776)◦2.8点


オーケストラ曲。全8楽章1時間。和声は単純であり、複雑さはあまり楽しめない。だが、結婚式の前夜祭のための曲というだけあって、貴族的なキラキラした華やかさと祝典的気分に溢れており、その点では楽しめる。また中間の2楽章から4楽章までがヴァイオリン協奏曲のようであり、この独奏は単なる単純明快さだけでない複雑さや音の動きを楽しめる。

•セレナーデ第8番 ニ長調 K.286(269a) 『ノットゥルノ』 (1776/77)◦2.8点


コンパクトで聞きやすい。変化はあまり多くなくシンプルすぎるため、現代的な意味ではあまり高く評価しにくいところがある。ただ、柔らかく美しい音楽を基調としつつ控えめに適切な快活さなどを取り入れていて、音のつくりはよい。娯楽音楽としてそれなりのレベルにあると思う。

•セレナーデ第9番 ニ長調 K.320 『ポストホルン』 (1779)◦3.5点


1楽章はオペラの序曲のような堂々とした曲。2楽章は後期の交響曲のメヌエットのような堂々とした曲。3楽章と4楽章は繊細な雰囲気。4楽章の管楽器の活躍は楽しい。5楽章は短調で気分転換。6楽章のポストホルンはラッパの音色が楽しい。7楽章はノリノリ。

•セレナーデ第10番 変ロ長調 K.361(370a) 『グラン・パルティータ』 (1781/83-84?)◦3.3点


成熟したモーツァルトらしいハルモニームジークの曲であり、初期とは一線を画している。様々な気分を内包しつつ、しなやかさを持った明るい楽しめる音楽を作っているのはさすがだ。しかし、フットワークの軽さ、場面転換の鮮やかさなどの特質が活かせないので、管楽合奏はやはりあまりモーツァルトには向いていないと思う。

•セレナーデ第11番 変ホ長調 K.375 (1781, 改訂1782)◦2.8点


管楽器の合奏としての楽しみよりも、モーツァルトらしい曲としての楽しみの方がようやく上回った曲だと思う。かなり成熟しており、制約に縛られずに伸び伸びとしたモーツァルトらしい旋律や雰囲気を作れている。ただ、それでも十分にいい曲であるという印象には至っていない。


•セレナーデ第12番 ハ短調 K.388 (384a) 『ナハトムジーク』 (1782/83)◦3.5点


管楽器の合奏によるハルモニームジーク。弦が無いのに慣れると、音色を楽しめる。

•セレナーデ第13番 ト長調 K.525 『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』 (1787)◦5.5点


有名曲。簡潔でありながら豊かな内容を持ち、優美で非の打ち所がない完璧な均整が取れている。4楽章がすべてよい出来でありバランスが良い。

ディヴェルティメント

•ディヴェルティメント 第1番 変ホ長調 K.113 (1771)◦2.5点


音に充実感が出てきたが時代の第1作なのだが、音楽がありきたりで、新鮮な素晴らしさに欠けてあまり面白くないと思う。

•ディヴェルティメント K.136(125a) ニ長調 (1772):弦楽四重奏◦3.5点


冒頭のメロディーがキャッチーで耳に残る。明るく快活でのびやかな雰囲気が楽しい曲であり、優美さとも両立している。

•ディヴェルティメント K.137(125b) 変ロ長調 (1772):弦楽四重奏◦3.0点


K.136が直球勝負の曲なのに対して、この曲は冒頭いきなり悲劇的に始まりその後もしばらく穏やかであるなど、変化球の曲である。とはいえ途中の本編からは伸びやかな曲になり、その部分はK.136と同様に素敵である。

•ディヴェルティメント K.138(125c) ヘ長調 (1772):弦楽四重奏◦3.0点


K.136やK.137と同様の弦楽四重奏によるディベルティメント。優美で中庸なテンポで違いを作っている。メロディーの魅力があと一息であり惜しい印象。所々美しい場面がある。

•ディヴェルティメント 第2番 ニ長調 K.131 (1772)◦3.0点


30分の大作。既に活き活きとした楽しい音使いで聞き手を楽しませる技を完全にマスターしており、ディベルティメント作曲家としては完成している。若い時代のシンプルな清々しさと音楽のバラエティーを楽しめる。

•ディヴェルティメント 第4番 変ロ長調 K.186(159b) (1773)◦2.5点


K166と同じくハルモニームジークで印象もほぼ同様。楽しいがごく普通の曲。

•ディヴェルティメント 第3番 変ホ長調 K.166(159d) (1773)◦2.5点


管楽合奏のハルモニームジーク。初期らしい爽やかさだが、モーツァルトの独自性をあまり感じないごく普通の曲。

•ディヴェルティメント 第7番 ニ長調 K.205(167A) (1773)◦2.5点


素朴すぎて、モーツァルトの天才性が発揮できていない。ごく普通の曲が並んでいる。

•ディヴェルティメント 第8番 ヘ長調 K.213 (1775)◦2.8点


モーツァルトらしさ、音楽の充実感において、1773年作のディベルティメントとは雲泥の差である。しかし、まだハルモニームジークの制約により十分な力を発揮出来ていないように聞こえる。

•ディヴェルティメント 第9番 変ロ長調 K.240 (1776)◦3.0点


この曲ではハルモニームジークの穏やかさとモーツァルトのセンスが融合して、ようやく独自性がある作品として完成レベルに達したという印象。

•ディヴェルティメント 第12番 変ホ長調 K.252(240a) (1776)◦2.8点


この時期の他の曲と似たようなハルモニームジーク。あと少し何か輝くものが欲しい所。

•ディヴェルティメント 第6番 ハ長調 K.188(240b) (1776)◦2.5点


2本のフルートと5本のトランペットとティンパニ。広々とした元気な印象を与える編成を楽しめる。曲は普通。

•ディヴェルティメント 第10番 ヘ長調 K.247 (1776)

•ディヴェルティメント 第11番 ニ長調 K.251 (1776)◦2.5点


本当にモーツァルト作のディベルティメントなのか耳を疑ってしまった。バロック的な清澄な響きであり、和声があまり機能していない。モーツァルトらしいフレーズがあまり登場しない。このようなバロック的な音楽の世界はそれはそれで別ジャンルとして好きではあるのだが、やはりモーツァルトらしさに驚くほど欠ける曲である。

•ディヴェルティメント 第13番 ヘ長調 K.253 (1776)◦3.0点


ハルモニームジーク。1楽章の変奏曲が目新しくて面白い。他の楽章も軽快でなかなか楽しい。

•ディヴェルティメント 第14番 変ロ長調 K.270 (1777)◦2.8点


ハルモニームジークだが、モーツァルトの管弦楽曲のような優美なメロディーが取り入れられている。ありきたりではないが、必ずしも管楽合奏の良さを活かせているとはいえないと思う。

•ディヴェルティメント 第15番 変ロ長調 K.287(271H) (1777)◦2.5点


かなり長い曲。全体に平凡でモーツァルトらしい冴えや天才性が感じられなくて、あまり楽しめない。

•ディヴェルティメント 第16番 変ホ長調 K.289(271g) (1777) …偽作説が有力。◦2.0点


リズムが平板であり、メロディーも面白くなくて、ひどくのっぺりした印象。メロディーの癖にモーツァルトらしさがなく、確実に偽作だと思う。

•ディヴェルティメント 第17番 ニ長調 K.334(320b) (1779)◦3.3点


弦楽合奏の曲。有名だが長いし演奏を選ぶと思う。曲中では有名なメヌエットがやはり断然輝いてる。他も優雅で充実した娯楽音楽だが、感動を感じるほど素晴らしいとは思わない。

•ディヴェルティメント K.563 変ホ長調 (1788):弦楽三重奏◦4.0点


何度聴いても飽きない充実の名作。他のディベルティメントよりもはるかに充実したこの曲がたった3つの弦楽器で演奏されるというのが驚異的。

その他

•フリーメイソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477(479a)◦4点

迫力ある短調の音楽。

•『音楽の冗談』 (2Hr,2Vn,Va,Vc)K.522 (1787)◦3.5点

人を馬鹿にしたようなネタが面白すぎ。ホルンが入っていて活発な曲調なので音も楽しめる。面白すぎて初めて聴いた時は声を出して笑ってしまった。特に最後の終わり方。聞いていると映画アマデウスに出てくる人をはしゃいでサリエリを小ばかにするモーツァルトの姿が思い浮かぶ。


協奏曲

協奏交響曲

•オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲 (1778 偽作?)

聴いた印象では、モーツァルトの手癖と少し違う感じのフレーズが多いと思った。したがって偽作だろうと思う。

•ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364 (320d) (1779)◦2.8点


交響的な音の豊かさを持った曲なのだが、それがモーツァルトらしい独走楽器の伸びやかで自由な活発さという協奏曲のよさをスポイルしてしまっていると思う。特に目立つような良い点はないし、実際のところ決して悪い曲ではないにしても、聴いて楽しいモーツァルトの協奏曲の魅力に欠けているため、あまりお勧めできない。


ピアノ協奏曲

交響曲とは違い20歳以降に沢山の曲を書いている。20番で急に覚醒して、芸術性の高い作品群となる。それまではやはり、美しいものの演奏会用のエンターテイメント曲の粋を出ないと感じる。

•ピアノ協奏曲第5番 ニ長調 K.175 (1773)◦3.0点


4番までは編曲なのでオリジナル作品のピアノ協奏曲の第一作。爽快であるとともに、トランペットとティンパニの祝典的な雰囲気が楽しい気分にさせる。2楽章の瑞々しさも魅力。バランスが良くて、ピアノがよく歌っており、既に完成度がかなり高い。協奏曲の作曲家としての才能の高さに痺れる。

•ピアノ協奏曲第6番 変ロ長調 K.238 (1776)◦3.0点


1楽章は5番と同じ位に魅力的でより技巧的に華やかにした感じ。2楽章は5番より陰影が豊かになった。3楽章はメロディーがシンプルすぎていまいち。

•ピアノ協奏曲第7番 ヘ長調 K.242『ロドロン』(3台のピアノのための)(1776)

•ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246『リュツォウ』 (1776)◦2.8点


1楽章は定形化の兆しを感じて、あまり面白くない。2楽章は美しいのだが、瑞々しく初々しいようなものが少なくなった。3楽章は悪くないがメロディーの魅力が今一歩。

•ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271『ジュノーム』 (1777)◦3.3点


冒頭にいきなりピアノが登場するのは先駆的で最初は驚くが、慣れてくると後世の作品と比較すればごく控えめな使われ方であると感じる。清新で瑞々しさがあると共に、充実感が20番以降に匹敵するほどであり、名作の一つである。

•ピアノ協奏曲第10番 変ホ長調 K.365(2台のピアノのための) (1779)

•ピアノ協奏曲第11番 ヘ長調 K.413 (1782-83)◦2.0点


特にこれといった魅力がない。

•ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K.414 (1782)◦3.0点


アダージョ楽章が優美でなかなかよい。他楽章もよく、10番台前半の中では音楽に魅力があり聞きほれる。

•ピアノ協奏曲第13番 ハ長調 K.415 (1782-83)◦2.5点


祝典的雰囲気が少しあり楽しい気分を感じる。

•ピアノ協奏曲第14番 変ホ長調 K.449 (1784)◦2.5点


ピアノ独奏が華やかさを増して、20番台に近づいた感がある。

•ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450 (1784)◦2.5点


アダージョの美しさとロンドのノリノリで華やかな感じはなかなか良い。

•ピアノ協奏曲第16番 ニ長調 K.451 (1784)◦3.0点


20番台に匹敵する充実感を感じられるようになった。

•ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453 (1784)◦3.0点


優美さを持っており長い作品の中で微妙なニュアンスの移ろいを楽しめる。

•ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調 K.456 (1784)◦2.5点


充実感はあるものの、耳をひいたり胸を捉えるような素晴らしい瞬間はあまりない。

•ピアノ協奏曲第19番 ヘ長調 K.459 『第二戴冠式』(1784)◦3.0点


祝典的な華麗さがあって聴いていて楽しい。


20番以降
•ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466 (1785)◦5.5点


内に秘めた情熱と悲しみの第1主題と、そこからの展開として絶妙な心の中で泣いているような第2主題のどちらも良い1楽章。感動を内包する素晴らしく魅力的な静寂の主題と、強烈な対比をみせる激情的な中間のどちらも素晴らしい2楽章。疾走感があるロンドが、カデンツァのあとに最後にパッと雲が消えたように晴れやかに終わる感動的な3楽章。すべてが完璧な大傑作である。

•ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467 (1785)◦4.5点


いいメロディーが沢山あって聴きやすい。

•ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482 (1785)◦3.5点


スケールの大きな威勢のいい曲。

•ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488 (1786)◦5.0点


こじんまりとしているが、非常に愛らしくて可愛らしさに心を奪われる1楽章。歌曲のように憂いのある優れたメロディーを存分に歌わせる2楽章。めまぐるしく新しい主題が出てきて息をつかせない3楽章。どれも素晴らしい。逸品である。

•ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491 (1786)◦4.0点


ソナタもそうだが短調の二曲目の方はハ短調で少し理屈っぽい。でも慣れると感動的。

•ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K.503 (1786)◦3.5点


20番台の中では地味でずば抜けた所が無い。それでも10番台よりはいい曲。

•ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537『戴冠式』 (1788)◦4.0点


華やかな中に独特の美しさが散りばめられている。

•ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595 (1791)◦4.5点


最後の年の曲であり、透明な純白の曲調。1楽章の気力が衰えた感じの第1主題からして聴いていて悲しくなる。3楽章の三拍子の主題メロディーは、顔で笑って心で泣いている雰囲気の代表的なものであり、感動する。

ヴァイオリン協奏曲

残念ながら19歳で打ち止めなので、ピアノ協奏曲と比較すると見劣りする。

•ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 K.207 (1775)◦2.5点

書法の未熟さが気になる。あまりに単純なフレーズが多く作曲の初心者のようだ。ただしモーツァルトらしい魅力ほそれなりにある。


•ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ長調 K.211 (1775)◦2.5点

快活さや優美さに一定の魅力はあるが、オーケストラの四分音符伴奏など内容面で未熟さが気になる。


•ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216 (1775)◦3.0点

優美でありながら生き生きとした雰囲気は悪くないし、書法に進歩が見られるものの、旋律があまり印象的ではない。


•ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K.218 (1775)◦3.3点

明るく優美であり、楽想の繋ぎが流れるようになっている。旋律も少し良くなっている。3番よりも進歩が見られる。


•ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調『トルコ風』K.219 (1775)◦3.8点

キャッチーなメロディーが多くて聴きやすく楽しめる。どの楽章も耳を楽しませる分かりやすいフレーズのオンパレードである点ではモーツァルトでもかなり上位であり、深みに欠けるものの、かなり楽しめる。明るく快活で、雰囲気が良い。

•2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ K.190(186E)◦3.0点

コンチェルーネという名称であるが、長い曲である。オーボエの独奏もときどき入っていて目立つ。それほど協奏曲らしい活発さがない、まろやかで柔らかくて大人しい曲。まったりした雰囲気の中で多くの独奏パートがはっとするような刺激をくれるため、娯楽曲としては案外楽しめる。

•ヴァイオリンと管弦楽の為のアダージョ ホ長調 K.261◦3.3点

単発の曲としては、このアダージョは陰影をもったしみじみとした美しさを堪能できるためK.269よりも楽しめる。ヴァイオリンを存分に歌わせていて、聴き応えがある。

•ロンド 変ロ長調 K.269(261a)◦2.8点


ヴァイオリン協奏曲の最終楽章としてなら悪くない曲。この時期らしい出来になっている。しかしながら、単発の楽章だけで聴くと深みが足りない。わざわざ聴くべき内容ではない。

•ロンド ハ長調 K.373(フルート協奏曲版(K.Anh.184)あり)◦3.3点


優雅なロンドのテーマは耳に残るもの。一連のヴァイオリン協奏曲よりも後に書かれたことによる成熟と、優雅な楽しい雰囲気を楽しめる小品。


管楽器のための協奏曲

管楽器の明るく伸びやかで歌心溢れた協奏曲群はモーツァルトの特質が生かされており素晴らしい。

•バスーン協奏曲 変ロ長調 K.191(186e) (1774)◦3.3点


18歳の作品なので深みはないが、一流の音楽的センスは完成の域に達している。彼のセンスが管楽器の協奏曲においてプラスに働いていており、センスが良く音楽的に楽しめる作品である。

•フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299 (297c) (1778)◦4点


2楽章の高雅な美しさは知名度どおりの素晴らしさ。これほどまでに雅な音楽は思い当たらないくらい。キラキラした西洋の貴族というよりも平安時代以来の伝統の日本の京都の貴族をイメージするのは自分だけだろうか。しかしながら、1、3楽章はあまり冴えない曲で印象に残らない。

•フルート協奏曲第1番 ト長調 K.313(285c) (1778)◦3.0点


フルート協奏曲の2番と比較すると旋律の魅力に欠けており冴えがない。フルートの魅力を生かした良い作品ではあるだが、古典派の中の並みのレベルだと思う。

•フルート協奏曲第2番 ニ長調 K.314 (1778)◦3.5点


1楽章は伸びやかで明るくて清々しい。軽やかな気持ちなれる曲である。2楽章は優美でフルートの軽やかさと清らかさが活かされてる。3楽章の明るくて快活なところも魅力。全体的に深さはないもののフルート協奏曲として非常に魅力的な曲。

•オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314(285d) (1778)

フルート協奏曲2番と同曲(先にオーボエ協奏曲が書かれたものをフルート協奏曲に編曲)

•ホルン協奏曲第1番 ニ長調 K.412+K.514(386b) ◦3.5点


1楽章は柔らかく美しいメロディーが優れている充実した傑作。メロディーセンスが光る。2楽章は1楽章ほどの名曲感はなく普通。この曲はモーツァルトが無くなった年に書かれたのが定説との事だ。その割には晩年の透明感はないが、充実の傑作である。

•ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 K.417 (1783)◦2.5点


ホルンの柔らかさを楽しめるが、わりと当たり前のフレーズばかりで、内容に隙間が多く、印象に残らない。

•ホルン協奏曲第3番 変ホ長調 K.447 (1783)◦3.3点


1、2楽章はモーツァルトらしい繊細な流麗さがよく発揮されている。3楽章の快活さもホルン協奏曲なので控えめであるものの楽しい。

•ホルン協奏曲第4番 変ホ長調 K.495 (1786)◦3.3点


3番と似た感じだが、どことなくより繊細さが増している気がする。この曲に限らずホルン協奏曲全曲に言えるが、フルートなどの他の管楽器の協奏曲とは一味違うホルンらしい温かみを上手く活用した楽しい古典派協奏曲である。

•クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 (1791)◦5.5点


モーツァルトの協奏曲の最高傑作だと思うし、全作品の中でも屈指の出来栄えだと思う。モーツァルトの協奏曲のフレームワークは他の曲と同様だが、この曲はその中で天才的なバランスを保持しながら、愛おしさ、人恋しさや諦観や未来への希望を歌心いっぱいに表現している。充実感と感動にあふれていて、強く胸を打つ作品になっている。

•フルートと管弦楽のためのアンダンテ ハ長調 K.315(1778)◦3.3点


歌心があり朗らかで牧歌的な主部と、陰影のある中間部。変化もあり中身は濃い。協奏曲の緩叙楽章としては、なかなかの出来だと思う。


室内楽曲

弦楽五重奏曲

30歳を超えて、四重奏よりも力を入れたジャンル。ヴィオラ1本でだいぶ印象が違う。充実作が並ぶ。


•弦楽五重奏曲第1番 変ロ長調 K.174 (1773)◦2.5点

爽やかで若々しいが、それ以上の魅力はない。とはいえ五重奏の音の充実感は楽しめる。


•弦楽五重奏曲第2番 ハ短調 K.406(516b) (1787年 管楽セレナードK.388 (384b) の編曲)◦3.5点

管楽セレナードの編曲。短調曲だが、悲痛な感じはあまりなく、美しく短調のメロディーを鳴らすのを楽しめる。どの楽章も内容が充実している。

•弦楽五重奏曲第3番 ハ長調 K.515 (1787)◦3.5点

1楽章は広々とした旋律で始まるのが印象的。全編が清々しく美しくしなやかで豊かな雰囲気を持っている。二楽章はよくある雰囲気だが美しさに満ちてる。三楽章はいまいち。最終楽章もよくあるロンドだが、美しくて大規模。


•弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516 (1787)◦4.0点

憂いと悲しみを含んだメロディーが各所で現れる。イントロからして半音階的で悲しい。主要な短調の器楽曲の中で、ここまで憂いの色が濃い曲は無い気がする。アダージョは短調曲でのいつもの魅力を見せているが、その中でも傑作かもしれない。最終楽章がいつもと違いゆっくり始まるのが悲しいが本編は吹っ切れたかのような明るいロンド。


•弦楽五重奏曲第5番 ニ長調 K.593 (1790)◦4.0点

どの楽章も晩年の透明感を持つ美しさを楽しめる曲として貴重。人恋しさ、現世への儚くも淡い思い出を感じる。かなり名曲。

•弦楽五重奏曲第6番 変ホ長調 K.614 (1791)◦3.0点

最晩年の曲だが、5番ほど最後の透明な美しさを感じない。割と内容も出来も普通の曲だと思う。


弦楽四重奏曲

モーツァルトのカルテットは聴きやすいものの、ハイドンと比較すると自由闊達さも構築性も足りず、伸びやかさも足りない。どのジャンルでも高レベルな作品を作る彼においては、相対的にみてあまり向いているジャンルではないかもしれない。

•弦楽四重奏曲第1番 ト長調「ロディ」 K.80(73f) (1770)◦1.5点


まだ完全に未成熟な作品であり、スカスカで内容が無く面白くない。試しに聴いてみる以上の鑑賞価値はない。

•弦楽四重奏曲第2番 ニ長調 K.155(134a) (1772)◦3.0点


1楽章はメロディーに活き活きとしてかなり魅力的。2楽章は優美でそれなりに魅力がある。3楽章は可もなく不可もない。あっという間に終わる。弦楽四重奏曲の書き方に未熟な感はあるが、1番とは雲泥の差の作品である。

•弦楽四重奏曲第3番 ト長調 K.156(134b) (1772、第2楽章改訂1773年)◦3.0点


1楽章は愉しい雰囲気、2楽章は短調でともに雰囲気は良いが旋律の魅力としてはあと一息。3楽章は悪くない。4楽章で再びの短調の嘆きの歌で驚く。こちらはなかなか良い。序奏かと思いきや最後まで続く。

•弦楽四重奏曲第4番 ハ長調 K.157 (1772-1773)◦2.5点


1楽章は旋律の癖にハイドンの影響を感じる。しかし旋律に幼さを感じていまいち。2楽章は短調。しかし単純すぎて魅力はいまいち。3楽章は舞曲のようで少し面白い。

•弦楽四重奏曲第5番 ヘ長調 K.158 (1772-1773年)◦2点


1楽章はスカスカで未熟。2楽章は短調。スカスカでこれまでより劣る。3楽章もスカスカ。未熟な作品。

•弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 K.159 (1773)◦3点


4番あたりと比較すると成長著しくなかなかいい曲だと思った。

•弦楽四重奏曲第7番 変ホ長調 K.160(159a) (1773)◦3点


さわやかなディベルティメント風でいいと思った。

•弦楽四重奏曲第8番ヘ長調 K.168 (1773)◦3.0点


弦楽合奏にも使えそうな雰囲気。いい曲。

•弦楽四重奏曲第9番イ長調 K.169 (1773)◦3.0点


爽やかさと柔らかさを持っている。

•弦楽四重奏曲第10番ハ長調 K.170 (1773)◦2.8点


1楽章はしなやかで滋味があるところ、リズム感もハイドンに似ている。2楽章の単純ななかの響きの複雑さはなかなか良い。3楽章のしなやかで伸びやかな緩徐楽章はモーツァルトでは目新しい気がする。4楽章は普通。

•弦楽四重奏曲第11番変ホ長調 K.171 (1773)◦2.5点


おとなしい楽想。同時期の他曲と比較して少し落ちる気がする。聴く順番は後がいいかも。

•弦楽四重奏曲第12番変ロ長調 K.172 (1773)◦2.5点


11番同様に同時期の他曲と比較して少し落ちる気がする。ものすごく微妙な違いなので自信は無いが。

•弦楽四重奏曲第13番ニ短調 K.173 (1773)◦3.0点


初の短調のカルテット。モーツァルトの短調曲らしさがあり、聴く価値あり。


ハイドンセット

長い時間をかけて書かれた作品集。モーツァルトにしては作曲に時間をかけすぎた弊害で息苦しさがある、という意見に自分も賛成である。

•弦楽四重奏曲第14番 ト長調『春』 K.387 (1782)◦3.5点


一楽章がキャッチー。まさに春が訪れたように、明るく暖かくなりぱっと晴れたような気分になる。二楽章も三楽章も明るくて解りやすい。対位法的な高揚感のある四楽章もよい。全体に力作。

•弦楽四重奏曲第15番 ニ短調 K.421(417b) (1783)◦3.0点


ハイドンセット唯一の短調。二、三楽章がもの足らないし、一、四楽章も他の多くの短調の傑作と比べれば凡庸。それなりにいい曲ではあるが。

•弦楽四重奏曲第16番 変ホ長調 K.428(421b) (1783)◦3.5点


人を愛おしく思うような感情が満ちている。柔らかくて優しい音楽。前半の二つの楽章が素晴らしい。

•弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調『狩』 K.458 (1784)◦3.5点


一楽章は牧歌的で活動的な主題が印象的。確かに狩りのようだ。二楽章も明るくてリズムに乗って主題が演奏されて愉しい。三楽章は美しく、四楽章はノリがよくて聞いていてウキウキする。

•弦楽四重奏曲第18番 イ長調 K.464 (1785)◦3.0点


ハイドンセットの中では規模は大きいが楽想は一番地味。大人しめの曲であり、それを代償とする際立ったものもない。いい曲ではあるが。

•弦楽四重奏曲第19番 ハ長調『不協和音』 K.465 (1785)◦3点

なんじゃこりゃ???、と驚く斬新な不協和音の冒頭は面白いアイデアで、ソナタの主題が魅力的になるのに大きな効果を発揮してる。全体に明るく美しさを重視した曲調でまとめられている。

ハイドンセット以降

•弦楽四重奏曲第20番 ニ長調『ホフマイスター』 K.499 (1786年)◦3.3点

全体にモーツァルトにしてはあまり音は耳触りの良い方ではないし明快さが少ないが、内面的に寂寥感や人恋しさを湛えていて精神面は充実している。4楽章でさえもどこか暗い。

プロシア王四重奏曲

•弦楽四重奏曲第21番 ニ長調 K.575 (1789)◦3.3点

しなやかで人間愛にあふれた切ない雰囲気が全体を支配している。また弦楽合奏の方が向いていそうな印象もあり、特に2楽章において特に顕著である。平均してどの楽章も充実している。


•弦楽四重奏曲第22番 変ロ長調 K.589 (1790)◦3.5点

2楽章が感動的。ハイドン後期の弦楽四重奏に近い。晩年らしい胸のうちに秘めた様々な感情が抑えきれずに音楽に現れている感じであり、聴き応えがある。


•弦楽四重奏曲第23番 ヘ長調 K.590 (1790年)◦3.3点

2楽章が一番良い。雰囲気や内容はプロシア王セットの他の2曲と同様。


弦楽三重奏曲

•二つのヴァイオリンと低音楽器のためのアダージョとメヌエット K.266 (1777)◦2.5点


かなり音のバランスが悪い特殊構成の曲。中間の音がないため、いわゆるドンシャリのような音がする。2つの楽章があるが、どちらもあまり面白い曲ではない。この曲は、特殊な構成であるという価値しかないと思う。

•ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563 (1788)

ディベルティメントの方に記載。


弦楽二重奏曲

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 第1番 ト長調 K.423 (1783)◦3.5点


決してキワモノ曲としていい加減に書かれた作品ではなく、随分と内容が充実している立派な作品である。アイデアが豊富につぎ込まれている。たった2声部にも関わらず驚異の充実感であり、アレンジだけでも楽しめる。この2曲において声部の不足に伴う違和感がほとんどないのだから、逆にいえばモーツァルトの音楽が本質的には2声部で書かれているということに他ならないのかもしれない。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 第2番 変ロ長調 K.424 (1783)◦3.5点


1番と同様の感想である。かなりの充実感のある作品である。


ピアノが入った室内楽曲

•ピアノ、オーボエ、クラリネット、ホルン、バスーンのための五重奏曲 変ホ長調 K.452 (1784)◦2.5点


1楽章は冴えない。2楽章は優美でなかなか良いが感動する程のものではない。3楽章はいまいち。全体にいまいちだが、ハルモニームジークが好きな人や生演奏なら楽しめるだろう。

•ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478 (1785)◦4.0点


ピアノ入りの室内楽の中では本格派の曲。1楽章は典型的なモーツァルトのト短調。悲劇性を帯びている情熱的な曲。2楽章はなかなか美しい。ピアノ四重奏のバランスの良さがプラスに働いている気がする。そして何より3楽章が素晴らしい。ピアノ協奏曲のようなピアノと弦のかけあいや、次々とテンポ良くメロディーが移り変わっていく技法が上手い。

•ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K.493 (1786)◦3.0点


叙情的で大らかな雰囲気で魅力があり、1番と同様に本格的で響きが豊かで楽しめるが、特別感のある楽章が無く、モーツァルトとしては普通の曲。1、2楽章は割といいが3楽章が面白くない。

•ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 K.254 (1776)◦2.8点


ハイドンのような、古典派の中でも前期から中期のような素朴な曲と感じる。モーツァルトにしては爽快で快活さを味わう楽しみがある曲であり、成熟してからのピアノ三重奏曲の出来がいまいちなので、それよりむしろ魅力があるかもしれない。名作といはいえないが。

•ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調 K.442 (1783,90 未完成)

•ピアノ三重奏曲第3番 ト長調 K.496 (1786)◦2.0点


どの楽章も音がスカスカで聴いていて楽しくない。メロディーが面白くないし、楽器の絡みも面白くない。これはモーツァルトにしては駄作だと思う。

•ピアノ三重奏曲第4番 変ロ長調 K.502 (1786)◦3.3点


2楽章がモーツァルトらしい純粋で切ない、協奏曲のかんじょ楽章のような美しさ。室内楽なのでより穏やかで個人的な切なさが表現される。1楽章と3楽章は名作とはいえはないが前作よりは充実している。

•ピアノ三重奏曲第5番 ホ長調 K.542 (1788)◦2.5点


3楽章が楽想豊かで快活でなかなか良いものの、全体的にはモーツァルトとしては水準以下。

•ピアノ三重奏曲第6番 ハ長調 K.548 (1788)◦2.5点


ピアノ三重奏の中ではしっかりした書法で書かれている曲だと思う。とはいえ音の薄さとチェロが有効活用されていないのは相変わらずだし、良いメロディーは無い。

•ピアノ三重奏曲第7番 ト長調 K.564 (1788)◦3.0点


前半の2楽章はK.548と音楽的レベルはほとんど同じレベルの印象だが、3楽章が最後のピアノ協奏曲27番を連想する晩年らしい純粋さを持った魅力作。

•ピアノ、クラリネット、ヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498『ケーゲルシュタット・トリオ』 (1786)◦3.5点


ボーリングの前身に興じながら書いたと言われる割には、随分と穏やかで上品な曲調である。クラリネットとヴィオラとピアノは特殊構成ながら非常にバランスが良く、この構成自体が見事な発明である。名メロディーは無いものの、楽しめるなかなかの佳品。


管楽器が入った室内楽曲

•フルート四重奏曲第1番 ニ長調 K.285 (1777)◦4.0点


フルートの輝かしい華やかさと優美さを存分に生かしており、快活な1楽章と3楽章が非常に魅力的。また2楽章の情緒的な悲しいメロディーもまた非常に魅力的。短いから聴きやすい。

•フルート四重奏曲第2番 ト長調 K.285a (1778)◦2.0点


1楽章も2楽章もつまらない。偽作の疑いがもたれているが、出来の悪さや響きの薄さを考えると、偽作の方がしっくりくる。

•フルート四重奏曲第3番 ハ長調 K.Anh.171(285b) (1778)◦3.0点


1楽章はフルートが出ずっぱりのソナタで、たいした曲ではない。2楽章は変奏曲でそれなりにバラエティーに富んでいるので楽しめる。

•フルート四重奏曲第4番 イ長調 K.298 (1788)◦3.0点


他の作曲家の歌曲のメロディーを拝借してフルート四重奏に仕立てたもので、オペラのような軽いノリの曲。

•オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370 (1782)◦2.5点


管の響きを堪能出来る内容だが、曲としては特別な工夫を感じないごく普通の曲でモーツァルトにしてはもの足らない。

•オーボエ五重奏曲 ハ短調 K.406 (1782)

弦楽五重奏曲2番のオーボエ五重奏曲への編曲版

•ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407(386c) (1782)◦3.0点


ほのぼのとしてくつろいだ雰囲気のディベルティメント的な内容。ホルンの柔らかい音色を堪能できる。

•クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581 (1789)◦5.0点


晩年の澄み切った透明感と、クラリネットが弦楽の響きのなかに溶けるようにして歌うことにより醸し出される豊穣さと愛おしさが全編にあふれている、何とも素敵な曲。モーツァルトの室内楽の中では一番わかりやすいし内容も素晴らしい。

•2つのクラリネットと3つのバセットホルンのためのアダージョ 変ロ長調 K.411(484a) (1785)◦3.3点


モーツァルトのアダージョらしい、柔らかくて温かみのありつつも透明感と憧れのある美しい音楽。オーケストラ曲のような雰囲気を管楽器だけで出せている。小品だが内容が豊かで十分に楽しめる。

•グラスハーモニカ、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロのためのアダージョとロンド K.617 (1791)◦3.5点


映画「アマデウス」の雰囲気を彷彿とさせる、不穏さと生の継続への憧れに満ちた独特の雰囲気がすばらしい曲。つい引き込まれてしまう。15分もある大曲。ただし、曲の構成が自由すぎるため、何度も繰り返し聴くような種類の音楽ではないと思う。

•バスーンとチェロのためのソナタ 変ロ長調 K.292(196c) (1775)◦2.8点


低音の2つの楽器という特殊構成のソナタ。しかしバスーンはそれなりに高音のメロディーを吹けるため、それほど低音だけという感じはしない。さすがに特殊すぎてモーツァルトの作曲能力を十分に発揮できているとはいい難いが、バスーンを堪能するという目的ではそれなりに楽しめる。

•2つのバセットホルンのための12の二重奏曲 ハ長調 K.487(496a) (1786)◦2.8点


モーツァルトには珍しいタイプの曲集である。ごく小さな曲が並んでいる。モーツァルトの原風景の一つとして案外発見がある。とはいえ、習作もしくは練習曲のような内容で、あまり鑑賞する対象となるような音楽とはいえない。12曲もありだんだん飽きてくる。


ピアノとヴァイオリンのためのソナタ

ベートーヴェン以降のヴァイオリンソナタの感覚で聴こうとすると失敗する。ピアノ主体で、ヴァイオリンはいろどりを添えるような役割となっている。

•ヴァイオリンソナタ第24番 ハ長調 K296 (1778)◦3.0点


優美で快活というのに尽きる。ごくありきたりの内容なのだが、美しい瞬間もそれなりにあり心地よくて気軽に楽しく聴ける。

•ヴァイオリンソナタ第25番 ト長調 K301(293a) (1778)◦2.5点


24番と似たような内容だが、快活さが減少して楽しさも減少してありきたりな感が増している。

•ヴァイオリンソナタ第26番 変ホ長調 K302(293b) (1778)◦2.5点


25番と同様の印象。

•ヴァイオリンソナタ第27番 ハ長調 K303(293c) (1778)◦2.5点


優美な曲。冒頭の助奏が良いが、その後はごく普通の曲。

•ヴァイオリンソナタ第28番 ホ短調 K304(300c) (1778)◦3.5点


短調曲であり、物悲しい雰囲気を楽しめる曲。しかし多くの短調曲のような激情や強烈な悲しみはなく、割と淡々とした切なさや物悲しさであること、長調メロディーとの落差もあまり大きくないのが特徴で、それに慣れると楽しめる。

•ヴァイオリンソナタ第29番 イ長調 K305(293d) (1778)◦3.0点


快活で元気がよいので楽しい。冒頭のユニゾンを始めとして、1楽章は管弦楽曲のようである。

•ヴァイオリンソナタ第30番 ニ長調 K306(300l) (1778)◦3.5点


生き生きとした魅力的な楽章ばかり。モーツァルトのピアノ入りの室内楽の中ではかなり良い出来だと思う。

•ヴァイオリンソナタ第31番 変ロ長調 K372 (1781)◦3.0点


優美で愛らしい佳曲。どの楽章もそれなりに良い。

•ヴァイオリンソナタ第32番 ヘ長調 K376(374d) (1781)◦3.0点


1楽章は音の跳躍や無窮の主題、3楽章は影のあるメヌエット、2楽章は短調の変奏曲と、どの楽章も癖がある。

•ヴァイオリンソナタ第33番 ヘ長調 K377(374e) (1781)◦3.8点


モーツァルトらしい美しさがコンパクトな編成により引き立つ作品。特別感を感じるほどではないものの、メロディーが良くて、ヴァイオリンソナタらしい愛らしく美しく、可愛らしい音楽を非常に楽しめる名作。

•ヴァイオリンソナタ第34番 変ロ長調 K378(317d) (1779)◦3.3点


長い前奏のあと突然に短調で主題が始まり驚く。悲劇的で情熱的な雰囲気だが、長調の時間も長いので、それ程短調らしさは強くない。2楽章は変奏曲で時々いいなと思う位。

•ヴァイオリンソナタ第35番 ト長調 K379(373a) (1781)◦3.0点


どのあまり主題の旋律に魅力が無く、名作という感じはしない。普通の曲。

•ヴァイオリンソナタ第36番 変ホ長調 K380(374f) (1781)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第37番 イ長調 K402(385e) (1782)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第38番 ハ長調 K403(385c) (1782)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第39番 ハ長調 K404(385d) (1782)◦3.3点

フレーズや管弦楽的、協奏曲的な音楽で演奏時間も長い。規模が大きいのを楽しめるが、オーソドックスな正統派すぎてヴァイオリンソナタらしいコンパクトさの中の才能の輝きは足りない。


•ヴァイオリンソナタ第40番 変ロ長調 K454 (1784)◦3.3点

前作が正統派なのに比べて、この作品は工夫してありきたりにならないようにしている。2楽章がなかなか美しい。3楽章の変奏曲も主題に魅力があるし、変奏も変化が十分なので楽しめる。


•ヴァイオリンソナタ第41番 変ホ長調 K481 (1785)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第42番 イ長調 K526 (1787)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第43番 ヘ長調 K547 (1788)◦3.0点

純度が高まりややシンプルで、その代わりに輝きや精気がやや失われた感じで、それまでの曲と雰囲気が違う。うまく演奏すればこの雰囲気は活かされるかもしれないが、普通の演奏だとやや面白くない。


器楽曲

特殊楽器作品

•自動オルガンのためのアダージョとアレグロ ヘ短調 K.594 (1790)◦3.5点


怖いほどの焦燥感に驚く。人生の終わりに何か悪魔のような心がモーツァルトを追い詰めていたのでは?と思わせる。鬼気迫るような曲。

•自動オルガンのためのアレグロとアンダンテ(幻想曲)ヘ短調 K.608 (1791)◦4.0点


オルガンという楽器の素晴らしさのために、ロマン派の音楽よりもロマンチックな内容となっており素晴らしい。迫力満点になったり表情豊かで、対位法の利用も効果が高い。かなり感動的な名曲。

•自動オルガンのためのアンダンテ ヘ長調 K.616 (1791)◦4.5点


人恋しさや人生に対する名残惜しさのような者が滲み出て、感動が止まらない名曲。冒頭のメロディーは聴いていて本当に泣けてくる。モーツァルトが可哀想という気分になる。オルガンでこのようなメロディーを鳴らした人は他にいただろうか?

•グラス・ハーモニカのためのアダージョ K.356(K6.K.617a) (1791)◦3.8点


人生の総決算を感じさせるような曲。グラス・ハーモニカの独特な淡くてセンチメンタルな音色が、人生の儚さを驚異的なまでに音楽で演出する。メロディーとして単純であるから、モーツァルトの曲のなかできわめて高レベルとまでは本来ならばいかないのだが、グラス・ハーモニカという特殊楽器のおかげでかなり魅力的な作品となっている。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html#c2

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